東條由布子氏参議院選出馬
「初夏の夕べの会」
先日買い込んだ地方財政の本などを読み耽り、4時に就寝。
9時、起床。十穀米に葱味噌を入れたおにぎり、自家製の沢庵、納豆汁で朝食にする。十穀米と葱味噌の相性がなかなか良く、次回はもっと多めに葱を入れた葱味噌にしてみようと思う。
11時ごろまで事務仕事をしたのち、東條由布子氏「初夏の夕べの会」に出席するため、愛車で東京に向かう。途中、上里サービスエリアで休憩。「那の福」で「とんこつチャーシュー 700円」と「煮たまご 100円」で昼食にする。極細麺で豚骨スープといった定番の組み合わせであったが、煮たまごが別皿で提供され、かつ黄身がガチガチであったことが残念であった。
15時過ぎ、会場であるルポール麹町に到着。今日は来賓の予定であったが、急遽、司会を行なうことになった。
ホテル会場係と調整などを慌しく行なったのち、16時20分より東條由布子氏を支援する皆様が集まる「初夏の夕べの会」が開会。冒頭、最近絶好調の売れ行きである『月刊WiLL』の花田編集長からご挨拶を頂き、その後、保守論壇の大物の挨拶が続いた。
東條由布子氏は、いわゆるA級戦犯とされている東條英機元首相のお孫さんである。そして、今年7月に行なわれる参議院選挙東京地方区への無所属での立候補を表明された。いまだ東京裁判(極東国際軍事裁判)の呪縛から抜けていない日本のマスコミには、これから叩かれるであろう。
立候補の理由については、『月刊WiLL』2007年7月号の198ページから詳しく書いてあるが、抜けきらぬ「東京裁判史観」、戦犯がいると思われている「靖國神社」、今だ進まぬ「遺骨収集」、そしてアルツハイマーのお母様、病気療養中のご主人の経験からの「医療福祉」の4つを柱にしている。
当選を目的とするのはもちろんであるが、公共の放送を使って、編集や改ざん無く話ができることも重要であるという。
17時過ぎ、無所属となった西村眞吾衆議院議員が遅れて到着された。
先の統一地方選挙で「祈 必勝」の為書きを頂戴していたこともあり、御礼のご挨拶をした後、ステージでの挨拶をお願いすると、
「先生、次にステージの方でご挨拶をお願いします」
「ほうか、じゃ、もうちょっと飲まなアカンな」
「・・・・・・」
燃料が効いたのか、大変気合の入った正論のご挨拶を頂戴した。
イギリスの捕虜となった会田雄二氏の著書『アーロン収容所』(69、70ページ)の逸話
あるとき、私たちの作業指揮官の将校と英軍中尉と話が始まった。この中尉はアメリカで働いていてハーバードを出たとかいう非常に人なつっこく感じのよい青年であった。かれは、ときおり私たちに何かと話かけようとした希なイギリス人の1人であった。それはアメリカにいたという経歴の生んだ気さくさだったかも知れない。私たちの将校は、「日本が戦争を起こしたのは申し訳ないことであった。これからは仲良くしたい」という意味のことを言った。どのように通じたのだろうか。英軍中尉はきっとした態度をとって答えた。
「君たちは奴隷(スレイブ)か。奴隷だったのか」
楽天家らしいかれが、急に居住まいを正すような形を取ったので、私はハッとした。この言葉はいまでもよく覚えている。もっともスレイブというのはそのときすぐには聞き分けにくかった。奴隷という言葉が判ったときも、「貴様らは奴隷だから人並みに謝ったりするな」と言うことでおこったと思ったのだから、私の聞き取り能力も心細い限りだ。しかし、つぎのような説明を聞いてやっと意味がわかった。
「われわれはわれわれの祖国の行動を正しいと思って戦った。君たちも自分の国を正しいと思って戦ったのだろう。負けたらすぐ悪かったと本当に思うほどにその信念は頼りなかったのか。それともただ主人の命令だったから悪いと知りつつ戦ったのか。負けたらすぐ勝者の機嫌をとるのか。そういう人は奴隷であってサムライではない。われわれは多くの戦友をこのビルマ戦線で失った。私はかれらが奴隷と戦って死んだと思いたくはない。私たちは日本のサムライと戦って勝ったことを誇りとしているのだ。そういう情けないことは言ってくれるな」
おぼつかない効き方だが、ゆっくりと噛んでふくめるように言ってくれたのはこういう内容であった。相手を勇気づけようとする好意が溢れていて、頭が下がる思いであったが、その反面、勝者のご機嫌とりを察知されたことに対する屈辱感というものは何とも言えないものであった。
私たちはもちろんまじめに戦った。ここまで踏み切った以上日本が負けたら大変だと思ったからである。かならずしも大東亜戦争が聖戦であると信じていたのでも、八紘一宇の理念を信奉していたためでもない。そういう立場もあって差し支えないと私は考えている。それを奴隷的心理だとも言えないだろう。
を引用され、戦争に勝ったからすべて正しい、負けたからすべて悪かったという幼稚な論理から抜け出すべきであり、そのためには東條由布子を当選させることが最も早いとの内容であった。
その後も応援のメッセージ、パラオ共和国の大王、ペリリュー州知事、ナカムラ元大統領からの祝電、歌などが続き、4時間にも渡る長時間の会となった。
最後に司会の任を解いてもらうにあたって、せっかくなので1曲プレゼントすることにした。サトウハチロー作詞、古賀政男作曲という両巨匠による名曲『勝利の日まで』(昭和20年)である。さすがに歌えるほどの歌唱力はないので、CDでかけさせてもらった。
『勝利の日まで 』
作詞 サトウハチロー、作曲 古賀政男
丘にはためく あの日の丸を 仰ぎ眺める 我等の瞳
何時かあふるる 感謝の涙 燃えて来る来る 心の炎
我等はみんな 力の限り 勝利の日まで 勝利の日まで
20時過ぎに会場を片付け終え、その後は会場ホテル近くの某ファミレスで生ビールを飲みながら和風スパゲティで遅めの夕食をとる。
東京地方区で立候補するということで、東條さんには選挙の告示前に、東京都でありながら今だ1万3000柱の遺骨が埋まったままになっている硫黄島への慰霊に行ってもらうよう提案した。選挙のためのパフォーマンスではなく、東條さんが出馬するからこそすべき事柄のように思うからである。
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