広島・原爆慰霊碑とパール判事
7時、起床。サウナや長風呂でサッパリしたのち、カプセルホテル内のレストランで「納豆定食 300円」で朝食。
カプセルホテルをでて、スーツや不必要なものを段ボール箱につめ、自宅に送り、身軽になってから羽田空港に向かう。
10時過ぎ、羽田空港に付き、カウンターでチェックインをしてみると、チケット手配会社のミスで予約を入れてあったのは9時前に出発する便であったことが分かった。あわてて、便の変更をお願いし、なんとか移動できることになった。 安心し?お腹がすいたので、ターミナル内のパン屋さん「PAUL」でカンパーニュとパン・オ・フロマージュ・フェメとお茶を購入し、昼食。カンパーニュは、よくレーズンや胡桃が入っているものが売っているが、やはり何も入れず、何もつけずにプレーンなものを食べるのが一番美味しいと思う。
ちょっと量が多かったことと、広島ですぐお好み焼きを食べたいので大半を残して、今夜の夕食か何かにすることにする。
機体の変更で10分遅れになったものの、ANA677便で広島空港に移動。
広島空港に到着し、1300円のバスで広島駅に移動。
広島駅に着くと同時に、ソースの焼ける香りに誘われ、「お好み焼き みっちゃん」で「特製スペシャルそば入 1260円」を注文、ついでに157円増しでご飯、味噌汁、つけものをつけての定食にできるとのことだったので、「定食セット 157円」を追加。
そんなに空腹ではなかったが、お好み焼きをおかずにご飯を食べる「炭水化物めし」をやってみたくなったのである。パリパリとしたそばの食感香ばしく、複合したうねりのある美味さのお好み焼きを楽しむことができたものの、ご飯は冷たくカピカピ、味噌汁はほぼ水と同じ温度であった。味噌汁の温め直しをお願いすると、お椀のまま電子レンジに入れたようで、味噌汁の外側だけが熱く、結局中心部は冷たいまま。お好み焼きが美味しかっただけに、この点は非常に残念である。結局、なにか気持ち的に完食する気にならず、早々に店をでた。食べ物を残さないことをモットーとしているが、今回だけは勘弁という感じであった。
駅から歩いて、まず向かったのが、広島護国神社。ここには、戦没された英霊はもとより、勤労奉仕をしている最中に原爆の犠牲となった動員学徒、女子挺身隊も祀られている。
小泉首相の私的参拝?のポケットから小銭をチャリーンではなく、正式な神道式で参拝。 このすぐ近くに「中国軍管区司令部の地下通信室跡」(こう書くと現在の『中国』と間違うので、やはり『支那』の名称は使う必要がある)とその慰霊碑がある。大東亜戦争当時、広島城周辺には中国地方の司令部関係の各建物があったが、原爆の投下地点から約700メートルのこの地は、原爆の炸裂と同時に壊滅。半地下式のこの司令部通信室だけがかろうじて残った。そして、この地下司令部通信室から、学徒動員で来ていた比治山高女の14才の女学生、岡ヨシエさんが、「広島全滅」の第一報を送信したという。
さらに、広島城内には日清戦争時の大本営の跡地もある。1894年10月18日から22日までこの地では臨時帝国議会も開かれ、「臨時軍事予算案」が満場一致で可決。1895年4月17日に日清講和条約が調印されるまで日清戦争の指揮命令系統がここに集中していた。
原爆投下地点から約700メールであっても、いまだ生命を息吹きを感じさせる木々を抜けて、原爆ドームに向かう。
原爆ドームに来るのは3回目である。いつ来ても、人があふれているが、お約束と言えようか、「日本の侵略戦争、過ちをアジアに謝りましょう」的な署名や募金を集めている集団があった。その集団のなかから中年の女性がこちらに向かってきて、核の怖さや日本の悪さを盛んに私に説明を始めた。
「この悲劇を反省して、
世界に核兵器をやめるよう
訴えるべきと思いませんか。」
とおっしゃるので思わず、
「核による無差別殺戮を反省するのは
まずアメリカじゃないんですか?
被爆国が先に反省をするんですか?」
と思わず、反論してしまった。中年の女性はキョトンとした顔になってしまったので、大人気なかったと反省し、中年の女性のあとをついてきた小さな女の子に話をズラした。
*写真は被爆前の原爆ドームの建物
その女の子は娘さんで、いずれインドに留学させ、ガンジーのような平和を愛する人にしたいという。(本当に偶然とは恐ろしいものである)ちょうど、インド絡みの話をやっている最中であり、また平和に対する思いは一緒なので、100円を募金した。
最後は気持ちよくその場を分かれたが、インドは核保有国であることは知っているのか心配である。
原爆ドームから平和記念公園に行き、原爆慰霊碑の前で手を合わせる。
主語が何であるかが問題であろうが、いつ見てもこの碑の
「安らかに眠って下さい
過ちは繰返しませぬから」
には違和感を感じる。
昭和27年に、この原爆慰霊碑の「過ちは繰り返しませぬから」を見たパール判事はこうコメントした。
「東京裁判で
何もかも日本が悪かったとする戦時宣伝のデマゴーグが
これほどまでに日本人の魂を
奪ってしまったとは思わなかった。
東京裁判の影響は原子爆弾
の被害より甚大だ。」
そして、同じく昭和27年11月6日、広島高等裁判所での講演では次のように述べた。
「私は1928年から45年までの18年間の歴史を2年8ヵ月かかって調べた。とても普通では求められないような各方面の貴重な資料を集めて研究した。この中には、おそらく日本人の知らなかった問題もある。それを私は判決文の中に綴った。この私の歴史を読めば、欧米こそ憎むべきアジア侵略の張本人であることがわかるはずだ。しかるに日本の多くの知識人は、ほとんどそれを読んでいない。そして自分らの子弟に『日本は犯罪を犯したのだ』『日本は侵略の暴挙をあえてしたのだ』と教えている。満州事変から大東亜戦争勃発にいたる真実の歴史を、どうか私の判決文を通して充分に研究していただきたい。日本の子弟がゆがめられた罪悪感を背負って、卑屈、頽廃に流れてゆくのを私は見過ごして平然たるわけにはゆかない。
誤られた彼らの戦時宣伝の欺瞞を払拭せよ。誤られた歴史は書きかえられねばならぬ。」
参考文献:平成7年8月1日『やすくに』
胸につかえるものがありつつも、バスで宿泊先の広島プリンスホテルに移動。
18時、ホテルにつくなり、宮島の厳島神社を船上から参拝するツアーがあるというので、あわててホテル1階のコンビニでビールを購入し、参加する。3300円で、もみじ饅頭付きである。 船は約13ノットで進んでいたそうだが、結構なスピードを感じていた。波しぶきも凄い。普段、船に乗らない人間にとって、13ノットという数字と体感スピードを比較できたのは幸いであった。しかし、あの「戦艦 大和」は最大速力27.46ノット。まさに化け物である。
海上の厳島神社正面より参拝することができた。夜の厳島神社は幻想的であり、景色だけでも十分楽しめた。
20時過ぎ、ホテルに戻り、朝方買ったパンを少しつまみつつ、ビールを飲む。
せっかくなので、ホテル最上階23階のラウンジ「トップ・オブ・ヒロシマ」に行き、夜景を見ながら生演奏のジャズを聞く。カバーチャージ730円。「ジン・トニック 1160円」「オリジナルカクテル 弁慶 1300円」(弁慶を表現するため、黒いウォッカベースでティッシュがグラスにかかっている)を飲む。
疲れもあり、23時に就寝。
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