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2006年11月

2006年11月30日 (木)

全員協議会:刈羽へ給水、ガス民営化
デリヘルで逮捕するよ電話

Dsc04254 1時、就寝。5時、起床。今日の全員協議会の資料や一般質問の原稿を整理する。
 なぜか懐かしの梅ジャムがあったので、「梅ジャム」納豆で朝食。ただ甘くなるだけかと思いきや、糖分による糸の安定化もあり、悪くない仕上がり。

Dsc04255 9時30分過ぎには市役所に行き、会派で会議。10時から全員協議会。テーマはガス事業の民営化、刈羽村への水供給について。
 ガス事業の民営化については、これまで検討委員会が毎月1回の割合で委員会を実施し、7回の審議を経て、「民営化することが望ましい」との中間答申が委員全員一致ででている。
 民営化は賛成であるものの、唯一気にかかるのは、柏崎市内の工事関係者への発注である。民営化したは良いが、いざ工事請負が市外の業者や直営でやられてしまっては、市内の経済に悪影響となる。
 また、現在のガス事業の起債残高は約41億円であり、ガス事業全体の簿価は約62億円。より高く売却できるか否かも重要なチェックポイントとなる。
 やはり市職労選出の議員は、民営化に疑義を唱え、民営化によってサービスが上がるのかと質問していたが、今回の検討がそもそもガス業界の自由化の波によって、サービスがこのまま維持できるかどうかをスタートにしており、視点が違うのである。
 ただ、水道、下水道など、今まで一緒に事業を行うことで、工事やバックオフィスの人件費が低減できていたことも事実。しかし、民間でも各社の間で工事の行程を合わせるなどをしてのコストダウンをしているので、今後やってできないことはないはずである。
 全国のガス事業者は約212社あるが、公営は34社。10年前は70社。
 新潟県内は17社のうち、9社が公営。柏崎のガス料金は、県内で中間の料金で、北陸ガスは柏崎のガスより安い。

Dsc04256 午前中はタイムアップとなったので、「たじりや」(電話:0257-22-3252)の「鍋焼きうどん 大盛」を昼食に食べながら会派会議。
 鉄道活性化企画のコンペを行いたいと提案し、快く、諸先輩議員から協力の旨のお返事を頂いた。早速、企画書や今後の計画を立てたいと思う。

 午後からも引き続き、全員協議会。市長をはじめ、刈羽村給水に関する検討資料をダラダラと読む時間が長い。資料を読むだけの時間は無駄。前もって資料は配ってあるのだから、読んでこなかった方が悪いというルールを徹底し、いきなり本題に入ってほしいものである。
 市長のまとめは、「(刈羽村と)win-winの考えでいく」とのことであった。

 いきなり携帯電話に、警察から委託を受けている私立探偵と名乗る若い男からの電話があった。

 「貴方、2003年に関西で
    デリバリーヘルスの女の子を自宅に呼びましたね。
  その時の女の子が17歳でぇ~
           貴方を
告訴するって言ってるんですよ」

 どうも、その女の子の両親が被害届けを警察に出そうとしているので、和解金30万円支払えば被害届けを取り下げるという。

 「はっ?それが事実かどうか調べたいのですが、
  正確な日時と関西のどこで呼んだか、

                     教えてください」
         (面白くなってきた・・・とほくそ笑む)

 「関西っていえば、大阪か神戸か奈良でしょ。
  場所はまた調べますよぉ~警察が。
  発信記録からも貴方だって、
    警察から依頼が来ているんですよ。
     他にも60人いて、みな捕まっているんですよ。
                 どうしますか?えっ!

 デリバリーヘルスの顧客名簿と利用履歴を全部持っており、私の携帯電話の番号と名前が記載され、自宅にその女の子を呼んだとあり、私の自宅の住所も書いてあるとも言う。

 「では、どこの警察の所管で、
      発信記録などの開示がされているんですか。
  私の住所が関西というのが、
              漏れていて怖い(うそ)ですね。

  こちらからも調査しますので、
            担当の警察を教えてください」

 「メンドくせーな、おめーはよ。
             
ガチャ!ツーツー

 この電話の主の番号は08012479181。早速、関係箇所に連絡をした。
 同じような電話が以前にもあり、そちらは
0801243871108033871894
であった。2003年には違う携帯番号であり、そもそもデリバリーヘルスの女の子を自宅に呼んだことも無く、関西に自宅も無いので、何処からか流出しているか、悪戯で情報を流しているのであろう。

Dsc04257 一回自宅に戻ったら、『文藝春秋』から平松礼二氏のカレンダーが届いていた。県立美術館問題を思い出す・・・・・。『文藝春秋』『諸君!』の2誌を読んでいる。
 18時30分から柏崎商工会議所の会議室で、柏崎準倫理法人会の役員会。
Dsc04258 経営者モーニングセミナーなどの役割をはじめ、普及拡大まで話し合い。現在、新潟県内の倫理法人会に入っているのは約1600社強。来年の7月20日には1800社達成のパーティが予定されている。
 21時から「ささ川」(電話:0257-23-2702)にて、少し早い忘年会。
 かなり寒くなってきたので、いきなり熱燗の方が多い。冷え切った体に熱燗は染み入るであろう。いくら寒くとも最初はビールと決めているので、生ビールからスタート。
Dsc04259 つまみは、刺身と湯豆腐のみ。美味しい刺身を食べながら、学生時代に食べた貧乏食事自慢大会。サバの水煮の缶詰には醤油のみか、それとも醤油+マヨネーズか、コンビーフはそのまま食えるのか、鮭缶の骨は最初に食べて良いものか、つまらない話題で面白く盛り上がる。
 2次会は某スナックにて、男女共同参画は本当に必要なのか?という議論。

2006年11月29日 (水)

鉄道唱歌とエネルギーのまち・柏崎
直接、抗議できない人

Dsc04248 2時、帰宅。メールの処理などをし、3時過ぎ、就寝。またも6時からの柏崎準倫理法人会・経営者モーニングセミナーに起きることはできず8時、起床。最近は飲み会続きであり、しかも複数が重なるので、2次会から参加が多い。2次会から参加すると、「飲むペースを合わせろ」ということになり、飲む量が結果的に多くなる。年末まで体がもつのか不安である。大粒納豆とひきわり納豆の「2色納豆飯」で朝食。

Dsc04250 午前中、来客2件。電話での打ち合わせ1件。時間なかったので、祖母の昼食は、レトルト・カレーにレンジで加熱した人参を追加し、冷凍うどんを使っての「カレーうどん」。
 自分用は、コスタリカの「サルサ・デスソース(salsa de la MUERTE)」 をかけて激辛仕様にする。

Dsc04251  午後から議事録、ブログなどの書き物を中心に仕事。
 頂きものの八丁味噌と、大量の大根があったので、味噌おでんを作る。2時間ほど煮込んで、1時間ほど外に置き、急速に冷やす。冷えるときに味が染み込むのであるが、多くの人がただ煮込めばと思っている場合が多い。冷やす、温めるをうまく使い分けるのが、美味しい味のためでもあり、大げさにいえば地球環境のためである。

 色々なところから連絡があったが、匿名(hotmail他)で私への誹謗・中傷のメールを送るとっても「おりこうさん」がいるという。

 「会田市長の足をひっぱるだけの議員」

 「体罰を推進するとんでもない議員」

 「男女共同参画を邪魔する差別議員」

といった内容とのことで、ご心配頂いた方から連絡を頂戴した。直接、批判のメールを送ってもご自分の気持ちが納まらないのか、柏崎市議会内の議員、柏崎市議会事務局などの関係各所に送るとは、素晴らしいご性格である。
 こういう事を、漢字3文字で表現すれば、
『卑怯者』というのであろう。恥ずかしくない生き方をしたいものだ

Dsc03752 鉄道活性化のため、柏崎の歴史と鉄道を整理していると、いかにエネルギーが柏崎の発展に寄与してきたのかが見えてくる。
 明治21年(1888年)、内藤久寛翁により柏崎市(旧:西山町石地)に日本石油が開業。
 そして、柏崎駅が開業したのが、明治30年(1897年)8月1日。新しい産業である石油で柏崎がにぎわい始めた頃である。明治33年(1900年)には、西山油田から柏崎までの18kmにアメリカからの輸入鋼管でパイプラインが敷設された。この頃、柏崎の精油所は40ヶ所にものぼる。ちなみに、長岡は16ヶ所。この同じ年に、『鉄道唱歌』が生まれた。
 『鉄道唱歌』は、正式には「地理教育鐵道唱歌」。長い歌詞と地理にそった順番で有名であるが、同年10月15日に発表された第四集北陸編36番には、石油産業にわく柏崎が歌われている。

『北陸/HOKURIKU』 作歌:大和田建樹
作曲:學習院助敎授 納所辨次郎
作曲:女子高等師範學校助敎授 吉田信太

「みわたす空の青海川
 おりては汐(しお)もあみつべし
 石油のいずる柏崎
 これより海とわかれゆく」

2006年11月28日 (火)

「京都国際マンガミュージアム」
   と「こどもの時代館」

Dsc04238 2時、帰宅。シャワーを浴びて、3時就寝。
 8時、起床。雑誌の取材や打ち合わせで朝食をとる間もなく、12時近くになる。先日購入した「幻魚」でダシをとったスープ、ごまダレ、干し納豆、冷凍の中華麺で「幻魚納豆つけめん」を作り、ブランチ。「幻魚」は風味よりは濃厚さが目立つ。

 午後から、某所に行き、今後の活性化に関する打ち合わせ。15時過ぎ、事務所に戻り、一般質問に関して使用したい資料を国、県の関係機関に依頼する。

Dsc04242 16時から来客。18時30分から事務所で仕事に関するメンバーでの懇親会。1匹78円になっていた秋刀魚と湯豆腐で、熱燗を飲む。
 来年の選挙に関する「生臭い」お話ではなく、どうやったら柏崎市が盛り上がるのか、「面白いまち」といわれるようになるのか、夢ある話合いで半分以上、バカ話。
Dsc04241 まちづくりは、

よそもの、わかもの、ばかもの

が原動力になると言われるが、個性ある「まちづくり」は結局のところ、「他のまちとは変わっている」ことが重要になる。そこで、あえてもう一つ

 変わりもの

を足す、この方針でいきたい。

 22時過ぎ、某スナックにて、2次会より参加。今日も長くなる。
 もしかすると市議会議員は怒られるのが仕事ではないか、と思うぐらい、ご助言を頂く。

 今年11月25日、京都に「京都国際マンガミュージアム」がオープンしたという。
 以下、平成18年11月22日『読売新聞』より。


「京都国際マンガミュージアム」、25日オープン

 各国語訳で出版されている「ドラえもん」(京都国際マンガミュージアムで) 海外から注目を集める「MANGA」の情報発信拠点になる全国初の総合まんが博物館「京都国際マンガミュージアム」が25日、京都市中京区にオープンする。アジア各国の「ドラえもん」や米国版「少年ジャンプ」などを含めた収蔵品は約20万点を誇り、一部は開設記念の「世界のマンガ展」で公開する。海外の大学との連携も始まり、まんがを通じた国際文化交流に乗り出す。

 市と京都精華大が開設。旧龍池小校舎を増改築した3階建て延べ約5000平方メートル。総延長140メートルの書架に4万冊が並ぶ「マンガ本の壁」がミュージアムの顔になる。

 〈お宝〉蔵書の一つが世界各国の日本まんがの現地版。オーストラリアのチャイナタウンで販売されていた中国語の「名探偵コナン」、手塚治虫さんの「ジャングル大帝」フランス語版、ドイツ語で出版された日本の少女コミック集……。

 展示のほか、近世思想史や美術史などを専攻する研究員4人がまんが文化の研究にあたる。伊藤遊研究員(32)(民俗学)はアジアで人気の「ドラえもん」に注目、海賊版も含めて中国やマレーシアなど5か国の翻訳本を集めた。欧州では「クレヨンしんちゃん」が親しまれ、スペイン、フランスなど4か国の本を取り寄せた。「各地でどう楽しまれているか、分析したい」と意気込む。収集には、豪・モナシュ大日本研究センターや独・ライプチヒ大が協力している。

 漫画家の牧野圭一・京都精華大マンガ学部長は「政治、経済から、料理、スポーツまで、まんがには現代日本が凝縮されている。それを自在に読みこなす日本の読者が文化を作り上げてきた。日本のまんがを世界に発信していきたい」と話している。


 日本の漫画は、世界に進出し、文化の一翼を担ってきた。この施設には期待するところであり、すっかり漫画好きとして有名になった自民党『ウルトラマンガタロウ』、もとい麻生太郎外務大臣の主張する「日本のソフトウェア世界戦略」にも合致する。
 研究施設も併設される「京都国際マンガミュージアム」の飛躍を願うのは当然ではあるが、もっと先を見越せば、日本のアニメや特撮が熱かった時代(昭和30年代~50年代)が、世界的に評価されるときがくるはずである。
 世界の「OTAKU」に売り出す可能性を秘めている「こどもの時代館」こそは、展示方法、その物語の紹介など宣伝のやり方を改善し、そして日本政府が進めるソフトウェア戦略の補完的な武器として、柏崎の観光産業の次の一手になるのではないだろうか。

 コスプレ好き、怪獣フィギュアが好きな「OTAKU」外国人も来る、
「世界に開かれた柏崎」(for OTAKU)
 半分ギャグのような、夢ある政策をやりたいものである。

2006年11月27日 (月)

TRY-tryふお-らむ2006
まちづくりセミナー 中井教授

 1時、帰宅。届いていた各種月刊誌を読んでいるうちで寝てしまい、4時過ぎ、寒さのあまり起きる。風呂に入ったのち、朝食もとらず、気合を入れて?飴を舐めながら、全部読みきる。核武装論議に関する保守系、革新系雑誌でのまったく反対になる主張の違いが楽しめた。

Dsc04222 10時からワークプラザ柏崎にて「NPO法人 トライネット」主催(共催:柏崎市手をつなぐ親の会、柏崎市肢体不自由児者父母の会、柏崎・刈羽特別支援教育研究協議会、比角コミュニティー運営協議会)の『TRY-tryふお-らむ2006』に参加。会場は150名以上の満杯。
 トライネットが設立し、活動を始めて6年目、NPOとして3年目。ミッションである「誰もがこのまちで自分らしく生きる」の実現に向けて活動をされてきた。
 まずは講演からで、講師は戸枝陽基氏(NPO法人ふわり理事長・社会福祉法人むそう理事長・全国地域生活支援ネットワーク事務局長)、テーマは「地域生活支援のカタチ~NPO法人ふわり・社会福祉法人むそうでの実践から」


戸枝陽基氏
 日本福祉大学を卒業後、愛知県半田市で一度は団体職員として勤務。しかし、そこで障害を持つ利用者と家族を支援する限界を感じ、自らNPOを立ち上げる。そこで、デイサービス・ホームヘルプ・グループホーム・就労支援・余暇支援を展開し、そして、社会福祉法人を設立し、通所授産施設までもつくる。戸枝さんの言葉には重みがある。それは若いけれどいろんな経験をしているから。そして、その経験から確実に障害者の地域生活を実践している。現在、愛知を飛び出して日本全体にノーマライゼーションの風を吹かすために、各地を飛び回っている。


Dsc04230 舌癌、咽頭癌、乳癌、胃癌と戦いながら、声も無くし、7人のお子さんをお生みになって立派に育てあげた「鉄人」お母様のお話からはじまり、これまでの障害者に対する視点を少し変えたところに新鮮味があった。
 自分の現在の状況に照らし合わせて、一番、胸のつかえがとれたのが、「肉親だからこそ耐えられない」であった。
 肉親が介護をすると虐待が起こるという例を紹介されていたが、確かに痴呆が進んできた祖母と毎日接していると、優しい声をかけようにもついつい大声になってしまうこともある。幸いながら、母と交代で家にいるようにしているが、一人で看ていたら、相当、精神的にも肉体的にも大変であることが予想される。
Denmarkf  また、デンマークの人と話したという、ピザの取り分けの比喩はとても分かりやすく、もっと多くの人に聞いてもらいたいと思ったほどであった。1枚のピザがあったとき、8人がいたとすると、日本人のいままでの平等の感覚ではちょうど8等分にし、均一にして分ける。しかし、本当に人を助けたいとする場合の平等は、1日食べていない人、1週間食べていない人、1ヶ月食べておらず子供もいる人などの条件が違っていれば、その条件に合わせた大きさで分ける。均一な平等では、誰も救えないのである。
 柏崎市の予算配分にしても同様であろう
 講演終了後、戸枝陽基氏がお書きになった本『ノーマライゼーションの詩』を購入。参考にさせてもらう。

Dsc04223 続いて、トークセッション。「まちで福祉をつくろう!」として、講演に引き続き、戸枝陽基氏(NPO法人ふわり理事長)、NPO法人トライネット代表理事の西川紀子氏、コーディネーターとして片桐公彦氏(NPO法人りとるらいふ理事長)。
 保育園跡地で開設した喫茶店やラーメン店の事例などを紹介。
 「まちづくり」という観点では、福祉を産業として捕らえおり、まったく同じ考えを持つ方々がいて、非常に安心した。
 これまで、経費ではなく原資を稼ぎ、それを元にして国、県の負担分の補助を受け、福祉事業を進めていこう、と主張すると、福祉をお金の視点から語ること自体にお叱りを受けるか、苦言を頂いていた。
*原資という言い方も違和感を感じると主張される方もいる。
 しかし、福祉が当たり前であるからこそ、実社会のシステム(補助金、交付金)を活用した福祉が必要になるのではないだろうか。
 非常に勇気がわいた講演、トークセッションであった。関係者の皆様に御礼申し上げたい。

F1000002_25 13時過ぎに終了し、いったん自宅に戻って鱈子の煮付け、大粒納豆でブランチ。短時間で食べた後、市内をまわり、意見交換や情報収集など。つい話が長くなってしまい、あわてて柏崎商工会議所に移動。
 少し遅刻をしてしまったが、15時から柏崎市総合企画部企画政策課柏崎商工会議所業務課が主催である講演会に出席。
Dsc04232 テーマは、『まちづくり三法の改正と中心市街地の活性化』。
 都市機能が郊外に拡散したことで、中心市街地が衰退した。まちづくり三法の見直しは、この対策のため、郊外の土地利用規制が強化された。しかし、この改正によって中心市街地が活性化するかは不明であり、さらには人口減少時代の都市計画へどう影響するのか、その勉強会として企画されたそうである。
 講師は、東京工業大学大学院の中井検裕(なかいのりひろ)教授。


中井 検裕
 1958年大阪生まれ、東京工業大学大学院社会理工学研究科教授専門:都市計画。
 1980年東京工業大学工学部社会工学科卒業。1986年東京工業大学大学院理工学研究科社会工学専攻博士課程満期退学。東京大学教養学部社会科学科助手、明海大学不動産学部助教授、東京工業大学工学部助教授等を経て2002年より現職。今回の「まちづくり三法」の見直しに際して、経済産業省及び国土交通省の審議委員として参画している。


Hisenbikizone 柏崎市はいわゆる「線引き」、都市計画区域を「市街地区域」と「市街化調整区域」という区域区分をしてしていない都市である。
 このことから、かつて平成16年9月議会で景観条例の提案を行ったのである。
 今回は景観ではなく、市街地の活性化という観点なので、非常に興味深かった。以下、講義メモ。


1.1999年のまちづくり三法成立の背景
(a)大店法への体制への批判
(b)中心市街地の空洞化
(c)商業調整から立地調整へ
 「大規模店vs中小個店」から「中心市街地vs郊外」
  都市構造の問題への転換

2.まちづくり三法(1999年)
 中心市街地活性化法
 都市計画の改正
  1998年の改正
   特別用途地区の自由化
   市街地調整区域の地区計画における開発許可連動
  2000年改正
   (地方分権一括法の成立もあり、
     都道府県から市町村へ権限が移譲)
   線引きの選択性と都市計画区域MPの導入
   用途白地区域における特定用途制限区域の創設
   準都市計画区域
   都市計画区域外の開発規制
  2002年
   都市計画提案制度
 大規模店舗立地法

3.都市計画を行うべき区域
 都道府県の決める「都市計画区域」国土の1/4
 市町村の決める「準都市計画区域」国土の3/4
  道路公園などのインフラなど
 都市計画以外の様々な計画体系
  農振法による農村計画や森林法による森林計画

4.土地利用規制:区域区分
 区域区分(線引き)
  都市計画区域を「市街化区域」と「市街化調整区域」に区分
  非線引き都市計画区域
 開発許可
  「市街化区域」では開発は原則「許可」
  「市街化調整区域」では開発は原則「不許可」

5.土地利用規制:用途地域ほか
 用途地域
  市街化区域については必須
  12種類のゾーニング(住居系7、商業系2、工業系2)
  用途、建物の建て方を規制
 高度地区(オプション)
  建物の高さを規制
 防火地区(オプション)
  建物の構造を規制
 特別用途地区(オプション)
  市町村による独自のゾーニング

6.都市計画の提案制度
 ・地権者の2/3の同意があれば、地権者もしくはまちづくりNPOなどが、都市計画の案を提案できる。
 ・自治体は提案を採用するかしないか都市計画審議会で判断。
   採用する場合は、通常の都市計画決定手続きへ
   採用しない場合は、理由を明示

7.改正の効果
 特別用途地区
  ようやく利用例がでてきたが、まだ例が少ない
 特定用途制限区域
  ほとんど例がない、
 準都市計画
  ほとんど例がない、
 開発規制
  効果は疑問

8.1999年まちづくり三法の総括
 1999年まちづくり三法は「大型店vs中小商店街」を「郊外vs中心市街地」に転換させる意図を有し、「立地場所の問題への対応」を図る一方で、「中心市街地の活性化」を目指したものだった。
 しかし、道具立て、すなわち「立地場所の問題への対応」=都市計画法も、「中心市街地の活性化」=中心市街地活性化法も構図転換に見合ったものとはなっていなかった。
 2004年9月の総務省行政評価において、「中心市街地の活性化が図られていると認められる市町は少ない状況」とされ、まちづくり三法は落第点をつけられる。

9.中心市街地問題の基本構造(関係者の本音)
国:仕組みは用意した。あとは地方の取り組み次第である。
県:中心市街地の活性化は大事である。しかし、バイパス道路とその沿道整備も重要である。また、基本的には市町村が中心になるべきだ。
市町村:中心市街地の活性化は大事である。だが、ひょっとしてわが町に大規模店舗が出店してくれれば、固定資産税収入は増大するし、雇用も安定するという期待も捨てきれない。
郊外の地権者(多くは農家):農業の後継者も少ないので、用途転換で大規模店舗が利用してくれればそれに越したことはない。
一般市民:郊外に車で乗りつけられるワン・ストップの商業集積ができれば、とても便利である。サービスや品揃えの貧しい中心市街地を保護するのは、既得権益の保護に他ならない。
中心市街地の商業者:商店街は明らかに寂れてきているから、なんとかしなければいけないという気持ちはあるが、子供たちは郊外や大都市で不自由なく暮らしているし、当面自分たちの生活に大きな問題はないと思いたい。

10.中心市街地活性化法の改正
・中心市街地活性化本部(内閣総理大臣本部長)
 基本計画は内閣総理大臣認定となった。
・三大都市圏以外の自治体にあっては、準工業地域においても特別用途地区を用いて大規模集客施設の立地規制を行っていることが認定の要件となる
・中心市街地活性化協議会
 従来のTMOは位置づけがなくなる


 講演終了後の質疑応答の時間になったものの、誰も手を挙げないので、質問をする。
 質問がない、ということも講演にお越し頂いた講師に失礼であり、個人的には「選挙のために目立とうとしている」などと言われるのもイヤであったので、失礼ながら名前を名乗らずに2つの質問をした。

1.コンパクトシティ構想と既に整備した郊外
2.コンパクトシティ推進と田舎の景観

 柏崎市は既に下水道をはじめ、インフラ整備がかなり進んでおり、これからまた中心に集めるコンパクトシティ構想を進めるにはどうしてもその手法に悩むところであった。また、お年寄りを中心地に集めたり、集中させることで、柏崎の武器にもなろう田舎の風景、景観がどう維持できるのか、以上の2点が不明だったのである。お答えとしては、

1.既に広がった郊外地はそれでいいのではないか。郊外の車を使った生活でも高い満足はある。逆に中心市街地で、両方通行を一方通行などにし、駐車スペースを確保するなど、ある空間を利用して、高い満足を得る手法も考えるべき。
2.風景は、そのに住む方の生活様式、文化を含めたものである。無理してでも維持するかどうかはよく議論することが必要。

であり、微妙な問題設定であったため、もっとご回答のお時間があればと残念に思った。

 講演会終了後の帰り際、いかにも私に聞こえるように、

 「選挙近けーからなぁ~」

との声。誰もそんなことを思って質問したわけではない。

Dsc04234 18時30分から、来年は勇退される西川勉県議の中央地区東部集会に出席。これまでの抗議活動や署名活動を通して、来年4月の県議会議員選挙は、合併前の旧選挙区ではなく、合併後の市町村単位を基本にした新選挙区での実施となった。
 来年、柏崎選挙区で出馬予定である現・刈羽区選出の三富佳一県議も出席されていた。
 乾杯の挨拶をせよ、とのことだったので、中央地区が抱える問題を2つに絞ってお話し、乾杯。
 お酌にまわりながら、町内近辺の色々な方から市政へのご意見を頂戴した。やはり一番多かったのは「柏崎の活力が無くなった」であった。

 遅刻したが、続いて20時から柏崎青年会議所の委員会に出席。打ち合わせの内容も最終段階に近づいている。

 22時から某懇親会の2次会、しかも後半から出席。いきなりの一気飲みから始まった。
 男女共同参画をはじめ、現・会田市長に対して【反対】の姿勢をとることを色々と問われたが、野党だとか、与党だとか、そういった意味ではなく、是々非々で考え、自分の考えとは逆であることを伝える
 しかし、最後は決まって、 「そんがんなら、おめさん、落ちるおー」 。「自分の主義主張を変えてまで・・・・・」と言いたかったが、そこは酒の席、我慢の子であった。

2006年11月26日 (日)

給食を粗末にした生徒に熱血指導

Dsc04220 2時から4時まで仮眠。大粒納豆と焼きタラコで朝食をとり、某氏と待ち合わせしたのち、氏の運転で都内へ。
 8時30分から出版に関する打ち合わせ。終了後、そのまま帰路につく。車でトンボ帰りの強行スケジュールである。

Dsc04221 鰆がかなり獲れたとのことで、大量に頂戴した。早速、刺身とレアで焼いた焼き魚で夕食。
 残った鰆は、八丁味噌と信州・米麹味噌、酒、みりん、砂糖、隠し味としてゆずの皮を入れた味噌に漬け込んだ。「鰆の味噌漬け」にして、後日楽しむつもりである。ポイントはキツめに塩をして、少なくとも2時間は寝かせることであろう。

 平成18年11月22日付けの『毎日新聞』にこんな記事が掲載された。


体罰:奈良の「熱血校長」
給食のご飯を団子にし天井に投げた小4男児に

 奈良県三郷町の町立三郷北小学校で今月14日、給食のご飯を粗末に扱ったとして、岡本喜代治校長(59)が4年の男児の尻を強くたたいて転倒させるなどし、約1週間のけがを負わせていたことが分かった。岡本校長と同町教委は「行き過ぎた指導だった」として男児の家族に謝罪した。岡本校長は教育困難校の立て直しなどで実績があり、子どもと教師の心理についての著書も執筆。地元では「熱血校長」で知られている。

 同町教委によると、男児の担任教師が13日、給食で茶わんに残った米を団子状にして天井に投げるのを目撃し、岡本校長に報告した。岡本校長は翌朝、登校してきた男児を校門前で見つけると、ほおをつかんで引き寄せ、尻を6~8回たたいた。男児は転倒し、足をすりむき、ほおにはつめ跡が残って血がにじんだという。男児はそのまま授業を受けたが、帰宅後、傷に気付いた家族が病院に連れて行き、全治1週間と診断された。岡本校長は同日夕、男児宅を訪れて謝罪。町教育長には15日朝、報告した。

 同小によると、岡本校長は「食べ物を遊び道具にするのは許されず、ここで指導しておかなければと強く思った」と説明したという。
 岡本校長は1995年、「子どもの心と教師の心」(日本教育研究センター)を出版。同小は今年度、文部科学省が全国の9小学校を指定した「総合的な学習のモデル校」にも選ばれている。


 この件は、一方的に岡本校長が悪いのであろうか。今後、常識のないような人たちが「体罰教師」のレッテルを張って、岡本校長への何かしらの運動をはじめるであろう。
 しかし、まともに考えてみればいいが、発育の良い現代の小学校4年生が、給食のご飯を団子にして、天井に投げるのである。
 給食費を払っているという意味だけではなく、食べ物を大切にする意味でも、親は自分の子供の躾について、どう思っているのであろうか。普通は、自分の代わりに、その子のことを思って、叱ってくれた岡本校長とよく話すべきではないのか。情けないのは担任教師である。担任教師がその場でキツく叱るのが最短の正解ではないか。
 もし、私が親だったら・・・・鉄拳制裁である
 2歳の甥っ子にも、お尻を叩くことで「食べ物で遊ぶとおじちゃんは怒る」を認識させている。「ダメなものはダメ」である。

 岡本校長もバッシングされているであろう。激励のFAXを三郷北小学校に送った。
 〒636-0804 奈良県生駒郡三郷町美松ケ丘西2-11-1
 TEL 0745-32-5577 FAX 0745-72-9975

2006年11月25日 (土)

2007アドバンス新潟創造委員会、ソ連抑留と夫婦

Dsc04197 資料整理をし、4時、就寝。
 8時、空腹のあまり起床。たまには朝から贅沢してみようと、黒豆納豆、イクラの醤油漬け、卵黄で「納豆イクラ丼-黒」を作る。
 さらには、鯛を3枚におろした後の中落ちなどがあったので、潮汁も作る。
Dsc04198 朝から安上がりなのか、贅沢なのかよく分からない食事。
 黒豆の大地の力強さは、発酵による濃厚さも足され、イクラの醤油漬けにも負けない。ガツガツとほお張り、珍しく20分ほどかけて、ゆっくり食べた。

Dsc04199 食後、シャワーを浴びたのち、用事を済ませて、柏崎青年会議所メンバーと待ち合わせ。車で、長岡市の長岡市立劇場に移動。今日は、日本青年会議所、新潟ブロック協議会の来年度の会議である。
 来年は、柏崎青年会議所から新潟ブロック協議会に出向し、道州制を見据えた新しい新潟県のあり方を提案する「アドバンス新潟創造委員会」に所属することになる。
 新潟県内各地の強み、弱みを知るチャンスでもあり、柏崎市の今後のためにも十分参考になる事業ではないかと思う。

Dsc04205 昼食抜きで、来年の「アドバンス新潟創造委員会」での事業や方針などをプレゼンテーションし、その後、県内各地の青年会議所から来たメンバーとの名刺交換。
 全体での会議は、会場が長岡商工会議所であり、また開始まで時間があったので、昼食タイム。
Dsc04206  「中華料理 王雅和」(電話:0258-35-6375)に入り、「スープカレーらぁめん 850円」。このお店、なんとライスと青汁が無料で付いてくる。青汁というのが泣かせる。
 泣かせるつながりでいけば、スーツ姿にカレーの汁ものは危険であり、また結果は泣かせることが多い。今回は、気をつけて、泣かずに済んだ。

Dsc04200 まだ時間があったので、長岡に模擬原爆が落ちた場所に行ったり、長岡駅前の長岡戦災資料館などを見学。
 模擬原爆投下地点は、既に冬囲いがしてあり、プレートを細かく見ることができなかった。残念である。
 長岡戦災資料館では、長岡に落ちた原爆のことも展示してあるものの、なかなか分かりづらい位置に展示してあった。
 ボランティアガイドの方もいらっしゃったので、その事をはじめ、戦争呼称、戦争のルールの展示などについても僭越ながらお話させてもらった。
Dsc04201 まず軍人が民間人を狙って、無差別に大量虐殺すること自体が、戦争のルール違反であり、それをまず提示してほしいものである。軍人と軍人が戦うのが戦争の基本である。1メガ(10の6乗)、もしくは1ギガ(10の9乗)歩ほど譲って、日本という国だけに非があったとしても、罪もない子供も含め、無差別に民間人を殺していいということではない
 戦争の呼称についても、空襲を行ったのはアメリカであるから「太平洋戦争」とする意見もあろうが、展示されている遺品や当時の物などにはちゃんと「大東亜戦争」と書いてある。しかし、説明文や配布資料は「太平洋戦争」になっている。これでは、子供や学生が見たときに、何がなんのことか分からなくなってしまうのではないか。是非、その辺をうまく説明するパネルがほしいところである。
 森民夫長岡市長のご英断を願う。

 ただ、この施設だけでなく、日本の歴史教科書なども、占領期間である昭和20年にアメリカに押し付けられた戦争呼称を、昭和27年4月28日に日本が主権回復した後も未だに使うこと自体、違和感を感じる。戦争を次の世代に伝えることを阻害するものであろう。
 共産党、社民党や日教組などは「アジア・太平洋戦争」などと当時も無く、さらにはGHQも使わなかった新しい呼称を使っているが、それでは事実を曲げて歴史を伝えることになる。それを狙っているのであろうか・・・・・。

Dsc04217 22時過ぎ、自宅にて家族の食べた刺身の残りで「海鮮丼」と納豆汁で夕食。
 食後、仕事をしながら、フジテレビ系で放送された『土曜プレミアム 二夜連続・奇跡の夫婦愛スペシャル・第二夜「遥かなる約束・50年の時を越えた運命の愛あなたは愛する人を50年待ち続けられますか日本とロシア国境』を見た。ハードディスクの録画は便利。
 なかなか感動のドラマであり、この事を通じて、ソ連によるシベリア抑留の悲劇をより多くの若い世代に知ってほしいところである。

Unitedk  エンディングは、ビートルズのポール・マッカートニー作である1970年の名曲『ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード(The Long And Winding Road)』であった。これはこれでも歌詞からは良かったが、個人的にはやはり歴史の観点から昭和23年9月『異国の丘』(作詞:増田幸治 、補詞:佐伯孝夫、作曲:吉田正)を流してほしかった。

Dsc01543今日も暮れゆく異国の丘に
友よ辛かろ切なかろ
我慢だ待っていろ嵐が過ぎりゃ
帰る日も来る春も来る

Dsc01544今日も更けゆく異国の丘に
夢も寒かろ冷たかろ
泣いて笑うて歌って耐えりゃ
望む日が来る朝が来る

Dsc01545今日も昨日も異国の丘に
重い雪空日がうすい
倒れちゃならない祖国の土に
たどりつくまでその日まで

*写真は昨年、舞鶴引揚記念館に行った際に撮影

2006年11月24日 (金)

柏崎刈羽原子力発電所見学、日印友好の碑

 エッセイをはじめ、書かなければならない原稿が溜まっており、6時まで。2時間ほど仮眠し、8時に大粒納豆で朝食。

 8時40分、茨城県日立市の大和田知裕議員をホテルまで向かえにいき、そのまま柏崎刈羽原子力発電所のサービスホールへ。サービスホール前で三条市の佐野とおる議員と待ち合わせ。
 9時からサービスホール、そして柏崎刈羽原子力発電所6号機内を見学。お二人とも原子炉の真上もタービンの近くも初めてとのことであり、感動されていた。
 少しでも原子力発電への理解が広がれば幸いである。

 見学終了後、柏崎市内視察を行うために青海川方面に移動。
 まずは日本海フィッシャーマンズケープ内にある「地魚処 鮨健」(電話:0257-24-5213)にて、昼食をとる。
 柏崎市外からのお客様をご案内する際、夜のお店は色々あるが、お昼ではこのお店を利用させてもらっている。
Dsc04185 「地魚握り 1800円」を注文。1カンずつ、地の魚を握ってくれ、バラエティ豊かに日本海の味を楽しんでもらえる。
 鮨は、写真の上の段、左からホウボウ、クロダイ、ヒラメ、マゴチ、下の段、左からヒゲソリダイ、イシダイ、メバル、マトウダイ。味噌汁は魚のあら。
Dsc04187 満腹でお店をでたのち、続いて、日本海フィッシャーマンズケープ内に残るトルコ料理、「サバサンド 300円」。お客様に無理強いをする悪い案内役である。

 食後、最初のご案内は「こどもの時代館」・・・・がしかし休館。定休日は木曜日だったような気もするが、残念である。
 著作権料などが発生するこういったコレクションは、民間運営になってしまうとその支払いも正規のものになり、さらに苦しい経営になる。第3セクター運営である利点はそこにある。
 柏崎がコレクターのまちであることをお伝えしようと、気をとりなおし「痴娯の家」をはじめ多くのコレクションをご覧頂く。岩下館長にも説明をして頂き、お二人からは「これだけのものがあるのに、もっと利用しなきゃ・・・」との感想がでた。
 駅前活性化をはじめ、色々な案がでているが、まずは今あるものの活用を考えていきたいものである。

Dsc04192 その後、「日本で一番海に近い駅 青海川」をはじめ、米山町の聖ヶ鼻、樺太発見者である松田伝十郎の碑など、「海の柏崎」を視察していただいた。
 樺太発見は文化5年(1808年)の今から約200年前。2008年には「間宮海峡確認200年祭」の予定があり、柏崎の偉人が樺太を発見したということを、多くの人に伝える良いチャンスであるが、今の柏崎市にはそんな考えはないようである。

 今年2006年6月20日に寄せられた柏崎市役所「市長への手紙」より以下、引用。


松田伝十郎の偉業200周年について

 柏崎市鉢崎(米山町)出身の松田伝十郎が、地元ではどんな評価あるいは顕彰をしているのか知りたくて、柏崎市のホームページにアクセスしてみましたが見つかりませんでした。1808年には、伝十郎が後に「間宮海峡」と名づけられる海峡の存在を確認し、樺太が独立した島であるという、当時の地理学上画期的な功績を残していますが、2年後にこの偉業の200周年を迎えます。このことに関して、柏崎市として何らかの取り組みがあるのでしょうか。
 ちなみに稚内市では、2009年を間宮海峡確認200周年としてイベントの開催を行う予定ですが、単発でなく例えば2008・伝十郎YEAR、2009・林蔵YEARとして、1年間に渡って柏崎市(松田伝十郎)・山形県村山市(最上徳内)・兵庫県(高田屋嘉兵衛)・千葉県佐原市(伊能忠敬)・三重県(村上島之允)・東京都(近藤重蔵ほか)・茨城県伊奈町(間宮林蔵)などをネットワーク化する「北方交流」事業を企画・実現してみませんか。北辺警備に目を向ければ、青森県・秋田県・福島県などもネット対象になると思います

 柏崎市では、歴史の中で多方面に活躍された先人を顕彰するための施設として、「柏崎ふるさと人物館」を平成14年4月に開館いたしました。おかげさまで、毎年市内外の大勢の方からおいでいただいております。
 同館では、110人の先人資料等を展示しておりますが、松田伝十郎につきましても常設展示のブースで資料を公開しております。さらに、開館と同時に発刊した「柏崎の先人たち-柏崎・刈羽の人物誌-」の中でも掲載いたしました。このようなかたちで、常に郷土の先人を顕彰する環境の整備に努めておりますが、平成6年に柏崎市立博物館におきまして、第27回特別展「松田傳十郎」を開催した当時は、関係資料が少なく名もあまり知られていない状況でありました。
 また、その後、平成16年には、松田伝十郎の生誕の地である米山町の町内会の皆様により、米山町の聖が鼻岬に建立されていた松田伝十郎の碑「カラフトは離島なり大日本國々境と見きわめたり」が、より多くの人が訪れる同町内米山灯台下の展望広場に移設されております。
 稚内市が、3年後に「間宮海峡確認200年祭」を開催されることは、偉業をなした柏崎市の先人、松田伝十郎の功績が広く顕彰される絶好の機会となりますことから、生誕地である柏崎市の市長として心より感謝を申し上げたいと思います。柏崎市では、お問い合わせをいただきました松田伝十郎の偉業200周年を記念する事業の計画は今のところありませんが、稚内市において事業の実施に当たられる際には、柏崎市所蔵の資料の提供など、できる限りの協力をさせていただきたいと存じます。今後ともよろしくお願い申し上げます。
 なお、当市ホームページでは、市役所・施設の「柏崎ふるさと人物館」の中で、展示ガイドブックに少し紹介しております。


 色々なまちづくりの手法はあろう。他のまちで成功した手法を真似することもできる。しかし、絶対に他のまちが真似できず、独自性があるのは光ある地元の歴史を活用したまちづくりである。関係各所には、このことをよぉ~く考えてもらいたい。

Dsc04193

 帰り道、再度、日本海フィッシャーマンズケープに寄り、お買い物タイム。
 ほたるイカを試食したら、その濃厚な味と塩加減にハマってしまったため購入、500円。市外からきた方にお金を落としてもらうのが先なのに、自分が先に買ってしまった。
Dsc04194 さらに、幻魚(げんげ)の干したものも500円で購入。生で食べる際には味噌汁などに入れるが、身は白く、特にゼラチン質の皮が美味い。干したものは軽く炙って食べることになるが、今回は自作のラーメンに使ってみたいと思ったのである。

 三条市の佐野とおる議員がお帰りになり、その後、大和田知裕議員を長岡駅までお送りする。
 今回の視察を通し、大和田知裕議員には後援会旅行会の行き先を、柏崎にしてもらうようお願いした。議員なりの誘致活動である。

 長岡駅でお見送りしたのち、甥っ子の入院先にお見舞い。2歳過ぎの子供に点滴姿は痛々しい。点滴が外れない程度に遊ぶ。

Dsc04195 頼まれものの買い物などをしたのち、19時過ぎ、自宅に戻る。あるお年寄りで足もご不自由なものの、酒だけはやめられないようで、大きな焼酎ボトルのお遣い。夕食時の焼酎お湯割りが人生の楽しみだという。
 越後もち豚をガーリックソースで焼いたものを中心に夕食。

Dsc04190

 米山山荘の目の前にこんな碑がある。

「日印親善
 印度国ナカランド州コヒマ
        
 招待記念碑
    メレンさん他四名」

 碑の後ろには、

 「昭和54年7月9日建立
  元烈五八会 柏崎刈羽地区委員会」

Indiaとある。元烈がつく部隊といえばビルマ戦線であり、大東亜戦争3大愚戦にも数えられる昭和19年(1944年)3月8日からのインパール作戦が該当する。この作戦には、3個師団(第15、31、33師団)が投入され、結果として日本軍約8万6千人のうち戦死者3万2千人余り、戦病者は4万人以上、しかも餓死・病死者が多数であり、7月1日に中止された。
In ただし、インド国内においては、あのインパール作戦があってこそ、イギリスからのインド独立の礎は築かれたとされている。
*インパールを目指す日本兵
   とインド兵の絵(靖國神社より)

 しかもコヒマといえば、第31師団が制圧し、一気にインド独立に向かうと思われたが、形勢逆転。さらには日本軍の後方からの食料をはじめとする供給がないことに抗議し、第31師団が独断で撤退した地である。

 この碑が建立された経緯、そしてインドの4名の方が来柏されたときのことはまだ調査していないが、感動の物語がありそうな予感がする。

2006年11月23日 (木)

来年参院選争点は「日教組壊滅」

F1000004_13 2時過ぎ、自宅に戻る。シャワーを浴びたのち、就寝。
 7時、起床。母が甥っ子が入院している病院に行くので、今日は一日祖母を看る。
 油揚げと舞茸、若布を八丁味噌2、信州米麹味噌8で溶いた濃厚な味噌汁、大粒納豆で朝食。

 午前中、来客が2件。来春の県議選などの生臭いお話。お二方から、やはり「市議選落選候補はオメさんだて」とのことであった。どこでどういった情報になっているのか気になるところである。

F1000005_11 時間がなかったので、「ほっかほっか亭」の「のり弁」とひきわり納豆汁で昼食。
 12月議会での質問事項や関係資料を整理するも、14時から来客。パソコン関係の修理のご相談であった。

 「男女共同参画」「ジェンダーフリー」に関する各自治体の事例や条例の欠陥点を調査。

Dsc04179  20時、事務所にて夕食会。今回は、自家製のイクラ醤油漬けを使ったイクラ丼、水菜と卵のサラダ、飛魚のすり身のお吸い物を作った。
 そういえば、前回選挙のときもスタッフ3名分の食事を作って、一緒に食べてから選挙運動にでかけたり、忙しいときはカップラーメンをすすりながらであった。

Dsc04170 昨日の11月22日、参院教育基本法特別委員会に安倍首相が出席し、教育基本法改正案の審議が進むにいたった。
 政権交代を訴えうる民主党をはじめ、社民党、共産党の審議拒否は国会議員としての仕事の放棄であり、ただの駄々っ子。この審議拒否をしている時間の歳費は是非、返還してもらいたいものである。
Dsc04171 教育基本法の改正にあたっては、日教組などは「改悪」とまでいい、憲法の改正と無理にこじつけ、子供たちを戦争に行かせる!などと、お約束の市民を馬鹿にしたような、誘導を行っている。
 ちなみに、「やめさせましょう 教育基本法の改悪」のリーフレットが大量に、自宅のポストに突っ込まれていたが、ありがたいお心遣いである
 安倍首相は、委員会のなか、日の丸・君が代問題に関連して、

 「学校で自国の国旗・国歌について学ぶ態度を
         養う場を提供することは重要だ」

 「政治闘争の一環として、
  国旗国歌の掲揚・斉唱が行われないのであれば問題だ」

とも述べ、この改正に反対している日教組などにジャブを打った。
 ちなみに、森元首相も来年の参院選の争点は「日教組壊滅」だ!と述べている。
 個人的には、「自分が首相のときにやればよかったのに」と突っ込みたい。


平成18年10月31日『産経新聞』東京朝刊

 森喜朗元首相は30日、産経新聞のインタビューに応じ、安倍晋三政権の課題と展望、来年7月の参院選への秘策、森派から町村派に衣替えした清和政策研究会への思いなどを語った。(聞き手・石橋文登、杉本康士)

《町村派の舞台裏》

 派閥の事務総長と会長で延べ10数年。長すぎるよね…。時代が変わり、学校も家族も価値観も変わった。派閥も同じ。昔を懐かしむ必要はないし、政治状況で変わることを粛々と受け止めていくべきだよ。
 ただ、人間社会だから気が合うもの同士が集まるっていうのは決してマイナスではないよね。政治家にとってエネルギーの糧になるならね。知恵の源泉というか。私はいろいろな悩みを相談できる「心のオアシス」だと思っている。だから「なくせ」と言ってもなくならない。「小泉チルドレン」はなぜ群がっているのかね。あれも派閥ですよ。再チャレンジ議連もある種の派閥だ。刹那(せつな)的だけど…。
 故田中角栄元首相は総裁選に勝つことだけを派閥の最終目標にした。カネを集めて中選挙区で激しい殺戮(さつりく)を繰り返し、肥大化した。派閥のもっとも悪い形だね。でも政治資金規正法などが厳しくなり選挙制度も変わった。だから今の派閥が変わって当然ですよ。
 わが派も町村信孝元外相が会長になり、私の役回りは終わった。ずいぶん前から次のリーダーをどうしようかと考えてきたんだよ。わが派は小泉純一郎前首相も福田康夫元官房長官も安倍晋三首相もいた。誰もがいずれは安倍氏だと思っていたが、予定より1期も2期も早く首相になっちゃった。だからみんなに戸惑いもある。
 そこで私がいつまでも会長を続けたら、ますます私への依存度が強くなり、次の後継者が育たない。で、引き際を見計らっていたら、中川秀直氏が幹事長になった。では町村氏をマウンドで投げさせようと。エースになるかは彼次第だ。みんなの評価と本人の自覚。中川氏が帰ってきたら、今度は町村氏が執行部などに出ればいい。これからはオーナーではなく、その時々でリーダーを選ぶ方がいいと思うよ。
 福田氏の就任も考えないではなかった。でも総裁選をどうするかという段階で会長代行就任を頼んだが断られた。今回も「どうだろう」と打診したが、「一切そういうものには就きたくない」ということだったからね…。

《安倍首相への評価》

 安倍政権の滑り出しはまあ順風満帆だろう。中韓との首脳会談もやったし、北朝鮮への対応もよかった。安倍氏は小泉氏と違い非常に気配りができるタイプだ。今回の組閣を見てもよく分かるよね。自分を高杉晋作に見立てて奇兵隊として一緒に苦労してきた者を要路に置き、他は各派閥にも配慮した。小泉氏はそんなことに全く意に介さなかったけどね…。
 彼はなかなか長いビジョンで政治を考えている。今は教育基本法、その先に憲法改正。つまりこの国の形をはっきりさせていこうということ。戦後なかなかできなかったことですよ。東西のイデオロギー対立の時代が終わり、日本も変わってきたということかな。
 民主党は建前でいろいろ言っているよね。社民党などと共闘したり…。教育基本法だって彼らは本音は賛成のくせに自民党に手柄を立てさせたくない。実にあさましいね。
 そういう意味で安倍氏は時代を超えた新しいエースだ。ただ戦後世代には危うい人も結構いますよ。戦争の怖さを知らないしね。それをある程度抑えていくのが僕らの世代の役割だ。だから僕らがいる間に真正面から取り組んだ方がいい。世界から見て普通の国にしよう。それが美しい国なんですよ。安倍氏はそういう信念を持っている。そのためには大勢の協力を得る。小泉氏と違うのはそこだな。

《天王山は参院選》

 安倍政権の天王山は来年7月の参院選だろう。ただ、民主党の小沢一郎代表のマジックはすぐ切れるんだよ。アッと言わせるが、パッと消えちゃう。この「パッ」を4月の千葉の衆院補選ですでに使っちゃった。まあ、あの選挙は武部勤前幹事長が調子に乗りすぎただけだけど…。
 それでも参院選は気を引き締めないとダメだ。小泉氏の功罪の「罪」は自民党の地方組織をずたずたにしてしまったこと。これを一気に立て直すのは至難の業ですよ。
 造反組の復党問題だって、地方の自民党組織を再構築するという観点から浮上したんだ。別に郵便局の票を頼りにしようとは思っていませんよ。だから復党で「踏み絵」を踏ませるのはよくない。「安倍と一緒にやってください」。それだけで十分。選挙区調整はその次の問題だよ。
 とにかく安倍政権が本格的に稼働するのは参院選後だ。私は安倍氏に「やりたいことは半分にしとけ。まずは参院選に勝つこと」と言っているし、安倍氏も分かっている。いい兵法も悪い兵法も小泉氏を見て生きた勉強をしているからね…。
 とにかく国全体が乱れているよ。大切なのは教育であり、社会環境。IT化が進んで連帯社会・地域社会が壊れかけているわけでしょ。その元凶をはっきりさせないといけない。教育委員会か、文科省か、知事か、市町村長か…。教育改革とは社会構造全体を変えることなんですよ。
 一番の問題は知事だと思うね。知事は必ず自治労と日教組と妥協するんです。それで次の選挙で応援させる。そうすればよほど失政がない限り、2期、3期はやれる。さらに4期、5期…。地方議会も知事の子分に成り下がっている。
 だから日教組、自治労を壊滅できるかどうかということが次の参院選の争点だろうね。どう決別できるか。民主党にはできないんだから、自民党はそれを争点にすべきだと思うよ。

2006年11月22日 (水)

特例市・上越-長岡に挟まれて・・・

Dsc04178 2時近くに帰宅。3時、仮眠のつもりで事務所の机に突っ伏して寝る・・・つもりが気づいたら8時。6時からの柏崎準倫理法人会の経営者モーニングセミナーに出席できず。
 中粒納豆、割引になっていたイカの塩辛で「塩辛納豆飯」で朝食。

 依頼されていた資料を某宅に届ける。
 10時から事務所に来客。楽しい柏崎をいかに作るかという前向きなお話ができて、あっという間に12時となった。

Dsc04176 会社関係の手続きなどで市内をまわり、13時、自宅に戻って昼食。夏に買った胡麻だれが残っていたので、ひきわり納豆、そして冷凍の中華麺を使って、「納豆胡麻だれ、つけ麺」を作る。
 祖母もいつもより多く食べていたようであった。

 17時から事務所にて情報交換会。
 柏崎市の色々な問題点が次々とでてきており、いくら合併でバタバタしたとはいえ、許されることではないこともある。

F1000002_24 19時30分から懇親会。料理はなかなか手が込んでおり、良いアイデアがと思ったのが、切干大根とイクラの和え物。ちょっと皮の硬いイクラであれば、単体で食べることに違和感もあるが、切干大根とセットであれば、歯ごたえとともに濃厚さも楽しめる。
 話はかなり盛り上がり、気がついたら弊店時間である23時30分を過ぎていた。
 2次会として某店へ。またも酔った勢いで『加藤隼戦闘隊』を歌い、ドン引きされる。

 『加藤隼戦闘隊』 昭和18年12月
作詞:田中 林平・旭 六郎 作曲:原田 喜一・岡野 正幸

 5番 世界に誇る荒鷲の  翼伸ばせし幾千里
     輝く伝統受け継ぎて  新たに興す大アジア
     我等は皇軍戦闘隊

 新潟県内における柏崎市のポジションはドンドンと低くなり、財政上もどん尻である。
 先日ローカルテレビでも大きく紹介されたが、11月15日、長岡市の森市長と上越市の木浦市長が総務省を訪れ、特例市指定の申し出を行った。
 特例市とは、地方自治法第252条26の3に基づいて、人口20万以上の市にそれなりの権限を委譲するための制度である。


(特例市の権能)
第252条26の3 政令で指定する人口20万以上の市(以下「特例市」という。)は、第252条の22第1項の規定により中核市が処理することができる事務のうち、都道府県がその区域にわたり一体的に処理することが特例市が処理することに比して効率的な事務その他の特例市において処理することが適当でない事務以外の事務で政令で定めるものを、政令で定めるところにより、処理することができる。
 特例市がその事務を処理するに当たって、法律又はこれに基づく政令の定めるところにより都道府県知事の改善、停止、制限、禁止その他これらに類する指示その他の命令を受けるものとされている事項で政令で定めるものについては、政令の定めるところにより、これらの指示その他の命令に関する法令の規定を適用せず、又は都道府県知事の指示その他の命令に代えて、各大臣の指示その他の命令を受けるものとする。


 来年4月に特例市となる予定であり、特例市には23法令27項目の権限が委譲されていることから、自らの手での自治体運営を行おうという気持ちが高ぶってくるであろう。
 これは制度の問題であり、「柏崎も特例市になろう」というわけではないが、「躍動する柏崎」の姿が見えず、周辺の自治体が動いていることに危機感を感じる。
 とにかく柏崎市は足ふみをしている場合ではない

 「もう柏崎は終わりだね」という他の自治体の声もあるが、私としてはこう言っておきたい。Dsc04180

 「まだだ!
   まだ終わらんよ!」

クワトロ・バジーナ(=シャア・アズナブル)
    『機動戦士Zガンダム』最終話より

2006年11月21日 (火)

ホームステイ委託料が旅費へ?
淮安市楚州区-旧西山町交流事業

Dsc04159_1  特別栽培された「雪しずか大豆」を使った菅谷食品(東京都青梅市友田町1-1010-1 電話:0428-24-7010)「雪しずか」を食べてみた。
 雪しずか大豆は初めてであったため、同時に他の大豆を使った納豆3種類も試してみたが、ちょっと深みが足りないように感じものの悪くない。

 10時から打ち合わせ。これまでの議事メモもまだ書いていなかったので、前回分とまとめてテキストにまとめながら、アイデアを話し合う。

Dsc04166 12時過ぎ、朝に食べ比べて残った納豆をすべてブレンドした「ブレンド納豆飯」で昼食。ついでに姪っ子のために残しておいた「超ひきわり納豆」も投入。食感も楽しく、つい丼2杯のご飯を食べる。

 13時からも打ち合わせ。満腹であったので、危うく話しながら寝そうになってしまった。
 17時から相談があるとのことで、某氏のご自宅へお邪魔する。つい話が長くなり、予定の時間を過ぎてしまったので、慌てて移動する際・・・・デジカメを落としてしまい、液晶が割れてしまった。慌てるとロクなことがない。

Dsc04172 18時40分過ぎ、遅刻してしまったが、シーユース雷音での柏崎準倫理法人会役員研修会に出席。
 今日の講師は、倫理研究所の関東・甲信越方面長の川俣先生。テーマは「恩意識の純化」である。色々なご恩があっての人生であるが、墓参りの件はグキリときた。
Dsc04173 車で行けば10分とかからないが、なかなか区切りの良いときにしか墓参りに行っていない。父が亡くなったのが、前回の選挙当選後一週間であったことを考えると早いものである。
 研修会終了後、墓参りをキチンを行っていこうと話しながらの夕食。

 20時過ぎ、一回自宅に戻ったのち、某懇親会の2次会から参加。

 行政のチェックを行う議員の立場としては見逃してはならないことがあった。
 以下は、平成18年11月20日『朝日新聞』に掲載された記事である。


 旧西山町(現柏崎市)が、中国と続けている友好交流事業のホームステイ分で、町側が訪中の旅費だけでなく来日の旅費も負担していたことがわかった。「友好交流は割り勘が原則」(同市)だが、市西山町事務所は「当時は中国の経済力が低かったから」と説明している。

 交流先は江蘇省淮安市楚州区。日中国交正常化(72年)を果たした田中角栄元首相と周恩来元首相それぞれの故郷という縁で、95年から交流が始まった。

 その費用負担だが、市観光交流課は「本来であれば、訪中の場合は上海空港までこちらが負担、来日の場合は逆に新潟空港まで相手が負担する。その先は迎え入れ側が滞在費を持つ」。しかし旧西山町は、ホームステイで来日する一行(9~14人)の上海空港から同町までの旅費も負担していたという。

 ホームステイの来日は計5回。柏崎市と合併した05年も楚州区から14人が訪れ、問題の旅費分175万円はこれまでどおり市が負担した。これについて市財政課は「合併協議でそこまで詰め切れなかった」としている。

 旧西山町の財政力指数は直近の平均値で0・30とかなり厳しい財政状況だ。市議の1人は「こんな大盤振る舞いは、税金から費用が出ているという自覚がないからだ」と批判する。

 市産業部は「日中国交正常化の立役者同士の出身地の交流ということもあって、ぜひおいでいただきたいという熱意がすぎて丸抱えになったのではないか」と説明している。市は07年度から、それぞれに負担を分けあうよう中国・楚州区に申し入れているという。


Dsc04152 先日、第一部決算特別委員会で審議された際の平成17年度決算書を改めて見ると、

西山町総務課
101 国際交流事業(西山町)

Dsc04154

 01 友好交流推進事業(西山町)
         444万214円

のうち、事業説明は以下のようにあった。
*写真をクリックすると大きくなります。

  謝 礼  11万5000円
  普通旅費  2万6440円
  消耗品費  7万0825円

  食糧費  48万9217円

  通信運搬費   1734円
  楚州区ホームステイ委託料 175万2504円
  楚州区訪日団視察委託料   83万1894円

ホームステイのためにかかる委託料として報告されたものが結局は相手の旅費まで払っていたのである。こうなってくると、訪日団視察委託料も本当にどういう委託であったか、さらには50万円近い食糧費も怪しく見えてくる。
 今回の特別決算委員会は、第二部に配属されたため、この決算の審議には参加できなかったが、会派内での会議を行い、対策を検討したい。

Chinaf それにしても、我々の血税から6兆円におよぶ援助が行われてきた中国にもう金銭的援助は不要であろう。現在、中国政府はアフリカの各国に援助をしている。
 多額の援助のあと、日本が得たものは、中国内の反日教育と日本に向けられた核ミサイルであった。

2006年11月20日 (月)

長岡への原爆投下と柏崎への空襲

 1時過ぎに自宅に戻り、シャワーを浴びてから就寝。6時、起床。各種のプレゼンテーションの最終確認など。8時過ぎから打ち合わせ2件。11時過ぎ、コンビニの納豆巻き、山崎パンの「まるごとソーセージ」でブランチ。「まるごとソーセージ」は学生時代からのお約束の味。
 午後からも仕事関係で1件、政治関係で1件の打ち合わせ。その後、病院へお見舞い。

Dsc04149 20時、スーパーの安売りで買った鯛のあらを塩焼きにし、割引になっていた鮨、納豆汁で夕食。鯛は養殖ではなく、天然もののあらだったので、脂のノリよりも身のしまり具合が美味であった。安上がりな夕食である。

 「長岡に原爆が落とされたんだよ」

と言っても信じてくれる人はあまりいないであろう。「長崎」の間違いじゃないの、という声もあろう。しかし、原爆といっても模擬弾ではあるが、実際に投下されたのである。
 昭和20年7月20日朝、アメリカ陸軍第509航空軍によって、模擬原子爆弾「パンプキン」が投下された。実際には、厚い雲に妨げられ、工業地帯に投下し、大惨劇にするという目的を達することができなかったが、4名の尊い命が奪われ、重軽傷者5名。
 同年7月26日、再度、飛来したものの、またも厚い雲に妨げられ、現在の阿賀町である鹿瀬町、そして我が柏崎市を爆撃し、帰還した
 下手をすると長岡に原爆が投下されるばかりか、場合によっては柏崎に落とされた可能性すらある。
Dsc04210  模擬原子爆弾が投下されたのは、現在の長岡市役所裏通りの左近町付近。
 平成17年7月20日、長岡市民の芳志により、「模擬原子爆弾投下地点の碑」が建立されている。

<パンプキンの投下>
 米軍第509混成群団は、1945(昭和20)年7月20日から8月14日にかけて、東京、富山、長岡(新潟県)、敦賀(福井県)、福島、島田(静岡県)、焼津(静岡県)、浜松(静岡県)、名古屋、春日井(愛知県)、豊田(愛知県)、大垣(岐阜県)、四日市(三重県)、大阪、和歌山、宇部(山口県)、新居浜(愛媛県)など44目標に模擬原爆49発を投下した。

Dsc04147 写真(クリックすると大きくなります)は、昭和20年7月から米軍が飛行機より投下した、空襲予告の伝単(ビラ)。伝単は、戦時において相手国の市民又は兵士の戦闘意欲を喪失させる目的でばら撒く。この伝単には、しっかりと「長岡」の文字がはっきりと書かれている。
Dsc04148 そして、同年8月1日、満月の夜、22時29分、空襲警報とともに焼夷弾による民間人(非戦闘員)への絨毯爆撃が始まった。1時間40分の攻撃で1400余名の犠牲者を出した。無差別大量殺人以外の何者でもない。
*写真は、翌2日、長生橋から見た市街地。『激動の長岡』長岡市立科学博物館より

2006年11月19日 (日)

柏崎市が思想統制?男女意識の目標

Dsc04145 1時ごろ、一度起き、メールなどの処理。5時から仮眠。7時、起床。飛び魚のすり身、米麹の味噌で味噌汁を作り、大粒納豆とともに朝食。食事をとりながら、参考資料を読み漁り、文章の組み立てをする。久々の長い文章なので、ついダラダラと回りくどい表現になってしまう。
Dsc04143 文章をご指導いただいた大輪靖宏先生(上智大・国文学)から徹底的に言われたのが、分かりやすく、簡潔で、ユーモアに満ちた文章を書く訓練を怠るなである。毎週提出することになっていたエッセイ・論文などを厳しく添削されたことが今になって生きている。昼食も大粒納豆とご飯、そして、生の鱈子を煮付けたもの。

Dsc04146 15時から打ち合わせ。途中で政治の話になり、柏崎の振興策は何が良いのか、という話題で盛り上がり、あっという間の2時間であった。
 20時、鱈子をとって残った鱈の切り身、肝などを使った「鱈の粕汁」を中心に夕食。肝が濃厚で美味い。

 22時過ぎ、電話があり、某店に行き懇親会に2次会から参加。カラオケも行くことになり、普通の曲以外を?とのリクエストに応えて、 そして

 「自由を目指す熱い血は、
                きっと、
みんなを暖める」

の部分がお気に入りの『未来ロボ ダルタニアス』を歌う。超合金をもっていたことを思い出す。

Dsc04151 先日も議論した、柏崎市の第四次総合計画の基本計画(案)であるが、何回読んでも納得がいかないことが多い。
 特にヒドイのが、男女共同参画の推進。

 「男は仕事、女は家庭」の考え方に反対する人の割合を、現在の50.2%から平成23年度には70.0%にする。
*写真をクリックすると大きくなります。

という、まるで思想統制のような目標を設定してある。
 ただでさえ、男女の在り方を行政が条例で定めることに違和感を感じるなか、市民の思想にまで踏み込んでしまっている。
 男女共同参画の目的は、あくまで男女への機会を均等にすることであり、その実現のために各種の制度を準備するのは分かるが、なぜ市民の思想まで踏み込むのであろうか。柏崎市役所は柏崎市民の思想、信条、自由を侵す権利をもっているというのか。
 しかも、この目標でいけば、女性が専業主婦を選択する自由は許さないということになる。
 どうしても書くということであれば、書くべき目標設定は、男女共同参画に関する事業の満足度を上げる、である。市民の男女に関する思想を目標設定にするのは、つくづく「おりこうさん」な行為である。

Dsc04155  これだけではなく、市民活動支援の目標設定も訳が分からない。

 NPO法人の設立数を
 現在の6から15、
 しかも福祉活動を目的とする
  NPO法人を5から10に

*写真をクリックすると大きくなります。

とある。目標設定としては、計りやすいのであろうが、NPO法人を設立するというのは、ある種のミッションをもち、市民自らが決めることである。しかも、福祉活動を目的にすると勝手に規定する必要もない。NPO法人でなくとも、プロフィットがでる会社形式でも市民活動として成立する場合もある。

・・・・一般的な常識、認識とだいぶかけ離れているのではないだろうか。

 ちなみに、補助金等審査委員会でも指摘はあまりなかったようであるが毎年の補助金は90万円である。

平成18年 柏崎市補助金等審査委員会

2006年11月18日 (土)

真珠湾攻撃前後のハワイ日系人の体験

F1000001_41 2時、就寝。7時、起床。事務所の掃除をしたあと、8時30分過ぎ、車で長岡に向かう。今日は、長岡の歴史を伝える会主催の記念講演会。前回は櫻井よしこ氏の講演であったが、今回は櫻井よしこ氏の恩師であるジョージ・アキタ博士による『真珠湾攻撃前後のハワイ日系人の体験』。
 講師であるジョージ・アキタ博士は、1926年米国ハワイ生まれの日系二世の80歳。
 長岡駅の改札口まで、長岡市議会の小熊正志議員、知事選に出馬した伊藤ゆうじ氏、主催者側の皆さんとともにお迎えにあがる。
 待っている間、長岡駅改札周辺をウロウロしていると、なんとも読みづらい看板があった。

 「良めがたんまごかま理力い。」

 どんな意味かと一瞬思ったが、よくよく見ると左上からの横書き。レイアウトが窮屈すぎて読みづらいのである。読み手の立場になっての確認をしていないのかも知れない。

Dsc04131 とても80歳とは思えない矍鑠(かくしゃく)としたジョージ・アキタ博士がお見えになり、ご挨拶をさせてもらったのち、新潟県立歴史博物館へご案内。
 山本五十六元帥の新たに発見された遺品などを見て頂く。
 私自身、はじめてみるような遺品もあり、知的好奇心を掻き立てられた。

mansyuu 写真でお見せすることができないのが残念であるが、満州・国務総理大臣・張景恵(ちょう けいえい)から山本五十六元帥がもらった感謝状まであった。康徳4年と書いてあったので、満州国(最初の元号は大同)が満州帝国になってからの元号であることから、1934年が康徳元年、よって1937年の昭和12年のことである。
 ちなみに張景恵の実家が豆腐屋だったことから「豆腐総理」と呼ばれていた。

Dsc04130 食事をとりながら、ジョージ・アキタ博士と歴史のお話をさせてもらう。
 食事は博物館内レストランの「カレーライス大盛り 780円」。ジョージ・アキタ博士は蕎麦。
Jjjjaaaa ジョージ・アキタ博士のご両親は広島県出身。ハーバード大学卒業後、ハワイ大学歴史学部教授(現名誉教授)となり、日本の国会開設100周年には記念講演を行ったそうである。
 食事をとりながら、大東亜戦争がどういう戦争であったのか、歴史学者として、そして米国籍しかもたない日系二世としてのご意見をお聞きした。結果は、同じ認識であり、大東亜戦争は、白人対有色人種の戦いであり、世界的に意味のあることであったという。
 引き続き、インドネシアの独立記念パレードの話、携帯に入れておいたミャンマー(ビルマ)で使われている『軍艦マーチ』など色々ご説明すると、

 「ユーは、若いのにライト(正しい)だ」

とおっしゃるので、ふざけて

 「ライト・ウイング(右翼)じゃないですよ」

と答えると、

 「ユーは、コレクトだ」

とウインク。オチャメな80歳である。

Dsc04139 13時から長岡商工会議所二階大ホールで講演。会場は200名ほどでいっぱいである。櫻井よしこ氏からも

「歴史の生き証人として、今こそ真珠湾攻撃の真相を語っていただける素晴らしい方です。ぜこお聞きになって下さい。」

とのメッセージ。
 講演の内容は、実際に真珠湾攻撃の現場にいた体験談として、真珠湾周辺は高射砲を打つ米軍のせいでケガ人が続出したことからはじまった。真珠湾攻撃ののち、不時着したパイロットと日系二世の悲しい二人の戦争の語や、お父上のような日系一世は日本軍が上陸してきたら、日本軍と一緒に米英と戦うと宣言してはばからなかった明治気風の男が多かったなど貴重なお話があった。
 お酒好きのお父上は、米軍配給のウイスキーを飲まずに棚に保存し、日本軍がきたら差し入れをし、一緒に一杯やることを夢見ていたともいう。
 ビデオに収録したので、いずれどこかの機会で紹介番組を作りたい。

F1000003_24 16時近く、講演会が終了し、ジョージ・アキタ博士をお見送りしたのち、甥っ子が入院している病院にお見舞いへ。途中、甥っ子が好きなチーズ系のクリームを使った小さめのケーキを買う。
 病室に行くと、寝ていたので、お土産だけ置いて帰ろうとすると、目を覚まし、

「あっ、おじちゃん。一緒に遊びにいくんだよー」

とベットを降りようとするので制止し、ケーキを食べさせる。食事自体あまり食べていなかったようで、2個をペロリ。その後、ボールやアンパンマン・グッズで1時間ほど遊ぶ。

F1000004_12 20時過ぎ、柏崎に戻ったところで、なぜか無性にファミリーレストランっぽい洋風のものが食べたくなり、ラパーク柏崎店内の「おあしすファミリーレストラン」へM嬢と行き夕食。
 車をだしてもらったので、生ビール2杯を飲みつつ、岩塩をなめてみる。なかなか美味しい塩で炊きたての新米コシヒカリにかけたら美味しそうである。
F1000005_10 注文したのは、「ハンバーグオムハヤシ 880円」に「石焼パン、サラダセット 280円」。まるで子供のようなメニューであるが、久々のハンバーグは無邪気な気持ちにさせてくれた。
 それにしても、和食に比べて噛む回数が極端に少ない気がする。
 自宅に戻ってから、胃腸薬がわりに黒豆納豆を一パック食べる。

 23時、早めに就寝。

2006年11月17日 (金)

議会運営委員会、第四次総合計画、
国民保護計画

Dsc04128 車のなかで仮眠し、8時過ぎ、自宅に戻る。ゆっくり風呂に入ったのち、目玉焼き、大粒納豆で納豆ご飯。今日の納豆は、結構気に入っている某社製品であるが、チロシンが激しく、流通過程でのトラブルがあるように思う。

Dsc04167 10時から議会運営委員会。地方自治法改正による議会のルールの変更をどう行うかが議論される。大きな目玉は、議長にも臨時議会の召集権が与えられることである。これまでのように年長者とか、大会派だからだとかそういったレベルでの議長選出ではなく、キチンとした議長を選出するかしないかが、行政vs議会の議論の質を決めることになる。

 昼休みに入ったが、祖母の昼食を作りに自宅に戻ったり、手続きに時間がかかり、カロリーメイト2本のみ。

 午後から第四次総合計画の意見拝聴会。
 かなり議論が巻き起こっている基本理念「好きです 輝く柏崎」。各議員からも多くの異論がでた。
 個人的にも、これは基本理念ではなく、キャッチフレーズではないかと思う。このキャッチフレーズでいくにしても、その後の組み立てに合点がいかない。この基本理念の下はこういった構造になっている。

 「好きです 輝く柏崎」
  市民像:人権を尊重し支えあう市民。
       開かれた心を持ち、次の世代を育む市民
       未来を拓き自立する市民
  都市像:ものづくりと技術が集積したまち
       安全で健康に暮らせるまち
       自然と文化が息づく潤いのあるまち

 「好きです 三国コカ・コーラ」「好きです つぼ八」・・・・・。
 とにかく何でもいいが、「好きです」でいくのであれば、柏崎のどういったところを好きになってほしいのか、誇れるものなのか、上からの整合性をとるべきであろう。「あるべき姿と今ある姿」(ザインとゾレン)も混ざっている。
 今回のこの基本理念の決定は議論の最後であり、それまでにボトムアップ方式で下からの色々な意見をまとめたかたちである。誰が良い、悪いではなく、理念をあとから合わせるようなものを選択しようとするから異論が続出し、これまでも変更を余儀なくされている。
 柏崎の強み、弱み、持っているもの、持っていないものを踏まえたうえで、理念を最初に決め、その理念に向かって計画していく手法がとれなかったものかと思う。
 細かい部分も含め、12月議会での議決となるが、相当に荒れそうな予感である。男女共同参画条例もあり、忙しい議会になりそうだ。

 合併特例債の見直しの説明もあったが、とにかく財政状況の悪さが影響をしている。柏崎は原子力発電所のお金で潤っている、という多くの人の認識と現実とは、かなりの乖離が生じている。よく周知し、財政状況の悪さのなか、これからの柏崎をどうするのか、訴えていきたいものである。
 合併特例債を使った事業を41事業から34事業に再編成し、48億8000万円の圧縮となった。
 
Dsc04182  「まちなか活性化委員会」の報告もあった。会議自体が非公開になっているため、真意のほどは不明であるが、すっかり日石跡地の利用計画が組み込まれている。日石跡地は、人様の土地であるため、踏み込んだ計画をここで決めてしまうことには危険な香りを感じる。柏崎市が購入することを前提にしていないことを願う

 16時近くになってから、国民保護計画

Dsc04129

Dsc04168

2006年11月16日 (木)

石原莞爾と大山倍達
泥沼のイラクと満州事変

Dsc04126  1時、就寝。6時、起床。今日の午前中に倉庫の掃除を行うと家族で決めていたので、早朝から埃まみれ。9時過ぎ、大粒納豆をそのまま1パック食べたのち、ご飯がないので、トーストにカマンベールチーズで朝食。

 10時から打ち合わせ。その際、無農薬で作った野菜を大量に頂戴した。大根も多く頂戴したものの、漬物にするための準備もまだしておらず、置き場所に迷う。昼食を取る間もなく、知人におすそ分け。

 15時から事務所にて、懇談、赤ちゃんも一緒なので、楽しく会話ができる。
 17時過ぎから来客。

Dsc04127  お腹もすいていたので、 「ほっかほっか亭」で「シャケ弁当 390円」を購入し、納豆1パックとともに慌てて夕食。20時過ぎ、事務所をでて某氏とともに長野へ。起業の相談で一緒に事業をできればということで今日は下話。

 アメリカの中間選挙で共和党が負けたのは泥沼のイラク情勢があるかという意見は多い。イラク戦争は2003年5月1日のブッシュ大統領が『戦闘終結宣言』で、連合軍の圧倒的勝利という姿で収束したかに見えたが、泥沼の様相を呈している。
 武力で民衆の気持ちを拘束することはできないことを表している良い例だと思う。
 価値判断を一旦停止し、そこで満州事変を見ると民衆の気持ちを読み取ることができる。
 満州事変は 昭和6年(1931年)9月18日に勃発、関東軍はあっという間の5ヶ月で満州全土を制覇。当時の関東軍の兵員は、条約で決められた通りの兵力1万名ちょっと。それに対し、中国側は26万名。
mansyuu 翌昭和7年(1932年)3月1日には、溥儀を執政として満州国が建国される。軍事行動の見事さもさることながら、たった半年で建国までもっていったことには驚愕する。
 満州国の国是である「五族協和」は、日本軍が傀儡政権のために作りだしたものだとする歴史家もいるが、実際にはもともとこの地にある理念であり、さらに言えば、この理念を理解・共感せず、日本に敵対心をもつ人間ばかりであれば、事変勃発から半年という短期間に建国までもってくるのは不可能であろう。
Kanjiishi 思想的にも軍事的にも実質的なリーダーは石原莞爾。石原莞爾も掲げた「五族協和」の理想に共鳴したものは多く、朝鮮人では曹寧柱(在日本大韓民国民団会長、剛柔流空手道師範)、そして『空手バカ一代』で一世を風靡した極真会館の大山倍達(崔永宜)総裁などである。
 この理想を追ったのが東亜聯盟。メンバーには、陸軍参謀で後に参議院議員になる辻政信、山形出身の政治家・木村武雄(建設大臣)、小澤開作(歯科医師)もいた。小澤開作は世界的な指揮者である小澤征爾の父であり、ミュージシャン小沢健二の祖父である。ちなみに小澤征爾の名前は、満州国軍政部最高顧問、関東軍参謀長、陸軍大臣であった板垣征四郎から「征」の字を、石原莞爾から「爾」の字をとっている。
 日本の敗戦後、石原莞爾を裁くため、昭和22年5月1日、山形県酒田市で極東国際軍事裁判臨時法廷が開催されることになった。既に病に侵されていた石原莞爾を運ぶリヤカーを引いた青年の一人が大山倍達(崔永宜)総裁だったという。
 イラク戦争から強引につなげたが、日本、いやアジア近現代史にはまだまだ秘話があることを再認識した。

2006年11月15日 (水)

駅弁比較、柏崎の駅弁の可能性

Dsc03587 某スナックにて最終の乾杯。会話のなかで麻生外務大臣の核武装論議がでてきたので、カラオケは『ウルトラマンタロウ』を「麻生が飛び立つ~」で歌う。そういえば、『ウルトラマンタロウ』の主題歌、コロンビアレコードバーションは、先日の軍楽隊演奏会で楽しませて頂いた三鷹淳氏である。2時、帰宅。シャワーを浴びてから就寝。

Dsc04124 起きたら8時・・・・柏崎準倫理法人会の「経営者モーニングセミナー」に出席できず、反省。風邪を吹き飛ばすため、納豆にも、そして舞茸の味噌汁にも大量の長葱を投下し、朝食にする。
 ここ最近は、予算要望やら色々とあり、ゆっくりと会社の仕事をする暇がなかったので、貴重な半日。
Dsc04125 依頼されていたプレゼンテーション作成3件、DVD作成2件。アイデアが浮かんだところから虫食い状に手をつける。途中、煮詰まったところで、買い物など。
 すっかり昼食時間を忘れていたので、15時過ぎ、来客者の前で失礼ではあったが、日清の「どん兵衛」で昼食。入院中の甥っ子が、この「どん兵衛人形」をほしがっているためである。ただのインスタントのうどんでは味気ないので、高知県馬路村「ぱっと馬路村赤唐辛子」を大量に入れる。ゆずの香りが良い。

 17時過ぎ、夕食用に駅弁フェアの購入して、祖母に渡した後、上越の病院へ。母方の祖母が手術をしたためである。一泊の入院とのことで安心する。
 今日は、柏崎ぶどう村ワイナリー主催の「ワインの夕べ」が開催されているが、欠席させてもらった。
 21時過ぎ、自宅に戻り、母と夕食。
 せっかくの駅弁フェアなので、柏崎の駅弁に使えるアイデアはないかと3品を購入した。
F1000002_23 静岡県浜松市の「自笑亭」(電話:053-442-2121)、「濱松 ひつまぶし」弁当。
 母はふざけて「ひまつぶし弁当」と呼ぶので、対抗して買ったのが福井県小浜市の「若廣」 (電話:0120-89-3844)、「若狭鯖街道 焼き鯖ずし」。

F1000006_8「ほら見て、
 マッカーサー(若狭)鯖街道だって」

「・・・・・・・・・はっ?」

母の反応はイマイチであった。
F1000001_40 もう一品は、容器の楽しさに期待し、広島県広島市の「広島駅弁当株式会社」(電話:082-286-0181)、「広島の味 しゃもじかきめし」 。
 「濱松 ひつまぶし」弁当は、こぶ茶の粉末と山葵がついており、電子レンジ対応容器。「鰻飯」として、タレ、山椒で食べ、その後は昆布茶の粉末をふりかけてお茶を入れ、山葵を溶かして「鰻茶漬け」。肝の佃煮もついていて良い。
 柏崎の「鯛めし弁当」にも、鯛茶漬けの可能性はないかと思い購入したのであるが、鯛めしの場合には旨みも十分なので、昆布茶までいらないような気がする。
 「しゃもじかきめし」は、牡蠣の味噌和え、牡蠣飯、牡蠣の煮物、牡蠣フライ、じゃこ煮が入っているが、一番泣かせるのが広島菜漬け。
 日本三大菜といえば、高菜、野沢菜、そして広島菜であるが、広島菜の知名度が一段低いように感じられ、地元を愛する気持ちが感じられるチョイスである。
 以上の2品は郷土の弁当としての付加価値を基準に見たが、味わいとともに一番良かったのが、やはり「若狭鯖街道 焼き鯖ずし」であった。鯖の濃ぃぃぃ脂、生姜の清涼、酢飯の甘み、このままでも良いが、ワンカップの日本酒、ビールにも合う。
 昨日の予算要望に盛り込んだ観光電車が実現の際には、「鯛めし弁当」をはじめ、柏崎らしい駅弁も盛り上がってほしいものである。

2006年11月14日 (火)

平成19年度予算要望、イブニングセミナー

Dsc04110 2時、就寝。7時、起床。8時から某町内の方をはじめ、ご意見を伺う。9時過ぎ、市役所に行き、会派内で予算要望の打ち合わせ。
 同じ会派でも出身地区が変われば、主たる主張も違っており、とりあえず共通項を取り出したかたちとなった。

Dsc04109 10時40分から市長、助役、収入役同席のもと、平成19年度の予算要望。メリハリのある施策という点では、相容れない部分が多かったものの、鉄道利用客の増加を図る観光電車企画だけは冒頭から気合を入れて説明させてもらった。一応、意見の一致を見ることができ、調査費用を含めた予算措置の方向での回答を得た。
 「福祉はやって当たり前」であり、その原資たる市の税収を増やすための振興策は、すぐに効果がでるものではない。ゆえに、とにかく早く取り組むことが必要であり、「まちづくりは人づくり」というように、まちづくりのワクワク感やそのプロセスをより多くの人に見てもらうことが必要である。
 総論は厳しい内容を突きつけたが、とにかく「縮小、縮小」だけではなく、メリハリの利いた活力ある予算編成を望んだ。


総 論

 合併後一年が経過し、新たなる柏崎市の姿が求められるなか、「柏崎の活力がなくなった」という市民の声も多い。特に、北陸新幹線開通をはじめとする高速鉄道網に対する危機感、駅前周辺の土地利用計画の先行きなどは分かりやすい題材であるだけに注視されている。決断のスピード感、その決定過程の公開など、再考願う。
 公債比率の悪化をはじめ、短期、中期の財政状況をよく把握したうえで施策、事業の決定がされることになろうが、全体が縮み思考の予算であっては、活力は生まれない。メリハリのある事業、予算決定を強く望む。
 また、「地方分権の時代」という美名ではなく、「自治体間の競争時代」に突入していることを再認識したうえでの市政運営を再度、強く望む。

総合企画部
(1)駅周辺事業を中心とした新市まちづくりの全体計画・土地利用計画の具体的な促進。
(2)行財政運営の効率化、健全化への取り組み
・経常収支比率、公債費比率などの指標への注意
・新たな自主財源確保の取り組み。市職員の削減
・人事考課制度の充実。
   ・民間への業務委託(水道、ガス車業、保育園、用務員、調理員)
(3)原子力関連施設(陽子線がん治療・エネルギー研究センター等)の長期的・戦略的な計画策定の推進。
(4)達成率を含む事業評価システムの充実と公開、次年度予算への反映。
(5)新潟工科大学の経営内容の把握と学園ゾーンの活性化。
(6)新潟産業大学再建への取り組み
(7)ミニ新幹線をはじめとする高速鉄道網への積極的推進
(8)北朝鮮による拉致問題解決への寄与

市民生活部
(1)日常の生活環境(粉塵・臭気・煙・騒音)保護の推進。
(2)原子力防災(防災マニアル等)の推進。
(3)家庭ごみの有料化にあたり、1リットル当たり1円を含む当会派案を検討すること。
(4)市民参加の原子力発電所へのテロ対策訓練の実施

福祉保健部
(1)介護保険制度の充実・・ショートステイ等
(2)市基幹病院の医療技術の向上、中通地区の医療機関確保
(3)認知症老人への対応
・施設対応と介護人のケア
・GPS対応のシステム導入の検討。
(4)地域医療向上への努力・・小児救急への対応、医療過誤への把握。
(5)医師、看護士、介護士の確保への支援。地元出身者を創出する施策。
(6)育児支援の充実、休日保育の定常化。父子家庭の育児支援。

都市整備部
(1)水害・震災に対する早期復旧・復興の促進。
(2)鵜川、鯖石川、別山川の改修促進・内水対策の促進。
(3)生活(狭い)道路の改良、追い止まり道路の解消(防災の為)、維持管理費の確保。
(4)国道352号-353号線早期改修促進(防災の為)
(5)8号バイパス接続部分の安全確保の促進。
(6)柏崎港及び周辺の環境整備。

産業振興部
(1)中小企業対策の充実
電気料金の軽減、三法交付金制度改善による企業施策の見直し。
(2)JA柏崎の農業者重視の体質改善への取り組み。
(3)関連法人との関係見直し
  (柏崎ショピングモール、柏崎ぶどう村、コレクション・ビレッジ)
(4)フロンティアパーク事業の促進と企業誘致の強化。
   東京事務所の再評価、必要な機能の再確認
(5)柏崎独自の農政への取り組み強化。
(6)柏崎港の活性化。
(7)鉄道利用促進に向けての観光電車等の誘客事業
(8)観光事業への新たなる全市的な取り組み
   (通年観光への計画、試行。夢の森公園の活用)
(9)市野新田ダムの早期着工

教育委員会
(1)教科書検定の委員会内容の情報開示。
(2)国体に向けた体制強化。
(3)指導補助員制度の拡充強化。
(4)安全、安心な学校の防犯体制の促進。
   ・通学路の安全確保(除雪、防犯灯、実態に即した通学バスの適用)
(5)児童の学力の増進、体力強化。ゆとり教育の見直し。
(6)犯罪の低年齢化に伴う青少年健全育成への取り組み。
(7)地元・柏崎を愛する教育 総合学習用副読本


Dsc04111 会派室で「二葉食堂」(電話:0257-22-2894)の「Cランチ 1000円」をとりながら、来年4月の統一地方選挙をはじめ、情報交換。小さい頃の憧れであった「二葉食堂」のランチ。つけ合わせのスパゲティ・ナポリタンが泣かせる。
 某先輩議員がおっしゃる町の声?では、複数の市民の方から

 「来年の市議会議員選挙で、
   
落ちるであろう議員のNo1は三井田」

との声があったとのことであった。自分が思うようにやって、落ちるのであれば、それはそれで市民の民意である。

 14時近く、一旦事務所に戻ったあと、市内で各種手続き。16時から某氏宅に伺い、困りごとのご相談を受ける。

Yy 18時にシーユース雷音に移動。18時30分から柏崎準倫理法人会「イブニングセミナー」、講師は株式会社ティー・エム・シー代表取締役社長の梶原浩嗣氏。テーマは、『今日も踏ん張る!明日も踏ん張る!絶対にあきらめない ~ニューヨークで夜逃げして日本で起業、そして今~』


小さい頃の夢がパイロットになること。高校時代で色弱は無理と言われ挫折するも、諦めきれず日本航空大学校に入学し、整備士を目指す。在学中に念願の飛行機を操縦する。結局飛行機関連の職場に就けず、コンピュータ関連企業に就職。幾度かの転勤を経て社長命令により渡米。現地にて会社を設立。しかしながら日本においてはバブルが崩壊し、本社も倒産の危機。米国法人も資金ショート。夜逃げを決意し、断行。帰国後、数名の後輩社員を引き連れ独立を決意。しかしながら世の中は甘くなく、買い取った会社に多額の負債があることが発覚。地獄の三年が始まる。何度か会社を清算しようと考えもしたが、何とか一日一日毎日を踏ん張り、気がつけば15年目を迎える。諦めない自分がそこにいた。まさしく打つ手は無限。


 これまでご本人もあまり家族や親しい友人の前では、ニューヨークで夜逃げしたとは言えず、「ニューヨークで仕事をしていた」とだけ言っていたという。 Dsc04116 このときの壮絶な経験が現在の会社経営に生かされており、経営哲学も厳しい。
 一番、感銘したのは『就職意識』である。就職というからには、その職で
食べていける技量を身につける努力を常に怠ってはならないわけであり、現在の多くの若者は『就社』でその会社に残ることに心血を注ぐという。
 努力もせず、自分で稼げない社員には即やめてもらうという経営方針とともに、非常に勉強になった講演であった。
 会社の人材の構成が多くの場合、人財3、人在4、人罪3になってしまうという
「サシミの法則」を改善しようと、人財8、人在2という独自に考えた「ファニーの法則」を実践されている。


一流の企業人 私が目指すもの

1.その道のプロと呼ばれる人材
  「必要な人材」と「不必要な人材」はハッキリしている。

2.就社ではなく就職というプロ意識を持つ人材
  他社でも通用するのが本当の能力

3.自ら課題を設定できる人材
  問題の発見・解決こそが、「仕事」と言える

4.自分の成長には自分で責任を持つ人材
  「会社が育ててくれない」は泣き言に過ぎない

5.自分の給料は自分で稼げる人材
  厳しい雇用条件を直視し、我が事として考えよ

6.走りながら考えられる人材
  行動を伴わないアイデアは無駄なだけ

7.会社の「存在価値」を社会に伝えられる人材
  会社に、ではなく世の中に貢献する人材であれ

8.トップの方針を具現化できる人材
  ひとり一人がトップの分身であるべきだ

9.ワンランク上の資格を身につける人材
  リーダーになってからリーダーの勉強をするのでは遅い

10.社内で差別化された能力を持った人材
   「こういう仕事はアイツに限る」という得意技はあるか

11.どんな質問にも即答できる人材
   問題意識の深さと広さは発言内容でわかる。

12.仕事に愛情を注ぎこめる人材
   プライドがあるから一本の筋の通った仕事ができる

13.常に創意工夫を忘れない人材
   「何とかなる」から「何とかする」へ発想の転換

14.最後のツメを怠らない
   一流のプロは見えないところまで気を配る

15.家族、友人を心から大切にする
   人を大切にすると言う事は出会いを大切にする


Dsc04119 一旦自宅にもどり、冷凍しておいたブリを解凍して塩焼きにし、夕食。食べながら、まとめなければならない資料を一気に処理する。
 21時過ぎ、懇親会の2次会から参加。

2006年11月13日 (月)

迷彩の共産党員、第二部決算特別委員会
『人間の杜』吉田邦夫学長出演

 2時、起床。今日の第二部決算特別委員会の資料を読み込む。6時、風呂に入ったのち、風邪を引きそうな感じだったので、2時間ほどまた仮眠。

Dsc04105 9時過ぎ、市役所に行き、議員ポストに届いた資料や新聞などを見ていたら、つい笑ってしまう写真が載っていた。
 日本共産党の『しんぶん赤旗 日曜版』の11月12日号の表紙である。「第39回赤旗まつり」の写真が掲載されており、基地の強化反対などのアピールを行ったようであるが、この写真で勢いよく拳を突き上げている女性のスカートが迷彩柄のミリタリー・ルックなのである。
 迷彩柄の服を着て基地反対をアピールをする日本共産党員・・・なんともシュールである。

Dsc04095 10時から第二部決算特別委員会。新潟県立こども自然王国管理運営事業特別会計から、土地取得事業特別会計、墓園事業特別会計、国民健康保険事業特別会計、老人保健特別会計、介護保険特別会計、途中で昼食(色々な打ち合わせがあったので、あわただしくカロリーメイト2本)をはさみ、下水道事業特別会計、農業集落排水事業特別会計の順で説明、質疑応答。
 別段、大きな問題はないものの、国民健康保険の未収納に関しては、5年の時効や本当に所得がなくて払えないのかも含めて、議論が交わされた。低所得の方のためのセーフティネットでもある以上、未収納がでてくるのは仕方ないが、真面目に払っている人がバカをみるようなことだけは避けたいものである。会派として、賛成討論を行った。

 17時から明日の予算要望などについての打ち合わせ。

Ningennnomori 19時からスカイパーフェクTV767の日本文化チャンネル桜の対談番組『人間の杜』#63が放送された。
 今回は東京大学名誉教授である新潟産業大学の吉田邦夫学長(工学博士)にご出演いただいた。
 化学の面白さを教えてくれる大変興味深い話で、仕事の手を休めて見入ってしまった。特に、あまり語られない化学から見た戦争のお話は貴重であった。

 日露戦争での日本の勝利に貢献した化学は、有名な下瀬火薬電池。島津製作所の発祥がこの頃で、いまも車のバッテリーで見る「GSバッテリー」のGSは発明者の島津源蔵の頭文字。
 大東亜戦争、第二次世界大戦で日本が遅れをとった化学は、ポリエチレン(電線コードの被覆など。日本の戦闘機はゴム被覆)、ハイオクタン値のガソリン(色をつける発想)、ペニシリン(日本は遅れること6ヶ月)。
*インターネットでも視聴可能→こちら 『人間の杜』#63

Dsc04108 20時過ぎ、事務所で夕食をとりながらの懇談会。
 夕食は、越後もち豚のロースを生姜、ニンニク、すりおろした梨のタレに漬け込んでステーキ状に焼いたものがメイン。体に悪いと分かってはいながら、上質の豚肉の脂身部分は甘くジューシーで美味しい。
 話が盛り上がり、24時を過ぎる。

2006年11月12日 (日)

自民党新潟県連青年部にて街宣活動

 1時過ぎに帰宅。風呂に入り、録画しておいた番組などを見ながら郵便物を整理し、4時就寝。
 8時、起床。引き割り納豆でご飯をかっこみ、9時に柏崎駅前の「ホテル・ニューグリーン」に向かう。9時過ぎ、自民党新潟県連青年部での新潟県内縦断街宣活動スタート。柏崎市を出発し、上越市、十日町市の強行スケジュールである。
 色々なことを訴えたいが、教育問題のみに絞ってみた。
 「ゆとり教育の廃止」である。
 子供に自由もゆとりも必要であろう。しかし、義務教育はみっちりと基礎教育を行い、鍛える時間である。落ちこぼれそうになったり、落ち込んだときに救ってあげるのが、教師であり、親であろう。一律の対応だけで良いなら、ビデオ学習にすれば良い。個性もまずは基本を踏まえたうえで伸ばしてやるべきと考える。恩師の言葉が借りれば、

 「型を知らない人間は
         型破りになれない」

である。基本、基礎(型)を学んだうえで、個性を伸ばし、型破りな良い意味で面白い人間がでてくる。

Dsc04081 柏崎市を出発し、生まれの地である上越市の直江津周辺をまわったのち、高田駅前の「タカダステーションホテル」にて昼食。
 雹が降ってくるわ、寒風は吹き荒ぶなかでの演説で体が冷え切っていたところに、海苔の味噌汁は胃から染みこむように体を温めてくれた。

Dsc04084 午後の街宣は、6区選出の自民党・高鳥修一衆議院議員も合流し、教育基本法改正、防衛庁の省への格上げなどを訴えた。
 さすが地元選出だけあって、演説中に手を振ってくれる方や聞き入って下さる方が多かった。それだけ関心があるということは、普段の国会議員としての活動がいかに大切かが分かる。

 上越市から十日町市に抜け、十日町市内でも降りしきる冷たい雨のなか、ずぶ濡れで街頭演説。風邪を引きそうであるが、来年の選挙のことを考えれば、良いトレーニングである。
 十日町市選出の自民党・尾身孝昭県議の事務所でリポビタンDやコーヒー、お菓子をご馳走になる。

F1000001_39 18時過ぎ、柏崎IC経由で自宅に戻る。
 冷凍にしておいたイクラの醤油漬けでのイクラ丼を作り、スーパーで20%引きと安くなっていたお惣菜セット(ひじき、かぼちゃの煮つけ、卵焼き、ポテトサラダ等)、引き割り納豆と伊賀越豆味噌で作った
アツーーイ納豆汁で夕食。
Dsc04094 
本醸「緑川」の熱燗も飲み、体を温める。20時過ぎ、一度、仮眠する。

2006年11月11日 (土)

飲み疲れ:フィリピン、リカルテ将軍

Dsc04069 3時、就寝。7時、起床。天然のなめこをたっぷりと頂戴したので、またも熱々のなめこ汁にして、納豆ご飯とともに朝食。粉末いりこでダシをとり、なめこ、油揚げ、豆腐を具に米麹の信州味噌で味付け。信州つながりで善光寺・八幡屋礒五郎の唐辛子で辛味と風味を追加し、堪能した。

 午前は病院のお見舞いをはじめ、某会の会合2件に顔をだす。酒を注ぎに回るもご返杯を大量に頂戴し、午前中でアップアップ。一回自宅にもどり、着替えをしていると、電話があり、

 「おめさん、なぁ~してんだね。
  はよ来いてぇ~。西川先生の会だでぇ~」

ゲッ!しっかりと?時間を間違っていた。あわててスーツを着なおし、自転車で会場である産業文化会館に向かう。ステージ上には泉田裕彦知事をはじめ、自民党・近藤基彦衆議院議員、柏崎市長などの来賓がずらりとならび、保守系の市議会議員の先輩も既に座っている。「市議会議員 三井田孝欧」の札のかかった席はもちろん空席。非常に入りづらいなか、ステージの袖から席に座る。
Dsc04071 西川勉県議会議員の現役最後の後援会総会ということもあり、会場は満席。柏崎市内の名士の皆さん、各団体・各町内会の重鎮が顔をそろえた。世代的には、場違いの感はあるが、大先輩の政治家である西川県議に勉強させてもらうことも多く、貴重な時間であった。もちろん、西川県議は今期で引退されるが、長くお元気でいてほしいものである。
Dsc04072 総会終了後は会場を3階ホールに移し、懇親会。ここまでもビールや日本酒をたっぷりと飲んでいるなか、会場内の知った顔の皆さんにご挨拶し、酒を注いで回る。もちろんのことながらご返杯も多く、一升近くは飲んでいるような感じである。
 また、地元の町内会を先にまわるか、親族のいる町内会をまわるかで順番を間違え、某町内の皆様にお叱りを受ける。

 赤レンガフォーラムにも行けなくなってしまったので、某氏に聞いてきてもらうようお願いする。

Dsc04073 懇親会終了後、外の雨が激しかったことと、だいぶ酔いがまわっていたので、産業文化会館のロビーで自民党の皆さんと休んでいると、書道展をやっているのに気付いた。
 「第32回柏崎書道院展」、酔って見ては失礼かと思ったが、「どうぞどうぞ」とのお声があったので、早速、拝見させてもらう。
Dsc04074 知っている方も出品されており、じっくりと堪能したなか、特に良かったのが、私の一曲「そのうたによせて」 という企画。好きな歌の歌詞の一片を書にしたためるもので、『川の流れのように』から『幸せになろうよ』など。『チャンチキおけさ』の「知らぬ同志が」も味わい深い。
Dsc04075 会場の外にでてから、書道院の先生と懇談をしながらお茶とお茶菓子を頂戴した。酒で腹がいっぱいであったが、温かい緑茶と甘いものは染み渡るように入っていった。
 お茶菓子は、魚沼市「甘泉堂(かんせんどう)」(電話:025-792-0419)の和菓子「なごり雪」を頂戴した。和三盆糖、白双糖と卵をつかったもので、ほどよい甘みと歯ざわりが特徴的。
 書道院の先生からは、良寛和尚のお話など幅広い事柄についてお聞きすることができ、酔っていたことを猛省する。

Dsc04077 一旦自宅に戻り、19時から「ささ川」(電話:0257-23-2702)にて、自民党新潟県連青年部としての懇親会。
 自民党新潟県連青年部では、10月から新潟県内縦断の街宣活動をしており、今日は長岡市、魚沼地方を中心に回ってきたところで、明日は柏崎市を出発し、上越市、十日町市の強行スケジュール。
Dsc04078 本日の労をねぎらい、また明日にむけての乾杯をする。よくよく考えると今日は5回目の乾杯であり、6食目の食事となる。
 腹がいっぱいではあったが、料理が素晴らしく、特に八丁味噌を皮付きの里芋にかけたものが印象的であった。帰り際、料理をした某氏に御礼を述べる。

 懇親会ののち、某スナックで2次会。6回目の乾杯。さすがに一日、街宣車を運転していた青年部長をはじめ、メンバーはお疲れのご様子であったので、有志のみで3次会に突入。7回目の乾杯。
Phifalg  3次会の会場となったスナックには、フィリピンの女性もおり、ミンダナオ島、イロイロ島の出身という2名。一人は、大学でアジアの歴史を専攻し、リカルテ将軍を尊敬しているとのことだった。

Dsc04112  アミルテオ・リカルテといえば、部下のマリヤノ・ポンセを日本に送り、宮崎滔天、川上操六陸軍参謀総長の協力により、フィリピン独立戦争を仕掛けた気高い将軍。独立戦争に敗れ、大正4年に日本に亡命。名古屋、横浜に身を隠す。
 昭和15年、アメリカの占領下のもと、大統領となったのはリカルテのかつての部下ケソン。ケソン大統領は訪米の帰り道、横浜に立ち寄り、リカルテを訪ねて、フィリピンへの帰国を促す。しかし、リカルテはこう述べた。

 「フィリピンに星条旗がひるがえっている限り、
    その星条旗の下に帰ろうとは思わない。
  私が祖国に帰る日は、祖国が完全に独立し、
  むかし我々が立てたあの革命旗が、
  堂々とだれはばかることなく立てられる日だ」

*写真は、左からリカルテ、ケソン大統領、パレデス上院議長。横浜にて。

 そして大東亜戦争。破竹の勢いでアジアを植民地にしていた欧米各国を日本軍が蹴散らす。昭和18年10月14日、日本軍の軍政から、正式に「フィリピン共和国」として独立の日を迎えた。同年11月5日~6日には、東京で開催された大東亜会議にホセ・ラウレル大統領が独立国として出席。

*大東亜会議には、日本から東條英機内閣総理大臣、中華民国(南京)国民政府・汪兆銘行政院長、満州国・張景恵国務総理大臣、ビルマ・バー・モウ内閣総理大臣、オブザーバーとして自由インド仮政府首班チャンドラ・ボースが参加した。バー・モウは、終戦後、我が新潟県、石打村(当時)の薬照寺に亡命した

Riririririri リカルテの夢が叶ったかに見えたが、アメリカの反撃により、再度、逃避行の旅につき、途中で永眠。リカルテの遺骨の一部は、遺言により、第二の故郷である日本・東京多摩の霊園に祀られた。
 ちなみに、昭和46年にはフィリピン協会により、横浜の山下公園にリカルテ将軍記念碑が建立されている。

 さすがに歴史を専攻しただけあって、以上の話も知っており、英語と日本語を交えて盛り上がった。
 その後、場の成り行きでどうしてもカラオケを歌うことになり、アジアの独立を日本は軍歌でも歌っていることを伝えようと、『出征兵士を送る歌』を歌う。

 『出征兵士を送る歌』昭和14年10月
作詞:生田 大三郎 作曲:林 伊佐緒 

6番「父祖の血汐に色映ゆる
   国の誉の日の丸を
   世紀の空に燦然と
   揚げて築けや新アジア
   いざ征けつわもの日本男児」

 もちろん、他の客はドン引きであった。

2006年11月10日 (金)

柏崎準倫理法人会「良い夫婦の日」

 2時、就寝。7時、起床。大粒納豆と生卵でご飯をかっこみ、これまでの打ち合わせの議事録をはじめ、文書作成。
 昼食も大粒納豆でご飯をかっこんで、午後からは予算要望書の取りまとめ。各町内会、メールなどでもらった要望など、盛り込む。

Kb 17時過ぎ、シーユース雷音に集合し、(株)栗山米菓相談役、新潟県倫理法人会相談役である栗山清氏をお迎えして、柏崎準倫理法人会「良い夫婦の日」の準備。
 ありがたいことに会場に準備したイスが満席となって、18時30分から講演会がスタート。講演のテーマは、『失語症の女房は宝物』
Dsc04061 奥様がある日、突然、脳梗塞で倒れられ、失語症となる。奇しくも、初めて社用車に自動車電話をつけた第一報が「奥様が倒れた・・・」であった。
 当時、失語症という言葉自体は、あまり知られておらず、思いと言葉が違うことになるのは病気と捉えられていたが、実際には薬を飲んで治るような病気ではなく、病気のあとに残る「障害」であった。
Dsc04055 栗山氏は懸命に看病をし、毎日、朝5時からの倫理の勉強会をはじめ、旅行など常にご夫婦で行動されている。奥様が迷子になることが多く、探すことに苦労もするが、寄り添ってやれるのは自分だけ、とその度に気持ちを新たにするという。
 奥様は、栗山氏の実父、実母の面倒を嫌がることなく看てくれたそうで、感謝をしてもしきれず、今度は恩返しであると明言。さらには失語症を多くの人に認知してもらうため、全国大会にも毎年参加され、失語症の人が働く工場などを設置するなどの活動をしている。なかなかできることではない。
 最後は一言、 「攻め心よりも感謝の心」 であった。

Dsc04066 講演会終了後は、懇親会。今回は夫婦での参加であり、独身者は私一人。懇親会も盛り上がってきたところで、夫から妻へ感謝の告白タイム。感謝の言葉とともに、赤いバラを渡し、「ちょっと恥ずかしい?時間」。
 独身者としては、居場所がなかった・・・・・・。

 ちなみに栗林氏は明治大学出身で、大東亜戦争時は学徒出陣組。懇親会のなかで、貴重なその体験もお聞きした。調子に乗ったついでに 「ばかうけ」納豆味を提案。

 「ほっほっー面白いねぇ~」

とのご回答であった。

2006年11月 9日 (木)

はじめて知った、川崎病

 企画書を書くための資料を片っ端から読みまくり、気付くと5時過ぎ。3時間ほど仮眠し、9時からインターネットと電話を使っての打ち合わせ2件。

Dsc04050 11時過ぎ、なめこの味噌汁、大粒納豆、目玉焼き、ご飯2杯でブランチ。なめこの味噌汁はビンビンに熱くし、葱を多めに入れて飲むのが旨い。本当は胃などにはあまり良いことではないが、今回も口の中がベロベロになるほどの熱さにした。

 13時から所属会派での平成19年度予算要望に関する打ち合わせを約2時間。高速鉄道網や新潟産業大学の問題などが多くでたが、個人的には鉄道を使った観光、父子・母子家庭の育児支援、テロ対策訓練(心の中では自衛隊誘致に向けて)などを重点的に提案した。

Dsc04051 18時30分から柏崎商工会議所にて、夕食を食べながら柏崎準倫理法人会の役員会議。夕食は、牡蠣の炊き込みご飯弁当。結構ボリュームがあり、満腹のあまり睡魔が襲ってきた。
 明日10日の「夫婦の集い」、来週14日のイブニングセミナーについての打ち合わせ。

 今日一日、自分自身も忙しかったが、母、妹、妹の嫁ぎ先もかなりバタバタ。甥っ子がオタフク風邪ではなく、川崎病という病気で入院をしたためだった。
 甥っ子の頚のリンパ腺が腫れていたことからオタフク風邪と思い込んでいたが、よく診察してもらったら、川崎病。症状としては、急な高熱、発疹、目の充血、唇が真っ赤になって、舌がいちごの表面のように赤いボツボツが目立つようになるという。
 今回はじめてその名を知った川崎病は、英語でもKawasaki Disease(KD)というそうで、昭和42年、日本赤十字病院小児科に勤務していた川崎富作医師が発見した病気という。発見者である川崎医師は、現在日本川崎病研究センターの所長。川崎病の原因はまだはっきりしておらず、ウイルスや細菌に対する免疫反応がおこり、それがかえって全身の血管に炎症を起こすのではないかと考えられている。
 後遺症が残ることがあるということも聞き、可愛い甥っ子のこと、非常に心配である。

→ 川崎病の子供をもつ親の会

2006年11月 8日 (水)

鯨と靖國、鯨の味噌汁は夕顔とともに!

Dsc04008 2時過ぎ、自宅に戻る。まだ風邪が直っていないのか、寒くなったからなのか、喉が痛く、酔っていながらも風邪薬を飲む。3時就寝。目が覚めたら8時過ぎであった。黒豆納豆と引き割り納豆のダブル納豆ご飯で朝食。
 9時から打ち合わせ2件。

Dsc04010 甥っ子がオタフク風邪(流行性耳下腺炎、ムンプス耳下腺)にかかってしまい、病院に行くことになった。かなり重いようなので、診察に時間かかることから姪っ子を預かる。
 オタフク風邪は潜伏期間があるので、おそらく姪っ子もそのうちかかるであろう。納豆と卵でご飯を作り、母親(妹)の知らぬ間にまたも納豆英才教育
 母が帰ってくるなり、「あれ、孝欧はオタフクしたっけかな?」。
 ・・・・・・・・危険である。

Dsc04022 母に姪っ子を任せ、夕方まで市内まわり。
 19時過ぎ、軍鶏のモモ肉をクレイジーソルトで焼いた塩焼きと水菜のサラダを中心にして夕食。軍鶏のギュギュと歯にきしむような歯ごたえと、筋肉の旨みが後を引く。軍鶏肉も頂き物でなければ、なかなか食べるチャンスは少ない。

 食べるチャンスが少なくなったといえば、鯨肉。脂身が多い鯨の塩漬け、夕顔で作る味噌汁は柏崎への夏の到来を教えてくれる。
 鯨肉の刺身、鯨の竜田揚げ、鯨ステーキ、鯨カツ・・・特に鯨カツは学生時代、新宿のしょんべん横丁でソイ丼(カレー風味の大豆とひき肉、ハムがのった丼もの)とともに定番のメニューであった。食べようとするとすぐ衣が外れるので、また衣を着せて、ソースをかけるのが楽しかった。
 日本人は鯨の肉を食べるだけではなく、骨を畑にまき、ヒゲを伝統芸能「文楽」に使ってきた。日本の文化のなかに鯨は欠かせない・・・・・・(鯨波の方向を見ながら)。


平成18年8月10日『週刊新潮』

 変見自在 帝京大学教授 高山正之

 鯨 と 靖 国

 さきの戦争では、日本は米国のほか、欧州のほとんどの国と戦ったことになっている。
 その証拠に戦後、日本から賠償金を取り立てる行列には英、仏、蘭、ソ連のほか枢軸国仲間のイタリアも永世中立国のスイスも並んでいた。
 スイスは一般にはウィリアム・テルの国みたいに言われる。しかし実際にはナチの犠牲になったユダヤ人の財産を横鎖したり、敗戦日本にたかったり、どちらかと言えば悪代官ゲスラーに近い素顔を持っている。
 戦争もしないで儲けたスイスはともかく、日本と戦った英仏蘭は「ひどい目にあったlと国際経済学者のジャン・ピエール・レーマンが正直に語っている。
 例えば戦前の英国はインドやビルマを、フランスは仏印を植民地にし、阿片を売り、子供にまで税を課して、その上がりで豊かに暮らしてきた。
 ところがあの戦争で日本にあっさり負け、気がついたら彼らは貧しい欧州の小国に戻っていた。
 「日本は負けたが、それは米国が勝っただけで、これらの国々は負けて植民地を失い、兵士は捕虜にされた。その屈辱は晴らせなかった。それが戦後の対日観の根底にある」と。
 だから日本人が焼け跡で立ち尽くしている問はまだよかったが、いつの問にか新幹線を走らせ、ニコンやソニーが売れ始めると、もう腹立たしくなる。
 オランダは腹いせに二度目の賠償を取り、フランスは日本の首相をトランジスタ商人とくさし、元捕虜のピエール・プールは日本人を猿に擬し、「猿の惑星」を作って侮辱した。

 あいにく日本人はこういう悪意に鈍感で、この映画は日本で大ヒットし、彼をもっと悔しがらせた。
 広島、長崎で原爆実験もやり、十分に憂さを晴らしたはずの米国も、気がつけば沖縄をただで返還させられ、安全保障はただ乗りされ、おまけに対日貿易赤字がやたら膨らんでいた。
Oioijojoj89898  こたえない日本に、彼らが再び手を組んで苛めを計画した。捕鯨禁止だ。
 米国はメルヴィルの時代から好きに鯨を獲りまくった。彼の「白鯨」にあるように皮下脂肪から取れる鯨油が目的で「オレンジのように鯨を剥き」あとは海に捨てていった。

 戦後も鯨油は車や飛行機の最高の潤滑油として珍重されたが、対日赤字が問題になってきたころ、鯨油に代わる合成油が誕生した。
 米国の捕鯨は終った。英仏も状況は同じだが、日本だけは違った。鯨は日本人の文化であり資源だった。
 70年代末、国際捕鯨委に出た日本は吃驚する。加盟15ヵ国の会議に新たに24ヵ国もが入ってきた。いずれも鯨とは無縁のケニアやセネガルなど英仏の元植民地と米国の裏庭に住むドミニカ、そしてゲスラー・スイスもいた。
 おまけにそれらの国の代表には、シドニー・ホルトなど英米の知られた自然保護運動家が座っていた。
 かくて日本苛めの捕鯨禁止が大勢を占め、会議場では日本代表に英仏の運動家がインクをかけたり、唾を吐きかけたり。場外からはポール・マッカートニーが「人間の友、鯨を食う日本人は人肉食い野郎だ」 と発言したのもこのころだ。
 日本人が標的だったのは、同じ捕鯨国のノルウェーやエスキモーはこの批准から除外されたことでわかる。
 かくて焼け跡時代も通して日本人のエネルギーだった鯨のベーコンもサラシ鯨も尾の身も、食卓から奪い取られた。すべては感情的な苛めからだった。
 日本人は怒った。珍しく役所も一緒に20年、この不当な扱いに抵抗した。
 こういうときは歩調を乱すものが必ず出てくる。このときは朝日新聞だ。「鯨を食わなくてもいいじやないか。世界を敵にするより鯨を諦めよう」と。
 別に鯨が食いたくて抗議しているのではない。それを百も承知で、論理をみごとにすり替える。
 靖國神社がどうの、A級戦犯がこうのと、中国人や朝鮮人が騒いでいる。
 日本人は、よその国が日本人の心のあり方にまで口を挟んでくることが失礼だといってきた。
 そうしたらまた朝日がへンなメモをもとに、「昭和天皇のお言葉」だから分祀しようとか言い出す。
 ここでも論旨をみごとすりかえる。韓国人スリ団よりたちが悪い。

2006年11月 7日 (火)

「ゆとり教育」廃止こそ子供を救う

 2時就寝。7時、起床。大粒納豆の納豆ご飯で朝食をかっ込み、午前中は市内などをまわり、会社関係の用事を済ます。

 再度、納豆ご飯で昼食をとりながら、メールなど事務仕事を18時過ぎまで行う。

Dsc04006 19時から、事務所で友人との夕食会。いきなり寒くなってきたので、鮭の薫製をぶつ切りにしたものを入れた湯豆腐をメインに熱燗で乾杯。
 そろっと湯豆腐で酒を飲む季節になり、来年の選挙準備がはじめる時期となってきた。

 10時過ぎから某氏主催の飲み会の2次会から参加。長くなる。

 ここ数日、いじめによる生徒の自殺や、未履修問題に責任を感じた校長の自殺などが相次いでいる。
 「そんな事、外で言いなさんな」と怒られたが、親からもらった命を安易に捨ててしまうような教育も振り返ってよく考えてみるべきではないかと思う。
 色々な評論があるなか、「いじめ」と「未履修問題」を総合的に考える上で、平成18年11月4日の『産経新聞』に掲載された以下の記事が一番すっきりとした内容であった。


■【正論】京都大学経済研究所所長・西村和雄 

「ゆとり教育」廃止こそ子供を救う

■「未履修」「いじめ」の原因にも

 ≪未履修問題の背景とは?≫

 最近、必修科目を未履修のまま卒業させようとしていた高等学校が全国の国公私立校の約1割にあたる540校にのぼることが発覚し、文部科学省が例外規定で生徒救済策を打ち出すなど大きな社会問題となっている。

 背景には、週5日制で授業時間が足りない▽大学入試の多様化で、受験科目数が少なくなっている▽社会科の必修科目が多く、縛りが不自然である-などがある。地理歴史では、世界史が必修であり、他に日本史と地理のうち1科目、合計2科目を選択しなければならない。加えて、公民の中からも1科目を選択する必要があるので、それも入れると、社会から合計3科目をとらなければいけないのである。ちなみに、理科は理科基礎か理科総合を含む2科目、数学は数学基礎と数学Iのどちらか1科目が必修である。

 ゆとり教育による学力低下に加えて、工学部生が物理や数学III(微分積分)を学んでいなかったり、医学部生が生物をとっていないなどの現状が問題とされてきた。こんな現状では、理系の学生には、社会を3科目ではなく2科目にして、その代わりに数学や理科をもっと勉強させる方が合理的ではないか。結局、ゆとり教育による指導要領が悪すぎるのである。過度のジェンダーフリーや性教育、自虐的歴史観などを是正するにとどまらず、すべての科目で、指導要領を改善しなければ、今回のような問題の根本的解決にはならないであろう。

 ≪いじめ防止に何が有効か≫

 いじめもなくならない。それどころか、小学生や中学生の自殺の原因となって、大きな社会問題になっている。

 いじめを無くすには、少人数学級が効果的である。アメリカでは1980年代から少人数学級の大規模な実験と調査を行い、少人数学級にすることは、学力が向上するだけでなく、子供たちの行動面の問題も改善することが報告されている。少人数学級の実現が財政的に難しいのなら、子供たちを無用なストレス下においている現行の評価制度を廃止することである。

 東京都で学校群制度が導入され、公立高校での内申書重視が始まったのは1967年である。当時は音楽、体育等のいわゆる副教科の内申点のウエートを高くしていた。これらの科目は、高校進学者選抜のための学力試験科目に含まれないからである。しかし、これらの科目は評価が教師の主観に左右されやすいという問題を持っていた。

 学校群制度の導入によって、首都圏では公立離れが始まり、私立中学受験が一般化しだした。小学生も塾に行きだし、70年代に「乱塾時代」が始まった。そして、1978年に家庭内暴力が大きなニュースとなり、80年代に入って校内暴力、いじめなどが他の先進国には見られない程に頻発し始めた。

 文部省は1994年に日常の行動、生徒会活動、クラブ活動などの観点別評価を点数化して内申書評価に入れることを全国に拡大した。その年を境に、中学校の暴力事件が3年間で約2倍に、器物損壊が約3倍に増えている。

 ≪内申書の評価方法に問題≫

 1988年に栃木県の公立中学校で、女性教師が中学1年生の男子生徒にナイフで刺され死亡する事件があった。その直後の朝日新聞群馬版に「私たちの見えない悲鳴に気づいて下さい。私たちはキレる寸前です…一日も早く無意味な推薦制度と内申書の悪用をやめて下さい」という中学3年生の投書が載っている。

 文部科学省はさらに2002年から、数学や理科などの各教科についてもテストで測れる到達度(「知識・理解」)に加え、生徒の「関心・意欲・態度」「思考・判断」「技能・表現」にも成績をつけ、その合計を学期末の点とする制度を導入した。手を挙げることが少なかったり、先生に嫌われると5をもらえないというこの評定が、絶対評価の名の下にいまや、全国の公立学校で用いられているのである。

 評価方法をより主観的なものに変える度に、子供たちのいじめや非行は増えているようにさえ思える。悪い効果を生む疑いがあり、良い効果がないことが確かなら、その制度は廃止すべきであろう。

 未履修問題に関連してであるが、石川嘉延静岡県知事が、10月27日の定例記者会見で、「ゆとり教育で全国一色に染め上げてしまった文部科学省による教育の中央集権化が原因だ」と述べている。まったく同感である。

 安倍首相の教育改革では、指導要領の全面改訂と絶対評価制度の撤廃によって、ゆとり教育に終止符を打ってほしいと思う。

2006年11月 6日 (月)

サミエル・ウルマン「青春」

 頼まれていたパソコンの修理も終わりが見えたので3時、就寝。7時、起床。WindowsXPとLinuxのデュアルブートにして、完成。ご自宅に届けた。

 朝食をとる間もなく、10時から打ち合わせ。話の最中、来年の選挙の話題になり、他の議員のように、飲食をともなう後援会総会などはやらないのか、というご意見を頂戴した。しかし、あくまで飲食は飲食であり、公職選挙法のグレーゾーンである。自分としては、行わないことで貫きたい。

Dsc04001  11時から日本青年会議所北信越地区新潟ブロック協議会、来年度の委員会の打ち合わせ。道州制における新潟県の位置、これから共有化しなければならない新潟県各地の良さなどをどう伝えていくのか、昼食を食べつつ話合う。朝食を食べなかったので、実際にはブランチになったが、出前で「盛来軒」(電話:0257-22-2181)の中華丼。

Dsc04005  14時過ぎ、一旦事務所に戻り、事務仕事。18時、祖母が好きなさつま芋を入れたカレーで軽い夕食。食事中に電話があり、急遽、長岡へ。柏崎青年会議所の例会がある予定であったが、千葉からお越し頂いたとのことで、2時間ほど懇談。できれば事前に日程調整してほしかったところである。

 先日の母校・東電学園の閉校に際して、現校長が最後の挨拶をする際、校舎内にあるサミエル・ウルマンの詩「青春」をご紹介されていた。
 高校生当時は、感性にビンビンこなかったが、現在は非常に感じるものがある。それだけ年をとった?、理想を失ってきた、ということであろうか。


【青  春】
原作:サミエル・ウルマン(SAMUEL ULLMAN
邦訳:岡田 義夫

 青春とは人生のある期間を言うのではなく、
                 心の様相を言うのだ。
 優れた創造力、逞しき意志、炎ゆる情熱、
                 怯懦を却ける勇猛心、
 安易を振り捨てる冒険心、こう言う様相を青春と言うのだ。

 年を重ねただけで人は老いない。
 理想を失うときに初めて老いが来る。

 歳月は皮膚のしわを増すが、
         情熱を失う時に精神はしぼむ。
 苦悶や狐疑こぎや、不安、恐怖、失望、
 こう言うものこそ恰も長年月の如く人を老いさせ、
 精気ある魂をも芥に帰せしめてしまう。

 年は七十であろうと十六であろうと、
         その胸中に抱き得るものは何か。
 曰く、驚異への愛慕心、
 空にきらめく星辰、
 その輝きにも似たる事物や思想に対する欽仰、
 事に処する剛毅な挑戦、
 小児の如く求めて止まぬ探求心、
 人生への歓喜と興味。

 人は信念と共に若く 疑惑と共に老ゆる、
 人は自信と共に若く 恐怖と共に老ゆる、
 希望ある限り若く  失望と共に老い朽ちる。

 大地より、神より、人より、美と喜悦、
  勇気と壮大、そして偉力の霊感を受ける限り、
 人の若さは失われない。

 これらの霊感が絶え、
  悲嘆の白雪が人の心の奥までも蔽いつくし、
 皮肉の厚氷がこれを堅くとざすに至れば、
 この時にこそ人は全く老いて、
       神の憐れみを乞うる他はなくなる。


YOUTH

Youth is not a time of life-it is a state of mind; it is a temper of the will,a quality of imagination, a vigor of the emotions, a predominance of courage over timidity, of the appetite for adventure over love ease.

No body grows only by merely living a number of years; peoples grow old only by deserting their ideals. Years wrinkle the skin, but to give up enthusiasm wrinkles the soul. Worry, doubt ,self-distrust, fear and despair-these are the long ,long years that bow the head and turn the growing spirit back to dust.

Whether seventy or sixteen, there is in every being's heart the love of wonder, the sweet amazement at the stars and the starlike things and thoughts, the undoubted challenge of events, the unfailling childlike appetite for what next, and the joy and the game of life.

you are yang as your faith, as old as doubt ;
as young as your self-confidence, as old as your fear;
as young as your hope, as old as your despair.

So long as your heart receives messages of beauty, cheer, courage, grandeur and power from the earth, from man and from the Infinite so long as your young.

When the wires are all down and all the central place of your heart is covered with the snows of pessimism and the ice of cynicism, then you are grown old indeed and may God have mercy on your soul.

Given to Mc carthur some years ago by John
W. Lewist is based on a poem written by the late
Samuel Ullmann of Birmingham, Ala.

2006年11月 5日 (日)

関嘉彦先生、民社党

 1時、就寝。7時、起床。午前中は来客を含め、打ち合わせ2件。母が法要に出かけたため、祖母を看る都合にあり、事務所での打ち合わせにさせてもらった。

Dsc03992 ブランチとして、先日作ったイクラの醤油漬けでの納豆料理。ご飯の上に薄く引き割り納豆を敷き、隠れるほどのイクラを投入。最後に卵黄を落とした。重厚な味わいになり、引き割り納豆ではなく、大粒納豆を叩いたものでバランスをとっても良かったと思う。

 祖母にも昼食を作り、昼寝をしたことを確認。午後から次回の議会に向けて、資料を読み漁る。次回の一般質問は教育関係をはじめ、鉄道網などのまちづくりについて、大きな視点からの質問にしたいと思う。

Dsc03994 母が法要から帰ってきた際、鶏肉をもらってきたとのことで、ニンニク醤油に漬け込んだのち、から揚げにする。隠し味はすりおろし林檎。ジューシーな感じに仕上がった。

 食後、先日、買ったまま積んでおいた産経新聞社『別冊 正論 今こそ問う 日本人の志はどこへ行った』にざっと目を通すと、チャンネル桜でも味わいのある解説をしている遠藤浩一氏が関嘉彦先生についてお書きになっていた。
 関嘉彦先生が関係された民社党は、自民党よりも右と言われた。

Dsc03995 母校・東電学園での社会思想史は、関嘉彦先生-浜井修先生のラインで、最初のテキストは関嘉彦先生の『社会思想史十講』有信堂。懐かしく思い、再度、本棚から出して開いてみた。
 34歳になった今、改めて読み返してみると、アンダーラインを引いたり、書き込みをしているところが、微妙に主題と違っており、若かったとはいえ、完全に理解はできていなかったようだ。ただ、自分でも忘れていたが、「ジョン・ロックの自由主義」というページを異常なまでに読み返していたようで、「財産所有者こそ市民」というところに「?」がついていた。
Dsc03904 「そういえば・・・・」と、学生時代の品物を探してみると、関嘉彦先生の講演「国際政治と人生観」のテープがでてきた。お金がなかったので、ノーマルテープにするか、メタルテープにするか悩んだ末、(こんな小さなことで)自分への投資と考え、メタルテープにとった覚えがある。
 いずれ時間を見つけて、CDに変換しつつ、聞いてみようと思う。


古武士の面影、関嘉彦先生
        
遠藤浩一 (評論家)

 関嘉彦先生が、幽明境を異にされた。
 昭和53年から54年にかけて、関氏は森嶋通夫氏との間で防衛論争を交はした。共産主義国が武力侵攻をする可能性を否定できない以上、わが国は自らの防衛力を整え、足りないところはアメリカとの同盟によって補ふべしと、関氏が説いたのに対して、森嶋氏は、核兵器の時代に日本が通常兵器で武装してもひとたまりもないのだから非武装中立主義にしくはなし、ソ連が攻撃してきたら白旗と赤旗を掲げて降伏すればいいと主張した。
 当時大学生だった僕は、概ね関氏の主張に首肯し、森嶋氏については不思議なことを言ふ人だなあといふ印象を持つだけだった。ただ、常識的で合理的で理路整然とした関氏の物言ひについても、惹かれる反面、かすかに違和感を持った。それが何かはよく分からなかったが、福田恆存氏が森嶋氏を斬り、返す刀で関氏ら保守派の議論についても「その(国防の=筆者注)必要条件を満たすためにはどうしても直面せざるを得ない障碍に目をつぶってゐながら、ただその必要を説く」だけではないか(「人間不在の防衛論」)、と批判するのを読んで、自分が引っ掛かってゐるものの正体が分かった。現行憲法の欺瞞に目を瞑ったまま国防の大事を説いても、それは所詮「空想的防衛論」ではないかといふ苛立ちであった。
 関氏の著作を通して、民主社会主義といふ考へ方に出会ったときも、概ね諒としつつ、微妙な、しかし明確な距離を感じた。確かに民主社会主義は共産主義などと比べると遥かにマシな思想だ。しかし、日本人がこれをいかに受肉化するか、あるい本当に受肉できるのかといふ問ひに対する回答は見出せなかった。所詮借り物ではないかといふ気が、僕にはしてならなかった。自分は、この思想に殉じることはないだらう、さう思ひつつ、昭和56年春、僕は、民社党本部に入った。
 昭和58年の参議院選挙で、関氏は民社党の比例名簿第一位に登載された。僕はその全国遊説に随行した。移動の車中で英国の政治史や社会思想史などについて詰まらない質問をすると、丁寧に教へてくださった。演説会でも、大学の講義のやうに静々と説く姿勢を崩されなかった。次第に、先生に惹かれていった。
 開票日。一位の関氏はもちろん当選したが、四位の某組合系の候補者は落選が濃厚になった。「これでは収まらないぞ」「関さんに挨拶に行ってもらつてはどうか」といふ声が、党本部で出た。何を云ってやがる、と僕は思った。票稼ぎのために無理に頼み込んで候補者になってもらって、その煽りで組合出身の候補が落ちさうだからといって、なんで先生がお詫びに行かなければならないんだ。「そんな必要はないと思ひます」と口をとがらせると、先生は、静かに「いや、行かせてもらふよ」。組合の事務所を訪ね、同行した党幹部が甲高い声でなにやら喋ってゐる傍らで黙って頭を下げる後ろ姿からは誠実さが渉み出てゐた。
 平成3年、湾岸戦争の後始末で掃海艇が横須賀を発つとき、先生は、海を渡る自衛艦を見送りに行かれた。僕もお供をさせていただいた。軍艦マーチが鳴り響く中、滞軍の艦艇が白い波を引いて去っていく。先生はやはり無言で、しかし全身に敬意をやませて見送られた。
 僕は、その姿に古武士の面影を見た。重しい日本人を感じた。思想的な影響はそれほどでもなかつたが、先生の「人間」には強く惹かれた。合掌。

2006年11月 4日 (土)

市長が観光資源?クリント・イーストウッド

Dsc03986 車のなかで仮眠。ゆるゆると目覚めたところで、関越自動車道経由で自宅に戻る。郵便物が大量に届いており、整理に時間がかかるため、昼食を作れず、「うれっ子」(電話:0257-22-4648)の「チャーシューつけめん」でブランチ。
 午後から、市内での各種イベントを見て回る。

 15時から某氏と待ち合わせ、市政に関するご意見を拝聴する。最近の地元新聞を見ての率直な意見として、

 「市長は市内の企業まわりを積極的にして、
   選挙活動をしているが、議会は注意しないのか」

とのことであった。ごもっともである。
 市長は、行政のトップであり、柏崎市の営業マンである。企業誘致をはじめ、あらゆる要望事項など、助役や部長などが出向くのと、市長が出向くのでは話がまったく違う。
 市役所のなかの仕事は市長でなくとも、助役や収入役でも代役が効くが、外部への強い意志の表明は市長にしかできない。
 市役所のなかで市民の意見を聞くことも、市内企業の実態を見るのも大切であろう。まったくやらなくても良いということではない。しかし、いまの柏崎市のポジションを考えれば、自ずと優先順位が決まってくるはずである。

Dsc03988 一昨日、醤油に漬け込んだイクラがちょうどよく漬かってきた。ブチッという破裂が口中で楽しい。
 18時から、前回選挙を手伝ってくれた仲間と事務所で懇親会。
 飲んでいる最中、何本が電話があり、次々と来春の市議選に新人の出馬表明があるがお前はどうするんだ、とのこと。「三井田は市議選にでない」との話を聞いたが、という電話もあった。色々な動きをする人がいるものである。

Dsc04000 選挙といえば、大東亜戦争最大の激戦といわれた硫黄島の攻防を、アメリカの視点で描いた映画『父親たちの星条旗』(Flags of Our Fathers)と日本の視点で描いた映画『硫黄島からの手紙』(Letters from Iwo Jima)を監督したクリント・イーストウッドがカリフォルニア州カーメル市長選挙に出馬したのが1986年。見事当選し、2年間、市長職を務めた。
 保守派のクリント・イーストウッドが市長になったときには、賛否両論あり、現在もその評価は一定していないものの、多大な寄付をはじめ、とにかく「花を飾ること」にこだわるまちづくりなど、功績は大きい。
 個人的に一番の功績だと思うのは、市長が観光資源になるという事例を作ったことだ。写真は、カーメル市民が当時つけていたバッチであり、市長を市民が誇っていたというのは面白い。もっとも、市長は市民が選んだリーダーであるから、当然といえば当然であるが、なかなかできることではない。
*写真は、萩原茂裕著『第四の教育(上)』p57より

 亡父も『ローハイド』以来のクリント・イーストウッドのファンであり、その影響もあるが、『ルパン三世』でのルパンの声を演じた山田康雄が常にクリント・イーストウッドの吹き替えをやっていたこともあって、私も大ファンである。
 山田康雄が吹き替えをした『ダーティ・ハリー』シリーズをはじめ、山田康雄による日本語吹き替え版のDVDを是非、作ってもらいたい。それは『モンティ・パイソン』しかり。いまでは一部の作品でしか見ることはできないが、『モンティ・パイソン』での山田康雄をはじめ、「銭形のとっつあん」納谷悟郎、飯塚昭三、青野武、古川登志夫、松金よね子、そして「ちょん、ちょん」広川太一郎などの吹き替えは絶品であった・・・・とかなんとか言っちゃったりしちゃったりして。

2006年11月 3日 (金)

母校閉校:東電学園、日常の五心

F1000003_23 仕事がはかどらず、結局、徹夜となり、3時過ぎ、車で東京に向かう。都内に入ったことろで少し仮眠。8時過ぎ、某氏から電話が入り、近くで会うことになった。時間も時間ということで、マクドナルドに入って朝食を食べながら話すことになった。しかし、朝がパン(マフィン)ではカロリーは十分ではあるが、力が入らない。

Dsc03930 京王線聖蹟桜ヶ丘駅近くに車を置き、10時前、懐かしの母校、東電学園高等部に到着。柏崎第一中学校を卒業したのち、この全寮制の男子校(のちに共学化)に昭和63年、 35期生として入学した。

*写真は、東電学園高等部「日常の五心」
 「はい」という素直な心
 「すみません」という反省の心
 「おかげさまで」という謙虚な心
 「私がします」という奉仕の心
 「ありがとう」の感謝の心

 来年の3月で閉校、53年の歴史を閉じることになったため、「東電学園高等部 恩師・同窓と語る集い」が本日開催された。
 お世話になった会社に楯突くわけでもなく、また自分が卒業生だからというわけでもないが、この東電学園の閉校は、「決断ミス」だと思う。特に原子力部門については、こういった教育機関でしっかり鍛えられた現場の技術員が求められる。いまこそ東電学園に込められた木川田一隆の想いを再考すべきときであろう。

Dsc03927 52年前、東京電力の技術的な社員養成所として出発。当時は、多少の雨が降っただけで、停電するような時代。設備の不足を、人材で補う必要があった。
 当時の1~3期生の写真を見ると、軍隊のような訓練風景であるが、目がギラギラしており、戦後復興への意志が感じられる。
Dsc03922 また、全国津々浦々に電気が通っているような時代ではなかったため、電気の通っていない小さな島に行き、電柱を立ててくる実習があったそうである。実習終了後、島民に感謝をもって見送られる感動のシーンを納めた写真もあった。

Dsc03940 1期生の頃から技術指導をされていた竹内先生は、東京電燈に入社し、大東亜戦争中は満州にいらっしゃたそうである。満州は最新の電気技術を持ち込み、日本国内より進んでいたという。敗戦後、その経験を持ち帰り、東京電力に入社し、ずっと指導にあたられていた。ちなみに、「電験」といわれる国家資格である電気主任技術者試験の問題作成者でもある。
 日本の戦後復興、経済成長もあり、配電技術に加え、昭和31年に火力、昭和32年に送電、昭和36年に発変電のクラスが追加され、昭和39年には、木川田一隆社長の肝いりで東電学園に組織を改称。木川田イズムは今後、紹介していきたいが、その理想に向けての事業が東電学園であった。
*GHQによるエネルギー業界を巻き込んだ日本弱体化政策をも、したたかに利用し、電力業界を再編するなどの功績もある。
Dsc03935 家庭環境による学業の不平等を無くして、能力主義による人材を育成。東京電力という会社内だけではなく、人材を社会に還元するという大きな目的をもっていた。そのため、講師は一流生徒は五流?とも揶揄されたが、そのときの人脈はいまだ生きている。
 高等部のみならず大学部もそうであったが、電気・化学・原子力関係は東大、数学関係は早稲田、文学は慶応・上智、外国語は東京外語大の教授陣であり、個人的に「なんちゃって学生」としてキャンパスまで出かけ、講義も受けさせてもらった。
 東京大学名誉教授、新潟産業大学の吉田邦夫学長も東電学園で授業をもたれたことがある。

Dsc03934 部活の顧問も一流どころで、所属した柔道部の顧問、真保三義先生は、あの三船久蔵十段の最後の弟子であった。使い込まれた黒帯は見たことがあっても、使い込まれた紅白の帯(六段から八段)を見るのは初めてであった。その割には、都大会でも上位に入ることができなかった自分も情けない。

Dsc03910 受付を終え、校舎に近づくと、入学期別に学校への想いを書くスペースがあった。先に書いた人のパターンを見てみると、期数、所属した部活などを書いているようだったので、

「35期 情報通信科 柔道部 コンピュータ部
   三井田孝欧 クラスの半分が社会に旅立ちました」

と記入。実際、クラスメイトの半分は、東京電力を退職し、各分野に進出していった。
Dsc03932 書き終えたあと、久々に会った同期生は、頭頂部が怪しくなってきている者あり、太った者ありで軽口を叩きながらの楽しい再会となった。
 早々に結婚した同期のYは、小学校3年生の息子を連れてきていた。小学校3年生の子供がいることにも驚きだが、息子に親父の母校を見せたいと思って来たという。羨ましい。
Dsc03948 13期卒業の坂田敏雄氏が代表を務められている和太鼓集団「佐倉太鼓衆」の演奏をはじめとし、各種のイベントがスタート。
 7期卒業の楯正男氏による「南京玉すだれ」は、懐かしい感じもし、会場は「あっ、さて、あっ、さて」の掛け声で盛り上がった。絶妙の「安来節どじょう掬い」も見せて頂いた。次回のクラス会でのネタにパクらせてもらおう。
 ステージ上では懐かしい恩師のスピーチなどがあり、

 「生徒んとき、ジジィだった先生は
          今も変わらずジジィだな・・・」

と敬愛を込めながらも、突っ込みに困るような微妙なギャグも会場からでていた。
Dsc03954 諸先輩がいるなか、振る舞い餅の餅つきに参加させてもらい、ステージ上でエイッ、エイッと2回つく。豪快につきたかったが、杵が細く、勢いがつかなかった。臼の端っこを叩いて、シーチキン(木のかけら)をださないだけでも良かったような気もする。学生時代には毎年、寮恒例の餅つき大会があり、シーチキン(木のかけら)をだしたものは後から恨まれ、配布量も減らされるという特典?があった。

Dsc03969  最後の51期生による実習披露も行われ、懐かしい電柱での訓練を思い出した。
 3点支持を注意されながら電柱に上り、柱上でキャッチボールをする訓練や突然、「この道具の名前を言え!」と質問されることもあり、間違うと腕立て伏せ等の基本運動の刑が待っていた。
Tanark  同期の某は、リードラチェット型ねじ切器の名称を突然質問され、その前の授業が数学であったからか、

 「それは・・・アークタンジェント型ねじ切器っす!」

と答え、腹筋運動の刑になっていたことを思い出す。

Dsc03963 歴史を刻む記念碑の除幕式も行われた。記念碑には、歴代の東電学園の校章と『養成所(員)の歌、東電学園高等部生徒の歌』の歌詞、『東電学園歌』の歌詞が刻まれた。


養成所(員)の歌
東電学園高等部生徒の歌

作詞:掛川旭朗至、作曲:加納時男

 時代の潮に先がけて
 文化の光 高くかざす
 大電力のこの学園
 理想に燃える君と僕
 おおわれら東電の
 明日の希望 明日の希望

 都や里の闇を拭い
 科学の恵み広くはこぶ
 大電力のこの学園
 腕みがきあう君と僕
 おおわれら東電の
 明日の力 明日の力

 この国の富増すために
 エネルギー源絶えずおくる
 大電力のこの学園
 肩くみかわす君と僕
 おおわれら東電の
 明日の担い手 明日の担い手


東電学園歌
作詞:阿部文彦、作曲:石井 歓

 緑に映える百草丘
 我等はここに集いきて
 ともに鍛えるわが学園
 見よこの歩みこの力
 希望の朝が明けてゆく

 大東電の新しき
 要はここに築かれて
 果てなく伸びるわが学園
 見よたくましきこの力
 広がる空に風さやか

 輝く明日をめざしつつ
 大電力のゆるぎなき
 理想に燃えるわが学園
 見よこの若さこの力
 まばたく星に夢多し


Dsc03959 除幕式のステージ上には、作曲者でもある自民党加納時男参議院議員、1期から数学を指導され作詞者でもある阿部文彦先生、書道の授業でもお世話になった砂田千磨先生が登壇された。加納議員は原子力のみならず、日本の国家エネルギー戦略の提案をはじめとして、よく存じ上げていたが、作曲者とはこれまで知らなかった。猛省。

Dsc03967 毎年恒例となっている日本テレビ『24時間テレビ 愛は地球を救う』で、長距離マラソンがあり、今年は芸人のアンガールズが走ったがその指導を行っているのが、10期卒業で現在は株式会社ランナーズ・ウェルネス代表である坂本雄次氏。ご講演を頂いたのち、起伏の激しい百草山を走る。

Dsc03974 最後は、受付後に記入したそれぞれの想いを書いた紙をすべてつなぎ合わせたものに「ありがとう高等部」の文字を加え、現役・吹奏楽部とOBによるファンファーレの演奏とともに、ご披露。
 そして、全員が見守るなか、校旗をゆっくりと降ろして、「東電学園高等部 恩師・同窓と語る集い」は終了した。

 母校が無くなるとは寂しいものである・・・・。何ともいえない気持ちをもちながら、帰りはバスではなく、徒歩で京王線聖蹟桜ヶ丘駅まで戻った。

Dsc03979 車に乗り、帰路についたところで、埼玉県のA氏からこっちに来たら一緒に食事でも・・・・という電話を頂戴した。
 いま東京にいる旨伝えると、すぐに待ち合わせすることになり、ホワイト餃子が食べられる鶴ヶ島の「はながさ本店」(電話:0120-503-014)に向かう。なぜか気分が餃子?だったので、ホワイト餃子をリクエストしたのである。無事、A氏とお店の前で会うことができ、お店に入る。
Dsc03982 色々と悩んだあげく、「ラーメン餃子定食 924円」を注文し、色々な話をしながら料理の到着を待つ。
 これまでホワイト餃子とラーメンを一緒に食べたことはないので、期待が大であったが、注文して届いたのは、まずラーメンとザーサイ、きゅうり、メンマ、しば漬けの漬物セット、そしてライスであった。
Dsc03981 ラーメンの麺を啜っては、ご飯を口に入れ、さらに餃子を入れ込む「麺-飯-餃」や「餃-飯-汁」などのコンビネーションを楽しみたいのである。しかし、餃子は10分ほど遅れるとのことで、結局、ラーメンライス状態で食べることになった。ラーメンは焦がしたような香りがついた醤油味で、麺はツルツルの細い縮れ麺。
Dsc03985特に可もなく不可もなく、薄めの尾道ラーメンといった感じである。ラーメンを食べ終わったころにやっと餃子が到着。カリカリの厚い皮にかぶりつくと口いっぱいに肉汁が広がる。すでにラーメンとライスでお腹いっぱいであったが、あっという間に6個を完食。

 食後、そのまま帰路につく予定であったが、A氏との話が尽きず、車を駐車場に入れ、スナックにて懇談。

2006年11月 2日 (木)

議員の仕事は変わらず?定数問題

Dsc038921 2時、就寝。7時、起床。もらった大根からとった菜っ葉が大量にあり、母が人参とともに炒め、ゴマと塩で味つけしていた。そのまま食べてもいいが、結構かさがあるのでで、卵とじにしてもらい、納豆とともに朝食にする。9時過ぎ、市役所に向かう。

Dsc03894 10時から議会運営委員会。いよいよ今日で議員定数に関する議論の決着である。
 結論からいけば、 「決裂」 であった。
 この議会運営委員会で全会一致になれば良かったのであるが、意見の一致をみない以上、今後は議場でのガチンコ勝負となる。
 議員定数削減もしくは法定の30名どおりはいかがなものか、と主張するのは、我が会派・整友会、公明党、民友の3会派、他の会派は法定数限度いっぱいの30名でいくとの意見が開示された。
 30名定数を主張する会派からは、議員の数が減ると地域の声が届かなくなるとの意見があった。この議論には、議員の仕事の質はそのまま変えなくて良いという考えがあるように思う。これだけITも発達し、インターネットやメールを使える市民が増えるなか、議員はそれを有効に使うことなく、今まで通りの仕事のやり方で意見を聞くというのである。ITを使えば、時間と場所によらず、メールやさらに言えばFAXで意見を述べたり、接触することも可能である。議員の数が多くないと意見が聞けないというのは、進歩しないに等しい。
 また、合併の議論の際、次回選挙は30名で決まったと主張し、「次回選挙は定数33を30に減らす」ということで市民は理解しているという。しかし、これは誤解である。
 合併時の議員定数に関する小委員会で決めることができるのは、定数特例をいつまで使うかということであり、議論をした結果、平成19年度選挙は、特例を使わず、法定数30名の原則に戻るとした。もちろんのことながら、小委員会自体には、次回選挙全体の定数を決める権限はない。
 今回は、この原則である法定数30名で良いのかどうか、という議論である。
 議会のなかの議論は市民の感覚とはかけ離れているのではないだろうか?

Dsc03899 市役所から自宅に戻り、自分の食事を作る暇がなく、急いで「マルちゃん 麺づくり 鶏だし塩」で昼食。
 15時過ぎまで、某所にて相談を受ける。働く場所がやっと見つかったものの、子供を預ける場所もなく、父子家庭のつらさが伝わってきた。取り急ぎ、元気館のファミリーサポートセンターを紹介する。

Dsc03906 夕方、鮭が大量に獲れたとのことで、何本が頂戴した。ふてぶてしい顔つきのオスやパンパンに腹の張ったメスなど、知人に数本配り、残ったメスをさばく。お腹の子はイクラ状態にし、醤油に漬け込む。身は発酵バターを使ってムニエルにし、トマトケチャップをかけ、夕食にする。

Dsc03907 親戚からもらった蕪、人参を浅漬けにした。今回は非常に出来が良く、塩梅もちょうど良かった。美味しい漬物があると食卓は楽しくなるものである。
 漬物をバリバリやりながら、パソコンに向かう。

2006年11月 1日 (水)

「戦艦 大和」と奇跡の船「宗谷」

 なかなかアイデアが湧かず企画書が遅れ、あっという間に6時近く。さすがに眠くなり、キーボードの上に突っ伏して、気づいたら9時前・・・。

F1000001_38  10時過ぎ、甥っ子が来たので、午前中の商品の発送などを手伝わせながら、市内まわり。
 柏崎郵便局の駐車場から荷物を窓口まで持たせて、窓口で「お願いします」を言うように躾ける。よく発音できず「・・・しまっしゅ」となったが、よくできたので、行きたいとせがむラパークへ。美しい店員さんのいるクレープ屋さんでブランチとして、バナナチョコクレープを食べ、甥っ子には小さい100円のソフトクリーム。母親である妹に黙って、甘いものを食べさせる「いけない叔父さん」である。

F1000002_22 昼過ぎから弔問や挨拶周りなど。
 19時から柏崎青年会議所の委員会活動。目的の議論が一通り終わった後、柏崎のまちづくりと来年の柏崎青年会議所50周年記念事業との兼ね合いで活発な議論になる。それぞれに熱い。

Dsc03890  チャンネル桜でもキャスターをされている桜林美佐氏(心の中での呼称は「ミシャミシャ」)が、「昭和を走り続けた海の守り神」との副題で、『奇跡の船「宗谷」』を上梓され、早速、お送り頂いた。
 初代南極観測船「宗谷」は、昭和31年11月8日、南極まで2万キロの航海に旅立った。「宗谷」という船は、南極へ向かうために建造された船ではなく、建造18年の老朽船。一般的に船の寿命は約20年であるため、ほぼ寿命がきているオンボロ船であった。それを改装し、南極への危険な航海にでたのである。敗戦により、日本がまだ本格的に国際復帰していないなか、あえて南極への危険な旅を行うことで、日本の底力を世界に見せ、意気消沈している日本人を勇気づけるためであった
 オンボロ船「宗谷」の改装にあたったのが、船舶設計協会。この協会は、「戦艦 大和」を設計した牧野茂氏など、高い技術力で世界を驚かせた元・日本海軍の技師の集まりであった。改造工事の監督官は、この本でもインタビューに答えている徳永陽一郎氏。(ちなみに田形先生も登場)
Dsc03892 あえて例えれば、放射能を除去する「コスモクリーナーD」をとりにイスカンダルへの14万8千光年の長く危険な旅に出た、改装した「戦艦 大和」、つまり「宇宙戦艦ヤマト」のようなものである。(強引?)
 そもそもこの「宗谷」、大東亜戦争中も南方戦線へ食料や物資を運ぶ任務に着いていた船であり、しかも「駆逐艦 雪風」のように、いくら攻撃を受けても損害が軽微という幸運が続いた。
 ・・・・とこういった感動の秘話があるので、多くの皆さんにお読み頂きたい本。

*牧野茂氏、海保 徳永陽一郎氏の著書

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