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2006年11月 3日 (金)

母校閉校:東電学園、日常の五心

F1000003_23 仕事がはかどらず、結局、徹夜となり、3時過ぎ、車で東京に向かう。都内に入ったことろで少し仮眠。8時過ぎ、某氏から電話が入り、近くで会うことになった。時間も時間ということで、マクドナルドに入って朝食を食べながら話すことになった。しかし、朝がパン(マフィン)ではカロリーは十分ではあるが、力が入らない。

Dsc03930 京王線聖蹟桜ヶ丘駅近くに車を置き、10時前、懐かしの母校、東電学園高等部に到着。柏崎第一中学校を卒業したのち、この全寮制の男子校(のちに共学化)に昭和63年、 35期生として入学した。

*写真は、東電学園高等部「日常の五心」
 「はい」という素直な心
 「すみません」という反省の心
 「おかげさまで」という謙虚な心
 「私がします」という奉仕の心
 「ありがとう」の感謝の心

 来年の3月で閉校、53年の歴史を閉じることになったため、「東電学園高等部 恩師・同窓と語る集い」が本日開催された。
 お世話になった会社に楯突くわけでもなく、また自分が卒業生だからというわけでもないが、この東電学園の閉校は、「決断ミス」だと思う。特に原子力部門については、こういった教育機関でしっかり鍛えられた現場の技術員が求められる。いまこそ東電学園に込められた木川田一隆の想いを再考すべきときであろう。

Dsc03927 52年前、東京電力の技術的な社員養成所として出発。当時は、多少の雨が降っただけで、停電するような時代。設備の不足を、人材で補う必要があった。
 当時の1~3期生の写真を見ると、軍隊のような訓練風景であるが、目がギラギラしており、戦後復興への意志が感じられる。
Dsc03922 また、全国津々浦々に電気が通っているような時代ではなかったため、電気の通っていない小さな島に行き、電柱を立ててくる実習があったそうである。実習終了後、島民に感謝をもって見送られる感動のシーンを納めた写真もあった。

Dsc03940 1期生の頃から技術指導をされていた竹内先生は、東京電燈に入社し、大東亜戦争中は満州にいらっしゃたそうである。満州は最新の電気技術を持ち込み、日本国内より進んでいたという。敗戦後、その経験を持ち帰り、東京電力に入社し、ずっと指導にあたられていた。ちなみに、「電験」といわれる国家資格である電気主任技術者試験の問題作成者でもある。
 日本の戦後復興、経済成長もあり、配電技術に加え、昭和31年に火力、昭和32年に送電、昭和36年に発変電のクラスが追加され、昭和39年には、木川田一隆社長の肝いりで東電学園に組織を改称。木川田イズムは今後、紹介していきたいが、その理想に向けての事業が東電学園であった。
*GHQによるエネルギー業界を巻き込んだ日本弱体化政策をも、したたかに利用し、電力業界を再編するなどの功績もある。
Dsc03935 家庭環境による学業の不平等を無くして、能力主義による人材を育成。東京電力という会社内だけではなく、人材を社会に還元するという大きな目的をもっていた。そのため、講師は一流生徒は五流?とも揶揄されたが、そのときの人脈はいまだ生きている。
 高等部のみならず大学部もそうであったが、電気・化学・原子力関係は東大、数学関係は早稲田、文学は慶応・上智、外国語は東京外語大の教授陣であり、個人的に「なんちゃって学生」としてキャンパスまで出かけ、講義も受けさせてもらった。
 東京大学名誉教授、新潟産業大学の吉田邦夫学長も東電学園で授業をもたれたことがある。

Dsc03934 部活の顧問も一流どころで、所属した柔道部の顧問、真保三義先生は、あの三船久蔵十段の最後の弟子であった。使い込まれた黒帯は見たことがあっても、使い込まれた紅白の帯(六段から八段)を見るのは初めてであった。その割には、都大会でも上位に入ることができなかった自分も情けない。

Dsc03910 受付を終え、校舎に近づくと、入学期別に学校への想いを書くスペースがあった。先に書いた人のパターンを見てみると、期数、所属した部活などを書いているようだったので、

「35期 情報通信科 柔道部 コンピュータ部
   三井田孝欧 クラスの半分が社会に旅立ちました」

と記入。実際、クラスメイトの半分は、東京電力を退職し、各分野に進出していった。
Dsc03932 書き終えたあと、久々に会った同期生は、頭頂部が怪しくなってきている者あり、太った者ありで軽口を叩きながらの楽しい再会となった。
 早々に結婚した同期のYは、小学校3年生の息子を連れてきていた。小学校3年生の子供がいることにも驚きだが、息子に親父の母校を見せたいと思って来たという。羨ましい。
Dsc03948 13期卒業の坂田敏雄氏が代表を務められている和太鼓集団「佐倉太鼓衆」の演奏をはじめとし、各種のイベントがスタート。
 7期卒業の楯正男氏による「南京玉すだれ」は、懐かしい感じもし、会場は「あっ、さて、あっ、さて」の掛け声で盛り上がった。絶妙の「安来節どじょう掬い」も見せて頂いた。次回のクラス会でのネタにパクらせてもらおう。
 ステージ上では懐かしい恩師のスピーチなどがあり、

 「生徒んとき、ジジィだった先生は
          今も変わらずジジィだな・・・」

と敬愛を込めながらも、突っ込みに困るような微妙なギャグも会場からでていた。
Dsc03954 諸先輩がいるなか、振る舞い餅の餅つきに参加させてもらい、ステージ上でエイッ、エイッと2回つく。豪快につきたかったが、杵が細く、勢いがつかなかった。臼の端っこを叩いて、シーチキン(木のかけら)をださないだけでも良かったような気もする。学生時代には毎年、寮恒例の餅つき大会があり、シーチキン(木のかけら)をだしたものは後から恨まれ、配布量も減らされるという特典?があった。

Dsc03969  最後の51期生による実習披露も行われ、懐かしい電柱での訓練を思い出した。
 3点支持を注意されながら電柱に上り、柱上でキャッチボールをする訓練や突然、「この道具の名前を言え!」と質問されることもあり、間違うと腕立て伏せ等の基本運動の刑が待っていた。
Tanark  同期の某は、リードラチェット型ねじ切器の名称を突然質問され、その前の授業が数学であったからか、

 「それは・・・アークタンジェント型ねじ切器っす!」

と答え、腹筋運動の刑になっていたことを思い出す。

Dsc03963 歴史を刻む記念碑の除幕式も行われた。記念碑には、歴代の東電学園の校章と『養成所(員)の歌、東電学園高等部生徒の歌』の歌詞、『東電学園歌』の歌詞が刻まれた。


養成所(員)の歌
東電学園高等部生徒の歌

作詞:掛川旭朗至、作曲:加納時男

 時代の潮に先がけて
 文化の光 高くかざす
 大電力のこの学園
 理想に燃える君と僕
 おおわれら東電の
 明日の希望 明日の希望

 都や里の闇を拭い
 科学の恵み広くはこぶ
 大電力のこの学園
 腕みがきあう君と僕
 おおわれら東電の
 明日の力 明日の力

 この国の富増すために
 エネルギー源絶えずおくる
 大電力のこの学園
 肩くみかわす君と僕
 おおわれら東電の
 明日の担い手 明日の担い手


東電学園歌
作詞:阿部文彦、作曲:石井 歓

 緑に映える百草丘
 我等はここに集いきて
 ともに鍛えるわが学園
 見よこの歩みこの力
 希望の朝が明けてゆく

 大東電の新しき
 要はここに築かれて
 果てなく伸びるわが学園
 見よたくましきこの力
 広がる空に風さやか

 輝く明日をめざしつつ
 大電力のゆるぎなき
 理想に燃えるわが学園
 見よこの若さこの力
 まばたく星に夢多し


Dsc03959 除幕式のステージ上には、作曲者でもある自民党加納時男参議院議員、1期から数学を指導され作詞者でもある阿部文彦先生、書道の授業でもお世話になった砂田千磨先生が登壇された。加納議員は原子力のみならず、日本の国家エネルギー戦略の提案をはじめとして、よく存じ上げていたが、作曲者とはこれまで知らなかった。猛省。

Dsc03967 毎年恒例となっている日本テレビ『24時間テレビ 愛は地球を救う』で、長距離マラソンがあり、今年は芸人のアンガールズが走ったがその指導を行っているのが、10期卒業で現在は株式会社ランナーズ・ウェルネス代表である坂本雄次氏。ご講演を頂いたのち、起伏の激しい百草山を走る。

Dsc03974 最後は、受付後に記入したそれぞれの想いを書いた紙をすべてつなぎ合わせたものに「ありがとう高等部」の文字を加え、現役・吹奏楽部とOBによるファンファーレの演奏とともに、ご披露。
 そして、全員が見守るなか、校旗をゆっくりと降ろして、「東電学園高等部 恩師・同窓と語る集い」は終了した。

 母校が無くなるとは寂しいものである・・・・。何ともいえない気持ちをもちながら、帰りはバスではなく、徒歩で京王線聖蹟桜ヶ丘駅まで戻った。

Dsc03979 車に乗り、帰路についたところで、埼玉県のA氏からこっちに来たら一緒に食事でも・・・・という電話を頂戴した。
 いま東京にいる旨伝えると、すぐに待ち合わせすることになり、ホワイト餃子が食べられる鶴ヶ島の「はながさ本店」(電話:0120-503-014)に向かう。なぜか気分が餃子?だったので、ホワイト餃子をリクエストしたのである。無事、A氏とお店の前で会うことができ、お店に入る。
Dsc03982 色々と悩んだあげく、「ラーメン餃子定食 924円」を注文し、色々な話をしながら料理の到着を待つ。
 これまでホワイト餃子とラーメンを一緒に食べたことはないので、期待が大であったが、注文して届いたのは、まずラーメンとザーサイ、きゅうり、メンマ、しば漬けの漬物セット、そしてライスであった。
Dsc03981 ラーメンの麺を啜っては、ご飯を口に入れ、さらに餃子を入れ込む「麺-飯-餃」や「餃-飯-汁」などのコンビネーションを楽しみたいのである。しかし、餃子は10分ほど遅れるとのことで、結局、ラーメンライス状態で食べることになった。ラーメンは焦がしたような香りがついた醤油味で、麺はツルツルの細い縮れ麺。
Dsc03985特に可もなく不可もなく、薄めの尾道ラーメンといった感じである。ラーメンを食べ終わったころにやっと餃子が到着。カリカリの厚い皮にかぶりつくと口いっぱいに肉汁が広がる。すでにラーメンとライスでお腹いっぱいであったが、あっという間に6個を完食。

 食後、そのまま帰路につく予定であったが、A氏との話が尽きず、車を駐車場に入れ、スナックにて懇談。

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コメント

こんにちは!学校閉園、寂しいですね。ところで、三井田さんほっそりしたのでしょうか?なんか少~しやせたように見える写真です。私も今「痩せ」が期待できる状態、口の中に潰瘍が出来て物が食べにくいんですよ!痩せたらしあわせだな~。

投稿: くま1 | 2006年11月 7日 (火) 13時13分

 くま1さん、コメントありがとうございます。
 母校が無くなり、寂しいところです。
 痩せたように見えるのは、写真のせいでしょうか。残念ながら特には変わっておりません。
 潰瘍とのこと、十分ご自愛下さい。

投稿: 三井田孝欧 | 2006年11月 9日 (木) 01時09分

覚えていらっしゃるかわかりませんが、以前研修でご一緒させていただいたものです。
あれから数年経って、学園祭で見かけたときはびっくりいたしましたが、お元気そうで何よりでございます。
これからのご活躍に期待しております。がんばってください。
私は、微力ながら木川田イズムを継承していきたいと思っております。

では

投稿: vitamin24 | 2006年11月20日 (月) 23時51分

 vitamin24さん、コメントありがとうございます。
 ハンドルからは想像できませんが、その節はお世話になりました。
 木川田イズムを伝え、母校に誇りをもっていきたいと思っております。
 今後とも宜しくお願いいたします。

投稿: 三井田孝欧 | 2006年11月22日 (水) 01時14分

直接は関係ありませんが、先日、電気工事の人たちを見かけました。電柱から下りて、近くに止めてあるトラックまで何か(工具? 資材?)を取りに行くときに、小走りしているのを見て、好感を持ちました。

投稿: 三角ム | 2006年11月27日 (月) 19時16分

 三角ムさん、コメントありがとうございます。
 某宅配便会社は、印象のためにも小走りが義務づけられているそうですが、私が研修を受けたときは、確実さを増しながら、とにかく早く行うよう指導されました。
 遅く行うのはいつでもできる、停電など災害発生時のために、とにかくスピードに絶える訓練を行うとの方針でした。

投稿: 三井田孝欧 | 2006年12月 2日 (土) 01時51分

ここを卒業したやつらは
洗脳されて今回の大惨事も
なんとも思わないだろうな。
本当に東電は糞

投稿: 被災者 | 2011年11月26日 (土) 18時41分

 被災者さん、コメントありがとうございます。
 煽られておりますが、私も卒業生であり、「大惨事を何とも思わない」などということはありません。

投稿: 三井田孝欧 | 2011年11月27日 (日) 01時19分

東電学園は、わが母校ですから、さびしい
学生時代は、よく百草山に行きました。
 確か「山は緑」、これが石に刻まれていましたので、よくそこに行って瞑想してました。 大学部1期生でした。
 なつかしいなあ・・

投稿: 小林 | 2012年1月15日 (日) 11時15分

 小林さん、コメントありがとうございます。
 先輩とのご縁に感謝しております。
 今後とも宜しくお願いいたします。

投稿: 三井田孝欧 | 2012年1月27日 (金) 13時42分


28期生です
ちまちゃんの本名って何て言うんだっけ?
だれか教えてくれ

投稿: | 2012年4月10日 (火) 15時58分

 名無しさん、コメントありがとうございます。
 28期の先輩とのことで驚いております。
 砂田先生のご本名ですが、私も存じ上げず申し訳ありません。

投稿: 三井田孝欧 | 2012年4月23日 (月) 12時06分

私の名前だけを書いて覚えておりますか?
33期のコンピュータ部の「先輩(笑)」です。
ご活躍されているようで、先日もテレビに出演されたときにびっくりしてしまいました。
自分は早々と退職して、芸能界に少しだけ足を踏み入れましたが大成せずに・・・と長くなってしまいますので、後ほどメールさせていただきたいと思います。
大変かもしれないですが、私からの「無茶ぶり」に耐えた三井田さんなら政治家として成功すると思いますので、無理しない程度に頑張ってください。
長々失礼いたしました。

投稿: しげひと | 2012年5月 7日 (月) 01時52分

 しげひとさん、コメントありがとうございます。
 またご無沙汰しております。
 私も細々とやっておりますが、またお会いした際にでも色々とお話できればと幸いです。
 今後とも宜しくお願いいたします。

投稿: 三井田孝欧 | 2012年5月15日 (火) 12時20分

はじめまして。
私は三井田さんが東電学園に在籍中に先生としていました。今思うと胸を張って指導をしていたと言えるかわかりませんが、震災以降、被災者の方々の一時帰宅のお手伝いをさせて頂きました。これからも機会を見つけお手伝いをして行きたいと思います。
三井田さんの活躍を期待します。

投稿: ないせん | 2012年7月12日 (木) 18時27分

 ないせんさん、コメントありがとうございます。
 またその節はお世話になりました。
 頂いたご指導を忘れず、前を向いて生きていきたいと思いますので、今後とも宜しくお願い致します。

投稿: 三井田孝欧 | 2012年7月24日 (火) 12時49分

東電学園 いつの間にか
閉校になっていたのですね。

私が子供のころは、中学にも入学案内が
貼ってあったり、東電学園の人がラジオ
番組にリクエストしていたり、よく学校名を聞きました。

 最近は、技術屋を自分たちで
育成していくんだという気風の溢れた
会社がすっかり減ってしまい、
寂しい限りです。

投稿: ラインマン | 2012年7月29日 (日) 16時13分

 ラインマンさん、コメントありがとうございます。
 ご指摘の通り、東電学園を閉鎖したのは技術屋、人材育成の点で、決断ミスと思っております。
 とにかく学歴をつけるという選択肢もあれば、技術屋として実務を通じ職人の道を選ぶこともおかしくないはずなのですが、前者の方に力を注ぐ世の中になったのは寂しいところです。

投稿: 三井田孝欧 | 2012年8月14日 (火) 16時40分

僕は卒業寸前に自主退学し、通信系の会社に入ってしまったため閉校式に顔をだせずにいましたが、中身がかなり変わったと同じく卒業生の兄から聞きました。

学園は懐かしいけど、もう行きたくないです(笑)

三井田先輩、頑張ってください。

投稿: みーにゃ | 2013年1月12日 (土) 21時11分

 みーにゃさん、コメントありがとうございます。
 私の同期で同じコース(電気通信)も多くが卒業後に別の道に行きました。木川田一隆氏の構想では、社会に資する人材の輩出が主たる目的ですので、それぞれの人生ということで良いのではないでしょうか。

投稿: 三井田孝欧 | 2013年1月16日 (水) 16時54分

ひょうんなことから東電学園を検索していてこのサイトを知りました。三井田さんは私は面識がないのですが、私も15期の配電卒です。
その後28期生から35期生、45期生から51期生までの間教諭として2回東電学園に勤務しておりました。
三井田さんの「恩師・同窓と語る集い」のご感想には主催者側として私もうれしくなりました。本当に寂しい限りですが、これも会社の決定であればどうにもなりません。
私は最後の最後まで高等部に残り、記念誌、石碑、記念館などの完成、勝俣社長の除幕式等のお手伝いをし、閉校後の残務処理まで行いました。高等部がなくなったことで私の東電での仕事も終わったと、残務処理が終わったのを確認して退職しました。
もうこのような学校は二度と作ることは出来ないでしょう。残念なことです。

投稿: 伊藤 正弘 | 2013年10月22日 (火) 21時59分

お久しぶりです。(覚えてるかな?)
三井田さんのご活躍を
HP等でいつも拝見しています。
東電は早々に退職しましたが、
まさかのNTTグループ入りです。
またいつか同期で会えるといいですね。

投稿: 坂野 真琴 | 2013年10月24日 (木) 14時36分

 伊藤さん、コメントありがとうございます。
 東京電力へのバッシングが強くあり、中でも現場力の低下などの指摘があります。その意味では、学園が果たした意味は大きかったと感じております。
 ご指摘の通り、あれだけの講師を揃えた学校はもうできないと思います。
 東京電力が技術集団として再生するためには、東電学園での現場の人材教育が欠かせないのではないでしょうか。
 ちなみに恩師のO先生も本ブログをご覧頂いており、いまでもお世話になっております。

投稿: 三井田孝欧 | 2013年10月24日 (木) 19時46分

 坂野君、お久しぶりです。
 またコメントありがとうございます。
 同期で同じコース(電気通信)のメンバーの多くが、卒業後に別の道に行ったこともあり、なかなかクラス会などやれない状況ですが、また是非、会いましょう!

投稿: 三井田孝欧 | 2013年10月24日 (木) 20時16分

お久しぶりです。
お元気にご活躍されているご様子を拝察して、嬉しく思っています。
コメントに知っている名前を見かけて、懐かしくなり思わず書き込んでしまいました。
私も「早々に社会に旅立ってしまった」一人ですが、その後、地元の茨城で働き始めて現在14年目です。月日が経つのは本当にあっという間ですね。学園では本当にいろいろな方にお世話になって思い出深いところなので閉校してしまったのはとても残念です。
三井田様ならびに同期の皆様のご健康とさらなるご活躍をお祈りしています

投稿: 福井 | 2014年7月13日 (日) 01時27分

 福井君、お久しぶりです。
 なかなかメンバーが揃わないかも知れませんが、クラス会があった際には是非、お会いしましょう。

投稿: 三井田孝欧 | 2014年7月27日 (日) 15時46分

私は卒業生ではないのですが東電の子会社で教室棟と寮棟(建築当時の呼び名ですが)の工事に携わったものです。懐かしく思い検索してこちらを拝見させて頂きました。
高等部の件は残念です。現在は東電学園自体はどうなったのですか。

投稿: イースト | 2014年11月24日 (月) 22時59分

 イーストさん、コメントありがとうございます。
 工事に関わったとのこと、ご縁を感じます。
 私自身、退社したため、詳細は不明ですが、現在の東電学園は建物の一部は流用され、研修センターになっているようです。

投稿: 三井田孝欧 | 2014年11月27日 (木) 23時58分

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