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2006年7月

2006年7月29日 (土)

International Herald Tribune社説

Dsc02890  青春時代を過ごした東京都日野市の「熱い男」渡辺眞議員からこんな情報を頂いた。7月24日、『International Herald Tribune』(The New York Times 23日付)に以下のような社説が掲載されたそうである。

For years, the prime minister of Japan, Junichiro Koizumi, has been making a pilgrimage to a shrine to the war dead that includes 14 Class A war criminals from World War II, seven of whom were hanged.
This shameless pandering to the right outrages China and other victims of Japanese imperialism and makes many Japanese fear that Koizumi is embracing the old militarism. Yet Koizumi is believed to be planning another of these visits to Yasukuni Shrine before he steps down in September. And his likely successor, Shinzo Abe, has said he would do the same. (Abe also recently suggested that Japan should attack North Korea's missiles on the launch pad.)
「正義に対する恥ずべき悪事は中国と他の日本帝国主義の犠牲者を怒らせ、小泉は古びた帝国主義を抱え込んでいると多くの国民を不安にさせた。・・・彼の後継者として確実な安倍晋三も同じ行動をすると言明した(安倍はまた最近日本は北朝鮮のミサイル発射基地を攻撃すべきだとも言った。)」

Last week, a Japanese newspaper added to the national anxiety over this issue by publishing portions of a diary of a former member of the imperial household. He revealed that Hirohito, the emperor who led Japan into a Nazialliance and a drive to rule Asia, stopped going to the shrine in 1978 after it added the war criminals to the list of thousands of souls lost in Japan's wars. "This is from my heart," Hirohito was quoted as saying.

 「日本をナチとの同盟と、アジア支配に導いた天皇ヒロヒト」・・・?

One would think this would have some effect on Koizumi and his supporters.
But he told reporters dismissively that "everyone has their own feelings" and that the emperor's remorse would have no effect on him.
The emperor almost certainly committed war crimes himself, which were ignored only because of the exigencies of the postwar era. But apparently this elderly product of an imperial age had more room in his heart for doing the right thing than a self-styled modern reformer, international leader and Elvis lover.

「天皇は彼自身まず間違いなく戦争犯罪を犯したのであり、それが見逃されたのは戦後期の急迫した事態の要請によるものでしかなかった。それでも、この老いたる帝国主義時代の申し子には、どこかの自称近代的改革者、自称国際的指導者、かつエルヴィスプレスリー崇拝者よりは正しいことをなそうとする心が残っていたように見える」

2006年7月24日 (月)

全国若手市議会議員の会総会

Dsc02744 Dsc02757   3時、起床。ホテルのLANを使い、メールの返信などインターネット環境が必要な仕事を優先に行う。コンビニで『ジパング』『特上カバチ!!』など数冊の漫画を購入し、長風呂。

 さっぱりしたところで10時、ホテルをチェックアウト。

 12時から東京第一ホテル松山にて、全国若手市議会議員の会の役員会。

 13時から総会の受付がはじまり、全国から若手の市議会議員が終結。13時30分から総会。
 来年の会長、事務総長選挙を行い、会長に千葉県市川市の高橋亮平議員、事務総長に神奈川県横浜市の工藤裕一郎議員が就任した。
 16時30分から「道州制に関する」勉強会。新潟県内では熱くなるほどには議論されていない、というよりは現行の新潟県という括りでは無理との声も多いが、九州などは連邦制も主張し、かなり熱い。
 一緒のメンバーは、・・・・・・・・・・・・・・。
 北海道の場合には、すでに道州制のようなものが実施されているが、結局は、

 国-道-支庁-市町村

といった四重構造になっているという。
 リーダーをやらせてもらった関係上、最後は事務局長の香川県坂出市の植條敬介議員とともに、プロジェクターで要望書(案)を映しながら、その場で参加者の意見をもらい、文章を修正、やっと完成した。
 後日、この文章をもって、竹中平蔵大臣のところへ行き、道州制を検討する審議会へのこの全国若手市議会議員の会からの1名以上の委員を選んでほしいとの要望を行う。18時30分に閉会。

 一度、宿泊先のホテルアビス松山にチェックイン。荷物を置いて、19時から懇親会。

2006年7月23日 (日)

愛媛県松山市へ:朝日新聞社説と天皇

Dsc02736 Dsc02737 Dsc02738 Dsc02739 Dsc02740  あまり寝付けないまま、5時近く、高速バスで池袋駅に到着。そのまま浜松町まで移動し、モノレールで羽田空港第2ターミナルへ。

 空港内の売店にて、納豆関係の定食を探すも見つけられず、ツナサンドイッチと「一日分の緑黄色野菜」ジュースで朝食。羽田7時20分発のANA583便にて、松山空港へ。9時過ぎに松山空港に無事到着。バスでJR松山駅に行き、駅周辺を1時間ほど歩いてみる。観光都市らしい仕掛けがあちこちに仕込まれているのが面白い。

 電話があったので、急遽インターネットカフェに入り、3時間ほど原稿の作成など仕事のやり取り。インターネットカフェのメニューにも納豆関連のものがなく、玄米かゆと青汁で腹の虫を抑える。納豆が恋しい。

 14時過ぎ、「土用の丑の日」であることもあり、せっかくだからとコンビニで「うな重」と納豆を購入し、それをもって宿泊先のホテルザ・エルシィ松山にチェックイン。食べながら、書類を作成し、17時から某氏と市内の某店で情報交換を兼ねた飲み飲み。

 23時過ぎ、ホテルに戻り、さすがに眠いので就寝。

 先般の宮内庁長官・富田朝彦氏(故人)による昭和天皇の発言とされる靖國問題を後追いで各マスコミが報道したなか、朝日新聞の社説のタイトルは、

 「A級戦犯合祀 昭和天皇の重い言葉

である。こういった時には天皇の名を重く使うのである。
 それに対し、これまでの皇室に関する朝日新聞の社説のタイトルはどうなっているかといえば、

 06年1月31日「麻生発言 天皇を持ち出す危うさ

 06年2月2日「寛仁さま 発言はもう控えては

と非常に軽いどころか、失礼である。
 主張のためなら天皇の名さえ使い分ける・・・・もう何でもアリになっている。

2006年7月19日 (水)

市政に関する報告会、トルコ文化村問題の処分

Dsc02695  手紙やFAXなどの返事を書いているうちに3時を過ぎてしまったため、風呂に入り、5時に就寝。

 10時から市役所4階大会議室にて、市政に関する報告会に出席。報告は、家庭ごみの有料化、刈羽村からの給水要請、その他である。

Dsc02692  昼食は会派室で「たじりや」(電話:0257-23-3252)のカツ丼。Dsc02693

2006年7月18日 (火)

ミミズちゃん、熊太郎:豊かな土へ

Dsc02663 3時、就寝。8時、起床。週刊誌などを持ち込み、長風呂。9時から2件の来客があり、食事をとる間もなく、お昼となった。
 だるい湿気なので、シャッキリしようと韓国の「辛ラーメン」とメキシコの「サルサ・デス・ソース」、そして干し納豆を入れ、激辛の納豆ラーメンで昼食。胃がジリジリする辛さとなった。

Dsc02683 午後からひたすら事務所の整理。16時過ぎ、単純作業が続いたので、気分転換に買い物にでる。
 柏崎港近くの釣具屋さんにいき、太いミミズの「ミミズちゃん 熊太郎」を500円で購入。自宅の裏庭にいるミミズは細い貧弱なので、是非、太い元気なミミズがほしかったのである。
Dsc02687 事務所には使い古しの水槽があり、そこに生ゴミから作った肥料を混ぜ込んだ土を入れ、色々な植物を育てている。
 今度はそのなかにミミズを入れ、甥っ子に「ミミズが大地を作っている」ということを教えたいのである。

Dsc02686 土の上に買ってきた「ミミズちゃん 熊太郎」をあけると、太くて元気なミミズがウニョウニョとでてきた。なにせ、「熊太郎」である。しばらくすると全部のミミズが土に潜っていった。小さな水槽のなかの土であるが、豊かな土になってもらいたい。
 ちなみに、ミミズは約4億年前から地球におり、色々な進化をして、現在では、分かっているだけでも約3000種類がいる。

Dsc02691 21時、脂身を切り取った越後もち豚で作った豚カツ、鯛のあらの潮汁、ばい貝の刺身で夕食。潮汁に入れた三つ葉が、歯ごたえもよく、香りも良かった。ミミズ君たちの力を借りて、今度は三つ葉を育ててみようかと思う。

2006年7月17日 (月)

事務所入り口をちょっと粋に

 3時、就寝。8時、起床。10時から事務所で打ち合わせ。

Dsc02656 11時、めかぶと小粒納豆、卵の納豆丼、地元のもずくを入れた味噌汁でブランチ。もずくの歯ごたえ、磯の香り良く、卵黄を仲介にし、納豆によく馴染んだめかぶも力強い。肉を入れずにこれだけ満足できるのは、大豆の力もそうだが、海草の力も大きい。

Dsc02657 午後から事務所の整理をしていたところ、玄関がどうしてもさびしい感じがしてきた。コンクリートのうちっぱなしになっているので、汚れも目立つ。
 そこで、まずは竹をドアの幅より2mmほど長く、鋸で切り、木槌を使って、ドアの下部に入れ込んだ。
Dsc02658 次に、ホームセンターに行き、庭に敷き詰める白い石の袋を900円で購入。いっきに玄関に石を流し込む。
 先ほど、ドアの下部に入れ込んだ竹がせき止めており、石は玄関のなかにとどまる。
 これで、ちょっとは粋な感じがする玄関になったかと思う。

Dsc02662 19時近く、スーパーで半額になっていた鯛のあら、鯵の握り鮨を購入。鯛のあらの頭を塩焼きにし、牛蒡のサラダとともにビールを飲みながら、録りためたチャンネル桜の番組などを見る。
 今年、クリント・イーストウッドの監督で、日米両方からみた硫黄島が映画化される。

2006年7月16日 (日)

小雨のなか、どんGALA2006

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2006年7月13日 (木)

戦後60年の断絶:中山成彬衆議院議員

F1000001_32 3時、就寝。8時、起床。砂糖水を入れフワフワにした中粒納豆を使っての納豆巻きで朝食。普段の納豆攪拌回数は18回であるが、女性にも食べやすい納豆巻きという宿題をある企業さんからもらったので、簡単に量産でき、かつコストも抑えつつ、女性の味覚に合う納豆巻きとして、フワフワの納豆巻きを作ったのである。海苔との相性を選ぶが、なかなかの出来であった。

 8時30分から12時まで、業者さんにお願いし、事務所の天井埋め込みクーラーの洗浄。部屋一面を防護しての本格的な洗浄であり、パソコンでの仕事ができないので、読書タイムとした。

 
 この本は、真珠湾攻撃直後の昭和16年12月にNHKラジオで放送され、翌年1月に書籍のかたちで発行されるやベストセラー書にもなった大川周明博士の『米英東亜侵略史』を全文掲載し、解説を加えたものである。
 よく大東亜戦争の『「アジア解放」という大義は、あとから適当につけたもの』という論調があるが、この本を読む限りではそうは言えないであろう。また、ベストセラーになったことも、当時の日本、アジアがおかれた状況を、国民がどう捉えていたのかを裏づけよう。

F1000002_17 12時過ぎ、甥っ子が遊びに来たので、「うれっ子」(電話:0257-22-4648)の「チャーシューつけめん 大盛り」を分けて食べる。甥っ子もだんだん食べる量が増えてきており、いままでは麺をチュルチュルすするだけだったのが、チャーシューも食べるようになった。確実な成長を感じる。

F1000003_19 13時から打ち合わせ2件。その後、事務所の整理。19時、秋刀魚の一夜干し、ほたてのバター焼きでビールを飲みながら、再度、大川周明博士の『米英東亜侵略史』の部分を読み直す。
 先月の6月10日に行われた「教育再生地方議員百人と市民の会」第8回総会に前文部科学大臣である中山成彬衆議院議員が、大変分かりやすい文章をお寄せになった。『米英東亜侵略史』を他人に紹介するときには、是非、添えたいものである。


今こそ戦後60年の断絶を
      
克服しなければならない

 「日本は絹産業以外には、固有の天然資源はほとんど何もない。 日本は綿も羊毛も石油も、錫もゴムも、そのほか、実に多くの原料が欠如している。そして、それらすべて一切がアジアの海域には存在していた。もし、これらの原料の供給が断たれたら、日本国内で 一千万人から一千二百万人の失業者が出ていただろう。従って、日本が戦争に突き進んでいった動機は、大部分が安全保障の必要性に迫られてのことだったのです」

 これは1951年に開かれたアメリカの上院軍事外交合同委員会で、ダグラス・マッカーサーが語った言葉です。マッカーサーは終戦後、日本に進駐した連合国軍総司令部(GHQ)の最高司令官であり、東京極東裁判を指揮した人です。
 この人がアメリカに帰った後、上記のように「日本が戦争に突き進んだ目的は大部分が安全保障の必要性に迫られてのことだった」 と語った事実はほとんど知られていません。
 戦前、世界の「経済ブロック化」の中で、日本に石油等の輸出を 禁止した「米英支蘭」のABCD包囲網に対処して、「自存自衛」のために日本が戦争に突入したとマッカーサー自身が認めているのです。
 今年の衆院予算委員会でも、先の戦争は日本の侵略戦争だったと主張する野党の議
員がいましたが、敵の大将であったマッカーサーがこのように証言していることを知らないのかと言いたい気持ちでした。いわゆる東京裁判史観といわれる、戦前の日本はすべて悪かった、暗黒の時代であったという教育を受けてきた人々が、今各界の要路にいます。私はこの呪縛・マインドコントロールから脱却する事がこれからの時代を生きる日本人にどうしても必要であると考えます。
 連合国の占領下において、戦争に勝った方が負けた方を一方的に裁くというおよそ国際法違反の東京裁判が行われ、多くの人々が断罪されました。そして占領中はGHQによって厳しい検閲が実施され、「戦争責任周知徹底計画」に基づき大東亜戦争が日本の「侵略戦争」であったことを日本国民に徹底的に刷り込みました。そして、東京空襲や原爆投下のようなGHQの不利になるような非難は記事にすることも口にすることも許されませんでした。昭和27年に日本が独立した後も、ソ連のコミンテルンの指令を受けた左翼陣営の影響力が強かった為、占領軍が隠した事実は公にならず、教科書でも教えられず、いわゆる自虐史観に基づく日教組主導の教育が長らく続いてきました。
 この間、中国・韓国からは歴史認識について執搬な非難が繰り返され、日本はその場しのぎの理不尽な謝罪をし続け、ますます相手につけ込まれる事態となっています。
 日本の近現代史が始まるのはペリーが鎖国中の日本に開国を求めて来航した1853年からといってよいでしょう。日本が長い鎖国の太平の夢から目覚めて明治維新を進めた当時は、世界はまさに列強による食うか食われるかの植民地争奪、帝国時代の真っ只中でした。その中にあって、不平等条約の改定やロシアの南下防止など、我々の先人達が日本の独立と平和を守る為にどれ程苦労し、血と汗を流してきたことでしょうか。
 確かに戦前の一時期、行き過ぎて近隣諸国に多大の損害と迷惑を掛けた事実は事実
として、率直に謝罪しなければならないと考えます。しかし、欧米諸国の植民地主義はもっとひどいものでした。イギリスの大英博物館はほとんどがエジプトなどの植民地からの略奪品の山であり、創氏改名どころかフィリピンやインドは言語まで英語に変えさせられていますが、非難された事は寡聞にして知りません。何故日本だけがいつまでも謝罪を求め続けられるのでしょうか。その理由は我々日本人にあると思います。
 先の大戦、大東亜戦争(これもGHQにより太平洋戦争と改めさせられた)は日本民族にとって史上初の敗戦であり、大きなショックでした。それに続く独立までの日本弱体化をめざした連合国側の占領政策によって日本人は自信と誇りを失わされました。そして戦前をすべて悪とする、今日に至る60年間の戦後の自虐教育によって、日本人は自分達が悪かったという呪縛から抜けられず、さらに 日本古来の良き伝統文化まで否定され、戦前と戦後に大きな断絶を生じています。私達の現在の生活は先人達の工夫と努力の上に成り立っており、その結晶を受け継いでこそさらに発展させられるものであります。今の日本は根無し草になっています。私達はこの日本列島に住み続けた先祖の営々とした営みに思いを馳せ、長い間築き上げてきた伝統や文化をもう一度今に甦らせるという「温故知新」の精神で日本再生を果さなければならないと考えます。

2006年7月 8日 (土)

ミサイル防衛と地方自治体:海開き、結婚祝い

 3時過ぎ、やっと企画書が完成。ここ1年ででた『ゴルゴ13』の単行本を読みながら寝る。6時30分、起床。朝一でメールを開くと、また同じ内容の連続メールが入っており、「右翼の利権家(原文ママ)へ」などと書かれている。よくそんな「暇」と情熱があると感心する。さらに本ブログはもとより、色々な掲示板でも書かれているようであるが、これで誰が得をするのか、多くの方にはご推察いただけるものと思う。

Dsc02513 10時30分から米山海水浴場の海開き、安全祈願祭。
 米山海水浴場は海開きをこの20年間、単独で行っている。安全祈願祭の後、ご挨拶をすることとなったので、柏崎の海水浴場が水の綺麗さと安全な海として認知度が上がっていること、「体を使って、頭も使える」海水浴場である米山海水浴場であり、歴史遺産が多くある(例)松田伝十郎、などを話題とさせてもらった。
Dsc02514 引き続き、懇親会となり、米山町の海の幸を中心にご馳走になった。高価な魚となった鰯を使った胡瓜との和え物が絶品であり、蛸をはじめ、とれたての刺身の食感が口中に心地よい。

Dsc02515 14時から岩室温泉「ゆもとや」にて、新潟市議会の山本あきこ議員の結婚お祝い会。自分とは、まったく政治スタンスの違った彼女ではあるが、同じ1970年代生まれの議員として、応援している。それは、他の「にいがた70年代議員の会」メンバーも同じであろう。

Ya 写真は、左から三井田、魚沼市 牧野あきら議員、長岡市 桑原望議員、新潟市 山際敦議員、新潟市 栗原学議員、新潟市 佐藤ケン議員。前列、山本亜希子夫妻。

Dsc02518 障碍をお持ちの方などが中心となっている小規模作業所「工房はたや」の豆腐「豆天使」が各テーブルの上に置かれていた。
 この豆腐は、大豆を丸ごと粉砕したもので、通常、産業廃棄物となる「おから」も含めての製造となるため、ゴミの面からも栄養面からも注目されている。豆腐それ自体も良いが、こだわりをもった仕事を生きがいとされる

Dsc02524 お祝い会終了、宿泊する議員の部屋で休憩させてもらい、19時、参加した議員で「こまどり」(0256-72-2827)にて「野菜とんこつ味噌ラーメン 714円」の夕食。
 国産小麦でうった喉越しの良い自家製太麺ととんこつの重厚さに負けない味噌の深みがあった。
Dsc02528 シメとして、これまた全員で「ソフトクリーム 250円」を注文。温度設定を間違ったのか、まろやかなソフトクリームとはいかず、ザラザラとした食感で表面がシャーベット状。残念であった。

 今回の北朝鮮のミサイル発射を受け、日本海側の各自治体の首長は動き始め、もちろん我が県の泉田知事も動きはじめている。
 同じ日本海側の鳥取県の名物知事・片山知事は、発射の兆候が報じられた6月下旬の段階で、ミサイル発射を想定しての「弾道ミサイル緊急対処要領(案)」を作成し、国から市町村や消防に情報を発信しており、今回も国から一報を受けた30分以内で防災監ら担当職員が県庁に登庁していたという。
Mis  対処要領を作り、いつ何があっても行政として動ける状態にしておくのが首長の仕事である。世界最大の原子力発電所を抱え、日本海に面している柏崎市が可及的速やかにやることもはっきりしているはずである。本気になって地元住民を守ろうとしているのか否かは今回のことで証明される。

2006年7月 7日 (金)

北朝鮮・宋大使発言と当事者意識

Dsc02510 2時、就寝。6時、起床。溜まった月刊誌等の切り抜き、PDF化をし、捨てるものを分ける。9時近く、愛車にて十日町市に向かって出発。途中、高柳町の天然酵母のパン屋「麦麦ベイク」(電話:025-741-3032)で焼きたての「じゃがいもパン」、「チーズフランス」、良寛牛乳の「コーヒー」を購入。「じゃがいもパン」を朝食にする。

 10時過ぎ、十日町市の庭野茂美議員のところで雑談。先日のクロアチア・ユニフォームの問い合わせも多かったそうである。
 十日町市議会では今度の臨時議会のなかで、北朝鮮のミサイル発射にかかわる意見書などを議論するという。それに比べ、もっと当事者意識をもつべき柏崎市はどうであろうか。いまのところ、臨時議会の提案もなく、議会としても大きな動きはない。議会の運営を決める議会運営委員会は全会一致での運営を基本とするため、現在の体制では、こちらから提案してもほぼ実現できない。

 米海軍のイージス艦が今回動き出している。「万景峰号」の入港に抗議する我々とはまったく相容れず、以前、イージス艦が新潟港に寄航するだけでも、『軍事行動だ』『アメリカに帰れ!』などと、港で抗議をしていた新潟県内の「平和、反戦」を主張する政党、団体の皆さんがいた。その方々には、今回の北朝鮮のこれほど明確な軍事行動をどうお思いなのか。是非、同様に非難してもらいたいものである。

 北朝鮮の宋大使は記者会見でこんなことを言っていた。

 「ミサイル発射で日本政府が発動した制裁措置は言語道断で、破局的な結果をもたらしかねない。もっと強い別の対応をせざるを得ず、今後の日本の対応を注視し、対策を検討する。6日の外務省報道官談話にある「ほかの形態のより強硬な物理的行動措置」は日本を念頭に置いたものだ日朝関係は最悪の状態を超え、対決局面に入っている。米朝関係より悪化している。ミサイル発射は日朝平壌宣言に違反しない。宣言は両国関係改善の里程標。有効で、今後も履行努力を続ける。日本は平壌宣言以降、違反する行動をなしくずしに取ってきた。ミサイル発射凍結は宣言の精神が尊重され、履行される過程に属する問題で、日本が宣言に従って過去清算などに取り組まないため、発射凍結も効力がなくなった日朝国交正常化交渉を含む日朝協議は準備が整えばいつでもできるという立場だ。条件にはこだわらない。拉致問題の再調査は横田めぐみさんの「遺骨」返還が先決。返還されるまで一切動かない。金英男さんが日本メディアとの会見で、夫として妻の痛ましい死について語らざるを得なかった事実を日本国民は深く考えるべきだ」

・・・・・・・開き直り以外の何物でもない。

Dsc02512 12時過ぎ、自宅に戻り、祖母に生麺を使った「つけめん」を作り、自分では「麦麦ベイク」の「チーズフランス」で昼食。
 午後から事務所の掃除をしたり、ブログへの書き込みやメールの返信など。最近特にメールが多いので、返信に時間がかかる。自分のサイトの掲示板への荒しも多く、なかなか返事を書く時間がとれない。

F1000001_31  19時から柏崎青年会議所の委員会活動。ぎおん祭りのたる仁和賀などの打ち合わせ。委員会終了後、22時から「野立」(電話:0257-24-4136)にて、新メンバーを入れての歓迎会。
 刺身盛り合わせ、握り鮨、焼き鳥、鳥のから揚げなど。特にシメ鯖の握りがうまく連続で食べてしまった。

F1000003_18  参加者は8名。一口おにぎりを作ってもらい、8個中、1つはたっぷりの山葵、1つはさらにたっぷりの洋からし、残りは筋子を具にし、ロシアンおにぎりを敢行。なんとか当たらずに済んだが、当たった2名は悶絶していた。

 23時過ぎ、自宅に戻り、企画書の仕上げを行う。

2006年7月 6日 (木)

柏崎青年会議所:7月例会

Dsc02498   4時、就寝。8時、起床。朝食をとらず、そのまま店舗の掃除や片付け。
 13時、一度自宅に戻り、冷凍の中華めん使って「つけめん」を作る。つけ汁は、豚細切れでダシをとり、シメジを入れ、温かい汁にした。

Dsc02499 食後、事務所で仕事をしてところ、某氏が差し入れに来てくれ、「メキシコ料理に近いから」とケンタッキー「サザンBBQツイスター」を頂戴した。食べた直後であったが、せっかくなので一緒に食べることに。
 かぶりついたときのいんげんの食感もよく、BBQソースも好みであるが、中に入っているチキンが油まみれであるところがマイナスな感じであった。

Dsc02501 18時30分から、エネルギーホールにて、柏崎青年会議所の7月例会「『イン・コア・柏崎』 構想の全体像」。
 これからの柏崎をどうするのか、まちづくりの提案である。今回はJCメンバーだけではなく、柏崎市役所柏崎商工会議所、まなびすとin柏崎、柏崎青年工業クラブ<敬称略>にもご参加頂いた。


「イン・コア・柏崎」
(information core city kashiwazaki)構想
    基本理念及び実施概要(案)

基本理念
 平成17年5月1日の市町村合併により、上越市・長岡市の大型圏域に挟まれた柏崎市は、産業や観光など独自性を持つ、埋没しない地域づくりが必要不可欠であると考えます。地域間競争がより一層激しさを増す時代において、魅力あるまちづくりは私たち青年会議所が考えなくてはならない重要な要素です。  
 現状の柏崎市に於ける産業と観光に関する課題・問題を的確に把握すると共に、今後の柏崎市をより効果的な手法で創造する為に、「イン・コア・柏崎」(information core city kashiwazaki)構想の事業提言を行います。
 内容はソフトウェアー及びハードウェアーの2本の柱から構成されます。

 ソフトウェアー面では、各業種別にオンリーワン柏崎ブランド創設の事業立案・提言を行います。
 1次産業では特産品創設。2次産業では特化した技術発信や企業誘致や雇用の拡大。3次産業では柏崎らしい名物の創設等を行います。
観光振興策としては、市内観光行事の一括管理・共同開催や開催時期の調整等で集客効果のある観光を目指します。各種ロケ等の誘致や、朝市・定期市の設置も目指します。
 ハードウェアー面では、柏崎市の総合的な情報集積・発信・活用施設の事業立案・提言を行います。
 「イン・コア・柏崎」を中心とした柏崎市内の情報の集積・発信・活用が行われることにより、市内観光は基より、産業面では市内企業の活性化を期待するものです。また、世界最大の原子力発電施設を持つ当市の現状を考え、原子力関連情報公開の場としての活用することや市民の身近な生活情報(医療や福祉・環境問題・学校教育・子育て支援等)の集積発信機能を持たせることにより施設の付加価値を高めます。


 こういった提案は賛否両論あることであろうし、また批判するのは簡単である。しかし、

 「言うは易し、行うは難し」

である。
*「言うは『やすし』、行うは『きよし』」は「やすきよ」の定番ギャグ。
 柏崎青年会議所が提案団体から実践団体へのステップアップのときではないかと思う。

 今回の3分間スピーチタイムでは、突然のご指名を頂戴した。これまでJCのメンバーとの交流を通して、各人がもつネットワークを知ったので、それを生かすこと。提案するだけではなく、何といわれようと実践を行うこと。異質なもの同士が生む創造、柏崎をどうしていくかは10年ではなく5年スパンで考えた方が良いのではないか等をお話させてもらった。

 どうしてもここ両日中に作らなければならない企画書があったため、懇親会は欠席させてもらった。 

Dsc02505 今回、提案のあった荒浜名産である「さつまいも」を使った「さつまいもチーズケーキ」「さつまいも笹団子」を早速、母とともに食べてみた。
 「さつまいもチーズケーキ」はさっぱりとしており、いくつでも食べられそうな感じであった。チーズの風味が強ければイモ感が損なわれるであろうから、微妙な調整があったことと思う。
Dsc02508 「さつまいも笹団子」は、笹が少し乾いていたせいか、なかなか開きにくく、中身がべろっとでてしまった。この点は少し改良が必要かと思うが、緑色の笹から鮮やかな紫色、そして黄色という色のコントラストは美しい。
 秋の「平成18年度秋の菜菜・色彩・食菜祭り」でのデビューが楽しみである。

Dsc02509 23時、妹の嫁ぎ先からもらった小ぶりのじゃが芋をレンジで茹で、バターをつけた「じゃがバター」、越後豚での「生姜焼き」で夕食。
 じゃが芋は、やはり皮付きで丸ごとガブリとやるのが美味しいが、皮がついたままにバターを塗るのは容易ではない。最後は大粒納豆ご飯でシメる。

2006年7月 5日 (水)

北朝鮮ミサイル発射、アメリカ独立記念日

 3時、自宅に戻る。2時間ほど仮眠してから柏崎準倫理法人会の経営者モーニングセミナーに出席しようと思っていたが、思いっきり寝過ごしてしまい、8時に起床。

Dsc02494 7月4日がアメリカの独立記念日であり、またお約束のホットドック早食い世界選手権が開催されるので、昨日か今日でそのことを書こうかと思っていた矢先、なんと北朝鮮がミサイルを6発も発射した。しかも、今日は新潟に万景峰号が入港する日である。
 驚きと「とうとう撃ったか」 という思いとともに、朝から干し納豆を入れた納豆ガーリックチャーハンを作り、テレビ各局をザッピング。

 9時から各支払い、集金などをし、12時過ぎに市役所観光交流課へ行き、先日の「満州柏崎村慰霊の旅」のレポートを提出。文章はワードで作成したが、写真も多かったため、CDに焼くほどのサイズになってしまった。

Dsc02496 13時過ぎ、一度、自宅に戻り、梅干をのせた「梅干冷やし中華」を作り昼食。会社員時代、福島出身の同期の連中が必ず冷やし中華にマヨネーズをたっぷりかけていたので、それを思い出し、マヨネーズをかけてみる。よく考えたら、醤油ダレではなく、胡麻ダレだったので、しつこくなり過ぎた。

 17時過ぎまで、店舗の掃除や片付け。自宅に戻ると市長が記者会見で述べたという「北朝鮮のミサイル発射についての見解」というFAXが届いていた。


               平成18年7月5日

  北朝鮮ミサイル発射についての見解

            柏崎市長 会田 洋

 北朝鮮が7月5日朝3時30分過ぎから8時30分過ぎ
までの間にミサイル8発を発射し日本海に着弾しました。
 柏崎市では、危機管理対策連絡会議を招集し対応に万全
を期しているところです。
 今回、我が国を始めとする関係各国による事前の警告にも
拘わらず発射が強行されたことは、日朝平壌(ピョンヤン)
宣言にあるミサイル発射凍結に明らかに反する行為であり、
日本国民を始め、北東アジアや世界平和を求める多くの
人々の願いを踏みにじる行為であり極めて遺憾です。
 北朝鮮のねらいは、六ヵ国協議、特にアメリカとの交渉
を有利に進めたいとの思惑であるとするのが一般的な見方
であると思いますが、8発ものミサイルを日本海に向け
発射したということは、我が国の安全保障とともに国際社会
の平和と安定、大量破壊兵替の不拡散という観点からも
重大な問題です。かような行為に対して、政府は毅然とし
た措置を速やかに取るよう要望します。
 なお、日ごろから柏崎刈羽原子力発電所のテロ対策に
ついては、事業者及び警備当局に対し万全な体制を取る
よう要請しているところです。
 今回の北朝鮮のミサイル発射は、現時点では差し迫った
段階に至っていないと判断される
ところですが、原子力
発電所では一層の警戒体制強化が図られています。
 市民の皆さんには冷静な対応をお願いいたします。


 「市民の皆さんに冷静な対応をお願いする」のは分かるが、現実的な軍事力の脅威と、防衛力については触れていないうえ、テロについてのコメントが軽いような気がする。
 今回のミサイル発射で分かったのは、北朝鮮のミサイル精度がいい加減ということであるが、着弾誤差が大きいからといって原子力発電所に命中しないとは限らない。
 こんなことを書くと怒られるかも知れないが、この北朝鮮のミサイル発射を「チャンス!」 と捉え、柏崎が世界最大の原子力発電自治体であること、また日本海に面し、首都圏のエネルギーを供給していることを全国の各マスコミ、そして政府に強くアピールするべきではなかったかと思う。
 柏崎の存在価値、ブランド価値を・・・と書いている矢先に北朝鮮が7発目の発射を行った。「ご乱心」どころではない。軍の統制が効かなくなっている可能性もある。

 新潟県は、「万景峰号」の新潟港への入港を「半年間」禁止を発表したが、今回だけは人道的措置として、学生等乗船者の下船だけは認めたようである。
 しかし、入港禁止については、自分から「半年」と言うべきではなかったと思う。とにかく、「永久にでも禁止」とし、まずは日本の強い態度を見せるべきではないだろうか。
 日本の甘い態度が、かえって違うメッセージを北朝鮮に与えるような気がしてならない。
 是非、北朝鮮近海で海上自衛隊と米海軍による合同演習でも行って、

 「ちょっかいだしたら、
          
火傷しますよ」

とのメッセージを北朝鮮に送ってもらいたい。
 自衛隊はまずその存在が威嚇力である。よく「自衛隊がいると、戦争になる!」という平和運動家がいるが、イザとなったら国防の任にあたる自衛隊がいるからこそ、むやみに戦争を呼び込まないのである。演習、訓練も同様であり、そのこと自体がメッセージとなる。
 海洋国家である日本にとって、陸上自衛隊が出動する事態はあまり考えたくはないが、訓練は必要となる。以下は、昨年お邪魔した陸上自衛隊、一般公開演習の一部の模様である。

 今回の北朝鮮・ミサイル発射のニュースの陰に隠れているが、韓国調査船のEEZ侵犯も大きな問題である。

Dsc02497 22時、スーパーで半額になっていたアオヤギの刺身を中心にビール。アオヤギが小さなこともあり、ちょっとでも醤油が多めについてしまうと、せっかくの風味が楽しめない。箸ではなく、つまようじでつつきながら、軽く醤油をつけて食べた。最後は納豆ご飯でシメる。

2006年7月 4日 (火)

トルコ大使館へおしかけた?
「戦艦 大和」新写真!

 1時、自宅に戻る。会派の視察日程などを雑用をし、4時就寝。青森県のコンパクトシティを早急に視察し、9月議会に間に合わせるということで、先方や宿泊先の確保などやっとの調整であった。

Dsc02490 8時、起床。9時から来客。10時過ぎ、黒豆納豆に山葵を多めに入れての納豆ご飯で朝食。黒豆納豆には山葵が合うとは思っているが、人によっては、この山葵の揮発性の辛さが黒豆の深みを消してしまうのではないか、という意見もある。今度は別の香辛料で試してみたいと思う。

Dsc02489_1 13時、母がメギスを友人からもらったとのことで、早速、煮付けて昼食。祖母は最近、魚の骨をとるのも億劫がるので、骨から身をはずしてあげ、食べてもらった。毎回、ここまで手をだしてやっていては、ますます痴呆がすすむであろうから、時間があるときにはなるべく自分でやらせるようにしたい。

 午後から打ち合わせ、2件。

Dsc02491 19時から市民プラザで、「どんGALA!2006」の打ち合わせ。「どんGALA!2006」は本場の高知からも、静岡県沼津市の「よさこい」と並んでのお祭りに数えられているそうで、いまや全国区に育っているとのこと。市内では「よさこい」という踊り自体に賛否を述べる方も多いが、ここまで観光イベントとして育ってきた以上、伸ばしたいものである。
 今日がほぼ最終の打ち合わせなのに、今までなかなかスケジュールが合わず、今回やっと出席できた。当日は、ぶっつけ本番の担当なので、特に調整事項はないものの、全体の流れを掴んでおかないと、慌てることになる。

Dsc02492 21時過ぎ、自宅に戻り、秋刀魚の一夜干しとくめ・クオリティ・プロダクツさんの新作「クール納豆茶漬け」で夕食。水がポイントになるが、あいにく美味しい水を入手できず、冷たい麦茶をそそいだ。次回は、鵜川の美味しい水で食べてみたい。

 24時近くになって、電話があり、どうしても来てほしいという。仕事もあったので、何回か断るが、仕方なく、某スナックへ。

Yamaton 大東亜戦争時末期、沖縄海上特攻作戦に出撃する5時間前の「戦艦 大和」を撮影した米軍の偵察写真が米国立公文書館で見つかたっというニュースがあった。しかも、一緒に海上特攻に向かった「軽巡洋艦 矢矧」なども写っており、キャプションには「戦艦『大和』級1、重巡洋艦1、駆逐艦6」(奇跡の艦「駆逐艦 雪風」「駆逐艦 冬月」も写っているであろう)とあったそうである。新聞紙上に掲載されたのは、雑務船が作業している1枚だけであったが、是非、他の写真も見たいものである。

 昨日、事務所へこられた方をはじめ、実際にお会いした何人かから、私を含む地方議員が柏崎トルコ文化村の件でトルコ大使館へおしかけたのではないか、という話を聞いた。
 市長も議場で同様の発言をしていたが、内容としては、私を含めた地方議員数人が柏崎トルコ文化村の件で抗議か何かの?署名をもって、トルコ大使館まで押しかけたというものである。
 気持ち良ーぃ(「もろこし体操」風に)ぐらいに間違った情報である。まず、第一に私は同席もしていないうえ、そもそも地方議員のメンバーも柏崎トルコ文化村の件でトルコ大使館を訪れたわけでもなく、柏崎トルコ文化村のことで集めた署名など実在しない。
 誰が発信元は不明であるが、勝手な思い込みの情報であり、市長も公式の場、しかも議事録が残る場で発言したことには、人事ながら心配している。地元新聞『越後タイムス』も市長のこの発言を掲載していた。

2006年7月 3日 (月)

<柏崎、こんなはずじゃ・・・>
プルサーマルは「運命の綾」

 1時、就寝。7時、起床。だいぶ体が楽になってきたが、喉がまだ痛い。事務所でできる仕事を優先し、現地に行かなければならない仕事は連絡して延期させてもらった。何のタイミングか、昨日の夜から今朝にかけて、誹謗・中傷のようなメールが数通、HotmailやYahooメールのアドレスで届いていた。

Dsc02487 11時、山芋、小粒納豆、卵をのせた「スタミナ蕎麦」を作り、ブランチ。
 12時からチャンネル桜で、先日出演した「地方議員アワー 故郷から日本へ」が放送された。今回のテーマは「高齢者の生きがい」ということであったが、介護の現場の話を聞くことに夢中になってしまい、反省。

 16時、来客。政治関係の情報交換。

Dsc02488 18時30分から商工会議所で、柏崎準倫理法人会の役員会。「ほっかほっか亭」の期間限定新発売の「野菜ととり竜田のカレー風味弁当 460円」、「たまごマカロニサラダ 100円」の夕食をとりながらの打ち合わせである。

 21時、一旦、自宅に戻り、車に乗り、長岡に移動。22時から懇親会に顔だけだす。

 現在の柏崎とはどういう街なのか、最近は政治方面から聞かれることが多い。その一面を示す文書を長文であるが、以下に引用、紹介したい。


2006年 No.2『ENERGY for the FUTURE』

ルポルタ-ジュ111 新潟県柏崎市の場合
静かな「エネルギー基地」の水面下で起こっていること

                 吉田 威夫

 柏崎市の市長は何度プルサーマルをやろうとしたことか。
 そのたびに何かが起こってプルサーマルは先送りになってきた。
 市長いわく、「プルサーマルは運命の綾」。そのうち市長が交代となり、反原発派も支援する新市長となって、またしてもプルサーマルはいつのことやら……。

名称だけか「反原発三団体」
 一昨年の平成16年11月14日に柏崎市では市長選挙があった。立候補者は3人。現職で当選すれば4期日の西川正純氏(61)と、柏崎市の隣り長岡市の環境部長だった会田洋氏(57)と、前柏崎市議の桜井雅浩氏(42)。いずれも無所属ながら、「保守票が二つに割れ、革新がタナボタ式に勝利した」と言われる結果となった。勝ったのは会田氏で17293票二つに割れたために涙を飲んだのが西川氏16520票と桜井氏15385票である。有権者数は68857で投票率は71.85%だった。
 市長となった会田氏は柏崎市の写真館(「写真界の草分け的存在」といわれる)に生まれ、柏崎高枚を卒業して東京大学工学部に進み、「在学中コレだった」と柏崎高校の先輩が旗をふるマネをしてみせた。「そのため一流企業へ就職せず大阪市の職員となったのだけど、当時の大阪市長も左翼の人だったらしいね」と、その先輩は付け加える。そして、長岡市の市長もそうで、会田氏を大阪市からスカウトして連れてきたが、その市長が市長選を落選したため、会田氏も長岡市を離れ、新潟市にある環日本海経済研究所特別研究員となって2年、柏崎市の革新派に説得されて柏崎市の市長選に出馬、運良く保守が二つに割れたために「漁夫の利」を得たという。会田氏の票の大部分は原発反対派の票だといわれている。柏崎市における反原発票は、大体15000といわれているからである。
 原発の話の出たところで、桜井雅浩氏のブログを紹介しよう、桜井氏は柏崎駅前で学習塾を経営しながら、ほぼ毎日、日誌を付けるように書いているのだという。紹介するのは、昨年の11月25日付で「原子力発電所と柏崎」と題したブログの内容。市長選からほぼ1年経っているが…。

(昨晩の柏崎日報は柏崎刈羽原発訴訟の控訴審について紙面を多く割いて伝えている。1号機の原子炉設置許可を取り消すよう求めていた、いわゆる原発反対派による請求に対するものである。東京高裁は原告の訴えを退けた。改めてはっきり申し上げておきたい。私は現時点におけるエネルギー源としての原子力を認め、かつ核燃料サイクルの意義を認める立場である。そして、同時に国の安全審査体制に対し満足していない。改善が見られない限り、これ以上の協力は認められない、というのが私の国へのスタンスである。更に私は昨年まで市議会における社会クラブのメンバーや、共産党のメンバーにできうる限りの敬意を持って接してきた。自信を持って言える。それは考え方こそ異なれ、その姿勢が一貫していることへの敬意だった。しかし、私は昨年彼らとは訣別した。市長選挙において、自らの候補を立てずに裏に隠れ、表面上の「市民派」を演出することに腐心するという態度を取ったからである。原発反対派の中心を担う地区労の旗開きでは「長年の夢が実現した」と関係者は現市長を囲み、その正直な気持ちを表している。しかるに昨日の控訴審判決に対し、当の市長は、「原子炉設置許可処分が妥当なものであるという判決が出されたことは、市民の安全・安心を守る発電所立地市長としても、大変意義深いものと考えています。」とコメントを発表している。原告代表の田辺氏は92歳というご高齢であるが、今までの御労苦には敬意を払う。そして、反原発の運動が原発の大事故を結果的に防いできたという内容のコメントは多くの市民が正直なところとして納得するだろう。であるのならば、それを引き継ぐべき立場の人間が『そこは大人になって』等という立場でものを考え、進めていくべきではなかった。原発反対派が言う「よりましだ」という理屈は逃げ口上である。原発反対派の存在は柏崎にとっては大切なのだ。私は市長になったとき、反原発三団体に対し、市政功労をさし上げることを決めていた。原発を巡る問題こそ柏崎のエネルギー源だったのだ。しかし、本当に失望した。原発反対派は東京電力と市長が横並びで、判決を「大変意義深い」とコメントしたことをどのように問いているのだろうか。羊頭狗肉が処世術だとするならば、これほど柏崎にとって不幸なことはない。)

 少々引用が長くなったが、3日間柏崎市にいて、いろんな人たちの話を聞いて、この桜井氏のブログが一番柏崎市民の言いたいことを代弁しているように思ったからである。
 「地区労の旗開き」という言葉が出てくる。なつかしい言葉だ。だいいち「地区労」がまだ柏崎市に残っているのに驚く。社会党、総評の末端の組織だった。いまは各地の地区労はほとんど姿を消しているが、それが柏崎市にはまだあるという。
 「旗開き」の「旗」は、むろん「アカハタ」を意味する。お正月の名刺交換会、あるいは賀詞交換会の左翼的表現とでも言っておこうか。いずれにしろ、柏崎市では今も左翼すなわち社会党、共産党の”顔”が存在して、昔ながらの”広い顔”を正月になると皆に見せているということだ。
 彼らの「長年の夢」というのを解説しておく必要があろう。ほかでもない柏崎市長の座をわが派で占めることが、彼らの「長年の夢」だったのである。敗戦後、ただの一回も首長の座を手に入れたことのない柏崎市の左翼だった。だらしなかったのではない。逆に、柏崎市の左翼は筋金入りだったと言っていい。今回、平成の大合併とやらで、田中角栄の故郷として名高い西山町と、西山町が柏崎市の東にあるなら、柏崎市の西にある高柳町と合併して人口も増え、市会議員の定員も3名ほど増えたが、それ以前の定員は30名、うち共産党員が3名。今もって左翼色の強いのが柏崎市の政治状況なのである。ただ、新潟県の知事も柏崎市の市長も、今までは保守一色だった。
 ところが、今は違うのである。知事も市長もプルサーマルと核のリサイクルに対しては、いい顔をしないのである。会田氏も市長選の時に、はっきりとこう宣言したと、原発推進派の市民だが、言うのである。

「原子力発電は柏崎市にとって重要な産業だと考えていますが、プルサーマルと核のリサイクルについては不透明なところがあるから、今のところ私は反対です」

 それはそうと、桜井氏に話を戻そう。桜井氏によれば、柏崎市で「反原発票は15000票はある」という。国政レベルでも常に革新系の票数はそんなものだそうだ。「革新色が強いんですね」と言うと、桜井氏は〝えたりやおう”といった感じで、新潟県は農民運動の強かったところですから」。
 革新色が強いのは”伝統”だというのである。農民運動が今は反原発運動になっているのじゃないか、とも桜井氏は言う。そういえば、ある市民も言っていた。「何故、反原発が今も柏崎市にあるのでしょうか?」という質問を筆者が発したトタン、その人はこう言ったたのである。

「そりや、原発が柏崎にあるからですよ。そうに決まっているじゃありませんか」

 ところで、桜井氏のプログに「反原発三団体」という言葉も出てきた。これについても解説しておこう。
 柏崎市の反原発三団体に絶えず接触し、最もこの三団体に詳しいはずの原子力安全対策課の布施実課長の話である。なお、布施氏は昔は反原発派だったと堂々とご自分で発言できる人でもある。「反原発三団体と言い出したのは彼ら自身じゃなかったですか。ありていに言えば、一つひとつの団体では、もはや何をする力もないんですよ。だから3つが1つになって反原発三団体』と言っているのですが、正確に言うと、『柏崎原発反対同盟』『柏崎刈羽原発反対守る会連合』『柏崎地区労働組合会議(地区労)』の3つです。といっても、3つで20人もいないのじゃないでしょうか。いや、10人もいるかどうか、詳しいことは私にも分かりません。この間も何か三団体から市長へ申し入れがあったばかりですよ」
 そういって「三団体」の申し入れ書を見せてくれたが、なるほど、それにはっきりと「柏崎原発反対地元三団体」とあり、その下に前記3団体の名称があった。恐れ入るしかない。
 その申し入れ書にはこうあった。

「柏崎市長 会田洋殿
        柏崎原発反対地元三団体

 柏崎刈羽原発の停止しての徹底点検と
 ひび割れ制御棒の使用禁止を求める申し入れ書

 日頃柏崎市政の進展にご尽力されている貴職に敬意を表します。
 さて、柏崎刈羽原発では、年始めから原発の信頼を根底から損なう深刻な事態が続発しています。また、東京電力は、自社の原発が柏崎刈羽及び福島県にしかなく、しかもプルサーマル計画はいずれも頓挫しているにもかかわらず、プルサーマル利用計画』を公表しました。これらのことに関し、市民はもとより周辺住民はますます原発及び東電に対し、強い憤りと不信感をつのらせています。
 以下、その主なものについて申し述べ、市長から標記について厳しく対処していただきたく申し入れるものです」

 3日間柏崎市に滞在して取材してきた者として、この文中にある「市民はもとより周辺住民は……不信感を」ウンヌンは、ウソであると言える。自信をもって言える。そんな気配はまったくないのにも問わらず、こんな申し入れを柏崎市長に、それも甲し入れ書の日付によれば2月23日(筆者が柏崎市に滞在したのは26日から)にするとは! こんなことをしていれば、3つの団体があっても1つになって「反原発三団体」と言わなければならなくなるのは当然じゃないか、と思った次第である。

「こんなふうに柏崎がなるとは」
 反原発三団体の申し入れ書の続きはこうなっている。

 「1.流量計試験データ改ざん・ねつ造について
  1月31日、福島第一原発6号機の給水ポンプの流量計試験データが改ざん・ねつ造されていたことが発覚した。この事件もまた、内部告発が契機だった。
  この発覚直後には、『他に不正はない』と表明されていたものであるが、2月10日には柏崎刈羽原発7号機のデータも改ざん・ねつ造されていたことが明らかになった。経済産業省原子力安全・保安院による検査監督や、新潟県等行政のその都度の立ち入り検査もなおざりで、内部告発によってしか表面化しない原発の不正行為に、大きな憤りと不信感と恐怖感すら禁じえない。2002年の東電不正発覚で指摘された課題そのものであり、東電が不正問題再発防止対策として公約したことが、ポーズであり、嘘だったことが明らかである。」

といった調子である。「2」と「3」は割愛させていただくが、「2」は1月9日。やはり福島第一原発6号機で発見されたハフニウム板型制御棒の破損である。すぐに柏崎刈羽原発でも調べられ11本の制御棒にひび割れが見つかった。「3」は2月8日に発見された福島第二原発3号機の再循環系配管のひび割れ。これも柏崎刈羽もきっと同じではないか、と申し入れ書では言っている。いずれも大事には至っていないし、むろん放射能が外部に洩れるという事件じゃないが、反原発三団体の会田市長への申し入れ書では、原発の全号機を停止させて徹底的に点検すること、東電の改ざん・ねつ造の「企業体質」を厳しく追及することなどを命じている。
 もう一度、桜井氏の話に戻ろう。桜井氏はこうも言っていた。当面は原発反対派にはいいだろうが、長い目で見ると、反対派には会田さんが市長になったことはマイナスだと思うと。確かに反対派はいま市の予算などに反対はしていない。予算そのものは少しも変わっちゃいないのにである。今まで通りの予算である。つまり、今までなら反対派が「反対」と言っていた予算。それに、今は反対しなくなったのである。そのうち原発反対派は実質的には消滅してしまうのではなかろうか。「反原発三団体も矛盾を感じ出しているのじゃないか」とも、桜井氏は言っていた。
 こういう反対派の申し入れ書に会田市長はどういう態度をとるのだろうか。
 しかし、今後の柏崎市の経済には「軌道修正」が求められているから、「会田君も大変だろうな」というのは、柏崎市の新名所になっているコレクション・ビレッジにある郷土玩具館『痴娯の家』の岩下正雄館長。原発を柏崎市と隣りの刈羽村に誘致した当時の柏崎青年会議所の理事長だった人。当然のことながら原発推進派と地元では見られている。ほかでもない、コレクション・ビレッジそのものだって、原発誘致に伴う電源三法交付金でつくられたものである。『痴娯の家』はそのビレッジの中でも重きをなしている。
 岩下氏は会田市長を「君」付けで呼ぶ。柏崎高校の会田氏の先輩に当たるのである。会田氏は反原発派と高校の同窓生の力によって市長に当選したと言われているが、柏崎高校の同窓生には岩下氏のような原発容認・推進派も多いから、会田氏当選にどこまで高校同窓会が力を発揮できたか筆者には疑問であるとも言っておきたい。それはともかく、岩下氏の話を紹介しよう。

「ぼくは、原子力発電と原子力発電所は違うと主張している。今、次から次へとトラブルを起こしているのは発電所であって、原理である原子力発電の方は無傷なのですが、そこを一緒くたにしているから、プルサーマルが 始まるのもいつのことやらという状況ですよ。ここの3号機でプルサーマルが始まる予定で、もうそのための燃料だって用意されているんですよ」

実を言えば、筆者は25年前に柏崎青年会議所の岩下理事長に会って話を開いているのである。柏崎刈羽原発誘致の際の手続きの一つとして、地元で「公開ヒアリング」が開かれたが、原発反対派がそれのボイコットを呼びかけ、全国から労働組合員たちのデモ隊がやってきて、公開ヒアリングの会場となった武道館をとりまき、それを排除しようとする機動隊とぶつかって大騒ぎになった。筆者はそれを取材したとき岩下氏と会ったのだ。
「あのころの反対派はよかった」と岩下氏。

「あのころの反対派には信念がありましたよ。放射能と人類は同居できないという信念。情熱もあった。いまの反対派には何もないのじゃないかとぼくには思える。反対の理由も場当たり主義というか、その時その時で違うのじゃないでしょうか。推進派も何といえばいいのかなあ、『原発を誘致して柏崎市にとって何かいいことがあったかよ』と言われると、ぼくなんか忸怩たるものがあるんだけど、やはり原発があった方がよかったのじゃないかと思うよ。原発がなかったら、いまの柏崎はない。いずれにしても、これからが柏崎の正念場なのでしょうね」

 当時取材した人にもう一人会った。小林治助氏である。お父様が柏崎の市長だった人で、その小林市長と田中角栄氏の間で原発誘致の話が出たのが、そもそも柏崎刈羽原発のはじまりだそうだが、小林さんは代々小林治助商店を経営していて、家長は「小林治助」を襲名することになっている、小林治助柏崎市長は昭和38年から昭和54年まで4期続いた。柏崎市の市長としては最長記録で「各市長」の誉れが高かった。というわけで、その父がはじめた原発、当然、若かりし息子の小林治助氏も大の推進派だった。当時、小林氏もまた青年会議所のメンバーで、岩下氏らとともに原発誘致に奔走していた。以下は、その小林治助氏のいまの話だ。

「若い人にね、いまの原発推進派の人たちのしていることを見て、どう思われますか、などと聞かれることがあるのですが、そういう時私はこう答えることにしている。こんなふうに柏崎がなるとは思っていなかった、と。柏崎刈羽原発7機全部動き出した時、東京電力は那須さんが社長でしたが、その那須さんが挨拶に立ち、『ふるさと公園』を作って柏崎市に御礼に進呈しようと言った。その時私は、この人はいったい何を考えているのだろうか、と思ったものですよ。柏崎市民が欲しがっているものが何もわかっちゃいない。『ふるさと公園』なんて、市民の誰も欲しいとは思っていなかった。いま建設中ですが、新市長の会田さんは選挙演説の中で、その公園を見直そうといって当選したんですから。私の親父の考えていたのはそんなもんじゃない。発電所から出る余熱を利用した農園の大構想とか、水産資源の培養とかです。なにしろ柏崎市は世界一のエネルギー基地じゃないですか。市民はもっと胸を張って堂々としなければ。結局、親父のあとを次いだ人たちに、柏崎市をこうしようというビジョンがなかったということじゃないでしょうか」

 そういえば、発電所から出る余熱の利用法について方々で考えられているが、柏崎市にはそういった施設は全然見当たらない。そのかわり何が作られたのか? 『新潟日報』が今年の2月に入って「転機の原発交付金」という連載を企画したが、それに「電源三法交付金で柏崎市が整備した主な施設」という一覧表があった。それを紹介しておく。

「道路(市道改良など)29件 約57億円
 赤坂山浄水場 11億円
 武道館 2億3000万円
 佐藤池運動広場(野球場など)約16億円
 総合体育館 約30億円
 博物館 約14億5000万円
 ソフィアセンター(図書館) 約30億円
 健康管理センター 約4億7000万円
 総合福祉センター 約7億円
 コレクション・ビレッジ 6億円
 産業文化会館 7億3500万円
 ソフトパーク整備 約9億6600万円」

 同紙によれば、柏崎刈羽原発のおかげで、「県、柏崎市、刈羽村とその周辺地域には、三法交付金2000億円強がつぎ込まれた」という。「三法交付金」とは、あらためていう必要もないだろうが、「電源開発促進税法」「電源開発促進対策特別会計法」「発電用施設周辺地域整備法」(いずれも1974年に国が制定したもの)の総称である。そして、この三法に基づく交付金は、原発着工から運転開始後5年まで、立地市町村(隣接の市町村にはその半額)に交付されるが、そのほかにもさまざまな補助金や交付金もあるし、また発電所からの固定資産税も立地市町村には入って、どこも原発の立地市町村は裕福なのが常識である。原発のおかげで人口が増える立地市町村だって珍しくない。しかし、柏崎市ではどうか?ふたたび『新潟日報』からの引用である。

「しかし05年の国税調査では旧柏崎市部(平成17年の5月に柏崎市は人口6500の西山町と人口2240の高柳町と合併した)の人口は8万5898人と、2000年の前回調査に比べて2520人減。減少数は県内最多だった」

プルサーマルは「運命の綾」
 ともかく、柏崎市の市長が西川氏から会田氏へ変わったこと、それから小泉純一郎首相の政権の改革路線のために、いままでの柏崎市の財政も、『痴娯の家』の岩下館長の言をまつまでもなく、変わらざるを得ないのは確かなことのようである。岩下氏の言葉を拝借すれば「いままでのような大盤振る舞いは以後なくなるだろう」。たとえば、コレクション・ビレッジのような。日本海に面した小高い丘の上にある小さな博物館群。「郷土玩具館」についてはすでに紹介した。あとにあるのは幕末に欧米からやってきた黒船にちなむ物のコレクションとかその他。ほとんど客がいないのは、いうまでもないだろう。
 しかしながら岩下氏は言うのだ。

「コレクション・ビレッジ、それなりに評判いいんだよ。これから原発が立地される自治体から見学客がやってくるだろう。みんな驚いているんだよ、よくぞこんな金にならないものが作れましたね、と」

 ただし、岩下氏は苦笑していた。自分でそう言って、なんとなく恥ずかしそうだった。
 筆者は、昔の柏崎青年会議所の理事長として原発誘致に奔走していたころの岩下氏の容姿を覚えてはいないが、いま見る岩下氏はそれなりにカンロクがあり、柏崎市で誰かが言っていたが、「柏崎市きってのインテリ」のイメージは充分あった。
 実はもう一人筆者は昔会った人に会っている。公開ヒアリング当時、柏崎市の助役をしていた長野茂氏である。原発反対派と誘致派が激突しても、毅然とした態度を崩さなかった市の助役を見て、「勝負あったな」と当時筆者は強く印象づけられたものだった。その長野氏に今回コレクション・ビレッジの話をうかがったのである。そして、筆者はそのコレクション・ビレッジに対しての印象をガラリと変えたのである。つまり、それまで三法交付金の使い方の最低のケースと思っていたのが、最高のケースに。我ながら浅はかだとは思うのだが……。

「柏崎市に木村さんという茶人がいましてね、大変な茶道コレクションをお持ちでしたが、その木村家の後継者が自分にそんな趣味がないから市に寄贈したいと言ってきた。そのとき私は国立博物館の先生にも来てもらって見てもらった。すると総額でなんと2億円。当時の金で(約30年前)。道具類だから欲しがっている人に値段をつけさせればもっと高くなる、ともその先生は言うんですね。そんな凄いものとは私は思っていなかたのですが、市長(注・今井哲夫市長時代で昭和54年から昭和62年)と相談して財団法人をつくり、『木村美術館』を設置し日本全国から結構見学者がやってくる。成功したんです。これが前例となってコレクション・ビレッジをつくったのですよ。江戸時代のことですが、柏崎市の郷土史をひもとくと、『ちぢみ行商時代』というのがあるのです。小千谷で作られるちぢみを担いで江戸や京へ売りに行ったのは柏崎の商人たちなんですね。そのせいで柏崎には江戸と京の文化が流れ込んできたのですが、彼らは江戸や京の文化だけでなく、もうけたカネを使って、いろいろなコレクションをして競ったんです。ある者は玩具、ある者は古銭、ある者は黒船時代の欧米人たちの日常用品、ある者は藍染めのもの、という具合。そういう風習が柏崎にあった。柏崎は豊かな商都だった。しかし、こういったコレクションは現代になると、どんどん散逸してしまう。だいたいがコレクションなんて一種の道楽。代が変わればコレクターはいなくなる、道理ですから当然でしょう。散逸を防ぐためにはどうすればいいか? そのよき木村さんの茶道具のことが前例になったわけです」

 ちなみに言っておけば、この長野茂氏こそ、スムーズに原子力発電所を建設するために大いに効果のあった、“電源三法交付金の生みの親”である。そもそも一般家庭の電気は東北電力で賄われている柏崎市に、東京電力の原発が建設されるのだから、当然のこと、何がしかの“見返り”がなければ地元はウンとは言わなかったろう。
 ところで、三法交付金の使われ方にはひとつのパターンがあると言えるだろう。もちろん、政府はこの交付金が妙な使われ方をしないために、公共のものにしか使ってはならないようアミをかけた。当然であろう。
 そこで三法交付金は道路の舗装や公民館、公共ホール、運動場などに多く使われることになる。いわゆるハコモノである。ところが、いったんハコモノを件ると、それを維持するためにカネがかかる。それには三法交付金は使えない。ということで、原発がありながら赤字に悩む自治体も出てくる始末である。
 のみならず、こういうこともある。いま柏崎市を例にとると、1995年、三法交付金その他の原発のおかげで市に入ってくるカネは150億円以上あった。それが、2005年では約90億円という状態だ。三法交付金が原発運転開始後5年までとされているせいである。それに、原発から入ってくる固定資産税もすでにピーク時の半分以下に減っているのも大きい。
 長野茂氏の話を続けよう。すでに店じまいをし、柏崎市の三法交付金の使い方の失敗例とされる「情報開発学院」について、長野氏が語るのである。

「それから柏崎市には“農村工業時代”というのがありました。日本で唯一の石油産出地域であり、そのための機具の生産が柏崎市では盛んだった。農業のかたわら皆で機具をつくったんですよ。石油が出なくなってからも柏崎市には町工場がたくさんあって、そういう時代が続きました。戦後も理研や富士ゼロックスという大企業の下請けが盛んな市です。お父ちゃんと息子だけでトンカチやっている。そういう町工場のために、原発のお陰で裕福になった柏崎市では、中小企業団地を作ったら、たちまちお父ちゃんと息子だけの工場が工員が、百人ぐらいの工場になったんですよ。これから、どんな時代になるか? 私はIT時代がやってくると読み、そのためのソフト産業をと柏崎市に学校とセンターを作ったのです」

 それが「情報開発学院」と「情報開発センター」である。1986年、柏崎市は約5億6000万円を投じて学校を整備し、翌年、約9億6000万円を投じてセンターのための土地建物を作る。が、2001年、「情報開発学院」はあえなく閉校する。一時期その学院の事務長でもあった安達公司氏の話である。

「失敗か成功か、という決めつけ方をすればね、情報開発学院は失敗だったというしかないでしょうね。しかし、その学院で勉強した人たちがその後どうしているのか? そういうことも考える必要があるのじゃないでしょうか。確かに学院は閉鎖した。しかし、これも、ものごとには始めがあれば終わりもある、と考えればどうということはない。新潟市に同様の専門学校ができたのが痛かった。凄い生徒の集め方で、そついうノウハウは私たちにはなかったからね。使命を終えたのだから閉校してよかったんじゃないか。」

「ものごとは、いつか終わりがくる」とか「成功と失敗という決めつけ方はどうか」という言葉、大いに考えさせられるものがあるというべきだろう。
 いずれにしても「20年で2000億円をどう使うか」は、はなはだ難問というしかないだろう。その際、最も気を使うことは何か?安達氏も言っていた「民主主義というものは怖い」と。
 柏崎市の名物に「柏崎トルコ文化村」というのがあった。テーマパークは日本の各地にあり、どこもうまくいっていないようだが、ここ柏崎市の「柏崎トルコ文化村」もこの4月に売り出されることになった。「柏崎トルコ文化村」は、そもそもは柏崎市とはまったく無縁の株式会社、平成8年にオープンしたものである。東京電力とも関係のない会社だというが、柏崎市の原発景気を当て込んだものであることは常識であろう。トルコ料理にべリーダンス(踊り子が腹を出して踊る)が呼び物で、平成8年の入場者数3万人というのは、ちょっとしたものだった、と言えるだろう。が、見る見るうちに入場者数は減る。9年度は26万、10年度22万、11年度は21万という調子で、バブルがはじけて「柏崎トルコ文化村」を経営していた株式会社の銀行が倒産してしまい、手をあげざるを得なくなった。
 平成14年の6月議会で土地と建物を柏崎市が取得し、新たな会社を作って土地建物を提供、「柏崎トルコ文化村」は続けることにしたのはいいが、平成16年の水害で敷地内に土砂崩れが起こり、さらに同年11月に震災が追い打ちをかける。文化村はそのまま閉館が続き、昨年の3月、ついに市は土地建物の返還に応じざるを得なくなり、その維持費は年間約4200万円で大したことはなかったが、市議会では売払い議決をしてしまった。売り出しはこの4月から。最低入札価格1億5000万円だそうである。
 柏崎市長を3期つとめて、会田氏に市長の座をゆずった西川正純氏とも会った。現在は柏崎市の柏陽鋼機という会社の取締役・相談役である。会ったのは、その柏陽鋼機の応接間。
 市長12年間の手記をまとめ、近日中に東京の出版社が本を出すという。原発の柏崎市に“その人あり″と目された西川市長、さぞやその本は話題になるだろう。
 西川氏との話は、柏崎刈羽原発3号機で予定されている、-「いる」というべきか「いた」というべきか-プルサーマルに集中した。柏崎市ではプルサーマルをはじめることは既定のこととして話が固まっていた。その矢先に東京電力の「トラブル隠し」事件が発覚したのである。そのことだけではなかった。東電の「トラブル隠し」は1年後には解決し、その柏崎刈羽原発でいよいよプルサーマルを、ということがたびたびあったけれども、その都度何か事件が起こってプルサーマルの開始を先送りしなければならなくなった。西川氏は柏崎刈羽原発のプルサーマルをこう表現した。

「運命の綾ですな」

2006年7月 2日 (日)

米印原子力協定

F1000003_17 具合が悪くなってきたので1時に就寝。5時過ぎ、体の節々が痛く目が覚める。熱が38度近くになり、唾を飲むだけでも喉が痛い。
 8時からの消防研究大会に出席したかったが、悪化させても、また人にうつしてもいけないと思い、欠席。喉に負担をかけぬよう、牛乳に食パンを浸しながら、朝食。

Dsc02485 午前中いっぱい寝ただけでも、ある程度は回復したので、さらに気合を入れて回復させようと、鰻の蒲焼と小粒納豆、卵で「鰻納豆丼」を作って昼食。しかし、喉が痛く、物を飲み込むたびに激痛が走る。

Dsc02486 夕方、プリンタのインクカートリッジをはじめ、パソコン関係の買い物をしつつ、今週の食料を買う。今日、明日は家にこもって回復に努めたい。
 夕食は、鶏胸肉、蕪、じゃが芋、にんじん、大根をコンソメスープで煮たもの。もし食べられなかったらミキサーにかけ、ポタージュ風にしようと思ったが、喉の痛みも治まってきたので、案外楽に食べられた。
 風邪は引くわ、左頬は腫れるわ、よく考えたら散々である。

 ボーっとした頭だったので、単純作業をしようとインドの原子力に関する資料のスクラップを整理していたら、面白い記事がでてきた。
 アメリカとの原子力協定については、まったく同じ意見であったため、以下に引用する。


2006.4.19『NEWSWEEK』

A Nuclear Reality Check
インドに核放棄を迫る愚かな幻想
米印の原子力協定を批判する人は現実がみえていない

 ファリード・ザカリア
*ハーバード大学で国際関係論と政治哲学を教えた後、28歳でフォーリン・アフェアーズ誌の編集局長になる。00年より本誌国際版編集長。政治アナリストとしてABCテレビの討論番組にも出演中。著書に『民主主義の未来-リベラリズムか独裁か拝金主義か』など。

 ブッシュ政権の外交政策を批判する人は多い。現実を見ずにイデオロギーと幻想を追い求めている、と。だが幻想にとらわれているのは、むしろ批判側のほうだ。
 ブッシュ政権が3月にインドと合意した原子力協定(インドが民生用原発の査察を受け入れる代わりに、アメリカが核技術を供与する)に関する法改正をめぐり、米議会で論争が起きている。インドに核放棄を迫りたい反対派は、これでは自分たちの考えに逆行すると主張する。
 だがインドの核放棄こそ、幻想にすぎない。インドは32年間もアメリカの制裁措置を受けたが、まったく譲歩しなかった。核を放棄するくらいなら、さらに32年間、喜んで制裁に耐えるだろう。われわれに与えられた選択肢は、今回の原子力協定で手を打つか、まったく協定を結ばないかの、どちらかだけだった。

それでも中国より格下の扱い

 これまで核不拡散体制では、理想主義的な考え方を適度なリアリズムが相殺してきた。なにしろ核弾頭1万2000発を保有するアメリカが、これ以上核弾頭が増えると危険で倫理に反すると世界中の国々に説いてきたのだから。
 核拡散防止条約(NPT)は、一方的に、68年時点で核兵器を保有していた国を核保有国として認め、これ以降に他国が核兵器をもつことを非合法とした。
インドはNPT体制外にある最も重要な国で、しかも超大国になる可能性のある唯一の国でもある。インドを巻き込むことは、核不拡散体制の存続に不可欠だ。
 今回の協定が行き着く先は、インドを中国のように扱うのか、北朝鮮のように扱うのか、という問題だ。前者であれば、インドの核保有を受け入れて、その開発計画が安全で安定したものになるよう支援し、後者であれば、兵器の開発計画を破棄させるべく努力することになる。
 実は、この協定が実現しても、インドの立場は中国やロシアといった主要な核保有固より下だ。インドは核施設の3分の2を国際原子力機関(IAEA)の監視下におかれるからだ。
 いずれインド政府は、中国と対等でないことにいらだちを感じるだろう。中国には、パキスタンなどを通じて核の拡散に関与してきた長い歴史がある。それでもアメリカは、中国と民生用核技術を共有することにした。一方のインドは、オープンな民主主義国家で、核を拡散させた過去はまったくない。それでも原子力に関する協力を、32年間拒否してきた。
 核の放棄という理想追求をあきらめて、インドの核分裂物質製造に上限を設けるという妥協的な幻想を唱える者もいる。ジミー・カーター元大統領は最近、こうした見解を示した。
 だがインドは、中国とパキスタンという核保有国と国境を接している。両国とも核物質製造の上限を強制されておらず、インドにだけ上限を設けることは一方的な核の凍結につながる。
 アメリカにとっては、戦略的な意味合いもある。過去数十年、ヨーロッパやアジアで一国が地域の覇権を握ることを阻止するのがアメリカの外交目標だった。インドのプルトニウム製造を禁止したら、結果的に中国がアジアで最も有力な核保有国になる。これは、アメリカの国益に反する。アジアでは複数の大国が勢力のバランスを取るほうが好ましい。

世界的エネルギー不足も解消

 今回の協定は、世界的なエネルギー問題を前進させる決定的な一歩でもある。インドと中国が経済成長に任せてエネルギーを使い続ければ、先進諸国の省エネの努力は水泡に帰す。われわれはこの2大国のエネルギー需要を満たしたうえで、石油への依存を減らす必要がある。
 民生用原子力は、こうしたギャップを埋めることができる。核廃棄物問題を技術的にかなり解決しているインドは、この分野では先進国といえる。アメリカからインドが学ぶことはたくさんあるだろうが、両国の関係は一方的でもない。
 より効果のある核不拡散体制、より安定したアジアのパワーバランス、そして環境への配慮。これらは、幻想よりもましな現実的選択だ。

2006年7月 1日 (土)

公立小学校の6割強で男女同室着替え

F1000002_16 4時、就寝。8時、起床。会社の決算を来週行うため、各種支払いや手続きに市内をウロウロ。13時、一旦自宅に戻り、小粒納豆の納豆ご飯3杯で、ブランチ。14時過ぎから、某団体の今後の事業展開についての相談を受ける。

 自宅に戻ったところ、体が熱っぽいのに気付いた。気のせいかと思い、熱をはかってみると37度ちょっと。どうも、うつったようである。

Dsc02484 19時から3人で事務所で酒を飲みながらの懇談。枝豆、茄子の味噌焼きなど。茄子の味噌焼きの味噌は、八丁味噌と長野県の赤味噌を混ぜたものに酒、みりん、砂糖で味付けをした。濃厚な味わいがでて、まさしく「手前味噌ながら」傑作であった。

 23時、来週からO嬢がチャンネル桜で放送中の「防人の道 今日の自衛隊」のキャスターになるので、激励の電話をする。得意分野ではないかも知れないが、是非、頑張ってほしい。

 先の6月議会の一般質問でも取り上げた文部科学省が行った「学校における男女の扱い等に関する調査」結果が発表された。
 新潟県内はどうであったのか、早速、情報公開請求で調査結果を請求したいと思う。


平成18年6月30日「毎日新聞」

<体育着替え>
公立小学校の6割強で男女同室 文科省調査

 全国の公立小学校の6割強で体育のための着替えを男女同室で行っていることが、文部科学省が行った「学校における男女の扱い等に関する調査」で分かった。調査では男女同室での宿泊など一部に問題があることも分かり、同省は30日、「児童生徒に羞恥(しゅうち)心や戸惑いを感じさせる恐れが大きい」として都道府県・政令市教委に対し、是正を求める通知を出した。
 調査は、「学校に行き過ぎた男女平等の考え方がある」との保護者らの指摘を受けて初めて行った。全国の公立の幼稚園、小中高校など共学の約4万4000校が対象で、男女同室での宿泊や身体検査など7項目にわたって05年度の実態を調べた。
 体育時の着替えを男女同室で行っているのは小学校では62.97%、中学校の7.49%、高校の1.12%。林間学校やキャンプなどで男女同室での宿泊は小学校の1.55%、中学校は2校で、高校はゼロ。
 身体検査を同室で行ったのは小学校の16.4%で、5年生以上や中高はなかった。男女同室で水泳の着替えをしていたのは小学校の低学年を中心に45.26%で、中高はゼロだった。また、運動会や体育祭で男女混合の騎馬戦を行ったのは小学校の4.28%、中学は29校、高校は2校あった。
 文科省は「着替えは男女別室が基本。空き教室を使ったり、なければついたてやカーテンで仕切るなどの配慮を求めたい。男女混合の騎馬戦も身体接触を不快に思う児童生徒がいるなら、教育上必要はない」と話している。

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