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2006年1月20日 (金)

原子力発電所建設と「戦艦 大和」建造

DSC00431_t 6時起床。先週自宅にいなかった分の郵便物やFAXの処理。10時過ぎ、蜆の味噌汁を中心にブランチ。味噌汁2杯目には、小粒納豆をそのまま投入して、納豆汁にする。

 13時から打ち合わせ。電話とインターネットを使っての会議である。話し合いながらテキスト文書を打つので、議事録を改めて書く必要がなく、仕事が楽。キーボードを速く打てて当たり前の世代が、そろそろ社会にでてくる。今後、一般の会社でも、パソコンでテキストを打ちながらの会議は増えるであろう。

DSC00433_t 18時過ぎから、柏崎ベルナールで諏訪町2丁目の新年会。東部体育協会としての運動会や成年会の対抗ボウリング大会など付き合いの多い町内である。この町内は商店街として色々なイベントを仕掛けたり、知恵者の多い町内でもある。DSC00436_t亡父の友人だった方もおり、柏崎でのオーケストラ創設に関わった方や、石油産業の発祥に関係した方もいらっしゃり、まだ文章として残されていない戦後の柏崎の様子を聞くこともできた。
 また、現在の柏崎市政に対するご意見も多く、特に次の世代はどうするのか、ということが多かった。
DSC00432_tDSC00434_t 自分の息子や孫は、ドンドン旅にでている(柏崎以外に定住するの意)し、安定的に生活するためにはそれが普通だと思ってきた。DSC00441_tDSC00443_tしかし、自分がこのまま年をとり、若手が帰ってこなかったら、自分の老後はもとより、家はどうなるのか、墓は誰が守ってくれるのか、という意見が大半であった。特に中央地区は高齢化が進んでいる。
DSC00435_tDSC00442_t 3年前、選挙出馬の際にも、小学校、中学校の同級生に声をかけようと電話をしたものの、 「はぁ~、うちのは旅にでましたてぇ~」とのお返事も多く、実際に柏崎に定住している同級生は少なかった。
DSC00438_tDSC00437_t 首都圏や政令指定都市などを除き、どこの自治体でも共通の問題であろうと思うが、対策としてはとにかく「働く場」を用意するところから始まるであろう。
 福祉政策ももちろん重要だが、その原資となる収入を増やすためにも、柏崎市の営業マンたる市長にはドンドン市外にでてもらって、企業誘致のために動いて頂きたい。暴論と言われるかも知れないが、市役所内部のことは、業務の代替となる助役、収入役がいる。外部に対しての柏崎市の顔は市長のみであり、変えがきかない。十分な戦略、戦術をもって、営業活動をお願いしたいところである。

 21時過ぎ、TSUTATAで『真夜中の弥次さん、喜多さん』などをのDVDを借りて、自宅に戻る。
 早速、見始めたところ、いつの間にか眠ってしまった・・・。

 一昨日の原子力サミットでは、原子力に対して慎重派であり、日本原子力研究所にも勤務されていた中央大学教授の舘野淳氏から

 「そもそもそんなに原子力発電所はいらないのに、作ってきたという経緯があり、メーカーを食べさせるための発注と思う。」

という発言があった。しかし、原子力発電の技術、安全性をより高めるためには、発電所を継続して作るべき、というのが技術者の見解である。
 いま世界では原子力発電に再び、追い風が吹いている。
 ヨーロッパでは、昨年の2月EPR(European Pressurized Reactor:フランスが中心になって開発した新型のPWR)がフィンランドに建設が決定。アメリカも14年ぶりに、新規の原子力発電所の建設をしている。
 しかし、アメリカでは30年ほど原子力発電が停滞気味であったため、人材不足や建設のノウハウや技術が残っていないことが問題視されている。
 では、日本の場合はどうか。
 少子化や人口の減少、産業構造の変化でエネルギーの需要はあまり伸びないので、ここ数年は新規の原子力発電所を建設する必要がない。しかし、2020年から2030年にかけては、1970年代くらいから建設した原子力発電所が寿命を迎えるのである。しかも、新しい原子炉は高出力であるため、代わりとなる原子力発電所の台数も必然的に少なくなる。
 そうなると、ここまで過去30年で50基を建設したが、今後の30年は作っても数10基。建設のための技術やノウハウをもった人が定年などを迎えることもさることながら、建設の経験数が極端に少なくなるのである。
 中国をはじめとする海外での日本メーカーによる原子力発電所建設が話題になるのは、こういった意味を含んでいる。
 技術やノウハウを「盗まれないための技術」もこの機会に学ぶべきであろう。

 ちなみに、15年間、現場技術が途絶えていたはずなのに、日本はもの凄いものを造ったことがある。
_1 尾道市向島町の日立造船向島西工場に造られた、映画「男たちの大和/YAMATO」のロケセット入場者が1月15日で50万人を突破したというが、その凄いものとは「戦艦 大和」のことである。
 最後の戦艦建造から15年、戦艦建造の未経験者を主体とする技術者が「戦艦 大和」を造ったのである。15年間その仕事がなかったとすれば、主力たる経験者は定年もしくは転職などをしており、現場は代替わりをしている。そんななか、世界最大の戦艦をたった5年で造ったのである。しかも、建造自体も国家の秘匿事項。
 詳細については、今後、本ブログにちょこちょこ書いていこうと思うが、工程管理の手法、トヨタ自動車の「カイゼン」で一躍有名になった「カンバン方式」、「ブロック工法」、部品の共通化、15メートル測距儀のノウハウを引き継いでの「ニコンカメラ」など、戦後の「ものづくり大国・日本」にも繋がったのである。

 しかし、15年間というブランクは、新しい設計思想の艦に古い装備を載せることにもなり、「戦艦 大和」は構造的な欠陥を抱えることになる。
 原子力発電所の建設に、それは許されない。次世代エネルギーの登場まで、現実的なエネルギーの選択(原子力の利用)をする以上、建設は定期的に必要なのである。

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