アメリカ人による対日戦批判(1)
2時就寝。7時起床、先日現場立会いした会社との調整のため、朝食をとる暇もなく、長岡市へ。12時過ぎ、コンビニで納豆巻き3本買い、ブランチ。13時自宅に戻る。
16時過ぎ、東京からE氏がお越しになったので、某焼肉店で夕食をとりながら、焼肉コンロよりも熱い内容の懇談。
本当に、あまりにも熱い語りをしてしまったため、10分ほど遅刻してしまったが、19時から「かしわざき風の陣2006」の実行委員会に出席。
今年は出張や町内の行事と重なり、例年通りの手伝いはできないので、ホームページなど時間に関係のない仕事を受けもった。
海上自衛隊の護衛艦が2隻、陸上自衛隊の自衛隊カレー、ハマーの試乗体験など、自衛隊関係のイベントも盛り込んであるので、是非、多くの方に訪れてもらいたい。
会議終了後、実行委員会のメンバーになっている新潟産業大学、新潟工科大学の学生4人と台湾料理「昇龍軒」にて飲み飲み。さすがの若さで食べる量が違った。
24時近く、自宅に戻ると名越先生から手紙が届いていた。新潟の歴史秘話掘り起こし番組の企画の件であった。長岡の斉藤大使をはじめ、佐渡の本間中将など感動的な秘話が新潟県内には数多くある。
また、ビルマのバー・モウが亡命したのは六日町・塩沢町、蒋介石が軍事の勉強をしたのは上越(高田)。アジアと新潟という観点でも企画をつめてみたい。
名越先生がお書きになった、アメリカの対日戦争(太平洋戦争)が正しかったのか、否かの資料があったので、2回に分けてご紹介したいと思う。
1994年4月『kakusin』
ワシントンの遺訓に背いた太平洋戦争
-アメリカ人による対日戦批判-
特定の国に常習的に好悪の感情を抱いてはならぬとの戒めに背いて、ルーズベルトは英国に特別の好意を持ち、ドイツを憎み、日本を巻き込んだ。 名越二荒之助
「豆殻で豆を煮る」戦後の日本人
未だに多くの日本人は、大東亜戦争が侵略戦争だったとの東京裁判流の一方的史観に執着していますが、それでも近年はその見直しが様々に行われています。他方、アメリカの太平洋戦争論といえば、日本を侵略国家として一方的に断罪する史観一色のように思われがちですが、本当にそうなのかどうか。もっと別の見方もあると聞いています。歴史は多面的に見なければと思うので、きょうはアメリカ人による太平洋戦争批判をお伺いしたいと思います。
名越:
戦後ずっと私の心を離れない詩があります。それは中国の三国時代、魏の国の曹植(192-232)の詩です。これは「七歩の詩」として有名な話です。魏の王・曹操が死んで、長男の文帝が位に即きますが、取巻き連中にそそのかされて、三男の曹植との仲がうまくゆかなくなりました。或る時、兄の文帝が弟の曹植を呼んで、七歩歩く間に詩を作れ、それができないと殺すと脅します。詩才に恵まれた曹植は、直ちに詩作しました。
「豆を煮て以て羹を作(な)し、まめがらを漉して以て汁となす。まめがらは釜の下に在りて燃え、豆は釜の中に在りて泣く。本是同根より生ぜしに、相煎(に)ること何ぞ太(はなは)だ急なる」
もともと同じ根から生えた豆の木であるのに、釜の中に豆を入れ、下から豆がらで煮て、その豆を味噌にして食べられてしまう。兄弟喧嘩をして喜ぶのは誰かを指摘し、兄弟相争うことの愚かさを訴えたのです。この「七歩の詩」によって文帝は自分の愚かさを恥じ、弟を許しますが、曹植は不遇のうちに早死してしまいました。
その詩が戦後ずっと心を離れないとおっしゃるからには、なにか御自身の体験と関係がありそうですね。
名越:
そうです。敗戦後ソ連に抑留された日本人は(私もその一人ですが・・)、ソ連の政治部員にそそのかされて日本人同士で「階級闘争」を始めました。日本人が日本人を吊し上げたのです。反ソ分子、作業サボ、憲兵、警察、特務機関の前職者等を密告し、摘発して、集団で威嚇したわけです。
沢山出されている「ソ連抑留記」によれば、「反動は白樺の肥やしにしろ」と脅して、「ソ同盟強化の生産競争」をやったらしいですね。
名越:
私は「極反動」として吊し上げられながら、「まるで曹植の〝七歩の詩″ではないか。豆殻で豆を煮て、その豆を食べているのはソ連ではないか」と、何度も思いました。
それは戦後の日本内地の状況にもあてはまるところがありますね。
名越:
そうそう、そこが問題なのです。日本に勝った連合国は、極東国際軍事裁判(東京裁判)において、自分のことは棚に上げて日本を犯罪国家として裁きました。国際法に違反する東京裁判の判決を受け入れたのは占領下の日本人としてはやむを得なかったかも知れませんが、独立回復後も東京裁判史観に拘束されつづけて今日に至っているのはどういうわけでしょうか。
戦争は日本と米英との間で行われたのだから、戦争の責任は、日本側にあったか、米・英側にあったかで論議すべきなのに、頭から責任は日本側にあるということを前提にしている。細川首相の例の、「私自身は、侵略戦争であった、間違った戦争であったと認識している」という発言もそうです。その上で責任追及の鉾先を日本国内のいずれかの個人あるいは集団に向けているわけですね。「戦争の責任は天皇にある」とか、「いや当時の指導者、軍人にある」とかいって、同胞同士の喧嘩を未だに続けている。これでは曹植の「七歩の詩」と同じではありませんか。
「忠臣蔵」を想わせる
『アメリカ人の鏡・日本』
コップの中の嵐というか、蝸牛角上(かぎゅうかくじょう)の争いというか、嘆かわしいことですね。
名越:
私は最近、驚くべき本を古本屋で見つけました。原題は 『Mirror For Americans:Japan』(アメリカ人の鏡・日本)ですが、日本では『アメリカの反省』と題して、昭和28年6月に文藝春秋社から出版されています。
著者はヘレン・ミアズ女史(Miss Helen Mears)、翻訳は原百代氏。女史は戦後日本に関する著書でホートン・ミフリン社の文学賞を受賞した人で、終戦直後、かつての大東亜共栄圏の国々を取材して、昭和23年に本書を脱稿している。内容は、アメリカが日本に戦争を仕掛けたとしてアメリカを痛烈に批判し、アメリカ人に反省を促すというものです。
アメリカから見れば太平洋戦争、日本から見れば大東亜戦争。この日米戦争はアメリカから仕掛けたという内容の本を、終戦直後の時点でアメリカ人が書いているのですか。
名越:
日本が真珠湾を奇襲したところだけ切り取ってみれば、日本が仕掛けたことになります。しかし長期的視野から見れば、アメリカが巧妙に日本を追い込んでいったんです。私はこの本を読みながら、「忠臣蔵」を想い起しました。もし「忠臣蔵」の物語が、赤穂浪士の吉良邸討入りの場面から突然始まったら、四十七士は武士にあるまじき乱暴狼籍を働いた犯罪者集団として観客(あるいは読者) の目に映る。それはそうでしょう。就寝中の老人に対して予告もせずに土足で踏み込んで首をはぬるんですから・・・。事実、犯罪者として全員切腹させられましたが、その原因や背景や経緯を演じてゆけば、観客(読者)は討入の場面で溜飲を下げ、拍手するんです。
「忠臣蔵」を見るように大東亜戦争を見よということですね。
名越:
ルーズベルト大統領はさしずめ吉長上野介ということになる。ミアズ女史は「忠臣蔵」にたとえているわけではありませんが、日米戦争が勃発するように日本を追い込んでいったアメリカの責任を追及し、戦後は占領政策によって日本を閉鎖してしまったアメリカの反省を述べているんです。
なるほど、赤穂浪士をあそこまで追い込んだ吉良上野介や幕府の責任も問わなければなりませんね。
名越:
「忠臣蔵」の場合は、あらためて幕府や吉良の批判を行うまでもなく、芝居や映画を通じて国民的規模で批判は終っています。これから日本に近松門左衛門のような大作家が現れ、「昭和忠臣蔵」あるいは「アジア忠臣蔵」を書いて翻訳し、世界各国で上演すれば、真珠湾奇襲の場面で拍手するのではありますまいか。
ところで、その本の原題にある「アメリカ人の鏡・日本」というのはどういう意味ですか。
名越:
本の巻末にジョージ・ケレイ氏の紹介文が載っています。その一節を引きますと、
「本書は我々の征服した敵に対する我々の尊大な態度を、根砥から動揺させるものである。著者ミアズ女史はこの作品の中で言っている。『一八五三年に我がペルリ提督は、日本の孤立政策を破壊し、その門戸を開放せしめた。以来未だ一世紀にも満たぬのに、我がマッカーサー将軍は、日本本土に入り込み、その門戸を再び閉鎖した。・・・・いってみれば、日本は善悪ともに我がアメリカの姿を写し出す鏡ではないのか。そして我々アメリカ国民は、己の姿を正さずして、鏡面の影像を正そうと試みているのではないか』と。」
痛烈なアメリカ批判ですね。
名越:
訳者の原氏によれば、「この本はアメリカ人の鏡であると共に、日本悪玉論に染め上げられた敗戦後の日本人にとっても鏡ではないか、日本人にこそ早く読んでもらいたい」と思って、訳書の出版をCIE(占領軍の民間情報教育局)に懇願したけれども、どうしても許可が貰えず、独立後の昭和28年にやっと刊行されたんです。
本来のモンロー宣言とアダムスの戒め
やはり占領下は言論出版の自由はなかったんですね。どんな内容なのか、いよいよ聞きたくなります。
名越:
全部で415頁。それが二段組になっており、厖大な量です。全貌を伝えることは至難ですが、巻頭に第六代大統領ジョン・クインシー・アダムス (1767-1848年)の言葉が掲げられています。ジョン・クインシー・アダムスは第二代大統領ジョン・アダムスの長男で、第五代モンロー大統領の時、国務長官としてモンロー宣言を起草した人物です。アメリカの外交政策を特徴づけた有名なこのモンロー・ドクトリンは、次第に拡張解釈されて、アメリカ大陸への干渉は許さないがヨーロッパやアジアにはロを出すようになりました。しかし本来の精神は次のようなものだったのです。
「西欧世界の争いは、既に痼疾(こしつ)化した旧勢力と台頭途上にある新権力との闘争であった。自由と独立の旗が風に翻るところ、また将来その旗が掲げられるところには、いかなる場所であれ、そこにアメリカの心があり、アメリカの祈りと祝福があるのだ」
「自由と独立があるところに、アメリカの祈りと祝福がある」というのは、「万邦ヲシテ各 其ノ所ヲ得シメ兆民ヲシテ悉ク堵二安ンゼシムル」(昭和15年9月27日、日独伊三国条約締結の詔書)という「八紘一宇」の精神に通ずるものがあります。あの当時、「八紘一宇」を日本は外交文書で「UniverSal Brotherfood 世界皆兄弟」と翻訳していました。蒋介石も、昭和20年8月15日に重慶から全回にラジオ放送した有名な演説(日本では「怨に報ゆるに徳を以てせよ」の言葉で知られる。実際にはこの語はなく、「旧悪を思わず人に善をなす」と言った)の中で、「今後人類は国土と人種の如何を論ぜず、いよいよ緊密に連合し、一家の如き親密な関係を作り待る」と述べています。
世界を家族のような関係にするとか、世界皆兄弟だとか、各国の自由と独立を尊重するとか、これらは人類普遍の理想です。
名越:
ここで思い出すのは、昭和16年8月14日にルーズベルトとチャーチルが会談して発表した共同宣言です。一般に「大西洋憲章」と呼ばれ、後に連合諸国が批准しました。第二次世界大戦および戦後世界の指導原則を謳ったものですが、その第三条に、「すべての国民は各自に通する政体を選択する権利を尊重し、強奪された主権と自治が回復されることを希望する」とあります。これは昭和18年11月6日に東京で採択された「大東亜共同宣言」と共通しています。較べてみれば、日本を中心にアジアの盟邦諸国が署名した共同宣言の方がもっと行き届いた内容になっています。「大東亜各国は相互に自主独立を尊重し」とか、「伝統を尊重し各民族の創造性を伸暢し」とか、「人種的差別を撤廃し普
く文化を交流し」とか、大西洋憲章よりも具体性があります。
だとすると日・米・英・蒋政権が戦った第二次世界大戦は、共通の理想を掲げながら敵味方に分れて血を流し合ったと言えなくもないですね。
名越:
しかし決定的な違いが一つあります。日本にとって大東亜戦争は欧米諸国によって「強奪されたアジア諸民族の主権と自治を回復する」ことを目的とした戦争だったのに対して、米・英にとっては自分が強奪した植民地の利権を守るための戦争だったわけです。歴史がそのことを証明しています。日本は昭和18年にフィリピンとビルマに独立を与え、後れ馳せながらインドネシアに独立を約束しました。それに対して英・蘭は戦後、インド、ビルマ、インドネシアなどで植民地を再び奪い返す戦争を始めました。しかし奪還は失敗に終り、最後は独立を認めざるを得ませんでした。
英・蘭の植民地奪還が実現しなかったのはなぜか、その点が大切なところですね。
名越:
アダムスの文章に帰りますと、彼は、アメリカが怪物を退治するなどと称して海外へ武力進出することを次のように戒めています。
「アメリカは怪物を退治せんがために敢て国外へ進出しようとはしない。アメリカは声援と己が体験から来る親切な同情をもって大義を勧告するに止まるだろう。アメリカが一度自国以外の旗の下に荷担すれば、それがたとえ他国の独立の旗の下であるにしても、利益追求や陰謀や、自由の旗を横領し搾取する個人的な強欲や嫉妬や野心のあらゆる戦いに自国を巻き込む結果となり、抜き差しならぬ破目に陥る。やがてアメリカの額には、偽物の、即ち支配と権力の陰鬱な光を放つ帝国主義的王冠が載せられるようになるだろう。そしてアメリカは世界の独裁者になるかも知れない。だとすればアメリカはもはやアメリカ独自の精神の支配者ではなくなるであろう」(長文の要約)
女史は、アダムスの文章を著書の冒頭に掲げて第二次世界大戦時のアメリカを批判し、反省を求めているわけですね。
名越:
ミアズ女史の言いたいことは、アダムスの言葉をもじっていえば、こういうことになるでしょうか。「アメリカはアメリカの心を忘れて〝太平洋戦争″を戦った。日本を怪物に見立てて、敢えて国外に進出し、日本を敗北させ、日本の自由の旗を横領してしまった。かくしてアメリカは偽物の陰鬱な帝国主義的王冠をかぶることになった。アメリカはもはやアメリカ独自の精神の支配者ではなくなった。」
アジアに果した日本の役割
ミアズ女史のような太平洋戦争論は例外なのではありませんか。
名越:
いや。日本は満洲事変以来、国際的孤立の道を歩みはじめ、遂には国際連盟を脱退しますが、その頃、アジアで悪戦苦闘する日本に同情した諸外国の識者は多かったのです。例えばアメリカの中国通(在中国32年)のジャーナリストであるブロンソン・レーは、アメリカが領有したハワイと日本が独立させた満洲国とを対比しながら、「アメリカには、日本が満洲でとった政策を批判する資格はない」と痛烈に指摘しています。そしてさらにソ連と対比しながら、「軍国主義日本が世界の脅威になるというのは、ソ連の宣伝であり、本当の軍国主義国はソ連である。これまでアジアで果してきた日本の役割を忘れてはならない。支那やソ連に同情するあまり、日本を孤立化させ、発展を阻害してはならない。日本こそアジア安定の礎であり、共産主義の防波堤だ」と繰り返し述べています。(昭和11年刊『満洲国出現の合理性』田村幸策訳)
また、ジョン・トーランドの『大日本帝国の興亡』(ピュリッツァー賞) にも、同様の趣旨が書かれております。彼も公平な見方をしていますよ。「アメリカではモンロー主義の存在が許されるのに、なぜアジアに対して『門戸開放』の原則を強制しようとするのか? 日本が匪賊の政底する満洲に乗り出すことは、アメリカがカリブ海に武力介入するのと何ら変らないではないか?」と問い、イギリスやオランダのやってきたこととも対比して、彼らの手口を糾弾しています。
このような痛烈なアメリカ批判の書に対して、アメリカ人はピュリッツァー賞を与えているのですから、その点は我々日本人も見習わなければなりませんね。
名越:
もう一人挙げましょうか。オーストリアの貴族の出身で、クーデンホーフ・カレルギー伯。母が青山光子という日本人で、国際法学者として世界的な権威ですね。EC(欧州共同体)の理論的基礎を作った人として知られています。彼が四十歳くらいの時の論文が、みすず書房の『続・満洲事変』(現代史資料11)に翻訳掲載されているのをたまたま見つけたわけです。これは、アジアにおける日本の役割を高く評価し、日本を孤立に追い込むことの愚を痛烈に批判し、当時の米・英・蘭・仏などの責任を問うた大論文です。「日本は極東における西洋文明の選手であり、治安の巨巌(きょがん)である。ロシアのポルシェヴイズムと、支那の無政府状態との怒涛を破って立つ岸壁である。」というくだりなど、名訳(遠藤三郎)ですね。カレルギーは、アジアにおける日本の役割を理解し、極東のモンロー主義を認めるべきだ、それが国際連盟の面目以上に大事なことだ、と説いているのです。
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