再び『男たちの大和/YAMATO』、特攻隊遺書
6時起床。長風呂に入ったのち、持参 した愛用のノートPC「ThinkPad X31」で仕事。トラックポイントのついたノートPCしか馴染まないので、ずっとこのシリーズを使うことになると思う。IBMのPC部門売却にはガックリだ。
9時、上野駅近くの喫茶店で、打ち合わせ。事業計画の変更や広告戦略についてである。先方の社長が納得のいく提案になったようで安心した。お喜びなのは分かるものの、「若いから大丈夫だよね」「食べて食べて」と分厚いピザトースト3枚を注文され、食べないわけにもいかず詰め込む。まさか、計画と資料を作ってきた報酬がこのピザトースト代では・・・・・。
朝からコッテリしたものを食べたので、運動がてら上野から秋葉原まで歩く。途中にあるスーパーや百貨店に寄り、新作やパッケージがリニューアルした納豆を購入。秋葉原では、FOMA用の充電機能つき通信ケーブルやシリコングリス、メモリ用ヒートシンクを購入。メインに使っている自作パソコンのメモリが2GBあるものの、コンパクト筐体であり、夏は熱暴走することしばしばなので、メモリ用ヒートシンクが役立てばと思う。
13時近く、秋葉原から池袋に移動し、池袋シネマサンシャインで、16時からの『男たちの大和』の座席指定券を購入。戦争を扱った映画を見たことがないというO嬢のためにも、早めに来て良い席を確保した。良い席を確保できたとほくそ笑みつつ、インターネットが使える漫画喫茶に移動して、先ほど購入した納豆を1パック、コーンスープを飲みつつ、ブログを書き込み。
15時過ぎ、池袋駅構内、お約束のフクロウの前でO嬢と待ち合わせ。適当に時間つぶしをしながら、映画館に到着。これまたお約束のポップコーン塩味とソフトドリンクを購入。ダイエット・ペプシがなかったので、いっそのことと思い、メロンソーダをチョイスした。16時からの上映、先週に続き2回目の『男たちの大和』を見る。場内は満席。場面によってはすすり泣きも聞こえてくる。
2回目にもかかわらず、不覚にも、涙ぐんでしまったシーンがあった。それは「戦艦 大和」の出港シーンである。
「靖國神社で会おう」
と散華された方はもとより、幼い我が子に、
「素子
素子は私の顔を能く見て笑いましたよ。
私の腕の中で眠りもしたし、
またお風呂に入ったこともありました。
素子が大きくなって私のことが知りたい時は、
お前のお母さん、佳代叔母様に私のことをよくお聞きなさい。
私の写真帳もお前のために家に残してあります。
素子という名前は私がつけたのです。
素直な、心の優しい、
思いやりの深い人になるようにと思って、
お父様が考えたのです。
私はお前が大きくなって、立派なお嫁さんになって、
幸せになったのを見届けたいのですが、
若しお前が私を見知らぬまま死んでしまっても、
決して悲しんではなりません。
お前が大きくなって、
父に会いたいときは九段にいらっしゃい。
注)「九段」、靖國神社のある九段下
そして心に深く念ずれば、
必ずお父様のお顔がお前の心の中に浮かびますよ。
父はお前が幸福者と思います。
生まれながらにして父に生き写しだし、
他の人々も素子ちゃんをみると
真久さんにあっている様な気がするとよく申されていた。
またお前の伯父様、叔母様は、お前を唯一の希望にして
お前を可愛がって下さるし、お母さんも亦、
御自分の全生涯をかけて
只々素子の幸福をのみ念じて生き抜いて下さるのです。
必ず私に万一のことがあっても
親無し児などと思ってはなりません。
父は常に素子の身辺を護っております。
優しくて人に可愛がられる人になって下さい。
お前が大きくなって私のことを考え始めたときに、
この便りを読んで貰いなさい。
昭和十九年〇月某日 父
植村素子へ
追伸
素子が生まれた時
おもちゃにしていた人形は、
お父さんが頂いて
自分の飛行機に
お守りにして居ります。
だから素子は
お父さんと一緒にいたわけです。
素子が知らずにいると困りますから教えて上げます。 」
海軍大尉 植村眞久 享年25歳
*植村大尉は幼子ありながら、特攻を志願。 神風特別攻撃隊大和隊、第一隊々長の任務となる。出撃の前夜、戦友達の配慮で、長崎県大村基地から東京の自宅まで軍用の電話がつながれた。そして受話器を通じ、幼い我が子の泣き声を一声だけ聞いて、出発。昭和19年10月26日、愛娘が大切にしていたおもちゃの人形とともに、レイテ島東方スリガオ海峡付近の米機動部隊に特攻。
参考:「神風遺書」
と遺書を残した方々の事がふと頭のなかで連想、クロスしてしまったからである。田形先生から生の経験を聞いているだけに、つい涙ぐんでしまった。O嬢も映画終了後は、アイメイクのやり直しであった。
映画の後、余韻の残しつつ、ナンジャタウンへ移動。入場料300円を払い、餃子スタジアムへ。昭和レトロ風になっている内装に安心感を感じつつ、餃子激戦区の蒲田に本店をもつ「元祖羽根つき餃子 ニイハオ」へ。生ビール大、「エビ茹で餃子、羽根つき焼き餃子セット 850円」である。「エビ茹で餃子」は口中にまるまる放り込み、グッとかむと中から汁が溢れ、とにかく熱い。羽根つきの餃子もパリパリ感を楽しんだあとにくる熱い肉汁。上あごが熱さベロベロになりそうなところにビールを流し込む。意外に満腹になってしまい、餃子スタジアムは一店舗で終了。
その後、アイスクリームを集めた「アイスクリームシティ」にいき、「ソフトクリームBAR」へ。全国各地のソフトクリームが集めてあり、納豆ソフトはないものの、岐阜県養老サービスエリア名物という「カレーソフト 350円」を発見。奇を衒った系の食べ物にも興味がわいてしまうが、正統派のジャージー乳牛ソフトやあずきソフトも捨てがたい。
ということで、4種類のソフトクリームを選べる「ちょこっともり 580円」で、あずき、ジャージー乳牛、バナナチョコ、カレーをチョイス。O嬢と分けて食べることに。濃厚なジャージー乳業、小豆の清涼感、思ったより普通の味であったチョコバナナ・・・・困ったのはカレーである。カレーパンも揚げた油が指につくわ、息はカレー臭くなるわで、「美味しいけどやっかい者」の称号が与えられているが、カレーソフトクリームはまったくのやっかい者の感がある。本来であれば、その他のアイスクリームやシュークリーム各店の味見もしようとO嬢と話していたものの、すっかりやる気を失ったので、ナンジャタウンをでる。
ナンジャタウン内にあった昭和レトロ張り紙で、これは!と思ったのは
「非行に走るな、リレーで走れ!」
である。
池袋駅に向かっていきながら、豚骨系のラーメンを食べようということになり、「ばんから 池袋東口店」(03-3983-4044)へ。活気ある店内に入って、券売機にて「つけ麺 680円」を購入。O嬢は「ばんかららーめん 580円」である。
席につくと、生大蒜と着色が少ない紅しょうが、ごまが置いてあり、早くも好感触。豚骨ラーメンには欠かせないものである。まずは「ばんかららーめん」到着。O嬢とお互い半分ずつ食べることにしたので、先にO嬢に食べてもらう。麺は豚骨系にしては珍しくツルツル食感の多加水の細目のちぢれ麺。
豚臭さがあるものの、背脂が酸化していないためか、爽やかに感じる脂である。
「つけ麺」は、ラー油の他、香味野菜で作ったような香油、魚介系のタレを使ったと思われるつけ汁に、加水率の高い、やや太めのツルツル麺。適度な辛みとごまの芳醇な香りが良い。つけ汁のしたに沈んだ刻みチャーシューの効果も大きい。ズボボーと一気に食べてしまった。つけ麺のバリエーションを多く出す店があるが、その多くは麺の上になにかのトッピングをのせた場合が多い。しかし、つけ麺は麺自体の美味しさとつけ汁の絡み具合でほぼ決まると思うので、麺は一種類でも、もちろん何かを練り込んだり、粉を変えた麺を複数でもいいが、できればつけ汁が複数ついてくるようなお店が近所にほしいと思う。
池袋駅でO嬢と別れ、東京駅へ。新幹線の最終便に乗車。自宅についたのは24時を過ぎていた。
« 生卵溶き時間問題と「超弩級」 | トップページ | 奇跡の艦!「駆逐艦 雪風」(ゆきかぜ) »
「映画・テレビ」カテゴリの記事
- 軽巡洋艦 矢矧(やはぎ)(2006.02.14)
- 尾道「戦艦 大和」ロケセット(2006.02.20)
- 『こどもの時間』上映会、東山県議総会(2006.01.29)
- シドニー海軍葬と日本の母(2006.01.25)
- 大和を護れ!「冬月」「雪風」(2006.01.26)
トラックバック
この記事へのトラックバック一覧です: 再び『男たちの大和/YAMATO』、特攻隊遺書:
» 男たちの大和/YAMATO [ダディャーナザン!ナズェミデルンディス!!]
「敵機は、1秒間に160mの速さで突っ込んでくる。
死んだら戦えん!生き抜くために、戦うんだ!」
1945年4月6日
3333名の男たちは、
最強最大の不沈戦艦大和と共に、
決戦の海へと向かった・・・
「大和は沖縄に行くんじゃろ。
死んじゃら...... [続きを読む]
コメント