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2005年11月27日 (日)

日韓領土問題特別講演会

DSC02089  5時起床。12月一般質問のための資料調査。旅行に行く母を7時に送り出し、8時に朝食。干し納豆を入れた納豆茶漬け2杯。

 今日は、所属政党は違うものの、同じ保守系「自称・真ん中」地方議員である神奈川県横浜市の工藤裕一郎議員が結婚式を行うとのこと。祝電を送っておいたが、風の噂では結婚披露宴の開会とともに国家斉唱をしたという・・・・さすがである。先日の懇親会でもあまり食べずにダイエットと言っていたが、結婚披露宴のためのダイエットであった。議員になって太った『仲間』として、心細いのか心強いのか不明であるが、とにかく幸せな家庭を築き、政治家としてもまた大きくなってほしいと願う。

 昼まで明日の臨時議会の資料をチェック。人事院勧告による人件費の改定などがメインであるが、9月議会に提出し忘れ、施行日に間に合わず臨時議会に提出という案件が4つもある。本当にこれでいいのか。また西山町の防災無線のデジタル化についても3年契約の費用約3億円であるが委員会での議論なしで処分である。必要なものとはいえ、議会のチェック機能を再度考え直させられる。

 昼食はおにぎりを作る。祖母は「おかか」と「梅干し」。来年の全日本おにぎり選手権に向けて、練習を始める。昼食後、即、新潟市に愛車プリウスで移動。

 13時30分よりクロスパル新潟で開催される「日韓領土問題特別講演会」に参加。主催はNPO法人新潟海難救助隊、共催は県土・竹島を守る会(島根)。会場には、駐日韓国大使もお越しになっており、在日の方を含め、かなりの熱気であった。まずは、主催者挨拶。新潟海難救助隊隊長から、「竹島にいったが18マイルで海上保安庁に止められた。そのとき碁石を海中に投げてきた。その波紋が今広がっていると思う。一方だけではなく、韓国側からもお呼びした」とご挨拶。DSC02094講師は拓殖大学国際開発部アジア太平洋学科教授 下條正男先生。橋本内閣であった1999年まで韓国のインチョン大学いらっしゃったそうであるが、現地の日本人学校に通っていた娘さんにも竹島問題は教えてくれなかったそうだ。インチョン大学の当時の学長は、現・東亜日報の社長。韓国側の竹島問題、つまり独島問題の権威でもあり、竹島問題をテーマに研究をはじめたところ、インチョン大学に勤務しづらくなり、日本に戻られたとのこと。奥様は韓国人だそうだ。文献のコピーを駆使し、分かりやすく竹島問題の歴史について説明をされた。下條先生もノリに乗ったようでかなりの時間オーバーであった。概要は以下のとおり。


・韓国は、現ノムヒョン政権で新しい局面を迎えたと思う。
・戦後の日本の歩みを振り返れば、日本は主権を犯され続けてきた。
  1946年までの中立条約を破棄、1945年のソ連侵攻
  1952年 李承晩ライン
  1968年~1972年尖閣諸島、72年、沖縄返還
  1963年~1983年北朝鮮による拉致問題
・日本は戦後、外には出ず、中に入られてきているが、韓国内で日本の領土問題は、日本の野心として紹介される。それは自己主張のできない日本に問題がある。
・日本の外交はバラバラ。部署が違う。国民を幸福にできない構造である。中国残留孤児もブラジルの移民の問題もそこにある。
・NHKは竹島問題を報道しない。長い時間のNHKの竹島問題の番組がない。
 *一方的に韓国が武力占拠しているとのみ報道しつつ、その一方では韓流ブームをあおる。
・今年は、竹島の島根県編入100周年、「日韓国交正常化40周年」であり、どっちが重いかは明白であるのに、韓流ブームを支えている。
・韓国のインターネットでの情報伝達は非常に早い。そのことを十分に認識する必要がある。同じような手を今度は、ロシアが使ってきており、北方領土の問題は日本の歪曲教科書のせいにされている。
・韓国は3月の時点で、竹島問題を長期的に扱う機関を設置している。
・これまでこじれたのは、日本の外交無策が招いた結果。拉致問題にしても同様であり、本腰は入っていない。
・仲良くしていける可能性があるアジアの国は韓国、台湾しかない。
・李承晩ライン、韓国では平和線。1945年にマッカーサーラインが引かれたが、そのときには竹島は韓国側。それがサンフランシスコ条約の発効によって無くなるため、韓国はあわてた。当時の韓国は国内法(漁業資源保護法)を制定し、日本の漁業関係では328隻が拿捕、44名死亡、90億円(当時)の被害。
・1994年に国連「海洋法条約」(排他的な200海里)があり、今までの漁業協定を破棄することになってしまうため、1996年韓国は竹島に接岸施設建設。
・竹島の日制定以前の日本の外務省のHPには韓国の主張も掲載し、両論併記であった。言うべきときに言わない、タイミングがわからない、
・先日、国内女性誌の特集「ヨン様と竹島」という取材があった。日本の見識の低さがここにもでている。
・1948年の済州島人民事件も日本人は理解する必要はあると思う。


DSC02095 続いては、在日2世である大谷大学教授 鄭早苗先生。まずもって、アウェイともいえるこのような場にでてくれたことに感謝するばかりである。たぶん、両者が揃って、しかも大使も同席のうえ、お互いの主張をするのは初めてではないだろうか。少なくとも私自身は初めての体験である。お話は古代史から靖國問題、「未来志向」の日韓関係について、そして在日の不遇についてであった。概要は以下のとおり。


・大阪に住んでおり、浄土真宗大谷派の大学。
・愛媛の玉串料問題の団長が大谷大学だったので、右翼に大谷大学は狙われたことがあった。
・今日の聴講者を見て、若い人が少ないと思った。これからの日本を支える人にはもっと関心をもってほしい。
・1945年以降、今日まで竹島問題について、日韓あわせて1000論文がある。
 実は韓国が300、日本が700。
・「竹島の日」制定は、日本国内では意味があったことかと思う。
・靖國神社については、台湾、朝鮮出身者5万柱が靖國神社に奉られているので、靖國神社は内政の問題ではない。1978年以来皇室の参拝がないことも問題である。
・大学においてもこの問題は講義してことはない、
・韓半島からみれば、領土問題は日本だけのことではない。中国との問題も生じている。高句麗が中国の領土であるとして、朝鮮民族として屈辱を感じている。
・問題と言われている「新しい歴史教科書」は369年から562年、日本が韓半島の一部を支配していたこと、つまり任那(みまな、にんな)について書いていない。『古事記』にはないが、『日本書記』にはある。『続日本記』にも記述がある。
・1945年以降、南北朝鮮、中国、日本の研究においては、韓半島は日本の属国であったという意識を日本がもっていたことがわかる。現実は新羅、百済ができ、日本が韓半島に影響を及ぼすところはない。
・1910年、明治43年の日韓併合のとき、突如として日本がでてきた。豊臣秀吉もできなかったことをやった。1000年の時空を超えて、日本府(任那)が蘇ってきたこと。これで早い時間に日本国民に韓半島は占領するものという感情が浸透していき、差別につながった。
・高句麗、新羅、百済、領土問題だけで争った。
・先ほどの下條先生のお話にもあったが、江戸時代までのことを、今日持ち出してくることが良いか悪いかの議論も必要だ。
・島が見える、見えないの問題ではない。釜山と対馬はお互い見える。当時の人が、島を見えた見えないなどは、いまさら分からないことであり、意味がない。あまり長いスパンの時間空間の問題は、いまさら持ち出さないほうがいいのではないか、と思う。
・1876年、朝鮮江華府での日朝修好条規に調印までにさかのぼるのか、1904年の日韓議定書、1905年の第2次日韓協約(保護条約、乙巳条約:ポーツマス条約にて朝鮮半島は保護国となる)なのか、1910年になるのか、スタートをそこまでに戻し、自由な議論を行うべき。
・在日の立場からは、日韓の問題だけではなく、日朝の問題もある。竹島問題で日韓が正面に向き合う態度を見せておかないと、日朝会談で大変なことになる。拉致問題にしてもそうであり、第一は生命のある拉致被害者を救うことに対しては、会場の皆さんと同じ思い。韓国も一緒であり、韓国といい関係でないと拉致問題は解決しない。

日本に来る学生は、みな反日になって帰っていく。


_1  質疑応答では、日韓併合や在日のことにまで話しが進み、なかなか微妙な雰囲気であった。最後に島根県からお越しになっていた県土・竹島を守る会から謝辞があって終了。新潟市議の山田洋子議員、佐々木かおる議員、そして関係者の皆さんにご挨拶をして会場をあとに。祖母を独りにしたので、高速を飛ばして帰る。

DSC02098 18時過ぎ自宅に到着。案の定、祖母はウロウロとし、パニくっていたので、冷凍しておいた鶏皮をダシに中華ぞうすいを作って夕食。夕食後、後片付けや洗濯などの家事をしてから臨時議会の資料の読み込みを再度行う。


<配付資料>
竹島(独島)問題から考える日韓関係(2005.11.27)
              拓殖大学国際開発学部 下條正男

1.戦後の日本(侵され続ける日本の主権)

①1945年8月18日。ソ連千島列島侵攻。9月4日までに歯舞群島、色丹島占拠。
②1952年1月18日。韓国公海上に「李承晩ライン」設定。54年、武力占拠。
③1968年~1972年。尖閣諸島問題(中国)。72年、沖縄返還時(今も米軍駐留)。
④1963年~1983年。北朝鮮による拉致問題。

2.日本の課題

① 内閣府、独立行政法人北方領土問題対策協会(北対協)
② 異なる担当部署。外務省の担当者、2~3年で交代。
③ 一貫性に欠ける日本外交。日本の構造的欠陥。

3.日本外交の構造的課題としての竹島問題

① 韓流ブームと「日韓友情年」。日韓国交正常化40周年。
②「竹島の日」。竹島の島根県編入首周年。
③「竹島の日」条例以後の日韓関係。
(1) 高野駐韓大使の発言と外務省首脳の反応。
(2) 地理、公民の教科書に竹島問題登場。
(3) 韓国側、歪曲教科書と反発。侵略の美化。
(4) 歪曲教科書問題、中国に飛び火。反日デモ、拡散。
(5) 韓中、日本の国連安保理、常任理事国入り反対。東南アジアに波及。
(6) 駐日ロシア公使、北方領土問題は日本の侵略主義の結果。
(7) 日本政府、日韓友情牢に固執。韓国政府の動向。「正しい歴史企画団」発足。

4.竹島問題の発端

①1952年1月18日、「李承晩ライン」と「サンフランシスコ講和条約」の発効。
②1952年2月15日、「日韓国交正常化交渉」の本会談開始。
③1953年12月12日、「漁業資源保護法」。日本漁船員の舎捕抑留。外交カード化。
④解放を求める日本側に譲歩要求。再侵略、「韓国侵略の最初の犠牲の地」
⑤1954年9月2日、韓国政府、竹島の武力占拠決定。
⑥1954年9月25日、日本政府、国際司法裁判所への付託提議。韓国政府、拒否。
⑦1965年6月22日、「日韓基本条約」締結。財産請求権放棄。在日韓国人の法的地位。
⑧ 竹島問題未解決。日韓国交正常化の入口(竹島問題)と出口(日韓友情年)。
⑨1996年、韓国竹島に接岸施設建設。
⑩国連「海洋法条約」(旗国主義~沿海国主義へ)

5.竹島問題に対する日韓の見解

① 日本外務省(外務省のホームページ)
(1) 江戸時代から固有の領土。
(2) 島根県編入は無主先占の地。・・・・(1)と矛盾している主張
② 韓国政府の見解(韓国の歴史教科書)
(1)512年から韓国の領土。干山(うさん)国の新羅編入。
(2)竹島は鬱陵島の属島。安龍福の活躍。
(3)日本は日露戦争をきっかけに「独島強奪」と主張。
【歴史的根拠】
(1)1770年、『東国文献備考』
(2)1454年、『世宗実録地理志』
(3)1481年、『東国輿地勝覧』〔資料Ⅱ岬②〕
(4)1696年、『粛宗実録』、安龍福の証言。
(5)1870年、竹島松島挑戦付属ニ相成候始末
(6)1877年、太政官
(7)1946年、連合国軍最高司令部「訓令第677号」

【国際法的根拠】
(1)1900年10月25日、「勅令第41号」、欝島郡行政管轄区域「本島、竹島、石島」
(2)1905年2月22日、「島根県告示第40号」は侵略行為。

6.韓国側の問題点
(1)「見える」「見えない」論争。
 『世宗実録地理志』と『東国輿地勝覧』の解釈。鬱陸島から千山島が「見える」
(2)300年前の解釈、朝鮮半島の蔚珍から鬱稜島が「見える」
(3)文献批判の不在、地誌と「規式」。管轄する地方官庁からの距離と方角を記載
(4)改竄された『東国(増補)文献備考』の分註
(5)安龍福の偽証。『粛宗実録』所収。韓国の歴史教科書
(6)石島は独島か?(当時の竹島はリャンコ島、独島は1904年からの呼称)
(7)1882年、李杢遠『鬱陸島検察日記』、『鬱陵島外園』、『欝島記』
(8)『海東地図』(鬱陵島)、『大韓全図』学部編輯局1899年
『大韓輿地図』学部編輯局1900年頃。
(9)『竹島考証』1880年、軍艦天城、松島は鬱陵島。小島は竹島と確認。

7.竹島問題の問題点
(1)日本政府の見解→韓国側の批判→島根県「竹島の日」条例。
(2)日本国内、政府の無関心。日韓の対話不在。日帝35年、竹島武力占拠51年。




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