「戦艦 大和」と奇跡の船「宗谷」
なかなかアイデアが湧かず企画書が遅れ、あっという間に6時近く。さすがに眠くなり、キーボードの上に突っ伏して、気づいたら9時前・・・。
10時過ぎ、甥っ子が来たので、午前中の商品の発送などを手伝わせながら、市内まわり。
柏崎郵便局の駐車場から荷物を窓口まで持たせて、窓口で「お願いします」を言うように躾ける。よく発音できず「・・・しまっしゅ」となったが、よくできたので、行きたいとせがむラパークへ。美しい店員さんのいるクレープ屋さんでブランチとして、バナナチョコクレープを食べ、甥っ子には小さい100円のソフトクリーム。母親である妹に黙って、甘いものを食べさせる「いけない叔父さん」である。
昼過ぎから弔問や挨拶周りなど。
19時から柏崎青年会議所の委員会活動。目的の議論が一通り終わった後、柏崎のまちづくりと来年の柏崎青年会議所50周年記念事業との兼ね合いで活発な議論になる。それぞれに熱い。
チャンネル桜でもキャスターをされている桜林美佐氏(心の中での呼称は「ミシャミシャ」)が、「昭和を走り続けた海の守り神」との副題で、『奇跡の船「宗谷」』を上梓され、早速、お送り頂いた。
初代南極観測船「宗谷」は、昭和31年11月8日、南極まで2万キロの航海に旅立った。「宗谷」という船は、南極へ向かうために建造された船ではなく、建造18年の老朽船。一般的に船の寿命は約20年であるため、ほぼ寿命がきているオンボロ船であった。それを改装し、南極への危険な航海にでたのである。敗戦により、日本がまだ本格的に国際復帰していないなか、あえて南極への危険な旅を行うことで、日本の底力を世界に見せ、意気消沈している日本人を勇気づけるためであった。
オンボロ船「宗谷」の改装にあたったのが、船舶設計協会。この協会は、「戦艦 大和」を設計した牧野茂氏など、高い技術力で世界を驚かせた元・日本海軍の技師の集まりであった。改造工事の監督官は、この本でもインタビューに答えている徳永陽一郎氏。(ちなみに田形先生も登場)
あえて例えれば、放射能を除去する「コスモクリーナーD」をとりにイスカンダルへの14万8千光年の長く危険な旅に出た、改装した「戦艦 大和」、つまり「宇宙戦艦ヤマト」のようなものである。(強引?)
そもそもこの「宗谷」、大東亜戦争中も南方戦線へ食料や物資を運ぶ任務に着いていた船であり、しかも「駆逐艦 雪風」のように、いくら攻撃を受けても損害が軽微という幸運が続いた。
・・・・とこういった感動の秘話があるので、多くの皆さんにお読み頂きたい本。
*牧野茂氏、海保 徳永陽一郎氏の著書
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