2024年6月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30            
無料ブログはココログ

« 戦場のなでしこ、青葉慈蔵尊 | トップページ | 「障害」か「障がい」、「障碍」か »

2005年12月18日 (日)

大雪のなか『男たちの大和』鑑賞

 タミヤ模型から発売された戦艦大和・映画「男たちの大和/YAMATO」特別仕様を注文し、3時就寝。_1 模型でも「戦艦 大和」を飾っていると聞くと、たぶん、自称・平和主義の方などから「三井田は軍国主義だ」「三井田は戦争をしたがっている」「右翼だ」の声がでると思うが、平和を愛すればこそ、「戦艦 大和」を忘れてはならないと思う。その他にも、「戦艦 大和」を何故好きかと言えば、その美しさ 、そして当時の日本の工業技術の粋を集めたものであったからである。日本の「ものづくり」ここに極まれり の感がある。

DSC02350 6時起床、とにかく凄い雪なので1時間ほど雪かきをし、愛車を雪のなかから掘り出す。昼から三条市で会議の予定のため、早めに三条市に行ってワーナーマイカルで『男たちの大和』を見ようと、朝食抜きであわててて7時に自宅をでる・・・が、高速道路は閉鎖。しかも、国道8号線はもの凄い渋滞である。結局、三条市に着いたのが9時40分。2時間40分かかってしまったのもさることながら、9時35分からの上映に間に合わず。web経由のチケット注文が無駄となってしまった。しかも会議は大雪のため中止

 せっかくだからと12時30分からの次の上映チケットを購入。お腹もすいたので、映画館に併設の_1「ロッテリア」でモーニングセットA(小さなトースト2、マーガリン、厚切りベーコン、スクランブルエッグ、和風ドレッシングサラダ)、ソーセージエッグセット(ポテトS、カフェラテ)の朝食。ファーストフードの朝食なんて久しぶりであるが、あまり豊かな感じがしないのは気のせいであろうか。食事をしながらデジカメをいじっていると、愛用のデジカメ SONY T33(シャア専用ズゴックをイメージし、ブラウン)がいきなりの故障。つくづくツイていない日である。

 いざというときにデジカメがないのもツライので、急遽、映画館の隣にあるマイカル県央サティ内の携帯ショップにて、携帯をドコモのFOMA F902iに機種変更。もちろん、カラーはシャア専用をイメージしたグロッシールージュである。ドコモポイントなども使いまくり、1600円でできたので、ついでながらminiSDカードの265MBも2450円で購入。

akubi 時間があったので、マイカル県央サティのなかをウロウロしてみると、おもちゃ売り場になんと『ハクション大魔王』にでてくるアクビちゃんの壺があった。「笑い上戸はいぃーけれどぉ~派ぁ手な悪戯、玉にキズ」の堀江美都子氏によるエンディング曲にも歌われた可愛いアクビちゃんの壺(2450円)。ちゃんとイヤリングもしているピンクの壺である。迷ったあげく、購入。事務所においてある昭和40年代のポップな色合いをしたタンスの上に飾ることにする。

 12時近く、いよいよ『男たちの大和/YAMATO』上映まであと30分。お約束で、『男たちの大和/YAMATO』映画パンフレット(800円)、携帯ストラップ(1000円)、スチール写真のセット(600円)を購入。nacho映画といえば、ポップコーン。しかし、好きなナチョス(400円)があったので、こちらも好きなチーズソースで購入。飲み物はダイエットペプシをキングコングサイズ(600円)で注文。映画『キングコング』とのタイアップ商品でキングコングのスタンプもついてきた。『男たちの大和/YAMATO』を見る人は大人が多いからか、他に同じものを持っている人がおらず、「いい大人して、そんなの買って」風な視線も痛い。なかに入って、座ってみると184名収容のところ、大雪のためか、6割の入り。席は縦横からみてもほぼ中心。期待の上映である。

 ネタバレも良くないので、詳細は書かないが、面白い映画であった。個人的には、「母、妹のためにも、自分が出撃し、守ってあげたい」といったシーンが良く、同様に熟年夫婦らしき近くの方も旦那さんはそういった「守る」シーンに涙していた。その方の奥さんや自分の席より前にいた女性の多くが涙をぬぐっていたのは、親子の別れ、恋人との別れのように見受けた。

 映画のなかで、「片道分の燃料」という台詞があり、気になってしまった。沖縄に向け、「戦艦 大和」が出撃したときの燃料は満タン(満タンだと6400トン)ではないものの、実は約4000トンを入れていった。連合艦隊参謀長より発せられた作戦計画では2000トンではあるが、連合艦隊参謀 小林儀作海軍大佐の手記『戦艦大和の沖縄突入作戦について』によれば、

「片道の燃料などとは・・・・武人の情けにあらず

と帳簿上では空タンクとなっている重油タンクから手押しポンプにて重油を集め、約4000トンを搭載したのである。当時、タンクの底の重油は在庫として報告しておらず(帳簿外重油)、これを手押しポンプで沢山集めた。

 また、「戦艦 大和」沈没から生存した乗組員の救出シーンにおいて、これまで吉田満著『戦艦大和ノ最期』に書かれているような、下士官が救助艇に捕まった大和乗組員の手首を軍刀で次々と切り落とすようなものが描かれず、安心した。
 『戦艦大和ノ最期』にはこうある。

 「用意ノ日本刀ノ鞘(さや)ヲ払ヒ、犇(ひし)メク腕ヲ、手首ヨリ
  バッサ、バッサト斬リ捨テ、マタハ足蹴ニカケテ突キ落トス」

 「戦艦 大和」沈没後、付近の海域の救助に向かったのは「駆逐艦 冬月」「駆逐艦 初霜」。著者の故・吉田満氏によれば、「駆逐艦 初霜」の救助艇に救われた砲術士の目撃談として紹介しており、救助艇が生存者で満杯となったものの、乗り切れない生存者が船べりを掴んだので、下士官が掴んだ手首を次々と切り落としたというのである。
 著者の故・吉田満氏は、「戦艦 大和」に電測士、いまでいうレーダー担当者として乗り込み、沈没後は「駆逐艦 冬月」に救助された。
 『戦艦大和ノ最期』に書かれた指揮官に該当する人はまだご存命である。「駆逐艦 初霜」の通信士で、救助のための内火艇の指揮を務めた松井一彦氏その人。松井氏によれば、

・「駆逐艦 初霜」の内火艇は
 「巡洋艦 矢矧(やはぎ)」の救助に向かった

そうである。
 また、「戦艦 大和」を護衛して沖縄を目指したものの「戦艦 大和」沈没により帰投中であった「駆逐艦 雪風」に救出された、「戦艦 大和」乗組員の八杉康夫氏によれば、

・這い上がってくる仲間の手首を軍刀で切るなどありえない

と証言する。生き残った「戦艦 大和」乗組員の重傷者は、佐世保の海軍病院、軽傷者は浦頭の検疫所に運ばれたが、どこからもそのような話は聞いていないという。前述の松井氏も「駆逐艦 雪風」「駆逐艦 冬月」関係者に聞いたが、そんな話はないとのこと。
 そもそも、内火艇は、船べりが高く、海面から手を伸ばしても届かない。ロープを投げ、引き寄せて救助するのである。映画の救助シーンでもそうであったし、海軍の溺者救助、漂流者救助のマニュアルにもロープを使う旨記載してある。また、内火艇は羅針盤があり、軍刀は磁気に影響するので、持ち込まない。しかも海軍の士官は、軍刀は常時携行しない。ただ、沖縄決戦を想定していたので、米軍との白兵戦に備えての軍刀が駆逐艦のなかにあったのは事実である。
 では、救助に向かった船が違うものであったとしたらどうであろうか。海面から手を伸ばして手首が見える高さの船べり、つまり簡易な救助艇を想定する。軍刀も良く切れるものを持っていたとする。すでに船のなかは生存者で満杯。戦時下の沈没にともなう救助であり、生存者は当然、重油まみれである。そんななか、軍刀を振り回し、次々と手首を切り落としていくことは可能であろうか。
 この件については、松井氏のみならず、旧海軍の親睦団体「水交会」からも「駆逐艦 初霜」乗組員を中心に「訂正すべし」の声があがっている。
 『戦艦大和ノ最期』のなかでは、その他のことについても「訂正」の声がある。レーダー担当者であった故・吉田満氏の勤務場所は艦橋。とてつもなく巨大な「戦艦 大和」のほかの部署のことも書いてあるが、本人が直接体験したものではなく、伝聞によると考えるのが通常であろう。故・吉田満氏が『戦艦大和ノ最期』を書いたのは1946年。軍国主義の復古だとしてGHQの検閲により出版できず、発表は1952年になったものの、書いたのは終戦直後。電話もなく、生存者の住所も分からなくなっているなか、取材をどう行ったのかは不明である。また、当初のタイトルは「小説・軍艦大和」であり、ノンフィクションではないとしている。著者の吉田満氏がすでに鬼籍(昭和54年9月17日、56歳で死去)に入っているので、本人による訂正はできない以上、今後、出版社は『戦艦大和ノ最期』をあくまで小説であると紹介してほしい。(詳細は『will』1月号に詳しい)

 映画が終わったところで柏崎に帰ろうと思ったものの、大雪で高速道路はまだ閉鎖。幹線道路も時速10km/hで走れば良い方である。14時に三条をでたのに、16時になってもまだ見附市F1000004F1000005お腹もすいてきたので、「喜多方ラーメン 蔵 見附店」でチューシューメン(787円)+餃子セット(304円)を注文。餃子セットは餃子が3、お新香、ライス、杏仁豆腐であった。餃子は味噌だれで頂く。気のせいか、チャーシューの豚肉がにおい、ご飯もバサバサであった。

 自宅についたのは19時過ぎ。大雪のなか4時間半のとろとろドライブは非常に疲れる。パソコンの画面を見る気もなくなったので、たまった資料を読みあさる。

shosho2 風呂あがりに「ナンジャワールド」のアイスセットから熊本県菊池市の「成人向 熊本純米焼酎アイス 淡麗芳醇」(ついんスター)を食べる。ラクトアイスなので、 乳脂肪の濃さよりも焼酎の香りが際だち、これはこれで楽しめる。氷の粒が宝石のようにバニラに入っていたアイスが昔あったが、そんな感じで焼酎の氷がバニラに入っていても良いかも知れない。

« 戦場のなでしこ、青葉慈蔵尊 | トップページ | 「障害」か「障がい」、「障碍」か »

映画・テレビ」カテゴリの記事

コメント

写真の車、ほんとに埋もれてますね!もっと雪の写真が見たいです。食べ物の写真が多いのはなぜ?くま1は新潟行きで風邪が悪化していますが、そちらであまり雪がなかったことに不満のようです。でも、雪による被害がこれ以上出ませんようにと思っています、くま2。

 くま2さん、コメントありがとうございます。
 雪を見ると「とにかく先に雪かきをする」生活なので、なかなか改まって雪写真を撮ることがなく申し訳ありません。食べ物の写真が多いのは、料理が好きなこともさることながら、自分の食生活を書き記して、ダメなところを自省しようと思っているからでございます。
 また、くま1さんの体調が早く良くなりますよう祈っております。

くま1です、ありがとうございます。すぐ気管支炎になるので今ひやひやしているところです。そしてお食事のこと、お付き合いでない時の食事は、写っている物で全てですか?印象として茶色いなぁ、たんぱく質が多いなぁ、油も多そう、野菜少ない、です。良くご存知の方に要らぬお世話のようにも思うのですが。お体大切にお元気でいてください!顔の皮膚の美しさの秘訣を教えてください!!

 ありがとうございます。食事の他には、サプリメントをとっています。マルチプルビタミン、亜鉛、アミノ酸です。皮膚が美しいかどうか分かりませんが、厳寒の地で育ったからでしょうか。ちなみに、若手の地方議員仲間からは「色白の右翼」とのキャッチフレーズを頂きました。がくっ。自称・ど真ん中より。

感動しました!
いい作品だったと思います。
単純に「娯楽作品」として
楽しめない部分もありました。
戦争の悲惨さ・不合理さが伝わってきます。
日本中が狂っていたとしか思えません。
それが「時代」なのでしょうか?
(今だって、日本が正しい方向に向かっているのか
はなはだ疑問だと思います。)
いろんなことを考えさせられる
いい映画でした。
ホロリとくる所もありました。
命を粗末にしてはいけませんね。

青い森のマサでした。

 TB、コメントありがとうございました。
 こちらからもTBさせて頂きました。

 大東亜戦争での悲劇などをより知っておくことが
平和な日本を考えていくうえでも重要かと思います。

 戦争は、日本だけでやったわけではなく、相手が
いてのことですし、戦争のルールである軍人と
軍人の戦闘であるはずが、多くの民間人を標的にした
国にも問題があると考えております。

*戦争のルール:ジュネーブ条約
  1864年、スイスのジュネーブで戦地における
 戦傷病兵の救護及びその救護者の中立性保護を規定
 した条約を結んだのが始まり。
  戦争に際し、戦闘行為に参加しない民間人や、
 戦闘行為ができなくなった捕虜や傷病者などを
 保護することを約束したを目的としてつくられた
 条約のこと。

 映画のなかでも、軍事施設である呉の工廠を狙うまで
は良いのですが、神尾の母親をはじめ、農村で民間人
を無差別に殺すのは戦争のルール違反です。同様に、
原爆にしても、日本各地の都市の民間木造家屋を無差別
爆撃した空襲も民間人を標的としており、違反となります。
 湾岸戦争の際、軍事施設への攻撃をするはずが、間違って
民間施設を攻撃し、世界的に批判がでたことも記憶に
新しいことと思います。

 色々な評価のある映画ですが、どのような方向から
考えるにせよ、戦争や平和を知るためのきっかけ
には良い映画だったのではないでしょうか。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 大雪のなか『男たちの大和』鑑賞:

» 男たちの大和/YAMATO [ダディャーナザン!ナズェミデルンディス!!]
「敵機は、1秒間に160mの速さで突っ込んでくる。 死んだら戦えん!生き抜くために、戦うんだ!」 1945年4月6日 3333名の男たちは、 最強最大の不沈戦艦大和と共に、 決戦の海へと向かった・・・ 「大和は沖縄に行くんじゃろ。 死んじゃら...... [続きを読む]

» 男たちの大和 [非常に適当な本と映画のページ]
 戦艦大和の最期、そしてその乗組員の生き様・死に様を描いた大作。 本作の制作をきっかけに、日本は「大和ブーム」になったという。粗筋 2005年。 九州を一人の女性が漁村を訪れ、太平洋のある海域にまで連れて行ってほしい、と頼み込んできた。 その海域とは、戦艦...... [続きを読む]

» 「男たちの大和」観た [メフィスト賞受賞者津村巧のテレビ・世相日記]
↑拙作です↑1. 「男たちの大和」観た 本日は1日で、映画の日。 1000円で映画を観ることができるということで映画館に向かったが、観たいのがなかなかない。 そんな訳で、観たのが男たちの大和 全体的には、さあ、泣いてください! ……と言わんばかりの場面が多い...... [続きを読む]

» 青森コロナで「男たちの大和/YAMATO」〜。 [マサ’ズ ウェブサイト]
先月から公開が始まっている話題の映画を やっと鑑賞することができた。 胸を打つ、実にいい映画だった。 (感動した。) 当時、飛行機による攻撃が、いかに威力があるかは、 日本軍による真珠湾攻撃の成功が、それを示していると言える。 そうした中で、いかに巨大で高....... [続きを読む]

« 戦場のなでしこ、青葉慈蔵尊 | トップページ | 「障害」か「障がい」、「障碍」か »