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2006年4月

2006年4月30日 (日)

原子力防災・備防シンポジウム2006

 2時帰宅。8時起床、長風呂に入ったのち、ATVの手入れをする。

 9時過ぎから、議員研修会。色々なお話がでたが、中国でいう8つの徳目「仁義礼智忠信孝悌」と日本の違いとしては、「和」があるのではないか、という意見があり、興味を引いた。今後、時間を見つけて調べてみようと思う。

F1000002_4 12時近く、研修会に参加した議員と市民の皆さんとで意見交換をしながらの食事会。
 私からは、今年1月に話題になった「いただきます論争」と、生徒と教師は平等であるという主張から一時歌われなくなっていた「仰げば尊し」のお話をさせてもらった。市民の方からは、

・公園が多すぎる。もういらない。
 しかも、手入れが行き届いていないうえ、利用目的が狭い。
・「ちょっこら便」は大変便利。いま年寄りが買い物に行けない。
 買い物に連れていってくれて、
 さらに買ったものを届けてくれるようなサービスがほしい。
・アクアパークといった無駄な施設はやめてほしい。

というご意見を頂戴した。今後に反映させたい。

 終了後、パソコンの修理依頼を一件。その後、一回自宅に戻り、愛車に乗り込んだところで、ちょうどの来客。色々なご意見を、もっとお聞きしたところであったが、タイミングが悪く、次の予定もあったため、1時間ほどの意見交換となる。

Dsc01708 急いで長岡市に移動し、遅刻ながらもホテルニューオータニで開催されている「原子力防災・備防シンポジウム2006」(主催:NPO法人 エイジレスたまご 共催:FMながおか 協力:NPO法人ながおか生活情報交流ねっと 長岡防災呼びかけ人会議 後援:新潟日報社朝日新聞社)に参加。
 基調講演は名古屋大学・飯田孝夫教授による「原子力防災」、長島忠美衆議院議員による「心の大地 中越」。
 地元代表の挨拶として、水澤電気・水澤茂夫社長、新潟アドセンターの田中正社長。
 新潟大学の橋本哲夫教授をコーディネーターにパネル・ディスカッション、フリー・ディスカッションと続いた。橋本教授のおっしゃる原子力プラントを「マイ・プラント」から「アワー・プラント」への発想の転換は大賛成である。世界最大級の原子力発電所基地があることを誇りに思い、武器にすべきであろう。
 フリーディスカッションのなかで、長岡市民、元県議の方々から、原子力発電所の防衛には自衛隊という意見が次々がでて、非常に嬉しく思った。

Dsc01710 終了後、1Fのレストランで懇親会。ビュッフェ形式での会食。車で来ているため、アルコール類はのめず、懐かく、その色合いがいかにも体に悪そうな「メロンソーダ」を飲む。
 23時過ぎ、自宅に戻る。

2006年4月29日 (土)

ゲーム理論「裏切り」「協調」

 2時就寝。二日酔いのなか、8時起床。そのまま現場に行き、作業の立会い。コンビニでおにぎりなどで朝食、昼食を取りながら夕方までぶっつづけ。

F1000003_4  18時から柏崎市吹奏楽団の定期演奏会を聞きにいくため、市民会館へ。楽しみにしていたもの、母も外出中であり、家に独りとなり、不安になった祖母からの電話があったので、急遽、途中で自宅に戻る。
F1000012 祖母は用意しておいた夕食も食べず、不安がっていたので、自分の分の食事も作り、一緒に食べる。
 冷凍庫のなかにあった冷凍のさばを使い、電子レンジ調理法での簡単さば味噌、そして高柳じょんのび村の豆腐である。

 23時過ぎ、電話があり、ある人からどうしても市政に関することで話しがしたいとのこと。声がだいぶ酔っ払っていたが、何回も電話がくるので、某店へ出かける。

 今日のチャンネル桜で放送された潮匡人氏による「桜戦略研究所」では、「ゲーム理論としっぺ返し戦略」がテーマであった。
 有名な「囚人のジレンマ」という、2人の囚人の間で意思決定を行う場合、どういった戦略をとるのが良いのかという紹介。
 犯罪の共犯者AとBがお互いの態度が分からないような状態(隔離した)で取り調べを受け、司法取引が存在する場合を仮定する。さらに、この犯罪は、まだ確定しておらず、検事が取り調べを行うという、1回だけの態度決定のゲームである。
 とりうるパターンはこうなる。

(1)2人とも黙秘すれば、微罪で罰するため懲役1年ずつ。
(2)2人とも自白すれば、罪が確定するため、懲役2年。
(3)1人が自白し、1人が黙秘すれば、自白したものは
  釈放(司法取引)、黙秘したものは懲役3年。

B:黙秘(協調)B:自白(裏切り)
A:黙秘(協調)(1年:1年) (3年, 0年)
A:自白(裏切り)

(0年, 3年)

(2年, 2年)

 仲間であるAとB、相手の立場を頭に入れたときの態度決定を考える。
 自分にとって利益となる態度(自分だけ自白し、相手は黙秘するであろう)をとることによって、結果的に双方に不利益となる可能性もでてくる(相手も自白する可能性があるので)。つまり、自分にとって「最適な選択」をすることと全体として「最適な選択」をすることが、同時に達成できないことが「ジレンマ」なのである。

 上記は1回きりの選択であるが、何回も選択がある場合はどうなるのか。次のような仮定の戦略パターンを次の8つ用意し、コンピュータにかけて何回も実施してみる。

1.常に相手を裏切る「裏切り戦略」
2.常に協調する「協調戦略」
3.「恨みは忘れず戦略」
  最初は「協調戦略」。
  相手が一回でも裏切ったら、その後は「裏切り戦略」。
4.「しっぺ返し戦略」
  最初は「協調戦略」。
  相手が裏切るならこっちも「裏切り戦略」。
  相手が協調してくるとこっちも「協調戦略」。
5.「ダウニング戦略」
  相手の行動を待ち、相手の行動の確率から自分に
  有利な行動を決める
6.「ヨッス戦略」
  相手が裏切ったら、必ず「裏切り戦略」で返すが、
  相手が協調した場合には、9割強調し、1割裏切る。
7.「仏の顔も二度?まで戦略」
  相手が過去二回連続で裏切ったら、こっちも裏切り返す
8 「いきあたりばったり戦略」
   裏切りと協調をランダム戦略

 すると、一番の高得点なのは、4番の「しっぺ返し戦略」なのである。

 ・基本的には「協調路線」。自分からは裏切らない
 ・相手が裏切ったなら、次回も必ず裏切り、しっぺ返しを行う。
 ・しっぺ返しの後、相手が協調してきた場合には、
  心広く「協調戦略」に戻る。

 ゲーム理論だけで政治の物事を決定するわけにはいかないが、拉致問題への日本の対応も、いつまでも対話・協調ばかりではなく、ニセ遺骨で裏切られれいるのだから、「しっぺ返し」も必要なのではないだろうか。

2006年4月28日 (金)

南京大虐殺、ハリウッド映画化?

 1時就寝。

 7時起床、朝食をとる間もなく、来客。午前は3件。うち政治話は2件で、新潟産業大学のサテライト構想、柏崎トルコ文化村、そしてコマツ跡地などの土地利用のことがメインであった。
 特に、新潟産業大学のサテライト構想に関しては、「市長、議会は何をやっているんだ」とのお叱りであった。
 また、市役所の

 「55歳での昇給停止の廃止」
*これまで55歳で昇給を停止していた

「58歳での部長職交代制度の廃止」
*若手起用のため、58歳になったら部長職から降りていた。
 よって部長職にいたままの定年退職は無かった。

F1000008などについては、さらに強いお怒りであった。当たり前である。時代と逆行している。
 12時過ぎ、お客さんと一緒に、「うれっ子」(電話:0257-22-4648)の「つけめん」。

 13時から、来客2件。
 これまでインターネット内での私への誹謗中傷に対し、そのまま信じる人はいないであろう、と思っていたが、一人の方は、完全に信じ込んでおり、「宗教は別に悪くないよ」などと盛んにおっしゃるのである。今回の一連の騒動について、私が新興宗教に入っており、その宗教団体による指示だということを信じてしまっていた。
 また、2ちゃんねるなどのインターネット上の掲示板にすべて私が書き込んだり、返事をしているとも思われており、「タフだよね」とも。そのような掲示板に書き込んでいないこともさることながら、実生活もあり、私とコピーロボット(『パーマン』風)が何台かなければ、頻繁な書き込みなど無理である。その辺も含め、よく説明をした。

F1000009 18時からイタリア料理店「アルチ・ゴーラ」(電話:0257-24-4402)で、「塚田一郎を応援する会」。来年7月の参議院選挙に向けての結束式である。無事、自民党公認となった。
 ご本人は不幸があったため、会場に来ることはできなかったが、元アナウンサーの奥さんが元気いっぱいにお話をしていた。
F1000010 塚田一郎氏は、これまで2回、苦杯を喫してきた。次回は、民主党が現職2名(森ゆうこ議員、黒岩たかひろ議員)を公認しているなか、2議席を争う。今後こそ、塚田一郎氏を国会に送りたい。
 これまでの拉致問題への取り組みをはじめ、歴史認識など国会に必要な人材である。
F1000011 料理は、antipastoとして「季節の前菜盛り合わせ」からはじまり、primi piattiは「イカ墨のスパゲティーニ、魚介のラザーニャジェノバ風(自家製パスタ)」、secondi pattiは「メバルのオーブン焼き、和牛ロースのタリアータ(炭火焼き)」。満足のコースであった。
 会の終了後、パソコンの修理のため、某宅を伺う。事前に聞いていた症状でだいたいの予想がついていたので、数分で無事復旧。予想通り、メモリの不良であった。
 電話もあり、2次会のため某スナックへ。自民党柏崎支部の今後などの話が燃え上がり、3次会までも・・・。24時近くにやっと帰宅。

 今年のはじめ、以下のような記事が掲載された。


平成18年1月18日『読売新聞』 

 南京事件、ハリウッド映画に
  …メリル・ストリープ出演

 旧日本軍による1937年の南京事件を題材にしたハリウッド映画の制作が決まり、来年12月の事件70年に合わせ、世界で同時公開されることが明らかになった。
 18日付の上海紙「文匯報」が報じた。
 同紙や制作協力する江蘇省文化産業グループによると、映画のタイトルは「南京・クリスマス・1937」で、当時、南京にいた米国人宣教師の目を通して、旧日本軍が行った中国人への殺害行為を描くストーリー。クリント・イーストウッドが監督を務め、同氏と「マディソン郡の橋」で共演したメリル・ストリープの出演が予定されている。
 中国では旧日本軍が南京を包囲した12月13日を「南京大虐殺記念日」としており、70年にあたる来年は、各種行事が行われる予定。


 実は、これはデマゴキー、つまり嘘であった。
 この情報の元となった『文匯報』は、中国共産党上海市委員会下にある日刊紙(公称部数 30万部)という。
 かく乱のための情報操作であったと思うが、30万人の虐殺をしたという南京大虐殺について、中国は事実として確定したいようである。
Dsc01326 最近は研究も進み、また実際に当時、南京陥落を行った部隊の方がご高齢をおして証言をされている。さらには、個人所有していた貴重な資料もでてきているのである。
 この写真は、南京が陥落した際、昭和12年12月13日の13時、光華門側から撮影した写真。歩兵第36連隊の旗手であった中根平次氏によるものであるが、光華門が少し壊れているものの、まったく綺麗な町並みである。
 これまで見てきた資料、田形先生をはじめとする戦争体験者の声を聞いて、「大虐殺」も「虐殺」も無かったと思う。
 ただ、軍服を着た人間同士が戦闘を行うという戦争の基本ルールが通用しない現地において、市民を装った軍人(便衣兵)と純粋な民間人を間違った可能性はゼロではなかったであろう。
 いずれにしても、30万人の大虐殺などが事実であったと中国以外の国に認識されないため、日本の政府も強い態度をとってもらいたいものである。

2006年4月27日 (木)

「脱力の日」トルコ文化村:報告会

 2時就寝。5時起床、企画書の締め切りが迫っていることを忘れており、あわてて作成。

F1000001_11 8時、小粒納豆、目玉焼き、麦白味噌を使った浅蜊の味噌汁で朝食。着替えながら目玉焼きを作ったため、黄身まで固まってしまった。納豆をのせたご飯の最後の方で、半熟になった卵の黄身を絡めて食べるのを楽しみにしているだけに、個人的に大失敗。

 9時、市役所へ移動。今日の報告会だけではなく、今後の柏崎トルコ文化村問題への対応を含め、会派全員での話し合い。

 10時、市役所第2分館2階の会議室に移動し、報告会。
 議題は、枇杷島小学校の現地改修、柏崎トルコ文化村問題、その他についてである。

 まずは、コマツ跡地の利用に関わってくる枇杷島小学校の現地改修の報告。これまで、枇杷島小学校の改修については、平成14年、地元住民からの要望として、国道8号線をはさんだ先のコマツ跡地の1/3を使って建設することとなり、要望書を受けて議会でも議決し、コマツ跡地を21億円で土地開発公社に先行取得させている。
 今回は前回の要望を撤回し、現地での改修としたい旨の報告であったが、「地元の要望」「議会の議決」という点で議論となった。
 つまり、平成14年にだした地元の要望はよく民意を反映しておらず、今回の要望では現地改修を望む声が多かったということであるが、議会としては前回の要望を地元の民意として真剣に受け止め、土地の購入まで議会議決をしている。そのとき、私は議員ではなかったが、現在、二期目以上の先輩議員からは

 「議会議決、税金による土地購入までの重みを考えろ」

とのご意見が多くあった。確かに議会として、どの時点の要望書が地元の民意なのか分からなくなってしまう。今後、この事例に習っての土壇場での切り返し事業が増えないことを願うばかりである。今の柏崎市に、億単位の無駄な出費をする余裕は無い。

 続いて、いよいよお待ちかねの柏崎トルコ文化村問題。
 ここまでの経緯は以下の通り。

 1.問題の経緯と公開文書(和訳)
 2.3月30日 市長トルコ大使館訪問
 3.全国に広がる柏崎トルコ文化村問題
 4.反撃の「噂話」
 5.トルコ大使館への陰謀?
 6.応募状況等、4月5日市長記者会見
 7.4月5日市長記者会見の報道
 8.4月10日、各議員へのFAX
 9.4月5日市長記者会見 全文
10.トルコ大使館からの文書(原文)
11.毎日新聞記事掲載、公募先内定

Dsc01706  冒頭、市長からこれまでの経緯の説明、そして毎日新聞の記事に関する抗議文の説明があった。
 これまで毎日新聞に掲載された記事を、文章のかたちで見ていたが、実際の記事のコピーを見ると、

Dsc01711 建国の父の銅像「売るな」

と、

大使館が抗議

の位置関係から、アタチュルク像を売ることに対して、大使館が抗議して書簡をだしたと受け取られる可能性がある。トルコ大使が抗議したのは、1月31日付の書簡のように、「提案に対する正式な返事をもらっていない」ことについてであって、市長の抗議文の通り、「トルコ大使館がケマル・アタチュルクの銅像の扱いについて抗議した」の書簡があるわけではない。
 その点は、記者の記事の書き方のミスリードがあったことは事実だが、今回の柏崎トルコ文化村に関わる問題がガセというわけではない。

 最初に2通の書簡の行方について問うてみると、以下のようなやりとりであった。

 Q.柏崎市には「新潟県柏崎市文書取扱規程」という
   ものがある。ここの第7条には到着した文書に
   関するルールが明記されているが、公開請求した
   文書のなかでも昨年6月1日付けの
   在日トルコ商工会議所から来た文書は原本の
   はずなのに、受付印が無い。
   そもそもキチンとこのルールを守って、郵便物を
   処理しているのか。文書整理簿は存在するのか。
 A.文書整理簿は存在する。ただ、今回の公開
   文書のなかで適正を欠いていた部分はある。
   <存在すると答弁した以上、
       6月議会では追及させてもらう>

 Q.トルコ大使館の某秘書(報告会では実名)に
   よれば、確かに2通、1週間の間に出した、
   柏崎市役所の住所は一つしか知らないという。
   さらに、選挙もあり、もしかすると前の市長の
   名前で出したかも知れないと思い、再度、
   調査し確認してみたが、会田市長の名で
   あったという。
 A.届かなかったものは仕方ない。
 Q.この近代において、2通、それも同じ場所から
   一週間ほどの開きしかないのに、届かないと
   言うのか。おかしいと思って、郵便局などに
   調査はしなかったのか。
 A.調査はしていない。
 Q.それで、業務を責任もって遂行していると
   言えるのか。そのままで良いと思っているのか。
   相手は、一国の大使。プライドはないのか。
 A.2通の書簡と同じ内容を、その後FAXで送って
   もらったため、業務上、何の支障もない。

 ・・・・・・・ダメだこりゃ。

 さらには、根本的にケマル・アタチュルク像の取扱い、トルコ共和国という一国に対する態度が分かっていないことが分かった。

 Q.柏崎トルコ文化村のなかには、風力発電や
   ソーラーシステムなど寄贈されたものが
   あったが、それはどうするのか。
   開園記念の記念植樹もあったが。
 A.風力関係については、最初から柏崎市が
   寄贈を受けたものであるため、
   「夢の森公園」などへの移設により、
   活用したいと思う。
   記念植樹については、選考基準には
   入れなかったが、公募先で活用してもらう。
 Q.ケマル・アタチュルク像については、
   移設など想定はしなかったのか。
 A.ケマル・アタチュルク像については
   何とか活かす方向性
   をだせるよう、公募先と協議していく。
   もともとケマル・アタチュルク像は、
   株式会社トルコ文化村という民間企業の
   ときに寄贈を受けたもので、再度、
   民間に、「元の状態に戻す」

 ・・・・・・根本が違うのである。

 「トルコ共和国との友好の関係は大切にしていきたい」 などとはお題目を唱えるだけと感じるのは私だけであろうか。
 株式会社トルコ文化村が破綻し、柏崎市が買い取った以上、そのような事は言えないのではないか。
 某職員からは、

 「地中海テーマパークなんだから、
  三井田さんの心配するような事にはならないし、
  銅像もフンイキ合ってるじゃないですか」

と言われたが、それはあくまで「結果論」である。

 では、公募をするには、どうすれば良かったのであろうか。
 最初の2通の書簡の行方は別とし、またトルコ側の運営の提案も実効性が無いものだったとしよう。
 まずは公募をかける前、「柏崎トルコ文化村」としての再出発ができない、と決断したときから行動である。駐日トルコ大使をはじめ、関係者をお招きし、ケマル・アタチュルク像の前で柏崎トルコ文化村閉園式を行う。けじめをつけるための閉園式の費用を削れ、という柏崎市民はいないであろう。その際、こちらから駐日トルコ大使に対し、

 「今回は大変残念な結果となりましたが、
  貴国の国父たるアタチュルク像に関しましては、
  今後の友好のためにも、
  市民一同、大切にお守りしたいと思います。」

として、一応、提案としての移設プランをお話し、その位置のままが好ましいのか、移設が良いのか協議する。その後、気持ち良く、公募にかける。
 これぐらいの配慮があっても良かったのではないだろうか。

DSC01244

 ここまで多くの方から、実生活、インターネット上問わず、ご心配・応援を頂き、誠に感謝申し上げる次第である。
 反対側の動きをして頂いた皆様にも、その反応の「異常さ」をもって、この問題の深刻さを示してくれたことに感謝したい。
 もちろんのことながら、6月議会でも杜撰な対応などについての追及はするが、ここまでの活動で、少しでも市長がケマル・アタチュルク像の扱いを真剣に駐日トルコ大使と話し合ってくれることを願うのみである。

 ちなみに、今回の報告会の質疑のなかで、売却したあとの柏崎トルコ文化村の課税の話がでた。実は、平成17年4月1日時点での柏崎トルコ文化村の時価評価額は、土地と建物をあわせて約14億円。この金額に対しての課税、現状課税とするので、1億4千万円で落札しても、設備の維持には莫大な費用がかかる。

 ここまでだけで「ダメだこりゃ」モードになっていたのに、最後の報告でさらに追い討ちが来た。
 市長から2月24日の新潟産業大学理事会で、「燕市への学部一部移転のための費用調査事業」について、賛成多数で決定し、市長はその場で賛成できない旨の発言をしたとのこと。新潟産業大学は開校費用の総額約30億円のうち、約26億円を柏崎市の税金によって支出しているため、実質の市立大学と多くの市民は認識している。
 燕市への移転云々の前に、私を含め多くの議員からは、2月24日の報告を2ヶ月も経過したこの時期になってから、しかも2月24日といえばまだ議会が開会中。4月からの新潟産業大学への職員派遣も議論していた。当然のことながら、怒りの声である。
 本当にこの問題を真剣に捉えているのか、それとも議会が軽視されているだけなのか。市民や議会への報告があまりにも遅く、軽んじられている
 この4月からは市役所職員(課長級)が事務局長として、新潟産業大学に派遣され、また「燕市への学部一部移転のための費用調査事業」も実施。さらには、学部全体の移動も非公式に伝えられていると市長から口頭の説明があった。
 柏崎は本当にこのままで良いのであろうか。

F1000002_3 報告会終了後、「たじりや」(0257-22-3252)の出前で「カツ丼 760円」をとり、15時まで会派室で打ち合わせ。カツ丼など久しぶりで、彩りのグリーンピースが懐かしい感じ。カツの量とご飯、卵の量を調整しながらの「垂直掘削方式」で食べる。カレーをぐちゃぐちゃ混ぜて食べる人は多くいるが、カツ丼を徹底的にかき回して食べる人にはそう出くわすことはない。ただ、韓国人の友人だけはカツ丼でも何でも徹底的にかき混ぜていた。ビビン(混ぜる)文化なのであろう。

F1000003_3 18時過ぎまで市内まわり。連休も近いので、会社関係の処理を急ぐ。
 自宅に戻ってから、頂いた越後もち豚を甘辛たれで焼いたもの、独活の油炒めなどで軽く夕食をとる。

F1000005_2 19時から町内集会場で町内会の総会。17年決算から18年予算まで1時間半ほどの話し合い。町内会長の人事をはじめ、その承認や挨拶など。
 その後はお約束の懇親会。途中、今日の報告会の内容を尋ねる電話が相次ぎ、町内の方と落ち着いて話すことができなかった。

F1000006_1

F1000007_1

 町内の青年部有志と町内会長とともに、同じ町内の「大哲寿司」(0257-23-9696)へ。
 お通しが富山産の「ほたるイカ」であった。プチッと噛むと濃厚な味噌が口いっぱいに広がり、最高の一品であった。
 シメは鉄火、カッパなどの巻物。

 今日は脱力し、そして食べ過ぎの一日であった。

2006年4月26日 (水)

右翼団体?利権?:ポーランドと日露戦争

 2時就寝。

 5時起床、経営者モーニングセミナーの日であるが、別件があり、愛車で某所で移動。今日の講演は、「日本食はなぜ良いのか」というテーマだったので、是非お聞きしたかった。市内外、県外からも経営者や文化人が来て、毎週水曜日、50分ほどの講演を聞かせて頂く。大変貴重な時間と思っている。

Dsc01705 8時過ぎに自宅に戻る。来客1件。お客さんにコーヒーを出しながら、卵、醤油、納豆、ねぎを小どんぶりに入れて、高速の納豆飯朝食。
 10時から市役所での会議。12時過ぎまでじっくりと話し合い。

 12時30分から14時まで現場立会い。自宅に戻ってから、web会議、来客、と慌しく、その後、市役所など市内まわりをし、気付いたら18時過ぎであった。

F1000001_10 春の野山の楽しみといえばウド(独活)である。「動く」が訛ったことからウドと呼ばれると言われているが、実は語源は不明である。「独活」という表記だけであれば、『出雲風土記』(733年)に「独活」の文字はあるが、我が国最古の本草書である『本草和名』(918年)には、漢名「独活」(ドッカツ)に対し、 和名「宇止」(ウド)、「都知多良」(ツチタラ)とある。
 また、よく言われる「独活の大木」は、独活の茎が小さく若芽の時は食べられるが、大きくなると2~3メートルまでになるものの、柔らかく木材として弱くて使えない、ことから役立ずな者を意味するようになった。
 その独活をもらったので、葉の部分を天麩羅にしての夕食。やはり塩が合う。

  昨日の「柏崎トルコ文化村問題」毎日新聞報道を受け、電話、メールなどでご意見を頂戴した。激励もあったが、特にメールでは以下のようなご批判があった。

1.「政争の具」に使っているが、誰が黒幕なのか。
         (どこから金をもらっているのか)
2.マスコミに売り込んだお陰で、
       柏崎の評判が下がったではないか。

 「政争の具」は最初からあった反応であるが、市長の政治行動を指摘・批判することがすべて「政争の具」というのであれば、議員は何もできないことになる。純粋に問題点を指摘しているだけである。しかも、情報公開を請求するまでは、水面下のことであった
 まして、黒幕うんぬん、金銭の授受など、よく考えてもらえれば、私にそのような構図は無い(どこをどう切っても利権構造は成り立たない)ことが分かるうえ、本ブログでも公開している私の行動様式からご理解頂けると思う。
 中には、右翼団体や宗教団体からの指示などという憶測もあった。ご想像するのは自由であるが、私が問題点として指摘した部分は無視され、「なぜ指摘しているのか」というところに変なストーリーを作ってくるのは、こちらが理解に苦しむ。街宣右翼団体を連れて、市役所に乗り込むなどともあったが、いつから私がそんな大物?になったのかも分からない。
 「マスコミに売り込んだ」とはよく言われるが、別にこちらがお金などを用意して、無理に記事にしてくれと頼んだわけでもない。冷静に考えて頂ければ分かるが、マスコミも価値がない、ガセネタと思えば記事にはしない。記者にとってみても記者名を表記している記事であり、自分自身の進退がかかる。
 「柏崎の評判が下がった」という点も同様に、マスコミによる周知が柏崎の評判を下げたのではなく、柏崎トルコ文化村に関する杜撰な対応が、評判を下げることになったのである。これを隠しておくべきであったということであれば、隠蔽体質と言われても仕方がない。実際、いまだこの件で議会の召集(召集権は市長にある)はないうえ、公式な議事録が残る場所での追及の場は無い。

Poland 亡くなった父が、私の名前に「欧」をつけることを思い立ったのが、当時勤務していた会社の技術関係で訪れたポーランド。生前、父はポーランド人の人の良さを話していたが、感覚的にはよく分からず、普通に聞き流す程度であった。
 しかし、ふとしたことから、平成5年から9年まで駐ポーランド大使をされた兵藤長雄氏の記事が目にとまり、その理由が分かった。
 兵藤氏が外務省に入った際、ロシア語の勉強のため、イギリス陸軍の諜報将校養成コースに行くことになった。そこで出会った、ポーランド人の陸軍将校。その方は大変親切に兵藤氏に接してくれたそうで、あるとき何故そのように親切にしてくれるのかを聞いたそうである。
 その将校の話によれば、お父様が日露戦争に従軍し、日本の松山捕虜収容所で過ごした経験を息子である将校に語り、

 「日本人に出会ったら、
   できるだけ親切にし、恩返しをしてほしい」

 「我々は一国(ロシア:旧ソ連)を挟んで隣国だ」

と常々話していたという。

 日露戦争では、当時ロシアの支配下にあったポーランド人も挑発され、ロシア軍として従軍したが、地下のポーランド独立運動組織が「敵の敵は味方」として日本軍への投降を奨励、大量のポーランド人が捕虜となった。

W 明治37年7月、来日した独立運動の闘士ユゼフ・ピウスッキ(1867~1935)は、ポーランド人捕虜を厚遇するよう要請し、日本政府はこれを受け入れた。(この来日で当時、東大生で外務省の嘱託をしていた広田弘毅と親しくなる)
 そのポーランド人捕虜の収容所があった愛媛県松山市では、市民あげて捕虜たちを歓迎し、親身に接した。
 外出は自由。もちろん買い物も自由で、お金があれば家や家具を買う事もでき、日本政府から生活費も支給された。道後温泉に入浴することもでき、松山市内の大きな商店街・大街道は捕虜でにぎわい、ロシア語の看板まであった。
 松山市だけではなく、伊予鉄道と伊予市も親睦を深めるため、海水浴に招待した。これだけの自由があれば、もちろんのこと、松山市の日本人女性と恋に落ちた捕虜もいた。
 そして、日本海海戦で日本がロシアのバルチック艦隊を撃滅したと聞いたとき、ポーランド人捕虜は全員で「萬歳」を叫んだという。
 松山市民をはじめとする日本人が、敵味方を越えた素晴らしい親睦をしたこと、またその恩を息子の世代まで伝えたポーランド人の心意気が分かるエピソードである。

 日露戦争から13年が経過した1918年11月、第一次世界大戦の停戦協定によりポーランドに独立が認められ、ピウスッキが初代大統領に就任。ピウスッキは、「日本こそ独立ポーランドの盟友である」と、日露戦争で活躍した51人の日本軍指揮官に「武勲勲章(Virtuti Militavi)」を贈った。

 同様に、徳島県鳴門市にあった板東俘虜収容所での日本人の心ある捕虜への扱いを描いた、映画「バルトの楽園」が今年の6月に公開になる。

2006年4月25日 (火)

トルコ文化村問題:毎日新聞、公募先内定

 2時就寝。6時起床。本来であれば、午前中は万景望号の抗議活動、東京に移動し、午後から日本政策センター『明日への選択』地方議員ネットワーク「第1回関東ブロック研修会」に出席の予定であったが、仕事の関係上、急遽の変更。食事をとる間もなく、取引先との電話連絡や書類の作成をし、14時過ぎに落ち着く。

 15時に、毎日新聞から柏崎トルコ文化村問題についての記事が配信された。


平成18年4月25日『毎日新聞』

柏崎トルコ文化村:建国の父の銅像「売るな」 大使館抗議

 倒産した新潟県柏崎市のテーマパーク「柏崎トルコ文化村」
の跡地処分に伴い、柏崎市がトルコから贈られた「建国の父」
のケマル・アタチュルク初代大統領(1881~1938年)
の銅像(高さ5メートル)を一緒に県内の観光開発会社へ売却
する方針を決定。同国大使館が不快感を表す文書を送っていた
ことが分かった。市民からも「外交的な非礼」と指摘する声
が上がっている。

 同文化村は96年、トルコを紹介する民間テーマパークと
して開園。銅像もオープンに合わせて寄贈された。トルコの
軍楽隊が訪れるなど本場の雰囲気で、当初は年間約30万人
が訪れた。しかしメーンバンクの新潟中央銀行の破たんで
01年に倒産。約5万2000平方メートルの敷地と建物は
02年、柏崎市が整理回収機構(RCC)から取得した。
運営を引き継いでいた地元企業も、新潟県中越地震の影響
で昨年3月に解散した。

 同市は今年1月に売却方針を決定。銅像も売却対象にした。
これを知った同国大使館は1月31日、ソルマズ・ユナイ
ドゥン大使名で「およそ(友好関係が深い)日本人らしからぬ
慎重さに欠ける行為」と再考を求める文書を同市に送った。

 会田洋市長は「友好関係を損なう意思はない」と話して
いるが、市民や市議からは「逆の立場だとしたら良い感情
は抱かない」と疑問の声が上がっている。


 やっと問題に気づいてくれたのか、という感があるとともに、トルコ大使館への配慮を考えてしまう。
Turky_1 トルコ大使は、あくまで「友好」が本来業務にあるので、これは柏崎市政の問題であると答えるしかないであろう。もちろん、内政干渉になるからである。さらには、トルコ本国に対する大使ご自身の立場もある。
 あとはより多くの柏崎市民が、これは「おかしい」と気付いてくれることを願うばかり。

 と思っていたところ、今度は地元新聞である柏崎日報紙上に、公募入札の状況が発表されていた。


平成18年4月25日『柏崎日報』

 旧トルコ文化村 上越の会社に売却内定
 ウェステックエナジー ブライダル施設などに活用

 会田市長は25日、臨時記者会見を行い、市内鯨波の
旧柏崎トルコ文化村の売却先をプラスチック製品製造業
で、旧トルコ文化村隣接のグランメリーホテルリゾート
経営のウェステックエナジー株式会社(本社・上越市
三ツ屋町、飛田尚芳社長、資本金一千万円)に内定した
と発表した。売却先には三社が応募し、審査会(会長
=広川俊男・新潟産大教授、委員五人)で一社を選定した。
市長は「審査報告を踏まえ、市長としての判断を加えた
上で、審査会の結論通り内定した」と述べた。諸手続の
後、市議会の承認を経て、施設の引き渡しは七月一日。

 旧トルコ文化村は新潟中央銀行破たんの影響で行き
詰まった施設を市が整理回収機構から一億五千万円で
買い取り、これを民間会社ケー・ティ・ブイが借り受
けて2002年7月に再オープン。しかし、客足低迷
から昨年2月に運営を断念した。
 こうした中で所有者の市が、新たな利活用を図ること
を目的に譲渡の方針を打ち出し、今春、売却先の公募を
行った。審査会では利用計画の具体性、妥当性、計画
事業の運営体制、地域との連携・責献、価格の点から
総合的に判断。取り組みに対する具体性、熱意、経営
の安定性が評価された。

 ウェステックエナジーは1973年創立、76年設立。
譲渡価格は、3社中最高の1億4000万円を申請した。
「地中海ワールド・地中海リゾート」をコンセプトに、
ブライダル施設(ハウスウエディング場)・レストラン・
パークゴルフ場・子供公園として活用する計画だ。
 グランメリーホテルリゾートでの結婚式が年間約60組
であるのに対し、年間約250組の潜在需要があること
から新たな事業展開を図るという。高齢者向けの健康
維持スポーツとしてパークゴルフ場(18ホール)を
併設し、柏崎地域だけでなく、広く県内に普及を図る
とし、園内の植栽、トロイの木馬などを生かした遊戯
施設を備えた公園も提案した。
 設備投資は初年度だけで土地・建物購入費を含め
約4億円。2年後は年間約4億5000万円の売り上げ
を見込む。アタチュルク像など現状のものを保存・

公開する考えで、今後は市を含め、トルコ大使館
と協議する。
市長は会見で「旧トルコ文化村の利活用
は大変苦慮していた。3社から前向き、積極的な提案
をいただき、その中でも計画の内容、熱意、信頼性
など満足のいく選考をしてもらった」と述べた。
 売却先の公募には、株式会社ブルボン(柏崎市)、
有限会社アズミノ(南魚沼市)も申請した。

 ウェステックエナジー
 「堅実な経営で責任果たす」飛田社長コメント

 このたび、旧柏崎トルコ文化村を柏崎市より譲り受ける
こととなりました。当社はプラスチック製品の製造を主な
業としておりますが、現在旧トルコ文化村の隣接地に
おいてホテル・ブライダル施設の運営を行っております。
 今後の利用としてはテーマパーク型のブライダル施設
と高齢者の健康維持スポーツ施設としてパークゴルフ場の
運営、このゴルフ場を生かしたコミュニティ公園を計画
しております。来春3月を予定しております。市民の皆様
から譲り受けた大切な施設でありますので、堅実な経営
により企業としての責任を果たしてまいりたいと思って
おります。


 これまで議会には、4月27日に入札状況の説明会を行うと周知されていた。
 そして、その際に話合いをする前提として、1社に内定し、詳細は27日の報告会で説明したい、とのA4版で1枚のFAXが本日11時時点で市役所からあったばかりである。

 譲渡先:ウェステックエナジー株式会社
      新潟県上越市三ツ屋町8番3号
 テーマ:地中海ワールドまたは地中海リゾート
 落札価格:1億4千万円

 選考委員会も秘密会で非公開となっており、内定した企業さんに迷惑がかかったり、また27日の議会への報告会での説明があると思い、私も本ブログに掲載しなかった。
 それを緊急の記者会見を開き、いきなり発表してしまうとは・・・・・・。
 市民への記者会見はもちろん大切であるし、情報公開すべきであるが、27日の議会への報告会は一体、何をする気なのであろうか。
 これまで、事態の様子を伺っていた議員からも、「議会軽視だ」との怒りの連絡も入った。わざわざ議会での敵を作っているとしか思えない。

 毎日新聞、柏崎日報の記事がでてから、メールや電話が相次いだ。18時から懇親会の予定であったが、それぞれに対応したため、1時間の遅刻。19時から某所で「飲み飲み」。23時近く、自宅に戻る。

2006年4月24日 (月)

トルコのトーゴー通り

 資料やチラシ作りなどが長引き、5時就寝。8時起床、今日から事務所脇のセメント工事などがあり、慌しいなかの仕事となる。

Dsc01698 昨日、母が夕食として、鯛の頭を使って鯛飯を作ったとのことで、鯛の頭が取り出してあった。鯛の頭は大好物なので、鯛飯と大粒納豆とともに朝食にした。鯛の頭を楽しみ、「鯛の鯛」も取り出した。「鯛の鯛」は、鯛の肩甲骨と烏口骨がくっついた形のもので、縁起物とされている。

 午前中は3件の来客。3件ともトルコ文化村の件であった。純粋な政治の手法への批判から、私個人への誹謗中傷に移ってきたあたり、いらっしゃった方も「いかにも変な反応だね」とのことだった。また、その方がある集まりに出席した際、「黙っていれば、売れるんだからいいんだ」とのご意見をお聞きになったそうである。売れるもんだから、という金銭のみの感覚で本当に良いのであろうか。友好の証であるケマル・アタチュルクの銅像も売却先に活用してもらおう、という感覚が「おかしい」と感じる私がおかしいのであろうか。日本人とは何なのか、考えてしまう。

Dsc01701 まだ鯛飯が残っていたので、おにぎりを作る。せっかくと思い、頂いた手作り海苔を巻いたが、手作り海苔だけに海苔の香りも歯ざわりもかなり強く、鯛飯をおにぎりにした意味がなくなってしまった。

 14時から16時30分過ぎまで、会派内会議。トルコ文化村問題をはじめ、枇杷島小学校の移転問題、そして第四次総合計画等について話合う。その後、少し早めの月末処理などで、市内まわり。

Dsc01702 19時、久々に母、祖母との家族そろっての夕食。オーストラリアビーフの切り落としで作った「肉じゃが」、ほたるイカと和からしを入れた酢味噌。
 BSE(牛海綿状脳症)問題に大騒ぎとなった牛肉であるが、アメリカで感染牛が見つかった際には、アメリカからの牛肉輸入を全面禁止にした。お陰でオーストラリアビーフは、いま花形である。
 アメリカを擁護するわけではないが、数字上、国産と比べてみると面白いことが分かる。アメリカの牛の数は、日本の約100倍超。そのうち、現在までにBSEが発覚したのが、数頭のレベル。対する日本、厚生労働省による4月19日の発表では、岡山県内で4月17日に処理されたメス(生後71ヶ月)のホルスタイン種の乳牛がBSEであったという。焼却処分され、市場にはでてこないが、国内で確認されたBSEに感染した牛は、これで25頭目である。
 検査体制の議論も重要であるが、本当に国産牛のどこに問題があるのか見極めることが大切であろう。

 食後は、録りためておいたテレビや雑誌を見る。

1_3 トルコ人にとっての日露戦争における日本の勝利は非常に意味深いものであったことを紹介する際、よく話題になるのがトルコ人が「トーゴー」「ノギ」といった名前を人や物につけたということである。名付けられたトルコの方も既に80歳、90歳を超える世代であるため、現在に残るのは物につけた場合が多い。その一例が、左にあるイスタンブルの「トーゴー通り」である。

*撮影者は、渡辺潤子氏。

2006年4月23日 (日)

小泉首相のトルコ訪問とトルクメニスタン

F1000007  2時過ぎ、タクシーで車まで戻り、仮眠。数時間後、あまりの寒さに目が覚め、116号線をゆっくりと走り、10時前、自宅に戻る。
 11時に来客があり、ケンタッキーフライドチキンのサンドを差し入れにもらった。自ら買うことがほとんど無いので、ありがたくブランチとして頂戴した。

 14時、16時からと二件の打ち合わせ。結局、議事録を私が作ることになってしまったので、気が重い。

Dsc01695 18時、高速道で上越に向かう。用事をすませたのち、20時近く、夕食をとろうと「小町うどん」に入る。すぐ近くにあるラーメン店の「あごすけ」にしようかどうか迷ったが、気分がうどんであった。
Dsc01696 こういったスタイルのうどん屋に入ると、ついワクワクし、取り過ぎてしまう。たまに食べたくなる竹輪の磯辺揚げとつゆに浸してモロモロにして食べたいコロッケをとる。メインは、牛丼と温かいうどんのセット。案の定、取り過ぎてしまった。

 帰りは国道でゆっくりとドライブを楽しみながら帰る。

 トルコ文化村の問題で、ブログを見てくれる方が増えたからなのか、色々な資料を頂戴する。今年1月9日から12日までの小泉首相によるトルコ訪問を日本人以外の方がどう見たのか、「トルコ人の土地」を意味する国名のトルクメニスタンとの関係を含めて、面白い資料があったので、以下に引用し、ご紹介したい。


Turkmenistan 『月間日本』2006年3月号

 アラブの呻吟(しんぎん)

 「日本外交トルコそして中央アジアへ」
             アブドルカーデル・ヤーバーニ

小泉総理のトルコ訪問の意義

 世界で最も親日的な国として知られているトルコに、日本の
総理大臣が訪問したのは、外交問係が始まって110年以上も経
過しているというのに過去に2度しかない。
 最初にトルコ訪問した日本の総理大臣は海部俊樹氏であり、
次いで訪問したのが今回の小泉総理だった。トルコを訪問した
小泉総理は、訪問回数があまりにも少なすぎると驚いていたし、
自身が記者を前にその感想を述べている。
 過去の経緯はどうあれ、今回の小泉総理のトルコ訪問は、
それだけに訪問自体に大きな意味があったものと思われる。トルコ
国民が小泉総理の訪問を喜んだことは述べるまでもなかろう。
 実際に小泉総理がトルコを離れた後、何人ものトルコの人たち
と小泉総理のトルコ訪問の意義について意見交換したが、いず
れの意見も訪問を高く評価するものだった。
 もちろん、彼等から日本とトルコの経済関係強化の意向が
語られたことは述べるまでもない。そのことについては、総理の
訪問自体が在トルコの日本企業マンたちを激励するものであり、
日本政府も訪問の後には在トルコ日本企業の意向を汲み、種々の
支援を進めることになろうと答えた。
 つまり、小泉総理がことさらにトルコのエルドアン首相との間
で、経済協力について意見を交わさなくとも、総理の訪問自体
がそのような情況を生み出していくのだという説明だった。
 小泉総理のトルコ訪問中での発言内容は、多分に経済と政治が
絡み合った内容のものではなかったかと思われる。例えば日本と
トルコが協力、中央アジア発展を支援していこうというものだった。
トルコは同系のトルコ民族が主に居住する中央アジア諸国との
関係を、ソビエトの崩壊、中央アジア諸地域の独立時から支えて
きていたからだ。
 したがって、トルコが中央アジア諸国に構築したネットワーク
と知識は、他のいずれの国も及ぶレベルのものではないのだ。
日本はそうしたトルコのこれまでの中央アジア諸国に対する努力
と貢献を評価し、日本が参画できることを、トルコと一体となって
進めていこうということだ。

トルクメニスタンとは

 この多くの国々にとって重要な意味を持つトルコを、小泉総理
の訪問は意義のあることだったということになる。そしてそれ
をもっと大きな価値に高めていくためには、トルコとの協力のもと、
中央アジア諸国に対し、橋頭堡(きょうとうほ)を確保していく
ことであろう。そのなかでも、日本がこれまで関係が疎遠であった
トルクメニスタンとの、正常な関係を構築することは重要であろう。
これまでトルクメニスタンは外国に対し、比較的閉鎖的であった
ことと、ニヤゾフ大統領の特異な言動から、大統領は中央アジアの
金正日と椰捻されてきていた。
 しかし、独立以来17年が経過した現時点で考えると、中央アジア
諸国のなかにあって、意外にもトルクメニスタンが最も安定した
体制を維持している、ということが分かろう。
 そのトルクメニスタンのニヤゾフ大統領は、他の中央アジア諸国
の大統領とは異なり、独立以来今日まで、一度も日本に招待されて
いないのだ。その理由は、一般的に流されている彼に対する悪評や、
日本の一部外交官の、同国と大統領に対する偏見によるものでは
なかったのか。
 トルクメニスタンは世界第4位のガス埋蔵量を誇る、ガス資源大国
であることを忘れてはなるまい。この国が、政府の機構が未完成な
状態でも、国民が最低生活を保証されているのは、国土が49万
平方キロメートルであるにもかかわらず、人口が480万人と少ない
ことと、このガス資源の輸出によるのだ。
 トルクメニスタンはソビエトの一部である時代には、綿花の主要
産出地とされてきた。これはウズベキスタンから、アムダリヤ川の
水を引き込んで行われてきていたのだ。それ以外には、ガスの生産
が行われていたわけだが、トルクメニスタンにはほとんど恩恵を
もたらしていなかった。
 教育的にも、ソビエト政府が特別に力を入れてきたわけでは
なかった。そのことが実は今日になってみると、同国に政治的安
定をもたらしているのかもしれない。他の国々がイスラム原理主義
と野党の台頭によって不安定化しつつあるなかで、トルクメニスタン
はいまだにニヤゾフ体制の安定が見られるのだ。
 もちろん、過去においてトルクメニスタンでもインテリ官僚の
一部が、クーデターを試みてはいるが、いずれも成功していない。
それは国民全体のなかで、そうした権力奪取の動きが浮き上がって
しまっていたからであろう。

二ヤゾフ大統領への訪日招待

 もう一つの、トルクメニスタンのニヤゾフ体制の安定要因は、
トルコの同国に対する協力によるのではないか。トルコは官民
がそれぞれにトルクメニスタンに対し、協力の手を差し伸べている。
 トルコ政府はトルクメニスタンに対して、治安を含めあらゆる面
で協力している。トルクメニスタンのガス輸出についても、トルコ
はこれまで唯一のルートであったロシア経由から、何とかして
トルコ経由という新たなルートを開く努力をしてきている。
 民間では慈善団体がトルクメニスタンに進出し、中学、高校に
加え職業専門学校、そして大学までも設立することによって教育面
での協力を行ってきているのだ。同時に民間から大小の企業が
あらゆる分野で進出し、しかるべき成果を挙げている。
 彼等トルコ人の一部にはその成果を評価され、トルクメニスタン
政府の次官に任命されている者もいるのだ。彼らの口を通じ、日本
への協力要請が語られると同時に、ニヤゾフ大統領の日本への招待
を実現してほしいという要望が寄せられている。
 小泉総理のトルコ訪問は、両国の協力による中央アジア地域への
進出が新たな目標とされたいま、一日も早いニヤゾフ大統領
の訪日を実現してほしいものだ。

2006年4月22日 (土)

自民党青年部合同会議、三条市議選

 6時起床。読まなければならない本がかなり溜まってしまったので、2時間ほど半身浴をしながら読む。

 風呂上り早々に、来客が2件あり、合間をぬって、卵と引き割り納豆をかけた納豆ご飯でブランチ。

 午後からも来客。トルコ文化村のことについて放送したチャンネル桜の番組が見たいとのことであったので、お見せする。自分では何回か見ているので、お見せしている間、パソコンで別の仕事をさせてもらう。
 人伝えでは、私が放送のなかで、「反日市長」となじり、「全国から抗議をしてくれ!」と依頼をしたと聞いたという。さらには、チャンネル桜の水島社長と一緒になって、市長の悪口を言い合ったとのこと。もちろん、放送では、一切そのような誹謗・中傷などはなく、水島社長はあくまでキャスターであった。
 推測であるが、私が「政争の具」として、トルコ文化村を使っているなどと言っている方々は、番組自体をご覧になっていないのではないかと思われる。
 それどころか、私が追及していることに対し、本来とは違う「何かの力」があるとストーリーを捏造する点は、どちらが「政争の具」にしているのか明白であろう。
 これからの展開としては、議会内部、しかも私が議員になる前の議会の人間しか知らないようなことをネタにして、某議員をはじめ、インターネットへの書き込みが増えることが予想される。自ら墓穴を掘っていることにお気づきでないようだ。

F1000006 妹が姪っ子を連れてきた。数日見ないだけでも、顔がグッと変わってきている。姪っ子を抱っこしながら、妹が買ってきたケーキをもらう。
 15時過ぎに愛車で自宅をでて、高速道路で一路、三条市に向かう。

 明日23日に投票となる三条市議選に出馬している佐野徹氏の選挙事務所への陣中見舞い。佐野氏は38歳で、今回が3期目の挑戦となる。全国若手市議会議員の会の仲間でもあり、是非、明日の投票日には良い結果がでてほしいと思う。少しでもお手伝いができればと思い、三条市内の知人に電話でお願いをした。

Dsc01691 1時間遅れで、自民党県連本部に行き、自民党青年部合同会議に出席。今年は、自民党総裁選が9月、さらには来年の統一地方選挙、参議院選挙があり、青年部としても活発な活動が期待されている。
 今年の年間スケジュールをはじめ、どういった街宣活動をしていくのか、勉強会をどうやって行うかなど、多くの意見がでたので、続きは懇親会の席で行うこととなった。

Dsc01692 車を置き、タクシーで「割烹 やひこ」(新潟市東堀通9-1396 電話:025-222-6208)に移動。なかなかシブく味のある古い建物で、2階に続く急な階段も懐かしい。
 懇親会は盛り上がり、そのまま2次会へ突入。

2006年4月21日 (金)

金銭授受?右翼団体の指示?

F1000002_2 「安全保障大学」など録りためておいた番組を見たりしていたため、つい遅くなり4時過ぎにソファーで仮眠。
 8時、起床。母親が切干大根、ひじきの煮物を作ったので、それをもらい、大粒納豆と一緒に朝食。

 今だに、トルコ文化村について、私が利権構造をはじめ、何かの組織によって動かされているというようなメールが届く。そこまでして、捏造し、問題の本質をそらしたいのかと思う。ほとんど誹謗中傷のような内容でも、来たメールにはすべて答えているが、再度、同じメールアドレスからの返信は今だにない。

F1000003_2 11過ぎ、祖母が「長もん(麺)が食べたいねぇ」というので、冷凍のさぬきうどん、送ってもらった自家製キムチを使って、「キムチうどん」を作る。だしは、香川県で買ってきた「濃縮いりこだし」をのばしたもの。キムチが本場もので祖母には辛いと思ったので、卵を落としたが、祖母は辛さでムセてしまった。

F1000004_1 14時30分からエネルギーホールにて、満州柏崎村慰霊の旅の打ち合わせ。西川勉県議もご参加されるそうで、会場にいらっしゃっていた。
 「満州」という言葉自体、現地では使えないとのことから、今回の旅のタイトルは「中国東北地方の旅」となっている。
 私は一個人として自費での参加であるが、今回は満州柏崎村に一つの区切りをつける意味で、市長も公職として参加し、慰霊の植樹を行う。是非、現地では、「満州柏崎村」の文字をいれた横断幕を掲げての慰霊を行うべきと思う。   

 17時過ぎから某社に用事があり伺ったところ、ちょうど経営者の方もいらっしゃり、トルコ文化村問題、第四次総合計画のことなど、つい1時間半ほど話し込む。トルコ文化村問題は他国も関係することから大きな問題であるが、柏崎内部として同等、それ以上に問題なのが第四次総合計画であろう。市民会議会長の突然の辞任もあり、メンバーとして参加されている経営者の方も「やり方がおかしい」等、怒りをあらわにされていた。

F1000005_1 19時過ぎ、自宅に戻ると姪っ子と妹が泊まるとのことだったので、一緒にビールを飲む。マグロの血合いにパン粉をつけて揚げた「安上がりマグロカツ」、頂き物のいくらを醤油、みりん、酒で味を微調整してご飯にのっけた「いくら丼」である。

 トルコ文化村の問題について、書きなぐりのようなメールや風評にもバリエーションがでてきた。お約束の「公募に応募している企業から金銭授受がある」からはじまり、現在は「右翼団体の指示」「宗教団体の指示」に変わってきた。宗教団体というのも、倫理法人会に参加しているからだそうで、そうなると新潟県内1500社の参加企業さんも宗教団体への参加というのであろうか。
 柏崎準倫理法人会を選挙活動に使ったという批判もあったが、柏崎準倫理法人会は3年前に設立したものであり、2003年の選挙とは関係がない。しかも、政治家での参加ではなく、経営者としての参加である。私個人だけではなく、参加している団体まで誹謗中傷するとは、死に物狂いとしか言いようがない。
 今日は別会派の議員もトルコ文化村の件で動いたとの情報があった。

2006年4月20日 (木)

竹島周辺海洋調査、靖國が原因?

 2時過ぎに解放されたので、車のなかで仮眠をとってから、7時過ぎに自宅に戻る。風呂に入ったのち、名刺の整理。ここ1ヶ月で200人以上の方にお会いしているので、礼状を書くとともに、整理する。

Uu  11時、八丁味噌と豆味噌を使ってのベビーほたての味噌汁、「しょぼろ納豆」を入れて、とろろ昆布を巻いたおにぎりでブランチ。低温殺菌の美味しい牛乳をお土産でもらったので、グイグイと飲んでしまった。紙パックのにおいもなく、ほのかな甘みの無調整牛乳。

 夕方まで事務所の整理と掃除。ここ数週間、ゆっくり掃除や書類の整理をする時間がなかったので、気合を入れての作業。

F1000001_9 20時、スーパーで半額になっていたブリカマを塩焼きにし、春雨と引き割り納豆のサラダで夕食。塩を多めにふり、じっくりと弱火で焼いたので、皮も美味しく食べることができた。鮭がその最もたるところであるが、魚は身も良いが、皮が美味しい場合が多い。鮭の皮は、いつも最後にご飯を包んで食べる。

 竹島周辺海域の海洋調査計画をめぐって、日韓の対立が報道されている。領土問題としての報道が多いなか、筑紫哲也氏の発言には驚かされた。

 「日韓がとんがった関係になったのが靖國問題がきっかけ」

 この竹島問題で日韓がもめるのも、靖國神社が原因であるかのようなモノ凄い結びつけである。

 靖國神社の遊就館に行くと、最後に近いコーナーのところに多くの花嫁人形が奉納してある。これは、「お国のため」「家族を守るため」と独身のまま「志願」し、特攻して散華された自分の子供のため、「お嫁さん」をそえてあげたいとご家族が奉納されたものだ。松尾大尉のお母様が詠まれた歌がその気持ちを表しているであろう。

 君がため 散れと育てし 花なれど
          嵐のあとの 庭さびしけれ

 そのご家族もすでに亡くなり、跡継ぎが散華されたこともあり、お守りする人がいなくなっている。このことだけをとってみても、首相の靖國神社参拝は行うべきであり、その靖國神社参拝と領土問題である竹島問題は全然別の話である。
 しかも、韓国は大東亜戦争当時は日本であり、朝鮮人も志願して、日本人とともに戦った。靖國神社には、2万1181柱の朝鮮人が祀られている。さらには、併合していた朝鮮には、日本国内のような徴兵制度が適用されておらず、志願制度であった。

<志願兵の状況 採用数/応募者数>
昭和13年  406/  2964人  7.7倍
昭和14年  613/ 12348人 20.1倍
昭和15年 3060/ 84443人 27.6倍
昭和16年 3208/144743人 45.1倍
昭和17年 4077/254273人 62.4倍
昭和18年 6300/303394人 48.2倍

出典:アジア歴史資料センター
『1.朝鮮及台湾ノ現状/1 朝鮮及台湾ノ現況 1』

 また、竹島問題を知るうえで、欠かせないのが李承晩ラインである。これは、昭和27年(1952年)1月18日に、韓国の李承晩大統領が一方的に設定したもので、国際法上の慣例にはならってはいない。もちろん、日本は抗議したが、李承晩ラインが廃止になる昭和40年(1965年)まで、日本国籍の漁船が臨検や拿捕され、銃撃される事態まで起こった。この間、韓国に拿捕された日本船舶は328隻、抑留された日本人は3929人、死傷者はなんと44人である。
 さらに、李承晩ラインの廃止に至っては、韓国政府から交換条件をだされ、日本人抑留者の返還と引き換えに、日本の刑務所に入っていた常習・重大犯罪者である在日韓国人・朝鮮人472名を放免し、さらに日本への在留特別許可を与えている。

 言うべきことは言う、譲れないところは譲らない、それが本当の友好につながるのであり、間違ったシグナルを相手に与えないことになる。
 今回の海洋調査計画も中途半端な手打ちはしてほしくないものである。

2006年4月19日 (水)

企業で孔孟研修

 2時間ほど仮眠し、6時前にシーユース雷音に移動。今日の経営者モーニングセミナーは上越市倫理法人会の会長である相村建設社長を講師にお迎えした。上越市倫理法人会は現在95社。8月末までには、130社まで拡大するという。
 相村建設さんでは、6年前より論語の勉強会を、月に1回6時~9時まで社員とともに10人前後で行っているという。孔子の弟子である、子路と顔回の対照的な違いや、その行動様式が現代に合っていると思うか否かなども議論されているとのことで、勉強会をはじめるに至った経緯としては、渋沢栄一の「右手にそろばん、左手に論語」の言葉から。いまでは孟子も勉強範囲としているという。
 また、ある中学校に関して公開された一つのデータを見て、驚いたという。それは、母子・父子家庭の割合で、1年生が21%、2年生が11%、3年生が13%。家族制度など深刻な問題であるとともに、夫婦とは何かを考えさせられたとのこと。

 セミナー終了後、ビッフェ形式での朝食会。子供に「いただきます」を言わせなくとも良いと思う親の統計の話題から教育の話まで広がる。お金を払っているから、宗教っぽいから「いただきます」「ごちそうさま」を言わなくても良い、という発想自体がおかしいように感じる。

 9時から、事務所で打ち合わせ。販売関係の売込み方法、商品のストックなどについて、先方と連絡をとりながらの調整。

 12時過ぎ、甥っ子が来たので、家族の分を合わせて「冷やしうどん」を作る。たれには、引き割り納豆を投入。甥っ子には、「いただきます」「ごちそうさまでした」を教え込むが、いまだに「まっしゅ!」と「しった!」である。食後、会社関係の手続きのため、市内廻り。

Dsc01690  18時、一回自宅に戻り、メールの返信やブログの更新。
 スーパーで3割引きになっていた「生寿司」セットで軽く夕食にする。

 20時、急遽、懇親会に出席することになり、長岡市内へ車で移動。長岡駅近く、某店での2次会から参加。

2006年4月18日 (火)

魚沼倫理法人会・倫理経営講演会

Dsc01682 昨日夕食もとらず返信メールを書いていたので、1時過ぎにインドで買ってきたスパイス「マサラ」を混ぜた納豆で、「インド風?納豆ご飯」を作る。かなり期待し、思いっきり一口目をほおばったが、ムセてしまう。久々の大失敗であった。

 4時から3時間ほどソファーで仮眠。7時起床、依頼されていたVHSからDVDへの変換やデスクトップパソコンのセットアップなど細かい作業を事務所で行う。

 11時から14時まで某店でランチ(パスタ+パン)をとりながらの長時間の打ち合わせ。せっかく柏崎までお越しいただいたので、帰り際「明治饅頭」をお渡しした。

 16時、魚沼市に愛車で移動。せっかくなので、最短距離ではなく、景色を楽しむルートを選択した。

 17時30分から「会館 魚新」で、魚沼倫理法人会の平成18年度倫理経営講演会。後援として、文部科学省、魚沼市、南魚沼市、小千谷市、川口町、湯沢町、新潟日報社となっており、魚沼市長の挨拶はもとより、魚沼市役所の幹部職員10名、川口町の職員7名も出席されていた。また、魚沼市の皆川雄二議員をはじめ、市会議員、町会議員の多くのお顔もあった。
 まず、事業体験報告「出来ることから始めよう」として、長野市倫理法人会で株式会社丸和商店の綿貫社長のお話。


Dsc01684 長野県信州中野生まれで、昭和37年2月の高校卒業式当日に夜行列車で上京、そのままインキメーカーへ就職。実父である先代社長とともに、印刷機器、製本機器の卸を業とする丸和商店を設立したが、3年間は赤字経営。そのうちに先代が他界、31歳で会社を引き継ぐ。
 今から10年前に長野市倫理法人会に入会したが、最初は宗教かと思っていた。しかし、実際に相手の喜ぶ経営を心がけ、特に手形ではなく現金決済にしたことによって、自フリの手形もゼロになり、経営は安定した。その一方、『職場の教養』での朝礼をやることによって、3名の社員が同時に退社してしまった。しかし、それに変わるやる気のある3名が2週間以内で決まり、結果的に良かったのではないかと思っている。


Dsc01685 続いて、水上宏参与からの講話。朝青龍の「相撲は負けて覚える」、東郷平八郎の「勝って兜の緒を締めよ」などから勝ち組、負け組の論理を超えたものなどを説かれていた。

Dsc01687 懇親会の冒頭、十日町準倫理法人会会長で十日町市商工会議所会頭・吉澤織物社長のご挨拶があり、7代に続く老舗の難しさ、そして社員との接し方をお話された。なかでも全社員の日報を毎日すべて読み、問題や悩みがあると電話や面談でフォローしているそうである。なかなかできることではないと思う。

Dsc01689 懇親会のなかのコンサートとして、「FM PORT」の番組「お家へ帰ろう」のDJをしているレインブックがオリジナル曲に加え、童謡、歌謡曲を熱唱してくれた。ボーカルの山本容子氏は小千谷市出身とのこと。あまり音楽には明るくないが、高音の歌声の伸びが心地よく、聞き入ってしまった。せっかくのご縁なので、CDを買うことにした。

 21時過ぎ、会場をあとにし、愛車で帰路につく。

 22時過ぎに自宅に戻り、ひたすら書類の整理。

2006年4月17日 (月)

捏造?トルコ大使文書

 最後の方をタクシーでホテルにお送りし、カプセルホテルにて3時就寝。6時、起床。サウナに入り、身支度をして、東京駅から新幹線で柏崎に戻る。

F1000003_1  12時過ぎ、久しぶりの自宅。甥っ子が遊びに来ていたので、「うれっ子」(電話:0257-22-4648)の「チャーシューつけめん」を一緒に食べる。甥っ子も段々、麺類の食べ方がうまくなってきた。

 食後、荷物をあけ、整理を始めたところ、キャリーバックの中身からスパイシーな香りが漂う。持ち歩いたPCをLANにつなげ、メールを受信したところ、1回としては、これまでの最大のメール受信数。大量のメールのほとんどは、3つほどのIPから、添付ファイル付きメールの連続送信。
 その他にも質問メールなどがあったので、夕食もとらず23時まで返信を書く。メール本文が長文になっているようなメールでも、返信を送るとアカウントのエラーとなって返ってくるメールもあった。

 トルコ文化村問題について頂いたメールのなかに、トルコ大使からの文書自体が捏造であり、私が政治的にあおっているだけではないか、とあった。しかし、トルコ大使の署名が入った文書は実在する。これまで公開した文書は、訳文であったが、以下がトルコ大使館が柏崎市長宛に送った文書である。

「トルコ大使発信文書」(pdf形式)

 上記、文書のうち、最初の2通は、トルコ大使館が柏崎市長宛に送ったものの、「届いていない」とされる文書。文書の中身にあるように「C・C」(カーボン・コピー)として、在日トルコ商工会議所に送ったことが分かる。この文書は、内容の確認のため、柏崎市が在日トルコ商工会議所にFAXで送ってもらったものである。
 また、私一人が議会で騒いでいるのではないか、という意見もあったが、所属会派はもとより、この問題を重く見ている会派もあり、4月27日の報告会に向けての準備をしている。この問題が発覚したのち、市長室にまで行って申し入れをした会派もある。
 さらには、他の議員の動きや意見が見えない、とのご意見も頂戴したが、自分のwebサイトをもっているか無いのか、また選挙を気にすることなく、政治的意見を明確に書くか、書かないかの違いであろう。選挙での票を気にするあまり、行政サイドの「おかしい」と思うことを指摘しない議員はいらないと思う。

2006年4月16日 (日)

ガンジー平和財団:ラージガート

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2006年4月13日 (木)

企業視察、ネール大学訪問、州プログラム

2006年4月12日 (水)

インドへ、バンコク経由デリー行

Dsc01450 2時就寝。7時起床。成田空港第二ターミナルに

Dsc01451 Dsc01453 Dsc01454

2006年4月11日 (火)

柏崎トルコ文化村:市長記者会見

 賛同してくれている方々にご協力をもらい、4月5日の市長記者会見の模様をテキスト化してみた。


 6番目の「旧柏崎トルコ文化村」の譲渡、応募状況についてであります。
 これについては、資料NO.5をご覧を頂きたいと思います。
 この「旧柏崎トルコ文化村」の譲渡先募集に関わる応募状況についてであります。
 去る3月24日に締め切りましたが、受付件数は3件、市内1社、県内2社であります。
 計画の中身としては、1つは新しい事業のテストあるいは、国際事業化検証拠点としたいということとあわせて、食あるいは運動・癒しによる心身の健康をキーワードとしたテーマパークを作りたいということが1つであります。
 それから、地中海ワールドあるいは地中海リゾートということでブライダル施設、レストラン、パークゴルフ場子供公園を整備をしたいという提案であります。
 3つめは、健康スパランド作りたいとこういうものでありまして、申請購入価格は、最高価格が1億4千万、最低は1億2千万であります。今後の運びでありますが、今日、第一次の審査会、第1回目の審査会を行いまして、書類審査を行います。
 4月19日、第二次審査ということでプレゼンテーションを行う予定にしております。
 選考委員については、そこにありますように、5名の方から選考委員になって頂いて、いわゆる計画の中身、それから事業主体、申請事業者の審査、および購入価格等、総合的に・・・な観点から選考を行って頂くことにしております。
 そして4月下旬に譲渡先を決定をし、5月中旬には仮契約の締結をして、6月議会に提案をし、議会議決を得たいというふうに思っております。
 施設の引渡しは、7月1日を予定をしております。

 なお、この間のですね、トルコ文化村の取り扱いの経緯の中で、トルコ大使館からの手紙、やりとりについて、私のほうからきちんとした説明をする機会がありませんでした。
 そのために、一部誤解を生じ、あるいは意図的な歪曲が行われているという風にも受け取っておりますので、改めて経緯を簡単に申し上げたいという風に思っております。
 昨年2回にわたって、3月31日と4月6日付でありますが、トルコ大使から柏崎市長宛に手紙が出されたことになっておりますが、そのことが分かったのが6月1日付の在日トルコ商工会議所会頭からの私宛の書簡によってでありました。
 その後、トルコ大使館に対して、前記2通の大使の手紙の写しを送って頂くとともに、6月23日にトルコ大使館を訪問いたしました。
 そこで、トルコ大使と面談をし、まず手紙を頂きながら、しかも提案の申し出がありながら、何らの返答、ご挨拶もなく、そのことが遅くなったことをお詫びをするとともに、柏崎市としての、その時点での考え方、つまり、それは以前にもこの場でお話を申し上げたことがある訳でありますが、旧柏崎トルコ文化村については、できるだけ早期に処理をしたい、具体的には土地・施設の譲渡を考えていると、それから新たな用途は、観光に拘らないで考えていきたいと、それから大方の市民の理解が得られるようにしたいと。
そして、5つめにトルコ共和国との友好関係の継続に配慮したいと、まぁ、このようなことを申し述べ、そのことについては、理解を頂いたところであります。
 そのあと、在日トルコ商工会議所の役員の皆さんと話し合いをいたしました。
 トルコ商工会議所側からは、何とかトルコ文化村の継続が出来ないかとの話があり、私のほうからは2度にわたって経営破たんしたことでもあり、継続は難しいのではないかという話をいたしましたが、日本人がやったので上手くいかなかったのではないかとかですね、トルコ人がトルコの心をもってやれば、上手くいくというような趣旨の発言がありましたが、しかし、じゃあ具体的に誰が、あるいはどのような組織が、どのような方法で、運営あるいは経営していくつもりかという、こちらの質問に対しては、具体的な提案・提示はなかったわけであります。
 また、大使からの手紙で記されておりました、2010年までに賃貸するという構想についても、その内容を伺うことは出来ませんでした。
 トルコ文化村の運営について何らかの具体的な提案があるものと期待しておりましたが、それはなかった、その時点ではなかったのであります。
 私は、この訪問と大使、そして在日トルコ商工会議所役員との話し合いによって柏崎市の考え方を伝えるとともに、大使からの手紙に対しては、一定の返答をして帰ってきたつもりでおりました。
 また、その後とくに在日トルコ商工会議所からは、新たな提案、申し出はないままに推移をしてきたと理解をしております。
 そこで、そこに、今年の1月31日付で、昨年の書簡つまり4月6日付のトルコ文化村の活動継続の要望と提案ということで、大使から手紙があったことを指していると思いますが、昨年の書簡に対する返事や回答がもらえてないという大使からの手紙が届き、まぁ、驚いた次第であります。その間で、意思疎通を欠いた点、あるいは何らかの行き違い、誤解を生んだことについては反省をしておりますけれども、2月28日、再度、大使館を訪問して大使そして商工会議所会頭と、同席の場で改めて柏崎市の基本的な考え方、公募をすることになったいきさつを説明をいたしました。大使からは、その経緯について理解を示すとともに疑問や不明に思っていた点が解決したと述べられ、説明のために市長がたずねてくれたことへの謝意が表明をされました。
 私のほうからは、運営の意志があればぜひ公募に手をあげて頂きたいと旨を申しあげたところ、改めて現地を見てみたいということで、3月3日に大使館の一等書記官と商工会議所の2人で柏崎に来られたわけであります。
 そして、公募を締め切ったのちの3月30日、三度、トルコ大使館を訪れ、大使と面談をしてまいりました。そこで、先ほど発表いたしましたように今回の公募に応じた業者が3社であったことを含め、今後のはこびかたについて説明をいたしました。
 え~、大使のほうからは、その説明に理解を示すとともに、感謝の気持ちが述べられ、1つには旧柏崎トルコ文化村は柏崎市民のものであり、柏崎市政の問題である。トルコ国として、柏崎市政に干渉するつもりはないし、我々がとやかく言うことではない。
 2つめには、3月3日に一等書記官と商工会議所会頭が施設を視察したが、現状をみてかなり予算がかかるし、何かをやろうとする可能性は低く、公募には応じないこととしたと。
 3つには、3社が応募したことは嬉しく喜ばしいことである。また公募のなかでトルコ国との友好関係に対する配慮をして頂き嬉しく思う。今後とも友好関係が続くことを希望している。との見解が述べられました。
 私としては、今後ともトルコ共和国との友好関係の維持に十分配慮しながら、すすめてまいりたいというふうに思っております。
 これが、ちょっと補足でありますが、これまでの経緯でありますので、改めて申し上げます。

※この後、枇杷島小学校の現地改築、柏崎夢の森公園の開園、その他として第4次総合計画の市民会議会長の解任について。トピックスとして、「大崎雪割草の湯」「エコアクション21」「中小企業基盤整備機構の市庁舎内への分室設置」「防災行政無線の活用」「ワークサポート柏崎の開所」「柏崎簡易保険加入者ホーム」
 記者から「時間の無駄です」というコメントあり。

Q.トルコ文化村の経緯について色々と説明して頂きましたが、今ひとつ分からないのが、こういった経緯が、何でいまさら蒸し返して説明されるのか、よく分からない。

A.はい、あのー、これまで議会でも若干のやり取りがありましたが、今改めて、この間のですね、トルコ大使から市長宛の手紙だけを見て、柏崎市長がトルコ大使やトルコ共和国に対して、大変「非礼」をはたらいているというふうな抗議のメールが大変たくさん来ております。
  これは、まぁ、ある議員がネット上でそのようなことを訴えたことに応えて来ているものでありますが、かなり事実と異なっている、事実認識を誤っておりますのであらためて今日、説明をさせて頂いたというものであります。

Q.ちなみに、その「たくさん」とは、何名くらいですか。

A.えっと・・・約40通。

Q.これって、県内? 県外?

A.全国から来ております。
  トルコ大使館にも随分いっているという風に聞いております。

Q.続いて、このトルコ文化村についてお聞きしたいのですが、選考委員はあとで名簿か何かをいただけますか? オープンでしょう?

A.これはですね、基本的にオープンにしたいのですが、いま申し上げている事情がありましてですね、今、企業名それから委員も含めて、選考が終わった段階で発表させて頂きたいと、こう思っております。
  大変なにか、不穏な動きもない訳ではないものですから、そのことについては十分配慮して頂きたいと、こう思っておりますが。


 なるほどー、議員が持つ通常の情報の請求権ではなく、さらに正式な手続きである情報公開請求によって判明した2通の書簡は「出されたことになっている」と表現される。
 外国の大使館から来た書簡を1通ではなく、2通、しかもその間隔は2週間とあいていない。これだけをとってみても、通常の組織であれば、課長や部長などの進退、クビに関わる問題ではないのか。事務業務に関することもそうであるが、調査もせずこれをウヤムヤにしようとする感覚こそが問題なのである。「出されたことになっている」とは、トルコ大使館、そして郵便局の皆さんが聞いたら激怒するのではないであろうか。もし私が郵便局の職員であったとしたら、名誉を守るため、徹底的に同時期の郵便物を調査する。それぐらい、失礼な発言だと思う。
 「私のほうからきちんとした説明をする機会」はなかったというが、議会の招集権は議長には無く、市長にある。それこそ説明責任は市長側にあるのであって、本当に重要だと思うなら、議会を招集すれば良いのである。私も議事録が残る議会の場で追求させてもらいたい。根本的には、説明も何も情報公開請求が無ければ、「話をする内容ではない」としてそのまま闇であったはずである。
 抗議の声は「トルコ大使から市長宛の手紙だけを見て」と断定しているが、日本とトルコ共和国との友好の歴史はもとより、トルコ共和国の国父であるケマル・アタチュルク像や2通の書簡の不明な点を見ていないと言い切って良いのであろうか。抗議の声を挙げた方々をあまりにもバカにしていないだろうか。
 この会見にある「これは、まぁ、ある議員がネット上で」、この「ある議員」が私のことであるかどうか分からないが、「かなり事実と異なっている、事実認識を誤っておりますので」と言い切るが、認識を誤っているだけと思うなら「ある議員」には説明すべく接触はしたのであろうか。
 ちなみに、この「ネット上で」「ある議員」のサイトだけではなく、間違ってインターネット全体として捉えているようであれば、色々な場所に「ある議員」が書きまくっているとして、今後、攻撃してくるであろう。
 もうお約束となってきたが、「意図的な歪曲」「大変なにか、不穏な動き」と政治的な陰謀説も忘れていない。この発言により、この問題を「他国に対する礼儀と配慮の問題」から「政争の具」へとすり替えを行っている。このすり替えによる効果は、外部からの抗議の声の分断であろう。ちなみに、誇らしげにトルコ大使からの「柏崎市政の問題である。トルコ国として、柏崎市政に干渉するつもりはないし、我々がとやかく言うことではない」というお言葉を紹介しているが、これは外国の大使がおっしゃる当たり前のことであり、わざわざ書くようなこちら側の感覚がおかしいと思う。
 記者からの抗議のメールに関する質問への回答のなかで、「トルコ大使館にも随分いっているという風に聞いております」とあるが、この発言があるからには、トルコ大使館と抗議のメールの件で、話し合うか情報交換をしているはずである。その事については、一切の発表をしていない。

 ここまでで、今後のストーリーは読める。
 今回の柏崎トルコ文化村の事は、特に問題も何もなく、市民にも議会にも話すことではない。それを「ある議員」が何か「不穏な動き」に連動して「意図的な歪曲」をしている、これを「政争の具」とし外部からの抗議の声を分断、2通の書簡の存在やトルコ大使から怒りの書簡が来るまでに到った部分、そしてアタチュルク像の扱いなどは既に決着したかのようにする。「ある議員」「意図的な歪曲」をして、「不穏な動き」に連動するからには、何かの利権構造やしがらみという仕掛けが必要になる。しかし、実際に「ある議員」には利権構造は発生していないことから、残るは個人攻撃
*漏れ聞いた話では、土曜の発音に似た名称の集まりでこの事が話し合われたという。

 大きな視点でこの記者会見を見てみると、まずは受け身となり、問題は何もないんだけど、「政争の具」にしたい連中が騒いでいるだけ、というスタンスである。しかも特定できるような「ある議員」を挙げ、そのせいで説明せざるをえない、といった調子である。市長の公式な記者会見の場で「ある議員」を挙げる時点で、その力量のほどを問われるが、議会からの指摘があるのは当たり前のことである。しかも、今回の件は情報公開請求をしなければそのままであった。議会が閉会中のいま、市民の側から見て問題と思われることを、議員が自分の政治活動で行うことは何らおかしいことではない。普段、政治活動をしない議員の方が良いと思われているなら別であるが・・・・・。

 3時、就寝。6時、起床。インドに行く準備がまったくできていないが、目の前には処理しなければならないメールや書類が多い。取りかかるまでが少し億劫である。

Dsc01447Dsc01448 12時過ぎ、パンの耳をバジルとバターで焼き、卵入り納豆をすくって食べる。祖母には、ブリの刺身があったので、ブリの刺身を使った「ブリの茶漬け」。山葵醤油をいれた真空パックにブリの切り身を入れ、真空にし、味を染み込ませてから使った。三つ葉がなかったのが残念。

 午後になって、4月27日にトルコ文化村の件と枇杷島小学校改築の建設位置に関しての報告会が行われるとのFAXが入った。なぜ報告会なのだろうか。報告会だと全文議事録は残らない。FAXが入ったのち、この問題を同じように重いと捉える議員からの電話もあり、インドから戻り次第、打ち合わせをすることとなった。

 16時11分に柏崎駅をでて、17時7分、長岡駅からMaxとき338号に乗り、東京駅に移動。八重洲口の喫茶店にて、仕事関係で1時間ほどの打ち合わせ。
 20時近くの成田エクスプレスで成田空港第二ターミナル駅へ。シャトルバスで宿泊のヒルトン成田に着いたのが、23時近く。寝るだけである。団体割引でないと泊まらないような豪華な感じであり、居心地が悪い。部屋にLANがあったので仕事ができると喜び、接続したものの使用料は1680円・・・・高い。
Dsc01449 しばしホテルの外を歩いて、コンビニで夕食の買い出し。この時間になると、納豆巻きもないようで、デミグラ丼弁当とビール2本を購入。部屋に戻って、夕食をとる。

2006年4月10日 (月)

柏崎トルコ文化村:議員への説明、西川前市長出版記念

F1000005 9時過ぎ、新潟から柏崎まで高速で戻る。
 飲み過ぎ、食べ過ぎで胃が荒れているからなのか、胃が重い感じであったので、魚のあら汁と納豆ごはんだけの朝食。

 11時からインターネットを介したTV会議。やはりタイムラグもあり、気が散り、議論をしても後味が良くない。

Dsc01438_t 14時から15時30分まで、某店の厚切りサンドイッチを食べながら打ち合わせ。ただのバターではなく、ちゃんとマスタードをまぶしたバターが塗ってある。

 突然、以下のようなFAXが送られてきた。


市議会議員各位              平成18年4月10日
                     柏崎市長  会田 洋

         トルコ大使館と協議経緯について

 旧柏崎トルコ文化村の閉鎖に伴い、その跡地の取扱いを検討した結果、このたび公募による売却という方針を決定し、現在その方針に添って作業を進めているところです。しかし、この間トルコ大使館との協議に関して、一部誤解を生じあるいは意図的な歪曲が行われていますので、その経緯について取り急ぎ文書でご説明したいと思います。
 昨年、6月1日付けの在日トルコ商工会議所会頭からの私宛の書簡によって、トルコ大使から3月31日付け及び4月6日付けの二回にわたって柏崎市長宛ての手紙が出されていたことが判明し、その所在を捜しましたが見つからず、止むを得ずトルコ大使館に対して前記2通の手紙の写しの送付を依頼するとともに、6月23日トルコ大使館を訪問しました。
 当日はまずトルコ大使と面談し、私の方から、手紙を頂きしかも提案の申し出を受けながら、ご挨拶が遅くなったことをお詫びするとともに、柏崎市としてのその時点での考え方(つまり、旧柏崎トルコ文化村の閉鎖については誠に残念なことではあるが、できるだけ速やかにあとの利用方針を出したい、具体的には土地・施設の民間への譲渡を考えている、新たな用途は観光にこだわらない、大方の市民の理解が得られるようにしたい、今後ともトルコ共和国との友好関係の継続に配慮したい、など)を述べました。
 大使からは、私が訪問したことへの謝意と私の説明に対する理解を示されるとともに、旧柏崎トルコ文化村がトルコ共和国と柏崎市との友好関係を深める上で大きな役割を果たしてきたこと、その旧柏崎トルコ文化村が閉鎖に追い込まれたことは誠に残念であること、そのことで在日トルコ商工会議所から提案があるので是非聞いて欲しいこと、今後ともトルコ共和国と柏崎市との友好関係が続くことを希望する旨の表明がありました。
 そのあと、大使は退席され、在日トルコ商工会議所正副会頭を始めとする役員の皆さんと話し合いをしました。在日トルコ商工会議所側からは、何とか旧柏崎トルコ文化村の継続ができないかとの話がありましたが、どのような組織がどのような形で経営するのか、についての明確な答えはありませんでした。旧柏崎トルコ文化村の運営について、何か具体的な提案があるものと期待しての大使館訪問でありましたが、在日トルコ商工会議所が経営のための具体策を持っているわけではない、と受取らざるを得ませんでした。今後、具体的な提案がまとまるようならお知らせいただきたいとも申し上げてきました。
 私はこの訪問とトルコ大使、在日トルコ商工会議所役員との話し合いによって、柏崎市の考え方を伝えるとともに、大使からいただいた手紙に対して一定の返答をして帰ってきたつもりでおりました。またその後も、とくに在日トルコ商工会議所からは新たな提案、申し出はないままに推移して来たと理解しています。従って、この件で議会の一部から何の説明もなかったとの批判をいただいていますが、説明を要する内容のものは何もなかったと考えています。
 そこに今年の1月31日付けで「昨年4月6日付けの私の書簡(旧柏崎トルコ文化村の活動継続の要望と提案)に対する返事や回答がもらえてない」との大使からの手紙が届き驚いた次第です。上記のように、昨年6月に大使館を訪問した際に、その返事や回答をしてきたものと考えていたからです。しかし、その後の意思疎通を欠いた点、また何らかの行き違い、誤解を生んだことについて、反省すべき点があったものと受け止めました。
 そこで去る2月28日、再度大使館を訪問して、大使、商工会議所会頭等同席の場で改めて柏崎市の基本的な考え方、公募をすることになったいきさつを説明しました。大使からはその経緯について理解を示すとともに、疑問や不明に思っていた点が解決したと述べられ、説明のため市長が訪ねてくれたことへの謝意が表明されました。私の方からは、運営の意思があれば是非公募に手を挙げていただきたい旨申し上げたところ、改めて現地を見てみたいとの表明がありました。そのことをふまえて、3月3日にトルコ大使館の一等書記官と在日商工会議所会頭の二人が柏崎に来られ、旧柏崎トルコ文化村の施設を見て帰られました。
 公募を締め切った後の3月30日に、三たびトルコ大使館を訪れ大使と面談してまいりました。そこで、今回の公募に応じた業者が3社であったことも含め、今後の運び方について説明しました。
 大使の方からは、その説明に理解を示すとともに感謝の気持が述べられ、

1.旧柏崎トルコ文化村は、柏崎市民のものであり、柏崎市政の問題である。トルコ共和国として、柏崎市政に干渉するつもりはないし、我々がとやかく言うことではない。

2.3月3日に一等書記官と商工会議所会頭が施設を視察したが、現状を見てかなり予算がかかるし、何かをやろうとする可能性は低く、公募には応じないこととした。

3.3社が応募したことは喜ばしいことである。また、公募のなかでトルコ共和国との友好関係に対する配慮をしていただき嬉しく思う。今後とも友好関係が続くことを希望している。

との見解を述べられました。

 以上がこれまでのトルコ大使館と行ってきた協議の経緯です。
 これまでもトルコ共和国との友好関係の維持に腐心しながら進めてまいりましたので、特に友好関係に支障を来たしてはおりませんし、今後ともそのことには十分に配慮してまいります。
 以上、取り急ぎ文書でご説明いたしましたが、改めて議員の皆様へのご説明の機会を設けさせていただきたいと思いますので、よろしくお願い申し上げます。


 トルコ大使館に行ってきた日が3月30日。この文章の作成に手間取ったのであろう、10日も経過してからの報告である。
 それにしても「その所在を捜しましたが見つからず」とは・・・。
 「ご説明の機会」に期待するだけである。

Dsc01443 18時30分から柏崎市産業文化会館にて、西川正純前市長の出版記念会。書き下ろしである『4383日の長の記』の出版を記念して、関係者が一同に集まった。その数、700人超。
 市長在任時代には、北朝鮮による拉致問題や原子力発電の問題など数々のイベントがあり、立ち止まる暇がなかったという。
Dsc01444 花束贈呈には、蓮池薫さんをはじめ、西川前市長の置き土産ともいえる企業誘致であった岡本硝子さん、曽田医院の奥さんなどがプレゼンターとして登場。
 花束を渡した後のコメントとして、曽田さんは「健康過ぎて、金にならん患者だった」と笑いを誘い、蓮池薫さんは、帰国後に配慮をしてもらった距離感について語っていた。
Dsc01445 西川前市長が現職のときに私は市議会議員になったが、県立柏崎美術館構想では、真っ向から対決するかたちになり、激しいやりとりとなったことが思い出される。いまでも県立美術館問題を取り上げ、「お前は保守ではない」と口もきいてくれない人もいるが、あの選択は間違っていなかったと思っている。そもそも、県立の施設であるので、県議会で決めるべきことであった。
Dsc01440_1 懇親会になってから、集まった皆さんとの注ぎつ注がれつの応酬。700人以上集まっているため、知っている方も多く、ビールの一気飲みからはじまり、日本酒、ウイスキーとなった。自分の親の年代の方が多く、なかなか注がれた酒を断れない・・・。

 22時、自宅に戻り、酔い覚ましのぬる風呂。
  

2006年4月 9日 (日)

名越二荒之講演、ある議員のネット上?

 柏崎トルコ文化村の件について触れた先日5日の市長記者会見について、別の地元紙は以下のように伝えている。


平成18年4月7日『越後タイムス』

 トルコ共和国大使も納得
 旧トルコ文化村譲渡先公募で会田市長が経緯を説明

 会田市長は5日の定例記者会見で、旧トルコ文化村譲渡の問題で、トルコ共和国への対応について抗議のメールがきていることから、改めてトルコ大使館とのやりとりの経線を説明理解を求めた。

製造業1社、ホテル業2社が応募

 会田市長は昨年6月23日と、今年2月28日、さらに3月30日に、トルコ大使館を訪問している。昨年6月23日の訪問では、トルコ大使に対し、届かなかった二通の手紙への返答が遅れたことを謝罪し、市の考え方を説明したという。トルコ大使は理解を示したが、在日トルコ商工会議所の役員が、「なんとか維持できないか」との希望を示したので、具体的な提案を期待したが、結局提案はなかった。
 今年1月31日のトルコ大使からの手紙に応え、2月28日にもう一度考え方を説明。大使は「疑問が解決した」と述べたという。公募締め切り後の3月30日、さらに大使館を訪問して、公募状況を説明大使は「旧トルコ文化村は柏崎市民のものであり、市政の問題。トルコとして市政に干渉することはない」「トルコ村の現状を見て、何かやることはできないと判断。公募しないことにした」などと話し、トルコ共和国への配慮に対し感謝の意を表したという。
 会田市長は、今回の経緯説明について、「ある議員のネット上に『市長がトルコ共和国に非礼を働いている』などの書き込みがあり、市に対する抗議のメールが全国から40件もあった。事実と異なっているので説明した」と述べ、一部に誤解や意図的な歪曲があると指摘した。
 応募状況は、市内1社、県内2社で、業種は製造業1社、ホテル業2社であり、計画としては「新事業のテスト、国際事業化検証拠点、食と運動と癒しによる心身の健康をキーワードとしたテーマパーク」「地中海ワールド、または地中海リゾート」「健康スパランド」の三つであることも示された。入札価格は最高が一億四千万円、最低が一億二千万円だという。5日には選定審査会が開かれ、書類審査による一次審査が行われた。


 担当課への取材では抗議メールは50件と答えていたが、その後、減少したのであろうか、40件だそうである。またある議員のネット上と書かれているが、「ある議員のネット上」とはインターネットの仕組みはもとより、責任所在をどう考えているのか、まったく理解できない。記者会見をする前に、その「ある議員」に聞き取りをしたり、話合いはしないのであろうか。ちなみに、これまで私には市長サイドからの接触はない。
 また、「事実と異なる」とはどういったことであろうか。
 上記に引用した記事をよく読めば、今回の記者会見の矛盾が分かる。昨年の6月23日の訪問で、「トルコ大使に対し、届かなかった二通の手紙への返答が遅れたことを謝罪し、市の考え方を説明」「在日トルコ商工会議所から具体的な提案を期待したが、結局提案はなかった」とある。であれば、今年1月31日の駐日トルコ大使からの書簡にある、

「2005年4月6日付けの私の書簡に関して、
 在日トルコ商工会議所によるトルコ文化村の活動継続
 の要望と経論についてのお返事または暫定由なご回答を、
 今日までいただいておりません
ことにご配慮慮いただきたく」

の文面はどう説明するのであろうか。昨年6月23日で提案はなく、そこでトルコ大使館との話合いが決着した、ということであれば、今年1月31日の書簡は存在しないはずである。これを「意図的な歪曲」とでも言うのであろうか。しかも、「友好」を本来業務とする駐日トルコ大使の強い怒り、

 「本件に関しては、日本人らしからぬ
    注意力と几帳面さを欠いた行為である
               と思わざるをえません。」
 「I must admit that I find this rather
  unusual knowing Japanese carefulness
  and punctuality.」

はどう説明するのであろうか。また「誰かの陰謀で・・・」とするのか。
 3月30日、トルコ大使館で駐日トルコ大使が、「柏崎市政の問題、トルコとして干渉する気はない」とおっしゃるのは当たり前である。
 この問題は、まだまだ後を引く。

 2時就寝。6時に起床し、昨日の会計の処理など。思った以上に田形先生の著書やDVDを買ってもらい、ご協力いただいた皆さんのありがたさをしみじみ感じる。

 8時、駅前のホテルまで田形先生をお迎えに行き、長岡駅まで車でお送りする。長岡駅構内で一緒に朝食をとりながら、新幹線待ち。昨日の講演で話し足りなかったことをお聞きする。話が盛り上がってしまい、長話となってしまった。

nagosi 12時、新潟市のクロスパルにいがたに移動。13時から名越二荒之助先生の講演:日本・日本人ってこんなに素晴らしい、「世界に生きる日本の心」「当日チラシ」(pdf形式) である。
 主催は、新潟市議会の佐々木かおる議員を中心にした、志源塾の皆さん。

Dsc01413_t 会場には、若い世代からご年配の方まで揃い、販売のため用意していた本も売り切れてきたようであった。
 名越先生の講演は、フィンランドの「東郷ビール」から話がはじまり、これに呼応するかたちで企画した

Dsc01410_t  「ビールは東郷、酒は乃木で行こう言うてですねぇ~。那須の乃木清水で酒を作りましたよぉ~。このデザインは僕書きましたぁ~」

と「乃木之誉」、そして最近オランダで発売された「明治維新ビール」の紹介となった。

Dsc01414_t そして、名越先生の講演の名物、「日の丸」三兄弟からはじまる、国旗や軍旗などの紹介がはじまった。

 まず最初はバングラデッシュの国旗。ベンガル人の国という意味であるが、ベンガル人で日本が忘れてはならない偉人が、タゴールチャンドラ・ボース、そしてパール博士であるとのご説明。

Dsc01415_t そしてパラオ共和国の国旗。昭和天皇がお隠れになったときのパラオの人々の提灯行列の写真などをご紹介。日本統治時代を懐かしむ現地の人の顔や声などは貴重な資料であった。
 ちなみに、名越先生の名前の由来となった「二荒之神社」がパラオにもあり、パラオにいた宇都宮の連隊が作ったという。

Dsc01417_t

 韓国。この国旗、大極旗の考案者とされるのが、朝鮮王朝末期の政治家・朴泳孝(パギョンヒョ)。朝鮮半島の近代化を目指して、クーデターを起こすも失敗し、日本に二度、亡命した政治家である。日韓併合後は貴族院議員を務めたので、日本の政治家でもある。韓国の国旗が初めて掲げられたのは、日本の神戸であった。

Dsc01416_t 言わずとしれた、旭日旗。旧大日本帝国陸海軍の旗であったと同時に、現在でも海上自衛隊をはじめ、自衛隊旗となっている。この旭日旗から、色々な民族に「太陽信仰」があるのではないか、との問いかけがはじまる。

Dsc01422_t4 モンゴルの騎馬隊の旗であり、昭和13年8月に『世界知識』表紙にも、描かれている。
 日本の「日の丸」も現在の白地に赤ではなく、この旗と同じデザインの時期があったことも、戦国時代の資料からご説明。
 そして余談として、オスロのコンチキ博物館にあるヘイエルダールが実験航海に使用した船に「日の丸」と同じデザインがあったことも紹介。

Dsc01418_t ここからは、太陽信仰、そして独立や民族にかける歴史が刻まれた国旗の紹介となった。
 スペインからの独立の印であるフィリピンの国旗。赤は独立のために大地に流した血を意味するため、戦争の際にはこの旗を逆さにして、戦闘にのぞむ。

Dsc01421_t 今年5月、慰霊のため現地に向かうが、柏崎村もあった旧満州国の旗。「五族共和」を願い、赤が日本人、青が朝鮮人、白が漢人、黒が蒙古人、そして黄色が満洲人を示す。満州事変からたった6ヶ月で国を作り上げたことは、特筆的。名越先生曰く、

 「アメリカのイラク復興も、
 かつての日本を見習えーと言えばいいんですよぉ。
 満州は六ヶ月できたゆうてぇ~」

である。

Dsc01423_t 民族独立を願い戦った、インドネシアの「郷土防衛義勇軍(PETA)」の大団旗。イスラム教のシンボルである星と月、緑に加えたのが、日本の旭日旗とされている。PETAの設立には日本人が大きく関わっており、50年間歌い続けられているPETAのマーチの日本語訳は以下である。

「アジア、すでに敵に向かい、蜂起せり
 己を捨てて全力を尽くす 連合国を粉砕せんと
 玉散ることもいとわず
 進め 進め 義勇軍 アジアとインドネシアの英雄
 清き東洋に幸あれ
 古きアジア 不幸に苦しむ 烈しき圧制に
 幾世紀も忍ぶ 大日本 雄々しく立てり
 アジアを救い 我らを守る
 進め 進め 義勇軍 アジアとインドネシアの英雄
 清き東洋に幸あれ」

Dsc01419_t 旭日つながりとして、現在、インドに亡命しているダライ・ラマしか掲げていない、いや掲げられないのが、チベットの国旗。
 ここにも旭日が描かれており、太陽信仰と国旗の関わりについてを紹介。

Dsc01426_t 国旗ではないが、日本人が忘れてはならない旗として「Z旗」の紹介。名越先生曰く、日露戦争は「皇国興廃この一戦にあり」としてこの「Z旗」を揚げて戦う気概があったのに、いまの日本人にはその気概がないとのこと。他国に、自分の国の教科書を書き換えろと言われて、書き換えてしまう点がもっとも醜い点という。

1_2 最後は、会場にいる人も参加し、紹介のあった旗をもっての記念撮影。
 私はモンゴルの騎馬隊の旗を持たせてもらった。

3 旗から世界の話を広げていき、最近「反日運動」で血気盛んな中国に話しが移る。南京大虐殺とともに、中国側が主張し、実際に処刑されたのが、100人切りをやったとされる向井少尉と野田少尉。
 最後の最後まで、中国との友好を願った向井少尉の感動の遺書が紹介された。

「我は天地神明に誓ひ
 捕虜住民を殺害せることは全然なし 
 南京虐殺等の罪は全然ありません
 死は天命なりと思ひ
 日本男子として立派に中国の土になります
 然れども 魂は大八州(おおやしま=日本)に帰ります
 我が死をもって中国抗戦八年の苦杯の遺恨流れ去り
 日華親善 東洋平和の因となれば捨石となり幸ひです
 中国の奮闘を祈る 日本の敢闘を祈る
 天皇陛下萬歳
 日本萬歳 中国萬歳
 死して護国の鬼となります」

 向井少尉の無念に会場でも共感する方が多く、涙を拭く方もおられた。

Sh 郷土・新潟県に関する歴史秘話ということで、斉藤博大使が紹介された。
 斉藤大使は長岡出身で、昭和9年から昭和14年まで駐米大使を務められ、多くのアメリカ人に愛された。現在の外務省内でも、「斉藤の前に斉藤なく、斉藤のあとに斉藤なく」とも言われているそうである。
 アメリカ人に愛されたといっても、ただ友好を唱えたのではなく、昭和10年には、

 「日本の朝鮮併合をアメリカは批判するが、
  アメリカも太平洋を越え、アジアに手をだすため、
  先にハワイを奪い取ったではないか」

などの痛烈なアメリカ批判をし、その心意気とフェアな精神が評価されたとのことで、フランクリン・ルーズベルトは夫婦揃っての親密な付き合いをしている。
2 その証拠に、日米間の緊張感が高まっていた昭和14年、客死した斉藤大使の亡骸を、「巡洋艦 アストリア」で日本まで送っている。しかも、横須賀では海軍葬を行った。斉藤大使のお墓は、現在多磨霊園にある。

 また、アメリカのアナポリス海軍兵学校のなかには、斉藤博記念塔があり、それだけ重要視された人物であったことが伺える。

 続いて、新潟県佐渡出身の軍人として、今でも台湾で歌われている「台湾軍の歌」の作曲者でもあった本間雅晴中将の紹介。本間中将は、戦後、「バターン死の行進」の責任者として処刑された。富士子夫人が証人として戦犯裁判に出廷した際に証言した言葉は、敵国の裁判官、弁護人、そして傍聴人の涙も誘った。

 「わたしは今なお本間の妻たることを誇りにしています。
  わたしは夫、本間に感謝しています。
  娘も本間のような男に嫁がせたいと思っています。
  息子には、日本の忠臣である
          お父さんのような人になれと教えます。
  わたしが、本間に関して証言することは、
            ただそれだけです・・・・・・・・・・・」

 最後に「戦艦 大和」の主砲音を聞き、質疑応答、終了となった。

Dsc01437_t 続いての懇親会は、新潟グランドホテルの「中国料理レストラン 慶楽」 にて行われた。
 席が名越先生の隣だったこともあり、新潟県として見た場合はどんな歴史秘話があるのか、というテーマで意見交換。まず石油を例にとって、旧・西山町で日本石油が立ち上がった頃のアジアの国々(独立主権国家はタイと日本のみ)と新潟県人の暮らしについて語ったが、柏崎は柏崎県であったこともあり、まるっきり今の新潟県の括りでは考えづらいことに行き当たってしまった。今後、さらに研究してみたい。

F1000003 懇親会が終了したのち、新潟駅近くの「笑笑」で、調査活動に協力してもらっているK氏と御礼もかねての「飲み飲み」。すでに満腹であったので、軽くつまむ程度になった。
 23時過ぎ、酔いもあったので、新潟駅近くのビジネスホテルに宿泊。

2006年4月 8日 (土)

「日本世論の会」柏崎支部設立記念講演会

 2時、就寝。7時、起床。あいにくの雨天、かつもの凄い風である。今日の講演会の動員に確実に響くであろうが、前向きにこれも試練と捉える。

 長風呂に入って、身支度をしたのち、家をでる。まず講演会用のパンフレットなどを印刷屋さんに取りにいき、会場の準備。ある程度したところで、12時近くに長岡駅の改札に行けるよう愛車で柏崎をでる。

F1000001_7 12時、三輪氏、田形先生と長岡駅の改札で合流。そのまま「小嶋屋 長岡喜多町店」(電話:0258-25-9338)に行き、昼食。へぎそばを普通の付け汁に加え、鴨つけ汁でも食べて頂く。三輪氏の田形先生も蕎麦は嫌いではないとのこと。自分でも朝食を食べていなかったので、5人前があっという間に空になった。

Dsc01404_t 柏崎に戻り、会場の柏崎市市民プラザに講師のお二人をご案内する。外は激しい雨に加え、強風。車のドアも風にもっていかれそうになるほどである。
 14時をちょっと過ぎたところで「『日本世論の会』柏崎支部 設立記念講演会」「当日チラシ」(pdf形式) がスタート。

Dsc01403_t この悪天候のなか、100名近くの方にお越し頂き、感謝の気持ちでいっぱいであった。柏崎市内だけではなく、上越市、十日町市、新潟市など他の自治体からもお越し頂き、また地元の県議、市議をはじめ、声をかけた他の自治体の議員にも数名お越し頂いた。

Dsc01399_t 私からの趣旨説明、支部長である丸山議員からのご挨拶ののち、「日本世論の会」三輪和雄会長による基調講演である。
 「愛国心」からはじまり、この9月の自民党総裁選の結果によっては、隣国の言うことに屈する骨抜きの国家となるのか、それとも凜とした国家になることができるのか、瀬戸際であると熱い語り口で話され、会場を圧倒。40分の予定が1時間となったものの、会場では頷く人が多かった。
*この模様は収録したので、後日チャンネル桜で放送。

Dsc01402_t 大東亜戦争に関して4分間ほどにまとめた映像を見たのち、いよいよ田形先生による、特別講演「誇りある日本へ 祖国を滅ぼしてなるものか」である。
 直立不動のまま、約1時間40分。お歳のこともあり、多少、同じ事をおっしゃる部分もあったが、堂々と南京大虐殺がなかったこと、軍規が厳しく強姦などできる状況ではなかったこと、お母さんとの約束、戦友、特攻に送った生徒との約束をお話され、会場の涙を誘っていた。


tf『れいろう』2005年8月

「あとを頼む」と出撃した特攻隊員たちの想いに応える

特攻待機命令を受けて

-田形さんは、六十年前の8月14日に特攻待機命令を受けられたそうですね。

田形 「陸軍准尉田形竹尾は誠第2特別攻撃隊隊長を命ず。出撃の時刻は後刻示す」。たったこれだけの命令ですが、その瞬間はそれまで生きてきた29年間よりも長く感じました。大地が裂けてものすごいカで引き込まれるような、全身の血が逆流するような衝撃を重けました。
 ただ、その一瞬が過ぎると、死の悲しみも苦しみもない、地位や名誉も欲しくない、なんの執着もない心境になり、心に安らぎが訪れたんです。今考えても、特攻命令を受けてから終戦で命令を解除されるまでの24時間が、89年の人生の中でいちばん幸せな時間でした。
 心身ともに健全な私が、堂々と祖国日本を護るために誇りと勇気を持って、悠久三千年の日本の歴史の中に死んで、そして歴史とともに生きていく、これ以上の幸せはありません。
 私は、台湾の屏東で昭和19年5月から、特攻要員の教官として、学徒兵と少年飛行兵の教育を担当しました。しかし、観念的に特攻隊員の気持ちを理解していただけで、実際に自分が特攻待機命令を受けて初めて教え子たちの心境に達することができたんです。私は昭和11年の熊谷陸軍飛行学校入校以来、十年間戦闘機を操縦し、中国、ロシア、イギリス、アメリカの勇敢な戦士たちを相手に実戦を重ねてきました。ところが、わずか一年ほどしか乗っていない学生たちに圧力のようなものを感じていたんです。彼らは四か月
の教育が終わると特攻命令を受けて死ぬことを自覚していました。その覚悟の違いからくる心境の差が、圧力を感じさせていたんでしょう。

-その心境の差はどこから生じるのでしょうか。

田形 決死隊と特攻隊の違いです。決死隊は、通常の航空作戦に参加するときの心境です。死ぬ覚悟はできていますが、いつどこで死ぬかはわからない。そして、目的達成後には生還できるようになっています。したがって、生きることへの執着を捨てきれていません。
 一方、特攻隊は、特攻命令を受けた時点で生還の可能性はゼロ。目的達成と同時に死ぬことが決まっているわけです。つまり、いつどこで死ぬかがはっきりしていますので、悟りの次元がまったく違うんです。
 私は、隊員たちが寝静まった三角兵舎を巡回したときに、はっきりその違いを感じました。通常作戦は決死隊ですから、出撃前の晩は気が高ぶり、熟睡はしていても殺気がみなぎっています。ところが、特攻隊の彼らからは全く殺気を感じないんです。これが悟りを開いた戦士の姿だと思いました。遺書も、決死隊のときと特攻命令を受けたときのものは全然違います。普段は彼女にラブレターも書けない彼らが、悟りの心境に達すると、驚くほどの名文を書きます。

特攻隊員を育てた日本の母

-そのような崇高な精神を持つ特攻隊員の生まれた背景には何があったのでしょうか。

田形 世界の識者をして、世界史上でも稀に見る崇高な精神と言わしめる特攻の精神は、「国家社会に奉仕することが国民の最高の道徳である」ということを示してくれています。
 こうした特攻隊員に共通して言えることは、みな親孝行できょうだい思いで気持ちが温かいんです。だからこそ、祖国と日本人のためにみずからの命を犠牲にすることができるんです。
 よく「お国のために」と言われますが、そこには、祖国と両親や家族、故郷が全部つながっているんです。特攻隊員を育てたのは、学校でも軍隊でも軍国主義でもありません。この他社への献身的犠牲の極地ともいえる崇高な精神を生み出したのは、悠久三千年の日本の精神文化と、日本の心を持った母親です。
 私の母もそうでした。母は、祖母(姑)に献身的に尽くした人でした。ですから祖母は臨終の際に、実の娘の手を握らずに私の母の手を握って「お世話になりました」と息を引き取りました。そんな母から、「お国のために役に立つ人になりなさい」という教育を受けました。
 戦後になって、陸海軍の特攻慰霊祭を行ったときに、多くの特攻隊員の母親に会って男反しを伺いましたが、地域や学歴、貧富の区別なく、日本の母親はみな「お国のために役に立つ人になりなさい」と他者への犠牲的奉仕の精神の大切さを教えられていました。

日本再建の使命を持って

-終戦の詔勅によって特攻待機命令を解除されたときはどのように感じられましたか。

田形 戦いに敗れたからと自決しては、「あとを頼む」と出撃した戦友に申し訳ないと思いました。しかし、どうすれば戦友として、教官として責任がとれるのか、生かされた使命は何かということを涙ながらに考えました。そして、「一般の作戦、特攻教官、特攻隊長の三つを体験したのは陸海軍でも数少なく、貴重な体験をさせていただいた。そのために自分は生かきれたのだ」と思いました。だから、まず一番に特攻を顕彰し、後世に伝えていかなくてはいけないと思い、三つの誓いを立てました。特攻に関する講演活動をすること、本を書くこと、映画をつくることです。
 占領後、アメリカが弱体化政策を行うことはすでにわかっていました。民主主義の名のもとに敗戦国の弱体化を進め、属国化するというのが当時の強国の常套手段でしたから。
「どんなに惨めでも敗戦日本にたくましく生きて誓いを果たし、戦友が喜んでくれる日本を再建したい。戦争は終わっていない、今からがほんとうの戦争だ」という覚悟が決まりました。
 しかし私は、戦闘機の操縦と戦争しか知らない軍人ですから、日本が独立を回復するまでに勉強をしなければいけないと、各界の著名人に救えを請うて行脚しました。

-映画「戦場にかける橋」にも出演されていた日本人初のハリウッドスター・早川雪舟氏に大きな影響を受けられたそうですね。

田形 映画監督で愛国者の渡辺邦男先生のご紹介で、昭和25年に「上野静養軒」で6時間ほどお話をさせていただきました。たいへんな愛国者で勇気と自信をいただきました。早川先生は、「もっと大東亜戦争に対して誇りを持たなければいけない。武力戦には敗れたが、植民地解放の戦いという戦争目的は立派に達成した。これは永遠に世界の歴史、植民地の歴史に一ページを飾る大変な事件だから、日本人はもっと誇りを持っていい」と言われました。
 その後、英国の歴史哲学者・トインビー教授や、タイやフィリピンの首相が同様の発言をされていますが、占領中に早川先生に聞いていましたので、さらに男気をいただきました。

-特攻精神を後世に伝える一助として『永遠の飛燕』(現在絶版)、『日本への遺書』(日新報道)など三冊を出版されていますね。

田形 当初、山岡荘八先生に特攻の本を書いていただきたいとお願いに行ったんです。先生は従軍記者として知覧と鹿屋の特攻基地から飛び立った特攻隊員を見送ったという経験をお持ちでしたので、ぜひお願いしたいとお話ししました。すると先生は、「私は戦闘の経験もないし、特攻命令を受けたこともない。客観的にしかわからない私が書けば”山岡特攻”になってしまう。崇高な日本の歴史と精神の象徴である特攻は書けない。協力は惜しまないので、君が勉強して書きなさい」と言われたのです。それで私は決心し、体験を書きました。山岡先生から何度も原稿に赤字を入れていただいて出版することができました。

-特攻映画についてはいかがだったのでしょうか。

田形 美空ひばりさんなどを育てられた映画監督の渡辺邦男先生にご指導をいただいてきましたが、故人となられ、映画製作はまだ実現していません。
 しかし、6年前の平成11年、英霊の導きによって、偶然、映画監督であり、テレビ番組制作プロデューサーでもある水島総先生とご縁をいただき、フジテレビの協力で特攻証言ビデオ『特攻 国破れても国は滅びず』を制作しました。
 そして、平成15年8月15日に、水島先生のご尽力で日本の歴史・伝統文化を土台にした放送局・日本文化チャンネル桜を設立・開局しました。私も相談役として参加させていただいており、皆様のご協力をお願いしたいと思っているんです。

特攻隊員の想いを受け継ぐ

-今年で終戦60周年を迎えますが、現在の日本の実情をどのように思われますか。

田形 現在、政治や経済の混迷、社会の不安や精神の腐敗が広がっています。これらは、六十年前に大東亜戦争に敗れたときの日本弱体化占領政策や東京裁判史観などによって、日本人の誇り、気概、自信、責任などが失われていることに起因しています。私は特攻隊員たちの真の姿を伝えることで現状を少しでも打破していきたいと思っています。

-特攻隊員は次世代にどのような想いを託されたのでしょうか。

田形 彼らは個人的なことはいっきい言わずにっこり笑って出撃しました。そこには「私たちは特攻隊として日本を護るために死んでいきます。生き残った人たちが世界から信頼される立派な日本を再建してくれると信じています」という願いが込められていました。彼らは無言のまま戦後を見つめ、われわれを見守ってきましたが、はたして現在はどうでしょうか。特攻隊員が散華したのは、昨今の混乱した日本をつくるためではありません。美しい日本、世界から尊敬されるような道義国家日本をつくってくれると信じて出撃していったのです。
 国民一人ひとりが英霊に安心してもらえる国民となり、誇りある国づくりに尽力していきたいものです。そのためにも、神様、仏様、そして戦友に生かされている私は、命ある限り特攻隊の真実と崇高なその精神を後世に語り継いでいきたいと思っています。


Dsc01406_t 多くの人に田形先生の著書をお買い上げ頂き、サインが終わったところで、懇親会の会場である「割烹 乃佐和」(電話:0257-22-4177)に移動。
 樫出勇氏に関わる方も出席していたので、大東亜戦争自体はもちろんのこと、戦闘機に関する話題も豊富で、テスト飛行を含め、旧帝国陸軍戦闘機ほとんどの種類を乗った田形先生も嬉しそうであった。

 20時、田形先生を柏崎駅前のホテルにお送りし、三輪氏を長岡駅までお送りした。

Dsc01408_t そのまま柏崎に帰り、車を置いたところで、町内成年会総会の懇親会から参加。さらには、市役所前の「ちーちゃん」で2次会となり、ワインをガブ飲み。
 24時前になんとか自宅に戻る。

2006年4月 7日 (金)

柏崎小学校入学式、次期県議選

F1000002 2時就寝。6時起床。最近録りためたTV番組を見ながらの事務所の整理。チャンネル桜の「安全保障大学」は、さすがに「ながら見」ができず、ときどき手が止まる。陸海空自衛隊の元幹部が講師であり、一般の教科書では学ばないことだらけで、貴重である。おにぎりをあわてて作り、頬張りながら見る。

Dsc01391  9時30分、母校である柏崎小学校に移動。いつもお茶ではなく、桜湯を頂戴する。祝いの席では、お茶は「茶を濁す」ということもあり、お茶ではなく桜湯を用いるのが伝統である。これは、来客のためだけではなく、生徒さんのためにも良いことだと思う。
1_1 来賓待合い室では、各町内会の会長さんをはじめ、歴史を知る多くの方が一緒になるので、校歌の2番がいつまで歌われ、いつから歌われなくなったのかを聞いてみた。
 校歌の2番の歌詞は以下である。

「明治大帝 そのかみの
 かしこき御宿たまわれる
 えにしも深き学び舎に
 遺徳をしたい朝夕を
 まなぶ吾等が行く手には
 光ぞとわにてらすらん」

Dsc01393 GHQによる占領期間の昭和20年から昭和27年4月23日までは確実に歌ってはいないという。しかし、昭和27年に入学した某町内会長は卒業式には歌ったとおっしゃっていた。である。今後も機会を見つけて、色々な人に聞いてみたい。
 9時50分から入学式。新入生はひたすら可愛い。

Dsc01396 12時過ぎ、甥っ子が遊びにきていたので、甥っ子が好きな「チュルチュル」として、「うれっ子」(電話:0257-22-4648)の「チャーシューつけめん」をとり、一緒に食べる。「いただきます」を教え、やっと覚えたはいいが、「ご馳走さまでした」はまだ難しいようで、「すたっ」である。

 13時30分から、自民党柏崎支部事務所にて、役員会。来年7月の参議院選挙、そして統一地方選挙についての打ち合わせ。特に、県議会議員選挙については、現在、定数2議席を自民党がとっているものの、1議席の西川勉県議が今年80歳にもなることから、不出馬を宣言。社民党が1名の擁立をすでに宣言しており、その対策もある。
 役員会の話の流れで、だいたい?の方向性が決まった。

 18時から来客。柏崎トルコ文化村の件で、話が聞きたいとのことだった。先にお話を聞くと、柏崎市内でも噂になってくれているようで、「トルコ文化村自体を売却するしない、それを政争の具にしている」といった感じであった。なかには、公募に応募した企業の一社から私がお金をもらっているといったことから、私が市長選にでるための準備など、訳の分からない噂も入っているとのことであった。
 こちら側の啓蒙が足りないと反省することはもちろんであるが、市長を支持する人たちの気持ちは分かるものの、一歩引いて考えてもらいたい。公文書を2回紛失しているという点で、「市民に開かれた市政」を揚げる以上、それを公にし、謝罪するのが筋ではないか。未着ということであれば、調査し、責任の所在をはっきりさせるべきではないか。それを1年間も隠蔽していたこと自体、それだけでも柏崎市民としては追求の声を上げるべきではないかと思うのである。もちろん、市長を支持する人にとっても、本当に応援するのであれば、この点からしても厳しいことを言うべきではないかと思う。
 トルコ共和国に対する姿勢では、歴史と礼儀の点から問題であることは言うまでもない。
 柏崎トルコ文化村が売れる、売れないの点ではないのである。
 「売れる売れない」の点で、私が邪魔をし、市民の利益を無くしているというロジックにもっていきたいのも分かるが、そもそも市民の利益という点でいけば、昨年3月の段階で早々に【決断】していれば、1年間の維持管理費用も税金の無駄にならずに済んだはずである。ちなみに、今年も7月1日の引き渡しまでの3ヶ月(4、5、6月)の維持管理費用338万円(7款商工費1項商工費3目観光費016)が計上されている。

F1000004 20時過ぎ、スーパーで「ほうぼう」が安く売っていたので、早速購入。刺身にし、残った身は味噌汁にして、夕食。
 最後のあがきとして、まだ明日の講演会の案内をしていない知人にメールを送りまくる。

2006年4月 6日 (木)

第一中学校入学式、防災行政無線

 2時就寝。6時起床。メールやブログの整理をするとともに、今週末の講演会で配る資料を作成する。

Dsc01386 11時過ぎ、事務所前の自動販売機にジュースを入れていたら、バッタリ知人に出会ったので、「うれっ子」(電話:0257-22-4648)の「チャーシューつけめん」を出前でとり、雑談。2年ぶりであったが、開口一番、「太ったねー、妹さんそっくり」であった・・・・。

 市内一斉に聞こえる防災行政無線で、

 「今日から小中学校の新年度が始まりました。
  子どもたちが、犯罪に遭わないよう
  地域での見守りをお願いします。」

の放送があった。柏崎市立教育センター柏崎青年会議所共催での「柏崎の教育を語る会」でも提案され、先の2月議会一般質問でも取り上げていた提案。小さなことかも知れないが重要なことであり、教育委員会をはじめ、ご関係された皆さんに感謝している。

Dsc01387 13時30分、母校である第一中学校に移動。来賓控え室で一緒になった某町内会長さんは御年83歳。大東亜戦争中は、陸軍で軍馬とともに蒋介石軍と戦ったそうである。話をお聞きするうちに、戦死された戦友のお話になり、靖國神社の話題になった。小泉首相の靖國神社参拝については、中国・韓国が気を悪くすると言うなら、参拝をやめることで譲ってあげ、そうすればさらに日本は尊敬される、とのご意見であった。もちろん、私とは違ったお考えであるが、お話をお聞きすること自体が重要ではないかと思っている。
 13時45分から入学式に出席。まだ制服に着られている感じの新入生が初々しい。

Dsc01389 インド友好親善視察の手続きや、一緒に行く先輩議員への情報提供などで市内を行ったりきたりしていたところ、選対スタッフであったT嬢と車ですれ違ったので、ついでにミスタードーナツでお茶。女の子の赤ちゃん連れであり、人の子ながら、可愛いのでついかまう。基本的に甘いものはあまり好きではないのでドーナツは1個でギブアップ。100円均一フェアとのことで、母、祖母にもお土産を買って帰る。

 19時から「日本世論の会」柏崎支部の打ち合わせ。今週末の講演会に関する詳細な打ち合わせとともに、今後の活動方針などを話し合う。毎回のようにでる話題は、街宣車をだすような「右翼」と間違われないか、という点である。「国旗、国歌を大切にしましょう」と日本国内で言えば右翼扱い。しかし、世界の国に行けば、「なに当たり前のこと言ってんの?」である。柏崎の子供が世界に羽ばたくとき、恥をかかせてはならない。国旗に対する敬意の表し方などを知らずにいては可愛そうである。
 焦らず、啓蒙活動を進めていくことを確認し合った。

Dsc01390_1 今日は、柏崎青年会議所の4月例会「青年会議所が考える柏崎地域活性化策」でもあった。非常に参加したい内容であり、ユニークな意見も聞きたかったが、「日本世論の会」柏崎支部の打ち合わせが先に入っていたので、やむなく懇親会より参加。
 「儲かるまちづくり」とだけ言うと、一瞬、誤解を生みそうであるが、まずは経済を活性化させた上で、さらなる福祉の充実を図るというのが骨子である。福祉予算の増額はすぐにはできるが、企業を誘致もしくは育て、多くの人が税金を払っても生活できるようにし、柏崎市の税収が上がるまでには相当の努力と時間を要す。このことを実際の商売人の集まりである青年会議所で議論するのは意味があると思う。
 23時過ぎに帰宅。

2006年4月 5日 (水)

柏崎トルコ文化村:応募状況、市長記者会見

 なんとか3時過ぎに帰宅。6時から柏崎準倫理法人会の経営者モーニングセミナーに出席の予定であったが、申し訳なく欠席。

Dsc01384 9時前に起床。瓶詰めのなめこと大根おろしを入れた大粒納豆を中心に朝食。なめこだけでも良かったのだが、飲み過ぎで胃の調子が良くないこともあり、大根おろしを追加。ジアスターゼに期待である。

 午前中、電話による柏崎トルコ文化村に関する抗議や応援のメッセージを頂く。11時過ぎ、突然の来客。今日は12時15分から柏崎市市民プラザで、「ようこそ柏崎へ」と題した、新潟産業大学・新潟工科大学への新入生の歓迎会があり、そのため移動したかったのだが、「説明しないで、逃げるんですか?」とも言われたので、そのまま議論に。結局、柏崎市としての大学生の歓迎会には出席できず。

Dsc01385 14時過ぎ、先日頂いた神戸牛の切れっ端をミディアムレアで焼き、デミグラスを中心にしたソースをかけて昼食。神戸牛とはいうものの、サシ(脂肪)は多くないので、噛みごたえがあり、噛むたびに口中に広がる肉の旨味が濃厚である。

 現在の柏崎トルコ文化村状況等について、柏崎市から情報提供があった。


(1)譲渡申請受付状況
 A..受付件数 3件(市内1社、県内2社)
 B.計画名
    a.新規事業のテスト
      国際事業化検証拠点
      食と運動と癒やしによる心身の健康をキーワード
      にしたテーマパーク
    b.地中海ワールド又は地中海リゾート
      ブライダル施設(ハウスウェディング場)
      レストラン、パークゴルフ場、こども公園
    c.健康スパーランド
 C.申請購入価格
    最高 1億4000万円
    最低 1億2000万円

(2)選考
 A 選考審査会
   4月 5日(水) 一次審査(書類)
   4月19日(水) 二次審査(プレゼンテーション)
 B 選考委員 5名(民間4名、市1名)
   内訳:学識経験者 2名
      経理責任者 1名
      経営コンサルタント 1名
      市産業振興部長 1名

(3)今後のスケジュール
  ・選考審査会
  ・譲渡先決定(決定通知) 4月下旬
  ・普通財産売払申請    5月上旬
  ・仮契約の締結      5月中旬
  ・契約案件の議会議決   6月下旬
  ・施設引き渡し      7月1日


 また、本日、市長が記者会見をしたそうで、地元新聞によれば、


平成18年4月5日『柏崎日報』

 トルコ国側に公募状況説明
 旧文化村について 会田市長

 会田市長は5日の会見で、市内鯨波の旧柏崎トルコ文化村の取り扱いを巡ってトルコ共和国大使館とやり取りがあったことを改めて説明した。その中で、売却先公募を締め切ったあとの3月30日に東京のトルコ大使館を訪れ、3社の応募があったことなどを大使に説明して理解を得たと述べた。
 大使からは、柏崎市政に干渉するつもりのないことや感謝の気持ちなどが述べられ、一等書記官と在日トルコ商工会議所会頭が現地を見たものの、何か行える可能性は低く、公募に応じなかったとの説明もあったという。会田市長は「今後ともトルコ共和国との友好関係維持に十分配慮しながら進めていきたい」としている。
 旧トルコ文化村については昨年、在日トルコ商工会議所が施設を借り受けて復活運営したいという要望の手紙が大使館側から市に出され、市長がトルコ大使館を訪ねて話し合いをしたが、実際には先方から具体的な提案がなかったという。
  一部手紙の送付がはっきりしないという経過もあった。これらのことが今年の市議会二月定例会開会中に明らかになっていた。


 とのことである。
 なるほど、トルコ大使館に行ったのは、一見ごもっともな行動に聞こえる。
 しかし、応募があった3社のうち、どれかも決めていない上、書類審査もしていない(今日が書類審査)、その段階で大使館に行っても意味があるのか、と個人的には思う。
 この記者会見の模様については、地元FM放送を聞いた際に録音したものに加え、複数の記者が録音しているはずなので、その関係者をあたって音源を入手したい。
 ちなみに、市役所内部から漏れ伝わってくる情報によれば、インターネット上の多くの掲示板に私が書きまくり、話題を大きくしていると伝わっているそうだ。IPアドレスの違いはもとより、他の掲示板に書き込んでいる時間と私のスケジュールなどを合わせてみれば検証することは可能なはずであるが・・・・・。すべて私がやっているというストーリーにしたいのであろう。

F1000001_6 23時、これから扱う商品で主力にしたいと思っている冷凍の刺身、そして茄子のしぎ焼き&納豆味噌ソースで夕食。納豆と味噌の組み合わせはやはり最高であった。油で艶めかしく光り、滑る茄子に絡みつく、納豆味噌ソース。「味覚のイナバウワーやぁ~」と彦麻呂風に叫びたくなった。

2006年4月 4日 (火)

狭隘道路勉強会、倫理法人会イブニングセミナー

   2時就寝。6時起床。もう来週にはインド友好親善視察。一緒に行く議員にも、インドに関してもっと多くの知識があればと思い、資料を集めて、配るための資料集を作る。

Dsc01382 10時から狭隘道路に関する勉強会。建設企業常任委員会のメンバーをはじめ、都市整備部から部長、都市整備課長、維持管理課長、建築住宅課長を含めての意見交換会である。
 「安全と安心のまちづくり」を政策に掲げている柏崎市にとって、まさしく、防災緊急医療(高規格救急車、介護用自動車)、活力(若い世代の新築が広い郊外にでていく)の点で狭隘道路の拡幅こそ大切ではないかと思っている。しかし、行政サイドとすれば、単年度もしくは目に見て感じとれる範囲での事業評価を求めるため、少しずつ拡幅していく方式よりは、用地買収も含めて一気にやってしまいたい・・・・その気持ちも分からないわけではない。しかし、毎年少しずつでも道を広げていくことによって、確実に事業は進む。
 また、固定資産税は全市共通であるが、都市計画税は一部の指定地域からの税収であり、現在は約3億円。都市計画に使われるべき税収であり、本来は目的をもって徴収するものである。この予算こそ、狭隘道路はもとより、市民の目から見た生活道路の拡幅に使うべきではないかと思う。
 市長も含めた意見交換会を今後実施するので、その際にでも再度、投げかけをしてみたい。

F1000001_5  12時過ぎ、無所属の荒城議員とともに、市役所前の「チャイナハウス 日囍」(電話:0257-24-7219)にて「スワンラタンメン 650円」でブランチ。酢をムセかえるほどたっぷりと追加でかけ、大汗をかいて食べる。最近、酸っぱいものが美味しいと感じるのは、体が求めているせいであろうか。食後、会派室に戻り、干し納豆を入れたお茶を飲む。

 13時、会派室にてインド親善訪問視察に関する打ち合わせ。短期間で、企業視察やJETプログラムに関するインド側との意見交換、姉妹都市・企業進出を考えるインド国内各州からのプレゼンテーションなど多くの日程があるため、現地で最初から本題に入れるよう、基本的な資料の読み合わせをする。

Dsc01378 17時から産業文化会館第二会議室にて、柏崎準倫理法人会の「平成18年4月度 経営者の集い」イブニング・セミナー。「普及は宝 -感動のドラマ-」として、不動産コンサルタントから産業廃棄物中間処理、そして、老人介護と手広く事業を行う栃木県宇都宮市、株式会社十五の敏腕社長、最上勝弘代表取締役を講師にお迎えした。

Dsc01381 20時から懇親会。22時から別の飲み会の2次会に参加。飲み会途中でも電話が多く、24時前に自宅に戻らせてもらう。

 柏崎トルコ文化村問題に関して、本日『世界日報』で記事が配信された。柏崎トルコ文化村の件で、数社のマスコミから取材の連絡があり、インタビューを受けたものの一つであるが、市役所の担当課も取材されたようで、分かりやすくまとまっている。
 様子を見るため、まだ市役所への抗議メール及びその回答についての情報公開請求は行っていないが、記事によれば先週金曜日までに届いた抗議のメールは50通。
 この50通の意味をどう受け取るのか。ご賛同頂き、抗議した皆さんへの感謝はもちろんであるが、多少の暴論をお許し頂きたい。本当に50通であれば、これまでの原子力発電自体への賛否、プルサーマルの議論など、これまでも、そしてこれからも柏崎市役所への抗議は50通どころでは済まない。それこそ、数百という単位である。鋭い指摘の抗議メールがあったであろうが、50通ほどで慌てふためき、抗議メールに名前があがっているという私への確認もせずに、トルコ大使館に行く、それ自体が恥ずかしいと思うのは、私だけであろうか。
 再度、名越先生の名越節でいえば、

 「オタオタすんなとぉ~」

である。勘ぐりすぎかも知れないが、50通ではなかったとすれば・・・・・。

2006年4月 3日 (月)

トルコ大使館への陰謀?

Dsc01374 2時就寝。6時起床、昨日親戚からもらった新たまねぎがあったことを思い出し、鰹節をたっぷりかけた一品と、納豆、ネギたっぷりの味噌汁で朝食。長崎県の白麦味噌を使ったが、ここ最近は赤豆味噌を使っていたので、ちょっとパンチ不足を感じるものの、ほのかな甘みが心地よい。

 10時から打ち合わせ。来年に改選となる統一地方選挙への出馬、そして若い世代の保守思想をもつ仲間の擁立をどうするのか、という話題であった。正直、自分自身の意志はまだ決めていない。
 3時間ほど話をしたあと、生臭い選挙の話に変わって、今年の「全日本おにぎり選手権」に向けての話になったので、冷やご飯を温め、おにぎりを数個作り、一緒に昼食。

 午後、ちょっと時間が空いたので、録りためておいたチャンネル桜の番組を見ていたら、3月30日放送の「桜塾講座-世界に開かれた日本近現代史 #54」で思わず笑ってしまった。講師は名越二荒之助先生、ゲストに米寿をお迎えになっているアセアンセンター代表の中島慎三郎氏。番組の冒頭の名越節は、名越先生の真骨頂ともいえるギャグ?であった。

「僕なんかもねぇ、もう~夜になるとぉ、
 しょっちゅう電話がかかってきましてねぇ~
 もう名越、いい加減にしてぇ~
 高天原(たかまがはら)に来いぃ~と、
  戦友が待ってるんですわぁ~

      名越さんの話は面白いゆぅてぇ~ねぇ~
 それなら行きたいんだけどぉ
  チャンネル桜の番組を担当させられとるとね、
    こちらの方に使命感を感ずるんだゆぅてねぇ~
       もうちょっと待てくれ言うとんです。

 中島先生もお迎えくるかどうか分かりませんがね、
 まぁ~あのお互いに、いつどっちが先になるか分かりましぇん。
 僕の方が年下だけどぉ、先になるかも分かりましぇん。」

 名越先生も中島氏も貴重なそのお話をより多くの人に、特に私より下の若い世代にも伝えていただくため、是非、長生きしてほしい。心の底からそう思う。

 15時から打ち合わせ。打ち合わせ後は、ひたすら資料の作成である。打ち合わせの回数が最近増え、議事録や資料を作る暇がない。話ながら打ち込んだテキストを中心に再構成するが、やっているとどうしても手を抜けなくなり、細かくなってしまう。

Dsc01375 19時過ぎ、鏡餅があったので、細かく切り分ける。コンソメスープの素を中心に、蕪、人参、馬鈴薯、玉葱を煮込み、最後に餅を入れ、卵を落としてかいた、「洋風雑煮?」を作って夕食。とにかく熱く、餅が上あごなどにつき、ベロンベロンになった。

 仲間の地方議員から、地元ではどんな感じで伝えられているのか、との電話があったので、地元新聞の記事を紹介した。



平成18年3月16日『柏崎日報』

旧トルコ文化村
トルコ国側が運営要望
昨年来 市と話し合い「説明を」と市議

 市内鯨波の旧柏崎トルコ文化村について、トルコ共和国からその再生を引き受けたいとの要望が市に出されていたことが16日までに明らかになった。情報公開条例により関係文書を入手した市議会公明党の真貝維義氏と若井恵子氏は同日午前、トルコとの友好のため要望を再検討すべきだとして、経過を議会に説明することや、土地・建物譲渡先の公募を中止することを会田市長に申し入れた。同日午後の市議会二月定例会・文教経済常任委員会でも取り上げられる。

市長「具体的提案なし」

 トルコ側の要望は、在日トルコ商工会議所が2010年まで旧トルコ文化村を借り受けて施設を復活運営するというもの。この趣旨の文書が昨年3月以来、駐日トルコ大使と同商工会議所会頭から市に四通送られ、市長らが昨年6月と先月、東京のトルコ大使館を訪ねて、大使をはじめ関係者と話し合った。
 真貝市議らの申し入れに対し市長は、実際にはトルコ側に具体的な提案内容はなく、市の考え方はそのつど説明して理解を得ているとし、公募を中止するつもりはないと答えた。トルコ側に活用の意思があるなら公募に応募してほしいことも伝えたという。議会に報告しなかったことについては「説明するような中身はなかった」と述べた。
 真貝市議は「トルコ文化村のことは議会で再三議論・質疑があったのに、トルコとの経過が一切出てこなかった中で公募が行われている」と市の姿勢を批判。「トルコ側は今年一月の書簡で、市から回答がないと非難している。誠意ある対応がなかったのでは」と追及したほか、トルコ側からの最初の二通の文書が市に残っていないとして、真相をただした。市長は「二通は市に届いておらず、写しを大使館から送ってもらった」と説明した。また市長は「この問題ではトルコ大使館にいろいろな話をする人がいて、誤解もあったようだ。トルコとの友好関係は大事にしたい」としている。
 柏崎トルコ文化村は新潟中央銀行破たんの影響で行き詰まった施設を市が02年に整理回収機構から1億5000万円で買い取った。民間会社ケー・ティ・ブイがこれを借りて運営したが、昨年2月に断念。市が土地約5万2000平方メートルと建物・構築物を最低価格1億1344万2000円で売却したいとして、今月1日から24日まで譲渡先を公募中だ。駐日トルコ大使館は3日、職員が施設を視察した。


 売却に関しては、議会の議決が必要なうえ、さらにはこれまでの議論の経過をふまえれば、トルコ大使館から連絡があったことすら1年間も隠蔽しておき、「説明するような内容はなかった」とは・・・・・・【素晴らしいお言葉】ではないか。
 公文書2通が紛失ではなく、未着というのであれば、郵便局を相手取り、市役所に届いていないことを調査するのがケジメではないのか。
 「トルコ大使館に色々な話を・・・」と、仮に誰かに利権があり、トルコ大使館を焚きつけたとしても、対応のまずさは変わるものではない。さらには、誰かの入れ知恵に感化され、「友好を本来業務とする」駐日トルコ大使があのような怒りの文書をだした、つまり陰謀によって駐日トルコ大使が踊らされている、と考えているのであれば、聡明な駐日トルコ大使に対して最も失礼なことであろう。

2006年4月 2日 (日)

柏崎トルコ文化村問題:反撃の「噂話」

Dsc01372 3時就寝。7時起床、各社の納豆汁を食べ比べるという企画があり、それが面白いかどうかのコメントがほしいとの依頼があったので、フリーズドライタイプを3種類、生みそタイプを3種類を飲み比べてみた。各社の評価はさておき、個人的に一番興味深かったのは、くめ納豆さんの納豆汁である。ひきわり大豆、金時豆、小粒大豆、青大豆の4種類の豆が入っており、これだけでもちょっとした軽食になる。

 午前中は資料整理。新聞のスクラップはもとより、各種月刊誌が届いているので、気になった記事から読みまくる。

 昼食をとる間もなく、午後からマスコミ対応。柏崎トルコ文化村についての取材であったが、私としては再度、閉鎖した柏崎トルコ文化村が売れる、売れないという小さなことではなく、一つの独立国に対する態度(駐日トルコ大使への対応、友好の証したるアタチュルク像)、そして情報公開(請求がなければそのまま闇へ)という点が問題であり、今回の事例を大きな視点で捉え、地方自治体と国益の関係、トルコと日本との歴史の周知、ひいては歴史を知ることが平和への道になると主張させてもらった。

F1000001_3  20時過ぎまで、数件の打ち合わせ。普段あまりコーヒーを飲まないが、喫茶店での打ち合わせだったので、久しぶりに「ガテマラ」を飲む。
 コーヒーなどでは「ガテマラ」であるが、国名は「グアテマラ共和国」もしくは、「グァテマラ共和国」。コーヒーだけではなく、マヤ文明でも有名である。1821年9月15日にスペインから独立した1331万人の国家。
Gua 国旗の左右の青は、太平洋と大西洋の海、中心の白は国土全体の平和の意味が込められているという。中心の鳥は、国鳥であるカザリキヌバネドリが描かれている。六本木に駐日大使館がある。

F1000001_4  22時、またもスーパーで半額になっていた刺身セットと秋刀魚の開きで夕食。最近は、何が食べたいかを考える前に、先に刺身コーナーをのぞき、安くなっているものを探すようになってきた。もともと魚好きなだけに、この「刺身デフォルト」生活はしばらく続きそうだ。 

 今日一日で色々な話が聞こえてきた。「ただ単に市長の足をひっぱりたいだけ」「市長派と反市長派との戦い」「三井田は土建屋利権のなかにいる」「トルコ関係者とグル」など、『人の口に戸は立てられぬ』とはいうが、まったく根拠はない。逆に、それだけ話題になってくれたものだと前向きに捉える。
 これまで、これは一自治体の問題に終わらないと主張してきたが、もちろん柏崎市という自治体にとっても重要である。トルコ共和国との関係を別として考えてみても、情報公開、議会・市民への説明の無さ、事務処理の不手際、これらはあくまで表面にでてきた事象であるが、問題の本質はそこではない。
 安全に関する学問で必ず習うのが「ハインリッヒの法則」。「1:29:300」、重大な事故となる災害が1件があれば、その背後には29件の軽い災害、そして300件もの「ヒヤリ・ハット」する事象があるというものである。同じようなものに、「バードの法則」があり、「1:10:30:600」というものがある。
 これまで柏崎市役所ででてきた事象と上記の法則を考えるに、ここら辺でキチンとしておかないと、いずれ最大の被害がでることになり、柏崎市という自治体としてもマズイですよ、と警告したいのである。「ただ市長の足をひっぱりたいだけ」だの、「市長派、反市長派」などと・・・そんなくだらない事ではない

2006年4月 1日 (土)

全国に広がる柏崎トルコ文化村問題

F1000001_1  7時、起床。あづま食品さんの新製品である「桃屋『ごはんですよ!』入り納豆」で朝食。普通の「ごはんですよ!」をのばしたようなタレが同梱されており、納豆の糸との相性が良くなっている。食後は、数日間、自宅にいなかった分の郵便物やFAXなどの処理に手間取る。

 9時から来客。トルコ文化村関係であった。同じ話題で10時過ぎにも来客。市民として、なんで私が市長に噛みついたのか理解できない、といったご意見であった。ことの経緯を丁寧に説明し、公開された文書をお見せしたところ、

 「こりゃ、柏崎だけの
  モンデー(問題)に終わらんのぉ~」

とのこと。これが普通の感覚であろう。
Turky  このトルコ大使への対応についての抗議の声は、他にもメールや電話などで頂いており、トルコ大使館がある渋谷区は前議長をはじめ、現地視察の申し出を頂戴している。全国の地方議員からの声も上がってきているので、数日のうちに大きなうねりとなってくるであろう。

Dsc01358 13時過ぎ、母と祖母が回転寿司に行ってきたというので、持ち帰りしてもらった寿司数貫で昼食。寿司を頬張っている間にも来客があり、そのまま夕方まで、相談など。柏崎トルコ文化村のこと以外でお越しになったが、相談をうけたのち、この件についても丁寧に説明させてもらった。

 講演会やインドに行く準備をしなければならないものの、今回の柏崎トルコ文化村の件で、メールや電話での問い合わせもあり、なかなか時間が自由にならない。

F1000001_2 22時、スーパーで半額になっていた「貝尽くし」と「生たこ刺身」、ビールで夕食。歯ごたえの良い貝類が好物であるが、ご飯と一緒に食べる気にはならずどうしてもビールとなってしまう。「生たこ刺身」は、半分をポン酢で、もう半分をサラダ用のごまドレッシングで楽しむ。

 今回の柏崎トルコ文化村問題で、公文書が2通届いていなかったことを「信じられない」という人は多いものの、ある方からは本当に届いていないのではないか、というご意見もあった。「1週間程度の間隔で、大使館から出された書簡2通が連続、未着」は、どう考えても、素直には理解しがたい。勘ぐり過ぎはよくないが、ここ最近の市役所の不手際もあり、どうしても納得がいかないのである。
 市役所の不手際については、ローカル新聞にも紹介されたので、以下に引用したい。

 この記事がでた3月4日時点では、駐日トルコ大使とのやりとりは未知であった。


平成18年3月4日『新潟日報』

 柏崎:条例不備発覚 市議への説明誤り・・・・
 職員事務ミス 相次ぐ 2月市議会 幹部平謝リ
 市長「誠に恥ずかしい」

 柏崎市で、条例の不備が発覚したり、市議への説明を誤る
など職員の事務上のミスが相次いでいる。現在開かれている
市議会2月定例会で幹部職員が議会に頭を下げる場面が
繰り返されるなど、会田洋市長は「誠に恥ずかしい。
公務員のイロハができていないということで、綱紀粛正
をしたい」
と話している。

 3日の市議会本会議では、2月27日に可決された2005年
度一般会計補正予算に含まれていた起債の繰り上げ償還
に関し、市議への説明内容に誤りがあったとして、総合企画
部長が陳謝した。
 繰り上げ償還の説明ミスは、償還を実施した場合としなかっ
た場合で起債制限比率がどう変わるかを示した表で、実際
には効果がない05年度も効果があるとしたもの。同部長は
「不手際で申し訳ない」と陳謝したが、その後の代表質問で
市議から「行政マンとしての法令順守を市長にお願いしたい」
と苦言も呈された。
 今定例会では同市高柳診療所で介護サービスを提供して
いるにもかかわらず、使用料および手数料条例に定めが
なかった不備が明らかになり、改正条例案が提案、可決
されたばかり。
 この問題について市は市議会厚生常任委員会で、
旧高柳町時代からの不備に合併後も気付かなかったと
説明。福祉保健部長らが「初歩的なミス。深く反省している」
と謝った。
 昨年も高齢者・障害者向け市営住宅への生活援助員
派遣事業の費用徴収条例など3条例案を9月定例会に
提案し忘れるという、うっかりミスもあった。市は11月の
臨時会に3条例案を上程したが、会田洋市長が冒頭に
「今後ないよう注意したい」と陳謝していた。

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