« 海自誘致を訴え・・・支那事変 | トップページ | 新潟産業大学、「世論の会」柏崎忘年会 »

2005年12月 8日 (木)

開戦記念日、飯田大尉の慰霊塔

_1  今日12月8日は、真珠湾攻撃(ハワイ海戦)を行って大東亜戦争が開戦した日である。各所で開戦に関する特集があると思うが、その多くは真珠湾に沈む戦艦アリゾナのシーンをオチにもっていくと思う。しかし、日本人として忘れてはならないのが、ハワイ・オアフ島の東岸カネオの海兵隊航空基地の一角にある「飯田大尉の慰霊塔」である。

*写真は昭和17年7月8日『大阪毎日新聞』より

 真珠湾攻撃(ハワイ海戦)は、オアフ島の北約320キロの航空母艦6隻(赤城、加賀、蒼龍、飛龍、瑞鶴、翔鶴) から飛び立った航空機350機(零式艦上戦闘機78機、九九式艦上爆撃機129機、九七式艦上攻撃機143機)が主役であった。うち29機が帰らなかったが、その帰還できなかったうちの1機が、零式艦上戦闘機に乗った飯田房太大尉である。

 飯田大尉は「軍人は最後の決心が必要だ」と常日頃、部下に指導していたそうであるが、飯田機はカネオ飛行場への攻撃の際、米軍の対空砲火で燃料タンクに被弾。燃料であるガソリンが漏れはじめた。到底、帰還できる状況ではない。部下を母艦である「蒼竜」へ導いたところで、列機の藤田怡与蔵中尉に手信号で「ワレ燃料ナシ」と伝えた。そして、にっこりと笑って手を振り、部下に別れを告げ、反転してカネオの飛行場の格納庫めがけて一直線に突入したのである。

 ぶったまげたのは米軍。壮絶な軍人魂に驚き、また尊敬の念を持ち、米軍は飯田大尉の遺体を拾い集め、基地内に埋葬したのである。米軍のフェアプレイ精神にも驚くが、当時29歳、飯田大尉の決断には言葉もでない。

 いまでも「飯田大尉の慰霊塔」は米軍によって守られている。いつかハワイに行った際には訪れてみたいと思う。

 真珠湾攻撃(ハワイ海戦)は、まったくの日本の奇襲で宣戦布告も行わず、米軍も知らなかったとされているが、実際には米政府はすでに準備を整えていた。知らなかったのは、米軍であり、キンメル海軍大将とショート陸軍中将である。米陸海軍は12月16日付けで二人を2階級降格処分にした。キンメルが1952年に出版した回想録『アドミラル・キンメルズ・ストーリー』によれば、当時の米政府が現地の米軍に情報を伝えていれば、私たちは日本軍をきちんと迎撃したというのである。キンメルだけではなく、真珠湾攻撃(ハワイ海戦)のあと9回行われた米国議会上下両院の複数の調査委員会でも指摘されている。ルーズベルトにも責任はあるというのだが、私もそう思う。最近でもエドウィン・ドーン国防次官による調査チームが調査をしており、そのうち真相が明らかになってくるはずだ。ちなみにショートは1949年に亡くなり、アーリントン国立墓地に埋葬されたが、軍葬でも列席者は少なく、寂しい最後だったとのことだ。

|

« 海自誘致を訴え・・・支那事変 | トップページ | 新潟産業大学、「世論の会」柏崎忘年会 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/114726/7570758

この記事へのトラックバック一覧です: 開戦記念日、飯田大尉の慰霊塔:

« 海自誘致を訴え・・・支那事変 | トップページ | 新潟産業大学、「世論の会」柏崎忘年会 »