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2006年3月

2006年3月31日 (金)

インドとサンフランシスコ講和条約

 2時就寝。7時起床。柏崎トルコ文化村関係の問い合わせや激励、そしてご批判のメールへの返事やブログの整理などを行う。

_1_3  朝食をとる間もなく、午前中に2組の来客。良い意味でも悪い意味でも、「世界最大の原子力発電所基地」となっている柏崎市なのに、この4月から市役所内の担当課のなかから「原子力」の文字が消えることに対し、いまの市議会はどうなっているのか、というご意見であった。現在の市議会の勢力は反原子力であり、その点のお話をし、力不足をお詫び申し上げた。
 そもそも原子力立地自治体として、柏崎市はこれまで牽引役となってきた。市長は、そのことを否定するかのように、組織改正するのである。たかが名前、という人がいるかも知れないが、賛成も反対も含め、「原子力」に真剣に向き合ってきた柏崎の歴史やプライドがあるはずである。「原子力」は柏崎市にとっての「武器」であり、今回のことはむざむざ強みでもあった「武器」を捨てることになろう。

F1000001  12時、妹がケンタッキーの「ツイスター 388円」を買ってきたので、1本もらう。どうも愚妹は、これが好きなようである。私も小麦粉のトルティーヤとチリビーンズ、チェダーチーズなどで作るブリトーは大好物であり、アメリカ(タコベルで)やメキシコに行くと食べまくり、必ず太って帰ってくる。

 13時、仕事関係で市外からの来客。15時、政治関係での市外からの来客。16時過ぎ、18時近くの来客はともに柏崎トルコ文化村関係であった。遠回しではあったが、もしかすると、柏崎トルコ文化村に関して、私が利権構造のなかにいるのではないか、つまり今回の件で騒げば金銭の授受などがあるのではないか、との問いかけがあった。トンデモないデマゴギーであり、勘ぐりである。どこをどう切ってもらっても、私に金銭などが入るような利権構造などはない。

Dsc01357 21時、ほうれん草の胡麻よごしと玉葱を多めに入れたシャキシャキ手作りハンバーグで夕食。居間にあるプラズマテレビが故障してしまい、静かな環境のなか、ビールを飲みながら、モクモクと食べる。いつも、テレビや本などを身ながら情報を頭に入れつつ食べることが多く、静かな環境のなかで食べるのは久しぶり。

 『月刊 日本』『Will』『論座』などを読みながら、長風呂に入る。

India インド訪問まであと2週間となった。
 日本とインドとの誇るべき歴史として、これまでタゴールと岡倉天心ビハリ・ボースチャンドラ・ボース象のインディラなどを書いてきたが、まだINA(インド国民軍)と日本軍のインド独立をかけた戦いであったインパール作戦、そしてパール判事が東京裁判でくだした「日本無罪論」をはじめ、まだ書き足りていない。
 そんななか先日、トルコ共和国の宣戦布告について、自分の資料不足もあって、あらためて公文書図書館の資料を見る機会があり、ついでにインドと日本との戦後処理についても再確認の意味で調べてみた。
 インドは、サンフランシスコ講和条約への署名を拒否。それは日本を対等な独立国として扱っていないという抗議の拒否であった。1952年(昭和27年)4月28日のサンフランシスコ講和条約が発効となる直前、インドは日本との戦争状態終結を宣言し、両国の連絡事務所は大使館、領事館に昇格した。
 そして、1952年(昭和27年)6月9日には、日印平和条約が締結。条約の主立った内容は、サンフランシスコ講和条約と同じようなものであったが、より日本に対し友好的であった。

 1.賠償請求権 占領費取立権などを放棄。
 2.条約の適用、解釈
   両国間で問題が起こった場合の最終的解決を
   国際司法裁判所への付託ではなく、仲裁にした。
 3.友好の表現
   サンフランシスコ講和条約には「和解と信頼」と
   だけあったが、日印平和条約には
   「堅固なかつ永久の平和および友好関係」
   強力な友好関係が強調されている。

flag

 これだけではない。まだ日本が占領下にあった1951年(昭和26年)、インドのニュー・デリーで開催された「第一回アジア競技大会」へ、日本が一国として参加するようインドは便宜を図ってくれ、ニュー・デリーの空高く日の丸の旗を掲げることができた。
 これらのことは、イデオロギーは別として、一緒にインドに行く地方議員の仲間にも是非、知ってほしいことと思っている。
 さらには、昭和64年1月、昭和天皇が崩御された際、インド政府は日本国民より長く、三日間の喪に服して、哀悼の意を示したという。

2006年3月30日 (木)

狭隘道路研修会、市長の怒り?

 2時過ぎ、マンガ喫茶に入り、メールチェックなどを数時間。そのまま仮眠する。

Dsc01332  9時、マンガ喫茶をでて、コンビニに寄る。最近はおにぎりやパンにも多くの種類があるが、納豆巻は欠かせない。それに「一日分の野菜」ジュース、BLTサンドを購入して朝食。コンビニのチェーンと場所によっては、納豆巻も酢飯の酢がキツめのところもあれば、中に入っている納豆がどう味わっても粘りがない発酵不足気味という商品もある。今後、研究が必要であろう。

_1_2  10時からアルカディア市ヶ谷において、地域科学研究会主催の狭い道路、いわゆる狭隘道路に関する研修会を受講。17時までみっちりの日程である。


豊島区:
「狭あい道路拡幅整備条例」による実践・実績とその課題

                    豊島区 園田 香次
 1.狭あい道路拡幅整備事業実施の背景と経緯
   ―事業実施前の細街路の状況/本区の地域特性
 2.豊島区の狭あい道路拡幅整備手法と制度について
   ―狭あい道路拡幅/要綱から条例制定へ/
    中心位置決定から整備工事までの流れ/助成金について
 3.整備の現状と実績
   ―整備の現状/整備実績/建替え動向
 4.今後の課題について
   ―整備負担のあり方/低成長(行財政改革)下での
    狭あい道路拡幅整備事業のあり方/
    国 、都道府県の負担について

狭隘道路整備の地域的展開の実態と可能性
                  東海大学 加藤 仁美
 1.はじめに
 2.狭隘道路整備の全国的傾向
 3.狭隘道路整備の地域的展開の実態
 4.狭隘道路の形成経緯-ボタンの掛け違い
 5.取り扱いの地域性・歴史性―市街地実態との関係
 6.市街地形成経緯と狭隘道路整備
 7.地域的展開の可能性
   ―街路ネットワークの実現―
   ガイドプランの必要性/計画的視点による必要性/
   個別更新の計画的誘導/合意形成によるミニ地区計画

練馬区:
密集住宅市街地整備促進事業による防災まちづくり

                   練馬区 宮下 泰昌
 1.練馬区における
      密集住宅市街地整備促進事業の実施概要
 2.買収方式による地区の骨格道路づくり
            ~江古田北部地区を事例として~
 3.建物共同化等による不燃化建て替えの促進
 4.今後の課題―
   骨格道路以外の狭隘道路の整備補助制度と
                事業制度と事業実施期間

密集住宅市街地の計画的更新の仕組みとその事例
                  筑波大学 有田 智一
 1.密集住宅市街地の計画的更新の仕組みとその事例
 2.密集住宅市街地の計画的更新に係る諸制度とその事例
 3.建築行政とまちづくりの連携のあり方
   ~43条但し書き、連担建築物設計制度、
           街並み誘導地区計画の活用事例等~

_1_4 狭あい道路整備の多様な取組みと
      連担建築物設計制度の活用

 (株)首都圏総合計画研究所 井上 隆
 1.狭あい道路の状況と問題点・課題
 2.狭あい道路整備の多様な取組み状況
             (杉並区、横浜市、大田区等)
 3.京都市・荒川区の連担建築物設計制度を活用したまちづくり
 4.狭あい道路問題とまちづくり
         ~建築・道路行政の連携と今後の展開~


Dsc01349  12時過ぎ、午前の講義が終わった段階で、昼食をとりに会場の外にでる。会場近くの「花びし」(電話:03-3239-3040)に入り、「すっぽん雑炊 980円」を注文。すっぽんのダシはもとより、この値段にしてはすっぽんのゼラチン質を多く楽しめ、満足な昼食となった。惜しむべきは、卵が半熟を通り越していた点だけ。
 13時から午後の講義。

_1 講義が終了した段階で、会場を後にし、歩いて靖國神社に向かう。
 靖國神社は桜が満開で、人出も多く、春らしい景色であった。桜を愛でた後、アポなしであったが、大変熱い思いをもっている知人を訪ねる。ご挨拶がてら、色々とお話をさせてもらい、貴重な資料のありかや調査の方法などをお教え頂いた。
_1_1  お約束で、閉館間際の遊就館も見学。何度も行っているのに、何故行くのかといえば、展示物はもちろんのこと、見に来ている人々を見に行くのである。特に、団体旅行でこられているご高齢の皆さんが見学しているときには、近くにいき、どんな反応をされているのか。はたまた、若いカップルなどどんな表情で見ているのかを観察してしまうのである。
 あるご老人は、学生として戦闘機の工場に入ったそうで、「間接的かも知れないが、(俺も)闘ったんだ」といったお話をされ、「これがもっとできていれば・・・」つぶやかれた。その指先には、透明なケースに入った「疾風」の模型があった。
 旧陸軍四式戦闘機「疾風」(はやて)は、 昭和18年3月試作一号機が完成し、実践配備をされたのが昭和19年4月。命名にあたっては、国民からの公募により、昭和20年4月11日に「はやて」と平仮名で発表された。日本の最優秀戦闘機と言われ、燃料の質が悪いなか最高速度624km/hをマーク。
 戦後、アメリカ軍がハイオク(140オクタン)燃料を用いて、「疾風」のテスト飛行をしたところ、最高時速689km/hをだし、機動力、火力などすべての点において高い能力を見せつけ、アメリカ軍関係者に『日本の技術、恐るべし』と印象づけた戦闘機である。

Dsc01356_1  閉館ギリギリまで見たのち、歩いて市ヶ谷駅へ。東京駅から新幹線で帰ることにする。
 東京駅構内で夕食をとろうと思うも、納豆関係のメニューのあるお店がなかなか無いので、立ち食いそばの「天玉そば」に、数粒のスナック納豆を投入。

 東京駅から新幹線に乗り込み、長岡駅に到着。柏崎行きの普通列車に乗り換えようと移動していると、バッタリ、会田市長と同行している部長に出会った。

 「お疲れ様です、この時間は乗り継ぎが悪いですねぇ」

と話ながら、近寄ったところ、

 「三井田さん、反日市長とは憤慨だ!
  何が反日なんだっ!」

と市長が怒りの形相。柏崎トルコ文化村の件であろう。そのあわてぶりに、思わず名越節で、

nagoshi

 「オタオタすんなとぉ~」

と言いたいところであった。チャンネル桜への出演後、市役所へメールなどでの抗議があり、急遽、トルコ大使館に行き、状況を説明してきたという。しかも、話を聞くと、私が「反日市長」と言いふらし、柏崎市役所へメールで抗議しろと多くの人に私が指示して、柏崎市役所を混乱させているという。インターネット上の混乱?の収拾をしてもらわないと困るとの事。一人の議員が騒いでいるだけ、とでも釈明したのであろうか。
 まったくの筋違いである。そもそも、市役所に抗議が届いており、そのなかに私の名前がでているなら、トルコ大使館に行くその前に、内容について私に確認するのが筋であろう。むしろ、確認もせずにトルコ大使館へ行くことは軽率ではないのか。しかも、本ブログに「反日市長」という断定や「市役所にメールでドンドン抗議して、市役所を混乱させろ」などという指示もない。情報公開請求で公開された書簡、そして文教経済委員会で説明があったものをまとめ、そして私見として「アタチュルクの銅像は問題となる」という指摘をしたのみである。市政を見張り、意見を述べることこそ、議員の本来業務ではないか。本ブログやチャンネル桜で、ご紹介したトルコ大使からの書簡をご覧頂いた方が、どのように感じ、何をすべきかを私が統制することはない。しかも、その事態収拾を私にしろというのはまったくもって訳が分からない。
 もちろん、私の意見にご賛同いただいた方々には感謝の念でいっぱいである。
 市長は私にもっと内容を理解しろ、

*「トルコ大使館が運営するわけではない。
  そこでさえも誤解している」と指摘されたが、
  そんなことは文書から分かっているのである。

高度な交渉をトルコ大使館としているんだ、ともおっしゃっていたが、議会にも説明なく、方針も明確にしないで、交渉とは議会軽視ではないのか。議員に市長が直接説明する場を議会では開催していない。議会の招集権は議長にはなく、市長にある(議会制度改革でもこのことは指摘されており、改革すべき点とされている)。しかも、情報公開請求をし、さらには文教経済委員会での説明要求がなければ、議会はもとより市民に事実を知らせずに進んでいたことである。本当に「開かれた市役所」であろうか。
 実態として、その都度、トルコ大使館に説明に行っており、理解してもらっているとのことであったが、それなら今年1月31日付けの書簡があのような形になるとは思えない。

 閉鎖した柏崎トルコ文化村が売れる、売れないという小さなことではない。一つの独立国に対する態度、そして情報公開という点で指摘しているのである。外から見たら、それはマズイよ、と指摘し、今回の事例を大きな視点で捉え、地方自治体と国益の関係、トルコと日本との歴史の周知、ひいては歴史を知ることが平和への道になると思い、本ブログやチャンネル桜でも紹介したのである。

 また、テレビやインターネットでの活動で影響が広がって迷惑、という話もしていたが、これはツールが違うだけで、各議員が影響力をもっているのは当たり前である。そのための選挙であって、市民の皆さんから貴重な「票」という負託をもらっている。だからこそ、議会や市民への説明責任が論じられ、特に首長の議会対策が重要とされているのである。
 柏崎市以外に影響が広がっている事自体も、その意味合いをよく考えてほしい。まったく間違ったことを主張しているのであれば、広がりはしない。私が指示して広がっていると思っているなら、ご賛同頂いた方には大変失礼なことである。

 明日以降、市長が記者会見を行うとのことだったが、どのような発言をされるのか楽しみである。

2006年3月29日 (水)

チャンネル桜、山田寅次郎とオスマン帝国

 1時過ぎ、荷物も多く、渋谷駅近郊のホテルを探すが、すでに満室。仕方がないので、道玄坂に行き、一人泊まりOKのラブホテルに泊まる。

 7時、起床。ラブホテルで独りで目覚めるのは不思議な気分である。早速、身支度をし、部屋をでるが、エレベータで2組のカップルと一緒になってしまい、ヒジョーにバツが悪い。もちろん、エレベータのなかでは無言である。上野に移動。

 9時過ぎから、上京してきた某社の経営者と、喫茶店で相談業務。場所を問わない工場を今後作る段階まで来たら、是非、柏崎の地にお越し頂きたい、と最後に念押し。

 10時過ぎ、渋谷のチャンネル桜に移動。11時からスタジオ入りをし、『地方議員アワー』の収録。メンバーは、司会である杉並区の松浦芳子議員、司会補佐役・中央区の二瓶文隆議員、渋谷区の前議長・岡本ひろかず議員、埼玉県久喜市の鈴木松蔵議員、埼玉県座間市の佐藤みと議員。テーマは、『地方自治体』であったが、今回の柏崎トルコ文化村とトルコ共和国との話を例にだし、地方自治体ができる外交も重要ではないか、と話をさせてもらった。大使からの1月31日付け文書をはじめ、各議員からは絶句、そして怒りの声があがった。特に渋谷区はトルコ大使館があることから関わりが深く、今後、全国地方議員から柏崎市に抗議活動をしたいとのことだった。

1  12時30分過ぎ、杉並区の松浦芳子議員と座間市の佐藤みと議員、そして田形竹尾先生と一緒に、「崔さんの台所 味道」(電話:03-5467-2828)に行き、「水冷麺 880円」で昼食。サービスでつけてくれる炊き込みご飯は大盛りにしたもらった。店員の人も韓国の方で胸につけた名札には出身地まで書いてあった。

Dsc00260

 食事をしながら話をしているうちに、山本五十六連合艦隊司令長官の最後は自決だったのではないか、という事から山口多聞中将のミッドウェー海戦(定説他の説)の話になった。つい先日、山口多聞中将のご子息がチャンネル桜に出演されたそうで、神楽坂に私的な山口多聞資料館があるという。次に東京に来た際には、是非、見せてもらおうと松浦芳子議員に取り次ぎをお願いした。


 15時過ぎ、東京駅に移動。日本旅行さんに行き、インド視察の手続き、他。

 17時から、某政治関係者との懇談会。イデオロギー的に言えば、かなりの乖離がある右と左の集まりで、最初は和気藹々という感じで飲んでいたが、2時間ほど経ったあたりからヒートアップ。外国人参政権、人権擁護法案について熱くなり、23時過ぎにやっと一軒目をでる有様だった。
 一度、柏崎に帰る日程でいたが、電車もなくなり、お金はかかるがこのまま残ることにした。

ty 「エルトゥールル号」事件を受け、民間で義捐金を集めた男、山田寅次郎(1866年~1957年)。事件後、2年をかけ、義捐金を集め、なんと後集まった義捐金を自ら持って、オスマン帝国(のちのトルコ共和国)の首都イスタンブルに渡った。このことが、当時の国民に知れ渡るや、山田寅次郎は熱烈な歓迎を受け、ときの皇帝、アブデュルハミト二世に拝謁する。
  皇帝は山田寅次郎にこう言う。

 「この地に留まってくれまいか」

 日本との国交が無いなか、友好の架け橋にならんと、山田寅次郎は【決断】する。イスタンブルで貿易商店を開業し、日本政府高官のイスタンブル訪問を支援。さらには、オスマン帝国軍の士官学校で日本語を教えるなどの活躍をした。このとき日本語を教えた士官の中に、のちにオスマン帝国を打倒し、トルコ共和国の初代大統領となるケマル・アタテュルクがいたという。
 また、日露戦争においても、ロシア黒海艦隊の軍艦3隻が商船に偽装し、ボスポラス海峡を通過したとの情報を、イスタンブルから在ウィーン日本大使館を経て日本に送り、日本の勝利にも貢献している。
 こういった山田寅次郎による民間交流にもかかわらず、オスマン帝国が滅びるまで日本との正式の国交が結ばれることはなかった。

 1914年、第一次世界大戦が勃発。
 ドイツら同盟国側に引き入れられつつあったオスマン帝国の対外情勢は緊迫し、山田はイスタンブルの店を閉鎖して退去し、日本へと帰国した。この戦争でイギリスら連合国側についた日本は、オスマン帝国と敵同士となる。
 第一次世界大戦後、オスマン帝国が解体し、そしてとトルコ共和国が成立する。
 1924年発効のローザンヌ条約、1925年の大使館開設により、ここに日本とトルコ共和国の正式な国交が結ばれた。
 帰国後の山田寅次郎は、1925年、日土貿易協会を設立して理事長となり、再び日本とトルコ共和国との民間交流に尽力し始めた。
 そして、1931年、17年ぶりにトルコ共和国を訪れ、新首都アンカラでケマル・アタチュルク大統領と会見。大統領は、士官学校で山田寅次郎に日本語を教わった思い出を語り、熱烈な歓迎をしたのである。
 現在でも、トルコ国民の間では「民間大使」山田寅次郎のことは語り継がれ、イスタンブルにある海軍博物館には、山田寅次郎ゆかりの品を展示した特別コーナーがある。

2006年3月26日 (日)

長岡掃除に学ぶ会実践編、山本五十六遺品

 3時就寝、6時起床、タオルなどを持って、愛車で新潟県立長岡高校に移動。

F1000003 7時からトイレ掃除実践である。参加者は県内のみならず、関東一円から総勢90名。会社経営者はもとより、学校などの教育関係者、生徒さんなども年齢や職業もさまざま。親子で参加されている方もいらっしゃった。柏崎からは私一人だけの参加であった。

F1000002 トイレ掃除は素手で行うため、一応、コート剤を手に塗る。足は長靴である。いままでトイレ掃除をしたことはあっても、ゴム手袋をつけてやっていた。
 鍵山相談役のお話では、素手でトイレ掃除することが大切であって、本来であれば長靴も履くことなく、素足で行うそうである。鍵山相談役はこれまで、企業トップでありながら、社員の誰よりも早く出勤し、便器を素手で磨いて社員に喜んで使ってもらっていたという。
F1000005 複数の企業コンサルタントからは、こんな企業は成長しないと言われたというが、株式会社イエローハットといえば、年商800億円を超えるカー用品業界2位の企業である。
 経営者自らが素手、素足でトイレを掃除し、社員に気持ちよく使ってもらう。言うのは簡単であるが、これを実践し続けることは非常に難しい。しかし、続けることで何かが変わったのだろうと思う。
F1000006 実践は各班に分かれての作業。私は1階の男子トイレの担当となった。触れないほどの汚さではないが、便器の内側などは汚れがこびりついている。スポンジやホースなどの道具の使い方を教わってから、トイレ掃除開始。
 やっているうちに、完全に綺麗にしたい、さらには次に使う人がより気持ち良くなるような状態にしたいという想いがでてきた。
 掃除に没頭すること約1時間半、新品とはまではいかないが、相当綺麗になった。

F1000007 12時、反省会として、各班からの感想の発表時間。色々な世代からの感想が述べられていたが、「次に使う人のために」がキーワードであった。
 反省会終了後、昼食。「こぐまのキッチン」(電話 0258-36-7798)の弁当である。加工された冷凍食品や合成着色料、合成保存料は使わない方針とのことで、手作りの雰囲気が心地よい。

 13時過ぎ、今回の主催者でもあり、尊敬してやまない澤先生を中心に鍵山相談役をはじめ、日本を美しくする会の役員と記念撮影。
 長岡駅に役員の皆さんをお送りし、その後時間的に余裕のある方々と一緒に新潟県立歴史博物館に移動する。
F1000008 目的は、澤先生が代表世話人となっている「ふるさとに帰れ!山本五十六 新発見の遺品は語る」展示である。
 山本五十六連合艦隊司令長官の遺品がオークションにより、全国に散逸してしまい、それを現在、長岡市の有志でお金をだして、買い戻している。
 当初、遺品らしきものが見つかった際には偽物という話もでたという。しかし、荷物を広げてみると、指2本分が無く、根本で縫いつけられている左手用の手袋がでてきたことで、本物と断定したという。
 まだ所有権が移っていないので、写真も撮れず、またアルバム等でも所有者が置いた状態でしか見ることができないが、この資料をめくる日がきた際には

・山本五十六と山口多聞などの海軍関係者との写真
・山本五十六と家族との写真
・山本五十六の実父の日記より、「柏崎県」関係書類と
 『米百俵の精神』小林虎三郎の給料

など、歴史的にも大変貴重な発見があるはずである。
 また、山本五十六の死因として、「自決ではなかったのか」という説がある。公式発表では、機上で被弾し「顔面貫通機銃創、背部盲管機銃創を被り貴要臓器を損傷して即死」とされている。今回の遺品のなかには、ブーゲンビル上空で撃墜されたときの血がついた肌着があるため、今後の研究によっては真相が分かるはずである。
 現在、買い戻しのためのカンパを募集している。地元たる長岡市民の皆さんはもとより、県内、いや全国の多くの方にご協力してもらえればと思う。
問い合わせ先:
長岡を創造した人々・その思想と歴史を伝える会
電話:0258-36-5884 FAX:0258-36-5779

F1000009 18時過ぎ、自宅に戻り、バイ(貝)、ほたて貝、はまぐり、がんもどきを焼いたもの、揚げ豆腐で夕食。貝好きとしては、ご飯だけで食べるのがもったいないと感じ、妹と一緒にビールを飲むことに。そういえば、これまで兄妹で飲むこともなかなか無かったので、新鮮な感じであった。

 20時から23時まで仮眠。

2006年3月25日 (土)

長岡掃除に学ぶ会記念講演

DSC01246 3時就寝。8時起床、シャワーを浴びたのち、朝食。目玉焼き、小粒納豆と味噌汁、沢庵。某社の新製品として、モニターしている小粒納豆であるが、納豆単体で食べたときと、ご飯にのせて食べたときの両方をレポートして送るので、最近は実質2パック食べている。

DSC01247 午前中はメールやブログ、報告書の作成。
 甥っ子が遊んでほしいとせがむので、プラレールの電車で一緒に遊ぶ。新幹線は「しゃんしゃんしぇん」と口が回らないが、「はやて」「つばさ」などは明確に名前を発音し、車体も覚えている。
 昼食は、義弟のおごりで「うれっ子」(電話:0257-22-4648)の「チャーシューつけめん 大盛り」。甥っ子、祖母と分けて食べる。

DSC01248 13時30分から柏崎高校の第2回演奏会。吹奏楽部だけではなく、野球部やダンスチーム、総合高校吹奏楽部、内山ダンス倶楽部などの出演もあった。曲目は、W・ハイムズの「祝祭のために」、「Amazing Grace」、A・リードの「第2組曲」、つい「仮面の貴公子」ミル・マスカラスを思い出す「スカイ・ハイ」、堺正章らのザ・スパイダースもカバーしていた「ダンス天国」、「ソーラン節」、ゴリエちゃんで有名になった「PECORI NIGHT」、コブクロの「桜」、ベニー・グッドマンで有名な「シング・シング・シング」。高校生のムセかえるような熱い気合い。大いに刺激を受けた。

 16時に、長岡商工会議所に移動し、16時30分から2階大ホールで「日本を美しくする会、長岡掃除に学ぶ会設立記念講演会」。主催は、長岡掃除に学ぶ会、共催は長岡商工会議所新潟県倫理法人会、長岡市倫理法人会である。
Kage 講師は、株式会社イエローハット相談役 鍵山秀三郎氏。雑誌『正論』をはじめ、掃除を通しての人間教育、日本を美しくする活動を行っており、日本国内の都道府県はもとより、ブラジル、中国、ニューヨーク、台湾にもそれぞれ「掃除に学ぶ会」を設立され、現在も定期的に開催されている。



 昭和8年8月18日生まれ。
 昭和19年まで靖國神社の裏にすんでおり、毎日、参拝した。実はこの11年間が一番、物心豊かであった。自分が生まれたときより、良い国になるよう我々は本当に努力してきたのだろうか。
 戦時中は、子供から見ても努力している両親を自然に手伝った。それを親が喜び、それでまた喜んで手伝う。手伝いが多かったので、学校ではまったく勉強が分からなかった。
 人間は、むなしい、はかない思いをするとイヤになり、その物事をやめるが、私はその瞬間にやめなかった。それは、昨日までの努力が惜しいと思うから。惜しいほどの努力を毎日していれば、明日を捨てることはない。
 いま多くの人が、使い捨ての傘を一雨が終わったあとに捨てている。それは価値が低いと思っているからであって、他の物事も同じ。価値のない努力は簡単に捨てることができる。こんなに努力しているのにできない、と努力を無駄に思ってやめる人がいるが、簡単に成果があるようなものは努力とはいわない。サッカーはプレーがスタートすると休むことはできない、努力もそれと同じ。
 たくさんの知識を身につけて、良い方に使えば、国が良くなり、世界も良くなる。日本の国が凛とした国であれば、隣国も悪口も言えなくなる。いま持っている知識を人のため、社会のため、国家のために使ってほしい。
 最初に会社員になったときには、知識も学歴もない自分にできることは、職場を掃除することだけだった。人に何を言われても参らず、とにかく耐えた。
 昭和36年12月10日、経営者の会社の私物化に納得がいかなくなり、退社。
 昭和37年から2年、自転車に荷物を積んで、雨が降っても雪が降っても行商をした。
 坂村真民先生の詩を大切にしている。

 「だまされて 良くなり
    悪くなってしまっては 駄目」
 「いじめられて よくなり
   いじけてしまっては 駄目」
 「踏まれて 起きあがり
     倒れてしまっては 駄目」
 「いつも心は燃えていよう
     消えてしまっては 駄目」
 「いつも瞳は澄んでいよう
     濁ってしまっては 駄目」

 人にだまされたことが多かったが、もう人を信じるようなことをやめるのではなく、信じ抜くことをし、知識から知恵にした。知識は詰め込んでも、知識のまま。実践を通して、知恵にする。
 手や足、目、耳が両方あるのは、一つは人のために役立つためではないのか。
 2本の手は1本の手の倍以上の仕事ができ、人を助けられると思う。
 『博士の愛した数式』というお話、映画にもなったが、約数の話がでてくる。

 8、589、869、056
    33、550、336
         8、128
  (1~31までを足すと)496(同上)
  (1~7までを足すと)28(1、2、4、7、14)
   (1~3までを足すと)6(1と2と3)

 ただ数字を並べただけでは意味がないが、約数という意味、それぞれを足すという意味がでてくる。この数字と同じのが人間で、そのままで意味はないが、何かの意味を見つけることで存在理由がある。人間も同じ、その存在理由はあり、それを見つけ、しかも多く持った方がいい。
 アルミ缶を1個を作るための電力は40w電球が8時間つく量。ボーキサイトから電気でアルミに作るには膨大なエネルギーを使う。アルミ缶を再生すれば、最初の3%の電気で十分になる。今度はアルミ缶を集めてリサイクルする活動をしたい。少しでもゴミを減らしたい。
 一つ一つは本当に小さいことであるが、どんなことでも徹底してやり続ける。それが大きいことになる。華々しいように見えてもたいしたことがないことが多い。
 会社の評価は利益ではなく、いかに人を幸せにし、社会に貢献したか、という目で見てみる。いまは多くの人を不幸にしながら、膨張を続けている。
 人を幸せにしながら、成長することが大切。
 自分はどういう尺度で物事をみるのかをよく考えていくべき。利益だけがいいという会社が日本は増えてしまった。尺度そのものがその人の人格であり、人柄。
 何でも良く気付く人になってほしい。
 一つは徹底した掃除をする。(新宿が30%の激減、ゴミの掃除の例)
 もう一つは、いつも人を喜ばそうと思って努力すること。
 気付くことはなにか。
 新幹線は1秒間に83mに走る。車のF1は1秒間に90m。飛行機は1秒間に250m、偏西風にのれば1秒間に320m、コンコルドは1秒間に555mだった。太陽のまわりの地球の公転の動きは1秒間に29.8km。銀河系の動きは1秒間に220km。この感覚に気付くか気付かないかも需要。
 引力はニュートンが作ったのではなく、発見、気づいただけ。
 親の恩も同じ。
 気づいたら、かたちを変えて、その恩を返していく。
 心(不動不変) と 気持ち(変わる)は違う。心は水はコンコンとわき出る。気持ちは水はたまっているが湧き出ていないので、 悪い気持ちになると濁ったままになり、どんどん濁る。心でわき出てきた綺麗な水を気持ちに入れたいもの。心と気持ちのパイプをとることが、掃除と人を喜ばせることである。
 日本中の学校を綺麗にしたい。
 夢は逃げることはない。
 多くは自分が夢から逃げている。


Dsc01257 講演終了後、長岡グランドホテルに移動し、リーダーの食事会。季節ものらしく、筍ご飯を中心にした幕の内弁当。さくら餅も入っていた。最後はデザートとして、ゆずのシャーベット。
 鍵山相談役をはじめ、多くの方にご挨拶させて頂き、意見交換もさせていただいた。メンバーの多くが、靖國神社に変わる無宗教の代替施設建設の動きに反対であり、その署名活動をしているとのこと。まったく意見が同じであったので、その活動にも参加させてもらうことにする。

Dsc01264 食事会終了後、一昨年の知事選に立候補した伊藤雄二氏、そして長岡在住の駒形豊氏と待ち合わせ、懇親会。
 「なじらてい」にて4000円コースを注文しての懇親会であったが、すでに弁当を食べているため、満腹状態。ただ残しても申し訳ないので、少しだけづつつまむ。Dsc01263_1
 塩モツ煮込み、焼き筍、蕗の薹パスタなどは美味であった。
 駒形氏とは初対面であったが、田中真紀子衆議院議員の後援会活動を熱心されておられ、意見の違いは別として、田中家をはじめ、新潟が政治的に熱かった時代の秘話など面白いお話を聞けた。
Dsc01262_1 伊藤氏とは、あの中越大震災の際、一緒にボランティア活動のため、現地に行って以来である。今後の政治活動をどうするのかまではお聞きできなかったが、日々活動されているとのことで安心した。
Dsc01261_1 3時間ほどお話したところでお開きとなり、柏崎に戻る。

2006年3月24日 (金)

柏崎トルコ文化村:国に平和を 世界に平和を

 カラオケのシメとして、松山千春の「旅立ち」を歌い3時に帰宅。

DSC01231 8時、起床。シャワーを浴びて身支度し、母校である柏崎小学校に向かう。
 今日は、柏崎小学校の第97回卒業式である。式の会場となった体育館には花が敷き詰められ、まさしく花道になっていた。教職員の方々の心遣いを感じる。

DSC01233 今年の卒業生は、卒業生96名。感極まって、涙を拭う卒業生やそれを見守るPTAをはじめとした保護者の皆さんの姿には、毎年、感動させられる。
 壇上には、国旗と市旗がキチンと掲揚されており、これが本来の姿であろう。柏崎市議会の議場もけじめとして、国旗、市旗を掲揚しなければならないと思う。
 柏崎小学校は、明治天皇の行在所があったこともあり、校歌の2番は、

 「明治大帝・・・・」

ではじまる。現在は、1番と3番しか歌わないが、是非、2番も柏崎の歴史を知ってもらうため、普段は歌わないとしても生徒に教えてほしい。

F1000003 卒業式から戻り、来客や外まわり。時間がないので、非常用のカップラーメンに、ニンニクの素揚げスナック、コーンの缶詰、干し納豆を入れて食べる。干し納豆をお湯を入れる前に麺の底に落ちるようにする。こうすることで、納豆のこくがスープに加わる。

 午後から夕方まで、柏崎トルコ文化村の経緯や関係者の聞き取り。ここまでを整理してみると以下のようになる。


平成4年11月    株式会社トルコ文化村設立。
平成8年7月27日 トルコ文化村オープン。
平成11年7月24日 第二テーマパークがオープン。
平成11年10月    新潟中央銀行破綻。
平成11年12月16日
 施設を柏崎市が2億5千万円で買い取り、
 第3セクター方式の受け皿会社を設立する議案が、
 議会に提出されるが、「否決」。
平成13年9月
 施設がRCC(整理回収機構)の管理下となる。
平成13年12月24日 株式会社トルコ文化村 休業。
平成14年4月4日
 RCCと柏崎市との間で、施設の譲渡価格の折衝
 を行い1億5千万円で合意。
平成14年5月24日
 臨時議会にて、柏崎市での施設買取の予算
 「一般会計補正予算(第2号)」の議案を「可決」。
平成14年6月5日
 株式会社KTV設立 資本金6千5百万円。
平成14年 6月10日
 6月議会にて、柏崎市として施設を取得する議案
 議第43号を「可決」。
 柏崎市への税滞納分7千万円と相殺し、実質8千万円
 にて取得。
*この取得費用は、地域振興の観点から、市町村
 電源立地特別交付金を財源とした。

平成14年6月12日

 6月議会にて、株式会社KTVへの施設の貸し出し
 契約を承認。「固定資産税免除」「減価償却無し」
 施設の大規模改修があった際には「柏崎市で負担」
 が条件となる。
平成14年7月18日
 株式会社KTVにより、柏崎トルコ文化村オープン。
平成15年9月20日
 民間出資者より株式会社KTVへ3千万円を増資し、
 資本金が9千5百万円となる。
平成17年3月 KTVの解散、柏崎トルコ文化村閉鎖。
平成17年3月31日<文書1>
 駐日トルコ大使から会田市長へ書簡(所在不明)
平成17年4月6日<文書2>
 駐日トルコ大使から会田市長へ書簡(所在不明)
平成17年6月1日(議会への説明無)
 在日トルコ商工会議所会頭から会田市長へ書簡。
 この書簡で<文書1><文書2>の存在を
 知ったという・・・・(市役所側の主張)
 在日トルコ大使館に書簡の内容を確認。
 FAXにて写しを送ってもらう。
平成17年6月23日(議会への説明無)
 会田市長、観光交流課長でトルコ大使館へ。
平成17年7月31日
  会田市長記者会見にて発表。
「できるだけ早く方針を決めたい。
 土地・建物の売却も含めて処分を考えていく」
「観光施設というコンセプトにこだわらずに
 土地利用を考えていきたい」

平成17年12月

 旧・柏崎トルコ文化村の公募開始
平成18年1月31日(議会への説明無)
 駐日トルコ大使から会田市長へ怒りの書簡

 「本件に関しては、日本人らしからぬ
  注意力と几帳面さを欠いた行為である
  と思わざるをえません。」
 「I must admit that I find this rather
  unusual knowing Japanese carefulness
  and punctuality.」

平成18年2月28日(議会への説明無)
 会田市長、産業振興部長がトルコ大使館を訪問
 駐日トルコ大使、在日トルコ商工会議所会頭に
 書簡を渡す。
平成18年3月3日
 駐日トルコ大使館一等書記官、
 在日トルコ商工会議所会頭が旧・柏崎トルコ文化村を
 現地視察。
平成18年3月
 情報公開請求により、トルコ大使館とのやりとりがあった
ことが判明。文教経済常任委員会にて、報告を求める。


情報公開請求による関連書類(pdf)


 閉鎖から1年間の維持管理費をはじめとする柏崎市民の利益を損ねるだけではなく、和歌山県串本町での「エルトゥールル号遭難事故」以来、日露戦争山田寅次郎、トルコ共和国の国父ケマル・アタテュルク、そして、イラン・イラク戦争時のトルコ航空機による日本人の救出など、日本とトルコの友好関係、そして「日本人の名誉」を傷つけるような行為であろう。
 ちなみに、日本の敗戦が濃厚になってきた大東亜戦争末期、戦後の賠償請求などができることから、形式だけでも対日宣戦布告を行う国が多かったのに対し、親日国・トルコ共和国は最後まで宣戦布告を行わなかったのである。

 柏崎でトルコ友好協会を立ち上げた方、そしてその奥様は平成18年1月31日付けの大使の公文書である書簡を読んで、涙を落とされていた。
 この書簡の最後には、こうもある。

 「前述の事実を踏まえて、
  この115年間、私たちの国の間に・・」
 「市長様、私の最高の心遣いを
  信用してくださいますようお願いいたします」

 この115年とは、1890年の「エルトゥールル号遭難事故」以来をさすのであろう。
 ここまで重大な状態になっていながら、市長は駐日トルコ大使及び在日トルコ商工会議所に、

 「柏崎トルコ文化村を運営してみたいなら、
     一般の民間企業と同じく公募に参加しろ」

との内容の書簡を渡し、さらには現地視察に来たトルコ大使館の一等書記官、在日トルコ商工会議所会頭にも市長(せめて部長級でも)は同行せず、民間人と1名の担当者任せ。
 つまり、一国と国内の営利目的の企業を同じスタートラインに立たせてしまったのである。

 トルコ共和国との関係が整理してあるのであれば、市の財産整理として、公募に違和感は無かったが、トルコ共和国からのオファーがあったことを知ったいま、トルコ共和国に対する礼儀として、公募に待ったをかけるべきと思うに至った。

DSC01244 さらには、公募にかけた柏崎トルコ文化村のなかには、トルコ政府から、「友好の証し」として送られた国父ケマル・アタテュルクの像がある。これが最大の問題ではないかと思う。
*高さ5m、重さ8トン。台座のプレートには「国に平和を 世界に平和を」と記載。
 譲渡条件にはこうある。

 「施設内のアタチュルク銅像
  (トルコ共和国から寄贈されたもの)
  についての利用計画がありましたら、
      別紙様式3に記述してください。」

 もし、公募にトルコ共和国の宿敵である中国やロシアの関係したテーマパークが応募してきて、売却したらどうなるのであろうか。それこそ115年前からの友好を失い、今後の国家戦略にとっても重要な親日国を失うことなる。
 今年1月9日から13日までの小泉総理のトルコ訪問は、115年のなかで現職として総理二人目の訪問であること以上に、日本がトルコ共和国を重視している証拠である。

 柏崎市としては、アタチュルク像は旧・トルコ文化村に対して贈られたものであるから、関係ないという言い訳をするかも知れない。しかし、日本・トルコ協会の名誉総裁である三笠宮寛仁親王殿下やトルコ共和国のカフラマン文化大臣も友好のため、現地に訪れていることを大きく捉えれば、そんなことは言えないばかりか、今回のトルコ共和国との一悶着が一自治体の問題ではなく、国益に関わるような問題ではないかと思うのである。
 歴史を知らぬことの罪は大きい

F1000004 19時からトルコ文化村やまちづくり関係での来客2件。
 23時、ホタテとオーストラリア牛の切り落としで作ったハヤシライスで夕食。
 食後はひたすら事務仕事。
 

2006年3月23日 (木)

議会最終日、原爆と原発

 3時起床、今週忙しくてみる暇がなかった新聞や雑誌を読みまくり、気になった記事をスクラップ。

 8時、干し納豆と昆布の佃煮を具にしたおにぎり2個で朝食。その後、シャワーを浴びて市役所に行き、今日の本会議での態度決定の打ち合わせ。
 本心では今回の予算案には、【反対】の態度を示したかったのであるが、会派として【賛成】となった以上はなかなか動けない。ただ、全会一致での予算案の可決は本来は民主主義の在り方ではないと思う。

DSC01228 10時から今議会、最後の本会議。一般会計は全会一致で可決となったが、所属会派をはじめ、他の会派からも賛成討論ながらも中身はほぼ反対討論というものであり、予算をここで否決してしまうことによる柏崎市のこれ以上の停滞を気にした格好となった。
 討論を行う際、正面の壇上に行くが、その際、議長の方向に向かって頭を下げる。これは議長に頭を下げているのではなく、本来であれば議長の後ろに掲げあげられているであろう【国旗】と【市旗】に頭を下げるはずである。イデオロギーの問題ではなく、ケジメとして、議場に【国旗】と【市旗】を掲揚すべきであり、今後も他の議員に訴えていこうと思う。

DSC01230 12時過ぎ、一度、自宅に戻り、来客。昼食を食べる時間が無くなってしまったところ、妹がケンタッキーの「ツイスター 388円」を買ってきたので、1本をもらう。

 13時から会議再開。今回、社民党系会派「社会クラブ」から、青森の六ヶ所村ではじめるアクティブ試験の反対への議員発案があった。
bb これは、六ヶ所村ではじまった、実際に使用済みの核燃料を使っての総合的な処理試験であるアクティブ試験に反対するというもの。アクティブ試験自体は、資源の乏しい我が国が選択した、原子燃料サイクルには必要不可欠なものである。
 意見書の主張としては、この試験を行うことで、長崎型原爆に使える危険なプルトニウムがでてきて、NPT上も国際的信用の立場からも、被爆国として問題になるので、即、中止せよ、というもの。「社会クラブ」が提出したものの、他にも「共産党柏崎市議団」、「柏崎のみらい」が会派として賛同していた。
 発電所からでるプルトニウムが、すべて原爆の材料になり、そのことが日本の核武装につながる、といった市民を錯覚させるような文章であった。
 まずこの点を提出者に質問した。

「提出者もご存じのように、
 
プルトニウム型の原爆、
 長崎に落とされたファット・マンですが、
 使われているプルトニウム(Pu)は、
 Pu239が主なものです。
 この意見書で書かれているPuというのは
 Pu239のみを指すのですか?
 それとも文章全体のなかで、Puという
 言葉がさす核種は文脈によって変わっていますか」

 この質問に対する提出者の答えは、

 「PuはPu239です。」

であった。これはもう暴論としかとれないので、反対討論に立った。

 「議員発案第5号に反対の立場で討論します。
  そもそも原爆、世界の核兵器に使われるのは
  Pu239です。
  しかし、原子力発電所からでる、
  一般にPuと言われているのは、
  発熱量の多いPu238、Pu239、Pu240、
  
Pu241などが混ざって存在します。
  特にPu241は自分で中性子をだしますから、
  核兵器など作るときにはやっかいな核種です。
  発電所からでるPuのうち、20%近くはPu240。
  ちなみに、現在の軽水炉のなか
  でもPu239は燃えております。
  Pu240が18%以上含まれるものを【原子炉級】、
  7%以下が【兵器級】であり、
  今回アクティブ試験で扱うのは【原子炉級】。
  しかも、ウランと混ぜたかたちで取り出します。
  原爆にするならPu239が多くあり、
  かつPu240などが少ないようにしなければ
  なりませんから、
ss イメージで言いますと、
一夜干しスルメを焼くように、
サッとあぶる程度に核反応をさせ、
時間でいえば数ヶ月で引き上げます。
 これによって、Pu240を少なし、

多くのPu239が取り出せます。
is それに対して、原子力発電所は
年オーダーで、石焼き芋を焼くように
じっくりと反応させますので、先に述べた
ようなPuが含まれたものになります。

  ですから、原子力発電所の使用済み燃料と兵器用
  のPu生産炉で作るPuは、それぞれを構成するPu
  の種類の量が違いますし、意見書内のPu
という言葉
  の使い方も間違っており、暴論としかいえません。
  ちなみに、核武装したい国がIAEAの査察を拒否するのは、
  Pu239の核兵器転用の設備が従来の発電設備
  と違うのが明確であるからであります。
  市民に誤解を与えるような暴論であり、その点だけをとって
  みても十分に反対理由となります。
  以上を反対討論とします。」

 お約束なのか、反原子力を掲げる各会派からは、

 「原爆につながるんだよ、分かんねーのか!」
 「そんな事、オメーより俺たちの方が知ってるんだっ!
  わざわざ教えなくてもいーんだよっ!」

とのありがたい?野次を頂戴した。そもそも本当にこの違いが分かっているのなら、逆に市民が誤解するかのような意見書を提出すること自体が、欺瞞行為であろう。これだけの野次であるから、賛成討論で盛り上がるかと思いきや、続いての東京電力の組合出身議員による反対討論で、討論が終わった。
 結果は、賛成少数で否決であった。
 終了後、意見書に賛成した議員から、

 「いやー良い反対討論だった。
  それに比べ、最初の反対討論はよぉー」

との野次も頂戴した。そんな事を終わってから言うのであれば、討論の場で賛成討論をし、私にキッチリ反論すれば良いのではないか、と思うのである。

F1000002 議会終了後、雑用をすませてから、18時30分、商工会議所にて、柏崎準倫理法人会の会議。
 4月4日に行う、イブニング・セミナーに関する準備や周知方法、そして6月20日に行う倫理経営講演会の企画内容の確認である。

F1000001 一緒に弁当を食べる会議なので、「十穀米弁当」を頂く。この「十穀米弁当」は、うるち米、麦芽押米、もちきび、もちあわ、黒豆、緑豆、小豆、黒米、黒ごま、アマランサスで構成されており、ゆっくり噛んで食べると味わい深い。

 21時過ぎに会議が終了し、1回自宅に戻ったところで、懇親会に2次会から参加。某店に歩いて移動する。

2006年3月22日 (水)

トルコ:エルトゥールル号とそのお礼

 徹夜明け、6時前にシーユース雷音へ。柏崎準倫理法人会の経営者モーニングセミナーに出席できないので、挨拶と来週のセミナーに必要な物を渡す。

F1000001 7時から某町内の方と陳情の現場で待ち合わせ。要望をお聞きする。
 ある程度の話の方向が見えた段階で、一度、自宅に戻り、着替えと朝食。冷やご飯を電子レンジを温め、小粒納豆2パックをかけて、一気にかっ込む。ネギを入れるのすら、忘れてしまった。

F1000002 9時、市役所の会派室に行き、会派会議。明日の議会最終日での各種採決についての意見調整など。
 10時から、第4次総合計画意見拝聴会。
 とにかく計算上人口は減ることになる中の10年を見越した計画である。計画の名称から「発展」が消えたことも分かるように時代の変化を反映するかのような内容で、多くの議員から「守りの計画」であり、「市民に元気はでない」との意見が相次いだ。
 私としては、次の2点を指摘させてもらった。

 ・経済フレームのなかで、工業などを重点的に書かれているが、
  商業面でもある程度の書くべきである。例えば、三条市が
  商工会議所とともに進めているような、「地元で購買」「地元
  へ発注」が、まわりまわって、結果的に自分の暮らしを
  良くすることにつながる、という啓蒙活動こそ、中期計画
  のなかで10年間の戦略をあげ、前半5年間の戦術たる
  事務事業を掲げるべきではないか。
  つまり、金を柏崎のなかで回すという設計をもつべきである。

 ・重点項目のなかで、医療問題、雇用の場、世界都市など
 掲げられているが、つまるところ人材である。人材については
 別の章立てをし、柏崎市として育てるべき人材、いや人財を
 「地元・柏崎を愛する教育」をコアとしたマトリクスを作り、
 どの分野に向けた独自の教育・事務事業をやるのか落とし
 込みをしてみてはどうか。

 12時、荒城議員と市役所前の「チャイナハウス 日囍」(電話:0257-24-7219)にて昼食。「タンタンメン 650円」にラー油をたっぷり入れ、その辛みと胡麻のコクを楽しむ。

 午後になってから防災計画の説明。特に細かい指摘事項はなかったが、 地域防災組織と町内会組織、そしてコミニティ単位の組織の指揮命令系統だけは不安である。

 15時から男女同権参画条例の是非についての担当課、担当部長との意見交換会。
 何かを組織する場合に女性の比率を一定にするクォーター制度とそもそも条例を制定する必要があるのか、という2点で質問をした。市民に意見を求める審議会や委員会などは、女性と男性の比率が同じであるべきと思うので違和感はないが、本来、実力を伴うはずの市役所内管理職などへの女性登用比率を上げていく、というのは、実は女性差別ではないかと思うのである。まずは正当な業務評定のシステムを作り、実力で登用か否かを決めるべきであろう。いまの市役所内に女性の管理職は少ないというが、いまその段階にいる世代は、入庁した際にも男女の比率のアンバランスがあったであろうし、女性のなかでもその多くは保育関係の業務を選択している。それらを一緒に女性の数としてカウントしているので、ここで市役所庁内の女性管理職をクォーター制度によって一定の割合登用するというのは、本末転倒ではないのかな、と思うのである。
 また、普段は反対陣営になる会派からも、今も、今までもなんとなく男女がうまく役割分担し生活している家庭もあるのに、わざわざ行政として条例を定める必要があるのか、といった私と同じ意見もあれば、仕事が終わって家に帰ったとき、

 「ほら、オトーサンこれやって」

と男の仕事として決めつけられるものが多く、社会的な男女差がなくし、生活を営むのは幻想ではないか、との現実的な意見もあった。そこで、いきすぎた男女同質論で仕事を決めてしまうと、残る性的な差がある職業は

 男はオカマ女はオナベしかない」

と意見したところ、会議室内は爆笑となった。
 今回は意見交換だけであったが、今年中の条例の制定をするとのことで、今後も議論に積極的に参加していきたい。

F1000003 16時に一度、自宅に戻ったところ、母と妹がケーキを食べており、普段は食べないが、ミルフィーユを食べる。基本的に、甘い物は苦手であるが、歯ごたえの良いパリパリからクリームがでてくるようなミルフィーユは味が美味しいというよりも、食感が楽しく、好みである。

DSC01225 来客があり、相談業務。
 21時過ぎ、茨城の地鶏をクレイジーソルトで焼いたもの、ワンタンと白髪ネギのスープ、豆腐と納豆をグチャグチャと混ぜて揚げた納豆腐揚げ、海草マヨネーズサラダで夕食。

 23時過ぎ、就寝。

meiji 明治22年(1889年)7月、トルコ(当時オスマン帝国)の「軍艦 エルトゥールル」は、明治10年(1877年)の皇族小松宮夫妻のイスタンブル訪問の応礼として、イスタンブルから日本へ向けて出発した。
 11ヶ月をかけ翌年の明治23年(1890年)6月、日本に到着。横浜港に入港し、司令官オスマン・パシャを特使とする一行は、6月13日に皇帝親書を明治天皇に奉呈し、オスマン帝国最初の親善訪日使節団として歓迎を受けた。
 9月、乗員の体調不良(コレラ)や艦の破損をおして、無理に「軍艦 エルトゥールル」は出港。日本への停泊が長くなることは、オスマン帝国の海軍の弱さを見せてしまうからであると、無理に無理を重ね出港したのである。
 そして、帰路についた明治23年(1890年)9月16日未明、台風による強風にあおられ、和歌山県樫野崎灯台沖、熊野灘に連なる岩礁に激突し、座礁。機関部に浸水し、爆発、 「軍艦 エルトゥールル」は沈没した。
 この沈没の報をうけた串本町(当時は大島村)の住民は総出で救助と生存者の介抱にあたる。軍艦が沈没するほどの台風であり、漁にでることもできず住民自身の食料も少なかったものの、備蓄分の食糧を提供し、献身的に生存者を介抱した。
 この結果、司令官オスマン・パシャをはじめとする581名が死亡するも、69名の命を救うことができたのである。
 明治天皇は、この事故の話を聞きつけるや心を痛め、可能な限りの援助を行うよう政府に指示。医師と看護士を現地に派遣し、治療をすすめた。
1stkongou  生存者がある程度回復した明治23年(1890年)10月11日、大日本帝国海軍にも指示し、「(初代)巡洋艦 比叡」「(初代)巡洋艦 金剛」(両艦は同型艦)の2隻に生存者を乗せ、無事トルコ(当時オスマン帝国)へと送り届けた。トルコ本国では、日本人の献身的な行為に対し、国民あげて感謝をした。
 この「軍艦 エルトゥールル」の遭難事件が、トルコ人が親日的になったことの起点になったと言われる。そして、この事が小国でありトルコ人を助けた日本が、共通の敵である軍事大国ロシアを撃破した日露戦争への歓喜の声につながるのである。

 ときは変わって、遭難事故から100年ほど経過した1985年、イラン・イラク戦争が激化。
 イラクのフセイン大統領は、イランの首都テヘランの空爆を開始。さらに48時間後からイラン領空上を飛行する航空機を民間、軍関係なく、無差別に撃墜すると宣言。各国の対応は早く、テヘラン空港には各国の特別機が集まり、自国民の救出にあたっていた。それに対し、日本政府の対応は遅れに遅れた。現地に残された日本人は215人。そしてタイムリミットまであと10時間。もはや万事休すかと思われたそのとき、テヘラン空港に2機の特別機が到着した。日本人救出のため、トルコ政府が派遣したトルコ航空機であった。残された日本人すべてを救出し、テヘラン空港を飛び立ったのはタイムリミットの1時間15分前。このときトルコ政府の外交筋は、この尽力の理由について聞かれた際、こう答えたという。

 「エルトゥールル号のお返しです」

 駐日トルコ大使ネジャッティ・ウトカン氏もこう答えている。

 「エルトゥールル号の事故に際して、
  日本人がなしてくださった献身的な救助活動を、
  今もトルコの人たちは忘れていません。
  私も小学生の頃、歴史教科書で学びました。
  トルコでは子どもたちでさえ、
  エルトゥールル号の事を知っています。
  今の日本人が知らないだけです。
  それで、テヘランで困っている日本人を助けようと、
  トルコ航空機が飛んだのです」

 現在、和歌山県串本町の樫野崎灯台近くに、「エルトゥールル号遭難慰霊碑」と「トルコ記念館」が建っている。そして、在日本トルコ大使館と串本町の共催によって、100年経ったいまでも慰霊祭が5年おきに行われている。

2006年3月21日 (火)

日章旗と旭日旗

 ほぼ徹夜状態で、ブログを書いたり、書類の整理をする。

F1000001 7時、小粒納豆、ベビーほたての味噌汁、安売りになっていた刺身の盛り合わせのパックを中心にした朝食。朝から刺身を食べるのも悪くない。ただ、昨日の閉店間際にかった半額の刺身パックであるため、鮮度は悪い・・・。食後2時間ほど仮眠。

 10時前、風呂に『ゴルゴ13』など数冊の漫画を持って1時間ほど入る。そういえば、麻生太郎外相も『ゴルゴ13』がお好きななようだが、ご本人はモントリオール・オリンピックに射撃で出場しているほどであるから、リアルな違った意味で『ゴルゴ13』を楽しまれているのだろう。ふやけ気味で風呂からあがって、インド訪問団へのお誘いの電話をかけまくる。

F1000002 13時過ぎから、めかぶ納豆ご飯、海草のマヨネーズ和えなどで昼食をとりながら、「ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)」の決勝戦、「日本対キューバ」を見る。食後は姪っ子を抱っこしながらの観戦。
 日頃はプロ野球など見ることはなく、スポーツ観戦はもっぱら格闘技かアメリカンフットボールであるが、国のプライドがぶつかる試合は必ず見るようにしている。
flag 「初めて日の丸を背負っての闘い、重みを感じている」というイチローの今大会にかける意気込みは誠に素晴らしい。しかも、「JAPAN」の文字に日の丸がついた今大会の帽子を、先にアメリカに送ってもらっていたという逸話にも心動かされる。
 日本国内はもとよりイチローと同じく、メジャーリーグで活躍する日本人選手で声がかかっても出場しなかった選手は、今回のことで大きく「男を下げた」と思う。
 試合はスリリングに進み、結果、日本は10―6でキューバを破り、初代王者に輝いた。

 マウンドに飾られた日の丸。そして監督、コーチ、選手が球場を一周する際に持っていた大きな日の丸を見て、シンプルで力強く、美しいデザインの旗であると再認識する。まさにサンライズ、「日出づる国」の象徴である。
 イチローは勝利のインタビューにこうコメントした。

 「最高です。信じられない。ありがとう!
  正直言って、こんなところに来られるとは具体的に
  イメージしてなかった。みんなすごい。
  本当にいいチームです。
  ダメ押しのタイムリー? まぁまぁ、それはいいですよ。
  たくさんの人が見てくれてると聞いていたし、
  日本の人も(球場に)たくさん来てくれて、力をもらいました。
  たくさんの人に野球がこんなにすばらしいと分かって
  もらえてうれしいです」

 確かに日の丸をもって、球場にまで行っている方の応援も凄く、優勝後、場内のスタンドを一周するかのようにテレビで映していたが、多くの人が腕がちぎれんばかりに日の丸を振っていた。
 ただ中に、何と旭日旗を振っている人がいた・・・・。

kyoku 旭日旗(正式には十六条旭日旗)は、明治7年(1874年)に日比谷操練場で日本帝国陸軍近衛第一・第二各連隊に天皇から連隊旗として授けられたのが最初である。その後、明治22年(1889年)10月7日に「海軍旗章条例」で、日本帝国海軍所属軍艦の艦尾に掲げる「軍艦旗」とされた。
 しかし、ポツダム宣言を受諾し、敗戦を迎えた昭和20年、武装解除のため、日本帝国海軍が解体、軍艦旗である旭日旗は消滅する。
 その後、朝鮮半島の情勢をうけ、海上警備隊が創設されることに伴い、サンフランシスコ講和条約が発効となった(GHQによる占領が終わった)昭和27年(1952年)、旭日旗とは違った警備隊旗が制定される。
 しかし、昭和29年(1954年)6月に自衛隊法施行令(昭和29年政令第179号)に伴い、旧日本帝国海軍と同じ規格の自衛艦旗として、旭日旗が制定されたのである。現在では正式な海上自衛隊の自衛艦旗となっている。
 よく映画などで軍艦が戦闘状態にあるとき、メインマストに旗が掲げられているのを見るが、武力行使(訓練も同様)時には、艦尾の軍艦旗を降ろし、メインマストのトップに軍艦旗を掲揚するのが戦闘旗(battle ensign)のルール。もし、その艦が沈没する事態になったときには降ろされる。
 旭日旗を振っていた人がどういった気持ちで振っていたのか、聞いてみたいところである。

F1000002  18時、祖母の痴呆がだいぶ進んだので、午後は色々と大変であったので、家族で外食に出かけることになった。「とみ家」(電話:0257-23-8300)に行き、生ビール2杯と「ジャンボえびフライ定食 1400円」。

 20時近くに自宅に戻り、酔い覚ましに風呂に入ってから事務仕事。

2006年3月20日 (月)

総務常任委員会、東郷ビール

 7時に起床し、シャワーを浴びて、身支度。チェックアウトしたのち、ホテル近くの吉野家で「特朝定食 490円」を食べる。食後そのまま車に乗り、一路、柏崎まで戻る。

DSC01223  10時に市役所に行き、総務常任委員会に出席。
 ミニ新幹線に変わる鉄道高速化を会田市長は打ち出していたが、今回の予算のなかに積極的な予算は計上されていない。新潟県での県縦断高速鉄道網の調査結果を待つという総合企画部長の答弁に多少の紛糾。JRもその気にさせて、地域活性化としての鉄道を考えるなら、ゼロベース予算とはいえ、観光企画電車など検討しても良かったのではないかと思う。
 会派のなかなら、ITに関することを分かりやすく質問して、周りの議員に啓蒙することも必要との意見もあったので、winnyやソフトのライセンス問題をあえて取り上げて質問。

 市役所職員の適正化計画の説明もあり、平成17年5月1日の合併後の人数1117人を、平成22年4月1日には1028人にもっていきたいとのことであった。柏崎市役所は、平成20年、平成21年に団塊の世代が大量に退職する。

 16時過ぎ、自宅に戻り、土日に届いたFAXや書類の整理。

F1000006 18時、スーパーで安売りになっていたオーストラリア・ビーフのステーキを家族分焼く。包丁で筋切りをしたのち、両面にコーヒー用のクリームを塗って、しばし放置。フライパンにヘットを落とし、スライスした大蒜で香りをだしたところで肉を投入。強火で両面を固めたあと、日本酒を入れて、火をつけてアルコールを飛ばしてから蓋をし、弱火で数分。安い牛肉で柔らかいステーキを焼く工夫である。
 食後、やたらと眠くなり、23時まで仮眠。

_1  先日、日露戦争とトルコについて書いたが、日露戦争に関係したところでは東郷平八郎のビールが海外にある。
 フィンランドにあったビールで今はオランダで販売されている「AMIRAALI」(アミラーリ、提督)という名のビールがあり、そのラベルに東郷平八郎の肖像が描かれている。
 日本人では東郷平八郎の他に山本五十六のみで、トラファルガー海戦などで有名なネルソン提督もラベルとなっている。
 日本国内で東郷平八郎、山本五十六、ネルソンの遺髪に同時に接することができるのが、江田島の旧海軍兵学校だけである。
 ちなみに、山本五十六は大東亜戦争だけはなく、日露戦争における日本海海戦にも参加しており、「巡洋艦 日進」の砲筒内で砲弾が爆発、その破片で左手の指二本と右足の肉20cmが削ぎ取られた。昭和11年、軍人傷痍記章が制定され、山本五十六はその第一号を授与されている。

*写真は、「AMIRAALI」東郷ビールと昨年日本で限定販売された「日本海海戦勝利100周年」ビール

2006年3月19日 (日)

はじめての大衆演劇

 一度、ホテルに戻ったのが2時過ぎ。再度、新潟市在住のある方から電話をもらい、朝6時まで新潟駅周辺での「飲み飲み」となった。

 フラフラと歩きながら、結局、ホテルに戻ったのが6時。
F1000003 11時過ぎまで眠り、12時から新潟駅南口から歩いてすぐの「ピッツェリア」(025-290-5080)で、新潟市内在中のK先輩とランチ。
 K先輩は、高校の先輩でもあり、会社員時代も同じ職場で仕事をしたこともある。私が退社した翌年に退社され、現在は福祉関係の専門学校に通われ、福祉の仕事を天職としてやっていかれるとのことであった。
F1000004 自分がやりたいことが人のためになるという天職を見つけられて、イキイキとしていた。
 色々なお話を聞きながら、料理を食べるも、二日酔い明けで胃が重い。もちろん、酒はなし。ライムソーダをストローでチューチュー吸う。
 「タコのカルパッチョ」は、目の前で熱したオリーブをかけてくれて、見た目にも美味しいが、海苔の風味は合わないような感じであった。
F1000005 「チーズ・フォンデュ」も注文したものの、30過ぎの男二人でワインも飲まず、一緒に鍋を突いているのは何とも寂しい光景である。
 ピザは、ミックスを注文。薄い皮タイプだったので、サクサクと3ピースほど食べる。
 店をでた後、ソフトクリームを食べたり、喫茶店でカフェオレを飲んだりし、男としては珍しい長話。結局、K先輩にすべておごってもらってしまった。

 新潟駅の地下にある本屋に立ち寄り、前から読んでみたかった本を購入し、ホテルの部屋に戻る。寝っ転がって本を読んでいるうちにウトウト。

DSC01217_t 17時過ぎ、シャワーを浴び、身支度。新潟駅前から古町まで歩く。雪がチラつき、とにかく寒い。
 18時から新潟古町演芸場にて、「還暦を祝う会」。新潟のため、日本のため、東奔西走されている方だけにこれからも頑張ってほしいと思う。お祝いとして、細川たかし氏より、コブシの効いたメッセージも届いていた。
DSC01218_t 「仕出し割烹 秋やま」(電話:025-222-7814)の仕出し弁当をつまみ、ビールを注ぎつ注がれつつしながら、大衆演劇を見る。これまで宝塚をはじめ、色々な舞台を見てきたが、実は大衆演劇ははじめてである。
 「劇団あげは」による舞台。妖艶な踊りと切れある立ち回り、そして随所でみせる「キメ」のポーズに、「ざちょーーーー」の合いの手。
DSC01222_t 役者が寄ってきたときに、おひねりを投げたり、ご祝儀を胸に入れたり、なかなか面白い。
 また、テレビにもよく出演されている舞台俳優の大門伍朗氏も特別出演され、ハゲ頭を生かした?舞台に大笑いさせてもらった。それ以上に、観客とこれだけ近い位置で楽しませる技術に驚いた。
 人のお祝いにきたのに、すっかり自分も楽しんでしまった・・・・・。

 21時過ぎ、ホテルに一回戻り、その後、新潟駅前で某氏と待ち合わせ。某店で酒を飲みながらの懇談。23時過ぎにホテルに戻る。
 仕事の資料などもってこなかったので、気分的に追われることなく、いつもとは違った充実の一日であった。

2006年3月18日 (土)

第50回自民党青年部大会、天皇不要論

 5時起床。議会資料の整理や討論のための資料を作成する。

 9時、来客。夏に行うイベントやその他のご相談であった。来年の春が統一地方選であり、今年は選挙活動もしなければならないので、すべての自分の時間をお手伝いとして提供することはできないと本音でお伝えさせてもらった。

DSC01200_t  12時、近所の「うれっ子」(電話:0257-22-4648)の「チューシューつけめん」大盛りを出前でとる。このお店は普通盛りでも麺の量が多いが、大盛りだとかなり量が多いので、甥っ子、祖母と分けて食べる。
 甥っ子は麺類が好きなようで、つゆも付けずに両手で麺を掴んで食べる。

 急いで身支度をし、愛車にて新潟市に向かう。
DSC01201 15時から新潟東映ホテルで第50回自由民主党新潟県支部連合会青年部定期大会。
 30分前に会場入りし、各机に4月8日に行う田形先生の講演会の案内ビラを配布させてもらった。
DSC01203 定期大会は国歌斉唱のあと、稲葉大和県連会長(衆議院議員)、尾身孝昭県連組織委員長(県議会議員)からの来賓祝辞。活動方針や役員の改選ののち、滞りなく終了した。
 定期大会終了後、尾身孝昭県議に直接、4月8日の講演会の趣旨をご説明したところ、快く、協力の旨のお言葉を頂戴し、当日、地元である十日町市から数名連れてお越し頂けることになった。

 しばしの休憩の後、第1部の講演。
 破竹の勢いである、NSG(新潟総合学院専門学校)専門学校グループの川崎常務理事をお迎えして、「子供たちに明るい未来を!夢をカタチにする専門学校教育について」と題した講演をして頂く。
 大まかな内容は以下の通り。


DSC01205<自己紹介>
 昭和34年、横浜生まれ。父は貿易事業で中国、燕市での商取引をしていたものの、事業に失敗。新潟に移り住む。いじめも体験したが、多くの親友に恵まれた。一回、大学に入るも、親に恩返しがしたく中退する。専門学校に入り、税理士となる。この経験が専門学校への熱い思いになった。夜間学校、通信教育も含め、勉学に励み、現在は50以上の資格を保有。教育を職に人材育成したいという思いが生まれた。また、それを第2の故郷新潟で実践したかった。
<教育理念>
 青臭いようだが、昔のドラマ『教師びんびん物語』の「教育とは愛だ」が理想。
 辞書で「教育」を引くと、「ある人間を望ましい姿に変化させるために、心身に渡って意図的計画的に働きかけることであり・・・・その人の能力を伸ばそうとする行為」とあった。望ましい姿をはじめ、教育を中期的ビジョンの視点から見た場合には、国家に在り方にかかわる。車でいえば、ハンドルである。子供の世論が将来の国家を作る。つまり、教育が国家を形成する。
<現在の教育>
 日本の戦後の教育は、詰め込み教育からゆとり教育、そしてまた見直している状況。
 現在、NSGは県内23校を運営し、生徒は9000名。卒業生は4万人を超え、ほとんどは地場産業のなかで活躍している。先日も新潟市内18校の合同卒業式3000名を実施し、 自信と笑顔ある卒業式にできたと自負している。卒業式をみると新潟に貢献しているなと実感する。地場産業の活性化こそNSGの使命とも思う。
 新潟県は高校卒業をすればそのまま職がある時代が長く続いたため、高等教育はなかなか受けることができず、人材が東京や関東圏に流出させてしまった。この流れを変えたい。
 NSGでの就職率は97%。ちなみにトリノ冬季オリンピックでスノーボード7位に藤森由香選手は当グループ校の1年生。
 新潟は漫画王国でもあり、プロの漫画家は30名もいる。
 現在のグループ校は23校

 新潟ビジネス専門学校 NBC、国際メディカル専門学校 ICM
 国際ホテル・ブライタル専門学校 wish
 新潟公務員法律専門学校 NCOOL、国際福祉医療カレッジ WM
 国際自動車工科専門学校 GIA
 新潟会計ビジネス専門学校 NABI
 国際エア・リゾート専門学校 AIR
 日本アニメ・マンガ専門学校 JAM
 新潟コンピュータ専門学校 NCC
 国際音楽エンタテイメント専門学校 SHOW!
 全日本ウィンタースポーツ専門学校 JWSC
 新潟デザイン専門学校 NCAD
 国際ビューティモード専門学校 BM
 JAPANサッカーカレッジ CUPS、新潟工科専門学校 NIT
 国際ペットワールド専門学校 WaN
 アップルスポーツカレッジ ASC
 長岡情報ビジネス専門学校 NJC
 国際アウトドア専門学校 I-nac
 インターナショナル留学カレッジ ciao
 国際トータルファッション専門学校 NITF
 国際調理製菓専門学校 Food

 高等専門教育を通して、新潟を元気するのが企業理念。
 新潟県内の進路別進学率で、大学進学は昨年統計で、

 全国平均47.3%に対し、新潟県は40.3%

 専門学校へ行く人は、

 全国平均19.2%に対し、
  新潟県は28.1%で11年連続全国1位

 これは中央に行かずとも、新潟県内で高等教育をうけ、就職ができることを裏付けている。
 最近は、大学、短大を卒業した、もしくは1回社会でた方も多く専門学校に入学している。
 また、長野県を中心に近県からの入学者も多い。新潟県以外から入学しても、卒業後はできるだけ新潟県の企業に就職できるよう指導している。
 教育を行ううえで、何を大切にするのかは、資格取得数ではない。
 資格は人のためになりたい、幸せにしたいという場合のバックグランドでしかない。
 夢は憧れであり、高い理想。実現できない場合もあるが、それに向かって努力することがいかに大切なのかを知ることが重要である。つまり、夢に向かってわくわくどきどきをもってもらう。出会った教師によって、たった一つの貴重な夢に向かってチャレンジできる場合もある。教師とは何か、と言われれば、若者の将来に対する可能性を広げることができる人間だと思う。
 若者に常に夢見る人間であるように願っている。そのため、高い理想を揚げ、若者が夢に満ちあふれる学校にした。夢を与えつづける、これが教育の根幹かと思う。
 夢を実現するために絆が生まれる。
 若者の成長は体験量で決まる。
 体を通して覚えていく、基本的にはデジタルではなく実体験をしてもらっている。
 特にコミニケーション。コミニケーションは人間社会で一番大事なものであり、相手の心にこちらの言葉が染みいったかどうかが重要。
 当初は反発が多かったが、どのジャンルにおいても、パソコンと英会話は早くから取り入れている。
 これからも学生にとって良いと思われることは、偏見なく取り込んでいきたい。
 企業からはNSGのOBを採用して良かったと言われるのが何よりも嬉しいこと。
 教師への教育も1500名いるが、しっかりやっており、5つの誓いを復唱している。

  ・自らの研鑽に励みます。
  ・健康の維持に心がけます
  ・気遣いの心を育てます
  ・環境の整備に気を配ります
  ・自ら顧みることを忘れません。

 毎日をきっちり顧みて、やっと明日が始まる。この理念で経営をしている。
 「私たちが明るい未来の道しるべになります」これが目的。
 明るい未来があるんだということを、小中高校生に見せてみたい。
<今後の方針>
 先日、大阪のザ・リッツ・カールトン大阪に宿泊したが、ホテル従業員は 「川崎様・・・」と言葉をかけ、冷蔵庫のなかには好物のアイスティーが置いてあった。食事のときもいきなり好物の白ワインから入った。こういった、一人一人を観る点でのサービスは、ホテル業も教育業も同じであった。色々な業種から学んでいきたい。
 また、沖縄を抜いた島としては、日本最大の島・佐渡島に高等教育機関をつくり、佐渡の活性化をしたいと思っている。
 国際音楽エンターテイメント専門学校(SHOW!)では、教師が学生にむけて作ったDVDがあり、曲は学生が作詞、作曲し、プロデビューを目指している。こんな活動も夢あるものとして進んで行っている。


 質疑応答の時間となってので、以下のような質問をした。

 「NSGグループさんの多様な事業展開と専門性には
 驚くばかりです。先日、杉並区のアニメ請負会社を
 視察すべく、
問い合わせをしたところ、新潟出身の方
 もいるとのことでした。専門性ある勉強をしても
 新潟県内にその職場が無い場合もでてくると思います。
 であれば、いっそのこと、これだけの専門家が揃うの
 ですから、OBで起業するなり、映画やアニメの製作
 など横断的なプロジェクトを行うなど、複合的な
 取り組みなどはいかがでしょうか。」

 さすがNSGグループさんで、今春から事業創造大学院大学を開校され、起業家を育てるとのことであった。

 しばしの休憩ののち、第2部講演。自民党青年局広報部長である中山泰秀衆議院議員から「こころで、世の中の音を観る」というご講演。
 大まかな内容は以下の通りである。


_1<自己紹介>
 高校時代、フランスに3年間留学、電通に入社。33歳で衆議院議員となり、現在2期目。
 大阪出身。大阪は一番、自民党が弱いところ。25歳のとき、自民党が野党となっている時代に出馬。新進党が政権をとっており、共産党、新進党、自民党、民主党の4候補で戦い43143票をとるも落選。8年間で3回の落選。
 父は中山正暉で、地方議員をあわせて自民党で40年間活動してきた。衆議院議員の中山太郎は叔父。祖父は、元参議院議員で弁護士の中山福蔵。祖母は元衆議院議員で初の女性閣僚(厚生大臣)となった中山マサ。
 作家では山本七平が好きであり、彼の近代日本の15年周期説とでもいうべき歴史解釈

 1 文化(反省)の時代
 2 紛争(戦争・革命)の時代
 3 政治(改革)の時代(伝統見直し)
 4 経済(発展)の時代

を考えると、まさにその通りになっている。
<皇室典範>
 自民党内閣部会に所属しているが、皇室典範改悪には反対であった。役員の勉強会では大喧嘩。喧嘩を止めるため、「今日は内閣府の意志を確認し、私見を交えないで」との前提をくり返し、この皇室典範改正は何年ぐらいを想定しているのか、と内閣府に問うたところ、40年後を想定していると答え、喧嘩が収まった。
<国家観>
 
国旗、国歌は重要。スポーツで日本の多くの若者は、日の丸を降ってくれているが、近現代史を知らずに、瞬間湯沸かし器のように愛国心として盛り上がることは危険であり、戦争に進む場合もある。
 近現代史を知らないことが一番の問題。日教組の先生が修学旅行で、中国の南京に生徒を連れて行き、中国人に対し土下座させるような教育も問題。
<イデオロギー>
 左翼に騙されないように、保守陣営は心の目で物事を見なければならない。
 尊敬する政治の師匠であるオヤジにきいてみたら、今までの政治生活のなかで一番驚いたことは日中友好条約で台湾を切ったことだと言った。自民党が中国共産党と条約を結んでしまうことに違和感をもったという。5名が日中友好条約に反対をしたが、オヤジはその一人。出席扱いの国会議員が、そのときだけは全員が総立ちになった。それは政治の目が見えなくなったときだった。
 ユダヤ教「コーラン」の多数決論では、「全会一致は無効にする」とある。それが民主主義ではないかと思う。479名の国会議員が同じ方向を向くことが怖く、一人でも反対がいることが民主主義であろう。
 自民党結党は、朝鮮動乱があり、共産化が進んでいるとき、保守の大同団結した。このことを今思い出すべきである。
 日本の政治家にイデオロギーが無くなったと思う。選挙に受かるために政党をコロコロ変える。これが本当の政治なのか。日本でも、いつでも革命が起こると思うのは、そういった点を恐れてのこと。イデオロギーがない政治家は問題。しかも官僚あがりの役人が国会議員となり、立法府に入ってきていることも問題である。国民も早く気づくべき。バッチをつけるだけに出馬している政治家を落とすべき。自分も政党は変えない。イデオロギーをもった政治家としてやっていく。
 GHQ(アメリカ)の占領政策である3R、5D、3S政策を学ぶべき。3Rはアメリカの対日占領政策の基本原則、5Dは重点的施策、3Sは補助政策。

3R
 復讐(Revenge)、改組(Reform)、
 日本の組織組み替え復活(Revive)
5D
 武装解除(Disarmament)
 軍国主義の排除(Demilitalization)
 工業生産力の破壊(Disindustrialization)
 中心勢力の解体(Decentralization)
   財閥解体、警察も国家警察も地方警察とに分解する。
 民主化(Democratization)
   日本の歴史的・民族的な思想や教育を排除
3S
 セックスの解放、スクリーン、精力をスポーツに転ずる

 キリスト教とのイスラム教の戦いを描いたプロパガンダ映画「グレムリン」や、その後のユダヤ教との戦いをするためのプロパガンダ映画「シンドラーのリスト」。キリスト教とのイスラム教の仲の良さでユダヤと戦うための世論操作であった。
 政治に目を向けさせないためのスポーツ振興もある。
 皇室典範改正もなぜ今、このタイミングなのか、これもよく考え、読み取る必要がある。
 また今後の憲法改正については、国民投票問題がある。賛成する人はたいてい投票にはいかないので、このままの国民投票をした場合は反対派が必ず勝つ。つまり、日本が誇るべき天皇制などはどうするのか。日本の転覆がありえる。
 最近は、知る権利を声高らかにいうが、政府が国民に知らせない権利も議論すべき。日本にも永久秘密とするような情報があるはずである。GHQが日本国憲法を作り、日本に与えたことは公然の秘密ながらも、アメリカ内ではいまだ永久秘密事項となっている。
 拉致問題などは一番危険性がある。
 いつの間にか国会図書館から消えた本、1980年刊『帰国事業の20年-新潟県在日朝鮮人帰国協力会の記録』新潟県在日朝鮮人帰国協力会には、黄色いリボンを胸につけて北朝鮮を地上の楽園として活動し、北朝鮮から勲章をもらった人の名前が載っている。実はそのうち2名が現在の「救う会」に入っている。元日本共産党の党員だったものの、除名処分になった人物で、北京派の共産主義者。共産主義にもロシア、中国、日本の3派があり、それは互いに仲が良いわけではない。
 以上のようなことを含め、観善音菩薩のように「こころで、世の中の音を観る」ことができるのが政治家だと私は思う。


 熱い、熱い、話っぷりで、予定時間を大幅にオーバーとなったが、その熱さに刺激され、以下3点の質問をした。

 「日中友好を宣言した1972年生まれで、
  田中角栄元首相の出身地、
  柏崎の市議会議会議員の三井田と申します。
  3点ほど質問をさせて下さい。
  中山先生のお考えになる、
  中国が台湾を飲み込んでしまった場合の
  シーレーンを含めての日本が受ける脅威について
  お聞かせ下さい。
  またその中国ですが、1978年の日中友好条約
  の第一条には内政不干渉が書かれておりますが、
  靖國神社参拝を筆頭に内政干渉を続けております。
  靖國神社に対する先生のお考えをお聞かせ下さい。
  最後に、アジアの大国インドについてです。
  サンフランシスコ講和条約には出席せず、翌年
  単独での講和を日本に申し込んできたように
  親日国であるとともに、核武装国であります。
  このインドとのお付き合いについて、
  どういった
お考えをお持ちでしょうか。」

 回答は以下のようなものであった。


<台湾>
 日本から観た爆薬庫は台湾海峡。北京から太平洋を見てみれば、ベタッーと弓なりにその進路を邪魔しているように位置しているのが日本列島。日本のエネルギー問題を含めて重要だと思っている。
<靖國神社>
 靖國神社への参拝には賛成する立場であるが、東條英機をはじめとする戦争指導者の合祀だけは納得いかない。戦争指導者の責任と一兵士の責任は違う。祖父は対米戦争には反対し、東條英機とは大喧嘩をし、選挙中には特高により邪魔をされた。推薦状(選挙広報葉書)が選挙終了後に自宅に「未着扱い」ですべて返送された。軍国主義の怖さも感じる。また、靖國神社には台湾、朝鮮半島出身者も入っている点も気になる。ただ、一部が進めようとしている無宗教の国立追悼施設はありえない。多宗教であればまだ分かる。
<インド>
 2005年のアメリカのライス長官のインド訪問は中国への牽制であったと思う。中国も最近はインド訪問をし、懐柔策に切り替えてきた。インドも武器の資質は上がっており、軍事的にも重要。インドはイラク戦争に関わっていない。その意味も考える必要がある。インターネットを担っているのはインド。AOLもインドが実体となっている。アメリカの真裏がインドであり、夜昼が逆なので、コンピュータ網の点からも重要。もちろん、経済的に見ても、今後、注視していく必要があると思う。
<その他>
 
自衛隊の根幹通信は独自回線をもっておらず、ドコモの回線を借りている。これも怖いことであり、オウム真理教を潜入例もある。
 拉致問題をはじめ、中国からのスパイの話があり、スパイ防止法の制定が叫ばれることが多い。しかし、アメリカなど日本側に有利な国からの良い情報がほしい場合には困る。むしろ、スパイ天国にしておき、情報を有利に使ったほうが良いのではないか。


DSC01209_t 回答も熱くなり、会場は熱気に包まれたまま講演会が終了した。
 会場を移動し、1時間遅れで懇親会がスタート。
 中山泰秀衆議院議員は飛行機の関係で、乾杯をしたのち空港へ向かった。
 懇親会では他の地区の若い自民党員と、格闘技から歴史認識まで幅広い話題で盛り上がった。
DSC01210_t またNSG関係者にも参加して頂き、今後の人材育成についてなどを、立ったまま、熱く語ってしまい、失礼なことをしてしまった。
 あまり料理を食べる暇はなく、話をしていたため、料理が大量に残り、もったいない限りである。タッパーを持参すれば良かったと反省する。

F1000001 会場をあとにし、新潟市議会の佐藤ケン議員、同じく新潟市議会で民主党山際敦議員、前回の選挙で苦杯をなめた南魚沼市の塩谷氏とで、今年初の意見交換会。
 やきとり、日本酒の専門店「かかし」(025-241-7028)でスタートするも、山際議員と皇室で議論スタートとなった。彼は、「天ちゃん不要論」とまで言い、天皇陛下の存在自体に反対、不要の立場である。
 まずは世界という視点で、外交上の王政について、キング、エンペラーから語り、プリースト・キング論を話したが、その部分から議論は平行線に。戦闘終了と戦争の終結の違い、日本の国体、『終戦の詔書』など順を追って説明した。
 生ビール数杯、焼酎のボトルも空いたところで、佐渡市の自民党、大桃一浩議員も合流し、河岸を変えての再議論。焼酎のボトルも次々と空いていった。
 意見の違い、立場の違いを踏まえての熱い議論は終わらず、深酒となった。

2006年3月17日 (金)

建設企業常任委員会、日露戦争とトルコ

DSC01192_t 3時起床。1時間ほど風呂に入り、8時頃までメールや雑誌整理。

 9時30分過ぎ、市役所に移動し、10時から建設企業常任委員会。
 先日の「賠償金」問題については、冒頭に都市整備部長からの陳謝があり、表記については訂正するという事になったが、引き当て金の不均衡(本庁:5千円、西山町事務所10万円、高柳町事務所30万円)については、そのままでいくという。「間違いを認めていながら、今回の予算はそのままでいいんですか?」と何回ものやりとりだが平行線のまま。

F1000001 12時30分過ぎ、市役所の売店に行くものの、おにぎり等がなく、「カップヌードル・シーフード 130円」と長岡から一週間に一度来ているパン屋さんで、「チャパタサンド塩カルビ 370円」を購入し、昼食。栄養的に寂しい・・・・。

DSC01194_t 午後から若干の審議と討論、採決。色々と意見を付しての賛成とした。

 15時から19時まで相談業務。新潟県内の他の地区から柏崎にくる若者からの相談であった。インターネットでの検索で本ブログやmiida.netを知ってくれたそうで、時代の変化を実感する。

DSC01197_t 長岡の某店に行き、バレンタインデーのチョコのお返しとして、今だに渡していなかったホワイトデーの贈り物を数点購入。
 空腹で食品売り場を回ってしまったので、余計なものを買いそうになるものの、なんとか我慢。

DSC01199_t 閉店間際の「小嶋屋総本店」に入っての夕食。
 メニューを広げるが、蕎麦好きなので、どれにしようか悩んでしまう。太いネギが浮いた「鴨なんつけ汁」とざる蕎麦、いやいや蕎麦だけをたぐるのも捨てがたい・・・。結局、「天ざるそば 1350円」 を注文。
DSC01198_t 生山葵とキチンとした鮫皮のおろしもついてきた。ただ、美味しい蕎麦に山葵はいらないと思っているので、すり下ろした山葵をそのまま箸でつかみ、口にほおばって、鼻に抜ける清涼を楽しむ。

 22時過ぎ、自宅に戻り、議会資料の整理などを行う。

z-flag  いまから101年前、明治38年(1905年)5月27日、国際信号旗として本来は『私は、引き船がほしい(I require a tug.)』の意味を表すZ旗を、『最後の決戦』との意味をこめ旗艦である「戦艦 三笠」に揚げ、東郷平八郎連合艦隊司令長官はこう訓示した。

_1「皇国の興廃この一戦にあり。
   各員一層奮励努力せよ」

 五月晴れで視界良好なものの、風速20mを超える強風のなかの出撃。海軍名参謀・秋山真之は「この強風こそ【神風】」として、大本営への全艦出撃の打電の最後にこうつけ加えた。

 「敵艦見ゆとの警報に接し、
  連合艦隊は直に出動
  之を撃沈滅せんとす。
  本日天気晴朗なれども波高し」

 そして、もてる技術を駆使し、当時「世界最強」と言われていたロシア・バルチック艦隊に打ち勝ったのが「日本海海戦」であり、日露戦争のハイライトである。
 ロシア・バルチック艦隊は主力艦の中、沈没21隻、降伏・拿捕7隻、中立国に逃げ込み武装解除されたもの7隻、無事に帰投できたのは、たった3隻の小艦艇だけであった。
 対する日本側の損害は、わずか水雷艇3隻のみ。
 人的損害は、ロシアが戦死者4545名、捕虜6106名であったが、日本の戦死者は116名のみであった。
 日露戦争は日本の大勝利に終わるが、これは日本の勝利という意味だけではなく、歴史的に重大な意義をもっていた。
 当時、トルコをはじめ、エジプト、フィンランドなど、欧米列強、白人種の植民地もしくは、ロシア帝国の脅威にさらされていた諸国は、この「日本の大勝利」に歓喜したのである。
 つまり、「白人種国家」を「有色人種国家」がはじめて、打ち破った戦争であった。
 アジアの小国である日本が、軍事大国ロシアに勝ったというニュースは、全世界を駆けめぐり、当時、ロンドンに留学していた「中国の国父」孫文はこんな経験をしている。
 日露戦争当時のイギリスは、日本を唯一の同盟国として日英同盟を結んでいたが、日本の勝利を信じる人はほとんどいなかった。バルチック艦隊を東郷艦隊が撃破したとの報を受けた孫文は驚き、同盟国であるイギリスのロンドン市民はさぞかし喜ぶと思いきや、まるでお通夜のようにシーンとしていたという。本来であれば、同盟国である日本の勝利に沸くはずであるが、有色人種の日本が、同じ白人種であるロシアに勝ってしまったことに重大な意味を感じていたのである。白人より下等だと思う黄色い有色人種、アジア人が世界で台頭するのではないか、という危機感「黄禍論」(Yellow peril)が根強かったことの証明であろう。
 対して、日本の国民はどうであったかと言えば、勝利に沸き上がっていたものの、ポーツマス条約でロシアからの賠償金をとれなかったことに対し、日比谷公園を焼き討ちし、戒厳令が敷かれる事態にまで発展。交渉にあたった全権大使である小村寿太郎を非難した。
 現在の歴史教科書のなかで、「日露戦争は(国民には関係なく)政府が侵略のために始めた戦争」との意味合いで記述しているものもあるが、実際には、日露戦争に勝ち、自分の生活が良くなることを国民が願っていたことが伺える。

 この日露戦争に大いなる影響を受けた国の一つがトルコ共和国である。
 当時のトルコ、オスマン帝国は、凍り付かない港を求め、黒海、地中海を狙うロシア南下政策に悩まされていた。クリミア半島が占領され、1877年の露土戦争では、ロシアの勝利により、庄野真代氏の『飛んでイスタンブール』で有名になったイスタンブル(トルコ語では最後の音節は長母音化されない)を失う。
*イスタンブルはボスポラス海峡を挟んで
 
アジア大陸とヨーロッパ大陸にまたがる珍しい都市。
 つまり、トルコと日本の共通の敵はロシアであった。
 日露戦争時にもトルコは、ロシア黒海艦隊の足を止めるため、ボスポラス海峡封鎖などの協力をしている。
 日露戦争での日本の勝利に、トルコ国内は自国のことのように熱狂し、その年に生まれた子供に、「トーゴー」や「ノギ」など日本軍人の名前をつけた。いまでも、トルコ国内に行くと、「トーゴー」などの文字があるのはこのためである。
_2 トルコ共和国の国父ケマル・アタテュルク(Mustafa Kemal Ataturk、1881年~1938年)もその熱狂を味わった一人で、

 「まず国の憲法を作らなければ
     近代国家とは言えない。
 日本には既に立派な憲法
    (大日本帝国憲法)がある。
   見習わなければならない。」

と明治憲法を意識し、日露戦争での「日本の勝利」に感化された。
 そして、トルコを共和制へと移行させ、初代大統領となり、トルコの近代化を推進。1934年には、父なるトルコ人(国父)という「アタテュルク」の称号を贈られた。

 柏崎トルコ文化村には、トルコ政府から国父ケマル・アタテュルクの像が贈られ、いまも眼下に広がる日本海を指差して建っている。

*柏崎トルコ文化村が開園した1996年7月には、トルコ共和国からカフラマン文化大臣が開所式に出席している。

*日本海海戦の日である5月27日は、のちに「海軍記念日」とされた。伝統墨守の海上自衛隊でも、基地祭などの祝祭イベントはこの日を中心に設定している。 

2006年3月16日 (木)

文教経済常任委員会、ジャスコ、トルコ

DSC01187 2時就寝、7時起床。第4次総合計画の資料をはじめ、パラパラと資料をめくりながら、新製品の小粒納豆を中心にした朝食。最近だけではないが、タレにユニークさを求める新製品が多い。普段、醤油で食べるだけに半分は添付のタレで試食気分、もう半分は食事として醤油で食べるようにしている。

 10時から文教経済委員会。教育委員会分の審査で、枇杷島小学校、市民会館の移転問題をはじめ、色々と質問したいことが多かったが、委員ではなく傍聴であったため、なかなか発言できず。
 食育の点だけは、関連で一つだけ発言させてもらった。それは郷土食と物語についてである。
 真っ当な食を求める食育も大切であるが、ここ柏崎刈羽地区に根ざした郷土食の食育にも気を配ってほしいと質問した。郷土食のレシピだけではなく、その料理が発生したであろう背景、物語を併記した資料を作るのはいかがか、という内容である。
 答弁や周りからの野次としては、柏崎地域振興局が作った柏崎刈羽地区の郷土料理のレシピ、いわれをまとめた「柏刈地域の食の歳時記」のことを挙げていたのだが、私が言いたいのは違うのである。この本は素晴らしいものであるが、発言したのはあくまで物語とレシピを楽しく、小学生にも分かるようなかたちで融合させたものである。
_2  例えば、「鮭のしょっから煮」を食べる地区がある。「しょっから」は、鮭のアラ、大根おろし、酒粕を中心にした煮物であるが、なぜ鮭のアラなのか、それは鮭が多くとれたからなのか、さらにはなぜアラを入れても身を入れないのか、味付けの中心はなぜ酒粕なのか、大根についてはどうか、といった点をはじめに加え、それが食べられる土地の「あったてんがのー」風な昔話も併記した、食と歴史のエンターテイメントとしての食育である。ちなみに大豆も昔は「打ち豆」が主であった。
 途中で昼休みとなり、教育長ともこの件を話したが、教育長は大きく捉えてくれたようで安心した。私の質問の仕方が悪かったのかも知れないが、答弁する側もブツブツと野次る議員も、物事をもっと大きく見てほしいものである。
 昼食をとる間もなく、相談業務などをこなし、そのまま午後の審議へ。

DSC01190 昨年のトルコ文化村が閉鎖後、実はトルコ大使館からの打診があったことが内部告発され、委員会でも追求となった。
 日本に駐在し、成功している企業で構成する在日トルコ商工会議所を中心にトルコ共和国をあげての運営の持ちかけで、2010年までトルコ人のノウハウで挑戦してみたいという内容であった。
 トルコ文化村閉鎖後、トルコ大使館からの接触の連絡はなく、議会としては、「トルコ大使館も連絡が無くなって冷たいな」と思っていたところであり、今回のことは、書簡の扱い、議会・市民への説明の点で問題がある。
 その経緯は以下のような流れであるが、とにかく日本国内にあるトルコ大使館がだした公文書が2回も柏崎市役所に到着していないということは、普通は考えられないところであろう。


駐日トルコ大使及び在日トルコ商工会議所
     と会田市長の書簡の経緯

1.平成17年3月31日
  駐日トルコ大使から会田市長へ書簡(所在不明)

2.平成17年4月6日
  駐日トルコ大使から会田市長へ書簡(所在不明)

3.平成17年6月1日 在日トルコ商工会議所会頭
                 から会田市長へ書簡

.3の平成17年6月1日付書簡で、
  上記1と2の書簡の存在を知る。
  駐日トルコ大使館に1と2の書簡の内容を確認。
  FAXにて写しを送ってもらう。

5.平成17年6月23日
    会田市長、観光交流課長でトルコ大使館へ。

6.平成18年1月31日
  
 駐日トルコ大使から会田市長へ怒り?の書簡
  「本件に関しては、日本人らしからぬ注意力と几帳面さ
   を欠いた行為であると思わざるをえません。」
  「市長様、
   私の最高の心遣いを信用してくださいますよう
   お願いいたします。」

7.平成18年2月28日
   会田市長、産業振興部長がトルコ大使館を訪問。
   駐日トルコ大使、在日トルコ商工会議所会頭に
   書簡を渡す。

8.平成18年3月3日
   駐日トルコ大使館一等書記官、在日トルコ商工会議所
   会頭がトルコ文化村を現地視察。



 昨年の6月に市長がトルコ大使に会った時点で、議会側は閉鎖したトルコ文化村をどうするのか議論の真っ最中。7月31日の会田市長はこう発言している。

「できるだけ早く方針を決めたい。
  土地・建物の売却も含めて処分を考えていく」

 「観光施設というコンセプトにこだわらずに
  土地利用を考えていきたい」


 この時点で、トルコ大使からのオファーがあったと発表すべきではなかったのか。今後も議会では議論をする方向であるが、一方、3月24日締切での一般公募に応募してくる企業との関係もでてくる。今回も何かと話題の多い定例議会である。

DSC01189 いよいよ問題となっていた請願、(株)イオンのコマツ跡地への進出、8号バイパス周辺への商業施設の進出の審議・・・・と思いきや、いきなり社会クラブから「審査打ち切り」の動議が提案され、共産党柏崎市議団、柏崎のみらい、市民クラブの賛成により、「審査打ち切り」となった。
 今回の請願は、

 1.コマツ跡地へのイオングループの進出
 2.8号バイパス南側への商業施設、準工業施設建設
 3.8号バイパス南側の農振解除

の3つの意味合いを含んだ請願であり、3の農振解除を許可した場合、市野新田ダム建設により国の補助金を返還する義務がでてくることや、これまでの農振解除に関わる企業進出の経緯が問題となる。今後のためにも、農振解除については議論をすべきであったかと思う。もちろん、この請願自体、1の意味だけの請願であったなら、別の展開になったであろう。

 19時からワークプラザで「日本世論の会」柏崎支部の打ち合わせ。4月8日に行う講演会の予算関係の承認と広報戦略についてである。

DSC01191 21時過ぎ、自宅に戻り、納豆オムレツ、野菜サラダ、ビール500mlを5本で夕食。とにかく喉が渇いていたので、半熟の卵とひき割り納豆の濃厚さとケチャップの清涼をツマミに、ビールがグイグイ入る。軽く飲んだあと仕事をしようと思っていたが、22時過ぎにそのまま寝てしまった。

2006年3月15日 (水)

F機関とINA誕生、日印友情

DSC01183_t あまりの寒さに3時ごろ目が覚めてしまったので、近くのコンビニに入って、朝食を買ったり、本を立ち読みして体を温める。
 5時近くには、関越自動車道に到着したものの、はっ、とあることを思い出し、川越まで戻る。朝食として、コンビニで買った「大きなコロッケパン」を食べる。学生時代、金が無いときにはこのパンか、「コーンマヨネーズパン」であった。

 9時過ぎ、某病院の駐車場に車をとめ、お見舞いにいく。個人情報保護法の悪影響であろう、身分を明かし、病室を教えてくれるまでの手間がかかる。
 東京電力を退社し、独立の道を探っていたころに知り合った友人のお見舞。輸入雑貨店を開業し、社員も6名になったものの、膵臓の病気が見つかり、長期入院中。会社も整理し、奥さんともうまくいっていないとのことであった。私より3歳年上で、いつも若々しいというか20代前半のようなファッションが印象的であったが、病室の彼は完全におじさん状態になっていた。もうしばらくしたら社会復帰できるとのことだったので、バカ話をし、病院の食堂で一緒に昼食(ランチセットで、ロールパン2個と豆腐ハンバーグ)を食べた。

DSC01185_t 関越自動車道にのり、柏崎に戻る。目に痛いぐらいに白く眩しい雪山に思わず目をとられ、車がフラつく・・・・危険である。
 湯沢あたりはまだ雪があったが、柏崎市内まで戻るとすっかり雪が少なくなっていた。

 18時から某所で飲み会。2次会になると思いきや、23時まで1次会の場所で飲んでいたので珍しく1次会で解散。

 4月12日から行くインド訪問まで、あと1ヶ月を切った。
 インド人と日本人との友情として、面白いのがF機関である。

 昭和16年9月、日米交渉が行き詰まりをみせ、アメリカ、イギリスとの開戦が避けられない状況になっていた。
f  ときの大本営参謀、藤原岩市陸軍少佐は、マレー半島に駐在する英印軍の中核を占めるインド兵を口説き落とし、大東亜共栄圏の確立のためにも、将来のインド独立軍の基盤にせよ、との命を受けた。
 当時、インドはイギリスの植民地。グレート・ブリテンのキングがインド帝国のエンペラーを兼任したので、当時のインドは「ザ・ブリティッシュ・エンパイア」(the British Empire)。イギリスはインドのことを「大英帝国の最も輝かしい宝石」と呼び、「エンパイア・ルート」(インドへの道)、スエズ運河を重視した。ちなみに、大英帝国を厳密に言えば、「ザ・ブリティッシュ・カマンウェルス」(the British Commonwealth)。
 藤原岩市陸軍少佐を中心として、この作戦を行ったのが藤原機関、通称F機関である。
 まず藤原少佐は、ビハリ・ボースと同様、インド独立を願うインド独立連盟(IIL)に参加し、当時、バンコクに亡命していたプリタム・シンに会いに行き、こう訴えた。

 「日本はアジアの解放を願い、インド独立を支援したい。
 決して領土的野心は持っていない!」

fp  誠意あるこの訴えにプリタム・シンは感激し、日本軍のマレー・シンガポール作戦にインド独立旗を掲げてF機関とともに参加。日本軍は英印軍をなぎ倒し、破竹の勢いでマレー半島を南下していった。
 当時、英印軍の70%はインド兵。
 藤原少佐は、投降してきたインド兵達と一緒にインド料理を手づかみで食べるなど、彼らを人種や身分で差別せず、平等に扱った。こうした藤原少佐の思いが、インド兵たちの心をつかみ、信頼を得ていったのである。藤原少佐は

 「この戦争が長年、欧米に支配されてきたアジアの
 独立の絶好の機会であり、インド投降兵を組織して、
 インド国民軍を創設すべきなのだ」

とプリタム・シンとともに熱心に説き、一個大隊を連れて投獄したのが、モハン・シン大尉であった。
*写真は、モハン・シンと藤原少佐の運命的な握手シーン

5man

 シンガポールのイギリス軍が降伏した昭和17年2月15日には、インド投降兵は5万人にものぼった。日本のインド独立全面支援と捕虜解放を伝える藤原少佐の名演説に、競馬場ファラパークに集った五万のインド投降兵は、総立ちとなって狂喜歓呼した。
 ここにイギリスへの忠誠を捨て、インド独立を目指すインド国民軍(INA)が誕生。F機関13名で5万人のインド兵を組織するまでに到ったのである。
 INA誕生に際しての条件は、次のようなものであった。

 1.INAとILLは不可分の協力体制とする。
 2.日本軍はINAに参加するインド人捕虜を釈放する
 3.INAと日本軍は同盟関係の友軍とする

   戦後、イギリス政府がインド人の兵士に年金を支給したが、
   その際、日本の左翼陣営より、日本の傀儡軍隊であった
   インド人兵士に年金を払えという活動があったそうである。
   しかし、あくまでINAは独立した同盟関係の軍であるため、
   その批判は的をはずしている。
  4.(ドイツへ亡命中の)チャンドラ・ボース
             一日も早くアジアに招くこと

 藤原少佐は、「マレーの虎」山下泰文司令官にもモハン・シン大尉を紹介し、全面支援を約束した山下司令官は当時のお金で1万円を支援金として与えた。
 また、モハン・シン大尉の組織能力、そして教養は卓越しており、陸軍省の富永恭次中将と参謀本部の田中新一中将が引見した際に、こう語ったという。

「私は新渡戸稲造の『武士道』 という英文の本を
 読んだことがあります。その中に三種の神器の
 ことが書いてありました。
 剣は勇気を、玉は慈愛を、鏡は正明を表わす
 もので、日本精神はこの三つの神器に
 象徴されていると承知しています。
 そして開戦以来日本軍の戦いぶりを見ていると
 勇武があり、慈愛があり、公明正大な軍隊
 であることを知りました。
 我々インド国民も元来、愛と正義と信仰を尊ぶ
 国民性を持っており、共通性があります」

 F機関の成功により、F機関自身が岩畔豪雄大佐を長とする250名規模「岩畔機関」に改組された。
 一方、プリタム・シンは飛行機事故で死去。
 モハン・シンはINA司令官となり、INAと日本軍が一緒にインドへ進撃すれば、一気にインド独立の道に向かうと、武力闘争の宣言を声高らかに行った。
 しかし、日本軍参謀本部としては、INAをそのままインドに進出させてしまった場合、寝返ってしまう可能性があることや、INAを日本軍の補助的な部隊にしたいという野心があったのである。
 それを見抜いたモハン・シンは、日本軍参謀本部に猛反対をする。F機関、山下泰文司令官との出会いにより、日本人の素晴らしさが分かっていただけに、現地の状態も分からず、遠く日本の安全な地から命令だけをする日本軍参謀本部に不信感をもったのである。
 日本軍参謀本部との間に立たされたのは、IILのビハリ・ボースと機関長の岩畔大佐。特にモハン・シンはビハリ・ボースを「日本の国籍をとった傀儡」とまで罵倒し、IILとINAの関係は悪化、軍紀は乱れ、解散の危機に追い込まれる。
 ここで、ビハリ・ボースは、かつて諸葛孔明が「泣いて馬謖(ばしょく)を斬った」ように、モハン・シンINA司令官の地位を剥奪、マラッカ海峡のウビン島に流刑した。
_3  モハン・シンは戦後、インドに帰国し、政界の重鎮となるが、F機関の機関長、藤原少佐との友情は忘れず、昭和57年、二人は感動の再会をした。
 インドと日本との歴史が語られるなかでは、無名に近い二人であるが、この二人がいなければ、いまのインドと日本の関係は無い、と言っても過言ではない。
 このことから学べるのは、日本軍の犯した組織運営方法のミスをはじめ、リーダーの【決断】であろう。

 「大東亜戦争は我々に
    平和の尊さを教えたが
 生きるための教訓も
     また数多く残している」

 モハン・シンが流刑されてから、7ヶ月後の昭和18年5月、イギリスの弾圧を逃れるためドイツにいたチャンドラ・ボースは、ドイツ軍のUボートから日本海軍の潜水艦に移り、日本に到着する。これにより、IIL、INAは一気に甦り、東條英機首相からインド独立支援の約束をとりつけるや、シンガポールに乗り込み、INA総司令官として、また自由インド仮政府主席として、イギリス、アメリカに対し、宣戦布告した。
 この後、「大東亜会議」へオブザーバ参加し、そして大東亜戦争3大愚戦の一つであり、またインド独立戦争とも言われるインパール作戦へと続いていくのである。

*参考、写真:名越二荒之助編『世界に開かれた昭和の戦争記念館 第4巻 大東亜戦争その後』

2006年3月14日 (火)

アジア和平日本委員会各県奉賛会

DSC01173_t 2時就寝。7時起床、週刊誌数冊を持ち込んで長風呂。9時過ぎ、大粒納豆と小粒納豆を混ぜ、黒酢と醤油、砂糖で味付けをした納豆ご飯と大根の味噌汁で朝食。チャレンジの納豆であったが、さっぱりとしてなかなか美味い。

DSC01177_t 外にでてみるとシンシンと積もった雪で愛車が埋もれていた。
 10時から委員会があるので、家をでようとしたところ、相談があるという方がいらっしゃった。雪の中に来てくれたので、しばしお話を聞く。
 息子さんの柏崎への帰郷を支援してほしいとのことだったので、あとは息子さんとメールでのやりとりにさせてもらうことにした。

DSC01175_t 総務常任委員会に出席。特に問題なものはなく、淡々と審議は進んだ。
 今回の総務常任委員会も大切であるが、もっと議論になりそうな職員給与は次回の審議になる。
 昼食を食べる間もなく、愛車にて東京へ移動。雪の中から掘り出すのに、20分ほどかかってしまった。

DSC01178_t まだスタッドレスタイヤでいて良かったと思いながら、小千谷ICから関越自動車道にのり、一路東京へ向かう。
 関越トンネルを抜けた途端、抜けるような青空。爽快な気分でのドライブとなった。

DSC01181_t 18時から、九段会館「真珠の間」の間にて、「アジア和平日本委員会各県奉賛会」に出席。主催は、アジア和平日本委員会(192-0031 東京都八王子市小宮町1098-1 電話:0426-43-0190 FAX0426-48-1151)に出席。
 互いに祖国のために戦い、尊い生命を犠牲にした民族と国籍を超越した各国の戦没将兵への慰霊と世界未来の恒久平和を願うため、1995年、タイのカンチャナブリ県カンチャナブリ市に建立した「平和記念公園」
heiwa  カンチャナブリは、映画『戦場にかける橋』でも有名になったように、大東亜戦争の際、日本軍がビルマへの軍需物資輸送のため、多くの連合軍捕虜や現地の人を使い、犠牲者もだしながら、泰緬鉄道を建設した地である。
 ちなみに、地名のカンチャナブリは、「美しい」という意味のカンチャナ、「街」という意味のブリからきている。

DSC01180_t この活動に対し、アジア和平日本委員会に対し、カンチャナブリ名誉県民の称号が授与されたことを祝う会である。
 タイ王国の国会議員やタイ・チェラロンコン大学教授をはじめ、多くのタイ王国知識人と、私を含む日本の全国議員同志連盟で、バンコクにおけるアジアの平和を願う合同会議も今後予定をしている。
 また本ブログにも書いていきたいが、タイ王国は大東亜戦争最中は同盟国、日本への協力を惜しまなかった国であり、今後のお付き合いも重要だと思う。
_9  アトラクションとして、「日本の心」の伝承者『三枝万祐が歌で語る感動の世界』として、三枝万祐さんの童謡や歌謡曲などの熱唱。
 「ふるさと」など心に響くような歌声でビールを飲んでいる手も止まったほどであった。

_2

 昨年、カンチャナブリ県カンチャナブリ市「平和記念公園」の終戦60周年記念事業に賛同したところ、銘記板に「柏崎市議会議員 三井田孝欧」と入れてくれた。
 自分の目で直接はまだ見ていないので、いずれ現地に行ってみたいと思う。

 20時から九段下の某店で、酒を飲みつつ、打ち合わせ。熱い人物との打ち合わせであり、近々イベントなど見えるかたちで実現できそうなプランをつめた。

 23時過ぎ、パーキングに止めた愛車までタクシーで戻り、仮眠。

2006年3月13日 (月)

建設企業常任委員会、小泉サプライズ

DSC01162_t 4時就寝。携帯の電池が切れており、目覚まし鳴らず、9時前に起床。慌てて、着替えをし、身支度をする。干し納豆が無くなったので、そぼろ納豆とネギを混ぜたものを入れて、おにぎりを作り、朝食。
 朝食をとりながら、前にも出場した京都の豆腐大食い大会の「順正ゆどうふ食べくらべ」の結果を業界新聞トーヨー新報で見たら、優勝者は東京の32歳の主婦の方で13丁(1丁、350g)を食べたそうだ。ちなみに男性は、10丁半であったとのこと。前回出場したときは、9丁半でギブアップしたので、もう1回気合いを入れて出場し、男性の部で優勝を狙えないものかと密かに思っている。入賞して、「食べ物は大切にしましょうね」の一言が言いたい。

DSC01163_t 市役所に向かおうと外にでたら、意外に多くの雪が積もっていた。3月のこの時期にこんな降ることがあったかと思いつつ、移動。
 今日は副委員長を務める、建設企業常任委員会の委員会審査。
 「夢の森公園」事業をはじめ、各種の質疑が交わされたがどうしても1点だけ不明なものがあり、小さなことながら追求させてもらった。
DSC01164_t それは、西山町事務所の「除雪」に関する委託に計上されていた「賠償金 10万円」予算である。除雪の際、誤って人の家の塀を壊した場合の保障ということであったが、2つの面から不思議に思ったのである。
 1つは、「賠償金」は一般に「主として違法な行為により、他人の権利、利益を侵害して損害を与えた場合に、その損害を補填するために支出する経費」をいう。除雪を委託した作業者が違法行為を行うかのような、「賠償金」として記載するのはいかがなものかと思ったのである。旧柏崎市、高柳町事務所では、「補償」として計上(本庁:5千円 高柳町:30万円)してある。「補償金」は一般に「地方公共団体の行為により特定人に財産上、精神上の損害を与えたことによって生じた損害を償うために支出する経費」をいう。つまり言葉の使い方と、予算書内の表記の統一という表面的な問題である。
 2つめは、委託業務の意味合いとしてである。旧柏崎市の除雪業務は直営・機材貸し出し・委託の混合スタイル、高柳事務所は直営、西山町事務所は委託。直営での作業が入っていれば、市役所として補償するのは分かるが、委託した先の作業者が損害を与えた場合に、直接市役所で損害の補償をするのは、委託という契約のあり方としてどうかと思ったのである。委託の際に盛り込まれる保険料もあるうえ、その保険の内容も含め、再検討の余地があるのではないかと思い追求させてもらった。
DSC01188  これまでこの「賠償金 10万円」は使われたことがなく、形式的な計上であったかも知れないうえ、予算全体から見れば小さな金額であろう。しかしながら、今回の会田市長の予算は、全事業を見直し、再構築する「ゼロベース予算」である。その方針を踏まえれば、こういった予算を最初から予算書には計上せず、委託の際の保険の内容、料金の見直し(損害の補償金と保険料のバランス)を含めて、対応するべきではないかと思うのである。もし、損害を与えてしまったなら委託契約内の保険で、それでもどーーしても市役所で対応することになったのなら、その都度予算化するのが「ゼロベース予算」の方針であろう。もちろん、議会での議決を待っていられなければ専決処分等で処理し、次の議会で専決処分報告をあげれば、議員・市民にも情報が伝わり、開かれた市役所にもつながる。市役所職員にとってみれば、面倒この上ないということになるかも知れないが、「ゼロベース予算」の真意を考え、「賠償金 10万円」のことだけではなく、予算編成全体に対する姿勢として捉えた。
 旧西山町のある関係者からは、「そんが小さなことで・・・西山の応援はしねぇのかね」と怒られたが、それとこれは別であり、ご理解頂きたい。

DSC01165_t 12時過ぎ、「サッポロ」(0257-23-2022)にて、「五目そば 650円」を100円増しの大盛りで食べる。胡椒を効かせた目玉焼きがたっぷりの野菜のなかに沈んでおり、サッパリとしていて懐かしく、家庭的なラーメンの味わい。

 午後からも委員会審査が続き、委員会終了後は勉強会。

DSC01167_t 19時、自宅にもどり、スライスチーズとひき割り納豆をはさんだトンカツ、鱈の粕汁で夕食。薄い豚モモ肉とスライスチーズを使って、やっとの思いでひき割り納豆をはさんだものの、ひき割り納豆の量が少なく、バランスが悪い感じになってしまった。

DSC01170_t 生まれたばかりの姪っ子はまだ首がすわっておらず、恐る恐る抱っこしてあやす。よく背伸びをしたり、動くので抱っこしていても飽きない。姪っ子ばかり可愛がっていると、甥っ子が「おじちゃん」と言いながら、いかにもかまってほしいとせがんでくるのが面白い。

 北朝鮮との国交正常化を急ぐ、小泉首相は5月に「小泉サプライズ」として、横田めぐみさんを返してもらい、シャンシャンと拉致問題をお開きにするような情報が伝わってきている。  
 2月28日共同通信によれば、自民党の片山虎之助氏の発言「北朝鮮との国交について、退任までに進展するだろう」、また同じく自民党の片山さつき衆議院議員も自選挙区内での宮台真司氏とのトークショーの中で「5月に」と期限付きで同様の発言があったようである。
 北朝鮮との国交正常化は、拉致問題が完全に解決するまで放っておけばいいと思う。韓国の盧武鉉政権が北朝鮮寄りの政策をとっていることもあるが、このままの体制で北朝鮮が繁栄するとは考えづらい。罪のない北朝鮮国民のためにも、無理に金日正独裁の北朝鮮との国交正常化し、援助などするのはやめてほしいものである。

2006年3月12日 (日)

RESCUE2006ライフセービング世界選手権大会報告会

DSC01148_t 3時就寝。7時起床、妹と母がサンドイッチを作っていたので、その耳をもらい、オリーブオイル、バジルをまぶし、オーブントースターでじっくりと焼いた。これで、卵焼きの黄身をすくったり、マヨネーズを入れたひき割り納豆をつけて朝食。

 9時から来客。パソコンの修理とアップグレードの依頼であった。ちょうど手持ちのパーツがあったので、お待ちしてもらっている間にメモリの増設とハードディスクの入れ替え、キーボードのクリーニングを行う。

 12時30分から某所で打ち合わせ。田形先生の講演会の周知のお願いもする。

DSC01157_t 13時から商工会議所にて、2006年2月10日から19日までオーストラリアのメルボルンで行われた「RESCUE2006ライフセービング世界選手権大会」の報告会。
 世界大会の報告会を柏崎で実施することにご尽力された皆さんには頭が下がる思いである。

DSC01155_t まず選手の報告に先立って、内閣府特定非営利活動法人「日本ライフセービング協会」の小峯力理事長のご講演があった。
 全体の7割が水で占められるこの地球では、年間30万人の人が水が原因で亡くなり、2分に1回の割合で水辺の事故が起こっている。これを防ぐことは戦争を止めることと同じぐらいの意味合いを持つ、と認識を新たにするようなお話から始まった。
DSC01150_t 水難事故で救急車で運ばれた方が自宅に戻れる可能性は3%。しかし3分以内にAEDで対処することによって、4人に3人が助かるようになる。そして、ライフセービングを国家の徳育と考えているとのこと。まったくもって、素晴らしい。
 そして、最後のキメ台詞「愛する人を救えますか?」

DSC01149_t 乾杯の音頭ののち、懇親会に突入。
 会田市長をはじめ、県議2名、市議会からは議長をはじめ3名が出席。
 またライフセービングを応援する企業の関係者も出席した。学生ライフセーバーの就職先として、是非、お考えいただきたいところである。

DSC01158_t 乾杯ののち日本選手団からの報告となった。
 今回の選手の成績は、国別対抗戦参加27カ国中、総合成績12位(プール競技:12位、オーシャン競技:7位)。
 2大会連続ビーチフラッグでメダル獲得。男子ビーチフラッグスで北矢選手が第2位とのことであった。
 年々、レベルが上がってきているとのこと、とにかく徳育のためにも、安全のためにも頑張ってほしい。
 報告のなかで、キャプテン林選手の挨拶がまた良かった。

DSC01156_t 「それぞれに日の丸を背負うことの意味。
  国旗、国歌が世界の場で、
  いかに重要なのか選手全員で理解した。
 日の丸が揚がったときには
                目頭が熱くなった・・・・
日本がオリンピックなどでなかなか勝てないのも、
 『君が代』、国旗を大切にしないからではないか

 つい、議場と同じく、金子議員とともに、

 「よし!そーだぁ~」

と叫んでしまった。また、色々な障害を乗り越えての出場というドラマもあったそうで、感極まっていたことに好感を覚える。
 スポーツをはじめ、世界を相手にする人ほど、自国の国旗、国歌がいかに大切であり、また相手の国の国旗、国歌、そして文化も尊重することが平和につながるかが分かっていることと思う。決して、「日の丸、君が代反対、私は世界市民でぇーす」という人間が国際社会で認められるわけではない。

 最後は、新潟産業大学の吉田学長からの挨拶であったが、カーリングのクラブチームが日本国内に数チームしかなく、それが柏崎にもあることを挙げ、

 「夏はライフセービング、
   冬はカーリングの柏崎に」

という面白い提案をされていた。

 会がお開きになり、帰り道、某氏と今回のトリノオリンピックで一躍有名になったカーリング娘の話になった。「柏崎カーリング娘」がいれば柏崎の冬のスポーツもさらに盛り上がるとのことだった。これも面白い話であったが、最後には「チーム青森のなかで誰が好みか」というゲスな話になり、嫌いではないので、「マリリン」と答えた。

DSC01160_t 自宅に戻り、甥っ子と一緒にかけそばを食べる。「チュルチュル」と喜んで食べるが、辺りに汁が飛びまくるので、後片付けが一苦労。懇親会での酔いもあり、20時まで仮眠することにする。

 風呂に入ってさっぱりしたあと、明日は担当委員会である建設企業常任委員会のため、昨年との予算資料の突き合わせなど、詳細に調べる。

2006年3月11日 (土)

【決断】真説・ミッドウェー海戦

DSC01146 2時就寝。7時起床、天気が良いので甥っ子を連れて少々お散歩。愛犬は胸のガンが大きくなっており、なかなか歩こうとしない。
 干し納豆と昆布の佃煮を具におにぎりを2個、油揚げと若布の味噌汁で朝食。

 9時過ぎに長岡に移動。午前中は、障害者リハビリセンターをはじめ、療養施設を3件まわる。2件は相談事のお電話を頂いたので、事情を伺いに行っただけだが、1件は大事な友人のお見舞いであった。
 車を運転中に脳内で出血。病院に担ぎ込まれたものの、血圧の関係で一週間手術できず、6cm四方以上に渡って脳細胞が影響を受けた。
 車イスに乗り、すっかりとやつれ、言語も話せない状態になっている本人に会ったとたん、思わず涙がでてしまった。お子さんは小学1年生をはじめ、小さい二人。会社も整理とのことである。奥さんとも長い付き合いなので、なんと声をかけていいか分からず、とにかく何かあったら何でも相談してください、とのことで施設をあとにした。

DSC01147 12時過ぎ、自宅に戻り、近所の「うれっ子」(電話:0257-22-4648)からチャーシューつけめんをとって昼食。午前中の心のつかえがあり、あまり味わうことがなく、淡々と食べた。

 13時過ぎ、16時から事務所に2件来客。

 パソコンの前に向かうも、何か気分が乗らず、甥っ子と電車のDVDを借りにTSUTAYAに行く。19時過ぎまでひたすら甥っ子とDVDを見る。

F1000003 21時、かぼちゃのサラダ、鰤の刺身・馬刺しを「納豆にんにく醤油」につけての夕食。「納豆にんにく醤油」は、醤油の小瓶に納豆1パックと大蒜を1片入れておいたものであるが、トロントロンとした味わい深い醤油になっており、刺身や馬刺しによく絡んでご飯が進む。

 まだ気分転換ができないままであったので、ミッドウェー海戦について、疑惑部分を調べてみることにした。
 その疑惑とは、装備の入れ替え「ミッドウェー運命の5分間」についてである。空母の艦載機(飛行機)に、陸上攻撃をするため爆弾を装備する「爆装」と海上の艦隊などを攻撃するための魚雷を装備する「雷装」。この入れ替えをしている途中に、アメリカ軍の攻撃を受け、入れ替え途中で転がっている魚雷、爆弾、そして燃料を満タンにした艦載機に引火して、日本艦隊の空母が大炎上をしたというのが、これまでの【定説】である。世界最強と言われた日本帝国海軍の空母4隻、そして世界の飛行機乗りが恐れた熟練パイロット108名を含む3057名を失ったのは変わらぬ事実である。
 では、疑惑の中身は何かと言えば、実は爆装、雷装の入れ替えをしていなかったというものである。インフィクション作家の沢地久枝氏によれば、日米両軍の生き残り兵士を追跡調査したところ、「ミッドウェー運命の5分間」はなく、最初から第2次攻撃はミッドウェー島を攻撃させる意味で爆弾を装備していた。つまり、「ミッドウェー運命の5分間」になった、爆装から雷装、そして雷装から爆装に変えてはおらず、ただただ【決断】できずにオタオタしていたということである。さらには、索敵機から敵艦隊発見の報を受けていても、雷装への転装を命令したのは、かなり時間が経ってからである。その間、山口多聞少将は、爆装でもとにかく出撃し、アメリカ艦隊を攻撃すべきと具申している。
 これが本当だとすれば、「ミッドウェー運命の5分間」は、ミッドウェー島の陸上攻撃に無理にこだわり、艦隊をおびき出して叩くという本来の目的を見失った【決断】が引き起こしたものとなる。

*個人的には、このときミッドウェー島の遥か北西800海里を東に進んでいた、山本五十六連合艦隊司令長官率いる「戦艦 大和」を旗艦とする艦隊を、ミッドウェー島陸上への艦砲射撃に使うべきではなかったかと思う。

 沢地久枝氏によれば、当時の生き残りの中佐、少佐、大尉クラス数十名から料亭の一部屋に集まってもらい、調査してみたところ「装備の転換」はすべて伝聞であり、現場に立ち会ったものとは話が合わなかったそうである。
 とすれば、【決断】の遅れ、間違いに加え、司令部をはじめとする組織防衛のための伝聞を作ったという大きな罪が残る。
 そして、山口多聞少将をこの海戦で失ったことを余計に考えさせられる。

Ni  昭和18年、当時の太平洋艦隊司令長官ニミッツと部下である情報参謀レイトンは山本五十六連合艦隊司令長官が乗った機を撃墜するか否かを検討していた。山本五十六の作戦パターンは読めてきており、彼を亡き者にしたあと、違う優秀な指揮官がでてきた場合には、新たに研究する手間がかかる。それなら、山本五十六は生かしておいた方が得策なのではないかというやりとりである。(これがアメリカの合理的な戦略判断であろう)

 「日本軍の司令官の中には、山本亡き後、
 彼以上に優れた指導者はいるのか」

というニミッツの問いに、レイトンはこう答えたという。

 「日本には山本より優れた指揮官が一人います。
 山口多聞という男です。
 プリンストン大学に留学の経験もある優秀な人物です。
 しかし、彼はミッドウェー海戦で既に戦死しています。
 ですから、現在、山本と同じレベルの指揮官は
                 日本にはもういません」

 こうして山本機撃墜計画が決まった。
 昭和18年4月18日、前線視察のため訪れていたブーゲンビル島上空で、山本五十六連合艦隊司令長官が乗る一式陸上攻撃機は、アメリカ陸軍航空隊P-38戦闘機に撃墜され、山本五十六は戦死した。

 アニメンタリー『決断』風にいえば、こうである。

 「大東亜戦争は我々に
    平和の尊さを教えたが
 生きるための教訓も
     また数多く残している」

2006年3月10日 (金)

文教経済常任委員会

 3時就寝。8時起床、インド訪問に関して、電話での誘いをしまくる。

DSC01142 10時、市役所に移動し、文教経済常任委員会に出席。
 トルコ文化村の譲渡予定は7月1日。今月24日に申し込み締切となるが、現時点での申し込みは0。これまでの問い合わせは21件、現地視察には6件の業者が来たという。売却は1億1344万円であるが、建設時に国の交付金を受けているので、その収入はそのまま国への返還金となる。
 問題はコレクションビレッジ3館(痴娯の家、黒船館、藍民芸館)の扱いである。今回の予算計上では、1017万円。入場者数は以下のような状態。

痴娯の家 平成15年 6350名
       平成16年 4000名
黒船館  平成15年 5100名
       平成16年 3600名
藍民芸館 平成15年 5340名
       平成16年 3800名

 駅周辺設備として、再構築するか、カフェ併設で「癒やし」施設にするか、そろそろ『決断』が必要であろう。

DSC01143 市役所の1階に、長岡から一週間に一度来ているというパン屋さんがいた。売れ残っているようなので、チャパタサンド塩カルビを購入。缶コーヒーのカフェ・ラテとともに昼食。

 16時過ぎまで委員会審査がかかり、自宅に戻って17時から事務所にて打ち合わせ。

F1000001 18時、鶏モモ照り焼き、モッツアレラ・チーズとトマトのサラダ、オムライスで夕食。スーパーに行くと、最近はモッツアレラ・チーズが賞味期限近くになっていて安くなっていることがあるので、つい簡単にトマトと合わせ、オリーブオイル、バジル、塩、胡椒でサラダを作る。

F1000002 シメのオムライスは、母に作ってもらった。自分で作るときには、プレーンなオムレツを焼き、それをチキンライスの上にのせて、包丁で真ん中を割る方式をとるが、母は昔ながらの卵巻き巻き方式にこだわっている。

 20時から某所ににて、起業に関する熱い打ち合わせをし、23時、自宅に戻る。

2006年3月 9日 (木)

厚生常任委員会

 5時起床。各種資料などを読み込み。

DSC01137 9時過ぎ、来客2件。せっかくお越し頂いたものの、委員会に行く準備をしている最中であったため、再度時間調整にさせてもらう。ゆっくり朝食を食べる時間もなく、納豆のパックに直接ご飯を投入し、かっ込んで市役所に向かう。

 ふとテレビを見ると、エースコックのインスタントラーメン「スーパーカップ1.5倍 豚キムチラーメン」のCMにアースシェイカーが起用されていた。【CM】【メイキング】。学生時代からのファンであり、嬉しい限り。ラウドネス、44マグナムとともに、ジャパニーズ・メタルの先駆けであった。いつまでも頑張ってほしい。

DSC01139 10時から厚生常任委員会。
 色々な審議があったが、以下のようなデータは興味深かった。

生活保護
対象者:270世帯、300人
5億7762千万円(昨年より4000万円アップ)
*原子力発電による交付金並み

平成17年度
DV相談 年間50~60件
その他の女性からの相談 年間50~60件
子供虐待 81件

 そして、新規事業として「不妊治療補助 200万円」が計上されている。これは、県の対象にならない治療で、年10万円を限度とする制度である。自分でも、いざそうなったときにはお世話になりそうな制度であるため、注目しておきたい。

  18時、自宅に戻り、雑誌や文庫など読み、気付いたら22時。

DSC01141 いくらの醤油漬けご飯、コンソメスープ、イカ納豆、そして頂き物の発泡酒で夕食。コンソメスープをちょっと味濃いめにし、バジルもふってあるので、スープ自体が発泡酒のつまみになる。

2006年3月 8日 (水)

怒りの一般質問、無防備都市宣言?

 結局、徹夜となり、ちょっと頭痛がするので、ぬるめのお湯で長風呂。

DSC01126_t 大粒納豆、目玉焼き、油揚げと玉葱の味噌汁の朝食をかっ込みながら、フジTV『とくダネ!』を見る。いつもお世話になっており、尊敬する豆腐職人である埼玉屋さんの出演。出演者の多くが「気合DE茶々」をベタ褒めし、そのシーンを見て、自分のことのようにほくそ笑んだ。

 10時前、市役所に移動。
 一般質問3日目、自分でも質問項目にあげていた国民保護計画について、社民党、共産党から違う立場として質問があった。曰く「戦争をするための法律」であり、市の職員の思想・信条で業務を拒否することはできないのか、という質問もあった。いざ有事の際、市民の生命と財産を守らなければならない公務員が、自分の思想・信条の関係で業務を放棄したい、というのは普通の感覚ではないと思う。
 また、柏崎は国民保護計画を策定するよりも、「非核平和都市宣言」「無防備都市宣言」をし、有事がないことに専念すべきとの質問もあった。絶句である。誰に向かって宣言するのか、宣言すれば相手は配慮し、武力攻撃を一切しないと思っているのであろうか。現実的ではない。

*ジュネーブ条約追加第1議定書第59条に基づき、特定の都市、地域を無防備地域であると宣言すること。

DSC01127_t 市役所の売店で、「スープはるさめ」、大辛カレーパン、「野菜一日これ一本」で昼食。午前中の質問を見て、急遽、「平和教育」について、市長に問うことにした。一問一答形式なので、ガチンコ勝負ができる利点である。
 社民党、共産党の質問に対し、「平和教育」の重要さを市長が答弁した。「平和教育」を行うことには賛成であるが、問題は中身である。千葉県富浦町の例をだそうとメモを作る。

DSC01131_t 16時過ぎから、一般質問の登壇となった。
 お約束の口上から、柏崎市議会の議場に国旗も市旗すらも掲揚していないことを議会中継を聞いている人にも伝えようと、あえて触れてみた。

 平成18年もめげずに柏崎への海上自衛隊誘致を訴え続けていく、三井田でございます。
 一昨日、会田市長もご出席されましたが、第一中学校の卒業式に行ってまいりました。『仰げば尊し』を歌う卒業生の頬を伝う涙に、身が引き締まる思いがいたしました。涙で潤んだ瞳には、壇上の国旗「日の丸」が見えていたことかと思います。
 私も是非、海上自衛隊の誘致が成功したあかつきには、この議場で涙するかも知れませんが、残念ながらこの議場には、国旗も、そして柏崎市の旗である市旗すらも掲揚していない情けない状況であります。
  「先ず隗より始めよ」とは言いますが、我が柏崎市議会も市旗、国旗をきちんと議場に掲揚して、しっかりせねばならないな、と思っている今日この頃です。
 さて、通告に従いまして、質問をしたいと思います。
 今回は多く分けて4つの質問を一問一答形式でお願いいたします。
 最後の質問者ということもあり、これまでの質問された方と重複する点が多々ございますので、その部分は省略し、簡単かつ明朗な質疑応答ができればと思っております。

 1つめの質問は、市長に対し、国際交流を通した『人財』育成についてである。
 現在、柏崎市は友好都市として中国の3都市との交流を行っている。
  
 ・四川省峨眉山市、1994年8月2日「友好交流宣言書」を締結
  1825年(文政8年)中国四川省から「峨眉山下柱」と刻まれた
 木柱が、6千キロの漂流を経て、当時の宮川の浜に流れ着き、
 これを聞いた良寛が七言絶句をよんだ。現在木柱は高柳町の
 貞観園に保存されている。平成2年に宮川で「良寛詩碑出立式」
 が行われ、同年峨眉山のふもとに良寛詩碑を建立。
 この「峨眉山下橋杭」の縁をきっかけに交流が始まった。

 ・湖北省宜昌市、1998年11月27日「交流内容覚え書き」
  一地点として世界最大規模の原子力発電所が立地する柏崎市
 と世界最大規模の「三峡」水力発電所の立地する宜昌市とが、
 相互に世界最大の発電所立地都市として、エネルギー供給に
 貢献している共通点から友好の芽を探求しようと交流が
 始まった。

 ・江蘇省淮安市、日中国交回復を実現した故周恩来元首相の
 故郷、淮安市と故田中角栄元首相の故郷、西山町との関係。

 3都市との関係を述べたうえで、昨今の中国の事と田中角栄元首相の話題に触れた。

 話は飛ぶようですが、最近とみに中国から靖國参拝など、日本国内のへ政治への干渉が多くあります。日本の侵略戦争を美化する靖國神社には参拝すべきではないというのが、中国側の言い分でありますが、この「侵略」という言葉についての田中角栄元首相の逸話をご紹介したいと思います。1972年、日中国交回復の際、日中共同宣言に周恩来首相は「侵略」の文言を入れて、日本に謝罪させようとしました。しかし、田中角栄元首相は「元寇」で日本を侵略しようとしてことをあげ、周恩来に納得させました。その後となった福田赳夫首相も「侵略」の文字は日中平和友好条約で拒み通しました。ちなみに、1978年の日中平和友好条約(日本国と中華人民共和国との間の平和友好条約)の第1条1項には、「内政不干渉」が書かれております。現在の中国政府はこのことを忘れているんでしょうか。

   第1条1
  「両締約国は、日本国政府及び中華人民共和国政府は、
   主権及び領土保全の相互尊重、相互不可侵、内政に
   対する相互不干渉、平等及び互恵並びに平和共存の
   諸原則の基礎の上に、両国間の恒久的な平和友好
   関係を発展させるものとする。」

 予算的には、現在審議中の平成18年度予算におきましては、峨眉山市に200万円、宜昌市に132万円、淮安市に140万円が計上されております。
 市長も以前、3つの都市とお付き合いしていくのは難しい旨、議会でも発言されていたように記憶しておりますが、今後、3都市との付き合い方をどうしていくのか、市長のお考えをお聞かせ下さい。

 そして、インドのことについても質問である。

 また、文化的、経済的も柏崎市のためとなる、新しい国際交流について、少し市長の見解を伺いたいと思います。
 私がご提案したいのは、2010年には確実に中国を抜き、アジアの大国になると言われておりますインドについてであります。

 インドは、IT産業の発展もめざましく、既に基本OSソフトではトップである「Windows」もインド技術者が多く関わっていることを指し、「Indows」と呼ぶ人さえあります。

<他の自治体の例>
  岡山県のインド訪問 平成18年1月17日
  インドのマハーラーシュトラ州との友好提携を目指し、
 石井正弘知事をはじめ行政や経済団体の関係者など
 80人が訪問。インドはIT産業を中心に高度成長を
 続けていますが、なかでもマハーラーシュトラ州は
 工業化が進んでいて経済の中心地となっています。
 訪問団は1月23日までの1週間インドを訪問し
 日本庭園の開園式典に参加するほか州政府の
 関係者と会見したとのことです。


 原子力という点においても、インドはNPTに加盟していないものの、先日、アメリカが技術提携すると発表しました。柏崎市が原子力というつながりでインドの都市と交流をもつことは、世界にひらかれた柏崎市、世界都市・柏崎として、そして子供の教育という点でも有効な手段ではないかと思います。
 インドとのお付き合いについて、市長のお考えをお聞かせ下さい。

 我が会派としても、4月12日から16日までインドに行き、インドに進出した企業(スズキ自動車など)の視察をはじめ、日本への企業進出もしくは留学生、JETプログラムの派遣などを考えているインド各州の方のプレゼンテーションを受けてまいります。外国人英語教師プログラム(JET、ALTのようなもの)では今まで、白人が多かったことと思います。真の国際人を育て、英語を習いながら文化を習うということで、白人以外の英語を母国語とする教師も良いのではないと思います。
 ちなみに、柏崎市とインドは、詩聖タゴールつながりがあります。
 タゴールは、アジア人で初のノーベル文学賞を受賞した方ですが、日本人では岡倉天心、横山大観との交流があり、軽井沢がお気に入りで、軽井沢にはタゴール公園がございます。タゴールの著作は、ベンガル語から英語に訳され、そして日本語に訳されて、日本語版となっておりましたが、柏崎出身の方(伊藤さん、1937年新潟県柏崎市生まれ)が直接、日本語への翻訳をしております。
 そして、先の大戦、大東亜戦争中の3大愚戦の一つに数えられるインパール作戦に参加された方が柏崎市出身者にも多くいらっしゃるとお聞きしております。それ自体は愚かなものではありましたが、インドから見れば、独立戦争の重大な転換であったとされており、いまだロトパチンという現地の村では、現地の方による日本兵の慰霊祭が執り行われております。


 大きな2つめの質問として、柏崎市国民保護計画の策定と「安全、安心のための基盤づくり」についての質問である。

 会田市長の信念でもあり、市政方針にも重点項目として挙げられた安全、安心のまちづくり。原子力発電所への武力攻撃など、実際の国民保護計画が重視されるなか、市長の方針を伺いたいと思います。
 これは、昨日、そして本日までの一般質問で多くでてまいりました。矢部議員、持田議員と立場が違うこともありますが、重複する部分は避け、まずはこの数値を最初にご紹介したいと思います。
 先日、柏崎市をはじめとする県内6市(新潟市、長岡市、上越市、十日町市、佐渡市の331名)の県民を対象にした危機意識に関するアンケートの結果が発表されました。その結果、

 本県に対する他国からの武力攻撃・テロの可能性65.8%
 標的になりうる施設として、
       原子力発電所・石油コンビナートが89.1%
 「国民保護計画を知らない」74%

という数字がでました。国民保護計画については、色々な議論があるものの、自治体としてはいかに早くきちんと住民を逃がすことができるのかがポイントになると思います。
 今後、市長の諮問機関である協議会を組織し、19年3月までには最終答申をまとめるとのことですが、第何号といったものがあるものの、この協議会のメンバーをどのようなメンバーで構成し、またどういう手法で広く住民の意見を求めるのか、市長のお考えをお聞かせ下さい。
 また、市長の午前中の答弁では、協議会メンバーとして、自衛隊は陸上自衛隊しか要請しない旨のご発言だったと思います。日本のエネルギーを支えている我が柏崎市民は、いざ有事となった場合には、陸海空自衛隊の総力を使って、救われるべきと私は思っております。新潟県の国民保護計画においても、陸海空自衛隊がメンバーとして参加しております。
 柏崎市までの各自衛隊の距離は、陸上自衛隊・高田駐屯地が陸路で約1時間、虚空自衛隊・新潟救難隊が空路で約1時間、海上自衛隊が京都舞鶴という状況です。であるため、私は海上自衛隊誘致を安全保障、経済活性化の観点から誘致を訴えているわけであります。
 いずれにせよ、世界最大の原子力発電所基地である柏崎市の国民保護計画に陸海空自衛隊に参加してもらうのは柏崎市の安全保障を考えるうえでも、良いチャンスとなるのではないかと思うのですが、市長のお考えをお聞かせ下さい。

 ここでは市長との意見がはっきりと分かれた。各自治体で制定する国民保護計画の協議会メンバーには自衛隊が指定されている。新潟県内の自治体すべてを県の方でとりまとめて調整した結果、柏崎市は陸上自衛隊のみが担当になった。他の自治体と同じ配分である。市長はそれで十分との答弁であったが、新潟県内の他の自治体と「世界最大の原子力発電所」を抱える柏崎市が同格の扱いで良いというのは、いかがなものかと思う。無理にでも主張し、陸海空自衛隊に柏崎の安全保障について分析してもらい、柏崎市がノウハウとして蓄積するチャンスではないかと思うのである。
 新潟県の国民保護計画は陸海空自衛隊がメンバーに入り、しかも他の都道府県とは異なり、原子力発電所と島への武力攻撃を別の章立てにしているほどである。当事者たる柏崎市にその感覚がないことは非常にマズイのでないかと思う。
 次に平和教育や現実の脅威の紹介である。
 先ほどの質問でもそうであったが、もちろん、ここでもたっぷりの野次を頂戴した。

 午前中の質問で、『防衛白書』では武力による侵略をうける可能性が少ないとある、とご紹介がありました。しかし、実態はどうであるか一例をご紹介したいと思います。
 防衛庁によれば、中国軍機に対する航空自衛隊のスクランブル(緊急発進。防空識別圏内に敵機または国籍不明機が侵入した場合に迎撃)は、平成14年度はゼロ、15年度は2回、十六年度には13回。ですが、今年度は上半期だけで30回と急増し、下半期も増加傾向。中国軍機以外を含むすべての緊急発進回数も、今年度上半期は昨年同期(92回)を上回る計103回にのぼっており、年間回数も昨年度(計141回)を超えるいきおいであります。今年度上半期はロシア機に対する緊急発進も72回と例年よりやや多かったとのことです。
 また、先日、元北朝鮮工作員で現在は韓国に亡命しているアンミョンジンさんにお会いしました。お話をお聞きしたところ、日本への上陸を狙う工作員は、日本全国のなかから一人30ポイント以上の上陸ポイントを見つけて、持ち合っているそうです。もちろん柏崎市もその対象でございました。
 これらの事柄からも、我々の平和は、何もせずとも未来永劫安定している、というものではないと理解すべきではないかと思います。
 平和教育について、市長は矢部議員への答弁で、思いは同じとおっしゃられました。私自身も平和教育を行うことは大変重要であるということは同じですが、問題はその中身であります。
 こんな事例があります。
 つい先日のことですが、全国で3例目となる国民保護計画に基づいた訓練が、千葉県富浦町で行われると発表されました。この訓練は小学生120名も含め、実際に武力攻撃があった際にはどう逃げるのか、という内容です。この訓練計画に対し、社民党千葉支部は、「小学生に武力行使のようなものを教える事は危険」と千葉県知事をはじめ、関係各所に抗議をしているとのことです。
 本当の「平和教育」は、「平和、平和」と念仏のように唱えるだけのものではなく、実際の脅威、そして戦争がどんなものであるのか、いままでの戦争がどういった理由ではじまり終わったのかを学ぶことだと思っておりますが、市長が考える「平和教育」についてお聞かせ下さい。

 市長の答弁は、とにかく「友好」を中心にした平和教育とのことであった。

 「ここは国会じゃねーんだ」
 「そんな質問してんじゃねーよ」
 「オメーみたいのが戦争起こすんだよ」

 野次は、ラジオ中継に入らないようであるが、「平和を訴える」方々の「平和な」お声を多くの市民の皆さんに聞いてもらうためにも、是非、議場全体をカバーする位置にもマイクをセットしてもらいたい。
 しかし、野次が多いことはよく聞いて頂いている証拠であり、ありがたいことである。

 質問の持ち時間も少なくなってきたので、あとを一気呵成に教育長に質問した。
 「子供の安全と安心について」は、防災無線を使った小学生などを気遣う放送をしてもらおうというので、「第5回 教育を語る会」の反映である。高校生や中学生にも下の子を守る意識をもってもらい道徳観をもってもらうという点まで、踏み込ませてもらった。

<他の自治体の例>
  昨年10月30日茨城県は平成19年度から、県内公立高校
 で「道徳」の時間を必修にすることを発表。
 週一時間、年35時間で道徳教育が行われる。

 質問の最後は、「地元を愛する子供を育てる教育について」である。
 郷土・柏崎を愛する教育への実際の取り組みとして、
「柏崎学」「柏崎検定」を提案させてもらった。
 現在、柏崎での医療問題として、医師・看護師の不足が一番に挙げられており、対策として、地元出身の医師・看護士を増やそうと奨学金制度などが検討されている。しかし、長期的な視点で見た場合、郷土・柏崎を愛する教育に今から着手することが重要だと思うのである。
 北前船からでもいい、明治21年の日本石油株式会社設立でもいい、生田万の乱でもいい、大きな視点、国の歴史、世界の歴史から見た柏崎を教えるべきではないか。明治21年といえば、アジアの独立国はシャム(タイ)と日本だけ。しかも民間主導による石油産業がはじまり、それに合わせて文化も急速に発達した柏崎の特異性を、光ある歴史として教えるべきであろう。
 最後に、イギリスの言語学者オウエン・バーフィールドの、

 「歴史的事実というのは、雨の後の空中の水滴。
  ある視点に立たないと虹は見えない。
  歴史教育というのは、皆が見ることができる虹を示すこと」

の言葉を引用し、質問を締めくくった。

 18時過ぎ、自宅に戻ったところ、一般質問の反応が2件あった。
 一つは、「柏崎学」である。現場の教師は忙しく、そんなことをしている時間は無い。現場を知らない議員だから、好き勝手なことを言える、とのこと。まったくもって、教育の本来業務をはき違えているとしかいえない。
 もう一つは、市長への反抗が見苦しいとの初老(声の感じで)の男性からの意見であった。市長が陸上自衛隊だけで十分といっているのに、海上自衛隊などど余計柏崎が狙われるじゃないか、とのことであった。国民保護協議会のメンバーの話と海上自衛隊誘致の話がごっちゃになっている感じであったが、ご意見をとりあえず伺った。
 良い意味でも悪い意味でも反応があったことはありがたいことである。

F1000001

 19時、鰤のアラと下ゆでした大根で鰤大根を作り、夕食。目玉の周りなどがプリプリしていて、いかにも美味そうにできたので、ビール500ml6本を飲む。他、シューマイなどもつまみつつ、グイグイと飲み、酔いがまわる。
 22時過ぎに就寝。

2006年3月 7日 (火)

柏崎市の公務員給与民間格差

DSC01120_t 1時過ぎ就寝。
 7時起床、日付の過ぎた食パンを先に食べてと母に言われ、トーストと牛乳の朝食。やはり、納豆とご飯を食べないと力がでないような気がするので、デザートとして大粒納豆を一パック食べる。

DSC01124_t 10時から市議会本会議、一般質問の二日目。今日も色々な指摘がでたが、最もなところは、監査委員でもある公明党・真貝議員の質問、公務員の民間との給与格差の話であった。
 『週刊 東洋経済』2005年11月5日号の「特集/公務員 史上最大の受難」という特集での新潟県内の行政職員の官民格差は以下の通りである。民間のベースはその自治体にある10名以上の社員を抱える会社の平均であり、その平均と行政職員の差が後の数字。

<職員1名あたりの平均年収>
 ・新潟市 652万円 差額141万円
 ・長岡市 655万円 差額144万円
 ・柏崎市 649万円 差額138万円
 ・上越市 619万円 差額108万円

 55歳で昇級をストップしていたものを解除し、4.8%給料引き下げと言いつつも、実質は他の手当で補給する。若手を起用するためにも58歳で部長職を降りる制度も廃止。優秀な行政職員に対して、給料が能力給として高いには納得するが、業績評定システムも作らずに全体的に利益を確保。「小さな市役所」ではなく、密かに「大きい市役所」になっている。

DSC01121_t 12時、市役所の売店でミックスサンドイッチ、明太子のおにぎり、「野菜一日、これ一本」を購入し、昼食にする。ベストセラーとなった『国家の品格』の著者、藤原正彦氏の「武士道と国語教育」という論文をコピーし、保守系の議員に配る。道徳教育、国語教育がこれからの教育に重要だと思うからである。

DSC01125_t 18時近くにやっと議会終了。 一旦、自宅に戻ってからスーパーに行き、値引きになっているものを中心に購入する。
 (解凍)秋刀魚2匹、鰻と納豆の卵とじ、サラダで夕食。秋刀魚のはらわたをつぶして身にまぶし、大根おろしをのせて食べるのは、日本人で良かったと思う味である。

 仲間の地方議員や知人に、インド訪問の件をメールやFAXなどで連絡。明日の一般質問の最終チェックする間もなく事務仕事ばかりで多少気があせる。

DSC01064_t 加瀬英明先生から、納豆を送ったときのお礼のお手紙とご著書『イギリス 衰亡しない伝統国家』が届いた。

「イギリス人は世界のなかで、日本人と気質や文化がもっとも共通している国民である。イギリス人は日本人と同じように慎みがあって、はにかむし、礼儀正しい。大陸の民のように饒舌でないし、理屈を振り回さない。日本の観光客がヨーロッパを訪れて、イギリスまで来ると、ほっとするという者が多いが、きっとそのためだろう。」

 実はまだイギリスには行ったことはない。加瀬先生のご指摘のような感覚になるのか、是非、行ってみたいものである。

2006年3月 6日 (月)

一中卒業式、一般質問、JC例会

 7時起床。甥っ子と一緒に遊んだり、風呂に入っているうちに、母校である柏崎第一中学校の卒業式の時間となった。あわててスーツに着替え、柏崎第一中学校に移動。
DSC01099_t 校長室に案内頂き、校長や他の来賓の方と談笑。今年の卒業生の数は67名、2クラスのみで、学校史上で最少人数だそうである。ちなみに、これまでの在校生の最大は、昭和37年の約1300名であるとのこと。同じく来賓の会田市長はこの頃に在校していたそうである。
 また、会田市長の恩師にあたるNさんのお話も興味深かった。Nさんは昭和26年、まだ日本がGHQによる占領のなかで柏崎高校に入学されたそうで、伝統ある柔道部も昭和27年のサンフランシスコ講和条約の発効まで禁止されていたことを実体験されている。
 敗戦の昭和20年から昭和27年までの占領期間中、「大東亜戦争」の名称、「八紘一宇」等のスローガン、軍歌、ラジオ体操、神道、武道が、禁止されていたこと、もっとキチンと歴史教育のなかで教えるべきであろう。
 「太平洋戦争」の名称はこの時期に生まれた。ちなみに、GHQに命令では公文書と新聞のみに「大東亜戦争」ではなく、「太平洋戦争」とするとなっていた
DSC01100_t 現在、市議会で「大東亜戦争」と発言すると、一方向から激しい野次が飛ぶが、占領が終わった現在、日本の戦争は「大東亜戦争」と呼ぶべきと主張するのはここに理由がある。
 おめでたい日らしく、桜餅をだしていただいたので遠慮無く、頂戴した。

DSC01101_t 卒業式は、在校生による混声3部合唱、ワーグナーの『タンホイザー行進曲』(福田三岐夫作詞)で卒業生が入場。卒業生が『旅立ちの日に』(小嶋登作詞/坂本浩美作曲)、そして『仰げば尊し』(作詞・作曲者不詳)を歌い、美しい涙が頬を伝わっていた。
 最近は、『仰げば尊し』に変なイデオロギーをつけ、歌わない風潮があるが、本校の卒業生は素晴らしい。卒業生からの申し入れで追加となったそうである。
DSC01103_t ちょうど校長も定年前の最後の卒業式であった。校長は、いまから18年前、この中学校の生徒だったとき、体育の先生であった。私のような出来の悪い生徒が、来賓でまた会うとは思いもよらなかったことと思う。しかし、人の縁とは不思議なものだ。

DSC01102_t 12時過ぎ、湯通しした豚バラ肉と卵で炒め物を作り、小粒納豆、豆腐と油揚げの味噌汁でブランチ。炒め物は、山椒を効かせてピリ辛にしたので、ご飯との相性もよく、ついついおかわりをしてしまった。食べ過ぎで、まぶたが重くなる。

DSC01104_t 13時から市議会本会議、一般質問。色々な指摘があったが、ベテランである吉川議員の市役所の除雪については、簡単な内容のようで行政というサービス業を考えさせられるものであった。昨年末、市役所庁舎の駐車所の除雪はしてあったものの、雪を置く場所がなく、駐車場中心部に雪山が1ヶ月間そのままにあった。これによって駐車場がせまくなり、市民に迷惑をかけたのである。市長の答弁では、予算の関係であったが、ご迷惑をおかけしたとのことであった。しかし、市役所は市民に最も身近なサービス施設であり、たかが除雪、駐車場のことといえども、そこにサービス業としての精神性を見るのである。民間であったら、お客様へのサービスの姿勢をみせるためにも、すぐにやることであろう。

DSC01107_t 19時から「割烹 みずち」(0257-22-2455)にて、柏崎青年会議所の3月例会。今例会のテーマは「マナー講習」。名刺の正しい渡し方や挨拶、言葉遣いなどを再確認する内容であった。
 以下が言葉遣いに関する簡単なテストと回答である。


問1
 A:事件に巻き込まれた可能性があります。
 B:事件に巻き込まれたおそれがあります。

問2
 A:葬儀はつつがなく終了いたしました。
 B:葬儀はしめやかにとり行われました。

問3
 A:鳥肌が立つほど恐ろしい思いをしました。
 B:鳥肌が立つほど感動しました。

問4
 A:青い服を着ると勝つのがジンクスなんです。
 B:二年目のジンクスか、最近は不調です。

問5
 A:私では力不足なので辞退します。
 B:私では役不足なので辞退します。

問6
 A:秘書のせいにするなんて姑息だ。
 B:秘書のせいにするなんて卑怯だ。

問7
 A:それは的を得た意見ですね。
 B:それは的を射た意見ですね。

問8
 A:ぜんぜんOKです。
 B:ぜんぜん構いません。

問9
 A:彼は、舌先三寸だから信用できません。
 B:彼は、口先三寸だから信用できません。

問10
 A:上には上があるものですね。
 B:上には上がいるものですね。


【回答】
問1:B
   「可能性」は見込みで良い意味に使い、「おそれ」は悪い意味。
問2:B
   「つつがなく」は異常なく、無事にという意味で、
   おめでたい時によく使われる表現。
   「しめやかに」はしんみり悲しげという意味で、葬儀関係で使う。
問3:A
   鳥肌は寒さや恐怖のために立つもの。
   実際には感動で鳥肌が立つことがあっても、
   良いことの表現には用いない。
問4:B
   「ジンクス」は悪い縁起。
   良い結果を願っての縁起かつぎの場合には用いない。
問5:A
   「役不足」は、役目が軽すぎて、力量を発揮出来ないこと。
問6:B
   「姑息」は一時の間に合わせ、その場しのぎという意味で、
   卑怯(ずるい)とは違う。
問7:B
   的は「得る」ものではなく、「射る」もの。
問8:B
   「ぜんぜん」は「~ない」の否定形で結ぶのが本来。
問9:A
   口先だけで言葉巧みに話すものの、
   正確には「舌先三寸」「舌三寸」。
問10:A
   「上には上」は人に限らず、物を指す場合もあるため、
   「いる」のではなく、「ある」。

参考:
杉本祐子著『きれいな言葉づかいと好感度アップの敬語』主婦の友社


DSC01111_t そして、朝日酒造さんの「久保田」のランク別飲み比べもあった。結局、一番美味しい「萬寿」しか当たらず、ショックであった。
 アルコール添加してある方が、軽い感じがして飲みやすいような気がするので、普段、凝った料理と一緒のときには大吟醸よりもアル添の酒を選んでいる。
「久保田」説明 pdfファイル


酒造米について

DSC01112_t 酒造米は玄米から糖・胚芽を取り除き、あわせて胚乳を削ります。
 米に含まれる蛋白質・脂肪は粒の外側でより多く含まれます。醸造の過程において、蛋白質・脂肪は雑味の原因となるため、米が砕けないよう慎重に削り落とされ、それにより洗練された味を引き出すことができます。その反面、精米歩合が高くなればなるほど、米の品種の個性が生かしにくくなり、発酵を促すミネラル分やビタミン類も失われるので、後の工程での高度な技術が要求されます。
 精米の速度が早すぎると、米が熱をもって変質したり、砕けて使い物にならなくなるので、細心の注意をもってゆっくり行わなくてはなりません。吟醸、大吟醸となると、削りこむ部分が大きいだけなく、そのぶん対象物が小さくなって神経も使うので、精米に要する時間は丸二日を超えることもあります。
 酒造米には、五百万石、山田錦、たかね錦などがあり、これらの酒造米を28%になるまで削り造る酒もあります。


DSC01114_tDSC01118_t 例会終了後は、そのままの体勢で懇親会となった。きき酒では、はき出さずに飲み続けたため、他のメンバーも多少酔っぱらっており、ビールやワインを注ぎつ、注がれつつ、意見交換をする。
DSC01116_tDSC01115_t きき酒のときの話題など、新入会員とも気軽に話すネタにもなり、なかなか面白い例会であったと思う。理事会では酒をだすことに賛否両論あったそうであるが、結果オーライではないだろうか。
DSC01117_t 新入会員となった、年上の方に色々とお話を聞いたら、祖父が町内会長をしていた頃からよく知っているということであった。今日はご縁の不思議さを再確認した一日であった。

2006年3月 5日 (日)

大澤孝司さんと再会を果たす会

DSC01090_t

 2時過ぎに就寝。
 目が覚めたら、なんと10時。あわてて、カプセルホテルをでて、関越自動車道に向かう。
 途中で、ベーグルハムエッグサンドとダイエットペプシで朝食。

DSC01070_t 多少遅刻するも、無事、巻文化会館に到着。会場には、新潟市議会の山本あきこ議員、佐々木かおる議員、山田洋子議員、新潟県議会の大渕健議員が出席されており、年明け初の顔合わせであった。
DSC01091_t 大澤孝司さんと再会を果たす会の総会や報告事項、県議会議員からの挨拶などののち、特定失踪者問題調査会代表である荒木和博氏による約1時間の講演。
 色々と貴重なお話があったが、なかでも政府認定の拉致事件はどうやって明らかになったのかの整理は、あらためて政府のいい加減さを知ることになった。以下のように、拉致事件については、政府からの情報発信は一度も無いのである。


昭和52年 久米裕(ゆたか)協力者を逮捕したが不起訴・極秘に
      横田めぐみ『現代コリア』平成8年10月号石高論文
昭和53年 田口八重子工作員(金賢姫)証言
      田中実『文藝春秋』平成9年1月号張龍雲論文
      地村保志・(浜本)富貴恵
      蓮池薫・(奥土)祐木子
      市川修一・増元るみ子
 上記三件は
産経新聞昭和55年1月 阿部記者スクープ
      曽我ひろみ・曽我ミヨシ 北朝鮮が先に出してきた
昭和55年 石岡亨・松本薫 石岡さんの手紙
      原勅晃(ただあき) 工作員(シンガンス)の証言
昭和58年 有本恵子 石岡さんの手紙


 また、スパイ防止法の無い日本はまさにスパイ天国であるというお話もまったくの同感であった。
 片山さつき議員が自身の後援会で拉致問題について、5月にあっと驚くことがあると発言したそうで、官邸筋で横田めぐみさんを5月に帰して、北朝鮮とのモメ事を終わりにしようとする動きがあるとのこと。日朝国交正常化を急ぐのと同質の動きであろう。十分、注意が必要である。

DSC01095_t 続いて、北朝鮮の元工作員で、韓国に亡命し、現在、多くの拉致について証言している安明進氏の講演。日本人ではないので、そこまでは言えない、という前置きはついたものの、日本の弱腰外交姿勢、自国民の生命と財産を守るためなら武力行使も辞さずという意気込みのなさを指摘され、日本人としては恥ずかしい思いもした。

 講演終了後、関係へのご挨拶とともに、長岡市の中村三奈子さんのお母様にもご挨拶。中村三奈子さんの失踪についても、韓国への入国、ハスキー声の中年女性による成り代わりなどおかしな点が多々ある。一刻も早く、情報が集まることを願ってやまない。

 今年は、4月11日から10月まで万景望号が入港する。最初の4月11日は、是非、入港阻止活動に行きたいが、インド訪問とちょうど重なっており残念である。

 集会終了後、新潟市で商売関係の打ち合わせ。

DSC01098_t 12時近くに自宅に戻り、豚モモ肉でしゃぶしゃぶを作り、ひき割り納豆とともに、レトルトカレー(ククレカレー)に入れ、納豆豚しゃぶカレーにする。辛さが足りなかったので、激辛のサルサ・デスソースをたっぷりとかけ、汗をかく。

2006年3月 4日 (土)

演劇フェスティバル、銀座で異業種交流会

 7時起床。なぜか腰痛が酷く、2回ほど風呂に入るも治らず。いつもイスに座って、長時間パソコンに向かっているので、気になる痛みである。

 10時、生卵と大粒納豆でご飯をかっこんでいるところで、来客。福祉に関する相談であった。後日、市役所の福祉課と相談し、ご回答するということで話を終えた。

 12時、甥っ子が妹夫婦とともに来たので、30分ほど遊ぶ。甥っ子が残した焼きそばやご飯で昼食。

DSC01067_t 13時30分、「第12回 柏崎演劇フェスティバル」桑名市と柏崎市の交流を進める演劇公演「幕末親子絆 桑名・柏崎日記」(桑名劇場)、「おとし文」(柏崎演劇研究会) を見るため、市民会館大ホールに行く。
 会場は既に多くのお客さんでいっぱいであった。これをきっかけとして、柏崎の歴史に興味をもってくれる人が増えることを願うばかりである。
DSC01066_t 会場では、桑名市の名物も販売していた。

「その手は桑名の焼き蛤」

とは言うが、せっかく桑名の方々にお越し頂いているので、何かを買うのが人情であろう・・・と思ったものの、財布を忘れたことに気づき、大失敗。
_1 柏崎は桑名藩が統治していたため、柏崎陣屋の役人だった渡部勝之助、国元の養父・平太夫の交換日記を交わしている。

DSC01068_t 18時から東京の銀座で異業種交流会のため、急いで愛車の「プリちゃん」(メス)で移動。雪山が美しく、景色を楽しみながらのドライブになった。

 かなり遅刻し、会場のファンケル銀座スクエアに到着。会場である「泥武士」はファンケル銀座スクエアのなかにあり、一階の女性化粧品のコーナーを通らないとエレベータまで行けず、女性が化粧品を選んでいるなか、むさ苦しい男が通るのはちょっと気が引ける。
 埼玉県の鈴木正人県議、東京都武蔵村山市の天目石要一郎議員、埼玉県志木市の香川武文議員、そして某社の方4名との異業種交流会。
DSC01072_t まずは、「やまももスパーリングワイン」。メニューによれば、「日本で初めてのヤマモモを使ったワイン。天然ヤマモモの実を入れて・・・」とある。一口飲んでみたところ、スイスイと飲めてしまい、写真を撮る間もなく飲み干す。続いて、「豆乳青汁甘酒」。なんとも言えない味であるが、体に良い感じはビンビン伝わってくる。でもやはりビールが恋しいので、途中でビールに変更。
DSC01076_t 料理は野菜を中心にしたもので、牛蒡の素揚げを中心にしたアラカルトから始まり、茹で野菜の盛り合わせ、赤ほうれん草のサラダ、揚げ豆腐、ルッコラご飯でシメであった。
 かなり手の込んだ、野菜中心の料理に接し、思わず、

DSC01080_t「うわぁ~味の宝石箱やぁ~」

と彦麻呂風に叫びそうになったが、その反面、以外に素揚げやドレッシングの油も多く、以外にも胃には効く内容であった。
DSC01078_t 異業種交流会は、議員側がアクの強いメンバーということもあり、無言になるシーンは一回もなく、とにかく誰かが喋っているような状態であった。
 最近、お気に入りのネタ、「気付いたら アイウエオ作文になっていた、アタック25の児玉清の進行」をやるも受けず・・・・。
 アタック25司会の児玉清です
 いつものようにオープニングはVTR問題です。
   お手つき有りません。
 海と毒薬などの著書で知られ
   熱心なカトリック信者であった作家と言えば?
 遠藤周作
 お見事!

DSC01081_t 続きとしては、「気付いたら問題の答えがカ行でまとまってた児玉清」のネタもある。
 加藤清正
 衣笠祥雄さん
 九十九里浜とお答え頂きたかった
 ケミストリー その通り!
 米騒動

DSC01082_t さらには、「気付いたらサ行で出題されていた児玉清」もある。

 佐賀県東部でお生まれになり
 少年時代は野球とサッカーに熱中
 すべてはこの道に通ずるなどの名言を吐き
 世界に股をかけた冒険家でも有ります
 その人物の名は?

DSC01087_t 「泥武士」をでて、「オールナイトジャスミン」に移動し、二次会。引き続きビールを飲むも野菜続きの食事になんだか満足感がなく、モッツアレラチーズと明太子を春巻きの皮?に包んで揚げたものや、チーズやトマト、きゅうりなどがたっぷり入ったホットサンドイッチ、ピーナッツなどを食べながら、ビールをガブ飲み。

DSC01084_t

 二次会となって、だいぶ酒が入ってきたからなのか、学校で歴史をどう習ったのか、が話題となった。議員は四人とも保守系である。お約束のように「太平洋戦争は、アメリカにおける対日戦争、もしくは1800年代のチリ・ボリビア戦争」のことであって、日本がやった戦争は「大東亜戦争」である、と熱く語る。

DSC01086_t

 「太平洋戦争はパシフィック・ウォー?、
 じゃあ、大東亜戦争は?」

との質問を頂戴した。「大東亜戦争」は、

 「Greater East Asisn War:
     グレイター・イースト・アジア・ウォー」

である・・・と熱くなり過ぎたところでお開き。
DSC01088_t 先方と別れ、鈴木議員と二人で銀座の帰り道を歩いていると、占い師がいたので、酔った勢いで手相を見て貰った。代金3000円。

「結婚運はどうでしょうか?」

「結婚はもうしばらくないですねぇ~。
 今まで女性に冷たくしてきたようですから、
 そのツケもありますねぇ~。
 厄払いでもしないといけないと思います」

とのこと。ガックリである。人生全体を見てもらうと、

 「貴方は周りに人が集まるでしょ。
  周りの人も助けているけど、
  周りの人からも助けられて、
  これから安定した人生になります。
  ただ、若いときは随分、フラフラしてますねぇ~。
  死にかけたことも何度かあるでしょう」

・・・・・・良いんだか、悪いのか分からず。3000円無駄な投資であったのかもと反省。

 車で仮眠しようと思うも寒くて寝られず、結局、カプセルホテルに急遽泊まる。

2006年3月 3日 (金)

平成18年度予算 代表者質問

DSC01059 7時起床、やたら寒いと思ったら、また雪が積もっていた。ここ数日、雪がすっかり消えていたので、何か新鮮な感じがする。

 10時から本会議。
 本会議の冒頭、企画政策部長からの陳謝があった。
 先の議会で、平成17年度末の起債制限比率が11.1%になるからという説明で、繰り上げ償還を承認したものの、実際には計算のミスで、平成17年度には18%のままであるという。
DSC01062 起債制限比率が14%以上になる団体については県が13%以下になるよう「公債費負担適正化計画」を策定するよう指導が入り、起債制限比率が20%以上となると国の指導が入り、起債の制限がはいる。

 平成18年度からは新制度となり、実質公債比率は公表するかしないか定まっていないので、柏崎市としてもまだ決めていないとのこと。
 計算ミスは仕方ないにしても、このところケアレス・ミステイクのような報告が多いのは気になる。
 この陳謝ののち、代表者質問に入った。

DSC01060 12時過ぎ、昼休みとなったので、持参したおにぎりと市役所売店で買った「野菜一日これ一本」と「スープカレーワンタン」で昼食。スープカレーワンタンはなかなかいい。ただ、会派室をカレー臭くしてしまい、先輩議員から怒られてしまった。

 午後からも引き続き、代表者質問。郡病院では、8.7人、新潟病院では6.6人の医師不足であり、新潟病院の看護学校の地元枠4名は埋まっていないなど、医療問題も議論された。
 本来あるべき、地元を愛する教育をし、柏崎出身の医師、看護師を育てることも、これからも重要な仕事である。
 また、4月からの柏崎市役所の部や課の名前から「原子力」の名称が消えることも議論された。会田市長いわく、防災に関する適切な組織というが、柏崎市民、ひいては世界最大の原子力発電所を抱える自治体のあり方としてはいかがなものかと思う。

DSC01063 議会終了後は、市内で各種手続きや支払い。一万円札に羽根が生えたように、次々とでていく。帰りに市民会館に寄り、明日行われる「第12回 柏崎演劇フェスティバル」のチケットを購入。いまから楽しみである。

F1000001

 20時、夕食。名古屋コーチンのもも肉にクレイジーソルトをふって焼いたものと、モッツアレラチーズとトマトのサラダにビールである。
 亡くなった父が子供を祖父母に預けても見たく、結局、母と一緒に見に行ったという、1981年の東映作品『連合艦隊』のDVDを見ながら食べる。母と妹も一緒に見ることになった。
 真珠湾攻撃はもとより、ミッドウェー海戦の敗北から始まり、「戦艦 大和」の沖縄特攻までが描かれており、特撮は今の水準から見ると十分ではないものの、見応えのある作品であった。
 特に「空母 瑞鶴」の格納庫で、学徒出陣で戦場にでてきたものの、まだ離陸もままならないほど飛行技術が未熟な幼い少年飛行兵が、

 「我々は発艦することはできても、
        着艦することはできません。
  ですから一度発艦したら二度と帰ってきません。
  敵艦に体当たりします。
  せっかく整備していただいた
       零戦を壊してしまいますが許して下さい。 」

と、なべおさみ氏、長門裕之氏演じる壮年の整備兵に対しお詫びに訪れたシーンは胸に来るものがあった。長門裕之氏が、すかさず、

 「整備兵、整列ーーーっ!」

と零戦の整備兵を集め、

 「いいか!
  もしこいつらが発艦に失敗したとしても、
  こいつらのせいじゃねえ
  それはお前らの整備の腕が悪い所為だ!
  いいか!ねじ一本緩めやがっても承知しねえ!」

と叫び、整備員一同が押し殺した声で、

 「はいっ」

さらに、長門裕之氏が涙ながらに

 「声がぁ小せえ!! 」

と叫び、整備員一同、

「はい!! 」

の返事。田形先生から、特攻隊員を送り出すとき、整備兵は休むことなく戦闘機を整備し、操縦席にはチリひとつ無いほどにしていた、というお話も聞いていたので、余計に感じるものがあった。

 映画の満足感とビールの酔いで珍しく12時前に就寝。

2006年3月 2日 (木)

田形先生が語る旧日本軍軍規、南京陥落

DSC01056 7時起床。いつも三角形のおにぎりなので、今日は丸形で握ってみる。中身はお約束の「昆布の佃煮+干し納豆」である。結局、海苔を巻いてしまうので、食べるときには丸さ加減が分からず。

 9時から某所にて打ち合わせ。10時から別件の打ち合わせもあったが、結局、最初の打ち合わせが昼までかかってしまう。資料が先に届いていた場合には、読んでから来るのが当たり前であり、会議の冒頭から1時間は配付資料を朗読するような会議は無駄だと思う。今回、ついそれを指摘してしまい、雰囲気が悪くなってしまった。しかし、誰も無駄な会議はしたくないはずである。嫌われても、改善すべきところは改善すべきである。

DSC01058 12時過ぎ、自宅に戻り、近所の「うれっ子」(電話:0257-22-4648)のチャーシュー麺で昼食。いつもチャーシューは脂の少ない赤身が中心であったが、今回はバラ肉が多く、脂身をとる。

 13時30分から15時まで市役所内の会派室にて、平成18年度予算の勉強会。会派の人数が多いので意見が多く、どうしても時間が長くなってしまう。

 15時から18時ぐらいまで、年度末が近いこともあり、各種の支払いや会社関係の手続きをする。

F1000001 19時、鰺の南蛮漬け、手作りハンバーグで夕食。 ちょうどいいデミグラスソースがなかったので、トマトケチャップと中濃ウスターソースをバジルや塩で体裁を整えた感じのソースにした。 

 いよいよ、御年90歳、田形先生の講演会の日程と場所が正式に決定した。

 4月8日(土)14:00~16:00
      
柏崎市市民プラザ 波のホール
         資料代500円

 あとは貴重なこの講演を会場をいっぱい(250名以上)にできるか否かにかかっている。
 議会終了後、全部の朝刊への折り込む自分の後援会報を発行予定であるが、そこでも宣伝したいと思う。
 チャンネル桜水島社長から許可を頂戴したので、田形先生が語った旧日本陸軍の軍規や南京陥落後の模様を語ったビデオを以下に公開する。

[Windows Media Player]形式。
*Windows Media Playerは無料でダウンロードできます。

2006年3月 1日 (水)

21歳の遺書と靖國神社

 5時近くに自宅に戻り、仮眠。6時から柏崎準倫理法人会の経営者モーニングセミナーへの出席予定であったが、申し訳なくキャンセル。7時起床、『論座』『正論』『世界』『財界にいがた』『諸君』をもって、長風呂。

 9時過ぎから午前中いっぱい、一般質問関係の問い合わせや事前の調査。

DSC01048 12時、塩漬けにしておいた米山町の「もずく」で味噌汁をつくり、コーンとほうれん草の炒め物、中粒納豆でブランチ。
 汚い話で恐縮であるが、コーンを使った料理を定期的に食べることは、排便の際の確認にも有効であり、いわばマーカーの役目である。

 午後からアポなし、突然の来客。4月から東京に行くという若い方の就職相談であったが、とにかく東京に行くのが目的で、できれば暮らせるような収入のある仕事を紹介してくれないかとのこと。本ブログも見てくれているらしく、東京に多くの知り合いがいると思ったので、相談に来たという。普段はあまり怒らず、困っていれば、手を差し伸べるようにしている私であるが、今回ばかりは「そんなに甘いものではない」とお断りさせて頂いた。

DSC01051 18時30分から商工会議所で、新潟工科大の4年生、大学院生による『平成17年度
新潟工科大学・学生による「柏崎に関する研究」発表会』。主催は、柏崎商工会議所総合建設部会、社団法人 新潟県建設業協会 柏崎支部。後援は、新潟工科大学、新潟工科大学産学交流会である。
DSC01052 以下はメモ。


有限会社原経営コンサルティング
    代表取締役 原一義氏

「建設業界における新分野進出の事例」
 なぜ建設業が新分野に進出しなかればならないか。
 建設業は急速な投資の減少により、深刻な過剰供給構造に。
 →施策の方向性
  市場機能を発揮することにより、過剰供給構造を是正。
  その過程において、技術と経営に優れた企業が生き残り、
  伸びることができる環境を整備。

・廃棄牛乳からのバイオガス生産について
・植物油のメタン醗酵について

 ポイントはスカムに多く含まれる脂肪分。リパーゼ活性か?
・FULL THROTTLE ~柏崎における中心市街地再生計画~
 柏崎駅、旧日本石油加工柏崎工場跡、駅前商店街の活性化。
・中越地震で柏崎市の防災無線が果たした役割に関する
                        アンケート調査

・避難場所の役割を果たす学校設計
              (柏崎小学校の敷地を想定して)
・乾燥木材の流通と認識に関する調査

 品確法により、生乾きの木材を把握する必要性がでてきた。
・コンクリートのエフロレッセンスに関する研究
・風化セメントがモルタルコンクリートの性質に及ぼす影響。

講評 新潟工科大 地濃茂雄教授
うず巻き線香(110年前の発明)、コインロッカー(すべての段が同じ値段なのはおかしい?)、売れ残りのケーキ(スナックのお土産として安く卸し)について


 質問時間になっても質問者がなく、売名行為を取られるのはイヤであった(そのため名乗らなかった)が、なるべく質問をした。こういった発表では、学生に質問したり、提案したりしてあげることが、さらにその学生を育てることにつながると思うのと、質問がまったくないのは主催者に失礼であると思うからである。

DSC01054 21時30分過ぎに自宅戻り、昆布粉をダシにしたおでんとビールで夕食。
 今日は、午後に会った「唖然」とするしかない若者から、学業を頑張っている学生まで20代に触れることになった。
 ここであえて、大東亜戦争当時、いまから60年前の20代、しかも我が新潟県出身21歳の「遺書」を紹介したいと思う。
 昭和19年7月6日 ニューギニアのサルミにて戦死した高野丈夫陸軍少尉の「遺書」である。いつ読んでも自分が20代にこのような境地に達したかどうか反省することこの上なく、靖國神社を無くしてはならないことを再確認する感動の文章である。


「遺 書」 陸軍少尉 高野丈夫命

_2  私もたうたう男一匹として
     大東亜戦争に参加出来、
 只今護國の神として桜の花も美しき
    九段の靖國に参る事が出来ました。
 しかし、僕一人先たち、
   後にお残りになつた御父母様には、
          まことに御気の毒に思ひます。

・・・・たしかに私は御父母様より先に比の身を滅しました。
 しかし、それで私の一切が終わりを告げたのでありません。
 私は今ちやんと護國の神として
      靖國の御社にとこしへに生きて居ります。
 どうぞ元気を出して、辛くはありませうが、
            現世の荒波を乗り切つて下さい。
 最後の最後まで頑張り抜いて下さい。
 御父様、御母様の後には常に僕が居ります。
 ・・・・・私は何の思ひ残すことなく心ゆくまで戦つて、
        天皇陛下の弥栄を念じつつ、
         目を閉ぢることを得ました。・・・・・

 今迄は私が時々帰省して楽しくお話をし、食事をしてゐました。
_1  今度はどうか御両親様も
    時々靖國の社頭に来て下さいませ。
 そして又あの時のやうに、楽しくお話をし、
          楽しく食事をしやうではありませんか。
 私は文章が下手な上に、
        字も非常に拙いので、さぞ辛かつたことでせう。
 それでも私は真心をもつて綴り、又書いたのでございます。
 どうぞ笑わないで下さい。

                        丈夫より
   御両親様へ

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