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2005年12月 7日 (水)

海自誘致を訴え・・・支那事変

 人材育成について調べるつもりが、最初のアジアのエネルギーに関する調査でハマってしまい、3時過ぎまで。国家戦略である石油エネルギーを、まったくの民間の力で立ち上げた日本の先人のパワーには驚くばかりである。しかも、柏崎周辺の人間が中心となっていた。議会での議論に使うかどうかは別として、とにかく発言をして議事録に残し、web上の議事録システムから検索できるようにし、後年の人たちにも知ってもらえるようにしたいと思う。7時起床。朝食を食べる間もなく、事務所リフォーム打ち合わせやTV収録の調整などの電話。

oshio  スーツに着替えながら、TVを見ているとフジTV系「とくダネ!特捜部」のコーナーに押尾コータロー氏が出演していた。押尾氏は1968年生まれ、4つ年上であるが、同世代と言ってもよく、とにかく頑張ってほしいうえ、世界でも活躍してほしいと願うばかり。

_1 10時前に市役所に到着。シャワーの浴びる間もなく、髪の毛もボサボサのままである。今日は一般質問のトップバッター。質問は大まかに、原子力防災と人材育成について。「議長ー!」「三井田議員」と質問台に立ち、お約束の口上である。

「無所属の頃から、
柏崎に海上自衛隊誘致を訴え続けております、
整友会の三井田でございます。
 海上自衛隊誘致に関しては、「無理どぉー」「ダメどぉー」
と言われ続けながらも、「どぉー」に入った活動として、
引き続きTVをはじめ、各マスコミに訴えてまいる次第です
・・・・・さて、」

と一問一答形式で市長に質問をぶつけているなか、大東亜戦争とエネルギーについて触れたところ

「太平洋戦争だろぉぉーー!」
「アジア・太平洋戦争と言えぇぇ--!」

との野次。それを受け、「太平洋戦争:パシフィック・ウォー」がアメリカにおける対日戦争、もしくは1800年代のチリ・ボリビア戦争を表すことをはじめ、「大東亜戦争」という言葉が昭和20年のGHQによる制限、しかも公式文書のみが対象、昭和27年のサンフランシスコ条約の発効もあり、「大東亜戦争」という名称は問題ではないことを説明。ここら辺から議場はヒートアップである。

「大東亜戦争とか言ってのぼせんじゃねーぞ」
「何がぁ、海上自衛隊だ!!」
「生意気だぁー!」

との激しい野次。普段、「平和」を声高らかに言う方々にしては、違った歴史認識や考えも認めず、人格否定までの野次、大変、幅が狭いようである。続いて、今後、10年、20年先の環日本海のエネルギー事情にも言及。樺太で行われているパイプラインについても触れたところ、

「サハリンだろー」

の声。「樺太」を発見したのは、我が柏崎市米山町の松田伝十郎である。敬愛と尊敬の念をこめ、政治信条としても「樺太」の名称は譲れないので、「樺太」で通し、議場の一方向からはさらなる野次。将来的な中国のエネルギー不足、もちろん大東亜戦争開戦の理由の一つとしてエネルギーにも触れているため、

*当時、中華人民共和国は存在しないうえ、統一政府もなかった。

「中国、本当は『支那』と呼びたいが」

と注釈的な表現で「支那」と発言したところ

「差別だーー!」
「人権侵害だー」

*もし人権擁護法案が成立したら、私はつるし上げであろうか?

と怒号のごとき野次、社民党系会派「社会クラブ」の矢部議員から「動議」がかかり、発言の撤回を求められる。公式の場で「支那」という言葉は使ってはならないうえ、柏崎市議会始まって以来の恥だ!というのである。もちろんのことながら、この言葉狩り、しかも「支那」を差別語だと勝手決めつけての撤回要求は飲むことができない。撤回要求を拒否したところで、議会は中断、休憩となり、急遽、議会運営委員会の開催である。国会の議事録にも「支那」の文字もあり、個人的に侮蔑として使ったものでもないし、言葉自体も何ら問題はない、と説明しても、反対する議員からは、それは三井田の個人的な意見であると反論を受ける。さらには議長まで、

「先日も行ったばかりだが、
 中国の峨眉山市などは柏崎の友好都市であり、
 発言を撤回してほしい」

と発言。そんな事でガタガタ言うようなレベルの友好都市は本当に必要なのかとの疑問をもつ。もちろん、そこで衆議院議事録を検索、プリントアウトし、目の前に突きつけたが、次は論点ずらしである。「支那」という言葉を、差別的に使っており、重大な人権侵害だという。それなら「支那そば」「シナチク」「東シナ海」、さらには「支那」が語源の「チャイナ」も差別なのか。差別だと騒ぐ人間が差別をしているのである結局、議会運営委員会はもの別れに終わり、議場に戻る。

 1時間の中断ののち、議会再開である。そこで、再開と同時に再度、矢部議員から「動議」がかかり、3名以上の賛同者がいたため、「三井田孝欧に発言の撤回を求める動議」について賛否を問うことに。結果、「賛成少数」で否決となり、議会が続行となった。 

 この一連の出来事を、柏崎市議会の「支那事変」と呼ぼうと保守系議員で笑い話。当日の地元新聞の記事を以下のようなものであった。


平成17年12月7日『柏崎日報』

発言めぐり 一般質問中断
議運で協議

 七日午前の一般質問で、三井田孝欧氏(整友会)の発言をめぐって本会議が約一時間中断した。
 三井田氏はこの日の最初の質問者で、エネルギー関係の人材育成を求めた質問の中で「中国、本当は支那(しな)と呼びたいが」と発言。これに対し矢部忠夫氏(社会クラブ)が「中華人民共和国という国名があるのに『支那と呼びたい』という発言は問題だ」として取り消しを求めた。三井田氏が応じなかったことから休憩に入り、議会運営委員会で協議。議員の間では「公式の場での発音として不適切」「『支那』と断じておらず、取り消す必要はない」と意見が分かれた。三井田氏は「蔑(べっ)称ではない。国会でも議事録に残っている」と説明した。
 本会議再開後に矢部氏が発言取り消しの動議を提出したが、賛成少数で否決された。この中断により、二人を予定していた午前の質問は三井田氏だけで終わった。


DSC02241 12時30分過ぎ、質問が終わったところで、昼食。市役所売店で、「さらさら調整豆乳」「シーチキンパン」「ミックスサンド」を購入し、昼食。同じ会派の金子議員から、「またそんがばかちで。足らんろー」と鮭の切り身を頂いたので、シーチキンパンに挟んで食す。

 午後からさらに一般質問が続く。真貝議員の「市役所職員の能力評定はいつやるのか」の質問に、市長は「平成20年ごろ・・・」。それを受けた怒りの真貝議員が選挙公約にも反し、自分の現在の任期でもやらないのか、と追求。議会は長引き、18時近くに一回休憩。会派としてまとめてパンを買ってきたので、軽食をとることになった。先輩議員に先に選んでもらって、最後に残った「チーズブレッド」とお茶。最後の質問者が終わったのが19時過ぎ。「支那」を指摘した会派からは、「誰かさんのせいで遅くなっちまった」の声もあったが、まったくもって失礼な話である。議論を行うことは、議員の本来業務であるうえ、逆に「支那」を指摘し、議会を面白くしてくれた点において、社民党、共産党、他の議員諸先輩には私は感謝しているのである。12月16日に議会終了後の市三役、部課長、議員の忘年会があるので、その際にでも懇談しようと思う。

 自宅に戻ると、留守番電話に2件の電話が入っていた。ともに、「支那」発言に関する感想で、2つとも「三井田は差別主義者」という主旨であった。そうこうしているうちに、もう1本電話が入り、初老の名前は言えないが、という男性で、

 「私らも『支那』と呼んでいたし、それ以外の何もんでもない
  『支那』は『支那』だこってのー」

との激励の電話であった。ありがたい限りである。

 メールを処理し、溜まった資料を読みながらビール350ml4本。

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コメント

くま1~3です、お疲れ様です。どんな感じなんでしょうね、自分の市町の議会も見たことのない私たちです。

 〈問い〉 東京都知事になった石原慎太郎氏が中国を「シナ」と呼んだことについて、「差別的だ」という批判がでました。このことばは、なぜ差別的なのでしょう。(和歌山・一読者)

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 〈答え〉 「シナ(支那)」ということばは、中国古代の王朝の一つ「秦(シン)」が語源といわれ、英語の「チャイナ」も同じ出所だとされています。日本にも、仏典を通じてこの名称が伝えられ、江戸時代にしだいに普及し、明治時代にも引き継がれました。

 このように、「シナ」は、外国人が中国を呼ぶ用語として、それなりの歴史的根拠をもっています。しかし、問題は、それが、戦前・戦中、日本の中国侵略と結びついて、中国にたいする侮蔑(ぶべつ)語として使用されたことであり、中国国民はこの呼称を拒否しています。当時、日本政府は、「中華民国(中国)」というその時期の正式国号を無視し、ことさら「シナ」、「シナ人」などと呼んで、中国と中国人をさげすむ態度をとりました。これは、中国侵略戦争のさい唱えられた「膺懲(ようちょう)支那」(「支那を懲罰せよ」)などというスローガンに端的に示されています。

 戦後は、侵略戦争への反省を重要な柱とする憲法が施行され、中国(一九四九年十月以降、正式名称=「中華人民共和国」)との関係でも、日本は「戦争を通じて中国国民に重大な損害を与えたことについての責任を痛感し、深く反省する」(七二年の日中共同声明)ことを確認しています。

 こうした歴史の真実を直視すれば、中国を「シナ」と呼ぶことは、単に時代錯誤というだけでなく、過去の侵略戦争への無反省がその根底にあることは明らかでしょう。

 中国の当局やマスコミは今いっせいに石原氏の一連の発言を批判しています。三月十二日の新華社(中国の国営通信社)電は、「戦時中日本が中国を侮辱するために使った『支那』」を口にしている石原氏は「大日本帝国の思想を持った」人物である、と指摘しました。(平)

くま1です。今日の様子を呼読んで「しんどそ~~」と、生で聞いてたら腹立ちそうです。国会で野次っている様子をTVではよく見ます、そういうのはニュースに良いのでしょうが、野次った方の意見が通るわけでもないでしょうに見苦しいです。目的は長引かせる事なのか?と思えます。次元が違うけど私は長い会議・朝礼等は嫌いです、寝る事しばしばです。

 くま1さん、コメントありがとうございます。
 一番身近な政治が市町村議会であると思いますので、是非、一度ご覧になることをオススメいたします。
 野次(正式には「不規則発言」)は、議会の華とは言われますが、盛り上げ、かつシャレの効いたものならいいのですが、ただ単なる足の引っ張りあいのようなものにはガックリきます。
 オシャレでスマートな野次ができるようになりたいものです。

 ものしらん人へさん、コメントありがとうございます。
 どこかからの転載と思いますが、その際には是非、出典を明らかにして頂ければと思います。転載された内容につきましては、認識が違い、また英語、フランス語、スペイン語での支那を語源とした言葉は良いのか、という議論にいきつくと思います。

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