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2005年11月

2005年11月30日 (水)

GHQに没収された本

 4時過ぎに寒さで目が覚める。倫理法人会のモーニングセミナーの日であったが、足がないので柏崎には戻れず、出席できない旨、会長に電話。8時過ぎに自宅に戻り、市役所からの一般質問の問い合わせや来客対応。DSC02112朝食をとる間もなく、11時となったので、乾燥納豆とおかかを入れたおにぎりを祖母の分も入れて8個ほど作る。母が朝から外出しているので、台所は自由になることからおにぎり練習である。全日本おにぎり選手権では7cm×7cmの厚さ3cm、中心に小梅、海苔を巻いてできあがりというルール。ほぼそれに近い数値で練習である。ただ、練習といっても食べるので海苔は全体に丁寧に巻いている。おにぎり3個、牛乳2杯でブランチ。

 午後は他の自治体の防災体制や人材育成など、集められるだけ資料を集めての整理。メールやブログも書きつづる。途中、匿名の電話で「自衛隊誘致には反対」の旨のご意見を頂戴した。自分の主張も丁寧に説明しようとしたものの、一方的に電話を切られた。

_2 夕方、小腹が空いたので、母の松島土産である株式会社笹の浦の焼とうふかまぼこ「松島の月」を1本食べる。ふわふわとした食感のなかに大豆の力強さも残っていて、面白みも十分な美味さである。パウチから出してそのまま食べたが、炭火であぶるか蒸して、生姜醤油か山葵醤油でも良かったのではないかと思う。

DSC02121  21時、夕食。今日はデスクワークが多かったので、母親が作った豆腐の挽肉はさみ揚げ、自家製のつけもの(白菜、大根)と近所のスーパーで半額になっていた生鮨で簡単にすます。貝好きの私としては、是非、ミル貝、ロココ貝、バイ(貝)、あわび、さざえなどのにぎり鮨を詰め合わせた、酒のつまみにもなる「貝鮨セット」の発売を望む。

 大東亜戦争が終結となった昭和20年からサンフランシスコ講和条約が発効となり、日本が再び主権を取り戻す昭和27年までは実質、植民地状態であった。それ故、その期間、日本固有の武道や教育勅語、軍歌、はたまたラジオ体操までが禁止され、体力・学力を低下させる愚民化政策がGHQによってとられた。また文化活動においても同様で、大東亜戦争関係はもとより、日本文化の良さを伝えるような文献もGHQにより没収、発禁本扱いとなっていた。『世界ふしぎ発見!』

 「野々村君のスーパーひとし君は、ぼっしゅーーー、と

とは訳が違うのである。『GHQに没収された本―総目録』に詳しくあるが、機会を見つけて没収された本を読んでみたい。ちなみに、東條由希子氏によって最近、復刊された『東條英機宣誓供述書』も同様の扱いであった。

2005年11月29日 (火)

「戦艦 大和」切手、檄辛で気合い

DSC02110  5時起床。読まなければならない資料がたまったので、資料を持ち込んで中温での入浴。サイトの掲示板やメールの返信を書きつつ、議会事務局にメールにて一般質問の原稿を提出。7時過ぎに朝食。下仁田納豆「大粒の舞」、なめこと大根の味噌汁、イカ塩辛、つけもの、博多めんたいこ、目玉焼き半熟2個でご飯を2杯。食後、ひっくり返りながら資料を読み続ける。10時、打ち合わせ。起業相談であった。市のベンチャーへの出資も、タカリがでない程度にもっとハードルを低くしてもいいのではと感じている。長岡市のチャレンジショップ「LEADBLOW(リードブロー)」でも出展応募者が少なくなってきているとのこと。柏崎でもかつて行ったチャレンジショップ「えんマーケット」の総括を含めて、研究してみたい。

_1 昼食は、最近の飲み飲みで弱っている胃腸に喝を入れる(逆効果?)ため、ご飯少量に買いためてあるハウス食品「期間限定 カリーHOTハバネロ檄辛」をかけ、さらにコスタリカの「サルサ・デスソース(salsa de la MUERTE)」 をかけて激辛仕様に。DSC02117「サルサ・デスソース」は、いつもドン・キホーテで買うが、辛いものを食べたくなったときには、パスタにもピザにも便利である。ただし、納豆とはイマイチ。激辛カレーで思いっきり汗をかいた。明日、【出口方面】が多少心配である。

 14時からイベント企画の打ち合わせ。柏崎市はイベントが多すぎるためか、市外のイベント関係者からは柏崎での実施したイベントを聞きたがる。打ち合わせ後からは取引先や市内の友人、知人への用事。自宅に戻ってからはひたすら資料読み。18時から懇親会に出席の予定であったが、人数が一人分少なく予約してしまったそうで、2次会からの参加にする。

_1DSC02114

20時、夕食。母が松島に行ってきたお土産として買ってきたプリンス食品株式会社「奥州 牛たん 塩味」を本当は炭火を用意して焼きたかったが、フライパンで焼いた。なかなかの肉厚で噛み締めるたびに肉汁が口に広がる。そのままでは何なので、ビール350mlを4本。もう一品は、作って冷凍しておいた納豆コロッケとあまりマッシュしなかったジャガイモの食感を楽しむコロッケを揚げた。付け合わせは水で戻した乾燥ポルチーニとグリーンアスパラのバター炒め、キャベツ。ビールが進む。

 駅まで送ってもらい、長岡市での懇親会2次会に出席。

nagoshi

名越二荒之助先生から、納豆のお礼とのことで「戦艦 大和」に関する資料を一式頂戴した。世代的には宇宙戦艦ヤマトであるが、世界最大の戦艦であり、当時の日本の工業技術の粋を集めた「戦艦 大和」は、その美しさもあって心揺すぶられる。今年は邦画「男たちの大和/YAMATO」(公式サイトのCGは必見もの)も公開される。本物の「戦艦 大和」は3700柱の英霊とともに、東シナ海の海底に眠っている。意外だが、「戦艦 大和」を前後から写した写真は存在しないと言われている。yamato_art1 yamato_art2 CGや当時の設計資料(戦後焼き払われたこともあり完全ではない)でしか見ることはできないが、名越先生が飯塚画伯にお願いし、描いてもらった絵の写真を頂戴した。昭和20年4月6日、沈みゆく夕日に向かって進む「戦艦 大和」(前期)の後ろ姿を描いた絵は複製がほしいほどである。
bb  また、1975年の沖縄海洋博のときに、アフリカのオートボルタ共和国(現在はブルキャナファソ共和国)が作った「戦艦 大和」近年切手の写真も頂いた。オートボルタ共和国(ボルタ川の上流という意味)は、1960年にフランスから独立した1000万人の国であるが、大東亜戦争がなければ自分たちの独立心もなく、白人に奴隷として使われ続けたであろう、同じ有色人種たる日本人の勇気に感謝するとのことから、この切手を製作したそうである。yamatostamp大東亜戦争が聖戦であり、すべて善であったまでは言わないが、こういった光の部分も後世に伝えるべきと思う。名越先生からの封筒の底の方には、カセットテープが入っていた。世界最大口径の46センチ主砲を9門もつ「戦艦 大和」が最後の号砲を放ったときの音が入っていた。時間ができたとき、デジタル変換をして自分のサイトに保存しようと思う。






2005年11月28日 (月)

第6回臨時議会、西村議員逮捕、対テロ訓練

DSC02099 3時就寝。6時起床、目覚めが悪いので長風呂。8時、祖母の分を含め朝食を作る。卯の花(おから)、蓮根の油炒め、小粒納豆、つけもの、あさりの味噌汁である。あさりの味噌汁は久しぶりに麦の白味噌を使用。9時から議会運営委員会で、合併における行政事務、2町引継書処分未済項目について議論される予定なので、準備をしていたところ、来客。月曜日の朝一はやはり来客があるのでもっと時間に余裕をもっておけば良かったと反省。議会運営委員会はメンバーでもなく、傍聴だけなので、後ほど会派の先輩に聞くことにする。

 10時から臨時議会。まずは市長から、職員の判断誤り(法解釈の不足、議案提出の市失念)、職務怠慢と言われても仕方がないとの謝罪。本来であれば9月議会に提出すべき4条例についてである。あとは人事院勧告に従うかたちでの職員給与について。特に議論は白熱することなく可決。DSC02101臨時議会終了後、大会議室に集まり、市長からの3つの報告事項があった。一つは新潟産業大学のサテライト構想の件。これについては議論が白熱し、保守系、革新系問わず、多くの議員から意見がでたので、最後に自分の思いと一緒に意見を言わせて頂き、「あとは一般質問のときにでも・・・」と言ったところで終了。

DSC02102 一度、自宅に戻り、昼食を作る。特売のときに買いだめし、冷凍しておいた食パンがあったので、軽くトーストし、バターをうっすら塗って、キムチと納豆をのせた「納豆キムチトースト」。祖母を喜んで食べた。カロリーの点などからいけば、マーガリンが好ましいと思うが、やはり合うのはバターである。あの塩気がちょうどいい。

 午後から市長からの報告の続き2件。第3次行革の進捗状況とそれに対する意見、そして組織変えについてである。あくまで報告事項なので、今度は質問タイムもなく、一方方向の説明で終了。DSC02103続いて、急遽開催することにした建設企業常任委員会の研究会である。都市整備部長をはじめ、建築関係の部署の課長と委員での「狭隘道路」いわゆる「狭い道路」の拡幅事業についての勉強会。建築基準法では、本来4メートル以上の道路でなければ建築することが出来ない。しかし、この法ができる以前(昭和25年)から建物の立ち並んでいた道については、現実を加味して、幅が1.8m以上4m未満でも建築が可能という第42条第2項という規程が設けられている。これに該当する道路がいわゆる「2項道路」。最近では、救急車はもとより高規格の介護車でも入れない2項道路があるので、解消することが求められている。議論としては、同じ予算を使うのであれば側溝にふたをかけた方が良い、歯抜けでも長期的な視点で取り組んだ方が良いなど答えはみず、12月議会中に再度議論を行うことになった。

DSC02105 自宅に戻り、一般質問の資料探し。17時から夕食作り。生ラーメン「新潟ラーメン 醤油味」、富山土産でもらった鯛の形の蒲鉾、納豆で納豆ラーメンの作成である。お湯で添付のスープを溶くようなことはせず、キチンと焼きアゴでダシをとり、蒲鉾は魚醤をつけて軽く網であぶった。納豆は半パックを丼の底に沈め、旨味調味料として利用。なかなかの美味になった。

 今日、民主党の西村真吾代議士、政策秘書の佐々木氏が逮捕された。拉致問題をはじめ、靖國参拝など活躍をされており、個人的にも接触があっただけに非常に残念である。「日本人は、実は・・・・韓国人嫌いなんや」「郵貯の金でトマホーク買ったらえぇ」「小泉は狙撃されてもいい男なんや」などの発言は、サービス精神が溢れすぎて、多少の危うさはあったが、核武装の話題などで一石を投じたのは事実だと思う。今回の逮捕に関して色々な陰謀説がでているが、真相はいずれにじみ出てくるとはいえ、脇が甘かったと言われれば仕方がないと思う。功は功、罪は罪である。出直しを期待したい。

 昨日、国民保護法に基づき、原子力発電所へのテロを想定した訓練が福井県美浜町で実施された。シナリオは、国籍不明のテロリストが関西電力美浜原発(美浜町)を迫撃砲で攻撃し、放射能漏れの危険ありという想定。地元住民をはじめ、国や県、陸上自衛隊、警察、民間企業など約140機関の約1300人が参加し、有事の連絡体制の確認や避難訓練に取り組んだという。今回の訓練では、警察力で対応できない場合の自衛隊による「治安出動」(命令者は内閣総理大臣:自衛隊法78条。出動準備に関してだけは防衛庁長官の権限による出動準備は可能:自衛隊法第79条)までのシナリオはなかった。地元住民の生命と財産を守るためには、自衛隊を含めた訓練を行うべきである。国民保護法は有事法制関連法として2004年に成立しており、新潟県は2005年度、柏崎市は06年度までに国民保護計画を策定することになっている。12月議会でも取り上げるつもりだ。今回の訓練に際し、いつもの事ながら、有事法制に反対する陣営も抗議活動をしていたそうだ。色々な平和運動や自衛隊に反対する活動をするのは良いが、実際に有事の際にはどうするのだろう。それでも自衛隊に反対し、是非、率先してテロリストやミサイルと『対話』し、解決していただきたい。「治安出動」を含めた訓練について、沓掛哲男・有事法制担当相は記者会見で「将来の問題という意味ではありうると思う」とのこと。世界最大の原子力発電所基地のある柏崎での実施を望む。

 「事実は小説より奇なり」というが、まさにテロの手法は映画や小説からヒントを得て、テロリストが実施することもある。関連のものを読んでおくのはマイナスではないだろう。原子力発電所へのテロものでは、東野圭氏の著書『天空の鉢』が面白い手法である。爆弾を摘んだヘリが原子力発電所の上でホバリングし、要求を行うというもの。実際にやる奴はいないだろうが、国内のテロ犯であれば可能であろう。

2005年11月27日 (日)

日韓領土問題特別講演会

DSC02089  5時起床。12月一般質問のための資料調査。旅行に行く母を7時に送り出し、8時に朝食。干し納豆を入れた納豆茶漬け2杯。

 今日は、所属政党は違うものの、同じ保守系「自称・真ん中」地方議員である神奈川県横浜市の工藤裕一郎議員が結婚式を行うとのこと。祝電を送っておいたが、風の噂では結婚披露宴の開会とともに国家斉唱をしたという・・・・さすがである。先日の懇親会でもあまり食べずにダイエットと言っていたが、結婚披露宴のためのダイエットであった。議員になって太った『仲間』として、心細いのか心強いのか不明であるが、とにかく幸せな家庭を築き、政治家としてもまた大きくなってほしいと願う。

 昼まで明日の臨時議会の資料をチェック。人事院勧告による人件費の改定などがメインであるが、9月議会に提出し忘れ、施行日に間に合わず臨時議会に提出という案件が4つもある。本当にこれでいいのか。また西山町の防災無線のデジタル化についても3年契約の費用約3億円であるが委員会での議論なしで処分である。必要なものとはいえ、議会のチェック機能を再度考え直させられる。

 昼食はおにぎりを作る。祖母は「おかか」と「梅干し」。来年の全日本おにぎり選手権に向けて、練習を始める。昼食後、即、新潟市に愛車プリウスで移動。

 13時30分よりクロスパル新潟で開催される「日韓領土問題特別講演会」に参加。主催はNPO法人新潟海難救助隊、共催は県土・竹島を守る会(島根)。会場には、駐日韓国大使もお越しになっており、在日の方を含め、かなりの熱気であった。まずは、主催者挨拶。新潟海難救助隊隊長から、「竹島にいったが18マイルで海上保安庁に止められた。そのとき碁石を海中に投げてきた。その波紋が今広がっていると思う。一方だけではなく、韓国側からもお呼びした」とご挨拶。DSC02094講師は拓殖大学国際開発部アジア太平洋学科教授 下條正男先生。橋本内閣であった1999年まで韓国のインチョン大学いらっしゃったそうであるが、現地の日本人学校に通っていた娘さんにも竹島問題は教えてくれなかったそうだ。インチョン大学の当時の学長は、現・東亜日報の社長。韓国側の竹島問題、つまり独島問題の権威でもあり、竹島問題をテーマに研究をはじめたところ、インチョン大学に勤務しづらくなり、日本に戻られたとのこと。奥様は韓国人だそうだ。文献のコピーを駆使し、分かりやすく竹島問題の歴史について説明をされた。下條先生もノリに乗ったようでかなりの時間オーバーであった。概要は以下のとおり。


・韓国は、現ノムヒョン政権で新しい局面を迎えたと思う。
・戦後の日本の歩みを振り返れば、日本は主権を犯され続けてきた。
  1946年までの中立条約を破棄、1945年のソ連侵攻
  1952年 李承晩ライン
  1968年~1972年尖閣諸島、72年、沖縄返還
  1963年~1983年北朝鮮による拉致問題
・日本は戦後、外には出ず、中に入られてきているが、韓国内で日本の領土問題は、日本の野心として紹介される。それは自己主張のできない日本に問題がある。
・日本の外交はバラバラ。部署が違う。国民を幸福にできない構造である。中国残留孤児もブラジルの移民の問題もそこにある。
・NHKは竹島問題を報道しない。長い時間のNHKの竹島問題の番組がない。
 *一方的に韓国が武力占拠しているとのみ報道しつつ、その一方では韓流ブームをあおる。
・今年は、竹島の島根県編入100周年、「日韓国交正常化40周年」であり、どっちが重いかは明白であるのに、韓流ブームを支えている。
・韓国のインターネットでの情報伝達は非常に早い。そのことを十分に認識する必要がある。同じような手を今度は、ロシアが使ってきており、北方領土の問題は日本の歪曲教科書のせいにされている。
・韓国は3月の時点で、竹島問題を長期的に扱う機関を設置している。
・これまでこじれたのは、日本の外交無策が招いた結果。拉致問題にしても同様であり、本腰は入っていない。
・仲良くしていける可能性があるアジアの国は韓国、台湾しかない。
・李承晩ライン、韓国では平和線。1945年にマッカーサーラインが引かれたが、そのときには竹島は韓国側。それがサンフランシスコ条約の発効によって無くなるため、韓国はあわてた。当時の韓国は国内法(漁業資源保護法)を制定し、日本の漁業関係では328隻が拿捕、44名死亡、90億円(当時)の被害。
・1994年に国連「海洋法条約」(排他的な200海里)があり、今までの漁業協定を破棄することになってしまうため、1996年韓国は竹島に接岸施設建設。
・竹島の日制定以前の日本の外務省のHPには韓国の主張も掲載し、両論併記であった。言うべきときに言わない、タイミングがわからない、
・先日、国内女性誌の特集「ヨン様と竹島」という取材があった。日本の見識の低さがここにもでている。
・1948年の済州島人民事件も日本人は理解する必要はあると思う。


DSC02095 続いては、在日2世である大谷大学教授 鄭早苗先生。まずもって、アウェイともいえるこのような場にでてくれたことに感謝するばかりである。たぶん、両者が揃って、しかも大使も同席のうえ、お互いの主張をするのは初めてではないだろうか。少なくとも私自身は初めての体験である。お話は古代史から靖國問題、「未来志向」の日韓関係について、そして在日の不遇についてであった。概要は以下のとおり。


・大阪に住んでおり、浄土真宗大谷派の大学。
・愛媛の玉串料問題の団長が大谷大学だったので、右翼に大谷大学は狙われたことがあった。
・今日の聴講者を見て、若い人が少ないと思った。これからの日本を支える人にはもっと関心をもってほしい。
・1945年以降、今日まで竹島問題について、日韓あわせて1000論文がある。
 実は韓国が300、日本が700。
・「竹島の日」制定は、日本国内では意味があったことかと思う。
・靖國神社については、台湾、朝鮮出身者5万柱が靖國神社に奉られているので、靖國神社は内政の問題ではない。1978年以来皇室の参拝がないことも問題である。
・大学においてもこの問題は講義してことはない、
・韓半島からみれば、領土問題は日本だけのことではない。中国との問題も生じている。高句麗が中国の領土であるとして、朝鮮民族として屈辱を感じている。
・問題と言われている「新しい歴史教科書」は369年から562年、日本が韓半島の一部を支配していたこと、つまり任那(みまな、にんな)について書いていない。『古事記』にはないが、『日本書記』にはある。『続日本記』にも記述がある。
・1945年以降、南北朝鮮、中国、日本の研究においては、韓半島は日本の属国であったという意識を日本がもっていたことがわかる。現実は新羅、百済ができ、日本が韓半島に影響を及ぼすところはない。
・1910年、明治43年の日韓併合のとき、突如として日本がでてきた。豊臣秀吉もできなかったことをやった。1000年の時空を超えて、日本府(任那)が蘇ってきたこと。これで早い時間に日本国民に韓半島は占領するものという感情が浸透していき、差別につながった。
・高句麗、新羅、百済、領土問題だけで争った。
・先ほどの下條先生のお話にもあったが、江戸時代までのことを、今日持ち出してくることが良いか悪いかの議論も必要だ。
・島が見える、見えないの問題ではない。釜山と対馬はお互い見える。当時の人が、島を見えた見えないなどは、いまさら分からないことであり、意味がない。あまり長いスパンの時間空間の問題は、いまさら持ち出さないほうがいいのではないか、と思う。
・1876年、朝鮮江華府での日朝修好条規に調印までにさかのぼるのか、1904年の日韓議定書、1905年の第2次日韓協約(保護条約、乙巳条約:ポーツマス条約にて朝鮮半島は保護国となる)なのか、1910年になるのか、スタートをそこまでに戻し、自由な議論を行うべき。
・在日の立場からは、日韓の問題だけではなく、日朝の問題もある。竹島問題で日韓が正面に向き合う態度を見せておかないと、日朝会談で大変なことになる。拉致問題にしてもそうであり、第一は生命のある拉致被害者を救うことに対しては、会場の皆さんと同じ思い。韓国も一緒であり、韓国といい関係でないと拉致問題は解決しない。

日本に来る学生は、みな反日になって帰っていく。


_1  質疑応答では、日韓併合や在日のことにまで話しが進み、なかなか微妙な雰囲気であった。最後に島根県からお越しになっていた県土・竹島を守る会から謝辞があって終了。新潟市議の山田洋子議員、佐々木かおる議員、そして関係者の皆さんにご挨拶をして会場をあとに。祖母を独りにしたので、高速を飛ばして帰る。

DSC02098 18時過ぎ自宅に到着。案の定、祖母はウロウロとし、パニくっていたので、冷凍しておいた鶏皮をダシに中華ぞうすいを作って夕食。夕食後、後片付けや洗濯などの家事をしてから臨時議会の資料の読み込みを再度行う。


<配付資料>
竹島(独島)問題から考える日韓関係(2005.11.27)
              拓殖大学国際開発学部 下條正男

1.戦後の日本(侵され続ける日本の主権)

①1945年8月18日。ソ連千島列島侵攻。9月4日までに歯舞群島、色丹島占拠。
②1952年1月18日。韓国公海上に「李承晩ライン」設定。54年、武力占拠。
③1968年~1972年。尖閣諸島問題(中国)。72年、沖縄返還時(今も米軍駐留)。
④1963年~1983年。北朝鮮による拉致問題。

2.日本の課題

① 内閣府、独立行政法人北方領土問題対策協会(北対協)
② 異なる担当部署。外務省の担当者、2~3年で交代。
③ 一貫性に欠ける日本外交。日本の構造的欠陥。

3.日本外交の構造的課題としての竹島問題

① 韓流ブームと「日韓友情年」。日韓国交正常化40周年。
②「竹島の日」。竹島の島根県編入首周年。
③「竹島の日」条例以後の日韓関係。
(1) 高野駐韓大使の発言と外務省首脳の反応。
(2) 地理、公民の教科書に竹島問題登場。
(3) 韓国側、歪曲教科書と反発。侵略の美化。
(4) 歪曲教科書問題、中国に飛び火。反日デモ、拡散。
(5) 韓中、日本の国連安保理、常任理事国入り反対。東南アジアに波及。
(6) 駐日ロシア公使、北方領土問題は日本の侵略主義の結果。
(7) 日本政府、日韓友情牢に固執。韓国政府の動向。「正しい歴史企画団」発足。

4.竹島問題の発端

①1952年1月18日、「李承晩ライン」と「サンフランシスコ講和条約」の発効。
②1952年2月15日、「日韓国交正常化交渉」の本会談開始。
③1953年12月12日、「漁業資源保護法」。日本漁船員の舎捕抑留。外交カード化。
④解放を求める日本側に譲歩要求。再侵略、「韓国侵略の最初の犠牲の地」
⑤1954年9月2日、韓国政府、竹島の武力占拠決定。
⑥1954年9月25日、日本政府、国際司法裁判所への付託提議。韓国政府、拒否。
⑦1965年6月22日、「日韓基本条約」締結。財産請求権放棄。在日韓国人の法的地位。
⑧ 竹島問題未解決。日韓国交正常化の入口(竹島問題)と出口(日韓友情年)。
⑨1996年、韓国竹島に接岸施設建設。
⑩国連「海洋法条約」(旗国主義~沿海国主義へ)

5.竹島問題に対する日韓の見解

① 日本外務省(外務省のホームページ)
(1) 江戸時代から固有の領土。
(2) 島根県編入は無主先占の地。・・・・(1)と矛盾している主張
② 韓国政府の見解(韓国の歴史教科書)
(1)512年から韓国の領土。干山(うさん)国の新羅編入。
(2)竹島は鬱陵島の属島。安龍福の活躍。
(3)日本は日露戦争をきっかけに「独島強奪」と主張。
【歴史的根拠】
(1)1770年、『東国文献備考』
(2)1454年、『世宗実録地理志』
(3)1481年、『東国輿地勝覧』〔資料Ⅱ岬②〕
(4)1696年、『粛宗実録』、安龍福の証言。
(5)1870年、竹島松島挑戦付属ニ相成候始末
(6)1877年、太政官
(7)1946年、連合国軍最高司令部「訓令第677号」

【国際法的根拠】
(1)1900年10月25日、「勅令第41号」、欝島郡行政管轄区域「本島、竹島、石島」
(2)1905年2月22日、「島根県告示第40号」は侵略行為。

6.韓国側の問題点
(1)「見える」「見えない」論争。
 『世宗実録地理志』と『東国輿地勝覧』の解釈。鬱陸島から千山島が「見える」
(2)300年前の解釈、朝鮮半島の蔚珍から鬱稜島が「見える」
(3)文献批判の不在、地誌と「規式」。管轄する地方官庁からの距離と方角を記載
(4)改竄された『東国(増補)文献備考』の分註
(5)安龍福の偽証。『粛宗実録』所収。韓国の歴史教科書
(6)石島は独島か?(当時の竹島はリャンコ島、独島は1904年からの呼称)
(7)1882年、李杢遠『鬱陸島検察日記』、『鬱陵島外園』、『欝島記』
(8)『海東地図』(鬱陵島)、『大韓全図』学部編輯局1899年
『大韓輿地図』学部編輯局1900年頃。
(9)『竹島考証』1880年、軍艦天城、松島は鬱陵島。小島は竹島と確認。

7.竹島問題の問題点
(1)日本政府の見解→韓国側の批判→島根県「竹島の日」条例。
(2)日本国内、政府の無関心。日韓の対話不在。日帝35年、竹島武力占拠51年。




2005年11月26日 (土)

赤煉瓦棟、じょんのび!どぶろく

DSC02076  3時過ぎに起床。7時までブログやメールの返信。8時過から電気工事士さんと事務所の配線の打ち合わせ。今日の午前中は集中して作業を行い、なんとか年内には正式な事務所開きができるようにしたい。9時30分ごろ、保谷食品「発芽納豆」とイカの塩辛での「納豆イカ塩辛巻」、ネギ味噌での味噌汁で朝食。

DSC02077 12時、甥っ子と妹夫婦が遊びにきたので「うれっ子」(電話:0257-22-4648)から「チャーシューつけめん」をとり、甥っ子と分けての昼食。麺のことは「ちゅるちゅる」である。箸はまだ無理なので、手で麺をつかんで食べさせる。躾の上ではあまり良くないような気もする。

DSC02079 所用があり開始20分遅れの13時50分から、産業文化会館で行われている「赤れんが棟講座」に出席。旧日石跡地にある赤煉瓦棟は残り一棟になってしまったが、柏崎のこれまでの産業を語る上では欠かせないものであるうえ、近代遺産としての評価も高い。江戸から大正、明治にかけては、柏崎地域の主たる産業は「つむぎ」であり、その後は石油、それに関連した工業製品、そして原子力である。保存のための費用の問題もあり、なかなかストレートに進んではいないが、活用策がありかつ税金の負担も少ないなら、駅前のちょっとしたスポットとしては有効ではないかと思う。
_1  ちなみに、京都府舞鶴市の赤れんが博物館に行った際、中国や韓国にも残る近代遺産の煉瓦造りとして、写真の展示や紹介があったが、中国のものには「満州鉄道」の文字があり、また韓国のものは東京駅と同設計のソウル駅をはじめ、日韓併合時代のものであった。「日本に勝手に近代化させられた」という言い方をよく考えてほしいものだと思う。

 ちなみに、「歩く柏崎史」の桑山先生も出席されており、弥彦山と柏崎の関係などを詳細にお話になっていた。弥彦神社が漁労や農耕、製塩の神様であることまでは知っていたが、柏崎と石油での縁がそんなにあったとは思わず良い勉強になった。今度、現地でよく調べてきたいと思う。

以下、当日配布の資料(誤字、脱字は修正)


1.赤れんが棟再生保存の意義

 旧日本石油加工柏崎工場に残る赤れんが棟(ドラム缶塗装場)は、
市内で唯一と言っていい明治期の歴史的建造物であり、宝田会社
駐車場として建築された産業遺産として極めて価値の高いもので
あります。また、その赤れんがの外壁は、蒸気機関車の煙によって
燻されたごとくの貯まいを見せており、鉄道利用者にとって長年の
原風景となってきました。ことに柏崎を離れる者、久々に郷土の地
に帰ってきた者にとっては、故郷の代名詞とも言える存在で、思い出
を語る人が少なくありません。
 しかし、一方で製油工場であったという特質から、市内在住者で
あってもおいそれと近づける存在ではありませんでした。立地は
柏崎工場の中ほどにあり、線路脇でこそありますが、その存在は
背丈ほどの高さの塀に囲まれ、今でも完全な全景を見るためには
敷地内に立ち入らなければなりません。ある人にとっては原風景
でありながら、ある人にとってはその立地すらもおぼろげである
という稀有な特徴を持っています。
 市は、その産業遺産としての価値、歴史的価値を認識しながら、
主に財政上の理由から記録保存にとどめるという方針を示しました。
 赤れんが棟を愛する会は、価値ある赤れんが棟が失われたあとの
市民の喪失感を大いに危惧しております。市民の中には旧第四銀行
柏崎支店の思い出を語る人が多くいます。赤れんが棟がその二の舞
になることは容易に想像ができます。赤れんが棟は、市民にとって
あらゆる意味でパイオニアの象徴であります。失われたとき、
文化的、経済的に及ぼす目に見えない影響ははかり知れないもの
であると考えます。
 赤れんが棟をただ保存するだけなく、再生し、市の活性化に
役立てるべきです。
 赤れんが棟を再生保存し、市民だれでもが立ち寄れる史跡と
すれば、次の100年間、無言でものづくり、産業おこしの精神を語り、
旧き者にとっては過去との話し相手になり、幼き者には柏崎の未来
を指し示す指針となるはずです。さらに、勇気をもって赤れんが棟
を残す柏崎市民の精神性を、後世のだれもが心の支えとするはずです。
 赤れんが棟を残して再生しましょう。
 後述しますが、その立地は柏崎の都市景観の中心にあります。
駅前再開発のひとつの目玉になります。観光拠点にも教材にもなります。
市民を癒し、働く勇気を与える源にもなります。赤れんが棟再生保存
の意義とは、一言で言えば「柏崎の未来」です。

2.再生保存の基本方針
 赤れんが棟を愛する会は、次の三つの基本方針により、
再生保存することを提言します。

・柏崎を感じられること
・産業の発祥を意味すること
・人と人が出会えること

 柏崎は、北国海道沿いに発達した中心部と、のちに合併した田園、
山村との集合体です。明治期か長きにわたって、わが国のエネルギー
を支え、現在も支え続けています。一方で、多くの産業人、文化簡潔
人を輩出し、柏崎出身者の起こした企業も枚挙にいとまがないほど
です。美しい自然と開発者精神こそが柏崎らしさと言えるでしょう。
赤れんが棟は、わが国の石油産業の興りと、柏崎の近代産業化の
証としての大久保煉瓦とを同時に表わす歴史遺産です。特徴ある外観
だけではなく、そのような近代産業の歴史を未来に伝えることが重要
です。                                     
 最後に、これからの地域の未来は、成熟した高齢化と都市からの
流入者を抜きに考えることはできません。それら多様な人々が孤独
から無縁で健やかに地域社会で暮らせるよう、市の中心部にゆるやかな
出会いの場をつくりだすことも必要です。駅から徒歩で行けるという
立地も味方するでしょう。行政サービスの提供する「公」ではなく、
市民お互いが「公的空間」を通んて出会える。そのようなイメージ
です。

3.再生保存への提言
 次の三つの具体案を提言します。

 ■第一案 ものづくり体験施設赤れんが棟
   石油産業、鉄工機械産業ほかの歴史と現在、エネルギー産業
  の未来を常設展示とする体験展示館とします。そのほかに市内
  企業や大学、専門家の協力を得て、ものづくりの体験プログラム
  を提供します。

 ■第二案 赤れんが棟ホール
   主として文化芸術の催しが行えるホールとして整備します。
  テナントを募集し飲食を提供するスペースも併せてつくります。
  双頭レールなどの産業遺産は、埋設展示とするほか、触ること
  のできるインテリアとして保存します。

 ■第三案 赤れんが棟モニュメント広場
   赤れんが棟は、モニュメントとして保存し、周辺に商用空間
  として活用できる広場を整備します。赤れんが棟は、特に
  決まった指向性を持たせずに、イベントなどの自由に使える空間
  として開放します。


 17時に柏崎駅に集合し、マイクロバスで旧高柳町じょんのび村へ。狐の夜祭りなどのイベントの手伝いではよく来ているので、気楽な感じ。DSC02083箸袋に狐の夜祭りがプリントされていた。今日は、所属会派の飲み会で、いまさらながらの私の歓迎会を含め、会派長:丸山議員の知事表彰など色々な意味を込めての開催である。さらには、5月1日に合併した旧高柳町で行い、現在、旧高柳町が特区として頑張っている、DSC02087どぶろくを味わいつつ、会派の議員がその営業マンになろうという意味もある。もちろん、なるべくお金が旧高柳町に落ちるよう、高い料理の設定。議員以外の本業でも利益の高い事業を行っている先輩議員とは違い、毎回となるとなかなか経済的に厳しいものがあるのも事実。どぶろくに使われている米は地元で植え育てた酒米「一本締め」。シュワシュワとわく発酵しているぞ!という自己主張に負けない、強い酸味。グビグビと飲んでしまうと腰が抜ける予感。食事を一緒に食べながら飲む。献立は以下の通り

DSC02080・前菜 三種盛り
・お造り 刺身盛り
・焼物 鮭のちゃんちゃん焼
・煮物 うなぎ真丈
DSC02081・平皿 ずわい蟹
・深鉢 なめこ豆腐
・蒸物 茶碗蒸し
・洋皿 鯛サラダ
DSC02084・小鉢 くるみ白和え
・油物 タラバカニ天ぷら
・鍋 すき焼き
・食事 とろろ蕎麦、デザート

ちゃんちゃん焼きにバターを忘れていないことに感心する。宴会も盛り上がってきたところでカラオケ。『月月火水木金金』を歌い、某議員と『海ゆかば』。

 21時過ぎに会場を後にし、再度、マイクロバスで柏崎駅に向かう。途中自宅近くで降ろしてもらい帰宅。0時近くまで資料の整理。

 今日は、都内で皇室典範改悪反対デモを行う日でもあったが、今回の会派飲み会のため行けず。都内の大学生に参加してもらうようお願いしていた。「天皇」や「皇室」というとすぐ右翼と言われるが、日本という国家が皇室を維持してきたのは2600年。この基本を国民全体ではなく、有識者10名程度で30時間の議論である種の方向をだすことに違和感を覚える。幕府の力が絶大であった江戸時代(後陽成天皇:107代 在位1571~1617、後水尾天皇:108代 在位1611~1629)でさえも皇室は維持され、明治天皇が16歳で即位し、近代日本の幕開けとなっている。海外からみた日本のご皇室は、名越先生の「戦争に負けたのに、アンタんとこは王政を維持している」という言葉に集約される。「女系」天皇と「女性」天皇の違いもまだ一般には理解が少ないうちに先に進むのはどうかと思う。「女系」天皇は歴史上例はないと述べると、男女差別と言われる。誰も「女性」天皇までも完全には否定はしない(GHQにより皇室離脱された宮家の復活をしてもダメな場合)。どうしても男系男子が見つからない場合の中継ぎとしての「女性天皇」は、歴史上、存在している。

*重祚(ちょうそ)・・・同じ人が再度、皇位になること

<奈良時代以前>
第 33代 推古天皇<寡婦>(592年~628年)
第 35代 皇極天皇<寡婦>(642年~645年)
第 37代 斎明天皇<寡婦>(665年~661年)皇極天皇の重祚
第 41代 持統天皇<寡婦>(690年~697年)
第 43代 元明天皇<寡婦>(707年~715年)
第 44代 元正天皇<未婚>(715年~724年)
第 46代 孝謙天皇<未婚>(749年~758年)
第 48代 称徳天皇<未婚>(764年~770年)孝謙天皇の重祚
<江戸時代>
第109代 明正天皇<未婚>(1629年~1643年)
第117代 後桜町天皇<未婚>(1762年~1770年)

これらのことを踏まえれば、まずは2600年の歴史を鑑みて「拙速な」判断をしないこと、宮家の復活を議論することが先であろうと思う。

2005年11月25日 (金)

平成18年度予算要望、ものづくり交流シンポ

 2時過ぎ就寝。8時過ぎ、いつもより遅くまで寝てしまったら、遊びにきた甥っ子に起こされた。8時30分から大工さんと事務所リフォームの打ち合わせ。昭和40年代風にまとめてもらう予定だ。DSC02063脂ののった紅鮭を頂戴したので、マルキン「山葵納豆」、イカの塩辛、まぐろの塩辛、なめこの味噌汁で9時過ぎに朝食。甥っ子にも食べさせる。

 10時10分から会派としての予算要望なので、9時45分ごろ自宅をでるが市役所に行く途中、町内の方と会い、大型店舗の柏崎進出と中央地区商店街の話になり、つい長話。重要な話だけにタイミングが悪い。結局、話を途中で打ち切り、10時過ぎ、ギリギリに会派室に行き、諸先輩に謝る。

DSC02067 10時10分過ぎから市三役、総合企画部長を含めた所属会派からの予算要望。各会派に1時間の割り当てで決まっているが、最大会派であり、諸先輩も多いため、結局、時間の都合上、発言することはできなかった。予算要望書には入れることができたが、詳細な関係性までも説明ができず残念。12月議会の一般質問で取り上げるので、そこをまた充実させようと思う。

 12時近くに自宅に戻ったところから、某町内会長さんや柏崎市に戻ってきて商売をしたいという方の相談。昼食を食べる間もなく、夕方まで電話や面会に市内をウロウロ。議員になる前、市会議員の仕事は、相談を受け、解決するのが一番多いと聞いていたが、最近特に実感している。行政との調整だけではなく、職をもとめる人、経営者の依頼もある。

DSC02068 本来であれば17時開始であったが、所用で1時間遅れの18時から「ものづくり若手企業人シンポジウム・交流会」に出席。テーマは「ものづくり産業の人材育成と発展戦略-工業界の後継者問題について大いに語る-」。コーディネーターとして一橋大大学院の関教授、パネラーとして墨田区の「すみだ次世代経営研究協議会」の会長、所属会社の社長、柏崎からは柏崎青年工業クラブの会長など。参加者は、柏崎市内だけではなく、墨田区、板橋区、山形県長井市、富山県高岡市、県内からは長岡鉄工業青年研究会さん、小千谷鉄工協同組合木曜会さんなどがお越しになっていた。自分自身は柏崎青年会議所のメンバーとしての出席である。シンポジウムでは、後継者の問題もさることながら、「売るもの」についての面白い意見もあった。オタクの聖地と言われる秋葉原では、大型店はもとより、路地裏の小さなお店が人気である。10年前はDOS/Vのパーツであり、20年前はICチップなどの電子部品、そして現在は美少女フィギュア・ショップ。親から継いだ業種も時によっては、売る品物を変える生き残り方法も模索すべき、という意見であった。実際にプラスティック加工成形会社が100円ライターのプラケースを作り続け、同じ職種の会社でも携帯電話のケースに移行した会社と大きな開きがでてしまったという。時代の変化に対応するのは必要であるが、その一方その会社の「強み」であるなら、あえて変える必要がないとも言える。創業とは違った、親とは違う色を出して頑張りたいという、2代目、3代目の「悩み」でもあろう。

 関教授の中国共産党での出世する生き方というお話もなかなか興味深く、以下のようなものであった。

 1.いつも明るく笑顔でいる。
 2.相手の目を優しく見て語る。
 3.相手が理解できない話題はしない

DSC02073DSC02071 19時過ぎから懇親交流会となった。会場にはベルナールより出前された料理がならぶ。柏崎青年工業クラブをはじめ、県内外の方と名刺交換をし、意見交換。大変、有意義な時間であった。もちろんのことながら、挨拶する人と注ぎつ、注がれつつなので、またもや「ヨッパ」である。人生で出会える人の数には限りがあるので、色々な人とお話してみたいが、後半はさすがに酒で腹がいっぱいになり、積極性が欠けてしまった。

 柏崎青年工業クラブ柏崎青年会議所が公式に一緒になるイベントは今回を含めても数が少ない。柏崎市内には柏崎観光青年クラブもあり、若い力が分散しているのではないかと個人的に感じている。各団体それぞれに良さもあり、リーダーの考えもあるとは思うが、まずは年に数回は顔合わせをして、力を合わせられるところは是非一緒にやってほしい。関係各所の先輩に怒られるのを覚悟のうえ、柏崎が沈没しないためにも、是非、「小異を捨て大同について」もらえればと思うのである。

 21時過ぎ、自宅に戻り、昼間の仕事で疲れているであろうN嬢にお手伝い頂き、資料整理と12月議会の資料調べ。ありがたい限りである。今日は早めに0時前に就寝。

2005年11月24日 (木)

バターン死の行進

DSC02059 3時過ぎに就寝。7時に起床。メールの返事をひたすら書く。8時過ぎに甥っ子が来たので、一緒に朝食。一緒に納豆手巻き寿司を作ったが、案の定、グチャグチャに。甥っ子は納豆を手でイジって、その糸を食べるのが好きなようである。他の家の子供はどうなのだろうか。今日は祖母の食事や世話をする番なので、甥っ子をあやしながら、祖母の話し相手になる。祖母は、近隣で短時間の散歩であれば一人で大丈夫だが、体調によっては一人で置いておけないうえ、時間が経って緊張がほぐれてくる(他人とは最初緊張しているので普通に見える)といわゆる痴呆の症状がでる。最近は、洗濯機やテレビの使い方が分からなくなった。優しい言葉をかけようにも、耳が遠いうえ、補聴器をイヤがるので、どうしても大きな声になってしまい優しい言葉にはならない。

DSC02060 PCの修理が1件あり、市内に作業をしたのち、昼に自宅に戻る。昼食は、十日町の知人から頂いた乾麺のうどんを作る。少し多めの塩で乾麺を茹で、つゆは魚醤を少々と卵を入れて加熱。もちろん、最後には小粒納豆を入れ、「溶き卵納豆つゆ」である。祖母もツルツルと食べ、甥っ子も服をつゆだらけにしながら手で食べている。甥っ子に前掛けをするのを忘れてしまい、洗濯が大変になってしまった。

DSC02061  18時30分から倫理法人会の役員会。同級生でもある「割烹 乃佐和」(0257-22-4177)の弁当を食べながら、今後のセミナー企画や倫理法人会の会員拡大について話合う。ごま豆腐を焼き、だしつゆをかけ、生姜を効かせもの、う巻きが美味である。

 21時過ぎ、自宅に戻り、資料整理などの単純作業を行う。単純作業ゆえ、映画『フィリピン陥落-バターン半島1942-』を見ながら作業。

 バターン半島といえば、大東亜戦争時のバターン攻略作戦が思い浮かぶ。日本陸軍の第14軍(司令官:本間雅晴中将)がフィリピンに進攻し、1942年1月2日にはマニラを占領。ちなみに、本間雅晴中将は、新潟県佐渡市出身である。
 第一次バターン攻略は不調に終わり、第二次バターン攻略戦にて4月9日占領に成功。当時、極東米軍総司令官であったマッカーサーはフィリピンから逃げ出し、有名な

 「I shall return」

の言葉を残す。この戦闘における捕虜は米軍だけで1万人以上、フィリピン兵を含めると7万5000~8万人という日本軍の2倍以上の数にのぼり、おまけに一般人数万人も一緒にいたため、自分の軍自体の食料もままならず、マラリヤ蚊の生息地であるバターン半島にいつまでも捕虜をそのままに置いておけないと判断した日本軍は徒歩にて、捕虜を輸送することになる。これが飢えと病気で1200名の米兵と16000名のフィリピン人が行方不明もしくは死亡した【バターン死の行進】である。
 また、バターン半島を占領したものの、この時点ではコレヒドール島はまだ陥落していない。捕虜がとらわれていたバターン半島のマリベレスは、当時のコレヒドール要塞から約4kmで、砲弾の届く範囲。当時のジャーナリストの手記にも、今日は捕虜がいるので、コレヒドールからの砲撃がないとの記述がある。通常の戦争では、捕虜は最後尾におくため、最前線のマリベレスに捕虜を置いておくことはできないとの日本軍の判断もあったであろう。(コレヒドール島の陥落は5月7日)
 【バターン死の行進】は、60km程度の道程を7日から10日かけて歩いたと言われるので、一日あたり長くても約10km。もちろんのことながら、すべてを正当化はしないがこの数値から本当に日本軍がやった極悪非道な捕虜虐待としての【バターン死の行進】であったのかは疑問に残る。日本軍兵士が善意で食料を分け与えたものの、「木の根を食わされた」との捕虜が虐待として証言したものは、実は牛蒡(ゴボウ)であったという笑えない話もある。
 本間雅晴中将は、戦後の昭和21年2月、マニラ軍事法廷で【バターン死の行進】の責任者として死刑判決を受け、昭和21年4月3日、第二次バターン攻略戦の5周年記念日にマニラで銃殺刑となった。
 マニラの裁判において、富士夫人が法廷で以下のように証言し、

「私は東京からここへ参りました。私は今も本間雅晴の妻であることを誇りに思っております。私には娘が一人おります。いつの日か、娘が私の夫、本間雅晴のような男性とめぐり会い、結婚することを、心から願っております。本間雅晴とはそのような人でございます。
 本間は、小さなことでも逃げ口上を言う男ではございません。彼は心の広い人で、細かいことにこだわりません。また彼は平和的な雰囲気を創り出し、その中で過ごすことを好みます。彼の行為はすべて、このような姿勢に基づいているのです。たとえば、外で嫌なことがあっても、彼はけして家に持ち込んだことはありません。常に微笑を浮かべて帰宅しました。本間はそのような性格の人です。・・・・以下略」

通訳されると同時に、米軍検察官、フィリピン人からも感動の涙があったそうである。当時の新聞にも

昭和21年1月12日『朝日新聞』
 「主人の命乞いに行くのだというような気持ちは、毛頭ございません。本間がどういう人間であるか、真実の本問を全世界の人々に一人でも多く知っていただきたいのです…裁判の結果などはいまから念頭にありません」
「私の責任の重大さは十分認識しています。衆人環視の法廷に立って少しでも気怯れがして言うべきことも言えなかったりしてはなりません。日本の家庭婦人としての面目を少しでも傷つけるようなことがあったら日本の皆様に本当に中し訳ないことだと思います。日本の女として初めて世界の視線に立つだけの覚悟は十分致して参るつもりでおります」

とあり、凜とした日本女性の凄さ、そして美しさだと思う。
 映画自体は、アカデミー女優でもあるスーザン・サランドンの熱演を歴史的判断を抜きに楽しんだが、後味はあまり良くない。
 バターン半島、是非、機会があれば現地を訪れてみたい。

 ちなみに、アニメンタリー『決断』では第11話「バターン・コレヒドール攻略」に描かれている。

2005年11月23日 (水)

福祉とは「人を孤独にさせないこと」

DSC02044 5時過ぎに起床、準備をして倫理法人会のモーニングセミナーへ。今日の講師は、新潟県社会福祉士会副会長で「松風の里」の園長、小林氏、テーマは「知的障害」である。マニュアルを守っていればそれで良いという風潮が今の福祉の実情、とのお言葉からはじまり、「ノーマライゼーション」「ノーマリゼーション」から「インクルージョン」へと分かりやすくご説明を頂戴した。

 小林氏が福祉の勉強をはじめて以来、「福祉」を語る言葉として、これ以上ないというものが、師である海老名氏(ライトセンター所長、ご自身も視力を後に失う)が語った

「あらゆる場面で人を孤独にしないのが、福祉の究極」

であるという。私自身も本質を捉えた言葉であると感動じた。また、生きていくことは成長、老化などにより、日々障碍を背負っていくことであり、生まれながらの障碍者は一気にそれを背負った偉大な先輩である、とのご説明には、本でその考えを「文字」として分かっていたつもりでも、実際に言葉でご説明を受け、改めて考え直した。


知的障害について

1.人間観について
 ・善なる者として人間を観る
 ・信頼関係が築けるという前提一人を信頼する力

2.福祉とは
 「福」も「祉」も「幸せ」の意味 福祉=幸せの二乗

3.障害をどう捉えるか
 ・障害をマイナス思考で捉えるか、プラス思考で考えるか。
 ・「障害」を敢えて「しょうがい」あるいは「障がい」、
  「障碍」(韓国での記載)と書く識者もいる。これは、
  障害という漢字の意味にこだわりつつ「障りある害ある
  状態」と障害者の実態の乖離を指摘したものといえる。
 ・国際生活機能分類(ICF)の考えから2001より我が国でも
  障害者基本法の根幹として導入されている。「ICFは、
  生活機能というプラス面から見るように視点を転換し、
  さらに環境因子等の観点も加え、肯定的なプラス思考で
  障害者支援をしようとするもの。その背景には、病気も
  障害も全人問存在の一部であるという考え方が背景にある」

4.知的障害をどう捉えるか(法律上の定義)
 法令上、一般的な知的障害の定義は存在しない。個々の法令
 でまちまちである。
法令で定める概ねの基準
a.発達期(概ね18歳未満)において遅滞が生じること
b.遅滞が明らかであること
c.遅滞により適応行動が困難であること
 これらの判断に際して、標準化された知能検査(田中ビネー
 やWISCやK-ABCなど)で知能指数が70ないし75未満のもの」
 と定義されている。

5.よくある傾向
a.乳幼児期
b.学齢期(6~15歳ごろ)
c.成年期(18歳~)

6.呼称の変遷
 平成12年2月まで「精神薄弱」
 平成12年3月から「知的障害」
 かつては重度知的障害者を「白痴」、中度知的障害者を「痴愚」、
 軽度知的障害者を「魯鈍」と呼んだ。差別や偏見に繋がるとして
 今は使われていない。
 医学的には精神遅滞(Mental retardation:MA)、精神発達遅滞
 という言い方もある。近年「チャレンジド(challenged)」という
 いいかたもある。これは、敢えて困難に向かっている人という意味
 で使われている。

7.知的障害の分類
 原因による分類
  a.病理的要由
  b.生理的要因
  c.心理的要因
 知能による分類
  1.ボーダー(境界線)IQ70~80程度
  2.軽度      IQ50~70程度
  3.中度      IQ35~50程度
  4.重度     IQ20~35程度
  5.最重度     IQ20以下
 障害程度区分(ICFの基準)
  1.xxx..0
    問題なし(なし、存在しない、無視できる問題)
  2.xxx..1 軽度の問題(わずかな、低い問題)
  3.xxx..2 中程度の問題仲程度の、かなりの問題)
  4.xxx..3 重要な問題(高度の、極度の問題)
  5.xxx..4 完全な問題(全くの問題)
  6.xxx..8 詳細不明
  7.xxx..9 非該当

8.まとめ
 知的障害という障害を持つ方と接して、人との関わり
 の根幹を学ぶ思いがある。自分の中の偏見や差別意識
 との葛藤でもあり、人間の尊厳をどう捉えるかという
 ことでもある。施設職員に求められているのは、
 全人格的なつきあいが必要だと思っている。


DSC02046 DSC02047 モーニングセミナー終了後の朝食では、昨日の食べ過ぎもあり、控えめの量。そして、お腹の調子が悪いので、カスピ海ヨーグルトと生野菜、納豆を入れた腸内フローラ・メニュー?の「納豆ヨーグルトサラダ」。これが、意外にイケるのである。カスピ海ヨーグルトの粘りと納豆の粘り、そしてそれに絡む醤油の旨味に、シャクシャクとした食感の生野菜。周りの人は引いていた。食べながらふと外を見ると、「朝虹」がでていた。DSC02048虹は太陽の反対側で雨が降るとできるもの。朝、太陽は東にあるので、朝虹は西の方で雨が降っていることを示している。つまり、朝虹は雨が降る前の様子であり、今日は雨が降るということだ。自宅に戻り、ひたすら報告書や読む時間のなかった新聞各紙などをチェック。お昼ごろから、相談事が連続し、昼食をとることができず。

DSC02058 18時過ぎ、さすがにお腹も減ってきたので、夕食。鶏ももの塩焼き、小粒納豆、鱈の煮付け&鱈子である。買い物に行く時間がなかったので、野菜系が不足のような気がする。それよりも食べたり、食べなかったりの方が体には悪い。

 夕食後もそのままメールや郵便物、資料の整理など。

DSC02050

 一足どころか、かなり早いクリスマスプレゼントがアメリカから届いた。マフラーだった。現在もサンフランシスコに住む中国人Z嬢からで、毎年恒例となっている。彼女とは、アメリカ横断をしたとき知り合って以来なので、もう13年の付き合いになる。女性一人でアメリカに渡り、自分の腕一本でのし上がっていく、と決めた彼女にはただただ頭の下がる思いだ。事業の方もまだいい状態ではないようだが、成功を願う。

2005年11月22日 (火)

ガンダム展来るべき未来のために

 すっかり熟睡し、9時過ぎに起床。車で先日お見合いをしたM嬢が勤めるパン屋さんに行き、ご挨拶。お土産として、ガトーショコラを頂戴する。ベイクド・チーズケーキ、チーズ系のパン3つ、黒豆カフェオレを購入し、朝食。M嬢も仕事中なので、3~4分ほどの立ち話でお店を後にする。そのまま上野駅近くのパーキングに車を置き、上野の森美術館に向かう。「ガンダム展来るべき未来のために」を見るためである・・・が、急いでいったのに開場は11時。DSC02036DSC02037古本屋に寄って時間をつぶす。古本屋では、欲しい本がかなりの量あったが、現金の持ち合わせがなかったので、時間つぶしになりそうな安くて面白そうな本を3冊購入。『海軍めしたき物語』『目撃者が語る日本史の決定的瞬間』(別冊歴史読本74号 読本シリーズ10) 、『ああ同期の桜』。とりあえず、上野公園のベンチに座り『海軍めしたき物語』を読む・・・・面白い。海軍の食事情が事細かく、また食をめぐる争いなど、人間味がある。

DSC02034 そうこうしているうちに11時になったので、再度、上野の森美術館に向かう。既に長蛇の列でアベックが8割、若い夫婦に小さい子供が1割、野郎一人は1割である。野郎一人は確実にオタク系であることが服装からみてとれる・・・・・そういう自分も?。入場料1300円を支払い、次ぎに解説の音声システムを500円で借りる。各展示物について、イベントプロデューサーとアムロの声役の古谷徹氏、そしてシャアの声役の池田秀一氏が説明してくれる。館内は撮影禁止であったが、とにかく創作心をくすぐられる作品が多く、特に書道でガンダムの世界を表現したものには、しばらく足が止まった。DSC02039一番最後の展示物のみ写真撮影が許されていたので、思わず撮影。前を歩いていたオタク系の彼も高価そうなデジカメで撮影している。外からみれば、前の彼と一緒にお互いオタクに思われているだろう。一人ではなく、気の合う仲間か女の子と来れば良かったと反省。ただ、負け惜しみではないが、ガンダム好きのカップルの

「見て見てここ、シャア・ズゴよ、シャア・ズゴッ
「おっホントだ」

という会話にもある種凄いものがある。_1展示の最後は、お約束でお土産、記念品コーナーであった。さらにお金を使うよう、心憎い仕掛けである。「だまされないぞ」と思いつつ、すべてがクリアパーツでできている「ガンダム展来るべき未来のために限定バージョン ガンダム」1260円のプラモデルを購入。作る時間はないので、保存用にする。千葉県松戸市のガンダム・ミュージアムもそうであったが、それにしてもガンダム人気は安定確実であり、現在の30代から『ガンダム・シード』世代の10代までが来場していた。これからの日本文化には確実に『ガンダム』の要素が入ってくると思う。

DSC02035 上野の森美術館を後にし、「彰義隊の墓」を見学。上野の山に立て籠もり、官軍と戦ったのが「彰義隊」。墓石には、明治政府への配慮から「彰義隊」はない。ただ、当時は地中に隠され、後に掘り出された墓石の方には、「彰義隊」の文字が刻まれていた。

 急遽、電話をもらったので都内の取引先にて打ち合わせ。14時に都内をでて、柏崎に向けてノンストップで車を飛ばす。今日はコス経営研究会主催の研究会総会と懇親会。基調講演は経営者としても人間的にも尊敬している、長岡の沢矯正歯科の澤先生。倫理法人会のスーパーバイザーでもあり、また櫻井よし子氏の長岡高校時代の同級生である。打ち合わせが入ったので、基調講演には間に合わず、18時からの懇親会より参加。「割烹 みずち」(0257-22-2455)での「飲み飲み」である。DSC02040献立は、以下の通り。

・前菜 柏崎産筋子みそ漬け、赤いか雲丹和え、鱚の糸造り
・お造り 鯛、カンパチ、サワラ、甘エビ、イタヤ貝
・椀物 ズワイガニ汁
・焼き物 サワラ
・揚げ物 フグ唐揚げ
・小鉢 かきのもと八幡仕立
・酢の物 タラバガニ
・食事 小分け蕎麦

DSC02042 特に筋子みそ漬けが良く、ビールではなく、あったかいご飯で食べたい感じであった。懇親会は知った顔も多く、自衛隊協力会のU氏と大東亜戦争について話し込む。U氏は海軍で訓練を受け、いよいよというときに8月15日を迎えたそうだ。他にも人権擁護法案、靖國神社に関する疑問をもっている方ともお話し、注いではご返杯を倍以上に頂戴することになり、へべれけ状態に。

 懇親会解散ののち、千鳥足で駅裏ナルス内のゲームセンターに酔い覚ましにいき、大型のクリスマスミッキーマウスぬいぐるみをゲット。21時近くに自宅に戻り、今日泊まりに来ていた甥っ子にミッキーマウスをあげると「チュッチュッちゃん」といって喜んでいた。メールや郵便物の整理。本を読みながらゆっくり風呂に入り、0時過ぎに就寝。

2005年11月21日 (月)

元衆議院議員・米田建三氏秋季セミナー

 5時就寝。7時起床。8時、大工さんと事務所入口のリフォームについて打ち合わせ。そうこうしているうちに就職の世話をした関係で呼び出されたので、本人に面会。10時から市役所にて会派の予算要望会議。原子力関連施設をはじめ、ただコストダウンするだけではなく、集中すべきところを提案に盛り込んだ。_1昼食は、「割烹おくい」の弁当。朝食を食べることができなかったので、写真を撮るのを忘れてがっついてしまい、写真は食べ途中に。「割烹おくい」の弁当は、常に冷凍パックを下敷きにした刺身がつくので、お気に入りである。昼食をとりながら、会派の先輩議員と雑談ののち、車で東京都立川市に移動。_1ほとんど寝ていないので、途中意識を失いかけながらも、なんとか16時前に到着することができた。今日は、北朝鮮による拉致事件の「三多摩市民集会」である。「santama.pdf」をダウンロード なぜ柏崎の議員がここまで来て参加するかと言えば、拉致被害者である山本美保さんの遺留品は実は柏崎の海岸で見つかっているからである。詳細はこちら。蓮池さんの件もそうであるが、柏崎には北朝鮮による拉致を支援した人間がいるはずである。佐渡の拉致事件にしても同様。早急なスパイ防止法の制定が必要であるはずなのに、国会議員は全然動かない。本当に自国民、同胞が拉致されたことに怒りを感じているのだろうか。もし自分の家族が拉致されて、かつ相手がそれを認めたなら、出来る限りの武装をして「奪還」にいく。本来、拉致をされた国に対し、政治的に解決を試みてできないのであれば、軍隊を派遣し、武力をもって奪還するのが「普通の国」の姿であろう。まったくもって、日本は骨抜きにされた国だ。政治家の本来の仕事は「国民の生命と財産を守ること」ではなかったのか。_1会場につくと、山本美保さんの拉致問題に懸命に取り組んでおられるI夫妻をはじめ、妹さん、東京都武蔵村山市の天目石要一朗議員、山梨県甲府市の議員などと一緒に準備を手伝う。せっかく会場の手伝いにまで来たのだが、もう一つの予定もあったので、イベント開始前に失礼させてもらい、車で首都高を飛ばし、キャピトル東急へ。

 『正論』誌上や『ビートたけしのTVタックル』などでご活躍の元衆議院議員、帝京平成大学教授の米田建三先生の秋季セミナーに出席。セミナー自体には間に合わなかったので、懇親会からの出席である。懇親会の「開会の辞」は、埼玉県の鈴木正人議員。皇室典範改悪のことも含めて素晴らしい挨拶をされたそうである。「閉会の辞」は私の出番である。出番がくるまで、車での移動でもあるし、飲まずに色々な人との交流を楽しむ。

 立食パーティで、ローストビーフをシェフからもらうとき、人はなぜ卑屈になるのだろう。これが、笹蒲鉾を切り分けたのであれば、皿にのせてもらっても卑屈な態度にならないのに、ローストビーフだと、なぜか「すいませーーん」と謝ってもらう・・・・。グレイビーソースをかけ、ホースラディッシュを添えて、ローストビーフを食べる。できれば、同じくグレイビーソースをかけたマッシュ・ポテトもほしいところだ。色々な食べ物があったが、鯛のムニエルには鯛の頭が添えてあった。もちろん狙うは目玉である。フォークで鯛の目玉をクリクリを抜く。DSC02024DSC02023私の次に鯛のムニエルを取ろうとしていた人が、「何してんの?このシト」といった目で見ているが、本当に美味しいのはここである。ぷるぷるるる、といった擬音が聞こえてきそうなぐらいの「ぷる具合」の良い目玉でコラーゲンたっぷりの美味さであった。

DSC02026いよいよ「閉会の辞」は私の番である。「全国若手市議会議員の会副会長、新潟県柏崎市議会議員」とのご紹介を頂いたので、一応、真面目に全国若手市議会の説明をしたのち、「米田建三を国会に送る茶髪議員の会、会長でございます。」と述べて、若干の笑い。もちろん、最後は「来る参議院選挙、まさに皇国の興廃、この一戦にありでございます」として、一本締め。 もう出番はまわってこないかも。

 懇親会終了後、赤池誠章代議士、埼玉県の鈴木正人議員、吉田六左エ門代議士の秘書、皆さんと一緒に中華料理で打ち上げ。隣の席に、米田建三事務所の美人秘書O嬢が座ったので、盛り上がりまくる。しかし、打ち上げ終了後は車でO嬢、埼玉県の鈴木正人議員を池袋駅まで送り、二人とお別れであった。あの後が気になる。

 池袋駅からそのまま柏崎に帰ろうと思ったが、ガンダム展が12月25日までであり、いつ時間がとれるか分からないので、もう半日都内に残ることにする。池袋周辺のパーキングに車を置き、カプセルホテルで一泊。12時過ぎに爆睡。

2005年11月20日 (日)

明治人の気概

_1  2時過ぎに就寝。7時過ぎに起床。せんだい屋さんの「納豆茶漬け」で冷やご飯2杯をかっ込んで朝食。資料の整理をしようと思ったものの、相談の来客や電話相談が続く。

_1高校生のいとこが沖縄に修学旅行に行ったそうで、お土産にもらった海ぶどう・・・なぜかフィリピン産とある、と鶏のもも肉を使った鶏スープ、椎茸と野沢菜のチャーハン、わさび漬けで祖母の昼食とする。DSC01995自分の分も作ったが、甥っ子が遊びにきたので、甥っ子と分けて食べる。午後も某町内の方の相談や就職についての調査依頼があり、結局18時ぐらいまで自分の仕事はできず。

DSC01998DSC01997 夕食は、母親が作る番。各地で買ってきた納豆が多くあったので、納豆コロッケを作ってもらった。納豆コロッケ2個、ブリの照り焼き、浅漬けなどの漬け物、ほやの塩辛、ほたるイカの沖漬け、なめこの味噌汁で夕食。瓶詰めのある食事は楽しい。

 夕食後は、ひたすらメールの返信とブログを書く。

DSC01986 名越先生から封筒が届いており、開けてみると「名越二荒之助氏が語る 秘話日露戦争 第2巻奉天大会戦と水師営の会見」「正論別冊 日本海海戦と明治人の気概」がはいっていた。しかも本には付箋がついており、「帝国海軍の武士道」、「旅順に生きた日露の武士道」のページであった。「仇をくだいていくつしむ」「昨日の敵は今日の友」・・・・武士道である。

2005年11月19日 (土)

西川勉県会議員後援会総会

_1  7時過ぎに起床。シャワーを浴び、マルキン「元気納豆 山葵」をホテルの部屋のスプーンでかっ込んでチェックアウト。

 中野-東京-長岡の新幹線で柏崎に戻る。湯沢は雪が降っており、まさに「トンネルを抜けるとそこは雪国だった」。つばを飲み込むと喉が痛いので、風邪の引きはじめのような気がする。

 _1そこで昼食は、気合いを入れるために「CoCo壱番屋 柏崎店」(電話:0257-20-6277)の「手仕込ヒレカツカレー 850円」になすトッピングの10辛、コーンスープ、らっきょである。
 お約束の10辛に飛び辛パウダーを大量にふりかけ、汗をかきかき食べるが、らっきょは「らっきょ」なのか「らっきょう」なのか、くだらないことを悩む。

DSC01973 12時過ぎに、甥っ子が来たので、1時間くらい一緒に遊び、13時20分から産業文化会館で、新潟県議会の西川勉県議の平成17年後援会総会に出席。柏崎市内からの後援会バスが次々と到着し、会場はいっぱいになった。いつもなら、すぐ来賓の祝辞などがあるが、今回は2部構成となっており、アトラクションとして、三味線の演奏があった。
DSC01975 なんでも、津軽で行われた全国大会で4位に入賞された方だそうで、演奏も素晴らしい。荒波のなかで弾いてもらえば、感動的であろう。

 三味線演奏ののち、後援会総会がスタート。知事はさすがに公務で代理の副知事だったが、地元選出の近藤もとひこ衆議院議員も出席。ご高齢である西川県議の次期県議選出馬の話題もあったが、ご本人はからは「まだまだ71歳」(本当は79歳)とのご発言もあり、再出馬のご様子。県議選の区割り問題もあり、まだまだ決定ではないようだ。

DSC01977 15時過ぎに3階ホールに移動しての懇親会。オードブル、酒が豪快に並ぶ。基本的に揚げ物や焼き物が多いからか、テーブルの年齢層によっては全然減らない。この後も飲み会があるので最初は飲まずに食べ物もセーブしていたが、自分の町内や知った顔の方に、お酌と挨拶に行くたびにご返杯の酒を勧められ、ヘベレケになる。DSC01978オードブルのなかに、レーズンバターのパンがあり、懐かしさもあり、4個ほど食べてしまった。亡くなった父は、ウイスキーでの寝酒にはレーズンバターかマグロフレークがつまみだったので、よくもらって食べていた。昔はレーズンバターのどこが美味しいのか分からなかったが、最近は食べられるようになった。3つほどの町内会長から宿題ももらった。明日以降に動きたいと思う。

DSC01980 後援会終了後、自宅まで歩き、着替えをしてボウリング場へ。今日は、町内対抗のボウリング大会である。まだ酒が残っているからか、やたら調子がよく1ゲーム目は5連続ストライクであった。しかし、毒?がまわったのか、後半はミスが連発し、結局、1ゲーム目は174、2ゲーム目は106であった。

DSC01982 参加者全員で「大衆割烹 駒」(0257-24-4577)に移動し、懇親会。柿が中心に盛られており、口直しに食べる。そういえば味噌の鑑評会の審査員をしたときにも、口直しに柿がでていたが、タンニンなどが味覚のリセットに良いようだ。柿を食べ、ビール、日本酒を注いだり注がれたり。結果的には_2、7位となり、自分の町内が昨年に続き優勝した。そのこともあり、またもやヘベレケである。ちなみに昨年は2ゲームで282、8位であった。_3

 自宅に戻り、資料の整理を始めるが一人ではとても終わらないので、また無理を言ってN嬢に手伝ってもらう。

2005年11月18日 (金)

自衛隊音楽まつり、皇室典範改悪阻止!国民集会

 8時、「ヤマザキ チーズソフト」「雪印カマンベール入りチーズ3個入り」「充実野菜」のチーズモリモリのメニューで朝食。

DSC01936 「自衛隊音楽まつり マーチングフェスティバル2005」のため、9時30分、九段下に到着。
 早速、日本武道館に行くと、航空自衛隊、海上自衛隊、陸上自衛隊の幟がずらりと並んでいる。
DSC01908 航空自衛隊のキャッチ・フレーズは「美しき大空と共に」、海上自衛隊は特になし、陸上自衛隊のキャッチ・フレーズは秀逸で「守りたいひとがいる」である。陸上自衛隊高田駐屯地の方、高田駐屯地の自衛隊協力団体の皆さんと待ち合わせをしたところで、DSC01912会場に入る。音楽祭であるため、武道館の観客席は一定方向しか解放されていないが、もの凄い動員数。平成17年度末の統合幕僚監部の発足をふまえて、今回の音楽まつりのテーマは「統合 日本を愛し 世界を愛す」である。オープニングは陸海空自衛隊音楽隊、陸上自衛隊第302保安隊による国旗入場と国歌斉唱。陸上自衛隊第302保安隊は、国賓等に対して栄誉礼を行う組織で、もっている銃も木製(モックアップ)であり、動作のたびに良い音が響き渡る。もちろん、動作の度に聞こえる音は一つであり、過酷な訓練を行っているであろうことが分かる。航空自衛隊女性自衛官によるマスゲームは最後の敬礼までバッチリと決まっていた。

DSC01917 続いて、全出演音楽部隊が各々のマーチを演奏しながらの入場。航空、陸上、米軍とでてくるが、一番、会場が沸いたのが、海上自衛隊。さすが「伝統墨守」海上自衛隊、入場の行進は「軍艦マーチ」である。会場からは「おおぉぉー」の声。東部方面音楽隊、北部方面音楽隊(ゴスペラーズばりのアカペラで『知床旅情』)の演奏、続いて陸上自衛隊の11、海上自衛隊1の太鼓チームによる激しい太鼓演奏。小便を2,3滴ちびりそうであった。陸海空自衛隊音楽隊、北部・東部方面音楽隊による『シング・シング・シング』『ストライク・アップ・ザ・バンド』に続いては、在日米軍音楽隊。陸軍軍楽隊による『ゲット・レディー』など、空軍合同軍楽隊の『素晴らしきヒコーキ野郎』など、在沖海兵隊音楽隊の『シェナンドー』など、米軍は自衛隊とはノリが違い、ボーカルの隊員もノリノリで歌っていた。周りにいた若いお客さんもリズムをとっている。
DSC01920 続いては、陸上自衛隊中央音楽隊の『ゴジラ』、映画では陸上自衛隊はゴジラにヤラレる役だったような・・・、海上自衛隊東京音楽隊は『アメイジング・グレイス』など、航空自衛隊航空中央音楽隊は『スターウォーズ』、選曲にもセンスが光る。フィナーレの前に防衛大学4年生で構成する儀仗隊のドリル(色々な動作)があった。息もそろっており、最後に暗くなったところで空砲を撃つところなど、お客さんを感心させていた。最後は、日米の国旗が『威風堂々』で入場し、『ラデツキー行進曲』でお客さんも一緒に手拍子をして、会場が一体となったところで終了。とにかく、良かった。音楽をやっている友人や自衛隊に入りたいと言っている有望な学生を連れて、是非、来年も観たいものだ。できれば、陸上自衛隊には「分列行進曲(抜刀隊)」などの旧日本陸軍の軍歌もお願いしたい。

DSC01938 九段下に来たということで、靖國神社参拝は欠かせない。靖國神社にかわる無宗教の国立追悼施設(軍人ではない人の追悼施設なら議論は別であろうが)を作るという国賊のような国会議員がいるが、中国(支那)や韓国に言われたからといって、靖國神社に変わる施設を作る必要はない。簡素な参拝をして、それなら毎日参拝しろと言われた小泉首相にもそこだけは譲ってほしくはない。DSC01939ちなみに、靖國神社内のお土産屋さんには、九の一デザインとなった「改革を止めるな!純ちゃんの黒糖改革饅頭」が売られていた。現在の平和への感謝をして参拝。小泉首相のように「不戦の誓い」をすべきという人もいるが、「平和を願う」というところまでは一緒であるが、「不戦の誓い」はおかしいと思う。英霊が命をかけて日本を守ったのである、「いざ何かあったら日本を守ります」と誓うのが筋ではないか。平和は誰かが勝手にくれるものではなく、自分たちでつかむものだ。

DSC01942 昼食は、お約束で「靖國そば 800円」。ちょっとダレダレの麺に金糸卵がアヤシー食感を生む。
 21日にキャピトル東急で行われる元衆議院議員の米田建三先生のパーティでシメの挨拶をお願いしたいとの電話を頂戴した。
 当日は安倍官房長官や武部幹事長など自民党の重鎮が多く出席予定なので、コマネチなどふざけたシメはできないだろう。

DSC01943 いつも通り遊就館に入り、零式艦上戦闘機52型を観つつ、まずはお土産ものを観る。ピンバッチを見ていたら、なんと「飛燕」のバッチがあったので、田形先生へのお土産として購入。歴史関係の書物を立ち読みする。長時間の立ち読みになり、申し訳ないので、「戦艦大和」の革製キーホルダーを購入。ATVのキーにつけよう。
_1 日露戦争勝利100周年の今年、12月8日までの期間限定展示「日露戦争勝利100周年記念展示」(入場料300円)を見学。日露戦争自体はもとより、東郷平八郎の軍服など貴重な品もあり、ゆっくりと見てまわった。
DSC01944 小さい頃「ポンポンが痛い」の一言を言おうものなら、必ず飲まされた「征露丸」も展示されていた。現在、販売されている「征露丸」のなかには、表記が「正露丸」となっているものがあるが、正式には日露戦争時に使われた薬で、露西亜(ロシア)を征するために飲む薬なので「征露丸」である。遊就館で作った『日露戦争百年』誌(1000円)があったので、購入。遊就館をでて、木漏れ日のなか、ベンチで読みふける。
_2 日露戦争は、当時のロシアの戦力と日本を比べるに、色々な資料を読めば読むほど常識的には勝てない戦争であったと感じる。まさにZ旗をあげての「皇国の興廃この一戦にあり、各員一層奮励努力せよ」は崖っぷちであったであろう。しかも、戦後の武士道も素晴らしく、ロシアのステッセルが戦力を残して逃亡したとの罪で戦犯になろうとしたところ、乃木希典は当時のフランス大使を通じ、証言を送り、減刑させている。最近になって、陸上自衛隊三宿駐屯地で発見された日露戦争時のロシア兵捕虜には黒パンを自分たちで焼かせたり、花札などのギャンブルをやったりと、戦場で戦った相手にも礼を尽くしている。

DSC01953 17時、JR中野駅に移動。東京都杉並区の松浦芳子議員や東京都武蔵村山市の天目石要一朗議員、とともに街頭演説。気を遣ってくれたのか、遠くから来たというからだけなのか、街頭演説は都合5回もやらせてくれた。街頭演説で話す度に思うが、「天皇」といっただけで右翼扱いである。しかし、2600年も続くこの「皇室」こそが日本の文化であり、安易に変えてはならないだろう。現在、小泉首相直下の有識者10名で女系天皇の容認を含めた検討が進んでいる。女性天皇と女系天皇の違いも国民に知られていないうちに、皇室典範を変える、つまり2600年のルールを変えるのはやはり拙速であろう。女性天皇は125代になる天皇のなかにもいたが、女系天皇、つまり父が天皇ではない女性天皇はいない。つまりは「中継ぎ」のみである。愛子様が女性天皇になることは父である皇太子殿下が天皇になった後であろうから問題はないが、次が続かない。天皇家に「お婿さん」をもらった場合はどうなるのか、またその呼称は?と問題が多い。男女差別と怒られるかも知れないが、女性天皇でも妊娠・育児のため、国事を休む、といったことも許されないであろう。相撲の土俵に女性が上がれないのと同じで、いくら男女平等とは言いつつも、伝統として残すものは残すべきと思う。ちなみに天目石議員はサーヤと大学時代の同級生だそうだ。

DSC01954 そんなことを含めて演説をしていたら、お腹がすいたので、中野駅前の「おやき処 れふ亭」にて、クリームの入った大判焼き100円を購入。なかなかの人気店のようで、並んだ。寒いなかの大判焼きは美味しいが、あまりの熱さに口の上がべろべろに。

DSC01956 演説が終わったところでデモ行進。一般の方も多く混ざって、シュプレヒコールをしながら、会場である中野ゼロホールに移動。神奈川県横浜市の工藤裕一郎議員や埼玉県の鈴木正人議員と合流。田形先生にもお会いできたので、早速「飛燕」バッチを差し出すと、「貴方がずっと付けてくれた方が嬉しい」とのことだった。集会は、1階はほぼ満席、2階も埋まっていたので、冷静な数字で1000名前後であろう。東大名誉教授の小堀先生から始まり、DSC01968西尾先生、そして名越先生など多くの文化人が貴重で、かつ説得力のあるお話をされていた。


<登壇された諸先生>伊藤哲夫氏、小田村四郎氏、加瀬英明氏、小堀桂一郎氏、百地章氏、井尻千男氏、三輪和雄氏、遠藤浩一氏、名越二荒之助氏、西尾幹ニ氏、西村幸祐氏、宮崎正弘氏、クライン孝子氏、稲田朋美代議士


名越先生は、いつも通りの名越節が冴えており、日露戦争から大東亜戦争にかけての欧米列強によるアジアの支配が始まっていたとき、シャム(現在のタイ)がどうして独立国家でありえたのか、それは王政にあったと指摘され、日本が独立国家でこれたのもご皇室によることが大きいと話されていた。

DSC01969 集会の最後は、田形先生による萬歳三唱である。先に散っていった英霊のためにも日本の国体、象徴たるご皇室の維持を!と訴えたのち、「天皇陛下萬歳!」を会場全体で行った。国体の維持という点では、よく日本は大東亜戦争において『無条件降伏』したと言われているが、実際には天皇制を維持するとした有条件の降伏で、無条件は「武装解除」についてだけ。国体を維持しての降伏であった。ちなみに戦闘と戦争は違い、戦闘については無条件に降伏、戦争は条件をつけての降伏である。戦闘の終結は8月15日であるが、戦争の終結は厳密にはサンフランシスコ講和条約が発効した昭和27年4月28日になる。

 なんの偶然か。萬歳のあとのエンディング曲は「分列行進曲(抜刀隊)」であった。

 某新聞社の取材を受けたりして、お見合いをしたM嬢と受け付けでゆっくりお話することもできず、会場を後にした。時間も10時近くになっており、新幹線も既にないため、鈴木正人議員にお付き合い頂き、中野駅近くの「居酒屋 野武士」(03-3318-1545)で「ガブガブのみのみ」、串盛りからはじまって、生ビール5杯、酒2合でいい気分で飲み、鈴木議員と政治話。鈴木議員は、民主党の河村たかし衆議院議員の秘書、埼玉県の上田きよし知事の秘書の経験もあり、それよりも吉本興業でのお笑いの経験もあるので、話も面白い。ちなみに、当県の泉田知事誕生までの選挙を書いた『洗脳選挙』にて、マシンガントークの街宣名手として鈴木議員が紹介されている。近くにあったセントラルホテル中野に宿泊。1時過ぎに就寝。

2005年11月17日 (木)

人生初お見合い?

 『MONSTER』全巻を読破した2時ごろ、仮眠。リクライニングシートが具合よく8時過ぎまで寝てしまう。マンガ喫茶をでて、新宿に移動。_1コインロッカーに荷物を入れ、コンビニで「具たっぷりおにぎり 豚生姜」「だしのきいた納豆巻き」「VC2000」を購入し、公園のベンチでブランチ。「だしのきいた」が何を意味するかと思ったら、醤油の小袋とだし醤油の小袋がついており、その両方を納豆巻きにかけるということだった。携帯電話にて、陸上自衛隊高田駐屯地の広報の方とお借りした中越大震災のビデオの件でお話しているうちに、明日、武道館で「自衛隊音楽まつり マーチングフェスティバル2005」があることをお聞きし、さらに都内に自衛隊協力団体の皆さんとお越しになるとのことだったので、明日ご一緒させてもらうことにする。12時過ぎまで紀伊国屋書店で政治や自治関係の立ち読み。17時過ぎまで、都内の友人の会社などを訪問。18時30分、鶯谷のパインヒルホテルに移動。いよいよお見合い?である。お世話になっているおばさまお二人、荒川氏、先方は同い年の目のパッチリしたご本人M嬢だけでなく、なんとお父様とお母様もご一緒・・・・・・どうしよ。DSC01905とりあえず食事をしながらとのことだったので、不摂生も続いていることから、オムライスとトマトジュースをチョイス。身の上話でギシギシとした雰囲気で進むと思ったものの、またなぜか歴史や日本文化に関するお話になり、M嬢をそっちのけで周りの方々と盛り上がる。途中、Nおばさまから「そっちで二人でお話した方がいいでしょ」と、いきなり二人で他のテーブルに座る。何も口にしないのもナンなので、チョコレートパフェを注文。二人でチョコレートパフェを食べながら、昔のテレビ番組をお話をする。同い年なので、見た番組が一緒であり、話易かったが、『魔女っ子メグちゃん』『魔法少女ララベル』の主題歌を口ずさんでしまったのは失敗であったような気がする。チョコレートパフェも完食し、しばらくしたところでお礼を述べて解散。M嬢は明日の「皇室典範改悪阻止国民集会」で受付を手伝うとのことだったので、また明日会うことになる。鶯谷から上野まで歩き、マンガ喫茶に行き、ネットでの情報収集や12月議会の質問などを作る。USBのスティックメモリがあったので助かった。

2005年11月16日 (水)

人権擁護法案反対緊急集会

 ありがたいことに1時過ぎまでN嬢に手伝ってもらい、目処がついたものの、目を通していない資料が多くあったことに気づき、結局、徹夜。本来であれば、6時から経営者モーニングセミナーであるが、電車の時間までに資料を片付けなければならないので、今回は欠席させてもらう。冷ご飯を少し温め、浜納豆とたたき梅のおにぎり2個、茹で卵2個で朝食。8時30分過ぎに市役所議会事務局に提出物をもっていき、そのまま駅にて特急に乗る。駅では来年に開催される原子力サミットの打ち合わせで都内に行く、議会事務局の方とちょうどお会いしたので、「住民の安全」という部会で「海上自衛隊誘致の話をしてよいか」と尋ねたところ渋いお返事。だが、隙を見つけて発言し、賛否は別として議論できるような雰囲気にもっていきたい。長岡までの電車のなかでは、青年会議所の先輩である豆腐会社の社長と一緒になったので、過去の青年会議所が取り組んできたエネルギー問題への提言やまちづくりについてお聞きする。これから工場建設や研修受け入れのことで中国にいかれるとのことだったので、中国(支那)に関するお話も。DSC01874 長岡-東京間の新幹線のなかではひたすら睡眠。地下鉄に乗り継ぐ途中のポプラで、いくら・鮭の親子むすび、手巻き納豆、おーいお茶「濃い味」を購入し、昼食。永田町駅から歩いて星陵会館に移動。東京都日野市の渡辺眞議員、徳島県の竹内資浩議員、千葉県佐原市の伊能敏雄議員などと懇談。 13時30分から今日のイベントで壇上に上がる地方議員を含めた日本会議首都圏地方議員懇談会 。新潟県はもちろん首都圏ではないので、対象外。DSC01875その後、人権擁護法案に反対する全国地方議員の会での地方議員議員で会議。今回の人権擁護法案だけはなく、皇室典範、教育基本法などの問題までふれる。意見する時間があったので、諸先輩のいるなかだったが、一言意見を言わせていただいた。趣旨としては、今回のイベントでの決議文、各議会で取り上げてもらいたい請願、陳情などについての議論はあったが、いかに他の議員に賛同してもらうのかという手法、そしてもっと一般化したような分かりやすい資料を作るといった、理解者を増やすことについて不足しているのではないか、ということであった。つまり、いきなり一般人の方が「人権擁護法案反対」と大きく書かれたビラ(裏面に漫画はあるものの)をもらっても「引く」うえ、各議会でも決議を賛成多数にもっていくためには、言いづらいがあまり勉強していない議員も一票は一票であるため、そういった議員にいかに理解してもらうのかという努力も必要だ。もっとやわらかい「ツカミ」のうまいビラ、地方議会においてこの声を上げる意味までを含めた議員用資料の作成が必要ではないかと思うのである。

DSC01881 16時からイベントのスタート。国歌斉唱から始まったが、皆さんの気持ちが高ぶっているのか、演奏よりかなり早いテンポで歌い、演奏が20秒ほど残った。なぜか気まずい。挨拶は、山谷えり子参議院議員(真の人権擁護法案を考える懇談会副会長)、そして郵政反対を最後まで貫いた男・平沼赳夫衆議院議員(日本会議国会議員懇談会会長・拉致議連会長)。「どうも、誇り高き無所属の平沼でございます」に会場が沸く。会場には、自民党、民主党から国会議員も数名かけつけており、新潟県からは自民党の高鳥修一衆議院議員がいらっしゃっていた。平沼議員は途中で退席され、安倍官房長官に人権擁護法案反対、皇室典範改悪反対などの意見を提出されたそうだ。DSC01887櫻井よしこ氏の講演は、いつものことながら、優雅で分かりやすい口調ながらも、「古賀誠氏のような人のことを『卑怯者』と呼ぶんですよ」といった売国奴批判も忘れていない。櫻井氏のお話のなかで、特に印象に残ったのは、「人権」や「福祉」という言葉以前に、日本人が本来もっているものについてであった。江戸から明治にかけて日本を訪れた、オールコックや詩人オリファント、イザベラ・バードらが感じたのは、当時の日本人には、「人権や福祉などという言葉はないが、我々が理想として求めている価値観の具現化がある」ということ。日本人は、盲目の人が歩いていても足をひっかけて倒したりするわけでもなく、かといって特別にも扱わず、按摩を頼むなどをして仕事を与えていた。オールコックの旅行記には、ある宿屋に泊まったオールコックの部屋を知らない可愛い女性がウロウロし、朝までじっと座っており、翌朝宿屋の女将に「あの女性は?」と問いただすと、「お気になさいますな。あれは物狂いですが、危なくない」と答えたとある。

 そもそも人権擁護法案が必要なのかどうかも含めて、櫻井氏のこのお話は大変参考になった。集会は最後に決議文を承認し、無事に終了した。

DSC01999  集会終了後、櫻井氏を囲んで地方議員での懇親会が行われた。そばをはじめ、ビッフエの食事。しかし、この後もあるのでスモークサーモンのクリーム添えやサンドイッチ、トマトの冷製パスタをつまむ程度に。移動しなければならなかったので、早々に櫻井氏に長岡倫理法人会の関係などを含めてご挨拶し、また地方議員の諸先輩にもご挨拶をして会場を後にした。DSC01897急いで横浜中華街に電車で移動し、ローズホテルの10Fへ。今日は全国若手市議会議員の会の理事会が午後から行われており、北信越ブロックの代表でもあるので、最初から出席すべきであったが、人権擁護法案の方が先に予定に入っていたため、懇親会よりの出席となった。DSC01899懇親会では、四川料理のホテルらしく、山椒のビリ辛が効いた料理にビール、紹興酒が進む。全国市議会議長会の会長、藤沢市の国松議長もゲスト参加。地方6団体として、全国市議会議長会は知名度もあるが、地方6団体に次ぐ7番目の団体として、全国若手市議会議員の会も認知されるよう頑張っていきたい・・・とはいうものの、2つに分かれた食事テーブルのなかで、国松議長側は、議員年金の廃止問題を話し合っているなか、こっちは昔食べたバターケーキについての考察である。(もちろん、真面目な政策議論もしたが)

 ・バターケーキはいっぱい食べると気持ち悪くなる。
 ・バターケーキの、あの銀色の飾り(仁丹)の存在意義は?
 ・バターケーキはチェリーもゼリーのニセモノだったのではないか

・・・・くだらない議論は議論の練習として面白い。DSC01902そうこうしているうちに一本締めで終了。全国から集まったこのメンバーのなかで、誰が一番最初に国会議員になるのだろうか。楽しみである。

これから民主党本部へ行くという千葉県市川市の高橋亮平議員とみなとみらい線に乗り、ガンダム談義をしながら都内に移動。高橋議員は『Zガンダム』世代であるが、こっちはファースト『ガンダム』再放送世代。しかし、同じシャア好きである。ファースト『ガンダム』のパイロットとしてのシャアが好きか、『Zガンダム』の名演説をする政治家としての資質を見せ始めたシャア(クワトロ・バジーナ)が好きかの議論は白熱したものの、結局、シャアがのったモビルスーツで一番美しいのは「サザビー」との結論で落ち着いた。都内まで時間があったので、国政や歴史の話になり、高橋議員とは歴史認識や政治的立場が違うのは分かっているものの、名越先生ばりに大東亜戦争の意義やその後のアジア独立の動きなどを話す。パラオで日本語が通じることやいまだに7000柱超の遺骨が埋まっていることも忘れずに伝えた。渋谷で高橋議員と別れ、シャワーのあるマンガ喫茶に入り、シャワーののち、プログラム修正やメールの処理。なんたることか、ノートPCのACアダプタを忘れてきたので、電源が切れたところで仕事終了。最近のマンガ喫茶はシャワーもあるし、リクライニングの個室なので、仕事もしやすい。ただ、隣のアベックシートから流れてくる不穏な空気が気になる。

2005年11月15日 (火)

自民党結党50周年

 2時過ぎに修身、間違い、就寝したものの5時過ぎ、祖母に起こされる。横腹がチクチクして痛いから「薬を貼った」ものの直らないという。横腹を見ると貼ってあったのは、なんとカットバン。冷湿布を貼り直してあげるが、まだ痛いというので、医者に連れて行くことにする。午前中は打ち合わせが急遽入ったので、祖母を病院につれていくのは母にお願いする。_1 朝食は、梅干しのおにぎり2個、低脂肪乳、干し納豆で軽くすませる。11時まで打ち合わせ。祖母と母が帰ってきたが、途中、祖母がなんで病院にいるか分からず帰ると言い出したそうだ。昼食は出前をとってくれたので、天ぷらそばと祖母が残した親子丼。13時30分から自民党柏崎支部へ。15時30分まで選対解散式と党役員会。自民党柏崎支部の体制強化というテーマのもと、広報委員長を拝命する。

  ちなみに今日は、自民党結党50周年である。結党は、三木武吉氏の動きもあり、自主憲法の制定が発端であるため、憲法改正は自民党の党是。現憲法を守る護憲を声高らかに叫んでいるのは日本共産党であるが、昭和21年の日本国憲法制定の際、議会で唯一反対したのが日本共産党。「日本共産黨の日本人民共和國憲法(草案)」を発表し、当時の憲法草案に反対していた。つい最近の昨年1月になって、戦前の日本共産党とは違うと言いだし、護憲にまわった。自民党が50年かけてやっと憲法改正の雰囲気を醸成したことに対し、怠慢という共産党の主張もある程度は分かるが、コロッと態度を変えた共産党もどうかと思う。キャッチコピーも「たしかな野党」であるが、国家転覆を狙い、共産主義へ移行するという本来の共産革命の趣旨からいけば、野党と自分で自分の枠を縛っているようにも感じる。

_1 18時まで講演会のための下準備や会社関係の郵送作業をし、シーユース雷音に移動。今日は柏崎準倫理法人会の経営者イブニングセミナー。東北4県に婦人服・ブティックチェーン13店舗を展開されている「江上」の江上伸雄会長を講師にお迎えし、「ピンチこそ最大のチャンス」と題しての講演(コーヒー代として500円)。会議室に40名を超える経営者、社員、一般の方などがお越しになり大盛況であった。

_1 講演会終了後、役員や講師とともに「飲み飲み」の準備の予定であったが、明日からの出張の準備と資料整理があるため、今回は遠慮する。夕食として、「滑川名物 ほたるいかすがたづくり」、「ほやの塩から」(十字屋 宮城県塩竃市藤倉3丁目5-14)、保谷納豆「炭火造り」、ひらたけとはるさめ、サトイモの味噌汁、そしてポテトサラダ。ポテトサラダは、隠し味に醤油を少しいれ、ジャガイモもざっくりマッシュの歯ごたえもの。瓶詰めのある食卓は楽しい。ポテトサラダについて。母からは手抜きと言われるが、手抜きではなく、個人的にざっくり感のあるポテトサラダの方が好きだからだ。あまりにも膨大な資料整理に、N嬢にお願いし、手伝ってもらうことにした。

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株式会社エガミ (秋田県横手市倫理法人会)

所在地 秋田県横手市寿町8-13
TEL 0182-32-1123
代表取締役 江上 伸雄
創業 昭和42年
従業員 65名(内パート22名)
事業内容 婦人服販売
倫理法人会入会 平成11年

 取引きメーカーの絶大なる信頼のもと、
 きめ細かい気配りで地域一番店を目指す

 横手市の本店の他、秋田・青森・岩手・山形・宮城の
5県に13店舗を直営している。婦人服業界では、単一
メーカーを取扱うオンリーショップが増える中、数少ない
地方でのミックス型ショップ(複数メーカー、複数ブランド)
を展開する婦人服専門店。
 ミックス型ショップでは、複数メーカーとの粋を
いかに強くするかが重要だが、当社はこの点で他社に
真似の出来ない努力を重ねている。たとえば、契約通り
の支払い遵守と不良品以外の返品は一切しないことなど。
その分、仕入は自己責任で真剣勝負となるが、この経営
姿勢こそ、取引きメーカー各社から絶大な信用と信頼を
得る基となっている。
 平成14年、社長の伸雄氏は代表権を持つ会長となり、
40年近く共に会社経営にたずさわり貢献してきた夫人
のキヌ子氏が社長に就任し、2期目。後継者問題も
クリアし、着実に事業を伸ばしている。     

当社のオンリーワン

 地域密着を念頭に 「店はお客様と共感し感動しあう場」
と位置づけ、きめ細かい気配りで地域一番店を目指します。
他社に真似の出来ない品揃えとスタッフの育成に全力で
取り組み、地域と我が社の活性化を図っています。
スタッフの教育は、経営者の自宅で数週間、寝食を共に
しながら経営哲学を伝えています。

2005年11月14日 (月)

子ども寺子屋 荒川春代氏

 机に突っ伏して寝てしまったので、寒さで6時過ぎに寝覚める。一瞬、PCの画面を見るとチカチカするので、目がおかしくなったかと思った。よく見ると、テキストエディタが全画面で開いていたところに、突っ伏して寝た際キーボードの「P」を押した状態になっていたようで、「P」だらけだった。昔のPCであれば、ビープ音の連続で寝られなかったところだろう。そういえばあの愛機8ビットパソコン SHARP X1turboIIIが懐かしい。この機種は、内部仕様がX1turbo Model30とほとんど同じであったが、2HDドライブが標準搭載された上、本体デザインが格好良かった。ただ、無理を言って今は亡き父に買ってもらったものの、購入後一ヶ月後には、本体仕様を一新したX1turboZが同じ値段で発売されたため、それ以来、SHARP製品の購入をやめようと思ったという悲しい想い出つき。いまになって捨てたのを後悔。

_2  朝食として、大阪のFさんから頂戴した、旭松食品「カットグルメ 味付納豆」を食べる。この納豆は、メーカーさんいわく、「日本初の高齢者向け」納豆とのことである。味付けしてあり、そのためか水分を吸ってテラテラであるが、糸がすぐ切れ、お年寄りが食べるには都合が良いのかも知れない。この納豆を食べ、「年をとっても、ガッチリ糸引き納豆を綺麗に食べる」という人生の目的が一つできた。

 今日は葛飾区議会議員選挙の開票日である。(ここから少しナマって)都会の選挙は日曜日すべてを投票にしてぇ~、開票はぁ~翌月曜日の朝から行われるだ(ナマり終わり)。自民党に党籍を持つ身としては、あまり大きなことはできないが、行き過ぎたジェンダーフリーへの警告などを女性の口から言い、また若手議員の仲間でもある民主党の早川久美子氏の応援をしていた。静岡県浜松市議の新村議員とともに街宣車にも乗り込み、選対にいた大学生(休憩時間、歴史について強引に話を聞かせる)とも仲良くなっていたので票が気になっていたが、今回見事トップ当選で6668票。「姉さん、その格好・・・・」というツッコミたくなるセクシー系なご本人だが、今後も行き過ぎたジェンダーフリーには女性としての意見を言ってほしい。

 10時、アンヤンウ・イケチュクさん(有限会社プラカード・ジャパン代表取締役)とwebサイトの打ち合わせ。納豆学会のサイトを一気にリニューアルする予定だ。webの打ち合わせのあと、白色人種がいかに有色人種から搾取してきたのか、民族分断、文盲を作るなどの愚民化政策などについて、ナイジェリアの例やインドのことなど、ビジネスそっちのけで話し込む。打ち合わせののち、市内での営業。

_1  13時から相談の方があるので昼食は「うれっ子」(電話:0257-22-4648)のチャーシューつけ麺。あいかわらず、麺、チャーシューともに量が多い。13時過ぎから16時まで相談を受ける。17時、リフォームの件で高橋建設さんと打ち合わせ。問い合わせの電話などがあり、時間がなくなったため、夕食は大徳寺納豆を入れたお茶漬け2杯と豚肉の生姜焼き、訳の分からない組み合わせ。19時から町内役員選考委員会に出席。20時30分過ぎにお誘いを受けていた飲み会に顔を出す。22時過ぎに戻り、風呂に入りつつ、録りためておいた番組を見ながら、ビール500mlを3本。チャンネル桜に本居宣長の和歌を、いわゆる歌にして子供にも伝え、日本語の美しさを表現している岡美保子氏が登場した。ご実家が400年を越える伝統をもつ和菓子屋さんということで調べてみると柳屋奉善さんであった。是非、一度コンタクトをとってみようと思う。『TVタックル』では、田嶋陽子女史と三宅久之翁のやりとりがあり、途中でCMにいったのが残念だ。田嶋女史の「日本だってどっかの国からいっぱい拉致したんだよぉー」の発言に、「どこの誰がどこにだよ」との三宅翁。あわてて田嶋女史が大東亜戦争最中の朝鮮人強制連行説を唱えると、三宅翁の「その頃は日本だったんだよ」との正論。日韓併合から、いよいよ盛り上がるかと思っていたところでCM・・・・・編集を恨む。田嶋女史は、母校である高校の英語の先生であった。高校の先輩に聞いたとき、あんな人じゃなかったとの声も聞いている。TV的にはオイシイが教育の現場となると話は違う。価値観まで教える師ではなく、学問のコーチ程度にしてほしい。

 先日お会いした、荒川春代氏からお電話を頂戴した。荒川氏は、現在、修身など日本文化を伝える寺子屋のような塾を運営されており、チャンネル桜においても「子ども寺子屋 桜」という番組で、親子に日本文化を教えられている。生徒はもちろん板の間に正座で聞き、はじめとおわりの挨拶もしっかりしている。番組は、まず昔話や偉人伝を紙芝居にして、そこで日本語のリズムや心を学ぶ。つづいて修身の暗誦である。事業家としても、高級婦人服を扱われ、三越、高島屋などをはじめ100店舗を越える取引先をもつ実力者。17日にまたお会いするので、教育者として、経営者としてのお話を聞こうと思う。

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2003年10月号『到知(ちち)』

 大自然の法則に生きる 荒川春代

 この頃街中を歩いていると、あちらこちらで地べたに座り込んでいる若者を見かけます。本来なら若々しいエネルギーに満ちているはずの彼らに、まったく生気が感じられず、人目もはばからずにへたり込んでいる様子を見るたびに、私は本当の日本人の心はどこに行ってしまったのかと思わずにいられません。
 その人の性格や生きる姿勢は、体に表れてまいります。体に芯ができていない方は姿勢が極端に悪く、忍耐力に乏しい人になってゆかれます。このような若者が増えているのは、いまの日本社会に対する何か重大な警告に違いないと私は思っています。
 いまの若者を育てた親は戦後、アメリカGHQの占領政策にもとづく教育を施されて成人した方たちです。そこには、精神的にも文化的にも優れた日本民族を、再び立ち上がらせまいとするアメリカの巧妙な仕掛けがありました。それによって、愛国心や道徳など、かつての素晴らしい日本文化を失い、骨抜きにされた日本人が大量につくられてしまいました。この骨抜きにされた親に育てられた子どもたちがさらにおかしくなったとしても、当然のことと思います。
 私は、この流れを少しでも良い方向へ転換させたいという思いで、微力ではありますが自分の身近なところからいろいろな活動をさせていただいています。例えば中学生や高校生を対象とする楽生塾、幼稚園や小学校の子を対象とするリトル楽生塾もそのーつです。いまはゆとり教育の影響で学校の授業時間も減り、子どもたちの自由時間が増えています。例えば、毎日2時間テレビを観れば、1年間では学校の授業よりもテレビを見ている時間のほうが長くなるそうです。そして、そのテレビなどを通じてもたらされる情報が、子どもたちに悪い影響を及ぼすため、異常な犯罪もとみに増えています。子どもたちを放っておくのはとても危険なことだと思いました。
 そこで、彼らを集めて少しでも昔のように立派な日本人に育っていただくために、礼儀作法や正しい言葉遣いなどを身につけ、読み書き算盤に歴史の学習、さらには野球や自然教室まで幅広く行える場をつくったのです。いまの学校の教育による歪みを元に戻し、本当の日本人の心を身につける、いわば〝平成の寺子屋″なのです。
 決して学校の成績を上げることが目的ではなかったのですが、結果は嬉しいことに、学年トップの成績を上げる子も出て来ています。学校の勉強よりも楽生塾で習うことのほうがずっと楽しくて、いろいろと覚えてゆけるそうです。
 多彩なカリキュラムを組めるのは、「教育」は「共育」という理念のもとで支えてくださっているたくさんのスタッフの方たちのおかげです。どなたも人様のお役に立ちたい、教えることを通じて自らも学びたいという思いから、無償で協力してくださっています。もちろん主宰する私もお金は一切いただいておりません。それは私どもが、この世は出たものが返ってくる、つまり与えたものしか戻ってこないことを理解しているため、お人を生かせば自分も生かされ、幸せな人生を送ることができ、元気をいただけるからなのです。
 この大自然の法則は、15年ほど前、ある不思議な体験を通じていただくことができました。
 それまで私は普通の主婦で、社会的な活動はしていません。幼い頃からクリスチャンとして育ってまいりましたが、私の心はもっと真実を、という思いが湧き上がってくるのを抑えることができませんでした。そしてある時期から、毎朝2時頃に鈴のように美しい鳥の声で目覚めるようになり、何か大きな力に導かれるように勉強を始めたのです。瞑想もしました。人を癒やす力も授かり、無償でいろんな方の病気を治して差し上げました。そうした活動の中で、一つひとつインスピレーションのような形で、私は大自然の法則を理解していったのです。
 私のもとには病を抱えた方ばかりでなく、次第に仕事や人生におけるさまぎまなトラブルを抱えた方が相談に見えるようになりました。その中で感じたことの一つは学歴にとらわれて自信をなくしている若い人があまりにも多いことでした。彼らと一緒に仕事をし、自信をつけてあげたいという思いから、夫とともに平成7年、アパレル、出版、食品など、幅広く手掛けるコーチャルという会社を立ち上げ、いまに至っております。
 そして仕事を通じてともに大自然の法則を実践し始めたのです。
 この世は全て想念で動いています。いまの自分の状態は、いままでに使ってきた心の結果であり、いま自分が使っている心が未来の自分をつくってゆくのです。自分の未来をよくしたければ、常に喜びと感謝の心を持ち、周りの方に喜んでいただけることを一つひと積み重ねてゆくことです。この実践を続けていけば、健康にもお金にも愛情にも恵まれ、幸せな人生を送ることができます。家族の幸せは保たれ、家庭にも職場にも和が生まれてくるのです。
 いまの日本は混迷の極にありますが、1人ひとりが大自然の法則に則り、相手を思いやる心を取り戻してゆけば、必ずその心が国を思う心へと発展し、日本は本来の輝きを取り戻していくと確信しています。たとえ小さくて構いません。太陽のように、いつも明るく学ぶ喜ぶ心で毎日を過ごしてゆかれる方を増やしてゆくことが、天よりいただきし私の務めと思っています。
(あらかわ・はるよ=コーチャル取締役)



2005年11月13日 (日)

上杉謙信杯極真空手オープントーナメント

 7時起床。メールの処理や会社の事務仕事。町内の役員選考会の連絡文書を町内に配って歩いたが、髪の毛もそのままでズボラな格好で配っていたら、某知人に見つかり、外にでるときの格好じゃないと怒られる。8時過ぎに甥っ子が来たので、甥っ子と一緒に朝食。DSC01829母が作ってくれた朝食に自分で食べたいものを追加。ご飯、白菜と油揚げ、椎茸の味噌汁、「叶家直伝 納豆」、先日購入した「かつおの塩から」、目玉焼き、ソーセージ2本、低脂肪乳1杯。母が作った朝食と自分で作った朝食の違いは多くあり、特にソーセージの扱い?が違う。皮をブチンと引きちぎり飛び散る肉汁がソーセージの醍醐味であると思っているが、母は皮に切り込みを入れ、さらに一度ボイルしてから使う。余計な脂肪分の除去が主たる目的と思うが、息子がこれ以上太らないようにとする愛情とありがたく受けとっている。DSC01830熱いごはんに「かつおの塩から」+納豆を試してみる。かつおの内臓の苦みと塩気が滋味深い感じだが、どうも納豆とは合わせづらい。甥っ子にも食べさせてみたが、顔をシオシオのパーにしてイヤがった。立派な酒飲みになるための修行であるが、少し早かったようだ。ここで作戦?変更、先日富山お土産としてもらった_1「滑川名物 ほたるいかすがたづくり」(カネツル砂子商店 富山県滑川市北町1253 電話:076-475-0035)を投入。ツヤツヤ、テラテラと光るほたるいかをご飯の上にのせてみると、なんともこれまた艶めかしい。まずはそのままご飯と一緒に食べてみると、歯にある程度の抵抗をしたのちプチッと弾け、濃厚な味わいが広がる。そこにご飯の甘みが追っていく。これぞ日本人に生まれた喜びである。日曜日の朝食としてふさわしい。甥っ子もウマウマと食べている。DSC01832納豆との相性もイカ納豆をアナロジーとしてみても理解できるように、悪い組み合わせではない。

 朝食ののち、来週のスケジュールの調整や必要な資料の作成、12月議会に向けての資料収集の手配をする。昼食前に柏崎をでて、 新潟市体育館で開催される極真空手の大会「青少年育成チャリティー第2回オープントーナメント上杉謙信杯 新潟空手道選手権大会」に行こうと思っていたが、相談や緊急の仕事の依頼電話があり、タイミングを逃してしまった。_1 今回の空手大会には、(有)めしやとして協賛したので、招待券をもらっていた。是非、会場にいって、久々の格闘技の空気を吸ってリフレッシュしたかったが、緊急の仕事もあり、仕方なくあきらめることにした。大会パンフレットには、「皇国の興廃、この一戦にあり!」と書かせてもらった。イっちゃっている経営者と思われたことだろう。

_1  14時過ぎに昼食。靖國神社でもらった鰹節「撤下神饌」(てっかしんせん)に醤油を入れて「おかか」を作り、それを具におにぎり2個。納豆は、保谷食品「有機小粒カップ3」。甥っ子はおにぎりを口に入れたままオネム。器用だ。人の縁とは不思議なもので、おにぎりをほおばりながら届いた郵便物を見ていたら、先日のA嬢と同じく、新潟5区の米山隆一氏の選対をやったA氏から京都土産として昭和天皇のカレンダーが届いていた。『耐え難きを耐え、忍び難きを』忍んでいる?ところなので、ありがたいプレゼントだ。早速礼状も書く。16時、上野商会に整備してもらったATV50を取りにいく。さすが整備後なのでやたら調子が良く快適。ATVはミニカー登録してあるので、ヘルメットはかぶらなくて良く、さらには制限速度は60km/hである。もともと頭がでかいので、入るヘルメットがなかなか無いが。風をたっぷり受けてとにかく気持ちがいい。自宅に戻ってからもひたすら資料の整理。

200511131920000  19時、昨日のお礼も含めてN嬢と「牛角」へ。生ビール2杯、ゆずはちみつチューハイを潤滑”酒”に、塩カルビ、黒ガーリックハラミ、ガッチャン、ホルモン各種、特盛りライス、参鶏湯など腹一杯まで食べる。安い方の肉だと乳牛あがりのような感じで乳臭いのが気になった。自宅に戻り、母に運転を頼み、新潟市議補欠選挙の関係で山本あきこ氏の事務所に行こうとしたところ、祖母が独りになるのはさみしいとのことだったので、結局行けずじまい。酒を飲みながらの夕食にしなければ良かったと反省。

 新潟市議補欠選挙で山本あきこ氏が無事当選とのこと。彼女とは原子力発電、国防をはじめ政治スタンスは違うが、違うがゆえ一緒に勉強する場である「にいがた70年代議員の会」の仲間として大切に思うし、若い世代の代表として頑張ってほしい。とにかく当選されたことを喜ぶとともに、新潟市議会議員としての今後の活躍を願うばかり。

 ブログや資料整理ののち、3時過ぎ机上で就寝。

2005年11月12日 (土)

音楽三昧:柏小、ファンダンゴ

 1時近くに自宅に到着。母が弟の手伝いで埼玉県に行っているので、祖母しかおらず祖母が心配で寝られないと起きてきた。とりあえずお茶を入れてあげて、土産話をし、寝てもらう。風呂に入り、ビール500mlを勢いよく2本。『SAPIO』を読みながら、2時過ぎに爆睡。

DSC01814 7時過ぎに起床。母がいないので、冷蔵庫にあった舞茸などの茸数種と油揚げ、里芋で味噌汁を作る。祖母には、たらこのおにぎり1個と味噌汁。祖母の食事の支度を準備していたら時間がなくなったので、急いでシャワーを浴びスーツに着替える。たらこのおにぎり1個と金城納豆「しそ納豆」、牛乳1杯で朝食。母校である柏崎小学校に行く。今日は、平成17年度の音楽会。音楽会前に校長室で懇談。校長先生から、新潟県内の他の小学校や中学校では、小学校6年生と中学1年生の交流企画があるのに、柏崎ではなぜないのだろう、というお話があった。今日は、第一中学校も午後から音楽会で、6年生は聞きに行くそうだ。自分もそう思ったが、聞きにいくのではなく、ステージで1曲やらせてもらえば良いと思う。ただ相手がある話なので、教育委員長などから提案をすべきであろう。音楽会は、太鼓クラブの「えんま太鼓」からはじまった。1年生、3年生、5年生が楽しげに歌った。1年生の女の子が一所懸命に歌っている姿を見ると、ただただ可愛い。男の子より女の子に目がいくのはどうしてだろうか。PTA会長さんにそのことを言うと、早く嫁をもらったらとアドバイスを頂戴する。低学年の女の子を見て、可愛い、可愛いと周りに言ってしまったが、よくよく考えると独身30過ぎ男の言動としては怪しまれる感じがする。今回の音楽会では、小学校の音楽会には初めて登場という柏崎少年少女合唱団が2曲歌った。団員が不足しているとのこと。歌った曲のうち1曲はインドネシア民謡の「ママのそばで」。思わず、大東亜戦争においてインドネシア独立のためにいかに日本人が戦ったのか、インドネシア独立記念日にはいまでも日本兵の格好をした人も登場し、日本に感謝しているという話をしたくなった。是非、こういった歴史も生徒に教えてほしい。PTAの合唱、マーチング、大正琴クラブ、2年生、4年生、6年生と続き、最後は会場にいる全員での合唱。 卒業生の東京芸大非常勤講師の小林弘人氏が作曲した創立130周年記念歌「みんなの宝物 柏小」を歌う・・・が、出だしを間違った。指揮者は音楽の指導教師、同級生である。小学校、中学校と同じだった同級生が音楽指導の先生となって母校に帰ってきていることに、嬉しさを感じると同時に、なんとも言えない不思議な気分になった。音楽の先生が指揮棒を上げた瞬間に、向きを変え、歌い出す。小学校のとき一緒に歌った子がいまは先生で、自分は来賓・・・・しかもNHKのど自慢で出だしを間違う高齢の出場者なみに、出だしを間違う。不思議な感覚である。

DSC01817 11時過ぎ、音楽会終了後、急いで自宅に戻る。案の定、祖母がお腹が減ったと言う。魚醤、とろろ昆布ですまし汁を作り、頂き物の五穀赤飯、漬け物、飯塚元市長から頂戴した新道の柿、巨峰をデザートに祖母の昼食にする。DSC01819自分用には、朝作ったおにぎりの残り1個、妹が作ったシチューの残り、茸の味噌汁、鯖のみりん干し、山形県の加藤敬太郎商店「酒田納豆」。食後、ご相談の方が見えられて打ち合わせ。16時までビッチリの長い打ち合わせになってしまい、他の仕事ができなかった。17時、妹の友人に不幸があったとのことで、妹がお通やに行く関係で甥っ子を預かる。18時近くに、高知出身で現在は都内におられるNさんから電話があり、都内にくる予定を聞かれたのでお答えする。実は、お見合いの話で日程調整だった。優しいおばさまであるNさんの「スーツで着てね」との言葉で終わり、結局17日に都内で会うことになった。

DSC01820 甥っ子と遊びつつ、夕食の支度をする。大きい椎茸をもらったので、そのまま焼いて生醤油で食べるか、他の料理にするかどうか迷う。祖母に聞くと、寒いのであったかい食べ物がほしいと言うので、椎茸、油揚げ、白菜、卵を使った煮込みうどんを作ることにした。DSC01823だしはイリコだしを使った醤油ベース。隠し味に八丁味噌と粉チーズ(パルメザン)である。意外な技であるが、コクをだすのに粉チーズは有効だ。祖母が食べているのを見て甥っ子も「あ~ちゃん、ウマウマ」と言う。ここが叔父さんの腕の見せ所。白だしを基本に少し煮詰めたり、塩を足したり調整して、だし汁を作り、生卵と一緒にご飯へ。DSC01826だし汁の卵かけご飯であるが、そのままで終わっては納豆野郎の名折れ。しっかりとタカノフーズ「おかめ納豆 副将軍」をのせた「納豆ウマウマ卵かけご飯」の完成である。甥っ子は、来年の2月には2歳。食事も自分で食べられるようにしなければならないので、スプーンを使って自分で食べさせる。ただし、食べている間はそばにいてやるようにし、うまく口に運ぶ度にほめてやる。「ほめてやらねば、人は動かじ」?。「ご馳走様でした」もしっかり頭を下げて感謝するよう教え込む。今日も叔父さんはスパルタである。残りものとシャウエッセン3本、食パン2枚で自分の夕食。母も妹もまだ帰ってこないうえ、甥っ子、祖母が寂しがるものの、ライブに行く約束をしてあるので、自宅をでなければならない。無理を言ってN嬢にお願いし、家にいてもらうことした。

_1 19時、K嬢、大学生のI嬢、S嬢とその彼S君とともに南町「BIRDS」へ。生ビール1杯、バーボン1ショットを飲みながら、ライブを楽しむ。結成4年目となるファンダンゴ。普段はサラリーマンをされているが、アコースティックを中心にした歌、そして笑いをとるトークと選曲。 お気に入りのアーティストである。名曲「ホームタウン」は、是非、企画中である柏崎CM(チャンネル桜のCM枠を予定)で使わせてもらおうと思う。歌詞の「切ないときにはいつでも支えてくれる日本海」部分を是非CMにかぶせたい。次の登場は、Mojya。ボーカルやコーラス、ギターはもとより電子バイオリン?が心地良い。「スカイハイ」などの懐かし曲もあり、さらにはファンダンゴの2人もオススメというカリフラワーズを是非見たかったが、電話がきたことと、自宅にN嬢と甥っ子、祖母をいつまでも置いておくわけにはいかないので、残念ながら21時に帰宅。妹が既に甥っ子を引き取りに来ていたそうで、母が帰宅しており、N嬢も帰ったようだった。ここ数日にきた郵便物の整理やブログを書く。今日も遅くなりそうだ。

 ライブでインスパイアされたので、仕事をしながら懐かしの「アースシェイカー」「44マグナム」のアルバムを連続でかける。アースシェイカーの2ndアルバム「FUGITIVE」はいま聞いても良い。

2005年11月11日 (金)

潮匡人氏、西村幸祐氏

DSC01805 4時過ぎから6時ぐらいまで仮眠。マンガ喫茶とはいえ、リクライニングシートなので、それなりに仮眠できる。

 朝食に、昨日買った「フランスみそ」(ブリアンパン菓子店 沼田市上原町1610 お客様相談室 沼田市西倉内町679 0278-23-8181)「牛角食堂 焼肉風味 醤油だれ納豆」。フランスパンに甘い味噌だれを塗ったフランスパンだが、なかなかイケる。_1割り箸を持ち合わせていなかったので、ドリンクコーナーにあったストロー2本を箸にして納豆をかっ込む。静かな寝息、マンガのページをめくる音程度の静寂の空間に響く納豆の音と香り。視線が痛い。10時過ぎ、新宿に移動し、高島屋の地下食品売り場をウロウロ。塩納豆をはじめ、各地区の納豆を購入。ついでに珍味コーナーを試食しながらまわる。周りには、定年後、オカーサンに渋々ついてきたオトーサンや元気ハツラツのおばちゃんばかり。_2まずは、大好物である「ほやの塩から」(十字屋 宮城県塩竃市藤倉3丁目5-14)を購入。ビールの肴はさることながら、熱っーーいご飯にのせ、その上から冷たい水をかけて食べるのもオツなものである。キュウリを千切りしたものと和えてもいい。以前に梨の千切りも入れてみたが、これもなかなかの出来であった。珍味の楽しみと言えば、あえて買ったことがないものを買ってみる冒険もある。そこで目についたのが、「かつお塩から」(横田屋本店 宮城県気仙沼氏八日町1丁目4-8 0226-22-0175)。瓶をのぞき込むと、ドロリとした粘りけあるブツが見える。思わず購入。_1そうこうしているうちに歯医者の時間となったので、新宿の歯医者で歯石の除去。30分程度で終わったが、次回は3時間程度かけての徹底したクリーニング。いままで虫歯で悩まされてきたので、ここら辺で完全に直したいと思う。昼食は昨日頂戴したサンドイッチや総菜を新宿の公園のベンチで食べる。近くの自動販売機に「ドクターペッパー」があったので購入。高校3年生のとき、アメリカのシアトルでお世話になった家族に「ドクターペッパー」教育を受けたので、いまでも見つけるとつい飲んでしまう。いかにも体に悪そうな味が、なぜか癖になるのである。そのまま渋谷に移動し、チャンネル桜へ。A嬢とも現地で待ち合わせ、担当者であるS嬢と雑談。ちょうど評論家として『正論』などでご活躍の潮匡人氏とお会いしたので、ご挨拶ののち、日本海のメタンハイドレートについてなど雑談。潮氏は航空自衛隊入隊後は第304飛行隊、長官官房広報課等を経て、三等空佐で退職され、現在は評論家。軍人出身の知識を活かしての論評は参考にさせて頂いている。



 潮氏がお帰りになったのと入れ違いに、フリージャーナリストの西村幸祐氏にもお会いした。「是非、新番組『今日の国賊』をお願いします」と訳の分からないことなど言ってしまった。西村氏の著作、論評には大変鋭いものがある。

 その後A嬢を含めて、チャンネル桜・水島社長と3時間ほど打ち合わせ。A嬢に交通費を渡し、新幹線で帰ってもらうことにして、新宿に移動。TV企画のリサーチ等の打ち合わせ。せっかくなので紀伊国屋で本あさり。袋いっぱいに漫画、小説、歴史、政治、経済ものを買い込み、愛車にて帰路につく。

2005年11月10日 (木)

ゼロ・トレランス運動

 4時から6時まで仮眠し、修正作業続行。他に作らなければならないFlashアニメも3本ほどあるので、完全に尻に火がついた感じである。本当は、12月議会にむけての政策研究をしたいところだが・・・。10時に朝食。_1 目玉焼き2個、フランクフルト・ソーセージ2本。大粒納豆、白菜と油揚げの味噌汁(九州の麦白味噌)にご飯である。急いで洗い物をしてしまったので、自分用のご飯茶碗を割ってしまい、今日からはキティちゃん横浜ラーメンについてきた丼。小さく持ちやすい。ちなみに、ウインナーとフランクフルトは異なる。基本的には同じソーセージに属するが、ケーシングに羊の腸を使用したものがウインナー、豚の腸を使ったものがフランクフルト、牛の腸を使ったのがボロニアである。日本国内のJAS規格では、腸の種類に加え、太さで規定している。プログラム作業の続きや相談事の対応をしている間に12時近く。12時からステーキとハンバーグのお店「陽気家」(電話:0257-23-5595)で、倫理法人会の拡大会議。980円(税別)のハンバーグランチを食べながらの話し合い。ランチは、茸のコンソメスープ、コールスローサラダ、ライス、フレンチフライ、コーン、さっぱりしたデミグラスソースのハンバーグ。シメはオレンジジュースにした。13時に会議が終わり、柏崎駅にA嬢を迎えにいく。各社への支払いや銀行での手続きを柏崎市内で行い、そのまま愛車プリウスで都内へ。A嬢は、新潟5区に出馬した米山隆一氏の選対をやった人間であるため、政治の話で盛り上がる。_2 都内のある方に紹介するために今回お誘いした。途中の休憩として、赤城高原SAへ。 巨峰ソフトクリーム300円とあり、バニラとのミックスにするか、単体にするのか悩み、結局、単体にする。ソフトクリームとは名ばかりで、結局は巨峰シャーベットのような、ジェラート系の味わい。失敗した。植物性油脂ではない方のバニラソフトにすれば良かった。_2車の移動では、高速道路各SAのソフトクリームを食べ歩きするのが常だ。今回は失敗である。その後、売店をウロウロしていると、「フランスみそ 126円」というのがあった。どう考えても、「フランスパン みそ味」だが、その表記の仕方が気に入ったので、思わず購入。明日の朝食にする。17時過ぎにA嬢をおろし、18時、鶯谷の某社にお邪魔する。DSC01800副社長とのお話だったが、外食はせずに弁当を買って、会社のミーティングルームでゆっくりと話すことになった。 ちらし寿司弁当をはじめ、某社の商品である各種のお総菜から何から、大量の夕食。副社長との話はかなり盛り上がり、なぜか小村寿太郎や前田光世などの歴史人物の話から、石破元防衛庁長官や国賊国会議員は誰かという話まで。20時過ぎまでの充実した時間となった。21時に再度、友人と飲み会だったA嬢と待ち合わせ、A嬢をビジネスホテルに送り届ける。そのまま駐車場が近くにあるマンガ喫茶に行き、プログラム修正作業の続行。満腹のため、作業がなかなかはかどらない。徹夜を覚悟。

DSC01793

 先日お会いした浜松市倫理法人会の方からお葉書を頂いた。「ゼロ・トレランス運動」についてである。いまアメリカでは、変な「寛容さ」(トレランス)なしというゼロ・トレランス運動が盛んになっている。、「自由化」「ヒューマニズム」や子供の快適さをというスタンスからの反作用であろうが、この運動には賛成である。日本への適用事例などを含めて、もう少し研究し、柏崎の子供が「世界に通じる素晴らしい人物」になるよう議会でも提案したい。

2005年11月 9日 (水)

柏崎市の老人事情

 仮眠だけと思っていたが、意外に寝てしまい2時に起床。日本テレビ『世界まる見え!テレビ特捜部』の納豆コーナー(12月5日放送予定)などのリサーチをはじめ、各種メールの処理。いまだに3ヶ月前のメールでも返事していないものがあり、申し訳ない限りだ。5時過ぎ、サイレンがけたたましく鳴り響いた。何か起こったのか。5時30分家をでて、倫理法人会の経営者モーニングセミナーへ。_1 今日の講師は、柏崎刈羽福祉事業協会理事長であられる田中哲男氏。テーマは「柏崎市における老人の生活」。柏崎市の65歳以上の老人が占める高齢化率は25.2%(全国平均19.5%)、4人に1人が65歳以上の老人であり、介護保険の認定率は16.3%。高齢者単身もしくは高齢者同士での世帯は、柏崎3万3000世帯中、6500世帯で19.6%。つまり、5軒のうち1軒は高齢者世帯であり、まさに「高齢者が高齢者の面倒をみる」時代といえる。しかも点在しているのではなく、集落によって集中しており「オラほは、老人班だすけ」という声も聞こえる。田中氏は71歳、老人のお世話をすることを、江戸時代の平戸藩の藩主、松浦静山(静山松浦清)が書いた『甲子夜話(かっしやわ)』から説かれ、大変勉強になった。またご本人の普段の勉強についても、孟子の人倫、孔子、いま取り組んでおられる老子の立戒章第四十四についてもお話になり、皇紀2600年に小学校に入学して以来の勉強家ということがよく分かった。ご本人が「皇紀2600年に小学校に入学」とおっしゃった時点で、「お~零戦艦上戦闘機」と思った自分が恥ずかしい。ちなみに、よく「ゼロ戦」という人がいるが、正式には「レイ戦」である。連合国が「カミカゼ、ゼロファイター」と呼んだこととの混同であろう。田中氏は柏崎市役所勤務時代、豪快な手腕を発揮した飯塚前々市長につかえ、亡き父も大変お世話になった方だ。飯塚市長時代には、若い者にこそ、海外を見せて勉強させ、人材を育成するのだと提案し、数年間だけ実現したのが、「青年海外派遣事業」である。20歳になった者が、面接と論文にて試験をうけ、予算100万円のなかで自由に立案し、海外を見て、勉強せよ、という事業。数名しか行っていないと思うが、実は私も受験し、勉強にいかせていただいた。面接と論文を提出し、アメリカ国内での原子炉の廃炉(デコミッション)、ボランティアを見てきたのである。ボランティアは、いまでこそセックス・ボランティアは話題になっているが、当時に見たときには衝撃が走った。障碍者も性欲がある普通の人間なんだ、と捉え、処理してあげるボランティア。もちろん、報告書には書けず、「せ、せ、性に大らかなんだな」とビビったままであった。また、原子炉の廃止、つまり原子力発電所が撤退した町が、野っぱらと管理棟のみになり、完全に廃れてしまったのもこの目で確認してきた。DSC01780とにかく当時の関係者の皆さんには感謝ばかりである。若者を育てることを説かれた田中氏にも感謝のしようもない。講演が終わり、レストランのビッフェで朝食。その恩人の前で、あまりの空腹に朝から大飯を食べてしまった。よく考えたら2時から水も何も飲んでいなかった。いかにも早死にしそうな生活である。

_1  8時過ぎに自宅に戻ると、甥っ子がまた遊びにきていたので、相手をする。今日は母がいないので、祖母の面倒を私がみる番である。9時前、急に祖母が「ヘタヘタする」といって倒れ込む。病院にいくかどうか、迷うが、本人が大丈夫とのことだったので、結局そのまま寝てもらった。10時からの電話とインターネットでの打ち合わせが長引き、お昼になってしまった。時間がないので、甥っ子には卵かけうどん、祖母にはレトルトカレーを使ったカレーうどんである。同時に一つの鍋で作る「手抜き」をしてしまった。朝飯をたっぷり食べたので、昼食は抜きにした。

 先日納品したプログラムにバグがあったとのことで、午後はシコシコと修正作業。4時過ぎ、甥っ子を引き取りにきた妹がミスタードーナツを買ってきたので、エンゼルフレンチを2個もらう。あまり甘いものは好きではないが、エンゼルフレンチはOKだ。DSC01788 17時前に、祖母がもうお腹が減ったというので、カツ丼を作る。白菜と油揚げの味噌汁、カボチャの煮付け、らっきょなどの漬け物にした。祖母はドーナツも一緒に食べたのに、よく食べる。19時から青年会議所の委員会に出席。21時前に自宅に戻る。DSC01792母が富山に行っていたので、お土産として「ブリ寿司」と宇奈月ビールをもらう。「ブリ寿司」を夕食にするが、なぜか半分食べてあり、「アンタが太るからね」と母の優しい?心遣い。プログラムの修正、メールなどでこもりっきり。_1

 

 

2005年11月 8日 (火)

名越二荒之助(ふたらのすけ)先生

 話が盛り上がり、生ビール、生ハムメロン、枝豆で軽く飲み飲み。1時頃別れ、車のなかで仮眠。愛車プリウスで寝るのも慣れた。

 6時過ぎに自宅に戻り、郵便物の関係を処理。

_1 8時過ぎに、あさりの味噌汁(今日は信州米麹の味噌)、ご飯、旭松食品のマヨネーズ納豆(マヨネーズとタレがデスペンパックになっており便利になった)、2個目玉焼きで朝食。
_1 甥っ子が遊びに来たので、甥っ子と一緒に食べるが、甥っ子を膝の上に乗せて食べても、世話に慌ただしく、食べた気がしない。
 「おじちゃん」とはまだ言えないので、「あ~ちゃん」であるが、「あ~ちゃん、ウマウマ」と言われたら、スプーンの上に食べ物をのせる。口に運ぶのは自分でやらせるが、当然こぼれるので世話が大変。

 食後、各種事務手続きをしつつ、電話での相談やパソコン関係の発注が相次ぎ、あわてて合併特別決算委員会に出席。案の定、合併時に関わる事務手続きの不手際に関して激しい質疑がある。この不手際のなかには、「優しさ」がかえって裏返ったものもあり、例えば某第3セクターへの行政の減資(出資の放棄)が5000万円ほどあった。その際の赤字は600万円程度。通常、減資をする行為はその会社の信用度を落とすことになるので、株主総会などでは激しく議論されるところ。そもそも、1億円規模の会社における600万円の赤字で減資はありえない。行政として、第3セクターを助ける「優しさ」の意味での減資であったかも知れないが、まずは「株主平等の原則」を破っている。今までは、行政の出資が75%、株主総会でも絶対多数であり、減資に必要な特別決議もできる。しかし、行政の出資だけを減資したことによって、相対的に他の株主の価値が上がるのである。行政が75%から50%に出資比率が落ちた変わり、いままで10%の株主が20%以上の株主になった。また、この行為を第3セクターゆえ議会で承認しているが、第3セクターの社長を当時の現職町長がやっており、経営者としての立場で株主総会で決議、その後、議会においては首長として議案を提出と健全ではない。その他にも土地の買収にかかわる登記の問題などがあり紛糾。

_1 昼食は、市役所近くの「チャイナハウス 日囍」(電話:0257-24-7219)でタンタンメン 600円。テーブルの上にあったラー油をたっぷり注ぎ、コク辛にして食べた。夕方、某ホテルのレストランで打ち合わせ。ヒレカツ定食、生ビール3杯。ご馳走になってしまった。21時に帰宅し、一度、仮眠をしてから仕事をすることにする。

DSC01789 今日、名越二荒之助先生(著作多し。公式サイトはこちら)から激励の葉書を頂戴した。
 最後には

「小生既に八十二歳。
 あとの日本をよろしくお願いします」

とあった。縁起でもない。
 名越先生は大正12年、岡山県生まれ。山口高商を卒業し、ソ連に抑留され、復員後、高校教諭・教頭を歴任。元高千穂商科大学教授である。ban
バングラデシュパラオ(アンガウル州は公用語が日本語)などの親日国の国旗を並べるパフォーマンスでも有名。大東亜戦争時、そして戦後における本当の朝鮮半島、台湾などとの交流を伝え、またソ連抑留の厳しい実体験を知る方として貴重である。
palau 田形先生同様、ご高齢であり、是非、早めに講演会を企画したい。来週の皇室典範問題の集会でお会いするので、その際にでもお話したい。激励の葉書の御礼がてら、長生きをしてほしいとの意味もこめて、納豆を送った。なにせ、名前が「二荒之助」である。伝票を書く手にも力がこもる。日露戦争に行き、奉天の会戦にも参加した名越先生のお父上は、子宝に恵まれなかったため、日光の二荒山(ふたらさん)神社にお参りしたそうである。二荒山には、男体山と女峰山、そして真ん中に、子宝を授かる太郎山があり、願を掛けたことから、名越先生のお名前は「二荒之助(ふたらのすけ)」。
 妹の友達には「りんご」ちゃんと「りんどう」君がおり、植物系の名前もいいな、と思っていたが、「二荒之助」にはまいった。「隼」や「大和」「武蔵」も捨てがたい。田形先生の意志を継ぐ意味で「飛燕」か。はたまた「月光」。ここまでいくとシャレ・・・・とは言うのの、お嫁さんがいないのが現実だ。

2005年11月 7日 (月)

掃海艇うくしま(すがしま型1999)

 7時起床。昨日届いた『CASINO japan』(japanがすべて小文字なので漆器という意味にとられる)や『正論』『論座』などを読む。『正論』では、先月号でチャンネル桜の水島社長が「なぜですか!石原さん」とA級戦犯、靖國神社への考え方で噛みついたので、石原都知事がどう反応するのか興味深く読ませてもらった。朝食をとる間がなぜかなく、問い合わせの電話などもあり、第一部決算特別委員会にちょっと遅刻。昼食は荒城議員と市役所近くの「サッポロ」でチューシューメンの大盛り680円(デジカメを持参忘れ、撮影できず)。さっぱりラーメンなので、あっと言う間に完食。このお店はご夫婦で営まれているが、店の雰囲気には懐かしさをはじめ、なかなかのものがある。午後からは、大変「仲の良い」?教育委員会の審議。先日の産業大学の件も取り上げたいが、大学への補助金のことは教育委員会、その他のことは企画政策課であり、答弁にならない答弁が続く。「私の組織縦割りでダメでゲス」と聞こえる。12月議会で追及することにした。委員会終了後、各種手続きや会社関係の発送。今井議員の事務所にお邪魔し、明日の合併決算特別委員会での認定についての意見交換。旧高柳町、旧西山町には今後も頑張ってほしいし、応援もするつもりだが、合併時の事務処理の不手際については、キチンと追求し議会の意志をしめさないと、なぁなぁの議会になってしまう。井上和彦さんから電話を頂き、先日の放送を見た視聴者から届いた感想などを教えてもらう。全国から「柏崎への海上自衛隊誘致」に賛同の声が元自衛官をはじめ、多く届いているとのことで、嬉しくなる。_1安売りになっていた、マグロや鯛、サーモンの切れっ端が入った刺身に山芋、納豆をかけたもので軽い夕食。19時から柏崎青年会議所の11月例会に出席。今年青年会議所を卒業される先輩のスピーチ大会で、笑いあり、感動ありの味わいのあるスピーチであった。すべての卒業生のスピーチが終わったところで、失礼ながら21時に退席。長岡まで車を飛ばす。長岡では遠く某県から、本人も忙しいなか時間の合間を見つけて新幹線で来てくれた。今後の事業拡張もあわせ、話がかなり盛り上がる。

_1  偶然、コンビニで安売りになっていた食玩を購入した。角形並列煙突という特徴をもつ掃海艇「うくしま」である。機雷を排除する掃海艇は遠くで見たことはあったが、以外にも小さく驚いた記憶がある。機雷は船が触れると爆発するものが主流だが、なかには非接触でも船の磁気や音などを感知して爆発するタイプもあり、その除去は面倒。磁気機雷に対処するため、掃海艇の船体はでできている。エンジンも銅合金を多用するなど、磁気を帯びて、磁気機雷に反応しないように設計されている。装備品である20mm多銃身機銃JM61は、敵を打つという自衛用というよりは、浮遊・浮流機雷を銃撃処分するためのものである。

以下、食玩の説明-------------------

 湾岸戦争時にペルシャ湾に派遣された海自掃海隊は、担当海域の機雷排除を完璧にやり遂げ賞賛されたが、反面、潮流が早く水深の浅い海では従来の機雷掃討具が役立たず、やむなく危険な潜水具による爆破処分に頼らざるを得なかった場面があった。1999年から就役が始まった「すがしま」型は、この教訓から最新の機雷掃討機器を搭載した中型掃海艇である。ソナーで機雷を見つけ出し、これをROVと呼ばれる遠隔制御の無人潜航艇で爆破する機能を重視しており、掃討システムに定評ある英「サンダウン」型と同様のものを採用し、一気にその能力を強化している。

2005年11月 6日 (日)

東條由布子氏:天皇に責任なし、責任は我にあり

_1_1  6時に起床し、資料整理と一部決算委員会用の資料の確認。今日は無性に「豆味噌」系が食べたくなったので、中粒の納豆に三重県「伊賀越」の豆味噌「秘伝 玉みそ」、砂糖を入れて、大太納豆巻きを作った(しょうが漬けを刻んだものか大量のネギを入れれば良かったと反省)。味噌汁も豆味噌を使って、具は高柳の油揚げとネギ、わかめ。朝食と昼食一緒のブランチ。甥っ子にも豆味噌の味を覚え込ませる。東京に出張の予定であったが、相談の電話や会社の新しい営業資料、そして頼まれていたプログラムを一本仕上げるため予定変更。とにかくこもっての仕事。夕食は引き続き、昼に作った大太納豆巻き。久しぶりのDelphiでの開発なので、まともに動くまでに時間がかかる。ビール「一番しぼり」500ml3本を飲みつつ、魚肉ソーセージ、納豆1パックで、眠気と戦って最後の追い込み。3時ごろ就寝。

 そういえば、「第14回全日本おにぎり選手権、そば打ち選手権」では、大会出場9回、神奈川県の方が25個で優勝したそうだ。来年は出場しようと思う。

_1 先週、東條英機元首相のお孫さんにあたる東條由布子さんからお手紙と一緒に、GHQによって発禁になった『東条英機宣誓供述書』の復刻版であるワック出版『大東亜戦争の真実―東条英機宣誓供述書』が届いた。この本は、戦後封印されていたものを解き明かし、すべて「日本が悪」という意識から脱皮できると評判で、初版から2ヶ月で第6版まで増刷されている。既にこの本自体は手元にあったが、由布子さんのサイン入りではなかったため、こちらを書庫に入れることにする。

 由布子さんとは、先日ある団体の総会でご一緒し、色々とお話させていただいた。納豆好きとのことだったので、納豆好きとおっしゃった方への「お約束」で納豆をお送りした。今回頂いたお手紙のなかに、印象深い一文があった。

 「野分けにも負けるな伸びよ若すすき」
      祖父の言の葉 胸に迫りて
 大空に散りにし若人(子等)に言の葉も
      なしと言いつつ祖父は追い逝く
                   由布子

 東條英機元首相は東京裁判においてA級戦犯とされたが、講和条約が締結されたこともさることながら、昭和28年8月3日第16回国会 衆議院本会議  第35号「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」では全会一致となり、戦犯からの名誉回復がされた。ちなみに当時の国会の記録では全会一致になっているが、共産党は違うと主張している。「小会派クラブ」に所属しており、一議員としては反対したと言うが、会派では賛成している。会派で議会運営を行うことを考えれば、今更ながら個人的には反対であったと言ってみても、会派としての賛成が記録されている以上、そこは政治の論理が働くだろう。話を東條英機元首相に戻せば、もう戦犯ではないが、戦争責任者であることは紛れもない事実である。お孫さんである由布子さんも戦争責任者としては、祖父の責任にも言及しており、「正論」である。以上のことをふまえて、東京裁判を扱った書籍や映画が数あるなかでは、アラカンこと嵐寛寿郎が東條英機元首相を演じた『大東亜戦争と国際裁判』が最高ではないかと思う。いまは無き、新東宝の作品。


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モラロジー研究所『れいろう』2005年11月号

 誇りを持って 凜として生きる
        この人に聞く 東條由布子さん

-終戦60年。いまだに祖国へ帰ることのできない
英霊は、はるか異国の地でわれわれの戦後を見守り
続けてきた-。NPO法人「環境保全機構」理事長と
して、大東亜戦争で散華された英霊の遺骨収集や
慰霊活動に尽力される東條由希子さんに、現在の
活動に対する思い、誇りを持って生きることの
大切さについてお話をうかがいました。

とうじよう ゆうこ
 昭和14年、東條英機元首相の長男・英隆氏の長女と
してソウルで生まれる。第一生命保険相互会社勤務の
後、明治学院大学に進むが結婚のため中退。
 4児の母となったのち、国士舘大学教育学科に編入
し、63年に卒業。現在はNPO法人「環境保全機構」
理事長としてペリリュー島での遺骨収集活動や東京裁判
で処刑された昭和殉難者を祀る殉国七士廟と120の
部隊碑がある愛知県幡豆町三ヶ根山で
「ゆうとぴぁ三ヶ根」の運営などに尽力。編著に
『大東亜戦争の真実』(ワック)著書に
『祖父東條英機「一切語るなかれ」』(文書文庫)、
『東條家の母子草』(恒文社21)がある。

異国の地で草生す屍

・NPO法人「環境保全機構」は、どのような活動を
 されているでしょうか。

東條 大きく二つの柱があります。一つは、
   「東京裁判」で処刑された昭和殉難者を祀る
   殉国七士廟と百二十の部隊碑がある愛知県幡豆町
   の三ヶ根山で「ゆうとぴぁ三ヶ根」という無料
   休憩所を開設しています。戦友やご遺族の方も
   ご高齢になられ、草に埋もれていた部隊碑も
   ありましたので、英霊に申し訳ないという思い
   から運営させていただいています。
   もう一つは、南洋諸島に放置されているご遺骨
   の収集です。戦後五十年の平成七年に、パラオ
   共和国・ペリリュー島で日本軍と戦った米国の
   元海兵隊員の方が戦跡調査をされ、「島内の
   至る所に日本兵の遺骨が放置されているから
   収集に協力してほしい」という依頼があったの
   が始まりです。
   ペリリュー島では、当時南方随一の飛行場を
   死守するための熾烈な洞窟戦で、一万二千人の
   日本の兵隊さんが玉砕され、今も約七千柱が
   残されたままです。祖国のため、家族のために
   戦場に散った方々の深い思いと尊い犠牲がある
   からこそ、私たちの平和な暮らしがあるという
   のに・・・・。ご遺骨が洞窟に散乱している
   状況を見ると胸が痛みます。
   本来は国が責任を持ってやるべき事業ですが、
   なかなか動いてもらえませんので、この惨状を
   多くの方々に知っていただき、ご協力を
   呼びかけたいのです。そのために私自身が率先
   してやらなければと思っています。

*殉国七士廟
 東條英機元首相をはじめ、松井石根元陸軍大将、
 土肥原賢二元陸重大将、板垣征四郎元陸軍大将、
 武藤章元陸軍中将 木村兵大郎元陸軍大将、
 広田弘毅元首相の7人を祀る

・現在の活動の原点には、おじい様である東條英機元
 首相の思いがあるのでしょうか。

東條 祖父の遺書の中に、「異国の戦場に残された
   同胞の遺骨を一刻も早く日本にお返しし、自分
   たちが処刑されたことを機会に、戦勝国も負けた
   国も、中立国も合わせて慰霊祭をやってほしい」
   という願いを遺しています。ですから、生きて
   いたら必ず遺骨収集をしただろうと思います。
   しかし私は、東條の孫というより、一人の
   日本人として放置できないと思っています。

東京裁判史観を断ち切る

・最近、テレビや雑誌によくご登場されていますね。

東條 戦後六十周年の今年は、五十社を超える取材が
   ありました。こうした活動を誤解される方が
   いらっしやいますが、祖父の復権などという
   私心はいっさいないのです。祖父は「国内的
   には七度生まれ変わっても償えないほどの罪を
   犯している」と言って、天皇陛下と国民に対して
   の責任をとるために死んだわけですから。私が
   訴えたいのは、「日本=悪」という意図を待った
   連合国の東京裁判によって植えつけられた
   「東條=悪=先の戦争は侵略戦争
     =あの戦争を戦った軍人は侵略戦争の手先」
   という構図を切ることです。そのために、
  「東條=悪」という部分を変えたいというのが
   私の願いです。そうでなければ、命をかけて国
   を守り、愛しい人のために戦場に飛び立って
   行かれた方々に申し訳ないと思います。

・そもそも東條元首相は、開戦強硬派ではなかったとか。

東條 ええ。祖父は、「なんとか開戦を避けるように」
   という陛下の御心を受けて、さまざまな努力を
   続けましたが、ついに開戦に至ってしまいます。
   開戦前の十二月六日深夜、祖母は祖父の寝室から
   忍び泣きの声が洩れてくるのに気づきました。
   それは座して泣いている祖父の声でした。和平
   を希求される陛下の御心に心ならずも反する結果
   になり、開戦に至った申し訳なさで身も心も
   ちぎれる思いだったに違いありません。

・自決にまつわる卑怯で女々しいという人物像も
 事実とは違うそうですね。

東條 GHQのMP(憲兵)が来たので慌てて物陰で自決し、
   運び出された時に二十二口径の銃を握っていたと
   いうのは事実誤認です。
   祖父は、「大東亜戦争は国際法に反していない
   自衛戦争だから、連合軍が逮捕に来た場合は
   自決する。しかし、国内的には償いきれない
   罪を犯しているので、日本政府からの場合は潔く
   出廷する」と言っていました。自決当日も、MPが
   持ってきた逮捕状が日本政府のものではないこと
   を確認し、事切れるまでの時間をかせぐために
   家中の鍵を閉め、自室の入口にバリケードを
   築いて自決しました。その時の銃は、玉音放送
   録音盤奪取事件の責任をとって八月十五日に
   自決した古賀秀正が使っていた三十二口径です。
   祖父は、自決した娘婿の古賀(私の叔父)を
   とてもかわいがっていましたので。
   そして、当時の日本の医療では死に至るほどの
   多量の出血にもかかわらず、アメリカの最新の
   医療技術によって蘇生されて未遂に終わったの
   です。

・しかも、東條元首相はいっさい言い訳をされなかった。

東條 祖父は、軍人として政治家として、扱い慣れて
   いない銃だったから自決未遂に終わったという
   言い訳は絶対にしたくなかったのだと思います。
   しかし、昭和二十三年十二月二十三日、処刑
   される五分前に、教誨師さんに 「実は自決した
   のは古賀のピストルだったと妻だけには伝えて
   ほしい」と言い残していますし、昭和四十五年
   九月二十一日付の米軍CIC(対敵防諜部隊)の
   機密文書の中に、「自決に使った三十二口径の
   コルトと二十五口径の二丁と白布に包まれた
   腹切りナイフと最後の声明を押収した」と
   述べられています。
   こうした事実を曲げてまで、祖父を貶める必要
   があるのでしょうか、
   そこまでして当時の日本を貶める必要があるのか、
   と思うと残念でなりません・・・・・。

誇りを持って生きる

・終戦後、東條家にとって苦難の通が続いたそうですね。

東條 東條家には「一切語るなかれ」という不文律が
   あり、戦後の話はしてはいけないのですが、少し
   だけお話しさせていただくと、東條という名前が
   わかるだけで、「東條の家族にはものは売れない」
   と言われ、外に出るといじめられ、石をぶつけら
   れました。終戦直後の混乱期でしたので仕方の
   ないことですが、父と母がどんな思いで私たちを
   守ってくれたのだろうかと思うと胸がいっぱいに
   なります。手もとに二十円玉一枚しかなく路頭に
   迷うこともありましたが、両親は”心まで貧しく
   ならないように”と、海へ連れていったり、
   レンゲで首飾りを作ったりして、豊かな自然を
   存分に与えてくれました。わが子を育て、孫を
   持つようになり、両親の大きく温かい翼の中で
   育ててもらったことを感謝の念で思い出します。
・苦しい生活の中でも、お母様は誇りを持って生きる
 ことを教えられたのですね。

東條 弟が小学校に入学したとき、教室で「東條君の
   おじいさんはどろぼうよりも悪いことをした人
   です」と言われ、「おじい様は何をしたの」と
   母に泣いて問いたことがあります。そのときの、
   「そんなことはありません。おじい様はお国の
   ために一生懸命働かれた立派なお方なのよ。
   あなたたちは東條家に生まれた誇りを持ちな
   さい」という凛とした母の言葉が、小学五年生
   の私の心にも響きました。やはり、自分の家に
   対する誇りや国に対する誇りはとても大事です。
   家族を大切にし、国を大切にする元ですから。
   また、母は「おじい様の顔に泥を塗るような
   ことは絶対にしてはいけません」と言って
   いましたので、道を蹄み外しそうになる
   とき、その言葉が私を律する力として働いて
   いました。

・お母様は言葉づかいにも気を配られたそうですね。

東條 悪い言葉を使えば悪い子どもが育つということ
   です。例えば、「ご飯食べた?」と聞けば、
   子どもは「うん、食べた」と答えますが、
   「ご飯を食べましたか」と聞くと
   「はい、食べました」と答えます。自分の子ども
   を育ててみて、ほんとうに母の教えどおりだと
   思います。
   歴史についても同じようなことが言えます。
   「日本は悪い」と繰り返し言われれば、子どもも
   悪くなります。例えば、自分の会社は悪い会社
   で、よその会社に迷惑ばかりかけていると
   言われたらやる気をなくしますよね。日本が
   悪い悪いと教えて、若者たちの力が出るはずが
   ありません。現在の歴史教育を見直し、
   「日本はすばらしい国だ!」という自信と誇り
   を持った子どもを育てることが大切なのです。

天皇に責任なし 責任は我にあり

・GHQによる発禁第一号となっていた東條元首相の
 「宣誓供述書」が『大東亜戦争の真実』として
 出版されましたね。

東條 祖父の「宣誓供述書」との出会いは、
   平成十一年でした。
   私はよく神田の古書店街に、東京裁判について
   の本を探しに行くのですが、あるお店で分厚い本
   がうずたかく積まれている中に、一冊だけ薄い本
   の角が出ているのに気づきました。不思議なこと
   にそれが、『天皇に責任なし 責任は我にあり』
   という祖父の「宣誓供述書」でした。

・当時の「東條憎し」という四面楚歌の中、日本の立場
 を堂々と述べられていますね。

東條 宣誓をして検事側に提出する裁判の記録ですから、
   嘘偽りがないわけです。その中で祖父は、日本を
   弁護するのは自分しかいないと述べ、「そのため
   に、私は生き恥を晒してでもこの法廷に立たせて
   もらった」と続けています。さらに、日本を悪者
   にしようとする法廷で、死を覚悟して「断じて
   日本は侵略戦争をしたのではありません、自衛戦争
   をしたのであります」と日本の立場を主張したの
   です。これを読めば、当時の弱肉強食の国際情勢
   のもとで、必死に生き残りを賭けた日本の姿が
   わかり、いとおしく思えてならないでしょう。
   ぜひ、現代の尺度ではなく、あの時代の日本に
   自分を置いて、『大東亜戦争の真実』を読んで
   いただいて、日本人としての「誇り」と「勇気」
   を取り戻してほしいと願ってやみません。

2005年11月 5日 (土)

グラビアアイドル:山田沙耶香

 昨日、すっかり酔っぱらって録画し忘れたTBS系で放送されているドラマ『花より男子』。まだ「その他大勢」扱いであるものの、グラビア・アイドルの山田沙耶香が出演している。実は彼女は「いとこ」である。写真集やビデオ、彼女のファンサイトを見ると、気軽に「おーい、さやかぁ。アソビ行くぞー」と言って、もう連れて歩けないような感じになってきた。歳も一回り以上違うので、ヘタをするとしがないただの独身エロオヤジとグラビア・アイドルという、なかなかキッチュな構図となる。とにかく、生き馬の目を抜くような芸能界入りしたからには、目立つ活躍を願うばかり。気合いを入れて、頑張ってほしい。


 いつもより寝過ごしてしまい8時過ぎに起床。ご飯、納豆、うざくで朝食にし、その後、各種資料づくり。某町内会長さんがお見えになったので、予算要望についてお聞きする。祖母が散歩に行くという、顔を見ると今日はしっかりしていたので、「あんまり遠くへ行っちゃダメだよー」と言っておくりだした。母が一日いないため、祖母の面倒を見ることになっている。午前中は資料作成でいっぱい、いっぱい。12時過ぎ、祖母の食事を作ろうとキッチンにいくと、カップ麺をもった祖母がいた。しかし、カップの中は水。仕方なので、そのまま丼に移し、レンジでチンする。_1 自分用の食事は、昨日買った味の素フーズの『ベトナム・フォー。冷蔵庫の底にあった冷凍エビ2匹で多少ドレスアップ。山形県の篠原商店さんの納豆「山形の大豆を経木に包んだ納豆」とともに食べる。午後から市民プラザで行われている「連続講座・赤れんが棟を知る」に行こうと思ったが、祖母がお昼寝タイムにならず、また相談の方もおみえになったので、残念ながら聴講できず。

_1 祖母の夕食をあり物で作る。1匹ではなかなか火加減が面倒臭いが、銀ダラ焼き、ズイキの酢の物、魚醤をちょっと隠し味に入れた海老ワンタンスープ、かに蒲鉾があったので、キュウリと大根とマヨネーズで和えたサラダ、富山の鮭かまぼこを丼用に作ってあるタレで付け焼きにしたものに、静岡で買った山葵漬け。ちょっと量を多めに作り、「おぉ、これまたごっつおぉだねぇ」と目を楽しませるようにしている。洗い物をしてから、東柏崎駅近くの「割烹 嘉月」(電話:0257-23-2290)にて、柏崎青年会議所地域創造委員会の打ち上げ。_1「おぉ、アワビの刺身?」と喜んで写真を撮ったところ、若おかみに「白バイです」と指摘を受ける。ミル貝、バイ(貝)、ロココ貝も好きなので問題なし。ほどよく霜のあるトロもついた。いつも思うが、トロはビールではなく、日本酒でもなく、やはりアッツーイご飯を合わせたい。魚種にもよるが、刺身を口に含んでビールを飲むと、生臭さも目立つときがある。またビールの種類によっては鉄臭い感じがする。ビール好きだが、このときだけは「ご飯」と思う。_1茶碗蒸しは、今度こそのアワビとフカヒレ入り。金粉がかけてある。お正月に金粉入りの酒を飲んで、「いやーやっぱり金粉入りは旨いな」という人もいるが、元来、金は安定な金属であるし、金歯にしても味があったら困るわけで、金自体に味があるわけではない。あえて言えば、熱を加えたり、発酵熱がかかるときに、全体への熱伝導が違うぐらいか。_1焼き物は、子持ち「ししゃも」ではなく、子持ち「鮎」。あえて、頭からガブリとやり、口がしょっぱくなってきたところに、卵のプチプチ、鮎の芳醇。そしてビールをング、ング、もういっちょ、ングである。 飲んでいる途中、「ピーーン」と高調波が聞こえた。_1ブラウン管型のTVやTV付き携帯の電源を入れたりすると、自分の耳には聞こえるのだが、人によっては聞こえないらしい。松茸の土瓶蒸しをズズゥー、ビールをグビグビとやって、すっかり満腹。今日は、祖母を家に独り置いてきたので、2次会には行かず帰宅。しばらくすると、母と妹、甥っ子が帰ってきたので、甥っ子と遊びながら、「1,2,3」と数の概念を教え込む。おじさんはスパルタである。教え初めて分かったが、「0」の概念はどうやって教えるのか、不思議に思った。いままであったものについては、「ナイナイ」で教えるが、最初からものがない「0」はどうやって・・・・、と悩んだところで風呂に入る。HDDで録りためたチャンネル桜の番組を連続で見る。元海上保安大学校校長の三宅教雄氏の話が面白かった。大東亜戦争時に日本海軍が使っていた船を現在の韓国が海上警備のために使用しており、その船で日本の漁船が拿捕されたことがあったそうだ。3時ごろ就寝。

2005年11月 4日 (金)

ギョエテとは、俺の事かとゲーテ言い

 ブログやメール、先日の「防人の道 今日の自衛隊」をご覧になった方から頂いた激励文などへの返事などを書いていたところ、1時ちょっと過ぎたあたりに震度3の地震。母に確認、祖母は全然気づかず寝ている。斜め前の家で一人暮らしをしているお婆ちゃんにも声をかけようと玄関から外を見るが、しばらく待っても電気がつかなかったので、大丈夫だろうと思い、中に入る。即、柏崎市から一斉放送が入り、対応の早さに関心するが、最後にマイクのスイッチを切り忘れたか何かで、スピーカーからは「ジジジーー」と耳障りな音が。市役所に電話をかけるも苦情が多いためか通話できず。着替えて市役所に行こうかと思っているうちに耳障りな音は終わった。合併に関する決算書をチェックする。旧西山町、旧高柳町のことなので、数字から事業内容をなかなか読み取りできない。というか、旧両町の議会が承認した予算である上、いまさらながら事業自体への文句のつけようもない。ただ、既に済んでしまったものとして見過ごすのもおかしいので、一応は言わせてもらうことにする。

 7時頃から9時まで仮眠。10時から委員会メンバーではないが、合併予算の決算審議があるので傍聴しに行こうと準備していたものの、祖母が「洗濯機の使い方が・・・」と洗濯機を途中で止め、洗濯物をまき散した。まだ完全な認知症ではないが、いわゆる「まだらボケ」なので、いつ側にいてあげればいいのか分からない。自分以外の家族が外出しようとすると何かを起こしたり、騒ぐ。たぶん、独りにされるのではないか、という不安感からだろう。母が既に外出していたので、午前中は祖母の面倒をみることにする。10時過ぎに妹が1歳の甥っ子を連れてきた。生全卵+納豆で混ぜごはん、ほうれん草のみそ汁、昨日の会食の残りもの(天ぷら、うなぎ)で、甥っ子にもスプーンで食べさせつつ、自分も朝食。電車ごっこなどで甥っ子を疲れさせる。電話対応や会社の業務依頼の処理であっと言う間にお昼。甥っ子が寝付き、祖母がテレビを見ている間に用事を済ますべく、郵便局での発送業務、取引先への注文などで市内をウロウロ。いつもゆうパックの発送で納豆を送るのだが、チルド指定を送付状に記入する形式にはなっていないため、毎回困る。「なまもの」に丸をつけて、口頭で「チルドでお願いします」と言うものの、忙しいなかで途中、対応する局員の方が変わると、通常の「なまもの」で処理されるのである。1個あたり190円のチルド料金がかからないのは良いが、お客さんには最高の状態で届けねばならないので、再度、お金を払ってチルドにしてもらう。是非、送付状の改善を願いたい。車で出たついでにTSUTAYAに行き、友人が寄稿している『裏モノJAPAN』『平成の裏仕師列伝05』、意見を異にするが教科書特集の『論座』、『丸』、『別冊宝島 最新!戦闘兵装&装備』など数冊を購入。レイザーラモンHGの単行本もでていたが、ここまでの本でそれなりの金額になっていたので購入せず。DVDも『フィリピン陥落 -バターン半島1942- 』他、4枚を借りる。_1瞬間接着剤を買いに近くの100円ショップへ。 ガンダムのソフトビニール人形入りのラムネ菓子も100円になっていたので、甥っ子へのガンダム英才教育の教材にと思い3つ購入。旧ザク、量産型ゲルググ、ガンキャノンだ。祖母の昼食になにを作ろうかと迷っていたら、さきほどのレイザーラモンHGのことを思い出したので、 味の素フーズの『ベトナム・フォーを購入。 _1_1自分自身はパン屋さんで「チーズフランス 130円」2個、「バジルゴーダ 100円」を購入。甥っ子にあえて、あえて堅いチーズフランスを与え、アゴを鍛えさせる。午後も祖母の不調が直らないので、自宅にいることにする。甥っ子を連れて一緒に銀行に行ったり、色々な用事を済ませたら、もう夕方。17時30分から自民党柏崎支部に集まり、現執行部と自民党所属市会議員で新役員についての会議を行う。まだ正式な総務常任委員会を開いて決定はしないが、『広報委員長』とのこと。ビラを作ったり、街宣活動をするお役目。得意な分野なので、ガンガン党活動もしようと思う。終了後、「手打ち式」として5000円会費で会食。茨目のイタリアン『アルチゴーラ』に移動して、赤、白のワイン三昧。諸先輩に注ぐも、ご返杯も多くなり、すっかり酔っぱらう。約30億円のうち、24億円以上を柏崎市が支出した「新潟産業大学」のことが話題となる。12月議会では理事として学校運営に関わる市長への追求があるだろう。2軒目として、またも禁断?の中国人スナック。今回はカラオケや軽いお話で1時間ほどで切り上げ帰宅。散財の毎日である。新聞各紙を読みながら、1969年の作品『喜劇 女は度胸』のDVDを見ることにした。劇中で歌われる「クソ食らえったら死んじまえ クソ食らえったら死んじまえ」という『くそくらえ節』は耳に残る。個人的にはアントニオ猪木の元妻というイメージの方は大きい、女優・倍賞美津子のデビュー作だそうで、とにかく彼女が魅力的である。ドタバタ喜劇で楽しめる作品であり、渥美清の演技がさらに作品の面白さに磨きをかけている。

「ゲーテのクソまみれ」
「掃き溜めに鶴ならぬ、埋立地にメスゴリラ」
「人間にはなあ、誰にだってひとつづつ頭が配給されてんだ、
 テメエの頭で考えろい!」

2005年11月 3日 (木)

法事:母方、祖祖父17回忌、祖父13回忌

_1  7時に起床し、届いていた『諸君』12月号を読みながら長風呂。大山納豆「にがり入り さらさら健康志向」一パックと卵&ハムのサンドイッチを2切れ。礼服に着替えて8時に上越の母方の実家に向かって出発。今日は、母方の祖祖父の17回忌と祖父の13回忌。祖祖父は明治31年6月30日生まれで、あまり体は丈夫ではなく、戦争にも行かなかったそうだが、長生きをした。祖父は、大正13年10月1日の長野県佐久の生まれ。大東亜戦争のときには、陸軍として南京に行ったそうで、小さい時には、「ちょっとここに座りなさい」と正座をさせられ、戦争の話を延々と聞かされた。当時はイヤでイヤで仕方なく、また食事どき「これマズーイ」とでも言おうもんなら、「そんなこと言うなら、食べなさんな」と厳しかった。亡くなる前にもっと戦争のことをしっかり聞いておけば良かった、といまさらながら反省。10時、法要。曹洞宗なので、浄土真宗の三井田家での法要との違いが勉強になる。曹洞宗の開祖、道元禅師の著作『正法眼蔵』を、明治23年に分かりやすく編集した『修証義』(しゅしょうぎ)を使う。修は「修行」、証は「悟り」である、この二義についての義(ことわり)を意味する。 _1本来であれば、悟りや宗教についての考察をしなければならないが、それより先にお茶請けに祖母が用意した「ひょうたんの梅酢漬け」である。最初は「ちょろぎ」かと思っていたら、本当の瓢箪で初めての味であった。

_2_1  会食は上越市柿崎区の第3セクター「柿崎上下浜温泉 マリンホテル・ハマナス」。生湯葉やうに、伊勢エビなどがついた刺身もよかったが、松茸の土瓶蒸しが季節感ありでなかなか。ただ、ここ数日の疲れからか、ビールがあまりうまく感じない。もっとも運動もしていないので、当たり前か。自分の選挙のときは、父は既に病床にあり、父方の親戚は警察関係なので選挙運動はできず、母方の親戚が連日、上越から手伝いにきてくれた。その際、仕事で徹夜明けでも駆けつけてきてくれたのが、清叔父さんである。今日はその清叔父さんの隣。若かりし頃、ヤンチャをしていた叔父は、現在は趣味が釣りになり落ち着いているが、スモークをはった「ある種のこだわり」系ベンツで走り回るのは、その血が残っている証拠か。ちなみに警察官である父方の叔父に、対立組織?としてバッタリ、という伝説もある。選挙応援にきてもらった際、駐車場の入り口に小石があったようで、ドレスアップしたその車の形状から、開口一番「おい、たかおぉ、駐車場の小石片付けておけ。エアロ擦ったでぇ」と怒られた。_1 会食後、家に戻り、引き続き飲み飲み。陸上自衛隊の叔父も一緒になって飲む。自衛官の叔父は現在、茨城の部隊で副官。部隊の関係者からもらったという「南極の氷」で飲む。クリアな氷というわけではなく、多くの気泡がはいった氷である。ピチピチと音が弾け、そのときに太古の空気がでていると思うとオツな気分。

_1 飲みながら話をしているうちに、ふと従兄弟が使っている小学館「例解学習 国語辞典 第八版 ドラえもん版」金田一京助編を見ることになった。どれどれ、とお約束で「太平洋戦争」をひいてみる。

 たいへいようせんそう<太平洋戦争>
 1941年12月8日に、日本とイギリス・アメリカ
などの連合国(れんごうこく)との間に始まった戦争。
1945年8月15日に日本がやぶれて終わった。
第2次世界大戦の一部。

_1 では、「大東亜戦争」はどうか、というと載っていないのである。国語の権威として尊敬してやまない金田一京助先生の編著なのに、という思いだ。16時過ぎ、母の運転で自宅に戻り、高速道路を使って戻ったのでが17時過ぎ。髪も服も煙草臭くなってしまったので、風呂に入ってから仮眠。21時に起き、自宅を留守にしていた間の郵便物やFAXを処理し、地元新聞を読む。新潟産業大学の燕サテライト(分校)の話など、トンデモないというか、市長が理事メンバーにいることが無意味なようなことが載っている。明日以降に調べてみようと思う。このまま眠くなるまで、仕事をすることにする。

2005年11月 2日 (水)

委員会視察3日目:神奈川県横浜市

 3時過ぎ、『ちょっと戦争ボケ』読了。6時すぎに起床し、メール処理とブログ書き込み。8時に朝食。今日のブッフェは、マグロの角煮と小粒納豆、かまぼこに山葵漬けをつけてご飯を1杯。続いて、トーストにバターでつけて、ソーセージとベーコンを・・・と思ったら、キューブ・マーガリン。落胆。外食というか、ホテルで食べるのは、マーガリンではなく、やはり塩気のあるバターが良かった。桜木町駅から新杉田駅、モノレールに乗り換えて並木北駅で下車。

_1_1 横浜市南部汚泥資源化センターを視察。年間維持費16億円、人件費3億円の費用をかけ、横浜市の汚泥をセメントなどに混ぜることができるまで資源化を行っている。以前は、ハマレンガ(税込み1個78円)というレンガにも焼いていたが、水を吸わないため、敷き詰めた場合、雨が降ると転倒者続出とのことで現在は扱っていないそうだ。また廃熱をうまくタンクに利用したり、発生するメタンガスで1200kwの2機の発電機をまわしているため、施設内の電力をそれでまかないつつ、一部売電をしているとのこと。この施設の構成などが分そのまま柏崎に応用できるかといえば、「No」であるが、そのポリシーや施設を構成する要素などは十分に参考になった。 ちなみに貯蔵タンクは9個あったが、1個が10億円で約90億円。新潟県民全体の数より多い横浜市ならではの規模といえる。また、ピグという送泥管を掃除する砲弾のようなものがあり、直径でいえば35cm。いかに「戦艦大和」の46cm主砲の砲弾がとてつもないものだったかと、グレーチングの上で思い耽けてみた。

_1 昼食は、新杉田駅の「中華菜館 龍園」(新杉田アルカード1F 777-1147)でサンマーメン 820円。とにかく熱い。昼食後、新杉田駅で委員会としては解散し、自由行動。そのまま渋谷のチャンネル桜に移動する。チャンネル桜の強力な応援団であるUさんや他の方とお話したり、担当のS嬢、アダ名は女王様との打ち合わせの他、パソコンを使わせてもらい仕事をする。お土産に浜松で買った「浜納豆」をもっていったが、S嬢をはじめ、その存在すら知らない人が多く、食文化の違いを再認識。お茶漬けにしたり、餅に混ぜ込むと美味であることを教える前にそのまま食してもらったので、誤解も多少生んだ。

 今日のスタジオ収録では元航空自衛隊南西航空混成団司令で空将の佐藤守閣下がお越しとのことだったので、先日のご挨拶がてらお会いしようと思っていたら、歯医者の時間となってしまい、お会いできず残念。

 ここ4日間で大きくなった荷物を置かせてもらい、17時30分、新宿に移動し治療。今日で虫歯の治療が全部終わり、次回は歯石の除去となった。18時40分、鶯谷の取引先にご挨拶。サイドイッチや寒天を頂戴する。そのまま渋谷のチャンネル桜に戻って、水島社長と打ち合わせののち、_2 「防人の道 今日の自衛隊」の収録に見えられていた井上和彦さん、S嬢とともにお話をしながら、夕食がわりに頂いたパンや寒天を食べる。21時40分、最終便の東京駅発新幹線に飛び乗る。新幹線のなかでは寝ようかと思っていたが、なぜか隣に座った新潟市のサラリーマンの方に話しかけられ、ずっと会社組織のグチを聞く。そういえば、見知らぬ人に話かけられることが何か多いように感じる。その方のお話を整理すれば、業績評価と給料体系の相違がその原因と思ったが、ご本人はとにかく話しただけで満足されたようだ。長岡駅まで車で迎えにきてもらっていたので、そのまま高速で自宅に戻る。とてつもない量の郵便物とFAX、荷物があったが、今日処理するのはやめて、風呂に入る。母が作ってくれていたおでん、鰺の塩焼きを肴にして、「キリン 氷結果汁」プレミアムシリーズのロゼを飲み、一気に眠気がきたので2時ごろ就寝。


2005年11月 1日 (火)

委員会視察2日目:静岡県浜松市

 6時起床。メールチェック、ブログ書き込みをしたのち、9時、ホテルの朝食。ブッフェの種類が多いホテルにはまた泊まりたくなるものだが、このホテルもまた泊まりたくなる朝食だ。音楽にこだわったホテルらしく、浴衣も楽器の柄であり、置いてある納豆も音楽のパッケージの「育つ子に納豆選ぶ母の愛 健康納豆」(丸紅食品)。_1 そこで、ご飯を主体に塩こんぶ、プリプリの釜揚げシラス、大根おろし、納豆の和食でいくのか、おかゆを中心に中華系もしくは焼きたての香ばしいパンに、パリパリベーコン、レッドチェダーチーズ、ブリーチーズをのせて、軽くオーブンで焼いていくか。ドリンクも通常のオレンジやミルク以外に、アセロラジュース、豆乳、梅クエン酸ジュースなどがある。「人生で最も貴重な瞬間、それは決断のときである」だが、系統立てはやめることにし、食べてみたいものを食べることにした。最後をチーズ・マフィン+カフェ・オレでシメる。

_1  浜松市議会事務局の方に迎えにきて頂き(自分一人ならいくらでも歩いていくが、委員会ではそうはいかない)、今日の視察項目である狭隘(せまい)道路拡幅事業について、担当課、熱心に活動されている酒井基寿議員に説明を頂く。静岡県内では旧・清水市が10年ほど前から手がけていたが、事業として多く執行しているが浜松市。建築基準法42条2項

この章の規定が適用されるに至つた際現に建築物が立ち並んでいる幅員4メートル未満の道で、特定行政庁の指定したものは、前項の規定にかかわらず、同項の道路とみなし、その中心線からの水平距離2メートル(前項の規定により指定された区域内においては、3メートル(特定行政庁が周囲の状況により避難及び通行の安全上支障がないと認める場合は、2メートル)。以下この項及び次項において同じ。)の線をその道路の境界線とみなす。ただし、当該道がその中心線からの水平距離2メートル未満でがけ地、川、線路敷地その他これらに類するものに沿う場合においては、当該がけ地等の道の側の境界線及びその境界線から道の側に水平距離4メートルの線をその道路の境界線とみなす。

に該当する、いわゆる「2項道路」の拡幅事業だ。いざというとき救急車や消防車、また介護車など現在主流の高規格車が入ることができない道路を、民間の方から土地提供もしくは無償借受(税の減免あり)をし、道路を広げる。個人の財産にかかわることなので、なかなか普通はうまくいかないものであり、今回の視察は非常に参考になる。柏崎では、いかに市に高く土地を買わせるか、に手腕?を発揮する議員もいるが、道路拡幅に多少の土地を提供すれば、自分のもっている家や土地の価値も相対的にあげる、もしくは下落幅も小さくてすむ。特に柏崎市内の中央地区は若者が郊外に流出しているため、本当に地区の将来を考えるのであれば、道路拡幅が欠かせない。市役所での説明、質疑応答ののち、現地を2箇所も見学。

_1  お昼になり、昼食をとることになったが、せっかくの浜松なので鰻を食べようと「八百徳」で「うな重 2310円」。視察でお世話になった自治体である、お金を落としていかなければ。一匹をキチンと焼いた鰻、肝吸いよりは、漬物のカブの梅酢漬けが印象的だった。「お櫃鰻茶漬け」をチョイスすればよかったかなと多少の心残り。

 新幹線で新横浜、桜木町に移動。今日の宿泊先は、桜木町ワシントンホテル。LANケーブルを借りて、部屋で仕事。せっかくなので、いままではデートやお遊びでしか行っていない赤レンガ倉庫を歩く。意識を変えて見ると色々と違うものが見えてくる。イギリス積の変形と言われるオランダ積のレンガ造りそのものよりはイベントの企画や表現スペースとしての活用方法に集中。帰り際に本屋に寄り、『特上カバチ』1巻、2巻、宮嶋茂樹『ちょっと戦争ボケ』上、下を購入。




 18時過ぎ、ホテルのロビーに集合し、全員で食事にでかける。そういえば、中日新聞に政務調査費で飲み食いをして辞職勧告されている某市議会議員のことが載っていた。柏崎市議会は領収書添付が義務付けられているうえ、使途もキチンと制限されている。もちろん個人的な飲み食いには使えないし、自腹が当たり前。しかし、まだまだ領収書不要、使途も広い議会も多く、新潟県議会もそうだが、税金の使い方としてどうかと思う。広東料理の「萬珍樓本店」にて、夜のコースでは一番安い5000円コース。

_1 広東前菜
ふかひれ五目ス-プ
大海老の紅白作り
地鶏のアスパラ巻き
海老のすり身香り揚げ
白身魚、竹の子、椎茸のうま煮
潮州式チャーシュウ、つけもの炒飯
杏仁豆腐 山桃ソース

_1 3名の美しい女性による生演奏もあった。ちゃっかり3名のなかでも一番好みの女性の隣にいき、記念撮影。紹興酒を飲むのもいいが、やっぱり生ビール、5杯飲んだところで満腹。炒飯も良かったが、杏の香り高い杏仁豆腐が印象的。ホテルまで歩いて帰る。風呂入りながらだったり、ベットで寝転びながら、『ちょっと戦争ボケ』を読む。『特上カバチ』は30分ほどで読了。視察にでるとガンガンお金が無くなるのは気のせいか。

 今日のニュースである東証のシステム障害は、その影響の大きさもそうだが、原因とシステム開発のチェック体制の点では、大きな参考事例となった。

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