伝説の男 田形竹尾
夜通しのドライブで朝4時に自宅到着。2時間ほど仮眠してから、溜まっていた新聞や雑誌、定期購読しを半日かけて、読んだり、クリップする。溜まったメールも処理。納豆ペーストを塗ったサンドイッチを試作したが、なかなかしっくりとした味にならない。海外で売れる商品にしたい。
午後から1歳の甥っ子が来たので、電車ごっこをしたり、1時間ほど遊ぶ。柏崎準倫理法人会の事務仕事で印刷会社や銀行に寄ったあと、自衛隊柏崎募集事務所に中越大震災時のビデオをとりにいく。第2普通科連隊が撮影した現場の生のビデオである。まだ民放の局では流れたことのないブツなので、昨日の失敗をしないよう防衛庁の幕僚広報の許可をもらい、チャンネル桜の番組で紹介したい。しっかりと陸上自衛隊の高田駐屯地の活動をアピールし、「世界最大の原子力発電所があるまちは、世界一安全なまち」の実現に近づくと確信している。また、先日のバーベキューの写真も所長から頂戴する。感謝。
19時から柏崎青年議所の打ち合わせ。
22時から某経営者集まりの飲み会に2次会から参加する。
都内に行ったとき、いつも貴重なお話を伺う田形先生に柏崎にお越し頂いての講演をお願いしている。できれば柏崎アワーとしてひとつの番組を作り、貴重な生のお話を残すべきではないかと思っている。支那事変、大東亜戦争の十年間を陸軍エースパイロットとして戦い、特攻隊員の教官をつとめ、最期にご自身も8月14日に特攻の命を受けるも終戦を迎えた田形先生。ビルマをはじめとする独立を願うアジア諸国の歓迎、南京大虐殺があったとされている南京にも陥落の3週間後に現地に行き、現地の人と楽しく宴会をした話や、日本国内においてもインド独立のために活動していたビハリ・ボース氏との話も貴重だ。初対面のヒトラーにもかみついた、「偉大なる指導者(ネタジ)」チャンドラ・ボースとも会っており、二人のボースと同時に話をした戦争経験者で生存しているのは田形先生のみであろう。
*連絡がとれなくなった戦友に会うため、昭和31年参議院全国区に立候補したご経験もある。
わが柏崎市とのかかわりとしては、北条出身、超弩級の陸軍エースパイロット樫出勇(かしいで いさむ)大尉と同じ釜の飯を喰った仲であることだ。来週、視察から戻ったら、各方面の人に協力のお願いにあがろうと思う。田形先生89歳、ご高齢でも毎日2時間の道のりをお一人で移動し、チャンネル桜の事務所まで通われている。
*田形竹尾先生は平成20年3月10日8時51分に91歳でご逝去されました。謹んでご冥福をお祈りいたします。
なお、告別式の模様は こちら にご報告してございます。
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