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2006年3月11日 (土)

【決断】真説・ミッドウェー海戦

DSC01146 2時就寝。7時起床、天気が良いので甥っ子を連れて少々お散歩。愛犬は胸のガンが大きくなっており、なかなか歩こうとしない。
 干し納豆と昆布の佃煮を具におにぎりを2個、油揚げと若布の味噌汁で朝食。

 9時過ぎに長岡に移動。午前中は、障害者リハビリセンターをはじめ、療養施設を3件まわる。2件は相談事のお電話を頂いたので、事情を伺いに行っただけだが、1件は大事な友人のお見舞いであった。
 車を運転中に脳内で出血。病院に担ぎ込まれたものの、血圧の関係で一週間手術できず、6cm四方以上に渡って脳細胞が影響を受けた。
 車イスに乗り、すっかりとやつれ、言語も話せない状態になっている本人に会ったとたん、思わず涙がでてしまった。お子さんは小学1年生をはじめ、小さい二人。会社も整理とのことである。奥さんとも長い付き合いなので、なんと声をかけていいか分からず、とにかく何かあったら何でも相談してください、とのことで施設をあとにした。

DSC01147 12時過ぎ、自宅に戻り、近所の「うれっ子」(電話:0257-22-4648)からチャーシューつけめんをとって昼食。午前中の心のつかえがあり、あまり味わうことがなく、淡々と食べた。

 13時過ぎ、16時から事務所に2件来客。

 パソコンの前に向かうも、何か気分が乗らず、甥っ子と電車のDVDを借りにTSUTAYAに行く。19時過ぎまでひたすら甥っ子とDVDを見る。

F1000003 21時、かぼちゃのサラダ、鰤の刺身・馬刺しを「納豆にんにく醤油」につけての夕食。「納豆にんにく醤油」は、醤油の小瓶に納豆1パックと大蒜を1片入れておいたものであるが、トロントロンとした味わい深い醤油になっており、刺身や馬刺しによく絡んでご飯が進む。

 まだ気分転換ができないままであったので、ミッドウェー海戦について、疑惑部分を調べてみることにした。
 その疑惑とは、装備の入れ替え「ミッドウェー運命の5分間」についてである。空母の艦載機(飛行機)に、陸上攻撃をするため爆弾を装備する「爆装」と海上の艦隊などを攻撃するための魚雷を装備する「雷装」。この入れ替えをしている途中に、アメリカ軍の攻撃を受け、入れ替え途中で転がっている魚雷、爆弾、そして燃料を満タンにした艦載機に引火して、日本艦隊の空母が大炎上をしたというのが、これまでの【定説】である。世界最強と言われた日本帝国海軍の空母4隻、そして世界の飛行機乗りが恐れた熟練パイロット108名を含む3057名を失ったのは変わらぬ事実である。
 では、疑惑の中身は何かと言えば、実は爆装、雷装の入れ替えをしていなかったというものである。インフィクション作家の沢地久枝氏によれば、日米両軍の生き残り兵士を追跡調査したところ、「ミッドウェー運命の5分間」はなく、最初から第2次攻撃はミッドウェー島を攻撃させる意味で爆弾を装備していた。つまり、「ミッドウェー運命の5分間」になった、爆装から雷装、そして雷装から爆装に変えてはおらず、ただただ【決断】できずにオタオタしていたということである。さらには、索敵機から敵艦隊発見の報を受けていても、雷装への転装を命令したのは、かなり時間が経ってからである。その間、山口多聞少将は、爆装でもとにかく出撃し、アメリカ艦隊を攻撃すべきと具申している。
 これが本当だとすれば、「ミッドウェー運命の5分間」は、ミッドウェー島の陸上攻撃に無理にこだわり、艦隊をおびき出して叩くという本来の目的を見失った【決断】が引き起こしたものとなる。

*個人的には、このときミッドウェー島の遥か北西800海里を東に進んでいた、山本五十六連合艦隊司令長官率いる「戦艦 大和」を旗艦とする艦隊を、ミッドウェー島陸上への艦砲射撃に使うべきではなかったかと思う。

 沢地久枝氏によれば、当時の生き残りの中佐、少佐、大尉クラス数十名から料亭の一部屋に集まってもらい、調査してみたところ「装備の転換」はすべて伝聞であり、現場に立ち会ったものとは話が合わなかったそうである。
 とすれば、【決断】の遅れ、間違いに加え、司令部をはじめとする組織防衛のための伝聞を作ったという大きな罪が残る。
 そして、山口多聞少将をこの海戦で失ったことを余計に考えさせられる。

Ni  昭和18年、当時の太平洋艦隊司令長官ニミッツと部下である情報参謀レイトンは山本五十六連合艦隊司令長官が乗った機を撃墜するか否かを検討していた。山本五十六の作戦パターンは読めてきており、彼を亡き者にしたあと、違う優秀な指揮官がでてきた場合には、新たに研究する手間がかかる。それなら、山本五十六は生かしておいた方が得策なのではないかというやりとりである。(これがアメリカの合理的な戦略判断であろう)

 「日本軍の司令官の中には、山本亡き後、
 彼以上に優れた指導者はいるのか」

というニミッツの問いに、レイトンはこう答えたという。

 「日本には山本より優れた指揮官が一人います。
 山口多聞という男です。
 プリンストン大学に留学の経験もある優秀な人物です。
 しかし、彼はミッドウェー海戦で既に戦死しています。
 ですから、現在、山本と同じレベルの指揮官は
                 日本にはもういません」

 こうして山本機撃墜計画が決まった。
 昭和18年4月18日、前線視察のため訪れていたブーゲンビル島上空で、山本五十六連合艦隊司令長官が乗る一式陸上攻撃機は、アメリカ陸軍航空隊P-38戦闘機に撃墜され、山本五十六は戦死した。

 アニメンタリー『決断』風にいえば、こうである。

 「大東亜戦争は我々に
    平和の尊さを教えたが
 生きるための教訓も
     また数多く残している」

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コメント

くま1,2です。愛犬さんの癌、取ってしまえないのでしょうか?以前知人のビーグルも同じような感じでしたが切らなかったので切れないのだろうと思っていましたが、やはり取ってしまいにくいのでしょうか。お大事に、あまり痛くないといいのですが。さて、この日月で再び呉と、はじめて尾道に行って来ました。縁がないのかと思うくらい残念なことに潜水艦の泊まっている方は今回の見学には入っていませんでした。護衛艦の見学、しかも甲板のみ。でも、以前体験航海した「ひえい」を通って「さみだれ」に渡ったので「こんな所で再び!」とちょっと嬉しかったです。ロケセットは雪の舞う月曜日に行きました、比較的空いてるようでよかったです。本当に大きくて、前日の護衛艦よりずーーーっと大きいのが良くわかりました。尾道の商店街で同行者が7900円もする爪切りを買いました、死ぬまで使えそうです。

 くま1さん、くま2さん、お返事遅くなりまして申し訳ありません。
 我が愛犬の胸のガンですが、大きくなっており、切除することになると前足も切除もしくは動かなくなるとのことでしたので、なるべく楽しみを残してあげ、今後痛んで苦しむようであれば、飼い主としての決断するつもりです。
 「ひえい」「さみだれ」をご覧になったとのこと。「ひえい」の初代である明治時代の「巡洋艦 比叡」はトルコ(当時:オスマン帝国)国民に大歓迎をうけた艦だったそうです。詳細は、エルトゥールル号をご覧頂ければと思います。
 また、尾道の実物大「戦艦 大和」もご覧になられたとのことですが、私は素直に、当時の日本人の考えることはスケールがでかかったな、しかも実現してしまったことに驚きを感じました。「戦艦 大和」が一番艦で、続いて「戦艦 武蔵」、途中に空母に改装した「空母 信濃」、そして幻に終わった51センチ主砲の「戦艦 紀伊」が横一線に並んだら、さぞかし雄大な感じがするだろうな、と妄想しております。

わんちゃんがなるべく痛みを感じずにすみますように、大抵死ぬ時は楽にいかないものだと実感しています。「死後の世界がある」という宗教を信じられたら幸せだと思います。生きているものは死んだら済みとしか思えませんが、もう一度死んでしまった家族に会いたいと思います。このような事の後になりましたが、姪御さんはすっかり、ぷっくり可愛い「赤ちゃん」ですね、よかったです。改めておめでとうございます。

 お返事遅くなって申し訳ありません。
 姪の件、ありがとうございます。
 女の子と男の子の生まれもっての違いを実感するたびに、今日この頃のジェンダーフリーに首をかしげる毎日です。

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