朝日新聞取材、ネタジ(偉大なる指導者)
7時起床。すっかり体調が良くなったので、本を読みながら風呂に入り、納豆1パックで朝食。
9時過ぎ、ホテルをチェックアウトし、新宿に向かう。新宿、紀伊国屋で本を物色。角川文庫版のアドルフ・ヒトラー著『わが闘争(上)』『わが闘争(下)』『続・わが闘争 生存圏と領土問題』を購入。詳細は、明日のブログに書こうと思うが、ヒトラーにチャンドラ・ボースがかみついた箇所、
そして日本が自己検閲した箇所を確認するための購入である。文庫を買ったのち、演劇コーナーに行き、『月刊シナリオ』2006年1月号を購入。 これは映画『男たちの大和/YAMATO』で削る前の脚本や元の脚本を書かれた野上龍雄氏のコメントがあるとのことで購入。後日、本ブログに詳細を書きたいと思う。
10時30分から朝日新聞の取材を受ける。新宿中村屋1階の喫茶で、ロイヤルミルクティーを飲みながらの取材。政治ではなく、納豆関係のことであったが、約2時間ほど話し込む。
途中、せっかく中村屋なのでと、ビハリ・ボースの事も記者さんに語ってしまい、引かれる。
12時過ぎ、取材終了。記者さんはそのまま貴社されたが、私は2階のレストラン「ルパ」に上がり、昼食としてビハリ・ボース直伝のインドカリーセット2100円を注文。
サラダのドレッシングは「フレンチ」、食後の飲み物は「インド・ティーのアイス」をチョイス。
じゃがいもの大きなものがゴロンと入ったカリーのなかには、骨付きのチキンもあり、持ち上げただけで骨が落ちるほど煮込んである。
ピクルスやらっきょ、チャツネがついてくるものも嬉しい。「お好みで・・・」と一緒にだす粉チーズもアクセントには良い。見た目、油分が分離しており、ちょっと期待できないかな、と思うつつ食べてみると、
意外にスパイスと溶け合いがよく、ご飯も美味しい。辛味はあまり感じないが、汗が噴出した。
紙のランチョンマットには以下のような事が書いてあった。
中村屋のカリー 恋と革命の味
大正7年、インド独立運動の志士ラス・ビハリ・ボースは亡命中の身で中村屋創始者の娘俊子との恋を成就。革命的な中村屋カリー物語の第一頁となりました。妻にカリー本来の味を伝えたい一心から、ボースはカリーの生命となる20種ものスパイスを求めて世界を巡り、苦心の末に日本で初めての純インド式カリーを昭和2年に完成。
中村屋喫茶部開店を飾るメニューとして、日本人に衝撃的な味覚を知らせたのでした。時代を越えて、今に継承しる本当のカリーの味。ボースのロマンの香りも一緒にお味わいください。
カリーの食後にインドティーがぴったりです。
食後、某大学生と待ち合わせをし、納豆に関するラベルのコピーや資料などを渡す。1年かけてマーケティングの研究をしてみたいそうで、商品としての納豆を対象に選んだという、「将来が期待できる若者」である。立派な納豆野郎に育つことを願う。
15時過ぎ、チャンネル桜に遊びに行く。田形先生もちょうどいらっしゃり、二人のボースのことや支那事変当時の現地の生活、庶民の戦争感など色々とお話を伺った。
田形先生は当時、軍人であるため、坊主頭。軍服を脱いで、町の銭湯に行っても軍人とすぐ分かる。銭湯では、(年齢の関係から戦場に行けない)50歳過ぎの熟年層に、
「情けない戦い方するな。
そんな事やってると、
俺たちが(戦場に)出て、やってくるぞ。
早くアメ公蹴散らせ!」
というような事をよく言われたそうである。それも一人や二人ではなく、多くの熟年層、しかも日露戦争を経験している人もおり、真剣な眼差しで言われたそうで、敗戦した途端、「戦時中から戦争には反対だった。軍人は人殺しだ」と言う人が増えて驚いたそうである。
先生もまだ映画『男たちの大和/YAMATO』をご覧になっていないとのことだったので、「是非、ご覧になったあとにはご感想をお教えください」とお願いした。
17時、新宿に戻り、『TVチャンピオン』B級グルメ王ご用達の「かのや 新宿西口店」(東京都新宿区西新宿1-16-11 )で、「コロッケうどん 380円」「生卵 60円」で夕食。「コロッケそば」「コロッケうどん」などのコロッケ系は天ぷら系に比べ市民?権は低いようだが、つゆに衣やジャガイモが溶けこんだときの「モロモロ」感は天ぷらより上だと思う。コロッケが別の皿に盛られてきたので、コロッケをのせる前に![]()
持ち込んだ納豆を投入。しかし、ここは立ち食いソバ系の店内の雰囲気。すぐ隣にいた中年男性に露骨にイヤな顔と咳払いをされてしまった。満腹になった後、神戸に移動。
インド独立のヒーローとして、現在の教科書に扱われることがあるのは、主に「偉大なる魂」マハトマ・ガンジーとネール首相であろう。ネール首相は、マハトマ・ガンジーの弟子であり、無抵抗主義。インド独立はまったく無血、武力闘争なしにできたと思ってしまう人が多いのはこの取り上げ方によるであろう。もちろん、国父たるマハトマ・ガンジーは偉大であり、インドの精神にもなっているが、実際に「行動と武力と積極性」をもって独立に邁進したのが、「偉大な指導者」(ネタジ)と言われる、チャンドラ・ボース(1897年~1945年)である。
軍事力なくして独立はできないと、インド国民軍(INA)を創設、日本とともにインパール作戦を戦っている。
チャンドラ・ボースも、最初はガンジー同じ国民会議派にいた。33歳でカルカッタ市長となり、その後41歳のとき、ガンジーより直接会議派議長を託されている。(写真:ガンジーは28歳年下のチャンドラ・ボースに託した)
ガンジーの直系であり、国民会議派ネールもチャンドラ・ボースと比較されることは多いが、インド国内での評価は圧倒的にチャンドラ・ボースであるという。
イギリスの植民地であったインドを独立させるため、ドイツに亡命。その後、日本へ協力を求め、インパール作戦、大東亜会議での演説、事故死と数奇な運命をたどる。今後、本ブログでチャンドラ・ボースと日本の関係を書いていこうと思う。
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コメント
こんにちは。
いつも読んでいます。
ベンガルと日本の交流に対して色々な書いていますね。
素晴らしい!
ありがとうございました。
http://www.thedailystar.net/story.php?nid=50596
投稿: シャーカープロービルビカシュ | 2008年9月22日 (月) 14時44分
シャーカープロービルビカシュさん、コメントありがとうございます。
バングラディシュと日本の交流はもっと活発に行われて良いように思っております。
今後ともご指導のほど、宜しくお願いいたします。
投稿: 三井田孝欧 | 2008年10月 6日 (月) 01時07分