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2006年4月23日 (日)

小泉首相のトルコ訪問とトルクメニスタン

F1000007  2時過ぎ、タクシーで車まで戻り、仮眠。数時間後、あまりの寒さに目が覚め、116号線をゆっくりと走り、10時前、自宅に戻る。
 11時に来客があり、ケンタッキーフライドチキンのサンドを差し入れにもらった。自ら買うことがほとんど無いので、ありがたくブランチとして頂戴した。

 14時、16時からと二件の打ち合わせ。結局、議事録を私が作ることになってしまったので、気が重い。

Dsc01695 18時、高速道で上越に向かう。用事をすませたのち、20時近く、夕食をとろうと「小町うどん」に入る。すぐ近くにあるラーメン店の「あごすけ」にしようかどうか迷ったが、気分がうどんであった。
Dsc01696 こういったスタイルのうどん屋に入ると、ついワクワクし、取り過ぎてしまう。たまに食べたくなる竹輪の磯辺揚げとつゆに浸してモロモロにして食べたいコロッケをとる。メインは、牛丼と温かいうどんのセット。案の定、取り過ぎてしまった。

 帰りは国道でゆっくりとドライブを楽しみながら帰る。

 トルコ文化村の問題で、ブログを見てくれる方が増えたからなのか、色々な資料を頂戴する。今年1月9日から12日までの小泉首相によるトルコ訪問を日本人以外の方がどう見たのか、「トルコ人の土地」を意味する国名のトルクメニスタンとの関係を含めて、面白い資料があったので、以下に引用し、ご紹介したい。


Turkmenistan 『月間日本』2006年3月号

 アラブの呻吟(しんぎん)

 「日本外交トルコそして中央アジアへ」
             アブドルカーデル・ヤーバーニ

小泉総理のトルコ訪問の意義

 世界で最も親日的な国として知られているトルコに、日本の
総理大臣が訪問したのは、外交問係が始まって110年以上も経
過しているというのに過去に2度しかない。
 最初にトルコ訪問した日本の総理大臣は海部俊樹氏であり、
次いで訪問したのが今回の小泉総理だった。トルコを訪問した
小泉総理は、訪問回数があまりにも少なすぎると驚いていたし、
自身が記者を前にその感想を述べている。
 過去の経緯はどうあれ、今回の小泉総理のトルコ訪問は、
それだけに訪問自体に大きな意味があったものと思われる。トルコ
国民が小泉総理の訪問を喜んだことは述べるまでもなかろう。
 実際に小泉総理がトルコを離れた後、何人ものトルコの人たち
と小泉総理のトルコ訪問の意義について意見交換したが、いず
れの意見も訪問を高く評価するものだった。
 もちろん、彼等から日本とトルコの経済関係強化の意向が
語られたことは述べるまでもない。そのことについては、総理の
訪問自体が在トルコの日本企業マンたちを激励するものであり、
日本政府も訪問の後には在トルコ日本企業の意向を汲み、種々の
支援を進めることになろうと答えた。
 つまり、小泉総理がことさらにトルコのエルドアン首相との間
で、経済協力について意見を交わさなくとも、総理の訪問自体
がそのような情況を生み出していくのだという説明だった。
 小泉総理のトルコ訪問中での発言内容は、多分に経済と政治が
絡み合った内容のものではなかったかと思われる。例えば日本と
トルコが協力、中央アジア発展を支援していこうというものだった。
トルコは同系のトルコ民族が主に居住する中央アジア諸国との
関係を、ソビエトの崩壊、中央アジア諸地域の独立時から支えて
きていたからだ。
 したがって、トルコが中央アジア諸国に構築したネットワーク
と知識は、他のいずれの国も及ぶレベルのものではないのだ。
日本はそうしたトルコのこれまでの中央アジア諸国に対する努力
と貢献を評価し、日本が参画できることを、トルコと一体となって
進めていこうということだ。

トルクメニスタンとは

 この多くの国々にとって重要な意味を持つトルコを、小泉総理
の訪問は意義のあることだったということになる。そしてそれ
をもっと大きな価値に高めていくためには、トルコとの協力のもと、
中央アジア諸国に対し、橋頭堡(きょうとうほ)を確保していく
ことであろう。そのなかでも、日本がこれまで関係が疎遠であった
トルクメニスタンとの、正常な関係を構築することは重要であろう。
これまでトルクメニスタンは外国に対し、比較的閉鎖的であった
ことと、ニヤゾフ大統領の特異な言動から、大統領は中央アジアの
金正日と椰捻されてきていた。
 しかし、独立以来17年が経過した現時点で考えると、中央アジア
諸国のなかにあって、意外にもトルクメニスタンが最も安定した
体制を維持している、ということが分かろう。
 そのトルクメニスタンのニヤゾフ大統領は、他の中央アジア諸国
の大統領とは異なり、独立以来今日まで、一度も日本に招待されて
いないのだ。その理由は、一般的に流されている彼に対する悪評や、
日本の一部外交官の、同国と大統領に対する偏見によるものでは
なかったのか。
 トルクメニスタンは世界第4位のガス埋蔵量を誇る、ガス資源大国
であることを忘れてはなるまい。この国が、政府の機構が未完成な
状態でも、国民が最低生活を保証されているのは、国土が49万
平方キロメートルであるにもかかわらず、人口が480万人と少ない
ことと、このガス資源の輸出によるのだ。
 トルクメニスタンはソビエトの一部である時代には、綿花の主要
産出地とされてきた。これはウズベキスタンから、アムダリヤ川の
水を引き込んで行われてきていたのだ。それ以外には、ガスの生産
が行われていたわけだが、トルクメニスタンにはほとんど恩恵を
もたらしていなかった。
 教育的にも、ソビエト政府が特別に力を入れてきたわけでは
なかった。そのことが実は今日になってみると、同国に政治的安
定をもたらしているのかもしれない。他の国々がイスラム原理主義
と野党の台頭によって不安定化しつつあるなかで、トルクメニスタン
はいまだにニヤゾフ体制の安定が見られるのだ。
 もちろん、過去においてトルクメニスタンでもインテリ官僚の
一部が、クーデターを試みてはいるが、いずれも成功していない。
それは国民全体のなかで、そうした権力奪取の動きが浮き上がって
しまっていたからであろう。

二ヤゾフ大統領への訪日招待

 もう一つの、トルクメニスタンのニヤゾフ体制の安定要因は、
トルコの同国に対する協力によるのではないか。トルコは官民
がそれぞれにトルクメニスタンに対し、協力の手を差し伸べている。
 トルコ政府はトルクメニスタンに対して、治安を含めあらゆる面
で協力している。トルクメニスタンのガス輸出についても、トルコ
はこれまで唯一のルートであったロシア経由から、何とかして
トルコ経由という新たなルートを開く努力をしてきている。
 民間では慈善団体がトルクメニスタンに進出し、中学、高校に
加え職業専門学校、そして大学までも設立することによって教育面
での協力を行ってきているのだ。同時に民間から大小の企業が
あらゆる分野で進出し、しかるべき成果を挙げている。
 彼等トルコ人の一部にはその成果を評価され、トルクメニスタン
政府の次官に任命されている者もいるのだ。彼らの口を通じ、日本
への協力要請が語られると同時に、ニヤゾフ大統領の日本への招待
を実現してほしいという要望が寄せられている。
 小泉総理のトルコ訪問は、両国の協力による中央アジア地域への
進出が新たな目標とされたいま、一日も早いニヤゾフ大統領
の訪日を実現してほしいものだ。

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