« 日章旗と旭日旗 | トップページ | 議会最終日、原爆と原発 »

2006年3月22日 (水)

トルコ:エルトゥールル号とそのお礼

 徹夜明け、6時前にシーユース雷音へ。柏崎準倫理法人会の経営者モーニングセミナーに出席できないので、挨拶と来週のセミナーに必要な物を渡す。

F1000001 7時から某町内の方と陳情の現場で待ち合わせ。要望をお聞きする。
 ある程度の話の方向が見えた段階で、一度、自宅に戻り、着替えと朝食。冷やご飯を電子レンジを温め、小粒納豆2パックをかけて、一気にかっ込む。ネギを入れるのすら、忘れてしまった。

F1000002 9時、市役所の会派室に行き、会派会議。明日の議会最終日での各種採決についての意見調整など。
 10時から、第4次総合計画意見拝聴会。
 とにかく計算上人口は減ることになる中の10年を見越した計画である。計画の名称から「発展」が消えたことも分かるように時代の変化を反映するかのような内容で、多くの議員から「守りの計画」であり、「市民に元気はでない」との意見が相次いだ。
 私としては、次の2点を指摘させてもらった。

 ・経済フレームのなかで、工業などを重点的に書かれているが、
  商業面でもある程度の書くべきである。例えば、三条市が
  商工会議所とともに進めているような、「地元で購買」「地元
  へ発注」が、まわりまわって、結果的に自分の暮らしを
  良くすることにつながる、という啓蒙活動こそ、中期計画
  のなかで10年間の戦略をあげ、前半5年間の戦術たる
  事務事業を掲げるべきではないか。
  つまり、金を柏崎のなかで回すという設計をもつべきである。

 ・重点項目のなかで、医療問題、雇用の場、世界都市など
 掲げられているが、つまるところ人材である。人材については
 別の章立てをし、柏崎市として育てるべき人材、いや人財を
 「地元・柏崎を愛する教育」をコアとしたマトリクスを作り、
 どの分野に向けた独自の教育・事務事業をやるのか落とし
 込みをしてみてはどうか。

 12時、荒城議員と市役所前の「チャイナハウス 日囍」(電話:0257-24-7219)にて昼食。「タンタンメン 650円」にラー油をたっぷり入れ、その辛みと胡麻のコクを楽しむ。

 午後になってから防災計画の説明。特に細かい指摘事項はなかったが、 地域防災組織と町内会組織、そしてコミニティ単位の組織の指揮命令系統だけは不安である。

 15時から男女同権参画条例の是非についての担当課、担当部長との意見交換会。
 何かを組織する場合に女性の比率を一定にするクォーター制度とそもそも条例を制定する必要があるのか、という2点で質問をした。市民に意見を求める審議会や委員会などは、女性と男性の比率が同じであるべきと思うので違和感はないが、本来、実力を伴うはずの市役所内管理職などへの女性登用比率を上げていく、というのは、実は女性差別ではないかと思うのである。まずは正当な業務評定のシステムを作り、実力で登用か否かを決めるべきであろう。いまの市役所内に女性の管理職は少ないというが、いまその段階にいる世代は、入庁した際にも男女の比率のアンバランスがあったであろうし、女性のなかでもその多くは保育関係の業務を選択している。それらを一緒に女性の数としてカウントしているので、ここで市役所庁内の女性管理職をクォーター制度によって一定の割合登用するというのは、本末転倒ではないのかな、と思うのである。
 また、普段は反対陣営になる会派からも、今も、今までもなんとなく男女がうまく役割分担し生活している家庭もあるのに、わざわざ行政として条例を定める必要があるのか、といった私と同じ意見もあれば、仕事が終わって家に帰ったとき、

 「ほら、オトーサンこれやって」

と男の仕事として決めつけられるものが多く、社会的な男女差がなくし、生活を営むのは幻想ではないか、との現実的な意見もあった。そこで、いきすぎた男女同質論で仕事を決めてしまうと、残る性的な差がある職業は

 男はオカマ女はオナベしかない」

と意見したところ、会議室内は爆笑となった。
 今回は意見交換だけであったが、今年中の条例の制定をするとのことで、今後も議論に積極的に参加していきたい。

F1000003 16時に一度、自宅に戻ったところ、母と妹がケーキを食べており、普段は食べないが、ミルフィーユを食べる。基本的に、甘い物は苦手であるが、歯ごたえの良いパリパリからクリームがでてくるようなミルフィーユは味が美味しいというよりも、食感が楽しく、好みである。

DSC01225 来客があり、相談業務。
 21時過ぎ、茨城の地鶏をクレイジーソルトで焼いたもの、ワンタンと白髪ネギのスープ、豆腐と納豆をグチャグチャと混ぜて揚げた納豆腐揚げ、海草マヨネーズサラダで夕食。

 23時過ぎ、就寝。

meiji 明治22年(1889年)7月、トルコ(当時オスマン帝国)の「軍艦 エルトゥールル」は、明治10年(1877年)の皇族小松宮夫妻のイスタンブル訪問の応礼として、イスタンブルから日本へ向けて出発した。
 11ヶ月をかけ翌年の明治23年(1890年)6月、日本に到着。横浜港に入港し、司令官オスマン・パシャを特使とする一行は、6月13日に皇帝親書を明治天皇に奉呈し、オスマン帝国最初の親善訪日使節団として歓迎を受けた。
 9月、乗員の体調不良(コレラ)や艦の破損をおして、無理に「軍艦 エルトゥールル」は出港。日本への停泊が長くなることは、オスマン帝国の海軍の弱さを見せてしまうからであると、無理に無理を重ね出港したのである。
 そして、帰路についた明治23年(1890年)9月16日未明、台風による強風にあおられ、和歌山県樫野崎灯台沖、熊野灘に連なる岩礁に激突し、座礁。機関部に浸水し、爆発、 「軍艦 エルトゥールル」は沈没した。
 この沈没の報をうけた串本町(当時は大島村)の住民は総出で救助と生存者の介抱にあたる。軍艦が沈没するほどの台風であり、漁にでることもできず住民自身の食料も少なかったものの、備蓄分の食糧を提供し、献身的に生存者を介抱した。
 この結果、司令官オスマン・パシャをはじめとする581名が死亡するも、69名の命を救うことができたのである。
 明治天皇は、この事故の話を聞きつけるや心を痛め、可能な限りの援助を行うよう政府に指示。医師と看護士を現地に派遣し、治療をすすめた。
1stkongou  生存者がある程度回復した明治23年(1890年)10月11日、大日本帝国海軍にも指示し、「(初代)巡洋艦 比叡」「(初代)巡洋艦 金剛」(両艦は同型艦)の2隻に生存者を乗せ、無事トルコ(当時オスマン帝国)へと送り届けた。トルコ本国では、日本人の献身的な行為に対し、国民あげて感謝をした。
 この「軍艦 エルトゥールル」の遭難事件が、トルコ人が親日的になったことの起点になったと言われる。そして、この事が小国でありトルコ人を助けた日本が、共通の敵である軍事大国ロシアを撃破した日露戦争への歓喜の声につながるのである。

 ときは変わって、遭難事故から100年ほど経過した1985年、イラン・イラク戦争が激化。
 イラクのフセイン大統領は、イランの首都テヘランの空爆を開始。さらに48時間後からイラン領空上を飛行する航空機を民間、軍関係なく、無差別に撃墜すると宣言。各国の対応は早く、テヘラン空港には各国の特別機が集まり、自国民の救出にあたっていた。それに対し、日本政府の対応は遅れに遅れた。現地に残された日本人は215人。そしてタイムリミットまであと10時間。もはや万事休すかと思われたそのとき、テヘラン空港に2機の特別機が到着した。日本人救出のため、トルコ政府が派遣したトルコ航空機であった。残された日本人すべてを救出し、テヘラン空港を飛び立ったのはタイムリミットの1時間15分前。このときトルコ政府の外交筋は、この尽力の理由について聞かれた際、こう答えたという。

 「エルトゥールル号のお返しです」

 駐日トルコ大使ネジャッティ・ウトカン氏もこう答えている。

 「エルトゥールル号の事故に際して、
  日本人がなしてくださった献身的な救助活動を、
  今もトルコの人たちは忘れていません。
  私も小学生の頃、歴史教科書で学びました。
  トルコでは子どもたちでさえ、
  エルトゥールル号の事を知っています。
  今の日本人が知らないだけです。
  それで、テヘランで困っている日本人を助けようと、
  トルコ航空機が飛んだのです」

 現在、和歌山県串本町の樫野崎灯台近くに、「エルトゥールル号遭難慰霊碑」と「トルコ記念館」が建っている。そして、在日本トルコ大使館と串本町の共催によって、100年経ったいまでも慰霊祭が5年おきに行われている。

|

« 日章旗と旭日旗 | トップページ | 議会最終日、原爆と原発 »

コメント

はじめまして、チャンネル桜でトルコについて拝見しました!!

涙が止まりません…トルコへの感謝と、我等が先人の義と、そして今の日本人の不甲斐なさ。
私たちには、何も出来ないんでしょうか…。
トルコはずっと日本への感謝を忘れないでくれていました。
今度はイラクでのご恩を、日本人が返す番です。
何か、できないんでしょうか…。
何も、することはできないのでしょうか…。

投稿: 桜視聴者 | 2009年3月21日 (土) 23時36分

 桜視聴者さん、コメントありがとうございます。
 私の住む新潟県は「天地人」ブームもあり、上杉謙信公が基本理念とした「義」に注目が集まっているところですが、現代の日本人はそれを忘れ去っていると言われても仕方ないと感じているところです。
 とにかく今は、トルコと日本との友好の歴史に加え、この問題がいかに大きな損失を日本にもたらすのか、より多くの良識ある日本人に知ってもらい、解決に向けての手法を探っていきたいと思います。
 これまで、私がこれは非常に大きな国際問題だと指摘しても、この譲渡を提案した会田市長の足をひっぱりたいだけ、三井田の売名行為だ!などとアタチュルク像問題を矮小化する動きがあり、現在も続いているところですが、問題の本質を見ずに、そういった矮小化を行うことが、日本人が「義」の心を無くしている証左かと感じております。

投稿: 三井田孝欧 | 2009年3月22日 (日) 02時55分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/114726/9193108

この記事へのトラックバック一覧です: トルコ:エルトゥールル号とそのお礼:

« 日章旗と旭日旗 | トップページ | 議会最終日、原爆と原発 »