2時、就寝。9時ごろまで各種の議事録を読み込む。全文筆記議事録は話の流れは分かるものの、「と申しますが・・・・」などという言葉が多く、主に何を訴えたいのかを読み取るのに時間がかかる。
9時過ぎ、あわてて大粒納豆で納豆巻きを2本作り、ブランチ。10時から12時まで、某店にて打ち合わせ。
12時過ぎ、一回自宅に戻り、16時まで資料作成や他の自治体の例などを調査。こういった場合に、全国若手市議会議員の会のネットワークが役立つのである。
17時から会派内会議。9月議会に向けての一般質問の内容の調整である。いつも市長部局の答弁が長く、時間がダラダラと過ぎてしまい、せっかくの決められた時間がもったいないため、同じ会派内で同じ質問をせず、広い分野で答弁を引き出していくためである。
20時過ぎ、自宅に戻り、秋刀魚の塩焼き、チラシ寿司、カップ納豆で夕食。秋刀魚の塩焼きにはたっぷりの大根おろしを用意したが、結局、この大根おろしをカップ納豆に入れ、大根おろし納豆にする。
今日、自宅にいない間、柏崎ぶどう村ワイナリーから新作のワインの白と赤が届いていた。
「雪」と名付けられた雪中貯蔵のワインで、ラベルは雪を表すため、白いままであった。面白い試みだと思う。
早速、白から飲んでみると、まったり感があり、ワインの知識や評価の仕方には明るくはないが、前回の新作である氷結ワインより、こちらの方が好みである。
21時から、チャンネル桜の討論番組「日本よ、今...闘論!倒論!討論!」、テーマ「~戦争犯罪と戦争責任」を見る。今回は、戦争体験者の左右が激突という構図。戦争の呼称だけにおいても「太平洋戦争」と呼ぶ、
・秋元実氏(元陸軍伍長 野戦重砲兵第3連隊)
・天野道有氏(元陸軍上等兵 イズヴェストコーワヤ抑留)
・井ノ口金一郎 (元陸軍上等兵
27師団支那駐屯歩兵1聯隊 / 河南作戦・湖南作戦参加)
に対し、あの戦争は「大東亜戦争」であり、インド独立のきっかけとなったものの、多くの死傷者をだしたインパール作戦中隊長で、あの激戦を生き残った佐藤博志さん(元陸軍大尉 )、田形竹尾先生の教え子であり、お会いしたときにいつも貴重なお話を聞かせて頂ける特攻隊員だった増山章さん(元陸軍伍長 少年飛行兵15期)、そして名越二荒之助先生 (元陸軍軍曹 シベリア抑留5年)というパネリストである。
3時間番組であったが、最初の1時間で見る気がなくなった・・・・・・。「太平洋戦争」と呼ぶ方々は、自分の局所的な体験だけならまだしも、伝聞や実際の住民の数より多い数の民間人を虐殺(三光作戦)したなどの話が多く、「従軍慰安婦」問題も、「慰安所」があったから「従軍」であったという訳の分からない論理なのである。「慰安所」も「慰安婦」もいたが、軍が強制連行したものでも、軍に伴って連れていったものではなく、民間の女衒などが運営していたものである。売春自体、良いことではないが、民間で「慰安所」を経営していたものに対し、国が謝罪し、我々の税金を使って賠償金を支払うという構図がおかしい。悲しい事情で売られてきた女性には心から同情するが、実際に儲けたのは民間の「慰安所」経営者である。
また、軍規に逆らい、民間人を大量に虐殺したのなら、戦争犯罪に時効がない以上、本当にやっているなら戦犯である。民間人の虐殺だけをとらえるなら、1日に10万人の民間人を焼き殺したアメリカの東京大空襲、30万人以上の民間人を一瞬で消し去り、いまだ傷跡を残す原子爆弾であり、ソ連の満州、朝鮮、樺太などへの侵攻とシベリア抑留はどうなるのか。60万人以上を拉致し、極寒の地で6万人以上が亡くなった。
さらには、マッカーサー証言の「日本は自存自衛のための戦争だった」ということも知らず、自分の知識以外はすべて嘘だという態度であった。
マッカーサー証言:
昭和26年5月3日
米国議会上院の軍事外交合同委員会
聖書に宣誓をしたのち、以下のように答えた。
「日本は絹産業以外には、固有の産物はほとんど何もない。彼らは綿も羊毛も石油も、鈴もゴムも、そのほか、実に多くの原料が欠如している。そして、それらすべて一切がアジアの海域には存在していたのです。もし、これらの原料の供給が断たれたら、日本国内で一千万人から一千二百万人の失業者が出ていたでしょう。日本人は、これを恐れていました。したがって、日本が戦争に突き進んでいった動機は、大部分が安全保障の必要性に迫られてのことだったのです。」
*Their purpose, therefore, in going to war was largely dictated by security.
*日本への高率関税化政策
昭和5年(1930年) アメリカのホーリー・ストーム法
昭和7年(1932年) イギリス経済圏のブロック化
*通商航海条約の破棄
昭和14年(1939年) アメリカ
昭和16年(1941年) イギリス、オランダ
大東亜戦争を日本の侵略戦争として、日本の指導者を裁いたマッカーサー元帥本人が、朝鮮戦争をはじめ、共産主義との戦いでやっと日本の戦争の意味(自存自衛)に気付いたのであろう。
同日、こんな証言もしている。
「太平洋において米国が過去百年間に犯した最大の政治的過ちは共産主義者を中国において強大にさせたことだと私は考える」
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