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2007年1月

2007年1月31日 (水)

紙ヒコーキは夢とともに

 3時就寝。5時近くにまたも祖母に起こされ、何かと思えば「夕方になったので、晩ご飯の支度は大丈夫か?」という。すっかり時間の感覚がないようである。何回も今は夕方ではないと諭すものの、暗いから夕方と言い張る。
Img_0344 仕方がないので、大粒納豆の納豆ご飯と若布と麩の味噌汁、目玉焼きの朝食を作って食べさせる。自分も同じメニューで食事をするも、あまりの眠さに1時間ほど仮眠する。
 今週も柏崎準倫理法人会の経営者モーニングセミナーに出席できなかった。

Img_03441 9時から1時間ほど某所で辻立ちするも、人通りが少なく、寂しい感じであった。その後、午前中は企画書をはじめ、各種資料の作成。
 母が冷蔵庫のなかにあった野菜類をコンソメで煮たというので、そこへ皮なしウインナーを追加し、納豆ご飯とともに昼食にする。

 祖母が散歩にどうしても行きたいというので、午後から散歩にでたが、案の定、転倒してしまい顔面を打った。そろそろ散歩も一人では行かせられない。

Img_0345 17時まで市内で各種の手続きや議会事務局での調整。17時過ぎから事務所で納豆特集に関する取材を受ける。
 19時、冷凍しておいた鮭に小麦粉をつけ、発酵バターでムニエルにし、ケチャップで味付けをしたもので夕食。
 20時過ぎから某氏からお呼びがあり、某スナックにて相談。

Img_0341 元航空自衛隊、現在は東京都の日野市議会議員であり、コンピュータシミュレーションズ社の社長である渡辺眞氏から紙飛行機設計支援ソフト「PAPER EAGLE Ver2.0」をお送り頂いた。
 零戦からF15、ブルーインパルス機などを紙飛行機を作ることができるソフトで、「男の夢」を感じる逸品。甥っ子と一緒に飛ばすのが楽しみである。

2007年1月30日 (火)

君が代斉唱指導通知 県民会議が撤回要望

Img_0340 2時、就寝。7時、起床。旭松食品の激辛納豆「ハバネロ納豆」のタレが冷蔵庫のなかに余っていたので、大粒納豆に合わせて激辛納豆丼の朝食。小粒納豆に合わせて作られたタレであるが、大粒でも悪くはない。大粒の激辛納豆の商品化も面白いような気がする。

Img_0339 8時から12時まで、選挙期間になる前に片付けられる用事はやっておこうと、市内まわり。
 途中、某氏に会い、ガチャガチャ(ガチャポン)の「おかめ納豆」グッズのダブっている3種類を頂戴した。納豆がキーホルダーになるとは、時代も変わったものである。

 12時過ぎ、朝食と同じメニューで昼食にしつつ、16時まで事務仕事。16時過ぎから事務所で相談業務。

Img_0342 17時過ぎから色々な件で頂いたメールや電話など。23時まで事務仕事をし、その後、カレーにコスタリカの「サルサ・デスソース(salsa de la MUERTE)」 をかけて激辛仕様にしたものとひきわり納豆の納豆飯で夕食。

flag またもやという感じであるが、新潟県教育委員会が『君が代』斉唱時に、教職員も起立するよう県立高校長に文書で通知したことに対し、撤回を求める要求書がだされたそうである。
 そんなに公立高校の教職員としての業務がイヤなら、私立高校に転職すれば良いのではないかと思う。
 ちなみに、要求書をだした「教育をよくする新潟県民会議」は、新教組と高教祖でつくる新教連および市民団体で構成する団体で、活動の一端は、ここで確認できる。


平成19年1月27日『新潟日報』

 君が代斉唱指導通知 県民会議が撤回要望

 県教育委員会が今春の卒・入学式の君が代斉唱時に、教職員の起立を指導するよう県立高校長に文書で通知したことを受け、「教育をよくする新潟県民会議」(矢野教代
表委員)が26日、通知の撤回を求める緊急要求書を県高等学校教育課に提出した。
 県教委は12日付の通知で県立高校長らに対し国旗の掲揚とともに、児童生徒の国歌斉唱と教職員の起立を指導するよう要請。「不起立の教職員に対しては厳正に対処する」とした。
 これに対し、同会議は「教職員の処分を背景にした脅しに近い通知」「教職現場への圧力は教育の発展を阻害する」と抗議。通知の撤回と、処分を背景にした教育行政を改めるよう訴えた。

2007年1月29日 (月)

SLフォトコンテスト写真展

 4時過ぎ、祖母に起こされる。「母親がいないので、探してきてほしい」と懇願され、「もうお母さんはいないんだよ」と何回も説明するも2時間ほど、理解してもらえず、なんとか寝かしつける。

 7時から中央地区の某所で1時間ほど辻立ち。演説する間もなく、何人かの知人に会い、柏崎ぶどう村の増資の問題家庭ごみ有料化の件を聞かれ、説明する。

Img_0333 大粒納豆での納豆ご飯2杯を食べ、事務仕事。11時から事務所にて打ち合わせののち、各種手続きのため、市内まわり。
 鏡開きをしたお餅に、岩のりわさびをつけたもの4個で昼食。
 13時から16時まで、鉄道活性化計画コンペの資料をもって、観光関係の各種団体、柏崎駅をはじめJR関係者をまわる。

 16時から事務所で選挙用の後援会パンフレットの打ち合わせ。できる限り、実現する約束を書きたいと思い、なかなか紙面が足りず苦悩する。

Img_0338 19時までパンフレットの原稿書きをし、煮詰まったところで夕食。母が作った揚げたての唐揚げと大粒納豆とオクラを混ぜたものを中心に、ストレス食い。
 某新年会に途中からお呼びがかかり、21時から23時まで出席。

 24時近く、自宅に戻り、これまで「柏崎を真剣に考える掲示板」に書き込もうと思っていた内容を一気に整理する。

070129f1000001 今日、柏崎駅長に鉄道活性化計画コンペの資料を持参した際、柏崎駅構内でやっている「SLフォトコンテスト写真展」をじっくりと見させてもらった。
 グランプリはもとより、特選をはじめ、迫力のある写真が多く、またタイトルの付けたも興味深いものが多かった。
 タイトルでグッときた?のは、 「疾走貴婦人」 。なにせ「貴婦人」である。
 また「躍動」も良かった。写真にあるSLの機関部のように柏崎も「躍動」したいものである

2007年1月28日 (日)

市長交際費から資金提供:原水禁

Img_0329  1時、就寝。5時、起床。メールや鉄道活性化計画コンペのシステム変更、ブログなど事務仕事を行う。
 10時、八丁味噌、麦味噌をブレンドした玉葱の味噌汁と小粒納豆の「納豆ご飯」2杯で朝食。八丁味噌をブレンドすることで風味も良くなり、味噌汁も2杯飲む。

Img_0331 13時過ぎまで事務所への来客。柏崎での起業についてのご相談とのことであったが、体調がすぐれず、春以降になるとのことだった。面白いお店のお話だったので、是非、静養されて中心商店街に出店してほしいものだ。
 14時、朝食と同じメニューで昼食。

Img_0332 15時過ぎ、事務所に来客。
 19時から電話でのラジオ番組『J-WAVE M+』の収録。放送は、1月30日の11時30分からで、登場するコーナー「ランキングファクトリー」は12時30分頃から流れる。
 21時、無菌鶏のモモ肉を山椒と塩で焼いたもの、蓮根の肉はさみ揚げ、大粒納豆ご飯で夕食。 

Kageki  昨年の柏崎市長交際費(平成18年度市長交際費4月~11月(PDF形式))が公開されたので、内容のチェックをしてみた。
 案の定というか、会田市長の政治信条というのか、柏崎市のリーダーたる柏崎市長の政治行為として、どうかと思う支出を発見した。

 「原水爆禁止世界大会代表派遣費助成」

 「原水禁平和行進新潟県実行委員会への募金」

の2つ。(PDFファイルの5ページ目)
 つまり、公安調査庁から「共産党・過激派等」としてマークされている上記の運動に、柏崎市長として参加しただけではなく、公金である市長交際費から支出していたのである。

*ちなみに、共産党は公安調査庁と破防法の廃止を主張(1999年)している。2002年の朝日新聞vs共産党の原水禁・原水協も興味深い。

 しかも、支出の区分は「協賛」としてあり、 「要綱及び要領」によれば、

 「公益性のある各種大会等に対する協賛金、
       市長賞の提供、協賛広告等に係る支出」

と決められている。原水禁の活動に「公益性」があるというのであろうか。まさか、柏崎市としての協賛広告ではあるまい。

 そもそも、こういった反核運動は、第五福竜丸事件をきっかけに昭和30年9月に原水爆禁止日本協議会(原水協)が発足したことに始まる。
 昭和40年には、中国共産党やソ連の核などや部分的核実験禁止条約の賛否で、社会党・総評と共産党が対立。社会党が原水爆禁止日本国民会議(原水禁)を結成し、その分裂状態がいまも続いている。
 原水協は「中国の核は良い核だ」として中国の核開発に賛成した経緯もある。

0701nuc  原水禁自体、ホームページでも確認できるように原子力発電廃絶運動も積極的に取り組んでおり、そのような団体へ「世界最大級の原子力発電所」柏崎刈羽原子力発電所を抱える、柏崎市の会田市長が来賓で出席し、祝辞を述べ、さらには公金である市長交際費から資金提供をする・・・・この実態をより多くの柏崎市民に知って頂きたいと思う。

 原子力財源は一切使いませんぐらいの政治姿勢であれば素晴らしいことであろう。しかし、原子力財源は貰います使います、原子力発電への反対活動を支援しますでは、筋が通らない話であり、ただのタカリである。
 柏崎市民がタカリだとは思われたくはない!

2007年1月27日 (土)

社民党の妄言。自衛隊は無力?

 3時、就寝。8時、起床。少し風邪気味のような頭痛もするので、葛根湯をガブ飲みする。

 10時から1件の弔問。60歳という若さで癌で亡くなられた。飲み食いの最後に自信たっぷりの顔で出してくれる、美味しいイクラの醤油漬けご飯は今でも忘れない。

 11時過ぎ、自宅をでて、柏崎青年会議所のメンバーと一緒に新潟市に向かう。

Img_0317 13時近く、新潟市に到着し、昼食でも食べようと「元祖支那そば おもだかや 女池店」(電話:025-283-7711)に行き、「おもだかチャーシュー 800円」を注文。
 以前、新潟アジア文化祭のプロデューサーをやった際、学生ボランティアと毎日のように来た店で、このさっぱりした味わいと魚介系のダシがくせになるラーメンである。
Img_0318 たっぷりの野菜に加え、茎わかめが泣かせる。チャーシューもさっぱりした味わいであるが、少し臭みのある肉であることが残念。
 このままでも十分であるが、麺がもう少し加水率の高い麺だったら、完全に私好みである。
 絶品の餃子(5個 300円)も食べたかったが、次の会議もあるので、とりあえずラーメンだけにした。

Img_0319 14時から新潟産業創造機構プラザの会議室で、青年会議所の新潟ブロック協議会、アドバンス新潟創造委員会に出席。
 今回は道州制に関する勉強会で、県庁の知事政策室政策課の職員の方にお越し頂き、説明を行ってもらった。


Img_0320

道州制を巡る動き
   新潟県知事政策局政策課

分権改革の動き
 平成5年 地方分権の推進に関する国会の決議
 平成7年 地方分権推進法の施行
 平成12年 地方分権一括法の施行
       ・機関委任事務の廃止
 平成14年 三位一体の改革がはじまる
 平成16年 第28次地方制度調査会で「道州制のあり方」を検討
      平成18年2月答申
 平成17年 三位一体の改革
     所得税から住民税への3兆円規模の税源移譲を政府・与党合意

 平成18年 道州制特区推進法の確立
  地欧分権改革推進法の成立

都道府県を取り巻く課題
 市町村の数の変化(明治、昭和、平成の大合併)
 <事務業務の広域化>
 社会資本整備(交通ネットワーク)
 防災(広域災害に対する効果的な防災体制整備)
 環境(廃棄物の処理計画)
 観光(広域的な観光のPR)
 流域管理(流域の総合管理・国土保全)

道州答申のポイント
 1.現状の都道府県の課題
 2.求められる「新しい国のかたち」
 3.道州制の制度設計
 4.道州制の導入の課題
    国民生活への配慮

道州制の基本的な制度設計
 道州の性格
  道州及び市町村の2層制
 道州の区域
  社会経済的、地理的、歴史、文化条件を勘案
 道州制の下で道州が担う事務のイメージ

道州制区域例
 9道州、11道州、13道州

道州制議論の動き
 安倍内閣発足に伴う動き
 ・政権構想
 ・自民党・公明党連立政権合意
 ・第165国会における安倍内閣総理大臣の所信表明演説
 ・内閣府特命担当大臣の私的懇談会の設置
 ・自民党道州制調査会
 ・道州制特区推進法の成立
 全国知事会道州制特別委員会「分権型社会における広域自治体のあり方」18年6月
 ・分権型社会における行政の役割分担
 ・分権型社会における広域自治体の要件
 ・現行制度による対応の可能性
 ・分権型社会における新たな広域自治体像
 ・道州制の実現に向けて
 ・道州制導入について慎重な意見

道州制特区推進法
 昨年12月に成立した北海道での特区

道州制の意義・メリット

道州制の危惧される点・デメリット

全国知事会「道州制に関する基本的考え方」

新潟県の考えた

詳細は配布資料(pdf形式)


新潟をあらわす写真のキーワード

<自然>
 ・冬の荒波 ・波の花 ・日本海の夕陽 ・雪山
 ・渓谷 ・棚田を含む田んぼ ・スキー場 ・信濃川
 ・佐渡金山 ・佐渡から見た本土 ・温泉
<まちなみ、まちの風景>
 ・村の風景、下田村 ・柳都芸者、新潟美人
<動物> ・朱鷺
<祭り、他> ・日本三大花火 ・新潟三大高市
<特産> ・翡翠


 会議終了後、急いで柏崎に戻る。
 18時過ぎから某新年会に呼ばれていたので、お店にいくものの、選挙が近いこともあり、出席されると政治的に問題だ!と主張する方がでてきたそうで、急遽、欠席することになった。あわてて新潟市から戻ってきたのは何だったのか、意味が無くなった。

Img_0323 自宅に戻り、頂き物のバジル&ブルーチーズピザ、のっぺ、千葉産の茹でピーナッツをつまみに、菊水酒造の「【冬季限定】ふなぐち菊水一番しぼり」を飲む。日本酒を飲みながらのクセの強いチーズがのったピザというのもオツな味であった。
 シメは、ひきわり納豆を使った納豆茶漬け。

 朝方、ある方から平成19年1月25日の柏崎日報を見てのお電話を頂いた。内容は、社民党柏崎支部の「新春のつどい(旗びらき)」のことで、2つの確認であった。

1.社民党の応援をもらうのか
 
「社会クラブの4人とみらいの3人が引き続き立候補を・・」と新聞記事のなかにあり、社民党の支援があると書いてあるが、どうなっているのか。
 三井田は「みらい」に所属しているのではないか。

2.社民党と防衛大学
 自衛隊を応援しているが、今回防衛大学助教授だった県議選候補が社民党の大会で挨拶をし、支持をもらっているが、どうなっているのか。

 1つめについては、議員1年生のときには保守・革新混合での新人議員同士の勉強を含めた会派ということで一緒に活動したが、1年後には同じ保守系の荒城議員とともに離脱しており、所属会派は違ううえ、党籍は自民党である旨をご説明した。
 2つめは、私がコメントする立場にもないが、確かに社民党が防衛省に関係している候補を応援するのは意味が不明である。よく分かりませんとはお答えしたが、 「風の陣」自衛隊ブースにもご協力いただいたその方はかなりご立腹であった。

 社民党と防衛省といえば、先日、阿部知子代議士の妄言が話題となった。


 安倍晋三政権になってから「国を愛する」・国防の強化などの言葉が氾濫し、あたかも外敵から国民を守るために国家の力=軍隊が必要であるかのように宣伝されるが、実は「軍隊は国民を守らない」という事実は戦争を通して如実に示されてきた。軍隊はもちろんのこと警察も、戦闘のためあるいは犯罪に対しての対処を第一とするため、国民保護は二の次、三の次となる。
 阪神大震災は12年目を迎えたが、
国民を災害から守ることを任務とされているはずの自衛隊が、国による命令を受けて救援に向ったのは、数日を経て後のことであった。日本の場合、自衛隊は軍隊ではないし、国土保安隊として出発し、防災のたねにも働くことを任務としてきた特別な生い立ちがあるのに、である。

               『2007/1/19 カエルニュース第253号』より


 まず、初歩的な知識不足として、自衛隊は「警察予備隊」から発展的にできてきたということすら勉強できていない。さらには、自衛隊は災害から守ることだけではなく、他国の侵略行為から国家・国益を守ることが主な目的である。そして何より許せないのは神戸淡路大震災で自衛隊は役に立たなかったかのような妄言である。
 当時の兵庫県知事の出動要請が遅れたことと、首相であった当時・社会党の村山首相総理の決断の遅れ(自衛隊の出動要請)が、多くの人命を失い、2次的な被害を拡大させた。当時の法体系からも自衛隊の出動は、シビリアン・コントロール(文民統制)の原則のうえ、都道府県知事の災害派遣要請が必要であった。勝手に出動していれば、社会党(社民党)のこと、どうせシビリアン・コントロールがどうのこうのと騒いだはずである。
 自衛隊も米軍も出動を熱望したが、決断しなかったのは、兵庫県知事であり、村山首相である。自分の政治信条にこだわり、自衛隊に助けて貰うことを拒んだ結果、何人の方が亡くなったことか。
 自分の所属する政党の歴史を含め、以上のようなことも知らずに、自衛隊批判するとはお恥ずかしい限りである。

*チャンネル桜:自衛隊と住民の感動のお別れ

2007年1月26日 (金)

柏崎ぶどう村問題の議会提案

 0時過ぎ、自宅に戻る。シャワーを浴びて、1時過ぎ就寝。6時に起床し、長岡へ愛車で移動する。本来であれば、電車を使いたいところであるが・・・。

 7時から9時まで、某喫茶店でサンドイッチをつまみつつ、鉄道活性化に関するTV番組提案の打ち合わせなど。柏崎の魅力を伝える番組にできればと思うが、あとは企画書が通るかどうかとスポンサーの了承である。

 柏崎に戻り、10時から来客。事務所で拉致事件や最近の教育に関することなどを話合う。

 大粒納豆で納豆飯2杯の昼食をとり、13時から市内の某所で選挙に関わる準備などの打ち合わせ。

 16時から来客。昨今の不二家騒動や株価についての情報交換。

 17時過ぎから鉄道活性化計画コンペの応募55案を印刷した冊子をもって、市内まわり。鉄道ファンの方やまちづくりに興味をもつ方々に配布し、意見を頂戴する。

Img_0315 19時、母方の祖母に来てもらったので、挽き割り納豆の手作り餃子で一緒に夕食をとる。
 今回、ついうっかり大蒜を入れるのを忘れたが、挽き割り納豆餃子の場合は、大蒜を入れない方が納豆の風味に肉の力強さが相まってかえって良いように思う。

Dsc03402 先日25日、市議会の各会派代表者会議が開催された。会派代表者会議は各会派の代表者(無所属議員は聞くことができない)のみが集まり、マスコミはシャットアウトとなる会議で、今回の内容は、経営的にたちゆかなくなった柏崎ぶどう村ワイナリーへの増資の提案である。
 市長サイドは以下のような日程で、

 1月25日 各会派代表者会議で下話の了解をとりつけ
 2月7日午前 議会運営委員会で19日の議会開催を提案
   7日午後 経営者含め、議員とのぶどう村意見拝聴会
*この意見拝聴会というのがクセもの。聞くだけの会。
 2月19日 臨時議会を開き、提案したい

*2月議会は2月21日から30日間

進めたいとのことであるが、2月19日に臨時議会を開きたいという意味がまったく不明である。2月議会が2月21日から開会されるのに、その2日前に無理にでも臨時議会を開いて提案し、その日で処理したい(委員会への付託なし)という日程が組んである。
 本当に大きな問題と捉えているなら、議会の招集権が市長にある以上、すぐにでも臨時議会を開き、夜中までかかっても議論をして、早急に対処すべきであろう。逆にそれほど重要な問題でないと捉えているなら、あと2日間待って2月議会の初日に提案し、担当である文教経済常任委員会に付託し、専門家を交えた委員会による詳細な審査をしてから、本会議にかければ良いはずである。
*地方自治法の改正により、専門家の意見を聞くこともできるようになった。
 なぜこのような日程を設定するのか。 「市民と一緒に考える」と常にアピールしている市長自らが発表もせず、会派代表者会議など非公開、水面下で準備をするのは何故か。真相はまだ不明であるが、わざわざ議会側が怒るような動きをするあたり、「議会側からの反対」を待っているのではないだろうか
 たぶん、

 「自らは支援しようと思ったのだが、
      議会が反対をして支援もできなかった」

という【市長自らが決断をしない】ストーリー展開を狙うのであろう。

2007年1月25日 (木)

『環境と情報の世紀』月尾嘉男氏講演

 車中で仮眠したのち、都内をでる。4時過ぎ、自宅に到着。風呂に入ったのち、9時まで仮眠。次の議会に向けた資料を整理する。一般質問で聞きたいことが山ほどあるので、どの質問にしようか選択に困っている。

 12時、大粒納豆の納豆ご飯2杯でブランチにし、16時まで市内で各種の手続きや鉄道活性化計画コンペの資料を配りまくる。

Tsukioface 16時30分、メトロポリタン松島にて柏崎・刈羽の4ライオンズ(柏崎柏崎米山刈羽柏崎日本海合同例会講演会に出席。東京大学名誉教授・月尾嘉男氏による講演『環境と情報の世紀~地球は病んでいます。今なら間に合います~』を聴講。


~講師プロフィール~

1942年愛知県生まれ。1965年東京大学工学部卒業。1971年東京大学大学院工学系研究科博士課程修了。1978年工学博士(東京大学)。1972-75年(株)都市システム研究所所長。1976-88年名古屋大学工学部助教授。1988-91年名古屋大学工学部建築学科教授。1989-92年東京大学生産技術研究所第5部客員教授(併任)。1991-99年末末大学工学部教授。1999-02年東京大学大学院新領域創成科学研究科教授。2002-03年総務省総務手練官。2003年より東京大学名誉教授。専門はメディア政策。地域振興と環境保護のため、地域の人々と知床半島塾、釧路湿原塾、羊蹄山麓塾、白馬仰山塾、宮川清流塾などを主宰。著書に『装置としての都市』(鹿島出版会 1981)『賛沢の創造』(PHP研究所 1993)『IT革命のカラクリ』(アスキー 2000)『革命するは我にあり』(日本実業出版 2001)『日本・百年の転換戦略』(講談社 2003)『縮小文明の展望』(東京大学出版会 2003)などがある。趣味はカヤック、クロスカントリースキー、登山。2004年2月南米大陸南端のケープホーンをカヤックで漕破してケープホナーとなる。


Img_0314(1)環境に対する目
 時間があったら見てもらいたい映画は『不都合な真実』

(2)地球の特異性
 宇宙には星がある無数の星、太陽系には9つの惑星があり、内側から3番目が奇跡の星、地球。
 なぜ奇跡からといえば、金星のように一つ太陽に近いだけで表面温度400度、一つ遠い火星は-5度。真ん中の地球はちょうどいい大きさとちょうどいい表面温度14度。
 さらにいえば、水がふんだんにあり、70.8%が水に覆われているので、地球ではなく、水球といった方が良い。ガガーリンの「地球は青かった」の言葉にも表れている。
 宇宙全体では同じ条件の星があるかも知れないが、現時点で太陽系のなかでは地球だけ。
 多様な環境のなか、多種の生物が暮らしている。しかし、ここに環境問題の現実がある。

(3)資源の枯渇。
・鉱物資源の消滅
 金はあと18年で終わり。人間がこれまでに掘った金は50mプール2杯分しかない。海のなかにも金はあるが、経済的に取り出せない。鉛25年、銀が20年、鉄が150年。ニッケルは、50年。46億年の地球の歴史、地上に生物がでた4億年に比べて、ここ1000年で資源を使いすぎた。10万分の1の時間で全部使い尽くす。
・エネルギー
   石油は40年。新しい発見があっても80年。
ウラン鉱石は80年程度。原子力サイクルを行えば140年程度は可能。
   地球の歴史の長さから見れば、ほんの一瞬の間に、エネルギーを使い尽くしている状況。
・今後は、物も無くなり、さらにお金でも買えない。
・森林も無くなっていく。
 世界中の森林はあと400年で伐採し尽す。
 ゴルフ場1日、500コース分の森林が毎日壊されている。
 アフリカは120年で終わり。アマゾンは240年で終わり。
 そのおかげで10分間で1種類の動植物が絶滅している。年間で5万種類が消えている。その一例が昨年のマグロ騒動。日本の淡水魚の4分の1がまもなく消える。(北海道のイトウ、ニホンカワウソなど)。メダカはまもなく絶滅する。人口養殖でメダカはもっている。

・水も大変。地球の海の97%が海にある。3%のうちさらに70%が南極の氷や高山の氷河。30%が地下にたまっている。1%未満が生物の使っている量で地球上の水の0.08%しか使っていない。
・世界の人口の8割は安全な水を使えるが2割が10秒間に一人で悪い水で死んでる。年間360万人が死んでいる。2050年には、地球の90億人が人口になるが、70億人が安全な水にありつけない。揚子江に捨てられるごみの量は1日4000万トン、日本で出すごみの年間量は5250万トン。黄河は、この川は270日ぐらい河口まで水が到達しない。河口の幅が30kmで人が歩いてわたれる。日本の場合はどうか。多層水。米1キロに対して4000キロの水を使う。小麦を1キロの場合は2200キロの水が必要になる。牛肉1キロを入手するためには、は14400キロの水が必要になる。
・日本が小麦や肉を輸入している以上、水を持ち込んでいることと同じ。日本の水の3分の2を農業が使い、それと同じ量の水を輸入しているに等しい。食料自給率を上げるためには、今の水の倍が必要になる。日本も水に関しては安泰ではない。
・地球の温度も上がっている。過去100年で1600年を基準にすると0.8度上昇している。ここ100年で異常に上がっている。空気全体が0.8度上がっているので、とてつもない熱量があることになる。今後は、国連の発表によれば、最悪の場合は今後100年で6.8度あがる。海は70センチ上昇する。2年間に瀬戸内海で庄戸島で聞いたら、漁師は自分の子供ときよりも60センチ上がっているという。潮の関係もあり、平均で70センチでも影響は大きい。 首都東京が水没することも考えられる。防波堤のかさ上げが必要になる。2040年の夏には北極から氷が無くなる。北極シログマはえさとなるアザラシがとれず、絶命するだろう。
・「エコロジカル・フットプリント」という概念。
 
生態足跡面積=
  食糧生産面積+資源生産面積+社会基盤面積

 2004年で計算すれば、日本は実質4.4ヘクタールしかないが、7.7ヘクタールの面積を使っており、3.7ヘクタール足りない分は日本は外国の土地を借りている。
  世界全体でも生態足跡面積が大きくなっている。2.2ヘクタールが地球上の人の平均。地球にある実面積は1.8ヘクタール。0.4ヘクタール不足している状況。その不足分は、年間5000万人が飢餓に苦しみ、年間500万人が死に、年間300万人が十分な水が足りていないことで調整されている。
・地球がもちこたえる人口
 1
986年に地球と人口と割合は1でちょうど良かった。2001年は1.2個の地球は必要になり、0.2足りなくなった。2050年には1.5倍の人口になるので、地球が1.8個必要になる。
・2050年には食料争奪戦争、水の争奪戦争になる。世界は数億なら人類は暮らせるが人口が爆発的に増えている現状を考えると人口を減らさないまま、どうやって人類が維持できるのかを考えることが必要。
節約が必要になってくる。エネルギーが天然ガス(70年しかないが)を使う。バイオマスも必要。風車や太陽などの新エネルギー、そして原子力。最後の手段が海。海や地中に炭酸ガスを溜め込む技術も開発されてきているが、まずは地球がどういう状態にあるのか、確認することが先である。
技術革新も進んでおり、電気冷蔵庫などは1993年製と2004年製では使う電気は3分の1。大型テレビは5分の1。
1km移動するのに、車は人間の18倍、飛行機は8倍。つまり、人類はエネルギーを消費することで便利さを享受している。新聞は1日、朝刊夕刊を合わせると、使うエネルギーは、1200キロカロリー。電子新聞は、60キロカロリー(コンピュータ作るエネルギー、通信インフラを入れて)。ITで省エネルギーできる。紙の本と電子ブックは40分の1。年賀状も電子メールで行うことでも省エネルギーにできる。
 つまり習慣を変えることで、省エネルギー、地球の環境保全に寄与できる。

(4)リサイクルや伝統
・1トンの銅を手に入れるには、420トンの銅鉱石が必要になる。銀は7500、金は350000、ダイアモンドは5300万トンでやっと1トン。10グラムの金の指輪を作るために。3.5トンの岩を掘っている。
・リサイクルが必要。
85トンのボーキサイトを処理しないと、アルミを1トンがとれない。3.5トンの廃アルミから1トンのアルミがとれるので、ジュースの缶などは積極的にリサイクルすべき。
・伝統再考
 ゴッホが江戸時代の浮世絵を見た例。桂離宮もブルーノ・タウトの発見。つまり、日本は自らの文化の良さをなかなか理解できない面白い民族。
・1977年、マクガバン・レポート。アメリカの医療費の増大にアメリカの財政が破綻。では食を見直そうとのことで、日本食が有効だとレポートがだされた。200億円で、2年間海外各地に学者を派遣したが、最終結論は、元禄時代の日本の食文化であった。これが鮨ブームの基になった。そのころ、日本はハンバーグやパンをドンドン食べるようになり、お菓子も伝統の和菓子ではなく、ケーキに変えた。ワンガリ・マーティさんの「もったいないを世界の合言葉に!」も同じ。
 
我々日本人は何をやってきたのか。
昔は銭湯。銭湯は一人あたり200キロカロリー、内風呂は3500キロカロリー。江戸時代の大工の日当5日分ほどであり、貸本を借りていた。日本人はウサギ小屋に住んでいると外国人に言われたが、土、木、紙でできている。リサイクル可能なもの。エネルギーは、菜種油、ろうなど植物性が多かった。薬も生薬。現代の薬の75%は石油が原料として関わっている。
フードマイレージ(輸送重量×距離)
 日本は圧倒的に多い。食料の6割を輸入する日本は膨大は量を輸入するばかりか、膨大なフードマイレージもかかっている。レタスなどは冷凍して輸送しており、冷凍・解凍で膨大なエネルギーを使っている。輸入した食糧のうち、10%は可能段階で捨て、16%で流通で廃棄、家庭で捨てる量が15%は捨てられている。年間2000万トンの食糧を日本が捨てている。5000万人が飢えで死んでいるが、援助しているのが800万トン。北朝鮮への援助が40万トンだった。アメリカは8000万トンを捨てている。

(5)方向転換
 開発の思想から自然再生へ。事例:釧路湿原
 2002年の自然再生促進法
森林を資材としてしか見てこなかったが、実際には洪水の防止や炭酸ガスの吸収など見えない価値も多い。森林の価値を見直すべき。
経済という言葉の意味を考え直す。
 OIKOS*NOMOS=ECONOPMY
 生物の住処+管理の制度=経済学

 OIKOS+LOGOS=ECOLOGY


 講演会終了後、市役所に行き、1時間ほど某氏と意見交換をしつつ、若干の事務仕事。訃報が入ったので、弔電の手配なども行う。

070124f1000003 20時過ぎ、市内某店で某氏、スタッフNと懇親会。生ビール3杯のあと、熱燗2合ほど。突き出しは、イカのマヨネーズ和えと肉じゃが。つまみとして、和牛ホルモン鍋、赤鶏のたたき、トロ鯖など。一番美味しかったのは、ママお手製の沢庵であった。ポンポンにならず天日で干した大根は歯ごたえもよく、塩加減もちょうど良かった。
070124f1000005 この春の統一地方選挙で、志を同じくする候補者共通の公約的な政策をできないものかと模索してきたが、やはり医療と原子力に関するものが一番ではないかの結論に達した。
 先日の静岡がんセンターの視察の際にお世話になった山口建総長からも資料を頂いたので、これからブラッシュアップして、出馬を予定している候補者に声掛けをしていこうと思う。


東京大教授から総務省高官になった
             月尾嘉男さん

 IT(情報技術)革命は、2世紀前の産業革命以来の大きな社会構造の変化をもたらす、といわれる。「だから産業革命で集中した都市は分散へ、巨大化が進んだ企業は苦境に陥っているでしょう?」。著作やテレビ、年間100回を超す講演でIT革命の必要性をわかりやすく説き「IT伝道師」の異名を持つ。
 今度は総務省の事務次官級である「総務審議官」としてIT行政の指揮をとる。「霞が関と実社会とのズレを少しでも埋めたい。苦い役人に新しいカルチャーの考え方、仕事の仕方を伝えたい」さびついた政策能力の打破に、民間人登用が増えつつある「霞が関ムラ」でも次官級への就任は異例。旧郵政省時代から審議会委員として、放送デジタル化や
NTT再編などの草案づくりを手伝った。都市計画や環境分野でも歯にきぬ着せぬ論客で鳴らす。北川正恭・三重県知事や橋本大二郎・高知県知事らのアドバイザー役も務める。
建築家志望が出発点。東大で丹下健三氏の門下に入るが、「3カ月で徒弟制度の建築の世界は向いてない、とあきらめた」。その後、研究領域をコンピューター、通信へと広げる。結果的にはシステム制御やデータ解析の研究技術が、その後、丹下氏や兄弟子の磯崎新民らが事がけたイタリア新都市開発や大阪万博などの世界的事業を支えた。
IT後進国、日本の現状を嘆く。「普及率はインターネットで世界14位、高速大容量通信では韓国の3分の1。今こそ国をあげて迫い上げないと」 

2007年1月24日 (水)

「南京の真実(仮称)」映画製作記者会見

070124f1000001 資料整理から溜まっていた本の通読など、結局徹夜をし、3時過ぎに愛車で自宅をでる。
 あまりの眠さに途中途中で仮眠を取りつつ、9時過ぎに東京都内に到着。ミックス野菜サンドイッチと納豆汁をコンビニで購入し、朝食にする。

070124f1000002 10時30分、会場であるホテルニューオータニ東京に到着。待ち合わせていた出版会社社長と懇談ののち、記者会見の席につく。
 11時より、「南京の真実(仮称)」映画製作の記者会見を行う。保守系の文化人、国会議員、そして地方議員が「南京戦の真実を伝える地方議員の会」として参加をした。
 先日、アメリカのユタ州で開幕したサンダンス映画祭で映画「南京」が、ドキュメンタリー部門で公開された。内容としては、南京大虐殺の犠牲者を「20万人以上」とし、欧米人らの尽力で「25万人が救われた」としている。
 この映画の目的は、日米間の引き離しであり、アメリカがブッシュ大統領の共和党政権から反日的な民主党政権になる時期に、この映画が多くのアメリカ国内の映画館で上映されれば、さらに日米関係は緊張するであろう。
 この映画に反論をするために、チャンネル桜の水島社長を中心に製作する映画が「南京の真実(仮称)」である。
 製作記者会見のなか、保守系文化人のなかで一番スッキリしたコメントを発したのが、東京財団の日下公人氏で、

 「目的は、米中を引き離すこと」

と端的に明言された。
 参加した国会議員に、柏崎も含む新潟2区選出の民主党の鷲尾英一郎議員もおり、コメントを求められた際、

 「アメリカと中国と戦ったんです、
            大東亜戦争で

 がくっ・・・。「太平洋戦争」と言わないことは良かったが、統一した国家としての中国はその当時には存在しないので、正確には中国共産党、国民党と戦いましたと言わなければならない上、その認識でないと支那事変から大東亜戦争までの流れがつかめない。
 大陸のなかで、

 ・蒋介石(1909~11年まで大日本帝国陸軍に勤務。
            現在の上越市高田駐屯地で訓練)

 
毛沢東
 
汪兆銘(法政大学を卒業)

の三つどもえに日本軍が加わった状況であり、蒋介石と毛沢東の国共合作などもあり、日本軍がズルズルと大陸の奥へ奥へと引きずりこまれたのが実態である。いわば『機動戦士Zガンダム』の

 ・エゥーゴ
 ・ティターンズ
 ・元ジオン軍のザビ家残党が結成した
     軍事組織アクシズ(後のネオ・ジオン)

地球連邦軍が加わって入り乱れる状況に似ている(例えの方が分かりづらいという話も)。
 当時も統一した国家としての中国があったと学校で教えるから、満州も中国の土地を侵略して奪っただの認識が違ってくるのであろう。
 指摘はさせてもらったが、映画に協力すると記者会見の場まで来てくれた鷲尾英一郎議員には今後もブレずに是非、頑張ってほしい。今度、どこかでお会いすることがあれば、今回の件をお話したいと思う。

 記者会見終了後、日下氏にご挨拶をし、色々なお話をお聞きする。昭和5年生まれとは思えない柔軟な考え方をされているので、大変参考になった。

Img_0312 14時近く、今後の映画製作の打ち合わせも含めて、水島社長や田形先生と会場近くの某中華料理店で昼食。
 パリパリ焼そばの海鮮あんかけの大盛りにサービスのライスがついた、まさに炭水化物たっぷりの「男めし」を食べる。

 18時近くまで都内の知っている企画会社まわり。鉄道活性化計画コンペの内容を見てもらい、都内からのパックツアーなどを企画できないかどうか相談をする。せっかく来たからと某社の担当者らとやきとりを中心に懇親会。南京の真実

2007年1月23日 (火)

名作『男の操』

Img_0309 3時、就寝。7時、起床。ひじき納豆と甘塩たらこで作った「タラコひじき納豆丼」、八丁味噌と米麹白味噌で作った「舞茸の味噌汁」で朝食。
 午前中、某所での辻立ちと挨拶まわり。辻立ちをしていると、顔を知ってくれている方も多く、

「納豆の人でしょ?」

と声をかけて頂く。ありがたい限りである。

Img_0310 11時近く、甥っ子と遊びにきたので、ネクタイなどの買い物ついでに昼食を買いに一緒に行く。
 某氏から電話があり、昼食でも食べながら、話がしたいとのことだったので、シャレを込めて、マクドナルドで「メガ・マック」を単品で購入し、お土産に持って行く。他の人もいたので、包丁で切って一口ずつ味見・・・・反省をした。

Img_0311 13時過ぎから散髪。16時から事務所にて相談を受ける。事務所で待っている間に溜まっていた未読の本を片っ端から読みまくる。
 19時、ドライ納豆、鶏もも肉、大量の刻みネギ、卵で「ドライ納豆チャーハン」を作り、夕食にする。

Img_0301 『ゴルゴ13』『こちら葛飾区亀有公園前派出所』『ジパング』などかなり漫画を多く読む方であり、好き漫画家は多いが一番好きな漫画家は業田良家氏。
 映画化も予定されている名作『自虐の詩』は、4コマのギャグ漫画ながら最後には涙してしまう作品で、この漫画以来のファンである。
 その業田良家氏の渾身の新作が『男の操』。早速、上下巻を一気に読んだが、女の子を男手一つで育てる売れない演歌歌手、ビデオのなかで生き続ける元アイドルの妻、演歌歌手に思いを寄せる女性など、期待を裏切らない人間ドラマの4コマ漫画であり、感動のラストシーンだった。
 多くの人に読んでほしい作品だと思う。

2007年1月22日 (月)

2007柏崎青年会議所新年総会

Img_0300 3時、就寝。7時、起床。麹で漬け込んだ納豆をすりつぶして、刻みネギ、鰹節を入れ一晩寝かしたもので、納豆巻きを作って朝食にする。ポイントは鰹節を入れてから寝かせること。ただの納豆巻きにはない濃厚で深い味わいで、思わず2本食べてしまった。

 10時から議会運営委員会。地方自治法改正に関する議論は、委員会の複数所属以外、すんなりと結論がでた。市長サイドから、1月25日にマスコミをシャットアウトし、会派代表者会議を開くという。そして、その内容に関する臨時議会を2月19日を行いたいとのこと。2月議会が2月21日から開会されるというのにこの設定は何なのか。案の定、大荒れの議論となる。

Img_0302 12時過ぎ、一度自宅に戻り、うどんの乾麺を茹で、祖母の昼食を作る。そのまま引っ越し作業の手伝いに行く。
 14時過ぎ、一旦作業をやめ、出前をとる時間ももったいないので、全員でカップラーメンの昼食。

 16時から急遽、1件の打ち合わせ。

Img_0306 遅刻したが、17時過ぎに岬館に移動し、柏崎青年会議所の新年総会に出席。
 総会終了後、新年祝賀会となった。今年は、柏崎青年会議所設立50周年でもあり、理事長からの決意表明には熱いものがあった。Img_0305会田市長、柏崎JCのOBでもある刈羽村の品田村長、柏崎商工会議所会頭からのご挨拶をいただいたが、相変わらず会田市長は第四次総合計画の「好きです 輝く柏崎」のことを中心に長時間、話をしていた。
 乾杯ののち、多少食べてから、シニアJCなど諸先輩にご挨拶にまわる。
Img_0303 さすがに全部のゲストテーブルをまわることができなかったが、色々な方から面白い話を聞けた。選挙うんぬんではなく、これからの柏崎市をいかに楽しく、若者が戻ってくるようなまちにするのか、頂いたアイデアをベースに市民に訴え、実現していきたい。
 突き出しの煮こごりが美味しく、つい人の分までもらった。アツーイご飯の上にのせて食べてみたかった。

 今日は母も新年会。祖母の介護もあるので、二次会は失礼させてもらい、自宅に戻る。

2007年1月21日 (日)

あるある大辞典Ⅱデータ捏造の余波

 1時、就寝。4時、起床。『あるある大辞典Ⅱ』データ捏造の報道があった直後から、納豆に関する大量のメールがきており、その返信をひたすら書く。
 納豆が悪いということでもなく、企画自体も悪いものではないが、実験やコメントの捏造は重大な過失である。
 納豆が売れすぎて困ると思ったら、今度は納豆そのものへのバッシング、ましてや納豆学会宛に怒りのメールが来るとあっては、TVの一番組で変わるこの世論の揺れ具合こそが、捏造自体よりも怖いことに感じる。

Img_0295 8時、トマトとモッツアレラ・チーズのサラダと大粒納豆の納豆ご飯で朝食。オリーブ・オイルとバジルを多めに入れ、濃い味付けになったサラダである。
 食後から午前中いっぱい取材の依頼への対応。ラジオ、雑誌など4つの取材メールへの返信を書く。

Img_0296 12時過ぎ、大粒納豆、ほぐし鮭、甘塩たらこの納豆丼?で昼食。食後すぐに相談の来客。13時から、平成18年度青少年健全育成大集会「ノーメディア実践するとこう変わる」という講演会に出席予定であったが、ご相談頂いた問題解決のため、市内関係各所にお願いにまわる。
 そういえば、今日は共産党の集会もある日であった。「どなたでも」(入口で止められそう?)「無料」という事だったので、どんな主張をされているのか是非、潜入したいところだったが、残念。

 15時から事務所に来客。17時から20時まで来客。21時過ぎ、電話で雑誌取材を受ける。取材のなかで気になるインターネットサイトを3つあげてほしいとの事だったので、従姉妹のグラビアアイドル「山田沙耶香」に関するページを挙げる。

Img_0298 23時、無菌チキンのもも肉を沖縄の塩「ぬちマース」で塩焼きにしたもの、頂き物のマンズワイン「小諸ワイン(白)」で夕食。シメは、大徳寺納豆を使った、納豆茶漬け。酸味が効いていてサッパリとした後口が心地よい。
 食後0時近くまで、各種問い合わせや激励の電話が続いた。捏造騒ぎはこれで終わりにしてほしい。

2007年1月20日 (土)

教育再生会議、「体罰」の定義見直し

 新年会は2次会、3次会、4次会となり、自宅についたのが3時過ぎ。3時間ほど仮眠をして、某所で辻立ちと市内まわり。

 12時過ぎ、一度、自宅に戻り、大粒納豆のご飯を2杯ほどかっ込んでから、会社関係の手続きのため市内まわり。

Img_0291 18時から「割烹おくい」(電話:0257-24-6486)にて、自分の町内の新年会。
 新鮮な生の鱈白子を使った珍味が特に美味しく、お嫌いという方の分まで食べてしまった。
 「三井田君!通風になるぞ!」
とのアドバイスも頂く。納豆好きならず、ビール好き、珍味好き、まさに通風に超特急である。

 2次会は某スナックにて。24時近くに自宅に戻る。

 平成18年1月17日付けの『読売新聞』に、教育再生会議が「体罰」の定義を見直すという記事が掲載された。


教育再生会議、「体罰」の定義見直し
            …政府に要望へ

 政府の教育再生会議(野依良治座長)は、学校教育法で禁じられている「体罰」について、政府が過去に示した定義の見直しを求める方針を固めた。

 来週にもまとめる第1次報告に盛り込み、安倍首相に提出する予定だ。報告には大学の9月入学導入の促進や高校での奉仕活動必修化も明記する。

 「体罰」の定義については、1948年の法務庁長官(当時)通達で事例を挙げて説明。<1>授業中、怠けたり授業を妨害したら教室外に退去させる<2>遅刻したら教室に入らせず廊下に立たせる<3>トイレに行かせなかったり食事時間を過ぎても教室に残す――ことなどを禁止している。49年に通達とほぼ同内容の「教師の心得」(7項目)が発表され、現在まで適用されている。

 再生会議の議論では、義家弘介担当室長が「現状では教師は毅然(きぜん)とした指導ができない。両手両足を縛って『戦ってください』と言うのは無責任だ」として、通達の見直しを提案。ほかの委員からも「軍隊上がりの教員が多くいた時代の通達で現代にはそぐわない」などの意見が出て、第1次報告に見直しを明記することが固まった。

 学校教育法は11条で、教育上必要があると認められる場合、教員は児童や生徒に「懲戒を加えることができる」とした上で、「体罰を加えることはできない」としている。


 体罰が無いことを逆手にとって騒ぐ生徒もおり、愛ある鞭が使えない状況を考えるとこの見直しは当然であろう。
 特に「授業中、怠けたり授業を妨害したら教室外に退去させる」は、「怠ける」の解釈はあるにしても、妨害をするなら教室の外にだして当然だと思う。結局、真面目に授業を受けている生徒が迷惑を受けるのである。「教室外に出す」と言えば、お約束で「体罰だ!」「生徒の人権侵害だ!」とアホな意見がでるのは目に見えている。しかし、真面目にやっている生徒の人権はどうなるのであろうか。
 今回の見直し、
是非!日教組などの意見は聞かず、政府には慎重かつ大胆に行ってほしい。

2007年1月19日 (金)

2007年日印友好年と柏崎
「世界に開かれた柏崎」へ

 3時就寝。5時過ぎ、祖母に起こされる。またも電話がトイレで鳴っているとのことで、説明し、なだめるのに時間がかかる。

Img_0288 7時から9時まで仮眠をしたのち、市内まわり。
 13時過ぎ、自宅に一回戻り、昨日の鯛のあらの潮汁、大粒納豆とかつお昆布を混ぜた納豆ご飯でブランチ。
 15時から18時まで、某所で鉄道活性化に関する先進事例を某氏に色々と教わる。DMV本体の総費用がだいたい1700万円ほどで、本体を作るまでもなく、現物を北海道から借りてきて実験走行をやった自治体もあるので、さらに詳細を自分で調査し、取り組みたいと思う。

Img_0289 18時30分から柏崎ベルナールで諏訪町2丁目の新年会に来賓で出席。ちょうど今朝、新聞に記事が掲載された「めだか水族館」のことや中央地区の活性化を入れた挨拶をさせてもらう。
 小さい頃から知っている方もおり、懐かしい話や小さい頃のお恥ずかしい話で赤面することも多かった。
 諏訪町界隈は、いつも祖父に連れられてウロウロするところで、その後は必ず東柏崎駅から電車に乗って柏崎駅まで行くのが常であった。当然、祖父は電車に乗った途端にワンカップを開けていた。今思えば、孫をダシに酒が飲みたかっただけということも・・・・。
 カラオケでは『夢芝居』、『異国の丘』を歌う。

 新年会は萬歳三唱ののち、2次会へと進んでいった。

India

 今年2007年は、インドと日本との日印友好年であり、日印観光交流年でもある。
 日本国内の自治体でインドと姉妹都市・友好都市になっているのは、

 ・神奈川県横浜市とマハラシュトラ州ムンバイ市
 ・岡山県とマハラシュトラ州プーネ市、同州ピンプリチンチワッド市
 ・広島県三次市とアンデラ・プラデシュ州ハイデラバード市

のみで、日中間に比べ日印間は78分の1である。
 安倍首相、麻生外相をはじめ、インドとのつながりをもっと深めていこうという政治の流れがあるなか、インドとの姉妹都市・友好都市はたったこれだけなのである。
 昨年の12月14日、衆議院でインドのマンモハン・シン首相が以下のような演説を行った。


(議員、首相への挨拶、日本の国会への敬意のコメントの後)

「日本とインドは文明的にも近い国同士であります。我々の最も古い絆は、共通遺産でもあります仏教です。二つの文化は歴史を通して交流しあい、豊かさを増してまいりました。
 一千年あまり前、インドの僧侶ボリセナは東大寺の大仏開眼供養に参列するため奈良を訪れております。近代におきましては、
タゴールと岡倉天心が、アジアの偉大なる両国の間に理解の新しい掛け橋を築きました。
 科学技術の発展に基づく、明治維新以来の日本の近代化、及び戦後の日本再建の礎となりました活力と気概は、インドの初代首相でありますジャワハルラル・ネールに深い影響を与えました。ネール首相は、インドが日本と緊密な絆を結び、その経験から学ぶことを望みました。インドが日本からのODAの最初の受益国となるようご尽力されたのは、当時の岸総理大臣でありました。
 今日、インドは、日本のODAの最大の受益国でありまして、こうした援助に、我々は深く感謝しております。貴重なご支援いただいてありがとうございます。
 日本の工業は、自動車や石油化学など、インド産業の発展のために、貴重な役割を果たしてきました。90年代の初頭、インドが深刻な経済危機に陥ったときも、日本は迷うことなく支援しつづけてくださいました。
Radhap  1952年、インドは日本との間で、二国間の平和条約を別途調印いたしまして、日本に対するすべての戦争賠償請求権を放棄いたしました。戦後パール判事の下した信念に基づく判断は、今日に至っても日本で記憶されております
 御来席の皆様、こうした出来事は、我々の友情の深さ、そして歴史を通じて、危機に際してお互いに支えあってきた事実を反映するものであります。
 日本を訪れますたびに、お国の発展を目の当たりにし、真に鼓舞され、その寛大さに心をうたれます。
 私は1992年の訪日を決して忘れることがないでしょう。それはインドの財務大臣として、はじめて日本に伺ったときのことであります。1991年に、前例のない経済危機に直面した際、日本からいただいたご支援に謝意を述べるための訪日でございました。古い型を打破し、グローバル化しつつある世界での競争に備えるべく、経済を開放し、新たな前進への道に乗り出す機会を、あの危機は我々に与えたのでありました。当時、強靭な力や献身といった長所、あるいは逆境にあっても、いかにそこから機会を創造するかといったことを日本から学ぼうとし、我々は日本に眼を向けたのであります。
 新生インドの首相として、今回、私は日本に戻ってまいりました。過去15年間、インド経済は、年率平均6%を上回る成長をとげてきております。近年では更に一層弾みがつき、成長率は年間8%以上に加速しております。現在、インドの投資率は対GDP比で30%になっております。90年代初頭以来立ち上げました広範な経済改革の結果、インド経済は、経済のグローバル化、そして世界の多極化がもたらした課題、及びチャンスを受け取められる柔軟性を身に付けました。インドは開かれた社会、ひらかれた経済として前進を続けております。民主的な政体の枠組みの中で、インドを成功裏に変容させていくことは、アジア、そしてひいては世界の平和と発展にとって極めて重要であります。
 御来席の皆様、これまでに人間の歴史始まって以来、10億を超える人々が、民族や文化など多元的な要素を抱えた民主主義の枠組みの中で、貧困を撲滅し、社会と経済を現代化しようと試みた例は全くありません。インドは現在、持続的な高度成長の波に乗っていると思います。サービス主導型、かつ技術先導型の経済によるグローバル経済との統合という新しいモデルを開発してまいりました。今日インドは、情報技術、バイオテクノロジー、医薬品など知識を基礎とする分野で主要な役割を担う国として台頭しております。道路、鉄道、電気通信、港湾、空港などの物理的及び社会的インフラを拡大し、現代化するため、大規模な投資が行われております。こうした発展は、インドの製造業の競争力及び生産性を大いに高めるでありましょう。
 インドと日本が、両国間の結びつきを急速に発展させるための土台は、こうした経過と国際的な筋書きの変化によって生れました。二つの古代文明にとって、戦略的かつグローバルな関係を含む、強固で今日的な関係を構築するときが到来したと思っております。それはアジアと世界にとって大変重要な意味をもつでありましょう。
 我々は自由、民主主義、基本的権利、法の支配といった普遍的に擁護された価値を共有するアジアの二つの大国であります。両国間に存在するこの共通の価値と膨大な経済的な補完性を活用し、互いに相手国を最重要と認める強固なパートナーシップを築いていかなければなりません。
 また、新たな国際秩序の中で、インドと日本は、国力に相応な均衡のとれた役割を演じなければならないという点におきましても考え方を共有しております。日印間の強い絆は、開かれた包容力のあるアジアを構築し、地域の平和及び安定を強化するための重要な要素であります。
 経済関係が二国間関係の基盤となるべきであり、この分野での結びつきを強力に推し進めることが必要です。日印間の貿易や投資は到底そのポテンシャルを発揮しているとはいえません。それとは対照的に、インドと中国、インドと韓国の貿易は好調でございまして、昨年は両国との貿易がおよそ40%の伸びをそれぞれ示しております。中国との貿易は、日印貿易の3倍近くに膨らんでおりますし、韓国との貿易も日印貿易とほぼ肩を並べております。申し上げましたように、これは変えていかなくてはいけないんです経済協力のポテンシャルを充分に生かすためには、両国の政府、経済界そして産業界の間の積極的な努力が必要であります。将来このパートナーシップを築くことができる最も重要な分野は、知識経済であると信じております。knowledge economy(知識経済)です。両国の経済構造、また様々な分野におけるそれぞれの比較優位のバランス、人口動態の違いなどを考えれば明らかであると思います。
 御列席の皆様、科学技術の分野でもナノテクノロジー、バイオテクノロジー、生命科学、情報通信技術といった将来の成長分野での提携も加速させていくことが必要であります。インドのソフト産業と日本のハード産業は相乗効果を活用し合いながら、発展していかなくてはいけません。
 国内の賢人同士のパートナーシップは人事の交流をより盛んにすることを意味します。私は、インドにおいて、日本語を学ぶ学生の数が増えることを願っています。日本語は既にインドの中等教育で外国語の選択科目として導入されています。明日、安倍総理大臣と私は、将来への投資構想を立ち上げることになります。今後数年の間に何千人ものインドの若者が、日本語が学ぶことができるようにしたいと望んでいます。
 相互が関心をもっているもう一つの分野は、エネルギーの安全保障です。アジア地域全体として、エネルギー供給の安全を保障し、エネルギー市場を効率的に機能させることが必要です。我々は貿易とエネルギーの流れを確保するために、シーレーンを保護することを含めた防衛協力の促進に同等の関心を寄せています。

 日本と同様にインドも増加するエネルギー需要に対応するため、原子力が現実的で、クリーンなエネルギー資源だと考えています。これを実現させるために、国際社会による革新的で前向きな取り組みが軌道に乗るよう、我々は日本の支援を求めます。
 そしてここで確認をさせていただきます。インドは、国際的に核軍縮を進めていく、そのコミットメントは変わりません。
 テロは、平和に対する共通の脅威です。また開かれた我々の社会の調和と組織を脅かします。テロには多くの側面があり、その原因も多様で、地理的な境界も無視されるという複雑な問題なのです。我々が力を合わせない限り、テロとの戦いには勝てません。
 私は、国連と国連安全保障理事会が、今日の情勢に対応できるものになるよう、その活性化と改革に向けて両国が協力してきたことをうれしく思います。両国は、国連と様々な国連関連機関の効率強化に関心をもっています。この意味において、今、我々がおかれているグローバル化された世界で各国の相互依存関係を秩序正しく、公正に運営していくべく、両国の協力関係を強化しなければなりません。
 ご列席の皆様、アジアで最大の民主主義国と、最も発達した民主主義国である両国は、お互いの発展と繁栄に利害関係を有しています。我々はインドの経済環境が投資しやすいものとなるよう努める決意です。日本企業に、是非インドにおけるプレゼンスを拡大していただきたいと考えています。安倍総理大臣と私は、二国間の投資、貿易、テクノロジーの流れを増大させるべく、包括的経済連携協定の締結につながる交渉を開始いたします。
 ご列席の皆様、我々のパートナーシップは、アジア全域に優位と繁栄の弧を創出する可能性を秘めていると確信しています。それはアジア経済共同体の形成の基礎となるものです。こういった日印間のパートナーシップを拡大させたいという希望や抱負は、あらゆるレベルでの交流を増やすことによってのみ、現実のものとなると考えます。我々はハイレベルでのエネルギー対話を設置することで合意していますが、このような機会が更に多くの分野で設置されるべきであり、とりわけ貿易と産業分野では不可欠です。
 ご列席の皆様、いかなる戦略的パートナーシップにおいても、その礎となるのは人々の友情です。日本の若者の間で、映画『踊るマハラジャ』が人気を博していると聞き、うれしく思っています。インドの子供たちは、日本のロボット『踊るアシモ』を見て、歓声をあげていました。また日本ではインド料理店の数が驚異的に増えているようですし、インドでも寿司と天ぷらへの人気が高まってきたことは、間違いありません。

 2007年は日印友好年であり、また日印観光交流年でもあります。更に、両国を結ぶ航空便の大幅な増便も望んでおります。老いも若きも多くの日本人の方々がインドを訪れ、古代と現代のインドが放つ数多くの輝きをご自身の眼で見て欲しいと願っています。
 ご列席の皆様、インドと日本の新たなパートナーシップという構想は、本日その決定的瞬間を迎えました。私の訪日はこの構想を具体化するためであり、21世紀をアジアの世紀にするために我々が努力して演じている役割に、将来の世代が感謝することができるようにするためなのです。
 ご静聴ありがとうございました。」

*演説内容についてはこのサイトインド大使館を参考にさせていただきました。


 原子力の平和利用という観点、そしてインド独立のためのインパール作戦に関連したナカランド州コヒマと柏崎刈羽の元・軍人との交流など、日本とインドとの古くて新しい関係を構築するため、我が柏崎市ができることは大きい。

「世界に開かれた柏崎」
 の最初の一歩は、インドだと思う。

 国で予算が用意されている、インドとの物語がある、このチャンスを逃す手はない。
 しかし、その前に他国からの贈りものを売ってしまう感覚があるうちは、「世界に開かれ」るわけはない。

 ちなみに、インパール作戦については1998年1月20日、ニューデリーにおいてインド国民軍大尉で、インド国民軍全国在郷軍人会代表のS.S.ヤダバ氏が次のような声明を発信している。

 「われわれインド国民軍将兵は、インドを解放するために共に戦った戦友として、インパール、コヒマの戦場に散華した日本帝国陸軍将兵に対してもっとも深甚なる敬意を表します。インド国民は大義のために生命を捧げた勇敢な日本将兵に対する恩義を末代に至るまでけっして忘れません。我々はこの勇士たちの霊を慰め、御冥福をお祈り申し上げます。」

WE THE MEMBERS OF THE lNDlAN NATIONAL ARMY PAY
OUR HIGHEST AND MOST REVERED TRIBUTES TO OUR
COMRADES-IN-ARMS MEMBERS OF THE JAPANESE
IMPERIAL ARMY WHO LAID DOWN THEIR LIVES ON THE
BATLLE FIELDS OF IMPHAL AND KOHIMA FOR THE
LIBERATION OF INDIA.THE INIDIAN NATION WILL EVER
REMAIN GRATEFUL TO VALIANT MARTYRS OF JAPAN AND
WE PRAY FOR ETERNAL PEACE OF THEIR SOUL.

2007年1月18日 (木)

TVチャンピオン2「納豆王選手権2」企画
鉄道活性化コンペ投票開始

Img_0282 2時就寝。4時過ぎに一度起きて、事務仕事をする。ここ数日の騒ぎでこの時間に目が覚めてしまう癖がついたようである。
 鮭フレークとネギを入れた「鮭納豆丼」、なめこと油揚げの味噌汁で朝食。鮭フレークは使い勝手がよく、そのままご飯にのせても、海苔巻きにも良いが、皮の美味しさを味わえないのが残念。皮も刻んでいれたような鮭プレークができないものかと思う。

 午前中は各種手続きと市内まわり。今月25日に行われる月尾教授(東京大学名誉教授)の講演タイトルが変わったそうで、これまでご案内した人にチラシを渡し直す。

 朝食と同じメニューで昼食をとりながら、鉄道活性化コンペの投票システムの登録作業を実施。添付資料などは、インターネット検索でもひっかかるように、すべてテキスト化をしようと思ったが、時間もないので、多少のテキスト情報を入れ込んだPDF形式での掲載にさせてもらっった。

 15時から打ち合わせ。既に7年前のことになってしまったがテレビ東京系「TVチャンピオン」の納豆王選手権に次ぐ、第2回の企画が送られてきた。
 収録日もさることながら公職選挙法にも縛られるため、今回は出場できないのが残念。

Img_0286 19時、安くなっていた鯛の頭のあらを焼き、残りの身でダシをとったおでんで夕食。閉店間際のスーパーに行けば、天然物の鯛でも200円程度で頭を含むあらが買える。ただ焼いて食べるだけでなく、ダシを基本に色々な料理に広がるのが楽しい。干し納豆をご飯にのせ、鯛の潮汁をかけた納豆茶漬けでシメる。

 今日から鉄道活性化コンペに応募があった各案を投票・意見募集をはじめた。
 応募案総数55、周知サイトのアクセス数約5200、郵送・FAXでの応募が19件と、思った以上のご応募があり、ありがたい限りである。またそれは逆に鉄道活性化に期待する市民の方が多くいらっしゃることでもある。
 駅周辺の赤れんが棟、空いている土地の整備などを視野に入れた「まちなか活性化委員会」などの議論では、前提としてその中心は柏崎駅になっている。であるならば鉄道活性化も同じように議論されても良いが、鉄道活性化については○○委員会などいった組織を作るわけでもなく、ただただ足踏み。駅本体、駅周辺のハードウェアだけに視線が集中しないよう提言していきたい。

2007年1月17日 (水)

歴史認識、「河野談話」の汚点

Img_0278_1 1時、就寝。4時過ぎ、またも祖母の具合が悪く、「トイレで電話が鳴っている」と騒ぎだした。2時間ほど。経営者モーニングセミナーに出席できず。7時、餃子のたれで酸味をつけた納豆の「酢納豆ごはん」で朝食。

 10時過ぎから某店で昼食を取りながらも打ち合わせ。
 最近、打ち合わせの最後になると「選挙活動しないで大丈夫ですか?」とのお気遣いの言葉も多い。選挙があるからと、重要な予算編成となる次の議会までの時間を選挙だけにあてるのもどうかと思うが、実際に選挙活動もしなければならないこともある。ジレンマとはこのことだろう。

 午後から緊急の相談?があるとのことで、事務所で打ち合わせ。「まちづくりセミナー」に出席できず、打ち合わせの最中も銀行の用事ができて抜けて手続きをしてきたり、と夜まで慌ただしい午後だった。

Img_0280_1 19時過ぎ、八丁味噌でタレを作った茄子の油炒め、山椒をかなり効かせた麻婆豆腐、小粒納豆1パックで夕食。やはり、舌がビリビリ痺れるような、本格的な麻婆豆腐は普通の山椒ではなく、花山椒を使うしかないようで、物足りない感じであった。

 過去の新聞のスクラップを整理していたら、平成18年10月25日『産経新聞』の記事がでてきた。


河野談話は再調査必要 下村副長官が言及
 
 下村博文官房副長官は25日、東京・有楽町の日本外国特派員協会で講演し、慰安婦への日本軍関与の強制性を認めた平成5年の「河野談話」について、「もう少し事実関係をよく研究し、時間をかけて、客観的に科学的な知識を収集し考えるべきだ」と述べ、将来的には見直すことも必要だとの認識を示した。

 下村氏は、歴史認識に関する安倍晋三首相の国会答弁について「首相は村山談話、河野談話について百パーセントそのまま、というわけでない」と指摘。その上で、河野談話について「個人的には検討課題としてあっていいと思う」と述べた。


 この河野談話の見直しには、民主党、共産党、社民党、国民新党が抗議している。
 しかし、悪名高い「河野談話」の中身といえば、


慰安婦関係調査結果発表に関する
河野内閣官房長官談話
                   平成5年8月4日

 いわゆる従軍慰安婦問題については、政府は、一昨年12月より、調査を進めて来たが、今般その結果がまとまったので発表することとした。
 今次調査の結果、長期に、かつ広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安婦が存在したことが認められた。慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、
本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。
 なお、戦地に移送された慰安婦の出身地については、日本を別とすれば、朝鮮半島が大きな比重を占めていたが、当時の朝鮮半島は我が国の統治下にあり、その募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、
総じて本人たちの意思に反して行われた
 いずれにしても、本件は、当時の
軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。政府は、この機会に、改めて、その出身地のいかんを問わず、いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる。また、そのような気持ちを我が国としてどのように表すかということについては、有識者のご意見なども徴しつつ、今後とも真剣に検討すべきものと考える。
 われわれはこのような歴史の真実を回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として直視していきたい。われわれは、歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明する。
 なお、本問題については、本邦において訴訟が提起されており、また、国際的にも関心が寄せられており、政府としても、今後とも、民間の研究を含め、十分に関心を払って参りたい。


と「真実」というが、事実ではないことが書かれている。
 従軍看護婦はいても、従軍慰安婦はいなし、当時その言葉もない。慰安婦はいても、軍が直接関与していたのではなく、民間で運営されていた
 次の参議院選挙までなのか、「あいまい戦術」をとる安倍首相ではあるが、「河野談話」の見直しだけは後世のためにも是非断行してほしい。

2007年1月16日 (火)

熱血校長、戒告処分

Img_0266 2時就寝。4時過ぎ、祖母が起きてウロウロしているようなので寝付くまで話しをする。
 7時、和布蕪と納豆、卵黄で「めかぶ納豆丼」、白麦味噌と八丁味噌、ネギを大量に入れた「ネギ味噌汁」で朝食。

Img_0272 事務仕事をしているうちにどうしても眠くなり、11時から少し仮眠。12時過ぎ、牛乳とスーパーで半額になっていたサンドイッチを食べながら、資料をまとめ、長岡市に移動。
 愛車での移動が多いが、鉄道活性化に取り組む以上、今度からはできる限り鉄道を使って行こうと思う。

Img_0277 14時から打ち合わせ。19時近くに自宅に戻り、夕食。蕪の浅漬けを作った残りの葉っぱを人参と炒め、胡麻をふった野菜炒め、サンマ明太、タケノコと豚肉の炒めものでビールを飲み、最後は干し納豆の納豆茶漬けでシメる。

 以前、 「給食を粗末にした生徒に熱血指導」として書いたその後が平成19年1月15日の『毎日新聞』で報道された。


体罰:「子どもの心…」の小学校長を処分 奈良県教委

 奈良県教委は15日、児童に体罰を加えたとして同県三郷町立三郷北小の岡本喜代治校長(59)を同日付で戒告処分にしたと発表した。岡本校長は教育困難校立て直しの実績で知られ、「子どもの心と教師の心」(日本教育研究センター)の著作がある。県教委は「過剰な指導で体罰に当たるうえ、校長が行ったのは重大」と説明。岡本校長は「多大な迷惑をかけた」と反省しているという。

 県教委によると、昨年11月13日の給食時、4年生男児がご飯を団子状にして教室の天井に投げた。岡本校長は翌朝、校門前で男児のほおをつかんで引き寄せ、尻を7、8回たたいた。男児は足をすりむき、学校を約1週間休んだ。


 賛否両論あろうが、個人的にはやはり岡本校長が全面的に悪いとは思えない。「食育」の必要性が叫ばれているが、根底となる「食の大切さ」「食べ物を粗末にしない」をもっと全面に押し出しての教育が必要であろう。
 給食費を払わない家庭をはじめ、世の中がおかしくなってきているとしか言い様がない。

2007年1月15日 (月)

日本とヴェトナムの原子力協力

 3時、喉が渇いて起床。そのまま7時まで仕事をし、某所で辻立ち。午前中は、先日の視察の報告書や所属会派の会計処理など。4月の選挙までにやらなければならない仕事が日増しに増えていく。

Img_0256  12時、小杉食品さんの「つゆだく納豆」で納豆ご飯2杯のブランチ。「おいおい大丈夫か?」というほどの量のタレであり、ご飯の上にかけるにも多少の躊躇がでてしまう。何かと話題になったボクシングの亀田興毅選手は納豆好きであり、小杉食品さんが贈られたのも、この納豆だそうである。

 午後から次の納豆関係の番組の打ち合わせを長電話で行う。15時、17時と2件の来客。
 打ち合わせの数は増えているが議事録を書く暇がない。

Img_0265_1 20時過ぎ、生の山葵を摺り下ろし鯛かまぼこでの「板ワサ」、大量のネギと卵、冷凍うどん、挽き割り納豆で「釜玉納豆うどん」で夕食。やはり釜玉は、生の麺から茹でたものでやらないと美味しくならないような気がする。

 お隣の国・中国共産党に何か言われる度に、日本のマスコミではすぐ

 「日本はアジアで孤立している」

という論調が定番になっているが、他のアジア各国と日本の良好な関係は見事に無視されている。
Vietnamf 世界最大級の原子力発電所を抱える我が柏崎市も関係があるところでは、日本とヴェトナム社会主義共和国の原子力協力がある。
 昨年の10月18日から22日まで、ヴェトナム社会主義共和国のグエン・タン・ズン首相が初めて日本を公式訪問したが、日本のマスコミではほとんど報道されなかった。
 しかも、参議院の議場において、グエン・タン・ズン首相夫妻の歓迎会が行われ、以下のような演説を行ったのである。
*余談ながら、来賓に対する礼儀の面からも、議場で寝ている国会議員は糾弾すべきと思う。
 ヴェトナム社会主義共和国では、原子力発電導入計画を進めており、安倍首相は10月19日に「アジアの平和と繁栄のための戦略的なパートナーシップに向けて」と題する共同声明を発表した。


(議員、首相への挨拶、日本の国会への敬意のコメントの後)

 「ヴェトナムと日本の交流関係は最近始まったことではありません。両国は地理的に近いことに加え、文化的にも非常に近く、永い歴史を有しています。17世紀から18世紀には、日本の多くの商船がヴェトナム北部のホー・フェンや南部のホイ・アンに寄港し、貿易を行い、肥前焼物など多くの日本文化の遺産を残しています。日本の明治維新の成功は、ヴェトナムの多くの知識人の強い関心を惹き、20世紀始めにヴェトナムの民族振興のために、日本の経験を学ぼうとするドンズー運動を惹き起こしました。ヴェトナム、日本両国は、歴史の変遷を経て1973年に外交関係を樹立し、関係正常化を成し遂げました。ヴェトナム国民は、善意・公正の心と平和・親善という伝統に基づき、過去に囚われず、未来を目指しております。そしてヴェトナム政府は、このような国民の意向に従って、アジア・太平洋のみならず、世界において重要な役割を担っている世界第二の経済大国である貴国と全面的な協力関係を強化することを最優先しています。
 両国関係は、前世紀の90年代から大きく発展し、新しいページを開いたことに満足しうるだけの十分な理由があります。両国の政府や国会、各分野、団体、地方の間の交流など活発な政治関係は、全面的協力関係を促進するための力強い原動力になっています。特に2002年のノン・ドゥク・マイン書記長の日本訪問の際、両国指導者が長期安定、信頼、パートナーシップの確立に合意したことで、政治、外交、経済、安全保障など広範な分野での協力関係が形成されましたが、これが効果的に機能しています。日本はヴェトナムにとって、日増しに大きくなる最大級の経済・貿易のパートナーです。それは、両国の確固たる協力関係の物理的な基礎となっています。貿易額が急激に増加し、そして均衡しています。日本の対ヴェトナム投資は実効額ベースで最大であり、最も効果的に活用され、双方に利益をもたらしています。特に日本からはヴェトナムにおいてもっとも多くの開発援助を提供していただいており、その援助は目的どおりに正しく効果的に使用されています。そして日本の援助は、高い技術や先進的な経済運営経験によってヴェトナム経済、および社会発展の実現に大きく貢献していると同時に、ヴェトナムにおける日本企業の活動のための良い環境を作り出しています。ヴェトナムは日本の援助でできた道路、橋、港湾、空港、学校、病院、発電所などが両国協力関係の美しいシンボルになっていると言えます。私は、この機会にヴェトナムが日本の援助を最も効果的に使用している国であると確信いただきたいと思います。

(略)

 ヴェトナムには『水を飲んで泉を思い出す』、日本には『水を飲んで井戸を掘った人を思い出す』という諺があります。ここに日本の国会、政府と納税者の皆様がODA全体枠の削減の折にもかかわらず、対ヴェトナム援助を拡大していただいた寛大なご配慮に対し、心から感謝申し上げます。

(略)

 ヴェトナム国民は、戦争によって大きな被害を受けた民族として、誰よりも自らと各民族ために平和を切望しています。私たちは朝鮮半島における最近の状況の変化に対しては、日本国民の皆様、および国際社会の深い懸念を共有し、この地域の非核化と核実験反対の立場を一貫して堅持しています。すべての関係者は、国連安全保障理事会議長声明、同理事会決議1695号および1718号を遵守する必要があると考えます。また朝鮮半島の緊張緩和と平和的解決のために、6ヵ国協議の再開を呼びかけます。

(以下、略)」
*演説内容についてはこのサイトを参考にさせていただきました。


 明治維新をはじめ、アジアにおける日本の近現代が果たした役割、そして現在のアジア各国との本当の関係をマスコミには伝えてほしいものである。
Chinaf 金だけでどうこういうわけではないが、我々の血税からだされたODAに感謝するどころか、核ミサイルを向けるわ、反日教育を行うわ、マンガのような国もある。

2007年1月14日 (日)

第3回中越大震災復興支援コンサート

Img_0249 1時、就寝。4時、起床。6時過ぎまで事務仕事の後、7時から8時まで某所で辻立ち。
 自宅に戻ったところで、先日の京都での朝食で火がついたのか、とろろ納豆が食べたくなり、山芋をすって、大粒納豆とともに「とろろ納豆ご飯」にして食べる。

3chcon 10時から12時まで仮眠し、柏崎市民会館大ホールに向かう。今日は、13時から「第3回中越大震災復興支援コンサート」(入場無料)が開催されるからで、納豆学会としても協賛させてもらった。
 こういったイベントは、チャリティという意味だけでなく、柏崎の音楽のレベルを上げることにも寄与することから重要である。
*今度は一流の音楽が聞ける「自衛隊音楽まつり」 にでも招待を・・・
 第1回から参加させてもらっているが、今回のテーマは「繋ぐ~柏崎でできること~」。以下、実行委員長の挨拶より。


 「災害は、いつどこからともなくやってくる。」という言葉のとおり、平成16年(2004年)10月23日(土)午後5時56分頃、川口町を震源とするマグニチュード6.8、最大震度7という凄まじい地震がおこりました。震度6を超える強い余震が幾度となく続き、中越地域は多大なる被害に遭われ、67名の命が犠牲となりました(平成18年9月22日現在)。いまだに、およそ2千人の方々が仮設住宅での生活を送られております。心より哀悼の意を表すとともに、一日も早い復興を祈念申し上げます。
Img_0250 私達は、第1回中越地震チャリティーコンサートを終え、今後の復興支援には、チャリティーコンサートの必要性、重要性を感得しました。市内外の音楽団体が集い交流を深め、各団体による工夫を凝らした音楽による被災地へのメッセージは、観客皆様に喜ばれるとともに、報道関係を通じて県内多くの方々に反響を与え、大成功を収めたと考えております。しかし、復興はこれからです。平成16年中越大震災は、これから繋いでいかなくてはなりません。今回の「語り繋ぐ、手を繋ぐ、心を繋ぐ」をテーマに、音楽の力である、暖かさ、明るさ、力強さ、哀しさ、楽しさなどを、参加者ひとり一人が精一杯心を込め熱いメッセージを秦でたいと患います。
 この演奏会を開催するにあたり、多くの方々より特段なるご高配を賜りましたことに、心より感謝申し上げます。
 中越地震チャリティーコンサート~柏崎から送る心のハーモニー~実行委員会一同


Img_0252 演奏会の冒頭はまず被災され亡くなられた方への黙祷。
 演奏は、柏崎常磐高校による軽快なステージドリルから始まった。
 続いて、柏崎市吹奏楽団による『Dear Woman』『ふるさと』が演奏されたところで、朗読「私たちのふるさと、復興への歩み」が行われた。
Img_0253 このあとの目玉として、合同演奏『世界に一つだけの花』、ゲスト出演のコカリナ奏者の黒坂黒太郎氏、矢口周美氏(ボーカル)、フルート奏者の金野紗綾香氏(シエナウィンドオーケストラ)が楽しみであったものの、事務所への来客があり、どうしても抜けなければならず、泣く泣く事務所へ戻る。
 コカリナの本格的な演奏はまだ聞いたことがなく楽しみだった上に、音色が好きなフルートのプロの技も楽しむことができなかった・・・・。収録した音源を後ほど借りることにする。 

070114f1000005 17時過ぎまで打ち合わせ兼懇親。18時から某所で新年会。食べる暇もなく、酒を次いでまわり、次いでは柏崎の政治はなっておらん?風にご指導を受け、ご返杯も受ける。飲まないわけにもいかず、かなりの量の日本酒を飲む。
 23時過ぎ、帰宅。酔っていても胃のなかは酒ばかりなので、鯛のあらを塩焼きにして食べる。

2007年1月13日 (土)

給食費の未納問題、初の全国調査

Img_0238 2時に起床し、出張中に溜まった郵便物やFAXなどを処理。
 7時、小粒納豆2パック、漬け物3種類を基本にした朝食。やはり自宅で納豆を選びながら用意する朝食の方が気分が良い。
 午前中は打ち合わせ2件。寒くなってきたからなのか、祖母の具合がかなり悪く、母方の祖母にももう一日手伝ってもらうことになった。

Img_0239 甥っ子と姪っ子が来たので、昼食は「うれっ子」(電話:0257-22-4648)の「チューシューメン」。大盛りにして、甥っ子と分けて食べる。甥っ子もかなり食べる量が増えてきたが、まだオムツがとれないなか、出す方?も増えてきて母親である妹は困っているようでもあった。

Img_0243 祖母の付き添いをしたのち、そのまま愛車で六日町の「金誠館」 (電話:025-772-2377)に移動。
 2007年度日本青年会議所新潟ブロック協議会でのアドバンス新潟創造委員会であったが、到着したときにはもう終了時間であった。無理を言って、道州制について5分だけ喋らせてもらい、滞在時間20分でそのまま柏崎にトンボ返り。

070113f1000001 20時近くから町内の集会所で成年会の打ち合わせ兼新年会。来週の町内新年会の準備と流れの確認など。
 町内の集会所で灯油ストーブを囲んでの缶ビール、缶チューハイを飲みながらポテトチップスをポリポリ。
070113f1000004 一区切りついたところで、ちゃんと?飲もうということになり、同じ町内の「寿司 大哲」(電話:0257-23-9696)で行き、生ビールを飲みながら鮨をつまむ。
 飲みながらの話のなかで、「民主党のCM、ありゃなんだ?」という話からNHKの放送料金を支払うべきか否かなど面白い話題も広がった。

 24時近くに自宅に戻る。

 全国で話題になっている給食費の未納問題であるが、初の全国調査の結果が平成18年1月8日の『産経新聞』に掲載された。
 昨年の12月議会一般質問で取り上げたが、我が柏崎市においては、月途中の残高不足による支払い遅れはあるものの「未納はない」との回答が教育委員長からあった。
 それにしても、20億円超とはもの凄い数字である。


給食費未納、4万人分20億円超
           初の全国調査

 学校給食費の未納問題で、文部科学省が初めて実施した全国調査の結果、平成17年度の未納額が総額20億円を超える見通しであることが分かった。公私立の小中学校全体の未納額が明らかになるのは初めて。20億円は児童・生徒約4万人分の給食費1年分にあたり、前年度以前からの累積額を合わせるとさらに膨らむ。深刻な事態を受け、法的措置を検討する自治体はさらに拡大しそうだ。
 調査は、文科省が昨年11月、全国の公私立小中学校を対象に実施。未納額や人数のほか、その理由や回収対策などについて、各都道府県教育委員会経由で市町村教委に調査を依頼した。
 現在は最終集計の段階で、さらに都道府県教委に精査を求めている部分もあるが、総額は20億円を超える見通しとなった。一部の自治体は、既に議会などで調査結果を発表しており、経済的に余裕がありながら給食費を払わない保護者が多い実態が浮かんできている。
 宮城県は昨年12月、県議会文教警察委で、17年度の未納額が約9800万円にのぼったと報告した。未納者は全体の1.9%にあたる計3700人で、全県の57%の390校で未納が発生。未納者がいないのは1割に満たない3市町しかなかった。未納理由についての学校側の認識は、「保護者の責任感、規範意識の問題」が約57%と半数を超え、「保護者の経済的な問題」は39%だった。未納者に対し、法的措置を取った学校は、全体の12%の48校だった。
 また、島根県は17年度、計1200万円(約560人分)の未納があることが聞き取り調査で分かったと発表。未納率は0.9%だった。
 関東地方のある県でも、未納額は計5000万円(約2500人分)を超えた。未納率は1%前後だったが、その理由の半分以上が「保護者の責任感の欠如」だった。
 他の都道府県でも、予算規模による未納額の差はあるものの、未納率や未納理由などでは、極端な例を除いて、ほぼ同様の結果が出るとみられる。
 この問題をめぐっては、全国の少なくとも12市町村が過去5年間で、総額約3000万円(約270世帯分)の支払いを求め、給料の差し押さえなどの法的措置を取ったことが分かっている。

2007年1月12日 (金)

平成18年度第3回市議会議員特別セミナー2

 研修所自体が、携帯が通じたり通じない場所であり、かなりの量の着信と留守番録音があり、気になりつつも1時過ぎ就寝。

07012f1000003 6時起床。身支度をして、施設周辺を散歩ののち、7時から食堂で朝食。ビュッフェ形式でやはり納豆はミツカンの「金のつぶ」のカップで匂いがひかえめのもの。納豆2カップをとり、他の議員と納豆談義をしながら食べる。
 フジテレビ系で放送された『発掘!あるある大辞典Ⅱ』の納豆特集の余波はまだ続く。

Img_0206  9時から「生命誌から見た人間とは」と題して、JT生命誌研究館館長・中村桂子氏の講演。


1959年東京大学理学部卒業。1964年東京大学大学院理学系研究科生物化学専攻博士課程修了後、国立予防衛生研究所入所。三菱化成生命科学研究所、早稲田大学人間科学部教授、大阪大学連携大学院教授などを経て、2002年から現職。『生命誌の扉をひらく一科学に拠って科学を超える(哲学書房1993年)』、『生命科学から生命誌へ(小学館1991年)』、『自己創出する生命一普遍と個の物語(哲学書房1993年)』、『ゲノムが語る生命一新しい知の創出(集英社〔集英社新書〕2004年)』など著書多数。


 続いて、日本に住む外国人の住みやすさ、他文化を吸収するには、ということをテーマにした「多文化共生社会にむけて」と題した、明治大学商学部教授・山脇啓造氏の講演。


東京大学法学部卒業。コロンビア大学国際関係・公共政策大学院修了(国際関係論修士)。国連開発計画JPO、明治学院大学研究員を経て、明治大学商学部に着任。総務省多文化共生の推進に関する研究会座長、外国人集住都市会議アドバイザー、愛知県多文化共生社会づくり推進会議座長、群馬県多文化共生指針策定委員会委員長。『多文化共生の学校づくリ-横浜市立いちょう小学校の挑戦(明石書店、2005年)』など著書多数。


 日本に住む外国人との交流は大切であるし、より良い環境で住んでもらいたいが、ここで考えたいのが、参政権の問題である。民主党などは外国人にも参政権を与えるべきとの党の方針をもっているようであるが、私は反対であり、政治への参加を望むならその国の国民となる(帰化)べきであろう。

Img_0225 12時過ぎ、京都まで戻り、4条通りをプラプラ歩きつつ、まずは腹ごしらえと「生蕎麦 大黒屋」(075-221-2818)にて、京都らしく「にしんそば 970円」で昼食。
 「にしんそば」といえば、蕎麦の上に置かれた鰊のお腹付近に、布団をかけるように蕎麦がかかっていることが多いが、このお店の鰊は頭から汁に突っ込まれている「窒息型」であった。しかも量が少ない。

Img_0226 そのまま駅の方向に向かって歩いている際、「肉の長崎屋」(電話:075-351-3315)を見つけた。NHKの番組で美味しいコロッケのお店として紹介されていた肉屋さんである。1個63円のコロッケを2個購入し、揚げたてを食べてみると、ゴロゴロとした食感のジャガイモに程よい塩加減が美味であった。今度、京都に来た際にはお腹が空いているときに食べてみたい。

Img_0227 京都駅の目の前まで戻り、ふと交差点の端の方に目を向けると「電気鉄道事業発祥地」という石標が建っていた。
 説明板によれば、日本最初の電気鉄道は京都電気鉄道株式会社の伏見線であり、開業は明治28年(1895年)。この地を起点として伏見町下油掛までの約6キロを走ったそうである。
【碑文】
 日本最初の電気鉄道はこの地に発祥した。
即ち明治二十八年二月一日京都電気鉄道株式会社は東洞院通り七条下る鉄道踏切南側から伏見下油掛通りまで六キロの間に軌道を敷き電車の運転を始めた。
 この成功を機として我が国電気鉄道事業は漸次全国に広がり今日の新幹線電車にまで発展することになったのである。
よってこの八十周年にあたり先人の偉業を讃えてこの記念碑を建てる。

Img_0210 電車の出発時間まで、京都駅周辺の喫茶店で「小倉カフェオレ 450円」を試しで飲んだり、夕食に食べようと京都ラーメンを買ったりしながら、時間をつぶす。
 「小倉カフェオレ」はカフェオレの底に小倉が沈んでいるだけのものであったが、なかなか趣のある味であった。

Img_0233 14時10分発のサンダーバード25号に乗り、富山まで移動。富山から北越7号で柏崎駅まで戻ってきたのが、遅れもあって19時30分過ぎであった。都合、5時間以上の長旅であるが、旅費を安くするためには仕方がない。
 途中の富山駅で若鶴酒造株式会社の「清酒 若鶴」ワンカップで、「ますのすし」ラベルになっているものを購入。柏崎の鉄道活性化においても、せっかく酒造会社が柏崎市内にもあることから、こんなワンカップの取り組みもできれば面白いのではないかと思う。

Img_0234 20時近く、自宅に戻る。私がいない間に痴呆が進む祖母の面倒を見てもらうために来てもらった母方の祖母と母と一緒に夕食。
 京都駅で買ってきた、京都の老舗ラーメン「天天有」(電話:075-711-3255)の生ラーメンを作る。
Img_0236 化学調味料を一切使わず、朝にシメた丹波地鶏を20時間以上煮込んだ白濁スープと中太のストレート麺である。
 本当は九条ネギや脂身の少ないチャーシューでもあれば良かったが、冷蔵庫にあったハムを刻んで、鯛かまぼこを盛りつけた。

 疲れもあったのか、23時過ぎに就寝。

2007年1月11日 (木)

平成18年度第3回市議会議員特別セミナー

Img_0201_1 2時、就寝。6時、起床。シャワーを浴び、ホテル1階のビュッフェで朝食をとる。
 京都のホテルらしく、漬け物が4種類と充実しており、山芋のとろろまであった。納豆はミツカンの「金のつぶ」のカップで、とろろ納豆にして楽しむ。

Img_0219  集合時間まで2時間ほどあったので、「浄土宗総本山 知恩院」近くまで移動し、祖父がよく風呂の中で歌っていた軍歌『戦友』(作詞:真下飛泉 作曲:三善和気)の歌碑を探す。
 歌碑は、知恩院の塔頭である良正院の門前にあった。日露戦争時代の名曲と言われた軍歌『戦友』は、「ここは御国を何百里 離れて遠き満州の赤い夕陽に照らされて・・・」ではじまる曲で、大東亜戦争中は歌詞の悲壮さもあり、陸軍では歌唱禁止と言われた曲である。
 歌碑は、作詞者の真下飛泉氏が亡くなった場所に近い良正院に、教え子であった1824人が顕彰して昭和2年に建立された。文字は、『肉弾』の著者桜井忠温氏。終戦後、歌詞が軍国調であるとして、GHQにより破壊を命じられたが、良正院の当時の住職・細井照道導師の弁護で破壊を免れた。

070111f1000001 11時前、JR湖西線唐崎駅に到着。今日から1泊2日で、市(区)議会議員対象の「平成18年度第3回市議会議員特別セミナー」を全国市町村国際文化研修所(滋賀県大津市唐崎2丁目13番1号)で受講する。
 12時、株式会社大津給食センター(電話:077-537-2806~8)の弁当で昼食。

Img_0202 13時過ぎから研修が始まった。この研修には全国から223名の地方議員が出席した。
 今日の1コマ(90分)目は、 「地方公務員改革は自らの手で~地方公務員を取りまく現状と課題~」と題して、東京大学社会科学研究所教授 中村圭介氏による講演。


 1976年東京大学経済学部卒業。1985年東京大学大学院経済学研究科第2種博士課程単位取得退学、雇用促進事業団雇用職業総合研究所研究員、武蔵大学経済学部助教授、東京大学社会科学研究所助教授を経て、1998年から現職。経済学博士。『日本の職場と生産システム(東京大学出版会1996年)』、『行政サービスの決定と自治体労使関係(明石書店・共著2004年)』、『変わるのはいま一地方公務員改革は自らの手で(ぎょうせい2004年)』、『成果主義の真実(東洋経済新報社2006年)』など著書多数。


1.はじめに
  90年代末からの地方公務員制度改革の議論をみて、地方公務員の実態を知らない人が議論するような状態でもあり、「危うい」と思ったため、地方公務員の研究をするようになった。
 実態調査をして、現在まで至る。
 人口1000人あたりの公務員は
 フランスは97人
 アメリカは75人
 ドイツは65人
 イギリスは81人
 北欧諸国はもっと多い。日本はどのくらいかといえば、38人。
 先進諸国のなかの半分しかいない。
 余っているから減らすという論理ではない。ただし、制度改革をして、人事管理の改善をすることは重要。 現在の地方公務員の人事管理は問題が多すぎる。

*欧米の公務員は賃金を下げることもできることは大きく違う。

2.人事管理の重要性
  <事業目標は?マーケット・メカニズムが働かない
   自らを律するメカニズム>

 いつも地方にいくと、地方公務員に「事業目的」を聞く。
 民間企業は「金儲けであり、社会貢献」。地方公務員は何を事業目標としているか分かっていない場合が多い。
 70人以上にインタビューしたなかで、事業内容を答える地方公務員がほとんどのなか、一人だけ釜石市の若い女性職員は、「釜石の市民を元気にするためです」と答えただけだった。
 民間企業は目標を達成できないと倒産する。つまりマーケットメカニズムが働く。しかし、自治体は目的を意識せずとも生き延びることができ、外部から判定するマーケット・メカニズムが働かない。
 自らを律するメカニズムが必要である。 それが人事管理であり、地方公務員改革の要諦となる。
 良き人事管理システムをもっている国内の自治体は少ない。

3.異動の範囲
  <ジェネラリストかスペシャリストか>
 日本のサラリーマンの多くはスペシャリストじゃなく、ジェネラリストが多いと言われるが、詳細に調べてみると、ほとんどがスペシャリストであり、畑をもっている。
*特定の分野で昇進する「一貫型」が多い。
 事例:日本鋼管、三菱商事等
 自治体では、ジェネラリストとして3年から5年を期間として異動させる。つまり仕事の深さではなく、異動させている。
 その理由としては、
 ・広域性のある自治体で地域間異動をさせたい
 ・市の職員たるもの、すべて答えられなければならないという思想(職員全員をスーパーマンにさせたい幻想)
 ・同じ仕事させると飽きて士気が低下する

の概ね3つ。しかし、オールマイティの市の職員を誰が求めているのか。本当に市民のためになる職員はスペシャリストではないのか。
 多くの場合、その課の1/3を入れ替えているが、年齢など関係なく、1/3は素人ということになり、実質33%のパワー減となり、力を捨てている。ジェネラリスト思想の弊害。

4.役職昇進
  <選抜のメカニズム>
 管理職の選び方も人事管理システムでは重要となる。
 多くは、一時的な情報により昇進を決める。複数の部長が同じ評価をした場合のみ昇進するような世間相場的な制度をとっている例は少ない。
 筆記試験で図る能力は筆記試験ができる範囲の人間しか選ばない。
 リーダーシップが筆記試験で分かるのか。
 人事評価、管理システムを望む声はあるものの、実際の導入までいっていないのが現状。
 窓口業務で、Aさんのところに市民がいくと必ず市民が怒って帰る、Bさんのところにいくと必ず市民が納得する、という簡単な事例でも分かるように、行政の仕事には能力差が大きくでる。
 管理職も、怒った市民が来たときに部下より先にでていくのが良い管理職。

5.昇給と昇級
  <インセンティブかモラル・ハザードか>
 昇給は法律や条令に反することなく、庁舎に来ていれば、給料は上がり続ける。自らの仕事に対して、アンテナを高くしている職員も、市民を怒らせる職員も同じように昇給する。
 「怠けるなよ」というメッセージは自治体のなかには発生しない。同時に「人より頑張ったら褒美があるよ」というメッセージもない。ボーナスに反映させるようなシステムを急いで構築すべき。

*「残業が人につく」事例も多い。
 その人が異動した課は必ず残業が増える。つまり日中仕事をしない。
 注意をしない場合が多いのは、課内は仲良くという自治体が多いため。



Img_0203 休憩ののち、「さらなる地方分権の推進のために」と題して、現職の知事である増田寛也岩手県知事の講演。
 現職の知事でありながらも、3期目を終わろうとするところであり、ご本人いわく「3期12年もやれば十分。しがらみも出てきてしまう」と4月の改選には出馬しない宣言をしている。


 1951年東京生まれ。1977年東京大学法学部卒業。同年建設省入省。千葉県警察本部交通部交通指導課長、茨城県企画部鉄道交通課長、建設省河川局河川総務課企画官、同省建設経済局建設業課紛争調整官等を歴任し、1995年岩手県知事初当選。1999年再選。2003年全国初のマニフェストを掲げて、三選を果たす。全国知事会・地方分権推進特別委員会委員長のほか、新しい日本をつくる国民会議(21世紀臨調)副代表及び知事・市町村長連合会議座長として、地方分権、三位一体改革等に対する地方からの提言活動において中心的役割を担う。また、郵政民営化委員会委員、官民競争入札等監理委員会委員として、地方の意見の政策への反映に努めている。


さらなる地方分権の推進のために

   安倍内閣でこれから第2次分権改革に入る。
   平成7年に知事になって以来、3期目。ここで区切りにする。

1.未完の分権改革
  総論
  平成5年6月に地方分権推進決議が衆参両院で行われた。平成7年、地方分権推進法の成立。5年間の時限法。平成12年4月、地方分権一括法。国と地方が対等平等の位置になる。しかし、権限は地方にある程度移譲されたが、財源が伴っていない。財源の移譲がなければ、分権改革は終わらない。今でも自主財源は30%未満という自治体がほとんどである。

<三位一体改革の評価>
  財政面の分権だったはずであったが、中身が伴っていなかった。4兆円削減し、3兆円の財源移譲が表面上の目標であった。 交付金の補助率が変わっただけであった。
  純粋に地方の一般財源化したのは保育園程度であった。
  改革については、国民がどれだけその内容を理解しているかにあると思う。国は20兆円のうち、4兆円を地方移譲する予定が実際には3兆円、この部分が国民に周知されていない。効果を説明しなかったのも反省すべき点である。
 結局は国と県との金の取り合いという面が多かった。
 4兆円の補助金廃止リストを作ったのは大きな成果であったかと思う。
 納税者の税が国に入らず、都道府県に入ることで、納税者(=有権者)の目が厳しくなる。
 地方への税源移譲だけであったら、結果は良いであろうということであったが、富裕自治体と過疎自治体との差を広げるという矛盾を抱えている。
 「貧乏な自治体ほど、より貧乏になっていく時代」

<地方6団体の取り組み>
 知事会と市町村会はこれまで統一行動がなかなかとれなかったが、補助金の改革については6団体という認識ができた。
 国に頭を下げて、金をもらってくるという地方自治体の構図が変わりつつある。

2.次なる改革へ
<中央集権型から地方分権型のシステムへ
 人口減少が問題になってきている。
 限界集落をはじめ、国土保全が重要になってくる。
 介護の例も、「ご近所介護」「ボランティアでの入浴車」など地域力が試される。
 ITをはじめとする技術革新も地方分権が似合い、コンパクトシティも同様。
 がけ地の下の民家なども税金で移動してもらっている。これも権限が移譲されているからできることであり、岩手県内は900箇所ほどある。
 個人資産の移動に税金を投入することの賛否はあるが、災害が起こった場合を考えれば結果的に安上がりになる。

3.残された課題
 第1次分権改革で残された課題
  さらなる税源の確保。富裕自治体と過疎自治体とのバランス。
  対東京の戦略(今年は愛知も不交付団体の予定)
  土地に関する法をはじめ、都道府県から市町村に落とし込むこと。
  法律による規律密度を緩和する
  市町村の議会の責任のもと、条例を制定し、自治体運営を行う。
  国からの権限委譲をさらに進めること。国の出先機関の仕事は都道府県でできる仕事。国の出先機関は国会の目が届きにくい。都道府県に落とし込み、都道府県議会で追求ができるようにし、この2重行政をやめる。
 消費税の1%は均等に自治体に配分されいる。偏在の大きい税は小さくし、地方消費税を上げてもらうことが地方自治体運営に必要になっていく。

 地方分権改革を進めるための条件
  ・富裕自治体と過疎自治体とのバランス。
   対東京の戦略(今年は愛知も不交付団体の予定)
  ・道州制への対策。よく整理する必要があり、国の権限が結果的に強くなる場合も予想される

4.地方側に求められるもの
 困難を乗り越える覚悟。知事の不祥事が続き、信頼が失われている。
  
 真に試されるのは各自治体の知恵であり、人材。
 どこの自治体もスペシャリストの人材をほしがっている。
 県から市町村に、税源、権限、そして人材も移譲する試みを岩手県では行っている。
 最初は異質な人間が来ることに警戒感があったようであるが、現在は好評で希望も多くなってきた。

5.おわりに
 真の分権国家へ
 後藤新平の「自治三訣」をよく考えてほしい。
Img_0205 人のおせわにならぬやう
 人の御世話をするやう
 そしてむくいをもとめぬやう

*知事曰く、原敬、斉藤実などの歴代の岩手の偉人が生誕周年となる今年は歴史を見直す活動をしたいとのこと。


07011f1000002 17時前に講演、質疑応答は終わり、続いて食堂での交流会となった。
 全国若手市議会議員の会の仲間では、東京都武蔵村山市の天目石要一郎議員、滋賀県野洲市の内田聡史議員が参加しており、滋賀県の知事選でモメにモメた新幹線停車駅建設問題、そしてその後の地元市長選挙における推進派の市長当選と、あまりにも生々しい地元の声を聞いた。

 その後の色々な自治体の議員と議員立法の手法や事例など情報交換をさせてもらい、河岸を変えながら、23時近くまで話合う。

2007年1月10日 (水)

静岡がんセンター視察

 資料の整理などを行い、結局、徹夜。納豆ご飯をかっこんだ後、柏崎駅に移動。

Img_0197 所属会派での視察のため、静岡に向かう。7時46分発の「くびき野1号」に乗り、上越新幹線「Maxとき310号」、東海道・山陽新幹線「こだま569号」で11時22分過ぎ、静岡県三島駅に到着。

Img_0175 時間も時間なので、手軽なところで三島駅前の「お食事処 源氏」(電話:055-975-0882)にて昼食。ここのところの忘新年会でかなり寂しい財布の状況から、お昼は1000円以内というルールを決めていたが、せっかくなので名物の桜えびという気分になり、「桜えびかき揚げそばセット 1200円」を注文する。

Img_0185 13時から静岡がんセンターを視察。
 静岡がんセンターは『日経ビジネス』『日経メディカル』共同の2004年良い病院ランキングで患者の評価部門で堂々の一位であった。
*調査範囲は、医療機能評価機構の認定病院のうち、関東、東海(静岡、愛知、岐阜、三重)、近畿にある200床以上の一般病院。調査のモニターは『日経メディカル』を購読する医師1万4000人と、『日経ビジネス』の読者約4万人。

 また、 『センターの約束』として、

「がんを上手に治す」
 医師、看護師、薬剤師、臨床心理士、療法士、栄養士などによる多職種チーム医療により、外科、放射線、陽子線、化学治療、緩和ケアなどを駆使して、最適な治療を提供する。

「患者さんと家族を徹底支援する」
 医師が患者と家族に十分な説明を行う。プライバシー保護(患者の呼び出しも受信機を採用し、絶対に名前を呼ばない。病室の名前の表示も無い)「がんよろず相談」を設置し、ソーシャルワーカーが相談を受け、医師に取り次ぐ。(年間約一万人が利用、予算は5000万円)。セカンドオピニオン制度の充実。

「職員が成長、進化を継続する」
 
医師は9割を診療、1割は研究を行い、常に成長と進化をする。

の三点を患者とそのご家族に約束しており、人気の秘密もここにある。

Img_0187 世界最大級の原子力発電所を抱える柏崎市こそ、がん治療のための放射線治療病院を作るべきではないか、との方針から所属会派ではかなり前から取り組んできており、お隣の刈羽村も積極的に調査をしている。
 この静岡がんセンターにも、すでに2年前に当時の西川正純市長以下市当局も視察にきており、柏崎市の議員側としては我々が初めてである。
*その後の取り組みは市長交代もあり、止まったまま・・・

Img_0191 一昨年は、福井県敦賀市の「若狭湾エネルギー研究センター」を視察し、陽子線がん治療の臨床的な試みを勉強させてもらったが、今回は実際に現場で使われている陽子線治療とその施設の誘致・建設までの過程を勉強することとした。

Img_0189 まずは医療棟の視察。患者さんがすべて癌患者ということもあり、プライバシーの問題もあるため、病院内の主要施設の写真は撮ることができなかったが、患者の心を落ち着かせるような仕掛けがあちこちに施され、建築デザインとしても面白い設計であった。


<施設概要>
敷地面積:122512平方メートル
病院本棟:地上11階、地下1階
緩和ケア病棟、エネルギーセンター、陽子線施設
総建築費:395億円(病院施設、うち陽子線治療施設は60億円)
*60億円のうち半分は国の補助
<診療科目> 全36科
<施設> 陽だまりカフェ・ラウンジ(軽食コーナー)ウエルネスヘアサロン(美容室) あすなろ図書館  キッズルーム(授乳室)そよかぜ(屋上庭園) 展望ラウンジ 駿河(展望レストラン)あしたか(展望喫茶)等
<病院構成>
一般病棟:557床、他
<職員数>
医師:約190人
<昨年までの利用状況>
外来患者数:約18万人(県内90%、県外10%)。
入院患者数:約15万5181人


Img_0196 陽子線治療のための棟は、国の補助金を使う関係から、病院のなかに設置することはできず別建屋となっている。しかし、この陽子線治療に関する施設は総工費60億円。どっかで見た数字と思ったら、「夢の森公園」と同じ額であり、半分は国の補助が入っているので実質30億円。
 かつての「東電病院構想」も地元医師会の反対で夢に終わったと聞いているが、いまこそその経緯を改めて振り返り、原子力立地自治体である柏崎市の医療の在り方を見直すときである

Img_0194 施設を一通り視察させて頂いたのち、超多忙のなか、無理をお願いするかたちとなったが、山口建総長にパワーポイントを使ったご講演をして頂いた。
*壁にかけられた旗は、センターの旗で、立地場所である富士山と浮かぶ雲2つで「心」を表している。
 とにかく最初から刺激的な内容で、「男性の二人に一人、女性の三人に一人、四割は治り、6割は命を落とす」「癌は定年とともにやってくる」などのフレーズが印象的であった。

(1)センター設立までの経緯
 ・昭和63年「静岡県地域保健医療計画」策定の中で高度先進医療の充実のためがんセンターの設置について検討すること、県東部における高度専門医療供給体制の整備充実が課題であることが盛り込まれる。
 ・平成7年「静岡県新世紀創造計画」の中で、がん制圧に取り組む拠点施設を県東部地区に整備することを明記。
 ・平成8年「静岡県地域保健医療計画」で、県東部地域にがんセンターを整備することを明記。
 ・平成8年3月 「静岡県がんセンター基本構想」(静岡がんセンター基本構想検討委員会、事務局-県保健衛生部)策定。
 ・平成9年3月「静岡県がんセンター基本計画」(静岡がんセンター基本計画策定委員会、事務局-県保健衛生部)策定。
 ・平成10年4月 「がんセンター建設準備室」設置。
 ・平成14年3月 総長、院長予定者名の公表、9月 診療開始。

(2)運営状況
 ・平成17年度運営予算は210億円で、そのうち静岡県の一般会計より60億円を補助している。これまでの総費用は約620億円。
 ・大量の電力を使うため、毎年の電気代は約1億円。減価償却をなしとして、400人の治療を行えば利益分岐点に近いが実質、治療できるのは200人まで。
 ・全国より医師、看護師を募集したため、いわゆる医師の学閥はなく、自由な運営ができている。多くのこのような施設の取り組みは学閥で失敗する。
 ・全国に8人しかいない、癌で親を亡くした子供をケアするチャイルド・ライフ・スペシャリストを養成している。

 「医学は科学 医療は物語」

 山口建総長は、この2月にも長岡市の日赤病院で専門医や関係者を集めての講演を行い、こういった施設の取り組みを紹介する予定である。
 柏崎市は、何をやっても後手後手になっている実態が、ここにもあるように思えてならない。


平成18年9月24日『新潟日報』

 がん征圧新潟県大会
    知識深めて健康守ろう

 特別講演「がん患者の心のケアと医療相談」
              -基本とインフラ整備-

 一歩踏み込む声掛けを
   悩みの把握と軽減を目指して
       静岡県立静岡がんセンター総長 山口建

 がんの患者の数は増え続け、男性の二人に一人、女性の三人に一人が、一生のうつどこかでがんにかかっています。
 医療はここ三十年ほどで従来の「お任せ型医療」から「患者参加型医療」へ一気に変わりました。患者は医師から説明を受け、理解し、手術などの治療に同意をするという医療です。患者には真実が告げられ、納得することができますが、その分、悩みが増すことが多いようです。
 がんの場合、診断をされてから治療を受けるまでに考える時間があり、治療が終わってからも、再発の不安におびえながら五年や十年を過ごします。そこで、患者や家族に対して、心のケアを含む支援が大変重要になってくるのです。
 ここで言う「心のケア」の目標は、患者や家族が前向きな気持ちで病気に向き合えるようお手伝いすること。患者や家族の気持ちを持ち直させ、闘う心をつくることが特に重要です。患者は過去を後悔し、未来についても、ひどく苦しむに違いないなどと心配しがちです。心のケアの第一歩は、現在の自分をしっかりと見つめ、冷静さを取り戻してもらうことだと思います。
 「前向きに考えましょう」と医師は言いがちです。「前向き」とは現在の悪い状況に、自分自身が積極的に働きかけ、少しでも良い状況に変えていく努力を指します。多くの人は、がんという病気が患者の無気力、むなしさ、孤独を作り出していると誤って考えがちですが、それらを作りだしているのは病気そのものではなく、自らの心だということに気付いてもらうことが大切です。
 患者の悩みを把握して、軽減させることも心のケアの大事な目標です。約十年前に厚生労働省の研究班で「がん体験者研究」を始めました。全国七千八百人以上のがん体験者から、自由筆記で治療中や治療後の悩みを記述してもらいました。分類した結果は約半数が「不安なと心の問題」。以下「症状など体の問題」「家族や周囲との関係」と続きました。
 そういう悩みをやわらげるには、気軽にアプローチできる医療相談が役に立ちます。静岡がんセンターでは四年前から、「がんよろず相談」を始めました。今では、年間一万件の相談がありますが、先述の「がん体験者研究」の結果とは大きく違って、心の問題は少なく、約八割の相談が診療に関する事柄でした。私たちは何でも相談していただけるよう、敷居を低くしているつもりですが、患者や家族は、解決してもらえそうにない事柄は、あえて相談するのを避けているようです。
 このような分析結果は、日々の診療にも活かすことができます。私たち医師は、患者に「具合はどうですか」と声を掛けることが多いのですか、それでは心の悩みまでは出てこない。「お気持ちはいかがですか」とか「悩んでいることはありませんか」のような、患者の心に一歩踏み込むような心掛けが必要だと思います。毎年、静岡県内八カ所で開催している「出張がんよろず相談」では、そういう取り組みを始めました。
 また当センターでは、日常診察にかかわる医師や看護師、薬剤師など一人一人のスタッフが患者、家族に寄り添う医療を心掛けています。「多職種チーム医療」がその現れですが、患者が心を開く機会が増していると思います。
 医療者にお願いしたいことは、患者のさまざまな悩みに対して、まずは話を聞くこと。心を真っ白にして患者に寄り添い、患者の声に耳を澄ますことが大切です。何もできなかったとしても、話を聞いてもらうことで患者の心の中が整理されるでしょう。忙しい診察の中で、その実践には多くの困難が伴いますが、医療者には、その大切さを忘れないでほしいと思います。


 感動、そしてまた「やる気」になった視察であった。2月議会には間に合わないかも知れないが、国が先行事例として補助金があるうちがチャンスである。早めに取り組みたい。

Img_0183 タクシーで駅周辺に戻ってから、電車の待ち時間があったので、歩いて往復30分ほどの三島大社を参拝。
 大山祇命(おおやまつみのみこと)、積羽八重事代主神(つみはやえことしろぬしのかみ)の三嶋大明神が祀られている。
 お参りの列に並んでいる間、本殿を見上げていると、菊の御紋とその屋根の構造が何かに似ているような気がしてきた。「戦艦 大和」の船首に似ていると思うのは私だけであろうか。

 翌日の研修のこともあり、東海道・山陽新幹線「ひかり419号」で京都に移動。宿泊先は、割引を使って格安で予約した京都東急ホテル

Img_0200 チェックインしたのち、案内係をしていたホテルのT嬢に安くて評判のお店を聞いたところ、 「京の焼肉処 弘」を紹介してもらった。素直にアドバイスにしたがい、木屋町店で夕食。4000円の「弘 焼肉コース」は、「キムチ、ナムル、和牛刺身、おまかせサラダ、和牛塩焼き、和牛タレ焼、和牛新鮮ホルモン、ごはん、つけもの、弘のしぐれ煮、デザート」で肉質、量ともに満足の内容であった。

 23時過ぎ、ホテルに戻り、納豆関係でいただいた大量の問い合わせメールに返事を書く。

2007年1月 9日 (火)

パチンコで負け、保育園に金を借りにくる親

 2時、やっと自宅に戻り、シャワーを浴びてから就寝。6時、祖母の具合が悪く、後始末をはじめ、面倒を見る。

 10時、11時、市内某所で打ち合わせ。打ち合わせをしながら某店でスパゲティ・ボンゴレでブランチ。

 13時、14時、それぞれ事務所で打ち合わせ。18時から2件の新年会を掛け持ち。

 驚くべき記事が平成19年1月9日の産経新聞に掲載された。コメントすることすらもイヤになる内容である。


【溶けゆく日本人】
子供以下の親 身勝手な論理、平然と

 20年以上のキャリアを持つ都内のベテラン保育士は、ある母親の言動に耳を疑った。おもらしをした子供に貸した保育園のズボンを返却するよう促したときのことだ。「保育園のものの方がすてきだから、譲ってくれない」。母親は真顔でそう答えたという。

 「昔は言わなくてもアイロンをかけて返してくれた。(借りたものを返さないことが)悪いという認識が感じられない。親に社会性がなくなってきています」。保育士は深い嘆息を漏らした。

 この保育園では「子供が恥ずかしい思いをしないように」との配慮から園名をズボンの裏側に書いていたが、以後、表に記すことにした。それでも返却率は悪く、10着あった替えズボンがゼロになったクラスもある。告発は尽きない。

 「ウチのたたみ方じゃない」と保育園が洗濯し、たたんだ子供服を突き返す▽「パチンコで負けたから」と、お金を借りに来る▽熱が39度もある子供を預けに来て、「平熱ですから」と平然と言う▽子供の体調が朝よりも悪化したことを伝えようとしたが、携帯電話がつながらず、後で理由を尋ねると、「忘年会中だから電源を切っていた」と答えた…。すべて、複数の保育士が目の当たりにした親の姿だ。

 子供を教育する立場にある親の、子供以下の振る舞い-。幼児教育関係者は“親育て”の負担が増したと口を揃える。
 「これまで現場は、子供の保育80%、(親などの)家庭20%の割合で力を注いできた。現在は、保育と家庭が半々です」
 都内のある公立保育園長の実感だ。目を耳を疑う親の行状は、保育園にとどまるはずがない。

 都内のある公立小学校では、夏休み前なのに子供を休ませて海外に旅立つ親が増え
ているという。閑散期のほうが航空運賃が安いからだ。
 「『家庭優先』といわれれば、無理に止めることもできない。それにしても、義務教育が随分軽く見られるようになった」と、この小学校の元校長は嘆く。
 
 「自分たちが参加できないから小学校の運動会は楽しくない」。別の公立小学校の校長はある父親にそう告げられ、閉口したことがある。「楽しみたい」という父親の言葉を投影するかのように運動会では親たちの飲酒が横行し、運動場が「花見会場」に一変する。

 もちろん、子育てに対する関心が高いゆえに、保育園や学校に苦言を呈する親も少なくない。しかし、複数の事例から浮かび上がるのは、自分たちの都合を過度に優先する非常識な親が“増殖”しつつある実態だ。

 昨年12月中旬のこと。東京都府中市の教育委員会幹部や給食調理員ら44人が、給食費未納の世帯を回った。これだけの大人数で徴収に出向くのは初めてのことだった。

 給食の食材費は学校給食法で保護者の負担とされているが、全国で「義務教育だから払う必要がない」と、月4000円程度の支払いを拒否する親が急増している。府中市でも、ここ数年は未納率が1.8%程度に上る。

 その結果、“大規模徴収”に至るが、2日間で徴収できたのは未納分の8%にあたる57万円のみだった。「駅前の一等地の高級マンションや新築の3階建てに住んでいたり、駐車場に3ナンバーの車が置かれていたり。せめて子供の給食費くらいは払えるのではないか、という例があった」と、市教委の担当者は打ち明ける。

 悪質な世帯に対して法的措置に踏み切る自治体も相次いでいる。未納により不足する材料費分を補うために「(食べる量を増やしやすい)汁物のメニューを多くすることもある」(学校関係者)という。
 
 親の自分勝手な論理のしわ寄せは最終的に子供に及ぶ。
 駐車場の車内に乳幼児を放置したまま、パチンコに興じる親も後を絶たない。業界団体の全日本遊技事業協同組合連合会によると、統計を取り始めた平成10年以降、こうした事故は毎年数件発生し、昨年も乳児2人が熱中症で命を落とした。

 「何もできない乳飲み子を何時間も車の中に放っておく。車に免許がいるように、親になるにも資格が必要なのではないでしょうか」と総務課の前島透さん。店側から注意を受けても「まだ子供は寝ているじゃないか」と言い放つ親もいる。

 常識と非常識の判断ができない、いや、しようとしない一部の親たち。約40年間にわたって幼児教育に携わってきた帝京平成大学講師の磯部頼子さん(幼児教育)は、親のモラルの低下を痛感している。
 「これまでは親が子供に合わせるのが普通だったが、今は逆。自分が中心になり、欲求もエスカレートしていく。『人の話を聞くよりも個性を出そう』…そんな教育を受けてきた結果なのかもしれません」
 

 《メモ》国立教育政策研究所が平成13年度に子供のいる全国の男女3859人を対象に行った「家庭の教育力再生に関する調査研究」によると、「家庭の教育力が低下している」と答えたのは、45~54歳では71.9%、25~34歳の若い世代でも54.6%に上った。
理由(複数回答)は、子供の過保護、甘やかしすぎ、過干渉な親の増加が66.7%で最多。そのほか▽子供に対するしつけや教育の仕方がわからない親の増加▽しつけや教育に無関心な親の増加-などの意見が多かった。

2007年1月 8日 (月)

歴史パノラマ探訪(明冶維新編)

F1000006_9 1時過ぎ、就寝。6時、起床。身支度をして早々にホテルをでる。
 7時30分過ぎ、東京駅についたので、構内にある中華店で「海鮮お粥 700円」で朝食。少し、二日酔い気味なので、納豆も食べたかったが、なかなか納豆をだしているお店がなく、お粥で我慢する。

Img_0155 8時、東京駅丸の内南口の中央郵便局前に行く。今日は、名越二荒之助先生による近現代史の原点を訪ねる移動ゼミナール、歴史パノラマ探訪(明冶維新編)に参加である。
 このツアーへの参加は全国各地から95名を超え、大型バス2台でのツアーとなった。
 地方議員も多く、チャンネル桜などでもご一緒している、東京都杉並区の松浦芳子議員をはじめ、東京都内、千葉県内の議員も参加されていた。

Img_0141 まず、最初は千住の回向院(荒川区南千住5-33-13)。
 江戸時代、小塚原刑場の付近であり、「安政の大獄」の志士の墓はじめ、井伊直弼暗殺の浪士、その他刑死者の墓がある。
 吉田松陰は刑を執行されたのち、この地に埋葬されるが、4年後に高杉晋作をはじめとする攘夷派の志士が遺体を掘り起こし、当時、萩藩の領地であった世田谷区若林、現在の松蔭神社に埋葬した。吉田松陰の墓として、現在も残るものの遺体はここにはない。
 また、鼠小僧次郎吉の墓、解体新書・腑分けの碑もある場所で、近現代史を知る第一歩にふさわしい。
 他にも、二・二六事件に関与し銃殺された磯辺浅一夫妻の墓や、「悪女」高橋お伝の墓もある。

Img_0147 吉田松陰が最初に埋葬された回向院の次は、吉田松陰最後の地となった十思公園(日本橋小伝馬町1丁目)。
 ここには小伝馬町座敷牢跡があり、そこに吉田松陰辞世碑がある。
 奇妙な一致であるが、刑に処せられる際、いわゆるA級戦犯とされる東條英機大将は処刑を行う米兵に対し、「ごくろう、ごくろう」と自分を処刑する事は別として労い、吉田松陰も処刑人に対し、「ごくろうさん、ありがとう」と述べたという。

 「身はたとひ
    武蔵の野辺に朽ちぬとも
       留め置かまし 大和魂」

Img_0152 吉田松陰「大和魂」に思いを馳せた後、西郷隆盛、木戸孝允と並び「維新の三傑」と言われる大久保利通が暗殺された千代田区紀尾井町清水谷公園に移動。
 大久保利道が明冶11年(1875年)5月に暗殺された後、明治21年に「贈右大臣大久保公哀悼碑」が建立された。
 大久保利通の政治行動を今に生かすとすれば、拉致問題であろう。1874年(明治7年)9月14日、台湾出兵の戦後処理のため、全権弁理大使として清に渡った大久保利通は、座り込みのような交渉を10月31日まで行い、50万両(テール)の賠償金を支払う日清両国間互換条款・互換憑単の調印を勝ち取った。小泉首相の北朝鮮訪問もあったが、1日分とは言わず、一ヶ月以上の食料を持ち込んで、座り込みの徹底交渉をし、それを全世界に日本のカメラから中継すれば、事態がさらに大きく変わったであろう。

Img_0154 続いて有栖川記念公園(港区南麻布5-7-29)に移動。有栖川宮熾仁(たるひと)親王の馬上像を見る。この銅像には「有栖川」の文字も説明文もまったく無い。
 有栖川宮熾仁親王は、17歳の時に孝明天皇の皇妹である和宮親子(かずのみやちかこ)内親王と婚約していたものの、公武合体策の一環として和宮が徳川家茂と結婚することになり婚約は破棄されている。
 また、戊辰戦争の際、有栖川宮熾仁親王が錦の御旗を先立てて進軍する様子を歌ったのが、明治元年の作品で軍歌の第一号とされる官軍の『トコトンヤレ節』(作詞:品川弥二郎)である。

宮さん宮さん 御馬の前に ひらひらするのは何じゃいな
トコトンヤレ トンヤレナ
あれは朝敵 征伐せよとの 錦の御旗じゃ知らないか
トコトントンヤレ トンヤレナ
一天万乗の 一天万乗の 帝王に手向かいする奴を
トコトンヤレ トンヤレナ
ねらい外さず ねらい外さず どんどん撃ち出す薩長土
トコトンヤレ トンヤレナ
音に聞こえし 関東武士 どっちに逃げたと問うたれば
トコトンヤレ トンヤレナ
城も気概も 城も気概も 捨てて吾妻へ逃げたげな
トコトンヤレ トンヤレナ

 歌詞の「宮さん」が熾仁親王のこと。

Img_0156 有栖川宮熾仁親王と和宮親子内親王の関係、政略結婚の悲劇を学んだのち、三田薩摩屋敷(港区芝5-33)に移動。
 この地が、慶応4年(1868年)3月14日、江戸「無血」開城することになる官軍参謀・西郷隆盛と幕府陸軍総裁・勝海舟の会見の地である。
 慶応4年(1868年)1月の「鳥羽伏見の戦い」に始まり、3月はじめには官軍(新政府軍)が江戸に到着。この会見の翌日には江戸城への総攻撃が予定されていたが、二人の話し合いにより総攻撃を中止、江戸の町を戦火にさらすことがなくなった。この「無血」開城に勝海舟と共に尽力したのが、有栖川宮熾仁親王のかつての婚約者・和宮親子内親王であった。
 こういった悲劇の政略結婚は是非、ドラマ番組にしてほしいところである。
 せっかくだからと、名越二荒之助先生の取り計らいで、明治維新の志士12人をラベルにした、オランダ・スリーホース社「明治維新ビール」の西郷隆盛、勝海舟を置いての記念撮影。

Img_0157 昼食も兼ねて、徳川家の菩提寺でもある「浄土宗大本山 増上寺」 (港区芝公園4-7-35)に移動。ここには、徳川将軍15代のうち、秀忠、家宣、家継、家重、家慶、家茂の6人が葬られている。
 本当なのかどうかは調査していないが、江戸の町を風水学的に見た場合、鬼門にある上野には寛永寺を、裏鬼門にあたる芝にこの増上寺を移したとも言われる。
 昭和20年、大東亜戦争時の空襲により、徳川家霊廟、五重の塔をはじめとした歴史的な建築物を失ったものの、現在も美しい姿があり、晴天の中にそびえ立つような東京タワーと増上寺の本堂とのコントラストが見事で、何枚か写真を撮る。

Img_0158 昼食は、増上寺の食堂のなかで、 「味ごよみ 一心」 (電話:03-3438-1041)のお弁当。量も少なく上品な感じであったが、ここ数日、いや数週間、暴飲暴食状態なのでちょうど良かった。

Img_0167 食後、徳川将軍家霊廟を特別に開けて頂き、徳川家茂・皇女和宮夫妻の墓に向かう。
 先の有栖川宮熾仁親王との婚約を破棄し、政略結婚を甘受しながらも、夫である家茂を愛し、江戸を戦火から救ったことに敬意を表してお参りする。

 ここでツアーを抜けさせてもらい、南京大虐殺映画に対抗する映画制作の打ち合わせのため、チャンネル桜に移動。18時まで打ち合わせをし、19時過ぎ、関越自動車道を経由し、自宅に向かう。

 23時過ぎ、自宅に到着するも某スナックでの某新年会の2次会に途中参加。運転疲れのあるなかでの、かけつけ3杯で一気に酔いがまわる。

2007年1月 7日 (日)

あるある大辞典Ⅱ、熱いカラオケ新年会

 1時、起床。貸し切り温泉などに時々入りつつ、朝まで南京大虐殺の嘘に関わる資料を読みまくる。

Img_0124 7時から朝食。今日もビュッフェ形式で、くめ・クオリティ・プロダクツプチ納豆(20g)を、ご飯1杯に対し、2個をかける。好物でもある釜揚げシラスを大量にとり、大根おろしと混ぜ、醤油を一たらし。またもご飯を2膳食べてしまった。最後は、地元伊勢の山村牛乳でシメる。

Img_0127 旅館をでて、賀多神社に向かう。織田信長・豊臣秀吉の水軍であった九鬼嘉隆が戦勝祈願に訪れた神社で、神社内の竜灯松と呼ばれていた神木を刈り、軍船「日本丸」の船床に用いたという。後年、九鬼嘉隆はのちに杉を1000本植えたと伝えられ、「九鬼の千本杉」という言葉が生まれた。
Img_0128 また、この神社の氏子、そして近在の方で日清戦争、日露戦争、大東亜戦争で戦没した方を慰霊する祖霊殿もあった。御霊402柱を祀っているそうで、毎年9月23日の秋分の日を慰霊の日と決め、慰霊祭を行っているという。もちろんの事ながら、こちらもお参りした。

 途中、松阪に寄り、奥野食品さんの納豆工場で懇談。今日放送のフジテレビ系『発掘!あるある大辞典Ⅱ』の納豆特集がどれくらいの反響になるのか楽しみである。

070107f1000001 ひたすら都内に向けて車を走らせるものの、やはり疲れは隠せず、途中途中で休憩を入れる。
 ちょうど焼津サービスエリアにさしかかったので、トイレ休憩のために寄ってみると、これがまたマグロ関連の商品をはじめ、面白いオリジナル開発商品が多々あった。
Img_0130 特に、マグロで作ったサラミ、マグロのメンチカツなどが試食させてもらったところ、獣肉には負けないパンチ力に驚いた。
 せっかくなので、「マグロのメンチカツ 120円」「マグロのサラミ 150円」「鰯のおにぎり 100円」で昼食。

 17時過ぎ、車を一端、某所に預けた後、カフェホテル新宿に到着。

 18時から西新宿の「隠れ家的個室ダイニング 和の宴」で、地方議員をはじめ、熱い面々との新年会。ここは4000円ほどで飲み放題ができ、かつ個室でカラオケまでついている。地元、新宿区議会の吉住健一議員(自民党)全国若手市議会議員の会でも名物議員である武蔵村山市の天目石要一郎議員も熱く語り、カラオケも盛り上がる。

070107f1000002 2次会は、好奇心からコマ劇場の近くにある「戦艦大和」と書いてある居酒屋に入ってみたものの、中はいたって普通でがっくり。
 昨年の映画『男たちの大和』に便乗したのかどうか不明であるが、特に凝ったところはなく、「海」という共通項はある内装で、これまた普通にビールを飲んで終わった。

070107f1000003 3次会、4次会と続き、0時近く、熱い地方議員といえども、飲めばただのオヤジである。最後は酔っぱらいのお約束で「ラーメンに行こう!」となり、 『天下一品』新宿西口店で「チャーシュー麺 こってり」を食べ、解散。

2007年1月 6日 (土)

2007伊勢神宮参拝

Img_0108 2時ごろまで露天風呂に入り、3時就寝。
 8時、起床。朝食はビュッフェ形式。納豆は くめ・クオリティ・プロダクツプチ納豆(20g)だったので、ご飯1杯に対し、2個をかける。数ある朝食メニューのなかで、特に地元伊勢の山村牛乳が美味しく、パスチャライズ殺菌でゆっくりと殺菌処理した手間がしっかりと味に反映していた。

Img_0111 11時過ぎ、旅館をでて、毎年恒例の中山かき養殖場(〒517-0025 三重県鳥羽市浦村町1208 電話:0599-32-5053 FAX0599-32-5686)に向かう。
 入り口にはお客さんがたむろしており、毎年来るたびにお客さんが増えているような気もする。
Img_0112 早速、

「すいませーん、生30個と焼き10個で!」

と注文すると、おじさんから

「あっ、去年も来た人やろ。すぐ分かったわぁ~」

数個単位ではなく、いつも10個単位で注文するので、顔を覚えられてしまったようである。
 
今年も美味しく無菌牡蠣を大量に頂き、一年を頑張ろう!と気合が入った。

Img_0113 13時、伊勢市内のゴーリキ・マリンビレッジへいき、味噌樽を利用した個室が人気の「ごちそう樽」で、経営者で地元経済界の「野人」こと、大塚隆氏と話をしながら、シーフードパスタ、鱸の薫製ハムのカルパッチョ、特製カレーを食べる。
Img_0114 地の貝など入れた深いコクがあるトマトソースベースのシーフードパスタは絶品であり、さすが大塚氏の抱えるシェフの腕。
 大塚氏は、三重県が認定する「みえのふるさと先導人」でもあり、第3セクターで失敗した観光施設を次々と再生させてきた。この「熱い男」野人・大塚氏の話はいつも面白く、2時間があっという間に過ぎ、知識と情熱のお年玉を頂いた。これをどう柏崎に生かすのかが自分への課題である。

Img_0116 食後に、伊勢神宮の参拝。駐車場に車を置くまで雨が降っていたが、いつしか雨がやんでいた。毎年恒例の事であるが、これまで雨のなか参拝したことはなく、記録は続き安心した。
 参拝して、お札を入手したのち、鳥居をでると、商店街のなかに面白い店があった。生年月日から性格を占い、幸運石を選んでくれるという「伊勢勾玉屋」(電話:0596-36-9030)である。
Img_0115 早速、占ってもらったところ、昭和47年7月27日は行動力はあるものの、精神的に負担がかかることが多く、とにかく「せっかち」というマイナス面が多いという。
 この性格に合う幸運石として、「アメジスト、ホークスアイ、スモーキークォーツ」の3つが選ばれたので、1300円で購入。面白い商売と感心する。

以下、鑑定書より

Img_0241スモーキークォーツ(煙水晶)
・「肉体と精神の安定」をもたらすパワーを秘めており、身体の持久力を助け安定した状態を与えてくれる。
・精神疲労を取り、潜在的能力を高める。
・免疫力を高め、特に長期入院時の回復を助ける。
【ヒーリング効果】
感染症、免疫不全、癌全般、心臓病、筋力低下

Img_0242ホークスアイ(鷹目石)
・別称「ブルータイガーアイ」
・内なる力を増大させ、成功に導く。
・冷静な判断力が備わる。
・他人からの悪意など、邪悪な力を跳ね返す。
・人の心を読むことが上手になるといわれている。
【ヒーリング効果】
喘息、邪目、喉の障害と炎症

Img_0240アメジスト(紫水晶)
・心が透明になり、あるがままに物事が見られ、芸術への理解力も高まるといわれている。
・怒りを静め神経のバランスを整える。
・心に元気のパワーを与える。
・仕事・恋人・友人など良き縁を結んでくれる。
【ヒーリング効果】
血液の疾患全般、血液の浄化、アルコール中毒、癌全般、糖尿病、老化防止、火傷、色弱、水痘、船酔い、不眠、感染症、解熱、解毒


Img_0121 19時過ぎ、昨日に続く宿泊先の三重県鳥羽市の戸田家に戻り、部屋で夕食。昼に食べ過ぎたので、最後のご飯まで食べることができず、おかずを残さず食べるので精一杯であった。
 伊勢エビの刺身が甘く印象的。

 食後、21時から仮眠。

2007年1月 5日 (金)

恒例、三重県鳥羽市へ

 0時、起床。朝まで長期出張しても良いように、モバイル環境でできない仕事を優先的に行う。
F1000001070105  1時間ほど仮眠し、納豆1パックを食べた後、柏崎市の発展に寄与されてきた方の弔問2件。
 その後、愛車で三重県鳥羽市に向かう。

Img_0096 12時過ぎ、レストラン「駒ヶ根」サービスエリアで、名物の「ソースカツ丼 700円」でブランチ。食べているとき、男の子と女の子を連れた40代らしき父親が近くにきた。メニューを選んでいるようであったが、その女の子がいきなり「あれ美味しそう」と私が食べているソースカツ丼を指さし、父親も「そうだねー」とか言いながら、家族3人でソースカツ丼を覗き込んでいるのである。普通は、人が食べているのを指さし、親子で一緒に覗き込むことなどはないと思うのだが・・・しばし気まずい雰囲気となる。

Img_0097

 17時過ぎ宿泊先の三重県鳥羽市の戸田家に到着。
 鳥羽市の老舗旅館であり、近年はその経営手腕が注目されているそうで、道路に面した玄関にも、「愛と美と人情のまち 鳥羽」という看板があり、

 「トイレをお貸しします
  道案内をします
  何かお困りの方等
 *フロントにお声をかけてください。」

と親切を積極的にだしている。
Img_0098 現在は、鍵のかかる貸切個室温泉からはじまり、足湯、リラックスルームを増設、今後は岩盤浴の施設を追加し、この旅館内ですべてを満足できるよう目指してるようである。ただ、残念なことに無線LANはロビーしか使えず、旅館でゆっくりと仕事をしたいという場合には困る。伊勢茶と伊勢えび煎餅、オリジナル餅菓子で出迎えであった。

Img_0104 18時過ぎ、地元企業経営者のO氏夫妻、同じく経営者のU氏と待ち合わせたのち、松阪市に移動。U氏とは4年前、松阪青年会議所から講師としてお呼び頂いて、講演をして以来のお付き合いである。
 松阪市らしく松阪牛のホルモン「脇田屋本店」にて、懇親会。
Img_0106 松阪牛は高くて手が出ないうえ、地元松阪でしか食べられないのが、松阪牛のホルモン。味付けも味噌を基本とした東海地区らしく独特で、松阪の地を訪れたときには必ず食べる。この「脇田屋」以外にも「一升びん」「千力」「オーシャン」と違ったタイプのホルモン屋さんが多く、店巡りも楽しみである。
Img_0105 今回、一番のヒットは、大腸の美味しい部分、脂肪球が適度につき、歯ごたえの良いところを集めた「ヒモ」であった。
 ヒモやホホニク、キモ、上ミノなどをつまみながら、生ビールをぐいぐい飲み、そして松阪で酒を飲むといえば、お約束の「梅割」を飲む。
 ホワイトリカーに梅酒を入れたような酒で、

Img_0107

「梅割、飲まんの?腰抜けや」

と言った本人が2杯ほど連続で飲んだ後、腰が抜けるという代物である。
 生ビール3杯、梅割1杯で1次会を引き上げる。

 2次会はカラオケ。年代も考え、ツイストの『鉄爪(ひきがね)』から入り、お約束のアニメ『サイボーグ009』の『誰がために』、アニメ『宇宙海賊キャプテン・ハーロック』の『旅立ち』など。

Img_0101 24時近くに旅館に戻る。旅館のロビーに隣接するプールのデッキにはライトアップされたオブジェがあり、しばし見つめる。子供がいたら喜びそうである。

2007年1月 4日 (木)

2007賀詞交換会
月尾教授の文明大冒険

Img_00911 0時30分過ぎに起床。そのまま資料整理やスクラップ文書のpdfファイルへの変換など。
 8時、昨日から甥っ子と姪っ子が泊まりにきていることもあり、納豆ふりかけとトマトケチャップで味付けしたチキンライスで「納豆オムライス」、八丁味噌と米麹味噌をブレンドした味噌で蛤の味噌汁で朝食。

F1000001070104 11時から柏崎市市民プラザで今年の賀詞交換会。市長をはじめ、現職国会議員、県会議員、市会議員などの政治関係者から経済界、産業界まで多くの方が参加された。
 この会、毎年お約束のように市長、国会議員の冒頭の話が長く、ゆうに30分はかかる。今回は、来年初の改選を迎える民主党の森ゆうこ参議院議員の挨拶が面白く、笑顔?で

「黒岩さんと一緒に戦っていきます!」
    (メールの最後に【はぁと】と書くような感じで)

*民主党で参議院選挙は森氏と黒岩氏が出馬予定。民主党内の住み分けが困難な状況

とのけん制が印象的であった。したたかさを見た気がする。
 挨拶30分、解散が12時ちょっと過ぎで、実質40分ほどの懇親会となり、料理やお酒は大量に残飯となった。もったいないので、荒城議員と二人で会場の片付けが始まるまで食べ続ける。しかし、料理自体がつまみ系であり、あまり量を食べられるものでもない。この「もったいなさ」、来年も同じ形式であれば、是非ご一考いただきたいものだ。

Img_0093 自宅に戻ってから姪っ子と遊びつつ、母と交代し、祖母を看る。
 スーパーで半額になっていたかき揚げと干し納豆と既製品の昆布つゆで作ったつゆの「かき揚げうどん」を作る。

 16時から市内での挨拶まわりと1時間ほどの新春辻立ち。

Img_00931 19時過ぎ、秋刀魚の塩焼きで夕食にする。食事中、電話があり、先般の『財界にいがた』の記事に関することで、市長批判の記事全体を私がプロデュースしたと思い込まれているようであった。私は取材を受けただけであって、書かせたなどとは『財界にいがた』編集部に失礼であるし、記事を書かせるような権力を私が持っているわけはない。「そんな大物ではありませんよ」で電話を終わる。

 20時から仮眠。

 録画しておいた、1月2日にTBS系で放送された『地球新世紀 月尾嘉男の文明大冒険』の第2話「水と土の循環」を見たが、非常に面白い番組だった。
 放送免許剥奪もありかなと思う編集が多いTBSであるが・・・・。
 学習院大学名誉教授でかつて『クイズ・ダービー』でもお馴染みだった篠沢教授が、チャンネル桜でケルト人の文明について講座をお持ちになっており、よく番組を拝見しているのでケルト人の特異性についてある程度は知ってはいたが、今回の月尾教授のアプローチは斬新であった。
 ちなみに、篠沢教授は講義の前にいきなりケルト語を入れ、

 「ディマット!
  ケルト語でこんにちわっ ですねぇ~」

から入るのがお約束である。
 今月1月25日16時30分から柏崎刈羽地区のライオンズクラブの合同例会として、月尾教授(東京大学名誉教授)を柏崎にお呼びしての講演会が開催される。
 いまから楽しみである。

演 題:「国家は如何にして衰退するか」
場 所:メトロポリタン松島
【問い合わせ先】
 柏崎日本海ライオンズクラブ事務局
 電話O257-22-9455 FAX O257-22-9281

2007年1月 3日 (水)

日中<情報>戦争 南京大虐殺をめぐって
映画には映画製作で対抗!

 ここ最近届いた月刊誌や紹介頂いた本を読み漁り、結局、徹夜。
 文藝春秋の『諸君!』2月号には、昨年、長岡で講演頂き、その後もお付き合いさせてもらっているジョージ・アキタ博士のことが載っていた。ライシャワー研究所における全うな継承者との紹介(47ページ)であった。

Img_0090  7時から8時まで市内某所で新年の辻立ち。昨日、共産党がイトーヨーカ堂の前でマイクを使って街頭演説をしていたが、新年ということもあり、ひたすら手を振ることにした。仕事始めを過ぎたあたりから、本格実施する予定。それにしても、街宣車のバッテリーが経年劣化でヘタっているのが心配である。

 戻ってから12時半まで仮眠し、午後から再度親戚まわり。父がいない分、家長としての仕事が多い。行く先々で料理をご馳走になり、残すわけにもいかず、さらに太る予感がする。

Img_0091

 19時過ぎ、剥いた蜆、谷中しょうが、干し納豆で炊いた「納豆しじみ炊き飯」と甘えびの頭でダシをとり、豆味噌を入れた「甘エビ味噌汁(身無し)」で夕食。
 食後、胃の疲れか異常に眠くなり、仮眠。

Chinaf 今年は、まさに日中情報戦争の年になりそうである。
 中国系米国人の故・アイリス・チャン(張純如)が1997年に発表した「南京大虐殺」に関する『レイプ・オブ・ナンキン』を踏まえ、「南京大虐殺」(昭和12年、1937年)から70年を記念した映画「南京」(仮題)をアメリカの大手IT会社「アメリカ・オンライン」(AOL)のテッド・レオンシス副会長(50)が制作するというのである。
 かつてクリント・イーストウッドが南京大虐殺に関する映画「南京・クリスマス・1937」を製作するというデマが流れたが、今度は本当であり、もしそのまま史実として上映されれば、 「南京大虐殺」は事実という扱いになって、アメリカ国内のみならず、国際社会での日本への非難、そしていつまでも中国にたかられる状態が続く。
 そもそも、『レイプ・オブ・ナンキン』は旧日本軍が民間人約30万人を虐殺、南京市内にいた女性2万人から8万人をレイプしたという内容のトンデモ本。時系列の事実誤認や捏造写真満載を指摘され、日本語版の出版は中止されたものの、アメリカ国内では現在もロングセラーとなっている本である。
 当時の南京には、外国人も大勢おり、安全区国際委員会の活動記録をまとめた『南京安全地帯の記録』(Documents of the Nanking Safety Zone)には、

 ・昭和12年12月13日の陥落時の南京の人口は20万人
 ・2週間後の12月27日の人口は20万人
 ・陥落から一ヶ月後の昭和13年1月14日には25万人

と書いてあり、『レイプ・オブ・ナンキン』はまったくのデタラメである。しかも6日間に渡って、30万人の民間人を虐殺したとあるが、当時の武装では無理な話であり、死体の処理もできない上、主力部隊は次の徐州会戦のため兵を進めている。
 そればかりではなく、台湾の台北にある国民党史資料館の国民党中央宣伝部「極秘資料」では、南京戦の昭和12年から13年の間に国際宣伝処(国際的な情報謀略をする機関)が300回近い外国人記者相手の記者会見をしているが、一回も「南京大虐殺」に触れた記録は残っていない。
 では、日本側ではこの中国のプロパガンダにどう対応しているかといえば、政府は動かず、民間が動き始めている。
 とにかく英語で情報発信すべきとのことから、「史実を世界に発信する会」が発足し、ホームページをはじめ、公的文書や史実に基づいた研究結果を発信している。
Chsakuramizu  そして、映画監督でもあるチャンネル桜の水島社長が今年、真実の南京攻略戦に関する映画を作り、これに対抗していくと発表した。
 英語での情報発信で史実に基づいた内容になるであろうが、できれば当時の日本がどういった経緯で南京を攻略することになったのか、分かりやすく丁寧に描いていただければ、十分に対抗できるだけでなく、支那事変から大東亜戦争へと日本の近現代史を見直す良いきっかけとなろう。
*敗戦まで、今でいう中国は存在せず、蒋介石の国民党、毛沢東の共産党、汪兆銘の南京国民政府など大陸のなか自体が内戦でモメていた(『機動戦士Ζガンダム』状態)ことすら知らず、当時から中国が存在していたかのように認識している人もいる。

 たかだか、歴史認識のことと多くの人は思うであろうが、それを放置してきたからこそ、何かあるたびに戦争責任だ!と言われ、我々の血税から6兆円も与え、さらには核ミサイルを向けられ、今だに靖國だうんぬんで内政干渉をされるのである。
 今年はまさに日中<情報>戦争の年であり、安倍首相の決断が求められる。

2007年1月 2日 (火)

初夢の中身とミニ新幹線構想

 飲み疲れをし、2時就寝。6時、起床。納豆ご飯で朝食にし、これまで気になっていながらも議会でも提案していない政策をスクラップしておいた資料集を午前中かけて整理しつつ、検討する。前回選挙の大きな公約は「情報公開」であった。次の選挙には、実現性の高い、もっと踏み込んだ政策を打ち出すため、試行錯誤している。

 納豆ご飯とおせちの残り物で昼食にして、午前中に火事という知らせがあった米山町への行き、その後、親戚の挨拶まわりなど。本来であれば、近火見舞いとして酒でも持っていくのが筋であろうが、公職選挙法もあり、ご勘弁頂く。

Img_0088  18時過ぎ、崎陽軒のシューマイと鯖の塩焼きでビールを飲みつつ、納豆ご飯でシメる。
 祖母も一緒に食べたが、食事中の会話のなかでは、すっかり今が正月であることが抜けていた。やはり時間の感覚から無くなっていくのだろう。
 食後から本を溜まっていた本を読みまくる。

Kashiwazakiekimae  昨日の夜、厳密には今日見た夢が初夢となろうが、断片的であり、あまり内容を覚えていない。ただ、これは気にかかっているからなのか、選挙の出陣式をなぜか柏崎駅でやるシーンがあった。その次のシーンはいきなり老人になって、海に行き浜で砂遊びをしている夢だった。意味不明な感じもするが、夢判断などしてもらえば、面白い結果がでるのかも知れない。
Yamagatashinkansen  初夢の夢つながりということで、柏崎の夢とされていたミニ新幹線構想が一体どんなものであったのか、再検証するために当時のパンフレットを見直してみた。
 このパンフレットだけでは何をどうしていくのか詳細は見えない気もするが、実現してほしいという思いは分かる。

「柏崎市ミニ新幹線構想」(pdf形式,約5MB)

2007年1月 1日 (月)

2007年の決意

Img_0084 結局、4時過ぎまで集中して仕事をし、柏崎神社に参拝したのち、6時過ぎ就寝。10時、起床し、母と祖母に新年の挨拶。玄関に国旗を掲げる。よく考えたら、祖父が生きていたときには、祖父の仕事であった。
 正月らしく、雑煮に干し納豆を入れたもので朝食。

 食後、届いた年賀状を見る。昨年、パソコンのハードディスククラッシュがあり、年賀状データベースのファイルが途中で欠けていたので、出しそびれた方もいたので、あわてて年賀状を大量に書き、出し終わったのが15時過ぎ。

Img_0087 21時過ぎまで親戚も含め、おせちと酒三昧。体がアルコール漬け状態となった。
 最後のシメは、2007年初の納豆ご飯。せっかくなので、小粒納豆に葱を大量に入れ、さらに桃屋の「江戸むらさき ごはんですよ!」で「2007」と文字を書いてみた。新年早々の寂しい独り遊びである。

 今年2007年は統一地方選挙の年であり、政治活動以外にも会社の業務範囲の拡大から、柏崎青年会議所の祭り検討委員会、日本青年会議所・北陸信越地区・新潟ブロック協議会の道州制を見据えたアドバンス新潟創造委員会、そして柏崎準倫理法人会などの活動が目白押しであり、今から考えただけでも若干の不安がある。さらには祖母の痴呆の度合いも心配であり、なかなか晴れやかな新年の抱負といかないのが寂しい。
 個人的にも、まだ戦争体験者が生きているうちに、インパール作戦が行われたインドのコヒマと柏崎の交流を知るため、現地に行っての慰霊を行ってみたい上、昨年行った満州柏崎村にはじまる満州の歴史などは、もっと調べてみたいことも多々ある。近現代史に関しては、これまでに集めた素材も十分一冊の本になるほどになった。
 ここまで考えてみて、今年の抱負は決まった。

 「やりたい事はできるだけ挑戦する!
  ただし、優先順位を間違えないこと」

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