旧海軍兵学校、呉大和ミュージアム
7時、起床。気持ちのいい朝、ホテルの部屋からの景色は最高である。今日は海軍関係を見学することもあり、思わず
「あ~さぁ~だぁ~夜明けだぁ~
潮(うしお)の息吹ぃぃぃ~」
と『月月火水木金金』を歌いそうになる。
9時過ぎ、ホテル前で三重県松阪市・奥野食品の奥野社長、K嬢と待ち合わせをし、呉市に奥野さんの車で移動。
11時、早速、大和ミュージアムに行こうとするものの、あまりの人出にひるんでしまい、まずは外にある展示物を見てから、食事をとることにした。
映画『男たちの大和/YAMATO』の影響とはいえ、ひっきりなしに観光バスが到着し、中高年のご夫婦や若いカップルなどが入館している。
大和ミュージアムの入口周辺前には、「戦艦 陸奥」の40センチ主砲、スクリューなどが展示してあり、早くもマニアの心をくすぐる。
「戦艦 陸奥」は、「戦艦 長門」とともに「戦艦 大和」が完成するまでは大日本帝国海軍の旗艦であり、当時世界最大の戦艦であった。初陣は昭和17年のミッドウェー海戦。同年7月に大和型の2番館艦である「戦艦 武蔵」の完成に伴い、「戦艦 長門」とともに第二戦隊に編入。昭和18年1月、横須賀に帰港して修理の後、柱島泊地に回航されて訓練をしていた矢先、同年6月8日12時10分、停泊中の「戦艦 陸奥」の第三砲塔付近から突然白煙を上がり、火薬庫が大爆発。艦体はまっぷたつとなり、沈没した。 これにより1474名の乗組員のうち、助かったのはわずか353名。1121名が艦と運命を共にした。原因はいまだもって不明であり、船体は昭和45年7月23日に引き上げられた。
*写真は、昭和12年1月30日、横須賀港での姿。
「戦艦 陸奥」については、1960年に『太平洋戦争 謎の戦艦陸奥』として、映画化もされている。
大和ミュージアムの真ん前にスーパーマーケット「you me town」(ゆめタウン)があったので、地元の納豆を買う。売り場をウロウロとしていると、肉じゃが発祥の地対決として、舞鶴式と呉式で作った肉じゃがが売っていた。旧大日本帝国海軍の名物であったカレーや肉じゃがは、どこの鎮守府が発祥の地か競っている。
しかし、それをキッチリ商売にするあたり、なかなかの商売人が多いと感心した。
朝食?として、スーパーのなかのフードコートの「ジャムザキッチン」で「鉄板スープカレー焼肉 680円」を食べる。少しパンチが足りないカレーであったが、熱々の鉄板にスープカレーをかけると、ジュワーッと香りが立ち、見た目でも音でも香りでも楽しめた。
食後、そそくさとスーパーをでて、大和ミュージアムへ。入場料500円を支払い、入場券を購入。入り口付近では、映画『男たちの大和/YAMATO』のプロモーション映像の上映とともに、映画で使われた配食缶や25mm機銃弾倉(15発)も展示されており、気分が盛り上がるような配置となっている。
そして、いよいよ目的である1/10「戦艦 大和」とのご対面である。
「デ、デカイ・・
そして美しい」
*写真をクリックすると大きくなります。
しばし見入ってしまった。
館内の1階には日清戦争から大東亜戦争までの海軍の発展の仕方が詳細に紹介されており、なかでも支那事変から大東亜戦争、そして敗戦までを11分程度にまとめたビデオは秀逸であった。ただ、「大東亜戦争」を「太平洋戦争」、宣戦布告がないときの「支那事変」を「日中戦争」と紹介しているところのみが残念である。 そのビデオが流れているモニターの最前列で食い入るように見ていた、ご高齢と思われる白髪のご老人は、敗戦の「玉音放送」のシーンを見て大粒の涙を流されていた。周りの人との会話を聞けば、そのご老人は学徒として出陣し、最後まで戦いながら終戦間際の昭和20年7月20日に沈没した「航空戦艦 伊勢」に乗っていたという。
また、館内を案内するボランティアのご老人の方もいらっしゃり、奥野さん、K嬢とともにお話を聞いてみると、小さい頃、自宅からドックに入っている「戦艦 大和」を見ていたという。話を聞けば聞くほど、「戦艦 大和」とそれを造った地元・呉市が好きで好きで仕方がないようであった。地元を愛する気持ちをこれほど強くもてるということを羨ましく思った。
館内はまだまだ特攻隊員の遺書や各種砲弾、未来の艦として『宇宙戦艦ヤマト』などの展示があったものの、13時には海上自衛隊呉基地に見学にいくことになっていたので、泣く泣くザックリと見てまわることに。
山口多門中将の遺書は撮影禁止となっていたが、胸にせまるものがあった。
いずれにしろ、また来てゆっくりと見たい。
13時、海上自衛隊呉基地のFバースに到着。受付をし、見学案内の開始時間を待つ。現在は隣国との関係もふまえて公開されていないディーゼル潜水艦ではあるが、停留しているので近くまでいって見ることができた。
日本も早く原子力潜水艦を持つべきであろう。
今日は、海上自衛隊訓練支援艦 ATS-4203「てんりゅう」の公開である。この艦は、護衛艦の対空ミサイルの訓練を支援する艦である。つまり飛んでいる敵をミサイルで打ち落とす訓練を行う。
標的機としてファイアビー・チャッカー(飛行機形)もしくはチャッカー(ミサイル形)を飛ばし、これを撃つ。ただ、毎回撃って壊しては予算ももたないので、外れるように撃ち、後で回収し修理するそうだ。
62口径76mm単装速射砲に見入る人も多かった。しかし、個人的には先に「戦艦 陸奥」の40センチ主砲を見てしまっているので、迫力という点では不足の感あり。
「てんりゅう」の横には、イージス護衛艦 DD-176「ちょうかい」が停泊しており、多くの見学者がその艦体をバックに記念撮影をしていた。
個人的には、柏崎まで乗せて帰ってもらい、そのまま配備してもらいたい思いであった。(港の浚渫は必要)
冷静に考えれば、一日で旧大日本帝国海軍「戦艦 大和」と海上自衛隊の最新鋭イージス護衛艦を見たことになり、ある意味凄い。まるで、ミッドウェー海戦のど真ん中に最新鋭イージス護衛艦がタイムスリップした設定の漫画『ジパング』のようである。
見学終了後、フェリー発着の港に行き、高速船(450円)にて、江田島に移動。港から海上自衛隊幹部候補生学校・第一術科学校までバスで移動。
15時からの見学コースに申し込み、時間までの待ち時間、敷地内部のコンビニで軽い昼食として、「スープはるさめ」、「野菜一日これ一本」をとる。
15時、広報展示室に行き、まずは見学の説明を受ける。案内して頂くのは、潜水艦に20年乗っていており、現在は退官され案内業務を請け負っているというE氏と16歳の生徒さんである。
ユーモアたっぷりのE氏は、
「ここに旧海軍の軍人さんだった方はおられませんかー、
戦争のことも話すので間違ったら怒られますので」
といきなりカマしたものの、日本の運動会の始まりが明治6年にこの兵学校からはじまったことから説明し、見学者からは「おおぉー」の感嘆の声があがった。
威風堂々という言葉が似合う「大講堂」は、大正6年の竣工、使われている石は、国会議事堂と同じ山口県の黒髪島の御影石。国会議事堂より手入れが良いのが綺麗な感じであり、銅板で覆われた屋根はいい感じで緑青色になっている。イスなしで2000名収容可能であるが、マイク設備はない。 ただ、音響的な作りが非常に良く、マイク無しでも全員に声が通るという。E氏曰く、
「私が現役のときはねぇ~、
全員立ってましたよぉ~
今はイスなんかだして、たるんでますな」
とのことである。
正面の彫刻は知恵の神ミネルバの使いであるフクロウになっている。ありがたい感じがするので思わず記念撮影。
「ミネルヴァの森のフクロウは夜とぶ」ヘーゲル
明治26年竣工、赤煉瓦でできた幹部候補生学校。イギリスから軍艦でもってきた良質の煉瓦を使ったそうで、手触りも良い。
「皆さん、触ってください。いい肌してますから。
ここで、あの煉瓦に勝てる肌はそこのお嬢ちゃんだけかな」
と女性に対する微妙な発言も忘れないE氏。
幹部候補生学校の長さは144メートル。「戦艦 大和」が全長263メートルなので、いかに「戦艦 大和」が大きかったのかも理解できた。
ずっと女人禁制であったため、植えられた松も男松のみ。ただ、1本だけ女松がいつの間にか生えてきたそうで、それはそれで切ることはなく、大切にしているそうだ。
「女性の皆さん、
自衛隊入るなら海上ですよ。
これ見ても分かるでしょー。
自衛隊のなかでも女性に一番優しい」
とE氏、絶好調。
建物内部の照明の配置についても、照明学会で表彰を受けたそうである。
今日の大きな目的である参考館に向かう。
参考館の横には、「戦艦 大和」の主砲弾、日清戦争で活躍した三景艦で使用した主砲弾があった。「戦艦 大和」はいわずもがな、三景艦は国威を発揚するため、日本の景勝、「松島」、天の「橋立」、安芸の宮島「厳島」の三大名所の名をつけた艦のこと。
二人乗りの特殊潜航艇「甲標的」もあった。日本ではここにしかないそうである。この「甲標的」は、真珠湾攻撃に参加したもので、昭和35年、米軍によって引き上げられ、横須賀経由で江田島に運ばれた。当時、艇体頭部は切断されていたそうだが、昭和37年に復元されたとのこと。
真珠湾攻撃の航空部隊による奇襲が行われる前に、真珠湾内に「甲標的」5隻が侵入していたが、アメリカ海軍の「駆逐艦 ワード」の攻撃を受け、4隻が撃沈。失敗した1隻のうち1名が戦死し、この9名が「九軍神」と呼ばれた。生き残った1名である酒巻和男海軍少尉は「軍神」にはならず、捕虜となったことは終戦まで公表されなかった。
いよいよ参考館である。内部は撮影禁止。まっすぐ階段を上がると東郷平八郎元帥、山本五十六元帥、そしてネルソン提督の遺髪室である。どういう作法でお参りすれば良いか分からず、とりあえず手を合わせる。2階は、江戸末期からの兵学書、咸臨丸、坂本龍馬の資料、日清戦争をはじめとする数々の資料、そして山本五十六元帥の胸像があった。長岡の山本五十六公園にあるものと同じもの。
そして、山口多聞中将の資料、真珠湾攻撃の「9軍神」をはじめとする海の特攻隊「回天」搭乗員や神風特攻隊の遺書。シドニーの海軍葬の資料もあった。
両親や妹、弟を守りたい一身で、家を継ぐべき立場ながら、血で志願の理由を書いた者の遺書や血判状は見るだけで胸に迫り来るものある。遺書も20代前半、10代後半としては美しい字であり、胸打つ文章である。
「神風特攻隊」映像
K嬢もじっくりと見ていたようで、二人して集合時間に遅刻。30分の見学時間しかなく、1階にある展示物を見ることができなかった。非常に心残りである。
奇跡の艦「駆逐艦 雪風」の舵輪など、見たいものが他にも多くあった。
一般見学コースとは違う申し込みで見学できないものか、後日検討したい。
見学も終了となり、戻りながら日章旗の説明になった。
日章旗は安政元年、ペリー来航の後、薩摩藩主の島津斉昭が日本の国旗として提案したもの。その後、明治3年(1870年)の太政官布告第57号商船規則に基づき、日本船の目印として採用されたのが最初であったが、当初はあまり普及せず、実際に日本の国旗として認識され始めたのは、日清戦争のときである。
ちなみに、その洗練されたデザインゆえ、明治新政府が樹立した際、フランスが当時の価格で500万円で売ってくれと申し出たという。当時は、明治維新後の財政難で金は幾らあっても足りなかった。500万円は喉から手が出る金額なものの、首脳陣は1000年の歴史を持つ日章旗を手放してはならない、
「国旗を売り渡す事は、
国家を売り渡す事」
として、売却話は幻に終わった。
*泉欣七郎・千田健共編『日本なんでもはじめ』ナンバーワン社では【フランス】、安津素彦著『国旗の歴史』では【イギリス】となっている。
最後に案内してくれた生徒さんにも、
「軍事を学ぶとともに歴史を学んでね。
太平洋戦争じゃないよ、大東亜戦争だよ」
と話しかけ、敷地を後にした。
江田島から呉市に戻ったところで、辺りも暗くなってしまったので、「呉の屋台」街まで徒歩で移動し、3人で「飲み飲み」。
【歴史の見える丘】の「噫(ああ)戦艦大和塔」や「旧呉海軍工廠礎石記念塔」、そして「戦艦大和戦死者之碑」等78基の合祀碑がある【旧海軍墓地長迫公園】に行けなかったことが残念である。江田島の教育参考館のこともあり、再度、呉市と江田島は訪れなければならないようである。
おばちゃん独りでこなしている屋台「龍王」に入り、まずは瓶ビールで乾杯。少し汚れかけたコップも屋台の醍醐味である。
モウモウと湯気を立てているおでんを数品つまんだ後、揚げ餃子気味に表面が油でカリッと揚がっている「焼餃子」、「豚耳の網焼き」「牛ホルモン焼」などでグイグイと飲み進む。ビール8本、焼酎お湯割りを空けたところで「おばちゃーん、ごちそーさまー」と河岸を変える。
チェーン展開している「珍豚香」にて、再度ビールを飲みつつ、「スペシャルラーメン 710円」でシメとする。
店の前の掲げられたキャッチフレーズ「三度食べて初めてわかるフランス仕込みのすごい味」という、古いんだか、新しいんだかわからない感覚にちょっと惹かれたのである。奥野さん、K嬢は「美味辛つけ麺 890円」。スープはトンコツ系、麺が博多ラーメンのようなストレート麺。個人的にはスープはなかなか美味しいと思ったものの、絡み具合にやや難ありという感じであった。やはり三度食べなければならないのであろうか。
奥野さん、K嬢と分かれ、宿泊先の呉阪急ホテルに行く。部屋にはベットの他に机もあり、仕事をするにはもってこいの環境であったが残念ながら無線LANがなかった。
かなり充実した一日だったため、パソコン上にまちづくりなどについて気付いたことをメモするだけで眠くなってしまった。23時過ぎに就寝。
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ジパング好きならこれどうぞ
http://dolby.dyndns.org/upfoo/mov/1107424648935.wmv
投稿: マニ | 2006年3月 2日 (木) 10時41分
マニさん、ご紹介ありがとうございます。
『ジパング』のアニメ版は、その内容もさることながら、ご紹介頂いた映像にもあった主題歌も好きであります。海上自衛隊と旧日本帝国海軍の映像が交差するあたりが『ジパング』らしさを感じました。
投稿: 三井田孝欧 | 2006年3月 6日 (月) 12時23分