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2006年1月12日 (木)

岡倉天心とタゴール

DSC00293_t 2時就寝。7時起床。除雪ボランティアに行くこともあり、キャベツと小粒納豆の味噌汁を2杯かっこんで、8時に家をでる。市内某所にて除雪ボランティア。

 12時過ぎ、カツ丼の昼食をいただくが、久しぶりに重い雪を何回も持ち上げたので、箸を何回か落とす。昼食を食べながら、14日に皇室典範の早急な改定に反対する集会に行くことを話すと、おじいちゃん、おばあちゃんが興味をもってくれた。てっきり、土曜日も雪かきに来いという雰囲気かと思ったら、土日は暖かくなる予報だし、そっち(皇室典範)の方が大切と言ってくれた。心強い限りである。女系天皇と女性天皇の違い、そして種を残すということも理解してくれた。

DSC00294 17時まで作業したあと、一回自宅に戻り、19時からの柏崎青年会議所の委員会活動に参加。21時過ぎに自宅に戻り、鳥皮のたれ焼き、近所の肉屋さんの叉焼、さっと茹でたキャベツとパプリカ、育てたスプラウトで作ったサラダ、ビールで夕食。キャベツをはじめとする野菜の値段が高くなっているので、一番コストが高いのがサラダということなる。DSC00296 シメは、干し納豆を多く入れた納豆茶漬けである。永谷園「お茶漬け海苔」を湯通しした冷ご飯にかけ、干し納豆をのせたところに沸騰したお湯を万遍なくかける。干し納豆がそろそろムレたかな?ということろで一気にかっ込むのである。たまに喉の変なところに米つぶが入り、ムセるのが玉にキズ。

 4月にインド、5月に満州に行くので、しばらくの間、本ブログでは、インド、満州、大東亜戦争、そして今だ客足の絶えない映画『男たちの大和/YAMATO』に鑑み、「戦艦 大和」について書きたいと思う。

_2  アジア人初のノーベル文学賞を受賞したのは、インド(ベンガル)の詩人タゴール。彼はインド国家の作詞者でもある。
 そのタゴールと接し、アジアの精神を考えるに互いに影響しあった日本人がいた。何を隠そう、思想家でもあった、あの岡倉天心である。
 岡倉天心は、1905年の日露戦争を前後に英語で『東洋の理想-特に日本の美術に関して』『日本の覚醒』『茶の本』を書き、英語圏の知識人のなかでも知られた存在であった。
 1902年、天心40歳のときにインドを訪問。イギリス支配下に苦しむ民衆の姿などを目撃するとともに、タゴールとの出会いがあった。天心はタゴール家に10ヶ月間滞在。ヨーロッパの栄光がアジアの屈辱の上に成り立っている時代において、アジア文化圏内の表面上の大きな違いを認めつつ、その根底を貫く精神文化の共通性などを様々なことが議論した。その時の影響を、タゴールは講演『東洋と日本の使命』で以下のように述べている。

「幾年か前のことです。わたしは日本の国から来た一人の偉大な独創的な人物に接したときに、真の日本に出会いました。・・東方の声がこの人から、わたしどもの国の若い人々に伝えられました。これは意義深い事件であり、わたし自身の生涯の中の、記念すべき出来事でありました。彼は東洋の真価にふきわしい人間の精神に雄大な表現を与えることを生涯の使命とするように、青年たちに要求しました。」

 天心は自身が提唱した「アジアは一つである」という思想についても、タゴールと議論を深め、インド滞在中に『東洋の理想』を脱稿した。その『東洋の理想』にはこうある。

「アジアは一つだ。ヒマラヤ山脈は二つの強力な文明-孔子の共同主義の支那文明と、ヴューダの個人主義の印度文明とを、ただこれを強調せんがために分つ。しかしながら、この雪の障壁を以ってしても、あの究極と普遍とに対する広い愛の拡がりを、ただの一時も遮ることは出来ないのだ。この愛こそは、彼等に世界のすべての大宗教を生み出すことを得させたものなのだ。そして、彼等を、地中海やバルト海の諸民族-特殊に留意することを好み、生活の目的ではなしに手段を探求することを好むところのこれらの諸民族-から区別する所以のものだ。」

 簡単に言ってしまえば、人生の手段にエネルギーを注ぐヨーロッパ文明に対し、アジア文明は人生の目的やその意味の探求に力を注ぐという。その点において、表面上共同主義と個人主義のように分かれているように見えるアジア文化には共通性があり、アジアは一つであるというのである。
 天心は帰国後、弟子の横山大観、下村観山、菱田春草をインドに送る。タゴールは1913年にノーベル文学賞を受賞したのち、1916年6月に日本を訪れる。来日したタゴールの講演を聞いた、ときの内閣総理大臣・大隈重信はその「アジアの精神」に涙したと言う。_2タゴールは台東区池之端の横山大観邸や横浜の原富太郎邸三渓園、そして軽井沢に3カ月間滞在したが、特に軽井沢がお気に入りだったという。その関係から、現在も軽井沢にタゴールの胸像がある。
 翌年の1917年にも来日、1924年(大正13年)に、来日した際、アジア文化を低いものと見て、ヨーロッパ文化を模様しはじめた日本を警告する講演を行い、詩人野口米次郎と論争。_6後のインド独立の志士ビハリ・ボースとともに上野で写した写真も残っている。
 タゴールは1929年に2度来日。インド独立の動きを見つつ、1941年に死去した・・・・・・。

<次回はビハリ・ボース>

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