3時、就寝。8時、起床。シャワーを浴びてから車で長岡市に移動。
9時からアトリウム長岡にて、「2006年 第43回教育者研究会」に参加させてもらう。新潟県内の現職、OBの幼稚園、小学校、中学校、高校の教職員やPTA役員経験者など、80名の参加者である。昭和38年に第1回目を行って以来の歴史とのこと。
まず、本日8月6日が広島に原子爆弾が投下された日でもあることから、原爆による被害者への黙祷を行う。広島の平和記念公園の原爆慰霊碑の前でも式典が行われていることであろう。ご冥福を祈るばかりである。
新潟県教育委員会の大滝教育次長のご挨拶と講話から会はスタート。
人間の力量は、「資質」+「能力」であり、加齢とももに落ちる身体的な資質などを、能力(知識とスキル)で補っていくこと、学校で教える論理性、家庭で学ぶ非論理性など、興味深いお話であった。
また、先日らいホームスクーリングに関する文献を読んでも、学校という場での集団の教育の必要性を思うばかりで、ホームスクーリングに対する疑問があったため、教育現場での「集団の保障」のお話は大変参考になった。
大滝教育次長の考えでは、集団での学校生活では「学習など、耐える力」「心と体にある程度の傷をつけあうこと」が重要であるという。我が意を得たりであった。
続いて、群馬県桐生南高等学校の和田校長先生から「生き方・在り方の探求」という講義。映画「いつも心に太陽を」
のお話から、南京大虐殺があったかのように教える近現代史教育の害など、幅広い内容であった。特に、言語学者であり、慶應義塾大学の鈴木孝夫名誉教授が指摘した、日本の誇るべき点を引用してのお話には、会場からも「おおぉー」との声が漏れた。
1.日本はその長い歴史を通して、外国と戦争した
期間が最も少ない国である。
2.国のあり方が千数百年も不変である。
3.日本は奴隷制という、人間を家畜として売買し、
酷使する社会制度を、ただの一度も持ったこと
がない珍しい国。
4.日本は世界で最も詩人の多い国である。
5.日本は驚くほど宗教について寛容であり、
これは今後の世界のモデルとなりうる。
12時から昼休みとなり、アトリウム長岡の特製弁当で昼食。納豆が食べたかったので、持参していた乾燥納豆をご飯の上にちらす。
食後、某市の現職・小学校教師の方と意見交換。お話を聞くと、PTA側の言い分もそうであるし、私が聞く範囲の話もそうであるが、教師側の言い分もそれはそれで理解でき、お互いのすれ違い、教師と親との信頼感を高める努力がもっと大切ではないかと感じた。
13時10分から再開。特別講演として、前・文部科学省初等中等教育局教科調査官、前・国立教育政策研究所教育課程調査官である、京都市総合教育センターの柴原副所長に「いのちの輝きを求めて~『心のノート』の編集を通して~」の演題での講義。
子供が万引きをしたとき、真っ先に連絡がくるのは学校であり、担任の教師も真剣に生徒のことを考えている最中、「学校行事のスナップ写真の中心にウチの子が写っていない」、「遊び道具で友達と喧嘩になったというから、遊び道具を撤去してほしい」など親からの理不尽な要求も学校にくる、という実例からスタートした。
現在、小学校、中学校で使われている『心のノート』の編集にあたっての「いのち」の教育をどう行うのか、ノウハウ的な内容からその切り口までの解説、事例紹介が続いたが、とにかく時間が短く感じる熱い! 講義であった。以下はメモ。
・北海道の交通事故被害者等の手記
「癒されぬ輪禍」を取り入れ、
朗読させることで感じ取ってもらう。
・「ありがとう」の大切さを教えるため、
給食の時間にさだまさし氏『いつも君の味方』を放送している
学校がある。
→「ありがとう」の対象を行為以外にも広げる教育
・長崎県教育委員会が調査した、人間はリセットすれば生き返る
との問いに小学校低学年の1割以上が生き返ると答えている
この現実に目を向けるべきであり、早急に自分の地元でも調査
すべきこと。
→ 柏崎市でも行うべきであろう
・乳ガンで母を早くに亡くした大野靖之氏のメジャーデビュー曲、
その曲名も『心のノート』を福岡県では道徳の時間の導入
として使用している。
大野氏自身も、『心のノート』を見て、自分が歌にしたい内容
がそこに凝縮されており、それを中学校時代に学んでいる
はずであろう、という事実に驚いた。
→ 本人はもとより、
親、地域としても『心のノート』の活用を。
10月9日を「とう」と「く」、「徳の日」として、保護者、地域の人
が生徒とともに参加する『心のノート』を使った授業、イベント
を行っている自治体もある。
・「どう生きるのか」に視点をおいての教育も大切であるが、
中学生になった段階で、生きていること自体への問いかけ
も行っている。障碍者は生きている価値はないのか、飛べない
奇形の羽で生まれた鳩は殺すべきなのか、等。
講義ののちは、小グループに分かれての意見交換、そして講師への質疑応答となった。
あえて、議論をする意味で、
Q1.男子生徒への「くん」付けをやめ、「さん」に統一した
その勢いで、教師も「さん」付けにしようといった動き
があると聞きたが、そのような動きに対して、どう思うか。
個人的にはアホな行為だと思う。
Q2.給食で「いただきます」を言わせるか否かの議論が
今年のはじめでていたが、そもそもそれを議論する
こと自体が間違っていると思う。「命のもと」を
「いただきます」という、「いのち」の教育について
は取り組みはどういったものがあるのか。
との質問をしたところ、以下のような回答を頂いた。
A1.当校ではそのようなことはなく、師は師であり、生徒は
生徒でけじめをつけている。それがモノを学ぶ姿勢で
あり、これを教えないと生徒が社会で困る。
(和田先生)
A2.もちろん、「いのちの連鎖」教育は重要であり、
「命のもと」を頂いて、生かされていることを教える。
詩人・金子みすずの「大漁」を取り入れている。
「大漁」 朝焼小焼だ 大漁だ
大羽イワシの 大漁だ
浜は祭りの ようだけど
海のなかでは 何万の
イワシのとむらい するだろう
また、なぜ「いただきます」というのか、色々な理由を
説明する場合もあるだろうが、ときにはダメなものは
ダメ、こうするものが伝統だ、という教育方法をとる
ことも重要であり、小さなうちにはある程度押し込む
教育を行う必要もある。 (柴原先生)
研究会は17時近くに終了したが、とにかく密度が濃く、得たものが多い研究会であった。『心のノート』をはじめ、各種を購入したので、柏崎の実情を調査するとともに、研究してみたい。
18時過ぎ、事務所に戻り、相談業務。相談からそのまま一緒に夕食をとることになり、冷凍していた秋刀魚を塩焼きにし、ごぼうサラダの黒ごま和え、水菜のサラダなどをつまみに、先日、青森市で購入した「恐山ビール」や持ってきてくれた焼酎などを飲む。
最後はともに、くめ・クオリティ・プロダクツさんの「納豆クール茶漬け」でシメる。
23時過ぎ、事務所のソファーで仮眠。
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