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2006年2月 5日 (日)

刈羽郡自民党:沈没前の萬歳三唱「空母 瑞鶴」

 8時、起床。しんしんと降ったパウダー状の雪が積もっている。車をだすため、雪かきをするが、あまりにも軽い雪なので、逆に疲れる感じ。雪かきをしたのち、ゆっくりと1時間ほど風呂に入ってから、身支度。

DSC00610_t 10時30分から刈羽郡自民党と三富佳一県議の後援組織「三山会」の合同新年会の予定であったので、市民プラザに行ったところ、どうも人間が少ない。よくよく考えたら会場が産業文化会館であったことを思い出し、あわてて移動。人間、思いこみは怖いものである。まさにミッドウェー海戦における、「米海軍、空母はこない」という思い込み一緒。
 会場では既に総会が新年会がはじまっており、琴の優雅な調べのなか、頭を下げつつ、来賓席へ。520名の出席者。
DSC00611_t 来賓として、泉田知事がいらっしゃったので、是非、今回はゆっくりと海上自衛隊誘致の話をしたかったものの途中で退席されてしまった。しかし、お隣、刈羽村の品田宏夫村長、刈羽村議、合併前の西山町議、高柳町議の諸先輩には、挨拶とともに海上自衛隊誘致や歴史教科書問題、そして皇室典範改正への反対のお話をさせてもらう。
DSC00612_tDSC00613_t 注いではご返杯を受け続け、13時40分ごろに散会。朝食もとらなかったのに、約2時間、ひたすらビールと日本酒を飲み続けたおかげで、お腹いっぱいとなる。少し食べた方が良いかと思い、酢豚とレーズンバターのフランスパンを少々食べる。会場には大量の料理が余っており、もったいない限り。

_1 14時から同会場で、かしわざき語り部の会さんによる『おらほの昔ばなし あったてんがのぉ』。鯖3本のお話など海岸側に残る話から山側まで豊富な地元言葉での語りが心地よく、酒の酔いもあり、途中、10分ほど意識を失い、申し訳ない・・・・・。
 最後の方で、「その手は桑名の焼き蛤」の三重県桑名市との関係(『柏崎日記』『桑名日記』)で、3月4日に演劇を行うことなどのお話があった。松平定信や生田万、戊辰戦争など柏崎の歴史を語り継がなければという意見もでていたが、まったく同感である。司馬遼太郎の『峠』あたりがベースの知識には必要であろうという意見も同感であった。中学校での必読書にしても良いのではないかと思う。

DSC00617_tDSC00618_t 16時、酒で腹はいっぱいなものの、食事をとらなくてはと思ったので、「らーめんヒグマ 柏崎店」(電話:0257-32-7222)にて「白味噌チャーシュー麺 850円」。大量の酒を飲んでいるからか、しょっぱさが美味しい。無塩のおろし生にんにくが卓上にあったので、大量に投入。オヤジ・モードである。モチモチ感のある麺なので、すぐにのびそうと思い、一気に食べる。 

 ありがたいことに、昨日のブログに書いた「山口多聞中将」を見てくれた方が新年会にいらっしゃった。お話をしているなかで、本当に「萬歳三唱」をしていたのか、という話題になった。
 実は、日本帝国海軍の記録写真がアメリカ海軍のサイトで色々と公開されている。そのなかに、総員退艦前の「萬歳三唱」の写真がしっかりある。「空母 瑞鶴」の沈没寸前の写真である。
_2  「空母 瑞鶴」は、珊瑚海海戦で多くの艦載機を失ったため、ミッドウェー海戦には参加していなが、真珠湾攻撃をはじめ、ガダルカナル島への上陸、撤退を支援。しかし、1944年10月25日、エンガノ岬沖海戦にて沈没した。
*写真は『日本の軍艦』より
 以下の2枚の写真がそのときの模様である。

  日章旗を下げ、総員甲板にて、最敬礼

  総員甲板にて、「萬歳三唱」

 この写真を見ていると何ともいえない気分になる。

 また、1960年の映画『太平洋の嵐』では、ミッドウェー海戦を山口多聞少将を中心に描かれている。名優・三船敏郎が山口多聞少将を演じている。

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