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2006年6月

2006年6月30日 (金)

民団、総連と和解「白紙状態」

Dsc02477 6時、就寝。8時、起床。家族の分も含めて、山葵を効かせた大粒納豆で納豆巻きを作り、朝食。からしを効かせた納豆巻きも良いが、たまに食べたくなるのが山葵を効かせた納豆巻きである。山葵漬けで作っても美味しい。

Dsc02479 10時から来客。パソコンの修理などを依頼された。12時から事務所で昼食を食べながらの打ち合わせ。昼食は、すでにお約束に近い「うれっ子」(電話:0257-22-4648)の「チャーシューつけめん」。

F1000001_30 14時過ぎから障碍をお持ちの方の引越しの手伝い。作業中、近所の方に色々と話かけられ、公営住宅についての苦情を多くお受けした。雪国の実情にあった設計になっていないことや駐車禁止の標識などがない等、項目が多かったたため、後日、改めてお聞きすることにした。

Dsc02481 17時過ぎに作業が終了。自宅に戻ると、甥っ子、姪っ子が流行しているヘルパンギーナにかかったとのことで、病院にいってきたという。妹もうつったようで、あまりのつらさにしばらく泊まることになった。甥っ子の残したものを食べることが多い母も具合が悪くなってきており、夕食はストロベリーコーンズのピザ「海の幸の贅沢ピザ」にした。

 地方参政権でも主張のまったく違う民団(在日本大韓民国民団)と朝鮮総連(在日本朝鮮人総聯合会)の電撃和解の発表から数日、案の定の展開になってきた。
 民団には、韓国政府から毎年、維持費として約10億円が投入されていたが、北朝鮮への太陽政策、盧武鉉大統領が「民団は反統一団体」と発言しているように、その存在意義から近年、維持費を減らされてきている。ただ、それでも約8億円はある。
 現在の盧武鉉政権のなかでは民団の立場は危うく、その代償(維持費を政治カード)として、朝鮮総連との和解を進めたというが、やはり無理が生じたのではないだろうか。
 親北の盧武鉉政権のうちは、まだまだ注視が必要な問題である。


平成18年6月25日『読売新聞』

韓国民団、総連と和解「白紙状態」…会議紛糾打ち切り
 
 怒号が飛び交う韓国民団の臨時中央委員会。左から2人目は河団長(24日、東京・港区の韓国民団中央本部で)在日本大韓民国民団(韓国民団)の河丙オク(ハ・ビョンオク)
団長は24日、東京・港区の韓国民団中央本部で開いた臨時中央委員会の席上、在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)との和解について、「白紙に戻したような状態になった」と述べた。(オクは金へんに玉)
 地方本部などからの相次ぐ反発を受け、韓国民団の執行部では、和解に伴う合意事項の一部を既に見直しているが、トップがこうした認識を示したのは初めて。
 臨時中央委では、朝鮮総連に対し、「テポドン2号」の発射の中止や拉致問題の解決などを、韓国民団と共に北朝鮮政府に働きかけることを提案する決議文を出すことも決めた。
 臨時中央委は、和解に至った経緯の説明などのため執行部が招集。地方本部の団長や下団体の幹部ら171人が出席した。
 執行部の一部で和解協議を進め、組織に混乱を招いたことについて、河団長は冒頭で謝罪し、責任をとって副団長5人全員を辞任させる意向を明らかにした。
 しかし、河団長は自らの進退には言及せず、多くの出席者から和解撤回と団長自身の処分を要求する声が繰り返し上がったため、会議は紛糾。予定の4時間を約1時間過ぎた
時点で、河団長は「(和解は)白紙に戻したような状態になったということで了解しましょう」と述べて、会議を一方的に打ち切った。
 韓国民団と朝鮮総連は先月17日のトップ会談で、民族団結を目指して協力する方針を確認。2000年の南北首脳会談を記念して毎年開かれている「6・15民族統一大祝典」への共同参加など6項目の合意事項を共同声明として発表した。だが、拉致などへの対応を棚上げしたままの和解に、地方本部や傘下団体が反発。執行部は今月開かれた大祝典への参加を断念した。
 河団長は臨時中央委終了後、読売新聞の取材に「朝鮮総連との和合関係は残っているが、合意事項は白紙に近い状態となった」と語る一方、「今後、朝鮮総連との話し合いや韓国民団内部での意見調整をどうするかは未定だ」と述べた。

2006年6月29日 (木)

絵本版『サムライの娘』

 企画書に没頭し、4時就寝。8時、祖母に起こされる。2階で大男が跳ねて怖い、という。よくよく調べてみると、原因は本人の耳鳴りであった。

 朝食や昼食をとる時間もなく、16時過ぎまで母にも手伝いってもらい、障碍をお持ちの方の引越しや掃除の手伝い。肉体作業が続き、あまりの暑さに「PEPSI NEX」をガブ飲みしてしまった。

 17時近く、「サバト」に注文していた本を取りに行く。長岡藩の厳格な武士の娘であった明治女・杉本鉞子が書いた『武士の娘』を、柏崎在住の曽田文子さんが絵を書いた絵本版『サムライの娘』である。ご本人のサインを入れてもらった。

 先週の「世界に開かれた日本近現代史」でも紹介し、実際にメールでの問い合わせもあった本。もっと多くの方に読んでもらいたいものである。

Iso3  今日は、9時からチャンネル桜『桜塾講座-世界に開かれた日本近現代史』の「教科書で教えたい新潟県の遺産 Ⅱ -昭和時代の留魂と開花-」が放送になった。放送後、再放送をご覧になられてから感想をメールで送ってくれる方もいらっしゃるので楽しみである。今回放送のヤマ場は、佐渡出身の本間雅晴中将、そして長岡出身、山本五十六長官である。本間中将が作った『台湾軍の歌』、山本五十六長官が撃墜された戦闘機(一式陸攻)を長岡の方がニューギニアの現地で見つけた際歌われたという『海ゆかば』を流した。特に『海ゆかば』は、第2国歌とまで言われた曲であり、その歌詞は背景(玉砕のラジオ放送)を別としても美しい旋律の名曲だと思う。戦中世代の母方の祖母は、いまだに『海ゆかば』を聞くときには、頭を少し下げるか、正座になって聞く。

 18時から事務所の整理。整理棚を廃材で作り、整理整頓につとめる。

Dsc02476 22時、あまりにもお腹がすいたので、小粒納豆、生野菜、鯵の塩焼きで夕食。急いで鯵を焼いたので、「ぜいご」を取り忘れ、カブリとやった瞬間、またも口中を傷つけてしまった。鯵の塩焼きは、身も美味しいが頭周辺の臓ものも美味い。

Dsc02474 イエローハットの鍵山会長からお手紙と本2種類、標語集が届いた。先日、お手紙と昭和に関する資料をお送りしたところであり、あまりのご丁寧な対応にすっかり恐縮してしまった。

2006年6月28日 (水)

柏崎トルコ文化村問題:全員協議会開催

Dsc02447 6時48分、柏崎駅に到着。口内の痛みや腫れがあり、歩くのもツライので、タクシーで自宅に戻る。昨日、飲みすぎたのでかなりの腫れで自分も驚くほど。
 大阪で買った「ジューシーポークバーガー」で朝食。

 昨日、何人かから電話をもらっていたので、自宅に戻り次第、自サイトの掲示板を見ると、誹謗・中傷、色々な煽り、イタズラの書き込みがあった。そこまで私に関心をもってくれているのであろうか色々な意味で大変ありがたいことである。
 柏崎市議会の議員は31名。うちホームページをもって情報発信をしているのが5名の現状を考えれば、そのなかでもあえて?興味をもって見てくれているのであろう。
Ggg  それにしても、前向きな議論ではなく、「いつ仕事をしているのだろう?」と思うほど、書き込みの時間、内容もしつこい。さらには、何か勝手な捏造ストーリーがあるようで、妄想も甚だしい。その捏造ストーリーに騙されている人が、柏崎にはいないことを願うのみである。
 もし、私がその捏造ストーリーの通りであったら、日本の右翼をはじめ土建業界の物凄い大物で、献金やらで相当な金持ちのようである・・・・・・。

Dsc02449 10時30分過ぎ、市役所に行く。昨日の議会運営委員会で決定したとおり、11時から「全員協議会」の開催。
 まず市長からの報告があり、とにかく「理解をしてほしい」との言葉とともに陳謝であった。流れはこうである。

22日:議員側の指摘により、「買戻し特約」の登記について、
    柏崎市が顧問弁護士に相談。弁護士のアドバイス
    もあり、登記を行うと「財第81号」の公文書で議員
    全員にFAXにて報告。
 → 柏崎市として登記を決定し、公文書を発信

23日:本会議の採決。議場をでて採決を放棄する議員もでる。
    討論で、「財第81号」「トルコ共和国との友好」の
    意見を三井田が付す。
    減額譲渡にかかわる「議第85号」が可決。

25日:市長が落札者であるウェステック・エナジー社長に
    面会。「買戻し特約」の登記の条件は飲めないとの
    返答がある。

26日:市長が議長に申し入れ。
    議会運営委員会の開催を通知。

27日:議会運営委員会が開催され、議論が沸騰。

 そして本日の全員協議会の開催となった。全員協議会は議長が召集する会議であって、正式な議事録も残らない。先の6月議会はもちろんのこと議事録をとっており、もし今後、この件でいきさつを調査した際には、議事録からは最後にどうなったのか結果が分からなくなってしまう。
 「買戻し特約」というと、いかにも税金ですぐ買い戻すというようなイメージで先行するが、実際には「そのような状態にならないように」ということ、転売の防止、担保の意味合いが強い。全員協議会のなかで、

 「買戻し特約で余計な税金がでていく。
  税金の無駄遣いであり、もし違反したら罰金で
  良いのではないか。」

との意見がでたが、これは言葉の表面をなぞっただけであろう。
 自治体の宅地を安く落札、その後会社を計画倒産させ、新しい新会社で引継ぎ、転売、その差額を利益にするといった例も考えられるため、こういった契約が設定される。もちろん、今回の売却がそういった例に該当するということではなく、仕事のやり方として指摘しているのである。
 柏崎市の持っている土地などの財産は、柏崎市民の財産であり、その売却などによるリスクを最小限にし、市民の財産を有益に活用するのが市長をはじめとする柏崎市役所職員の仕事である。もちろんの事ながら、柏崎市だけではなく、どの自治体にもいえ、新潟県内で一番大きい新潟市の例をとってみても、「新潟市普通財産処分事務取扱要項」第4条に「買戻しの特約及び登記」に「特約の設定、特約の内容、特約の登記」が規定されている。
 今回の落札者であるウェステック・エナジー社に落度はなく、そこを責めているわけではない。最初の契約の際、その点を柏崎市の顧問弁護士に相談せず、そのまま業務を遂行したこと。議会議決の前に顧問弁護士に相談の上、「登記します」と全議員に公文書でだしたものの、ウェステック・エナジー社とその時点で調整しておらず、議決後、やっぱり「なし」にします、これを杜撰な仕事のやり方といわずして何というであろうか。
 正式な議会の召集権は市長にあり、釈明するのであれば、このような非公式な全員協議会ではなく、議事録が残る正式な場にしてもらいたい。臨時議会の開催を求めて市長に質問するものの、全国市議会議長会新潟県庁市町村課には議会の開催はしなくても良いとの回答を得ていると繰り返すのみであった。
*ちなみに6月議会の全文議事録がまだできあがっていないなか、どうやって細かい経緯を説明したのであろうか。
 基本的には、6月議会での議決に付した議員の意見には法的拘束力はない。しかし、賛否に関わるような公文書を議決前にだしておき、議決後「やっぱりなしよ」、そして法的拘束力がないからといって、議会を開催しないのは「信義」に関わることである。
 これが許されるなら、今後何でもありのバーリトゥード状態になる。
 細かいことになるが、この全員協議会の開催時間も11時開始に設定し、1時間ほどで昼休みにするということにも、その態度のあり方が現れている。いつもは10時である。
 事を大きくしたくない陣営の無言作戦もあり、12時20分過ぎに議長が宣言し、全員協議会が終了となった。
 本当にこんないい加減でいいのだろうか。誰も責任をとらず、ガス抜きと言わんばかりの全員協議会でお茶を濁す。怒りのまま、議場をでた。


平成18年6月28日『柏崎日報』

 旧トルコ文化村 買い戻し特約 結局「登記せず」
 市長陳謝 市議会が議論

 市が市内鯨波の旧柏崎トルコ文化村の土地・建物などを
ウェステックエナジー(上越市)に一億四千万円で売却
(減額譲渡)することに関連し、いったん決めた買い戻し特約
登記の方針を市が撤回したことから、会田市長は28日の市議
会全員協議会で不手際を陳謝した。旧柏崎トルコ文化村は公募
で譲渡先を選定し、ウェステックエナジーはブライダル施設
などに活用する計画を示している。
 買い戻し特約は、用途規制に背いた場合は契約を解除し市に
返還するというもの。譲渡議案を審議した市議会六月定例会で
登記を求める意見があった。市は当初、契約に同じことが入れ
てあるので登記の必要はないとしたが、転売した場合などに
第三者に対抗力がないとして登記を決定。その上で23日に
譲渡議案が可決された。しかし譲渡先の合意を得られず、
26日になって、特約は登記せず一般登記とすることに逆戻り
した。
 全員協議会で会田市長は、買い戻し特約を登記することは
最初の話になかったため、譲渡先が会社の信用度の関係から
了解しなかったとしたほか、違約の場合の返還を契約にうたっ
てあることは相手も納得していると説明。議案には買い戻し
特約の取り扱いが入っておらず、再議は法的にできないとして、
特約を登記しないことに理解を求めた。
 複数の議員が、買い戻し特約の登記をすることを前提に
議案に賛同した経緯があると主張して、市長の説明に反発。
「買い戻し特約を登記することは担保であり、相手の信用を
傷つけることにはならない」とする意見もあった。今後の対応
として譲渡先との交渉継続や、講義再議の再検討を要請する
声が相次いだが、市長は陳謝を繰り返した。


F1000001_29 13時過ぎ、「やぶ」(電話:0257-22-3482)から出前をとり、会派室で昼食をとりながらの会派会議。怒りによる空腹感?があったため、「カツ丼 大盛り」を食べる。丼のふちから、まるで表面張力のように盛り上がるご飯とカツ。1000kcalぐらいありそうである。夏に向けて、ダイエットに励む人が多いなか、この逆行。ストレス太りの典型である。

Dsc02463 14時から16時まで、現場の立会い。その後、途中参加になったものの16時から18時まで、独り住まいのお年寄りの家周辺でのボランティア掃除。終わったあと、明治饅頭をもらった。
 19時過ぎから事務所で夕食をとりながらの懇親。サザエのつぼ焼き、茶豆の枝豆、胡瓜の丸かじり、イカのポン酢漬けなど。胡瓜には、麦白味噌とマヨネーズを混ぜた、「麦味噌ネーズ」をつける。

Dsc02462 先日、柏崎準倫理法人会の2006倫理経営講演会に、体験報告としてお越しいただいた、埼玉県の超人気チーズケーキ専門店「ダンテ」の國武社長から、人気商品である「ベイクドダンテ」やクッキーを頂戴した。國武社長とは個人的に、「菌」の話で盛り上がった。
 本物の乳製品を使い、熟成させたチーズケーキは、その濃厚さもさることながら、後口がスッとさわやかになる今までにない味わいであった。次回、お店の近くに行ったら、購入したいと思う。

2006年6月27日 (火)

柏崎トルコ文化村売却、再審議へ

 0時25分の「きたぐに」で京都に向かう。B寝台で本を読みながらリラックスムードで移動。数時間、仮眠し、6時過ぎ、京都に到着。駅周辺のコンビニなどで時間つぶしをしたのち、7時に弔問先のご家族の方に迎えにきてもらう。
 午前中は、東京にいた時代、仲の良かった友人の弔問。京都にくるたびに連絡はとっていたが、彼がサラリーマンから独立したところから疎遠になっていた。会社経営は残念ながらうまくいかなかったそうであるが、助けてくれる友人も多かったという。また、ありがたいことに私のことも良く話してくれたようで、初めて会った弟さんとも話しが合った。ご冥福を祈る。
 京都駅周辺の本屋さんをはじめ、お店をブラブラしたのち、せっかくなので大阪駅に向かう。

 今回は既に約束していた亡き友人の弔問のため、9時からの議会運営委員会に出席することができなかったが、その内容の報告を聞いたところ、柏崎トルコ文化村の売却に関して、とんでもないことが判明した
 先日の6月議会で議決した柏崎トルコ文化村の売却について、その採決の前日に財務部長から次のような文書が全議員に配信された。


財第81号       平成18年6月22日
              柏崎市財務部部長

 議第85号財産の減額譲渡に係る
            登記上の処理について

 このことについて、6月21日の総務常任
委員会において、「買戻特約」の登記をする
必要があるのではないかとの御質問をいただき
検討する旨のお答えをしましたが、顧問弁護士
の助言を踏まえ、下記のとおり処理することと
しましたので報告します。

             記

・今般の契約は、当事者間では効力があり問題
 がないものの、第三者に対して対抗力がない
 ことから「買戻特約」の登記をすることとします。


 この登記は、もし数年後、ブライダル事業ではなく、違う用途(産業廃棄物、風俗、ギャンブル等)に使うことになった場合には、柏崎市が買い戻すという確約のための登記である。
 しかし、この登記について、議決後、落札者からこの条件であれば飲めないとの回答があったとのことで、不手際だの、申し訳ない、だの理由をつけて、公式の場ではない「全員協議会」を明日28日に開催、そこで6月議会での議決をくつがえし、この登記をしないことを条件に契約を結びたいというのである。
 今回の売却の議決については、議場の公式の場で、私はこの登記及びトルコ共和国との友好などの意見を付した。この決定を議会閉会から1週間も経たないうちに、しかも非公式の場(全員協議会は、議長が招集し、議員内での話し合い)で変えようというのである。他の自治体の議会から見たら、笑いもの以外何者でもない。市民から選出される議員で構成される議会を軽く見ている、つまり市長は

 「市民の代表である
    議会の決定を軽視」

しているとしか言いようがない。
 とにかく柏崎トルコ文化村が売れるからいいんじゃないの、という意見もあるが、売れるからと言って議会制民主主義のルールを勝手に変えたり、市長に異常なまでの権限(議会議決を正式な議会開催・議決なしに変えること)を与えることが正しいことではない。
 問題は、

 1.用途目的以外の使用や転売などの「買戻し特約」の登記

 2.議会議決の取扱

の2つになる。全員協議会でお茶を濁されては困る。しっかりと臨時などの正式な議会の開催と市長の公式な場での釈明を求めたい。

F1000001_28 15時過ぎ、大阪駅につき、昼食も食べていないこともあり、天丼専門店「かやく家」で「天丼 並 500円」を食べる。沢庵がとり放題。味付け海苔、海老2本、しし唐2本、かぼちゃの天麩羅がのっており、かなりのボリューム。
 駅近くのビックカメラで時間つぶしをしていると、いきなり声をかけられ、驚いた。どうもチャンネル桜か何かで私を見たというのだが、ガンダム好きでしょ、とか個人情報も詳しくミョーな感じであった。お名前も聞けず。
*本ブログをご覧であればご一報を。

F1000003_16 19時から知人とビックカメラの入り口で待ち合わせ、カレーうどんが有名な立ち飲み店で飲み飲み。揚げ物がことのほか美味しく、揚げ物で口中を油だらけにしては、ビールで流し込む。話も盛り上がり、次回の番組企画まで進み、あっという間に時間が経った。

F1000005_7 飲んだあとのシメを一緒に食べられなかったとの気遣いで、「冷やし中華」と野菜ジュースを頂いた。ありがたい限りである。シメを持って23時25分、大阪発の「きたぐに」のB寝台で柏崎に戻る。実質、関西-柏崎間の日帰りである。
 「全員協議会」がなければ、もう一日居られたことを考えると実にもったいないような気がする・・・・。

2006年6月26日 (月)

非核・平和行進と世界最大の原子力発電所

Dsc02442 2時、就寝。6時、起床。麦麹と米麹の合わせ味噌とネギ、生干し納豆で納豆汁を作る。なかなかの美味さ。ダシをろくにとらずとも旨みがあるのは、味噌自身をよく擂り潰したことと、水分を再度吸った生干し納豆によるものと思われる。

F1000002_15 午前中から15時過ぎまで現場の立会い。途中、あまりにもお腹がすいたので、一回自宅に戻ると、身をゆでたサザエがあったので、金網をだし、濃い口醤油を入れて、サザエのつぼ焼きで昼食。豪華な昼食となった。

China  先日収録したチャンネル桜「地方議員アワー 故郷から日本へ」が本日12時から放送となった。番組が終了した13時過ぎ、番組を見てくれた方からの激励のお電話を頂戴した。新潟県出身、東京在住の方で、柏崎市が中国2都市と友好都市、さらにもう1都市とお付き合いしていることに驚かれていた。
Turky_1 柏崎トルコ文化村の問題についても、ご存知とのことであったが、柏崎トルコ文化村が柏崎市の所有となっていたにも関わらず、柏崎市とトルコ共和国内の都市、どことも友好都市になっていないことを不思議に感じたそうである。ちなみに、日本国内では、

山形県寒河江市:ギレスン
富山県砺波市:ヤロバ市ヤロバ県
和歌山県串本町:ヤカケント
和歌山県串本町:メルシン
山口県下関市:イスタンブル

が姉妹都市となっている。
 通常の自治体では「姉妹都市」という言い方をするが、「姉妹」だと上下がでてしまう?ので、柏崎市では「友好都市」とのことである・・・・・・・。

Dsc02446 先週、購入しておいた『FRIDAY』の袋綴じを破って見た。エロページが見たかったのではなく(それに近いが・・・)、地方議員仲間である民主党葛飾区議・早川久美子ねーさんの水着セクシーショットが掲載されているとの連絡があったからである。1970年生まれ、私より2つ年上、

 「ねーさん・・・何やってまんのや」

と、なぜか大阪弁になってしまう特集であった。

F1000003_15 17時過ぎからKさんにもお手伝い頂き、ある方の引越しのお手伝い。とにかく安く色々な物を買ったり、自分の物を提供し、住める状態にまでもっていく。ひと段落ついた20時近く、「麺の家 渚」(電話:0257-21-2770)に行き、「つけめん 大盛り」に「岩のり」「卵」で夕食。閉店間際であり、最後の客となったようで、片付けもあるだろうと急いでかっ込む。

Dsc02443 去る6月20日、8月4日から広島市で開かれる原水爆禁止世界大会に向けて、非核・平和行進が柏崎市内でも行われ、柏崎地区労組会議の方々が約60人が参加し、「核廃絶」などをアピールしたそうである。
 市民会館前で開かれた集会では、主催者の原水禁柏崎地区実行委員長である柏崎地区労議長からの「平和な世界をつくろう」「米軍基地再編及び原子力空母への警戒」「原子力問題の監視」を訴えがあったあと、なんと会田市長が来賓として、しかも(核を利用している)柏崎市長としては初めて、以下のように挨拶したという。

 「最後まで
   しっかり行進の目的を達成していただきたい」
 「柏崎が非核平和都市として
  声高らかに宣言ができるような状況
               を作っていくことが大事」

 今日、柏崎出身の東京都内在住の知人からの電話があり、この事を大変驚いていた。
 これまでの市政の在り方には何回と驚いたため、感覚が鈍ってきているのか、「ああ、出席しちゃったのね」ぐらいに考えていた。しかし、確かに外から見たら、世界最大の原子力発電所を抱える柏崎市の首長として、特に「非核」などへの言及はふさわしい行為なのであろうか。もし言うのであれば、核の兵器利用など、中途半端は言葉ではなく、完全なかたちで言ってほしいものである。
 良くも悪くも原子力立地自治体のリーダー・柏崎市が、原子力容認としても?、原子力反対としても?へと転落中ではないだろうか。

2006年6月25日 (日)

シナ・ドットコムの日本の教科書批判

Dsc02437 2時、就寝。7時、起床。ネギ、伊勢うどんのタレで濃い目に味付けをした中粒納豆で朝食。いつも伊勢に行くたびに、伊勢うどんのタレを大量に購入してくる。伊勢うどんに合うのは当たり前であるが、納豆にも合い、納豆巻きなどには重宝する。

Dsc02438 昼から甥っ子が来ると母から聞いたので、祖母の昼食分も入れて、伊勢うどんのタレを入れた納豆巻きを4本ほど作る。甥っ子も納豆好きなので、喜んでくれることだろう。
*よく考えたら、太巻きではなく、細巻きにすればよかったと反省。

 9時から16時過ぎまで、弔問とお手伝い。昼食は、先方で弁当をご馳走になった。

Dsc02439 18時、妹の嫁ぎ先からサザエと生牡蠣をもらった。牡蠣は大好物なので、早速、レモン汁と薄口醤油でツルンと食べる。小ぶりであり、まだ凝縮された海のミルクの味が強いわけではないが、初々しい味が季節感を感じさせる。

Dsc02441 生牡蠣だけでは夕食にならないので、ラス・ビハリ・ボースが日本に伝えた新宿・中村屋のチキンカレーを食べる。
 先日、チャンネル桜でF機関に関係した陸軍中尉・国塚一乗氏の証言シリーズが3回にわたって放送された。歴史に「if」は禁物であるが、インド独立に際し、佐渡市出身の本間雅晴中将が指揮をとっていたことを考えると大東亜戦争の流れ自体が変わっていたのではないか、とも思う。結局、大本営は余計な心配をして、本間中将を登用することはなかった。この人事の在り方をとっても、戦争から学ぶことは多い。

 中国内サイトのシナ・ドットコムに、日本の歴史教科書自体を批判するページ日本の右翼勢力の名前が掲載されたページがあった。ここまでチェックするのかという思い(共産党の一党独裁らしいやり方?)とともに、何故、そこまで他国の内政問題に干渉するのか、誠意ある中国内の知識人はいないのか、不思議に思う。
「シナ」という言葉自体、中国人が嫌う、と主張している日本人がいるが、このサイトにも是非、そういった声を届けてほしい。

2006年6月24日 (土)

自民党青年部:子供の安全

 1時過ぎに目が覚めてしまい、満州柏崎村の報告を書くために再度、関東軍の資料を読み耽る。6時就寝。

 9時、起床。甥っ子が来たので、アンパンマンのDVDを見ながら、甥っ子が残したおにぎりやおかずなどで朝食。

 10時、長岡市に移動。福祉関係の相談と、引越しに関する手続きの手伝い。13時からクロスパル新潟で、新潟県出身である日本政策センター伊藤哲夫所長の講演『愛国心と日本の教育』を聞く予定であったが、手続き関係がかなり長引き、新潟市内に入ったのが、結局16時近く。

Dsc02432 昼食を食べていなかったので、「天下一品 小針店」にて「チャーシュー麺 こってり」を食べる。京都発祥のお店であり、この「こってり」が一番のお気に入りである。ただ、チャーシューが若干、臭うので、肉の質をもうちょっと上げてもらいたい。

Dsc02433 17時30分から自民党県連で青年部定例会。今回の議論のテーマは、「子供の安全」であり、新潟県内各地から参加してきたメンバーとともに事例、そしてこれからの政策への提言などを議論する。
 つい、熱くなってしまい終了時間の19時30分ぎりぎりとなる。その後、懇親会の予定であったが、東京に行く予定があったので、今回はキャンセル。高速をとばして、柏崎に戻る。

【きょうはいかのおすし】
 きょ・・・距離をとる(1mくらい)
 ・・・後ろに気をつける
 いか・・・行かない(ついて行かない)
 ・・・乗らない(車に乗らない)
 ・・・大声を出す
 ・・・すぐ逃げる
 ・・・知らせる(周りの大人の人に知らせる)

Dsc02434 自宅に着いたところで、机の上にメモがあり、不幸があったとのことだった。今日中に東京に移動する予定であったが、急遽、予定を変更する旨、関係箇所にFAXやメールを入れる。
 スーパーで半額になっていた「刺身の盛り合わせ」と納豆汁で夕食にする。

2006年6月23日 (金)

6月議会最終日:採決

 企画書作成に没頭し、3時就寝。7時、起床。サッカーの結果が気になり、早速テレビを見てみると1vs4で負けたとのことであった。非常に残念であり、負けは負けではあるが、前半の1点に意味があったのではないか、と素人ながら思う。9時過ぎ、大粒納豆、生卵でご飯をかっこんで家をでる。

Dsc02429 10時から本会議。まず最初は議会運営委員会の委員の選任をし、その後議会を一旦休止にし、議会運営委員長の選出である。議会運営委員会は議会の運営を司り、全会一致を基本にして話合うため、委員長のポストは実質の議会運営に関わる。
 前回の委員長は共産党であり、「前代未聞」と言われた。これまでは保守最大会派が委員長、副委員長が革新最大会派の慣例があった。前回のこの決定には、ただでさえ革新市政なのに議会の保守は何をやっているだ、とのお叱りもあった。今回こそは、保守の委員長を出そうと、我が会派からは今井議員と私の2名が委員として参加。我が会派の今井議員、社会クラブの笠原議員の他薦選挙となった。
 実際の投票は、整友会(2)、公明党、民友、そして共産党、社会クラブ、市民クラブ、みらい、蒼生会、整友会から離脱した西山高柳クラブとなり、今井議員4票、笠原議員6票となり、またも議会運営委員会の委員長は革新系、社民党となってしまった。副委員長は、西山高柳クラブ。
 来年の市議会議員の改選まで、この体制は変わらない・・・・・。

 本会議が再開。これまで議論(4月27日の報告会6月12日議会初日)になってきた、「議第85号 柏崎トルコ文化村公募」に関する採決である。完全に反対するためには、売却に伴って市の収入が発生するため、1億4000万円の歳入、交付金の返還などが項目として挙げられている一般会計補正予算にも反対せねばならない。しかし、一般会計補正予算には、必要な他の事業も含まれるため、反対はできない。ここが難しい選択である。
 柏崎トルコ文化村の譲渡に関して大きな問題点は、「買戻特約」、「アタチュルク像」の2つ。
 仮に7年後、事業を変え、本来の目的(ブライダル、パークゴルフ)以外に施設が転用される場合には、柏崎市が買い戻す、というのが今回の「買戻特約」であるが、登記していないため、当事者間では効力があるものの、第三者に対しては対抗力がないと指摘されてきた。この点については、昨日、財務部より顧問弁護士の助言もあり、登記することになったとの連絡がFAXであった。
 「アタチュルク像」に関しては、市長からは「友好と大切にする」との答弁だけで実質、今後どうトルコ共和国との友好を維持するのかプランが見えず、十分審議できたとはいえない。
 先輩議員からは「一般会計補正予算には反対できないし、『買戻特約』も登記したなら、意見を付して賛成するしかないんじゃないか」とのアドバイスを頂いた。
 採決の前に、議場を退席する議員もあり、「審議拒否」という選択もあったが、上記の2点の意見を付することにした。
 議長の「討論はありませんか?」の声に、手を挙げ、前にでて意見を述べる。多くの野次も頂戴したが、私以外に意見を述べる議員はいなかった。私と反対の意見であれば、野次のようにゴチョゴチョ言うのではなく、しっかりと議事録に残るように発言すれば良いのである。
 結局、賛成多数で「議第85号」は可決した

 議会終了後、昼食抜きで市内での雑用。17時から来客があり、スウェーデン映画『ダブルシフト』は見にいけず。

Dsc02436 21時、スーパーで半額になっていた「ほたての刺身」とビールで夕食。今日でとりあえずの6月議会が終わったかと思うと、ホッとすることもさることながら、こんな事で柏崎市は良いのだろうかと考え込む。
 早めの23時に就寝。

 今日の昼間に南鯖石郵便局に強盗が入り、1100万円が奪われたそうである。たまたま現金がある日であり、かつ局内には局長一人だけであったという。逃走方向や逃走手段は不明であり、まだ捕まってはいない。柏崎も物騒になってきた・・・・。

2006年6月22日 (木)

小さな絵本館 サバト

Dsc02412  6時、起床。8時から来客。番組企画など、話を膨らませながらの打ち合わせ。11時、大粒納豆を使っての納豆巻きでブランチ。

 先日収録した、チャンネル桜『桜塾講座-世界に開かれた日本近現代史』の「教科書で教えたい新潟県の遺産 Ⅰ -上杉謙信から明治に至るまで-」が今日放送となった。

 ・上杉謙信(上越市)
 ・良寛(出雲崎町)
 ・松田伝十郎(柏崎市)
 ・小林虎三郎、河合継之助(長岡市)
 ・生田萬(柏崎市)
 ・杉本鉞子(長岡市)

と多くの偉人を紹介しただけに、さっと人物をなぞるだけになってしまい、反省している。既に収録してしまったが、次回放送分では、山本五十六をはじめ、もっと密度が濃くなっている。
 パート3、4収録は、「世阿弥」「北一騎」「斉藤博大使パート2」、そして新潟県に生きるアジアの心として、「蒋介石」「バー・モウ」を予定しているが、人物の数にこだわらず、秘話重視でいきたいと思う。

Dsc02422 14時から議員有志での「小さな絵本館 サバト」の見学会。
 以前にあった場所から、1934年建築の築70年の旧・宮川産婦人科医院に移転されてからは初めての訪問となった。

 移転先となった宮川家は代々医師を輩出しており、明治期には「助産婦」や「看護婦」(看護士、助産士と書けとご指摘する人もいるかも知れないが、歴史に忠実に記述したい)の教育を行うなど、地域に貢献してきた由緒ある家柄である。
Dsc02425*写真は、賛美歌を歌うとときに使用したオルガンで、柏崎市に初めて入ったもの。
 たまに、「由緒ある家柄」と言おうとして、「ヨイショある家柄」という人・・・・はいない。
 宮川家のなかでも、宮川文平氏は内村鑑三氏とも交流があり、当時の書簡が飾られている。
 明治31年から昭和25年まで、弟を校長とした「柏崎産婆学校」を現在の位置に運営しており、その後は、準看護婦養成所として続けた。その建物は現存している。

Dsc02426 また、明治39年には、鍼灸組合員の要望もあり、盲唖者が自立するための鍼按の講習所を開設しようと準備に入り、明治41年には「私立中越盲唖学校」の認可を受けて開校。大正になって「私立中越盲唖学校」は、現在の柏崎小学校前にあった大隊区司令部跡に移り、大正12年に盲学校及聾唖学校令(大正12年勅令第375号)で閉校した。
 これほどまでに地域貢献してきた家柄である。そこに「サバト」が入ったのも、何かのご縁であろう。

Dsc02416 「サバト:sabato」は、イタリア語で土曜日、「魔女の夜会」という意味もある。設立から今年で8年目。開館時間は、火、木、土の10時から17時となっており、入場料は無料。
 コーヒーや紅茶もあり、クッキーをはじめとするオリジナルグッズを販売しているものの、やはり収入面では厳しいものがあり、ボランティア、事務パートさん2名で運営せざるをえないことから、台所は若干苦しいとのこと。
 今回の旧宮川医院の利用については、古い建物を大きなお金を使わず、活用している好事例であろう。是非、多くの自治体、議会からも視察に来てほしいところである。
 現在の活動としては、館内ライブを火、木の11時からと15時からの2回行っている。出前ライブとして、幼稚園、小中学校、サークルへの絵本をもっての出前、読み聞かせなどを行っているという。
Dsc02421 実際に出前ライブに出かけたときに使う手回しのオルゴールを鳴らしてもらったところ、とにかく「いい味」で大人も黙ってしまう感じであった。出前ライブのときも、これを鳴らすことで、子供に「静かにして!」「黙って」などと言わなくてもいいそうである。

 サバト会員は、年会費5000円で、コーヒー200円の10枚券がついて、実質3000円。絵本の貸し出しが1週間5冊までできる。絵本というと子供だけというが、大人の心にも十分訴える力のある絵本も多いので、より多くの人に入会してもらいたいとのことであった。
Dsc02444 また、良い絵本を知ってもらうため、「60冊ラリー」も実施していることから、初めて親となった方には、絵本入門としてもうってつけである。ちなみに、西川代表の思い出の絵本は、オスカー・ワイルドの『幸せの王子』とのこと。
 故・竹田満氏の『エンマねこ』を購入した。

 18時から明日の議会に向けての若干の打ち合わせなどを兼ね、某店で懇親会。23時に帰宅。

2006年6月21日 (水)

田中角栄とキッシンジャー

 原稿書きに没頭し、2時就寝。5時、起床。シャワーだけ浴びるつもりが、湯船に入ってしまい、ウトウト。

Dsc02406 6時前、あわててシーユース雷音に行き、経営者モーニングセミナーに出席。講師は、昨日も講演していただいた倫理研究所 中西浩局長、テーマは「大将の器」であった。
 大久保利通と西郷隆盛(坂本龍馬評「小さく叩けば小さく響き、大きく叩けば大きく響く」)の比較から、仕事を請けるときの心構えで締めくくられた。

 「人が仕事をもってくるときには『この人ならできる』、
 との評価をしもってくる。とにかく受けてみること
 が自分を成長させるチャンス」
*大きな発動は大きな受容から始まる

Dsc02408 モーニングセミナー終了後、講師を囲んでの朝食会。ビュッフェ形式であり、高柳の黒米粥を中心にガッツリとる。
 講師との懇談のなかで、佐渡が思ったよりも近いという話がでたので、『佐渡情話』の 「お光」「吾作」、『佐渡おけさ』などを中心に紹介させてもらった。

Dsc02409 10時から総務常任委員会へ出席。柏崎トルコ文化村の件では、本会議の場で市長から今回の売却でもトルコ共和国との友好は配慮している旨の答弁があったので、確認の意味で「売買の契約のなかで、トルコ共和国との友好に配慮とはいうが、主語は?」と質問してみた。答弁は、「柏崎市という文字は書くことはないし、書いてはいない」とのことであった。柏崎市が落札者との契約のなかで「トルコ共和国と柏崎市との友好に、落札者が配慮すること」など書かないことは分かっているので、確認の意味での質問であった。市長の答弁では、「これまでのトルコ共和国との友好」とされているので、やはり柏崎市が今後、トルコ共和国との友好をどうするのか、主体性がまったく見えない。
 柏崎市とトルコ共和国との関係をキチンとした上での売却であれば、逆に落札者がトルコ共和国との友好を気にすることなく、自由な商売になった可能性もある。

Dsc02410 12時、市役所の売店で「キリチーズパン」「おにぎり 味噌漬け」、ペプシ「NEX」を購入し、昼食。「キリチーズ」は切ってあるプロセスチーズか何かかと思ったら、「Kiriクリームチーズ」の「キリチーズ」であった。砂糖もかかっており、思った味とは違い、若干戸惑う。

 午後からの報告事項のなかに、資源物リサイクルステーションの新築移転(東港町の帝石社宅跡地へ)があった。総予算8000万円と大きな金額であり、なぜ年度当初の予算に計上してこなかったのか、不思議である。駐車スペースが8台分しかなく、これまでも苦情が何度もでていたのは事実であるが、できれば今年の予算編成時に入れ込んでほしかったところである。これまでの利用者数は、2005年度でのべ9万人。

 会派内の打ち合わせ、会派室の片付け、整理などをし、17時過ぎに帰宅。ここ数日に届いた大量の郵便物やFAX。気合いを入れて処理する。溜まってくると、とっかかるのが億劫になるので、気合が必要である。

Dsc02411 20時、スーパーで半額になっていた「刺身盛り合わせ」「アオヤギ」、ビールで夕食。シメは、納豆茶漬け。通常の糸引き納豆を使った納豆茶漬けもいいが、今回は強い塩味のついた干し納豆での納豆茶漬け。軽くふたをして、蒸らすのが美味しく食べるコツである。

  私が生まれた1972年9月29日、柏崎(西山町)出身でもある田中角栄首相が日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明を行った。このなかで、台湾は中国の領土の一部であることを日本にも理解し、尊重するといった文面がある。

「中華人民共和国政府は、台湾が中華人民共和国の領土の不可分の一部であることを重ねて表明する。日本国政府は、この中華人民共和国政府の立場を十分理解し、尊重し、ポツダム宣言第8項に基く立場を堅持する。 」

 地元で怒られるのを覚悟の上で言えば、中国から石油の安定供給を目的であったこともあるが、この部分はマイナスであり、結果として、台湾と日本との外交関係は維持できなくなった。
 日本が好きではないキッシンジャーの発言ではあるものの、当時のアメリカ側からみたこの共同宣言の意味合いが分かる記事があったので、以下に紹介する。


平成18年5月27日『新潟日報』

 キッシンジャー氏 ジャップは最悪の裏切り者
 田中元首相訪中を非難
 72年8月付米公文書 露骨な敵がい心抱く

【ワシントン26日共同=太田昌克】ニクソン米大統領の中国
訪問など1970年代の米外交政策を主導したキッシンジャー
大統領補佐官(後に国務長官)が72年夏、田中角栄首相が
訪中して日中国交正常化を図る計画を知り「ジャップ(日本人
への蔑称)」、との表現を使って日本を「最悪の裏切り者」と
非難していたことが、26日までに解禁された米公文書で
分かった。
 キッシンジャー氏の懐疑的な対日観は解禁済みの公文書から
既に明らかになっているが、戦略性の高い外交案件をめぐり、
同氏が日本に露骨な敵がい心を抱いていたことを明確に伝えて
いる。日米繊維交渉などで険悪化した当時の両国関係を反映
しており、70年代の日米関係史をひもとく重要資料といえる。
 文書はシンクタンク「国家安全保障公文書館」が国立公文書館
から入手。26日の公表前に共同通信に閲覧を認めた。
 ハワイで日米首脳会談が行われた72年8月31日付の部内
協議メモ(極秘)によると、キッシンジャー氏は部内協議の
冒頭で「あらゆる裏切り者の中でも、ジャップが最悪だ」と
発言した。
 中国との国交正常化を伝えてきた日本の外交方針を「品の
ない拙速さ」と批判し、日中共同声明調印のために田中首相が
中国の建国記念日に合わせ訪中する計画を非難。首相訪中に
関する日本からの高官協議の申し入れを拒否したという。
 またフォード大統領訪日を直前に控えた74年11月12日
付の国務省会議録(秘密)によると、国務長官も兼務していた
同氏は省内会議で田中首相について「日本の標準に照らして
みてもうそつきだ」と言明した。
 今回判明した発言内容に閲し、キッシンジャー氏は共同通信
の取材に応じていない。

日中接近、挑戦と認識

 1970年代のデタント(東西の緊張緩和)政策の立役者、
キッシンジャー米大統領補佐官が当時、中国との国交正常化
を急ぐ日本を「裏切り者」と呼んでいたことが26日分かった。
この事実からは、対峙(たいじ)するソ連の影響力をそぐため
に中国を取り込みながら、新たな勢力均衡を構築しようとした
「キッシンジャー外交」の本質が読み取れる。
 キッシンジャー外交の神髄は、一部共産主義国や中東諸国
と秘密外交を展開しながら、ソ連を政治的、経済的に封じ込め
ていった現実外交だ。特に注目したのが潜在力のある中国で、
キッシンジヤー氏にしてみれば、田中接近は自身が思い描く
新たな勢力均衡を創出する上で阻害要因となりかねず、米国の
対中外交に対する「挑戦」と映ったに違いない。
 キッシンジャー氏は69年の沖縄返還合意で、日本との一定
の信頼関係を築いたが、その後こじれる日米繊維交渉を機に
対日不信を強め、日本の頭越しに「ニクソン(大統領)訪中」
を実現させた。発言は同氏の対日観の変化をも物語っている。
 問題発言があった72年は、大統領選を控え、同氏がベトナム
和平実現を目指して南ベトナムに譲歩を迫っていた時期と重なる。
 キッシンジャー氏は中国を巧みに「自陣」に引き入れること
で、ベトナム問題の解決を画策。72年6月の周恩来首相と
の会談記録によると、同氏は南ベトナムの共産化もやむなし
との認識を表明した上で、中国がソ連の攻撃を受けた場合は
米国が核兵器で反撃する選択肢まで示唆していた。
(ワシントン共同)

<田中首相訪中>
 1972年9月、日中国交正常化のため田中角栄首相が
中国を訪問。毛沢東共産党主席と会見し、周恩来首相と
日中共同声明に調印した。これにより日中の戦争状態は
正式に終結した。声明で日本は、戦争で中国国民に重大な
損害を与えたことを反省し、中華人民共和国が中国の唯一の
合法政府であることを承認。両国は平和条約締結の交渉を
行うことに合意した。

2006年6月20日 (火)

2006倫理経営講演会

Dsc02379 1時就寝。6時、起床。気候が良いせいであろうか、部屋の出窓で育てていた貝割れ大根がやたらモサモサと育ってきた。金魚蜂のなかに、腐葉土とミミズ2匹を入れて、種を適当にまいただけであるが、やたら勢いのあるい貝割れ大根になった。空いている水槽があるので、そこに移して、違う野菜も育てることにした。

Dsc02386 昨日の夜のご飯が残っていたので、たまにはレンジで温めず、「冷めし」として、食べてみることにした。実際に食べてみると、なかなかご飯の固まりが崩れず、小粒納豆を納豆をかけても、箸で取る納豆の量とご飯の量がアンバランスであり、ストレスが溜まる朝食であった。

Dsc02387 9時から長岡市、新潟市などを相談を受けた関係での打ち合わせに飛び回る。14時、柏崎に戻ったものの、昼食を作る気にもなれず、新潟市の某事務所でもらったインスタントラーメン「でかまる コーン塩バター」での昼食。 

 15時から16時過ぎまで、祖母の通院に付き添う。最近は午後からはボケた行為が目立つ。午前中はまだ気持ちがしっかりしているので、散歩は午前中にしてもらっている。ただ、知っている人に会っても挨拶もしないようで、近所の方からはご指摘を受けた。

Dsc02390 17時から柏崎準倫理法人会の「平成18年度倫理経営講演会」の準備。18時から講演会がはじまった。入場者は、会場いっぱいの100名以上。受付などをしている間にあっという間に講演が終了したので、一部、聞くことができなかったが、レストランを閉店してのチーズケーキ専門店「ダンテ」での成功をお話になった國武建明氏の熱さは伝わった。また倫理研究所法人局の中西浩局長のお話は相変わらずの面白さで、個人での負債では日本一、借金王を商標登録した3000億円「借金王」の小島虎之助氏のエピソードなどで会場を笑いと納得の雰囲気にしていた。

Dsc02402 講演会終了後、懇親会。参加頂いた市内の経営者はもとより、市外の経営者の皆さんとも情報交換をする貴重な機会である。
 各業界の話をお聞きしたが、共通したことは、新規採用の難しさ。こんなことがあったそうである。始業時間が8時30分の場合、これまでの感覚であれば8時30分には作業服や仕事着の姿になっていて、仕事をスタートする。しかし、最近は8時30分ギリギリに会社に来て、それから着替えなど身支度をするという。女性経営者の方はそれを新入社員に指摘したところ、翌日、本人が親と一緒に就業時間についての文句を言いにきたそうで、「はい、じゃあ、こなくていいです」と対応したそうである。何か間違っている。根本原因は教育ではないだろうか。

 22時、自宅に戻る。

2006年6月19日 (月)

日本のアニメ、漫画を警戒?

Cro ブログの書き込みなどで3時、就寝。8時、起床。何気なく、フジテレビ系の「とくダネ!」を見ていたら、十日町市の庭野茂美議員が奥さんと一緒にクロアチア応援隊として写っていた。十日町市はクロアチアのチームがキャンプを行った地でもあり、地元民とも友好が深い。

Dsc02380 9時、朝食と昼食用の梅干のおにぎりを握る。里芋、にんじんなどの煮物と小粒納豆、おにぎり1個で朝食。今回、手間を惜しんでしまい、既にむいてある冷凍の里芋を使ってしまったが、輸入であることを考えると、本当はあまり使いたくないものだ。

Dsc02383 10時から建設企業常任委員会。今回大きな議案はないが、刈羽村からの水道の申し入れについての報告があった。旧西山町に水道を供給するために、刈羽村を通るが、そこで融通をしてほしいとの申し入れである。人道的には水を渡さない、ということはできないが、これまでの合併に関する協議や、ダム開発への刈羽村の参加・撤退などの経緯を考えると、費用負担の問題もあり、「はい、そうですか。じゃあ、どうぞ」とは素直にいかない案件である。
 また、今年から気象予想サービスを契約することになったので、柏崎市内、5kmメッシュでの天気予報が分かるようになった。

Dsc02381 おにぎり1個とお茶で昼食にし、市役所内での相談。独り暮らしで身寄りのない老人や親族との関係が芳しくない方の施設への入居など、保証人の問題がでてくる。基本的に公的な施設であれば、最低でも親族からの保証人は必要になってくるが、この点が実態と合わない部分もでてくる。

Dsc02385 19時から産業文化会館で西川勉県議の後援会地区会に出席。乾杯の音頭をとることになったので、満州柏崎村のことを紹介しつつ、乾杯の発声をした。
 御年83歳の亡き祖父の知り合いの方がおり、戦争中のお話を色々と聞く。また、別の方からは、悲惨な満州の終焉とともに、近代国家としての満州が成立したときの興奮の体験を聞くことができた。
 ほとんど食べることなく、酒を注ぎつ注がれるで、相当量のビールと日本酒が胃袋に入った。

 色々なお誘いを受け、23時過ぎ、自宅に戻る。

 先日、こんなニュースがあった。


平成18年6月6日 北京「共同通信」

中国で日本アニメに警戒論
 「歴史」回避狙うと指摘も

 日本のアニメや漫画が人気の中国で、アニメなどを通じた日本の文化輸出で若者の歴史観や道徳観がゆがめられてしまうとの警戒論が浮上している。中国紙、環球時報はこのほど「日本漫画を警戒せよ」と題した特集を掲載。ウェブサイトでは「日本がアニメで若者の目を歴史問題からそらそうとしている」(南方網)との指摘も出ている。
 麻生太郎外相が最近、日本の漫画やアニメの海外普及促進を訴えたことに中国側が“過剰反応”した形だが、冷却化した日中関係が続く中、日本文化への風当たりが強まる可能性もある。


 「日本がアニメで若者の目を歴史問題からそらそうとしている」という指摘には、コメントする気も無くなる。反日暴動があった際、日本の漫画を扱うようなところは標的にされなかったというが、先日、ハルビンに行った際に行った本屋さんでも『スラムダンク』『ドラゴンボール』をはじめ、日本の漫画が置いてあり、もちろんのことパクったパチ物漫画もしっかりとあった。
 井上和彦さんではないが、是非、中国には、アニメンタリー『決断』を輸出していただきたい。

2006年6月18日 (日)

渡嘉敷島・強制自決の嘘

F1000001_26  ブログの書き込みや資料整理に集中してしまい、6時就寝。10時、起床。絹さやと若布の味噌汁と、たたき梅と干し納豆を具にしたおにぎりで朝食。甥っ子が泊まっているので、一緒に食べる。

Cc  12時30分過ぎから弔問。30歳で満州に渡り、激動の戦中、戦後を満州の地で過ごし、50歳で日本に戻ってきたという、壮絶な人生。中国のお孫さんには、最後まで田舎出身だから中国語があまりうまくない、とお話になっていたそうである。お孫さんの見送りの言葉に会場は涙に包まれた。

F1000001_27 14時、ケンタッキーのツイスターを差し入れにもらったので、これで昼食。トルティーヤで巻いてあるので、いつも期待してしまうが、やはりビリ辛のチリソースがほしい。
 15時、来客があり、なぜか盛り上がったため、ビーフジャーキーや花豆でビールを飲み、18時まで懇談。

Cro  酔った勢いで資料を作りつつ、ワールドカップサッカーも見る。盛り上がるシーンが多々あったものの、結局、日本vsクロアチアは「0-0」の引き分けとなった。
 次回のブラジル戦では勝利するしかない状況であるが、とにかく頑張ってほしい。

 先日、別の番組を収録し終わった南西諸島安全保障研究所の奥茂副理事長にお会いする機会に恵まれた。奥茂副理事長からは、沖縄戦での日本軍人の強制による民間人の集団自決について、当時の生存者からも証言を集めており、歴史の見直しがはじまっているとお聞きした。
チャンネル桜『日本の息吹』
 現在、裁判にもなっているが、これまで沖縄戦における民間人の集団自決が「軍による命令」であると出版物で書かれてきた。実際の教科書でも以下のように記述されている。

日本書籍新社『中学歴史』
「日本軍にスパイ容疑で殺されたり、『集団自決』を強制されたりした人々もあった」
「軍は民間人の降伏も許さず、手榴弾をくばるなどして集団的な自殺を強制した」

東京書籍『高校日本史』
「戦陣訓によって投降することを禁じられていた日本軍では、一般住民にも集団自決が強いられたり、スパイ容疑や戦闘の邪魔になるとの理由による住民虐殺もおこった」

三省堂『高校日本史』
日本軍に『集団自決』を強いられたり、戦闘の邪魔になるとか、スパイ容疑をかけられて殺害された人も多く」

実教出版『高校世界史』
日本軍によって集団自決を強いられた人々やスパイ容疑・命令不服従などを理由に殺された人々もおり」

桐原書店『高校日本史』
「犠牲者のなかには、慶良間諸島の渡嘉敷島のように、日本軍によって『集団自決』を強要された住民や虐殺された住民も含まれており」

 この情報の元となったのは、沖縄タイムス社『鉄の暴風』であり、この本を元にした大江健三郎著『沖縄ノート』、家永三郎著『太平洋戦争』がこれに続いた。
 実際には、島の長老と生存者が遺族のためを思い、国の補償を視野に入れた「善意からの」口裏合わせだったという。

2006年6月17日 (土)

議員定数、議会に機動隊:テポドン2号発射か?

F1000002_14 3時、就寝。7時、起床。残り物の飛び魚の天麩羅、大粒納豆をご飯にのっけ、特製の丼のたれをかけた天麩羅納豆丼と蜆の味噌汁で朝食。かっこむように食べたのち、相談があるとのことで昨日連絡をもらった某施設に行き、面会。

F1000004_8 14時、自宅に戻り、甥っ子が昼食の際に残した蕎麦や冷やご飯に、引き割り納豆を入れ、卵でまとめて、お好み焼き風にして昼食にする。入れる野菜がなかったので、野菜ジュースを2本。

 食べている際、市議会議員定数削減についての電話をもらう。次期選挙は現在の定数33名から30名に削減しての選挙となるが、もう2~3名ほど削減すべきとこれまで有志の議員で議論をしてきた。
 次回も市議会議員選挙にでるなら定数はそのままの方がいい(「アンタ、落ちるよ」の意)、というご忠告を頂くこともあるが、仮に次回選挙に出馬したとしても、自分が当選しようが、落選しようが、定数は削減すべきと、これまでも主張してきた。一般質問もしない、議論もしない、態度を明確にしないことが「正しい」とされるようであれば、未来はない。本当に活動する議員を選択するためにも、議員の定数を下げることが必要と考える。

 16時から新潟市に向かう。新潟市内で打ち合わせ。白熱したため、打ち合わせが長引き、懇親会を兼ねて先方の事務所でオーブルをとる。22時、帰宅。

Kidou  長野元助役の叙勲祝賀会には出席できなかったため、お祝いの電報の花束を届けた。長野元助役には亡き父もお世話になったこともさることながら、柏崎への原子力発電所の誘致をはじめ、これまでの市政へのご努力にはただただ頭が下がる思いである。昭和52年10月4日の原子力発電所立地に伴う、市有地売却決議では機動隊も入ったほど、荒れた柏崎市議会であった。

 新潟市の事務所での懇親会でも話題になったが、北朝鮮がアメリカ本土まで届くと言われている「テポドン2号」の発射準備をしている。「テポドン2号」は弾頭を除き、発射台に装着され、周辺には液体燃料を注入するタンクが用意されている。テポドン2号を発射するためには、液体燃料を8時間ほど注入しなければならないので、実際に発射するか否かは別として、液体燃料を入れる行為自体も政治的な駆け引きに使われる。
 「核は威嚇においてのみ、最大の効力を発揮する」がまだ通用するとすれば、これまでの北朝鮮の「核」というカードの使い方は有効に使われており、「ゴネ得」であった。
 今回の「テポドン2号」という選択にはアメリカとの綱渡りの駆け引きが絡んでいる。
 昨年、アメリカはマカオにある銀行バンコ・デルタ・アジアに対し、北朝鮮のマネーロンダリングの場になったとして、アメリカの銀行との取引を禁じており、北朝鮮によるドル札偽造や麻薬密輸の証拠を挙げ、金融制裁を続行している。
 アメリカとの駆け引きに「テポドン2号」を使おうということであるが、アメリカは日本とは違い、いざとなれば武力制裁も辞さない。損得勘定を間違えないことを願う。

2006年6月16日 (金)

柏崎ワインの健闘:商業の話どこに?

 ここ数日に届いた満州関係の本を読み耽り、4時就寝。7時過ぎ、高校の恩師からの電話で目覚める。日本へアメリカンフットボールが紹介されて以来、プレイヤーとして指導者として普及にご尽力され、息子さんも日体大でアメリカンフットボールの指導者として活躍されている。9時過ぎまで、かなりの長話になってしまった。

Dsc02375 黒酢を入れた小粒納豆での納豆ご飯、じゃが芋と玉ねぎ、若布の味噌汁、バンバンジーで朝食。最近、味噌汁の味噌を米麹の白味噌にしているが、たまには豆味噌、麦味噌の味噌汁を飲みたくなる。納豆も同様であるが、具と味噌の組み合わせを順番に食事のなかで試していったら、一生かかるであろう。

Dsc02376 10時から文教経済常任委員会。
 教育委員会からの報告事項のなかに、別俣小学校の保存問題があった。やる気のある地元の8名の方々に校舎を貸付をし、仮に10年以内に市に返還することになったら、市の方で解体費用をだすというプランである。柏崎市に唯一残った木造校舎を使って、農業体験施設にする予定で、建築基準法、消防法に合わせる工事をやるだけでも約850万円、8名の方で1000万円の資金を用意し、スタートするという。リスクを負いつつも、やる気のあるまちづくり、是非、頑張っていただきたいと思っているが、これまでにないやり方であり、良い事例となってもらうためにも、ルールをどう決めるかが今後の議論となる。

 12時過ぎ、昼休みとなるが、色々な申請などの頼まれごとがあったので、昼食抜き。午後からも委員会。
 柏崎ぶどう村の経営状況の報告があった。とにかく削れるものは削っての経営改善と営業努力はヒシヒシと伝わってくるものがあった。マスコミ戦略と東京での「新潟」「越後」を売りにするお店への営業などでは協力できるので、その旨、質問というかたちでご提案をした。柏崎の雪を詰め込んだ氷結ワインを夏に出荷するなど、とにかくアイデアと実行力で頑張ってほしい。もちろんのことながら協力もしていきたい。

 16時過ぎ、事務所に戻ってから市内での雑用。本来であれば、今日から会合、打ち合わせのため、東京に行く予定であったが、時間的に移動が無理になってしまったので、キャンセルさせてもらう。17時から来客があり、越後もち豚の串を頂いた。

 今日、発行となった『柏崎日報』を見ると昨日の一般質問の質疑応答の概略が掲載されていた。しかし、改正道路交通法に関しての質問は、福祉関係のことだけで、商店街などの商業関係への影響、そして市長答弁の「警察の手心」は掲載されていなかった。【色々】あるのであろう。

 18時過ぎ、納豆や味噌などの関係で付き合いのある某グルメ雑誌の担当者に連絡をとり、ワインを送るので率直な感想を教えてもらうようお願いした。金曜日の退社時間?間際で、申し訳ないような気がしたが、これまでの経緯や応援したい旨を伝えた。

F1000001_25  21時、昼食兼夕食。頂き物の越後もち豚と、鶏ももの照り焼きで肉もの続き。

2006年6月15日 (木)

一般質問:貧困な発想のまちづくり

F1000004_7 3時、就寝。7時、起床。家の前がすっかりゴミだらけになっていたので、片付ける。空き缶やゴミが自転車やバイクの上に置かれ、車のワイパーのところにも、しっかりと袋などが挟み込まれていた。
 事務所で育てた貝割れ大根の味噌汁と、からしマヨネーズを入れた大粒納豆の納豆ご飯で朝食。

Dsc02369 9時30分過ぎに市役所に移動。 10時から本会議、一般質問最終日。トップバッターである。お約束の自衛隊ネタとして、風の陣の自衛隊ブースへの2万5千人もの来客や護衛艦への応募申し込みの多さ(3倍以上)などを紹介したのち、原子力発電所は自衛隊が防衛すべきと結ぶ。
 質問の最初は、「改正道路交通法の影響について」として市長への一問一答。切り口は色々あるが、福祉商業、特に中心市街地の商店街への影響を切り口とする。
 福祉に関しては、NPOや自前の車を使ったちょっとしたボランティアなど、善意から発した活動で駐車違反となるケースなどが今後考えられるので、

*改正道路交通法の施行に先立つ4月26日、高齢者や障害者などの生活を支援している全国の福祉系NPOのネットワーク組織、NPO法人市民福祉団体全国協議会は、「歩行困難者を輸送するための車両(福祉有償運送車両、ボランティアによる移動サービス中の車両)が、歩行困難者を移送介助する間は、駐車違反の対象外としてほしい」と厚生労働省に申し入れを行っている。
 また厚生労働省老健局振興課によれば、「6月1日からの道路交通法の改正によって、具体的に福祉の現場にどのような影響が生じるのか、また、各都道府県の公安委員会でどのような対応をしているのかなどの情報や事例を収集している。

こういった場合の免除の手続き、申請など、市民活動支援課あたりでご案内をしても良いのではないか、という質問に市長の答弁は、

 「それぞれ警察で各自にやってもらう・・・」

 それだけの答弁。「・・・・・・・ほう、そうですか」と力が抜ける。これも、申請まで代行して市民活動支援課の職員がやれと言っているわけでもなく、ワン・ストップ・サービスとして、一貫した情報提供をし、市民活動を応援してみてはと言っているところに、この答弁。市民の声をよく聞くとは言うが、議員の声は市民の声ではないようである。
 次の切り口である、商業という観点を質問すると、

 「それは市長が警察に行って、
  手心を加えてほしいと言うだけにしか聞こえない。
    そんなことはできるわけはない」

 ・・・・・貧しい発想とはこの事である。
 柏崎の中心商店街、特に今回重点地区とされた西本町1、東本町1、駅前などは、車をちょっと停めて買い物をするケースは多く、特に冬場は雪もあり、その傾向は顕著である。現時点でも、複数の商店街の方から、お客さんが駐車違反を怖がって来店しない、商品の搬入もやっかいになった、このままでは商店街は沈没するなどの声をお聞きしていた。だからといって、すべての駐車違反を見逃せと言っているわけではない。まちづくりの観点から、県警と駐車禁止区域の設定の確認や、対面通行から一方通行への変更(由布院の例)、駐車場の整備状況の確認など、中心市街地の交通体系の根本的な見直しを含めて、大きな視点での質問をしているのである。
 コンパクトシティをうたい、中心商店街の活性化を叫ぶわりには、その点の発想がまったくない。再度、

 「別に、市長から県警に行ってもらって、
    駐車違反をすべて見逃してくれと言え!
            と主張しているわけではない。」

と言っても、

 「手心を加えてくれと
    市長が言いにいくのは適切ではない」

との再答弁。商店街などの商業関係者の声は聞かないのであろうか。力が全身から抜ける感じがし、駐車区域の設定とまちづくりの質疑応答はせずに、次の質問にすることにした。
 本来であれば、商業関係の切り口の後、質疑応答の広がり具合で、観光面としてイベントの際の駐車場問題にも切り込もうと思っていたのである。直近では、花火大会があり、この状況では花火を楽しく見た後、駐車違反となり「もぅ、柏崎になんか来るもんか!」というケースが容易に予想できる。観光客を迎える柏崎市としての「おもてなし」の精神が問われるであろう。実際には、市内の市有の空き地を利用してのパーク&ライドや、道路を一時閉鎖しての駐車場化などの対策は考えられるはずである。
 だいたい、議会の公式の場で、「見逃しなどの手心を加えるよう警察に行く」などという答弁を期待するわけはない。やる気を失わせる答弁では、かなりの実力

Man  2つ目の質問、「満州柏崎村の語り継ぎ」については、教育委員長から満州柏崎村に特化して教えることはしないが、満州のことを語り継いでいきたいとの答弁があった。
 満州全体の事になると、何かと関東軍が開拓団を守りきれなかったことによる悲劇が話題の中心となる。それを伝えることはもちろん重要であるが、日本人の中だけの議論であり、日ソ中立条約(昭和21年4月11日まで有効)を一方的に破ってのソ連の参戦、軍人が民間人を狙うという卑劣な部分もしっかりと伝えるべきであろう。また実験国家・満州での知見が戦後の日本にどのように活かされたのか、客観的に見つめることも歴史に対する真摯な態度である。「光」と「影」の両方を伝えることが歴史教育と考える。最後は、良寛和尚の句から、歴史を伝えることをこう結んだ。

 「裏を見せ、表を見せて、 散るもみじ」

 現在、柏崎市内にある満州柏崎村のことを伝える碑は、赤坂山にある「満州柏崎村の塔」、そして柏崎青年会議所で設置した「まちしるべ」である。柏崎青年会議所の「まちしるべ」は10年をかけ、この6月で全50基を柏崎市内に設置した。柏崎成年会議所の中でも賛否両論はあったが、設置した以上、この「まちしるべ」を活用することが、地元を愛する子供の教育や観光の活性化に役立つと思う。今回の質問内で触れ、紹介させてもらった。

 3つ目の質問は、「教育現場におけるジェンダー意識について」である。ジェンダーという言葉は好きではないが、答弁しやすいようこの言葉を選んだ。平成17年11月1日付で文部科学省初等中等教育局児童生徒課から県教育委員会に「学校における男女の扱い等に関する調査について」という文書が発信され、新潟県教育委員会からは18日付けで柏崎教育委員会に発信があった。これは、教育現場での男女の扱いの調査であり、男女同室の着替えや、男女の「さん」呼びの統一などの質問項目があった。
 答弁のなかで、柏崎市内でも高学年での男女同室着替えの事例があり、改善するよう通達したという。また、「さん」呼びの統一については、80%近くの学校が採用をしていた。柏崎市内では無かったようだが、全国のなかには先生まで「さん」で呼ぶような学校がある。先生と生徒の関係もなく、これで基礎教育を教え込むことができるとは思えない。
 男の子への「くん」呼びをやめ、「さん」に統一することが、男女同権の一歩という考えからであろうが、これは日本語文化の破壊でもあり、またこんなことが本当の意味での男女の同権につながるとは考えられない。小手先のことである。
 私の世代では、男の子は「くん」、女の子は「さん」であり、世の中にでたら、男性でも敬意を込めて「さん」と呼ぶと教わってきた上、実践もしている。答弁では、「議論のあるところ」といった程度であったが、一度、新潟県議会でも問題となり、新潟県教育委員会・義務教育課長のこんな答弁がある。

 「男女別名簿でも、男子の『くん』づけでも
 男女平等教育は進められ、意識を育むことができる。
 混合名簿・男子のさん付けは、各学校が進めたこと。」

 男尊女卑でもなく、男女の権利や機会(チャンス)を同等にすることには、まったく同感であるが、男女混合名簿にする、「くん」呼びをやめることは、本質的な事ではない。
 12月議会には男女共同参画の条例が採決にかけられるが、こういった点で議論を深めていきたい。

Dsc02374_1 12時過ぎ、本会議が終了。会派室で「割烹おくい」(電話:0257-24-6486)の弁当を食べながら、会派内の会議。おかずが多く、鯛の刺身までついているので、ご飯が足りないほどである。
 1年で交代となる人事や視察と今後の政策提案を話し合う。
 政策提案では、全国で話題となっている青森県のコンパクトシティを視察し、柏崎のコンパクトシティ構想についての議論をすることなった。
 今年度の議会運営委員会のメンバーになることも決まった。

F1000005_6 15時、長岡に行き、打ち合わせ一件。えんま市や帰宅ラッシュで道路が混んでおり、18時過ぎにやっと自宅に戻る。
 従兄弟が来ており、ポッポ焼きをはじめ、お好み焼き、たこ焼きなどかなり多くの食べ物が食卓に並んでいた。作っている裏側を見ると、なかなか食べづらい系のものであった。
F1000006_6 えんま市で買ってきたという牛筋煮込み、大きな卵を抱えた飛び魚の塩焼きで夕食。飛び魚の卵は初めて食べたが、身が淡白なのに対し、かなりの濃厚さであった。プチプチ感もいい。

2006年6月14日 (水)

世界のトイレを綺麗に!鍵山秀三郎会長

 1時近く、急遽、お誘いの電話があり、何回か断るも断りきれず某スナックへ。3時、帰宅。すっかり体がタバコ臭くなってしまったので、風呂に入ってから4時、就寝。

 熟睡してしまい、9時に起床。あわてて着替え、市役所に向かう。10時から本会議一般質問の2日目。

Dsc02363 12時、昼休みとなるが、朝、仕事ができなかった分、市役所を一回でて、市内をまわり、雑用を済ませる。食事をとる時間がなくなってしまったので、またも売店で「新ホームラン軒 野菜タンメン」と「調整豆乳」で昼食。カネボウがカップ麺事業から撤退したため、現在は加ト吉が引き継いでいる。

 「オメーに食わせるタンメンはねぇー」(次長課長)

 午後からも一般質問。

F1000003_13 16時過ぎ、自宅に戻るもえんま市が始まったことで、周りが騒々しい。明日の一般質問に向けての最終の調査をしようと思っていたが、えんま市ついでに事務所に寄ってくださる方が多く、何人かと話し込む。
 19時、母が作ったハンバーグをもらい、妹の嫁ぎ先から頂いた飛び魚を塩焼きにして夕食。

Dsc02378 長岡掃除に学ぶ会でもご指導いただいたイエローハットの鍵山秀三郎・掃除に学ぶ会会長からお手紙と「座右の銘」を書いたカレンダーを頂戴した。これまで日本のみならず、アメリカ、ブラジル、中国、台湾のトイレを綺麗にしてきたそうで、インドの提案をしたことから話が広がった。4月にインド訪問をした関係もあるので、是非、実現できるようご協力したい。
 また鍵山会長の靖國神社に対するお気持ちを書いた文章も頂戴したので、以下にご紹介したい。


靖國神社参拝に思う

    イエローハット相談役・鍵山秀三郎

真摯で心穏やかな人々
 8月15日午前、靖國神社に参拝しました。
 炎暑にもかかわらず、社殿の遠くから幅広い行列
が続き、神前に至るまでに50分かかりました。列
に並ぶ人たちは、『狂信的な愛国者』ではなく、
穏やかな表情をした普通の人ばかりでしたから、
50分は苦になりませんでした。老いも若きも
いました。両親に伴われた少年少女もいました。
 昭和19年9月、満11歳まで私は靖國神社の
すぐ裏に住み、神社の境内が通学路でした。西の門
が閉じられてからは、神社の南や北側を通うように
なりました。本殿の横の位置で往きも復りも帽子を
とってお辞儀をすると、子ども心にも何かとても
いいことをしたような気持ちになりました。都電に
乗っている時にも、一口坂と九段上の中間にある
神社に向かって、一斉に頭を下げるのが常でした。
それは理屈ではなく、亡くなられた方々の御霊に
頭を下げて礼を尽くすのは、人として当たり前の
ことだからです。手を合わせて頭を下げれば、自ず
から敬度な心になり、穏やかな暮らしをすることに
つながります。
 人を評価するには、いろいろな尺度や物差しが
あります。富の大小であったり、学歴・地位・知識・
技能の多寡で分けたり、人格の高低で測ることも
あります。
 靖國神社参拝を通して感じたことは、祀られて
いる御霊に頭を下げる人たちには、すべて穏やかな
暮らしを感じる人ばかりだということです。この
方々は声高に権利を主張したり、むやみに人を誹謗
したりしない人だと思いました。

神様に自然に頭が下がるような生き方を
 一方、靖國神社を軍国主義の象徴として戦争への
道へ導くかのように非難する人たちは、常に何事に
おいても自己の権利を主張し続けていると感じます。
自分の主義と権利にとらわれて、他の人たちの
考え方や真の自由への配慮が全く欠落しています。
 自分の主義として何を持つかは自由です。趣味
や食物の好みが自由であるのと同じです。しかし、
好みの違う人に自分の好みを押しつけることが、
相手にとって迷惑であるのと同じように、他の人に
その思想や主義を強要するのは、許されないこと
です。このような強要をする人に限って、自分の
主義を金切り声で主張し、大方の人々の平穏な
暮らしを妨げています。
 自ら額に汗することなく、自分は権利を主張する
だけで、誠実な道を歩む人たちを、誤ったほうに
扇動しています。軽率に扇動に乗った人こそ不運
であったと思います。私も若輩の頃、先輩から甘言
で誘われたことがありましたが、断ってよかった
と思っています。
 私は一人でも多くの人に靖國神社への参拝をして
ほしいと願ってはいても、無理に勧めたり、強制
したりすることはありません。しかし、誰かに参拝
を止めるように強制されても止めることももません。
まして、他国からの謂れのない強要を受けても
屈することもありません。
 8月15日だけでも25万5千人もの人々が参拝
をしたと新聞に報じられていました。この方々が
誰からも強制されて来た人ではないことを、参拝者
の穏やかな表情が証明していました。
 当日は、靖國神社境内にある遊就館に行きながら、
神社を参拝しなかった政治家もいました。嘆かわしい
ことです。また、他国からの中傷や誹諸の尻馬に
乗って靖國神社への非難をするマスコミや名前だけ
の知識人を自称する人たちは、8月15日に参拝
された多くの人々の真摯な姿から、自らの過ちに
気づいてほしいと思います。
 靖國神社に限らず、神様に自然に頭が下がる
ような生き方をする人が多くなれば、国家の治安
は良くなると思います。

2006年6月13日 (火)

公開:6月12日本会議

F1000001_24 2時、就寝。7時、起床。メールを書いたり、年配者から頂いたお手紙への返事など書いているうちに9時を過ぎる。甥っ子がきたので、一緒に納豆巻きを作って食べようと思い台所に立つと、甥っ子が自分でもやりたいという。手を洗わせ、甥っ子にも納豆巻きを作られてみた。「上手、上手」とほめると、得意気にもう一本作ろうとしていた。

Yama 「やって見せて、言って聞かせて
 やらせて見て、
 ほめてやらねば、人は動かず」
            山本五十六

Dsc02362 10時から本会議、一般質問の一日目である。
 来年4月から予定されている一般家庭ゴミの有料化について、13人中5人が取り上げている。
 有料化の前にやることがあるのではないか、という意見が議員側から多く、荒城議員の「有料化を考えるこの時期をチャンスととらえ、ゴミ自体の減量化に取り組むべきではないか」という点はごもっともであった。
 一般家庭ゴミの有料化は市民の皆さんの関心も高く、各地区での説明会への出席者数は3000名を越えた。ゴミの減量を議論する良いチャンスである。

Dsc02361 12時、電話での対応や相談のお客様などがあり、昼食を食べるタイミングをはずしてしまったので、売店で「おにぎり 梅かつお」、「でかまる 鶏だし ちゃんぽん」を購入し、急いでかっ込む。

 13時から議会が再開、一般質問が続く。

F1000002_13 議会終了後、打ち合わせを2件を行う。19時、自宅に戻り、国産牛てっちゃんを焼いて、ビールとともに夕食。おろしたニンニクをたっぷり入れ、てっちゃんの脂肪からでる脂のみで焼く。最後にオイスターソースなどで味つけをし、最後に刻み葱をたっぷりのせた。

 昨日の本会議での市長とのやりとりを本ブログに書いてから、メールでの抗議やら街中で会った方からの反応があった。共通した意見は、「市長がそんなことを言うはずがない」「三井田が捏造している」というもの。これまでの議論の根底をなしていた、トルコ共和国から贈られた事自体が、市長いわく、「そう言えるのか」であって、質問した私も驚き、また答弁側である市長が私に質問したことも驚きであった。
 以下にその模様を公開する。


<提供>柏崎市議会 9月議会より中継予定
*本会議全部の掲載は容量の関係でできませんので、発言をそのまま引用しています。なお、発言内容の加工・捏造はありません。

 論法はこうである。

 「トルコ大使から、これまでアタチュルク像については、
 どうしてほしいなどと言及はなかった。
 これは柏崎市政で決めることであり、
 トルコ大使を巻き込もうとするのは、どうかと思う。
 アタチュルク像はトルコ共和国から贈られたものか
 どうかも分からないので、売ってしまっても問題ない。
 トルコ共和国とは友好を保ちたい。」

 もちろん、私もこれは柏崎市政で決める話であり、トルコ大使に決めてもらおうなどとは言っていない。外から見たらこれは大変おかしいことである上、口で「友好」とは言うが実際にどうするのか、を問うているのである。映像を見てご判断頂ければと思う。

2006年6月12日 (月)

アタチュルク像、どこからもらったか不明?

F1000001_23 6時、起床。今日から6月議会が開会となるので、議案に目を通す。大粒納豆で作った麹漬け納豆で納豆巻きを作って食べるも、どうも納豆を入れ過ぎ、かぶりつくたびに反対側からムニュウ~と納豆がでてしまう。

 9時30分過ぎ、市役所に行き、会派内で若干の打ち合わせ。

 10時から本会議。議会初日であり、助役からの概略的な議案の説明及び質疑応答である。
 柏崎トルコ文化村関係は、「議第73号 平成18年度一般会計補正予算案(第2号)」の売却して民間からの入る収入1億4000万円、売却することによって、国に返還しなければならない電源立地特別交付金の返還金1億1421万6000円。そして、財産の減額譲渡に関する「議第85号 財産の減額譲渡について(土地、建物及び構築物)」。なぜ減額譲渡かといえば、柏崎トルコ文化村の評価額は約16億円であり、その価格より下げて売ることになるからである。本来であれば、市民のためにも1円でも高く売ることが自治体の役目でもあり、10分の1以下の値段、しかも取得した際の金額を基準に設定した点も説明不足と思われる。柏崎市がRCCを経由して1億5000万円で柏崎トルコ文化村を取得できたのは、購入者である柏崎市が地方自治体であり公共性があるからで、民間などであれば簿価に近い金額か、少なくとももっと高い金額での取得になったところであろう。
 さらには、取得の際の議決では、費用は一般会計から支出と説明されていたにも関わらず、実際には原子力関係の交付金を充当していた点など、この辺は私が議員となる前の議会での議決事項であり、2期目以上の先輩議員にお願いしたいところである。
  「議第73号」の説明のあと、質疑応答となったが、市長から以下のような答弁があった。

 「6月6日、ウェステック・エナジー社の社長と一緒にトルコ大使館に行って来た。これまでも4回ほどトルコ大使とは話し合っている。トルコ大使から今後の施設についてのお訊ねがあったが、民間会社として現在の建物を生かしたいと答えたところ、大使は素晴らしい計画と言われた。ただし、6月議会での議決が必要であることも申し添えた。これまでトルコ大使側からアタチュルク像についての問いかけはなかった。数日前に、4~5人程度の地方議員が、地方議員の団体の署名をもって、トルコ大使館にきたようだが、柏崎市の市政にトルコ大使を干渉させようとすることで、トルコ大使も迷惑がっていた。

 議会の公式の場で、こちらから何も言っていないのに地方議員の団体がうんぬんと話すことには驚かされた。「陰謀」だとでも思っているのであろうか。地方議員による訪問は、何も柏崎トルコ文化村の話で訪問したのではないと聞いているうえ、別に私が同行したわけでもない
 そもそもアタチュルク像に関して、トルコ大使からどうしろ、こうしろなどと指示は無かった、というがそれは当たり前であって、柏崎市政として配慮などをして決定すべきことである。誰もトルコ大使からの指示をもらえなど、何も言っていない。

By  「議第85号」では、売却譲渡する構築物のリストにしっかりと「アタチュルク像」「アタチュルク像台座」が入っていた。
 これまでは、友好の証である「アタチュルク像」については、売却ではなく、トルコ文化村の売却先と協議、活用し、「トルコ共和国との友好を保ちたい」と市長は答弁してきたはずである。売却し、所有権も移った後、どうやってトルコ共和国との友好を保つのであろうか。詳しい議論は、今後の委員会の場でも良かったが、市長の今後の姿勢を問いただしてみると、

 「友好を大切にしたいと言っているのだから、
  これ以上の答えようはない」
 「アタチュルク像はトルコ共和国から
      頂いた物と言えるのでしょうか?」

 「
どこから贈られたのかも分からない。

・・・・・この程度の認識、絶句である。
 譲渡条件のなかにも、「トルコ共和国から寄贈されたもの」との記述があり、この程度の認識でいたのなら、本当に根本が分かっていないことになるうえ、これまでの答弁も何だったのかということになる。トルコ共和国から寄贈されたものではない、というなら、今回の公募では虚偽となる上、これまでの議会への説明も嘘ということになる。さらにいえば、柏崎トルコ文化村にお越しになられたカフラマン文化大臣をはじめとするトルコ共和国との関係も虚構であったということであろうか。
 最後には、さすがに

 「アタチュルク像がどこから贈られたものか
 分からない、という発言に関しては
        取り消しさせてもらいたい

とのことであった。
  柏崎トルコ文化村を早く売却し、市としての負担を減らすことについて異論を唱えるわけではないが、行政上の手続きやトルコ共和国への配慮に関してはキチンとすべきであろう。「売れれば何でもいい」ということにはならない。
 詳細は再度、委員会及び議会最終日の採決の場となる。

 12時過ぎに議会が終わり、他会派とも今回の柏崎トルコ文化村の件で若干の打ち合わせ。

F1000002_12 13時、自宅に戻るも来客があり、昼食を食べるタイミングを逃す。フランチャイズの加盟に関する相談で、そのフランチャイザーの情報を集めてほしいとのことであった。最近、こういった調査依頼が多い。14時過ぎ、非常食のノンフライ麺「麺づくり 鶏だし塩」で昼食。

Dsc02358 17時30分から柏崎ベルナールで、議員永続表彰パーティに出席。小池議員の35年をはじめに今井議員、五十嵐議員、本間議員の15年の表彰であり、小池議員の選挙初出馬の昭和46年といえば私もまだ生まれていない。今回、全国議長会からの表彰のなかでも、35年は小池議員だけだったとのことだ。選挙を行うこと9回、凄いことである。
Dsc02360 パーティは市長部局、議員、議会事務局で、会費制で行われた。
 2次会など遅くまであり、23時過ぎ、自宅に戻る。

2006年6月11日 (日)

小野田寛郎氏:従軍慰安婦の正体

F1000007_3 1時、就寝。9時、起床。さすがに徹夜&東京日帰り運転が効いたのか、目が覚めたら9時過ぎであった。冷蔵庫をあけると朝食の材料がないので、仕方なくイカの塩辛で海苔巻きをつくり、納豆汁とともに朝食。

 今日の予定は結構つまっているので、気合を入れて家をでようとしたところ、祖母の具合が悪いことがわかり、昨日、母が家にいたので、今日は自分が家にいることになった。

F1000008_3 12時過ぎ、スパゲティを茹で、ビン詰めの雲丹の塩漬けを使った海鮮パスタを作り、祖母の昼食にする。最近の祖母は、午前中や機嫌の良いときには外の散歩も大丈夫であるが、午後やちょっと気分がすぐれない日は外にはだせない状況である。プライドがあるため補聴器も入れないので、余計、情報が入らず悪循環のような気がする。

Dsc02357 事務所の整理や新聞のスクラップなど事務仕事をしているうちに、昨年末にもらった匿名の手紙がでてきた。従軍慰安婦を否定するのか否か、という変な手紙で差し出し人もなく、日本の反省をしていくべき、といった内容であった。
 私としては、慰安婦はいたが、強制連行などがあったとされる従軍慰安婦はいないという立場である。
 閉店間際のスーパーで買ってきた半額となった「鯛の刺身」「海老フライタルタルソースがけ」「巻き寿司」を食べながら、小野田寛郎氏が『正論』1月号で書かれた「私が見た従軍慰安婦の正体」 を読んだ。以下にその内容をご紹介する。


F1000003_14 私が見た従軍慰安婦の正体

 小野田自然塾理事長 小野田寛郎

 首相の靖國神社参拝や従軍慰安婦の問題は、全く理由のない他国からの言いがかりで、多くの方々が論じているところだ。南京大虐殺と同様多言を弄することもあるまいと感じていたのだが、未だに妄言・暴言が消え去らない馬鹿さ加減に呆れている。
 戦後60年、大東亜戦争に出征し戦場に生きた者たちが少なくなりつつある現今、私は証言として、「慰安婦」は完全な「商行為」であったことを書き残そうと考えた。
 外地に出動して駐屯する部隊にとって、治安維持と宣撫工作上最も障害になる問題は、兵士による強姦と略奪・放火である。そのためにどこの国もそれなりの対策を講じていることは周知の通りである。
 大東亜戦争時、戦場には「慰安婦」は確かに存在した。当時は公娼が認められている時代だったのだから至極当然である。
 野戦に出征した将兵でなくとも、一般に誰でも「従軍看護婦」と言う言葉は常識として知っていたが、「従軍慰安婦」と言う言葉は聞いた者も、また、使った者もいまい。それは日本を貶める為に後日作った造語であることは確かだ。
 淫らな言葉だが、中国戦線では「ツンコ・ピー」「チョウセン・ピー」と呼んでいた筈であるが、他の人の見ている所でする筈のないことだけに、仲間どうしの話はあからさまでも、公衆の面前で手柄顔に大声でこと細かに話せる者はまずいないだろう。陰で笑い者にされるのが落ちだからだ。
 そのためか「慰安所」のことも「慰安婦」のことも、公の場で自己の見聞を正確に発表する人が少ない。「ピー」は中国戦線で、兵士たちが隠語として使ったのだが、語源は中国語で戦場からの帰還兵から日本内地にも伝わっていた。曰く「ピー買い」である。
 それはともかくとして、あまり詳しいと「よく知ってるね」と冷笑されるのが落ちだろう。「では何故、君は」と私に聞かれるだろうが、幸い私はその実態を外から観察出来る立場にあったから、何も臆することなく、世の誤解を解くために発表することが出来るのだ。

■漢口の「慰安所」を見学

 私が始めて「慰安婦」という言葉を聞いたのは「慰安所」からだった。
 商社員として17歳の春、中国揚子江中流の漢口(現武漢)に渡った私は、日本軍が占領してまだ5カ月しか経っていない、言わば硝煙のにおいが残っている様な街に住むことになった。
 当時、漢口の街は難民区・中華区・日華区・フランス租界・日本租界・第一特別区(旧ドイツ租界)・第二特別区(旧ロシア租界)・第三特別区(旧英国租界)に分かれていて地区ごとにそれぞれ事情に合った警備体制が敷かれていた。
 日本兵の歩哨や憲兵、安南兵の歩哨(フランス租界)、中国人の巡査もそれぞれの場所に立っていた。日華区とは日本人と中国人とが混じって住んでいる地区で、そこに住む中国人は中華区に住む者と同様「良民証」を携帯しており、そうでない者は警備上難民区に住まされていた。
 難民区は日本兵も出入りを禁止されていて、私たち在留邦人は届け出て許可を得なければ出入り出来なかった。それだけ危険な場所だった。
 私は、仕事が貿易商だから、難民区以外はよく歩いた。ある日、汚れた軍服を着た兵士に「慰安所はどこか知りませんか」と路上で尋ねられ、一瞬思い当たらず戸惑った。しかし看板に黒々と「漢口特殊慰安所」と書いて壁に掲げていて、その前に歩哨と「憲兵」の腕章をつけた兵隊が立っている場所を思い出したのでその通り教えてあげた。映画館と同様に日華区にあった。汚れた軍服から推測して、作戦から帰ってきた兵士に間違いない。街を警備している兵士は、そんな汚れた軍服で外出してないからだ。
 私は「特殊慰安所」か、なるほど作戦から帰った兵士には慰安が必要だろう、小遣い銭もないだろうから無料で餅・饅頭・うどん他がサービスされるのだろうと早合点していた。
 ところが、私の知人が営む商社は日用品雑貨の他に畳の輸入もしていて、それを「慰安所」にコンドームなどと一緒に納入していたので「慰安所」の出入りが自由であった。彼に誘われて一般在留邦人が入れない場所だから、これ幸いと見学に行った。
 漢口の街の大通りには、ところどころ入り口の壁に「○○洞」、「○○里」と書かれた横丁がある、日本の裏長屋に相当する住宅街である。先に私が兵隊に教えた場所の名は「積慶里」であった。
 私たちは、憲兵に集金の用件を話してまず仕事を済ませた。日が暮れていたので「お茶っぴき」 (客の無い遊女)が大勢出てきて、経営者と私たちの雑談に入ろうとしてきたが追い払われた。そこには内地人も鮮人も中国人もいた(現在、鮮人は差別用語とみなされ、使われない。しかし朝鮮半島が日本統治だった当時は「日本人、朝鮮人」などと言おうものなら彼らに猛烈に反駁された。彼らも日本人なのだからと言う理由である)。群がってきた彼女たちは商売熱心に私たちに媚びてきた。憲兵は特別な事情の時以外は、部屋の中まで調べに来ないからである。
 料金は女性の出身地によって上中下がある。また、利用時間も兵士は外出の門限が日没までだから日中に限られるが、下士官は門限が長く、将校になれば終夜利用出来る。料金も階級の上の方が割高で、女性たちは当然、同じ時間で多く稼げることになる。
 半島出身者に「コチョ(伍長-下士官)かと思ったらヘイチョウ(兵長-兵士)か」、「精神決めてトットと上がれネタン(値段)は寝間でペンキョウ(勉強)する」とか、笑うどころではない涙ぐましいまでの努力をしているのも聞いた。内地人のある娼妓は「内地ではなかなか足を洗えないが、ここで働げば半年か一年で洗える」といい、中には「一日に27人の客の相手をした」と豪語するつわものもいた。

■どこにもいなかった「性的奴隷」

 ここで親しくなった経営者の話を紹介しよう。
 「内地人も出身地の異なる他の女の子も、体力的に大差がない筈なのに、内地人は兵士たちと言葉が通じるために情が通うのか、本気でサービスして商売を忘れ、健康を害してしまう。そのために送り返さねばならず、経営者にとって利益が少ない。兵隊さんには内地人ばかりで営業するのが本当だが」と本音を漏らしていた。
 私の育った街には花柳界があったので、芸妓と酌婦をよく眼にしたが、大都市ではない田舎街には娼婦はいなかった。当時は玄人女と呼ばれた彼女たちの外出姿でも一般の女性と見分けることが出来た。その目で見れば漢口の街でも同様だったが、特に朝鮮人の女たちは特色があった。というのは彼女たちは数人で外出してくるのだが、民族衣装ではなく、着慣れないツーピースの洋装のせいで着こなしが悪く、また歩き方にも特徴があって一目で見分けられた。スカートの下から下着の裾が覗いている人も多かった。なにかユーモラスだったが、そんなことに関係なく彼女たちは実に明るく楽しそうだった。その姿からは今どきおおげさに騒がれている「性的奴隷」に該当する様な影はどこにも見いだせなかった。
 確かに、昔からの言葉に、「高利貸しと女郎屋の亭主は畳の上で往生出来ぬ」というのがあった。
 明治時代になって人身売買が禁止され「前借」と形は変わったが、娘にとっては売り飛ばされた」ことに変わりはなかった。先述の「足を洗う」とは前借の完済を終えて自由の身になることを言うのだが、半島ではあくどく詐欺的な手段で女を集めた者がいると言う話はしばしば聞いた。騙された女性は本当に気の毒だが、中にはこんな話もある。「『従軍看護婦募集』と騙されて慰安婦にされた。私は高等女学校出身なのに」と兵士や下士官を涙で騙して規定の料金以外に金をせしめているしたたかな女もいた。またそれを信じ込んでいた純な兵士もいたことも事実である。日本統治で日本語が通じた故の笑えない喜劇でもある。
 ところで、その「慰安所」にどれだけの金が流れたのだろうか。これが「慰安婦」が「商行為」であった確かな事実である。私の次兄が主計将校で、漢口にある軍司令部に直接関係ある野戦衣糧廠にいたので「慰安所」について次のような統計があると教えてくれた。 
 当時、漢口周辺には約33万人という兵力が駐屯していたが、ある理由で全軍の兵士の金銭出納帖を調べた。
 3分の1が飲食費、3分の1が郵便貯金、3分の1が「慰安所」への支出だった。
 貯金をすることは、給料の僅かな兵士たちにとって嬉しいことではなかったが、上司から躾として教えられている手前せざるを得なかったのが実情だった。
 私も初年兵として一ヵ年、江西省南昌にいたが、食べたいのを我慢して貯金した。
 一人の兵士がそれぞれ三等分して使った訳ではないだろうが、人間の三大欲は食欲、睡眠欲と性欲と言われるだけに、貯金を睡眠に置き換えると全く物差しで測った様な数字である。
 ちなみに当時の給料は兵は一ヶ月平均13円程で、その3分の1を約4円として計算すると33万人で総額約132万円になる。「零戦」や「隼」など戦闘機1機の価格は3万円と言われたが、実に44機分にも相当する。サラリーマンの初任給が40円そこそこの頃だったのだから、経理部の驚くのも無理のない話である。
 以上が、私が商社員として約三年半の間、外部から眺め、また聞き得た「慰安所」と「慰安婦」の実態である。私が漢口を去った昭和17年夏以降に、漢口兵站(作戦軍の後方にあって車両・軍需品の前送・補給・修理・後方連絡線の確保などに任ずる機関) の副官で「慰安所」等を監督した将校の著した『漢口兵站』と照合してみたが、地名・位置等について多少の相違点は見いだしたが、本題の「慰安所」について相違はなく、より内情が詳しく記されていた。
 これでは誰がどう考えても「商行為」であるとしか言いようがないだろう。 「商行為」ではない、軍による「性的奴隷」であるとそれでも強弁するとすれば、知らな過ぎるのか、愚かで騙されているのか、そうでなければ関西人が冗談めかして言う「いくらか貰うてんの?」なのかもしれないが、あまりにも馬鹿げた話である。

■問題にして騒ぎ出す者たちの狙い

 次に、軍関与の暴論について証言する。
 私は20歳で現役兵として入隊、直ちに中支の江西省南昌の部隊に出征した。初年兵教育が終わって作戦参加、次いで幹部候補生教育、途中また作戦と、一ヵ年一度の外出も貰えずに久留米の予備士官学校に入校してしまったから、外出して「慰安所」の門を潜る機会に恵まれなかった。
 だが初年兵教育中、古い兵士には外出がある。外出の度にお土産をくれる4年兵の上等兵に「外出でありますか」と挨拶したら「オー、金が溜ったから朝鮮銀行に預金に行くんだ」と笑って返事をしてくれた。周りは周知の隠語だからクスリと笑うだけだった。南昌には師団司令部があった。「慰安所」には内地人も朝鮮人も中国人もいて、兵士は懐次第で相手を選んで遊んだのだろう。
 私は幹部候補生の教育を、南昌から30キロ以上も離れた田舎の連隊本部で受けた。「慰安所」は連隊本部の守備陣地の一隅に鉄条網で囲まれて営業していた。教育の末期に候補生だけで本部の衛兵勤務につくことになった。もちろん勤務は24時間である。
 私は営舎係だったので歩哨に立たないから何度も歩哨を引率して巡察に出た。巡察区域の中に「慰安所」も含まれていた。前線の歩哨は常時戦闘準備をしている。兵舎内の不寝番でさえ同様だ。鉄帽を被り、銃には弾を装填し夜間はもちろん着剣である。その姿で「慰安所」の周囲だけならまだしも、屋内も巡察し、責任者の差し出す現在の利用者数の記録を確認する。軍規の維持とゲリラの奇襲攻撃を警戒しているからである。
 考えてみるまでもない、そこで遊んでいる兵士は丸腰どころではない。もっと無防備で不用心な姿の筈である。その将兵を守るべき責任は部隊にあるのは当然だ。それに性病予防の問題もある。そんな田舎に医師や病院がある筈がない。性病予防のため軍医や衛生兵が検査を実施するしかない。 「慰安所」の経営者は中国人だったし、日本では当時公認の娼妓と呼ばれた女たちも中国人だった。彼らも食料やその他の生活用品が必要だ。大人数なのだから、それなりの輸送手段もいる。辺鄙な場所だから部隊に頼る以外方法がない。部隊が移動する時もそうなるだろう。
 私の話す湖北省の言葉も、だいたい江西省でも通じたので、経営者と立ち話をして彼女たちについてそれなりの様子も聞き出せた(勧めてくれるお茶は飲まなかったが、少々も守則違反だ)。今でも「慰安所」の両側に部屋のある中廊下を巡察した不粋な自分の姿を思い出すが、こんな漫画にもならない風景が現実にあったのだ。これは私の部隊だけではないと思う。
 もう60年も昔のことである。時代が変わり、また平時と戦時の違いもある。したがって娼妓(ここでは慰安婦に相当する)に対する解釈も当然変化している。そうであるにもかかわらず、すでに証拠も不完全になっていることを幸いに、今更これを問題にして騒ぎ出す者たちの狙いは何なのか。言えることはただ一つ、不完全だからこそ喚き散らしていれぱ、何かが得られると狙っているということだ。
 戦場に身を曝し、敵弾の洗礼を受けた者として最後に言っておく。
 このことだけは確かだ。野戦に出ている軍隊は、誰が守ってくれるのだろうか。周囲がすべて敵、または敵意を抱く住民だから警戒を怠れないのだ。自分以上に強く頼れるものが他に存在するとでも言うのならまた話は別だが、自分で自分を守るしか方法はないのだ。 軍は「慰安所」に関与したのではなく、自分たちの身を守るための行為で、それから一歩も出ていない。「異常に多く実を結んだ果樹は枯れる前兆」で「種の保存の摂理の働き」と説明されるが、明日の命も知れぬ殺伐とした戦場の兵士たちにもこの「自然の摂理」の心理が働くと言われる。
 彼らに聖人君子か、禅宗の悟りを開いた法師の真似をしろと要求することが可能なのだろうか。現実は少ない給料の中から、その3分の1を「慰安所」に持って行ったことで証明されている。有り余った金ではなかったのだ。 
 「兵隊さん」と郷里の人々に旗を振って戦場に送られた名誉の兵士も、やはり若い人間なのだし、一方にはそうまでしてでも金を稼がねばならない貧しい不幸な立場の女性のいる社会が実際に存在していたのだ。買うから売るのか売るから買うのかはともかく、地球上に人が存在する限り、誰も止めることの出来ないこの行為は続くだろう。根源に人間が生存し続けるために必要とする性(さが)が存在するからだ。 
 「従軍慰安婦」なるものは存在せず、ただ戦場で「春を売る女性とそれを仕切る業者」が軍の弱みにつけ込んで利益率のいい仕事をしていたと言うだけのことである。こんなことで騒がれては、被害者はむしろ高い料金を払った兵士と軍の方ではないのか。

2006年6月10日 (土)

番組収録:教科書で教えたい新潟県の遺産

 番組のための資料を作ったり、メールの返信などで結局、徹夜。

F1000003_11 8時、柏崎市内、上越市の2名の参加者と待ち合わせして、東京渋谷のチャンネル桜のスタジオに向かう。塩沢石内IC入り口まで、一般道を通っていったが土曜日ということもあり、かなりの混雑。予定時間より、30分ほど遅れて、塩沢石内ICで2名を拾い、関越自動車道で一路都内に向かう。さすがに空腹になり、高坂SAでクレープ「バナナチョコ生クリーム 390円」を購入。

F1000004_5 駐車場を探すのに手間取ったものの、13時過ぎにチャンネル桜の事務所に到着。昼食をとる時間もなかったが、名越先生にもお気遣い頂いて、近くのコンビニが買った牛乳「毎日骨太」、「たっぷりツナおにぎり」、「たまごチーズ」を食べながら、打ち合わせ。

Sekai 撮影する番組は、「世界に開かれた日本近現代史」の1時間番組を2本。テーマは「教科書で教えたい新潟県の遺産」である。山本五十六記念館良寛記念館など、事前にまわって資料の使用許可をもらったり、色々と用意してきたため、資料が多すぎて、削る打ち合わせとなった。取り上げた人物は、

 ・上杉謙信(上越市)
 ・良寛(出雲崎町)
 ・松田伝十郎(柏崎市)
 ・小林虎三郎、河合継之助(長岡市)
 ・生田萬(柏崎市)
 ・杉本鉞子(長岡市)
 ・斉藤博大使(長岡市)
 ・本間雅晴中将(佐渡市)
 ・山本五十六(長岡市)

であった。1時間番組とはいいながらも、CMや質疑応答の時間もあるので、一人の人物につき7~8分ほどで軽い紹介になってしまうのが残念なことである。
 収録は、順調に進み、本間中将が作詞し、今でも台湾の方に歌われている『台湾軍の歌』や第二国歌とも言われた『海ゆかば』を山本五十六元帥の撃墜された機を見つけた写真とともに紹介させてもらった。

*時間がなかったため、斉藤大使のペネー号事件や世阿弥、北一揮など取り上げることができず、心残りであった。

F1000005_4 18時過ぎ、収録が終わり、そのまま帰路につく。19時過ぎ、三芳PAで「高菜ごはん 200円」「にぼしラーメン 550円」で夕食。
 22時過ぎ、柏崎に到着し、散会。自宅に戻ってから、ビールを飲みながら、郵便物などの整理。さすがに眠いので、ビールの酔いで勢いをつけながら、頭を使わない単純作業を行う。

2006年6月 9日 (金)

転機の原発交付金

 2時、就寝。7時、起床。満州柏崎村のレポートを書き始めたが、どうしてもハルビンのところで長くなってしまい、731部隊のことにも手をつけてしまった。日本共産党が関係した文献からはじめ、関連資料を読み耽る。
 ハルビンにあった関東軍731部隊を世に広めたのは、森村誠一著『悪魔の飽食』光文社である。

 しかし、この本は、『しんぶん赤旗』の記者である下里正樹氏の取材に基づいて書かれ、「ノンフィクション作品」とされているものの、伝聞が多く、また写真も偽者が多かった。元隊員の人物から提供されたという写真を、新発見として『悪魔の飽食』の続刊に掲載したところ、その大半が偽物であることから、出版元の光文社版は続刊を含むすべての版を回収、絶版となった。現在入手できるものは、問題の写真を削除した上で、角川書店より新たに出版されたものである。しかも、証言とされている部分の文章が、整合性を持つように書き換えをされている。

Dsc02338 9時30分から弔問。11時30分から会派室で「割烹おくい」(電話:0257-24-6486)の弁当を食べながら、会派内の会議。
 これまで11名だった会派から、旧西山町選出の斎木議員、旧高柳町選出の吉川議員が離脱し、独自の会派を作ることになった。喧嘩別れではなく、議会運営上の都合からとされたが、市民の皆さんにはどう写るのか心配である。

 13時過ぎ、一度自宅に戻ったのち、上越市に移動。上杉謙信、前島密に関係する史跡や施設をまわり、デジカメで写真を撮ったり、資料の使用許可をもらう。

F1000010_2 19時、自宅に戻る。中トロの刺し身、鶉の卵を入れた中粒納豆、豆味噌を使い、蟹の卵を入れた蟹汁で夕食。口いっぱいに甘い脂の味が広がる大トロもたまには良いが、ご飯にもビールにも適度に合うのは中トロだというのが持論である。刺身に山葵をつけない方なので、余計にその思いは強い。

 今年の2月、『新潟日報』が原子力発電所に関わる交付金についての特集を行った。その通りだと思うところ、異論のあるところ、それぞれあるが、柏崎市として原子力発電所立地自治体として、交付金に対する姿勢を振り返る時期に来ているのは確かである。現在、原子力発電プラントの増設が容易にできる社会情勢ではないため、1号機をはじめ、廃炉がはじまる頃を今から想定しておかなければならない。
 原子力発電所に変わる新たな財源の<柱>を、大きな一本に求めるのではなく、細くとも多くの柱を得られるようにする必要があり、ここ数年での経済政策にかかっている。


平成18年2月3日『新潟日報』

 転機の原発交付金(上) 柏崎刈羽への波紋

 東京電力・柏崎刈羽原子力発電所1号機が稼働して
20年。本県をはじめ原発立地を引き受けた地域に
大きな恩恵を与えてきた電源三法交付金制度が転換期
を迎えようとしている。国の2006年度予算案で
見直し案が示されたためで、柏崎刈羽地域に波紋が
広がっている。同制度は、柏崎市に合併した旧西山町
出身の田中角栄元首相の発案とされ、立地地域は財政
面で潤った。一方、原発財源頼みの風潮を生んだこと
もまた否定できない。立地地域にとって三法交付金
とは何だったのか、立地地域の今後はどうあるべき
なのかを考える。

国策貢献へ地域格差
 「カネで釣る」、怒り広がる

「原発立地市町村に対する国の配慮が薄れてきている。
政策的に合うものに支援を特化しようという考えと
受け取らざるを得ない」。国の06年度予算案で
示された電源開発促進対策特別会計(電源特会)の
見直し。柏崎市の会田洋市長はその背後に、国の姿勢
の露骨な変化を読み取る。
 見直しのポイントは、原子力政策という国策への
責献度を重視し、「アメとムチ」の色合いがより濃く
なったことだ。
 「アメ」に当たるのは運転開始後30年以上たった
「高経年化」原発を抱える道県、市町村を優遇する
交付金制度の新設・拡充。今後数年間に核燃料
サイクル政策実施に同意した都道府県を対象とした
「トップランナー方式」の交付金(総額60億円)
も新設する。
 「ムチ」は、これまでは原発停止中も、動いている
として算定した交付金の「みなし」制度の厳格適用。
国が安全を確認したのに立地地域の事情で運転再開
ができない場合は交付金を払わない内容で、住民の
「安心」への配慮は薄い。
 これに対し、柏崎刈羽地域では原発への賛否を
問わず、住民から「カネをやるから国に協力しろ、
というのは地域をばかにしたやり方だ」と怒りが
広がる。

■信頼喪失

 今回の見直しは、道路特会の一般財源化など国の
財政難の中で進む特別会計見直しの一環。しかし
電源特会については「原子力政策が国の思うよう
に進んでいないことも背景にある」と識者は指摘
する。
 東京電力の原発トラブル隠しが発覚し、国や東電
が保証していたと思われていた「安全」への信頼
が裏切られたのは02年のこと。「原子力ヘの不信感
が盛り上がり、まちがダメージを受けた」。柏崎
商工会議所在職中、原発推進側に立ってきた内藤
信寛柏崎観光協会会長ですら当時をそう振り返る。
原発推進派、反対派の双方が原発全号機を停止
しての点検を求めた。
 今も地域の傷は癒えず、東電側、地元首長は
「信頼回復の途上」と口をそろえる。だがその一方
で、原子力政策大綱の決定、青森県六ヶ所村での
プルトニウム抽出実験開始など、国の原発政策
は再び動き始めている。

■巻き返し

 電源特会見直しについて、トラブル隠しの対応
に追われた平山征夫前知事は「トラブル隠し(で地
域が一体になった)騒動が国のいらいらになって
いる。国は我慢していたが、そろそろ(積極的に
原子力政策を進めても)いいだろう、と出してきた
政策だ。中央対地方という構図のなかで、中央が
巻き返しを始めていると感じる」と読み解く。
 しかし資源エネルギー庁は「高経年化と核燃
サイクルという措置を拡充していかないと、原発の
円滑な運転が損なわれる。(見直しは)地元の苦労
に報いようというもので、そろそろいいだろうなど
というものではない」と、あくまでも電力の安定
供給が狙いと強調する。
 原発立地地域への優遇制度が転換期にある中、
地方はどう原発財源と付き合っていくのか。これ
までの交付金の使い方を振り返り、今後に生かす
時期に来ているのは確かだ。

電源開発促進対策特別会計
 原子力だけでなく、火力、水力など電源確保を
目的とした特別会計。電源利用対策、電源立地対策
として発電所の周辺地域整備や安全対策などの
交付金や補助金にも充てられる。財源は電源開発
促進税で、電力会社が販売する電気に課税(1000
キロワットにつき400円)され、電気料金の
支払い時に徴収されている。小泉改革で見直され、
これまで電源特会に同税収の全額が直接入っていた
仕組みが、07年度以降は一般会計を経由して必要
な額を同特会に繰り入れる制度へ改められる。

2006年度電源特会予算案
 地域振興関係の見直しポイント(単位:億円)
06年度
内示額
内容
原子力発電施設立地地域共生交付金
(新規)
25 運転開始30年を超える高経年化炉がある原発所在道県に、1発電所あたり5億円を5年間、総額25億円を交付
長期発展対策交付金の高経年化加算額の増額
(拡充)
原発所在市町村を対象とした電源立地地域対策交付金に含まれる長期発展対策交付金で、運転開始後30年超原子炉への加算額を現行の2倍に
核燃料サイクル交付金(新規) 10 核燃料サイクル施設の設置やプルサーマルの実施受け入れなど、今後数年以内に同意した都道府県(市町村を含む)に計60億円を交付
みなし交付金制度の改正 06年度以降、定期検査などを除く原子炉停止で、国が安全を確認後、一定期間を経過しても運転を再開できない場合は、みなし交付金としない

平成18年2月4日『新潟日報』

 転機の原発交付金(中) 柏崎刈羽への波紋

 投資と効果
 地域振興 実感は薄く
 どう展開まちづくりの軸

 「あれははかとは違う金の使い方だった」。今も
柏崎市幹部が惜しむ電源三法交付金を活用した事業が
ある。1986年度に始まった「柏崎ソフトパーク
事業」だ。使い道が「ハコ物偏重」と批判されがちな
同交付金だが、同事業はソフト産業創出と若者の地元
定着を目指した。
 その両輪と位置付けられたのが、同市に開設されて
いた情報処理技術者養成の専門学校「情報開発学院」
と、卒業生の働く場となる企業誘致を目指して設立
された第三セクター「情報開発センター」。86年度、
市が学院整備などで負担した事業費は約5億6000
万円。翌87年度、三法交付金から約9億6000
万円がセンターの土地建物購入、整備に充てられた。
 87年の開校当時、学院事務長を務めた安達公司・
前市助役は「原発財源を何に使えば地域を輝くもの
にできるか、チャレンジしようという熱気が当時は
あった」と振り返る。
 それから約20年。センターは市役所の
コンピューター管理委託を受けるなど成長したが、
若者定着の核と期待された同学院は2001年に閉校
した。情報処理技術者の需要見通しの甘さや、新潟市
にできた同様の専門学校に親元を離れたい学生が流れ、
学院の生徒数が減少したためだ。
 西川正純前柏崎市長は「長い目で見て、生きるカネ
にしたいという考えだったのだが…」と今も残念
そうだ。

■人口減少

 柏崎刈羽原発が誘致されて、県、柏崎市、刈羽村
とその周辺地域には、三法交付金2000億円強が
つぎ込まれた。特に柏崎市には、原発を着工した年
から運転開始後5年まで出る旧・電源立地促進対策
交付金だけでも約242億円が投入された。
 山地と海に囲まれ「陸の孤島」ともいわれた
柏崎市。同市は原発交付金と余裕のできた市財源
で、道路をはじめ、総合体育館、博物館、図書館
など、都市間競争の中で生き残る基盤を整備して
きたはずだった。
 しかし05年国勢調査では旧柏崎市部の人口は
8万5898人と、2000年の前回調査に比べて
2520人減。減少数は県内最多だった。市内に
あった大手事業所も相次ぎ撤退し、JR柏崎駅
周辺には大規模工場跡の広大な空き地が点在。地元
では衰退への危機感が生まれている。
 巨額の三法交付金が投下されながら、必ずしも
地域振興に結びついて、交付金を活用する立場に
あった平山征夫前知事や西川前市長は制度に潜む
問題点を指摘する。

■生きガネ

 平山氏は、近年まで交付金は単年度で使わな
ければならず、十年計画で必要なときにまとめて
使うことができなかったことを「グランドデザイン
ができないシステムだった」と説明する。
 西川氏は、安易に交付金に頼るという甘えが
20年間に市役所に生まれたとし、「柏崎はまち
づくりのストーリーを軸にした政策展開が欠けて
いた」と反省を込めて語る。
 三法交付金をいかに地域振興に生きるカネと
するのか。確固としたまちづくりの視点がこれまで
以上に必要とされている。

電源三法交付金制度

 電源三法は、1974年に国が制定した
(1)電源開発促進税法
(2)電源開発促進対策特別会計法
(3)発電用施設周辺地域整備法
の総称。三法に基づく交付金には原発着工年から
運転開始5年後まで支給される電源立地促進対策
交付金など6種類の交付金があったが、2003の
制度改正により統合され、新設の「電源立地地域
対策交付金」となった。改正前はハード事業向け
が中心で、立地地域から「使いにくい」と批判
されたが、改正後はソフト事業や施設管理費など
にも使えるようになった。

電源三法交付金で柏崎市が整備した主な施設
事業名 交付金額(単位:千円)
道路(市道改良など)29件 5,713,414
赤坂山浄水場 1,100,000
武道館 203,000
佐藤池運動広場(野球場など) 1,599,648
総合体育館 3,001,050
博物館 1,446,422
ソフィアセンター(図書館) 2,952,211
健康管理センター 465,800
総合福祉センター 695,962
コレクションビレッジ 600,000
産業文化会館 735,000
ソフトパーク事業 966,024

平成18年2月7日『新潟日報』

 転機の原発交付金(下) 柏崎刈羽への波紋

 危機は好機
 国策依存 脱却の機運
 地域自立へ官民が本腰を

 「今の交付金制度は、釣った魚には餌をやらない
政策だ」。昨年7月、柏崎市選出の東山英機県議は、
同市を訪れた自民党電源立地等推進調査会の国会議員
に訴えた。すがるような口調は、原発立地地域の抱える
危機感を象徴していた。
 柏崎市の2005年度の原発財源は約89億円で、
ピークだった1995年度の約153億円の六割弱
に落ち込んだ。運転開始五年後までの大規模交付金が
途絶え、原発の固定資産税もピーク時の半分以下に
減ったのが大きな要因だ。
 地域の自立を果たせないうちに、頼みの財源がどん
どん細っていく。東山県議は「国の地元への配慮が
足りなくなった。建設時と同じ気持ちでないと困る」
と、地元を顧みない国にくぎを刺す発言だったこと
を明かす。
 一方で、地元では「財源が細ることは最初から
分かっていた。いつまでもおねだりするわけには
いかない」(内藤信寛・柏崎観光協会会長)という
声も出始めている。

■頼りすぎ

 1月4日、柏崎市内での賀詞交換会。新潟2区
選出の近藤基彦衆院議員はあいさつで「柏崎は原発
に頼りすぎている。もうそこから脱却する時代だ」
と呼び掛けた。
 居合わせた地元の保守系市議や経済関係者らは
「勉強不足だ」などと渋い表情を見せた。ただ、原発
推進の人々の中にも「少なくなった原発財源を有効
に使い、原発に頼らずに自立する芽を育てなければ
…」との焦りが広がりつつある。
 電源三法交付金制度に詳しい福島大学の清水修二
教授(地方財政論)は別の視点から立地地域が自立
することの重要性を指摘する。「国策として
進められた原子力政策は国の方針転換でやめる
可能性もある。立地地域はそういう事態も想定して
地域づくりをする必要がある」と警鐘を鳴らす。

■アイデア

 現在柏崎市には、年90億円近い原発財源のほか、
市内各世帯、企業に直接、電気料金を補助する
交付金が年総額22億円強も入っている。細った
とはいえ、年間100億円以上の恩恵は大きい。
 今後、それらをどう生かせばいいのか。
「市民が(電気料金補助の)交付金を出資して
NPOを設立し、自分たちの暮らしが良くなること
に使えないだろうか」。柏崎市防災・原子力安全
対策課の布施実課長は昨年4月、本県で開かれた
原子力産業の国際会議でこう発言した。
 企業誘致や産業育成など従来型の活性化策を
唱える声が多い中でユニークな提案だった。布施
課長は「一軒一軒は年2万円でも、合わせれば
何億円にもなる。NPOで市民のための救急医療
病院をつくるとか、アイデアを出し合えるはず」
と夢を膨らませる。
 島根原発のある松江市は、この電気料金補助を
独自利用する数少ない自治体の一つ。各家庭への
”ばらまき方式″を取らず、行政が一括して受け
取り、市民活動支援事業などに活用している。
 電気料金補助の活用は一つの例だが、自治体は
もちろん、住民一人一人の意識の持ち方と参画
の在り方も、原発の恩恵を地域づくりに生かす
鍵になるだろう。原発財源が細りつつあるピンチ
の今を、地域の自立へ官民が本腰を入れるチャンス
ととらえる取り組みが求められる。

立地地域への電気料金補助
 「原子力立地給付金」として、原発周辺の住民、
企業に対して電気料金の一部を補助する名目で
直接、現金が交付される。合併前の旧柏崎市区
と刈羽村の家庭に1戸当たり年約1万9000円、
企業には1戸当たり年約9000円が入る。住民
が原発の恩恵を直接感じられる唯一の交付金と
される一方で「ばらまき」という批判もある。
住民への交付分を行政が受け取るなど弾力的な
運用もできるが、大半の立地地域では住民に直接
配られている。

2006年6月 8日 (木)

取り戻したい「公」の精神と道義

 6時、起床。6月議会の一般質問のための資料を集めたり、メモを作成する。一般質問は原稿をそのまま読み、一括して答弁をもらう方法と、メモ程度を用意し、自分の言葉で問いかけ、一問一答形式の2つがある。ガチンコ勝負をするためにも、いつも一問一答を選択しているが、どれだけメモを多く作り、それを覚えるかがポイントとなる。

F1000008_4 9時30分から弔問。12時近く、自宅に戻り、鰻の卵とじ、小粒納豆、味噌汁でブランチ。
 13時、良寛記念館を経由して、長岡に移動。東京からきた某社の担当者と長岡駅構内の喫茶店で1時間ほどの打ち合わせ。その後、某施設に行き、相談業務。

F1000009_2 山本五十六記念館で資料を集めたのち、17時、三条の某氏と長岡で待ち合わせ、打ち合わせが長くなることを見越して、先に夕食をとろうと、「ラーメン処 潤」長岡上除店(0258-47-4888)へ。この某氏も本ブログを見てくれており、先日に書いた「鬼あぶら」を食べたくなったとのことであった。
 「鬼あぶら」でお付き合いしても良かったが、「中油」で勘弁してもらった。案の定、某氏は残していた。
 食後、打ち合わせ。本来であれば、即柏崎に戻り、柏崎商工会議所主催の経営講演会で、コロナの内田社長の講演をお聞きするところであったが、どうしても先に打ち合わせとなってしまった。

 21時、自宅に戻り、資料の整理。

 先般のライブドア事件に続き、村上ファンドが話題となっている。確かに、金を儲け、それに見合った税金を収めているという点では文句はないが、金の儲け方のモラルが問われている。「金さえあれば何でもいい」という感覚をもった人が、これ以上増えないことを願う。


平成18年2月9日『産経新聞』

正論:
溶け始めた日本人としての背骨
取り戻したい「公」の精神と道義

 衆議院議員・弁護士 稲田朋美

行政も司法も”お墨付き”

 ライブドア元社長、掘江貴文容疑者の逮捕
というニュースを個人的な感慨をもって聞いた。
本欄執筆者としてのデビューが、ライブドア
によるニッポン放送株の大量取得問題について
の論考だったからだ(昨年3月23日付
『「不公正」問わず「不公正」論ずる無理』)。
 この件については、残念ながら裁判所も、
ライブドアが時間外取引を利用して公開
買付規制を不当にかいくぐったこと(違法)
を不問にし、むしろニッポン放送が防衛的に
行った新株発行の方を不公正であると断じた。
 裁判所の判断に先立って当時の金融担当
副大臣もまた、予算委員会で早々と、ライブ
ドアの時間外取引は基本的には違法とは評価
されない-と答弁していた。結局、行政、
司法ともに、ライブドアの違法行為を擁護し
”お墨付き”を与えてしまったことになる。
 今回の逮捕(偽計取引、風説の流布)の
背景となった株式分割も、個人投資家の購入
を容易にして市場を活性化させるという本来
の制度目的を逸脱したものだった。分割に
より一時的に株が品薄になって株価が上昇する
現象に着目し、株価つりあげのためだけ
に株式分割を行ったことが明らかになって
きた。そして時間外取引と同じように、法の
網の目をくぐって制度を悪用し、証券取引法
に違反する方法で利益を得ていた。
「悪を懲らし善を勧むるは古の良典なり」
(聖徳太子十七条憲法第六条)。昨年、
裁判所も金融庁もできなかったことを今、
検察庁がやろうとしているのである。

構造改革は原因といえず

 今国会では、昨年秋に発覚した耐震偽装
問題とライブドア問題とを取り上げ、小泉
構造改革、規制緩和の歪みととらえる野党
からの質問が相次いでいる。さらには、
昨年の衆議院議員選挙でホリエモンを応援
したことで自民党幹部らが批判されている。
 しかし、マスコミも、ニッポン放送株
取得のときには、「ここは冷静になって
ことの本質を考えてみたい」「投資家が
株を買い集めて経営権を握ろうとすること
自体を、不当な乗っ取りのように騒ぐの
はおかしい」「目くじらをたてることは
ない」とライブドアの株式取得の違法性
を問題にしなかった。「ことの本質」を
見誤ったのは堀江容疑者を持ち上げてきた
マスコミではなかったのか。
 耐震偽装にせよ、ライブドアにせよ、
わずか五年問の小泉政権による構造改革
に原因を求めるには無理がある。二つの
事件に通底するのは、日本民族全体の
道徳的退廃であり、道義の喪失である。
 金もうけのためなら、人の命を危険に
さらすことも意に介さず、脱法行為を
しても適法だと虚勢を張る。これは規制
緩和の結果ではなく、個人と企業の道徳心
欠如の問題だからである。要は戦後六十年
たって日本人としての背骨が溶け始めて
いるのである。
 企業社会のトップが、日中経済に
悪影響を及ぼす(商売がしにくくねる)
というだけの理由で、小泉首相の靖國
神社参拝を批判するようでは新興の
一企業にモラルを求めること自体、
そもそも無理であろう。

教育改革の実施こそ急務

 いま政治に求められているのは、いたずら
に規制を強化することでも、小泉構造改革
を後戻りさせることでもない。道徳心を
高めるための教育改革であろう。
 何も、お金もうけがすべて悪だというの
ではない。崇高な目的の実現のためにもお金
は必要だ。貧しかった苦は、お金をもうけて
親に楽をさせてやりたいという孝行息子が
いた。しかし、「金がすべて」と言って
しまった途端に、本来、目的のための手段
でしかなかったお金もうけが、それ自体、
自己目的になってしまい、手段を選ばない
マネーゲームにまで行ってしまう。
 教育も同じである。目的のない教育は
空虚だ。勉強はできても倫理観を欠いた
秀才をいくらつくっても日本はよくなら
ない。日本とはいかなる国であったのか、
そして、いかなる国であるべきか、それを
教える教育がまず必要なのではないか。
 聖徳太子の十七条憲法の第十五条
「私を背きて公に向くは、これ臣の道なり」
にみる公の精神、そして昭和天皇が終戦の
御詔書で「神州不滅を信じて道義に生きよ」
といわれた道義を大切にする心、これが
日本の本来あるべき姿である。
 この精神に立ち返り、戦後六十年の間で
失われた公の精神と道義を取り戻す教育改革
に取り組むこと。それが政治の急務と
なっている。

2006年6月 7日 (水)

チャンネル桜番組収録、靖國参拝は安全保障問題

 1時、愛車で自宅をでる。関越自動車道を通り、5時過ぎ、東京都内につく。車のなかで2時間ほど仮眠する予定が、つい寝すぎてしまい9時前に起きる。

F1000005_5 10時過ぎ、チャンネル桜の事務所につき、あわててスタジオに入る。今日は、「地方議員アワー ふるさとから日本へ! 」を2本分収録。メンバーは、杉並区の松浦芳子議員、横浜市の工藤裕一郎議員、所沢市の浜野よしあき議員、武蔵村山市の天目石要一郎議員。テーマは、「国内外の国際交流」、「高齢者の生きがい」。後半には、杉並区の居宅介護支援・訪問介護を行っている「愛の手」の永井紀世子所長にもご参加いただいた。
 柏崎市でも姉妹都市として調印しているのは中国の2つの自治体、同じく中国の1つの自治体とお付き合いをしている。中国のみだからとか、そういう話ではないが、実際の交流事業といっても会って飲み食いするだけのような交流は、「もう時代ではない」。姉妹都市を定期的に見直す自治体もでてきている。
 高齢者の生きがいでは、自分の祖母のこともあり、身近な話題として大変参考になる討論の時間であった。

*工藤議員のブログでの報告

 収録後、スタッフの方からもらった玄米おにぎりをかじりつつ、関越自動車道をひたすら飛ばし、柏崎に戻る。
 17時過ぎ、市役所にて各種手続きや相談を行う。手続きに数種類の書類や印鑑が足りないことが分かったので、そのまま長岡に移動し、本人との調整。

F1000006_5 21時、自宅に戻ると、妹の嫁ぎ先から生の蟹、浅利が届いていた。早速、蟹を多めの塩を入れて茹で、浅利は日本酒を多めに入れた酒蒸しにして食べる。
 蟹には、たっぷりの卵がついており、丁寧に外し、明日の味噌汁の具にしようと冷蔵庫に入れる。
 濃厚な蟹の味噌、詰まった身を楽しんでいるうちに、「これはビールを飲まなくては」という気分になってきたので、ビールをあけ、蟹の濃厚、そして浅利の清涼感をひたすら味わう。
F1000007_4 浅利の酒蒸しをした際にでたスープは、意外にもビールに合い、少しスープをすすっては、ビールをゴキュゴキュ。液体の肴として、十分な実力であった。

 運転疲れもあり、風呂にも入らず、24時前に就寝。

 今年の8月15日も地方議員で参拝する計画がある。もちろん、今年も参加予定であるが、靖國神社自体を知ってもらうためにも、できる限り多くの知人も連れて行こうと思っている。実際に現地を見てもらえば、分祀はできないことが分かるうえ、参拝することが戦争につながる、といった「靖國神社反対論者」の論理がいかにアヤシーものか理解してもらえると思う。


平成18年6月3日『産経新聞』

正論:
 首相の靖國参拝は安全保障問題
 本質見極め矮小化した議論排せ

          衆議院議員・弁護士 稲田朋美

侵略に屈せずの意思表明

 首相の靖國参拝について、その是非がしばしば論じ
られるが、何のためかという視点を欠いている。国の
代表が、国難に殉じた人々に感謝と敬意の祈りを
捧げなければならないことは今更議論するまでもない。
重要なのは、この問題がわが国の安全保障、ひいては
国としての存立にかかわる問題だという点である。
国益を論ずるのであれば、まず「国」でなければ
ならない。
 昔も今も国際紛争を最終的に解決する手段は、不幸
なことではあるが物理力である。平和憲法を有する
わが国についても例外ではない。もし仮に、他国が
わが国に攻め入ってきたら、武力を行使して自国を
防衛することは憲法第9条の下でも当然に許されて
いる。
 この厳然たる事実を受け入れることが首相の靖國
参拝を論ずる前提である。国のために命を捧げた人々
が感謝も敬意も払われず、まるで犬死にのように
扱われ、または忘れ去られるようでは、一体誰が国の
ために血を流して戦うのかという問題なのである。
 靖國参拝に反対する政治家、財界人はもっともらしい
理屈をさまざま挙げてはいるが、要は、たとえ他国
に攻め込まれても血を流してまで国を守る覚悟は
ないし、ともかく中国を刺激してはならないと主張
しているに等しい。
 小泉首相は就任以来、毎年欠かさず靖國神社に
参拝してきた。これは総理個人の内心がどうであれ、
他国の侵略に対してわが国は、血を流してでも守る
覚悟であることを内外に表明することである。
 首相が靖國に参拝することの意味は「不戦の誓い」
だけではない。「他国の侵略には屈しない」「祖国
が危機に直面すれば後に続く」という意思の表明
であり、日本が本当の意味での国であることの表明
なのである。この点に触れずに、靖國問題を政教
分離や対アジア外交の問題に矮小化することは、
戦後体制の歪みそのものである。

単純にすぎる戦争責任論

 首相の靖國参拝に関連して民主党の小沢代表は、
自分たちが政権をとれば、いわゆるA級戦犯を霊璽
(れいじ)薄から抹消するとの暴論を展開している。
その小沢氏が党首討論で「占領政策」「戦後体制」
による歪みを指摘するのは自己矛盾である。A級
戦犯の正当性(正しくは不当性)の源である東京
裁判は、まさしく「占領政策」「戦後体制」の中心
であり、東京裁判史観の克服なしに戦後体制の歪み
を是正することはできないからだ。
 いうまでもなく、東京裁判はポツダム宣言と
近代法の大原則(罪刑法定主義)に違反した二重の
意味での国際法違反である。その不当性は、たとえ
サンフランシスコ平和条約で「受諾」しても減殺
されるものではない。当時の成人日本人の圧倒的
多数が東京裁判の不当性を認識していたことは、
日弁連が中心となって展開した戦犯釈放署名運動に
4000万人の国民が署名したことからもうかがえる。
 だとすると、なぜ今さらこの不当きわまりない
東京裁判で裁かれたA級戦犯について、同じ日本人
がその戦争責任(人によれば敗戦責任)を糾弾し、
墓を暴くようなまねをするのか。A級戦犯がいた
から日本が無謀な戦争に突入し、そして敗れたと
いうような単純なものではない。無数の偶然と必然、
そして歴史の大きな流れの中で日本は戦争に突入し、
未曾有の敗戦という悲劇を迎えたのであって、
その責任をA級戦犯だけに帰すことはできない。
ましてうち7人は自らの命でその責任をとって
いるのである。

本当の国になるかの問題

 A級戦犯の合祀と昭和天皇の参拝中止の間に因果
関係がないことも、この際指摘しておく必要がある。
 昭和天皇が昭和50年11月21日を最後に参拝
を中止されたのは、その年の8月15日に参拝した
三木首相が「私的参拝」と奇妙な言い訳をしたこと
に始まる。
 「公的か私的か」の不毛な議論が沸き上がり、昭和
天皇が参拝された前日の国会(参議院内閣委員会)
で社会党の議員が昭和天皇の参拝の憲法問題を指摘し、
激しいやりとりがなされたからである。
 A級戦犯を分祀すれば天皇陛下の御親拝が実現する
などというウソにだまされてはならない。このウソ
は、靖國神社が分祀できないことを知った上で、
難きを強いて首相の靖國参拝を阻止したい勢力の
戦略にすぎないのだ。
 靖國問題の本質は歴史認識でも政教分離でもアジア
外交でもない。日本が戦後体制のなかで今後も
「国ごっこ」を続けるのか、それとも本当の「国」
に生まれ変わるのかという問題であり、ここに議論
の意味があるのである。

2006年6月 6日 (火)

学校、地域、家庭の三者連携

Dsc02306 6時、起床。ここ数日の新聞がたまってしまったので、切り抜き、電子ファイル化などを行う。

 8時、長野県から送ってもらったたっぷりの野沢菜、中粒納豆、目玉焼き、筍と若布の味噌汁で朝食。少し飴色になった酸っぱいような野沢菜も好きであるが、あっさりと漬かった野沢菜もサラダ感覚で好みである。

 午前中は、一般質問の通告を行うため、事務仕事。市長の態度を問いたい柏崎トルコ文化村問題については、既に議案となっているので、それ以外の市民の方からのご意見などを中心に次の3点にした。


改正道路交通法の影響について
          → 市長(一問一答形式)

 パブリックコメントの募集中ではあるものの、
交通面での安全で住みよいまちづくりを目指し
『第8次柏崎市交通安全計画(案)』を策定した
が、違法駐車対策が6月1日より強化、施行され
市内でも不満の声が多く、商店街、運送業、福祉
への影響が懸念されている。また柏崎市の観光
イベントでも対策が必要になってくると
思われるが市長の見解を伺う。
   
満州柏崎村の語り継ぎについて
       → 教育委員長(一問一答形式)

 日本の近現代史は「満州に始まり、満州に終わる」
と言われる。柏崎市として、正式に分村した満州柏崎村
の設立過程からソ連参戦による悲劇までを語り継ぐ
ことが、亡くなった方への鎮魂と考えるが、赤坂山の
慰霊塔を含め、教育委員会としての考えを伺う。

教育現場におけるジェンダー意識について
           → 教育長(一問一答形式)

 平成17年11月1日付で文部科学省初等中等
教育局児童生徒課から県教育委員会に発信された
「学校における男女の扱い等に関する調査について」
など、教育現場での男女の扱いが問題視されている
が、当市における調査結果、及び男女の平等意識
に基づいた教育方針を伺う。


F1000001_22 12時前に議会事務局に通告し終え、午後からの打ち合わせの準備。昼食を作る時間がないので、非常食のカップラーメン「マルちゃん 麺づくり 鶏だし塩」を汗をかきつつ食べ、長岡に移動。打ち合わせ後、19時過ぎに事務所に戻る。

F1000003_12 19時からエネルギーホールにて、柏崎青年会議所の6月例会。今回のテーマは「~未来づくり~ 学校、地域、家庭の三者連携」。
 比角地区地域づくりシンポジウムの模様の紹介、「きょうはいかのおすし」をはじめ、CAPプログラムなど子を持つ親世代が多いこともあって、集中した時間となった。
F1000004_6 終了後の懇親会は「莉世」(電話:0257-20-0061)にて。今回の例会には、小千谷青年会議所のメンバーもいらっしゃっており、色々な話を聞くことができたこともさることながら、パワーを分けてもらった感じであった。

 23時、自宅に戻る。

2006年6月 5日 (月)

A級戦犯にこだわる中韓

F1000003_10 6時、起床。地方議員仲間から満州開拓団に関する資料がほしいと頼まれていたので、関連資料をスクラップし、pdfファイルにまとめる作業を行う。意外に手間取り、というよりも凝りはじめてしまったので、3時間ほどかかってしまった。11時、切干大根、小粒納豆での納豆ご飯、油揚げと豆腐、若布の黄金コンビネーションの味噌汁でブランチ。

 13時から18時まで某社担当者との打ち合わせや市政に関する相談。月曜日ということもあり、来客が多かった。

F1000004_4

 19時、閉店間際のスーパーで、半額になっていたイカ刺し、生鮨セットで夕食。昨日の米山登山の筋肉痛がでるかと思ったが、筋肉痛もなく、それ以上に、打ち合わせをした後の議事録作成ですっかり疲れてしまったので、22時に就寝。

 小泉首相の退陣で次期総裁選が話題になっているが、今国会が閉会しても小泉首相に実行してもらいたいのが、公約でもある8月15日の靖國神社参拝。靖國神社という内政の問題に口を出してくる中国、韓国に配慮した方が良い、などという国会議員がいるが、どこの国の国会議員なのか、よく足元を考えてもらいたいものだ。
 また、中国、韓国の内政干渉の前に、それぞれの国にその資格があるのか否かという問題がある。その点については、以下の上坂冬子氏のご意見が、まさに正論だと思う。


平成18年3月22日『産経新聞』

正論:
靖國問題を解決するのは国際条約
”A級戦犯”に発言資格なき中韓

 ノンフィクション作家 上坂冬子

見事な松下の危機管理術

 久しぶりに感動した。
 先日、松下電器からわが家に一通のはがきが
舞い込んだのがきっかけである。わが家のみ
ならず、隣近所にもー斉に届いたそのはがきは
例の石油ストーブが手元に残っていないかどうか
の問い合わせであった。
 二十年ほど前に発売した同社の石油ストーブを
めぐってトラブルがあったことが報じられ、その
回収のためのテレビ広告や新聞広告を最近になって
何度も目にしたから、あの事件かとすぐ分かった。
 人伝てに聞いたところによると、同社ではその
製品の存在を64%まで突き止めたとのことだから、
あとは耐用年数を終えて各家庭で廃棄されたと
みていいだろう。それをさらにダメ押しするかの
ように郵便で問い合わせたことになる。個人情報
管理の厳しい時代に、よくもまぁと私は方法論に
まで気をまわしたが、このような場合は郵政公社
の協力を得て行われるとか。
 それにしても企業はここまで徹底してトラブル
に対処するのかと、私は感動したのであった。
同社としてはトラブルを転じて信用の回復に
つなげようと志したに違いない。見事な前例を
打ち立てたといえる。
 さて私としては当然ここで、この一件と例の
永田議員の偽メールをめぐるドタバタとを見比べた。
政界と経済界のトラブルに対する危機管理の力量
の違いを嫌でも思い知らされたといっていい。
 もっとも政界は損益計算のはっきりした経済界
と違って種々の思惑があろうから、事実関係の
間違いに気づきながらも揺さぶりをかければ
何らかのホコリが出るだろうと、往生際の悪い
時間稼ぎをしたのかもしれぬ。
 ともあれ非を認めるやたちどころに態度を変え、
それを逆手にとって失った信用回復につなげて
みせた経済界の爪の垢を、せめて政界に煎じて
飲ませたい。

核心外した論議のみ空転

 ところで、本論はここからだ。靖國問題の対処
に関しても、私は全く同じような印象を抱いている。
 歴代の首相が誰ひとり明快に解決できぬまま
他国の言い分に振り回され押し流されてきて、
今や日本は次期リーダーの選出さえも靖國問題に
よって左右されんばかりの情けないところまで
追い詰められている。ひとえに、押されれば
引くことしか考えず、発想の転換や新論拠の
主張にとりかかろうともしない日本の腰の弱さが
原因だ。
 靖國問題は心の問題だ、いや侵略に対する謝罪
の問題だ、などと核心を外した論議ばかりを空転
させてきたが、この問題を一刀両断に解決するのは
国際条約である。そのことに気づいているのか、
いないのか。
 戦争犯罪人と名指しされた日本人の命と引き換え
に、サンフランシスコ平和条約が締結されて世界
は平和を取り戻した。もちろん、条約には戦犯に
関する取り決めが盛り込んである。
 何と書いてあるか。
 おおざっぱに言うと、この条約に署名、
批准(ひじゅん)していない国々は戦犯について
発言する権利はなく、日本の立場を損ねたり害したり
するような行動に出る資格はないと記してある
(第25条)。
 しかも、日本と四十八カ国との間で交わした
この肝心な条約に、中華人民共和国、韓国、
中華民国(台湾)は署名も批准もしていない

 つまり現在、日本との間でトラブルを抱えている
中・韓いずれもが、国際条約の上でA級戦犯に
関して発言資格なしとされた国々なのである。
今のところ資格ありとされる国から日本は一度も
クレームを受けていない。

なぜ出さぬ毅然たる声明

 靖國をめぐるトラブルを解決するのは、心の問題
や侵略の問題ではない。核心はサンフランシスコ
平和条約にかかわる問題、の一点につきる。
 いまこそ日本政府は、この条文を根拠に国家と
して毅然たる声明書を発表すべきだ。
 トラブルの対処に当たって言を左石にして
タイミングを外した民主党方式でなく、ここぞと
いうときに一丸となって体当たり解決に踏み切った
松下方式になぜ見習わぬ。
 この原稿が活字になるころ、私は『戦争を
知らない人のための靖國問題』 (文春新書)を
出版する。その最終章に、私なりに、たまりかねて
中国の胡錦涛主席と韓国の盧武鉉大統領宛てに
書いた声明書私案を掲載した。
 今度の新書に限って、読者にも終わりから読んで
ほしいと望まずにいられない。できれば王毅駐日
中国大使が、せめて最後4ページだけでも翻訳
して本国に打電してくれるよう切望している。

2006年6月 4日 (日)

米山登山、クリーンデー

Dsc02293 メールやブログの書き込みに手間取ってしまい、3時に就寝。5時、起床。梅干の種を抜き、納豆パウダーを少々を混ぜ、具を作り、赤穂の塩を水で溶いて、炊きたてのご飯に混ぜ込み、おにぎりを作る。手が火傷するぐらいの熱いご飯で握るのがポイントである。

Dsc02292 6時30分、柏崎駅に集合。今日は、地元の町内会が集まる体育協会主催の米山登山である。7時発の電車で米山駅に向かう。
 米山駅では「山開き」の式典が開かれており、米山登山の安全祈願御札と落雁をもらう。

Dsc02294 日程的に全市一斉のクリーンデーに重なっており、米山町の何人かの方からご批判を頂いた。その批判は、自分の町内だけではなく、柏崎市にむけての批判もあり、柏崎市主催の米山登山も重なっている。こういった点は、今後、調整することも必要であろう。
 クリーンデーの可燃・不燃ごみは68トンであったという。
 登山口の大平に着くと、柏崎青年会議所が設置した「まちしるべ」があった。

Dsc02298 寝不足のため、最初は体調が悪かったが、登り始めて、自分の体温が上がってきたところで、調子が良くなり、勢いよく足を動かす。
 同世代のM氏から、

 「小学生んときは、御菓子とか
 しゃべるのが楽しかったよね。」

Dsc02300 今では、おしゃべりや御菓子より、途中のブナ林を楽しんだり、残雪が残るがけで涼をとったり、すっかり自然を楽しむようになった。それだけ、大人になったという証拠であろうか。

Dsc02301 12時前に頂上に到着。米山は海抜993mで、頚城平野をはさんで妙高連峰と相対する位置にある。
 米山という名称は、沖を渡る強欲な商人「清定」の米俵の米で真っ白になったこと由来する。
 その昔、現在の米山町(鉢崎)で、泰澄禅師が修行しており、沖を通る船に鉄鉢を飛ばして食物の寄進を受けていた。それが、鉢崎の由来でもあり、また聖人が住んでいたことから、岬の名前に「聖ヶ鼻」が残っている。
Dsc02302 この泰澄大師の弟子である沙弥が鉄鉢を飛ばし、海を渡る「清定」に寄進を申し出た際、強欲な「清定」が断わったことから話は始まる。断ったところ、その鉄鉢が米俵の下にもぐりこみ、俵を乗せて五倫山に向かって行き、米俵が次々と列を作って五倫山へ飛び、五倫山は米で真白になったというのである。これが、米山の由来である。

三階節:「はぁ~米山さんから雲が出た・・・」

 頂上にある米山薬師は、日本三大薬師の一つに数えられる。ちなみに、他の二つの薬師は、三河の鳳来寺薬師、日向の法華岳薬師である。
Dsc02304 薬師堂をお参りしたのち、町内の人とおにぎりやおつまみを食べながらビールを飲む。
 下りは、多少の酔いを残したまま、勢いで動き続け、あっという間に下山。降りたところで、幹事町内の方が用意した豚汁を頂戴した。汗をたっぷりかいた体に、この豚汁は染み込むように美味しい。

 16時、自宅に戻る。これまでちょこちょことと街で会うたびに、商店街の方から色々と相談を受けていたので、再度、伺ってご意見を伺った。

F1000002_11 19時、豚肉のしょうが焼き、ポテトサラダ、ビールで夕食。

2006年6月 3日 (土)

閻魔堂、稲田議員、高鳥議員

 2時過ぎ、自宅に戻り、就寝。7時、起床。大粒納豆とオクラでご飯をかっ込み、7時30分に相談があった某町内の現場へ。1時間ほど相談を受ける。

Dsc02281 9時45分から柏崎青年会議所の「まちしるべ事業」、最終年度の建立式で自宅近くの「閻魔堂」へ。
 「まちしるべ事業」は、1998年の柏崎青年会議所40周年事業として、柏崎青年会議所のなかでも賛否両論があったそうであるが、とにかくスタートし、今年で計50基を柏崎市内に設置してきた。
 柏崎の宝とも呼べる歴史を伝えたい場所を選んできただけに、今後これをどう生かすかによって、柏崎市全体を歴史ミュージアムにできるか否かがかかっていると思われる。
Dsc02283 今回改めて閻魔堂周辺の石碑などを見て気付いたのが、支那事変の戦没者慰霊碑、日清・日露戦争慰霊の像などがあることだ。
 小さい頃から何の気なしに見ていたものの、歴史を知った上で、文字を読むと閻魔堂は地元から戦地に行った方々の慰霊の場所でもあったことが再認識できた。
 支那事変戦没者慰霊石碑には、皇紀2600年とあるので、昭和15年に設置されたことが分かる。

Dsc02284 日清・日露戦争慰霊の像は、明治26年に建立されたとの記載があり、戦没者の名前が刻まれている。自分の祖先の名前があるか否かを調べる人が昔は多くいたそうであるが、現在はあまりいないという。日露戦争でも既に100年を経過しているので、それも無理はない。

 閻魔堂のお堂は、何回も火災などにあっており、現在のお堂は土蔵造りで明治29年、四代目篠田宗吉によって建立されたもの。毎年6月14日~16日に行われる「えんま市」もあり、多くの人が閻魔堂を訪れる。今回設置した「まちしるべ」は「えんま市」の由来が記載してあり、今年の「えんま市」から多くの人の目に触れる。

Dsc02285

 12時、新潟市に移動。途中、「ブリトー・ウインナー」をパン屋さんで購入し、低脂肪乳とともに昼食にする。小麦粉のトルティーヤでチーズ、ウインナーを包んだもので、できればここにビリッと効いたチリソースがほしいところであった。やはり、タコベルが近くにほしい。

Dsc02288 14時30分から、県民会館小ホールで、稲田朋美衆議院議員の講演「皇室典範改正議論は一切不要でございます」に出席する。
 昨年の8月15日、靖國神社で出馬の要請を受けてから、決断。福井では、

 「私は落下傘候補ではなく、
      福井のおっかさんです」

の名言で小選挙区に勝ち、保守本流の活動をされている。稲田議員の皇室典範に関する考えにはまったく同じである。


平成18年1月7日『産経新聞』

正論:「男系維持の伝統」は圧倒的に美しい

   衆議院議員・弁護士 稲田朋美

天皇の存在は不文の憲法

 私が弁護士になったときに「空」という言葉を
哲学者の伯父が贈ってくれた。「空」とは既成の
固定概念にとらわれず、自由な魂で物事の本質
を見ることだ。
 新人議員になって、小泉純一郎総理、武部勤幹事長
からも同じことをいわれた。「既成の固定概念に
とらわれるな」 「物事の本質をみよ」と。
 さて、2650年以上も続く万世一系の天皇の
存在は、日本民族の中心であり、天皇は常に国民
とともにあられた。したがって憲法一条の象徴天皇
を憲法改正の対象とすることば許されない。
 その意味において、自民党憲法草案の「象徴天皇制
はこれを維持する」という表現は維持しないという
選択が可能であるかのようであり、適切ではない。
 日本国の憲法である以上、国民統合の象徴として
の天皇の存在(二千六百五十年以上も続くこの国の
形である)は、成文憲法以前の不文の憲法として
確立しており、これを改正することは革命でも
起こさない限りできないのである。
 昨年11月、皇室典範の改正について「皇室典範
に関する有識者会議」の最終報告書が発表され、
マスコミなどで熱い議論がなされている。
 わが自民党新人議員の集まりである83会も、
女帝、女系天皇容認の高森明勅氏と、男系男子堅持
の八木秀次氏を講師に招いて勉強会を開催した。

先人の苦労を無にするな

 女性議員の多くは、時代の趨勢(すうせい)と
いう観点から高森説を支持し、男性議員の多くは
伝統の尊重という観点から八木説を支持していた。
 皇位の継承の本質が何かは男女の平等や、
今はやりの「ジェンダー」論争とは何の関係も
ない。皇位の継承は、現行憲法や旧皇室典範が
制定される2500年以上も前から厳然として
存在した。これを伝統といわずして何を伝統という
のか。そしてその伝統の中心は男系の維持にあった。
 平成19年は、私の選挙区である福井にゆかりの
ある26代継体天皇が即位されて1500年目に
あたる。継体天皇は、25代武烈天皇とは十親等
の隔たりはあるが、15代応神天皇を共通の祖先と
する(実に200年以上さかのぼる)皇位継承者
として即位された。
 このような例は49代光仁天皇、102代後花園
天皇、109代光格天皇の即位にもあり、いかに
先人が苦労して男系維持の伝統を守ってきた
かがわかる。
 数学者の藤原正彦氏は、数学者にとって最も
重要な素質は美しいものを美しいと感じる情緒
であり、A→B→Cと論証する過程における最初の
Aは理屈ではなく、論理を超えた仮説であり、それ
を瞬時に見抜くのは情緒であるとおっしゃっている。
 皇位の継承における最初のAは、2650年以上
も厳然と続いてきた男系維持の伝統(父をたどれば
神武天皇になる)である。私はこの理屈を超えた
系譜を圧倒的に美しいと感じている一人であり、
日本人とはこれを美しいと感じる民族なのである。
 この圧倒的に美しい伝統を守るためにどうすべきか。
 皇室典範を改正する必要はない。法は成文化された
ものだけが法ではない。皇位の継承についていえば
成文化されたのは、たかだか116年にすぎない。

考慮すべきは二条の類推

 それ以前の2500年の不文の法(伝統)を明文化
したのが旧皇室典範一条、現皇室典範一条の
「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承
する」である。男系維持は一つの例外なく継承され、
歴代の女帝もすべて男系の女帝であられた。
 この一条の原則さえ堅持すれば、2650年の法を
守ることになる。
 第二条以下で定められた「皇族」の要件は、たかだか
60年の法にすぎず、第一条とはまったく重みが違う。
したがって、仮に数十年後に皇室典範上の「皇族」の
なかに皇位継承者がいないという事態が生じた場合、
二条の「皇族」を「皇族」以外の「皇統」に属する方
に当てはめる(類推する)ことにすればよい。
 これにより、第一条の皇統に属する男系男子が皇位
を継承することができ、そうすることが万世一系の
皇位の永続をになう皇室典範という法の趣旨にも
合致する。
 要は何が本質かということである。本質さえ見誤らな
ければ、皇室典範を改正しなければ皇位継承者がいなく
なるなどという誤った固定概念にとらわれることはない。


Dsc02289 講演会終了後、参加された方数名との談笑ののち、愛車にて、上越市まで移動。途中、電話が何回か入り、PAに止まったため、1時間30分以上も移動に時間がかかった。
 運転中、ふと日本海側を見ると沈みゆく夕陽が美しく、ついわき見運転になってしまった。

Dsc02291 18時から上越市、ホテルセンチュリーイカヤでの高鳥修一衆議院議員を励ます会に出席。ゲスト講師は、山本一太参議院議員。新潟市から移動してきた稲田朋美衆議院議員も代表スピーチをし、新潟県出身の水落敏栄参議院議員がスピーチ。
 多くの支持者が集まり、上越の知人にも多くお会いした。

 22時、自宅に戻る。   

2006年6月 2日 (金)

妹への遺書:大石清伍長

F1000005_3

 満州に関する資料を読み漁ってしまい、4時就寝。7時、起床。朝食のおかずを作る気力がなく、干し納豆と梅干を具にしたおにぎりと葱味噌の味噌汁で朝食。
 8時、名越先生からお電話があり、6月10日に「世界に開かれた日本近現代史」の新潟歴史掘り起こし番組(1時間)を2本収録するご提案があった。
 スタジオには6名ほど入れるので、日本近現代史に関心のある新潟県内の方をお連れして撮影にのぞみたい。
 長岡市の斉藤博大使、佐渡市の本間中将、郵政民営化もあったので上越市の前島密など、新潟県として掘り起こしたい人物は多い。柏崎市としては誰を選ぶか悩むところである。

F1000001_21 12時から14時過ぎまで、シーユース雷音の3階レストラン「羅針盤」で「ランチ 1000円」をとりつつ、打ち合わせ。ランチについてきた、ポテトサラダが海苔でサッカーボールに見立ててあり、なかなかの演出。ランチは、小海老とビーンズのチリソース、パイナップルの赤ワイン煮、チキンとあさりのチャンポン風スープ、サラダ、ライス、焼きプリン、ドリンクバー。

F1000002_10 15時から市役所にて、障碍をお持ちの方の住まいについての相談。
 16時、E氏とともに車で新潟市まで移動。途中、栄PAで休憩し、あまりの暑さに「ソフトクリーム 280円」を購入し、恥ずかしながらもペロペロと食べた。乳脂肪のしっかりした濃いクリームで久々に美味しいソフトクリームであった。新潟市内で、2社を訪問し、仕事関係の打ち合わせ。

F1000003_9 訪問した某社社長とすっかり意気投合してしまい、社長の奥さん、E氏と4人で一緒に夕食をとることになったため、車で移動し、「えん家 KURA」(電話:025-268-0455)へ。
 和風のしっとりした雰囲気で静かなお店である。

F1000006_4 「へぎそば」「鶏のから揚げ」「天麩羅盛り合わせ」「かにとアスパラのシーザーサラダ」などを4人でつまみながら、20時から23時過ぎのオーダーストップまで双方、酒も飲まずに今後の製品戦略を話し合う。

 戦争悲劇の名作と言われている「火垂るの墓」

は兄と妹が戦火のなか健気に生きる物語であるが、特攻隊員の兄と妹との涙を誘う物語もある。
 大阪府出身で、飛行学校卒の大石清伍長は、昭和20年(1945年)3月13日、14日の大阪大空襲(深夜の3時間、274機のB29で民間人を無差別爆撃)で父を失い、つづいて重病だった母親も亡くす。
 肉親は、大石伍長の妹である静恵さん、当時小学生。兄が戦場に行き、妹は伯父の元に引き取られていた。
 妹思いの兄は、給与のほとんどを妹に送金しており、このような手紙をやりとりしたという。出典:神坂次郎著『今日われ生きてあり』


Kami  静(せい)ちやん お便りありがたう。何べんも何べんも読みました。お送りしたお金、こんなに喜んでもらへるとは思ひませんでした。神だな(棚)などに供へなくてもよいから、必要なものは何でも買つて、つかつて下さい。兄ちやんの給料はうんとありますし、隊にゐるとお金を使ふこともありませんから、これからも静ちやんのサイフが空つぽにならない様、毎月送ります。では元気で、をぢさん、をばさんによろしく。


 戦況の悪化により、鹿児島県知覧のみであった特別攻撃隊の飛行場の補助として作られた万世基地(鹿児島県加世田市)では、昭和20年(1945年)3月29日から終戦まで飛行第66戦隊、飛行第55戦隊が、一機、また一機と飛び立っていった。
 同年5月20日、大石清伍長が到着。その数日後、以下の遺書を整備担当であった大野沢威徳氏に預け、出撃し、散華した。


Ytなつかしい静(せい)ちやん!
 おわかれの時がきました。兄ちやんはいよいよ出げきします。この手紙がとどくころは、沖なはの海に散つてゐます。思ひがけない父、母の死で、幼い静ちやんを一人のこしていくのは、とてもかなしいのですが、ゆるして下さい。
 兄ちやんのかたみとして静ちやんの名であずけてゐたうびん(郵便)通帳とハンコ、これは静ちやんが女学校に上がるときにつかつて下さい。時計と軍刀も送ります。これも木下のおぢさんにたのんで、売つてお金にかへなさい。兄ちやんのかたみなどより、これからの静ちやんの人生のはうが大じなのです。
 もうプロペラがまはつてゐます。さあ、出げきです。では兄ちやんは征きます。泣くなよ静ちやん。がんばれ!


 この遺書を預かった大野沢威徳氏も以下のような手紙を添えている。


 大石静恵ちやん、突然、見知らぬ者からの手紙でおどろかれたことと思ひます。わたしは大石伍長どのの飛行機がかりの兵隊です。
 伍長どのは今日、みごとに出げき(撃)されました。そのとき、このお手紙をわたしにあづけて行かれました。おとどけいたします。
 伍長どのは、静恵ちやんのつくつた人形を大へん大事にしておられました。いつも、その小さな人形を飛行服の背中に吊っておられました。ほかの飛行兵の人は、みんな腰や落下傘の縛帯の胸にぶらさげてゐるのですが、伍長どのは、突入する時人形が怖がると可哀そうと言つておんぶでもするやうに背中に吊っておられました。飛行機にのるため走つて行かれる時など、その人形がゆらゆらとすがりつくやうにゆれて、うしろからでも一目で、あれが伍長どのとすぐにわかりました。
 
伍長どのは、いつも静恵ちゃんといつしよに居るつもりだつたのでしょう。同行二人。仏さまのことばで、そう言ひます。苦しいときも、さびしいときも、ひとりぽつちではない。いつも仏さまがそばにゐてはげましてくださる。伍長どのの仏さまは、きつと静恵ちゃんだったのでしょう。けれど今日からは伍長どのが静恵ちやんの”仏さま”になって、いつも見てゐてくださることと信じます。
 
伍長どのは勇かんに敵の空母に体当たりされました。静恵ちゃんも、りつぱな兄さんに負けないやう、元気を出して勉強してください。
 さやうなら


2006年6月 1日 (木)

文明開化のかほり:黒船館

 2時、就寝。6時、起床。7時、東京からきたE氏と待ち合わせ、事務所にて打ち合わせ。

F1000001_19 12時前、昼食でも一緒に食べようということになり、「そばよし」(電話:0257-23-9337)へ。せっかく柏崎に来てもらったからと、印象に残る「チャーシューつけめん大盛り」を食べる。朝食を食べていなかったので、多少きつかったものの完食。E氏も食べる方だが、大盛りはきつかったという。

F1000002_8 食後、腹ごなしもかねて、駅周辺の施設、公園(D51-1、陸上自衛隊ひよどり)を案内する。ゼネコンの経験もあるE氏の感覚から見ても、柏崎駅周辺はもったいなく、「もどかしい」印象を受けたという。
 続いて、車で移動し、米山のコレクションビレッジ「黒船館」をご案内した。
 黒船館は、柏崎市内の呉服店「花田屋」さんの3代目吉田正太郎と、その実弟吉田小五郎(元慶応義塾幼稚舎舎長)の収蔵品をもとに、平成7年4月に開館した施設。
F1000003_8 議会でも観光客の減少と、その存続についてかなりの議論になっているが、中に収蔵されているものは、まさに宝物であって、黒船来航時の瓦版や錦絵、ペリーの瓦版、明治の石版画、川上澄生の版画、北大路魯山人のステンドグラスなど貴重なものが多い。
 E氏もじっくりと見学され、「良い物見せてもらった」と何回もおっしゃっていた。
 受付の方のお話をお聞きすると、「是非見てみたい」という問い合わせの電話はあるものの、結局のところ、ご高齢の方も多く、周辺駅からのアクセスが確立していないので、来場してもらえないという。
F1000004_3 もし、この黒船館を含む、コレクション・ロードの展示物が駅周辺にあり、「文化とコレクターのまち・柏崎」といった物語もうまく紹介することができたら・・・・駅周辺のみの局所的な対応ではなく、柏崎市全体を見ての思い切った観光戦略、そして戦略に基づいた綿密な戦術が必要であろう。

格言:戦略の失敗は戦術で補えない

 売店で、『柏崎の民俗』4、5号、『柏崎刈羽』16~20号などを購入する。

 19時からエネルギーホールで、「日本世論の会」柏崎支部の定例会に出席。ソ連崩壊後の公開文書をはじめ、アメリカの歴史見直し、スターリンと手を結んだことの反省などについて、資料を持ち寄り話し合う。
 次回8月3日の定例会では、組織運営の観点から、ミッドウェー海戦の失敗を学ぶこととなった。

 21時から、参加メンバーとともに事務所で軽く飲む。

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