岩手県釜石市、朝鮮人強制連行の神話
資料整理などで結局、徹夜となった。7時過ぎ、母が昨日、スーパーで買った半額サービスの「生鮨セット」と納豆1パックで朝食。
出張の準備をしていなかったので、あわてて着替えなどを詰め込む。愛機のノートパソコンが壊れたままであったことを思い出し、メールなどの仕事はあきらめ、本を大量に持参することにした。
8時50分過ぎ、柏崎駅に集合し、建設企業常任委員会の視察に出発。
柏崎駅を9時にでる北越1号、長岡駅で上越新幹線「MAXとき」に乗り換え、大宮駅で東北新幹線「やまびこ49号」に乗り換える。
途中、さすがにお腹がすいたので、駅弁で昼食をとろうということになり、「日光 強(こわ)めし 1100円」(宇都宮駅 松廼家)を購入。
バラエティ豊かなメニューで、不躾ながら本を読みながら食べるのにちょうど良い。
「よくおでったなす、花巻へ」と書いてある新花巻駅に到着。宮沢賢治らしいオブジェが駅周辺に設置してあった。40分の待ち合わせのうえ、在来線に乗り換え、16時36分に釜石駅に到着。
宿泊先である釜石ベイシティホテルに入ったのが17時過ぎ、今日一日、移動で終わってしまった。
夕食まで時間があるので、食通の今井議員と街中のスーパーなどを散策。地元のスーパーや商店街を見ると、その土地の食文化が分かる。
商店街は、廃れ気味ではあったが、日用品をはじめとする地元のお店は懸命に頑張っているようであった。
商店街の一角に、学生が毎日でも立ち寄りそうな、たこ焼き屋さんがあった。ついフラフラと入ってみると、たこ焼き1個30円という値段。その安さはもとより、こういったスタイルのお店が好きなので、たこ焼きを6個購入。
味は普通といった感じであるが、店内の内装といい、看板といい、なかなか味わいあるお店であった。
地元のスーパーに入って、納豆をはじめ、鮮魚コーナーを見てみると、「地もの 生食用しらす 265円」が半額の132円になっていた。思わず、「ポン酢 132円」も購入し、レジで箸をもらって、商店街のベンチで食べてみた。総額、265円の生しらす、周りからの冷たい視線のなか、食べてみると、生臭くもなく、トロリと広がる海の香りが絶品であった。
またしばらく歩いていると地元の魚屋さんがあり、店内を覗かせてもらうと「ミンクくじら 329g」で756円。
これも思わず、購入。さらにはお店の方に醤油をお借りできないかとお願いすると、とても良い方で根生姜があるから、それも擂ってくれるとのこと。ありがたく、ご好意に甘え、おろした根生姜入りの醤油をもらった。
久々のくじらは獣肉とも魚肉にもない、何とも言えない旨みがあり、またも周りの冷たい視線をよそにベンチに座って食べたが、満足であった。
18時過ぎにホテルのロビーに集合し、全員で夕食にでかける。事前にリサーチしておいたお店、「いかすみ」(電話:0193-24-2655)に行き、適宜、注文することになった。
他の委員会メンバーは空腹であり、「いかめし」など、とにかく腹にたまるもの、という方針での注文であったが、ここまでに「生しらす」「ミンクくじら」を食べてしまった私としては、すでにお腹は膨れ気味。好きな数品を重点的に注文することにした。
東北地方に来て、外せないのは大好物でもある「ホヤ」。人によって好き嫌いがはっきり分かれるが、この独特の風味が癖になってしまった。
ちなみに「ホヤ」は、現在、世界にいる生物のなかで、唯一、体内でセルロースを生成することができる。
夕食後、委員長から釜石名物という「呑ん兵衛横丁」に行ってみようという提案があり、お供することに。
視察にでるのは良いが、いつも各地でかなりお金を使ってしまう。結局は自分の好奇心が原因でもある。
入ったお店は、カウンター5席ほどだけの小さなお店。ママは、70歳近くになったいまでも毎日カウンターに立っているという。ビールを飲みながら、突き出しのバイ(貝)をつまみに話を聞くと、「呑ん兵衛横丁」はその昔、製鉄業が栄えた頃、仕事がえりに寄る男たちでいっぱいだったという。
戦後の釜石の歴史を聞いたところで、なぜか「アンタ、独身?はよ結婚しなさい」という話の流れになり、2時間ほど貴重な?お話を頂きながら飲んだ。23時にホテルに帰る。
釜石市は、新日鉄の製鉄業で発展してきた街である。それが故、大東亜戦争の最中にも製鉄所を狙い、海上のアメリカ海軍艦隊から艦砲射撃を受け、600名を超える住民が亡くなり、街は壊滅状態になった。
その際、朝鮮人の方が何名か亡くなっており、日本政府、新日鉄を相手に強制連行・強制労働の責任を追及し、謝罪と補償を求め、裁判を行った。
1997年9月18日、日本製鉄元徴用工遺族11名が提訴していた日鉄釜石裁判は、新日鉄と自主交渉によって和解解決となったが、国は認めていない。それも当たり前のことで、これまで言われてきた国による「強制連行が実在しない」ことが在日の方からも証言されている。
日韓併合は、1910年(明治43年)8月22日。この頃から日本で一旗あげようと日本に渡ってくる朝鮮人が激増し、その対処に困った政府は昭和10年まで朝鮮人の日本への渡航を制限していた。
*法務省編『在留外国人統計』1974年
昭和20年9月1日までに、日本に来た朝鮮人は8万3030人。うち、昭和10年までに渡来したのが4万4612人(53.7%)
昭和11年から昭和15年には、日本国内の働き手不足から、民間あっせん業者が自由に募集し、日本への渡航を行っていた。
昭和16年には、働き手不足が深刻な問題になり、昭和17年2月から昭和19年8月まで、官斡旋に変わったが、民間あっせん業者が朝鮮総督府に必要な人員を申告、朝鮮総督府自らが募集をかけるという方法をとっている。これについても、強制連行、強制労働ではなく、賃金も支払われ、日本に渡った後も参政権も授与された。当時の帝国議会に、朝鮮人議員が議席を有していることからも証明できる。
逆に日本人は、昭和13年4月1日には国家総動員法が公布され、昭和14年7月8日には国民徴用令がだされ、国家が必要と認めた際には、工場労働などの労働に従事しなければいけない義務があった。
大東亜戦争末期の昭和19年9月からは、国家総動員法が同じ日本である朝鮮にも適用され、終戦までに2000人程度の朝鮮人が徴用された。
この徴用が強制連行、強制労働であるという主張が、この裁判。
当時の朝鮮人は日本国籍を持ち、権利・義務も日本人と同等である。当然、国民の義務としての徴用であっただけで、強制連行ではない。もし、この部分を強制連行、強制労働などして、国に賠償金を求めると言えば、昭和13年から終戦までに徴用された日本人が賠償金を求めるだろう。
強制連行については、昭和34年7月13日の「朝日新聞」にこんな記事がでている。
昭和34年7月13日『朝日新聞』
大半、自由意思で居住 外務省、在日朝鮮人で発表
戦時徴用は245人
在日朝鮮人の北朝鮮帰還をめぐって韓国側などで「在日朝鮮人の大半は戦時中に日本政府が強制労働をさせるためにつれてきたもので、いまでは不要になったため送還するのだ」との趣旨の中傷を行っているのに対し、外務省はこのほど「在日朝鮮人の引揚に関するいきさつ」について発表した。
これによれば在日朝鮮人の総数は約61万人だが、このうち戦時中に徴用労務者として日本に来た者は245人にすぎないとされている。主な内容は次の通り。
一、戦前(昭和14年に日本内地に住んでいた朝鮮人は約100万人で、終戦直前(昭和20年)には約200万人となった。増加した100万人のうち、70万人は自分から進んで内地に職を求めてきた個別渡航者と、その間の出生によるものである。
残りの30万人は大部分、工鉱業、土木事業の募集に応じてきたもので、戦時中の国民徴用令による徴用労務者はごく少数である。また、国民徴用令は日本内地では昭和14年7月に実施されたが、朝鮮への適用はさしひかえ、昭和19年9月に実施されており、朝鮮人徴用労務者が導入されたのは、翌年3月の下関-釜山間の運航が止るまでのわずか7ヶ月間だった。
一、終戦後、昭和20年8月から翌年3月まで、希望者が政府の配給、個別引揚げで合計140万人が帰還したほか、北朝鮮へは昭和21年3月、連合国の指令に基づく北朝鮮引揚計画で350人が帰還するなど、終戦時までに在日していたもののうち75%が帰還している。戦時中に来日した労務者、復員軍人、軍属などは日本内地になじみが薄いため終戦後、残留した者はごく少数である。現在、登録されている在日朝鮮人は総計約61万人で、関係各省で来日の事情を調査した結果、戦時中に徴用労務者としてきた者は245人にすぎず、現在、日本に居住している物は犯罪者を除き、自由意思によって在留したものである。
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ご参考に
http://www.youtube.com/watch?v=lCbB1BAcN3w
投稿: 思想がない | 2006年7月 3日 (月) 18時18分
思想がないさん、ご紹介ありがとうございます。
強制連行の神話が消えてくれるのか、日本国民として心配しております。
投稿: 三井田孝欧 | 2006年7月13日 (木) 20時37分