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2007年5月

2007年5月31日 (木)

平成19年6月議会一般質問要旨
圃場整備率と柏崎の農業の実態

Img_1090 2時から2時間ほど仮眠。各種プレゼンテーション資料の作成など一気に行なう。
 7時、お土産でもらった「笹寿し」 (株式会社芝寿し 電話:076-240-4567)とひきわり納豆汁で朝食。「笹寿し」の米が違ったら、もっと美味くなるのではないかと思う。

 午前中に一般質問の質問項目をまとめ、議会事務局に送る。質問は一番最後となった。

1.新市民会館建設位置について、駐車場や交通アクセスの
  観点から、コマツ跡地もしくはその周辺の土地が最適と
  思われるが、市長の考えを伺う。

                 → 市長 一問一答形式

2.競争性、談合防止のための一般競争入札の導入は理解
  するが、地元企業への発注をはじめ、柏崎市内の経済・
  雇用環境とのバランスをどう捉えているか、市長に伺う

                 → 市長 一問一答形式

3.多くの市民から白紙撤回の署名も集まった番神海岸の
  恒久的浜茶屋建設問題について、改めてその経緯と
  責任の所在、今後の対応と対策について市長に伺う。

                 → 市長 一問一答形式

Img_1091 13時過ぎから事務所にて、サンドイッチを食べながら打ち合わせ。卵とハムのサンドイッチがいつもの定番であるが、某氏からは板チョコを削ったものとピーナッツバター、そこに納豆が美味いというメールを頂戴した。いつもならサッと実験するところであるが、何故か気が進まない組み合わせである。

Img_1099 16時過ぎ、車にて移動。17時過ぎから新潟市内の吉田六左エ門衆議院議員の事務所にて、参議院選挙の打ち合わせ。
 参議院選挙まで時間もないことから、決めることだけ決め、打ち合わせ終了。地元スタッフは四方に走り、東京から来たスタッフには新潟ラーメンを体験してもらおうと「ときめきラーメン万代島」に移動。
Img_1100 どのお店にするか選んでもらったところ、「燕らーめん健龍」(電話:025-233-4141)となった。せっかくなので、一番濃そうな「大のり付き 濃こく味噌ラーメン(太麺) 1000円」を注文。
 その濃さにひるむことなく、ニンニクもたっぷりと追加してしまい、すっかり臭い体となった。

 東京のスタッフを新潟駅に送ったのち、友人と待ち合わせ駅南で買い物。先日、紛失してしまった財布に変わる新しいものを購入した。

 再び愛車に乗り、23時過ぎ、自宅に到着。

 先日、柏崎の農業を研究テーマにしたいという大学生から問い合わせがあった。柏崎の農業については、一言で言えるほど簡単な状況ではないが、圃場整備が重要なキーポイントに思い、以下の資料を長年、圃場整備に取り組んできた市職員の方から頂戴し、お送りした。
 是非、柏崎の農業の救世主となるような、素晴らしい研究成果をあげてほしいと思う。

 「圃場整備率と柏崎の農業の実態」

2007年5月30日 (水)

李登輝総統と靖國神社
結局、1回しか公開講座にいけず・・・・

 4時過ぎ、自宅に戻る。さすがに寝てしまい、柏崎準倫理法人会の経営者モーニングセミナーに出席できず。

Img_1086 8時、起床。静岡産のシラスをたっぷりと小粒納豆での納豆丼で朝食にする。シラスは好物ベスト5のなかに入る。大根おろしとの一品によし、お好み焼きに入れてもよし、蕎麦やうどんにも合う。いつも大量に入れるので、是非一度、シラスとご飯の量を逆にしたシラスご飯を作ってみたい。

070530_f10000022 10時から打ち合わせ。企画書の作り直しなどもあり、お昼を過ぎる。冷蔵庫のなかにあったふくらげの刺身と小粒納豆で「お刺身納豆丼」を作って、昼食にする。刺身と納豆、特にひきわり納豆は相性が良いが、いかんせん箸が滑って刺身が掴みにくいのが難点である。

 13時30分過ぎから某所で打ち合わせ。要所だけ決めて、事務所に戻り、作業に入る。

 16時から来客が続き、テレビ番組企画のオファーなど連絡が入る。その後も来客などが続き、せっかく申し込んである新潟工科大の平成19年度公開講座・技術講座「発酵と微生物」に今回も参加できなかった。結局、1回しか出席できず、非常に残念である。

 23時過ぎ、資料を作りながら、大粒納豆、生卵、煮込みハンバーグで夕食をとる。

Ka 台湾の李登輝前総統が今日、来日する。学生時代に学んだ松尾芭蕉『奥の細道』を懐かしみ、東北地方を探訪するために来日するという。
 そして、日本名を岩里武則、昭和20年2月25日、海軍上等機関兵としてマニラで戦死した兄・李登欽氏が祭られている靖國神社にも参ると宣言している。
 ちなみに、李登輝前総統も海軍を志願し、高雄高射砲部隊に配属されていた。


平成19年5月30日『時事通信社』

「靖國、参拝したい」=時期は明言せず-李登輝氏

 30日から訪日する台湾の李登輝前総統は、成田空港に向かう機中で、同行した日本人記者団の質問に答え、靖國神社参拝について、「六十何年間会っていない兄貴がそこに祭られているのに、行かないというのは弟としても人情としても忍びないことだ」と述べ、初参拝したいとの希望を明らかにした。明確な時期については示さなかったが、「そのことは行ってから決めましょう」と語った。

 仮に実現した場合、中国が政治活動とみなして反発するのは必至だ。李氏の2歳年上の兄は1945年2月、旧日本軍人として、フィリピン戦線で戦死した


 靖國神社を参拝するとのことで、また中国の反発が予想される。肉親を参るという行為に大きな反対の声を上げるようなことがあれば、世論がどうなるのか楽しみである。

 ちなみに、李登輝前総統が芭蕉の歩いた道を辿るというのであれば、元禄2年(1689年)7月5日、芭蕉が『奧の細道』の旅でやってきた際、宿泊を断った我が柏崎市の中心部に寄ってもらえる可能性は低い。あえていえば、「俵屋」があった現在の米山町だけであろう。
 芭蕉は宿泊を断られたあと、さらに16kmほど歩き、米山町に泊まった。おもてなしの心は大切にしたい。

2007年5月29日 (火)

マルレ特殊攻撃部隊

 1時、就寝。5時、起床。溜まっていたメールやブログを一気に書く。

070529_f10000021  10時過ぎ、自宅をでて弔問に伺う。その後、11時から市役所の会派室に移動し、6月議会に向けた会派会議。会派全員集まっての会議なので、「二葉食堂」(電話:0257-22-2894)の「Cランチ 1000円」を食べながら深い議論となった。

 12時過ぎから弔問。知人のお父様の葬儀であった。
 弔電には、戦友の方からの長いメッセージがあり、最後の一文は「あとに続くから待っていてくれ」。亡くなられたお父様は、15歳で陸軍に志願し、 陸軍船舶特別幹部候補生隊として入隊。戦局の悪化に伴い、陸軍海上挺身戦隊として、ベニヤ製の小型動力舟艇マルレ(連絡艇の頭文字レに○:正式名称は四式肉薄攻撃艇)による特殊攻撃部隊へ配属。いよいよ特攻という前に終戦、正確にいえば武装解除の昭和20年8月15日となった。
 当時の状況、戦争が何たるものかを語って頂ける方がまた一人、戦友のもとに逝かれた。合掌。

 14時から事務所にて打ち合わせ。17時過ぎまでにかかり、その後18時過ぎからもう1件の打ち合わせを行なう。

Img_1085 打ち合わせで色々なアイデアを出すのは楽しいが、それをまとめて議事録を書いてほしいと言われることが最近多い。アイデアを出して、かつ議事録を書いても良いが、ここのところ打ち合わせが続いており、あまりの時間のなさについ億劫になる。夕食として、大粒納豆に静岡産のシラスをたっぷりとかけた納豆しらす丼。

Img_1088  19時30分から、柏崎青年会議所の柏崎のまつり検討委員会に出席。パワーポイントを使っての議事を進めるうちに、途中、脱線してクソゲーの話になる。「スペランカー」はなぜあんなにすぐ死んでしまうのだろうか。

 22時過ぎ、委員会終了後、携帯に電話が入り、お隣の長岡市に鉄道ファンであり、鉄道を使ってのまちづくりに取り組んでいる京都の某氏が来ているとのことで、車で移動。酒を飲まずにウーロン茶等で場を過ごし、色々なお話をお聞きする。

2007年5月28日 (月)

Sina.comと蔑称

 2時、就寝。7時、起床。連日の暴飲暴食で朝食をとるまでもなく、ゆっくりと本を持ち込んで風呂に入る。

 8時30分過ぎ、市役所に行き、会派室で雑務。8時55分から新人議員対象の研修会があったので、基本に返る意味で参加させてもらおうと議会事務局に行ったところ、「ええっ」と驚かれてしまった。中身を聞くと各部課の業務所掌を話すぐらいとのことだったので、今日は自分の仕事をすることにした。

 10時過ぎから17時まで事務所でブログやメール、企画書、次の議会の一般質問に使うであろう資料のまとめなどを行なう。

Img_1084 19時、仕事が詰まっていたため、某会合には申し訳ないものの顔だけ出させてもらい、事務所に戻る。
 22時、スーパーで安くなっていたロシア産解凍つぶ貝の刺身、鯖の照り焼きで夕食にする。貝の刺身のなかでは、つぶ貝、ミル貝、あわびなどが好みである。しかし、あわびを食べることができる機会は少ない。

 以前、平成16年12月議会での「支那事変」 、大東亜戦争中には今の中国、「中華人民共和国」は存在しないので、

 「中国、本当は『支那』と呼びたいが」

と発言し、議会が中断されるまでに至ったが、ここのところの中国のパチものキャラクターを使った石景山遊楽園模倣問題の報道を見て笑った。
 このことを伝えた日本のニュースが主に現地のニュースとして引用していたのがポータルサイト「シナ(sina).com<sinaネット>」の記事であったからである。
 かつてこの会社にも名称変更せよと運動が行なったことがあるが、当事者が一蹴している。
 日本で差別だ、差別だと騒いで、この名称問題を生んだことがよく分かる。


2000年9月22日『東京新聞ニュース』

「シナはべっ称でない」中国
最大級ネットが改名拒否

 【北京21日清水美和】中国で最大規模のポータルサイト「シナ(sina)・ネット」を経営する新浪網公司は二十一日、本紙の取材に対し「シナ(支那)は中国へのべっ称」と一部の学者などから出ていた改名要求を拒否する方針を表明した。「シナは英語のチャイナを語源としており、それ自体に侮辱の意味は込められていない」というのが理由だ。

 最近、「中国青年報」など一部新聞が、中国最大のネットが「シナ」を名乗るのは国辱的だと、日本から帰国した学者などの意見を紹介する形で批判。北京大学の劉金才教授は「日本が中国への侵略を開始するにつれ中国へのべっ称として使われるようになった。シナは支那と発音が全く同じであり、もし日本で中国のことをシナと呼べば中国人とけんかになる」と名称の再考を促した。

 これに対し新浪網広報部は「シナは英語のチャイナの過去の発音。中国の英語名を変える必要がありますか。シナに侮辱の意味が込められているというなら、自身の国家を強大にすればいいだけの話。新浪網は将来、シナを世界のブランドにし、中国人が誇れる呼び名にする」と批判を一蹴(いっしゅう)。シナ・ネットにも「欧米人にチャイナと呼ぶのを許しながら日本人にだけシナと呼ぶのを許さないのは不公平」など同社を支持する意見が寄せられている。

2007年5月27日 (日)

第32回東部体育協会大運動会

 1時近く、ホテルに戻り、シャワーを浴びて3時間ほど仮眠。4時過ぎにホテルをでて、ひたすら関越自動車道を飛ばし、自宅に向かう。急いで出てきてしまったので、なんと財布を駐車場かどこかに落としてきてしまった。

Img_1076 8時過ぎ、自宅に到着。大粒納豆、卵と玉葱の炒め物をご飯の上にのっけた「納豆玉葱丼?」をかっ込みんで朝食にする。軽くシャワーを浴びて、大急ぎで運動できる格好に着替えて、9時に柏崎小学校グランドに向かう。

Img_1077 今日は「第32回東部体育協会大運動会」。5つの町内で構成する体育協会で毎年行なっている運動会である。
 5つの町内と言いながらも、今年からは自分の町内の子供が少ないため、お隣である諏訪町1丁目チームと合同チームとなった。高齢化率の高い中央地区の実態である。
070527_f1000007 今回は審判という役目もあり、全種目を見ていたが、子供たちにとっては学校の運動会と違った、リラックスした雰囲気で楽しんでいるようだった。
 昼食は、町内で注文した「ほっかほっか亭」のおにぎり弁当。この時間になると、オトーサンさんたちは、運動でほてった顔ではなく、麦汁でほてった顔になってくる。

Img_1078 審判の業務がない昼休みに抜けださせてもらい、柏崎市市民プラザで開催されている柏崎鉄道模型を楽しむ会さん主催の「5周年だね!トレインアトラクション’07」を見学。
 Nゲージだけではなく、H2Oゲージの模型もあり、甥っ子を連れてきたら、一日中いるだろうなという感じであった。ジオラマも凝ったつくりで、感心すると同時にガンプラ世代の自分としては挑戦したくもなった。

Img_1081

  13時過ぎから競技が再開。今回は「ゲゲゲの鬼太郎レース」が新たに行なわれ、目玉のオヤジだけなく、一反もめん、ねずみ男、子泣きじじいなどに扮した町内のオトーサン方が子供を楽しませた。
 運動会の準備をするだけでも大変なのに、衣装まで作り、頭が下がる思いである。

 運動会の結果は、最下位となった。参加することに意義があり、この運動会を実施することに意義があるのだと町内で納得?し、後片付け。

 某懇親会に2時間ほど顔をだしたのち、運動会の打ち上げに合流。町内集会所での飲み会から「中華美食館」(電話:0257-23-4530)に移行し、焼酎のコーヒー割り等で深酒。最後は、チョー激辛にした「タンタンメン」でシメる。運動会をやった日なのに、かえって不健康になったのではないかという一日であった。

2007年5月26日 (土)

東條由布子氏参議院選出馬
「初夏の夕べの会」

Img_1071 先日買い込んだ地方財政の本などを読み耽り、4時に就寝。
 9時、起床。十穀米に葱味噌を入れたおにぎり、自家製の沢庵、納豆汁で朝食にする。十穀米と葱味噌の相性がなかなか良く、次回はもっと多めに葱を入れた葱味噌にしてみようと思う。

070526_f1000005 11時ごろまで事務仕事をしたのち、東條由布子氏「初夏の夕べの会」に出席するため、愛車で東京に向かう。途中、上里サービスエリアで休憩。「那の福」で「とんこつチャーシュー 700円」と「煮たまご 100円」で昼食にする。極細麺で豚骨スープといった定番の組み合わせであったが、煮たまごが別皿で提供され、かつ黄身がガチガチであったことが残念であった。

 15時過ぎ、会場であるルポール麹町に到着。今日は来賓の予定であったが、急遽、司会を行なうことになった
Tojoriku  ホテル会場係と調整などを慌しく行なったのち、16時20分より東條由布子氏を支援する皆様が集まる「初夏の夕べの会」が開会。冒頭、最近絶好調の売れ行きである『月刊WiLL』の花田編集長からご挨拶を頂き、その後、保守論壇の大物の挨拶が続いた。
 東條由布子氏は、いわゆるA級戦犯とされている東條英機元首相のお孫さんである。そして、今年7月に行なわれる参議院選挙東京地方区への無所属での立候補を表明された。いまだ東京裁判(極東国際軍事裁判)の呪縛から抜けていない日本のマスコミには、これから叩かれるであろう。
Img_1073 立候補の理由については、『月刊WiLL』2007年7月号の198ページから詳しく書いてあるが、抜けきらぬ「東京裁判史観」、戦犯がいると思われている「靖國神社」、今だ進まぬ「遺骨収集」、そしてアルツハイマーのお母様、病気療養中のご主人の経験からの「医療福祉」の4つを柱にしている。
 当選を目的とするのはもちろんであるが、公共の放送を使って、編集や改ざん無く話ができることも重要であるという。

Img_1072

 17時過ぎ、無所属となった西村眞吾衆議院議員が遅れて到着された。
 先の統一地方選挙で「祈 必勝」の為書きを頂戴していたこともあり、御礼のご挨拶をした後、ステージでの挨拶をお願いすると、

 「先生、次にステージの方でご挨拶をお願いします」
 「ほうか、じゃ、もうちょっと飲まなアカンな」
 「・・・・・・」

 燃料が効いたのか、大変気合の入った正論のご挨拶を頂戴した。
 イギリスの捕虜となった会田雄二氏の著書『アーロン収容所』(69、70ページ)の逸話

 あるとき、私たちの作業指揮官の将校と英軍中尉と話が始まった。この中尉はアメリカで働いていてハーバードを出たとかいう非常に人なつっこく感じのよい青年であった。かれは、ときおり私たちに何かと話かけようとした希なイギリス人の1人であった。それはアメリカにいたという経歴の生んだ気さくさだったかも知れない。私たちの将校は、「日本が戦争を起こしたのは申し訳ないことであった。これからは仲良くしたい」という意味のことを言った。どのように通じたのだろうか。英軍中尉はきっとした態度をとって答えた。
「君たちは奴隷(スレイブ)か。奴隷だったのか」
 楽天家らしいかれが、急に居住まいを正すような形を取ったので、私はハッとした。この言葉はいまでもよく覚えている。もっともスレイブというのはそのときすぐには聞き分けにくかった。奴隷という言葉が判ったときも、「貴様らは奴隷だから人並みに謝ったりするな」と言うことでおこったと思ったのだから、私の聞き取り能力も心細い限りだ。しかし、つぎのような説明を聞いてやっと意味がわかった。
「われわれはわれわれの祖国の行動を正しいと思って戦った。君たちも自分の国を正しいと思って戦ったのだろう。負けたらすぐ悪かったと本当に思うほどにその信念は頼りなかったのか。それともただ主人の命令だったから悪いと知りつつ戦ったのか。負けたらすぐ勝者の機嫌をとるのか。そういう人は奴隷であってサムライではない。われわれは多くの戦友をこのビルマ戦線で失った。私はかれらが奴隷と戦って死んだと思いたくはない。私たちは日本のサムライと戦って勝ったことを誇りとしているのだ。そういう情けないことは言ってくれるな」
 おぼつかない効き方だが、ゆっくりと噛んでふくめるように言ってくれたのはこういう内容であった。相手を勇気づけようとする好意が溢れていて、頭が下がる思いであったが、その反面、勝者のご機嫌とりを察知されたことに対する屈辱感というものは何とも言えないものであった。
 私たちはもちろんまじめに戦った。ここまで踏み切った以上日本が負けたら大変だと思ったからである。かならずしも大東亜戦争が聖戦であると信じていたのでも、八紘一宇の理念を信奉していたためでもない。そういう立場もあって差し支えないと私は考えている。それを奴隷的心理だとも言えないだろう。

を引用され、戦争に勝ったからすべて正しい、負けたからすべて悪かったという幼稚な論理から抜け出すべきであり、そのためには東條由布子を当選させることが最も早いとの内容であった。

palau その後も応援のメッセージ、パラオ共和国の大王、ペリリュー州知事、ナカムラ元大統領からの祝電、歌などが続き、4時間にも渡る長時間の会となった。

 最後に司会の任を解いてもらうにあたって、せっかくなので1曲プレゼントすることにした。サトウハチロー作詞、古賀政男作曲という両巨匠による名曲『勝利の日まで』(昭和20年)である。さすがに歌えるほどの歌唱力はないので、CDでかけさせてもらった。

『勝利の日まで 』
 作詞 サトウハチロー、作曲 古賀政男

 丘にはためく あの日の丸を 仰ぎ眺める 我等の瞳
 何時かあふるる 感謝の涙 燃えて来る来る 心の炎
 我等はみんな 力の限り 勝利の日まで 勝利の日まで

070526_f1000006 20時過ぎに会場を片付け終え、その後は会場ホテル近くの某ファミレスで生ビールを飲みながら和風スパゲティで遅めの夕食をとる。
 東京地方区で立候補するということで、東條さんには選挙の告示前に、東京都でありながら今だ1万3000柱の遺骨が埋まったままになっている硫黄島への慰霊に行ってもらうよう提案した。選挙のためのパフォーマンスではなく、東條さんが出馬するからこそすべき事柄のように思うからである。

2007年5月25日 (金)

トラック野郎とドライブイン
北朝鮮、ミサイル発射

 誹謗・中傷に心配の電話やメールなどをもらう。誹謗・中傷に励めば励むほど、問題の本質をズラせると思っているのであろう。しかし、追及の手を緩める気はない。

Img_1067 3時、就寝。7時に起床し、十穀米に中粒納豆、ニンニクの芽を刻んだもの、葱の納豆丼で朝食。シャワーを浴びたのち、打ち合わせのため、長岡市に向かう。東京から来てもらった某氏と9時から14時まで、サンドイットの昼食をはさみながら出版の企画を練りこむ。

Img_1069 15時過ぎ、事務所に一回戻り、事務仕事。
 17時、日本青年会議所・北陸信越地区・新潟ブロック協議会2007「アドバンス新潟創造委員会」の打ち合わせのため、車に乗り合わせて加茂市に向かって移動する。途中、栄パーキングエリアで夕食タイムとなる。野菜が食べたかったので「中華旨煮丼 550円」を50円増しの大盛りで食べる。

 小さい頃、映画『トラック野郎』シリーズを見たせいか、トラック野郎がドライブインで、肌色のプラスチック丼ぶりに大盛りご飯で、レバニラやラーメンをおかずに、気持ちいいぐらいにご飯をかっこんでいる姿を見て、なぜか憧れがあった。高速道路が発達したからなのか、そういった光景が見られるような独特の雰囲気があるドライブインが少なくなったのは寂しい。昭和レトロのドライブインなんてのも面白い商売だと思う。

Img_1070 多少、道に迷ったものの、19時30分ごろ加茂市産業センターに到着。日本青年会議所・北陸信越地区・新潟ブロック協議会2007「アドバンス新潟創造委員会」のスタッフ会議を行なう。
 来週以降の決めるべきものはある程度決まった。

070525_f1000002 会議が終了したのち、22時過ぎに柏崎市内に到着。この時間から飲めるところということで、駅南の「居楽屋かくれ庵 千年の宴」(電話:0257-32-0288)で懇親会。
 メニューにあった「お餅の揚げ揚げ納豆おろし 580円」を注文。できれば、納豆は別に自分でかき混ぜさせてもらってから、大根おろしと混ぜ、揚げ餅に絡めたかった。

 今日、北朝鮮が日本海と黄海に向け短距離のミサイルをそれぞれ1回ずつ発射した。北朝鮮の「忘れないで」という政治メッセージであり、無視するのが一番のように思う。

 24時近くに自宅に戻る。

2007年5月24日 (木)

図星のよろめき

 2時、就寝。7時、起床。大粒納豆、岩海苔、ヒラメのあらの味噌汁で朝食をとり、市内まわり。

 12時過ぎ、一度、自宅に戻り、食パンと高柳町のヤーコン・ジャムで昼食。食後、15時過ぎまで会社関係の手続きなど。

Img_1066  16時、来客。某都市で取り組んでいる面白い電車の資料などをもらう。
 18時、来客。時間も時間なので、タラの芽の天ぷら、ハムカツ、若布のサラダなどで夕食を用意する。自分自身は、小さいのでお客さんには出すにはいかない「ホウボウ」を塩焼きにしたものを中心に夕食。

 一昨日から捨てアドレス&プロクシー経由の誹謗・中傷メールやら非通知での固定電話へのワン切りイタズラ電話などがあり、私への誹謗・中傷を行ないたいがゆえ、異常な行動をとっている方がいるようである。
 こちらの指摘や情報収集が、触れてほしくない部分であるのか、普通の神経ではない過剰反応がいかにも怪しい。図星であるがゆえの反応であろうか。
 それにしても、そこまで「卑怯なこと」をして気持ち悪くならないのだろうか。極端に私が大物かのように色々な権力をもっているという、イっちゃった電波系のことを書いている自分に気がつかないのであろうか。あきれた気持ちを通り越して、お寂しい人生に同情もしたくなる。

 どんな誹謗・中傷を捏造されようにも、おかしいものはおかしいと、トルコ文化村の民有地問題をはじめ、番神の恒久的浜茶屋建築、柏崎ぶどう村の処理方法などは徹底的に追及したい。

2007年5月23日 (水)

旧越路町「延命寺」コヒマ戦没将兵鎮魂之碑

Img_1052 2時過ぎ、新宿近くの知人宅に泊めてもらう。8時に起床し、そのまま車で自宅に向かう。
 途中、小腹がすいたので何か食べようかと上里サービスエリアに寄るも、食べ物より「富良野メロンソフトクリーム 300円」に目がいってしまい、思わず購入。

Img_1053 関越自動車道を通って、そのまま自宅に戻らずに途中、長岡市となった旧越路町の「延命寺」(長岡市東谷3512)に寄る。
 柏崎刈羽出身でインパール作戦に出征された歩兵第58連隊の生き残りの方々が、戦友の鎮魂のため、慰霊碑を旧越路町の寺に作ったとお聞きしていた。詳細な場所が分からなかったので、長岡市教育委員会に、

Img_1057「旧越路町にある寺で
 歩兵58連隊の慰霊碑があるところ」

と失礼ながら大雑把な問い合わせをしたところ、ありがたいことに遺族会などにも問い合わせて頂き、判明した次第である。
 調査にご協力頂いた長岡市教育委員会の皆様には大変感謝をしている。
 なにせ経緯を知る方の多くが既に鬼籍に入っており、慰霊碑の維持できなくなってきている状態である。
Img_1056 慰霊碑には、「印度国コヒマ 戦没将兵鎮魂之碑」とあり、裏面には「昭和55年3月吉日 元歩兵第五十八聯隊 中越地区戦友有志建之」とあった。しかし、草は生い茂り、あまり綺麗な状態とは言えなかった。住職のお話によれば、当初、柏崎刈羽出身者のみで建立、維持されていたが、次第に人数も減り、中越地区全体の慰霊碑にしたそうである。
 今日は場所の確認がメインであったため、手を合わせただけであったが、次回来るときには線香はもとより、掃除道具も持参し、綺麗にしたい。
 十分な補給、制空権が無い無謀な作戦と知りつつも、柏崎刈羽の多くの方がインド独立のために戦ったインパール作戦。平和、アジアの歴史を伝えるため、そして日印友好のためにも語り継いでいきたいものである。
 また歩兵58連隊の戦いぶりは、インパール作戦においてイギリス軍を恐れおののかせた名将・宮崎繁三郎中将を描いた豊田穣氏の著書『名将 宮崎繁三郎中将』のなかに、「五十八連隊かく戦えり」として詳細が書かれている。

 柏崎出身で副官となった浜中尉と宮崎繁三郎中将の会話のなかに、こんなやりとりもある。


 そのころ、司令部がわりの民家の中で、宮崎は浜としみじみと語り合った。

 「浜中尉、昔からのわが支隊司令部の将校も、ほとんどが戦死傷して、満足なのは僕と君だけになった。僕は君を片腕どころか、両腕、両足とも頼りにしているのだから、今後は自重してくれ。もし不思議に命をながらえて、ぶじ内地に帰ることができたならば、僕はぜひ越後に行って、亡き忠勇な部下将兵の遺族を訪問し、その英霊にお参りしたいと思っている。そのときはかならず 柏崎 に君をたずねる。そして、このインド進攻作戦の話でも昔語りにしようじゃないか。もうほかにも話し相手がいないからな」

「まったくそうですな。もう閣下と浜だけになりましたな。乗馬も、不思議に生きているのは、閣下と浜のと二頭きりです。ここまできたのですから、閣下こそご自重ください。いつも
はらはらすることばかりです」


 浜中尉はその後、砲弾が頭部に命中し、戦死(ウクルルにて昭和19年6月2日13時30分)。宮崎中将は

 「浜副官、長い間、本当によくやってくれた・・・。
  
ありがとう

と涙をこぼし、 「頭を敵の方に向けて埋葬せよ」と命令した。

分かりやすいインド独立物語:
 「進めデリーへ ~チャンドラ・ボースの戦い~」

070523f1000003 自宅に帰り、小粒納豆、もつ煮込み、ほうれん草のおひたしでブランチをとったのち、打ち合わせにでかける。
 今後のイベントでのボランティアをお願いするための下話であったが、選挙が終ったあとなので選挙活動ととられない分、話しやすかった。昨年は何かと選挙に結びつける方がいて、イベントの手伝い=売名行為ととられていたようで、あまり積極的な協力はできなかった。今年は気が楽である。

070523f1000004

 17時過ぎから、事務所で打ち合わせ。現在、準備中である鉄道活性化のための市民組織の事務所、商店街活性化のための方策などを複数の大義をもった事案を進めるためである。
 打ち合わせが長引き、20時を過ぎたところで、今朝、米山町で捕れた平目の刺身、若布とコーンフリーのサラダなどをつまみつつ、酒を飲む。
 新潟工科大の平成19年度公開講座・技術講座「発酵と微生物」に今回も参加できず・・・・。

 ある程度、話がまとまったところで事務所からまちなかに繰り出し、2軒ほどまわる。

2007年5月22日 (火)

アツい勉強会、再選後初会合

 1時過ぎまで飲み、カプセルに宿泊。7時、起床。ホテルの朝定食400円があり、納豆にありつけた。

070522f1000001 9時から12時近くまで某社会議室で打ち合わせ。担当者と昼食を一緒にとろうと、ラーメン屋が並ぶストリートに行き、大阪ラーメンの「神座」にするか京都ラーメンの「天下一品」にするか悩んだあげく「天下一品」となった。なぜか両者して打ち合わせのときより真剣であった。「こってり大盛 800円」に「半熟卵 120円」のトッピングで昼食。

 午後から大きな書店をまわり、地方自治体の財務関係の資料を買いあさる。最近出版されたものには、やはり夕張市の破綻内容の詳細が書かれている。あくまで財務面、実務からの話であり、議会のチェック機能の指摘が少ないように思う。
 昨日、決まったものは仕方がないが、市長部局をチェックすべき立場である議会の議長、副議長が市長与党を標榜している柏崎市議会はそのあり方をよく考えるべきであろう。

 荷物が本でいっぱいになってしまったので、一度車に戻り、荷物を置いたのち、某ライターさんと新宿で打ち合わせ。

Img_1049 その後、20時から新宿で各地の若手地方議員が集まっての勉強会。東京都新宿区の吉住健一議員に会場をおさえてもらい、埼玉県の鈴木正人議員、静岡県浜松市の新村和弘議員、東京都武蔵村山市の天目石要一郎議員、群馬県伊勢崎市の伊藤純子議員と統一地方選後、初の有志での勉強会を行った。議員定数、そして行政内部の手続きの問題など、自分の自治体の事例をだしながら、熱い議論。終了後は「居酒屋 番屋」にて懇親会。新婚である新村議員のお祝いも一緒に行なう。ただ、やはり貧乏な地方議員同士、経費削減のため、割引クーポン持参である。

Img_1051 二次会はカラオケ。歌った曲は『サイボーグ009』の『誰がために』、西郷輝彦の『ねがい』、新垣勉バージョンの『千の風になって』など。その後は、酔っ払いお約束のラーメン。「なんでんかんでん」歌舞伎町店で「ラーメン 700円」に無料クーポンで「半熟玉子」を入れる。太るわけだ。

2007年5月21日 (月)

臨時議会:議長と副議長のバランスとは
米田建三政経セミナー、中川昭一代議士

 明日からの出張のための資料も作り、6時就寝。3時間ほどだけ仮眠し、大粒納豆、目玉焼き2個、辛子明太子でご飯をかっ込み朝食にする。食後、そのまま市役所に移動。

 10時から臨時議会が開会となる。今日のメインは議長選挙。最年長議員が仮の議長となり、単記無記名投票で行われた。立候補したのは、前議長とベテランの本間議員。それぞれに所信を表明したが、本間議員の所信表明の

 「市議会の場に市長与党、市長野党などない。
  首班指名の国会における与党、野党と話は違う。
  しっかりとしたチェック機能を議会がもっていくべきだ」

という部分、まさに正論であった。投票の結果、市長与党を標榜する前議長が再任され、ついで副議長も市長与党となった。選挙の結果は結果であるが、これまで保守陣営が圧倒的多数であった場合も、議会のバランスをとり、少数意見も反映させるため、議長を保守系からだせば、副議長を革新系からだすといった配慮、いわば「惻隠の情」があった。しかし、今回はもう次の市長選挙モードなのか、はたまた権力志向なのか、その後の各委員会の委員長、副委員長人事についてもほぼ市長与党で占めた。
 本当に良いのであろうか。

 私自身は、「厚生常任委員会」、「議会だより編集委員」となった。

 今日の人事で決めていないが重要なものが1件残っている。「監査委員」である。監査委員は4年の任期であり、行政が行う業務を監査する立場で集まる情報量から言っても重要なポスト。市長与党、革新系の狙いは議長、副議長をおさえたので、次は監査委員を狙ってくるであろう。

 繰り返すようだが、議会は市長当局がやることをチェックするのであって、市長与党などといって何でもかんでも賛成したり、かばってやるのが議員ではない。市長与党の某革新系議員は「市長を守る」と公言しているが、守るべきは柏崎市民、そして市民の利益、財産であって市長ではない
 案の定、この臨時議会で提出された議案は体育館の補修工事や先決処分だけであり、

・柏崎市民(民有地の所有者)の利益を損ねている
 「トルコ文化村売却に関する不手際」

・柏崎市民の税金を投入してきた財産を回収
 (再生もしくは売却)できなかった
 「柏崎ぶどう村問題」

・柏崎市民共有の財産である
 「番神浜茶屋恒久的建築問題」

については、説明も議会の場での正式な報告もなかった。議会を何だと思っているのであろうか。市長与党も「市長を守る」というのであれば、この臨時議会でアクションを起こした方が良いとアドバイスをしてやるべきであろう。

 臨時議会は12時前に終わったが、選挙の結果うんぬんより後味の悪い議会であり、また良識がなくなったとの思いだけが強く残った。

 コンビニの納豆巻き2本、低脂肪乳をほお張りながら愛車を運転して、17時近くに東京都内の如水会館に到着。学生NPO法人のH君とも待ち合わせし、「米田建三政経セミナー」に出席する。
Img_1043 米田建三先生は、テレビタックル等にもよく出演されているが、以前、柏崎で海上自衛隊誘致について講演頂いたこともあり、これからも日本海側の海上自衛隊配備のため、活躍してもらわなければ困る先生である。
 7月の参議院全国区比例では是非、当選してほしい。
 選挙区は「塚田一郎」、全国区では「米田建三と書いてもらえるようできる限りの活動をしたい。
Img_1035 セミナーの講師として、農林水産大臣、経済産業大臣を歴任された自民党政務調査会長・中川昭一代衆議院議員がお越しになった。
 幅広いお話をされていたが、特に面白かったのが、国旗を記者クラブに置くときのゴタゴタである。農林水産省の建物内にある記者クラブは、各マスコミの記者が常駐する仕事場になっているが、あくまで建物は公のもの。国旗を置く際、記者クラブの猛烈な反対にあったものの、屈強な農林水産省職員を従えて強行突破したそうである。
 それにしても、公の施設に自分の国の国旗を置くことだけでも過剰な反応をするとは、もはや病気である。よく世界標準やグローバルスタンダードは言われるが、こと国旗・国歌のことになると世界の非常識となる。

Img_1042 セミナー終了後、懇親会となり、伊吹文明文部科学大臣をはじめ、自民党の大物が集まった。米田先生を応援するのは最もであるが、色々な方にご挨拶させていただいた。そのほか、知った顔も多くあり、気持ちよく懇談させてもらった。
 最後の方で壇上に上がり、「ガンバローコール」を3発させてもらった。ただ、最初に

Img_1047「皆さん、いいですか。
 腰に手を当て、そのまま手を口にもっていくと・・・・
 牛乳を飲むポーズです

とボケるも、会場はやや引き。ドン引きにならず助かった。

 終了後、南千住に移動し、帰国中の某氏と飲み歩き。あえて、実弾が飛び交うような危険な地域への旅行する彼の話はどれを聞いても面白い。
  

2007年5月20日 (日)

風の陣2007 2日目

Img_1023 届いた手紙などを読みつつ、3時、就寝。7時、起床。ハムエッグ、中粒納豆をご飯の上にのせ、グチャグチャとかき混ぜて「納豆ビビンパ」で朝食。やはり卵は半熟に限る。
 食後に慌てて着替える。友人のお父様が亡くなったためで、弔問に伺う。
 お見送りをした後、「風の陣」の会場へ移動。

 昨日と同様、晴れたり雨が降ったりの連続であったが、寒い中サンドクラフトに挑戦してくれる子供も多く、面白い作品が並んだ。

Img_1027 また、流木を使ったアクセサリーを作るコーナーも用意され、雨が降っている間にはこちらを楽しんでもらった。さすがに子供は自由な発想をもっており、一見意味不明な形ではあるが、面白いものを作っていた。
 自分でも空いた時間を使って、貝と流木で「戦艦 大和」を作った。発想が貧困である。

 昼食は、昨日と同じ会場内にでているお店で、大量の食品を購入(せざるをえず?)。昼食だけで確実に5000Kcal以上は食べた。

 会場内で久しぶりに高柳町の某氏に出会った。今年はじめのイベントをはじめ全然手伝いに来ないじゃないか、とのお叱りを受けた。祖母の介護の件もあるが、昨年秋のイベントの際にもお手伝いに行こうとしたものの、選挙のための売名ととられる旨の指摘があったので遠慮させてもらった経緯がある。イベントをはじめ、柏崎全体が盛り上がればと思って手伝うのであって、選挙活動のために来ていると言われるなら、本来の主旨ではない。色々とお話をしてご理解頂いた。

Img_1026 16時過ぎ、来客とのことで一旦事務所に戻る。18時からも別の来客があり、話がかなり長くなったため、牛モツ、キャベツ、ニラ、ダシとして干し納豆でモツ鍋を作り、夕食をとりながら話をした。
 モツについている脂肪の美味さを知ると、霜降りの肉のような脂の旨みは平面、2次元のような感じである。モツの脂肪の美味さは、立体的、3次元の味の広がり・・・・が、しかし確実に太る。

2007年5月19日 (土)

風の陣2007 1日目
ポセ男完成、ヤマト沈没

Img_1002 2時、就寝。7時、起床。「十福米」といういわゆる五穀に加え、緑豆など色々な穀物が入っているご飯を炊き、米麹の赤味噌、ネギ、たっぷりの鰹節、干し納豆で作った「納豆ねぎ味噌」を入れたおにぎりを作る。なかなかの出来栄えで2個をペロリと食べた。体が求めているのだろうか。

Img_1007 8時過ぎ、 「風の陣」の会場に移動。あいにくの空模様で強烈な雨が降ったりやんだりで、サンドクラフト前野外ステージでのイベントは中止するに至った。また、生ビールもかなり売れ残ったようで、せっかく出店していることもあり、「飲みたくはないが(ウソ)」生ビールを大量に摂取し、体重は増え、財布はダイエットに成功した。

Img_1006 雨が降ったりやんだりであったが、それでも晴れ間には多くのお客さんが柏崎青年会議所の50周年事業として行ったサンドクラフトを見に来て、感動していただいた。
 作品はポセイドンを基調にし、愛する女性のために創造した海馬がいるという神話らしいもので、けっして

 「3つの僕(しもべ)に命令だ!
  やぁ 怪鳥ロプロス 空を飛べぇ~
   ポセイドンは海を行けぇ~」

の横山光輝作『バビル2世』に登場する3つの僕(しもべ)のポセイドンではない。
Img_1008 お客さんに体験してもらうための砂の塊を作っていたが、お客さんがこない間に乾いてしまう可能性があったので、一つ作品を作らせてもらった。
 テーマは「宇宙戦艦ヤマト完結編」である。禁断のストローで主砲を表現し、垂直になって沈んでいく宇宙戦艦ヤマトを作ってみた。反応は・・・・・・であった。

 イベント会場内での買い食い?で昼食にし、午後から市外の方を案内する。

Img_1009 20時過ぎ、長岡市にある「スタミナ苑」(電話:0258-28-2525)で夕食。焼肉とラーメンを同時に楽しむならここ、と妹をはじめ知人の多くが言うお店である。メニューも豊富。
 東京都内などから上越新幹線で新潟県に来る知人は、最近、

 「電車の乗り継ぎが悪いので柏崎までは行かない」

と言う。
Img_1011 そのため、いつもこちらから長岡に出向いているが、いつの間にかその知人はこの店の常連になっていた。電車の乗り継ぎが悪いだけではなく、しっかりと地元の味を楽しんでいるようで、やはり情報を商売にするだけに侮れない男である。
 ラーメン、タン塩、ハラミなどで夕食にする。

2007年5月18日 (金)

涙の『防人の道 今日の自衛隊』収録
アカペラで『あゝ紅の血は燃ゆる』

 結局7時近くまで作業に時間がかかり徹夜となる。大粒納豆、わさび漬け、あさりの味噌汁で朝食をとったのち、7時過ぎに愛車で東京に向かう。

 途中、某サービスエリアで友人に会い、談笑。間違って履いてきたサンダルがオチとなる。

Img_nagoshi 11時過ぎ、都内に入ったので先日亡くなった名越二荒之助先生のご自宅に御参りに伺う。しかし誰もご在宅でなかったため、また伺う旨、名刺を置く。渋滞に巻き込まれ、14時過ぎにやっと渋谷に到着。車を駐車場に置き、歩いてチャンネル桜に向かう。今回は資料が多いので、両手が重く、いかにも田舎から来ました風である。

Img_0999 チャンネル桜の前で、大学生でNPO法人のメンバーでもあるH君と待ち合わせ。彼と今後色々な企画をやってみたいので、スタジオ収録を見学してもらったのち、打ち合わせること。
 収録の準備をしつつ、チャンネル桜スタッフと色々な雑談。この雑談のなかから面白いものが生まれることが多い。
 キャスターの濱口和久氏日本青年会議所での表彰、そして著書でもお考えを伺っており、落合裕子嬢もかれこれ2年ほどの付き合いもあるので、気分的には楽である。
 今日は、盛り沢山のネタをもってきたので、どの話をどれだけ深くやろうか否かがなかなか自分のなかで決まらず、とにかく、

・戦前、戦中の納豆包装紙の紹介
        納豆と戦争の意外な関係
・原子力発電所こそ自衛隊が守るべき
        → 海上自衛隊の日本海シフト
        → BWRとPWR、テロの可能性
・柏崎とインドの秘話
       → インパール作戦の意義

をおおまかに決めただけでスタジオ入り。
*資料として、先日の選挙の公約パンフレットも持参。
ネット・オンデマンドは24時間配信中

 
Img_1000 紹介からはじまって、納豆の包装紙の話などをこなすも、どうしても気がかりなことがあった。
 名越二荒之助先生の追悼である。先生は明るく、盛り上げるのが好きであったので、なるべくそのように番組を進める。そして、追悼の一曲を歌うことにした。
 準備段階では、旧帝國陸海軍軍樂隊大演奏会か、『世界に開かれた日本近現代史』の映像を使って、先生との思い出の歌となった『暁に祈る』もしくは『あゝ紅の血は燃ゆる』を流す予定であったが、諸般の事情、そしてこの番組でアカペラで歌った者はいない、とのことで、アカペラで歌うことになった
 イザ!歌う前、やはり照れが入り、思わず目の前にあった納豆の藁つとをマイクにしてしまった。そして、1番を歌いはじめると何とも不思議な気持ちになり、涙がでそうになって、声も若干震える感じになった・・・・

『あゝ紅の血は燃ゆる』 -学徒動員の歌-
 野村俊夫 作詞、明本京静 作曲

 花も蕾の若桜 五尺の生命 ひっさげて
 国の大事に 殉ずるは
 我等学徒の面目ぞ ああ紅の血は燃ゆる

 昭和19年の曲であり、当時名越先生は既に関東軍の軍人となっていたが、旧帝國陸海軍軍樂隊大演奏会などで好んで歌われていた。スタジオで下手糞なアカペラで歌って追悼とさせてもらった次第である。
gakuto ちなみに、これを学徒出陣の歌として、昭和18年10月21日に東京の明治神宮外苑陸上競技場で行なわれた「出陣学徒壮行会」と重ねて表現されることが多く、映画『出口のない海』でも盛んに歌われていたが、実際には昭和19年の曲で女性を含む学徒動員の歌である。

ari 学徒出陣に関して、アメリカの場合は真珠湾攻撃ののち、キャンパスが空になるほど学生が志願し、戦場にでてきている。学徒出陣が良い悪いかは別として、物量、国力に勝るアメリカが学徒出陣まで行なっているなか、日本は開戦から1年半以上、「勝てる、勝てる」とおっとり刀でいた。ちなみにアメリカ大統領であるブッシュ氏の父ジョージ・H・W・ブッシュ、いわゆるパパ・ブッシュも学徒出陣し、日本軍と戦っている。

 嫁さん募集などキャスターお二方がドン引きする発言などをして、二度とこの番組出演は無いんじゃないか、と言われそうな勢いで収録終了。
 紹介した本は、本土防衛に活躍した市内北条出身の樫出勇氏の戦記もの、韓国海軍軍人が暴いた北朝鮮のテロ計画に関する以下の2冊をはじめ、多数を紹介したが、最大のミスは明日からの「かしわざき風の陣」のPR、特にサンドクラフトと自衛隊展示をすっかり忘れてしまったこと・・・・・猛省。

070518_ramen_2  水島社長、H君との打ち合わせなどのあと、愛車にて帰り道につく。車を少し動かしたところで猛烈にお腹がすいたので、一番近い「宗家一条流 がんこラーメン 八代目直系」(電話:03-3227-0061)で「こってり全部 1200円」を注文。かなりのボリュームで、味付け卵、チャーシュー、麺が240gとのことであった。細麺なのであっという間に食べてしまったが、学生時代に食べた「がんこラーメン」の印象よりは個性が弱まっている感じであった。他に強烈なラーメンを食べてきて舌が肥えたからであろうか。

 関越自動車道をとばして、23時近くに自宅に到着。

2007年5月17日 (木)

サンドクラフト完成まであと少し

 2時就寝。疲れが溜まっているのか、起きたら8時過ぎ。あわてて、着替えてそのまま中央海岸に向かう。

Img_0997 13時過ぎまで、柏崎青年会議所の同じ委員会のメンバーとともに、今月19日、20日「風の陣」でお披露目となるサンドクラフトのお手伝い。
 彫刻家である保坂氏の作品はかなり完成に近づいている。柏崎青年会議所としての作品もあり、メンバーで作っている。たこの頭が具合良くできており、つい触ってしまうほどであった。

 午後から出張の予定であったが、緊急の仕事が2件ほど入り、とにかく片付けようと躍起になる。

Img_0998

 22時、十穀米と冷凍しておいた牡蠣フライ、納豆汁などで夕食をとる。やはり家庭での冷凍は、それレベルでしかなく、冷凍やけもしており、満足な味わいではなかった。早く、口いっぱいにほお張れる岩がきの夏がきてほしいものだ。

2007年5月16日 (水)

従軍慰安婦問題と税金の無駄使い

Img_0984  4時、起床。1時間ほど資料を読んだのち、歩いてシーユース雷音に移動し、柏崎準倫理法人会、経営者モーニングセミナーに出席する。
 講師は昨日に続き、佐久平倫理法人会専任幹事で株式会社木村創建代表取締役の木村珠樹法人レクチャラー。「成功と幸福を呼ぶ言葉(心の方針)」や「ありがとう」の言葉の力などを講演いただく。

Img_0985 セミナー終了後、3階のレストランでビュッフェの朝食。お約束である「高柳の黒米粥」をはじめ、たっぷりと食べる。
 食事をとりながら、商店街活性化のお話などを盛り上がる。

 午前中は市内まわり。朝食を大量に食べたので、14時ごろカロリーメイトのみの食事。

Img_0989

 市内まわりののち、事務所に戻ったところで来客が相次ぎ、気付いたら21時であった。せっかく先週から開催された新潟工科大の平成19年度公開講座・技術講座「発酵と微生物」に申し込んでいるにも関わらず、参加できず・・・・。
 23時、鯖の焼き寿司、バイ(貝)の刺身、今期で市議会議員を引退した小池寛氏から頂いた「くらだし原酒 かんぱく」(株式会社 加越)で夕食をとる。
 小池前議員からは、

「ばかやろう!おまん、もっと票とれ、
   今度はもっと増やせーいいかー」

とありがたい激励を頂戴した。

 現在、「石川の教育を考える県民の会」が、村山富市元首相を相手取って訴訟を起こしており、明日5月17日に東京地裁で開廷される。
 この訴訟は、従軍慰安婦問題に端を発する税金の無駄遣いについてである。現在もアメリカ議会で中国人ロビイストの手によって従軍慰安婦が取り上げられている従軍慰安婦問題。それはそれでご本人にとって悲劇ではあるが、女衒などによって集められた民間で運営されていた慰安婦を、旧日本軍が強制的に連行をしたという「従軍」慰安婦に仕立て上げ、日本人の貶め、歴史の捏造が行なわれている。しかもそれだけならまだしも、そこに我々の血税の無駄使いと利権構造が生まれているのである。
 この訴訟がどうなるのか、行方を注視していきたい。


1.事件名
 (村山富市元首相に対する)濫用国金返納事件

2.事件番号 第7780号

3.取扱い法廷
    東京地方裁判所民事25部508号法廷(5階)

4.公判(口頭弁論)
 平成19年5月17日(水)午前10時15分開廷

請求の趣旨

既報(甲1・産経新聞・平成19年2月6日付け他)のとおり、「女性のためのアジア平和国民基金」(以下、アジア女性基金または同女性基金とする)は、平成7年12月8日、総理府および外務省共管の財団法人として設立(現在の所管は外務省)、以来、計285人の元慰安婦たちに対して、5億6,500万円を支払ったとのことであるが、それだけのお金を配る為の同基金の人件費や事務所経費として毎年3億~5億円、合計すると、50億円前後の国費を投入したという。同基金の設立根拠は、平成5年8月4日の(所謂)「河野談話」にあるが、その河野談話の根拠は早い時期に崩れてしまっていた。にも拘らず、それだけの巨額の国家予算を、慰安婦と称する人達に支払う為の組織の運営に使用したことは、国費の濫用以外なにものでもなく、全く言語道断である。

1.同基金の村山理事長は、上記濫用した国費約50億円の内、
 160万円を本年4月末日,迄に国庫に返納しなさい。なお、
 国庫への返納が、指定期日よりも遅れた場合は、年5分の
 金利分も含めて国庫に返納しなさい。

2.また、同女性基金が、全く根拠のない(所謂)「河野談話」
 を前提にして、285人の慰安婦と(称する)人達に対して、
 充分な検証もせずに、全く不必要な謝罪の意味も込めて、全く
 不当なお金を支払い続けたことは、原告にとって日本人として
 の名誉と誇りを大きく傷つけられた。その精神的苦痛は多大な
 ものがあり、耐え難いものがある。よって、被告は原告に対して
 10万円の精神的苦痛に対する慰謝料を本年4月末日迄に支払え。

3. 合わせて、被告は本裁判にかかる一切の費用を支払え。
                                      
以 上

2007年5月15日 (火)

「はい!よろこんで」-素晴らしい出会い

 3時、就寝。7時、起床。大粒納豆、辛子明太子で朝食をとり、そのまま海岸での作業にでかける。11時過ぎまで作業を行ったのち、一度、自宅に戻ってシャワーを浴びる。

Img_0979 11時30分過ぎ、自民党柏崎支部に行き、臨時役員会に出席。現職県議会議員をはじめ自民党籍をもつ市議会議員、柏崎市内各分会の分会長さんが出席し、「ほっかほっか亭」の昼弁当を食べ、参議院選挙に対する対策などを話し合う。市議会に関連したことでは、やはり30名の定数の議会で会派が10会派もあるというのは非常識で恥ずかしいことだということだった。

 17時過ぎ、シーユース雷音に移動し、柏崎準倫理法人会の講演会「経営者のつどい」の準備を行なう。
 準備をしている間、どうも見たことがある美人がロビーにいると思って近寄ってみるとジャーナリストの大高美貴氏だった。チャンネル桜の『報道ワイド』月曜日のキャスターでもあり、昨年、インドへご一緒させてもらった。
 今日は法人会主催の講演会で講師として柏崎にお越しになられたとのことであった。
 休憩しているところを失礼であったが、共通の友人のことも含め、色々とお話をする。時間があれば、ディープな柏崎を楽しめた

Img_0980 18時30分から講演会『「はい!よろこんで」-素晴らしい出会いに感謝!』を開始。講師は、佐久平倫理法人会専任幹事で株式会社木村創建代表取締役の木村珠樹法人レクチャラー。


 昭和27年10月18日、東京の大田区生まれ。元来、信州の佐久市に家屋敷、田畑あり。父の代から東京に出ていた。東京生まれ東京育ちのお坊ちゃま。父は東大法学部出の超エリートサラリーマン。父が挫折し、唯一の資産佐久の家屋敷を差し押さえられ、長男ゆえ佐久に帰る。
 地元の優良工務店に就職。順調に取るべき資格をすべてとり、宅地建物取引主任者、2級建築士、1級建築士。出世街道まっしぐら、常務取締役まで昇進するも、平成14年2月12日倒産。平成14年4月1日に木村創建を設立し、現在にいたる。


 人生=思考(-100から100)×
    能力(0~+100)×才能(0~+100)

という(思考にマイナスがあることがポイント)京セラ名誉会長・稲盛和夫氏の人生方程式の解説や、斉藤一人さんのお話など、面白く興味深い話が続いたが、一番、印象に残ったのは、次の言葉であった。

 「人生は出会い、
   出会うべき人には必ず出会う
    それは一瞬たりとも早からず遅からず」

Img_0983

 20時から3階レストランで懇親会

2007年5月14日 (月)

国民投票法案に向けて
社民党と共産党の過去

 企画書のまとめに挑むも効率が上がらず、結局4時までウダウダとし、そのまま机で仮眠。

 8時過ぎ、起床。大粒納豆、生卵、辛子明太子でご飯を2杯の朝食。

 午前中は事務所の整理を行なう。昼食は、冷凍うどんとひきわり納豆で納豆うどん。祖母の分も作るが、入れ歯の具合が悪いとのことで、コシのあるうどんではなく、パンを用意する。

 14時から事務所で2時間ほど打ち合わせののち、長岡市に電車で移動。県内から3名で集まり、アイデアをだしあう。話が盛り上がり、そのまま某居酒屋に早い時間から行き、飲みながら議論。

 23時近くに自宅に戻る。

 先日の我が柏崎市における成人式の会場近くにおいて、憲法9条の改正反対のビラを社民党系、共産党系の方々が、新成人に<お配り>になっていたという
 今でこそ、社民党、日本共産党は「憲法を守れ!」「護憲派」の主張、イメージとなっているが、これまでの道のりはまったく逆である。

チャンネル桜「今日の自衛隊」金曜日のキャスターを務める濱口和久氏のブログに詳しい。
070514  日本共産党は、現在の日本国憲法に唯一「反対」をした政党である。昭和21年6月28日、大日本帝国憲法改正草案として「日本人民共和国憲法(草案)」を決定し、発表している。この憲法草案は、天皇制の廃止は書いてあるが、軍の不保持については書かれていない
 日本国憲法第9条の提案理由の説明が行なわれた昭和21年6月25日の衆議院本会議。吉田茂総理の説明に対し、各党が代表して質問するなか、同年6月28日には日本共産党の野坂參三(参三)議員はこんな発言をしている。

*帝国議会会議録システム 昭和21年6月25、26、28日

「偖て最後の第六番目の問題、是は戰爭抛棄の問題です、此所には戰爭一般の抛棄と云ふことが書かれてありますが、戰爭には我々の考へでは二つの種類の戰爭がある、二つの性質の戰爭がある、一つは正しくない不正の戰爭である、是は日本の帝國主義者が滿洲事變以後起したあの戰爭、他國征服、侵略の戰爭である、是は正しくない、同時に侵略された國が自國を護る爲めの戰爭は、我々は正しい戰爭と言つて差支へないと思ふ、此の意味に於て過去の戰爭に於て中國或は英米其の他の聯合國、是は防衞的な戰爭である、是は正しい戰爭と云つて差支へないと思ふ、一體此の憲法草案に戰爭一般抛棄と云ふ形でなしに、我々は之を侵略戰爭の抛棄、斯うするのがもつと的確ではないか・・・・」

 自衛のための戦力の保持は放棄していないことが分かる。
 また、旧社会党の流れを汲む、社民党も同様に護憲の立場をとるが、昭和21年6月26日、社会党の鈴木義男議員はこう質問している。

「次に御尋ねを致したいのは、戰爭抛棄の宣言に付てでありますが、我が國が苦い經驗に鑑み、平和主義に徹しまして、我が國の安全と生存とを擧げて平和を愛する世界諸國民の公正と信義に委ねまして、政策としての戰爭は之を抛棄し、一切の軍備を撤廢すると云ふことを國是としましたことは結構なことであります、縱しや外國評論界の一部に、それは子供らしい信念だと嗤ふ者がありましても、過つて改むるに憚ることなかれでありまして、我が國が先鞭を付けることに依りまして、世界の國々の憲法に此の種の規定を採用せしむるだけの意氣込を以て臨むべきであると信じます(拍手)現に不成立に終りましたが、「フランス」の過般の憲法草案には、征服的戰爭は決してしないと云ふことを宣言して居るのであります、段々之に倣ふものが多くならうと信じます、我が黨は、單に消極的戰爭抛棄を宣言するだけでなく、進んで平和を愛好し、國際信義を尊重することを以て我が國是とすると云ふことを、憲法の中に明らかにしたいと考へて居るものでありまするが、其のことは姑く措きまして、戰爭の抛棄は國際法上に認められて居りまする所の、自衞權の存在までも抹殺するものでないことは勿論であります、其のことは心配をして御質問になつた方が二、三あるやうでありますが、御心配は御無用であります、併し軍備なくして自衞權の行使は問題となる餘地はないのでありまするから、・・・・・」

 こちらも自衛のための戦力の保持は放棄していないことが分かる。

 現在では、両党とも自衛を前提とした自衛隊にも反対するが、日本国憲法の成立過程に対する歴史を政党としてどう捉えているのか、機会があれば柏崎市議会の場でも議論してみたい。

2007年5月13日 (日)

2007 Love the Earth

 5時間ほど駐車場で仮眠したのち、高速道路で自宅に戻る。8時過ぎ、シャワーを浴びて、大粒納豆、筋子、野沢菜で朝食をとる。

Img_0977 9時30分から海岸清掃の「Love the Earth」に、柏崎青年会議所のメンバーとともに参加。母校でもある柏崎第一中学校をはじめ、色々な団体も一緒になり、中央海岸の清掃を行なう。
Img_0972 この春から何回か海岸清掃にでているが、毎回のように強風に祟られており、案の定、今回もチョー強風のなかでも清掃作業となった。
 ビビラで砂のなかからのゴミを集めるも、強風が吹いた瞬間に飛んでいってしまう有様。
 強風のなか、参加して頂いた市外のバイカーには感謝である。

 12時から某飲食店で昼食をとりながらの会合。一旦自宅に戻ったのち、15時から打ち合わせ。商店街の活性化に寄与できるか、来週が勝負である。

Img_0976 17時過ぎ、友人と温泉旅行にでかけていた母が帰ってきたので、「母の日」プレゼントを渡して、夕食。
 万座温泉の帰りに長野に寄り、野菜市を見てきたということで取れたてのぶっといグリーンアスパラを買ってきた。軽く塩茹でをしたのち、マヨネーズをかけてビールのつまみにする。甘く、歯ごたえ良く、ついつい一皿丸々食べてしまった。
 熱っぽいので、21時から23時まで2時間ほど仮眠する。

2007年5月12日 (土)

第55回自由民主党新潟県支部連合会大会

 3時、就寝。7時、起床。大粒納豆、目玉焼き2個で朝食ののち、8時過ぎから事務所で面接を行う。

Img_0970 9時過ぎ、愛車で新潟市に移動。自民党県連青年部のメンバーとともに、10時からホテル新潟で「第55回自由民主党新潟県支部連合会大会」の準備を行なう。
 11時過ぎ、あらかたの準備が終ったところで、ホテル特製のシーフードカレーで昼食。このカレーがまたピリ辛の変わった味で、おかわりをしようかしまいか迷ってしまうほどであった。

070512mi  13時から大会開始。800名を超える参加者で泉田知事をはじめ、現職国会議員、県議会議員、市町村長、市町村議員が揃った。
 開会の挨拶、国歌斉唱、自民党党歌斉唱、仮議長の選出、そして出番の資格審査報告・・・とは言っても、壇上に上がって代議員数と総会の成立を宣言するのみの役目である。
Img_0971 壇上の国旗に頭を下げ、登壇すると某代議士から、

 「コケるなよ、なっ、コケるなよ」

の声。コケるなよ、と言いつつ、コケて受けを狙え、という、まるでダチョウ倶楽部

 「おい、押すなよ、押すなよ」

と他の人に懇願するように言い、結局、押されて落下するネタのようではないかと思ったが、とても実行できる雰囲気ではなかった。

 15時過ぎ、無事、大会が終了し、帰り道を歩く党員の皆さんから能登半島復興募金も頂戴し、ホテルを後にする。

 16時過ぎから自民党県連本部で青年部の合同会議に出席。今年度の計画、党員拡大について話合う。

070512s1 18時過ぎから古町の御米屋(電話:025-225-8800)にて懇親会。生ビールを中心に、シークワーサーの焼酎ソーダ割りなどヘルシーな?酒で盛り上がる。当選祝いも兼ねてもらい、感謝感激であった。
 福祉を勉強する学生さんという店員の女性がテレビ映えしそうな可愛さだったので、思わず「レポーターのバイトしませんか?」と声をかけるも、アヤシーと思われたのか、ニベもない返事で撃沈、いや轟沈(1分以内で完全に沈没)した。
070512s2 一次会ののち、二次会、三次会と進み、最後はお約束のラーメン。「味濱家 古町店」(電話:025-228-8411)にて、「岩のりラーメン」に味付け卵をトッピングし、太麺、固め茹で、脂多めという、まさに「デブの素」ラーメン。テーブル上の刻みニンニク、豆板醤をたっぷりと入れ、これでは今年も結婚相手は見つからないのではないか、という食べ方で楽しむ。

2007年5月11日 (金)

柏崎出身者が書くインパール作戦

Img_0963 インパール作戦に出征した方の手記を読み進み、6時就寝。3時間ほど仮眠し、今年初の筍ご飯に小粒納豆、もずくの味噌汁で朝食をとる。

 10時から17時過ぎまでひたすら市内まわり。番神海岸の件をはじめ、柏崎ぶどう村問題など、市議会は何をやっているのか、とお叱りを受ける。
 お茶やコーヒーを頂きながら、出されたお菓子も食べるので相当なカロリーの摂取である。

Img_0969 18時30分過ぎから事務所にて懇親会。持ち寄りの酒、つまみに加えて、何故か急に食べたくなった鯖の味噌煮の缶詰、横浜市会の工藤裕一郎議員から頂戴した崎陽軒のシュウマイ、筍の煮物、チョリソー、わらびと油揚げの酢の物など。
 話は盛り上がり、現在資料を集めている最中の日本軍幻のジェット戦闘機「秋水」にも及ぶ。この戦闘機が使うジェット燃料の開発に理化学研究所が関わっており、戦争とかうんぬんは別として、技術、そして技術開発にかける熱い男のドラマとして非常に興味がある。

 先日、ご逝去された鈴木信雄氏をはじめ、柏崎市内で直接インパール作戦に関する体験談をお聞きできる方が少なくなった。あれほどの悲劇、そしてその意味合いの評価が分かれる戦闘だっただけに、ただ念仏のように「平和、平和」と叫ぶ平和教育ではなく、語り継ぐべき事柄である。
 インパール作戦に出征した3個師団(第15師団<通称:祭>、第31師団<通称:>、第33師団<通称:弓>)のうち、米山山荘に「日印友好親善の碑」を建立した歩兵第58連隊は第31師団に属している。
 昭和19年4月5日、第31師団宮崎支隊歩兵58連隊(高田、現上越市)第3大隊(島之江少佐)がコヒマを占領し、一気にインパールへの道が開けると思いきや、ビルマ方面軍の決断ミスにより、補給ラインが途絶え、飢えと病との闘いになっていく。名将・宮崎繁三郎少将をして、「コヒマの勝機は逃げて敵の方についてしまった」である。
 柏崎出身者でその模様を著したのは上村喜代治氏。反骨精神あふれる氏であり、軍での面白い体験にも引かれるが、インパール作戦の現場の切実な声が残してある。

2007年5月10日 (木)

芸術の三昧:サンドクラフト、結城紬

Img_0961 3時、就寝。8時、起床。ひきわり納豆と生卵でご飯2杯をかっこんで、中央海岸に向かう。
 午前中は柏崎青年会議所の同じ委員会のメンバーとともに、5月19日、20日「風の陣」でお披露目となるサンドクラフトのお手伝い。柏崎青年会議所の50周年事業であり、かなり気合の入った作品である。

070510  12時近く、一度自宅に戻り、祖母に昼食として納豆そばをつくる。ひきわり納豆と卵を徹底的にかき混ぜた後、温かい蕎麦の上にのせる。
 13時から18時過ぎまで市内まわり。
 途中、結城紬の展示会に行き、国の重要無形文化財にも指定されているいざり織を見学させてもらう。昭和天皇・皇后両陛下の前でも実演されたという、機織ひとすじ65年の[天覧織女]永井千代子さんに色々とお話をお聞きした。

Img_0978 「いぃがぁ、
   これはいーい人生おぐってねーって
  気持ちごめて、空気を織り込んでるのー、
         ねー、感謝の気持ぢでねー」

と味わい深い語りでつい引き込まれる。
 さすがに結城紬を買えるような懐の状況ではないので、結城縮で夏用の着物を作ってもらうことにした。ついでに面白い柄の浴衣も注文。今年の夏は出来る限り和服を着ようと思う。

 柏崎は越後縮をはじめとして、呉服問屋の隆盛から文化が生まれてきた歴史をもつ。であれば、もっと和服を着る機会があっても良いし、和服を着た人が歩いていてもおかしくはないはずである。
 伊賀市議会のように市長、議員が忍者衣装になって、「質問がござる」「お尋ね申す」などと正式な議会をやるのも面白いが、そこまでいかずとも、柏崎の町発展の歴史に鑑み、和服でしか出席できない議会があっても面白いと思う。

 19時から打ち合わせ1件、20時から某懇親会に合流する。24時近くに帰宅。

2007年5月 9日 (水)

新潟工科大・技術講座「発酵と微生物」

Img_0956 4時、起床。溜まっていた月刊誌を持ってゆっくりと朝風呂に入る。5時30分、 シーユース雷音に移動。柏崎準倫理法人会、経営者モーニングセミナーに出席する。
 今日は、自分の会社で起こったことを披露するセミナー。会長、副会長、専任幹事がそれぞれの会社で経営者として社員とトラブルになった経験をお話になり、非常に参考になった。
Img_0957 セミナー終了後、朝食会として3階のレストランでビュッフェの朝食。お約束である「高柳の黒米粥」をはじめ、たっぷりと食べる。
 仕事関係の話から自然と、現在の柏崎市の公共工事などの入札に関する話題になった。公開入札として、柏崎市内に仮にでも営業所があれば入札に参加できるようにしたことで、柏崎市外の業者からの進出が激しい。
 公開入札にして、工事などの金額を見れば、多少安くなる効果はあるが、結局は我々の税金が市外に流出(営業所はあっても本社が柏崎市にあるわけではないので)することになり、長い眼で見ると柏崎にとってはマイナスであろう。
 しばらく注視し、問題点を追及したい。

 午前中に打ち合わせ2件。うち1件は商店街活性化に関するもので、現地の確認をし、その後喫茶店で打ち合わせ。

 一度、自宅に戻り、資料を作成して、14時から市役所の関係箇所を回る。

Img_0959 18時30分、新潟工科大に移動。19時から新潟工科大の平成19年度公開講座・技術講座「発酵と微生物」に参加する。この講座は全部で4回あり、納豆菌の分離も行なう。
 今日は、培地の調整、無菌操作という基本的なもの。普段、やり慣れていないだけに、手先を考えながら使う楽しい時間であったが、それより実験室内にある機器が良かった。どう動くのか、どんな操作ができるのか想像・・・どうもメカ・フェチは直らないようである。

*大腸菌(Escherichia coli)、枯草菌(Bacillus subtilis )を培養

 22時近く、自宅に戻り、冷凍うどん2玉で納豆うどんにして夕食。

2007年5月 8日 (火)

いよいよ本格化した日本海改称問題

 2時、就寝。7時、起床。食パンにバター、あら挽きマスタードを塗り、挽き割り納豆、トマトスライス、シーザーサラダドレッシングで味付けした「試作版 納豆サンドイッチ」で朝食。味は・・・・・まだまだ改良の余地がある。

Img_0954 午前中は市内まわり。12時過ぎ、「里味 柏崎店」(電話:0257-21-1800)で、政治に関する昼食会議。「麦とろそばセット 1280円」を食べながら、今後の議会運営のあり方、そして鉄道活性化の進め方について話し合う。
 早く鉄道活性化の組織作りを進めたいものの、まだ議会内の会派が決定せず、先行してやることで敵を作ることだけは避けたいものである。会派内の人事とかそんなものよりも、柏崎市全体のためが本来優先すべきであろうが、なかなかうまくいかない。恩讐を超えて鉄道活性化に関する活動組織ができればと思う。

Img_0955 食後も市内まわり。18時過ぎ、事務所に戻り、選挙後の会計の整理をはじめ、書類の整理。スーパーで時間割引になっていた、タレカツ丼、ほたての刺身で夕食にする。ほたての刺身はそのまま食べても面白くないので、刻んだ玉葱、わけぎとともにドレッシングで和えてマリネ風にしてみた。

Toukaipro  鳥取県琴浦町の道の駅「ポート赤碕」に隣接している「日韓友好交流公園・風の丘」内の石碑が話題になっている。
 この石碑には、かつて「日本海(東海)」という文言があり、韓国側の主張である

 「日本海の名称は、
   日帝が歴史を無視して強引につけたもので、
                    本来は東海である」

に迎合したかたちになっていた。これを町民からの苦情等により(東海)の部分を削除したところ、在日本大韓民国民団(民団)とのトラブルになっているという。
 いくら交流とはいえ、存在しない「東海」の呼称、そして日本国内の施設であり、「日本海」の表記だけで十分のはずである。
 町長の凛とした対応に敬意を表すとともに、主張すべきことを主張せず、相手に迎合することだけが友好だという、子供のような国際感覚から脱皮すべきと、我が柏崎市を含めて提言したい。

 ちなみに「日本海」の呼称をめぐっては、現在、モナコで開かれている国際水路機関(IHO)の海洋地図を決める会議でも、日韓の主張が激しく対立しており、新たな火種となる可能性もはらんでいる。

 今後の動向はこちらのブログ

2007年5月 7日 (月)

インパール作戦の出征者、逝く

 7時、起床。大粒納豆と生卵、ほっけの開きで朝食にする。午前中は市内まわり。

 12時過ぎ、一度、自宅に戻ったのち、食パン1枚と納豆1パックを食べ、礼服に着替え、弔問にでかける。

Img_0939 以前に、お書きになった『インパール作戦の底辺』を借りた鈴木信雄氏がご逝去された。ちょうど、コピーも終わり、原本をお返しにいくタイミングであったので、偶然とは思えないタイミングである。
 ご自宅の方に伺って、手を合わせさせてもらい、お茶を頂きながら奥様に色々とお話を聞いた。お元気なときには、元歩兵第58連隊だったメンバーで旧越路町の尼寺に慰霊のため、1年に一回集まっていたそうで、最近は鬼籍に入る方も多く、集まることはなかったという。その尼寺には、柏崎刈羽周辺の出征者を多く含むインパール作戦の慰霊塔もあるということなので、機会を見つけて詳細を調査したいと思う。
 黒姫商工会の重鎮として多くの方から尊敬され、まちの発展に寄与してきた鈴木信雄氏のご冥福をお祈りしたい。合掌。

 18時過ぎまで市内まわりをし、その後は某懇親会に参加。

2007年5月 6日 (日)

小林ハル~渾身の熱唱~

 再度、パソコンのデータを作る気力がでてきたところで、3時就寝。7時、起床。消えてしまったメールやデータを出来る限り復元しつつ、ブログを書く。

Img_0945_1  12時、スーパーで半額になっていた「とろろそば」に生卵を追加したもので昼食。
 14時から事務所に来客。小さな子供と一緒に遊ぶ。アンパンマンの絵はそれなりに描けるようになったが、意外に難しいのはカレーパンマン、ドキンちゃん、ロールパンナである。

 16時から18時まで、市内某氏宅に伺い、歴史教科書をはじめ情報交換。

Img_0947 21時過ぎから事務所で選挙を手伝ってくれた2名と懇親会。こいしや食品さんの「平家大粒納豆」に生卵を入れたもの、お気に入りの「わさび漬け」(神奈川県小田原市神尾食品工業 電話:0465-48-2131)、鶏もも肉の山椒焼きなどを中心にビールを飲む。

Img_0944  瞽女文化を顕彰する会さんにお願いしていたDVD「小林ハル~渾身の熱唱~」が届いたので、じっくりと見た。
 これまで小林ハルさんについては、BSNのローカル番組のみならず、日本テレビ『知ってるつもり』でも取り上げられ、その人生が壮絶であったことは知っていたが、今回改めて演奏する映像で見て、感じるところが多々あった。
 DVDに入っていたブックレット内にある「瞽女文化を顕彰する会」理事・鈴木昭英氏の解説によれば、小林ハルさんは長岡瞽女の系統と言われ、刈羽瞽女、高田瞽女とは歌唱方法が違うそうである。その辺も今後、是非、聞き比べてみたいと思う。

2007年5月 5日 (土)

(HDD)トンだ、子供の日

 溜まっていたDVDの整理などをしつつ、2時就寝。7時、起床。熱いシャワーを浴びたのち、大粒納豆と生卵で朝食をとる。

 食後、仕事をしようとパソコンの電源を入れ・・・・・・ても起動せず。ハードディスクから「カックン、カックン」の異音。なんとメインのハードディスクがクラッシュしていた。重要なデータはバックアップのハードディスクに残っているため問題ないが、作っている途中のプレゼンテーションや文書、メールはすべて吹っ飛んでしまった。

 ハードディスク単体を買おうにも柏崎市内にはバルク品のハードディスクを売るショップはないので、長岡まで急いで行き、200GBのハードディスクを購入。

 道が混んでいたので、途中、コンビニの納豆巻き2本、低脂肪乳、海草サラダを車のながで食べて昼食にする。

 自宅に戻ってから、ひたすら復旧作業。23時近くまでかかって、ある程度の作業ができるまで回復した。
 ほぼ一日が無駄になってしまい、仕事に占めるパソコンの重要性を再認識する結果となった。
 また、消えてしまったデータと同じものを作る仕事に取りかかる気分になるまでが、大変である。

Img_0437 24時近く、鯖の塩焼き、油揚げの納豆はさみで夕食。せっかくの連休なのに、選挙後の片付けや雑用で外出できなかった。それでもと、ビール飲みつつ、田邊洋夫さんの『鉄道員が写した 四季の鉄道風景』新風舎をめくりながら、旅行した気分に浸る。美しい風景や今は無き車両の姿などが楽しめる本であり、鉄道ファンのみならずとも、柏崎市民なら必見の本。駅前芝生公園にあるSL(D51-1)がサハリンから帰還した経緯と写真をはじめ、双頭レールのお話などが掲載されており、柏崎市の貴重な歴史資料でもある。

2007年5月 4日 (金)

リサイクル幻想とコスト

 環境に関する本を読み始めてしまい、5時を過ぎたあたりまでは覚えているものの、いつの間にか就寝。10時、起床。起きてからも読み続ける。一応、反対意見の本も読んでみたが、ゴミのリサイクルに関する自治体(柏崎も)の資料も合わせて読み、そして現場で見たことをまとめて考えてみると、いかにゴミのリサイクルが幻想であるのか分かってきた。いずれは議会で取り上げる事柄であろう。

Img_0940 12時近く、コシアブラご飯に酢を入れた小粒納豆をかけてブランチ。コシアブラは、少し香りが強いのでご飯ものには向かないと言われるが、今回は茹でて十分水に浸したものを刻んで、炊きたてのご飯に混ぜた。やはりコシアブラご飯単体では、かなり個性が強いが納豆、しかも酢を入れた納豆をかけることで、うまくまとまった感がある。山菜と納豆の関係も今後、研究してみたい。

 15時ぐらいまで本と資料を読みつつ、簡単なメモをまとめる。

 16時、来客。18時ごろまで柏崎ぶどう村ワイナリーの決着の仕方をはじめ、世間話をする。
 その後、事務所の整理。録り溜めて見ていないDVDや返事を書いていない手紙などもあり、24時近くまでかかる。

Img_0942 23時過ぎ、馬刺しを、たっぷりのおろし大蒜、葱、再仕込み醤油で堪能する。馬刺しといえば、熊本に行ったときに食べた「こうね」(たてがみ脂)や「レバー」の刺身の味が忘れられない。いつかまた食べてみたいと思う。

2007年5月 3日 (木)

憲法論:日本共産党・志井委員長の技

 2時、就寝。6時、祖母の具合が悪いのか、朝から歩き回っており、起こされる。寝ぼけているのか、祖母は自分で何を言っているのかも分からないようであった。突然こういった感じになることが多くなった。1時間半ほど相手をして寝かしたあと、メールや各種の事務処理。

 10時過ぎ、「新成人フェスティバル2007」に出席するため、スーツに着替え家をでようとすると、祖母が家にいないことが分かった。普段であれば、午前中は頭がハッキリしているので、近所の散歩は大丈夫だろうと思っているが、今日は朝からあの状態だったので、心配になり探してみると、案の定、部屋着のまま本町の商店街にでようとしていた。顔を見ると頭がハッキリしていないときの顔だったので、家に連れ戻す。
 結局、「新成人フェスティバル2007」には出席できず、関係者の皆さんには申し訳ない限り。

0705032 12時前、来客。色々な世間話をしつつ、「うれっ子」(電話:0257-22-4648)の「チャーシューメン」で昼食をとる。
 選挙後、当選した議員で議長選挙、会派結成など色々な動きがあるが、柏崎市民の利益を守ることではなく、現市長の勢力安定、そして再選のために会派構成をうまくしたいという動きには納得できない。 「市長与党」<市長を守るのが目的>という存在が、議会のチェック機能を奪い、それによって破綻した自治体もでてきた事に気付いていないようである。

 午後からは市内まわり。18時過ぎに事務所に戻り、事務所内の整理。まだまだ足の踏み場もない状態である。

0705033 20時過ぎ、豚のしょうが焼き、もずくを入れた海草サラダ、ゼンマイと油揚げの煮付け、納豆汁で夕食。
 食後、新聞の切り抜きや読もうと思って買っておいた憲法関係の本を整理しながら読む。今日、東京・日比谷公会堂で行なわれた憲法集会での日本共産党・志井委員長のスピーチでは、日本会議靖國神社が標的となっており、志井委員長のまさに「恣意的な」論理のすり替え技が見事であった。

 【日本共産党中央委員会の動画】

 特にジェンダーフリーと男女同権をごちゃ混ぜにするところは秀逸で、


 それでは、「靖國」派が押し付けようとしている「道徳」とは、どのようなものでしょうか。

 また「日本会議」に登場してもらいますが(笑い)、「日本会議のめざすもの」では、「日本の感性をはぐくむ教育の創造を」という項で、こういっています。「行きすぎた権利偏重の教育、わが国の歴史をあしざまに断罪する自虐的な歴史教育、ジェンダーフリー教育
の横行は、次代をになう子供達のみずみずしい感性をマヒさせ、国への誇りや責任感を奪っています」それにつづけて、「国を愛し、公共につくす精神の育成」が必要だと訴えています。
 ここで「権利偏重」とののしられているのは、国民が人権や権利をまっとうに主張することそのものです。
 ここで「自虐的」と断罪されているのは、侵略戦争や植民地支配の誤りに真摯に向き合って反省することです。
 さらに「靖國」派は、男女平等を社会のすみずみにつらぬくことを「ジェンダーフリー」と敵視します。「新しい歴史教科書をつくる会」の会長を務めてきた人物は、男女共学まで敵視し、こうのべています。
 「男の子が萎縮して気力のない子が増えるのは、男女共学が続きすぎるからであって(どよめき)、男女別学にすると男の子は男の子らしくなるし(どよめき)、女の子は女の子の特徴をより強く持つようになるだろうと思います」(どよめき)
 改悪前の教育基本法は、第五条「男女共学」にこう明記していました。
 「男女は、互に敬重し、協力し合わなければならないものであって、教育上男女の共学は、認められなければならない」
 教育基本法改悪のさいに、この条文が全文削除されたのは、けっして偶然ではありません。ここにも「靖國」派の意向がはたらいていることを、私はきびしく糾弾しなければなりません。(拍手)

 人権の尊さを否定し、侵略戦争への反省を否定し、男女平等を否定する、これが「靖國」派が国民に押し付けようとしている「道徳」の中身であります。


憶測や意見、そして論理をすり替えつつ、聴衆を見事に誘導している。さすがであり、良い勉強になった。

2007年5月 2日 (水)

(株)柏崎ぶどう村自己破産

 1時過ぎに帰宅し、2時就寝。7時、起床。大粒納豆、粒うに、目玉焼きで朝食をとり、食後はそのまま事務所の整理を行なう。

Img_0934  10時前、市役所に移動。10時から市役所4階の大会議室で今回当選した議員と市四役との懇談会に出席する。
 会田市長をはじめ市長部局の挨拶、当選した議員の挨拶と続く。今議会でも最年少となるため、順番は最後である。

Img_0937 懇談会終了後、会田市長から説明があるとのことで、そのまま着席して待っていると、1枚の紙が配られた。文書の標題は「(株)柏崎ぶどう村自己破産の概要について」。
 会田市長からは配った紙の通りの説明のみで、詳細は不明、質疑応答はなしという状況であった。
 負債総額は、約1億6390万円(銀行1億4810万円、一般1580万円)、平成18年度(第12期)の未処理損失は約7132万円。もちろんのことながら、平成19年2月議会で「反対」をした平成19年度予算の柏崎ぶどう村への900万円の委託費は執行できない予算となる。
 柏崎市の対応はあまりにもいい加減であり、賛否はあったにせよ、柏崎市民の血税を投入してきた以上、その回収(柏崎ぶどう村のワインが売れる手法)もふくめて、筆頭株主であり、言いだしっぺの柏崎市としては柏崎市民の利益を守ることをしなければならなかったはずである。
 現在、法の場に持ち込まれそうな柏崎トルコ文化村の民有地問題にしても、今回の柏崎ぶどう村問題にしても、手続きのいい加減さ、そして誰の利益を守るべきなのかという視点が完全に抜けている。
 次の6月議会での議論になると思う。

 それにしても、議員との懇談会が先に予定されてたとはいえ、柏崎市民の利益にも関わる重要な案件である柏崎ぶどう村問題、順番を入れ替えてでも先に説明しないとは・・・・・感覚がちょっと違うようである。

 12時近くから14時まで会派室の整理。自分のものはすべて始末してあったが、先輩議員の荷物があり、いつでも捨てられるよう整理する。

 15時、一度自宅に戻り、ひきわり納豆と冷凍うどんで納豆うどんを作り、昼食。その後は市内まわり。やはり柏崎ぶどう村の自己破産への関心は高く、無くなるのは寂しい、倒産は仕方ないと賛否両方の意見があったが、両方の意見に共通するのは「いまの柏崎市は何やってんだ!」であった。

070502 20時、頂き物のコシアブラを天ぷらにし、鯛のあらの塩焼き、バカボンの「バカカカレー」レトルト、ひきわり納豆で夕食。「バカカカレー」は豚骨ベースのカレーで面白い味わいで、その命名も面白い。
 現在、このカレーを使ったアイデア商品の募集を行なっているそうなので、是非、「納豆バカはバカカカレー」でも提案しようかと思う。

2007年5月 1日 (火)

ザ・ピーナッツ:ラテン「三階節」

 4時、起床。9時過ぎまで郵便物などの処理をするも、まだまだ積んである状況は変わらない。大粒納豆と生卵でご飯をかっこみ、12時までメールやブログを書く。こちらもかなり溜まっている。

 12時過ぎ、冷凍うどんとひきわり納豆で納豆うどんを作り、昼食。13時過ぎから市内まわり。15時までの予定がつい話に花が咲き、長引いてしまい、16時過ぎまでかかってしまう。

 16時からの約束に遅刻してしまったが19時まで、青年会議所新潟ブロック協議会2007「アドバンス新潟創造委員会」のプレゼン資料などの打ち合わせ。

Img_0933 20時過ぎ自宅に戻り、頂き物のゼンマイを茹でマヨネーズ和えにし、銀ガレイの煮付け、納豆汁とともに夕食。食後、電話があり、懇親会に呼ばれていたことを思い出し、慌てて某スナックに移動する。
 選挙前に話した内容が選挙後の慌しさですっかりと抜け落ちていた、猛省。

Pinusss  ぎおん柏崎まつりの民謡流しでは定番の『三階節』。その三階節を双子デュオの「ザ・ピーナッツ」が1959年(昭和34年) 『米山さんから』というタイトルで歌い、レコードで発売されたことがある。編曲は、あの『宇宙戦艦ヤマト』の作曲者でもある巨匠・宮川泰氏によるもので、ラテンのリズムで軽快な『三階節』になっているという。
 柏崎青年会議所の今年7月の例会では、ぎおん柏崎まつりの歴史の検証を予定している。この音源も入手して、『三階節』の余話として、より多くの皆さんにお聞かせしたいと思う。

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