2024年6月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30            
無料ブログはココログ

« 再び『男たちの大和/YAMATO』、特攻隊遺書 | トップページ | 「特攻隊の方が幸せ・・」発言 »

2005年12月26日 (月)

奇跡の艦!「駆逐艦 雪風」(ゆきかぜ)

 雪かきや郵便物やFAXなどの処理をし、3時就寝。8時起床、シャワーを浴び9時から事務所で打ち合わせ。

F1000002 12時、朝昼兼用で、納豆丼。今日は小粒納豆に、刻んだネギ、多めの鰹節、若布を入れてみた。鰹節がワサワサとした食感にならないように、撹拌ののちしばし寝かせる。若布の水分もあり、なかなか良い感じの納豆丼となった。食べ終わってから、卵黄をのせれば色あい、栄養的にも良かったのではないかと後悔。

 午後からは年末の挨拶まわり。自宅にいらっしゃらない場合も多くもあり、市内をウロウロ。市内の渋滞もあり、あっという間にあたりは暗くなってしまった。

F1000003 19時過ぎ、自宅に戻り、夕食。作っている時間もなかったので、某スーパーで時間経過により半額になっていた生鮨を購入。余りの寒さからビールではなく、たまには熱燗を飲んでみることにし、つまみとして知人からもらって冷凍しておいた、モンゴウイカの薫製を発酵バター焼きにする。

F1000004 どの木材のチップで薫製にしたのかまで聞いておけば良かったが、そのまま食べても薫製独特の香りと、塩気がちょうど良い。超弩級、いや、超「『こんごう』型イージス艦」級の薫製である。そのまま食べても良かったが、発酵バターの脂気と微妙な酸味も合うのではないかと思い、焼いてみた・・・・これが大正解。最初、熱燗と合わせたものの、急遽、ビールを冷蔵庫から取り出し、ビールをグビグビと飲んで、喉を潤わせたのち、肉厚のイカを噛み締める。ギュッ、ギュッという歯ごたえとともに、燻した香り、そして発酵バターの脂が口中に広がり、最後に発酵した乳の酸味がシメる。ついビールがすすみ、飲み過ぎた。昼の疲れもあり、21時過ぎ、一度、寝ることにする。

 先週、東京にいた土日の2日間は晴天であったが、その頃、柏崎は激しい雪風であったことだろう。その雪風という名前をつけた『奇跡の艦』がある。
yukikaze  それが昭和15年1月20日に完成した「駆逐艦 雪風」。
 「駆逐艦 陽炎」級の8番艦である。初戦は、昭和16年12月8日、真珠湾攻撃と同時に実行されるフィリピン攻略作戦。「戦艦 大和」とともに「菊水一号作戦」、つまり沖縄特攻にも投入されるが、「戦艦 大和」の沈没により、戦闘終了とみなし帰投。その間、米軍のロケット弾も当たっていたが、信管の不良により不発。硫黄島、沖縄が占領された後の戦闘においても、米軍の機雷が当たっても作動せず、ほぼ無傷で終戦を迎える。しかも、「駆逐艦 雪風」の乗組員の戦死者は10人に満たない。これが『奇跡の艦』と言われるゆえんである。
 終戦後は、武装を全てはずし、特別輸送艦として、かつて戦場だった太平洋の各所で兵士をのせ、故郷である日本に運んだ。
 昭和22年5月、「駆逐艦 雪風」は賠償艦(賠償の意味で)として、中華民国国民政府(台湾)に引き渡しが決定。引き渡し最後の日について、海軍記者であり、後に産経新聞紙上で連載をしていた伊藤正徳氏は『聯合艦隊の栄光』にこう書いている。

 引き渡し式が上海の埠頭で行われた。
 艦内はくまなく整頓されて、塵一点をとどめず。
 検査のため来艦した
 米英の海軍将校達は感激して言った。
 「自分たちは、こんなに整頓された
         軍艦をかつて見たことがない!」と。
 雪風は最後の日まで、日本の名を守った

 中華民国国民政府(台湾)での艦名は「丹陽」。しかも駆逐艦ながら中華民国国民政府(台湾)艦隊旗艦として使われることになった。

*通常であれば、駆逐艦クラスでの旗艦はない。日本の旗艦は「戦艦 長門」や「戦艦 武蔵」「戦艦 大和」など。

 昭和41年、除籍となり、日本からも返還要望があったものの、台風による浸水のため解体。(ただの老朽化による解体説もあり)
 昭和46年12月8日、「駆逐艦 雪風」の錨と舵輪が横須賀市の海上自衛隊横須賀地方総監部に運ばれ、日本に『奇跡の艦』が返ってきた。
 豊田穣著『雪風ハ沈マズ』光人社に、そのときの模様がこうある。

 会場の地方総監部グラウンドに運び込まれた
 「雪風」の錨と舵を見て、
 「こんな姿になってしまったのか」
 「あの雄艦が、これだけになってしまったのか」
 と「雪風」会員たちは泣いた。
 あらためて流れた「雪風」の追悼の涙であり、
 いまは亡き、
 
十六駆逐隊、十七駆逐隊の戦友を葬う涙であった。

 戦後、海上自衛隊の前身である海上警備隊が、初めて日本国内で建造した国産の艦は、甲型警備艦とされた「はるかぜ」。
 昭和29年、組織の改編により、海上警備隊が海上自衛隊となり、「はるかぜ」(DD-101)に次ぐ国産の艦、そして日本初の護衛艦が造られることになった。
 昭和31年就役、「駆逐艦 雪風」の魂を受け継ぐかのように、海上自衛隊の最初の護衛艦には、「ゆきかぜ」(DD-102)の名がついたのである。
 「ゆきかぜ」はその後、昭和60年に除籍となる。

 ちなみに、『宇宙戦艦ヤマト』の第一話「SOS地球!!甦れ宇宙戦艦ヤマト」において、主人公である古代進の兄、古代守が艦長をつとめる艦は、ガミラス艦隊に集中砲火を浴びる。古代守が敬礼をしながら、撃沈されたその艦の名前も「ゆきかぜ」である。

 「駆逐艦 雪風」については、1964年に松竹より映画化されている。山田達雄監督『駆逐艦雪風』。

« 再び『男たちの大和/YAMATO』、特攻隊遺書 | トップページ | 「特攻隊の方が幸せ・・」発言 »

自衛隊」カテゴリの記事

コメント

艦隊の規模にもよると思いますが、雪風、第三次ソロモン海戦で一時的ですが旗艦になったことがあるようですね。。

 名無しさん、コメントありがとうございます。
 激戦をくぐり抜けてきた「駆逐艦 雪風」には、改めて壮大なドラマを感じ、次世代に伝えるべきと思ったところです。

古い記事へのご返信ありがとうございます。
最近になって世界大戦について史実を調べたりしていまして、たどり着いた次第です。
「金剛」も好きな戦艦です!私の車と同じイギリス製なのでした。。

 名無しさん、コメントありがとうございます。
 「金剛」も歴史、ドラマありの良い艦だと思います。
 私は「航空戦艦 伊勢」も好きです。

私が大学生だった頃、朝日新聞の記事だったと記憶します。雪風(台湾では丹陽)が台湾海峡有事の際、交戦中に機関が故障し、漂流するも、危機一髪で機関が息を吹き返し、絶体絶命の危機を脱した、という台湾の艦長の談話が載っていたことを思い出します。強運艦はどこまでも強運艦だったのでしょう。最近、この話をいろいろ調べたのですが、わかりません。あるいは私の記憶違いであったのか…、それもわかりません。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 奇跡の艦!「駆逐艦 雪風」(ゆきかぜ):

« 再び『男たちの大和/YAMATO』、特攻隊遺書 | トップページ | 「特攻隊の方が幸せ・・」発言 »