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2006年1月17日 (火)

阪神・淡路大震災から11年、ヒトラーとチャンドラ・ボース

 JR三宮駅近くの漫画喫茶で、パソコンを持ち込み、仕事をしたり、仮眠をとる。

 今日はあの阪神・淡路大震災から11年が経過、12年目を迎える。阪神・淡路大震災のメモリアル行事が色々とあるようだが、新潟県中越地震で被災した長岡大手高校の生徒2名もここ神戸に来て、メモリアル行事に参加するという。
 神戸にくるといつも思うが、都市としての機能や規模が違うものの、復興のスピードにはただただ驚くばかりである。

 9時から某団体の政治研究会に参加。明らかに、イデオロギー的にはまったくの反対側に位置する団体ではあるが、勉強になればと「自営業の人間」として参加した次第である。柏崎に即適用できるような政策はなかったが、十分参考になる意見や手法を知ることができた。ただし、自治体の収入を気にすることなし、という条件がつく。

DSC00353_t  14時近く、ちょっと早いが宿泊先である新神戸オリエンタルホテルにチェックイン。シングルでの2泊の予約に対し、ラッキーなことにツインの部屋が用意されており、広く気分爽快。「オリエンタルホテル」という名称から、

デンデンデンデ デンデデンデンデン
デンデンデンデ デンデデンデンデン
デンッデンッ デンッ!

 オリエンタルホテルです、宜しくお願いします。
(リズムをとりはじめて)

「あっちゃんいつものやったげて!」
「おう、聞きたいか俺の武勇伝?」
「そのすごい武勇伝をゆったげて!」
「俺の伝説ベストテン!」
「レッツゴー!」

と独りで妄想。
 夕方まで部屋にこもって、メールでの依頼された仕事など。
 TVをつけて仕事をしていると、

「もっと、もぉぉぉとぉ~たけもっとぉ~
   ・・・ピアノ売ってちょーだい」

タケモトピアノのCM。関西に来たな感があって安心?する。

DSC00356  阪神淡路大震災記念館に行こうと思ったが、サミットの撮影の調整などがあり、タイミングを逃す。それよりも朝から何も食べていないことに気づいたので、ホテルの地下にあるスーパー(グルメ・シティ)や100円ショップで買い物。うずらの卵入りで有名な京都の高橋食品さんの「おひとつどうどすぇ」など多数の納豆、ご飯、インスタント味噌汁、100円の汁椀で食事。

 食後、ひたすら『わが闘争』を読む。小腹が減っては、味噌汁や納豆をちょくちょく食べ、『わが闘争』読破を目指す。

hh チャンドラ・ボースが初めてヒトラーに会ったのは、チャンドラ・ボースがインド内のイギリス政府から秘密裏にドイツに亡命した1942年5月29日。 
 アレクサンダー・ヴェルト著『チャンドラ・ボースの生涯』新潮社によれば、そのときこんなやりとりがあったそうである。

 「総統の書かれた『わが闘争』の第26章は、インド問題に触れて気になる所がある。総統の気持は今もそのままかどうか、直接お聞きしたい」

 ヒトラーは、肩をそびやかすだけで直接答えない。チャンドラ・ボースの指摘した箇所は、

イギリスのインド統治は動揺しているか
「イギリスは、自己の支配機構の中で人種的解体の運命をたどるか(現在のところインドでは完全に問題外であるようなことだが)、あるいは強力な敵の剣によって征服される場合にのみ、インドを失うだろう。しかし、インドの扇動者連中にはこのことは成功しないだろう。イギリスを征服することがどれほどむつかしいものであるかは、われわれドイツ人が十分体験してきた。」

『わが闘争(下)』p363-「第14章 東方路線か東方政策か」

の部分。さらにチャンドラ・ボースは、

 「インド独立に対して、ドイツ政府は支援のための声明を出して貰いたい。」

とたたみかけた。初めて会う、独裁者ヒトラーにかみつき、さらには要求をしたのである。恐るべし、チャンドラ・ボース。それに対し、ヒトラーは世界地図を指さしながら、

 「ドイツの先鋒は、リビアとコーカサスで足踏みしている。インドとはこんなに離れている声明をだしても無理であろう。」
 「私の見解では、インドが自治政府を持つには、150年はかかるであろう」

と答え、ニベもなかったという。

 ヒトラーといえば、アーリア人の優位性を説くあまりに、アジア人をかなり低くみていたが、同盟国である日本も同様であった。同じく『わが闘争』には、こうある。

「もし人類を文化創造者、文化支持者、文化破壊者の三種類に分けるとすれば、第一のものの代表者として、おそらくアーリア人種だけが問題となるに違いなかろう。」
「たとえば、数十年もへぬ中に、東部アジア全部の国が、その基礎は結局、われわれの場合と同様なヘレニズム精神とゲルマンの技術であるような文化を自分たちの国に固有のものだと呼ぶようになるだろう。ただ、外面的形式-少なくとも部分的には-だけがアジア的存在様式の特徴を身につけるだろう。日本は多くの人々がそう思っているように、自分の文化にヨーロッパの技術をつけ加えたのではなく、ヨーロッパの科学と技術が日本の特性によって装飾されたのだ。実際生活の基礎は、たとえ、日本文化が-内面的な区別なのだから外観ではよけいにヨーロッパ人の目に入ってくるから-生活の色彩を限定しているにしても、もはや日本的な文化はないのであって、それはヨーロッパやアメリカの、したがってアーリア民族の強力な科学、技術的労作なのである。これらの業績に基づいてのみ、東洋も一般的な人類の進歩についてゆくことができるのだ。これらは日々のパンのための闘争の基礎を作り出し、そのための武器と道具を生み出したのであって、ただ表面的な包装だけが、徐々に日本人の存在様式に調和させられたに過ぎない。
 今日以後、かりにヨーロッパとアメリカが滅亡したとして、すべてアーリア人の影響がそれ以上日本に及ぼされなくなったとしよう。その場合、短期間はなお今日の日本の科学と技術の上昇は続くことができるに違いない。しかしわずかな年月で、はやくもその泉は水がかれてしまい、日本的特性は強まっていくだろうが、現在の文化は硬直し、70年前にアーリア文化の大波によって破られた眠りに再び落ちてゆくだろう。だから、今日の日本の発展がアーリア的源泉に生命を負っているとまったく同様、かつて遠い昔にもまた外国の影響と外国の精神が当時の日本文化の覚醒者であったのだ。」

『わが闘争(上)』p378-「第11章 民族と人種」

 つまり、日本は猿まねの国であり、文化創造者たるアーリア人の力なくしては民族の復興はないというのである。これに対して、当時の日本人はどうしたか、というと、名越先生も購入したという、昭和17年に興風館からでた翻訳出版『吾が闘争』(上)(下)では、第11章「民族と人種」の日本に関する項目、原書で16ページ分を自己検閲し、削除して出版している。ヒトラーにかみつく、骨のある人間は日本にいなかったのである。いくら同盟国とはいえ、言うべきことはキチッと言うべきであろう。インド、日本以外でもチャンドラ・ボースの評価が高いのは、こういった毅然とした態度にもあると思われる。

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コメント

 くま1です、余裕のあるお部屋で少しゆっくり出来たらいいですね、お仕事山ほどあることかと思いますけど。そうでなければ、くま2と共にUSJをご案内したいです!
 今、図書館で目に付くところにあった「戦艦大和誕生(上・下) 前間孝則著」の下巻を読んでます。とても面白くて寝る前に少し読む本には相応しくなく、ついつい夜更かししてます。読みつつ、既に読んでらっしゃるだろうなぁと思ってます。

投稿: 熊取療育園 | 2006年1月17日 (火) 23時24分

 USJのお誘いありがとうございました。
 どうも体調が思わしくなく、現在も苦しんでおります。
 前間孝則著『戦艦大和誕生』は、戦争うんぬんは別として、組織の運営の仕方、日本工業技術の進展という意味でも名著だと思います。
 多くの人に読んでもらいたい一冊です。

投稿: 三井田孝欧 | 2006年1月23日 (月) 22時03分

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