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2006年10月

2006年10月31日 (火)

はぁ?東京大空襲の責任は日本に?

 1時過ぎまで今日の反省。2時近くに自宅に戻り、風呂に入ってから就寝。
 7時、起床。祖母の具合が悪いようなので、米からのおかゆを作る。母も風邪を引いたようである。
 弔電やら祝電、月末の処理などであっという間に夕方となる。食事をとる間もなく、カロリーメイトと乾燥納豆で腹をごまかす。

 22時、豆腐と野菜チゲで夕食。パワーポイントでの資料作成など。

 先日の10月30日『新潟日報』に、こんな記事が載っていた。


 東京大空襲 本県遺族ら国を提訴へ

 1945年3月10日未明、米軍B29爆撃機の大編隊が来襲し約十万人が死亡したとされる東京大空襲の遺族や負傷者が29日、東京都内で開いた集会で、国に損害賠償と謝罪を求める訴訟を来年3月9日に東京地裁に起こすことを決め、各地から138人が参加する原告団を結成した。
 原告団によると、空襲被害についての集団訴訟は初めて。請求額は一人あたり1000万円で、原告数は今後も増える見通し。東京大空襲から62年となる来年3月10日が土曜日のため、前日の9日に提訴する。
 原告団に加わるのは東京のほか、本県、北海道、愛知、大阪、長崎など21都道府県に住む87歳から56歳の遺族ら。


 ・・・まったくの見当違い、筋違いである。
Tokyoboming  戦争は、軍人同士で戦闘するものである。無防備な民間人(非戦闘員)を一晩に10万人焼き尽くしたのは、日本軍ではない。さらに言えば、民間人(非戦闘員)30万人を虐殺した原爆はどうなのか。
  しかも、この3月10日は日露戦争の最後の会戦であった奉天会戦の日であり、その勝利を記念し「陸軍記念日」となっていた。この「陸軍記念日」に東京を焦土と化すことで、日本の戦争継続の気力をそぐのが目的と言われている。
 建前上、東京全体が軍施設や軍需産業?だったため、攻撃したとされているが、焼夷弾で民間人(非戦闘員)を狙ったのは明白であり、これこそ戦争犯罪である。
 ただし、日本はサンフランシスコ講和条約において、賠償請求権を放棄しているため、いまさら蒸し返す話ではない。
Lbom  もし、日本政府に詰め寄るとすれば、日本本土爆撃を含む日本への爆撃を指揮した米軍のカーチス・ルメイ少将への待遇である。
 昭和39年、航空自衛隊の育成に貢献したと、このカーチス・ルメイ少将に「勲一等旭日章」を授与した。詰め寄るなら、この事を責めてほしいものである。

Dsc03998  ちなみに、日本本土へはじめて空襲が行われたのは、昭和17年4月18日。米軍は、航続距離の長い陸軍の爆撃機「B-25」を海軍の空母に搭載して、日本本土を空襲したのち、中国大陸東部へ着陸させるという変則的な作戦を実行した。この攻撃に衝撃を受けた、山本五十六連合艦隊司令長官は、米軍空母の殲滅を視野に入れたミッドウェー島攻略作戦を立案、実行することになる。そして、ミッドウェー海戦の決断ミスから、空母4隻、超エースパイロット(『機動戦士ガンダム』でいえば、シャア・アズナブル級)108名を含む3000名強の喪失という大敗を境に、日本軍が劣勢となっていく。
*写真は、山本五十六記念館のポストカード。左手の指2本は日露戦争時に喪失。
 山本五十六連合艦隊司令長官の出身地である、我が新潟県の長岡市は、昭和20年8月1日、約50機の「超空の要塞 B-29」により焼夷弾攻撃を受けた。全市の8割が火の海と化し、焼失。1400余名の犠牲者を出した。
 現在の長岡まつりはこの戦災による復興祭。花火の際に空襲警報が鳴らされるのは、この空襲を忘れないためであり、犠牲者への追悼の意味が込められている。

2006年10月30日 (月)

まちづくりの花咲爺、萩原茂裕氏

 2時就寝。6時過ぎに起床。ここ数日で届いた月刊誌『世界』『論座』『諸君』『Will』などを持ち込み、2時間ほど風呂に入る。

Dsc03877 9時過ぎ、訃報などがあり、市内まわり。11時、今日の六日町での勉強会に行くため、柏崎青年会議所のメンバー2名を車で向かえに行く。
 昼食を小千谷市内でとることになったので、「福桝」(新潟県小千谷市大字桜町1413-1 電話:0258-82-2624)で「へぎそば 2人前」をそれぞれが注文。
Dsc03879 あっという間に食べてしまった。
 いつも、へぎ蕎麦には山葵より、和芥子の方が合うように思っており、今回も同席の二人に聞いてみたが、「やっぱり山葵だろう・・・」というご回答。自分だけがおかしいのであろうか。

Dsc03881 13時から六日町の金誠舘にて、雪国青年会議所の現役メンバー、OB
とともに勉強会。
 講師は、「まちづくりの花咲爺」、全国ネットの勉強会「日本ふるさと塾」主宰萩原茂裕氏。フルーツ盛り合わせを食べつつ、コーヒーを飲んだりして、リラックスしたなかの勉強会となった。


Dsc03880講師プロフィール
 1929年北海道旭川生まれ。慶応大学経済学部卒業後、経営コンサルタント時代から、地域開発・まちづくりのプランナーとして数多くの地方公共団体の地域づくりの基本計画実践計画などの作成に携わる。旭川市の買物公園、十勝ワインで有名な北海道池田町、スキー都市として世界中に有名な富良野市、野沢温泉村、大分県の一村一品運動等全国で500以上の自治体の振興計画を手がける。今一番話しを聞いてみたい講師ナンバーワンとして毎年マスコミに取り上げられ、飛行機利用回数は年間150回を超え、まちづくりのナンバーワン講師といわれる。大宅壮一マスコミ塾優等賞、蓮沼門三社会教育奨励賞受賞。

 自分のまちを見れる人
 他人のために汗を流せる人
 足元の材料を耕し直せる人
 を作っているまちは伸びています。
 そのようなまちに成ってほしいと
 私は種をまきます。
 花を咲かせてください。


・一軒のホテルをコンサルティングし、そのホテルだけ伸びたら、周りのホテルが廃れ、そのうちコンサルティングしたホテルも足を引っ張られていた。そういった地域が廃れる例を多く見てきたことが現在の活動の源泉。
・いままで多くの行政を見てきたから言えるのは、行政をするための行政が多かった。
・町は【商品】であり、常に作り変えていく必要がある。変えるためには、用途を決めるのが流れであるが、用途やテーマを決めずに、ただ変えたいというまちづくりが多い。
・旭川(買い物公園)の例の紹介
 旭川は、札幌、仙台につぐ、北3番目の都市。生き残れたのは、町にテーマをつけたからである。まちは商品。「人間都市・旭川」と決め、平和を第一歩にした。旭川には第7師団がいたので、その師団が使っていたところを戦後、平和通りにした。まず車が優先できなく、人を優先。国道であり、駅にぶつかる道路の車を止めた。多くの反対があったが、車を止めるのは子供、孫のためと8年間説得。その8年間にJC、市民がやる気になってきた。やっとの思いで、国道を2週間止め、1kmの国道を公園にした。これは世界初であり、その後、NY、銀座が真似した。
・まちづくりのテーマは子供にわかり、行動、目標であること。
・町が駄目になるのは、自分の町を自慢せず、人口を気にする。心が過疎になっているのではないか。
・ふるさとを自慢する教育が必要。それは歴史を掘り返す教育。
・富良野の小学校の校庭に北海道の中心があった。
 「北海道中心のまち」にしようとしたが、ちょっとひねった「北海道へそのまち」。
・人材を持ってきても、その人材を有効につかえる市長が必要。
・企業を誘致し、給料をもらう人が増えるだけと捉えるがそれは違う。まちづくりに必要な人材が増えたと思うべき。まちづくりは人づくり。
・まちづくりが成功すると、「最初から賛成していたんだ」という元反対者が増えてくる。その段階で次のステップに移る。
・行政主導が悪いというが、本来、行政は我々が使ってやっている公僕である。給料分、たっぷり使ってやってやれ。
・首長は行政のプロを使う立場。行政のプロになろうとする市長はまちづくりはうまくいかない。首長は自分の哲学をもって、事業を推進すること。
・まちづくりに一番の転機であり、大切なのは選挙。選挙は社会教育。人づくりである。・麻生太郎氏との出会い。地元のJCでのイベントで資金難のとき、閉鎖された炭鉱からとれた石炭で缶詰を作り500円で売った。しかも、それを当時の首相である鈴木善幸までもっていき、「買ってくれ!」。その結果は・・・麻生太郎の妻は鈴木善幸の娘。
・大宅壮一氏が師匠であり、よくこう言った。
 「萩原、頭に引き出しをたくさん持ちなさいよ」
 もう一つは、人の話を聞いて、
 「化学反応を起こせ!」
 師匠の「一億総白痴化」はぴったり当たった。
・大村益次郎「手段に没頭して目的を忘れるな」を参考にせよ。
・北海道の観光は同じ緯度の外国を見て、雪こそ武器と思った。
 「冬こそ北海道」で売り出したら当たった。
・まちづくりに使うのは足元にある材料を使うこと。
 枕崎は、かつおのノボリを作り、鯉のぼりをやめた。かつおぶし削りをレストランなどに全部置くことを提唱。北島三郎氏との感動の物語も生まれた。
・ミッドウェー海戦の慰霊と左翼学生のエピソード
・ふるさとに帰れない人の心と頭脳を利用することも考えよ。

Dsc03882 なんと6時間に及ぶ勉強会、意見交換会であった。
 終了後は、「小料理 とみ」(電話:025-773-6952)に移動し、懇親会。
 車を運転するため、酒が飲めない分、食事を楽しみながら、くだらない話から真面目な話まで約3時間。突き出しは、独活の油炒め、あまだれ(ナラタケ)のたっぷり入ったキノコ汁。
Dsc03883 「おっ、この店、この店面白いな」と思って、メニューを見ていると、「ボリューム納豆」?という料理があった。実際に注文してみると、小粒納豆の上に、絹ごし豆腐をのせ、ねぎ、かつお節、山芋とろろ、めかぶ、生卵が入ったもの。これをグチャグチャとかき混ぜて、醤油と山葵で食べる料理であるという。この複合感はなかなかの味であり、これ一品で本当にお腹一杯になる。
Dsc03884 せっかく、講師の先生に新潟に来てもらっているということで、越後もち豚のみそ焼きを注文。ご飯がほしくなる味である。
 新潟県人かどうか、東京で確認する方法が話題となったので、NT21のキャサリン歌?、そして以下を提唱した。

Dsc03885 「あなたのぉ~まちぃのぉ~」

 これだけを歌い、その後に相手から「清水フードぉぉぉ」、が続けば、ほぼ新潟県人である。
 シメにおしんこを頼んだら、青トマトの漬物がでてきた。酸味といい食感といい、今日最大の発見。メロンやスイカはよく漬物にするが、青トマトは初めてであった。

 23時過ぎ、柏崎に戻り、車を置いたのち「船栄 柏崎店」にて打ち上げ。

2006年10月29日 (日)

男女の区別は差別?

Dsc03876 2時、就寝。6時、起床。中粒納豆、生卵の納豆ご飯、玉葱とじゃがいもの味噌汁で、朝食。
 7時に自宅を出発し、長野県の某市周辺での調査活動。色々な情報が入ってくるものである。コンビニのおにぎりなどで昼食をとりつつ、一気に調査。色々な関係が分かってくる。

Dsc03873 20時、自宅に戻り、鶏のモモ肉を山椒と塩で焼き、レモンをかけたチキンステーキ、柏崎ワインで夕食。
 胡椒にするか、山椒にするか、いつも迷うものの山椒の方が赤ワインに合うような感じがする。味覚がおかしいのであろうか。

Dsc03819 かしわざき男女共同参画プラン推進市民会議が発行した会報『こんにち輪』第12号を読もうと、表紙をよく見ると、こんな言葉が書いてあった。(写真をクリックすると大きくなります)

 「男女の区別は本当にない?」

 何気なく書いたのかも知れないが、これが「ジェンダー・フリー思想」である。
 男女の区別はあって当然。男と女は同じものではない
 機会(チャンス)や評価を平等にするのが、本当の男女の平等であって、性差がある以上、男女の区別はあって当然である。
 ついでながら、男女共同参画によくあるクォーター制度(男女の割合を調整)を管理職にも適用することには大きな疑問を感じる。公的な意見を聞くような会議メンバーとして、男女の割合を一緒にするクォーター制度は分かる。しかし、管理職の男女の割合を調整しようとクォーター制度を入れるのは、真の男女平等ではなく、さらには性への差別ではないだろうか。能力が備わった人間を管理職にするのであって、それは男性が90%になっても、女性が90%になっても構わない。無理に女性の管理職の割合を増やすということは、逆差別ではないかと思う。
 ちなみに、変な平等に感じるのは、男女のトイレの広さである。多くの場合が同じ広さになっている。しかし、男性の小便は小スペースでもできるが女性は違う。無理に同じ広さにする必要はなく、女性の方を広くとり、個室を増やすべきであろう。男女の区別をわきまえた平等である。

2006年10月28日 (土)

陸上自衛隊誘致成功!
徳島県旧・那賀川町

Dsc03848 1時、就寝。5時過ぎ、祖母が家のなかを歩きまわっていたので、なだめる。季節の変わり目なのであろうか、ここ数日でだいぶ進んできた。
 愛犬・美里(豆柴・メス)の胸のガンがだいぶ大きくなってきており、散歩にでるのもイヤがるようになった。
 たまには、と黒豆納豆をドッグフードにかけた「黒豆納豆犬飯」。こう漢字で「黒豆納豆犬飯」と書くと、一瞬、犬自体を食べる料理のように見えてしまう。

Dsc03851 昨日から姪っ子を預かっているので、妹夫妻の知らぬ間に納豆好きに育てようと、納豆を毎食食べさせる。ヌルヌルの感覚が面白いのか、口いっぱいに納豆を詰め込んで、モムモムしている。「ようし、立派な納豆娘になるんだぞ」とほくそ笑む。

Dsc03853 11時、打ち合わせ。現在の仕事は仕事で満足はしているものの、ワードやエクセルをはじめとするパソコン一般の知識を覚えたいとのことで、ハローワークで推薦している教室などを紹介する。ある程度のレベルになるまで、中古のパソコンで勉強してみては、という話になった。キャリア・アップの話など長引き、「うれっ子」(電話:0257-22-4648)から「チャーシューつけめん」をとり、一緒に昼食。

 14時から郷土史研究会の講演会の予定であったが、13時からの相談の来客が長引き、予定変更。
 未就学児童、就学児童を抱えた父親の就職が決まったものの、土日、祝日を問わない仕事であり、子供を預ける先にお悩みとのことであった。利用できるものメニューの詳細については、来週にでもお届けすることにした。

Dsc03855  祖母の具合が良くないので、何かあったらと思い、上越の母方の祖母にも来てもらった。お土産の「くびきの押し寿司」(くびきの押し寿司本舗 有限会社あやめフード)で夕食にする。
 舌が肥えたからなのか、最近ちょっと食味が変わってきたような感じである。


米どころ新潟の頚城地方に、古くから伝わる「押し寿司」
召し上がれ頚城のごちそう・・・
はるか弥生時代からの米どころ
東頚城の菱ヶ岳の清らかな水を原料に、
頚城の人々はたゆまぬ努力を後世に伝え、
「頚城米コシヒカリ」を一品に仕立て上げました。
くびきの押し寿司は、
そんな歴史の中で継承されてきた郷土食。
明治時代は春の田植えのこびり(*)として・・・
そして今、
お盆正月、都会からの客へふるさとのごちそうとして・・・。
おいしいコシヒカリに、
頚城の大地でとれたものばかりをのせ、
まごころがギュっと詰まった「押し寿司」を
心ゆくまでご堪能ください。
(*)小昼から転じたもので農作業の合間に食べたもの


Jdsfgotoda 自民党後藤田正純衆議院議員からご報告を頂戴した。平成11年から7年間にわたって取り組んできたという徳島県阿南市(旧・那賀川町)への陸上自衛隊施設隊の誘地が正式決定したそうで、平成23年から供給を開始する。
 主たる目的は、災害発生時から2~5時間の対応(災害初動態勢)における大幅な被害の軽減ということである。
 それぞれの土地にはそれなりの理由があり、誘致活動の大義となったのであろう。
Jdsfgotoda2 しかし、世界最大の原子力発電所を抱え、しかも核兵器の開発をしている北朝鮮をはじめ、先頃、長距離巡航ミサイルの実験に成功した韓国、日本に核ミサイルを向けている中国など、日本海に面している我が柏崎市には、もっと大きな大義があるはずである!!

*写真は、徳島県阿南市(旧・那賀川町)で行われた、石破茂元防衛庁長官を講師に迎えての自衛隊誘致決定記念講演会の模様。

2006年10月27日 (金)

パチンコ依存症と地方経済

Dsc03835 届いていた月刊誌などを読みながら1時ぐらいに就寝。5時、起床。風邪薬を飲んだので、喉の痛みが引いた。
 7時、黒豆納豆、金山時味噌での納豆ご飯で朝食。ゆずが多めに入った惣菜感覚の金山時味噌なので、これだけでおかずもいらないといった感じである。

 10時から来客。事務所で相談を受ける。無職となった私の同じ世代の息子さんが結局、パチンコやスロットにハマりこんでおり、一度、話でもしてやってほしいとのこと。
 私自身、まったくギャンブルをやらないので、よく分からないが、パチンコ依存症についてパチンコ業界ですら語るようになってきた。

2003年8月3日『四国新聞』「借金漬け、判断狂わす」
パチンコ依存症だった人の体験記「パチンコは麻薬」

 ある人は、パチンコで勝ち続け、店の利益を吸い取ってやっていると豪語するが、現在の多くのパチンコ屋がその時点でのお客さんのなかで調整されるシステム(大当たりをコントロールし、遠隔操作等が可能。特許取得)となっており、余程、経営が下手でない限り、パチンコ屋自体は儲かり、お客さんの間での奪い合い(ゼロサム・ゲーム)となっている。
 柏崎市内に多くあるパチンコ屋の駐車場を見ると、昼間から多くの車が止まっている。柏崎の経済はこれでいいのだろうか。

Dsc03841 朝から祖母の具合が相当悪く、朝食もとれないほどであったため、キャベツのきれっぱし、鶏がらスープ、粉末の鼈エキスなどで、中華粥を作って食べさせる。夜中起きて歩きまわっていたようなので、調子が悪いかと思っていたら案の定であった。

 東京から来たというマーケティング会社の方が突如お越しになったものの、15時までの原稿の締め切りがあり、申し訳なく、お引取り頂く。タイミングが悪い。夕方まで、頼まれていた原稿をはじめ、ひたすら事務処理。

 先日の「世界に開かれた日本近現代史」ハワイ編の収録でご一緒した、大谷和正氏から著書を頂戴した。新渡戸稲造が印刷されていた旧・五千円札の逆さ富士が、「モーセのの十戒」で有名なシナイ山に酷似しているのではないか、という話から世界の金融の中心を探る一冊。そんな馬鹿な、トンデモ本か?とのスタートから入ったが、読み応えのある本であった。

Dsc03843  18時から「割烹 乃佐和」(電話:0257-22-4177)で、有志でのお祝い会。中日新聞北陸本社主催の「第17回日本海文学大賞」小説部門での大賞に輝いた木島氏のお祝いである。
 歯茎に足が刺さるイナゴの佃煮、アボカドのキャビアのせ、塩鯨、えごの酢味噌がけ、蟹味噌などの先付け。
Dsc03845 お祝いにふさわしい料理がすすみ、めでたい雰囲気も手伝って、酒もグイグイ。最後は、鰻飯でシメて終了となった。
 お見送りをしてから、なぜか2次会として「やきとり 大吉」(0257-21-4655)に行き、既に腹がいっぱいのなか、ウイスキーとレバ刺しなど。これからの冬に向けて?太りそうだ。0時近くに帰宅。

2006年10月26日 (木)

高校必修科目問題、日本史と世界史

 1時、就寝。7時、起床。喉が痛く、つばを飲むだけで痛みが走る。どうも風邪を引いたらしい。よく考えたら、咳をし鼻水が流れていた甥っ子からうつったようである。

 8時過ぎから来客。父子家庭の補助に関する相談であった。母子家庭は温かい視線があるのに、父子家庭だと町内でも冷たい視線があるとの切実な内容。一緒に某店に移動し、昼食をとりながら、これまでの経緯もお聞きする。

 自宅に戻ると、また祖母がいなくなっており、近所を探すと「お母さんを迎えに・・・」と公園近くにいた。嫁である母が逃げたと思い込んでいるようだ。自宅に連れ戻し、2時間ほど昔の話を聞く。話すことで、なんとか頭を使ってくれればと思う。母が帰ってきたところで交代。

Dsc03834 18時過ぎ、母が買ってきてくれた弁当で夕食。平成10年4月5日明石海峡大橋の開通を記念して作られたという「明石名物 ひっぱりだこ飯 980円」(淡路屋)である。中身より、陶器の容器の方が高いのではないかという感じであるが、ズッシリと思いその重みに980円がお得に感じる。
 柏崎の「鯛めし弁当」も、大久保焼きの容器にして、1300円ぐらいならさらに良いのではないかと思う。

 一昨日から高校における必修科目の未履修が問題視されている。今日現在、新潟県内では公立3校、私立1校が対象となっている。
 この問題、必須である「世界史」がどうのこうの、ということになっているが、生徒にとっては重要な問題であり、由々しき事態ではあるものの、大きな視点から捉えれば、日本人である日本の高校生が「日本史」を必修にしていないことにこそ、違和感を感じる。
 去る2006年9月12日、東京、神奈川、埼玉、千葉の4都県の教育長が日本史を高校の必修科目にするよう文部科学省に要望書を提出。要望書の趣旨としては、「国際社会で日本人としての自覚を持ち主体的に生きていく上で、日本史を学ぶ意義は極めて大きい」とし、

1.世界史と並ぶ必修科目にする
2.世界史に代えて必修化する
3.世界と日本の近現代史を
    総合的に学ぶ新たな必修科目を作る

の3案を示している。
 私自身の記憶では、中学校で習った歴史は、満州事変の前で終わった。神奈川県の引地孝一教育長曰く、

 「日本が米国と戦争したことさえ知らない若者がいる」
 「県内で3割の高校生が日本史を学ばずに卒業していく」
 「国際社会で競うためにも、
   自国の歴史や文化を深く理解する必要がある」

というご意見は切実な現場の声であろう。
 「日本史」を必修にするのが困難であるなら(この時点で日本人としてどうかと思うが)、世界から見た日本の近現代史を学ぶ科目を作れば良いのではないかと思う。

1914c 左の図(クリックすると大きくなります)は先日の「村山談話の主語を直す・・アジア侵略は誰か」にも掲載したが、アメリカの教科書に掲載されている1914年の植民地地図である。
 『PEOPLE AND OUR WORLD-A Study of World History』1977,P548 Holt,Rinehart and Winton社 A・O・KOWNSLAR、他著
 日本が悪い、朝鮮半島を併合したのが悪い、という論調が多いが、世界史から日本を見れば、アジア諸国を植民地にし、侵略していたのはどこの国で、日本の政治家がどのような「決断」をし、どれだけアジア各国の独立を願ってきたのかが分かるであろう。

 それは軍歌にもあわられている。昭和14年(1939年)5月、『太平洋行進曲』(作詞:横山正徳、作曲:布施元)の最後5番、

 「潮と湧き起つ感激に しぶきをあげて海の子が
  太平洋の船脚を 揃えて進むひびきこそ
  興る
アジアの雄叫びだ」

昭和14年(1939年)10月、『出征兵士を送る歌』(作詞:生田 大三郎、作曲:林 伊佐緒)の最後6番にもこうある。

 「父祖の血汐に色映ゆる 国の誉の日の丸を
 世紀の空に燦然(さんぜん)と
 
揚げて築けや新アジア
 いざ征けつわもの 日本男児」

 痴呆が進んでいる祖母であるが、当時、柏崎駅でこの『出征兵士を送る歌』を歌って、見送りをしたことを未だに覚えているという。

2006年10月25日 (水)

「従軍慰安婦」を学び日本大使館でデモ?

 3時過ぎに帰宅。すっかり煙草臭くなってしまったので、風呂に入ってから就寝。さすがに、6時からの柏崎準倫理法人会の経営者モーニングセミナーには出席できず。

Dsc03827 8時、起床。最近発売された納豆、大手メーカーのもの3種類、地方メーカーのもの2種類を食べ比べ。残った納豆は、どんぶりで一緒にして、家族で食べる。こうやってゴチャ混ぜにしても、アクの強い納豆は存在感がでる。

 食中から電話やメールが相次ぐ。訳の分からないインターネットの書き込みや噂などに関するご心配の連絡であった。 

Dsc03828

 9時から打ち合わせ。11時過ぎ、甥っ子が来たので、一緒に連れて郵便局や銀行などをまわる。12時近くになり、甥っ子がリクエストするので、ピーコックに行き、350円セットで昼食。どうもヤキソバが好きなようである。

Dsc03832 自宅に戻り、各種報告書やメールを書く。昨日のこともあり、祖母の様子を見ながら、仕事をする。
 先日の「世界に開かれた日本近現代史」ハワイ編の収録でご一緒した、コンサルタント会社・アクティビジネス株式会社の代表取締役社長・大西啓義氏から著書を頂戴した。さらっとページをめくっただけでも、「江戸私塾の人づくり」「松下村塾における変革の人づくり」など興味深い内容が並んでいる。腰をすえて、後日読んでみたい。

Dsc03830  今日、柏崎ぶどう村を支援する「柏崎ワイン倶楽部」会員への3回目のワインの配布があった。今回は、「メルロー2003樽熟成」と「メルロー2005ブラッシュ」。早速、若い「メルロー2005ブラッシュ」を飲んでみる。
 サラっとした飲み口で、正面からくる「らしさ」はないものの、若さが良い方向にまとめられている。
Dsc03833  このワインに合う食材は何かと迷ったあげく、青森県産地鶏のモモ肉があったので、塩、胡椒、そして山椒を効かせて焼き上げてみた。
 ゴクゴクと飲める若いワインに、歯がきしむほど身の引き締まった鳥の筋肉、そして皮の脂肪。豊かな夕食となった。

 先日の『新潟日報』紙への投稿で、あまりの酷さに驚いたと、某校の先生より連絡を頂戴した。恥ずかしながら、自分自身では読み飛ばしてしまったようで、再度新聞ラックから取り出し、確認してみたが・・・・確かにヒドい。
*高校生の感想であり、名前は伏せました。


平成18年10月22日『新潟日報』

 きらきらキラリ 
 「慰安婦」問題 韓国訪れ痛感

          ○○○○ 17 高校生(新潟市)

 私は夏休みに学校の有志たちと韓国へ、日本と韓国の歴史の真実を学ぶために行ってきました。
 私はこのスタディーツアーで、初めて日本軍「慰安婦」を知りました。日本が韓国を侵略していた当時、日本軍に強制的に連れて行かれ、彼らの性奴隷にされた女性たちのことです。1945年8月15日、日本の敗戦とともに、朝鮮半島は日本から解放されます。
 しかし彼女たちは、子どもが産めない体、男性への恐怖、極度な人間不信、家族や世間からの偏見や差別、自己嫌悪に苦しみ続けます。
 日本は、この事実をまだ認めていません。教科書に載せていないし、謝罪もしていません。1991年一人の証言者が立ち上がり、それに続き多くの日本軍「慰安婦」が告発し始めました。韓国では、毎週水曜日、日本大使館の前で日本政府に謝罪を求める水曜デモが行われています。若者、男性、さまざまな人々に交じって私たちも参加してきました
 私が、平和だとずっと思ってきたこの日本が、罪を認めず、私たち日本人に本当の歴史を隠している姿を知りました。私は、日本が加害者だったことを認め、謝罪の気持ちを持ち、本当の歴史を知る日本人になりたいです。


 日本人の高校生が韓国に行き、韓国内の日本大使館で日本への謝罪を求めるデモに参加する・・・・これが日本の教育の実態である。情けない。
 先日の上田きよし埼玉県知事の「従軍慰安婦はいなかった」発言にも書いたが、従軍慰安婦問題を叫ぶ人は、日本軍に強制連行され、性奴隷にされたのだから、日本政府は国として賠償金を払え!と主張する。しかし、実際には家庭の事情など、それはそれで不幸な事ではあったものの、民間業者(女衒)に身を売ることになったのであり、もし強制性があったとすれば、親や親族ではあろう。
Bira 左の写真(クリックすると大きくなります)は、韓国の教科書にも掲載されている1944年7月26日の慰安婦募集チラシである。あくまで民間の業者(女衒)が募集を行っていることが分かる。しかもその給料たるや月給で300円。当時の大学卒初任給が70円、大日本帝国陸海軍の大佐クラスの年棒でやっと4000円から4500円の時代である。
 日本軍が関与したのは、性病が蔓延してはならぬと善意の医療行為が主である。

 儲けた民間の業者(女衒)ではなく、日本政府に賠償や謝罪を求めるのはおかしい。慰安婦制度、売春が良いとかどうかの話ではなく、そもそもが筋違いなのである。

 お金を払えば良いということではないが、「それでも・・・・」と、1965年の日韓基本条約に向けて、慰安婦だった方への補償も含め、日本政府は個人補償を提案したが、韓国政府は国家への補償として全額受け取りたいとした。韓国政府の提案をのみ、個人補償分を含め「日韓基本条約の関係諸協定、日韓請求権並びに経済協力協定」第1条により、

 無償援助 3億米ドル(1080億円)
 有 償   2億米ドル(720億円)

を拠出し、さらには民間円借款で3億米ドルを韓国側に支払った。1965年(昭和40年)といえば、日本もまだ経済成長の途中であり、その当時で5億米ドル(1800億円)、韓国の国家予算の約1.5倍を支払った。「従軍慰安婦だった」という韓国の国民が受け取っていないというのは、あくまで韓国内の問題である。
 しかも、「日韓基本条約の関係諸協定、日韓請求権並びに経済協力協定」第2条にはこうある。

 「両締約国は、両締約国及びその国民(法人を含む。)
  
の財産、権利及び利益並びに両締約国及びその
  国民の間の請求権に関する問題が、1951年9月
  8日にサンフランシスコ市で署名された日本国との
  平和条約第四条(a)に規定されたものを含めて、
  完全かつ最終的に解決されたこととなることを
  確認する」

 歴史の真実を学んでいってもらいたいものだ。

 ちなみに、「日韓基本条約の関係諸協定、日韓請求権並びに経済協力協定」を含め、韓国政府は2005年8月24日から限定的に、やっと国民に公開をはじめた。

2006年10月24日 (火)

防衛大学校長の不思議、侵略戦争?

 2時、就寝。8時、起床。大粒納豆、生卵でご飯をかっ込み、9時から市内某所で打ち合わせ。
 12時、一回自宅に戻り、冷凍うどんを茹で、納豆うどんにする。祖母を喜んで食べていると思いきや、目を離した隙にいなくなってしまった。午前中は、頭がしっかりしているので、散歩も独りで大丈夫であるが、昼過ぎからは頭のなかがモヤモヤのようで、私と息子であった父を間違ったりする。外にでてみると近くにいて安心し、パソコンの前に戻って仕事をするも、いつの間にか家をでていたようで、夕方まで何回も家と近所を行ったりきたりであった。

Dsc03824 17時から、サツマイモとジャガイモを中心に、トマトの水煮、パプリカ、赤とうがらしをたっぷり入れたレッドカレーを作り、煮込む。
 18時過ぎから、祖母と一緒に食事をするも、まだ頭がモヤモヤしているようであった。

 安倍首相が誕生したことで、首相官邸からのメールマガジンも「安倍内閣メールマガジン」に変わった。これまでの小泉メールマガジンを整理していると、2006年9月7日発信の248号にチェックしてあることに気づいた。
 一部で問題視された、防衛大学校長の五百旗頭(いおきべ)眞氏の文章である。



●小泉政権5年をこう見る(防衛大学校長 五百旗頭真)

 小泉純一郎は類例のない政治家である。

 戦後の自民党政府は、党と官僚機構を2大マシーンとし、下に支持母体となる多くの巨大利益集団をかかえ、旺盛な派閥政治を恣いままにしてきた。小泉はそれらの世話にならず、国民との共感を築くことによって首相となった。

 小泉首相は、圧倒的な支持率を背景に、長く続いた派閥政治と既得権政治を打破する役回りを演じた。派閥の拘束なしに閣僚人事を思いのまま行ったのは、戦後史にあって吉田茂と小泉のみである。それでいて、「ワンマン吉田」が政権末期には不人気をきわめたのに対し、5年の政権を全うする小泉首相の国民的人気は衰えを見せない。奇跡の人と呼ぶ他はない。

 小泉の政治改革は3つの要素から成る。一は新自由主義的な民営化と小さな政府化の推進である。二は国際的役割の拡充であり、リスクをとって自己主張し行動する外交展開である。三はこれらを可能にする官邸の機能強化である。

 実はこの三つを軸とする改革は、80年代のレーガン・サッチャー・中曽根の時代に始まり、90年代の小沢一郎や橋本龍太郎によって模索されたものの継承であり、小泉の独創ではない。

 小泉の独創性は、国民の前で改革をドラマ化して演じて見せ、国民を巻き込み、国民を感動させる民主主義の劇場政治である。小泉は日本史上初めて国民と共感で結ばれた政治家である。

 小泉首相が余りに魅力的であり、時代の表現を独占しているため、よいことだけでなく、まずいことまで国民的に了承されるところがある。「あばたもえくぼ」症候群である。外交面にそれが顕著であると、私は見ている。

 たとえば靖國参拝一つで、どれほどアジア外交を麻痺させ、日本が営々として築いてきた建設的な対外関係を悪化させたことか。

 侵略戦争を行ったうえ敗北した日本に対する不信は、世界に、とりわけアジアに根深かった。しかし戦後日本は平和的発展主義をとり、世界で最も格差の少ない豊かな社会を築いた。さらに民主主義社会を確立し、そして途上国の国づくりへの協力を重ねた。これを見て、世界は日本を信認するようになった。

 東南アジアは90年代には日本の友人となった。難しかった韓国との間も、金大中-小渕恵三の時代に転機を迎えた。江沢民の中国はもっとも厄介であったが、それでも世紀転換期には日本重視路線に転じた。

 これら積み立てられた信用という対外資産は、小泉首相が靖國参拝にこだわったことによって、大きく損なわれた。しかし小泉首相のあり余る魅力と国民的人気が、アジア外交への批判を封じているのである。
 
 小泉外交は全体的に見てどうか。やはり高い得点をマークしている。

 とりわけ大きな業績は、対米関係の高水準化である。日本外交にあって対米関係が単独過半数的地位を有するだけに、その劇的な改善は大きな成果である。首相は9.11テロに傷ついた米国に飛び、ブッシュ大統領と並んで「日本はアメリカと共にある」と言明した。

 世界的に不人気なイラク戦争をブッシュ政権が発動したとき、小泉首相はいち早く「支持」を表明した。イラク占領後に戦乱状況が拡がり、日本人外交官も犠牲になる中で、首相は自衛隊の派遣を決断した。「たとえ犠牲を伴うとしてもやらなければならないことがある。」危険を冒しての外交行動も、やはり小泉にとってタブーを超える感動のドラマなのである。

 ちなみに私はイラク戦争が間違った戦争であると判断し、筋目の悪い戦で米国と一緒してもきっと後味悪い結果になると憂慮した。間違った戦争であることは、その後ますます明瞭となったが、イラクに派遣された自衛隊に悲劇は起こらなかったし、日米関係も悪化しなかった。

 それどころか、小泉首相は自らの任期中に陸上自衛隊をサマワから見事に撤収した。しかも対米関係をこじらせることなく、ブッシュ政権から称賛を浴びながら。この魔術に対しては脱帽する他はない。

 小泉外交は戦後日本になかった「リスクをとる外交」である。首相自らがあの北朝鮮を訪問し、拉致を認めさせ、問題解決の大筋を共同声明に示す大業は、小泉以外の誰にもできなかったであろう。

 内政にも外交にも、小泉政治には勇気と感動のドラマがある。不世出のリーダーといってよい。アジア外交の失点は小さくないが、それは小泉首相が再浮上の機会を後継者たちに残したものと考えて対処せねばなるまい。

※ 執筆者の紹介
http://www.kantei.go.jp/jp/m-magazine/backnumber/2006/iokibe.html


 これが防衛大学の校長が書く文章であろうか。
 まるっきりの自虐史観であり、また靖國神社への参拝が国内問題であることを理解していない。しかも、アジア外交を「中国、韓国」だけと捉えている。中国、韓国以外のアジア諸国が小泉首相の靖國神社参拝に反対しているのであろうか。
 是非、更迭してもらいたいものである。

 ついでに書けば、日韓関係は「金大中-小渕恵三」で転機を迎えたと評価しているが、韓国の金大中大統領は平成10年に来日した際、

 『韓国は今後過去の問題は出さないよう自分が責任を持つ』

と約束し、日韓共同宣言(1998年)でも

 「金大中大統領は、かかる小渕総理大臣の歴史認識の
  
表明を真摯に受けとめ、これを評価すると同時に、
  両国が過去の不幸な歴史を乗り越えて和解と善隣
  友好協力に基づいた未来志向的な関係を発展させる
  ためにお互いに努力することが時代の要請である旨
  表明した。
  また、両首脳は、両国国民、特に若い世代が歴史へ
  の認識を深めることが重要であることについて見解を
  共有し、そのために多くの関心と努力が払われる
  必要がある旨強調した。 」

と明記したものの、状況は変わらず、韓国は歴史を外交カードに使っている。
 ちなみに、あの拉致実行犯であり死刑判決を受けた北朝鮮工作員の辛光洙(シングァンス)を恩赦で釈放したのも金大中大統領である。

 さらに余談ながら、この北朝鮮工作員の辛光洙(シングァンス)を含む「在日韓国人政治犯の釈放に関する要望」を1989年に韓国大統領に署名入りで提出した日本の国会議員がいる。
 現職の国会議員では、民主党菅直人衆議院議員をはじめ、代表的なところでは以下の各議員。

田 英夫 参議院 社民党(日朝友好議連)
渕上貞雄 参議院 社民党(日朝友好議連)
江田五月 参議院 民主党 岡山県
山下八洲夫 参議院 民主党 岐阜県 (日朝友好議連)
千葉景子 参議院 民主党 神奈川県
山本正和 参議院 無所属の会 (社民党除名)(日朝友好議連)

 元国会議員では、社民党の土井たか子氏である。

2006年10月23日 (月)

あれから2年、中越大震災

Dsc02557 7時、起床。今日は一日、あの中越大震災で関係した方々への挨拶まわりなどをし、近況をお聞きした。食事はあえてとる必要も無く、頂いた茶菓子とお茶でお腹いっぱいとなった。
 20時過ぎ、自宅に戻る。

Dsc02534_1  中越大震災からちょうど2年。地震が発生したときには、車を運転しており、あまりにも前の車がフラフラしているので、飲酒運転でもしているかと思ったほどで、実際には道路全体がウネっていたのである。
Dsc02572 市内中心部である自宅はそれほどでもなかったが、市内半田の経営する店の方は、皿などの食器類がすべて全滅。業務用冷蔵庫などが倒れてしまい、コンプレッサーが壊れてしまった。泣くに泣けない状況となり、元の状態になるまで約一週間かかった。
Dsc02537_1 柏崎市内でも特に被害が大きかった北条地区は、親戚がいることもあり、状況確認に行こうにも道路が陥没しており、翌々日になってやっと安否確認ができたほどであった。
Dsc02570 長岡、小千谷、十日町の特に被害の大きかったところでは、当初、毎日の食事がパンやおにぎりなど冷たいものばかり。どうしても暖かいものを食べたいとの連絡があり、豚汁50名分を作って、届けること数回。
 その後、車のなかで寝泊りする人で、エコノミー症候群が心配された。三重県の奥野食品さんをはじめ、懇意にしている食品関係の会社に頼み、納豆をはじめ、紐を引くと暖かくなる容器などを車に積み込み、車中で暮らしている人に配って歩いたのが懐かしい。
 昨日、バーベキューに参加してくれた糸魚川市の五十嵐哲夫議員も炊き出しをはじめ、献身的に活動していた。

 あの災害を忘れてはならない。

 防災訓練も行われた。


平成18年10月23日『柏崎日報』

 中越地震から2年 住民ら400人が防災訓練
 松波地区 避難誘導や物資搬送

 松波地区を対象にした市総合防災訓練(松波自主防災会、市防災会議主催)が21日、松浜中を主会場に行われた。中越地震発生から丸2年を目前に、住民、関係機関を合わせて約400人が参加し、改めて防災への理解と意識を高め、連携の大切さを体験した。
 総合防災訓練は今年で12回目。松波地区では昨年6月25日に自主防災会を発足、その3日後の水害で活動した。組織は1-4丁目ごとに情報、消火、救出救護、避難誘導、給食給水の各班のほか、地元事業所の支援隊などの専門部も設けた。
 訓練は、中越地方を震源とするマグニチュード7.0、震度6弱(烈震)の地震が発生し、家屋の倒壊や多数の負傷者など甚大な被害が発生したという想定。午前8時30分の防災無線を合図に、住民が各丁目ごとの集合場所に避難し、リーダーが負傷者などの被害を確認。会場の松浜中へ誘導し、対策本部に状況を報告した。
 住民訓練では、水消火器による初期消火、AEDを使った心肺蘇(そ)生法、倒壊家屋からの救出救助、炊き出しなど。支援隊の救援車両が物資などを搬送した。また消防署・消防団による放水訓練、県防災ヘリも参加する事故車両救出救助訓練など
も行った。
 市対策本部長の会田市長は訓示で「災害直後は応援の手が行き届かないのが現実。それぞれの地域でお互いに助け合って命を守ることが非常に大切になる」と自主防災組織の重要性を語り、「訓練を通していざという時の備えが重要。防災への理解、備え、意識を高め、より実効性のある地域の防災態勢を築いてほしい」と呼びかけた。
 宮島洋一・松波自主防災会長は「三方が海と川、原発に囲まれ、災害が起きると孤立する可能性がある。そのためにも日ごろから自分の命は自分で守るという意識を高めていただきたい」と語った。

2006年10月22日 (日)

第3回柏崎自衛隊協力団体合同BBQ

Dsc03811 7時、起床。1時間ほど風呂に入った後、両祖母とも疲れがでているのか起きてこないので、大粒納豆での納豆巻きを作り朝食にする。
 最近は、海苔と手だけでスッスーと巻けるようになってきた。寿司は、「握り3年、巻き7年」と言われるので、今後も精進したい。

Dsc03812 8時45分過ぎ、某氏、某家族と待ち合わせをし、自衛隊柏崎地域事務所に集合。今日は、第3回柏崎自衛隊協力団体合同バーベキュー大会である。柏崎隊友会、柏崎父兄会、自衛隊友の会、柏崎募集相談員などが合同での開催となる。バスで、会場である小村峠に移動する。

Dsc03813 こういった自衛隊と民間との手作りのバーベキュー大会は、新潟県では珍しい。お父さんが元自衛官でもある糸魚川市議会の五十嵐哲夫議員昨年に続き、お誘いし、参加となった。
五十嵐議員の報告ブログ

Dsc03815 ロープを使って各種結び方の練習やカモフラージュメイクコンテストと進み、豚肉、牛肉を焼きながらの酒盛り。カモフラージュメイクコンテストではお約束で、「ちょこっと経験」ではなく、バリバリ・プロ仕様なみに塗ってしまった。
*写真は第二普通科連隊長賞。

 今年、自衛隊に入隊した新人、そしてこれから航空自衛隊に入隊する若者、自衛隊を受験する学生などの紹介もあり、

 「責任を持って国防の任にあたることを誇りに思う」

 「訓練にも逃げることなく、立派になって親も安心させたい」

など、素晴らしい決意を語っていた。

 酒を飲みながら色々な方と懇親していると、意外に音楽好きの方が多く、昨日の「第27回旧帝國陸海軍軍樂隊大演奏会」の話や、唱歌、ジャズまで色々な話題で盛り上がった。
 唱歌、軍歌は思想がどうのこうの、軍国主義がどうのこうのと批判する人が多いが、もっと大らかな視点で考えれば、日本がアジア諸国に先駆けて、西洋音楽を導入し、自国の文化に昇華させ、日本の吹奏楽の発展に役立ったのは事実であり、名曲も多い。歌詞に問題があるというのであれば、歌わずとも名曲は語り継いでほしいものである。

 14時過ぎ、すっかりお腹もいっぱいになって、小村峠から自衛隊柏崎地域事務所に戻り、一旦解散。腹ごなしに「ジョーシン 柏崎店」にK氏と一緒に入ってみると、プラモデルがかなり充実しており、驚いた。
Yukip  『機動戦士ガンダム』などのアニメ系各種プラモデルに加え、天一号作戦時の「駆逐艦 雪風」など、結構マニア受けのような商品が多数。酔った勢いもあり、思わず買いそうになってしまった。なによりもプラモデルの箱の絵が良かった。(写真は、「戦艦 大和」についていく「駆逐艦 雪風」のけなげな姿。一瞬、『風の谷のナウシカ』にでてくる王蟲の子供と間違う)
 箱の絵といえば、田宮模型のプラモデルをはじめ、『サンダーバード』などのあの巨匠、故・小松崎茂氏の迫力ある絵が思い出される。千葉県松戸市の「昭和ロマン館」で展示をやっているそうなので、いずれ見に行きたい。

 16時近くに自宅に戻るも、かなり大量の肉を食べたため、お腹が減ることはなく、そのまま22時まで事務所の掃除などをし、明日からの仕事に備える。

2006年10月20日 (金)

世界に開かれた日本近現代史 ハワイ編、
アロハ納豆

 ブログやメールなどを書き、3時ごろ就寝。7時、起床。母、母方の祖母と同居している祖母の3人と一緒に愛車に乗って都内に向かう。母方の祖母はまだ元気であるが、同居している祖母は痴呆も進んでおり、遠出するのは今後あまりないであろう。
 今回の目的は、同居している祖母の要望で、映画でしか見たことがないという浅草寺、兄が祀られている靖國神社、そして旧帝国陸海軍の軍楽隊による演奏会である。

Dsc03788 8時過ぎ、高柳町の天然酵母のパン屋「麦麦ベイク」(電話:025-741-3032)の前を通ったので、焼きたてのパンを数個購入し、家族で食べながら朝食。いつもの定番はチーズフランスであるが、今回はペッパー&チーズを食べてみた。

Sekai 12時過ぎに浅草寺に到着したので、母、父方・母方の祖母の3名をおろして、渋谷のチャンネル桜のスタジオに向かう。
 14時から「世界に開かれた日本近現代史」ハワイ編を2本、2時間、収録。

*放送日:
 第1回 「ハワイ王国など」11月2日9時~、再放送3日15時~
 第2回 「大東亜戦争以後」11月9日9時~、再放送10日15時~

Hawaii 今回のゲストは、ハワイ在住26年、広島の陸軍幼年学校卒の早瀬さん。色々と調査をしてきて頂いたので、非常に勉強になった収録であった。
 いまでこそ、ハワイはアメリカの一州として見られているが、かつては王政をとった立派な独立国。
Ca  明治14年には、カラカウア王が明治天皇に拝謁し、カラカウア王の姪っ子で次の王位継承者であるカイウラニ王女と、山階宮定麿親王を結婚させてほしいとまで申し出、日本との連邦制、共栄圏を提唱している。
 このことはカラカウア王の

 「アメリカはわが国を占有し、
  太平洋上の拠点にしようという野心を抱いている」

Aloha という言葉に集約されている。世紀のロイヤルウェディングは、山階宮定麿親王が15歳、カイウラニ王女が5歳ということもあり、実現はしなかったが、これを機に多くのハワイと日本の秘話が生まれた。アロハシャツにしてもそうである。ちなみに、いまもハワイの「アロハ納豆」はある。
*ハワイアンの名曲といわれる「アロハ・オエ」はハワイ王朝の最後となったリリウオ・カイウラニ女王が作詞作曲したもので、アメリカに併合される悲劇のなか、祖国を思う気持ちをこめたものである。

[Windows Media Player]形式。
プレイボタン(一番左)を押すと始まります。
*Windows Media Playerは無料でダウンロードできます。

 今後、少しずつ本ブログでもハワイとの秘話を紹介していきたい。

Dsc03790 17時過ぎに収録が終了し、18時過ぎに浅草まで母と両祖母を迎えにいく。せっかくなので東京の下町らしいものが食べたいとのことだったので、「おかめ本店」(東京都中央区月島3-17-3 電話:03-3533-0951)にてもんじゃの夕食。母も両祖母も「もんじゃ」は初体験。まずは入門編として、明太子、チーズ、ベビースター、納豆をトッピングにした「もんじゃ」である。
Dsc03791 父方の祖母は、あまりの熱さに入れ歯安定剤が溶けてしまうというアクシデントつきであったが、十分楽しめたようで、なぜか「冥土の土産になる」と何回もつぶやいていた。

 20時過ぎ、宿泊はスカイコート浅草に到着。パソコンももってきておらず、祖母と一緒の部屋なので、仕事もできずひたすら本を読む。
 24時近くに就寝。

2006年10月19日 (木)

核武装論と民主党幹部

 2時、就寝。6時、起床。干し納豆とおかゆで朝食をとりながら、溜まっていた本を一気に読む。『参謀本部と陸軍大学校』は組織論として、非常に参考になった。

 10時、来客。多方面にわたる相談であったが、改めて福祉や児童保護の現実を見た。今後、議会で提案をしていきたい。

 12時過ぎ、電話で「とにかく来てほしい」とのことだったので、某宅に伺うとかなり深刻な相談であった。そりあえず、話を聞き、関係機関を紹介する。気持ちが落ち着いたようなので、一緒に「カップヌードル・シーフード味」で昼食。

 一旦、自宅に戻り、メール関係を処理してから、市内まわり。親も年をとったことで、柏崎に帰ってきたものの就職先がなかなか見つからず、子供の教育も心配との声を頂く。柏崎の職に関する問題は、どっちが悪いとかそういったものではなく、経営者側の求める人材と応募する側のミスマッチがあまりにも多いところであろう。ハローワークを含め、12月議会に向けて、調査してみたい。

Dsc03786 昼が即席ラーメンだけだったので、夕食は頂き物のマコモダケをメインに大徳寺納豆を隠し味に入れたボリュームのある牛肉炒めを作る。
 マコモダケは支那竹ほど硬くはないが、歯ごたえがあり、食感が良い。

Dsc03784 もう一品は、真鱈の白子、いわゆる精巣で、方言で「だだみ」の煮付けである。
 賞味期限が近いということで、50%引きだったので、2パックを購入し、薄口醤油、みりん、酒、水飴で仕上げてみた。

 先日、自民党中川昭一政調会長が「核をめぐる議論が必要」と発言したことで、野党のみならず自民党内からも批判がでた。
 実際に武装するのか否かと核武装自体を議論することは違う
 日本の核武装論は、(当時・自由党)西村真悟議員が防衛政務次官だった際、

  「日本も核武装したほうがええかもわからん
       ということも国会で検討せなアカンな」

と1999年10月19日発売『週刊プレイボーイ』の対談企画で発言したところ、大きな話題となり、結局、西村議員は辞表を提出するに至った。しかし、持論の「核武装を議論すること」自体は取り消ししていない。
 私自身も核を議論することは必要であり、またそれが抑止力につながると考える。「核」といっただけで思考停止していては、実際の脅威である北朝鮮、日本を標的にしている中国が持つ核に対処できない。
*かつて共産党は、「中国が持つ核は良い核」と訳の分からない 主張をしていた。

 中川発言を受け、自民党の失態とばかりに民主党は騒いでいるが、そのときの自由党党首である小沢一郎議員は、「独立行政法人 日本原子力研究開発機構」データベースによれば、こう発言している。


自由党小沢党首は
      「核武装は簡単」と発言

 自由党の小沢一郎党首は4月6日、福岡市内で講演し、「中国は超大国になろうと軍事力増強にいそしんでいる」とした上で、最近小沢氏に会いに来た「中国共産党情報部の人」に語った内容だとして「あまりいい気になると、日本人はヒステリーを起こす。(日本が)核兵器を作るのは簡単だ。その気になったら原発のプルトニウムで何千発分の核弾頭ができる。大陸間弾道弾になるようなロケットを持っている」と述べて、中国を強く牽制(けんせい)したことを明らかにしました。

<関連記事>
自由党・小沢一郎氏「核武装は簡単」 中国側に軍備増強を牽制(2002.04.07 朝日朝刊)
小沢一郎・自由党首が福岡市で講演 「日本だって核弾頭の4000発くらい持てる」(2002.04.07 毎日朝刊)
その気になれば核弾頭保有 小沢党首が中国けん制、日本「核武装」論に言及(2002.04.07 読売朝刊)
小沢党首 中国の軍事化牽制 「日本は一朝で核を保有」(2002.04.07 産経朝刊)


 しかも、鳩山由紀夫議員も当時には、

 「核武装してもいいかどうかを国会で検討したらどうかと言った瞬間にクビを切られるとなると、国会で核をもつべきかどうかなんて議論がなされなくなる。議題に乗せることすらしてはいけないという発想もいかがなものか」

と1999年10月27日に東京都内で行われた講演で述べている。

 核武装うんぬんの前に、政権をとるためにはそれまでの主張を変えることを平気で行う民主党幹部がどうかと思う。

2006年10月18日 (水)

明治時代の愛国心論争

 0時過ぎに某店をでて、自宅に戻ろうとしていたところ、電話があり、某飲食店へ。これからの柏崎はどうなるんだ!と何故か怒られる。

Dsc03778 3時過ぎ、自宅に戻り、仮眠。5時過ぎ、起床し、柏崎準倫理法人会の経営者モーニングセミナーに出席。
 今日はビデオ研修で、テーマは「破約失福」。人との約束を守らなければ、自分の約束も破られるということから入って約50分。

 「各地方にある●●時間は倫理経営では許されない」

に思い当たる点があり、反省。柏崎の「柏崎時間」がそれにあたるであろう。

Dsc03779 7時過ぎ、自宅に戻り、納豆巻きを作り朝食。ちょうど甥っ子、姪っ子がきたので、一緒に食べる。
 午前中は頼まれていたDVDの作成。パッケージも印刷して約200本。無事、発送まで終わった。

F1000001_37  13時30分から事務所で打ち合わせ。15時過ぎ、甥っ子を連れて、リコール対策にだしていた愛車を取りにいく。
 甥っ子がどうしても遊びたいというので、ラパークに行き、30分ほど店内をブラブラする。だいぶ言葉を覚えてきたので、物を指差しながら物の名前を覚えるよう対話する。お昼を食べていなかったようなので、麺類が好きなこともあり、ピーコックで350円セットを食べさせる。
 自宅に戻り、甥っ子を寝かしつけてから16時過ぎから久々の床屋。頭のマッサージもあり、スッキリする。

Dsc03781 19時30分から柏崎青年会議所の来年度委員会の打ち合わせ。柏崎のお祭りについての事業である。
 柏崎のお祭りの歴史の掘り起こし、これからの柏崎のお祭りのあり方など、来年に調査、検討し、提案までもっていく方向。

Dsc03782 22時過ぎ、自宅に戻り、頂き物の鴨ハムと三つ葉、ほうれん草、玉ねぎを使っての納豆サラダとおでんで夕食。
 最近は生でもエグみがないほうれん草にハマっており、納豆との一緒に食べることが多い。このほうれん草で、引き割り納豆とひき肉の味噌炒めなんかを巻いて食べても良さそうだ。

 先般の国旗・国歌に関して、東京都教育委員会の強制は違憲というアホ な判決の余波がまだあるが、地元、柏崎日報の読者投稿でも「あの判決はおかしい」という意見があった。
 では、愛国心の教育について、戦前は強制されていたかといえばそうでもない。以下の記事が参考になる。


2006年7月15日『防衛ホーム』

論陣 明治時代も愛国心教育はあった
=教育基本法改正案への参考=

 国会で継続審査になった「教育基本法改正案」は、臨時国会で再び〝愛国心″をめぐる論議が展開される。「国民が愛国心を抱くのは当然」「いや、愛国心論争は日本人を再び暗い道を歩かせる」など、いろいろな意見が聞かされている。確かに軍国主義教育と平行して小中学生に強要された愛国心高揚教育が行われた第2次大戦前から戦時中の愛国教育は、国民に幸いをもたらすものではなかった。だからといって日本人が愛国心とはなにか、愛国心の是非を否定していいものだろうか。この際、日本人は、過去に〝愛国心″をどう感じ、それを教育の中にどんな形で織り込んでいったかを歴史的に検証してみる必要があるのではないだろうか。
 手元に明治35年、明治書院が刊行した「中学国語読本巻一」がある。落合直文著の中学(旧制)1年生向けの教科書である。定価は22銭。明治35年といえば日清戦争が終り、日露戦争開戦直前の風雲急を告げた時代である。
 その「故郷」の項に故郷愛と祖国愛が、やさしく、分かり易く書かれている。別に「国民に愛国心を強要した」くだりは1行もない。

-わが故郷を思う情は、われひとともに変わらぬことである。これには日本人、外国人の別はない。どこの国の人も、みなわが故郷の美を説かないものはなく、ひとたび故郷を出れば望郷の念にうたれるものである

と書き出し、

 かつて青ヶ島で火山が大噴火し、島民の多くが死亡した。わずかに十数人が八丈島に逃れたが、故郷忘れがたく、火山が鎮まると十数人全員が喜び勇んで火山島の青ヶ島に帰った。また千島の占守(しゅむしゅ)島は厳寒不毛の地なので、日本政府(開拓支庁)は、住民を南の色丹(しこたん)島に移住させた。色丹は緑も多く、河川には数多くの魚がいて、田園もある。いい所と考えて移住させたが占守からの移民はこの環境を喜ばず、帰心矢の如く、三々五々、全員が不毛の占守島に逃げ帰ってしまった。アメリカでもエスキモー人をシカゴに移したが、日本と同じように全員がエスキモーに逃げ帰ってしまった-

など内外の例をあげて故郷の良さを説明している。
 そして郷里の人々とのコミュニケーションを〝人の情″と説き、結論として「郷里を愛する気持ちは、やがて国を愛する心となり、国を愛する心は、やげて健全な独立国の国体を千年の後に伝えるものとなる。一国の国民は、その国をしたう情を進めて、さらにその祖国を愛する情を盛んにするのは自然の歩みである」と結んでいる。
 日露戦争の直前でありながら、そこには国家からの〝思想の押し付け″は1行もない。

 祖国愛、愛国心と、ことさら声を大にして論争するよりも、この教科書のように「自然の心」として考えさせるほうがより効果的ではあるまいか。
 また、日の丸論争なども声を荒げて語るべきではないと思う。この教科書に実に興味をひく「日の丸の話」がある。話は明治5年のことである。内閣のお偉いさんが、たまたまアメリカに出張した。そこで目にしたのはアメリカ菅は祝祭日の前日には、個人の家、役所などで星条旗を掲げている。実ににぎやかで楽しそうな風景だった。
flag 帰国して4、5人の同僚と「日本で日の丸を祝祭日には各戸、役所などに掲げて祝ったらどうか」と話し合った。お役人は「法で決めたら」とか「いや、自発的に掲げさせるべきだ」などの意見が出たが、「上意下達はだめ」ということになり、最終的には「まず、われわれが祝祭日に日の丸を自宅の前に掲げてはどうか、それが世間に広まるのが一番いい」ということになった。
 そして、お役人達は、自宅に帰って麻の布に朱で日の丸をかき、これを掲げたら、これを見習う人がしだいに多くなり、東京から名古屋、大阪、京都、九州と輪が広まり、数年後には「国旗専門店」まで現われるようになったという。その結論として「国旗でもなんでも、押し付けるのではなく、例をあげて説明し、じぶんが率先して実行すれば、そんなに苦労しなくても事は成功する」と結んでいる。愛国心論争も、角を立て、歯をむき出しての論争ではなく、歴史上のエピソードなどを例にして話し合えば自然に結論がでてくるのではないだろうか。

2006年10月17日 (火)

屋台村にクソゲー喫茶?

 溜まっていた『ガバナンス』などを読みつつ整理し、3時、就寝。7時、起床。恩師が泊まっているホテルに新米を届ける。恩師と色々な話をしたのち、お見送り。
 今日は、愛車で東京日帰り出張の予定であったが、相談にのってほしいとのお願いが入ったため中止し、10時から事務所で相談にのる。

Dsc03772

 就職先もないので、新たに自分で飲食店をやってみたいということであった。資金をはじめ、コンセプトなどどうするのか、昼食として「うれっ子」(電話:0257-22-4648)のチャーシューつけめんを一緒に食べ、15時ごろまで話合うも実現性は遠いということになり、今回は見送りとなる。
 個人的には、以前から屋台が複数並ぶ屋台村をやりたいと思って、協力者を探していたが、今回の件も含め、なかなかタイミングが合わず残念である。
 コンセプトを話合っているときに、いまどんなお店をやりたいかという話題になり、ふとファミコンを思い出した。
Ss 昨日、自分の部屋を整理していたら、古いファミコンがでてきたので、つい電源をいれ、名作「スターソルジャー」(夏の得点を争う大会、キャラバンに出場し、1回戦負けの思い出も・・)などで遊んでしまったが、とてもゲームと呼べないような、いわゆる「クソゲー」(クソみたいなゲームの意)もでてきた。当時はソフトであるカセットの値段も高く、遊んでみてクソゲーだったときには、少ない小遣いであるため、かなりヘコんだものである。名作は語り継がれ、リメイクされるがクソゲーは完全に無くなる。こういったクソゲーしかない、「クソゲー喫茶」というのはどうかと一瞬思ったのであるが・・・・・ クソゲーも無くなるが、「クソゲー喫茶」も無くなる という結論で話は終わった。

 16時、トヨタから、リコールではなく改善?の通知があったため、愛車をディーラーに預ける。

Dsc03776 19時から柏崎青年会議所の委員会活動。
 今年最後の事業である忘年パーティの企画とその準備作業である。
 1時間半ほどの話し合いをした後、懇親会のため、自転車と徒歩で移動する。

Dsc03777 「野立」(0257-24-4136)で懇親会はスタート。
 先日、福島県郡山市で行われた日本青年会議所全国大会のことが話題となった。
 この全国大会に来ていた大阪府八尾市の青年会議所メンバーの一人が同じ組織のメンバーに突然アルコール度数の高い酒をかけ、ライターで火をつけたそうである。火をつけられた方は、顔や腹などに火傷を負い、重体とのこと。
もちろん、加害者は傷害で逮捕された。宴会で勢いがついているとはいえ、やり過ぎ。真面目に活動しているメンバーには、この上なく迷惑な話である。

2006年10月16日 (月)

埼玉県知事「従軍慰安婦はいなかった」発言

 資料を読み漁り、4時ごろ就寝。8時、起床。納豆ご飯をかっ込んで、祖母の病院の順番取りに向かう。

 9時過ぎ、自宅に戻り、事務所にて打ち合わせを2件。

 12時過ぎ、東京の恩師をはじめ、東京都議会の備邦彦議員とサービスホールで待ち合わせをし、ご挨拶。議員ご自身の後援会主催の旅行で、柏崎刈羽原子力発電所見学にお越しになられたそうである。

 14時過ぎまで恩師や学校の先輩と懇談。買い物などを済まして、17時、自宅に戻る。

 18時から急遽、懇親会に呼ばれたため、某店に向かう。夕食程度の食事で勘弁してもらい、自宅に戻って、資料の整理やメールの処理など。

 「おもろい兄貴」鈴木正人議員がいる埼玉県議会の6月議会における、上田きよし埼玉県知事の発言が話題になっている。
 埼玉県平和資料館の「従軍慰安婦」の年表表記に対し、

 「古今東西、慰安婦はいても、
     従軍慰安婦はいなかった」

Ian答弁したことが発端となり、自ら従軍慰安婦だった?と証言している韓国の老婆が発言の撤回と謝罪を求め、支援者と一緒に10月3日、埼玉県議会の開始時間にちょっとした騒動があったという。
*写真は、中国にて10元で買ったVCD。内容は、故・松井やより女史が「日本の主流な世論」という捏造!と、エロ映像の連発であった。女性の股間に海軍式の敬礼をしてから乱交する有様。

 もちろんのことながら、上田きよし知事の発言を支持するが、いまだに「従軍慰安婦」という言葉がでてくる事には驚かされる。そもそもそんな言葉は、戦時中には無い。「従軍」したのは、「従軍記者」、「従軍看護婦」であり、場所によっては「従軍僧侶」がいた程度である。
 そもそも、日本の軍人が朝鮮人(当時は日韓併合しているため日本人)の民家に押し入り、その家の娘を強制連行して、従軍慰安婦にしたなんて事は起きるのであろうか。
Bira 左の写真(クリックすると大きくなります)は、韓国の教科書にも掲載されている1944年7月26日の慰安婦募集チラシである。あくまで民間の業者(女衒)が募集を行っていることが分かる。しかもその給料たるや月給で300円。当時の大学卒初任給が70円、大日本帝国陸海軍の大佐クラスの年棒でやっと4000円から4500円の時代である。
アジア歴史資料センター
 従軍慰安婦問題を叫ぶ人は、日本軍に強制連行され、性奴隷にされたのだから、日本政府は国として賠償金を払え!と主張する。しかし、実際には家庭の事情など、それはそれで不幸な事ではあったものの、民間業者に身を売ることになったのであり、日本軍が関与したのは、性病が蔓延してはならぬと善意の医療行為が主である。

Indobesia また、河野談話で日本政府が従軍慰安婦を認めただの「どうの河野?」という議論があるが、インドネシアのマスコミ及び政府の毅然たる対応がこの問題の本質を突いている。
 『インドネシア・タイムス』のジャマル・アリ会長は、
 
 「我々には、
  日本罵倒体質の韓国や中国と違って
              歴史とプライドがある。
  『お金をくれ』などとは、360年間、
  わが国を支配したオランダにだって要求しない。」

と語り、スエノ社会大臣は次の見解を発表した。

 「インドネシア政府は、
  この問題で補償を要求したことはない。
  しかし、日本政府(村山首相)が元慰安婦に
  お詫びをして
  お金を払いたいというので
  いただくが、元慰安婦個人には渡さず、
  女性の福祉や保健事業のために使う。
  本来の日本との補償問題は、1958年
  
の協定により、完結している。」
*1958年4月15日発効、「インドネシアとの平和条約」
  「インドネシアとの賠償協定」賠償額803億880万円

2006年10月15日 (日)

開業120周年蒸気機関車、さう男?

 届いたものの読んでいなかった本を5冊ほどを読み耽る。中でも、『「たら」「れば」で読み直す日本近現代史』は読み物として面白く、『インテンジェンスの歴史』は眠い頭にとって手ごたえがあり過ぎる感じであり、数日以内に再読しようと思う。4時、就寝。

Dsc03763 8時起床。サツマイモと大根を大量にもらっていたので、母親に習いながら郷土料理である「ぐす煮」を作る。サツマイモは大きめに切ったほうがいいようで、短冊切りにした油揚げと一緒に煮込み、火が通ったところで、大根菜っ葉の硬い部分を投入。最後に味噌で味付けをする。

 9時から事務所で打ち合わせ。

Dsc03749 12時過ぎ、甥っ子が蒸気機関車を見たいとのことで遊びにきた。早速、妹と甥っ子の3人で柏崎駅に向かう。
 今日の蒸気機関車は、信越線の関山-直江津間が開業して120周年ということで、昨日に引き続き行われたものである。
Dsc03752 駅のなかに入ったものの甥っ子は、鉄道模型を楽しむ会さんが展示されていたNゲージなどに夢中になり、なかなかホームまで行かなかった。先日の上越新幹線MAXに続き、甥っ子は相当な鉄道マニアになりそうである。
 入場券を購入し、これまで見た事がないほど一杯になったホームに入る。12時44分、汽笛を鳴らして、蒸気機関車が入ってきた。甥っ子は感動しているのか、怖がっているのか、ブルブル。
Dsc03755 駅舎のなかで、「鯛めし弁当」が売っていたので、購入。1300円という値段設定であり、鯛の価値や包装を考えるとこの値段と思うが、近くにいた人は

「千円ぐらいだったら家族分買うのにねぇ~」

とつぶやいていらっしゃった。
 13時過ぎに自宅に戻り、「鯛めし弁当」で昼食。鯛が2段重ねになっている。できれば、もう一品、柏崎らしい漬物などがあれば、さらに良いのではないかと思う。

Dsc03765 14時、来客。株式会社えひめ飲料の「オレンジキャロットミックスジュース」を3本頂戴した。
 雑談をしているうちに、右脳、左脳に関する話題となり、手を組むときのしぐさ、腕を組むときのしぐさで検定?をしてみた。
 結果、「さう男」になった。「さう男」は、

「ドライで柔軟なあやつり師」
 インプットを左脳、アウトプットを右脳で行う「さう」は、状況を客観的かつ正確に把握して結論を出した上で、相手の感情に響くやり方で訴えかけます。ものごとを裏の裏の意味まで探って分析し、相手の状況を見切った上で言葉巧みに誘導するコミュニケーション能力の高い策士です。
 冷静にバランスよく納得しやすい解決を導き出すことで、人に意見を求められることが多く、一目置かれる存在です。人当りはソフトですが、つねに適度な距離を見定めた大人のつきあいをします。その距離感をドライで冷たいと感じる人もいるでしょう。人間関係に角を立てることが嫌いで、イザコザが起こったりすると両方の顔をうまく立てて丸くことをおさめるのが上手。ある意味小心者でもあります。自分の趣味や目的の達成のためには努力を惜しまず研究熱心なので、物知りで頭がいい印象を与えます。
オタクの素質も備えています。ムダな努力もしない効率主義者なので、無理と感じたらあきらめも早く、無難な線で決着をつけようとします。それを物足りないと感じる相手もいるでしょう。

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 事務所の掃除や書類の整理をしているうちに、料理でストレス解消をしたくなったので、納豆餃子を作ることにした。
 牛豚合い挽き肉、大粒納豆を叩いたもの、茹でたキャベツ、ラード少々、ニラを練る。味見はできないので、味付けはいつも適当である。

 水に溶いた片栗粉を使ってパリパリの羽根突き納豆餃子に仕上がった。カリカリの熱々に追加で数個焼き、ビールも500ml4本を飲んでしまった。
 食後、23時過ぎまで仮眠する。

2006年10月14日 (土)

サハリン2の実体~日本のエネルギー戦略

 3時、就寝。7時、起床。大粒納豆でご飯をかっこみ、扇風機やクーラーの室外機など、夏から冬への準備を行う。3人家族のなか、男手は自分一人なので、午前中かけて家中のものを片付ける。

 昼食抜きで、市内での挨拶まわり。15時から打ち合わせ。

Dsc03748 親戚に納豆をもっていたところ、まぐろのサクを頂戴した。早速、刺身にし、残ったものは醤油に漬け込んでヅケにして、19時に夕食。

 食後、ここ最近伝えられた樺太(サハリン)の天然ガス輸出プロジェクト「サハリン2」に関する資料を一通り読む。
 泉田裕彦知事が当選する前の意見交換会でも気にしている旨、発言されていたが、ここに来てロシアの横暴さがでてきた。


平成18年10月15日『防衛ホーム』

 論陣 エネルギー外交は強腰に
   =サハリン2の実体を見る=

 日本のエネルギー外交、エネルギー産業に対する考え方も、安倍内閣をきっかけに、いま一度、検討したほうがいい。エネルギー産出国の言いなりに資金を出し、相手の顔色をうかがう。その上、一方的に開発協力を打ち切られたら、不平は洩らすものの、強い態度にも出られない弱腰姿勢。庶民は不安とともに、腹立たしいばかりである。
 抽象的な言葉を並べても仕方がない。身近な具体例をあげて「論陣」を進めていく。
 日本とロシアとの石油、天然ガス(LNG)の開発問題がある。ロシア・サハリンの天然ガスを液化して日本に輸出するという計画が、1991年以後、日本やその他の国にもたらされた。日本政府は、この計画に乗ることを決め、三菱商事や三井物産に開発に協力してはどうか-との話を進めた。
 日本の2社とロイヤル・ダッチ・シェルなどは「サハリン2」と名付けられたこの計画に参加することになり、当時のエリツィン政権との間に「生産物分与協定」を結んだ。1995年のことである。95年といえば、旧ソビエト連邦が崩壊して4年。ロシアの国家経済は大混乱し、財政的にも低下の一途をたどっていた。そして諸外国は対ロ投資をとまどう国がほとんどだった。
 日本は国内の消費エネルギーの99%を外国からの輸入に頼る「エネルギー産出小国」である。そこに、ぼう大な石油、天然ガスを埋蔵するロシアからの話。具体的にサハリン2のLNG年間生産量960万トン。協議はとんとん拍子に進んだ。もちろん利益の一定割り合いをロシアに還元するというロシアの財政を助ける条件もついていた。シェル、三菱商事、三井物産は「サハリンエナジー」という事業会社を設立し、開発に乗り出した。三菱商事、三井物産は、この事業に9000億円もの事業費を注ぎ込んだ。
 開発は比較的順調に進み、液化設備、パイプの設置など、最終段階に入っていた。ところが、ことしの夏になって、ロシア政府は一方的に「サハリン2の操業中止命令」を通告してきた。中止の理由は「操業過程での環境汚染」だった。サハリン沿岸に大量のカニや魚の死骸が打ち上げられたのは「LNG工事のせいである。だから作業の全面中止を決定した」というのである。
 この中止に対してロシア国内で激しい対立が生まれた。中央政府の中止命令に対して、地元のサハリン州政府が「中央のいう環境破壊には全く根拠がない」と反発。調査データを添えた上、さる9月21日、サハリン州マラホフ知事名で「中止命令を取り消すよう」声明を発表した。ロシア同士の見解の相違・対立が明らかになった。
 サハリン州側や各国の情報筋の話を総合すると、ロシア中央政府は、サハリンおよびロシア国内の石油、天然ガスを近い将来、すべて「国有化しよう」との狙いが明白なのだという。その第一弾が「サハリン2」での動きである。特にあと1年そこそこでプーチン大統領の任期は切れる。その権益の一部をプーチン大統領の息がかかっているガス独占会社「ガスプロム」に譲り渡すことを決めていると伝えられている。ロシアの石油、天然ガス戦略物資とし、国家管理しようという動きなのである。利益からある割合を「サハリン2」から受けとる条件のサハリン州としては「利益全額の国家中央への独占」には反対するのが当然である。国際政治上、ロシアが冷戦時代のように「力」を付け「強い発言力をもつ大国」になろうとする考えは分からぬわけではないが、そのために「協定」を無視したり、事業中止を命令したりの強引なやり口には日本としても賛成できないところである。
 日本は2000年にはサウジアラビアから石油の共同開発計画を拒否され、さらに10月5日、イラン国営石油会社のノーザリ総裁名で同国アザデガン油田開発にからんで「日本は権益の多くを失効した」との通告を受け困った立場になっている。産油国のほとんどが埋蔵量あと49年分の石油、天然ガスを戦略物資と位置付け、これを元に資源ナショナリズムを拡大しようという動きが明らかになってきている。
 これまで日本はエネルギー源を手に入れるために「産油国に辞を低くして輸出をたのみ、会社を通して、ばく大な資金を注ぎ込んできた」。その上、常に相手国の顔色をうかがうのが常だったように思える。
 安倍新政権には「契約は契約、実行できなければ資金は出さない。互いに紳士であるべきだ」という強い姿勢でエネルギー外交を展開してもらいたいと望む。


  既に8割方完成していたこの事業が中止になることで、日本のエネルギー戦略に見直しが迫られる。
 戦略、戦略というが、改めて「戦略」とは何かを振り返ってみると、「戦略」は

 1.長期的展望である。
  短期的変動は戦術
 2.目的と手段の連鎖構造である。
  大目的には大きな手段(=中間目的)、その中間目的には
  さらに手段(=小目的)がある。
 3.枢要点に力を集中する。 

である。この基本に立ち返って、政府が日本のエネルギー戦略を今後どう再構築するのか注視していきたい。そのなかで新潟県、そして我が柏崎市はどのポジションに行くことが良いのか、またそのポジションに行くために、柏崎市はどんな戦略、戦術を練るべきなのか、今後考えていってみたい。

2006年10月13日 (金)

議員定数、議論白熱!

Dsc03687 2時就寝。7時、起床。某メーカーさんの試作品である長期間熟成させた納豆で朝食。味わいに深みがあるものの、匂いも特有なものになっており、商品として成立するのかどうか不安である。

Dsc03685 10時から、議会運営委員会。
 議員定数削減についての集中審議である。激しい議論、公明党vs共産党の様相を呈したが、所属会派である整友会、公明党に対し、定数削減の会派との議論は平行線のまま終わってしまった。

Pd000003001Pd000003002 新潟県議会でも7名を減員する案を自民党県議団が打ち出しており、新潟県内の市議会のなかでも、柏崎だけが特別に地区が広く、議員が少ないということでもない。
*資料は、条例の上での定数、現在の定数の2表

 次回の議論は、11月2日。

2006年10月10日 (火)

刈羽郡病院との懇談、柏崎準倫理法人会

Dsc03649 2時、就寝。6時、起床。DVD自体、パッケージなどを200組作成し、箱づめする。
 3ヶ月経過した大粒納豆ご飯で朝食。目に刺すような臭いとチロシンのざらつきが気になるが、味わい深い。

 9時から来客。歴史関係の講演会を予定しているそうで、講師紹介の依頼であった。

Dsc03650 14時30分から刈羽郡病院2階の会議室にて、厚生常任委員会と刈羽郡病院院長以下との意見交換会に出席。

 柏崎準倫理法人会「経営者の集い」

Kamimura10月10日18:30~20:00
シーユース雷音
講師:上村 國喜氏
(株)メディック太陽 代表取締役
法人スーパーバイザー
入場無料です。
1980年、長岡市で調剤専門薬局を開局したのを皮切りに、明朗、愛和、喜働を経営理念の柱にすえ、県内中越地区を中心に薬局を展開中。日本初のドライブスルー調剤薬局、敷地2000坪を超えるメディカルタウン、繁華街におけるメディカル・ビルなど常に業界に先駆けて取り組む。その背景には「他人の出来ないことをやろう」を合言葉にしたフロンティアスピリットがある。薬暦簿を県内で始めて導入し、様式がほぼ業界の標準になっている。

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2006年10月 9日 (月)

北朝鮮、地下核実験強行!

 7時、起床。大粒納豆でご飯をかっこみ、S氏が宿泊している某ホテルまでいく。S氏が帰京する電車の時間まで懇談。今後、本の出版など面白い企画に話が盛り上がる。

X S氏を駅までお送りしたのち、12時過ぎ、自宅に戻ると北朝鮮の地下核実験を強行したとの情報が入っていた。
 これだけ世界が制止しているにも関わらず強行、しかも安倍首相が韓国を訪れている最中にである。
 韓国の盧武鉉大統領も今回の件を鑑みて、北朝鮮への融和政策を見直さなければ、反米、反日の方針をとっている以上、盧武鉉政権の次はないであろう。
 北朝鮮は「マトモな国」ではないが、逆な視点から見れば、アメリカをはじめ大国をこれだけ振り回すという外交も、ある意味凄いと思う。(これも核の力あってのもの)

Dsc02230  今回、核実験を行ったことで、北朝鮮の軍事カードとしては、通常弾頭、化学兵器や細菌兵器を搭載した弾道ミサイルに加え、核弾頭搭載の弾道ミサイル(数年以内に実現するという「威嚇」を含め)が増えたことになる。
 これまで、ミサイル防衛システムを含め、柏崎への海上自衛隊の誘致を毎回の定例議会で訴えてきた。当初は、「ミサイル」と議場で発言しただけで、

 「漫画の見過ぎ」 「アニメか?」

の野次が多かったものである。今年7月のミサイル発射を受けて、先の9月議会一般質問では、北朝鮮の話題に移る際、

 「(革新系の)諸先輩議員の皆様、
       大変お待たせしました!」

と反撃させてもらったところである。
 日本が核抑止力をもてない現状からみて、ミサイル防衛システム、さらなる自衛隊の力を日本海側、特に世界最大級の原子力発電所を抱える我が市に誘致することは、柏崎市民だけでなく、日本国民全体の安全安心を守ることである。今後も力強く 訴えていきたい。

Nkorea 北朝鮮の国旗に使われている青と赤は朝鮮民族の伝統色であるとともに、赤と赤い星は「社会主義国家の建設」、青は「平和」を意味する。今の北朝鮮の独裁体制下では、国旗の色も変えなければならないのではないか。ちなみに、白は光明と純潔を象徴し、白い円は太極を意味する。

 すぐさま関係箇所に問い合わせをしてみるとともに、一県民として新潟県庁に電話してみると対応中とのことであった。
 では、柏崎市の対応はどうなのかと思い、12時50分過ぎ、市役所に行ってみる。13時を過ぎた頃、会田市長が市役所の駐車場に来たのが見えたので、これから対策に入るのであろうと一先ず安心。上越市、新潟市がいち早く対応しているなか、新潟県内で一番心配されている柏崎市の初動が遅いことは許されない。
<柏崎市からの声明>  9日17時37分発信

 所属会派の議員がほぼ全員会派室に集まり、そのまま16時近くまで会派内会議を行う。議題は、

・教育委員長の任期を残しての辞任
新潟産業大学の存続問題
・家庭ごみ有料化の政策決定までの問題点
・刈羽郡病院と開業医の関係
・北朝鮮、拉致問題

など。柏崎市の現状は問題だらけである。

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 16時過ぎ、自宅に戻り、甥っ子と一緒に市内でお買い物。「越後もち豚」や三つ葉を購入し、夕食にする。
 ブランデーを風味づけにした「豚のしょうが焼きステーキ」、三つ葉と大根のサラダ、豆腐の小粒納豆はさみの3品。

 食後は、原稿を書こうと気合を入れるものの電話などが相次ぎ、落ち着いたのが24時近くであった。

2006年10月 8日 (日)

憎き雨、北朝鮮問題と田中真紀子議員

Dsc03642 1時、就寝。6時、起床。ご飯がまだ炊けていなかったので、小粒納豆1パックと昨日弊店間際のスーパーで買ったサンドイッチで朝食にし、事務所の整理と掃除。最近特に紙の郵便物が多く、ファイリングが間に合わない。後ほどまた入手できそうな資料については、極力捨てるかPDFに変換することにした。

Dsc03641 朝からあいにくの雨であり、今日の各種イベントが気になる。特に高柳町「狐の夜祭り」は、その幻想的な風景もさることながら、用意する皆さんの苦労も知っているからで、是非、晴れてほしかった。
 昨年は社会人、大学生ボランティアと一緒に2週にわたって、お手伝いさせてもらったが、今年は他のイベントや準備もあり、また来年が選挙であることもあって、選挙活動として手伝いに来たと「変な誤解?」をされないよう、ご辞退させてもらった。来年はまたお手伝いできればと思う。

Dsc03644 11時から東京から来たS氏を市内各所に案内する。 12時過ぎ、祖母の食事を作るために一度自宅に戻り、乾麺の山芋蕎麦を茹で、鰹節と利尻昆布でだしをとり、蕎麦を作る。隠し味は、化学調味料の代わりとなる干し納豆である。だしをとったあとの昆布と鰹節がもったいないので、猫まんまにし、新米コシヒカリにかけてみた・・・・下品だが美味い。

 午後から、S氏をご案内するが、あいにくの雨であり、高柳方面ではなく、人物に会ったり、資料館の見学をしたいとのことで、米山町の聖ヶ鼻で日本海、松田伝十郎の樺太発見の碑を見てもらったのち、旧市内をウロウロとする。
 米山町の親戚から、大きな鮭をもらった。卵もいっぱいにつまっており、いかにも美味そうである。

Dsc03647

 S氏をホテルまでお送りし、19時過ぎ、自宅に戻る。早速、大きな鮭をさばいて、抱えていた卵をイクラ状態にし、みりん醤油につける。
 20時過ぎ、イクラが漬かった頃合を見計らって、イクラ丼。黒豆納豆のマヨネーズ和え、三つ葉とほうれん草のだし汁で夕食。

 食後、録画しておいた衆議院予算委員会の田中真紀子代議士と安倍晋三総理の質問を見て、驚いた。

 「北朝鮮問題の初動がなっていない!」

田中真紀子代議士は攻めている・・・・・。
Jon 今から5年前の2001年5月1日、北朝鮮の独裁者・金正日の長男・金正男が偽造パスポートで日本で遊びほうけており、出入国管理法違反で逮捕された。その状況のなか、

 「そんな人を置いておいてミサイルが飛んで来たら大変!
  すぐ帰さないとだめ!」

と金正男を北朝鮮との交渉カードに使うことはせず、即、国外退去処分としてすぐに特別機で送り返した。我々の血税を使ってである。その判断をしたのは、何を隠そう、当時の外務大臣である田中真紀子代議士。

 「男性を送り返すと判断したのは当時の大臣だ」

安倍晋三総理に返されると、

 「国外退去させるというのは小泉総理の判断だった

と切り替えした。しかし、ここまでの議論は、小泉総理と安倍官房長官(当時)の連帯責任として、北朝鮮への初動の不手際を田中真紀子代議士は指摘している。ご自身のことになると、小泉総理のみが悪かったとなるようである。

Kaku  我が柏崎市は「コンピューターのついたブルドーザー」田中角栄元総理の出身地であり、私が生まれた1972年には日中国交正常化が実現している。初の新潟県出身の総理大臣であり、地元ではその手腕とともにいまだ尊敬されており、国会内の立法数の多さなど、私自身も尊敬している政治家である。
*写真は昭和57年、柏崎青年会議所で行った講演の模様

 よって、地元・柏崎市では、ご令嬢である田中真紀子代議士への批判もしづらい環境であるが、拉致事件の完全解決を望むゆえ、あえて書いた次第である。

Ka ちなみに、1972年9月29日の日中国交正常化とともに、1952年8月5日に発効した日華平和条約が終了し、中華民国国民政府(台湾)は対日国交断絶を発表した。親日国を失った日であった。<台湾への賠償として贈られた「駆逐艦 雪風」の話は語り継いでほしいものである>

2006年10月 7日 (土)

旧山古志村村長、長島忠美代議士講演会

 2時、就寝。6時、起床。ブログやメールの書き込みをしつつ、購入したものの、積んだままだった本を読む。

F1000002_20 9時過ぎ、甥っ子、姪っ子がきたので、姪っ子をあやす。まだ下の歯が2本しか生えていないが、是非、噛むことを覚えてほしいので、スルメの足をしゃぶらせる。

 10時から事務所に来客。市政に関してのご要望をお聞きする。まちづくりに関して、市民の意見を聞く前に市長が何を考えているのかお知りになりたい、とのことであったが、議員である我々にも分からないのである。12月議会で再度、絞って質問をしたい。

Dsc03619 11時30過ぎ、市民プラザに移動し、ボランティアをお願いした大学生と待ち合わせをしたのち、「豊亭」(電話:0257-22-6051)の弁当を食べながら、打ち合わせ。
 食事を食べるのが早いという話題になり、「早メシ、早グソ・・・」と言ってしまい、ドン引きされる。

Dsc03623 市民プラザのなかで、「勇気の人 杉原千畝展」が行われており、ユダヤ人救出の美談とその後が紹介されていた。
 より多くの人の柏崎市民に見てもらいたいものである。また同時に、ユダヤ人の救出は、文官だけではなく、軍人もやっており、ハルピンにおける樋口季一郎少将のことも是非、今後は取り上げてほしい。その時の、関東軍参謀は東條英機、満鉄総裁は松岡洋右、いわゆるA級戦犯となっている人である。当時の日本の外交3原則がいかに浸透していたのかの証明でもあろう。

 ・日本の自存自衛
 ・アジアの安定(植民地支配からの解放)
 ・人種差別の撤廃(八紘一宇)

Naga 13時30分から、NPO法人エイジレスたまご主催、自民党柏崎支部協力による長島忠美講演会 ~その時、リーダーはどうあるべきか~」を実施。
 実質の周知期間が短かったにも関わらず、会場は満杯となり、用意した席の他に急遽、イスを追加する状態であった。
 講演会の構成は、第一部として、西川正純前柏崎市長の講演、第二部が長島忠美代議士の講演、そして最後が西川正純前市長と長島忠美代議士との対談である。

 西川正純前市長の講演は、「有事における指揮官の心得」。
 中越大震災はもとより、ナホトカ号重油流出事件、拉致事件など多くの困難に接し、決断をしてきた経験をお話いただいた。


Dsc03620    有事における指揮官の心得

1.はじめに
 ・あれから2年、今回のシンポジウムの意義
 ・NPO法人「エイジレスたまご」とは
 ・長嶋忠美さんとのお付き合い
 ・今日のテーマを大上段にかかげましたが、私が「有能な指揮官」と言う意味ではありません。「かくありたい」、「かくあるべき」と思いながら、その任にあったという気持ちでの以下の話です。

2.指揮官=組織のトップの鉄則
(1)必要なとき自ら「決断」を下せること。
(因みに、「決断」と「決裁」は異なるものと思います)
(2)時々起こり得る「不規則な」、「イレギュラー」な事態に対し、冷静・公平・客観的に立ち向かい、沈静化を図り、すべからくに一応の「結論」を出せること。つまり、物事を「FINISH=終結」出来ること。
(3)「もしかしたら起こるかも知れない変事」をイメージし、それを抑え、封じこめるべく、日常何気なく目に見えない備えをしておくこと。
(あらかじめ事態の展開を想定し、必要な措置・対策を前もって講じておくこと)
 予防行政(アヒルの水かき?)

3.私の幾つかの経験から
(1)役所の「緊急時連絡一覧表」を補充強化
   → これまでの一覧に首相官邸と自衛隊がなかった。
     非常時は手順なんか構っていられない、知事を探し、
     決断待ちなどをしていられない。直接、連絡!
(2)平成7年1月20日(月=振り替え祭日)払暁、「阪神淡路大震災」が勃発。
「災害が起こると現地はどういう事態に陥るのか」、職員7-8名とともに神戸市に向かう。
(3)私自身も、柏崎での「水害」、「豪雪」、「地震」などひととおりの災害をに遭遇しましたが、山古志村のようにそこの自治体全体の存亡を賭けるような過酷な体験をしたと言う点では長嶋さんにはかないません。
(4)災害とは異なりますが、原発の「プルサーマルをめぐる諸問題」や「東電のトラブル隠し不祥事事件」、「北朝鮮粒致被害者の帰国対応」、「フォンジェの破綻と、民事再生法による再起」……等々、世の中にはある日突然、全く思いもかけないことが起きるものです。そうした不規則事態に直面したときに、リーダーの立ち居振る舞いが問われるとの「覚悟」が必要です。
(5)私が「かくあるべし」と描いていた指揮官像
・「ネアカ」であること、「楽天家」であること
・「独断専行」、「トップダウン」の指示が出来ること
 (普段は「お先にどうぞ」、いざというときは「俺について来い」)
・情報感覚があること (情報収集力に強いこと)
・いつも冷静であること
 (考え・行動する自分、それを見ているもう一人の自分)
・「持久力」があり、声が大きいこと。
  そして、指示は語尾をはっきり、簡潔に。「複雑条件」、「停止条件」、「解除条件」付きの指示は混乱・暖味のもと。

4.おしまいに
 近頃は「普通の生活」を営むことの難しささえ痛感させられます。
 それだけに、今日一日普通の生活を過ごせることへの感謝の気持ち、そして、それを少しでも持続させることへの努力の必要性。
 付け足しのようですが、作家塩野七生さんの以下の言葉を。
 「危機管理」の最たるものは国家の外交でしょう。
 私たち自身も、外交や国家の在り方を人任せと考えずに、我が事として考える姿勢を保ちたいものです。

『リーダーに地位と権力が与えられるのは、国民の声を聞きつつも、前例にとらわれず対策を決断し、危機に対処するからだ。
 こうした決断はワルじゃないとできない。
 政治も外交戦略も少ない投資で多くの結果を得ようということだから、ワル、英語でいうとクールでないとできない。ところが日本の戦略担当者には善良でいい人が多い。これが心配だ。
 要するに国民を天国に生かせるためには、指導者自身は地獄へ行く覚悟がいる。いや、地獄に行くようなこともあえてしなければ、人々の生活を守ることは不可能だろう。これに対して、大したことがない指導者は、自分が天国に行くことばかり考えて、結果として民衆を地獄に送り込むのだ。
 西欧三千年の歴史を調べていると、これぐらいの危機はいくらでもある。危機や失敗から学ぶか学ばないか、個人も国家もそこで勝負が決まる。』

<ローマ時代の著作多数 塩野七生>


Dsc03621 詳細は、主催者であるNPO法人エイジレスたまごの報告があると思われるが、長島忠美代議士の話に涙する聴講者もおり、会場は感動の渦に包まれた。
 缶ビールと漬物が村民のメッセージとともにそっと置かれていたこと以来、お酒を口にしていないことや、少ない食料のなかからおにぎりをもらった話など、是非、多くの人に聞いてもらいたい内容であった。

Dsc03624

 西川正純前市長と長島忠美代議士との対談では、首長というリーダーに求められる決断力をはじめ、現在の会田市長にも是非、聞いてもらいたいもので、前市長派だの、現市長派だの小さな事は言わず、せっかく首長としての経験談が聞けるのであるから、妨害などせず、会場に来て、話を聞けば良かったのではないかと思う。

 16時から来客があったため、講演会終了後、あわてて自宅に戻る。3時間ほど、ご相談にのるが解決の糸は見えず。

Dsc03639 19時過ぎ、タラの白子が安かったので、煮付けにする。本来であれば、一度冷やした方が味が染み込んで美味しいが、熱いままツルンと食べる。白子を食べると何やら力がつくように感じるのは男だからであろうか。

2006年10月 5日 (木)

村山談話の主語を直す・・アジア侵略は誰か

Indobesia 大東亜戦争中、そして戦後のインドネシア共和国に関する文献を数冊読みつつ、1時就寝。日本人とインドネシアの人との感動のお話が歴史に埋もれていることが分かった。
 今後、少しずつ、分かりやすい文体で紹介していこうと思う。

Dsc03613 5時、起床。親戚が舞茸を大量にとったとのことで、おこぼれを頂戴し、長野の米味噌、舞茸、高知のゆず七味の味噌汁を作る。あまりの旨さに、納豆ご飯と味噌汁を2杯ずつ食べてしまう。

 午前中から夕方にかけて、来客が多く、市政に関する相談やイベント関係での打ち合わせなど。昼食は、生卵と納豆でご飯2杯をかっこんだ。新米のコシヒカリなので、おかずはいらない。

 夕食も昼食と同様にして、ご飯2杯をかっこみ、19時から「日本世論の会 柏崎支部」の定例会に出席。
 今日のテーマは、「アメリカの謀略」であったが、最近は「9・11テロ捏造」疑惑もあり、話が盛り上がる。

 22時、自宅に戻り、今日録画しておいた衆議院予算委員会での安倍晋三総理と民主党管直人代表代行が歴史認識に関する論戦を見た。
 管代議士はどこの国国会議員なのか分からないほどの歴史認識であったが、安倍首相も総理という職にある以上、すんなりと村山談話(アジアへの侵略)河野談話(従軍慰安婦)をひっくり返すわけにはいかないのであろう、消化不良の感もあった。
 村山談話を踏襲するのか否か、と再度、問われたら、

 「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました」

の主語を変えたいと、是非、発言してほしい。主語をこうするのである。

1914c  「欧米列強は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました」

*アメリカの教科書に掲載されている1914年の植民地地図
 『PEOPLE AND OUR WORLD-A Study of World History』1977,P548
Holt,Rinehart and Winton社 A・O・KOWNSLAR、他著

 自虐史観の方々には、お笑いコンビ「タカアンドトシ」ばりに

 「欧米か!」

とのツッコミに期待するところである。

2006年10月 4日 (水)

BC級戦犯、朝鮮人

 1時過ぎ、自宅に戻り、風呂に入って酔いを醒ます。某原稿のための資料文献を4時過ぎまで読み耽ってしまい、いつの間にか寝てしまった。起きたら、なんと8時過ぎ。6時からの経営者モーニングセミナーに行くことができなかった・・・反省。

Dsc03607 生で食べられるほうれん草にオニオンマヨネーズ、目玉焼き、小粒納豆で朝食。生でシャクシャクとほうれん草を食べていると、何か血が綺麗になるような感じがする。調子にのって、新米のコシヒカリを3杯食べる。

 午前中、来客2件。仕事関係の相談と「生臭い」政治系のお話。朝たっぷりと食べたので、昼食は抜き、午後から市内での色々な手続きや買い物。

 パソコン修理の依頼があったので、ご自宅に伺って本体を回収する。早速、メモリテスト(mem86)から行うとドンピシャであった。在庫のメモリに差し替えて、お届けする。

Dsc03612 近所の方から旬の栗を頂戴したので、栗ご飯を作る。もちろん、隠し味は化学調味料のような旨み効果を期待し、干し納豆である。
 口のなかで唾液を全部吸い取ってしまうのではないかと思うほど、ホクホクの栗であった。

 新潟日報に面白い記事がのっており、それを読みながら改めた靖國神社の存在を考えた。
 韓国は靖國神社にケチをつけるが、B、C級戦犯のうち、148名が朝鮮人。そのうち23名が処刑され、全員、靖國神社に祀られている。靖國神社に祀られている朝鮮人は、2万1千余柱、台湾人2万8千余柱。しかも、戦死した朝鮮人は志願兵(志願の状況)である。自分自身、参拝したときは当然のことながら意識し、感謝の念をもってお参りしている。
 一緒に欧米列強と戦ったのではなかったのか。


平成18年10月1日『新潟日報』

 シンガポール刑務所 BC級戦犯15人
 処刑前に辞世の句、遺書

 朝鮮半島出身者も冊子見つかる

 シンガポールのチャンギー刑務所で1947年、BC級戦犯として死刑になった軍人と軍属計15人が冊子に記した遺書を残していたことが30日分かった。BC級戦犯裁判の実態を知るための貴重な史料といえる。

 同刑務所は遺書を禁じていたため、死刑囚の絶筆がまとまった形で確認されたのは珍しい。15人の中には、軍属として徴用された朝鮮半島出身の捕虜収容所監視員3人も含まれている。
 朝鮮半島の京畿道出身の陸軍軍属趙文相さんは英語を話せるため、監視員のほかに通訳も務めていた。処刑前日の同年2月24日、「垂乳根の母が○放れかくばかり術なきことはいまだせなくに」(○は判読不能)という短歌を書き残し、日本名の平原守矩と署名した。
 同じく監視員だった朴栄祖さんは心境を語る歌の後に、日本名新井宏栄を書き、その下に括弧に入れて本名も記した。
 同年5月28日に処刑された第十六軍司令官原田熊吉中将は「祖上心境」と題した漢詩を残した。処刑前の自身をまな板の上のコイに例え、死を受け入れる決意を示した。原田中将は関東軍参謀、中支那方面軍特務部長を歴任した旧日本陸軍中枢の一人。
 この漢詩を読んだ二男の修さん(79)は「やはり、腹が据わっていたと思いますね」と声を絞り出すようにして語った。
 冊子は、英文の伝票や地図の裏に鉛筆で書かれていた。死刑囚房に出入りできた人物が、ひそかに持ち出したものとみられる。作家の山中恒氏が東京の古書市で入手し、保管していた。

 執行の音 今も耳に 教戒師務めた田中さん

 「一人一人の顔を思い出した。忘れることはできない」。死刑囚を見送る教戒師を務めた僧侶の田中日淳さん(92)は病床で振り返った。
 処刑場は死刑囚房のすぐ近くにあった。絞首刑が執行された時の「ガチャン」という音や最期に「萬歳」と叫ぶ声が耳に鮮明に残っている。
 「お互いに気を使っていた。『おれが死んだら、タバコはここに隠してある』と伝えたり…」
 1947年2月24日の最後の晩餐の夜。田中さんによると、捕虜収容所監視員だった軍属の金長録(日本名、金子長録)さんがふと、「あの世に行ったら、日本人とか朝鮮人とかないよなあ」と漏らした。日本人将校らは「そんな差別みたいなばかなことがあるものか」と応えた。
 戦犯に問われたのは日本人だけではない。朝鮮半島出身者の多くが、軍属の捕虜収容所監視員として徴用された。戦後、捕虜虐待などに問われ、厳しい刑を言い渡されている。
 田中さんは「趙文相さんは人の世話をよく見るリーダー役だった。日本人からも立派な人だと思われていた」と話す。
 アリラン等歌われた宴の後、趙さんは「今晩は、これから処刑になるまでのことを、ずっと書こうと思います」と、田中さんに告げた。
 「元気で行ってこいよ」。執行の直前、教戒師師として最後にこう話かけた。「理屈に合わないんだが、他に言葉がなかったんだな」。田中さんは冊子をめくりながら、名前を一人ずつ、じっと見た。

2006年10月 1日 (日)

学生の茶髪とピアス、やめれば現金1万円?

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 なかなか報告書がまとまらず、3時を過ぎてやっと就寝。7時、起床。届いた月刊誌4冊ほどを持って、長風呂。9時、なめこたれ納豆、長いもたれ納豆、それぞれでご飯を一杯で朝食。

 10時から、

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平成18年9月29日「読売新聞」

学生の茶髪とピアス、やめれば現金1万・続ければ懲戒

 秋田市の学校法人「秋田経済法科大」(小泉健理事長)が10月、同大と、系列の秋田栄養短大に、茶髪とピアスを禁止する規則を設ける。

 従わない場合には「懲戒」もあるが、指導に応じて改めた学生には褒賞金1万円が付いた学長賞を贈る“アメとムチ”を用意。文部科学省学生支援課も「聞いたことがない事例」と言う。

 新たに制定された「学生の頭髪・装身具に関する要綱」では、男女とも、頭髪について「周囲に不快感を与える特異な髪形、染色、脱色は禁止」、装身具も「華美を避け、品位を保ち、ピアスは禁止」と明記した。該当する学生には、新設された教育指導室担当の教官らが指導。どうしても指導を受け入れない学生には、教授会に諮ったうえで注意処分などの「懲戒」もあり得るとする規定も盛り込んだ。

 大学、短大合わせて学生約1800人が在籍しているが、対象となる学生は50人以上とみられ、褒賞金は総額100万円を用意する。

 元検事で弁護士でもある小泉理事長は、「ニートやフリーターなどの問題は、学生のモラルやマナーの低下も一因ではないか。学生の服装や頭髪の乱れは、大学や本人の評価にもつながる」が持論。秋田県内の高校などには、この取り組みを記載したパンフレットを配布して教員や保護者にアピール、志願者の確保にも生かしたい考え。

 学生からは早速、「なぜそこまでする必要があるのか」という反発が寄せられているという。


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