「戦艦 大和」切手、檄辛で気合い
5時起床。読まなければならない資料がたまったので、資料を持ち込んで中温での入浴。サイトの掲示板やメールの返信を書きつつ、議会事務局にメールにて一般質問の原稿を提出。7時過ぎに朝食。下仁田納豆「大粒の舞」、なめこと大根の味噌汁、イカ塩辛、つけもの、博多めんたいこ、目玉焼き半熟2個でご飯を2杯。食後、ひっくり返りながら資料を読み続ける。10時、打ち合わせ。起業相談であった。市のベンチャーへの出資も、タカリがでない程度にもっとハードルを低くしてもいいのではと感じている。長岡市のチャレンジショップ「LEADBLOW(リードブロー)」でも出展応募者が少なくなってきているとのこと。柏崎でもかつて行ったチャレンジショップ「えんマーケット」の総括を含めて、研究してみたい。
昼食は、最近の飲み飲みで弱っている胃腸に喝を入れる(逆効果?)ため、ご飯少量に買いためてあるハウス食品「期間限定 カリーHOTハバネロ檄辛」をかけ、さらにコスタリカの「サルサ・デスソース(salsa de la MUERTE)」 をかけて激辛仕様に。
「サルサ・デスソース」は、いつもドン・キホーテで買うが、辛いものを食べたくなったときには、パスタにもピザにも便利である。ただし、納豆とはイマイチ。激辛カレーで思いっきり汗をかいた。明日、【出口方面】が多少心配である。
14時からイベント企画の打ち合わせ。柏崎市はイベントが多すぎるためか、市外のイベント関係者からは柏崎での実施したイベントを聞きたがる。打ち合わせ後からは取引先や市内の友人、知人への用事。自宅に戻ってからはひたすら資料読み。18時から懇親会に出席の予定であったが、人数が一人分少なく予約してしまったそうで、2次会からの参加にする。
20時、夕食。母が松島に行ってきたお土産として買ってきたプリンス食品株式会社「奥州 牛たん 塩味」を本当は炭火を用意して焼きたかったが、フライパンで焼いた。なかなかの肉厚で噛み締めるたびに肉汁が口に広がる。そのままでは何なので、ビール350mlを4本。もう一品は、作って冷凍しておいた納豆コロッケとあまりマッシュしなかったジャガイモの食感を楽しむコロッケを揚げた。付け合わせは水で戻した乾燥ポルチーニとグリーンアスパラのバター炒め、キャベツ。ビールが進む。
駅まで送ってもらい、長岡市での懇親会2次会に出席。
名越二荒之助先生から、納豆のお礼とのことで「戦艦 大和」に関する資料を一式頂戴した。世代的には宇宙戦艦ヤマトであるが、世界最大の戦艦であり、当時の日本の工業技術の粋を集めた「戦艦 大和」は、その美しさもあって心揺すぶられる。今年は邦画「男たちの大和/YAMATO」(公式サイトのCGは必見もの)も公開される。本物の「戦艦 大和」は3700柱の英霊とともに、東シナ海の海底に眠っている。意外だが、「戦艦 大和」を前後から写した写真は存在しないと言われている。
CGや当時の設計資料(戦後焼き払われたこともあり完全ではない)でしか見ることはできないが、名越先生が飯塚画伯にお願いし、描いてもらった絵の写真を頂戴した。昭和20年4月6日、沈みゆく夕日に向かって進む「戦艦 大和」(前期)の後ろ姿を描いた絵は複製がほしいほどである。
また、1975年の沖縄海洋博のときに、アフリカのオートボルタ共和国(現在はブルキャナファソ共和国)が作った「戦艦 大和」近年切手の写真も頂いた。オートボルタ共和国(ボルタ川の上流という意味)は、1960年にフランスから独立した1000万人の国であるが、大東亜戦争がなければ自分たちの独立心もなく、白人に奴隷として使われ続けたであろう、同じ有色人種たる日本人の勇気に感謝するとのことから、この切手を製作したそうである。
大東亜戦争が聖戦であり、すべて善であったまでは言わないが、こういった光の部分も後世に伝えるべきと思う。名越先生からの封筒の底の方には、カセットテープが入っていた。世界最大口径の46センチ主砲を9門もつ「戦艦 大和」が最後の号砲を放ったときの音が入っていた。時間ができたとき、デジタル変換をして自分のサイトに保存しようと思う。
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