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2005年11月 6日 (日)

東條由布子氏:天皇に責任なし、責任は我にあり

_1_1  6時に起床し、資料整理と一部決算委員会用の資料の確認。今日は無性に「豆味噌」系が食べたくなったので、中粒の納豆に三重県「伊賀越」の豆味噌「秘伝 玉みそ」、砂糖を入れて、大太納豆巻きを作った(しょうが漬けを刻んだものか大量のネギを入れれば良かったと反省)。味噌汁も豆味噌を使って、具は高柳の油揚げとネギ、わかめ。朝食と昼食一緒のブランチ。甥っ子にも豆味噌の味を覚え込ませる。東京に出張の予定であったが、相談の電話や会社の新しい営業資料、そして頼まれていたプログラムを一本仕上げるため予定変更。とにかくこもっての仕事。夕食は引き続き、昼に作った大太納豆巻き。久しぶりのDelphiでの開発なので、まともに動くまでに時間がかかる。ビール「一番しぼり」500ml3本を飲みつつ、魚肉ソーセージ、納豆1パックで、眠気と戦って最後の追い込み。3時ごろ就寝。

 そういえば、「第14回全日本おにぎり選手権、そば打ち選手権」では、大会出場9回、神奈川県の方が25個で優勝したそうだ。来年は出場しようと思う。

_1 先週、東條英機元首相のお孫さんにあたる東條由布子さんからお手紙と一緒に、GHQによって発禁になった『東条英機宣誓供述書』の復刻版であるワック出版『大東亜戦争の真実―東条英機宣誓供述書』が届いた。この本は、戦後封印されていたものを解き明かし、すべて「日本が悪」という意識から脱皮できると評判で、初版から2ヶ月で第6版まで増刷されている。既にこの本自体は手元にあったが、由布子さんのサイン入りではなかったため、こちらを書庫に入れることにする。

 由布子さんとは、先日ある団体の総会でご一緒し、色々とお話させていただいた。納豆好きとのことだったので、納豆好きとおっしゃった方への「お約束」で納豆をお送りした。今回頂いたお手紙のなかに、印象深い一文があった。

 「野分けにも負けるな伸びよ若すすき」
      祖父の言の葉 胸に迫りて
 大空に散りにし若人(子等)に言の葉も
      なしと言いつつ祖父は追い逝く
                   由布子

 東條英機元首相は東京裁判においてA級戦犯とされたが、講和条約が締結されたこともさることながら、昭和28年8月3日第16回国会 衆議院本会議  第35号「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」では全会一致となり、戦犯からの名誉回復がされた。ちなみに当時の国会の記録では全会一致になっているが、共産党は違うと主張している。「小会派クラブ」に所属しており、一議員としては反対したと言うが、会派では賛成している。会派で議会運営を行うことを考えれば、今更ながら個人的には反対であったと言ってみても、会派としての賛成が記録されている以上、そこは政治の論理が働くだろう。話を東條英機元首相に戻せば、もう戦犯ではないが、戦争責任者であることは紛れもない事実である。お孫さんである由布子さんも戦争責任者としては、祖父の責任にも言及しており、「正論」である。以上のことをふまえて、東京裁判を扱った書籍や映画が数あるなかでは、アラカンこと嵐寛寿郎が東條英機元首相を演じた『大東亜戦争と国際裁判』が最高ではないかと思う。いまは無き、新東宝の作品。


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モラロジー研究所『れいろう』2005年11月号

 誇りを持って 凜として生きる
        この人に聞く 東條由布子さん

-終戦60年。いまだに祖国へ帰ることのできない
英霊は、はるか異国の地でわれわれの戦後を見守り
続けてきた-。NPO法人「環境保全機構」理事長と
して、大東亜戦争で散華された英霊の遺骨収集や
慰霊活動に尽力される東條由希子さんに、現在の
活動に対する思い、誇りを持って生きることの
大切さについてお話をうかがいました。

とうじよう ゆうこ
 昭和14年、東條英機元首相の長男・英隆氏の長女と
してソウルで生まれる。第一生命保険相互会社勤務の
後、明治学院大学に進むが結婚のため中退。
 4児の母となったのち、国士舘大学教育学科に編入
し、63年に卒業。現在はNPO法人「環境保全機構」
理事長としてペリリュー島での遺骨収集活動や東京裁判
で処刑された昭和殉難者を祀る殉国七士廟と120の
部隊碑がある愛知県幡豆町三ヶ根山で
「ゆうとぴぁ三ヶ根」の運営などに尽力。編著に
『大東亜戦争の真実』(ワック)著書に
『祖父東條英機「一切語るなかれ」』(文書文庫)、
『東條家の母子草』(恒文社21)がある。

異国の地で草生す屍

・NPO法人「環境保全機構」は、どのような活動を
 されているでしょうか。

東條 大きく二つの柱があります。一つは、
   「東京裁判」で処刑された昭和殉難者を祀る
   殉国七士廟と百二十の部隊碑がある愛知県幡豆町
   の三ヶ根山で「ゆうとぴぁ三ヶ根」という無料
   休憩所を開設しています。戦友やご遺族の方も
   ご高齢になられ、草に埋もれていた部隊碑も
   ありましたので、英霊に申し訳ないという思い
   から運営させていただいています。
   もう一つは、南洋諸島に放置されているご遺骨
   の収集です。戦後五十年の平成七年に、パラオ
   共和国・ペリリュー島で日本軍と戦った米国の
   元海兵隊員の方が戦跡調査をされ、「島内の
   至る所に日本兵の遺骨が放置されているから
   収集に協力してほしい」という依頼があったの
   が始まりです。
   ペリリュー島では、当時南方随一の飛行場を
   死守するための熾烈な洞窟戦で、一万二千人の
   日本の兵隊さんが玉砕され、今も約七千柱が
   残されたままです。祖国のため、家族のために
   戦場に散った方々の深い思いと尊い犠牲がある
   からこそ、私たちの平和な暮らしがあるという
   のに・・・・。ご遺骨が洞窟に散乱している
   状況を見ると胸が痛みます。
   本来は国が責任を持ってやるべき事業ですが、
   なかなか動いてもらえませんので、この惨状を
   多くの方々に知っていただき、ご協力を
   呼びかけたいのです。そのために私自身が率先
   してやらなければと思っています。

*殉国七士廟
 東條英機元首相をはじめ、松井石根元陸軍大将、
 土肥原賢二元陸重大将、板垣征四郎元陸軍大将、
 武藤章元陸軍中将 木村兵大郎元陸軍大将、
 広田弘毅元首相の7人を祀る

・現在の活動の原点には、おじい様である東條英機元
 首相の思いがあるのでしょうか。

東條 祖父の遺書の中に、「異国の戦場に残された
   同胞の遺骨を一刻も早く日本にお返しし、自分
   たちが処刑されたことを機会に、戦勝国も負けた
   国も、中立国も合わせて慰霊祭をやってほしい」
   という願いを遺しています。ですから、生きて
   いたら必ず遺骨収集をしただろうと思います。
   しかし私は、東條の孫というより、一人の
   日本人として放置できないと思っています。

東京裁判史観を断ち切る

・最近、テレビや雑誌によくご登場されていますね。

東條 戦後六十周年の今年は、五十社を超える取材が
   ありました。こうした活動を誤解される方が
   いらっしやいますが、祖父の復権などという
   私心はいっさいないのです。祖父は「国内的
   には七度生まれ変わっても償えないほどの罪を
   犯している」と言って、天皇陛下と国民に対して
   の責任をとるために死んだわけですから。私が
   訴えたいのは、「日本=悪」という意図を待った
   連合国の東京裁判によって植えつけられた
   「東條=悪=先の戦争は侵略戦争
     =あの戦争を戦った軍人は侵略戦争の手先」
   という構図を切ることです。そのために、
  「東條=悪」という部分を変えたいというのが
   私の願いです。そうでなければ、命をかけて国
   を守り、愛しい人のために戦場に飛び立って
   行かれた方々に申し訳ないと思います。

・そもそも東條元首相は、開戦強硬派ではなかったとか。

東條 ええ。祖父は、「なんとか開戦を避けるように」
   という陛下の御心を受けて、さまざまな努力を
   続けましたが、ついに開戦に至ってしまいます。
   開戦前の十二月六日深夜、祖母は祖父の寝室から
   忍び泣きの声が洩れてくるのに気づきました。
   それは座して泣いている祖父の声でした。和平
   を希求される陛下の御心に心ならずも反する結果
   になり、開戦に至った申し訳なさで身も心も
   ちぎれる思いだったに違いありません。

・自決にまつわる卑怯で女々しいという人物像も
 事実とは違うそうですね。

東條 GHQのMP(憲兵)が来たので慌てて物陰で自決し、
   運び出された時に二十二口径の銃を握っていたと
   いうのは事実誤認です。
   祖父は、「大東亜戦争は国際法に反していない
   自衛戦争だから、連合軍が逮捕に来た場合は
   自決する。しかし、国内的には償いきれない
   罪を犯しているので、日本政府からの場合は潔く
   出廷する」と言っていました。自決当日も、MPが
   持ってきた逮捕状が日本政府のものではないこと
   を確認し、事切れるまでの時間をかせぐために
   家中の鍵を閉め、自室の入口にバリケードを
   築いて自決しました。その時の銃は、玉音放送
   録音盤奪取事件の責任をとって八月十五日に
   自決した古賀秀正が使っていた三十二口径です。
   祖父は、自決した娘婿の古賀(私の叔父)を
   とてもかわいがっていましたので。
   そして、当時の日本の医療では死に至るほどの
   多量の出血にもかかわらず、アメリカの最新の
   医療技術によって蘇生されて未遂に終わったの
   です。

・しかも、東條元首相はいっさい言い訳をされなかった。

東條 祖父は、軍人として政治家として、扱い慣れて
   いない銃だったから自決未遂に終わったという
   言い訳は絶対にしたくなかったのだと思います。
   しかし、昭和二十三年十二月二十三日、処刑
   される五分前に、教誨師さんに 「実は自決した
   のは古賀のピストルだったと妻だけには伝えて
   ほしい」と言い残していますし、昭和四十五年
   九月二十一日付の米軍CIC(対敵防諜部隊)の
   機密文書の中に、「自決に使った三十二口径の
   コルトと二十五口径の二丁と白布に包まれた
   腹切りナイフと最後の声明を押収した」と
   述べられています。
   こうした事実を曲げてまで、祖父を貶める必要
   があるのでしょうか、
   そこまでして当時の日本を貶める必要があるのか、
   と思うと残念でなりません・・・・・。

誇りを持って生きる

・終戦後、東條家にとって苦難の通が続いたそうですね。

東條 東條家には「一切語るなかれ」という不文律が
   あり、戦後の話はしてはいけないのですが、少し
   だけお話しさせていただくと、東條という名前が
   わかるだけで、「東條の家族にはものは売れない」
   と言われ、外に出るといじめられ、石をぶつけら
   れました。終戦直後の混乱期でしたので仕方の
   ないことですが、父と母がどんな思いで私たちを
   守ってくれたのだろうかと思うと胸がいっぱいに
   なります。手もとに二十円玉一枚しかなく路頭に
   迷うこともありましたが、両親は”心まで貧しく
   ならないように”と、海へ連れていったり、
   レンゲで首飾りを作ったりして、豊かな自然を
   存分に与えてくれました。わが子を育て、孫を
   持つようになり、両親の大きく温かい翼の中で
   育ててもらったことを感謝の念で思い出します。
・苦しい生活の中でも、お母様は誇りを持って生きる
 ことを教えられたのですね。

東條 弟が小学校に入学したとき、教室で「東條君の
   おじいさんはどろぼうよりも悪いことをした人
   です」と言われ、「おじい様は何をしたの」と
   母に泣いて問いたことがあります。そのときの、
   「そんなことはありません。おじい様はお国の
   ために一生懸命働かれた立派なお方なのよ。
   あなたたちは東條家に生まれた誇りを持ちな
   さい」という凛とした母の言葉が、小学五年生
   の私の心にも響きました。やはり、自分の家に
   対する誇りや国に対する誇りはとても大事です。
   家族を大切にし、国を大切にする元ですから。
   また、母は「おじい様の顔に泥を塗るような
   ことは絶対にしてはいけません」と言って
   いましたので、道を蹄み外しそうになる
   とき、その言葉が私を律する力として働いて
   いました。

・お母様は言葉づかいにも気を配られたそうですね。

東條 悪い言葉を使えば悪い子どもが育つということ
   です。例えば、「ご飯食べた?」と聞けば、
   子どもは「うん、食べた」と答えますが、
   「ご飯を食べましたか」と聞くと
   「はい、食べました」と答えます。自分の子ども
   を育ててみて、ほんとうに母の教えどおりだと
   思います。
   歴史についても同じようなことが言えます。
   「日本は悪い」と繰り返し言われれば、子どもも
   悪くなります。例えば、自分の会社は悪い会社
   で、よその会社に迷惑ばかりかけていると
   言われたらやる気をなくしますよね。日本が
   悪い悪いと教えて、若者たちの力が出るはずが
   ありません。現在の歴史教育を見直し、
   「日本はすばらしい国だ!」という自信と誇り
   を持った子どもを育てることが大切なのです。

天皇に責任なし 責任は我にあり

・GHQによる発禁第一号となっていた東條元首相の
 「宣誓供述書」が『大東亜戦争の真実』として
 出版されましたね。

東條 祖父の「宣誓供述書」との出会いは、
   平成十一年でした。
   私はよく神田の古書店街に、東京裁判について
   の本を探しに行くのですが、あるお店で分厚い本
   がうずたかく積まれている中に、一冊だけ薄い本
   の角が出ているのに気づきました。不思議なこと
   にそれが、『天皇に責任なし 責任は我にあり』
   という祖父の「宣誓供述書」でした。

・当時の「東條憎し」という四面楚歌の中、日本の立場
 を堂々と述べられていますね。

東條 宣誓をして検事側に提出する裁判の記録ですから、
   嘘偽りがないわけです。その中で祖父は、日本を
   弁護するのは自分しかいないと述べ、「そのため
   に、私は生き恥を晒してでもこの法廷に立たせて
   もらった」と続けています。さらに、日本を悪者
   にしようとする法廷で、死を覚悟して「断じて
   日本は侵略戦争をしたのではありません、自衛戦争
   をしたのであります」と日本の立場を主張したの
   です。これを読めば、当時の弱肉強食の国際情勢
   のもとで、必死に生き残りを賭けた日本の姿が
   わかり、いとおしく思えてならないでしょう。
   ぜひ、現代の尺度ではなく、あの時代の日本に
   自分を置いて、『大東亜戦争の真実』を読んで
   いただいて、日本人としての「誇り」と「勇気」
   を取り戻してほしいと願ってやみません。

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