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2006年3月29日 (水)

チャンネル桜、山田寅次郎とオスマン帝国

 1時過ぎ、荷物も多く、渋谷駅近郊のホテルを探すが、すでに満室。仕方がないので、道玄坂に行き、一人泊まりOKのラブホテルに泊まる。

 7時、起床。ラブホテルで独りで目覚めるのは不思議な気分である。早速、身支度をし、部屋をでるが、エレベータで2組のカップルと一緒になってしまい、ヒジョーにバツが悪い。もちろん、エレベータのなかでは無言である。上野に移動。

 9時過ぎから、上京してきた某社の経営者と、喫茶店で相談業務。場所を問わない工場を今後作る段階まで来たら、是非、柏崎の地にお越し頂きたい、と最後に念押し。

 10時過ぎ、渋谷のチャンネル桜に移動。11時からスタジオ入りをし、『地方議員アワー』の収録。メンバーは、司会である杉並区の松浦芳子議員、司会補佐役・中央区の二瓶文隆議員、渋谷区の前議長・岡本ひろかず議員、埼玉県久喜市の鈴木松蔵議員、埼玉県座間市の佐藤みと議員。テーマは、『地方自治体』であったが、今回の柏崎トルコ文化村とトルコ共和国との話を例にだし、地方自治体ができる外交も重要ではないか、と話をさせてもらった。大使からの1月31日付け文書をはじめ、各議員からは絶句、そして怒りの声があがった。特に渋谷区はトルコ大使館があることから関わりが深く、今後、全国地方議員から柏崎市に抗議活動をしたいとのことだった。

1  12時30分過ぎ、杉並区の松浦芳子議員と座間市の佐藤みと議員、そして田形竹尾先生と一緒に、「崔さんの台所 味道」(電話:03-5467-2828)に行き、「水冷麺 880円」で昼食。サービスでつけてくれる炊き込みご飯は大盛りにしたもらった。店員の人も韓国の方で胸につけた名札には出身地まで書いてあった。

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 食事をしながら話をしているうちに、山本五十六連合艦隊司令長官の最後は自決だったのではないか、という事から山口多聞中将のミッドウェー海戦(定説他の説)の話になった。つい先日、山口多聞中将のご子息がチャンネル桜に出演されたそうで、神楽坂に私的な山口多聞資料館があるという。次に東京に来た際には、是非、見せてもらおうと松浦芳子議員に取り次ぎをお願いした。


 15時過ぎ、東京駅に移動。日本旅行さんに行き、インド視察の手続き、他。

 17時から、某政治関係者との懇談会。イデオロギー的に言えば、かなりの乖離がある右と左の集まりで、最初は和気藹々という感じで飲んでいたが、2時間ほど経ったあたりからヒートアップ。外国人参政権、人権擁護法案について熱くなり、23時過ぎにやっと一軒目をでる有様だった。
 一度、柏崎に帰る日程でいたが、電車もなくなり、お金はかかるがこのまま残ることにした。

ty 「エルトゥールル号」事件を受け、民間で義捐金を集めた男、山田寅次郎(1866年~1957年)。事件後、2年をかけ、義捐金を集め、なんと後集まった義捐金を自ら持って、オスマン帝国(のちのトルコ共和国)の首都イスタンブルに渡った。このことが、当時の国民に知れ渡るや、山田寅次郎は熱烈な歓迎を受け、ときの皇帝、アブデュルハミト二世に拝謁する。
  皇帝は山田寅次郎にこう言う。

 「この地に留まってくれまいか」

 日本との国交が無いなか、友好の架け橋にならんと、山田寅次郎は【決断】する。イスタンブルで貿易商店を開業し、日本政府高官のイスタンブル訪問を支援。さらには、オスマン帝国軍の士官学校で日本語を教えるなどの活躍をした。このとき日本語を教えた士官の中に、のちにオスマン帝国を打倒し、トルコ共和国の初代大統領となるケマル・アタテュルクがいたという。
 また、日露戦争においても、ロシア黒海艦隊の軍艦3隻が商船に偽装し、ボスポラス海峡を通過したとの情報を、イスタンブルから在ウィーン日本大使館を経て日本に送り、日本の勝利にも貢献している。
 こういった山田寅次郎による民間交流にもかかわらず、オスマン帝国が滅びるまで日本との正式の国交が結ばれることはなかった。

 1914年、第一次世界大戦が勃発。
 ドイツら同盟国側に引き入れられつつあったオスマン帝国の対外情勢は緊迫し、山田はイスタンブルの店を閉鎖して退去し、日本へと帰国した。この戦争でイギリスら連合国側についた日本は、オスマン帝国と敵同士となる。
 第一次世界大戦後、オスマン帝国が解体し、そしてとトルコ共和国が成立する。
 1924年発効のローザンヌ条約、1925年の大使館開設により、ここに日本とトルコ共和国の正式な国交が結ばれた。
 帰国後の山田寅次郎は、1925年、日土貿易協会を設立して理事長となり、再び日本とトルコ共和国との民間交流に尽力し始めた。
 そして、1931年、17年ぶりにトルコ共和国を訪れ、新首都アンカラでケマル・アタチュルク大統領と会見。大統領は、士官学校で山田寅次郎に日本語を教わった思い出を語り、熱烈な歓迎をしたのである。
 現在でも、トルコ国民の間では「民間大使」山田寅次郎のことは語り継がれ、イスタンブルにある海軍博物館には、山田寅次郎ゆかりの品を展示した特別コーナーがある。

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