飲み疲れ:フィリピン、リカルテ将軍
3時、就寝。7時、起床。天然のなめこをたっぷりと頂戴したので、またも熱々のなめこ汁にして、納豆ご飯とともに朝食。粉末いりこでダシをとり、なめこ、油揚げ、豆腐を具に米麹の信州味噌で味付け。信州つながりで善光寺・八幡屋礒五郎の唐辛子で辛味と風味を追加し、堪能した。
午前は病院のお見舞いをはじめ、某会の会合2件に顔をだす。酒を注ぎに回るもご返杯を大量に頂戴し、午前中でアップアップ。一回自宅にもどり、着替えをしていると、電話があり、
「おめさん、なぁ~してんだね。
はよ来いてぇ~。西川先生の会だでぇ~」
ゲッ!しっかりと?時間を間違っていた。あわててスーツを着なおし、自転車で会場である産業文化会館に向かう。ステージ上には泉田裕彦知事をはじめ、自民党・近藤基彦衆議院議員、柏崎市長などの来賓がずらりとならび、保守系の市議会議員の先輩も既に座っている。「市議会議員 三井田孝欧」の札のかかった席はもちろん空席。非常に入りづらいなか、ステージの袖から席に座る。 西川勉県議会議員の現役最後の後援会総会ということもあり、会場は満席。柏崎市内の名士の皆さん、各団体・各町内会の重鎮が顔をそろえた。世代的には、場違いの感はあるが、大先輩の政治家である西川県議に勉強させてもらうことも多く、貴重な時間であった。もちろん、西川県議は今期で引退されるが、長くお元気でいてほしいものである。
総会終了後は会場を3階ホールに移し、懇親会。ここまでもビールや日本酒をたっぷりと飲んでいるなか、会場内の知った顔の皆さんにご挨拶し、酒を注いで回る。もちろんのことながらご返杯も多く、一升近くは飲んでいるような感じである。
また、地元の町内会を先にまわるか、親族のいる町内会をまわるかで順番を間違え、某町内の皆様にお叱りを受ける。
赤レンガフォーラムにも行けなくなってしまったので、某氏に聞いてきてもらうようお願いする。
懇親会終了後、外の雨が激しかったことと、だいぶ酔いがまわっていたので、産業文化会館のロビーで自民党の皆さんと休んでいると、書道展をやっているのに気付いた。
「第32回柏崎書道院展」、酔って見ては失礼かと思ったが、「どうぞどうぞ」とのお声があったので、早速、拝見させてもらう。 知っている方も出品されており、じっくりと堪能したなか、特に良かったのが、私の一曲「そのうたによせて」 という企画。好きな歌の歌詞の一片を書にしたためるもので、『川の流れのように』から『幸せになろうよ』など。『チャンチキおけさ』の「知らぬ同志が」も味わい深い。
会場の外にでてから、書道院の先生と懇談をしながらお茶とお茶菓子を頂戴した。酒で腹がいっぱいであったが、温かい緑茶と甘いものは染み渡るように入っていった。
お茶菓子は、魚沼市「甘泉堂(かんせんどう)」(電話:025-792-0419)の和菓子「なごり雪」を頂戴した。和三盆糖、白双糖と卵をつかったもので、ほどよい甘みと歯ざわりが特徴的。
書道院の先生からは、良寛和尚のお話など幅広い事柄についてお聞きすることができ、酔っていたことを猛省する。
一旦自宅に戻り、19時から「ささ川」(電話:0257-23-2702)にて、自民党新潟県連青年部としての懇親会。
自民党新潟県連青年部では、10月から新潟県内縦断の街宣活動をしており、今日は長岡市、魚沼地方を中心に回ってきたところで、明日は柏崎市を出発し、上越市、十日町市の強行スケジュール。 本日の労をねぎらい、また明日にむけての乾杯をする。よくよく考えると今日は5回目の乾杯であり、6食目の食事となる。
腹がいっぱいではあったが、料理が素晴らしく、特に八丁味噌を皮付きの里芋にかけたものが印象的であった。帰り際、料理をした某氏に御礼を述べる。
懇親会ののち、某スナックで2次会。6回目の乾杯。さすがに一日、街宣車を運転していた青年部長をはじめ、メンバーはお疲れのご様子であったので、有志のみで3次会に突入。7回目の乾杯。 3次会の会場となったスナックには、フィリピンの女性もおり、ミンダナオ島、イロイロ島の出身という2名。一人は、大学でアジアの歴史を専攻し、リカルテ将軍を尊敬しているとのことだった。
アミルテオ・リカルテといえば、部下のマリヤノ・ポンセを日本に送り、宮崎滔天、川上操六陸軍参謀総長の協力により、フィリピン独立戦争を仕掛けた気高い将軍。独立戦争に敗れ、大正4年に日本に亡命。名古屋、横浜に身を隠す。
昭和15年、アメリカの占領下のもと、大統領となったのはリカルテのかつての部下ケソン。ケソン大統領は訪米の帰り道、横浜に立ち寄り、リカルテを訪ねて、フィリピンへの帰国を促す。しかし、リカルテはこう述べた。
「フィリピンに星条旗がひるがえっている限り、
その星条旗の下に帰ろうとは思わない。
私が祖国に帰る日は、祖国が完全に独立し、
むかし我々が立てたあの革命旗が、
堂々とだれはばかることなく立てられる日だ」
*写真は、左からリカルテ、ケソン大統領、パレデス上院議長。横浜にて。
そして大東亜戦争。破竹の勢いでアジアを植民地にしていた欧米各国を日本軍が蹴散らす。昭和18年10月14日、日本軍の軍政から、正式に「フィリピン共和国」として独立の日を迎えた。同年11月5日~6日には、東京で開催された大東亜会議にホセ・ラウレル大統領が独立国として出席。
*大東亜会議には、日本から東條英機内閣総理大臣、中華民国(南京)国民政府・汪兆銘行政院長、満州国・張景恵国務総理大臣、ビルマ・バー・モウ内閣総理大臣、オブザーバーとして自由インド仮政府首班チャンドラ・ボースが参加した。バー・モウは、終戦後、我が新潟県、石打村(当時)の薬照寺に亡命した。
リカルテの夢が叶ったかに見えたが、アメリカの反撃により、再度、逃避行の旅につき、途中で永眠。リカルテの遺骨の一部は、遺言により、第二の故郷である日本・東京多摩の霊園に祀られた。
ちなみに、昭和46年にはフィリピン協会により、横浜の山下公園にリカルテ将軍記念碑が建立されている。
さすがに歴史を専攻しただけあって、以上の話も知っており、英語と日本語を交えて盛り上がった。
その後、場の成り行きでどうしてもカラオケを歌うことになり、アジアの独立を日本は軍歌でも歌っていることを伝えようと、『出征兵士を送る歌』を歌う。
『出征兵士を送る歌』昭和14年10月
作詞:生田 大三郎 作曲:林 伊佐緒
6番「父祖の血汐に色映ゆる
国の誉の日の丸を
世紀の空に燦然と
揚げて築けや新アジア
いざ征けつわもの日本男児」
もちろん、他の客はドン引きであった。
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