結局、徹夜のまま移動することに。長岡まで送ってもらい、長岡駅の「柳庵」でコロッケそばの朝食。新幹線で東京を経由して、浜松まで。車中ではぐっすり。危うく浜松で降りそこねるところだった。浜松駅内の立ち食いそばで、山菜そばに持ち込みのひきわり納豆2パックを入れ、昼食。厨房にいるおばちゃん連中からアヤシーのがいるな、という目で見られる。外食が多くなるので、冷凍にしておいた納豆を3パックほど持参した。タクシーにて講演会の会場であるサンピア浜松に移動。受付で浜松市議の新村議員に挨拶。先日、新村議員の選挙応援にいった際に知り合った、新村後援会の面々、神戸市議の井坂議員、茨木市の福丸さん、先日の神戸市長選に出馬した松村つとむ氏、角田識之氏などがいらっしゃった。講演会の会場は300名に届くほどで熱気ムンムン。浜松倫理法人会の方にもご挨拶。
<先日の京都。晋作の墓前で納豆>
平成17年度 遠州公開講座
高杉晋作「その狂気と情熱」師の志を受け継いだ維新の英雄
講師:林英臣(はやしひでおみ)
松下政経塾 一期生
政経維新塾 塾長
地方議員1000名日本大勉強会 幹事長
衛星放送「日本文化チャンネル桜」講師(東洋思想)
志を持った子供を育てる会 代表
人間学経営研究所 所長
昭和32年生まれ
主催:遠州公開講座実行委員会
東林志塾、浜松法則史学研究会、政経維新塾
後援:静岡新聞社、静岡放送、FM浜松
中日新聞東海本社、テレビはままつ 浜松百選
浜松市教育委員会、日本文化チャンネル桜、浜松倫理法人会
静岡製機株式会社、株式会社内田建設
株式会社日本ロック、株式会社篠ヶ瀬工業
アポロ電気株式会社、株式会社スパシーワールドカンパニー
遠州から新風を興す土地家屋調査士
*遠州公開講座は、今年12回目を迎えた。
議事メモ
<晋作と松蔭>
・萩に行くと、歴史上の人物の地名がある。
巡回バスがあり、バス停がとまるたびにわくわくする。
バスは2ルートあって、松蔭先生号、高杉君号。
・・・なぜ、松蔭が先生で、高杉は君なのか。
・今日学ぶことは、人生の目的を探し、一気に生き抜くこと。
このために生まれたんだというものの出会いを学ぶ。
高杉は師匠から託され、全生涯をかけて実行した。
・空海や法然のように、師からではなく、自分で見つける
人もいる。ただ、この二人は経典があるので本から学んだ
といってよい。
・本、先人、師匠からでも、自分の人生の核心になるものを
掴むことが大切であり、それがないとブレる。
・人間は何かを掴まないと自分を定められない。
晋作の場合は師に「託されて生きる人生」
・林講師の場合は、3名。
古事記の大和言葉を教えてくれた先生が師匠。
師匠は「君が受け継いでくれるならそれでいい」と
言ってくれた。
文明800年運命論の先生もそう。
常にネクタイをしていたが、生徒が自分一人でも
その場は教える場として、キッチリとした態度で
接してくれた。
もう一人は松下幸之助。
・色々な師匠に託されたが、中国のこんな言葉が胸にささる。
「師は己を知るもののために死す」
「命が大切だと何百回言われるより、貴方がいてほしいの方が良い」
師に何かを託されたときに人間は強く生きていけるの
ではないか。
・法然のあとを継いだのが親鸞。
親鸞は性欲に悩んだ。法然にいわく、奥さんがいたほうが修行に
なるならいたほうが良いでしょう、いないなら一人でいいと言われ、
救われたという。
親鸞の「歎異抄(たんにしょう)」には、たとえ師匠・法然に
騙されていたとしても悔いはない、地獄に落ちてもかまわない、
師に会わなかったら何もできなかった、としている。
<晋作の行動>
a.群を抜く気迫と識見
b.「原点」に危機感や悔しさ
c.長州藩を倒幕の拠点に
d.師・吉田松陰の教えに忠実
e.「逃げる」のが上手
f.後輩に親切、女性にまめ
a.群を抜く気迫と識見
・晋作は人の言うことを聞かなかった。
ヤンチャな不良タイプ。
ただ、相手の言うことは一応は聞いている。自分を曲げないだけ。
すぐに怒って、いつまでも尾を引いていたが、頭はクールだった
という。強さと繊細さをもっていたようだ。
・長州人の堕落に晋作は怒っていた。
幕末当時は、事なかれ主義で実はやわな人が多かった。
保守的で逃げる長州人に晋作は怒っていたのだ。
b.「原点」に危機感や悔しさ
・「原点」は上海で見た中国人奴隷。日本がこうなってしまうとの
危機感。そして師匠が殺されたという悔しさ。
晋作にとって、幕府を倒す力の根源は、いわば「復讐」
c.長州藩を倒幕の拠点に
・そのためには、長州を倒幕の組織に変わらなければならないとした。
もう一方の雄、日下玄随は全国をまわってネットワークを広げた。
志士ネットワークを作った。
ただ、相手は幕府。横のつながりでは纏まらず破綻する。
残ったのは、長州一藩で力をつける、組織の力をつける
手法をとった晋作。
「力を持たなければならない」、そのためには地位も使う。
*林講師の夢は2020年までに同士から総理大臣をだす。
政治活動なら天下をとらなければ意味がない。
目に見えない彫り物を師匠である松下幸之助からもらった
ように思っている。この人生、このために生きるという意味。
したがって、それをやめるときは死ぬとき。
d.師・吉田松陰の教えに忠実
・晋作は師匠のいうことには忠実。
自分を育ててくれた師匠のためならやりきる男。
e.「逃げる」のが上手
・「逃げる」のも上手であった。亡命の名人がアダ名。
「逃げない」ために「逃げた」。
本当にやるべきことが後にあるなら、
生き残るために「逃げた」。
f.後輩に親切、女性にまめ
・晋作の家は、上級侍200石取りの高い身分の出身だった。
松下村塾の塾生はほとんど身分の低いもので、足軽程度。
それだけの身分の差があるのに、晋作は優しく取り扱った。
「身分」の時代ではない、と松蔭に教え込まれていた。
・上海に渡るときに足止めを食ったときでも、奥さんに服など
贈り物を送っていた。
勝海舟、坂本竜馬ともに女性にまめ。
<晋作の生涯>
・お祖母さん子で幼少時代は、愛嬌があった。
19歳のときに入塾。立身出世の侍の学問は役に立たない。
国の危機を感じていた晋作は松蔭を訪れた。
1年程度、萩で直接学んだのち、江戸で獄中の松蔭の世話をする。
・伊藤博文とともに、1862年、英国公使館を焼き払う。
「挙狂」であった。踏み込むとなったら狂がなければ、実行できない。
英国大使館を焼き払っても何もならないことは、
上海で見た外国による支配文化でわかっている。
しかし、仲間に攘夷の気迫を見せるため、この行動にでた。
もちろん、「逃げ道」は先にしていた。
クールヘッド、ウォームハートともいえる。
・罪人墓地の共同墓地に松蔭の骨があった。
1863年、松蔭の遺骨を改装する。現在の世田谷の松蔭神社。
・攘夷をおこしたとき、外国の報復に侍は逃げた。それが発起
となって、民間の軍隊「奇兵隊」を作る。
「奇兵」はゲリラ活動の意味。
・来島又兵衛らの進発は、薩摩と長州の主導権争いのための
決起だった。それを止めに行ったが、結果的に止められず、
薩摩に返り討ちに会う。金門の変。ただ御所に向かって発砲
したので、朝的になり長州は2回も報復を受ける。
・止めにいった段階で、脱藩罪となり野山獄に入獄した。
であるがゆえ、金門の変で晋作は死なずにすんだとも言える。
・歴史に意志があるのではないかと思う。西郷隆盛も勝海舟も
混乱のときにはその場所から隔離されている。
・1864年、四国連合艦隊来襲、講和条約の正使になるが、
高級侍の養子になったことにして、前面にたって交渉。
交渉にあたっては、神話を説明し、相手が混乱したところで、
賠償金を幕府に払わせ、一件落着。
・1864年11月、藩の俗論派(事なかれ主義、元の仲間)
に狙われ、九州に亡命。
・1964年12月、功山寺決起。晋作一人で決起する。
いま起たなければ、幕府に長州は飲まれ、
日本の未来もない、との思い。
・奇兵隊のような組織は他に色々とあった。200~300人
が隊としてふさわしいというのが当時の兵法。
これら組織をまとめてみようとするが、反応はなく、伊藤博文
を入れた80名のみが賛同。
・この決起から長州が立ち上がり、坂本竜馬の薩長同盟が入り、
やがて幕府を倒し、維新をとげる。
・上海で晋作が見た、外国の侵略方法は、武装を援助し、福祉政策
を行い、根を張ってから、その国を巣食う。
晋作は日本でそれをやらせたくなかった。
・1965年1月、俗論派に勝つが、4月には奇兵隊の仲間から命を
狙われる。港での貿易を行いたいという思いが、開国主義者と
とられた。
・松蔭の招魂祭では、「死に遅れた」と泣いた。
・1866年6月、2回目の長州征伐が起こり、晋作の力を借りたい
長州は海軍の長の地位を用意した。陸では大村益次郎が長州勝利
のため戦っていた。
・1866年8月、幕府の小倉城を占領。
・数え年で29歳、満年齢でいえば27歳と8ヶ月で
その生涯をとじた。
・いま幕末以上の危機にある。
アメリカに60年間占領され、近隣諸国に圧力をかけられている。
<晋作が学んだ松蔭の教え>
・大丈夫(ますらお)死すべきところ如何(いかん)
死して普及の見込みあらばいつでも死ぬべし
生きて大業の見込みあらばいつでも生くべし
僕が所見にては生死を度外に措きてただ言ふべきを言ふのみ
・今の幕府も諸候(しょこう:諸大名)も
最早酔人(平和に酔う)なれば
扶持の術(給料:何かの役)なし
草莽崛起(そうもうくっき)の人を望むほか頼みなし
講演会終了後、関係者などで懇親会。スピーチの時間などがあり、洒落のめしたスピーチ。懇親会ののち、本来であれば神戸に帰るはずだった神戸市議の井坂議員、茨木市の福丸さんにもお付き合いいただき、浜松市議の新村議員とともに数人で居酒屋、そしてスナックへの「飲み飲み」コース。同世代なので、共通の話題が多く、特にセガ・マスターシステムの話題では、懐かしの「ファンタジーゾーン」のBGMを一緒に口づさむ。カラオケは、『サイボーグ009』の「誰がために」、そして『科学戦隊ダイナマン』、ここら辺でドン引きとなったので、最後に堺正章「街の灯り」を『カックラキン大放送』のシメ風景を真似しながらお店をでる。泊りは、ホテルコンコルド浜松。LANもあり、リンス、洗顔フォームからアメニティも充実、部屋も広くて満足。これで5000円。浜松周辺のときの定宿にしよう。3時ごろ就寝。
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