軽巡洋艦 矢矧(やはぎ)
1時過ぎ、酔っぱらいのお約束でラーメンでシメることに。某ラーメン店に入り、生搾りグレープフルーツサワーとつけ麺。またも太るモトである。2時に自宅に戻り、風呂に入って3時過ぎに就寝。
寝坊し、9時起床。朝食とる間もなく、そのまま電話での小売業開業についての相談業務。
14時、妹が買ってきた鶏の竜田揚げパン、チーズフランスパンをもらってブランチ。
2月議会での一般質問のため、地域の防犯活動をされている方やボランティア活動をされている方に電話でお話を聞く。こういうときに限って、複数の携帯電話や会社の電話が鳴ってしまう。日頃の行いが悪いのであろうか。
「日本で一番安全な街」となるためには、海上自衛隊の誘致はもとより、子供も安全も重要である。子供を持つ親だけではなく、お年寄りから中学生、高校生、大学生にも小さな子供を見守るという意識をもつ施策もしくは事業が必要であろう。
夕方から夜にかけて来客が多々あり、バレンタインの日ということで、ありがたくもチョコを頂戴した。
本来であれば、今日は柏崎準倫理法人会の役員研修会であったが、資料を作らなければならないので欠席させてもらう。
21時、秋刀魚の塩焼き、大根おろし、チキンシチュー(ブロッコリー多め)、キムチ納豆、なめ茸、かつおの塩辛、甥っ子が残したウインナーでの冷蔵庫内の余り物で夕食。
食後もひたすら調査と資料作り。
そういえば、16日に上越市倫理法人会で行う予定の講演の資料作成をすっかり忘れていた・・・・・。
映画『男たちの大和/YAMATO』の勢いが未だ衰えず、ロングランも決まり、観客動員数340万人、興業収入も42億円を突破したそうだ。世界40カ国計100社からオファーや、ベルリン国際映画祭のフィルムマーケットへの出品もあるとのこと。さらに、角川春樹氏のインタビュー記事によれば、こんな現象もあるという。
『知人から、こんな話も聞いた。
京都の映画館でのこと。上映前、茶髪、ピアスの十代の少年たちがポップコーンをほおばりながら大声でしゃべっていた。「困ったなあ」と思っていたが、映画が始まるとシーンとなり、中盤あたりから嗚咽(おえつ)が漏れてきた。終わった後、少年たちは座席の下に落ちていたポップコーンのかすとゴミを拾って帰っていった。
(中略)
この映画には二つのメッセージを込めた。ひとつは『生きている勇気と意味』。それに『日本人としての誇りと自覚』。それが日本の若い人たちの魂のスイッチを押した。きちんと受け止めてもらえたことに感謝し、感動しているんです』
平成18年1月29日『中日新聞』「人語り」 記者・鈴木裕一氏
以前にも書いたが、「戦艦 大和」だけではなく、一緒に運命を共にした艦もこの映画で描いてほしかったところだ。台詞の上では、「7000名の命を預かっている。無駄死にさせるわけにはいかない」があるので、「戦艦 大和」の3000余名だけでは映像的に不足してしまう。
「戦艦 大和」の最後となった菊水一号作戦は、沖縄までたどり着き、生き残った艦は陸岸に乗り上げ(座礁状態)砲台となり、全弾を射ち尽くすまで陸上戦闘、さらに生き残った将兵は上陸して敵陣に斬りこむという、まさに特攻作戦であった。そのため、46センチ主砲をもつ「戦艦 大和」を護り抜き、必ず沖縄まで連れて行こうと、「阿賀野」型の新鋭艦であった「軽巡洋艦 矢矧(やはぎ)」が旗艦として同行している。
*写真は同じスケールのプラモデルで、奥から「戦艦 大和」「軽巡洋艦 矢矧」「駆逐艦 雪風」
左の写真は、昭和20年4月7日 14時05分、爆弾56発、魚雷17本、機銃弾9970発以上を浴びた「軽巡洋艦 矢矧」が沈没するところである。
この写真を見ていると将兵、そして「軽巡洋艦 矢矧」の断末魔の叫びが聞こえるような感じがし、胸に迫り来るものがある。この18分後の14時23分、北緯30度43分、東経128度04分に「戦艦 大和」が沈没した。
「矢矧」の名は、その後、海上保安庁にて「やはぎ級 巡視船」として引き継がれた。
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