鯨と靖國、鯨の味噌汁は夕顔とともに!
2時過ぎ、自宅に戻る。まだ風邪が直っていないのか、寒くなったからなのか、喉が痛く、酔っていながらも風邪薬を飲む。3時就寝。目が覚めたら8時過ぎであった。黒豆納豆と引き割り納豆のダブル納豆ご飯で朝食。
9時から打ち合わせ2件。
甥っ子がオタフク風邪(流行性耳下腺炎、ムンプス耳下腺)にかかってしまい、病院に行くことになった。かなり重いようなので、診察に時間かかることから姪っ子を預かる。
オタフク風邪は潜伏期間があるので、おそらく姪っ子もそのうちかかるであろう。納豆と卵でご飯を作り、母親(妹)の知らぬ間にまたも納豆英才教育。
母が帰ってくるなり、「あれ、孝欧はオタフクしたっけかな?」。
・・・・・・・・危険である。
母に姪っ子を任せ、夕方まで市内まわり。
19時過ぎ、軍鶏のモモ肉をクレイジーソルトで焼いた塩焼きと水菜のサラダを中心にして夕食。軍鶏のギュギュと歯にきしむような歯ごたえと、筋肉の旨みが後を引く。軍鶏肉も頂き物でなければ、なかなか食べるチャンスは少ない。
食べるチャンスが少なくなったといえば、鯨肉。脂身が多い鯨の塩漬け、夕顔で作る味噌汁は柏崎への夏の到来を教えてくれる。
鯨肉の刺身、鯨の竜田揚げ、鯨ステーキ、鯨カツ・・・特に鯨カツは学生時代、新宿のしょんべん横丁でソイ丼(カレー風味の大豆とひき肉、ハムがのった丼もの)とともに定番のメニューであった。食べようとするとすぐ衣が外れるので、また衣を着せて、ソースをかけるのが楽しかった。
日本人は鯨の肉を食べるだけではなく、骨を畑にまき、ヒゲを伝統芸能「文楽」に使ってきた。日本の文化のなかに鯨は欠かせない・・・・・・(鯨波の方向を見ながら)。
平成18年8月10日『週刊新潮』
変見自在 帝京大学教授 高山正之
鯨 と 靖 国
さきの戦争では、日本は米国のほか、欧州のほとんどの国と戦ったことになっている。
その証拠に戦後、日本から賠償金を取り立てる行列には英、仏、蘭、ソ連のほか枢軸国仲間のイタリアも永世中立国のスイスも並んでいた。
スイスは一般にはウィリアム・テルの国みたいに言われる。しかし実際にはナチの犠牲になったユダヤ人の財産を横鎖したり、敗戦日本にたかったり、どちらかと言えば悪代官ゲスラーに近い素顔を持っている。
戦争もしないで儲けたスイスはともかく、日本と戦った英仏蘭は「ひどい目にあったlと国際経済学者のジャン・ピエール・レーマンが正直に語っている。
例えば戦前の英国はインドやビルマを、フランスは仏印を植民地にし、阿片を売り、子供にまで税を課して、その上がりで豊かに暮らしてきた。
ところがあの戦争で日本にあっさり負け、気がついたら彼らは貧しい欧州の小国に戻っていた。
「日本は負けたが、それは米国が勝っただけで、これらの国々は負けて植民地を失い、兵士は捕虜にされた。その屈辱は晴らせなかった。それが戦後の対日観の根底にある」と。
だから日本人が焼け跡で立ち尽くしている問はまだよかったが、いつの問にか新幹線を走らせ、ニコンやソニーが売れ始めると、もう腹立たしくなる。
オランダは腹いせに二度目の賠償を取り、フランスは日本の首相をトランジスタ商人とくさし、元捕虜のピエール・プールは日本人を猿に擬し、「猿の惑星」を作って侮辱した。
あいにく日本人はこういう悪意に鈍感で、この映画は日本で大ヒットし、彼をもっと悔しがらせた。
広島、長崎で原爆実験もやり、十分に憂さを晴らしたはずの米国も、気がつけば沖縄をただで返還させられ、安全保障はただ乗りされ、おまけに対日貿易赤字がやたら膨らんでいた。 こたえない日本に、彼らが再び手を組んで苛めを計画した。捕鯨禁止だ。
米国はメルヴィルの時代から好きに鯨を獲りまくった。彼の「白鯨」にあるように皮下脂肪から取れる鯨油が目的で「オレンジのように鯨を剥き」あとは海に捨てていった。
戦後も鯨油は車や飛行機の最高の潤滑油として珍重されたが、対日赤字が問題になってきたころ、鯨油に代わる合成油が誕生した。
米国の捕鯨は終った。英仏も状況は同じだが、日本だけは違った。鯨は日本人の文化であり資源だった。
70年代末、国際捕鯨委に出た日本は吃驚する。加盟15ヵ国の会議に新たに24ヵ国もが入ってきた。いずれも鯨とは無縁のケニアやセネガルなど英仏の元植民地と米国の裏庭に住むドミニカ、そしてゲスラー・スイスもいた。
おまけにそれらの国の代表には、シドニー・ホルトなど英米の知られた自然保護運動家が座っていた。
かくて日本苛めの捕鯨禁止が大勢を占め、会議場では日本代表に英仏の運動家がインクをかけたり、唾を吐きかけたり。場外からはポール・マッカートニーが「人間の友、鯨を食う日本人は人肉食い野郎だ」 と発言したのもこのころだ。
日本人が標的だったのは、同じ捕鯨国のノルウェーやエスキモーはこの批准から除外されたことでわかる。
かくて焼け跡時代も通して日本人のエネルギーだった鯨のベーコンもサラシ鯨も尾の身も、食卓から奪い取られた。すべては感情的な苛めからだった。
日本人は怒った。珍しく役所も一緒に20年、この不当な扱いに抵抗した。
こういうときは歩調を乱すものが必ず出てくる。このときは朝日新聞だ。「鯨を食わなくてもいいじやないか。世界を敵にするより鯨を諦めよう」と。
別に鯨が食いたくて抗議しているのではない。それを百も承知で、論理をみごとにすり替える。
靖國神社がどうの、A級戦犯がこうのと、中国人や朝鮮人が騒いでいる。
日本人は、よその国が日本人の心のあり方にまで口を挟んでくることが失礼だといってきた。
そうしたらまた朝日がへンなメモをもとに、「昭和天皇のお言葉」だから分祀しようとか言い出す。
ここでも論旨をみごとすりかえる。韓国人スリ団よりたちが悪い。
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幕末にアメリカ合衆国が日本に開国を求めたのは、
当時、太平洋で盛んだった捕鯨のために石炭や水を
日本において求める必要があったためです。その
アメリカが今では反捕鯨を叫ぶのもおかしな話です。
「鯨を食うジャップは野蛮だ」という言葉に対しては
フロンティア・スピリットの名のもとにバッファロー
を狩りつくして絶滅せさせたり、先住民族を迫害して
僻地に追いやったのは誰だと言いたいです。
こういう史実は、学校できちんと教えるべきだと
思います。
投稿: | 2006年11月 9日 (木) 19時29分
コメントの書き込みありがとうございます。
おっしゃる通り、こういった史実は総合学習の
時間など、生徒自らが考える時間に勉強してもらい
たいものです。
合わせてアメリカのネイティブ・アメリカンへの
愚民化政策、イギリスによるインド人の愚民化政策
なども学んでもらえれば、本当の世界史が見えて
くるのではないかと思います。
投稿: 三井田孝欧 | 2006年11月14日 (火) 21時35分