ミャンマー(ビルマ)独立と『軍艦マーチ』
1時就寝。6時起床し、事務所の積み上がった書類を整理。新規事業の資料の作成にも没頭し、13時過ぎに。
知人が飼っている鶏が生んだという、濃厚な地卵を使って、スペシャル挽き割り納豆丼。ネギたっぷりの味噌汁と鮭の粕漬け、たらこで楽しむ。
午後からは来客が多く、お茶やお菓子を一緒に食べる。1歳にも満たない女の子の赤ちゃんを抱かせてもらったり貴重な時間でもあった。せっかく事務所に来てもらったので、面白いものを食べてもらおうと、アイス「手造り かに」(ミッシュハウス株式会社 北海道札幌市中央区伏見2丁目2-20 電話:011-552-5531)をだすが、磯臭く、蟹の身と濃厚なバニラがまったくかみ合っていないと不評であった。
17時から柏崎青年会議所の委員会活動。
19時、一度帰宅し、書類整理などを行ったのち、某団体の新年会のため、再度、家をでる。
元旦のブログに『軍艦マーチ』をアップし、マーチングバンドパレードでの演奏という妄想?を書いたが、そんな事をしたら柏崎に来ているアジアの留学生もイヤがるとのご批判を昨日のコンサート会場で頂戴した。
柏崎には、中国、モンゴル、韓国、スリランカ<*ジャワルダナ大統領について>などのアジア各国からの留学生がいる。留学生の皆さんには、とにかくよく勉強して頂き、日本の学生との交流をもって、新しいアジアの新時代を築いてほしいと願うばかりである。
では、本当にアジアすべての国が日本に悪い感情をもって、反日的な態度でいるのか。現在では海上自衛隊の正式な曲となっている『軍艦マーチ』が流れることをイヤがるのか。
かつてビルマと呼ばれたミャンマー。
1824年、イギリスがビルマ攻撃を開始。ビルマはイギリスの植民地となる。
大東亜戦争の開戦一年前、アウンサン・スーチー女史の父、アウンサンを中心とした「ビルマ独立三十人の志士」が祖国独立のため、日本に協力を求めてくる。
日本では鈴木敬司大佐を長とした「南機関」を作り、海南島(中国南部広東省雷州半島の南に浮かぶ島)において、ビルマ独立の志士たちに徹底した軍事訓練を行い、ビルマ独立義勇軍を結成。アウンサンは日本名・面田(おもだ)と呼ばれていたという。
そしてもう一人、アウンサンと同じく、ビルマ独立に燃えていたのが、バー・モウ。1893年に生まれたバー・モウは、1905年の日露戦争における日本勝利の報を聞き、アジア人もできるんだ!と思ったという。バー・モウは、弁護士から政治家になり、自治政府の初代首相となるものの、政治犯として投獄された。しかし、大東亜戦争が始まると同時に日本に協力。
1943年(昭和18年)8月、ビルマは独立を宣言。バー・モウは初代ビルマ首相となり、日緬同盟条約を結んでイギリス・アメリカに対し、宣戦を布告した。
ビルマ外相ウー・ヌーは独立に際し、以下のように演説した。
「歴史は、高い理想主義と、目的の高潔さに動かされたある国が、抑圧された民衆の解放と福祉のためにのみ生命と財産を犠牲にした例をひとつくらい見るべきだ。そして日本は人類の歴史上、初めてこの歴史的役割を果たすべく運命づけられているかに見える」
ビルマ独立義勇軍は、北部タイで志願して集まったビルマ人数百名とともに日本軍とは別ルートでビルマに進攻。イギリス軍と激しい戦闘を行う。さらに数十名の日本人がビルマ独立義勇軍に参加し、漁船を使って、海上からラングーン(現在のヤンゴン)に侵攻する水上隊として戦闘。現地ビルマ人は熱狂的な歓呼で日本軍とビルマ独立義勇軍を迎えた。田形先生もそのときにビルマにおり、実体験としてのお話をお聞きした。
しかし、日本の敗戦の色が濃くなってきた1945年(昭和20年)3月、アウンサン国防相率いるビルマ軍が、突然、日本に宣戦布告。アウンサンの寝返りであった。彼らの考えとしては、日本の敗戦は目に見えている、日本と戦ったという事実を作っておけば、のちのビルマの国益になると考えてのことであったという。バー・モウは「親日政権」を作ったと指導者として批難を浴び、日本へ亡命したのである。
バー・モウの回顧録『ビルマの夜明け』にはこうある。
「歴史的に見るならば、日本ほどアジアを白人支配から離脱させることに貢献した国はない。」
「真実のビルマの独立宣言は1948年の1月4日ではなく、1943年8月1日に行われたのであって、真のビルマ解放者はアトリーの英国労働党政府ではなく、東條(英機)大将と大日本帝国政府であった」
*()は三井田追記
これに対してのアウンサンの政治的態度はさておき、のちのミャンマーは日本に対してどう思っているのか。
1981年(昭和56年)1月4日、第33回独立記念日。自国民であるミャンマー人でも授与されていない「アウンサン勲章(ビルマ独立運動闘士)」を7人の日本人に対して授与するとミャンマー政府は発表。両国の関係者を驚かせたが、さらに受賞者7人全員、鈴木敬司大佐の未亡人を含む元「南機関」メンバーであったことも、「恩を忘れない・・」とアジアの人々に感動を与えた。
そして、やっとここで『軍艦マーチ』に繋がる。
ミャンマーの建国記念日には行進が行われるが、いまだに『軍艦マーチ』を使っているのである。
他にも日本の軍歌『日本陸軍の歩兵の歌』『愛馬進軍歌』などをそのまま使っている。
日本以外のアジアの国でも130年前の名曲『軍艦マーチ』を大切にしてくれているのである。
ちなみに、イギリスやアメリカでは軍事政権による「ミャンマー」という国名の変更を認めず、いまだに「ビルマ」と表記している。軍事政権に監禁されているアウンサン・スーチー女史も認めていない。
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» ビルマの他人事、自分事 [TIME ガイダンス-Scanworld-英語を学ぶきっかけ探し]
Burma: Going Nowhere
【TIMEへGO】
大多数の国民が、今なお経済制裁の苦境に立たされているミャンマー(ビルマと呼ぶべきでしょうか)。日本の倍に近い国土をもち、南北に長いこの国が、もう何十年も混乱の渦中にいるのは事実でしょうか。経済失政から、本来、資源や農産物にも恵まれていたこの国は、世界でも「最貧国」という認定を受けました。そして、軍事政権による「不当な」支配が続いているとされています。同国は、ASEANへの参加を果たし、国際舞台への復帰に傾い... [続きを読む]
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