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2006年11月25日 (土)

2007アドバンス新潟創造委員会、ソ連抑留と夫婦

Dsc04197 資料整理をし、4時、就寝。
 8時、空腹のあまり起床。たまには朝から贅沢してみようと、黒豆納豆、イクラの醤油漬け、卵黄で「納豆イクラ丼-黒」を作る。
 さらには、鯛を3枚におろした後の中落ちなどがあったので、潮汁も作る。
Dsc04198 朝から安上がりなのか、贅沢なのかよく分からない食事。
 黒豆の大地の力強さは、発酵による濃厚さも足され、イクラの醤油漬けにも負けない。ガツガツとほお張り、珍しく20分ほどかけて、ゆっくり食べた。

Dsc04199 食後、シャワーを浴びたのち、用事を済ませて、柏崎青年会議所メンバーと待ち合わせ。車で、長岡市の長岡市立劇場に移動。今日は、日本青年会議所、新潟ブロック協議会の来年度の会議である。
 来年は、柏崎青年会議所から新潟ブロック協議会に出向し、道州制を見据えた新しい新潟県のあり方を提案する「アドバンス新潟創造委員会」に所属することになる。
 新潟県内各地の強み、弱みを知るチャンスでもあり、柏崎市の今後のためにも十分参考になる事業ではないかと思う。

Dsc04205 昼食抜きで、来年の「アドバンス新潟創造委員会」での事業や方針などをプレゼンテーションし、その後、県内各地の青年会議所から来たメンバーとの名刺交換。
 全体での会議は、会場が長岡商工会議所であり、また開始まで時間があったので、昼食タイム。
Dsc04206  「中華料理 王雅和」(電話:0258-35-6375)に入り、「スープカレーらぁめん 850円」。このお店、なんとライスと青汁が無料で付いてくる。青汁というのが泣かせる。
 泣かせるつながりでいけば、スーツ姿にカレーの汁ものは危険であり、また結果は泣かせることが多い。今回は、気をつけて、泣かずに済んだ。

Dsc04200 まだ時間があったので、長岡に模擬原爆が落ちた場所に行ったり、長岡駅前の長岡戦災資料館などを見学。
 模擬原爆投下地点は、既に冬囲いがしてあり、プレートを細かく見ることができなかった。残念である。
 長岡戦災資料館では、長岡に落ちた原爆のことも展示してあるものの、なかなか分かりづらい位置に展示してあった。
 ボランティアガイドの方もいらっしゃったので、その事をはじめ、戦争呼称、戦争のルールの展示などについても僭越ながらお話させてもらった。
Dsc04201 まず軍人が民間人を狙って、無差別に大量虐殺すること自体が、戦争のルール違反であり、それをまず提示してほしいものである。軍人と軍人が戦うのが戦争の基本である。1メガ(10の6乗)、もしくは1ギガ(10の9乗)歩ほど譲って、日本という国だけに非があったとしても、罪もない子供も含め、無差別に民間人を殺していいということではない
 戦争の呼称についても、空襲を行ったのはアメリカであるから「太平洋戦争」とする意見もあろうが、展示されている遺品や当時の物などにはちゃんと「大東亜戦争」と書いてある。しかし、説明文や配布資料は「太平洋戦争」になっている。これでは、子供や学生が見たときに、何がなんのことか分からなくなってしまうのではないか。是非、その辺をうまく説明するパネルがほしいところである。
 森民夫長岡市長のご英断を願う。

 ただ、この施設だけでなく、日本の歴史教科書なども、占領期間である昭和20年にアメリカに押し付けられた戦争呼称を、昭和27年4月28日に日本が主権回復した後も未だに使うこと自体、違和感を感じる。戦争を次の世代に伝えることを阻害するものであろう。
 共産党、社民党や日教組などは「アジア・太平洋戦争」などと当時も無く、さらにはGHQも使わなかった新しい呼称を使っているが、それでは事実を曲げて歴史を伝えることになる。それを狙っているのであろうか・・・・・。

Dsc04217 22時過ぎ、自宅にて家族の食べた刺身の残りで「海鮮丼」と納豆汁で夕食。
 食後、仕事をしながら、フジテレビ系で放送された『土曜プレミアム 二夜連続・奇跡の夫婦愛スペシャル・第二夜「遥かなる約束・50年の時を越えた運命の愛あなたは愛する人を50年待ち続けられますか日本とロシア国境』を見た。ハードディスクの録画は便利。
 なかなか感動のドラマであり、この事を通じて、ソ連によるシベリア抑留の悲劇をより多くの若い世代に知ってほしいところである。

Unitedk  エンディングは、ビートルズのポール・マッカートニー作である1970年の名曲『ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード(The Long And Winding Road)』であった。これはこれでも歌詞からは良かったが、個人的にはやはり歴史の観点から昭和23年9月『異国の丘』(作詞:増田幸治 、補詞:佐伯孝夫、作曲:吉田正)を流してほしかった。

Dsc01543今日も暮れゆく異国の丘に
友よ辛かろ切なかろ
我慢だ待っていろ嵐が過ぎりゃ
帰る日も来る春も来る

Dsc01544今日も更けゆく異国の丘に
夢も寒かろ冷たかろ
泣いて笑うて歌って耐えりゃ
望む日が来る朝が来る

Dsc01545今日も昨日も異国の丘に
重い雪空日がうすい
倒れちゃならない祖国の土に
たどりつくまでその日まで

*写真は昨年、舞鶴引揚記念館に行った際に撮影

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