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2005年12月

2005年12月31日 (土)

自衛隊生徒募集、そして満州

 1時ごろ飲み会より帰宅。これで年内の飲み会はやっと終わり。風呂に入り、2時頃就寝。

DSC00057DSC00060 7時起床。妹がもらってきた鰺の身をタタキにし、残った骨や頭を使って味噌汁を作る。タタキには、軽く塩をふり、刻みネギと生姜をたっぷりと混ぜ、しばらく寝かせる。味噌汁は、新鮮な鰺の旨味を活かすためにも、薬味は入れずに米麹の白味噌のみ。

DSC00061 小粒の納豆に多めの再仕込み醤油を入れ、軽く撹拌してご飯の上に投下。その上に鰺のタタキをのせ、「鰺タタキ納豆丼」の完成である。ガツガツとかっ込んで食べる。卵黄か鶉の卵をのせればさらに良かったのではないかと思う。

 一昨日の新聞を各紙読み比べていたら、大変興味深い?以下のような記事があった。


平成17年12月29日『新潟日報』

 自衛官募集案内を配布
 糸魚川の中学校 国通知に反する恐れ

 糸魚川市の糸魚川中(森悦二校長)が11月ごろ、3年生男子全員に自衛隊生徒(自衛官)の募集案内を配布していたことが28日、分かった。新規学卒者の就職活動に関する国の通知は「新規中卒者対象の文書募集は行わない」と定めており、これに反する恐れがあるため、市教育委員会は全中学校を対象に調査を始めた。
 自衛隊生徒制度は給与をもらいながら、通信制高校の卒業資格を得る仕組み。本年度の1次試験は1月14日。
 糸魚川中や防衛庁高田募集事務所などによると、同事務所は10月から11月にかけ、在籍生徒人数分の募集案内を用意し、上越地域3市の各中学校を回った。糸魚川中は進路指導担当者を通して学級単位で一律に案内文書を配布していた。
 文科省、厚労省は毎年4月、経済団体や都道府県などに採用選考期日などを通知。この中で、社会経験が浅い中学生がパンフレット類だけで就職しないよう求めている。防衛庁も中学生募集について「保護者、進路指導担当者を通じて行う場合に限る」と下部機関に通達。同事務所によると学校側に生徒へのパンフ配布は依頼しておらず、「(文書の)扱いは担当の先生に任せた」という。
 文科省児童生徒課は「希望者だけに配るなどの配慮が必要だ」と強調。県義務教育課も「一律配布は通知の趣旨に反する恐れがある」と指摘。森校長は「通知、通達が出ていること自体知らなかった。今後は通知に沿った対応をしたい」と話している。


 自衛隊生徒募集パンフレットは進路指導の先生を通して配布しており、配布の際、先生による説明があったか否かで、「文書による募集の禁止」であったのかの判断が変わってくると思われる。説明もなしに、いきなり進路指導の先生も配ることはしないであろう。
 自衛隊生徒募集パンフレットは、「陸自 何名、空自 何名、海自 何名」といった数字の羅列や実施要領などの条件がメインであり、そのパンフレットだけで募集する気まんまん?の構成にはなっていない。「文書による募集の禁止」は、その文書のなかに「国防のため、貴方も自衛官に!」などと勧誘の文言があり、それだけで入学・就職の意志を決定させるような構成、文章であり、さらに説明もなしに配られ、それだけで学生が意志を決定するような場合を指す。それゆえ、進路指導の先生も、いきなりパンフレットのみを配ることはしていないであろうと容易に予想できる。
 そもそも、自衛隊生徒に関する募集については、職業安定法の適用範囲外である。

 調べてみると、他の自治体でも同様に、教育関係者や共産党、社民党の地方議員によって、定期的に問題化させられている。
 では、柏崎市ではどうかといえば、実は昨年、共産党議員から柏崎市教育委員会に対して、自衛隊生徒のパンフレットが配られている事に対し、クレームがあったそうである。適切に配布しているとの柏崎市からの回答で一件落着したが、柏崎市もこのような動きがあることを認識して、今後の海上自衛隊誘致の活動をしていきたい。

DSC00064DSC00067 昼食もとらず、年賀状や礼状などを書いたりしているうちに、夕方になったので「お歳とり」のご馳走の準備。新鮮な鰺を半生で焼いた焼き魚を中心に、豚ロースで作ったチャーシューを作成。
_1DSC00066 大根膾、黒豆をはじめ、車麩の煮付けや山菜の油炒めなどの郷土料理は、母が担当。家族も祖母と母との3人なので、量は少ないが、黒豆などは量を作らないと美味しくないが仕方ない。

DSC00065 準備をしながらの母の一言、「アンタが結婚しないから・・。なんで息子と台所仕事してるのかねぇ」。年末にきて、痛い言葉である。
 料理が揃ったところで、弟も呼び、ビールを飲みながらのお歳とり。

t  今年、海の向こうでは、ネルソン提督で有名なあのトラファルガー海戦200周年、我が国では東郷平八郎
「勝って兜の緒を締めよ」
に代表される日露戦争勝利100周年であり、大東亜戦争終結60周年であった。
 日露戦争がどのような意味があったのか、そして大東亜戦争は何だったのかを考える良い機会であった。戦争について考える、と言うと「それ見ろ、右翼だ」「戦争をしたがっている」との批判をよく受けるが、なるべく戦争が無いよう、平和を願うのは当然であるからこそ、「戦争」という言葉だけで思考停止することなく、考えることが重要なのである。
 どうして開戦せざるを得なかったのか、各戦場における戦術、戦略、リーダーの決断は正しかったのか、これほどの材料はないであろう。大東亜戦争における日本の大敗北を研究することが、散華された英霊に対する慰霊にもなると思う。
 このブログでも極力、大東亜戦争の小話を書くようにしてきた。今年いっぱいで終わろうと思っていたが、勉強・研究すればするほど、学校では習わないが、重要な事柄が分かってきた。引き続き、来年も書きたいと思う。
 また、大東亜戦争中、もしくは後に独立したアジアの国、大国でいえばインドなど諸国との関係も勉強していきたい。

_1  今年の5月には満州柏崎村の跡地が発見された。日本の近現代史は「満州にはじまり、満州に終わる」ともいわれる。来年5月には慰霊の旅に行くので、こちらも引き続き勉強していきたい。
 陸軍の軍人として、大東亜戦争を戦った亡き祖父は、大酒を飲んで酔っぱらうと

 「『しっかりせよぉ~』と抱き起こしぃ~」

と拳を振りながら、よく歌っていた。当時は、

 「また、お爺ちゃんが戦争の歌、歌ってるぅ~」

_3ぐらいにしか思っていなかった。いまであれば、しっかりするのは酔っぱらったお爺ちゃんだろ」とツッコむところである。
 いま改めてこの歌を調べてみると実は満州を題材にした歌だったのである。
 詳細を聞きたくとも祖父は既にいない。来年もまだご存命の戦争経験者に色々なことを直接お聞きしたいと思う。
*写真は満州で売られていた「栗納豆」。糸引き納豆ではなく、甘納豆の一種。


『戦友』 明治38年(1905年)
 作詞:真下飛泉/作曲:三善和気

 ここは御国を何百里 離れて遠き満州の
 赤い夕日に照らされて 友は野末の石の下

 思えば悲し昨日まで 真先かけて突進し
 敵を散々懲らしたる 勇士はここに眠れるか

 ああ戦いの最中に 隣に居った此の友の
 俄かにハタと倒れしを 我は思わず駆け寄って

 軍律きびしき中なれど 是が見捨てて置かりょうか
 「しっかりせよ」と抱き起こし
 仮繃帯(かりほうたい)も弾丸の中

 折りから起こる突貫に 友はようやく顔あげて
 「御国のためだ関(かま)わずに 遅れてくれな」
 と目に涙

 あとは心に残れども 残しちゃならぬ
 此の身体(からだ)
 「それじゃ行くよ」と別れたが 永の別れとなったのか

 戦いすんで日が暮れて さがしにもどる心では
 どうぞ生きて居て呉れよ ものなと言えと願うたに

 空しく冷えた魂は 故郷(くに)へ帰ったポケットに
 時計ばかりがコチコチと 動いて居るのも情けなや

 思えば去年船出して 御国が見えずなった時
 玄界灘で手を握り 名を名乗ったが始めにて

 それより後は一本の 煙草も二人わけてのみ
 ついた手紙も見せ合うて 身の上ばなし繰り返し

 肩を抱いては口癖に どうせ命は無いものよ
 死んだら骨(こつ)を頼むぞと 言いかわしたる二人仲

 思いもよらず我一人 不思議に命ながらえて
 赤い夕日の満州に 友の塚穴掘ろうとは

 隈なく晴れた月今宵 心しみじみ筆とって
 友の最後をこまごまと 親御へ送るこの手紙

 筆の運びは拙いが 行燈(あんど)のかげで親達の
 読まるる心思いやり 思わずおとす一雫(ひとしずく)

2005年12月30日 (金)

東京大空襲と巨大タラコ

 読書をしながら3時ごろ就寝。7時起床。朝から大掃除である。

 9時過ぎ、田形先生より年末のご挨拶のお電話を頂戴した。色々とお話しているうちにB29の無差別爆撃が行われた東京大空襲の話になった。東京大空襲は昭和20年、日本の士気を落とすために、陸軍記念日である3月10日(日露戦争、奉天会戦の日)が選ばれたという。深夜0時過ぎ、ナパーム弾が次々と落とされ、火炎によって逃げ道をふさがれた十万人ともいわれる多くの方が亡くなった。
 米軍人が、無防備な日本の民間人(非戦闘員)を無差別に殺す、まさしくこれこそ戦争犯罪であろう。
 当日、田形先生以下、数名のパイロットは特攻の命を受けて、台湾から特攻用の戦闘機を日本に受け取りに来ており、調布飛行場近くの旅館で寝ていたところであった。特攻用の戦闘機は爆弾以外すべての装備をはずされていた状態であり、上空にあがっても戦えない。なにより、特攻の命を受けている。田形先生以下、パイロットは旅館の窓から遠く炎に包まれる東京下町を見ながら、

 「堪忍してくれ、堪忍してくれ、
      
俺たちが守れなかったんだ・・・・」

と涙を流し、手を合わせて謝り続けたという。
 この無差別爆撃を行うB29を次々と迎撃し、26機を撃墜したのが、我が柏崎市北条の樫出勇氏である。
 田形先生と1時間半ほどの長電話になり、つい色々な事を聞こうとしたことを反省。来年90歳となる先生には、とにかく長生きして頂きたい。

DSC00056 11時、小粒納豆に大量のかつおぶし、黒酢、刻みネギ混ぜて、納豆丼。麩とネギたっぷりの味噌汁、イカの塩辛、漬け物でブランチ。最近、黒酢を納豆に混ぜるのがマイ・ブームになってきた。味噌汁への七味唐辛子とともに定番になりそうな気配である。

DSC00048DSC00049 以前、懸賞に当たった巨大なタラコキューピーを箱詰め。東京に行くといつもお世話になるS嬢への、クリスマス兼お年玉兼誕生日プレゼントである。本来でいうと私より年上のはずだが、女性なので25歳を超えると毎年-1歳になるという・・・・。

 午後は家の大掃除と仏壇の整理。
 17時より某関係者と飲み会。
 カラオケでは、参加メンバーの年代層、来年への気持ちを考え、時代劇『江戸を斬る』の主題歌であった西郷輝彦の名曲「ねがい」(作曲・編曲:いずみ たく 作詞: 山上路夫)を歌う。

2005年12月29日 (木)

靖國神社とアメリカ人

 1時就寝。6時起床、年賀状をひたすら書く。公職選挙法では、政治家の自分の選挙区内での年賀状を含む「時候の挨拶」は禁止されているので、扱いが難しいところ。参議院全国区の政治家は、選挙区が全国なので、どこにも年賀状を出せないのであろうか。

 午前中は親戚や甥っ子の相手。朝食を食べるわけでもなく、甥っ子の残したお菓子や、親戚と話をしながら煎餅などを食べる。

DSC00047 先日、修理にだした愛用のデジカメ SONY T33(シャア専用ズゴックをイメージし、ブラウン)が、LCD本体とLCD点灯基盤の入れ替えの修理が終わり戻ってきた。保障期間内であったため、無料。早速、シャア専用をイメージして購入した携帯電話FOMA F902iを撮影してみる。やはり携帯電話のカメラの画素数があがったとはいえ、デジカメにはかなわないと思う。

 11時から12時前まで打ち合わせ。

DSC00050DSC00052 12時過ぎ、親戚とともに、近所の「うれっ子」(電話:0257-22-4648)のチャーシューメン。今日から30円値上がりであるが、かわりにほうれん草がのるようになったようだ。親戚はいつもこのラーメンを楽しみにしているようだ。シンプルさが好きだという。

 13時、車で長岡市に移動。14時近くにナイジェリアから日本に来たアンヤンウ・イケチュクさん(有限会社プラカード・ジャパン代表取締役)の会社に行き、打ち合わせ。納豆学会の市販納豆博物館を中心としたリニューアルである。世界一の納豆ラベル博物館を目指し、システムを一新した。細部はこれからつめる。

*納豆学会 市販納豆博物館 評価版

 DVD-Rのメディアなどの買い物などをし、18時過ぎに自宅に戻る。

DSC00054DSC00053 越後もち豚のモモ肉ともらったマトンがあったので、「混ぜて」豚丼を作る。せっかくなので、今年お世話になったS嬢にも食べてもらおうと声をかけ、豚丼と黒豆納豆、ポテトサラダ、自家製漬け物で一緒に夕食。

DSC00055 先日、ブログにも書いた「樺太 9人の乙女」が映画化されたときの原作『樺太1945夏 氷雪の門』が古本屋さんから届いた。23時前に仕事をやめ、ベットに入ってゆっくり読むことにした。

 靖國神社に変わる、新たな国立・無宗教の戦没者追悼施設を作ろうと、韓国・中国に言われ動いた国賊国会議員が、その調査費用を予算化しようと目論んだが、調査費用の予算化の見送りが決定した。とりあえず安心である。
 他国の人の多くが靖國神社に違和感を覚えている、と主張する活動家がいるが、本当にそうであろうか。
 参考までに、名越先生がお書きになった、あるアメリカ人と靖國神社の出会いが以下である。


靖國神社に参拝したあるアメリカ人の感想

         高千穂商科大学元教授 名越二荒之助

 平成8年6月17日、エド・アンダーウッド海兵隊大佐と、大東亜戦争時にペリリュー戦を戦った元軍人のコードリン・ワーグナー氏の二人が靖國神社に参拝した。案内役は、私と、通訳の足羽雄郎氏が務めた。

 この二人のアメリカ人は、実際に昇殿参拝までしたのだが、その際の質問や感想が実に興味深い。「アメリカ人から見ると、靖國神社はこう見えるのか」と新鮮な驚きを覚えたので、ここに二人のアメリカ人の感想を紹介したい。

 二人のアメリカ人は、九段の坂をゆっくりと登り、靖國神社の参道を進んでゆくと、開口一番、次のように語った。

「靖國神社は二百四十六万人の戦死者を祀るというが、来てみれば余りにも狭い。(アメリカの)アーリントン国立墓地は二十三万人の墓地があるが、面積は二百五十万平方メートル。墓地の中には、連絡バスが走っているほどだ。それでも、アーリントン墓地は狭くて、満杯となっている。聞けば、靖國神社の面積(十万平方メートル)は、アーリントン墓地の二十五分の一しかないという。どうしてこんな狭い所にたくさん祀ることができるのか。地下に巨大な墓地があるのか」

 そこで、私たちは、「靖國神社は、シュラインと英訳されているため、ここに戦歿者の墓地があると勘違いされているが、実際は、戦歿者の魂を祀っているのであって、遺体を埋葬しているわけではない」と説明した。

 二人のアメリカ人は「魂を祀るとはどういうことか、よく分からない」という表情で、私たちの説明を聞いていた。

 そこで、昇殿参拝をしながら、日本人が靖國神社にどのような思いを抱いてきたのかをできるだけ詳しく説明した。

 すると、彼らは次のように感想を述べたのである。

 「魂を祀るとはどうすることかと思ったら、昇殿参拝してよく分かった。日本の戦死者は、キリスト教のように、ゴットに召されて昇天するのではなく、一人ひとりが本殿の奥に『神』として祀られている。戦死すれば、『神』となって、多くの国民に拝まれる。これ以上、名誉なことがあろうか。魂を祀る方法なら、戦死者が一千万となっても二千万となっても祀ることができる。

 しかも、日本では、『死んだら靖國神社で会おう』とか『会いたくなったら、靖國神社を訪ねよ』という遺言が黙契となっているようだ。これが、戦死者と遺族や国民の心を結んでいる。そのためか、今日も特別の記念日でもないのに、ぞろぞろと参拝者が絶えない。

 それに、昇殿参拝するまでの手順がよい。手を洗い、口をすすぎ、拝殿に足を運ぶ。すると、太鼓が鳴り始めて、お祓いを受ける。身も心も清めてから本殿に進む。

 戦死者の魂が祀られているという鏡のある本殿に対面してから、二回おじぎをするのは、『英霊の心を受け止めます』ということであり、拍手を二回するのは、『参列者の心を一つにすることだ』と説明を受けた。これは、自分の魂を英霊に捧げるという意味があるらしい。

 この儀式は、いかにも日本的であり、静けさのなかで、戦死者の魂に会ったという気持ちにさせられる。なかなかよく出来ている儀式だと思う。」

 神妙な面持ちで作法に従い参拝した彼らは、敬虔な気持ちで戦死者に思いを馳せるところが靖國神社だと理解したようであった。もちろん、彼らはキリスト教徒だが、神道形式の作法に従ったとしても、そのことが自らの信仰に抵触するとは思っていないようだった。お祓いなどの儀式を、宗教儀式というよりも、慰霊をする際の日本の文化の一環だと理解したからであろう。

 彼らは次に、「では、戦死者の遺体はどこに埋葬されているのか」と尋ねてきたので、千鳥が淵戦没者墓苑のことも含め、丁寧に説明した。すると、彼らは次のように述べた。
「日本では、戦死者の遺骸は各家庭の墓に祀り、その魂は靖國神社や護国神社に祀る。そして、引き取り手のない遺骨は、千鳥が淵戦没者墓苑に納める。すべてが自然な形で整っているように思う。」

 靖國神社に参拝すれば、たとえ外国人であっても、日本人独特の戦歿者慰霊の形を実感してもらえるのである。

2005年12月28日 (水)

今更ながらの『亡国のイージス』鑑賞

 2時就寝するも、事務所の片付けが年内に終わらないのではないかとの不安感から5時に起きて、事務所の整理。2001年からの名刺を整理しはじめたが、名刺にメモを書き込むととに、色々と思い出し、懐かしがりながらの仕事で効率が悪い。

F1000014_2  11時、大粒納豆に刻んだ高菜を入れ、黒酢を少々。小松菜の味噌汁、昨晩の「肉じゃが」の残り、目玉焼き、牛乳でブランチ。高菜の香り、歯ごたえが大粒納豆の力強さにも負けず、酢の引き締めもあって、ご飯が進む。

 午後から事務所に来客。柏崎に帰省されてきた方からの相談であり、柏崎にもっと働く場が必要であると再び実感する。

_2  市役所も仕事納めなので、顔を出したかったが、結局、18時を過ぎてしまったので行けず。
 自分自身も仕事納めをしてみようと、レンタルビデオ店に行き、まだ見ていなかった『亡国のイージス』を借りる。
*写真はオフィシャルサイトより

DSC00009 冷凍庫からラム肉をだし、クレイジーソルト、オリーブオイルで焼き、隠し味に醤油、最後にバジルをふる。肉厚なラム肉を口いっぱいに頬張り、ハーブの香り、荒々しい塩が喉の渇きを誘い、ビールをウグッではなく、ゴキュである。さらにビールを飲みつつ、早速、『亡国のイージス』を鑑賞。

 全体を見て、まずは上映時間である2時間少々にまとめるため、かなり話を圧縮したのではないか、という感覚が先にきた。感情移入するまでの「伸ばし」がないうえ、「某国」という言葉ではリアル感に欠ける。
 また、主役である仙石・先任伍長が、艦内爆発があって穴のあいた部分から艦に外から潜入するとき、水圧のかかったハッチを簡単に開けるシーンが気になった。本来であれば水圧もさることながら、その先の浸水区画の残留空気も開けた瞬間にでてくるので、容易には開けられないであろう。根本的には、浸水時、各所においてある木材で浸水を止める(海上自衛隊、旧帝国海軍でも木材などで「防水訓練」を行う)はずなので、潜入する穴を残して、他の区画へ逃げる自衛官の描き方がおかしいのであろう。
 とは言うものの、わずか1リットルで東京を壊滅させるという架空の化学兵器「GUSOH(グソー)」の設定や、乗っ取られたイージス艦「いそかぜ」が、海上自衛隊のイージス艦に対してハープーンを打ち、それを海上自衛隊のイージス艦が速射砲などで迎撃するシーンなどイージス艦の戦い方や日本の専守防衛の在り方についての問題提起もあり、楽しめた映画だった。

DSC00011DSC00010 『亡国のイージス』を見終えたところで、「さんまアイス」(製造者 (有)風月堂 宮城県桃生郡河南町鹿又字新田町役場前50 電話:0225-75-3023)を食べる。白ワインとブランディーが効いているようであるが、秋刀魚はバッチリ秋刀魚であった・・・・。

2005年12月27日 (火)

「特攻隊の方が幸せ・・」発言

F1000008 1時起床。メールの処理や事務所の書類整理で朝がくる。8時、朝食。味噌汁の味噌は、三重県の「伊賀越え 玉味噌」。和布蕪があったので、大粒の納豆に、和布蕪、鰹節、そして隠し味にマヨネーズである。牛蒡のマヨネーズ和えとともに、「マヨ尽くし」の感がある朝食。

 会社関係の年末の処理や銀行など、市内で仕事。町中である方に、

 「あっ、アンタ、三井田さん?『支那』って言った人でしょ。」

と話しかけられた。良くも悪くも、名前と顔を覚えてもらうのは為政者にとってはプラスであろうと、ありがたく思う。「靖國神社やA級戦犯について、どう思うのか」という話になったので、つい長話。戦争責任者と東京裁判による戦犯は違うと熱く語ってしまった。

F1000010 昼、祖母の食事も作るために一度自宅に戻る。

 「長もん(麺類)が食べたいねー」

とのことだったので、「日清ラーメン 函館しお」を使って納豆ラーメンを作成。F1000012麺が半分ほど茹で上がってきた段階で、卵を入れる。丼に入れたところで、白ごま、刻みネギを入れ、最後に、「納豆ふりかけ 梅味」をふって、完成。カゴメ「野菜一日これ一本」とともに食べる。インスタントラーメンは数あれど、袋のラーメンで一番好きなのがこの「日清ラーメン 函館しお」である。登山をはじめ、アウトドア活動にも非常食として持参している。塩加減よく、また淡泊な味わいなので、イジりやすい。

 午後からは打ち合わせを2件。事務所のリフォームもあらかた終わったので、乱雑な恥ずかしいところを見せることなく、安心して?人を迎え入れられるようになった。

F1000011 母の友人が作られたというお手製の「バナナ・マドレーヌ」を頂戴した。揚げバナナが香ばしく、ほど良い甘さで、コーヒーや紅茶ではなく、牛乳と一緒に食べた方が合うような感じ。お菓子作りはしたことがないが、是非、干し納豆をのせ、納豆パウダーを混ぜた「納豆・マドレーヌ」を作ってみたい。しょっぱいマドレーヌは今までに食べたことがないので、面白いものになるのではないかと思う。

F1000013

 21時、夕食。某スーパーで半額になっていた「ブリかま」を塩焼き、高柳町のがんもの煮付け、母が作った「肉じゃが」、「子持ちシシャモ」を焼いて夕食。「子持ちシシャモ」とは言いながら、本当のシシャモではない。脂がのって、卵をいっぱい抱えている商品名「子持ちシシャモ」の大半は、カペリン(Capelin)という魚で、和名では樺太シシャモ」である。体が銀色をしている点で、「シシャモ」と「樺太シシャモ」は区別できる。

 食後は、ひたすら事務所の掃除と片付け。

 新聞のスクラップをしていたら、こんな記事があった。


平成17年12月21日『新潟日報』

 「特攻隊の方が幸せ・・・」
 小千谷西高校長 服装指導で発言

 生徒の服装指導に関して「ヒトラーのようにやればいい」と発言した小千谷市の県立小千谷西高校の高山俊彦校長が、7月に開いた全校集会で生徒に対し「特攻隊の方が君たちより幸せだったのかもしれない」などと述べていたことが20日までに分かった。
 「ヒトラー」発言で、撤回と謝罪を求めた県高教組は「事実関係を確認した上で対応を検討したい」としている。
 同校長は7月22日、全校集会で制服指導に関し、規範意識の低下の原因として「自由のはき違え」と言及。「今の日本の繁栄は先祖の努力のたまもの」とした上で特攻隊に触れ、「君たちは尊い犠牲の上で生かさせてもらっている。あってはならない事態だったが、目的を持って生きていたのは君たちより幸せだったのかもしれない」と続けた。
 発言について高山校長は「戦争礼賛ではない。彼らの無念を思い、生徒に目的を持ってもっと頑張ってほしいと呼び掛けた。間違ったことは言っていない」としている。
 「ヒトラー」発言については同校長は19、20の両日、全校集会と保護者会を開き、発言を撤回、陳謝した。


 「ヒトラー」発言については、どのような経緯で発言したのか分からないが、「君たちは尊い犠牲の上で生かさせてもらっている」という点については、まったく異論なく、「自由のはき違え」についても同感である。「特攻隊の方が君たちより幸せだったのかもしれない」は、その真意を問わなければならないが、前後の脈絡からして、校長の言いたかったことは分かる気がする。
 一部分だけを抜きだして、問題化するのはよく使われる手口であるが、今回は「ヒトラー」発言で謝罪したのであって、特攻隊に関する話で謝罪したわけではない事を、うまく記事のなかでミックスしてあるところに、「ある種」の巧みさを感じる・・・・。
 

2005年12月26日 (月)

奇跡の艦!「駆逐艦 雪風」(ゆきかぜ)

 雪かきや郵便物やFAXなどの処理をし、3時就寝。8時起床、シャワーを浴び9時から事務所で打ち合わせ。

F1000002 12時、朝昼兼用で、納豆丼。今日は小粒納豆に、刻んだネギ、多めの鰹節、若布を入れてみた。鰹節がワサワサとした食感にならないように、撹拌ののちしばし寝かせる。若布の水分もあり、なかなか良い感じの納豆丼となった。食べ終わってから、卵黄をのせれば色あい、栄養的にも良かったのではないかと後悔。

 午後からは年末の挨拶まわり。自宅にいらっしゃらない場合も多くもあり、市内をウロウロ。市内の渋滞もあり、あっという間にあたりは暗くなってしまった。

F1000003 19時過ぎ、自宅に戻り、夕食。作っている時間もなかったので、某スーパーで時間経過により半額になっていた生鮨を購入。余りの寒さからビールではなく、たまには熱燗を飲んでみることにし、つまみとして知人からもらって冷凍しておいた、モンゴウイカの薫製を発酵バター焼きにする。

F1000004 どの木材のチップで薫製にしたのかまで聞いておけば良かったが、そのまま食べても薫製独特の香りと、塩気がちょうど良い。超弩級、いや、超「『こんごう』型イージス艦」級の薫製である。そのまま食べても良かったが、発酵バターの脂気と微妙な酸味も合うのではないかと思い、焼いてみた・・・・これが大正解。最初、熱燗と合わせたものの、急遽、ビールを冷蔵庫から取り出し、ビールをグビグビと飲んで、喉を潤わせたのち、肉厚のイカを噛み締める。ギュッ、ギュッという歯ごたえとともに、燻した香り、そして発酵バターの脂が口中に広がり、最後に発酵した乳の酸味がシメる。ついビールがすすみ、飲み過ぎた。昼の疲れもあり、21時過ぎ、一度、寝ることにする。

 先週、東京にいた土日の2日間は晴天であったが、その頃、柏崎は激しい雪風であったことだろう。その雪風という名前をつけた『奇跡の艦』がある。
yukikaze  それが昭和15年1月20日に完成した「駆逐艦 雪風」。
 「駆逐艦 陽炎」級の8番艦である。初戦は、昭和16年12月8日、真珠湾攻撃と同時に実行されるフィリピン攻略作戦。「戦艦 大和」とともに「菊水一号作戦」、つまり沖縄特攻にも投入されるが、「戦艦 大和」の沈没により、戦闘終了とみなし帰投。その間、米軍のロケット弾も当たっていたが、信管の不良により不発。硫黄島、沖縄が占領された後の戦闘においても、米軍の機雷が当たっても作動せず、ほぼ無傷で終戦を迎える。しかも、「駆逐艦 雪風」の乗組員の戦死者は10人に満たない。これが『奇跡の艦』と言われるゆえんである。
 終戦後は、武装を全てはずし、特別輸送艦として、かつて戦場だった太平洋の各所で兵士をのせ、故郷である日本に運んだ。
 昭和22年5月、「駆逐艦 雪風」は賠償艦(賠償の意味で)として、中華民国国民政府(台湾)に引き渡しが決定。引き渡し最後の日について、海軍記者であり、後に産経新聞紙上で連載をしていた伊藤正徳氏は『聯合艦隊の栄光』にこう書いている。

 引き渡し式が上海の埠頭で行われた。
 艦内はくまなく整頓されて、塵一点をとどめず。
 検査のため来艦した
 米英の海軍将校達は感激して言った。
 「自分たちは、こんなに整頓された
         軍艦をかつて見たことがない!」と。
 雪風は最後の日まで、日本の名を守った

 中華民国国民政府(台湾)での艦名は「丹陽」。しかも駆逐艦ながら中華民国国民政府(台湾)艦隊旗艦として使われることになった。

*通常であれば、駆逐艦クラスでの旗艦はない。日本の旗艦は「戦艦 長門」や「戦艦 武蔵」「戦艦 大和」など。

 昭和41年、除籍となり、日本からも返還要望があったものの、台風による浸水のため解体。(ただの老朽化による解体説もあり)
 昭和46年12月8日、「駆逐艦 雪風」の錨と舵輪が横須賀市の海上自衛隊横須賀地方総監部に運ばれ、日本に『奇跡の艦』が返ってきた。
 豊田穣著『雪風ハ沈マズ』光人社に、そのときの模様がこうある。

 会場の地方総監部グラウンドに運び込まれた
 「雪風」の錨と舵を見て、
 「こんな姿になってしまったのか」
 「あの雄艦が、これだけになってしまったのか」
 と「雪風」会員たちは泣いた。
 あらためて流れた「雪風」の追悼の涙であり、
 いまは亡き、
 
十六駆逐隊、十七駆逐隊の戦友を葬う涙であった。

 戦後、海上自衛隊の前身である海上警備隊が、初めて日本国内で建造した国産の艦は、甲型警備艦とされた「はるかぜ」。
 昭和29年、組織の改編により、海上警備隊が海上自衛隊となり、「はるかぜ」(DD-101)に次ぐ国産の艦、そして日本初の護衛艦が造られることになった。
 昭和31年就役、「駆逐艦 雪風」の魂を受け継ぐかのように、海上自衛隊の最初の護衛艦には、「ゆきかぜ」(DD-102)の名がついたのである。
 「ゆきかぜ」はその後、昭和60年に除籍となる。

 ちなみに、『宇宙戦艦ヤマト』の第一話「SOS地球!!甦れ宇宙戦艦ヤマト」において、主人公である古代進の兄、古代守が艦長をつとめる艦は、ガミラス艦隊に集中砲火を浴びる。古代守が敬礼をしながら、撃沈されたその艦の名前も「ゆきかぜ」である。

 「駆逐艦 雪風」については、1964年に松竹より映画化されている。山田達雄監督『駆逐艦雪風』。

2005年12月25日 (日)

再び『男たちの大和/YAMATO』、特攻隊遺書

 6時起床。長風呂に入ったのち、持参 した愛用のノートPC「ThinkPad X31」で仕事。トラックポイントのついたノートPCしか馴染まないので、ずっとこのシリーズを使うことになると思う。IBMのPC部門売却にはガックリだ。

 9時、上野駅近くの喫茶店で、打ち合わせ。事業計画の変更や広告戦略についてである。先方の社長が納得のいく提案になったようで安心した。お喜びなのは分かるものの、「若いから大丈夫だよね」「食べて食べて」と分厚いピザトースト3枚を注文され、食べないわけにもいかず詰め込む。まさか、計画と資料を作ってきた報酬がこのピザトースト代では・・・・・。

 朝からコッテリしたものを食べたので、運動がてら上野から秋葉原まで歩く。途中にあるスーパーや百貨店に寄り、新作やパッケージがリニューアルした納豆を購入。秋葉原では、FOMA用の充電機能つき通信ケーブルやシリコングリス、メモリ用ヒートシンクを購入。メインに使っている自作パソコンのメモリが2GBあるものの、コンパクト筐体であり、夏は熱暴走することしばしばなので、メモリ用ヒートシンクが役立てばと思う。

 13時近く、秋葉原から池袋に移動し、池袋シネマサンシャインで、16時からの『男たちの大和』の座席指定券を購入。戦争を扱った映画を見たことがないというO嬢のためにも、早めに来て良い席を確保した。良い席を確保できたとほくそ笑みつつ、インターネットが使える漫画喫茶に移動して、先ほど購入した納豆を1パック、コーンスープを飲みつつ、ブログを書き込み。

F1000017 15時過ぎ、池袋駅構内、お約束のフクロウの前でO嬢と待ち合わせ。適当に時間つぶしをしながら、映画館に到着。これまたお約束のポップコーン塩味とソフトドリンクを購入。ダイエット・ペプシがなかったので、いっそのことと思い、メロンソーダをチョイスした。16時からの上映、先週に続き2回目の『男たちの大和』を見る。場内は満席。場面によってはすすり泣きも聞こえてくる。
 2回目にもかかわらず、不覚にも、涙ぐんでしまったシーンがあった。それは「戦艦 大和」の出港シーンである。

 「靖國神社で会おう」 

と散華された方はもとより、幼い我が子に、

「素子
 素子は私の顔を能く見て笑いましたよ。
 
私の腕の中で眠りもしたし、
 またお風呂に入ったこともありました。
 素子が大きくなって私のことが知りたい時は、
 お前のお母さん、佳代叔母様に私のことをよくお聞きなさい。
 私の写真帳もお前のために家に残してあります。
 素子という名前は私がつけたのです。
 
素直な、心の優しい、
 思いやりの深い人になるようにと思って、
 お父様が考えたのです。
 私はお前が大きくなって、立派なお嫁さんになって、
 幸せになったのを見届けたいのですが、
 若しお前が私を見知らぬまま死んでしまっても、
 決して悲しんではなりません。
 お前が大きくなって、
     父に会いたいときは九段にいらっしゃい。

注)「九段」、靖國神社のある九段下
 
そして心に深く念ずれば、
 必ずお父様のお顔がお前の心の中に浮かびますよ。
 父はお前が幸福者と思います。
 生まれながらにして父に生き写しだし、
 他の人々も素子ちゃんをみると
 真久さんにあっている様な気がするとよく申されていた。
 またお前の伯父様、叔母様は、お前を唯一の希望にして
 お前を可愛がって下さるし、お母さんも亦、
 御自分の全生涯をかけて
 只々素子の幸福をのみ念じて生き抜いて下さるのです。
 必ず私に万一のことがあっても
    親無し児などと思ってはなりません。
 父は常に素子の身辺を護っております。
 優しくて人に可愛がられる人になって下さい。
 
 
お前が大きくなって私のことを考え始めたときに、
 この便りを読んで貰いなさい。
 

昭和十九年〇月某日                  父

isho植村素子へ
追伸
 素子が生まれた時
  おもちゃにしていた人形は、
 お父さんが頂いて
 自分の飛行機に
   お守りにして居ります。
 だから素子は
 お父さんと一緒にいたわけです。
素子が知らずにいると困りますから教えて上げます。 」

海軍大尉 植村眞久 享年25歳

*植村大尉は幼子ありながら、特攻を志願。 神風特別攻撃隊大和隊、第一隊々長の任務となる。出撃の前夜、戦友達の配慮で、長崎県大村基地から東京の自宅まで軍用の電話がつながれた。そして受話器を通じ、幼い我が子の泣き声を一声だけ聞いて、出発。昭和19年10月26日、愛娘が大切にしていたおもちゃの人形とともに、レイテ島東方スリガオ海峡付近の米機動部隊に特攻。
参考:「神風遺書」

と遺書を残した方々の事がふと頭のなかで連想、クロスしてしまったからである。田形先生から生の経験を聞いているだけに、つい涙ぐんでしまった。O嬢も映画終了後は、アイメイクのやり直しであった。

 映画の後、余韻の残しつつ、ナンジャタウンへ移動。入場料300円を払い、餃子スタジアムへ。昭和レトロ風になっている内装に安心感を感じつつ、餃子激戦区の蒲田に本店をもつ「元祖羽根つき餃子 ニイハオ」へ。F1000020生ビール大、「エビ茹で餃子、羽根つき焼き餃子セット 850円」である。「エビ茹で餃子」は口中にまるまる放り込み、グッとかむと中から汁が溢れ、とにかく熱い。羽根つきの餃子もパリパリ感を楽しんだあとにくる熱い肉汁。上あごが熱さベロベロになりそうなところにビールを流し込む。意外に満腹になってしまい、餃子スタジアムは一店舗で終了。_1その後、アイスクリームを集めた「アイスクリームシティ」にいき、「ソフトクリームBAR」へ。全国各地のソフトクリームが集めてあり、納豆ソフトはないものの、岐阜県養老サービスエリア名物という「カレーソフト 350円」を発見。奇を衒った系の食べ物にも興味がわいてしまうが、正統派のジャージー乳牛ソフトやあずきソフトも捨てがたい。F1000023ということで、4種類のソフトクリームを選べる「ちょこっともり 580円」で、あずき、ジャージー乳牛、バナナチョコ、カレーをチョイス。O嬢と分けて食べることに。濃厚なジャージー乳業、小豆の清涼感、思ったより普通の味であったチョコバナナ・・・・困ったのはカレーである。カレーパンも揚げた油が指につくわ、息はカレー臭くなるわで、「美味しいけどやっかい者」の称号が与えられているが、カレーソフトクリームはまったくのやっかい者の感がある。本来であれば、その他のアイスクリームやシュークリーム各店の味見もしようとO嬢と話していたものの、すっかりやる気を失ったので、ナンジャタウンをでる。
 ナンジャタウン内にあった昭和レトロ張り紙で、これは!と思ったのは

 「非行に走るな、リレーで走れ!」

である。

F1000024 池袋駅に向かっていきながら、豚骨系のラーメンを食べようということになり、「ばんから 池袋東口店」(03-3983-4044)へ。活気ある店内に入って、券売機にて「つけ麺 680円」を購入。O嬢は「ばんかららーめん 580円」である。F1000025席につくと、生大蒜と着色が少ない紅しょうが、ごまが置いてあり、早くも好感触。豚骨ラーメンには欠かせないものである。まずは「ばんかららーめん」到着。O嬢とお互い半分ずつ食べることにしたので、先にO嬢に食べてもらう。麺は豚骨系にしては珍しくツルツル食感の多加水の細目のちぢれ麺。F1000028豚臭さがあるものの、背脂が酸化していないためか、爽やかに感じる脂である。F1000027「つけ麺」は、ラー油の他、香味野菜で作ったような香油、魚介系のタレを使ったと思われるつけ汁に、加水率の高い、やや太めのツルツル麺。適度な辛みとごまの芳醇な香りが良い。つけ汁のしたに沈んだ刻みチャーシューの効果も大きい。ズボボーと一気に食べてしまった。つけ麺のバリエーションを多く出す店があるが、その多くは麺の上になにかのトッピングをのせた場合が多い。しかし、つけ麺は麺自体の美味しさとつけ汁の絡み具合でほぼ決まると思うので、麺は一種類でも、もちろん何かを練り込んだり、粉を変えた麺を複数でもいいが、できればつけ汁が複数ついてくるようなお店が近所にほしいと思う。

 池袋駅でO嬢と別れ、東京駅へ。新幹線の最終便に乗車。自宅についたのは24時を過ぎていた。

2005年12月24日 (土)

生卵溶き時間問題と「超弩級」

 2時起床。昨日、そのままソファで寝てしまい、あまりの寒さに起きる。風呂に入り、事務所での仕事。

F1000003 F1000004 8時過ぎ、N嬢に長岡に送ってもらい、長岡駅構内の立ち食いそば「柳庵」で「かき揚げそば」+「生卵」430円の朝食。いつも生卵をどのタイミングで汁に溶くのか悩む。かき揚げはまず蕎麦より下、汁の下のほうに埋め込み、浮き出してくる油と桜海老を楽しみつつ、蕎麦をすする。かき揚げがモロモロになったら、蕎麦の絡めて、さらに楽しむ。最後は、汁とモロモロを唇の感覚とともに吸い込んで終了となる。しかし、生卵を入れた場合には、まず生卵の白身をすする。そして卵黄をいつ汁に溶くのか悩むのである。今回は、汁が半分になったところで、溶いた。「コロッケ蕎麦」のコロッケの扱いと同様、悩ましい問題である(大袈裟?)。

 10時01分、長岡駅発の新幹線にて東京駅へ。東京は、雪もなく、晴天でまったくもって暖かい。田中角栄元首相の『日本列島改造論』が頭に浮かぶ。

F1000005 渋谷に移動、静岡県浜松市の新村和弘議員とS嬢と待ち合わせし、一緒に昼食をとることに。「花しずく 青山店」(03-3409-8788)に行く。店先にアントニオ猪木仮面を被しらせた人形があったので、「元気ですかぁー!」 と猪木風に叫ぶものの、周囲から冷たい反応。店内に入り、北海道産のそば粉と煮込んで3日寝かせたという青森産の海草を練り込んだ「しずくそば」の「野菜天ざる 1000円」を注文。F1000007冷たいそば茶が用意されており、暖房で乾燥した空気に喉が渇いていたのでゴクゴク飲む。蕎麦、野菜天ぷら、ネギをのせた蕎麦つゆ、天ぷら用のつゆのセットが到着。蕎麦は小千谷のへぎ蕎麦をもっと細くした感じであり、悪くはなかった。F1000008しかし、蕎麦の量と天ぷらの数が少なく、天ぷらもフリッター状態の衣であったのが残念である。「ミニ味噌かつ丼と蕎麦のセット 780円」にすれば良かったと反省。

F1000009 昼食後、近くの喫茶店で話をしながら、「チーズトースト 480円」をS嬢とつまみつつ、カフェオレ。政治から大東亜戦争まで幅広く話し合ったが、「戦艦 大和」「ミッドウェー海戦」などという言葉がでると向かい側の席のサラリーマンらしき人も興味があるのか、こちらをチラチラ。S嬢のおじい様は海軍でミッドウェー海戦を戦ったそうである。

F1000011F1000010 14時過ぎから、東京都杉並区の松浦芳子議員も加わり、松浦議員のお土産であるケーキを食べながら、18時前まで打ち合わせ。とにかく食べ過ぎである。打ち合わせの最中、松浦議員十八番の手品も拝見。李登輝総統の関係者である台湾の方のお土産というポン柑をもらった。

F1000014 18時から大学生1名、新村和弘議員と3人で「北海道 渋谷店」(03-5774-0625)に行き、「飲み飲み」。生ビール3杯に続いて、芋焼酎ボトルをお湯割りで飲みつつ、蟹みそ炙り、アワビ刺身、あん肝、白子ポン酢、真イカの沖付け、焼きタラバガニなどの魚介類で楽しむ。日本史を勉強し、政治にも興味があるという大学生に近現代史を話す。「だからねぇ、パラオはねぇ~」名越先生の名越節を駆使するが、そもそも大学生がチャンネル桜を見ていないので、無意味に終わる。新村議員はまだ『男たちの大和/YAMATO』を見ていないとのことだったので、21時35分からのレイトショーを見に行くことに。

 21時過ぎにおひらきにし、他の二人と分かれて、ホテルに向かう。定宿がいっぱいであったので、明日の打ち合わせ場所に近い上野駅近くの「ニューウエノ」に飛び込みで宿泊。風呂に入ってベットに横になった途端に寝てしまった。23時過ぎに就寝。

 現在、公開中の『男たちの大和/YAMATO』のポスターでも使われている「超弩級」の文字。「超弩級」は、圧倒的な、無敵の、といった意味で使われる。「超ド級」という表記も見ることがあるが、本来はこちらの表記が正しい。ちなみに「チョードキュー」の表記は見たことがない。
 「超弩級」の「弩」は、1906年に建造された英国の戦艦「ドレッドノート」にちなむ。「ドレッド:dread」は「ひどく怖がる、恐れる」の意味であり、「ノート:nought」は「無」という意味をもつので、この2つの語を組み合わせた「Dreadnought」で「恐れを知らない」、つまり最強の戦艦という意味での命名であった。それが転じて「超弩級」といえば、「無敵」といった意味を持つようになった。
 「ド派手」という語の「ド」も同じ語源である。
 「戦艦 大和」の場合は、超弩級どころか、いまだもって世界最大の戦艦。「ドレッドノート」との数値の違いをあげてみると、

 ドレッドノート:総排水量17900トン、
         12インチ10門他、最高速度21ノット

 大和:満載排水量 72808トン
     いわずと知れた46センチ主砲9門他
     
最高速度27.46ノット

・・・制空権をとる戦闘になってきたあの時代には、遅れた感のある「戦艦 大和」であるが、数値だけをとってみても凄さがわかる。
 これからは、「超ド級」より凄いと思うものには、「超大和級」という言葉を用い、普及をはかりたい。チョー派手な場合は、「大和派手」である。

2005年12月23日 (金)

天皇誕生日とアインシュタイン

 年末駆け込みの仕事の依頼が多々あり、徹夜。外は雷が落ちたり、暴風雨である。

oshio  朝、TVを見ながら事務所の掃除をしていると、フジTV系「めざましテレビ」押尾コータロー氏が出演していた。このままもっとブレイクすることを願う。
 また同番組で戦後60周年、語り継ぐ者がいない、という特集をしていた。できる限り映像で残し、語り継いでいく点で同じ意見ではあるが、その後の「平和活動をしていかなくてはならない」、「他国の平和も・・・」というのは、どういった平和活動か分からないうえ、ちょっと意味が不鮮明であった。「平和」という言葉は美しいが、その反面、無責任なところもあると最近感じている。念仏のように「平和」を唱えれば、誰かがくれるものではない。

 事務所の掃除や整理をしながら、録りためたチャンネル桜の番組を見ていると、井上和彦さんが、中国への日本のアニメ輸出の記事に対し、

 「輸出するなら、『アニメンタリー 決断』を出せばいい。
  日本も戦争で苦悩したことを理解してもらうべきだ」

との発言・・・・思わず笑う。

F1000002F1000001 11時近く、小粒納豆、叩いたオクラ、めかぶ、黒ごま、青ネギ、卵黄を使った「とにかく粘れ納豆丼」を作成。塩出しした米山町のもずくとネギたっぷりの味噌汁(三重県の豆味噌を使用)と自家製の漬け物を添えてのブランチ。それにしても、携帯でのデジカメ撮影がなかなかうまくいかない。オートフォーカスではあるが、シャッターボタンの位置も微妙なので、手ぶれもあるのだろう。

 午後は、来客があったり、親戚をまわったりでお茶とお菓子で胃がパンパン。出されたお茶を飲まないわけにもいかないのがツライところ。市内まわりの途中、一度、家に戻ると甥っ子も遊びにきていたので、アンパンマンのおもちゃとお菓子セットをプレゼント。クリスマスではなく、天皇誕生日だから、と1歳の子供に訳の分からないことを話す。妹から靴をもらったので、アクビちゃんの壺をお返しに。タミヤ模型の1/350「戦艦 大和」プラモデルが到着。作る時間もないので、箱ごと飾る予定である。

F1000003

F1000004 20時、新鮮な青柳の刺身、浅漬けを中心とした漬け物、スーパーで半額になっていた鶏のもも照り焼き、母が作ったポテトサラダで夕食。好きな貝の刺身なので、久須美酒造さんの「特別本醸造 清泉」を熱燗ではなく、常温で飲む。「アルコール添加は邪道」という方もいるが、すっきりと料理を楽しみたいこともあり、一概に批難はできない。食後そのままソファで爆睡。

 今日は天皇陛下の誕生日「天長節」である。72歳、誠にめでたい限りで事務所にも「日の丸」を掲揚。また今年は、大東亜戦争集結から60年、日露戦争勝利100周年、そしてかのアインシュタインが相対性理論を発表から100年である。アインシュタインのアインは、志村けんの「アイーン」ではなく「1」の意味、「シュタイン」は「石」を意味する。訪日は、大正11年から12年のこと。日本各地をまわり、講義を行いつつ、日本の文化にも親しんだ。
 「アインシュタインがそう言った」という伝聞で実際にアインシュタイン本人の文章になっていないため、その文章の内容もさることながら、真偽の議論があるものに、アインシュタインが我が国の皇室について語ったと言われている言葉がある。
 その言葉は概ね以下のようなもの。    

  「近代、日本の発達ほど世界を驚かしたものはない。
  この驚異的発展には、他の國と異なる何物かがなくてはならぬ。
  果たせるかなこの國3000年の歴史がそれであった。

  この永い歴史を通じて一系の天皇を戴いたという
  
比類なき國体を有することが、
  日本をして今日あらしめたのである。

  私はいつも世界上のどこか1ヶ所位、
  このような尊い國がなくてはならぬと考えていた。
  何故なら世界は進むだけ進んで
  その間幾度の闘争が繰り返され、
  最後には闘争に疲れるときがくるであろう。
  その時、世界の人類は必ず真の平和を求め、
  世界の盟主をあげねばならぬ時がくるに違いない。
  その世界の盟主は武力や金力でなく、
  あらゆる國の歴史を超越した、
  最も古く、且つ尊い家柄でなければならぬ。
  世界の文明はアジアに始まってアジアに帰り、
  それはアジアの高峯・日本に立ち戻らねばならぬ。
  吾等は神に感謝する、
  天が吾等人類に日本という國をつくっておいてくれたことを

 「概ね」と書いたのは、文献によって色々文章が違うので、最大公約数的なものを引いた。この言葉をアインシュタインは「言っていない」の立場もある。「言った」とされる文献は、名越先生の『新世紀の宝庫・日本』日本教文社をはじめ、清水馨八郎著『「日本文明」の真価』祥伝社黄金文庫、今村均著『祖国愛』甲陽書房、河内正臣著『真実のメシア=大救世主に目覚めよ』山手書房新社などがある。

2005年12月22日 (木)

樺太、9人の乙女

F1000001 3時就寝。7時起床、今日は昨日より、さらに寒い感じがするので八丁味噌、白麦味噌の自家製合わせ味噌で三つ葉と麩の味噌汁を作った。納豆は、京都府亀岡市、ユーアンドミーさん(0771-24-8915)の「すず姫」。北海道上川郡剣淵町のすずひめ大豆を使った納豆である。

 午前中は、事務所のリフォームと書類作成など多々あったが、電気の瞬停が数多くあり、デスクトップPCでの作業はままならず。愛用のThinkPad X31に環境を移して作業続行。

 11時から打ち合わせ。長引き、先方の奥様の手料理で昼食。スパゲティ・ボンゴレとガーリックトーストで満腹であった。

 午後は挨拶まわりや会社関係で市内。風がとにかく凄く、何回も愛車のドアが風にもっていかれそうになる。18時から納豆学会の今後の企画などについて、某社と打ち合わせ。

F1000004F1000003 21時に帰宅。「越後もち豚」を新潟地酒を造るときの酒粕と越後味噌で漬け込んだという「越後もち豚 味噌粕漬け?(仮称)」を試作品としてもらっていたので、早速、焼いてみた。 ほどよい発酵臭がアクセントになり、肉厚の豚肉からにじみ出る肉汁が肉と同様、厚みある味わいになっている。是非、納豆味噌で漬け込んでほしいとリクエストをつけて、感想をメールで送った。

 先の12月議会での「支那事変」と同様に訂正の野次(議会活性化の点では感謝)があがったのが「樺太」。「サハリン」と言い直せというのである。しかし、「樺太」を発見したのは、我が柏崎市米山町(鉢崎)の松田伝十郎。尊敬の念とともに、自分自身の政治信条から、「樺太」は譲れない。特に議事録がとられる場においては、次の世代に伝えるためにも「樺太」の語は残したい。

 大東亜戦争時の昭和20年(1945年)8月9日、ソ連は日ソ中立条約を一方的に破棄し、南樺太、千島列島、さらに北方四島に侵攻。8月15日、日本がポツダム宣言を受諾したにも関わらず、ソ連は樺太の国境線を越えて南下を続けた。そして8月20日、樺太南端の真岡市に上陸。そこで起こった悲劇が「9人の乙女」である。
 当時、南樺太には、40万人以上の日本人が住んでおり、電話局も開局していた。そこにソ連の突然の侵攻である。日本軍は武装解除の最中であった。
 ソ連の砲撃がはじまり、侵攻してくるなか、

 「私たちが伝え、電話局を死守しなければ・・・」

と真岡電話局に勤務していた9人の乙女は引き揚げの指示を断り、一時間半に渡って、真岡市街の状況を電話と無線(電話が混線したとき用の無線)にて稚内電話局に報告し続けた。そして電話線がソ連軍により切断され、最後の電話は以下のようなものであったという。

「内地の皆さん、稚内電話局のお友だちに申し上げます。
  只今ソ連軍が、我が真岡電話局に侵入いたしました。
 これが樺太から日本に送る最後の通話となるでありましょう。
 私たち9人は最後まで、この交換台を守りました。
 そして間もなく、9人そろってあの世に旅立ちます。

 ソ連軍が近づいております。
 足音が近づいております。
  稚内の皆さん、さようなら、これが最後です。
 内地の皆さん、
 さようなら、さようなら・・・・・」

 最後の無線は、責任者であった可香谷シゲ氏から発信された。

 「ワレニンムヲオエリ。
  サヨウナラ。サヨウナラ。
  サヨウナ・・・ラ」

 そして、9人の乙女は青酸カリを飲んで自決したのである。9人の乙女は

 可香谷シゲ(23):責任者
 高石ミキ(24)、伊藤千枝(22)、志賀晴代(22)
 吉田八重子(21)、高城淑子(19)、沢田キミ(18)
 松崎みどり(17)、渡辺照(17)

すべて独身。現在、靖國神社に奉られており、神社内の遊就館に写真も安置されている。
 稚内市には、戦後に「乙女の碑」が建立され、昭和43年にこの地を訪れられた昭和天皇と香淳皇后は9人の乙女の冥福を祈られ、次のお歌を残された。

樺太に命をすてしをたやめの心を思えばむねせまりくる

からふとに露と消えたる乙女らの御霊安かれとただいのるぬる

 この悲劇は昭和49年(1974年)に『氷雪の門』として映画化されたが、当時のソ連政府による圧力により、劇場公開が中止された。

2005年12月21日 (水)

スリランカ、故ジャヤワルダナ大統領

 2時過ぎに自宅に戻り、風呂に入って3時ごろ就寝。5時起床、柏崎準倫理法人会の経営者モーニングセミナーがあるので、車で会場であるシーユース雷音に向かおうとしたら、雪が凍り付いており、車をだすのに20分ほどかかる。6時から経営者モーニングセミナー。講師は、大塚歯科医院の大塚院長。テーマは「いつまでも若々しくいるために」として、フリーラジカルの話から和食の優秀さまで貴重なお話をされた。特に味噌をはじめとする、日本の発酵食品についての考えは同じであった。日本人は、水、米(穀物類)、塩、大豆、菌で生きてきた。体はそうできている・・・とは言いながらも、会食も多くなかなか本来の和食に戻せないもどかしさを反省。

1 7時過ぎ、ビュフェにて朝食。高柳の黒米おかゆを中心に、パンプキンポタージュ、温泉卵、小粒納豆などをチョイス。昨日の酒で胃が疲れているので、軽い量。黒米おかゆが胃にしみる。結局、ソーセージやベーコンは食べることができず。病気や老化の原因の大半は食事であることが分かっていながら・・・さらに反省。

 8時30分から2件の打ち合わせ。F100000312時からは、市内「嵯峨乃」(0257-23-0408)で昼食をとりながらの打ち合わせであったため、ひれかつ御膳(1239円)を食べる。柔らかいヒレ肉を使ったカツ、豆腐の味噌汁には三つ葉が散らしてあり、切り干し大根、白菜の漬け物がセット。コーヒーとジュースがセルフでサービス品。コーヒーを飲みながら、来年のイベントについて、方針を話し合う。

 名越二荒之助先生(「戦艦 大和」の資料も頂戴した)と田形竹尾先生からお手紙を頂戴した。田形先生からは、柏崎市北条出身で、「超空の要塞」と言われたB29を26機撃墜した世界一の爆撃王、樫出勇氏に関する話であった。

*B29に体当たりし、同時にニ機を撃墜した野辺軍曹のお話など貴重。

 旧陸軍の大刀洗飛行場で田形先生と樫出氏は同じ釜の飯を食い、樫出氏は本土への無差別爆撃を行うB29を次々と撃墜、田形先生は特攻隊の教官として、志願してきた若い兵を訓練し、涙をもって送り出した。両人ともご存命であり、生でお話を聞けるのは私の世代で最後であろう。ブログだけではなく、いずれは何かのかたちにまとめたいと思う。

u_2  名越先生からは、スリランカの故ジャヤワルダナ大統領の記念碑や満州の資料一式を頂戴した。驚いたことに、あの鎌倉の大仏で知られる長谷(はせ)の高徳院(こうとくいん)に、故ジャヤワルダナ大統領の碑があるそうだ。いままで高徳院には2回ほど行ったが、まったく気付かなかった。次回行ったときには、是非見てきたい。(写真は名越先生)

2 20時、北海道産助宗鱈の白子を頂戴したので、醤油、砂糖、酒で煮付ける。焼鮭、漬け物、たまねぎの味噌汁、白子煮付け、くめ・クオリティ・プロダクツさんの「味道楽」で夕食。ご飯の上に納豆をのせ、高菜を巻いて食べると、日本人に生まれて良かったという思いになる。

 昨日に引き続き、「原子力政策大綱」のさらなる読み込みなどを行う。

2005年12月20日 (火)

「原子力政策大綱」、丸山議員お祝い

 2時就寝。7時起床、資料整理や説明会が実施される「原子力政策大綱」を再度読み込む。柏崎市自体と「原子力政策大綱」との関わりはもとより、日本原子力研究開発機構や関連研究機関で高速増殖炉の計画など調べ始めたら、ハマってしまい、朝食をとる間もなく、説明会の時間となった。

F1000008 10時40分から市役所にて、内閣府原子力委員会の事務局による「原子力政策大綱」の説明会。これまで原子力利用に関する国の計画は、「原子力の研究、開発及び利用に関する長期計画(通称:原子力長計)」で定められ、ほぼ5年ごとに見直しが行われてきた。今回、説明会を行う「原子力政策大綱」は今年10月に内閣府原子力委員会において決定され、政府にてこの政策の基本方針を尊重する閣議決定がされた。「尊重」というのは、原子力委員会があくまで内閣府内の審議会であり、その基本方針を各省庁が尊重することを意味する。これまで、原子力委員会は総理府に設置され、委員長は科学技術庁長官。今回から組織を内閣府に移し、10回目の改訂となる。

 ザックリと見比べただけでも、以下のような違いがある。


1.計画期間
 <原子力長計> 特に記載はなく、ほぼ5年。
         不規則に計画が改訂。
 <政策大綱> 10年

2.原子力の経済性
 <原子力長計> 原子力発電の経済性は
         他の電源との比較において遜色のないもの
 <政策大綱> 上記のような記載なし

3.電力の自由化
 <原子力長計> 記載なし
 <政策大綱> 1-2-7.電力自由化等の影響
       ・近年、電力自由化に伴い、法的供給独占に
        よる需要確保や総括原価主義によるコスト回収
        の保証がなくなり、原子力発電所のような回収
        に長期を要する大型の投資の判断において、
        経済性、投資リスクの比重が以前に比して
        相対的に上昇している。このため、電気事業者
        には、原子力発電所の建設に対して、
        このような観点からより慎重な姿勢を示す面が
        あることも見受けられる。

4.核燃料サイクル
 <原子力長計> ・ウラン資源を更に高い効率で利用するには、
          高速中性子の反応を主とする高速増殖炉で
          プルトニウムを燃料として燃焼させるのが最も
          有効である。
 <政策大綱> 上記のような記載なし

5.高経年化対策
 <原子力長計> 記載なし
 <政策大綱> ・これまでに、運転開始後30年に至る前に、
         商業用原子炉施設9基についてこの対策が
         実施されており、その経験を踏まえて、
         国において保守管理手法も含めたこれら
         対策の充実のあり方について検討が
         進められている。国、研究開発機関、産業界、
         学界は、この結果を踏まえて、国内外の教訓
         や知見を注意深く分析評価し、研究開発を
         共同して計画・実施し、最新の知見を踏まえた
         高経年化対策が推進されるようにするべき
         である。定期安全レビューにおいては、過去
         の知見のない経年劣化事象が発生する可能性
         にも留意すべきである。


F1000009F1000010 12時過ぎ、市役所の「ひき」で、甘くて酸っぱい「酸辣麺:スワンラーメン」(650円)でブランチ。テーブルの上にあったラー油と酢をたっぷりと投入。熱く、酸っぱく、辛い汁をムセながら飲み、体が温まった。

 18時30分からホテル・シーポートにて、所属会派の会派長で、自民党柏崎支部の支部長である丸山敏彦議員の「自治功労」県知事表彰のお祝い会。発起人は、西川正純前市長。丸山議員と西川前市長とは昭和58年当選の同期組で、同期での新人議員の当選は13人であったという。西川勉県議もいらっしゃっていたが、西川県議は丸山議員のクラス担任だったそうである。また、丸山議員のお父様は昭和19年、スマトラ沖で戦死された。お母様は「『お父さんがいない子』と人に言われないように」と厳しく育てられたとのことである。英霊となられたお父様もさぞかしお喜びになっていることだろう。

1 お祝いの席の酒席。
 前菜として、筋子、氷頭膾、海老塩辛、もずく酢、唐墨大根の珍味5種盛りである。唐墨大根の唐墨による濃厚さと大根による食感が良い組み合わせ。34割鮮は「福浦の恵み」という題名のついた盛り合わせ。海老、水蛸、鯛、ブリである。凌ぎとして、鮪、ハマチの握り鮨。

68 冷たいビールを注いでは注がれてで、ビールで胃がいっぱいとなり、冷えていたところに吸椀到着。目出度い日らしく、金粉の浮いた蛤吸である。焼物は秋刀魚腸焼。焼いた銀杏とクワイが添えられており、そういえば正月が近いなぁ~と感じる。

72 煮物は炊き合わせで、ブリ、牛蒡、麩、ミニトマト。ミニトマト?と一瞬思ったが、彩りとしても情熱の赤であり、口に入れても熱い汁がピュッと飛び出してきて悪くない。今度自分で煮物を作るときにやってみたいと思う。中皿は海老ベーコングリル。ベーコンでエビを巻いて焼いたもの。

59 蒸物は湯葉卵蒸しであった。底に湯葉が入っており、ひたすらトロトロ。最後の食事として、コシのある稲庭うどんを使った鴨つみれ饂飩。腹いっぱいである。とにかく残さないように食べるのに一所懸命であった。

 陸軍あがりで消防署員だった祖父が生きていた頃は、正座して食事をし、ご飯粒でも残すと怒られたものである。立場上、色々な会食に出席するが、残飯が多く、とにかく「もったいない」の一語に尽きる。量が多い方が豪華という発想を変えなければ、食料の6割を輸入し、4割を捨てる我が国の現状は変えられない。食料も国家の大事なセキュリティである。エネルギーとともに真剣に取り組まなければならない。

 バスで柏崎駅に送ってもらい、その後は先輩議員と2次会へ。情報交換が主であったが、海上自衛隊誘致への意義を再度、説明。また防衛庁が防衛省に格上げになることや国民保護法による自治体の法整備のタイミングが勝負であることも同時に説明した。モツ煮込みに「ナニしながら」の熱燗。

 23時、自宅に一度戻るが、別の懇親会の2次会をすっかり忘れており、あわてて某店へ。到着後はかけつけ3杯をすることに。

2005年12月19日 (月)

「障害」か「障がい」、「障碍」か

F1000001 2時就寝。7時起床、雪かきを30分ほどし、熱いシャワーを浴びる。昨日食べ過ぎたせいであろうか、胃が重い感じがするので、パンプキン・ポタージュだけの朝食。
 午前中は、市内での会議を2件。

F1000002 12時過ぎ、自宅に戻り、京都府亀岡市のユーアンドミーさん(0771-24-8915)の「穂香(ほのか)」で納豆ご飯とインスタントのほうれん草の味噌汁で昼食。北海道産すず姫大豆に、京都産発芽黒米、京都産発芽赤米を入れて発酵させ、金ごまと黒ごまのごま塩がついたこの納豆は、強烈な粘りである。納豆ご飯をかっこむ、というよりはじっくり食べる感じになった。

F1000004 13時30分から厚生常任委員協議会。議題は、第二次障害者計画(案)、母子家庭等自立促進計画(案)、健康増進計画「健康みらい21」行動計画、第3期介護保険事業計画についての計4件。各委員から色々な意見もあり、17時までの長時間の議論に。担当委員会ではないが、重要な計画なので、番外議員として発言をした。障害者計画については、根本的なことを1つ確認させてもらった。そんなつまらない事は関係ない、と言われるかも知れないが、「障害者」の表記についてである。現在策定中である第4次総合計画のなかでは、「障がい者」と表記されており、市役所の公式文書ではないが周知文書に「障碍者」という表記もある。市役所のなかで統一はされていないのかと問い質したところ、統一はしていないとのこと。国の公式文書では「障害者」を使用しているため、国の法律を受けての柏崎市の法や計画では「障害者」を使用し、国の法律とのつながりがない場合には、自主的に、「障がい者」と表記しているとのことである。長野県上伊那郡箕輪町は、今年の8月から町の公文書で「障がい者」という表記に統一した。個人的には、行政文書は用語としてどちらかに統一すべきではないか、と考えている。他の議員、当事者、関係者をはじめ、今後、意見を聞いてまわろうと思う。
 ちなみに戦前は旧字体で「障碍」と記述していたものの、「碍」の字が常用漢字から外れたので、「害」をあてたという経緯がある。その経緯から「障碍者」の記述も見受けられるようになった。別の動きとしては、「障害者」という日本語ではなく、お得意?の横文字で「チャレンジド」(アメリカでいう障碍者「the challenged」より)という言葉に置き換えようとする動きもある。

F1000005 19時、北海道の知人から頂いたラム肉を中心に夕食。大蒜たっぷりのタレで焼き、茹でたブロッコリーを添える。肉厚で羊の肉特有の匂いも少なく、普段、マトンを食べている身としては、物足りない感じもあった。F1000006サイドメニューとして、チキン、コーン、玉葱、人参、ほうれん草のシチューも作ってみたが、やはり少量を作ってもスープ系はダメだと再認識。カレーもそうだが、大鍋で大量に作るから旨いものができる。F1000007もう一品は、絹ごし豆腐を使った麻婆豆腐。豆板醤と山椒をたっぷり入れ、激辛にし、舌が痺れる感覚を楽しむ。体につくづく悪い夕食となった。

 

2005年12月18日 (日)

大雪のなか『男たちの大和』鑑賞

 タミヤ模型から発売された戦艦大和・映画「男たちの大和/YAMATO」特別仕様を注文し、3時就寝。_1 模型でも「戦艦 大和」を飾っていると聞くと、たぶん、自称・平和主義の方などから「三井田は軍国主義だ」「三井田は戦争をしたがっている」「右翼だ」の声がでると思うが、平和を愛すればこそ、「戦艦 大和」を忘れてはならないと思う。その他にも、「戦艦 大和」を何故好きかと言えば、その美しさ 、そして当時の日本の工業技術の粋を集めたものであったからである。日本の「ものづくり」ここに極まれり の感がある。

DSC02350 6時起床、とにかく凄い雪なので1時間ほど雪かきをし、愛車を雪のなかから掘り出す。昼から三条市で会議の予定のため、早めに三条市に行ってワーナーマイカルで『男たちの大和』を見ようと、朝食抜きであわててて7時に自宅をでる・・・が、高速道路は閉鎖。しかも、国道8号線はもの凄い渋滞である。結局、三条市に着いたのが9時40分。2時間40分かかってしまったのもさることながら、9時35分からの上映に間に合わず。web経由のチケット注文が無駄となってしまった。しかも会議は大雪のため中止

 せっかくだからと12時30分からの次の上映チケットを購入。お腹もすいたので、映画館に併設の_1「ロッテリア」でモーニングセットA(小さなトースト2、マーガリン、厚切りベーコン、スクランブルエッグ、和風ドレッシングサラダ)、ソーセージエッグセット(ポテトS、カフェラテ)の朝食。ファーストフードの朝食なんて久しぶりであるが、あまり豊かな感じがしないのは気のせいであろうか。食事をしながらデジカメをいじっていると、愛用のデジカメ SONY T33(シャア専用ズゴックをイメージし、ブラウン)がいきなりの故障。つくづくツイていない日である。

 いざというときにデジカメがないのもツライので、急遽、映画館の隣にあるマイカル県央サティ内の携帯ショップにて、携帯をドコモのFOMA F902iに機種変更。もちろん、カラーはシャア専用をイメージしたグロッシールージュである。ドコモポイントなども使いまくり、1600円でできたので、ついでながらminiSDカードの265MBも2450円で購入。

akubi 時間があったので、マイカル県央サティのなかをウロウロしてみると、おもちゃ売り場になんと『ハクション大魔王』にでてくるアクビちゃんの壺があった。「笑い上戸はいぃーけれどぉ~派ぁ手な悪戯、玉にキズ」の堀江美都子氏によるエンディング曲にも歌われた可愛いアクビちゃんの壺(2450円)。ちゃんとイヤリングもしているピンクの壺である。迷ったあげく、購入。事務所においてある昭和40年代のポップな色合いをしたタンスの上に飾ることにする。

 12時近く、いよいよ『男たちの大和/YAMATO』上映まであと30分。お約束で、『男たちの大和/YAMATO』映画パンフレット(800円)、携帯ストラップ(1000円)、スチール写真のセット(600円)を購入。nacho映画といえば、ポップコーン。しかし、好きなナチョス(400円)があったので、こちらも好きなチーズソースで購入。飲み物はダイエットペプシをキングコングサイズ(600円)で注文。映画『キングコング』とのタイアップ商品でキングコングのスタンプもついてきた。『男たちの大和/YAMATO』を見る人は大人が多いからか、他に同じものを持っている人がおらず、「いい大人して、そんなの買って」風な視線も痛い。なかに入って、座ってみると184名収容のところ、大雪のためか、6割の入り。席は縦横からみてもほぼ中心。期待の上映である。

 ネタバレも良くないので、詳細は書かないが、面白い映画であった。個人的には、「母、妹のためにも、自分が出撃し、守ってあげたい」といったシーンが良く、同様に熟年夫婦らしき近くの方も旦那さんはそういった「守る」シーンに涙していた。その方の奥さんや自分の席より前にいた女性の多くが涙をぬぐっていたのは、親子の別れ、恋人との別れのように見受けた。

 映画のなかで、「片道分の燃料」という台詞があり、気になってしまった。沖縄に向け、「戦艦 大和」が出撃したときの燃料は満タン(満タンだと6400トン)ではないものの、実は約4000トンを入れていった。連合艦隊参謀長より発せられた作戦計画では2000トンではあるが、連合艦隊参謀 小林儀作海軍大佐の手記『戦艦大和の沖縄突入作戦について』によれば、

「片道の燃料などとは・・・・武人の情けにあらず

と帳簿上では空タンクとなっている重油タンクから手押しポンプにて重油を集め、約4000トンを搭載したのである。当時、タンクの底の重油は在庫として報告しておらず(帳簿外重油)、これを手押しポンプで沢山集めた。

 また、「戦艦 大和」沈没から生存した乗組員の救出シーンにおいて、これまで吉田満著『戦艦大和ノ最期』に書かれているような、下士官が救助艇に捕まった大和乗組員の手首を軍刀で次々と切り落とすようなものが描かれず、安心した。
 『戦艦大和ノ最期』にはこうある。

 「用意ノ日本刀ノ鞘(さや)ヲ払ヒ、犇(ひし)メク腕ヲ、手首ヨリ
  バッサ、バッサト斬リ捨テ、マタハ足蹴ニカケテ突キ落トス」

 「戦艦 大和」沈没後、付近の海域の救助に向かったのは「駆逐艦 冬月」「駆逐艦 初霜」。著者の故・吉田満氏によれば、「駆逐艦 初霜」の救助艇に救われた砲術士の目撃談として紹介しており、救助艇が生存者で満杯となったものの、乗り切れない生存者が船べりを掴んだので、下士官が掴んだ手首を次々と切り落としたというのである。
 著者の故・吉田満氏は、「戦艦 大和」に電測士、いまでいうレーダー担当者として乗り込み、沈没後は「駆逐艦 冬月」に救助された。
 『戦艦大和ノ最期』に書かれた指揮官に該当する人はまだご存命である。「駆逐艦 初霜」の通信士で、救助のための内火艇の指揮を務めた松井一彦氏その人。松井氏によれば、

・「駆逐艦 初霜」の内火艇は
 「巡洋艦 矢矧(やはぎ)」の救助に向かった

そうである。
 また、「戦艦 大和」を護衛して沖縄を目指したものの「戦艦 大和」沈没により帰投中であった「駆逐艦 雪風」に救出された、「戦艦 大和」乗組員の八杉康夫氏によれば、

・這い上がってくる仲間の手首を軍刀で切るなどありえない

と証言する。生き残った「戦艦 大和」乗組員の重傷者は、佐世保の海軍病院、軽傷者は浦頭の検疫所に運ばれたが、どこからもそのような話は聞いていないという。前述の松井氏も「駆逐艦 雪風」「駆逐艦 冬月」関係者に聞いたが、そんな話はないとのこと。
 そもそも、内火艇は、船べりが高く、海面から手を伸ばしても届かない。ロープを投げ、引き寄せて救助するのである。映画の救助シーンでもそうであったし、海軍の溺者救助、漂流者救助のマニュアルにもロープを使う旨記載してある。また、内火艇は羅針盤があり、軍刀は磁気に影響するので、持ち込まない。しかも海軍の士官は、軍刀は常時携行しない。ただ、沖縄決戦を想定していたので、米軍との白兵戦に備えての軍刀が駆逐艦のなかにあったのは事実である。
 では、救助に向かった船が違うものであったとしたらどうであろうか。海面から手を伸ばして手首が見える高さの船べり、つまり簡易な救助艇を想定する。軍刀も良く切れるものを持っていたとする。すでに船のなかは生存者で満杯。戦時下の沈没にともなう救助であり、生存者は当然、重油まみれである。そんななか、軍刀を振り回し、次々と手首を切り落としていくことは可能であろうか。
 この件については、松井氏のみならず、旧海軍の親睦団体「水交会」からも「駆逐艦 初霜」乗組員を中心に「訂正すべし」の声があがっている。
 『戦艦大和ノ最期』のなかでは、その他のことについても「訂正」の声がある。レーダー担当者であった故・吉田満氏の勤務場所は艦橋。とてつもなく巨大な「戦艦 大和」のほかの部署のことも書いてあるが、本人が直接体験したものではなく、伝聞によると考えるのが通常であろう。故・吉田満氏が『戦艦大和ノ最期』を書いたのは1946年。軍国主義の復古だとしてGHQの検閲により出版できず、発表は1952年になったものの、書いたのは終戦直後。電話もなく、生存者の住所も分からなくなっているなか、取材をどう行ったのかは不明である。また、当初のタイトルは「小説・軍艦大和」であり、ノンフィクションではないとしている。著者の吉田満氏がすでに鬼籍(昭和54年9月17日、56歳で死去)に入っているので、本人による訂正はできない以上、今後、出版社は『戦艦大和ノ最期』をあくまで小説であると紹介してほしい。(詳細は『will』1月号に詳しい)

 映画が終わったところで柏崎に帰ろうと思ったものの、大雪で高速道路はまだ閉鎖。幹線道路も時速10km/hで走れば良い方である。14時に三条をでたのに、16時になってもまだ見附市F1000004F1000005お腹もすいてきたので、「喜多方ラーメン 蔵 見附店」でチューシューメン(787円)+餃子セット(304円)を注文。餃子セットは餃子が3、お新香、ライス、杏仁豆腐であった。餃子は味噌だれで頂く。気のせいか、チャーシューの豚肉がにおい、ご飯もバサバサであった。

 自宅についたのは19時過ぎ。大雪のなか4時間半のとろとろドライブは非常に疲れる。パソコンの画面を見る気もなくなったので、たまった資料を読みあさる。

shosho2 風呂あがりに「ナンジャワールド」のアイスセットから熊本県菊池市の「成人向 熊本純米焼酎アイス 淡麗芳醇」(ついんスター)を食べる。ラクトアイスなので、 乳脂肪の濃さよりも焼酎の香りが際だち、これはこれで楽しめる。氷の粒が宝石のようにバニラに入っていたアイスが昔あったが、そんな感じで焼酎の氷がバニラに入っていても良いかも知れない。

2005年12月17日 (土)

戦場のなでしこ、青葉慈蔵尊

 0時過ぎ就寝。7時過ぎに起床し、今週の郵便物や書類の整理。本来の予定であれば、昨日の夜中に東京に移動し、地方議員の仲間と新宿などの繁華街で「皇室典範改正」に関する街宣活動の予定であったが、大雪の予報もあり、自宅での待機を薦められたため、予定を変更。案の定、天候が悪くなってきた。

DSC02335 11時、ハムエッグ、なめこと絹さやの味噌汁、漬け物3種類(白菜、野沢菜、味噌漬け)、経木に包まれた某社の試作品納豆、どんぶり飯、柿でブランチ。漬け物の種類が多い食卓が楽しいと思うのは、爺ちゃん子で育ったからであろうか。その後、親戚や日頃お世話になっている方々への年末の挨拶まわりで市内をウロウロ。

DSC02337 16時過ぎ、やっと自宅にもどり、食パンがあったので、ゆで卵とマスタード、マヨネーズで卵ソースを作り、鴨肉のハムを入れたサンドイッチを作っての軽食。甥っ子がきていたので、甥っ子にも食べさせるが、マスタードを多めに入れたため、口から「べぇぇ~」と出されてしまった。

 19時から町内青年会の理事会。30分ほどお話したのち、別の意見交換会に出席。

DSC02341 意見交換会がかなり白熱し、怒りおさまらない方もでてきたため、結局、某居酒屋で「飲み飲み」。外も吹雪いてきたうえ、罵りあいになってきたので、生ビールを飲みつつ、揚げたてのパリパリとした春巻きを食べ、お先に失礼させてもらう。

sumisumi2 暴風雪波浪注意報の通り、23時、雪が吹きすさぶなか、自宅に戻る。体を温めるために熱めの風呂に。風呂あがりに「ナンジャワールド」のアイスセットから栃木県栃木市の「蔵の街名物 炭あいす 肉のふきあげ謹製」(販売者:肉のふきあげ 製造者:アサヒフーズ)を食べてみたが、なかなか好みの濃さであった。


_1  満州の悲劇
 
「日本が再び満州にきたら、
   私たちが道案内をします」

 埼玉県大宮市の「青葉園」、故山下奉文陸軍大将御墓近くに「青葉慈蔵尊」がある。左手に看護婦(現代表記では看護士であるが当時の記述にならい)さんの制帽をもち、ほほえみをもった地蔵は、ソ連に抗議し、集団自決した22名の看護婦さんの気持ちをいまも伝える。
 昭和20年8月9日、長崎への原爆投下を確認するかのように、ソ連は日ソ中立条約を一方的に破棄し、満州から北朝鮮、樺太、千島に進軍してきた。
 昭和21年春 ソ連の占領下となった旧満州国・新京の第八病院の従軍看護婦34名が抑留され、看護婦としての医療勤務をしていたが ソ連軍による看護婦の派遣要請があった。日本帝国軍人であろうが、ソ連軍兵士であろうが、ナイチンゲール精神をもって、堀看護婦長はその派遣に応える。その後、派遣要請は3回まで続くが、派遣した9名は消息不明のまま。4回目、3名の派遣命令がきたその夜。4度の派遣に迷う堀看護婦長の前に、最初に派遣された大島看護婦が命からがら、満身創痍、瀕死の状態で逃げ帰り、それまで派遣された看護婦がソ連軍兵士から、性的な陵辱(慰み者にされる、梅毒になる)を受けていることを報告し、そして息絶えた。大島看護婦を葬った22名の看護婦たちは、日本女性の誇りと純血を守り抜こうと、6月21日、制服制帽整然として枕を並べ、青酸カリを飲み、抗議の集団自決をしたのである。そのときの遺書は、以下の通りである。

遺 書

 二十二名の私たちが 自分の手で命を断ちますこと 軍医部長はじめ婦長にもさぞかし御迷惑と深くお詫び申し上げます。

 私たちは敗れたりとは云えかつての敵国人に犯されるよりは死を選びます。

 たとえ命はなくなっても 魂は永久に満州の地に留まり 日本が 再びこの地に還って来る時、ご案内致します。

昭和21年6月21日 散華
旧満州新京(現長春)
通化路第八紅軍病院

荒川さつき 大島花枝 川端しづ 相楽みさえ
澤本かなえ 杉まり子 垂水よし子 林千代
細川たか子 吉川芳子 池本公代 稲川よしみ
大塚てる 五戸久 澤口一子 三戸はるみ
杉永はる 中村三好 林律子 森本千代
渡部静子 石川貞子 井上つるみ 柿沼昌子
沢口千恵子 沢田八重 柴田ちよ 田村馨
服部律子 古内喜美子 山崎とき子

 派遣された9名のうち、命からがら逃げ出した大島看護婦は亡くなったが、残りのうち3名は梅毒をうつされているので、とてもじゃないが親戚に会わす顔がないとして自決、3名は不明、1名はソ連軍将校と結婚した。
 昭和23年、堀看護婦長とともに、帰国した二十二柱の遺骨が納められたのが、青葉慈蔵尊である。

 この話は、「戦場のなでしこ」という映画にもなっている。

2005年12月16日 (金)

12月議会最終日、行政との忘年会

DSC02324  2時就寝。7時起床。事務所のリフォームに伴う事務所の整理などを行い、つい熱が入って朝食を作る時間を忘れたので、「雪割り納豆」と練り梅を混ぜて具にしたおにぎり2個を作り、それを持って市役所へ。市役所売店で「野菜一日これ一本」を購入。会派室で食べていると某先輩議員から「三井田君、嫁なんかいらんねっか、おい」とのお言葉。食事を含め、基本的に自分のことは自分でやるので(自己完結型?)特に不自由さは感じない。妻となる女性が必ず食事は作るべきと思う世代でもないので、こんなところにも男女同権の変化を感じる。

 10時から12月議会の本会議。最終日であるため、委員長報告があったが、特に質疑、討論もなく、原案可決。11時には議会が終了した。その後、議会運営委員会を傍聴。来年2月議会の日程について、一般質問の配分が議論される。私も毎回行う一問一答形式での質問が全体的に長いという意見もあったが、こちらは時計でキッチリ計っての30分以内の質問である。一問一答形式を選んだ議員の質問時間が1時間を超えるほど長いのは、むしろ答弁側が長い。答弁全体で30分以内になるよう簡潔、明瞭な答弁を願いたいところである。また、質問の要旨を書いた通告内容と実際の一問一答の内容が異なっている、という批判が市役所職員から聞いている、と議会事務局から報告があった。つまり、「お約束と違うじゃなーい」である。鳥取県の片山知事は、通告なしのガチンコ質問議会を行っているそうだが、本来、政治家である首長(市長、知事)はガチンコでも十分議論に応戦できるようにするべきではないかと思う。

 事前の要旨の通告は、あくまでお互い深い議論ができるようにするためのガイドラインに過ぎない。大まかな方向だけでも分かっていれば、あとは政治家としての首長の度量で勝負!ではないだろうか。

 17時20分に市役所に行き、メトロポリタン松島にバスで移動。市長、助役、収入役の市三役に加え、市役所各部各課の部長、課長、そして市会議員の忘年会である(会費8000円はかなり痛い)。市長、議長の挨拶の後、乾杯。市長の挨拶のなかで、

「小泉首相による靖國問題で、中国との関係が悪くなっている」

との問いかけから、柏崎市が中国の3都市との交流をしていること、次の世代の柏崎っ子のためにも中国とは仲良くしなければならないとの言葉があった。柏崎市(旧西山町)出身である、田中角栄元首相が、私が生まれた1972年に行った「日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明」には、この一文がある。

「日本国政府及び中華人民共和国政府は、
 主権及び領土保全の相互尊重、相互不可侵、
 内政に対する相互不干渉・・・・・」

日中国交正常化交渉記録

 日本国内の施設であり、また民間運営である靖國神社に対する中国の干渉こそが原因ではないかと思う。ちなみに、「日中国交正常化」と言われるが、厳密にはそれ以前に「中華人民共和国」は存在しないうえ、「正常化」はあくまで中国側から見た表現である。「国交回復」も同様。新しい国と国交を樹立した日本側が、中国と同じ「正常化」という言葉にする必要性には疑問をもつ。

DSC02325 料理はあらかじめ、数点が席にセットされていた。金色の長方形の皿には、エシャレット味噌添え、数の子、鴨のハム、バイ(貝)煮付け、サーモンのあぶり焼き。揚げ物は、アーモンドを衣にあしらった海老の天ぷら2本、獅子唐の素揚げを抹茶塩で。鮪のフレーク、とろみあんのかかった海老しんじょの小鉢。DSC02326手前の黒い箱のなかには、和え物3品。シーフードマヨネーズ和え、菊のごま和え、蛸の山海漬けであった。マヨラーではないが、海草の歯ごたえといい、マヨネーズの量といい、シーフードマヨネーズ和えが一番美味しく感じた。さらに、この器が良かったのである。DSC02327白うさぎにもみじ、秋であれば、もっと映えた器だったであろう。
鯛、寒ブリ、まぐろ、ほたてなどのお造りに続き、きちんと銀杏の入った茶碗蒸し到着。周りの人は、食べるのもそこそこに酒を注いでまわったりしているが、せっかくの温かい料理なのでとりあえず食べる。DSC02329茶碗蒸しを食べ終えてから、市長をはじめ、職員の皆さんにも話をしながら注いでまわる。

 普段、議員の側からの一方向の会話になる場合が多いので職員の方からの話も貴重である。また議会の場においては、意見がぶつかることの多い教育関係の皆さんと唯一?意見が合ったのが「ジェンダーフリーの危険性」である。次の議会で取り上げるつもりであったが、まずは一安心。お約束で海上自衛隊誘致の意義を再度説明しまくり、若干引かれる。

DSC02331DSC02332 ローストビーフのグレイビーソースがけ、蕎麦で料理は終了。忘年会もお開きとなり、最後は「萬歳」で締めくくることになったが、「萬歳」の手が相手向きになる「降伏の萬歳」はちょっと頂けない。ささやかな抵抗として、正式な「萬歳」、両手の掌を内側に向け「萬歳」を行った。

 終了後、2次会に参加。2次会に移動するまで、雪と風の寒さで一気に酔いがさめる。

DSC02334 23時過ぎ、自宅に戻って風呂に入る。「ナンジャワールド」に注文していたアイスクリームセットが届いていたので、早速、「絹 シルク入り」(岐阜県・飛騨酪農農業協同組合、製造者は三重県の四日市酪農業協同組合と複雑な感じ)を食す。風呂上がりのためか、酒の後だからか、舌にねっとりと絡みつくような乳脂肪分と甘みが美味であった。

 昭和20年の今日、12月16日は近衛文麿元首相が荻窪の自宅で青酸カリを飲み自害した日である。GHQによる出頭命令の期限ギリギリでの服毒自殺。詳細な研究はもっとしたいと思うが、現時点で大東亜戦争の開戦の責任問題を問われれば、近衛文麿元首相と近衛内閣ではないか、と考えている。

2005年12月15日 (木)

販路開拓研究グループ例会

 3時就寝。7時起床。メールの処理、事務所リフォームの打ち合わせなど。

DSC02310 11時、ご飯、カップ小粒納豆(もの足りなかった)、昨日の鶏の山椒塩焼きの残り、ほうれん草の味噌汁でブランチ。上越の方に漬けてもらった沢庵が旨い。

DSC0231112時、午前中は母が買い出しで私が祖母の面倒をみる番なので、祖母の昼食を作る。先日、名古屋に行った時に買った「きしめん」に卵黄、刻んだ韮、刻んだ油揚げをのせる。油揚げは、油抜きをしたのち、電子レンジでだし汁を吸わせたもの。

 午後からは会社の手続きや事務処理で市内まわり。

DSC0231418時30分から、柏崎商工会議所にて、「販路開拓研究グループ」の今年、最初で最後の例会である。テーマは、  午後からは会社の手続きや事務処理で市内まわり。18時30分から、柏崎商工会議所にて、「販路開拓研究グループ」の今年、最初で最後の例会である。テーマは、「ネット人口8,000万人時代の「WEB戦略」」。講師は、WEBコンサルティングのイープレス 代表 片岡 良氏 (茨城県水戸市)である。片岡氏の運営するサイトは以下のもの。

逸品倶楽部備長炭片岡屋
日本全国 街の電気屋さん川柳くらぶ 


「ネット人口8000万人時代のWEB戦略」

講師:WEBコンサルティングのイープレス代表 片岡良氏

・自己紹介
  実家が小さな電気店であり、自分もいずれは経営者という
 夢をもっていた。しかし学校卒業後、フリーター。
 営業として会社を転々。1996年にCS放送の番組を
 買い取っている会社に入社。東京都内の社長にお金を払って
 出演してもらう番組の営業をやっていたが、入社一週間後、
 会社がCSから撤退。その後インターネット事業に。
 それまでパソコンをさわったこともワープロを触ったことも
 なかったが、ショッピングモールを運営した。そのなかで、
 売れる企業と売れない企業があった。1997年から1998年
 に試行錯誤したが、京都の有限会社イージーの一冊の本で
 出会った。クライアントを一回全部失ったことがあるので、
 ノウハウをためることを決意した。そして2002年に独立。

・インターネットの市場規模
 総務省発表平成16年末 7048万人
 電気通信事業者調べ 携帯電話加入者数 89678900軒
 インターネット人口は8000万人時代

・検索エンジンで売上が変わる。
 Yahooのアクセスは月間290億PV(ページ・ビュー)
 成功モデルは検索エンジンにあり。
 <3大要素>
  1.速報性がある
  2.情報量が多い
  3.検索性がある

・検索エンジンを使ってユーザーを集める。
  上位ヒット(SEO)

・検索エンジンに広告を出す。
  リスティング広告

・サイトの再構築も必要。
 大企業でも失敗不度

・ユーザーを満足させることがポイント
 自社ホームページで「ゴール」させること

・自社ホームページで模倣できる成功モデルの「最短」の部分
 から取り組むなかでも最大の課題は、「情報量」。
 ホームぺージの厚さがユーザーを惹き付ける。

・情報量戦略は、ページ数の増加と掘り下げにある。
 情報量が増えれば自ずと「上位ヒット」の確率が高まる。

・最短で歩むなら、検索エンジン広告。効果が低ければ、
 課題はホームぺージ再構築。

・ネットは、直接利益と間接利益の両方で考える
 ネットというメディアを主軸に他のメディアへの働きかけ
 が有効である。


DSC02315DSC02316 20時30分から場所を「中華美食館」(0257-23-4530)に変え、懇親会兼忘年会。極真空手をやっていたという講師を中心に格闘技の話も盛り上がる。DSC02317DSC02318ピータンやチャーシューを中心にした冷菜の盛り合わせから始まり、エビチリソース、蟹フライ、アワビと青菜の炒め物、小龍包、DSC02320イカの唐辛子炒め、卵スープ、焼きそば、デザートまでのコースである。イカの唐辛子炒めでは、調子に乗って、唐辛子をそのまま4本食べ、汗だくに。温めた紹興酒を3杯、生ビール5杯ですっかり満腹。DSC02319DSC02321あまり食べずに酒で腹がいっぱいになった感じであった。色々な業種の人が集まっての会なので、話題が尽きず、話もドンドン広がる。市役所、商工会議所の職員の方も参加していたので、お約束で柏崎に海上自衛隊誘致の話をさせてもらう。DSC02322DSC02323次の飲み会もあったので、22時過ぎに会場をあとにする。

 某会の忘年会3次会?に途中参加。さかんに一気飲みを勧められるが、焼酎の水割り2杯で勘弁してもらう。明日の議会終了後の飲み会が終われば、やっと忘年会ラッシュの峠は越える・・・。

2005年12月14日 (水)

「ジェンダーフリー」記述、削除

DSC02298DSC02299 1時就寝。5時起床。倫理法人会の経営者モーニングセミナーのため、シーユース雷音へ。大雪のため参加者は少ないものの、輪読に汗を書く。朝食はビッフェ方式。新メニューとして、高柳町の棚田で作った黒米のお粥があった。黒米のお粥に納豆である。

DSC02303 10時から総務常任委員会に出席。提案された議案より計画の説明が長い。最近、色々な計画があるが、委員会での報告事項として、説明される。本来であれば、全議員が議論すべきことであるため、全員協議会等を行うべきではないかと思う。計画の立案と意見収集が少し乱暴に感じるのは気のせいであろうか。平成18年からの平成27年までの10カ年の計画である「一般廃棄物(ごみ)処理基本計画」「家庭ごみの有料化」についての説明、質問で午前中は終わる。計画へのコメントは12月28日まで。パブリックコメントの期限も同様。

DSC02301DSC02302 12時、同会派の議員と「ラーメン サッポロ」(0257-23-2022)にて、チャーシュー麺大盛り680円。さっぱりした醤油味で、チャーシューの煮汁をたれとした昭和トラディショナル系の味わい。麺も懐かしい感じである。

 午後からは、「かしわざき男女共同参画プラン」の説明。企画政策部関連の議案説明、質疑、「もう一つの決算書」などの説明が行われた。話題の男女共同参画であるが、「ジェンダーフリー」の文字の削除は行われた。しかし、依然「ジェンダーに敏感な・・・」などが施策に盛り込んであるので、担当委員会ではなかったが、意見をさせてもらった。一番の問題は、参画プラン2006の9ページにあるこの言葉である。

「文化的に形成された性別(ジェンダー)意識
 に基づく社会制度や慣行を見つめ直し」

 男女の「権利」が一緒であることは何も異論はないが、現実的な性の差はあるし、日本の文化として形成された性別の制度は守るべきではないか、と思う。同じような文言で男女共同参画を推し進めた自治体で、文化的に女性が作られるからとして、

「ひなまつりを学校行事から廃止」
(端午の節句も同様)

など、完全に狂っているとしか思えない例もある。「七五三」の意味合いも知らない子供もこれからでてくるのではないか。男性も女性も性差がないのであれば、テロや暴漢に襲われたとき、一緒に逃げても良いのであろうか。男性が女性を守ることはしなくても良いという社会になるのであろうか。職業の適性についても、肉体労働であれば、男性しかできない職業があるのが現実と思う。すべてが男女同じであれば、究極の差別的職業は、

 男しかできない「オカマ」
 女しかできない「オナベ」

になるのであろう。
 コメントは12月28日までとのことなので、じっくりと取り組みたいと思う。

 ちなみに、ジャーナリストの桜井裕子氏によれば、国や全国の自治体で男女共同参画に費やす予算の総額は約10兆円。血税、10兆円である。ちなみに、防衛庁の予算が4兆8000億円。国防とジェンダーフリー、バランスを間違っていないかと思う。

 19時まで打ち合わせ。19時過ぎから柏崎青年会議所の委員会に出席。21時まで打ち合わせや作業。某団体の忘年会2次会に顔だけだし、ご挨拶。

DSC02306 22時過ぎ、自宅に戻り、夕食を作る。まずは、北海道で鶏を育てている人からもらった、もも肉に塩と山椒をすり込んで焼いた。皮がパリッとなるまで遠火で焼いたので、肉汁がクランキーな皮に絡み、口中が楽しい。DSC02308もう一品は、久我商店さんの絹ごし豆腐、羅臼昆布で湯豆腐。たれはおろし生姜を多めに入れ、魚醤が隠し味である。

 昨日申し込んだ「W-ZERO3」の抽選結果について、見事「はずれ」たメールが到着。やはり縁がないようなので、現在の携帯をFOMA端末にして活用することにする。

2005年12月13日 (火)

満州柏崎村と満州国歌

DSC02217 3時就寝。7時起床し、『正論』『論座』『AERA』など読みながら長風呂。風呂上がりに、ふと先日タッパにスポンジを敷いてまいた「かいわれ大根」が大きく育っていることに気づいた。もちろん無農薬である。ちぎって、そのままシャクシャクと食べてみると、思ったほどクセはなかった。

DSC02291 8時過ぎに朝食にしようとしたものの、ご不幸などの連絡があり、礼服に着替えつつ、ご飯に大粒納豆、生卵、漬け物を入れ、しじみの味噌汁でかっ込む。午前から午後いちにかけて、長岡、柏崎市内と弔問やその他の用事を済ます。今日は、厚生常任委員会。自分の担当委員会ではなく、出席の義務はないものの、傍聴で出席したい委員会であった。明日、出席した議員に詳細をお聞きすることにする。

DSC01783 14時過ぎ、自宅に戻ると甥っ子がきていたので、金魚を見せたり、電車のおもちゃで遊ぶ。甥っ子の残したスパゲティとご飯の炭水化物めしで遅い昼食。先日、売れ切れになった「W-ZERO3」の次回注文が今日。抽選での販売となるようで、あきらめたはずなのに一応申し込む。当選発表は明日14日である。

yamato  『防衛ホーム』が届いたので読んでいると、東京書芸館による全長2mの1/144「戦艦 大和」(限定10隻)の販売広告が掲載されていた。1/144スケールとは、ガンプラなみである。その価格128万円。年末ジャンボ宝くじなどは購入しない方であるが、この「戦艦 大和」のため、今年は買ってみようと思う。100万円でも当たろうものなら即購入である。1/144スケールということは・・・ガンダムのプラモデルも置いてみたい。

DSC02292 19時まで打ち合わせ2件を終え、夕食。妹が母と手作り餃子を作ったようで、焼くかかりは私である。いつもなら水溶き片栗粉を入れてのパリパリ皮にするのだが、今日の気分は両面揚げ焼き。焼き上がり時にごま油を追加し、両面をパリッとさせる。餃子には白いご飯の組み合わせが定番なものの、私としてはやはり納豆ご飯である。DSC02296DSC02297京都府亀岡市、ユーアンドミーさん(0771-24-8915)の「彩 いろどり」をやや撹拌数多めでかき混ぜ、ほかほかご飯にデェン(発音注意)とのせる。丹波産黒豆と信州大豆の2種類を一緒にしたコンビネーション系の納豆で、発酵の具合もちょうど良く好みである。

_1  今年5月に見つかった満州柏崎村への慰霊の旅の日程が確定した。来年5月14日(日)~19日(金)の5泊6日。新潟空港からハルピンへ向かう日程である。二龍山跡も見学。満州だった地に行くのは初めてであるうえ、行くからにはアンテナの感度を良くする必要がある。週のうち、何時間かは満州についての勉強をしようと思う。満州はもちろんのことながら、国家であったので国歌が存在し、以下の歌詞であったそうだ。 


満州国国歌 昭和17年

おほみ光 天地に満ち
帝徳は高くとおとし
とよさかの安寿ことほぎ
あまつみゆわざ 仰ぎまつらむ


2005年12月12日 (月)

チャンネル桜「今日の自衛隊」で支那事変

 3時就寝。7時、起床。雪が積もっているので、早速、初の雪かきである。母と祖母との3人暮らしであるので、男では私一人。30分ほどの運動である。

DSC02283 9時、おにぎりをニギニギ。具は鰹節と干し納豆を醤油で湿らせたもの。100円ショップで購入した、おにぎり用のフィルム付き海苔がどうしても使ってみたく、おにぎりを包んだのち、市役所に持って行く。9時30分、市役所到着。田形先生から頂戴した富有柿を会派の諸先輩、議会事務局の方にご賞味いただく。持参したおにぎりを、フィルムをむいて食べてみるが、海苔がパリパリし過ぎて、思ったよりは旨くない。

 10時から、建設企業常任委員会。副委員長でもあるので、資料を読み込んできたが、特に意見もなく、議案は原案通りに可決。報告事項として、治水対策事業、フロンティアパークに関わる工事、除雪、災害などの継続工事が担当課から説明があった。治水対策においては、6月の水害で源太川を中心にひどい水害であったが、ポンプ用ピットは工事してあるものの、県が用意すべきポンプが2台結局配備されていなかったこともあり、紛糾。県議会議員への批判も続出した珍しい展開であった。市長には怒りをもって新潟県と交渉にあたって頂きたい。

DSC02284 12時、あまりの寒さのため温かいものが食べたくなり、市役所の売店で久々に「カップヌードル シーフード味」、おにぎり(鮭)、「野菜一日これ一本」を購入。カップヌードルなんて2年ぶりぐらいであるが、一番好きな味がシーフード味である。学生の頃、金がないときには、カップヌードルを食べた汁をとっておき、次の食事でご飯を入れて食べることが多かったが、カレーよりは飽きのこないシーフードが好みであった。乾燥のタコの歯ごたえがあなどれない。

DSC02285 愛用の携帯「Premini-S」の電池の減りがまた激しくなってきた。半日で「シオシオ」になり、夕方には「シオシオのパー」。顔が大きいのに何故に携帯は小さいのか、とよく言われるが、邪魔なので小さい方が良いのである。ただ、デジカメも常に一緒に持ち歩いており、FOMAの902iシリーズでは カメラも400万画素になっているので、携帯を買い換えれば持ち物は一個で済む。気持ちが揺らいできた。

 13時から、夢の森公園に関する説明会。環境工房は当初、古民家を移築する案がでていたが、土間などの間取りについては柏崎の伝統的な民家形式を受け継ぐが、材料や外装デザインは最新のものになっていた。古民家で子供に自然体験を教えるというのが本来の目的ではなかったか、という指摘が数名の議員からあったが、市長が維持費の軽減を図る計画の見直しをしている以上、仕方がないことと思う。あの寒風吹きすさぶ現地においては、いくら過酷な年月に耐えてきた古民家であっても保守・維持が大変である上、茅葺きであればさらに吹き替えにコストがかかる。色々な意見がでるが、ここまでやった以上は何とか成功する術を練るしかない。

 説明会終了後、建設企業常任委員会としての研究会。狭隘道路、つまり狭い道路の解消についてである。2月議会までの継続審査として、引き続き関係法令、他自治体の研究をし、良ければ議員立法、もしくは職員とよく話し合った上での市長提案での立法を目指すことになった。

 一度、自宅に戻り、祖母の夕食を作る。冷凍にしておいたハッシュド・ビーフがあったので、サワークリームを添えて、ハヤシライスに。電話や来客があったので、そのまま家をでる。母親は気分転換にと、友人とともに新潟市に行き、杉良太郎コンサートを見ているのである。杉良太郎といえば、名曲『すきま風』はもとより、合気道を中心にした派手な立ち回りが売り物の『新吾捕物帳』の挿入歌『明日の歌』も捨てがたい。しかしなにより一番の名曲はその『新吾捕物帳』のオープニングテーマ『江戸の黒豹』である。江戸に黒豹?と子供ながらに思ったものである。ちなみに、『新吾捕物帳』は、昭和52年から昭和57年まで日本テレビ系で放送されたので、今でも日本テレビ系で再放送されるが、つい見てしまう。20歳のとき、合気道を2年間やったが、その影響もあったのであろうか。結局、キックボクシングの練習が忙しくなり、合気道の道場から遠ざかってしまった。いま考えると自分には一番合気道が合っているような気がする。プライドなどに実践合気道の選手が出場し、ガチガチの合気の技で勝つシーンがあれば、さぞかし感動することであろう。

DSC02287 18時30分から老舗である「割烹 乃佐和」(0257-22-4177)にて、柏崎準倫理法人会の役員会兼忘年会である。普及拡大に関する会議を1時間ほど行ったのち、忘年会。車で来ている上、今日中にまとめなければならない資料があるので、酒は飲まず、ウーロン茶をひたすらすする。DSC02288「割烹 乃佐和」の若おかみは小・中学校の同級生である。「河豚皮の膾」、「お造り」、「あんかけごま豆腐」、「ブリの照り焼き(はじかみ、紫蘇味噌巻)」があり、酒を飲まない分、ご飯を食べたかったが、この状況で独りでご飯を食べるわけにはいかない。DSC02289
 魚介類のバター焼き鍋(タマネギを下敷きに、鮭、海老、ほたて)をポン酢に付けて、ハフハフと食す。「シーフードグラタン」も熱いうちが良い。熱いといえば、この寒い時期には、「鱈の粕汁」である。あまりの暴風と雷鳴に一時、停電となったが、そんななかでフーフーして食べる「鱈の粕汁」は格別。DSC02290最後は「豚の角煮」でシメる。鼻をぶん殴られたようになるほど辛子をつけた、トロトロでありながら肉の線維がしっかりしているような「豚の角煮」も良いが、皮がついたままの「東坡肉」も捨てがたい。いままで食べた「東坡肉」で最高だったのは、煮込んだ後に皮にザラメであろうか、砂糖を塗ってパリッと焼いたタイプのもので、ご飯にもビールにもピッタリであった。

 22時過ぎ、自宅に戻り、資料作成。明日の朝までに仕上げなければならないので、気合いが入る。

 23時からチャンネル桜の自衛隊専門番組「防人の道 今日の自衛隊」で、先日の「柏崎市議会 支那事変」をキャスターの軍事ジャーナリストでもある井上和彦氏が取り上げてくれた。ありがたい限りである。

 届いたDVD『ルパン三世 天使の策略』を見ながら作業。今年のテレビスペシャルであるが駄作であった。最近のテレビスペシャルでは『エピソード0』が一番良かったのではないかと思う。来年こそはハードボイルドなルパンの復活を願う。

 

2005年12月11日 (日)

独立だ!スリランカ

 1時過ぎに帰宅。チャンネル桜の批判記事が掲載されている『週刊新潮』、『文藝春秋』を読みつつ入浴。2時ごろ就寝。

DSC02279  8時起床。さすがに連日の飲み会で疲れもあったので、11時過ぎまで2度寝。シャワーを浴び、大粒納豆、めかぶ、ネギ、全卵、魚醤で「納豆めかぶ丼」でブランチ。

 食後はひたすら郵便物、資料などの処理である。12月、1月のスケジュールの調整も行う。作業をしながら、一週間録りためておいたチャンネル桜の番組を倍速再生で見る。なかでも元海上自衛隊二尉でジャーナリストの惠隆之介氏が紹介した、スリランカの故ジャヤワルダナ大統領の話が印象的であった。

_1  大正10年、御召艦「香取」がコロンボ港に寄港したとき、幼いジャヤワルダナ大統領を抱いた母親は、港が見える丘の上に連れて行った。当時、スリランカはイギリスの植民地でひどい扱いであった。母親は、日章旗はためく日本の軍艦を指さし

 「あれが日本人よ。有色人種でもやればできるのよ!」

幼いジャヤワルダナ大統領に言ったという。
 そして、昭和17年、南雲忠一中将率いる第一航空艦隊がインド洋に進出、セイロン沖海戦でのイギリス軍を撃滅。

*日本帝国海軍は、この戦闘にて、イギリス海軍「駆逐艦 テネドス」「仮装巡洋艦 ヘクター」「駆逐艦 ヴァンパイア」「重巡洋艦 ドーセトシャー」「重巡洋艦 コーンウォール」「軽空母 ハーミーズ」を撃沈。 日本の完勝だったものの、「空母 赤城」が攻撃換装中にイギリス軍の敵機の接近に気づかず、空襲された。ラッキーなことに致命的な被害は受けなかったが、この「攻撃の換装中、手薄になる」という教訓を日本はしっかり学ぶことができず、ミッドウェー海戦では大敗する。

 この戦闘結果を見たジャヤワルダナ大統領は涙ながら、

 「やっぱりアジア人でもできるんだ!独立だ!

と仲間とともに喜んだそうである。そして、日本が上陸してきた際には、日本と連合政権を作ろうという思いを持ったという。その証拠に、終戦後のサンフランシスコ講和条約では、当時はセイロンで蔵相であった、ジャヤワルダナ大統領は日本への賠償請求をすべて放棄した。そして以下のように演説したのである。

「アジアの諸国民は、なぜ日本が自由になることを切望しているのか。それは、アジア諸国民と日本との長きにわたる結びつきのゆえであり、また、植民地として従属的地位にあったアジア諸国民が、日本に対して抱いている深い尊敬のゆえである。往時、アジア諸民族の中で、日本のみが強力かつ自由であって、アジア諸民族は日本を守護者かつ友邦として、仰ぎ見た。私は前大戦中のいろいろな出来事を思い出せるが、当時、アジア共栄のスローガンは、従属諸民族に強く訴えるものがあり、ビルマ、インド、インドネシアの指導者たちの中には、最愛の祖国が解放されることを希望して、日本に協力した者がいたのである」

*ちなみに、賠償請求権を放棄した国には他にインド、ラオス、カンボジアである。

 ジャヤワルダナ大統領は死後、自分の角膜を提供する意向であったが、遺言は「片方はスリランカ国民に、片方は日本国民に」とし、実際に片方の角膜は日本の患者のために送られ、我が新潟県の方に役立てられたそうである。

DSC02280

 19時、夕食。「袖振納豆」に刻み海苔、鰹節、ネギをいれ多めのだし汁で溶いた「ズルズル納豆」を作成。山芋のとろろ汁のような感じで納豆を食べたら面白いだろうな、と思って実験してみたのだが、悪くない。だし汁は、昆布だしを中心にしたものであったが、次回は鯖節で作っただし汁でやってみようかと思う。DSC02281頂いた近江牛の大腸。刻みネギ、大蒜をたっぷりと入れ、タレで焼いてみた。脂肪球が多くついており、いかにも旨そうであるが同時にカロリーもかなり高いので、一口程度を食し、母、祖母、愛犬・美里に食べさせる。

DSC02282 田形先生から先生のご実家がある福岡県八女郡黒木町の低農薬「富有柿」が届いた。感謝感激である。早速、食後に頂戴したが、堅さといい、甘さといい好みであった。細く刻んで白菜の漬け物にも入れてみようと思う。

 海野弘著『陰謀と幻想の大アジア』を読みながら風呂に入る。

2005年12月10日 (土)

自民党柏崎支部役員忘年会

 5時起床。唐突にメールで入った企画の仕事に気合いを入れて取り組み、9時過ぎになんとか完成。10時から某関係者と政治に関する打ち合わせ。

DSC02265 12時、朝食もとっていなかったので、挽き割り納豆に辛子明太子を入れた納豆に、漬け物、馬鈴薯の味噌汁、牛肉のみそ漬けを焼いたもので、ブランチ。食後、そのまま事務所のリフォーム作業である。月曜日から大工さんがまた入るので、それまでに自分でやりたい部分の作業である。

DSC02268DSC02266 18時から柏崎ベルナールにて自民党柏崎支部の役員忘年会に出席。地元選出、自民党・近藤もとひこ代議士、柏崎支部の支部長となった柏崎市議会の丸山議員のご挨拶ののち、乾杯。

DSC02270DSC02272 ハムのオードブルからはじまり、海老を中心にした刺身、ぎんなんや押し寿司などの盛り合わせ、芋しんじょがでてきたところで、酔いも手伝い会場はヒートアップ。注ぎつ、注がれつつ、生ビール、熱燗、ウイスキー、ごっちゃまぜである。DSC02271DSC02273特攻隊として17歳で訓練を受けながらも、終戦を迎えた方もおり、直接経験者の話を聞ける最後の世代として、お話を聞きたかったが、とにかく注がれて、飲め!の連続となった。

DSC02277DSC02275DSC02276 料理はその後、真魚鰹のクリームがけ、挽肉の包み揚げなどと進み、デザートのチーズケーキ、杏仁豆腐、プラムで終了。料理よりも酒で腹がいっぱいである。

 その後、今後の自民党の党員拡大や広報戦略などの話もあり、有志にてスナック3軒のはしご。

 

2005年12月 9日 (金)

自衛隊協力団体合同忘年会

 5時起床。企画書の提出期限が昨日であったことを忘れ、あわてて作業。なんとか9時過ぎに終了し、メールで送信。

DSC02251 10時から文教経済委員会に出席。議案以外に、フロンティアパークに関する報告があったので、「インターネットサイトの構築は良いが、いかに分かりやすいキーワードで検索してもらい、サイトを見つけてもらうのか」という点、そして東京都内をはじめとする新潟県人会への協力などについてコメントした。

DSC02252 12時、市役所の売店にて、「野菜一日これ一本」「さらら調整豆乳」「もちもちピザ」「完熟野菜」を購入。朝食も食べなかったので、がっついて食べてしまった。

 午後も引き続き、委員会に出席。農振農地の解除に関する請願を議論する。イオングループのジャスコ進出に関連しての請願であるが、採決において「保留」扱いとなってしまった。来年には大店法(大規模小売店舗における小売業の事業活動の調整に関する法律)の改正もあり、柏崎にジャスコができるためには、この12月議会中の決断が必要である。個人的には、ジャスコが進出するなら、せめて現在予定されている鏡ヶ沖中学校周辺ではなく、コマツ跡地、旧日石加工所跡など駅周辺にしてもらい、中心市街地の活性化と、柏崎の顔としての柏崎駅の再構築にご協力願いたいところである。

 16時過ぎに自宅に戻り、大店法改正に関して調査。そういえば、今日は、wilcomの「W-ZERO3」の予約注文の解禁日であった、と思い、さっそくオンラインストアに接続するが、あまりにも人気のようでサイトも表示されずタイムアウトとなり、結局予約できなかった。買ってはならぬ、というお告げ?であると捉え、買わないことにした。携帯も電池が一日もたなくなってしまったので、そろそろ買い換えであるが、ドコモの902iシリーズがすべて出揃ったところで判断しようと思う。ちなみに、「W-ZERO3」の次回注文は13日だそうである。

DSC02258 18時、荒城議員、真貝議員、遠藤議員とタクシーを乗り合わせ、会場のメトロポリタン松島に移動。今日は、「平成17年柏崎市自衛隊協力団体合同忘年会」である。地元選出である自民党・近藤もとひこ代議士をはじめ、県会議員、市議会議員、地元自衛隊協力6団体そろっての忘年会。新潟地方連絡隊陸上自衛隊高田駐屯地第2普通科も参加である。連隊長とは、大東亜戦争の責任はどこにあるのか、現在の外務省こそが争いを巻き起こすのではないか、といった視点でお話。大東亜戦争の開戦責任には、近衛内閣にもその多くがあるのではないか、とお答えした。第2普通科連隊には市ヶ谷で広報にいた方がおり、また新潟地方連絡隊でも海上自衛隊でP-3Cのパイロットだった方など、話が盛り上がる。某自衛官によれば、今日の忘年会に出席するにあたり、柏崎の市会議員に海上自衛隊誘致を訴えている人間がいる、と自衛隊内部でも言われてきたとのことだった。めげずに活動を続けようと決意を新たにする。

DSC02254DSC02255 オードブル、蒸し鶏(添えられたくらげが肉厚で歯ごたえが良い)を若干、腹に入れることはできたが、酒を注ぎつ、注がれつつで、いい加減へべれけである。出席は70名以上であるので、一周回れば最低70杯は酒を飲むことになる。DSC02256早死の予感。テーブルの上に山と盛られた料理であった。いつも思うが、ドギーバックもしくは折りをもらって、持ち帰りたい気分になる。レーズンバター入りのパンを最後に口に放り込み、会場を後にする。

 忘年会終了後、昨年の「かしわざき風の陣」実行委員長と来年実施するか否かも含めて、打ち合わせ。柏崎市内の某ラーメン店にて、DSC02262「バカ旨ぎょうざ 5個」500円を食べつつ、瓶ビールである。ぎょうざはラードが練り込んであるのであろうか、肉汁というか脂が口中にあふれる。「かしわざき風の陣」は、陸海空の自衛隊もそろい、複合型のイベントとしては、3日間で12万人以上の動員数を誇るが、柏崎市からの予算もかなり減額になっており、また企業からの協賛金も年々減っているため、毎年、スケールを大きくしてきた路線の変更を余儀なくされている。ただ、自衛隊とのつながりもあり、毎年それを楽しみに来場される方もいるので、縮小しても陸海空の自衛隊、そしてフリーマーケット、ウインドサーフィンは実施できればと思う。DSC02263DSC02264シメとして、「岩のり味噌タンタン 950円」を注文。加水率高めのツルツル麺でさっぱりと食べることができた。昨年の「かしわざき風の陣」実行委員長は、吹奏楽・ジャズ、バイクも趣味であり、また先日の「自衛隊音楽まつり」にも行ったそうで、音楽の話で盛り上がる。自衛隊の音楽隊のなかでも、海上自衛隊は艦上で演奏することもあり、ひときわ音も大きく、演奏技術を要求されるそうだ。先日の「自衛隊音楽まつり」でも海上自衛隊東京音楽隊の「軍艦マーチ」は大きく、迫力があった。「軍艦マーチ」は「軍艦行進曲」と呼ばれ、いまから100年以上前に作られた楽曲である。爽やかで元気のでる曲であるが、そう公言すると、すぐ右翼だ何だと言われる。良いものは良いのである。

 風呂に入り、届いていた郵便物などをチェック。風邪気味なので、24時近くに就寝。

2005年12月 8日 (木)

新潟産業大学、「世論の会」柏崎忘年会

 2時就寝。6時に起床し、長風呂に入りながら、『セキュリタリアン』『軍事研究』『ガバナンス』『赤旗しんぶん』『論座』など、系統ゴチャマゼで読みまくる。風呂から上がったところで食パンにマーガリン少々、旭松食品「マヨネーズ納豆」をのせて朝食。DSC02247パンを焼くこともなく、そのまま食べるのも久しぶり。急いで食べてしまい、デジカメで撮影し忘れる。大工さんと事務所のリフォームについて、途中経過も含めて打ち合わせ。「愛国納豆」の問い合わせ電話やTV企画の話ののち、9時40分ごろに市役所到着。売店で「野菜一日これ一本」購入。

DSC02245 10時から新潟産業大学の説明会。新聞に掲載された、「燕市にサテライトを作る」という構想について、議会から学長に直接説明してもらおうと要請して実現した説明会である。


新潟産業大学の学部増設構想に関する説明

 新潟産業大学 吉田邦夫学長、金子事務局次長

・燕サテライト構想は何の実質もない話であり、大きくなってしまいお詫び申し上げる。
・4月1日以降に学長として就任して、はじめて大学の内情を知る。
・それ以前からこの大学には問題があった(使い込み等)
・内部だけでの改革は難しいと思っている。あの日産でさえ、カルロス・ゴーン氏が必要であった。
・18歳の年齢層の数は1992年がピークの205万人。2005年は130万人で40%の減になっている。1992年の大学数 523校(国立、公立、私立含め)、2005年の大学数 716校でうち160校が定員割れ。そんな中、去年も5校、今年も5校できる。最低の充足率は14%入学という某学校。充足率のトップは東京、大阪。最低は中国・四国。甲信越も低い
・新潟県は専門学校志向が強いうえ、都内まで2時間での距離なので都内の大学に行く。新潟県内における大学経営は難しい。
・文科省政策で、大学を作るという入り口はやさしいが維持は難しいとなっている。審査機関が3つできており、7年に一度、大学の経営状況、教授陣、学生数などをチェックし、認可を受ける必要がある。認可を受け損なっている大学があり、「認可保留」になっている。
産業大学としては、改革が終わった段階で「認可」をとりたい。
・収入は、学生授業料、文科省の私学助成金(年間2億円 条件:入学者が定員50%以上、3回は猶予)。産業大学は定員400なので、201名なら助成金は大丈夫である。支出は、校舎維持費、人件費、資料教材代
・なぜ人文学部廃止を急いだかと言えば、今年は入学定員が50%を割ってしまったため、定員の削減は必要であり、定員250名とした。定員250名とすれば充足率80%なので、現在定員割れした1年生が2年生になったときの充足率不足を補える。
・実学志向、国際化対応が大学の生き残りであり、国際コミュニケーションビジネスを創設した。
・現時点での来年の推薦人数は140名を越えたので、充足率50%を超えた。

・燕サテライト構想は、まったく実質はないが魅力とすれば学生定員の確保(柏崎、長岡、小千谷、三島郡、柿崎1800人で通学圏内2200人、県央であれば通学圏内に5000人強)
・現在の大学の入学理由は、自宅通学可能であることが一位。


DSC02248 説明会終了後に会派室で昼食をとることになり、「たじりや」(0257-22-3252)の鍋焼きうどんを注文。12時にくるかと思っていたら、12時40分ごろに到着し、先輩議員もイライラであった。昼食後、大型店舗出店の請願やその他の議案についての会議。会議終了後は、市内にて、各種手続きや会社関係の取引先まわりを行う。

DSC0225018時30分から「ちとせ」にて、「世論の会」柏崎の忘年会。大東亜戦争の開戦記念日に忘年会という日程設定がなかなかである。挨拶の時間があったので、皇室典範改正についてやチャンネル桜への加入のお願いなどをお話する。

 資料もプリントに加え、神社新報ブックスの出雲井晶著『にっぽん讃歌』という濃厚な時間であった。


「日本世論の会」柏崎 平成17年12月8日

1 これからの活動

(1)日本文化チャンネル桜 地方議員も国家観を、行政は左傾している
(2)GHQの洗脳からの開放→崇高なる日本の心を取り戻すには
 1.「日本人に謝りたい」モルデカイ・モーゼ著 1979年

  「アメリカの鏡・日本」ヘレン・ミアーズ著 1995年再版

  「正論」1996年7月号⇒マッカーサーと反日的日本人の罪:(清水馨八郎)
  「WiLL」12月号から 国を滅ぼす煽情ジャーナリズムの淵源:(渡部昇一)   ・統帥権干犯問題が事の初め⇒(今日の耐震強度偽装問題も同類では・・)
  ・五・一五事件 首謀者の正体は左翼 この時、世論に媚び主犯者は満州へ
          二・二六事件へ 高橋是清を失う
  ・ケーディスの亡霊
   昭和21年公職追放令(全国で20万人以上は要職を追放)
   ケーディスとその取り巻きは、ほとんど共産党の党員かシンパだった。
   教育基本法も左翼思潮で生まれる。
  ・ジャーナリズムの不健全さが、この国を害す。→(朝日、NHKなど・・・・
 2.『マンガ嫌韓流』を嫌う大マスコミ:西村幸祐

(3)『皇室典範』改悪をめざす「有識者会議」

(4)平成18年に向けての活動

2 「ふるさとから日本へ」・・・・・・ 三井田孝欧

3 新潟から・・・・・・・・・・・・・  内山正義


モルデカイ・モーゼ著『日本人に謝りたい』1979年の要約

マルクス主義(共産主義)はユダヤ民族解放事業のための虚構論理だった

目次 1 戦前の日本に体現されていたユダヤの理想
   2 二元論的思考法------典型的なユダヤ的思考パターン------
   3 日本人の知らない東京裁判の本質
   4 戦後病理の背景------日本国憲法はワイマール憲法の丸写し------
   5 マルクス主義はユダヤ民族解放の虚構仮説
   6 極左的戦後改革を強行したユダヤの秘密
   ①日本の戦後史はユダヤ人が演出した
    ・日本共産党はGHQを解放者と規定
    ・戦前の日本にあった世界に冠たる美点が消され⇒金、金、拝金主義民族に
    ・天皇制と民主主義(ユダヤ人が創作)は相容れないアンチテーゼ
    ・GHQの占領政策はマルクス主義に基くものであり、改革を行なった
     ニューデーラーはすべてユダヤ人から成っていた。
    ・ルーズベルトはユダヤ人であり、ルーズベルト政権はユダヤ人共産主義者に
     包囲されていた⇒ニューデーラー政権は極左政策、対独戦に引きずり込む
   ②やがて米国でマッカーシズムが、日本ではレッドパージが起こる
    ・この頃より日本共産党はアメリカを「帝国主義者」と呼び始める。
    ・ニューデール派は「名存実亡」となる
   ③ニューヨーク・タイムズの本質⇒アメリカ・シオニズムの機関紙
   ④ニューデーラーの操り人形だったマッカーサー(ロボット)
    ・GHQからの指令は国務省の秘密グループから発せられていた。
    ・推進者は民生局のホイットニーや憲法の作者であるケーデイス等、
    ・ニューズウイーク誌は極左化阻止に尽力
    ・今日の日本の左傾化社会の根源はGHQの占領政策のなごりである
   ⑤マッカーサーの「12歳論」
   ⑥映画「トラトラトラ」製作のねらい
    ・ルーズベルトは全米600万のユダヤ系市民ではタブー
    ・ルーズベルトこそ第二次大戦の真の責任者

   GHQに洗脳された日本人よ、早く目をさましてくれ


 22時近くに自宅に戻り、風呂に入って酔いを覚ましてから、議会資料のチェック。24時近くに机にそのまま突っ伏して寝てしまった。

開戦記念日、飯田大尉の慰霊塔

_1  今日12月8日は、真珠湾攻撃(ハワイ海戦)を行って大東亜戦争が開戦した日である。各所で開戦に関する特集があると思うが、その多くは真珠湾に沈む戦艦アリゾナのシーンをオチにもっていくと思う。しかし、日本人として忘れてはならないのが、ハワイ・オアフ島の東岸カネオの海兵隊航空基地の一角にある「飯田大尉の慰霊塔」である。

*写真は昭和17年7月8日『大阪毎日新聞』より

 真珠湾攻撃(ハワイ海戦)は、オアフ島の北約320キロの航空母艦6隻(赤城、加賀、蒼龍、飛龍、瑞鶴、翔鶴) から飛び立った航空機350機(零式艦上戦闘機78機、九九式艦上爆撃機129機、九七式艦上攻撃機143機)が主役であった。うち29機が帰らなかったが、その帰還できなかったうちの1機が、零式艦上戦闘機に乗った飯田房太大尉である。

 飯田大尉は「軍人は最後の決心が必要だ」と常日頃、部下に指導していたそうであるが、飯田機はカネオ飛行場への攻撃の際、米軍の対空砲火で燃料タンクに被弾。燃料であるガソリンが漏れはじめた。到底、帰還できる状況ではない。部下を母艦である「蒼竜」へ導いたところで、列機の藤田怡与蔵中尉に手信号で「ワレ燃料ナシ」と伝えた。そして、にっこりと笑って手を振り、部下に別れを告げ、反転してカネオの飛行場の格納庫めがけて一直線に突入したのである。

 ぶったまげたのは米軍。壮絶な軍人魂に驚き、また尊敬の念を持ち、米軍は飯田大尉の遺体を拾い集め、基地内に埋葬したのである。米軍のフェアプレイ精神にも驚くが、当時29歳、飯田大尉の決断には言葉もでない。

 いまでも「飯田大尉の慰霊塔」は米軍によって守られている。いつかハワイに行った際には訪れてみたいと思う。

 真珠湾攻撃(ハワイ海戦)は、まったくの日本の奇襲で宣戦布告も行わず、米軍も知らなかったとされているが、実際には米政府はすでに準備を整えていた。知らなかったのは、米軍であり、キンメル海軍大将とショート陸軍中将である。米陸海軍は12月16日付けで二人を2階級降格処分にした。キンメルが1952年に出版した回想録『アドミラル・キンメルズ・ストーリー』によれば、当時の米政府が現地の米軍に情報を伝えていれば、私たちは日本軍をきちんと迎撃したというのである。キンメルだけではなく、真珠湾攻撃(ハワイ海戦)のあと9回行われた米国議会上下両院の複数の調査委員会でも指摘されている。ルーズベルトにも責任はあるというのだが、私もそう思う。最近でもエドウィン・ドーン国防次官による調査チームが調査をしており、そのうち真相が明らかになってくるはずだ。ちなみにショートは1949年に亡くなり、アーリントン国立墓地に埋葬されたが、軍葬でも列席者は少なく、寂しい最後だったとのことだ。

2005年12月 7日 (水)

海自誘致を訴え・・・支那事変

 人材育成について調べるつもりが、最初のアジアのエネルギーに関する調査でハマってしまい、3時過ぎまで。国家戦略である石油エネルギーを、まったくの民間の力で立ち上げた日本の先人のパワーには驚くばかりである。しかも、柏崎周辺の人間が中心となっていた。議会での議論に使うかどうかは別として、とにかく発言をして議事録に残し、web上の議事録システムから検索できるようにし、後年の人たちにも知ってもらえるようにしたいと思う。7時起床。朝食を食べる間もなく、事務所リフォーム打ち合わせやTV収録の調整などの電話。

oshio  スーツに着替えながら、TVを見ているとフジTV系「とくダネ!特捜部」のコーナーに押尾コータロー氏が出演していた。押尾氏は1968年生まれ、4つ年上であるが、同世代と言ってもよく、とにかく頑張ってほしいうえ、世界でも活躍してほしいと願うばかり。

_1 10時前に市役所に到着。シャワーの浴びる間もなく、髪の毛もボサボサのままである。今日は一般質問のトップバッター。質問は大まかに、原子力防災と人材育成について。「議長ー!」「三井田議員」と質問台に立ち、お約束の口上である。

「無所属の頃から、
柏崎に海上自衛隊誘致を訴え続けております、
整友会の三井田でございます。
 海上自衛隊誘致に関しては、「無理どぉー」「ダメどぉー」
と言われ続けながらも、「どぉー」に入った活動として、
引き続きTVをはじめ、各マスコミに訴えてまいる次第です
・・・・・さて、」

と一問一答形式で市長に質問をぶつけているなか、大東亜戦争とエネルギーについて触れたところ

「太平洋戦争だろぉぉーー!」
「アジア・太平洋戦争と言えぇぇ--!」

との野次。それを受け、「太平洋戦争:パシフィック・ウォー」がアメリカにおける対日戦争、もしくは1800年代のチリ・ボリビア戦争を表すことをはじめ、「大東亜戦争」という言葉が昭和20年のGHQによる制限、しかも公式文書のみが対象、昭和27年のサンフランシスコ条約の発効もあり、「大東亜戦争」という名称は問題ではないことを説明。ここら辺から議場はヒートアップである。

「大東亜戦争とか言ってのぼせんじゃねーぞ」
「何がぁ、海上自衛隊だ!!」
「生意気だぁー!」

との激しい野次。普段、「平和」を声高らかに言う方々にしては、違った歴史認識や考えも認めず、人格否定までの野次、大変、幅が狭いようである。続いて、今後、10年、20年先の環日本海のエネルギー事情にも言及。樺太で行われているパイプラインについても触れたところ、

「サハリンだろー」

の声。「樺太」を発見したのは、我が柏崎市米山町の松田伝十郎である。敬愛と尊敬の念をこめ、政治信条としても「樺太」の名称は譲れないので、「樺太」で通し、議場の一方向からはさらなる野次。将来的な中国のエネルギー不足、もちろん大東亜戦争開戦の理由の一つとしてエネルギーにも触れているため、

*当時、中華人民共和国は存在しないうえ、統一政府もなかった。

「中国、本当は『支那』と呼びたいが」

と注釈的な表現で「支那」と発言したところ

「差別だーー!」
「人権侵害だー」

*もし人権擁護法案が成立したら、私はつるし上げであろうか?

と怒号のごとき野次、社民党系会派「社会クラブ」の矢部議員から「動議」がかかり、発言の撤回を求められる。公式の場で「支那」という言葉は使ってはならないうえ、柏崎市議会始まって以来の恥だ!というのである。もちろんのことながら、この言葉狩り、しかも「支那」を差別語だと勝手決めつけての撤回要求は飲むことができない。撤回要求を拒否したところで、議会は中断、休憩となり、急遽、議会運営委員会の開催である。国会の議事録にも「支那」の文字もあり、個人的に侮蔑として使ったものでもないし、言葉自体も何ら問題はない、と説明しても、反対する議員からは、それは三井田の個人的な意見であると反論を受ける。さらには議長まで、

「先日も行ったばかりだが、
 中国の峨眉山市などは柏崎の友好都市であり、
 発言を撤回してほしい」

と発言。そんな事でガタガタ言うようなレベルの友好都市は本当に必要なのかとの疑問をもつ。もちろん、そこで衆議院議事録を検索、プリントアウトし、目の前に突きつけたが、次は論点ずらしである。「支那」という言葉を、差別的に使っており、重大な人権侵害だという。それなら「支那そば」「シナチク」「東シナ海」、さらには「支那」が語源の「チャイナ」も差別なのか。差別だと騒ぐ人間が差別をしているのである結局、議会運営委員会はもの別れに終わり、議場に戻る。

 1時間の中断ののち、議会再開である。そこで、再開と同時に再度、矢部議員から「動議」がかかり、3名以上の賛同者がいたため、「三井田孝欧に発言の撤回を求める動議」について賛否を問うことに。結果、「賛成少数」で否決となり、議会が続行となった。 

 この一連の出来事を、柏崎市議会の「支那事変」と呼ぼうと保守系議員で笑い話。当日の地元新聞の記事を以下のようなものであった。


平成17年12月7日『柏崎日報』

発言めぐり 一般質問中断
議運で協議

 七日午前の一般質問で、三井田孝欧氏(整友会)の発言をめぐって本会議が約一時間中断した。
 三井田氏はこの日の最初の質問者で、エネルギー関係の人材育成を求めた質問の中で「中国、本当は支那(しな)と呼びたいが」と発言。これに対し矢部忠夫氏(社会クラブ)が「中華人民共和国という国名があるのに『支那と呼びたい』という発言は問題だ」として取り消しを求めた。三井田氏が応じなかったことから休憩に入り、議会運営委員会で協議。議員の間では「公式の場での発音として不適切」「『支那』と断じておらず、取り消す必要はない」と意見が分かれた。三井田氏は「蔑(べっ)称ではない。国会でも議事録に残っている」と説明した。
 本会議再開後に矢部氏が発言取り消しの動議を提出したが、賛成少数で否決された。この中断により、二人を予定していた午前の質問は三井田氏だけで終わった。


DSC02241 12時30分過ぎ、質問が終わったところで、昼食。市役所売店で、「さらさら調整豆乳」「シーチキンパン」「ミックスサンド」を購入し、昼食。同じ会派の金子議員から、「またそんがばかちで。足らんろー」と鮭の切り身を頂いたので、シーチキンパンに挟んで食す。

 午後からさらに一般質問が続く。真貝議員の「市役所職員の能力評定はいつやるのか」の質問に、市長は「平成20年ごろ・・・」。それを受けた怒りの真貝議員が選挙公約にも反し、自分の現在の任期でもやらないのか、と追求。議会は長引き、18時近くに一回休憩。会派としてまとめてパンを買ってきたので、軽食をとることになった。先輩議員に先に選んでもらって、最後に残った「チーズブレッド」とお茶。最後の質問者が終わったのが19時過ぎ。「支那」を指摘した会派からは、「誰かさんのせいで遅くなっちまった」の声もあったが、まったくもって失礼な話である。議論を行うことは、議員の本来業務であるうえ、逆に「支那」を指摘し、議会を面白くしてくれた点において、社民党、共産党、他の議員諸先輩には私は感謝しているのである。12月16日に議会終了後の市三役、部課長、議員の忘年会があるので、その際にでも懇談しようと思う。

 自宅に戻ると、留守番電話に2件の電話が入っていた。ともに、「支那」発言に関する感想で、2つとも「三井田は差別主義者」という主旨であった。そうこうしているうちに、もう1本電話が入り、初老の名前は言えないが、という男性で、

 「私らも『支那』と呼んでいたし、それ以外の何もんでもない
  『支那』は『支那』だこってのー」

との激励の電話であった。ありがたい限りである。

 メールを処理し、溜まった資料を読みながらビール350ml4本。

2005年12月 6日 (火)

JC卒業忘年パーティ

 3時に長岡をでて、柏崎に向かう。途中、コンビニで『ゴルゴ13』最新139巻を購入。4時、帰宅。そのまま8時まで仮眠。届いていた『諸君!』1月号、『ゴルゴ13』最新139巻など数冊を読みながら長風呂に入る。『ゴルゴ13』のアメリカ兵士の原爆実験ネタが面白い。9時過ぎに昨日と同じ方からその後の相談があり。マルキン「山葵納豆」に全卵を入れ、大盛りご飯をかっこんで朝食。

 10時から議会、一般質問の一日目。一番目の荒城議員の質問では、コンパクトシティについての言及があった。市長もなるべく中心地にまとめ、大型商業施設を郊外にするのは賛成しかねるとのことであった。現在、郊外で8号線バイパスが通る鏡ヶ沖中学校となりに、「ジャスコ」が進出したい旨、農振(農業振興. 整備計画で指定する農用地区域)の解除を求める請願がでている。これを巡って、今議会ではまたモメそうであるが、個人的には大型店ができるなら、土地が余っている駅周辺にお願いしたい。柏崎の街の軸がドンドン分散しているのは残念な限りだ。

DSC02222 12時30分、二人目の質問が終わり、昼食。市役所の売店で「照り焼きチキンパン」「揚げソーセージパン」「調整豆乳」を購入。タレの味が若干強めの照り焼きチキンとマネヨーズの組み合わせは好きな味である。「まめ」も旨い。DSC02225続いて、「揚げソーセージパン」。ソーセージといっても、魚肉ソーセージを揚げたもので、カレー粉の衣もまとい、さらにパン生地にくるんで揚げてある。実際にもそうだが、いかにも高カロリーな感じであり、また魚肉ソーセージというところに哀愁を感じて、思わず購入してしまった。DSC02226会派室で食べていると、金子議員から「そんだけじゃ栄養足らんだろう」と牡蠣フライをもらう。わざわざ弁当のふたに入れ、爪楊枝までさして頂き大変ありがたい限りであるが・・・・揚げ物地獄の様相を呈した食事となった。

DSC02227DSC02232 17時15分から柏崎青年会議所(柏崎JC)の卒業例会兼家族同伴の忘年パーティであったが、議会が長引き会場のメトロポリタン松島に着いたのが、19時過ぎ。もちろん、嫁も家族もいないので、単独での参加である。今年でJCを卒業する14名への感謝とともに、普段JC活動で家族サービスがなくなる分のお詫び?の会でもある。担当委員会メンバーによる「JCレンジャー・ショー」あり、DSC02234トルコアイスや綿アメなどのサービスがあった。子供向けのサービスとして用意したのだが、味見してみたくなり、最後の方の残りを少しもらう。トロトロの食感と冷たさが暖房による乾燥気味となった部屋の雰囲気にもマッチ。車で会場に来たので、酒を飲まないこともあり、同じテーブルで飲んでいたメンバーには理解頂いたようであるが、某氏のお子様からは、

「おじちゃん、アイス食べてるー」
「チョーおいちぃいよぉぉー」
「ヘンなの・・・おじちゃん、馬鹿なのぉー?」
「・・・・・・・・」

DSC02233 また、JC卒業生でもある綾子舞本舗タカハシさんによる派手なJCケーキも登場し、会場を沸かせた。会話や子供とのお遊びもあったので、あまり料理を食べることはできなかったが、レーズンバターの入ったパンがお約束のように盛り合わせのなかに入っていたので、3枚ほど食す。DSC02230某メンバーからは「レーズンバターよく食べられるね、気持ち悪くならない?」との問いもあった。自分でもいつから食べられるようになったのか、よく覚えていないが、確かに昔はちょっと囓っただけでも気持ち悪くなった。バターケーキは未だもってダメである。

 22時近くに自宅に戻り、1時間ほどの長風呂。明日の議会では一般質問。より深い議論が市長とできるようにエネルギー関係の人材育成がペイするか否か、webで調査。

2005年12月 5日 (月)

平成17年12月議会スタート

 6時起床。議会資料の整理とメール処理。8時過ぎから相談での来客があり、朝食をとることができず、10時ちょっと前ギリギリに市役所に到着。10時から12月議会初日。一部、二部、合併特別の決算の認定と議案の説明。

DSC0221812時に自宅に戻り、漬け物用大根についていた菜っ葉、冷蔵庫のはしの方にあった人参を炒めて作った卵とじ、ご飯、新潟納豆、わかめの味噌汁でブランチ。13時から15時過ぎまで市内企業で打ち合わせ。16時から18時過ぎまで弔問と同じく訪れていた某氏と夕食「親子丼」。デジカメを忘れたので写真を撮れず。20時過ぎから長岡でイベント関係の下打ち合わせ。話は盛り上がり結局、「飲み飲み」。財布に現金1万円しかなかったのを思いだし、焦った。愛車のプリちゃん(メス、1歳半)に毛布を積んでいなかったことを後悔。

2005年12月 4日 (日)

汪兆銘と中国共産党、死者の扱い

 7時起床。自宅にいない間にたまった郵便物やFAXの処理。皇室典範に関するものやジェンダー運動への疑問に関するものがあり、今後の政治への反映の仕方を考える。10時過ぎ、おにぎり選手権対策のため、おにぎりギリギリ。DSC02206具は、乾燥納豆に加え、刻んだ高菜に鰹節。もちろん、鰹節は靖國神社の「撤下神饌」である。乾燥納豆に醤油で湿り気を与え、刻み高菜を絞って投入。最後に鰹節を入れ、かき混ぜて、しばし沈黙のとき。熱いおにぎりのなかで旨味がさらに熟成されるのである。DSC02211甥っ子が泊まっているので、甥っ子用にも約1.5cm各の塩にぎりも作る。家族の分を含め、11個を作ったので、これを自分のブランチにする。資料整理やブログ、手紙など、今日は事務所にこもって、ひたすら作業。

DSC02213 文藝春秋社から「2006年カレンダー」が届いていたが、表紙に「平松礼二」の文字。年間14万人入る計画で、柏崎市でも9000万円近い負担が生じる「県立美術館」構想を思い起こした。芸術家の作品は死んでから評価が定まるので、税金で存命中の作家の作品を保存する美術館はいかがなものか、と発言したときには、「人の命も何とも思わないのか」とある市民の方に言われた。まったくの誤解であるが、「死」という言葉に過敏に反応されたようである。

Ouchou  「死」といえば、日本ではたとえ罪人でも刑を受け、死者となった場合には、生前の思想がどうであってにせよ、キチンと弔われる。靖國神社にケチをつけている中国はどうであろうかといえば、死者にムチ打つ文化である。1943年、東京で開かれた大東亜会議に、南京国民政府代表として他のアジア諸国の首脳とともに出席した政治家・汪兆銘(おうちょうめい、1883年~1944年)は、共産党こそ真の敵と考え、日本と和平を結び、南京政府を樹立した。ザックリとした分類は

蒋介石ー米英による支援。重慶に政府
毛沢東-ソ連による支援。

汪兆銘-日本との共存共栄を模索

となる。日米開戦においても、汪兆銘はこう述べている。

「この戦争は間違いです。
 日本はアメリカと組んでソビエトと戦わねばならないのです。
 真の敵はアメリカではありません。
 しかし、こうして開戦した以上わが国民政府はお国に協力します。
 同生共死ということです。」

 「日中戦うべからず」との孫文の遺訓を抱き、いちはやく日本との和平をし、戦争を終結させようと交渉にあたっていたが、現在の中国共産党政権下では民族の敵とされている。ちなみに日本の法政大学に通っていた。亡くなったのは、日本の名古屋病院。病死であったため、汪兆銘の遺体はアルコール漬けにし、飛行機で南京に搬送され、梅花山に埋葬。夫人(陳璧君)たっての願いで、墓荒らし防止のため、五トンの鉄鋼粉をまぜたコンクリートを流し込み分厚いシェルを作ったが、蒋介石率いる国民党政府は、汪兆銘一門50数名を銃殺刑、汪兆銘の墓を爆破した。その爆破されたときの破片を埋葬した汪兆銘のお墓が、実は東京都の杉並区にある。それはさておき、もともと汪兆銘の墓があった場所には、周囲を柵で囲まれ手を後ろにして縛られ跪いて座る汪兆銘像があり、さらには浙江省に汪兆銘夫妻の「裸体」石像がある。跪く像だけならまたしも、現在の中国共産党員は、夫婦揃っての裸体石像につばを吐きかけたり、小便をかけたりし、「漢奸」(裏切り者)として、いまでも罵りを続けている。死者への文化の違いといってしまえばそれまでだが、まがりなりにも汪兆銘は孫文直系の弟子であり偉人である人を、死後この扱いである。そんな国に靖國神社をとやかく言う資格はないと思う。

2005年12月 3日 (土)

名古屋はえぇて、従兄弟結婚披露宴

DSC02145 2時就寝。7時起床、いい天気である。ツボイノリオ氏の歌ではないが「名古屋はええよ!やっとかめ」 (作曲・作詞・編曲:山本正之)である。シャワーを浴び、8時にホテル内のレストラン「Asiana」でおかゆ朝食。DSC02146温かいものは器を熱く、料理の隅々にこだわりがあって好感がもてたが、おかゆにチーズと味噌が既にかけてあり、プレーンなおかゆで味付けを楽しむ場合には不向きであるうえ、なかなか微妙な味わい。DSC02147ベーコンはカリカリ、ピクルスは自家製。ウインナーに粗挽きマスタードと酢の利いたマスタードの2種類が添えてあることに感心したものの、ウインナーが破裂状態で多少残念。朝食後は、昨日書いた書類のチェック。

 10時過ぎにホテルをチェックアウトし、車で結婚式会場へ移動。会場は、ラポール長久手迎賓館。11時から親族紹介。DSC02155その後、いよいよ教会式での挙式である。花嫁の入場、賛美歌312番、聖書朗読、祈祷、式辞、誓約、指輪の交換、結婚宣言、そして「チュー」。天気に恵まれ、隣にある人工芝のグランドでフットサルの大会をやっていた選手や応援の方からも祝福の拍手を受け、とにかく良い挙式であった。従兄弟がチューをしてるシーンを見ると複雑な思いである・・・とともに、母から小声で「アンタも早く結婚してくれればねぇ」とのささやきも。

DSC02158  挙式が終了した後、披露宴。最初に新郎側を代表して、「新郎従兄弟」でご挨拶。新郎の父である、叔父は亡き父との一卵性双子。亡き父も喜んでいると思うことも伝え、とにかく末永く幸せな家庭を築いてほしいとお話させてもらった。祝電披露では、新婦が大好きな歌手である藤井フミヤ氏からの祝電が紹介された。新郎側としては、地元名古屋の人気政治家、自称「名古屋を日本一おもしろくする男」、総理を狙う気さくな57歳、河村たかし氏からの祝電である。元気良い乾杯ののち、食事をとりながらの歓談。料理は二人が選びシェフにリクエストしたというフランス料理である。

DSC02162 まず最初は、「近海鮪・アボカド・マンゴーのタルタル、パリパリのエンゲージリングに入ったサラダ添え、色とりどりソース」。鮪とアボカドの組み合わせは良くあるが、マンゴー入りはあまり食したことがなく、その食感、甘みが絶妙であった。食べる前は、酢豚のなかのパイナップル的存在になるのではないかと心配したが、そのようなことはなかった。醤油を泡立てたソースが心憎い。

DSC02164 料理とともに、提供された焼きたての自家製パンはプレーンなものと胡桃が入った2種類。付け合わせは、もちろんマーガリンではなく、バターであった。胡桃入りのパンも美味しかったが、胡桃の量が多くて香りが強く、単品で食べるには向くものの、料理のソースを味わいたい私としてはプレーンな方のパンをおかわりした。

DSC02165 「ベトラーブのポタージュ」。ベトラーブはフランス語(betterave)で、英語で言えばビーツ(beets)である。よくロシアの煮込み料理であるボルシチに入っている野菜で、甜菜(てんさい)の一種。ボルシチや薄く切った酢漬け、サラダの付け合わせでは食べたことがあったが、ポタージュでははじめて。色合いがめでたい。

DSC02168 「師崎産真鯛のポワレ 有機野菜の煮込みとベルモットのソース」。これまた塩加減が丁度良く、パリパリに焼けた皮が旨い。手の込んだベルモットのソースであったが、鯛は塩味で楽しませてもらい、ソースはパンで味わった。「魚の皮好き」としては、鯛を含めて、鮭などの皮が旨い魚の良さが引き出してある料理は嬉しい。

DSC02170 口直しの「ブルーベリーのソルベ」。魚料理から肉料理への途中への口直しとの意味合いであろう。かなり濃いぃブルーベリーのシャーベットの上に、ヨーグルトソースがかかっている。ヨーグルトソースには。炭酸ガスを入れ込んであり、ヨーグルトの酸っぱさに炭酸特有のピリピリ感が加わって、ブルーベリーの甘さにマッチしていた。爽快感あふれる一品であった。

DSC02174 肉料理の登場の前に、『スターウォーズ』の「ダースベイダー」の曲が流れ、チーフ・シェフの格好をした新郎が登場。新郎が感謝の意味を込めて、肉を焼くという演出である。BGM選曲は、新郎新婦揃っての『スターウォーズ』好きであるためという。大きな肉を不器用?に焼く。料理好きの従兄弟としては、手をだしてやりたい気分になった。焼けた肉を4つに切り分け、これまで育ててくれた父、母、祖母、そしてお世話になる新婦の母へ。心肉い、心憎い、演出である。

DSC02179 「牛ヒレ肉のロティ ボルドー産ワインのソース イタリア産の栗添え」は、当然ながら肉の焼き加減は注文できない(いつもはレア)ものながら、柔らかい肉質とソースの絡み具合もなかなか。付け合わせが栗というのも良い。

DSC02175

 披露宴終了後に車で帰る予定になっているので、アルコール類は一切口につけずウーロン茶ばかりであったためか、頻繁にトイレに行った。式場や料理だけではなく、トイレも凝っており、和式のこだわりがあったが、小便をする便器が「はやり和風系」。「狙い」がなかなか定めにくいのもさることながら、もしかすると非常時に「大」でもいけるのではないか、と訳の分からない思いをめぐらす。

DSC02184 新郎新婦がお色直しをして、再入場。キャンドル・サービスで各テーブルをまわる。キャンドル・サービスといえば、「酔っぱ」系の男性友人などが、全裸もしくはそれに近い格好でキャンドルを口にくわえ、テーブルの上で待機したり、キャンドル自体に水を塗ってなかなか火がつきにくいような細工をしたり、色々なパターンがあったが、今回のものはそれが通用しない。かなり激しい炎のでる「花火系」であった。

DSC02180 新郎新婦揃ってのウェディング・ケーキ入刀。フルーツをたっぷり使い、新郎新婦が好きな星を飾った生ケーキである。DSC02186まずは新郎が小さなスプーンでウェディング・ケーキをすくい、新婦に食べさせる。続いては、新婦が新郎にウェディング・ケーキを食べさせる番であるが、用意されたスプーンは、子供用雪かきスコップのような巨大なスプーン。DSC02189DSC02192若手お笑い芸人ばりのお約束ネタである。新郎には巨大スプーンでたっぷりのウェディング・ケーキをすくう。新郎である従兄弟も「男」である。息継ぎも中途半端にひたすらほおばり続け完食。お見事。出席者には切り分けられたウェディング・ケーキとともに、自家製の生チョコをはじめ、各種パイなどがオープンキッチンにて、ビュッフェ形式で提供された。

DSC02194 余興は、新郎新婦に関するクイズ。新婦の好きなものクイズは名古屋らしい「味噌煮込みうどん」問題。新婦の好きな「味噌煮込みうどん」は「山本屋」。用意されたAとBの「味噌煮込みうどん」を食べ、どちらが「スガキヤ」で「山本屋」をあてるクイズである。もちろん昨日食べていたので、味が濃いめ、地元でいう「カライ系」であるAを選択し、正解。フランス料理のあとの「味噌煮込みうどん」、日本人の遺伝子からかうみゃーでかんわ

DSC02199 楽しい余興も終えたところで、新婦から感謝の手紙。新婦はお父様を早くに亡くされ、お母様は女手ひとつで、男1、女2の3人兄弟を育て上げた方である。会場が感動に包まれ、新郎から感謝の花束贈呈。新郎の父挨拶、新郎挨拶にて感動のなか、結婚披露宴が終わった。とにかく、幸せな家庭を築いてほしいと願うばかりである。

DSC02201 親戚に挨拶ののち、式場をあとにする。式場の近くは万博「愛・地球博」の会場であった。既に撤去作業に入っているため、中に入ることはできなかったが、全体を眺める感じで見学。名古屋市の藤が丘駅と万博会場を結ぶ磁気浮上式リニアモーターカー「リニモ」が走るところも見ることができた。DSC02202最高時速100Km/h、接地するのは始点と終点の駅だけで、途中の駅も浮上している。名古屋ICに向かう途中、ドイツのパビリオン「ドイツ館」として出展し、そのまま飲食店として使っているビール居酒屋も見学。

 名古屋ICからの高速道路の帰り道は、とにかく眠気と戦いながらの運転であった。途中、岐阜、長野で一回ずつ休憩。妙高高原に入ると雪が積もっていた。タイヤを変えておいて正解であった。

DSC02203DSC02205 21時近く、自宅に到着。留守の間、家にいた祖母、妹と甥っ子にお土産を渡し、遅い夕食。帰り道で母が買った「天むす」と、泊まったホテルに入っていたパン屋「グルマン」で買った「アンチョビ・パリスエッテ」130円、岐阜で買った瓶牛乳「濃いんやさぁ~下呂温泉」。gerogero 20代の前半に下呂温泉に遊びにいった際、銘菓「下呂の香り」を買ったのであるが、その話を最近話しても「ウソだろー」と言われる。「現実は小説より奇なり」、本当である。銘菓「ゲロの香り」、酸っぱい香りではない。

 遊びから帰ってきた義弟と馬刺し、ビールで「飲み飲み」しつつ、最後はウォッカの「ズブロッカ」を飲む。23時過ぎに就寝。

2005年12月 2日 (金)

議会インターネット中継、味噌煮込みうどん

DSC02132 2時過ぎ就寝。7時起床、雨が凄い。郵便物やFAXの処理に追われつつ、9時、市役所集合。議員有志にて長岡市議会に。長岡市議会は、お隣の市だけに、「にいがた70年代議員の会」で一緒の桑原望議員(勉強会)、若手の関貴志議員(勉強会)をはじめ知り合いも多いので、気軽な感じ?の議会インターネット中継システムの視察である。大地長岡市議会議長、議会事務局2名の方からご説明を頂く。

DSC02133    長岡市は平成13年9月よりケーブルTVにて議会中継を行っており、インターネット中継(京都府議会、高知県議会と同じシステム)は、今年9月議会から生中継と20時からの再放送である(ケーブルTVの映像をそのままwebで公開するのは著作権の関係から見送りとのこと)。新潟県内の議会では、新潟県議会を入れても「初」。新潟県議会はこの12月議会から導入に踏み切る。糸魚川市は、提案が議会側からではなく、市当局からだったからか、発言の取り消しがあった場合などの編集について、議員側で議論がおこっているとのこと。

 IT自治体の先進地として柏崎市の評価が高かった(『日経パソコン』等)だけに、この「強み」を生かすためにも、本来は議会側、市当局側で早急に取り組むべきだったと思う。議会だより編集委員長の時代、一般質問で取り上げたり、各メーカーにプレゼンテーションをお願いしたこともあって、もっとうまく話を進めれば良かったと猛省する。DSC02135長岡市の場合は、画像のファイル保存期間や議事録との整合性などのルールを確定する前に、とにかく導入を決めたそうである。たまにはそのような決断も功をなすと思う。5年リースで保証1年間、月額7万4千円のシステム。閲覧側はメディアプレイヤーで見る。画像解像度は140Kbit/s。配信プロトコルがmms配信(ファイア・ウォールの関係で見ることができない場合もあり)なので、今後http配信に変更することと、webカメラの増設、委員会中継への拡大が課題とのこと。

 インターネット中継の件を通じて、一般質問の形式についても比較できた。長岡市議会(議員数39名)では、質問の経緯などをすべて話したうえで最後に一括に質問する一括質問方式。柏崎市議会(議員数31名)では一括質問に加え、私がいつも行っている一問一答方式の2つを通告時に選択できるので、市当局と議員とのやり取りがかなり激しい(感情的にも?)。また議会において発言する場合、長岡市議会は市当局、議員問わず登壇し一箇所に決まっているが、柏崎市議会は市当局、議員の発言場所が違ううえ、議員は自席での発言(マイクつき)も許されている。長岡市議会のwebカメラは1つであるが、質問の形式や位置からいって導入しやすかったと思われる。柏崎の場合、現在柏崎市の公共施設で流れている議会中継用のカメラとwebカメラの接続が必要である。また、長岡市議会では17時終了を前提として、1日あたり4~5人が質問するが、柏崎の場合、終了時間は無制限で1日あたり6~8人が質問を行う。市職員の時間外勤務ということもあり、どちらが良い悪いではないが、議会の運営方法が違っているのもインターネット中継導入の判断材料になっていると思われる。

 12時過ぎ、自宅に戻りタキシードなどを用意し、母を乗せて、愛車プリちゃんで柏崎ICへ。朝食もとっている暇がなかったので、スピード重視でマクドナルドのドライブスルーにて「照り焼きマックセット」、飲み物はアイス・カフェオレでブランチ。車のなかで食べつつ運転し、17時に名古屋に到着。途中、DVDで『夕陽のガンマン』『ルパン三世 ヘミングウェイペーパーの謎』を見る。久しぶりの母との二人旅なので、会話が続かず(最後には「このままでは安心して死ねない。誰でもいいから、とにかく嫁もらってくれ」の話になる)、DVDを用意して正解であった。やはり故・山田康雄氏の声は味わいがあり、台詞まわしも良い。宿泊先は「サンプラザ シーズンズ」。部屋にLANがあるので、仕事ができる。

     18時過ぎに叔父さん、叔母さん、そして明日の新郎である従兄弟と待ち合わせをして、夕食へ。名古屋らしく、「煮込みうどん 山本屋」極楽店に行き、ライスつき「名古屋コーチン味噌煮込みうどん 1850円」。箸とともに出された前掛けを首からかけ、戦闘準備終了。DSC02139カレーうどんと味噌煮込みうどんは、白いワイシャツを着たサラリーマンの敵と言われる。ちなみにワイシャツの語源は「ホワイトシャツ」なので、「白いワイシャツ」は当たり前といえば当たり前のような気もする。前掛けサービスは味噌煮込みならではであろう。自家製の漬物はおかわり自由のサービス品。DSC02141胡瓜、白菜、大根、そしておろし生姜が添えてあり、薄口醤油や一味、七味唐辛子をつけて食べる。エビスの生ビールも注文し、ビールを飲んでは漬物をボリボリ。もちろん、漬物おかわりである。漬物で酒が旨いと感じるような年齢になったかと思うと感慨深い。DSC02142「名DSC02143古屋コーチン味噌煮込みうどん」、ライスがモウモウと湯気を立てて到着。いつも思うのだが、中心に落とされた生卵はいつ崩すのか、またライスはうどんをおかずに炭水化物「男めし」として食べるのか、はたまたスープをかけて、味噌煮込みぞうすい風にするのか、悩みはつきない。さらには、従兄弟と「味噌煮込みには、一味唐辛子か七味唐辛子か」で議論。私は香り高き七味唐辛子派である。お店として両方用意してあるのが、心憎い。DSC02144結局、七味唐辛子をたっぷりと入れ、麺を半分食べ終えたところで、卵を崩し、麺を黄身に絡めつつ、濃厚な味噌スープを堪能。麺がなくなったところで、名古屋コーチンの切り身とスープをご飯にかけ、名古屋コーチン味噌ぞうすいに。満腹であった。

 20時過ぎ、ホテルに戻り、頼まれていた企画書作り。母はシャトルバスに乗り、話題の日帰りの長久手温泉「ござらっせ」へ。そのまま仕事続行。23時過ぎ、小腹がすいたので、近くのコンビニで「チキンサラダ(中華ドレッシングたれ)」を購入。

2005年12月 1日 (木)

世界へ!柏崎ライフセービングクラブ

 4時就寝。7時起床。歴史教科書を考える会関係での電話を頂戴し、集まりでのスピーチをすることになった。その際、田形先生名越先生の講演企画、そして来年5月の満州柏崎村の件をお話したい。

DSC02123 9時朝食。またもおにぎり選手権対策のため、おにぎりギリギリ。ただし、今回はガツンと口にぶつかるおにぎりの楽しさを味わいたいため、厚さは3.5cmほどで握る。具はおかかと乾燥納豆。白菜の漬け物と一緒に、朝食にし、その残りを昼食に。

 午後から市内の銀行、郵便局など会社関係の仕事や、天気がいいので陳情にあった道路や側溝などをデジカメで撮影。ついでに、愛車プリウスの「シャア仕様 プリちゃん」(メス、1歳半)のタイヤ、オイル、オイルエレメントを交換。年間約2万キロを走る「シャア仕様 プリちゃん」である。メンテナンスは頻繁に行う。

DSC02124 18時から柏崎ライフセービングクラブのアジアライフセービング室内選手権大会の報告&忘年会に出席。会場はホテルシーポート。11月19日、20日に香港で行われたアジアライフセービング室内選手権大会で、我が日本の代表チームは、総合優勝DSC02130柏崎から出場した青木克浩選手が、100mマネキントゥ・ウィズフィン男子において、日本新記録で優勝。喜ばしいことである。「海の柏崎」を世界にアピールしてくれることにまず感謝したい。青木選手の話によれば、出場した日本選手は個人より「日本」がいかに優勝するかを考えて勝負したそうである。他のアジア各国はたいした相手ではないと当初見ていたものの、国家をあげて挑んでくる。イランなどは、オリンピック級の選手をそろえてこの競技に臨み、勝ったら祖国での賞金と栄誉を約束していたそうである。そんななかでの日本代表の総合優勝。nippon 日章旗に寄せ書きをした写真を見れば、まさに「皇国の興廃、この一戦にあり」である。柏崎市としてもさることながら、国家としてももっとサポートをしても良いのではないかと思う。来年の2月には、オーストラリアのメルボルンでライフセービング世界大会が行われ、6名の日本代表のうち、2名は柏崎から池谷選手、青木選手が出場である。池谷選手は同い年だけに特に頑張ってほしいと思う。

DSC02131 ビールを注いでは、注がれの2時間。料理は、鍋、海老と茄子のチリソース、刺身盛り合わせ、ビーフドリアなど。クワイ、銀杏の素揚げとサンマを丸めた揚げたものがボリュームたっぷりで満腹。21時過ぎに自宅に戻る。

 23時過ぎ、相談が自宅に。かなり酔っているようだったので、なだめながら悩みの内容を聞く。

 「若手市議会議員の会」の仲間である山梨県甲州市の桐原まさひと氏がこの度の合併選挙で見事当選。仲間の当選は嬉しいものである。ちなみに「若手市議会議員の会」のサイトもリニューアル。

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