赤煉瓦棟、じょんのび!どぶろく
3時過ぎに起床。7時までブログやメールの返信。8時過から電気工事士さんと事務所の配線の打ち合わせ。今日の午前中は集中して作業を行い、なんとか年内には正式な事務所開きができるようにしたい。9時30分ごろ、保谷食品「発芽納豆」とイカの塩辛での「納豆イカ塩辛巻」、ネギ味噌での味噌汁で朝食。
12時、甥っ子と妹夫婦が遊びにきたので、「うれっ子」(電話:0257-22-4648)から「チャーシューつけめん」をとり、甥っ子と分けての昼食。麺のことは「ちゅるちゅる」である。箸はまだ無理なので、手で麺をつかんで食べさせる。躾の上ではあまり良くないような気もする。
所用があり開始20分遅れの13時50分から、産業文化会館で行われている「赤れんが棟講座」に出席。旧日石跡地にある赤煉瓦棟は残り一棟になってしまったが、柏崎のこれまでの産業を語る上では欠かせないものであるうえ、近代遺産としての評価も高い。江戸から大正、明治にかけては、柏崎地域の主たる産業は「つむぎ」であり、その後は石油、それに関連した工業製品、そして原子力である。保存のための費用の問題もあり、なかなかストレートに進んではいないが、活用策がありかつ税金の負担も少ないなら、駅前のちょっとしたスポットとしては有効ではないかと思う。
ちなみに、京都府舞鶴市の赤れんが博物館に行った際、中国や韓国にも残る近代遺産の煉瓦造りとして、写真の展示や紹介があったが、中国のものには「満州鉄道」の文字があり、また韓国のものは東京駅と同設計のソウル駅をはじめ、日韓併合時代のものであった。「日本に勝手に近代化させられた」という言い方をよく考えてほしいものだと思う。
ちなみに、「歩く柏崎史」の桑山先生も出席されており、弥彦山と柏崎の関係などを詳細にお話になっていた。弥彦神社が漁労や農耕、製塩の神様であることまでは知っていたが、柏崎と石油での縁がそんなにあったとは思わず良い勉強になった。今度、現地でよく調べてきたいと思う。
以下、当日配布の資料(誤字、脱字は修正)
1.赤れんが棟再生保存の意義
旧日本石油加工柏崎工場に残る赤れんが棟(ドラム缶塗装場)は、
市内で唯一と言っていい明治期の歴史的建造物であり、宝田会社
駐車場として建築された産業遺産として極めて価値の高いもので
あります。また、その赤れんがの外壁は、蒸気機関車の煙によって
燻されたごとくの貯まいを見せており、鉄道利用者にとって長年の
原風景となってきました。ことに柏崎を離れる者、久々に郷土の地
に帰ってきた者にとっては、故郷の代名詞とも言える存在で、思い出
を語る人が少なくありません。
しかし、一方で製油工場であったという特質から、市内在住者で
あってもおいそれと近づける存在ではありませんでした。立地は
柏崎工場の中ほどにあり、線路脇でこそありますが、その存在は
背丈ほどの高さの塀に囲まれ、今でも完全な全景を見るためには
敷地内に立ち入らなければなりません。ある人にとっては原風景
でありながら、ある人にとってはその立地すらもおぼろげである
という稀有な特徴を持っています。
市は、その産業遺産としての価値、歴史的価値を認識しながら、
主に財政上の理由から記録保存にとどめるという方針を示しました。
赤れんが棟を愛する会は、価値ある赤れんが棟が失われたあとの
市民の喪失感を大いに危惧しております。市民の中には旧第四銀行
柏崎支店の思い出を語る人が多くいます。赤れんが棟がその二の舞
になることは容易に想像ができます。赤れんが棟は、市民にとって
あらゆる意味でパイオニアの象徴であります。失われたとき、
文化的、経済的に及ぼす目に見えない影響ははかり知れないもの
であると考えます。
赤れんが棟をただ保存するだけなく、再生し、市の活性化に
役立てるべきです。
赤れんが棟を再生保存し、市民だれでもが立ち寄れる史跡と
すれば、次の100年間、無言でものづくり、産業おこしの精神を語り、
旧き者にとっては過去との話し相手になり、幼き者には柏崎の未来
を指し示す指針となるはずです。さらに、勇気をもって赤れんが棟
を残す柏崎市民の精神性を、後世のだれもが心の支えとするはずです。
赤れんが棟を残して再生しましょう。
後述しますが、その立地は柏崎の都市景観の中心にあります。
駅前再開発のひとつの目玉になります。観光拠点にも教材にもなります。
市民を癒し、働く勇気を与える源にもなります。赤れんが棟再生保存
の意義とは、一言で言えば「柏崎の未来」です。
2.再生保存の基本方針
赤れんが棟を愛する会は、次の三つの基本方針により、
再生保存することを提言します。
・柏崎を感じられること
・産業の発祥を意味すること
・人と人が出会えること
柏崎は、北国海道沿いに発達した中心部と、のちに合併した田園、
山村との集合体です。明治期か長きにわたって、わが国のエネルギー
を支え、現在も支え続けています。一方で、多くの産業人、文化簡潔
人を輩出し、柏崎出身者の起こした企業も枚挙にいとまがないほど
です。美しい自然と開発者精神こそが柏崎らしさと言えるでしょう。
赤れんが棟は、わが国の石油産業の興りと、柏崎の近代産業化の
証としての大久保煉瓦とを同時に表わす歴史遺産です。特徴ある外観
だけではなく、そのような近代産業の歴史を未来に伝えることが重要
です。
最後に、これからの地域の未来は、成熟した高齢化と都市からの
流入者を抜きに考えることはできません。それら多様な人々が孤独
から無縁で健やかに地域社会で暮らせるよう、市の中心部にゆるやかな
出会いの場をつくりだすことも必要です。駅から徒歩で行けるという
立地も味方するでしょう。行政サービスの提供する「公」ではなく、
市民お互いが「公的空間」を通んて出会える。そのようなイメージ
です。
3.再生保存への提言
次の三つの具体案を提言します。
■第一案 ものづくり体験施設赤れんが棟
石油産業、鉄工機械産業ほかの歴史と現在、エネルギー産業
の未来を常設展示とする体験展示館とします。そのほかに市内
企業や大学、専門家の協力を得て、ものづくりの体験プログラム
を提供します。
■第二案 赤れんが棟ホール
主として文化芸術の催しが行えるホールとして整備します。
テナントを募集し飲食を提供するスペースも併せてつくります。
双頭レールなどの産業遺産は、埋設展示とするほか、触ること
のできるインテリアとして保存します。
■第三案 赤れんが棟モニュメント広場
赤れんが棟は、モニュメントとして保存し、周辺に商用空間
として活用できる広場を整備します。赤れんが棟は、特に
決まった指向性を持たせずに、イベントなどの自由に使える空間
として開放します。
17時に柏崎駅に集合し、マイクロバスで旧高柳町じょんのび村へ。狐の夜祭りなどのイベントの手伝いではよく来ているので、気楽な感じ。箸袋に狐の夜祭りがプリントされていた。今日は、所属会派の飲み会で、いまさらながらの私の歓迎会を含め、会派長:丸山議員の知事表彰など色々な意味を込めての開催である。さらには、5月1日に合併した旧高柳町で行い、現在、旧高柳町が特区として頑張っている、
どぶろくを味わいつつ、会派の議員がその営業マンになろうという意味もある。もちろん、なるべくお金が旧高柳町に落ちるよう、高い料理の設定。議員以外の本業でも利益の高い事業を行っている先輩議員とは違い、毎回となるとなかなか経済的に厳しいものがあるのも事実。どぶろくに使われている米は地元で植え育てた酒米「一本締め」。シュワシュワとわく発酵しているぞ!という自己主張に負けない、強い酸味。グビグビと飲んでしまうと腰が抜ける予感。食事を一緒に食べながら飲む。献立は以下の通り
・前菜 三種盛り
・お造り 刺身盛り
・焼物 鮭のちゃんちゃん焼
・煮物 うなぎ真丈・平皿 ずわい蟹
・深鉢 なめこ豆腐
・蒸物 茶碗蒸し
・洋皿 鯛サラダ・小鉢 くるみ白和え
・油物 タラバカニ天ぷら
・鍋 すき焼き
・食事 とろろ蕎麦、デザート
ちゃんちゃん焼きにバターを忘れていないことに感心する。宴会も盛り上がってきたところでカラオケ。『月月火水木金金』を歌い、某議員と『海ゆかば』。
21時過ぎに会場を後にし、再度、マイクロバスで柏崎駅に向かう。途中自宅近くで降ろしてもらい帰宅。0時近くまで資料の整理。
今日は、都内で皇室典範改悪反対デモを行う日でもあったが、今回の会派飲み会のため行けず。都内の大学生に参加してもらうようお願いしていた。「天皇」や「皇室」というとすぐ右翼と言われるが、日本という国家が皇室を維持してきたのは2600年。この基本を国民全体ではなく、有識者10名程度で30時間の議論である種の方向をだすことに違和感を覚える。幕府の力が絶大であった江戸時代(後陽成天皇:107代 在位1571~1617、後水尾天皇:108代 在位1611~1629)でさえも皇室は維持され、明治天皇が16歳で即位し、近代日本の幕開けとなっている。海外からみた日本のご皇室は、名越先生の「戦争に負けたのに、アンタんとこは王政を維持している」という言葉に集約される。「女系」天皇と「女性」天皇の違いもまだ一般には理解が少ないうちに先に進むのはどうかと思う。「女系」天皇は歴史上例はないと述べると、男女差別と言われる。誰も「女性」天皇までも完全には否定はしない(GHQにより皇室離脱された宮家の復活をしてもダメな場合)。どうしても男系男子が見つからない場合の中継ぎとしての「女性天皇」は、歴史上、存在している。
*重祚(ちょうそ)・・・同じ人が再度、皇位になること
<奈良時代以前>
第 33代 推古天皇<寡婦>(592年~628年)
第 35代 皇極天皇<寡婦>(642年~645年)
第 37代 斎明天皇<寡婦>(665年~661年)皇極天皇の重祚
第 41代 持統天皇<寡婦>(690年~697年)
第 43代 元明天皇<寡婦>(707年~715年)
第 44代 元正天皇<未婚>(715年~724年)
第 46代 孝謙天皇<未婚>(749年~758年)
第 48代 称徳天皇<未婚>(764年~770年)孝謙天皇の重祚
<江戸時代>
第109代 明正天皇<未婚>(1629年~1643年)
第117代 後桜町天皇<未婚>(1762年~1770年)
これらのことを踏まえれば、まずは2600年の歴史を鑑みて「拙速な」判断をしないこと、宮家の復活を議論することが先であろうと思う。
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