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2006年2月 6日 (月)

自衛隊反対に戻る、社民党

 3時就寝。5時起床、今日の8時までにメール送信しなければならない案件があったのを思い出し、慌てて作業し、7時に無事送信。8時くらいから雪かきや甥っ子の相手をしていたら、来客があり14時まで食事もとれず。市役所や市内を仕事の関係でウロウロ。

F1000001 17時からの打ち合わせの予定が先方の都合でいきなり空いてしまったので、甥っ子と一緒に「フォンジェ」に行って遊ぶ。電車が好きな甥っ子は電車ゲームから離れない。高校生や中学生もゲームコーナーには多くおり、プリクラなどを楽しんでいた。何人かの女の子は、ほぼパンツ丸見えのような短いスカートで、大股広げてベンチに座っており、つい目に入ってしまうものの、見ているこっちが心配に思ってしまう。

DSC00621 19時から商工会議所大研修室にて、柏崎青年会議所の2月例会。今回の例会はテーマ「時代は貯蓄から投資へ」としての講師例会。講師は、元丸福証券社員の間島豊氏である。基本的な投資と投機のちがいから、業界の用語など。残念ながら、先約の予定が20時から入っていたので、途中までしか聞けず。
 株には以前にハマったが、常に気になってしまい、仕事が手につかなくなる性格なので、自分には不向きと思う。

*参考サイト
 株マップ.COMYahoo!ファイナンスストックナビ

DSC00622 20時から某所で、某政治懇談会。よく考えたら今日初めての食事であった。喉もまだ痛いので、今日は風邪薬を飲み、そのまま空きっ腹で生ビールを5杯。シメに焼き餃子を食べたものの、すっかり悪酔した。
 23時、自宅に戻り、就寝。

 社民党は、「自衛隊は違憲」として、非武装の日本を目指すという。

cc ちなみに、非武装中立主義の人が必ず語るコスタリカは、常備の軍の設置を禁止しているだけで、非常事態には徴兵制まで規定されている。しかも、安全保障はアメリカに頼り、かつ国家警備隊、地方警備隊へも莫大な国家予算を投じている。


平成18年2月2日『読売新聞』
社民党、「自衛隊は違憲」党宣言で方針転換へ
 社民党は2日午前の常任幹事会で、自衛隊を「現状、明らかに違憲状態にある」と明記した「社民党宣言案」を了承した。
 同党は1994年の社会党時代に、それまでの自衛隊違憲論から合憲論に転換したが、今回再び違憲論に方針転換する形だ。
 宣言案は12日の党大会で採択される。
 宣言案では、違憲状態にあるとした自衛隊を「縮小を図り、国境警備、災害救助、国際協力などの任務別組織に改編・解消
して非武装の日本を目指す」とした。
 社民党が、違憲としていた自衛隊を合憲と認めたのは、自民党、新党さきがけと連立政権を組んだ社会党時代の94年7月。同党出身の村山首相が「自衛のための必要最小限度の実力組織である自衛隊は、憲法の認めるものである」と国会で答弁した。
 今回再び、自衛隊を違憲とする理由について、社民党は「自衛隊はイラクやインド洋に派遣されるなど、94年当時と比較して大きく変質し、必要最小限度の実力組織の枠を踏み越えている」と説明している。
 同党の方針転換の背景には、自民党や民主党との違いを鮮明にし、党勢の退潮傾向に歯止めをかける狙いもあるようだ。
 ただ、基本政策の頻繁な変更を疑問視する声も上がりそうだ。


 まったくの時代錯誤ではないかと思う。
 外部からの脅威に対して、戦争をしないために自衛隊があり、抑止力となっている。軍事バランスが崩れている状態が一番戦争になりやすいのは、歴史を見れば分かることだ。
 もちろん日本国内の災害時、阪神淡路大震災、我が県の中越大震災で分かるように、自衛隊のような「自己完結性」を持つ組織が必要なのはよく分かっているはずである。
 阪神淡路大震災のとき、組織としての機能にも問題があったと思うが、村山首相の自衛隊派遣への【決断】がもっと早ければ、二次災害に巻き込まれた1000名の方をどれだけ救えたことか。自衛隊の本格的災害派遣を決定したのは、なんと地震の3日後であった。平成7年1月20日の衆議院本会議での村山首相の答弁は以下である。

 「しかし、今から振り返って考えてみますると、
  何分初めての経験でもございますし、
  早朝の出来事でもございますから・・・・」

*基本的に、災害時の自衛隊派遣要請は、被災地の自治体の首長の求めに応じて知事が行う。兵庫県知事が自衛隊に出動要請したのは10時であった。知事いわく「早急に応援を要請しなくてはと考えていたが、決断に踏み切るだけの詳しい情報がなかった」という。自衛隊側からは、8時10分に要請の督促をしたが、知事は【決断】できずにいた。

 さらに言わせてもらえば、社会党時代の村山首相の方針を見直すなら、「日本は国策としてアジアの植民地化を進めた」という、かの悪名高き村山談話を先に撤回してもらいたい。

 素朴な疑問であるが、自衛隊の存在に反対する人は、有事の際はどうするのか。座して死を待つのであろうか。
 こういった動きがあると聞くと、ある演説を思い出す。
 それは、昭和32年2月、防衛大学の第1回卒業式にて、吉田茂首相が行った演説である。

「君達は自衛隊在職中、
 決して国民から感謝されたり、
 歓迎されることなく自衛隊を終わるかもしれない。
 きっと非難とか誹謗ばかりの一生かもしれない。
 御苦労だと思う。
 しかし、自衛隊が国民から歓迎され、
 ちやほやされる事態とは、
 外国から攻撃されて国家存亡の時とか、
 災害派遣の時とか、
 国民が困窮し国家が混乱に直面している時だけなのだ。
 言葉を換えれば、
 君達が日陰者である時のほうが、国民や日本は幸せなのだ。
 
どうか、耐えてもらいたい

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