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2006年1月11日 (水)

豆腐、日本への伝来

 1時帰宅。かなり酒が入っていたが、体中が煙草臭いので風呂に入り、ホテルにて3時就寝。
 6時から経営者モーニングセミナーであったが、柏崎に戻ってこれず。

DSC00287_tDSC00290_t 8時起床。9時過ぎ自宅に戻る。三重県鳥羽市で買ってきた牡蠣、人参、牛蒡、伊勢醤油を使っての牡蠣ご飯、自家製の白菜とゆずの浅漬け、鰺のあらと小粒納豆の味噌汁で朝食。寒いので、味噌汁には七味唐辛子をたっぷりとふった。

 14日からの出張に向けて、各種の手続きや会社関係の手続きをするため、昼食を取る間もなく、歩き回る。

 15時から事務所での来客相談。明日、一緒に除雪ボランティアに行こうと約束する。

DSC00291_tDSC00292_t 新規事業の資料作成をし、21時に夕食。妹と母親で作った餃子があったので、焼いて食べることにした。中に入れる餡も皮も何枚か残っていたので、引き割り納豆と冷凍しておいたコンソメスープも削って、餡とともに包み、納豆餃子も作ってみた。なかなかの出来栄えと思ったが、ジューシーさをだそうとしたコンソメスープとの相性がイマイチ。本来ならラードかもっと脂気のあるスープの煮ごこりなどを入れると良いのだろう。

 食後もひたすら資料を作成。4月の地方議員団によるインド訪問のための資料やwebサイトの材料を作成する。

 納豆に関する質問のメールを多くもらうなかで、豆腐に関する質問があった。豆腐と納豆とどちらが古いか、ということである。日本だけではなく、支那大陸も入れてであれば、豆腐の方が古い。日本国内ではどうかといえば、分かっていない部分がある。
 日本にある文献のなかで、初めて「豆腐」を意味する言葉がでてくる文献は、平安時代後期の寿永2年(1183年)正月2日、春日若宮の神主・中臣祐重の日記であり、正月の奉献御菜種のうち

 『春近唐符一種』

と書いてある。現在の奈良春日大社にその日記が保存されているとのことだ。
_1  また、鎌倉時代後半の弘安3年(1280年)の日蓮の手紙には

 『すり豆腐』

という文字がでてくるので、その時代には既に豆腐は精進料理には無くてはならないものであったと容易に予想できる。
*写真は江戸時代に大ベストセラーとなった豆腐のレシピ本『豆腐百珍』
 対して「納豆」の文字が歴史上最初にでてくる文献は、平安時代の中期に藤原明衡(あきひら 989-1066)が当時の風俗や食生活を含めて書いた『新猿楽記』である。
 「納豆」の文字が、大徳寺納豆のような塩辛納豆なのか、一般的な糸を引く糸引き納豆なのかが判別できないので確実ではないものの、豆腐と納豆、どちらが先に一般に普及したのか、歴史ロマンは広がる。

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