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2006年3月 2日 (木)

田形先生が語る旧日本軍軍規、南京陥落

DSC01056 7時起床。いつも三角形のおにぎりなので、今日は丸形で握ってみる。中身はお約束の「昆布の佃煮+干し納豆」である。結局、海苔を巻いてしまうので、食べるときには丸さ加減が分からず。

 9時から某所にて打ち合わせ。10時から別件の打ち合わせもあったが、結局、最初の打ち合わせが昼までかかってしまう。資料が先に届いていた場合には、読んでから来るのが当たり前であり、会議の冒頭から1時間は配付資料を朗読するような会議は無駄だと思う。今回、ついそれを指摘してしまい、雰囲気が悪くなってしまった。しかし、誰も無駄な会議はしたくないはずである。嫌われても、改善すべきところは改善すべきである。

DSC01058 12時過ぎ、自宅に戻り、近所の「うれっ子」(電話:0257-22-4648)のチャーシュー麺で昼食。いつもチャーシューは脂の少ない赤身が中心であったが、今回はバラ肉が多く、脂身をとる。

 13時30分から15時まで市役所内の会派室にて、平成18年度予算の勉強会。会派の人数が多いので意見が多く、どうしても時間が長くなってしまう。

 15時から18時ぐらいまで、年度末が近いこともあり、各種の支払いや会社関係の手続きをする。

F1000001 19時、鰺の南蛮漬け、手作りハンバーグで夕食。 ちょうどいいデミグラスソースがなかったので、トマトケチャップと中濃ウスターソースをバジルや塩で体裁を整えた感じのソースにした。 

 いよいよ、御年90歳、田形先生の講演会の日程と場所が正式に決定した。

 4月8日(土)14:00~16:00
      
柏崎市市民プラザ 波のホール
         資料代500円

 あとは貴重なこの講演を会場をいっぱい(250名以上)にできるか否かにかかっている。
 議会終了後、全部の朝刊への折り込む自分の後援会報を発行予定であるが、そこでも宣伝したいと思う。
 チャンネル桜水島社長から許可を頂戴したので、田形先生が語った旧日本陸軍の軍規や南京陥落後の模様を語ったビデオを以下に公開する。

[Windows Media Player]形式。
*Windows Media Playerは無料でダウンロードできます。

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コメント

まあ、だけど、食料も現地調達と言う日本軍の基本戦略から考えて、略奪を犯さずに生きながらえることは不可能だったということは導き出されるはずです。略奪は人間として相手を見ればなかなか難しいことですので、人間としてみていない、そうなれば無理矢理犯すことも普通にあるでしょう、だけどそれは人間でないので強姦にはならないです。
信じたい事を人間は信じたがりますが、その立場によっては大きな害悪をもたらすことを認識して下さい。あなたが会社員なら問題ありません。
だけどここには自分に取って都合の好い意見しか乗せないでしょうね。そうでなければ、私はあなたを尊敬します。

投稿: 山本正 | 2006年7月28日 (金) 15時26分

↑この人何言ってるの?電波系?食料も強姦も一緒にしてるよ

投稿: 富嶽 | 2006年7月28日 (金) 18時54分

 山本様、はじめまして。
 食料も現地調達ということから略奪、相手は人間ではないとの認識から強姦も容易であるというのは飛躍し過ぎの感が実際ございます。
 悪かった部分は悪かった部分、しかし悪かったと認めること以上の部分には、しっかりと反論すべきではないかと思っております。もちろんのことながら、多面的に歴史を見ることも必要であります。

投稿: 三井田孝欧 | 2006年8月19日 (土) 11時02分

 山本様、はじめまして。
 食料も現地調達ということから略奪、相手は人間ではないとの認識から強姦も容易であるというのは飛躍し過ぎの感が実際ございます。
 悪かった部分は悪かった部分、しかし悪かったと認めること以上の部分には、しっかりと反論すべきではないかと思っております。もちろんのことながら、多面的に歴史を見ることも必要であります。

投稿: 三井田孝欧 | 2006年8月19日 (土) 11時02分

 富嶽様、コメントありがとうございます。
 世の中には色々な方がいらっしゃいますので、大らかにいければと思っております。

投稿: 三井田孝欧 | 2006年8月19日 (土) 11時03分

南京大虐殺は世界的に誤解されています。

中核的な出来事は南京陥落時の城外における大規模な捕虜の殺害です。
父親(栗原利一)のスケッチブックでも7万余人と書かれています。
非戦闘時の7万余人の捕虜の殺害ですから、当然、日本陸軍が軍の組織として行なったものです。
捕虜の多くは蒋介石軍兵士などです。

ただ、中国側の言う30万人説は戦闘時の犠牲者も含めた数として合理的な数です。
昭和12年7月の南京の人口は135万人です。
11月末の人口は50万人で、これに南京防衛軍15万が加わった65万人が日本軍の攻撃に晒されました。

否定派の言う20万人は逃げ場の無い貧民の数です。
小平市の警察学校と小平団地を合わせた(昔の警察学校の広さ)10万坪の安全区に押し込められた貧民の数です。

(65連隊のシャーカンおける2千人斬首は父だけが日本側の証人です。名古屋市の河村市長は無知なだけです。「ジョン・ラーベ」は城内での出来事しか書かれていないので日本人には誤解を与えます。)

投稿: 核心 | 2009年11月 6日 (金) 17時18分

 戦史叢書と南京大屠殺記念館の差

結構知られているようなのですが、防衛研究所戦史部が南京を否定するのは、GHQのGSとG2の占領政策の違いから来ていました。

この戦史部OBで終戦時少佐のM.T氏が2006年に親父(栗原利一)のスケッチブックの破壊工作を行なって失敗しています。
(この方は、偕行社にいた時に東裁判を計画された方でもあります。)

以下は「加害と赦し、南京大虐殺と東史郎裁判」の中の吉田裕氏の論文の抜粋です。

防衛研修所戦史室の源流

...この資料整理部の前身は史実調査部、さらには史実部であるが、一貫してその中心的地位にあったのは、元陸軍大佐の服部卓四郎だった。
服部は、タカ派で有名なGHQ参謀第二部(G2)部長の、C.A.ウィロビー少将の援助の下に、周辺に旧日本軍の幕僚将校を集めて「服部グループ」を結成する。
占領中から、秘かに再軍備計画の研究にあたっていたのは、このグループである。

一方、「服部グループ」は、史料整理部を中心にして、「大東亜戦史」の編纂にも、大きな力を注いだ。
この点について、二代目の戦史室長をつとめた島貫武治は、次のように書いている。

 史料整理部の陣容は俊秀をもって当てられ、服部卓四郎、...各大佐、...各中佐、...少佐等で、 わが国においても政府による正統の大東亜戦争史を編さんすべきであるとの願望を抱き、 史料の収集整理に努めるとともに、昭和二十八年には大東亜戦争全史四巻を世に発表した。

...著者は服部卓四郎となっているが、「実際は各戦域の作戦参謀級の幕僚が、分担執筆し、稲葉正夫(四二期、終戦時陸軍省軍務局軍事課員、中佐)がまとめたもの」であり、服部周辺の旧幕僚将校による合作だった。
そして、「後にこの整理部から多くの人が、貴重な史料とともに戦史室に転用され」、戦史室の中心を、これらの旧幕僚将校が占めるようになったのである。

...戦史室編纂の「戦史叢書」が、旧軍の立場を代弁する弁明史観的性格を色濃く持たざるを得なかった...

(皮肉なことに親父が65連隊だったものですから、服部氏が最後の連隊長を務めた65連隊の2万人の捕虜殺害が一番明確に事実が解明されています。)

投稿: 核心 | 2009年11月11日 (水) 09時17分

南京を中国が問題にするのは、いまも日本は旧日本軍の生き残りやその後裔、後継者の強い影響下にあるからです。

その具体的例が森松俊夫氏の関係した二つの事件です。
この方は終戦時少佐、防衛研究所戦史部、偕行社などにおられた方です。
田母神氏の先生に当る方でもあります。

2001年に森松氏が東史郎裁判で勝った方法は以下のとおりです。

東氏にまず、「京都の平和のための戦争展」に日記の原本を貸し出させ、後の裁判での証拠となる部分を主催者側に破り取らせ、それから名誉毀損裁判を起こしたのです。
東氏は、展に貸したところ証拠となる部分を抜き取られたと主張したのですが、聞き入られず最高裁まで行って敗訴しています。

なぜ、このようなことが明らかになったかというと、森松氏は2006年に父(栗原利一)のスケッチブックの破壊工作を行なって、失敗したからです。
この時の証拠は山ほど残っています。
被害届も2通、受理され、警察官10名くらいが係わった事件になっています。

このことは中国政府も日本政府も認識しています。

投稿: 核心 | 2009年11月11日 (水) 09時31分

 核心さん、書き込みありがとうございます。
 色々な切り口があると思いますが、まずお父上がお書きになった7万人という数字ですが、客観的事実として7万人をどう認識されたのでしょうか。
 また、いわゆる南京虐殺と中共政府がいう30万人の戦闘時犠牲者?を、民間人、捕虜などの区分けでどうお考えになられておりますでしょうか。
 虐殺の有無の問題と、虐殺があったものとして謀略があったというものをゴッチャにされるのは論旨のすり替えのように感じるところです。

投稿: 三井田孝欧 | 2009年11月19日 (木) 21時55分

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