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2007年6月

2007年6月30日 (土)

わいわいがやがやフェスティバル
U氏結婚式二次会

Img_1308

 2時、就寝。7時、起床。昨晩、甥、姪が泊まったので、姪っ子と一緒に2個の目玉焼き、もずくの味噌汁、大粒納豆をかけたご飯で朝食にする。
 もずくの味噌汁に葱を入れた方が良いのかどうかいつも迷う。地方によって、葱を入れたり入れなかったりなのである。今回は入れてみたが、やはり刻んだ葱の風味がもずくに勝ってしまった。今後、葱を入れないようにしたい。

Img_1314  9時、柏崎総合福祉センターに行き、柏崎市社会福祉協議会主催の「わいわいがやがやフェスティバル」のいちコーナー、「ガンダムフェア」の準備。ガンダム関係のソフトビニール人形30体ほどを提供した。
 「わいわいがやがやフェスティバル」は今日と明日7月1日にかけて開催される。
Img_1313 柏崎市内のごく一部のガンダムマニア、通称:ガンオタ?だけのコーナーではない。かつて本当に『機動戦士ガンダム』でのセル画を扱っていたK氏から本物のセル画を借りたり、プロと言っても良いほどの腕で製作された、各プラモデルの展示など、気合いの入ったコーナーになった。
Img_1311 ガンダムシリーズのなかで好きなモビルスーツのデザインは、『機動戦士ガンダム』では「ゲルググ」、『逆襲のシャア』の「サザビー」、そして『機動戦士 Zガンダム』の「百式」である。完成プラモデルとしてお借りした「百式」は素晴らしい出来でほれぼれした。
*写真をクリックすると大きくなります。
 一緒に準備作業をしていたS氏と

 「良いでしょーコレ」

 「メガ・バズーカ・ランチャーがあれば、もっと良いよねぇー」

などと完全なガンオタの会話であった。

Img_1315 準備が終わったのち、自宅に戻り、祖母の食事を作る。ご飯が多く残っており、冷凍庫には油揚げの残り、ハンバーグ1個、野菜室には椎茸、舞茸、葱があったため、昼食はチャーハンに決定。油揚げ、ハンバーグを細かく刻み、椎茸、舞茸も細かくして炒め、納豆、卵でご飯をとじつつ炒め、残りものの納豆チャーハンの完成である。

 午後から選挙関係の打ち合わせやその活動など。

Img_1318 18時過ぎ、メトロポリタン松島に移動。柏崎青年会議所で一緒に活動してきたU氏の結婚式の二次会である。
 さまざまな趣向を凝らした二次会で、映像を効果的に使ってのじゃんけん大会など盛り上がった。
Img_1320 よく結婚式の二次会で、新たな男女の出会いもある と言われる。ちょうど同じテーブルに女性も多く座っていたが、料理としてでたとうもろこしを食べつつ、

 「あっ、これでいつ食べた食べ物か
        
ウ○チで分かる」

とコーンと排泄物の関係を不用意に話してしまい、ドン引きであった。
 とにかく、U夫妻のご結婚を盛大に祝うとともに、末永い幸せをお祈りした。

 仕事の締め切りの関係上、申し訳なくも失礼させてもらい、22時過ぎに自宅に戻る。シャワーを浴びたのち、依頼されていた資料の作成にとりかかる。

2007年6月29日 (金)

陸上自衛隊高田駐屯地
施設中隊訓練視察

Img_1295 1時過ぎ、自宅に戻り、資料の手直しなどをし、4時就寝。8時、起床。冷蔵庫のなかにマグロの赤身刺身とネギトロ用の叩いたものが入っていたので、とりあえず一緒に包丁で叩いたのち、小粒納豆とともにご飯にかけて朝食にする。

 9時過ぎ、自宅をでて、上越市に向かう。途中、頼まれていた届け物をしつつ、参議院選挙のお話をさせてもらう。

Img_1296 10時30分、陸上自衛隊高田駐屯地に車を置き、広報班主催の施設中隊訓練視察に参加。
 関山演習場までは部隊のマイクロバスでの移動となったので、久しぶりにゆっくりと外を眺める時間になった。
 北陸新幹線のための工事がかなり進んでいるのが確認でき、周辺地区の開発も進んでいるようであった。柏崎市はもっと危機感をもっても良いのではないだろうか。

Img_1297 11時過ぎから関山演習場での施設中隊の訓練を見学。反射面の台にて、第309施設中隊の訓練である。
 訓練はライナープレート構築物。ライナープレートを使って、作戦時の幕僚用の壕を作るという訓練である。長野にまで来た敵を撃破するために、夜間、しかも短時間で作るというシナリオで、10名で13時間の作業となる。
Img_1298 これまで色々な部隊の訓練、主に火力系を見学させてもらっていたが、施設中隊の訓練ははじめてであった。
 中まで入らせてもらい、どんな感じのできあがりなのか、またどんな状況のなかから幕僚が戦闘の指示をするのか、実感させてもらった。
 出入り口は左右が交互に閉まる対爆扉である。
Img_1300 続いて、砂利取り場に移動し、第307施設器材中隊による「初級陸曹」の施設機械の操作訓練を見学。
 砂場であるため、水はけが良く、雨が降っても訓練はぶっ通しで行われる。ブルトーザーをはじめ、いわゆる建設用重機の操作の訓練であるが、昼食以外はすべて訓練であり、月間で15000リットルの軽油を使うという。
 もちろんのことながら、先の大戦時にはこのような重機はなく、手作業。それを想いつつこの訓練を見ていると、硫黄島をはじめ旧陸軍の施設部隊がいかに苦労したのか、その一輪であろうが理解できる。

 我々、柏崎市民が天災にあった際にも、このような訓練が生きてくるのであろう。
 ありがたい限りである。

Img_1302 その後、大沼しょう舎炊事棟に移動。
 司令以下、群長、副群長、第一科長、各中隊長とともに会食。メニューは、牛丼、炒り豆腐、ハムサラダ、茹で卵、オレンジジュース。若い隊員でも満足する量であるため、かなり腹いっぱいになったが、なんとか完食。
 食べながら、インパール作戦、特に高田歩兵第58聯隊の激闘に関してお話させてもらった。

 13時過ぎ、視察終了。15時、一旦、柏崎に戻る。情報公開請求をはじめ、柏崎市役所での雑用を終えたのち、柏崎市から長岡市の周辺にかけて活動し、参議院選挙関係の活動。

Tukadap2007 今日は、柏崎で自由民主党新潟県第二選挙区支部柏崎・刈羽地区主催での「つかだ一郎総決起大会」が、13時から柏崎市産業文化会館で行われた。既に関係団体が動いており、特に会場で必要とされていないようだったので、ゲリラ的に知っている方のところへお願いにまわることにした。
 2007日本青年会議所・北陸信越地区・新潟ブロック協議会国民主権確立委員会で、参議院選挙公開討論会を実施しており、先日は上越で開催された。

 → 討論会の模様(動画)

 次回は7月2日に長岡での開催。自分自身が新潟ブロック協議会に出向している身でもあり、柏崎青年会議所のメンバーと一緒に出席して、討論をしっかりと「盛り上げ」たい。

Img_1305 18時過ぎ、一旦自宅に戻って、準備をしてから「なりた食堂」(電話:0257-23-9633)にて懇親会。
 6年以上も前から存じ上げている方と柏崎の起業や中小企業について話し合う。つまみは、「行者ニンニクの醤油漬け」「セセリの炭火焼き」、「ダチョウ もも肉の刺身」など。「セセリ」は、鶏の首の剥き身で一羽からわずかしか取れない。身が引き締まっており、噛むほどに肉汁が出てきて生ビールに最適であった。仕事も残っているので、生ビール5杯、焼酎ボトル1本で切り上げる。

 22時過ぎ、自宅に戻る。

2007年6月28日 (木)

2007.7号『財界にいがた』
柏崎にダーツが刺さる!

 2時、帰宅。風呂に入りながら、届いていた月刊誌4誌を読み、すっかり酒が抜けるとともに、体がふにゃふにゃになる。5時就寝。

 8時、起床。卵2個の目玉焼き、大粒納豆で朝食をとる。

 10時から12時まで市内某企業にて打ち合わせ。

 12時過ぎから、某店で打ち合わせがてらヒレカツ定食で昼食にする。辛子をたっぷり塗って、涙を流しつつ食べる。個人的には、上あごを痛めるほどパン粉が立っているところに、鼻をぶん殴るほどの辛子、濃厚なとんかつソースがかかっているのが好みである。もちろん、体には悪い。

 16時、18時、事務所に来客。その後、上越市に行き、某店で天ざるを食べつつ、参議院選挙に関する打ち合わせ。

 高速道路であわてて柏崎に戻り、20時過ぎから柏崎エネルギーホールにて、柏崎青年会議所「柏崎のまつり検討委員会」担当例会のリハーサル。
 会場が閉館となる22時になってもリハーサルは終わらず、場所を変えて続行。

Img_1330 今月の『財界にいがた』2007年7月号の特集は、「北の脅威迫る新潟 真の恐怖はミサイルより歩兵特殊部隊」。
 
表紙には新潟県が描かれ、見事、柏崎の位置にダーツの矢が刺さっている。
 
これまでチャンネル桜「防人の道 今日の自衛隊」への出演時をはじめ、選挙の際も訴えてきたことと同様であり、緊急インタビューとして、同じ考えをお持ちである米田建三氏(元防衛政務官)の記事「日本の“打撃力保持”を本気で議論すべき」 も掲載されている。

Yonedap2007  柏崎市はもとより、日本という国家として早急な対応を今後も求めていきたい。今回のこの記事で新潟県内の多くの人に共通の認識をもってもられば、さらに心強い。
 まずは原子力発電所の防衛を自衛隊が行うべき、と公言されている米田建三氏を今回の参議院選挙で何とか当選させたいものである。

 また、今月号には先日の人づくり県民ネットワーク設立10周年記念シンポジュウムの模様も掲載されており、詳細まで書かれている。まさに「買い」の号である。

2007年6月27日 (水)

どんGALA!祭り2007天気まつり

Img_1288

 2時就寝。5時、起床。シャワーを浴びたのち、シーユース雷音まで移動し、柏崎準倫理法人会の経営者モーニングセミナーに出席。
 昨日に続き、法人スーパーバイザーの高橋邦明氏を講師に迎え、「感謝の威力~感謝の実践で豊かな人生を~」というテーマのご講演を頂く。どうしても移動があるため、6時30分に会場を失礼させてもらったが、「倫」という文字の説明、そして「栞」の語源から貴重なお話であった。


 いにしへの道を聞いても唱えても
        我が行ないにせずば甲斐なし

                島津日新公


 『倫理ネットワーク2007 No.67』
   東西南北リレーエッセイ 「17ヵ条」と私
 13 本を忘れず、末を乱さず<反始慎終>

       法人スーパーバイザー 高橋邦明

 私の父親は明治35年に福島県に生まれ、山奥の小学校を出た。家の農業を手伝い、お歳で上京し、職人として仕事を転々としていた。
 私が20歳の頃、生意気にも父の前で両切りのピースを吸っていた。ある時、父が箱にある「シガレット」 の英文字を指差し、「これはピースと読むのか」と聞いてきた。「いや、上の大きい字のほうがピースだよ」と答えると、父は「そうなのか…」と言ったきり黙り込んでしまった。
 その時の胸を突かれるような感覚は、40年を経た今でも忘れられない。戦前戦後の大変な時期に自身のことは省みず、懸命に4人の子どもを育ててくれたのだと、かえって無学な父に対する尊敬の念が強くなった。第13条にある「親を尊敬し、大切にするのは、親が偉いからではない。ただ一人の私の親であるからだ」を改めて思う。
 それから15年ほどして、末っ子の私と両親が同居することになった。しかし母は大腸ガンで入退院を繰り返し、父は認知症を患う状況に陥った。特に父は、私を自分の子と理解できなくなり、ついには自分の名さえも分からなくなっていった。
 朝晩のオムツ交換の際、私が子どもだと分からずに「ありがとう」と手を合わせる。「そんなことしないで…。私たち家族が手を合わせる側だよ」と声を掛けると、涙を流し鼻水をすすりながら、「ありがとう、ありがとう」を繰り返す。
 そのような光景を毎日見ていた小学生の次男は、ある時「お父さん、僕が結婚したら、一緒に暮らそうね」と言ってくれたりもした。他の3人の子どもたちも、祖父の入浴や食事、オムツの世話など、積極的に手を貸してくれた。彼らが優しい人間に育ってくれたその源は、父母が身をもって、孫たちの家庭教育をしてくれたからだと思っている。
 平成2年に母が、3年に父が亡くなって以来、我が家の一カ月の予定は、まず何を置いても墓参の日を決めることから始まる。皆の予定がすべて合うわけではないが、できるだけ一緒に連れ立ってお参りすることができるよう努めている。
 毎月楽しみにお墓参りをしつつ感謝を捧げ、いつのまにか17年の歳月が流れた。これからも命あるかぎり、欠かさずに行く決意をしている。
 「ありがとう…ありがとう」と言って、私に手を合わせてくれた在りし日の父の姿を思い返しつつ、心の底から呼びかけたい。
 「父さん、母さん、本当にありがとう」


 8時30分、新潟市に着き、鉄道イベント関係のした打ち合わせ。本来であれば、自民党の県内縦断街宣活動に参加する予定であったが、予定の変更があったため、12時過ぎまで、より多くの方が協力してくれそうなスキームづくりを行う。

Img_1290 13時近く、柏崎に急遽戻る。「7月10日の納豆の日」に向けて、インタビューをとりたいと東京からいきなり柏崎駅に来た、という電話が自宅に入ったという。連絡をとってみると、某番組企画会社のスタッフだそうで柏崎駅に来て待っているという。仕方がないので、柏崎駅まで迎えにいく。事務所に戻り、「うれっ子」(電話:0257-22-4648)の「チャーシューつけめん」の出前で昼食をとりながら話を聞くも、何か企画はないかと考えずに、アポイントもとらずに来たとのこと。昼食をご馳走してお引き取りいただいた。

Img_1293 19時から「盛来軒」(電話:0257-22-2181)にて、7月14日、15日に予定されているどんGALA!祭り2007の晴天を願う懇親会?に出席。個人的に3年前からお手伝いしているが、今年は柏崎青年会議所としても柏崎のまつり検討委員会に所属しているため、協力する立場で参加した。
 乾杯は、晴天を願った祝詞を読んだ際にあがった日本酒。つまみも・・・と思ったが、予算の関係からか?乾きものでのスタートである、いつも<おつまみとしてのその存在>を不思議に思う「コーヒー豆」は案の定、最後まで残っていた。
Img_1294 シメは特別参加の平山征夫前新潟県知事。

 「え~私の出たイベントは、
    これまで全部!晴天です」

とおっしゃった瞬間に、 「おいおい!」 「眉唾、眉唾」 と会場内から野次が飛び、その後はお得意のポーズもでた。これだけ野次が飛ぶ、前県知事も珍しいのではないか。
 一次会終了後は、二次会、三次会と進んでいった。

2007年6月26日 (火)

平成19年度倫理経営講演会

 資料の作り直しなどを行い、4時就寝。8時、起床。大粒納豆、なめ茸で朝食にしたのち、会派での視察先の調査、原子力関係の資料調査を行う。

 14時過ぎ、某店で打ち合わせをしながら、ミートソース・スパゲティで昼食。

Img_1281 電話や雑務に追われ、30分の遅刻となってしまったが、18時30分過ぎ、柏崎商工会議所に移動し、「平成19年度 倫理経営講演会 日本創生の心~風を起こす~」に出席。

→当日のパンフレット(pdf形式)

Img_1283 会場がいっぱいとなり、茨城県牛久倫理法人会会長で法人レクチャラーの宮本博行氏(有限会社サンスポーツ代表取締役社長)による事業体験報告、コロナ柏崎工場の皆さんによる気合いの入った朝礼の実演、そして法人スーパーバイザーの高橋邦明氏(有限会社タカハシ穴カガリ代表取締役)によるご講演と会場が熱気に満ちあふれた。

Img_1285 高橋法人スーパーバイザーのご講演では、いかりや長介氏が山田洋次監督に言われた

 「老いとは悲しみを一つ重ねること」

や本県出身の歌手・小林幸子氏が芸能界を干されドサまわりをしていたときの

 「来年、私、紅白に出場する!!」

宣言し、本当に実現させたことなど、事例の紹介があった。圧巻は、ご本人の友人でもある白鷹ソース(社長曰く「才は徳に及ばない」 )のご子息と銀座あけぼの のご令嬢との結婚式でのお話である。共通の知人であった日本工業新聞の山下社長による以下の記事が一番よく内容を伝えている。



平成14年12月16日『日本工業新聞』

 甦れニッポン 創刊70周年
 三人の店員に乾杯
 真の「顧客主義経営」とは

        山下幸秀(日本工業新聞社社長)

 東京に小雪が舞った師走の昼下がり、立て続けに素敵な三人の店員に出会った。
 その日、米国から訪ねてくる二人の女性への土産を買おうと、日本橋の三越へ行っ
た。千代紙でつくった小箱に砂糖菓子を入れてはどうだろう。
 和菓子売り場には、目当ての品物はなかった。困っていると、隣の洋菓子売り場の若い女性店員が声を掛けてくれた。
 「その品なら高島屋さんにありますよ」。親切にもライバル店を教えてくれたのだった。
 日本橋・高島屋の「あけぼの」にも。その品はなかった。男性の若い店員が電話を掛け始めた。あけぼの銀座店にあると言う。
 小雪の中を今度は1.5キロほど離れた銀座四丁目へ。「お待ちしておりました」。若い女性店員が笑顔で迎えてくれた。
 やっと欲しかった品物に出会った。文庫本ほどの大きさだった。小さな扇を散りばめた、赤い千代紙の小箱がまぶしい。
 金米糖とクッキーの小袋を入れて二箱。二千円でおつりがくる買い物だった。その女性店員は「外は寒いでしょう」と言いながら、初めての客に熱い抹茶と羊羹を勧めてくれた。包装を待つわずかの時間だった。
 デパートや小売店に限らず、大企業も、こぞって「顧客主義経営」を揚げはじめた。日本経済が低迷を続ける中で、これまでどおりの経営方針、経営活動では、生き残ることはできないからだ。サバイバルをかけて「会社を変えよ」と、「顧客満足度」の向上に取り組みはじめた。お客さんあってのビジネス、この当たり前のことを、やっと再認識したのだ。
 顧客主義とは何か、真のサービスとは何か。それを、この若い三人が教えてくれた。
 「会社を変える」ためには、トップ、役員、社員の一人ひとりが、いかにして「自分を変える」ことができるかがポイントだと思う。自分自身を変えない限り、会社は変わらないだろう。
 これはサービス業に限ったことではない。製造業でも同じだ。お客さんをいかにして
大切にするか。「顧客満足度」、「CS」は、時代の要請でもある。
 お客さんを大切にするとはどういうことなのか。最近、テレビの中を見ていても考
えさせられた。東京郊外の食品市場からの安売り競争だった。大根もニンジンも一本一円。大勢の客が群がり、品物を奪い合う。一人で大根を五本も十本も抱え込む主婦もいる。
 消費者にとって安いのは魅力だろう。しかし、安ければいいのか。生産者はどうなるのか。丹精こめて作った野菜がタダ同然の値段で売られて行く。ニンジンにも”ジン格
”があるはずだ。商品の正当な価値を認めることも消費者の務めだろう。このような現象が続いたら、農家の人たちは畑仕事を投げ出して、安売り市場へ駆けつけてしまう。これこそ「産業の空洞化」だ。
 これは「大衆迎合主義」(ポピュリズム)でしかない。真の顧客主義でもなければ、本当のサービスでもないと思う。
 GDP(国内総生産)の60%占める個人消費が伸びなければ、景気の低迷は続く。
 三越の女性店員は、なぜ、ライバル店を私に紹介したのか。その人に質問した。
 「当然のことをしたまでです。お客さまに喜んで頂くことが、私たちの仕事ですから」


  この「銀座あけぼの」で接客した若い女性がご結婚されたご令嬢であり、ハクタカソースの社長の親友が日本工業新聞の山下社長。結婚式場で上記の記事が配られたそうである。

Img_1287 講演会終了後は、懇親会となり、宮本社長からはすべて先手で経営すること、高橋法人スーパーバイザーとはトイレ掃除を学校現場で行った方が良いといったお話を頂戴した。
 調査しなけれえばいけない資料もあるので、今回は一次会で失礼させてもらい、22時近くに自宅に戻る。

2007年6月25日 (月)

高田聯隊区徴兵署の看板

Img_1277 2時就寝。7時、起床。シャワーを浴びたのち、生卵、小粒納豆をご飯にかけてかっ込んだのち、長岡市に移動。
 参議院選挙に関する打ち合わせと挨拶まわりを長岡市内を中心に新潟県内を回れるだけまわる。

Img_1278 途中、食事をとる場所もなく、自分としても珍しく目の前にあったケンタッキーフライドチキンに入り、「レッドホットチキン 220円」「海老カツツイスター 390円」などで昼食をとる。
 ツイスターを食べるといつも思うが、日本にもはやく「タコベル」が進出してほしい。20代前半、アメリカ西部の地でお金が乏しくなったなか、食べたトルティーア、タコスのあの味が懐かしい。

 15時から、新潟産業大学での「新潟産業大学と市議会議員の意見交換会」に出席予定であったが、挨拶先のアポイントの時間や来客などがあり、申し訳ないながら欠席させてもらう。

Img_1279 19時過ぎ、一回自宅に戻って、赤魚の塩焼き、家族用の麻婆豆腐に花山椒、ラー油をたっぷり入れての麻婆ライスで夕食。電話などの雑用を終えたのち、柏崎青年会議所「柏崎のまつり検討委員会」に出席。7月6日の例会に向けての調整が進みつつあり、資料作成も佳境に入ってきた。

 24時近く、自宅に戻る。

Img_1202 先日、お亡くなりになった元・マルレ特殊攻撃部隊だった方の遺品をお預かりしていたので、幸いながら叔父も勤務しており、陸上自衛隊高田駐屯地の広報班に資料館への寄贈ということで納めさせてもらった。
 亡くなられた氏は、元・陸軍船舶特別幹部候補生であり、水上特別攻撃隊第51戦隊所属であった。
 戦後、警察官となり新潟県内各地を転勤しながら勤務。
 昭和53年ごろ、能生町にて勤務の際、地元漁協倉庫でこの看板を発見し、廃棄されそうであったところを個人で保管していたという。
 この看板は、陸軍の高田聯隊区、つまり

 高田市 三島郡 刈羽郡 北魚沼郡 南魚沼郡
 中魚沼郡 中頸城郡 東頸城郡 西頸城郡

各地にあった徴兵署に掲げられていたものである。
 この看板も、終戦と同時に所定(不明)の建物から本看板が外され、漁協倉庫内に隠されていたという。
 幸いながら、高田駐屯地内の資料館に納めることができたので、故人もお喜びかと思う。

070625_army  ご遺族の方からお写真もお借りしたが、この写真は陸軍入隊後、初の訓練とのことであり、写真の下には

 「桟橋ニテ隊長ノ注意右ニ見エルハ木製大発」

と書いてあった。

2007年6月24日 (日)

狂乱の韓国青年会議所

 事務所の掃除を続けるも、さすがに疲れ4時に就寝。8時、起床。今日は母がいないので、一日祖母の面倒をみることになった。朝食は、大粒納豆と金目の煮付けをほぐした卵とじ。

 午前中、打ち合わせ2件。

 12時過ぎから、某所でランチを食べながらの選挙関係の打ち合わせ。

 15時、事務所に戻り、ひたすら資料作りと整理。

Img_1275

 21時過ぎ、頂き物の近江牛のカルビ、ほたての酢漬けを中心に夕食をとる。たっぷりと脂がのった牛肉であり、ついビールを飲みたくなるが、資料作りが終わらないため、我慢する。

Dvdhokori  先日、柏崎市議会でも取り上げられた日本青年会議所作成のDVDアニメ「誇り」を巡って、韓国青年会議所の驚くべき行動を知った。
 6月14日、韓国はソウル タプゴル公園で、日本軍国主義と復活、侵略戦争を再び起こす事につながるなどど、DVDのレプリカをバットなどで派手に破壊し、スプレーで「誇り」のポスター、「新しい歴史教科書」のパネル、安倍晋三総理の写真にバツとスプレーで書いたりと、糾弾大会を開催した。
 さらには、頭を坊主刈りにして、抗議の意味を表したり、デモ行進をしながら、日本大使館まで行き抗議文を渡したという。

Img_1274  全然、話は違うが私が一番好きなプロレスラーはリック・フレアーである。いつでも相手の大技を全身で受け、客に嫌われるヒール(悪役)に徹し、命を削ってまで派手な受け身をするファイトスタイル、まさにプロフェッショナル。キャッチフレーズは「ネイチャー・ボーイ」もあるが、来日時の「狂乱の貴公子」、これが良い。その日の試合のギャラの大半を一晩のうちに派手な遊びに遣ってしまう私生活の豪快さも「らしい」。

 詳細はチャンネル桜のキャスターを務める濱口和久氏(日本青年会議所近現代史教育実践委員会副委員長)のブログのこのエントリーにあるが、とにかく韓国青年会議所のこの行動は「狂乱の貴公子」ならぬ「狂乱の奇行」である。

Koreajc  このDVDには韓国のことは一切関係ないうえ、さらに自分たちと同じ民間の団体である青年会議所の事業である。ただ単に騒ぎたいだけのこととしか捉えられない。
 しかも、警告と要求が受け入れられない場合、日本青年会議所との約40年間の友好交流を中断し、今年11月5日から10日でトルコで開催される「JCI世界大会総会」でも日本政府と日本青年会議所への警告を決議したいという。
 交流中断を望むなら、いっそのこと中断し、どちらの行動がおかしいのか、世界の人に見てもらえば良いのである。

 大東亜戦争の際には、アジアの解放、この大戦が白人対有色人種の戦いであると理解して、特攻隊にまで志願。敗戦したのち、東京裁判(極東国際軍事裁判)でもBC級戦犯として連合国側に一方的に処刑された朝鮮人の諸先輩にはどう顔向けするのであろうか。

2007年6月23日 (土)

ウチの子に掃除をさせないで

 1時、自宅に戻る。風呂に入ったのち、就寝。7時、起床。昨日、放送されたチャンネル桜「防人の道 今日の自衛隊」を見ながら、大粒納豆と生卵で朝食にする。昨日のゲストは、群馬県伊勢崎市の伊藤純子議員。番組のなかで、先月私が出演した際の話もでて、「納豆を持って、アカペラで歌っていきましたよ」伝説になっていた。

 出張の予定がなくなったので、とにかく議会中に忙しくて処理できなかった手紙の返事やFAX、メールなどをひたすらこなす。 

Img_1271 14時、鯛のあらと昆布でダシをとったつゆで試作中?の「鯛うどん」で昼食。今回は地の鯛ではなく、養殖の鯛であったため、旨味よりも脂が目立ってしまい、昆布の量を多めにして調整した。
 ある程度の一定した品質の鯛のあらが手に入れば、ラーメンでも鯛と動物系のダブルスープができそうである。

 事務所を整理していたら、とにかく本の置き場がないことが分かった。毎月20冊以上は買っているので、当然といえば当然である。亡き父はもったいない屋さんであり、多くの木の板があったので、本棚を自作。昔と違って、電動のこぎり、インパクト・ドライバーがあるので、あっという間に完成である。塗装は、油性の色つきニスで納豆つながりを重視?し、「ウォルナット」にした。

Img_1272 塗装が終わり、乾くのを待つ意味もあり、21時過ぎ、「CoCo壱番屋 新潟柏崎店」(電話:0257-20-6277)に行って夕食。
 缶ビール1本ののち、「手仕込ヒレカツカレー 850円」にトッピングで「納豆 150円」「なす 150円」で、「10辛 +100円」にした。

Img_1273 都内にいた学生時代から10辛が定番であり、辛さは今でも大丈夫なものの、量的には食べられなくなってしまった。さすがにいま1300gは食べられない。以前、大食い選手権に出場するためのトレーニングとして、トッピング全部のせ、1300g、10辛をやったが、喉まで上がってきているんじゃないかと思うほどであった。

 22時過ぎ、事務所に戻り、ひたすら本の整理。

 先日の読売新聞にこんな記事が掲載されていた。


平成19年6月18日『読売新聞』

 親の理不尽な要求、抗議に学校苦慮…読売調査

 子供の通う学校に理不尽な要求や抗議を行う親に、全国の公立小中学校や教育委員会が苦慮している実態が、読売新聞の調査で明らかになった。

◆18教委、クレーム対策

 調査に応じた67の主要都市の教委のうち、40教委がこうした親の実例を把握し、18教委はクレームに対応するための専門職員の配置や教員研修といった対策を実施していた。政府の教育再生会議も第2次報告で、専門家チームを設ける必要性を指摘しており、親のクレーム対処が教育現場の大きな課題となっている。

 調査対象は、全国の道府県庁所在地と政令市、東京23区の計73市区の教育委員会。公立小中学校における親のクレームについて尋ねたところ、67教委から回答があり、40教委が身勝手な要求や問題行動に「苦慮している」と回答した。

 具体例の中では、「自宅で掃除をさせていないから、学校でもさせないでほしい」「(子供同士で小さなトラブルになった)相手の子を転校させるか、登校させないようにしてほしい」など、我が子かわいさから理不尽な要求に至るケースが目立った

 また、勉強の進み具合が遅れている中学生に小学生の問題を解かせたところ、「子供が精神的に傷ついた」と抗議したり、子供が起こした自転車事故なのに、「学校の指導が悪い」と主張したりする例もあった。

 親が学校現場を飛び越して、教育委員会や文部科学省に、メールや電話で苦情を持ち込むことも多く、ある教委では、抗議の電話が6時間に及んだという。暴力団とのつながりをほのめかし、圧力をかけようとするケースもあった。

 親からの継続的なクレームに対応するため、教師が部活動の指導やテストの採点作業の時間を奪われたり、精神的なストレスを抱えたりすることも多く、「教育活動に支障を来している」との声が出ている。

 今回の調査に対し、「事例を公表することで当事者が再びクレームをつけてくる恐れがある」との理由から回答を避けた教委もある。
 
 一方、18教委では、クレームを想定した対策を実施。「管理職と教務主任を対象に研修を実施」(佐賀市)、「教委に親対応の専門職員を置いている」(奈良市)、「目に余る時は警察と連携する」(名古屋市)といった取り組みのほか、問題行動を起こす親を精神的にサポートする必要があるとして、「臨床心理士と協力して対応する」(東京都江東区)という教委もある。また、東京都港区では今月から、クレームに対し、学校が弁護士に相談できる制度をスタートさせた。

 教育再生会議も今月1日に公表した第2次報告の中で、精神科医や警察官OBなどが学校と保護者の意思疎通を手助けする「学校問題解決支援チーム(仮称)」を各教委に設置するよう提言している。


 まだ、自分自身が親になっていないため、あまり大きなことは言えないが、狂っているとしか言いようがない。
 やはり親学は必要なのであろうか。

2007年6月22日 (金)

平成19年6月議会最終日

Img_1264 気力が続く限り、ブログやメールを書き、5時就寝。3時間ほど仮眠してから、急いで干し納豆とおかかのおにぎりを作って、市役所に向かう。
 会派室でおにぎりを頬張りながら、会派会議。禁断の直輸入ダイエット・ドクターペッパーを一緒に飲むも・・・・・味が全然合わない悲劇に見舞われた。

Img_1263 9時、総務常任委員会に傍聴で出席。先の委員会で、旧柏崎ぶどう村への責任を三役がとるとした「議第61号 特別職の給与に関する条例の一部を改正する条例の制定について」が「継続審査」となったことを再度、議論したいというのである。「継続審査」になった以上、条例の提案権は議会にもあるので、継続審査中に施行日やその処罰の重さも決めることができる。
 市長与党とすれば、今回提出された議案のように、7月1日に早めに処分をして、旧柏崎ぶどう村に関する問題をシャンシャンと終わりにしたい。言い分として、施行日が7月1日であり、今議会が本日(6月22日)で閉会となる以上、ここで「継続審査」となっては廃案の可能がでてくるという。しかし本音は、早めの処分ができず、議会側で次の9月議会において修正案もだせるようになってしまうことを防止したい。そこで、一旦、委員会の議決で決まった「継続審査」を何とかひっくり返したいというのが目的である。
 一回決まった議決を変えてまで、市長を守ろうという市長与党の醜さが露呈した。
 いくら「継続審査」であろうが、議案に書かれた施行日7月1日を過ぎようが、議会側で修正案をだすことができるうえ、8月の債権者会議をはじめ、問題の全容がはっきりしていないうちに、

 「処分しました。あの問題はこれで終わりです」

逃がすわけにはいかないのである
 委員長をはじめ市長与党の動きもあったが、平成会、公明党、共産党、整風会の考えは揺るがず「継続審査」で変わらなかった。

 10時から議員勤続表彰、市政への功労賞などの表彰式。その後、本会議が開始となった。議案はすべて可決したが、監査委員の選任でひと波乱があった。
 会田市長から、3期目となる遠藤議員の選任が説明された後、副議長を含む蒼生会、市民クラブがいきなり黙って議場から退席。続いて、社会クラブの矢部議員がこんな反対の討論をした。

 「その反対理由は2つ。
  東京電力の社員であること。
  東京電力の不祥事が続いていること。」

・・・・柏崎市の監査業務には、全然、関係のないことである。いつも「差別だ、差別だ」と騒ぐ事例1>、<事例2わりには、これこそ差別。本当は、監査委員のポストを市長与党で確保し、色々な不手際、不都合をうまく処理しようとしたのであろう。この反対討論のあと、反対したのは、柏崎のみらいのうち飯塚議員・池田議員、そして社会クラブの4名。しかし、賛成多数で遠藤議員が選任された。
 実は、今回のこの波乱はただの賛否の問題ではない。先日、各会派の代表者が集まる代表者会議で、既に議会側から会田市長に対し、誰を監査委員に推薦するのかを選挙して結果がでており、遠藤議員にするというのは会派代表者で一致したものである。

*監査委員となる議員は、議会から市長に対し、この議員が良いという推薦を行う。その推薦を受けた市長が可否を判断したのち、本会議の場において、その選任を議会に諮って承認を得る。監査委員は一般市民からも選ばれるので、このような手順になっている。

 少なくとも、会派代表者でありながら、退場や反対をした人間はまともではない。今回議場で起こったことは、各会派代表者会議による一致した推薦の決定(言い換えれば選挙の結果)はどうでも良いというルール破り、そして議会運営において議長を補佐し、公平、公正を守るべき副議長の役割の拒否であった。

 朝、総務常任委員会でも議論された「議第61号 特別職の給与に関する条例の一部を改正する条例の制定について」は「継続審査」を認めるか認めないかで、再度、賛否を問うことになり、社会クラブ、柏崎のみらい、市民クラブのうち1名、蒼生会、自治研究会が反対したものの、なんとか賛成多数となり「継続審査」となった。
 これで、全容の解明を待ってから処分を決める ことができるようになった。

Img_1265

 12時前に議会が終わったが、何とも釈然のしない6月議会であった。とにかく市民の財産や利益を守ることよりも、何が何でも市長を守り、そして不都合な部分を隠蔽したり、答弁をそらしたり、変更したり・・・・。
 9月議会までは選挙をはじめ、視察や色々な事業が詰まっているが、しっかりと準備したい。
 「やぶ」(電話:0257-22-3482)の「ざる中華 大盛 710円」を食べながら、会派室にて会議。

Img_1266  18時から柏崎ベルナールでの議員永続表彰パーティに出席。戸田前議員、共産党の持田議員、社会クラブの矢部議員が表彰された。
 今日、昼間議場で熱い議論をしたあとであるからこそ、酒を注ぎに廻り、色々と意見交換をした。特に共産党とは、これから憲法改正のことも含めて、明確な意見の対立があるであろう。議会の活性化のためにも、ガンガン議論しましょうとお話させてもらった。
Img_1267 会費制で料理が多くでるのは良いが、食べ残しが多いのが残念であった。テーブル上のほとんどの皿が空にはならず、もったいない限りである。以前なら、愛犬のために肉関係はビニール袋に入れ、内緒で持って帰っていたが、愛犬亡きいま、ただただ食べられるだけ食べるのみ。
 お土産をもっていく相手(愛犬)がいないのは寂しい。

 市内の某スナックにて、議員有志と2次会。次の9月議会までの課題の整理など真面目な話をしつつ、馬鹿話。

2007年6月21日 (木)

日本共産党、自衛隊叩きフェア実施中?

Img_1260  3時、就寝。7時、起床。雨が降ってきたことに気づかなかった祖母の部屋が水浸しだったので、朝から掃除。
 冷蔵庫のなかにあった野菜の切れっ端やウインナー、肉などを一緒に炒めた野菜炒めと小粒納豆、浅漬け白菜、油揚げとシメジの味噌汁で朝食にする。

 食後、郵便物の整理や手紙の返信などを書く。いつか毛筆で良いものを書いてみたいとは思うが、書道を習いにいく暇がない。

Img_1261  11時30分から自民党柏崎支部で参議院選挙に関わる選対会議。国会の12日間の延長に伴い、参議院選挙の告示日が7月5日から12日、投票日が22日から29日へと変更になる可能性が高いため、出陣式、街宣車での県内の活動などの日程を再調整する。
 選対メンバーで、「ほっかほっか亭」の弁当で昼食をとる。

 14時から16時まで、某所にて打ち合わせ。

Img_1262  20時過ぎ、一口ヒレカツ、冷や奴、鯛のあらの塩焼きなどで夕食をとり、2時間ほど仮眠する。その後、ひたすら資料や文章の作成を行う。
 改選後、初となる『市議会だより』で「議員寄稿」を掲載することになったため、小さい頃の柏崎での電車の旅と祖父のことについて書いた。

Img_1241  日本共産党が、陸上自衛隊「情報保全隊」による大規模な国民監視活動を詳細に記録した内部文書を独自に入手したとしている。
 志位委員長曰く、

 「自衛隊の部隊が、日常的に国民の動向を監視し、その情報を系統的に収集しているのは動かしがたい事実であり、違法、違憲の行為だ」

とのことであるが、入手したという陸上自衛隊保全隊文書「情報保全隊監視団体一覧」等を見れば、イラク派遣への反対活動を行っているプロ市民、左翼活動を行っている団体などをチェックしているだけである。
 自衛隊に疑問をもつような団体であるため、有事の際のことも含め、チェックしておくことは当たり前のことである。情報収集をしない組織の方がおかしい。それよりも問題なのは、これら日本共産党に流れた文書が本物であるかどうか、また本物であるなら流出するような情報管理体制こそが問われるはずである。

2007年6月20日 (水)

柏崎ぶどう村対応の処分を審議未了へ
市役所職員のインターネット利用

Img_1258 3時過ぎ、自宅に戻る。風呂に入ってから、2時間ほど仮眠してから柏崎準倫理法人会の経営者モーニングセミナーにでようと思ったものの、起きたら7時であった。
 京都の「牛若納豆」大粒と目玉焼き、もずくの味噌汁で朝食にする。「牛若納豆」は福三田さんの意欲作であり、個人的にも好みの仕上がりである。

 8時から40分ほど、某現場の調査。

 9時過ぎ、市役所に移動。会派で今後の議会対応などの打ち合わせを行う。

 10時から総務常任委員会に傍聴で出席。議案の負託外にはなるが・・・との前置きから、所属会派の丸山議員から今月6月7日か8日に火災が発生したニューエネルギーリサーチ組合の平井にあるBDF(Bio Diesel Fuel)プラントの話題がでた。
 リサイクル関係の所管は市民生活部であり、消防署も委員会に同席していたため、消防署は連絡を受けているのか、と問うたところ、今日やっと通報を受け調査に入るという。
 BDFは会田市長のバイオマスタウン構想の中心に据えられたものであり、柏崎市の補助金もだしている。この事業が良い悪いではなく、またも行政当局によって議員や市民に対して、事実が隠されていたことが判明した。
 環境政策課の答弁では、「ボヤだと聞いております」とのこと。
 柏崎市がBDF事業の継続を前提に補助金をだしているにも関わらず、「聞いております」で現場に行っていないとすれば、業務怠慢である。本来であれば、通報を受けた段階で現場に行って「事業が継続可能かどうか確認すべき」であり、さらには大量の油や薬品を扱っている以上、消防署に連絡すべきではなかったのか。
 しかも火災が発生した6月7日か8日より後の6月11日に、BDF推進のための講演会を市役所で開催している。この辺の時間関係も問題となろう。
 今後は消防署による詳細な報告を待ってからの委員会開催、議論となるが、身内であるはずの消防署にも隠しておくとは、やはり市役所は末期状態である。

 12時過ぎ、休憩となるが、昼食抜きで各種の調査と各会派との意見調整を行う。

 13時、委員会再開。契約に関わる問題の前に、市役所職員が就業時間中にインターネット・オークションを行っていたことに対するセキュリティ強化の補正予算があった。

 システム管理経費 246.8万円
           (アクセス・ログ管理)

 情報化関連業務総合委託事業
       15.8万円(閲覧サイト制限)

 色々な意見がでたが、何故仕事中にインターネットで遊ぶ時間があるのか、またその処分の甘さ、そして職員のモラルさえあれば使う必要のない経費を使うことの情けなさ、が私としては一番訴えたいことである。
 そもそも論でいけば、何故、職員が遊ばないよう、我々の税金300万円近くを支出しなければならないのか。
 さらに言えば、市役所職員全員がイントラネットだけではなく、インターネットも使わなければいけない業務なのか、ということである。ログインしてからクライアントを使うのであれば、制限は容易にできる。
 私の掲示板に何回もしつこい書き込みをしていたIPアドレスのうちの一つは、実は「mail.city.kashiwazaki.niigata.jp」である。担当課からは職員ではないことを信じているとのことであり、図書館などに置いてある共通端末からの可能性もあるとのことであった。
 信じることは信じないは別にしても、共通端末からのアクセスは「mail.city.kashiwazaki.niigata.jp」と記録される。柏崎市としてのリスク・マネジメントもよく考えてもらいたいと意見を述べて終わりにした。
 ちなみに、市長与党である総務常任委員長のY議員の私への発言には驚かされた、

 「個人的は事を話さないように」

(三井田)「はぁ?」

行政をチェックする議員の立場なのに、市長、市役所職員を守るのは勝手だが、物事の本質をもっとよく見てもらいたいものである。

 15時過ぎ、いよいよ契約や柏崎ぶどう村の対応への三役の処分などの議案になるところであったが、祖母の関係でどうしても車で連れていかなくてはならないところがあり、一回抜ける。

 柏崎ぶどう村への対応の不手際から出されていた議案「議第61号 特別職の給与に関する条例の一部を改正する条例」

 市長の給料の月額10分の2減給3か月
 副市長の給料の月額10分の1減給3か月
 収入役の給料の月額10分の1減給3か月

は、平成会、公明党、共産党、そして所属会派である整風会が「審議未了」とし、閉会中の継続審査となった。
 これは、まだ柏崎ぶどう村問題の全容もまだ明かされておらず、そして債権者の会議を行う8月を迎えていないことから、時期尚早という意味。簡単にいえば、今の時点で、

 「これで責任をとりました、
         シャンシャン」

とさせるわけにはいかないということである。

Img_1259 19時過ぎ、一回自宅に戻ったのち、柏崎青年会議所「柏崎のまつり検討委員会」に出席。
 22時過ぎ、自宅に戻り、冷凍しておいた鰻の蒲焼き(残念ながら安い中国産)と卵を使って、鰻玉丼を作って夕食にする。鰻の蒲焼きは、日本酒をふりかけ、ラップに包んで電子レンジで温めてから使ったので、柔らかく仕上がった。

 食後、メールを開くと


                         議 第49 号
                      平成19年6月20日

委 員 各 位
写 委員外議員各位

                総務常任委員長 矢部 忠夫

       総務常任委員会の開催について

 このことについて、下記のとおり会議を開きますので、
御出席願います。

              記

1 日  時 6月22日(金)午前9時
2 場  所 4階大会議室
3 議  題 議第61号特別職の給与に関する条例の
        一部を改正する条例の取り扱いについて
※ 6月20日(水)開催の委員会において、閉会中の
継続審査と決定しましたが、本案は「平成19年7月1日
施行」と規定されていることから、閉会中の継続審査
とすることが適当でないので、改めて、この取り扱いを
協議させていただきたい


という連絡が来ていた。再度、審議するのは「施行日が7月1日だから」という理由であるが、それを含めて時期尚早、「審議未了」とし委員会での審議を終了したはずである。なぜ打ち切った審議を再度ぶり返すのかは不明。当日の議論が楽しみである。

2007年6月19日 (火)

コムスンショックと柏崎
南中学校職業講話

 3時、就寝。7時、起床。小粒納豆、辛明太子でご飯2杯の朝食をとり、そのまま市内まわり。雑用を済ませたのち、市役所に移動する。

Img_1249 10時から厚生常任委員会に出席。1期目は前期(2年)、後期(2年)とも建設企業常任委員会であり、今期は初の厚生常任委員会。国民保険制度の変更はもとより、柏崎市の福祉や医療など取り組んでみたいことが多くある。
 審議自体にはあまり問題はなかったが、一つ注文をつけさせてもらったのが、「かしわざきこども大学」の運営協議会のメンバーについてである。平成19年は試験実施としてキャリア教育が挙げられている。
 これまで総合学習でも何でもそうであるが、「産官学の連携」をうたう割りには、有識者として「学」、行政サイドの「官」は多くいても、「産」が少ないのである。今回の運営協議会設置案でも、

 「学識経験者、地域住民団体の代表者、関係団体の代表者、こども夢ぷらん推進協議会の代表委員、社会福祉協議会の代表者、教育委員会の学校教育課指導主事」

となっており、産業界、経済界は見事にすっぽり抜けている。プランの推進協議会と運営協議会を分けたからこそ、今回のこの運営協議会のメンバーはより実務的な社会的な人間を入れるべきであろうと要望させてもらった。

 報告事項ではコムスンに関するものがあった。コムスン柏崎は訪問介護に97人、居宅介護支援に75人、茨目は訪問介護のみで71人の利用者がいる。柏崎のコムスン、訪問介護事業所については、この6月から柏崎と茨目の両ケアセンターが統合して柏崎ケアセンターとなった。サービスの終了は今年度末となる。
 利用者に対しては、柏崎市でも6月7日に相談窓口を設置し、これまでに2件ほどの問い合わせがあったそうである。とにかく他の事業者への紹介とともに、サービスの継続がはかられるよう関係者の皆さんにはお願いするのみである。
 またこれまで勤務していた方の雇用の場の確保も重要であり、その辺の情報も調査してみたい。

Img_1248 12時過ぎ、昼休みとなったので、朝急いで冷蔵庫にあった余りものを詰めてきた弁当で昼食にする。ハムと福神漬け、紅鮭とご飯という質素なものであったため、某氏が情けのマヨネーズ?をかけてくれた。貧乏学生のような弁当である。

 午後から委員会が再開。反対などの討論もなく、無事、原案可決となった。

Img_1253 そのまま市内の柏崎市立南中学校~心のオアシス南中~に移動。柏崎青年会議所の柏崎のこども育成委員会が行うキャリア教育推進支援活動の一環、二学年総合学習「職業講話の会」に講師として出席するためである。
 今回は、理事長をはじめ柏崎青年会議所のメンバーから各分野の職業人が講師として参加した。

070619_f1000001  市議会議員という仕事に興味をもってくれた生徒さんは8名。10分ほどこちらから議会と行政の仕組み、選挙という制度と民主主義などについて話したのち、事前にもらっていた質問は以下であったが、

なぜ政治家になったのか
大変なことは何か
楽しいことは何か
仕事の内容を具体的に教えてほしい
柏崎をどのようにしたいのか
政治家になる条件などはあるか
政治家の平均的な年収はいくらか
政治家のやりがいは何か
一日の仕事の時間は?
当選するまでの苦労を教えてください
仕事で気をつけていることは何か

Img_1251

質問への回答を会話のなかにはさみつつ、残りの時間を生徒さんからの生の声を聞く雑談にあてた。
 納豆やテレビ番組の収録などおふざけ系の話もしたが、とにかく何回か繰り返したのが、

「一度は外にでて、
  自分のいたところを見てほしい」

であった。海外にでて祖国である日本を見る、柏崎市外のまちにでて、ふるさと柏崎市を改めて見てみるこういった機会を感受性の高いうちに経験してほしいと伝えさせてもらった。 

Img_1255 19時、ワークプラザ柏崎に移動し、日本青年会議所・北陸信越地区・新潟ブロック協議会のアドバンス新潟創造委員会に出席。新潟県と隣県等の自治体同士、どんな組み合わせが考えられるのか、色々と話し合う。
 話し合っているうちに、上越市が今後伸びる要素をより多くもっていることを再認識し、わが柏崎がどう生き残っているのか、真剣に悩んだ。

 23時近く、自宅にもどり、冷やご飯に生卵、挽き割り納豆をかけてかっ込み、愛車にて長岡市に移動。某氏が泊まっているホテルの1階ロビーで、待ち合わせたのち、近くの焼鳥屋で雑談する。美味しい焼き鳥があるのに、飲めないのが無念である。

2007年6月18日 (月)

やはり釈然としない、番神浜茶屋契約

 2時就寝。7時、起床。大粒納豆、岩のり、生卵でご飯をかっ込んで朝食にする。8時から9時過ぎまで市内某所で打ち合わせと法律関係の相談。

 10時過ぎ、市役所に移動し、建設企業常任委員会を傍聴。特に問題はなかったが、橋梁の長寿命化と耐震性診断について、検査内容がかぶるのではないかとのやりとりがあった。

070618_f1000001 12時過ぎ、仕切り直しとなった午後からの文教経済常任委員会について、打ち合わせ。打ち合わせが長引き、昼食をとる時間もなかったので、市役所の売店でマーガリン&ジャムのコッペパン、クラッカー、ダイエット・コークで昼食にする。

Img_1247 13時から建設企業常任委員会が再開。そのまま原案が可決し、13時45分から、文教経済常任委員会。
 冒頭、「平成19年6月18日 文教経済常任委員会資料 番神海岸浜茶屋(永久建築)配置図(差替え)」が配布された。
<写真をクリックすると大きくなります>
 今度は一番、西側の土地が「ブルーマリン仮設」から「レッドアンカー仮設テラス」になっている。前回の資料は何だったのであろうか。
 今回の議論の大きな論点は、14日に行った私が一般質問と同じく、永久的浜茶屋を許す基本方針について西川前市長による決済があったのか、また本当に転貸を前提にする貸出契約に問題はないのか、ということであった。

 永久的浜茶屋を許す基本方針について西川前市長による決済があったのかについては、これまで「市長も基本方針の文書を見ているはず」「市長の決裁は受けていないが、柏崎市の方針」という、今までと同じような詭弁を繰り返すのみ。柏崎市のトップたる市長の決裁(印)がないのに、柏崎市の方針としてドンドン話しを進め、会田市長になってから契約してしまったことが再度、露呈した。決裁なしで、「見たはず」で何でもできるなら、まさに役人天国である。

 転貸を前提にする貸出契約に問題はないのかについては、「法律上問題ない」を繰り返すのみ。原則、転貸(又貸し)を前提とした財産の貸付などは行わないものである。しかも、番神海水浴場旅館浜茶屋組合から組合員がもつ会社もしくは個人に、又貸し(転貸)を平成18年10月3日に承認したものの、

 番神海水浴場旅館浜茶屋組合
          → 組合員ではない法人、個人

の両者で交わした転貸契約について、中身を確認していないというのである。普通はどんな契約にするのか、内容を確認するものではないのだろうか。

 こういった話をしていたら、財務部長からは、

 「三井田議員は悪い方、悪い方と考えて、
      財産を守ろうとしておりますが・・・・・」

との発言があった。市民共有の財産である以上、悪いことをする人はいない、貸し出した状態がそのまま30年続く、などとお花畑の発想をする方がどうかと思う。考えられるリスクをできる限り回避し、安定した「石橋を叩いて渡る」ぐらいの仕事をするのが、行政マンではないか。

 ここで一つ、あえての質問をした。

 「では、別俣小学校の場合はどうだったのですか?」

 別俣小学校の建物の無償譲渡の際には、コミニティの有志で作る会が「権利能力なき社団」になるため、紛糾した議会の議決を得て、個人名義に譲渡した。
*「権利能力なき社団」は土地・建物などの登記ができない
*この時は公務員を含む個人に
     市役所の財産を譲渡するのが主な問題
 
別俣小学校を活用し、地域を盛り上げてもらいたいからこそ、個人に負担がかからないためにも、また補助金も活用できるよう、個人ではなくNPO法人などにしてから譲渡すべきというのが、こちらの主張であったが、市長与党に数の力で押し切られた。
 今回は、契約に関して、まったく対応が違っている。

<別俣小学校>土地はコミニティ・センターに貸し出し
 「権利能力なき社団」ではなく、個人に無償譲渡
 *議会議決が必要

<番神海岸>
 「権利能力なき社団」に貸し出し、
        そこから法人、個人に又貸し
 *議会議決が不要

 さらに言えば、地域の活性化を目的にする別俣と、営利を第一義的に追及する浜茶屋とは違うはずである。
 ここまでいくと文教経済常任委員会ではなく、総務常任委員会での議論になるということで打ち切ったが、どうも釈然としない。

 16時から18時過ぎまで自宅前で各種作業。ATVのバッテリーの充電や洗車、選挙で使った看板を細かくするなど、これまで時間がなく、なかなかできなかった作業を行う。

 19時、大粒納豆、冷凍うどんで納豆うどんを作り、かっこんで夕食にする。食後、そのまま某所での打ち合わせ。

 22時、帰宅。ブログやメールなどをひたすら書く。

2007年6月17日 (日)

中国共産党 監視の目
インターネット編

Img_1233 2時、就寝。7時、起床。とろろ芋、小粒納豆、ご飯をグチャグチャにしてかき混ぜ、かっ込む。ヌルヌル、ズルズル、とにかく美味い。
 8時過ぎ、事務所に来客。これから再就職ということで、パソコンをはじめ、何から勉強して良いのか分からないとのこと。市内で格安でできるセミナーなどを紹介する。

 9時45分から市民会館で開催の「家庭教育公開講演会」にでかける。着いた途端、電話があり、緊急でどうしても電話インタビューを収録したいとのことで、事務所に戻る。固定電話でのインタビューの収録をしたが、まだ番組で使うかどうかも分からない段階で、とにかく録らせてくれの一点張り。この製作会社には次回、協力はしないだろう。

 12時から市内某店にて、ランチをとりながらの打ち合わせ。

Img_1234 15時、19時からそれぞれ来客。
 22時過ぎ、酢豚、冷凍しておいた鰆の醤油漬けを焼いたもので夕食にする。ビタミン不足の毎日なので、ビールではなく、グレープフルーツジュースをガブ飲みする。

Blockchina 中華人民共和国内からインターネット上の自分のサイトが見えるか否かを確認するサイトがあった。
 早速、試してみると「miida.net」も「nattou.com」もブロックされていた。昨年、旧満州慰霊の旅として、哈爾浜のホテルに泊まった際、ホテルのブロードバンド回線を使ってアクセスしたときも、自分のサイトには制限がかかって、閲覧できなかった。
 自国民に見せて良いサイトかどうか、どんな基準で決めているのか不明だが、これが一党独裁の国である。
 しかし、中国国内でどんな情報統制をしようにも、いずれ情報は漏れ、真実を知る国民がでてくるであろう。北京オリンピックあたりが分岐点ではないかと思う。

2007年6月16日 (土)

歌舞伎を守ったアメリカ人

Img_1232 不動産に関する資料など読み漁り、3時就寝。7時、起床。気温の上下が激しいからか、多少喉が痛いので、刻んだ長ネギと信州米麹味噌、あごだしスープを使った「ネギ味噌汁」、ポテトサラダに刻み長ネギを入れたもの、中粒納豆にたっぷりの刻み長ネギで長ネギ三昧の朝食にする。

 午前中は姪っ子と甥っ子を連れてえんま市を一周。1000円札が飛ぶように財布から無くなった。

 11時過ぎ、従姉妹と長岡市に移動。千秋が原のショッピングモールを歩き廻る。初めてきてみたが、早くも何人かの柏崎の方に会う。買い物はこっちにくれば1回で済むから便利という。地元経済を考えるとあまり良い話ではない。

 従姉妹としばし別行動。14時から、ながおか市民センターにて「歌舞伎フォーラム公演」の打ち合わせ。自民党の長島忠美衆議院議員も同席され、主体的に動いてもらうことになった。より多くの人に歌舞伎の面白さを知ってもらえればと思う。

 大東亜戦争に敗れ、GHQによる占領政策がはじまった際、武道をはじめとする日本文化とともに歌舞伎も規制された。
 しかし、ダグラス・マッカーサーの副官として日本語通訳を務めたアメリカ人、フォービアン・バワーズ陸軍少佐によって、歌舞伎は保護される。彼はネイティブ・アメリカンの血(164代目チェロキー族)を引き、大東亜戦争開戦まで日本に滞在し、歌舞伎座に足しげく通っていたほどであり、歌舞伎を心酔していた。
*アングロサクソンがこの500年間、有色人種にどんな仕打ちをしてきたかは世界史で知られるところ。
 当面5年間の全面禁止という方針を破り、3年前倒しの昭和22年11月、東京劇場で東西俳優総出演による『仮名手本忠臣蔵』の通し興行が行われた。

「ぼくは占領政策の反対者。
 フタマタモノ(二股者)でした。
 ぼくの旗は半分はアメリカの旗、半分は歌舞伎の旗」

と語ったバワーズは、平成11年1月に最後の来日をし、歌舞伎を堪能。同年11月20日、ニューヨークのアパートで孤独な82歳の生涯を閉じた。

 16時から長岡市内某喫茶店にて別の打ち合わせ。遅い昼食としてミックスサンドを食べる。

Img_1222 17時過ぎ、従姉妹をピックアップし、柏崎に戻る。事務所にて、資料や届いた古本などを整理する。
 20時過ぎ、鯛のあらの塩焼きなどでビールを飲みつつ、DVDで『ホテルルワンダ』を見る。
 この映画を見れば見るほど、人種差別の撤廃を国是としてきた日本の志は間違っていなかったと思う。

2007年6月15日 (金)

驚きの不手際・・・番神浜茶屋契約

070615_f1000001 3時、就寝。7時、起床。せっぱ詰まっている資料作りをし、9時半過ぎ、大粒納豆、ポテトサラダ、鯛のあらの潮汁でブランチをとる。ポテトサラダは、黒胡椒を効かせて食べるのも良いが、少し醤油をたらして食べるのが好み。許せないのは、缶詰のみかんやリンゴを入れたポテトサラダである。

 昨日質問をした番神浜茶屋建設の問題について2名の方からお電話を頂戴した。内容としては、

A.前の市長うんぬんと今の市長は言うが、
  結局、今の市長時代に決まったこと。
           もっとそこを問い詰めろ。

B.番神での海の演劇を取り上げてもらったので、
        もっと市民に周知してほしい。

とのことであった。

 10時、文教経済常任委員会に傍聴で出席。
 小学校でのALTを使った英語教育について賛否が問われた。現在は国の補助金がついたときにスポット的に行っているが、学校教育の連続性、学校間の平等性については疑問があるうえ、個人的には小学生には英語に触れる程度で、まずは国語を徹底的に教えるべきだと思う。

 12時過ぎ、昼食を抜きで資料を作る。

 13時、文教経済常任委員会が再開となり、いよいよ番神浜茶屋問題である。
Img_1246  こんな一枚の紙が配られた。
<写真をクリックすると大きくなります>
 「平成19年6月15日 文教経済常任委員会資料 番神海岸浜茶屋(永久建築)配置図」とあるが、明らかにおかしい。それは

1.これまで四棟しか建設しないと説明していたが、
  仮設を含めると五棟になっている。
  (当初説明に、仮設の計画をだしていない
             とすれば合点はいくが・・・)

2.レッドアンカーが無くなっており、ブルー・マリン
  が2カ所になっている。

Img_1245  「平成18年8月31日決済 (貸付)調書」に添付された「配置図」では、レッドアンカー、ブルー・マリン、クラウドナイン、みなと茶屋の四棟になっている。
<写真をクリックすると大きくなります>

 いつから、このような変更になったのか問い詰めると、こんな答弁があった。

 「ブルー・マリンとレッドアンカーは同じですし・・・」

 この2つは、実はご夫婦である。しかし、いくら夫婦でも法律上の人格は別であり、そんないい加減なことが許されるはずはない。

 契約上は昨日の一般質問でも問うたように、以下のようになっている。

 柏崎市 → 番神海水浴場旅館浜茶屋組合
         (権利能力なき社団)
         組合構成員
           1.クラウドナイン 組合長
           2.ブルー・マリン 副組合長
           3.みなと茶屋 会計
           4.レッドアンカー
               
*2と4はご夫婦

 この組合が「権利能力なき社団」のため、土地・建物の登記ができない。
 ゆえに、番神海水浴場旅館浜茶屋組合から組合員がもつ会社もしくは個人に、又貸し(転貸)契約を平成18年10月3日に承認している。

番神海水浴場旅館浜茶屋組合
 (権利能力なき社団)

    → (有)アオイ管理、(株)フジ、
       (株)ブルー・マリーン海の家、M氏(個人)

 又貸しを前提にする普通財産の貸付などはまともな行政の仕事ではない。しかも組合が又貸しをしている相手は、法律上、組合員ではない。法人もしくは個人であるため、組合員である個人とは別人格である。
 ここで組合員の個人に対して又貸しした方が話しはスッキリしたが、ここでもわざわざ困難な道を選んでいる。
 簡単な図で書くと、

 柏崎市 → 番神海水浴場旅館浜茶屋組合
          →  組合員じゃない法人に又貸し

となる。

 冒頭の問題点に戻れば、柏崎市と番神海水浴場旅館浜茶屋組合で交わした内容と既に違ってきている。

 かなり問い詰めたが、結局は契約の詳細が観光交流課では分からないということで、6月18日の月曜日、建設企業常任委員会終了後、再度、資料を用意した上で、文教経済常任委員会を開催することになった。

 16時過ぎから18時ごろまで姪っ子を連れて、えんま市をぐるりと廻る。

070615_f1000002 19時過ぎ、シメ鯖を中心に夕食をとる。従姉妹も遊びにきているので、再度、えんま市に付き合ったり、買ってきたもので甥っ子、姪っ子などと遊び、久々にパソコンの前で資料作りに追われない夜になった。
 溜まっていた本もまとめて読む。

2007年6月14日 (木)

前代未聞の答弁撤回と質問やり直し
一般質問:番神海岸と柏崎市政

 色々な資料作成もあったので、4時に就寝。8時、起床。大粒納豆、なめ茸、目玉焼きで朝食。

 9時過ぎ、市役所に移動し、今日の一般質問に向けた整理を行う。

 10時から本会議。冒頭、会田市長から昨日の真貝議員の質問に対する答弁を訂正したい旨の発言があった。
 昨日の一般質問の最初、前提となるかたちで、

 「旧トルコ文化村にある民有地の借地料は誰が支払うのか」

と問われたところ、会田市長は

 「ウエスティックエナジー社が支払うべきものである」

と答弁した。当然であろう。柏崎市が売却したのであるから、譲り受け人であるウエスティックエナジー社が民有地の借地料を支払うべきである。また事業用借地権の設定がされている土地もあるので、1年間も借地料が土地所有者のもとに入っていないことが異常である。

*事業用借地権
 存続期間:10年以上20年以下
 借地の利用目的:事業用
 契約の形式:公正証書
 特 徴:期間満了で、契約消滅し、建物買取請求もできない。
     ゆえに建物を地権者が時価で買わされることもない。
 根拠条文:借地借家法24条

 しかし、今日の今日になって、昨日の答弁を

 「民有地の部分については、
  まだ会社と地権者との間で
  賃貸借契約が交わされておらず、
  早期に話し合いによって解決されるべきものである」
 

に訂正したいという。
 議員が一般質問をする際には、事前に質問の要旨を送り、さらには市長は担当課を交えて勉強会を行ったのち、答弁にのぞむ。それをやっているはずなのに、翌日になってその後の質問の流れをまったく無視するかのような、答弁の訂正を行おうというのである。
 前代未聞の恥ずかしい議会答弁である。
 質問者である真貝議員にとっても、最初にこの質問で支払うべき人を確定したうえで、その後の質問を行っている以上、最初の質問の答弁が変更になるということは、「あの質問と答弁は何だったんだ!」ということになる。
 急遽、議会運営委員会が開催され、15分の時間のなかで一般質問のやり直しということになった。
 議会再開後、質問のやり直し。市長の答弁の内容は昨日よりもヒドく、問いかけそのものには答えず、答弁をそらすばかり。あっという間の15分が終わってしまった。

 もう1名の議員の一般質問が終わったのが、12時過ぎ。昼休みとなった。先の会田市長の答弁のずらし具合をどう攻めようかと昼食抜きで作戦の練り直し。

Dsc02230_1 13時、議会が再開し、一般質問の出番となった。改選後、初の一般質問である。

 「今期も
 海上自衛隊誘致をはじめ、
Dsc02183_1 鉄道の活性化などに
 頑張っていきます!」

と宣言し、お約束の野次を多く頂戴した。続いて、外から見る目として、夕方6時の音楽のことを話した。先日、市外の方から、

 「柏崎はエーデルワイスに関係あるんですか」

と言われた。現在、夕方の時報とともに流れる音楽は『エーデルワイス』である。この曲は、ミュージカル『サウンド・オブ・ミュージック』の中でドイツに併合され消えゆく祖国オーストリアを思って歌われたもの。これはこれで名曲ではあるが、地元・柏崎、また海の柏崎のためにも『浜千鳥』」など柏崎に縁のあるものか、はたまた三階節とか、せめて日本の唱歌にしてはどうかと提案したかったのである。
 この提案に対する市長の答弁は、

 「『エーデルワイス』は西山町で使っていた曲。
  定期的に変えて、『浜千鳥』もかける予定」

とのことであった。日本の歌にしてみては、という内容が伝わったのか伝わらなかったのか・・・・。

Img_1220_1

 今回の質問項目は大きくは3つあり、以下がその大まかなやりとりである。

1.新市民会館建設位置について、駐車場や交通アクセスの観点から、コマツ跡地もしくはその周辺の土地が最適と思われるが、市長の考えを伺う。

 先の統一地方選挙でも、柏崎日報社の政策アンケートでこの新市民会館にふれた候補者は多く、私もその一人だし、昨日の質問にもでていたように、この中間報告の説明を委員会で行ったときにも委員から異論が続出した。少なくとも自分の周りの市民の方もそういう声が多い。今回の移転新築の目的は老朽化対策、そして駐車場であったはず。検討委員の複数の方から、市民の理解が得られないとの声があがったとも聞いている。
 会田市長からは相変わらず、
文化トライアングルだの総合的に判断しているだの、はっきりとしない回答であった。新市民会館、産業文化会館、エネルギーホールを文化トライアングルとして使う、などという発想が理解できない。あの位置にある、ふれあい駐車場のキャパシティーは203台しかない。オーケストラなど100台分は演奏者などの出演側で使う場合も多く、今でも

 「駐車場はお客様の為に空けますので、
    演奏の方は他の駐車場を利用して下さい」

と言われ、アクアパークまで車を置きにいく演奏者もいる。文化都市・柏崎としてふさわしい使い方が、サイカワ跡地のような広さでできるのかどうか。
 しつこく問い質すも同じような答えであり、広さのためにも、また柏崎市単体での出費を抑えるためにも、コマツ跡地で民間とのPFI事業として市民会館及び周辺施設を作ってはどうかと提案するも、耳に届かず。

 民間との事例:秋田県秋田市の「アルヴェ」

 また次回、時間をかけて、詳細に質問しなければならないようである。

2. 競争性、談合防止のための一般競争入札の導入は理解するが、地元企業への発注をはじめ、柏崎市内の経済・雇用環境とのバランスをどう捉えているか、市長に伺う。

  柏崎市は、今年度から130万円以上の公共工事の指名入札を廃止し、すべて制限付き一般競争入札に切り替えた。県内に本店があり、柏崎市内に事業所だけあれば参加できる入札となったため、地元業者があおりを喰ったわけである。柏崎市に税金を納めているのは、地元の企業であり、地元の人間である。この辺をよく考慮すべきではないかと問い質した。また、地元業者には除雪や災害時に手伝ってもらっていることもあり、この一般質問の日から始まるえんま市の電気配線も、地元の電気工事の組合で行っていることも十分考えていただきたいとも述べた。
 会田市長からは、6月に入ってから見直し、地元業者のことも考えた内容にし、地元以外の業者に対し、工事期間中の追加の参加を禁止し、指名入札も緩和するとの答弁があり、今回の質問の目標はある程度達した。
 たった2ヵ月で見直すことになったが、こういう結果になった以上、来年度を待たず、抜本的に見直すべきということも意見した。
 公共工事の入札については、目先の入札金額が下がりコストダウンするのは良いが、市民の就労の場として、地元企業を育てる意味でも大きな視点から判断すべき事柄である。また、地元意識ということで一つの事例をださせてもらった。

 先日、市内大手ゼネコンで長年設計をされていた方がお亡くなりになった。先の質問にあった柏崎市民会館の設計をされたそうで、新市民会館も自分で責任をもちたいと検討委員に応募するほど仕事にプライドをお持ちの方であった。それより何よりも息子さんに、柏崎市民会館の設計をされたことを誇らしげに語り、そして息子さんも誇りに思っていた。こういった地元への愛着、これもよく考えるべきではないか。

3.多くの市民から白紙撤回の署名も集まった番神海岸の恒久的浜茶屋建設問題について、改めてその経緯と責任の所在、今後の対応と対策について市長に伺う。

 前回も質問し、7000名を超える多くの署名が届けられたが、工事は止まらぬまま。しかも、議員への説明はないまま、6月8日付けの関係職員への処分の文書がでてきた。前回の答弁ではまったく問題ないと答弁していたのに、処分するとは前回は嘘の答弁をしたのか。
 また、同じように永久的浜茶屋を許す基本方針について西川前市長による決済があったのかどうかについては、前回は

 「前市長時代に決まっていた」

と3回も答弁している。市長が決まっていると発言することは市役所のなかで決裁がされているということである。しかし今回は

 「市長も基本方針の文書を見ているはず」
 「市長の決裁は受けていないが、柏崎市の方針」

と意味不明の答弁となった。前回は「虚偽の答弁」をしたのであろうか。決裁をせず、文書を「見たはず」で何でもできるなら、まさに役人天国である。つまり、結局のところ、柏崎市のトップたる市長、この場合は前市長の決裁(印)もないのに、柏崎市の方針としてドンドン話しを進め、会田市長になってから契約してしまったことが露呈したのである。
 さらに会田市長になってからの契約についても、貸し出し相手である番神海水浴場旅館浜茶屋組合は「権利能力なき社団」。普通は、自然人か法人にしか貸付をしない。ここがミス1
 「権利能力なき社団」は不動産などを所有することができないため、当然、又貸しをする必要があるが、原則、転貸(又貸し)を前提とした財産の貸付などは行わないものである。しかも、又貸し(転貸)を平成18年10月3日に承認したものの、その相手は番神海水浴場旅館浜茶屋組合の組合員である個人ではなく、法律上違う人格の法人に又貸しした。これがミス2

 番神海水浴場旅館浜茶屋組合
         → 組合員ではない法人、個人

 これだけ契約の手続きにミスがあっても、また7000名を超える市民の署名が集まっても、通年観光という大義と番神海水浴場旅館浜茶屋組合という営利目的の団体を優先するのが今の柏崎市長のやり方である。
 いくら問い質しても、景観を大切にしながら総合的に?判断していくなどと答弁するのである。

19400701  あの番神の浜は、柏崎市政にとってはただの浜ではない
 柏崎市政が誕生したのは、昭和15年7月1日。皇紀2600年の祝典を11月10日、市政施行祝賀を11月23日に行ったのであるから、柏崎が沸いた一年であったことであろう。
*写真は『柏崎市史』より
 それ以前の、昭和12年8月。まだ柏崎町の時代。泥沼の支那事変の発端となる盧溝橋事件があった年である。吉田正太郎作「日蓮上陸」という野外劇が柏崎ペンクラブによって番神海岸で行われた。
195008  そして、昭和25年、柏崎市政施行10周年を記念して、2回目の海の「日蓮劇」が番神海岸で行われた。主な出演は、比角スカウトクラブで、日蓮を近藤禄郎氏、日朗は助役を務められた長野茂氏が演じている。
 その後は、昭和28年8月に柏崎演劇研究会によって第3回、昭和49年8月、日蓮着岸400年を記念し、番神保勝会10周年も兼ねて、第4回の上演を行っている。
 それだけ番神の地を、柏崎市民は特別な場所と捉えていたのである。
*写真は、『柏崎史市資料集 近現代篇3下』より
 ちなみに、この昭和25年はぎおん祭りが現代のような姿になった年であり、同じ番神海岸では、昭和7年に着工して大東亜戦争末期に閉鎖されていた、弁天岩自然水族館も復活した。
 さらに、金沢八景などに肖って、福浦八景が名付けられたのもこの年であり、八景とは「だるま岩」「聖が鼻」「御野立公園」「鴎が鼻」「松が崎」「猩々洞」「牛が首層内褶曲」、そして「番神岬」である。

 以上のような、歴史的事実があり、また柏崎市政と深く関わってきた番神海岸であるため、普通のリゾート開発、通年観光とは違うと会田市長に訴えるも、あとは事務的に進んでいくといった、とても地元、柏崎を愛する者とは思えない答弁。最後には力が抜けた。
 あとは委員会審査をはじめ、しつこく追及していきたい。

 16時過ぎ、事務所に戻り、カロリーメイト1箱を食べながら、資料を作成する。

 19時30分から柏崎青年会議所「柏崎のまつり検討委員会」に出席。柏崎のまつりの歴史が分かる映像のつめの作業を行う。

 23時過ぎ、自宅に戻る。大粒納豆、冷凍うどんで納豆うどんの夕食。食後、風呂に原子力新聞や関係書籍を持ち込み、読みまくる。さすがに新聞はベロベロになってしまった。

2007年6月13日 (水)

いよいよ表面化、旧トルコ文化村問題
日本JC『誇り』とマッカーサー証言

 2時、就寝。4時、起床。祖母がなにやら朝からゴソゴソするので、とりあえず食事を食べさせる。8時過ぎに大粒納豆、生卵、ひじき、切り干し大根の煮物で朝食をとる。

 9時過ぎ、市役所に移動。会派会議ののち、10時から本会議。

DSC01244 午前中の真貝議員の質問のなかで、やっと旧トルコ文化村売却に関わる不手際が表にでてきた。旧トルコ文化村のなかにある民有地、すべてではないが事業用定期借地権も設定されており、公正証書でも1ヶ月以上の借地料の未払いがあった際には買い戻しが設定されている。
 しかし、1年が経過しようとしている現在、いまだにその地権者には借地料が支払われていない。
 さらには、借地料をもらっていないと抗議する地権者に対し、柏崎市役所が譲り受け人であるウェステッィク・エナジー社の

 「社長の気持ちを逆なでするような発言をしないこと」

などとする注意事項の紙まで配ったのだ。

「観光交流課が
   地権者に配布した丸秘文書」

 柏崎市役所の職員は柏崎市民の利益、財産を守るのが一義的な目的であり、相手を完全に間違えている。
 ましてや、行政が正当な権利をもつ市民に

 「今後の相談の機会はないものと思って・・・」

などという文書をだすとは、前代未聞である。それに対する会田市長の答弁も腰が抜けるようなものであった。

 「ヒドいですねー」

とまるで人ごとであり、心の底からの謝罪と対応策の言及はなかった。

 本来は、売り主である柏崎市が地権者に同意をとった上で、売却をしなければならなかったのである。

Turky_1 詳しくは、契約に関わる案件なので、6月20日の総務常任委員会で議論されるが、この旧トルコ文化村の売却に関する不手際は多すぎる。
 いまケマル・アタチュルク像が現在どうなっているか不明である。ただ言えることは、売却の際の会田市長の答弁

「これからもトルコ共和国との友好をはかっていきたい」

については何も実現していないことだ。
 一度、柏崎市の持ち物となった他国からの、しかも親日国からの贈り物を民間売却するという非常識な行為はそのままである。

エルトゥールル号とそのお礼


平成19年6月14日『朝日新聞』

 「社長の気持ち逆なでする発言やめて」
 地権者に圧力?
 旧柏崎トルコ文化村借地料の市資料

 「社長の気持ちを逆なでするような発言はしないこと」-これは柏崎市観光交流課が地権者あてに作ったマル秘と書かれた注意事項。旧柏崎トルコ文化村(柏崎市鯨波)の借地料問題の交渉を前に、市が地権者全員に配っていた資料の存在が、13日の市議会で真貝維義市議の一般質問により明らかになった。
 A4判に書かれた注意事項の要旨は次の通りだ。
 「社長の一方的な話になるかもしれませんが、その場合であっても、決して感情を表に出さないこと(ひたすらに相談にのってほしいとお願いを繰り返すこと)」「今回の席で社長が怒ったり気分を害したりすることになった場合は、今後の相談の機会はないものと思って、慎重に発言なり、行動をとってください」
 地権者の発言を封じるような文面がつづられており、市観光交流課は「会社と地権者との話し合いをまとめたいとの一念からで、誤解を招いてし誤ったことは申し訳ない」と説明している。
 旧トルコ文化村の市有地約5万2千平方メートルは昨年、公募で上越市の会社に売却された。市によると、敷地内には地権者7人の民有地1万4200平方メートルがあり、一部を除いて事業用借地権が契約されており、借地料などの問題が未解決のままだった
という。
 問題の交渉には観光交流課職員があたり、昨年11月の交渉の前に、この注意書きが地権者に配られた。話し合いが終わった席上で、文書は観光交流課に回収された。


Img_1212 12時過ぎ、「割烹おくい」(電話:0257-24-6486)の弁当で昼食。いつも刺身が入っており、他の揚げ物や煮物などと合わせると、おかずの美味しさにご飯の量が不足する。

Dvdhokori 午後からの一般質問の目玉は、共産党の持田議員から日本青年会議所で作成したDVD「誇り」を教育現場に持ち込まないように、という質問であった。
 十日町青年会議所が行った事業を事例として、DVDを見た中学生の感想

Dsc03236「大東亜戦争で
  日本は国を守ろうとした」

を紹介し、「トンでもないこと」だとDVDを批判した。
 私から言わせれば、それこそトンでもないことで、まずは中学生が素朴にもった感想をDVDの批判に使うことがおかしい。さらに、日本には日本の正義があり、マッカーサー自身でさえ、昭和25年、朝鮮戦争が勃発し、アジアにおける日本の役割に気づいたときには、アメリカ議会上院でこう証言している。


昭和26年5月3日 軍事外交合同委員会

 They lack cotton, they lack wool, they lack petroleum products, they lack tin, they lack rubber, they lack a great many other things, all of which was in the Asiatic basin.
 They feared that if those supplies were cut off, there would be 10 to 12 million people unoccupied in Japan.
 Their purpose, therefore, in going to war was largely dictated by security.

 彼らには、綿が無く、羊毛が無く、石油製品が無く、スズが無く、ゴムも無い、その他にも多くの資源が欠乏している。それらすべてのものは、アジア海域に存在していた。これらの供給が断たれた場合には、日本では一千万人から一千二百万人の失業者が生まれるという恐怖感があった。したがって、彼らが戦争を始めた目的は、主として安全保障上の必要に迫られてのことだった。


 さらには、こうも証言している。

 「太平洋においてアメリカが過去百年間に犯した最大の政治的過ちは、共産主義者を中国において強大にさせたことと私は考える」

 マッカーサーはこの時点で、日本が共産主義の防波堤であったことをはじめ、日本の立場に気付いた。ブッシュ大統領のリガ演説も同様であり、アメリカは戦う相手を間違えたのである。
 持田議員の質問に対し、教育長の答弁としては、

「柏崎青年会議所ではそういった動きがないと聞いている。
 十日町青年会議所の事例を含め、周知したい。
 もし動きがでてきた際には対応をとりたい。」

といった内容であった。結論からいけば、共産党の作戦勝ちであろう。
 質問者である持田議員も、そして答弁者である教育長もDVD自体を見ていない。見ていないもの同士が、青年会議所がある種の偏った活動をしているという前提で議論を行い、レッテル貼りに成功したのである。
 個人的には、未だにGHQに押し付けられた歴史観、そして占領期間中の戦時国際法違反である現・日本国憲法に固執する方がよっぽど偏っているように思う。

 一般質問終了後、議会だより編集委員会が開催。次回の『議会だより』の議員寄稿を書くことになった。前回は父とのことを書いたので、今回は何を書こうか迷う。

 19時から市民プラザにて、どんGALA!祭りの打ち合わせ。

Img_1213

 21時過ぎ、自宅に戻り、飛び魚の塩焼き、十穀米、具だくさんの豚汁で夕食。
 食後、そのまま一般質問の準備を行う。基本的に原稿を用意せず、材料の紙だけを見て話しているが、今回は内容が多すぎ、質問時間をどう配分しようか悩む。

2007年6月12日 (火)

コマツ跡地を民間売却へ
旧柏崎ぶどう村は人ごと?

 2時、就寝。7時、起床。大粒納豆と生卵でドンブリ飯2杯の朝食をとる。6月議会で月末まで慌ただしいことから、10時近くまで会社関係の処理を行う。

 10時から本会議、一般質問。市長与党の議員に対する答弁と野党である保守系に対する答弁が、口調といい、回答の深みといい、まったく変えているのが露骨である。

 枇杷島小学校の移転地として、今年度予算でも債務負担行為が設定してあるコマツ跡地の売却の方針が、やっと会田市長からだされた。
 ミニ新幹線の駅駐車場などの用地と説明しているが、平成19年度予算書のなかでは枇杷島小学校の移転地であり、現地改修の方針もでていることから、予算には反対をした。早く決断すれば良かったのである。
*平成19年度予算書のなかでは、枇杷島小学校の位置がコマツ跡地、現地改修と2つが示されており、メチャクチャ。
 赤レンガ棟に関しても、ここ最近の強風と土壌改良工事の進捗もあり、そろそろ方向をださなくてはならない、といった答弁があったが、もっと早く方向性をだす約束だったのではないだろうか。
 まったくもって、物事のスピード、決断が遅く、そのためにすべてが後手後手となり、有形無形の市民の財産を浪費している。

 コマツ跡地は21億円で土地開発公社が先行取得したものであり、これを柏崎市が一度買い上げてから民間への売却となる。
 売却することによって、これまでの土地開発公社所有だと税金は免除されていたが、ザックリとした計算で、この土地(21億円)からは3000万円程度の税収が見込まれる。
 売却方法は、開発計画をコンペ公募方式にして、選定委員会を組織して、開発事業者を選び、本年度中か来年度まで売却するという。

 ミニ新幹線の旗をおろした時になぜ決断しなかったのか、枇杷島小学校の現地改修を決めたときになぜ決断しなかったのか。
 また、逆にここまで来て、コマツ跡地を含めての「まちなか活性化委員会」での検討が進んだなか、コマツ跡地だけトットと処分するのはどういった考えなのか。
 まったく迷走状態ある。

 12時、「割烹おくい」(電話:0257-24-6486)の弁当で昼食。

Img_1240  午後からも一般質問。荒城議員からの柏崎ぶどう村の責任問題の追及があったが、会田市長からは人ごとかのような答弁があり、処分の議案が上がっていることの説明があった。
  詳細な実態も責任も明らかにせず、三役減給で幕引きを狙っているのであろう。ストーリーとしては、

 「前市長の負の遺産であり、
   それを押しつけられ、
   仕方なく、総ての責任を取って
   自らを処分した」

を描いているのではないか。

 「柏崎ぶどう村は
    当初から構造的に問題があった」

と言い逃れる会田市長であるが、この問題の本質は、問題が起こった際の対応の拙さと、決断力のなさである。

*先の2月議会の開会中に何らかの対応策をだすとし、小手先でワインの購入などを実施したものの、結局、議会開会中には何も対策をとらず、そのままズルズルと選挙に突入。

 当初から構造的に問題があったと思うなら、自分が市長になった瞬間に見直せばよかったのである。いまさら自己破産の状態になってから問題があったと言い逃れ。さらにいえば、先に出した資本金8000万円の増資案は何だったのか、ということになる。

 もっと驚いた答弁は、これまで粉飾決算があったことを正式に認めたところである。柏崎ぶどう村の監査役は市の収入役であり、また産業振興部長、助役は毎年の決算報告の確認を行っていたはず。いい加減極まりない。

 改めて、私の考えとすれば、柏崎ぶどう村への十分な運転資金の貸し付けを行い、賛否はさておき、これまで資本金をはじめ投入してきた以上、市民共通の財産であることを説明するべきだったと思う。そして、貸し付け金が返ってくるよう市民一丸となって協力することを目標に掲げるのである。
 とにかく潰せば良いものでもなく、返さなくても良い金である資本金のむやみな投下も避けるべきである。

 どういった政治判断をして、いや判断をしないことを決断したのか、よく聞きたいものである。
 また、処分するなら、このワイナリーの絵を描いた職員にも言及すべきであろう。行政に頼まれて、協力した民間の人間だけが、金銭的にも、名誉的にも損害を被るのはおかしい。

070612_f1000002 18時過ぎ、自宅に戻り、カツハヤシライス、納豆汁で夕食をとる。カツカレーも良いが、具がないハヤシ(要はただのデミグラスソースに玉葱を加えたもの)をカツとご飯にかけたものも、いかにも日本の「洋食」といった感じで良い。

 食後はひたすら資料作り。仕事がかなり溜まってきており、優先順位も怪しくなってきた。

2007年6月11日 (月)

平成19年6月議会開会
市の事務的責任は副市長?

 1時、就寝。5時、起床。著者から頂いた本が多くあったので、風呂に入りつつ読破。御礼と感想の手紙を書く。8時過ぎ、大粒納豆と生卵、なめ茸で朝食。

Img_1207 9時、柏崎市役所に移動し、議会運営委員会を傍聴。
 今朝、各議員用のメールボックスに両面刷りで以下のような紙が配られていた。



市議会議員 様                 平成19年6月8日

    番神浜茶屋組合の恒久建築物建設問題について

                        柏崎市長 会 田  洋

 このたびの番神浜茶屋組合の恒久建築物建設問題について、行政事務手続きにおいて適正な事務を怠り、市民に混乱を招きました。常に市民の信頼を得る事務執行が求められる市職員として襟を正す必要があると判断しています。
 現在、この問題も関係者のご協力をいただき、柏崎の観光振興と番神の景勝地としての景観保持の双方が折り合える方向を目指して進んでいるところですが、今回の事案は、次のような経過でありました。
 担当の観光交流課では、番神浜茶屋組合の要望を受け、平成15年以降柏崎市の観光振興に寄与することを目的に、恒久建築物の建築について関係課で協議を進めました。法的には問題がないことを確認し、通年観光施策として進める方向で基本的な考え方をまとめたところです。
 この時点で基本方針を起案し、方針決定と情報の共有をするべきでありましたが、この手続きが取られませんでした。これは行政事務の執行上極めて適正を欠いていたと言わざるを得ません。
 次に平成18年観光交流課が地元の同意を契機に恒久建築物の建設を具体化させていく際、改めて庁内合意を文書で取るべきところ、その機会に気づくことが出来ませんでした。また、結果として地元の同意や周知が徹底していなかったことなどは行政執行上配慮に欠けていたと言わざるを得ません。
 このことが、結果として今回の議会、市民に混乱を招く結果の要因となったものと思われます。また、この案件を通じて市民の行政に対する信頼も損なう結果となり、行政事務に携わる職員はその責任を重く受け止める必要があります。
 本件にかかわった職員について、柏崎の観光振興に寄与すると言う使命感から努力したにもかかわらず、結果として事務が適正ではなかった言えることから、事務的責任のトップである副市長の譴責を行うとともに、関係職員の処分を行うこととしました。

1 関係職員の処分

副市長を詰責処分とした。
産業振興部の部長、関係の課長、係長、担当職員を訓告処分とした


市議会議員 様                平成19年6月8日

     (株)柏崎ぶどう村の自己破産について

                     柏崎市長 会 田 洋

 このたび、株式会社柏崎ぶどう村が新潟地方裁判所長岡支部に自己破産の申し立てをし、5月16日付けで破産手続開始決定がなされました。
会社が自己破産に至るまでの間、会社の経営改善のため、市は様々な支援策を講じてまいりましたが、結果として市が株式会社柏崎ぶどう村に出資していた2,400万円をはじめ、ワイナリー建設補助金など、市がこれまで支援してきたことが実を結ばないことになってしまいました。このような結果になりましたことに対し、市民の皆様に深くお詫び申し上げる次第であります。
 また、この過程において、平成19年2月議会に再建策として4,000万円の出資を計画いたしましたが取り下げに至り、議会、市民に混乱を招いたことについても責任を感じております。
 株式会社柏崎ぶどう村が「自己破産」に至った原因につきましては、裁判所において開催される財産状況報告集会において明らかになると思われますが、私は会社設立当初からの構造的な問題に起因するところが大きいと思っております。
 資本金に比較して初期投資が過大であったこと、当初計画が過大で実績と大きな乖離が生じたこと、専門的技術スタッフの支援が中途で打ち切られたことなどにより、様々な営業努力にもかかわらず、結果的に経営の改善を図ることができなかったものです。
 また、民間会社とはいえ市が40%出資している第三セクターという環境の中で、その利点が生かされず、逆に責任の所在にあいまいさがあったなど、様々な要因が重なり合った結果であると考えております。
 現在の市行政のトップマネージメントを司る市長以下三役は、結果として経営改善が出来ず柏崎市の財産を失うことへの責任を取る必要があると考えており、下記のとおり自ら襟を正す所存であります。
 なお、本件にかかわった職員についても、柏崎ぶどう村の再建に努力いたしましたが、結果として自己破産に至ったことについて、一定の管理監督の責任を問うこととしました。

処分内容
 1 市長の給料の月額10分の2減給3か月
   副市長の給料の月額10分の1減給3か月
   収入役の給料の月額10分の1減給3か月
 2 関係職員の処分
   産業振興部の部長、関係の課長を訓告処分、
   係長を厳重注意処分とした。


 まずはこの議員に周知するタイミングが問題となった。
 原子力に関するトラブルや協議内容は、記者会見と同時に議員のもとにFAXなり、メールで即日周知される。
 これは原子力というだけではなく、議員も市民に市政を説明する義務をもち、また市役所としても議員を通じて広報ができるため、本来はすべてに適用されるべき運用である。現に、柏崎ぶどう村の自己破産のときなどはそうであった。しかし、今回は6月8日の記者会見に新聞各社に発表しておきながら、市議会議員には一切の周知はなく、3日後の今日11日に議員用のメールボックスに入っていただけであった。各議員がこの処分を知ったのは新聞紙上であり、市民からその詳しい内容を聞かれ困ったという議員もいる。これは別に議員だから特別な扱いをしろ、というわけではない。大きな問題と議場で発言しておきながら、このような仕事のやり方が問題なのである。
 議会運営委員会では、このタイミング、そして番神のことは議場での説明もないので、全員協議会なども実施すべきではないか、と保守系議員から意見がでた。それに対する市長与党である社会クラブの某議員の発言には驚かされた。

 「私もまだ(この紙の)中身は読んでませんけどね
  そんな大きな問題じゃないんだから・・・」

 読んでもいないことも問題であるが、読む時間も無いようなタイミングで周知されたことが問題であることに気付いていないのである。その後も完全な議事録が残る場で説明する責任があるとする保守系と、報告会のような車座でのざっくばらんな席(議事録が残らない)で良いと主張する革新系の市長与党の意見がやりとりが続いた。
 結局、今日の議会初日の冒頭、市長が柏崎ぶどう村のことについてだけ、説明する予定であったが、そこに番神の件も説明するよう申し入れをすることになった。

 なぜ柏崎ぶどう村のことについては議場の場で説明し、番神のことについては説明しないのか。市長及び市長与党の言い分としてはこうである。

「番神の恒久的浜茶屋問題の処分については、
 予算や財産が関係せず、
   今議会でも議案にあがっていないから」

・・・グー・チョキの○ーである。今回の問題をどう思っているのであろうか。土地の賃借である以上、市の収入は発生し、何よりも景観も市民共通の財産である。景観を大切にしようというこれまでの姿勢は嘘ということになる。

 10時、平成19年6月議会開会。冒頭、会田市長からの柏崎ぶどう村、番神の恒久的浜茶屋問題についての発言があったが、紙の中身の棒読みであった
 質疑応答の時間も設けられたので、議員への周知のタイミングをはじめ、問い質してみるも答弁は「はぐらかし」だらけ。

<確認>柏崎市議会 インターネット中継

 しまいには、市長に詰め寄る真貝議員に対し、市長を守ると宣言している社会クラブの某議員からは発言を遮るかのような異常なまでの野次が飛んだ。
 今回の一般質問でじっくりと攻めたいとは思うが、とにかく今回の処分で不思議なのは、

 「事務的責任のトップである副市長」

と副市長を処分しており、最高責任者である市長への処分はない。また、「西川前市長のせいだ」などと答弁がないことを願うばかりである。

 その他、補正予算などでは10款などへの質問を行ったが、午前中に説明が終了した。

Img_1209 13時、市役所の1階でおにぎり(鮭)を買ってから自宅に戻る。冷凍しておいたあごだしスープを使って、生みそラーメンを作り、おにぎりとともに昼食。
 14時から事務所に来客があり、18時過ぎまでお話する。議会中でもあり、また確実にお手伝いするためには自分自身の手が空いてからと思い、時期をズラすことを言ったところ、いきなりブチ切れたようで、お帰りになった。突然、相談にきて、4時間もご自分のことを話され、すぐお手伝いできないと分かるやいきなり帰る・・・・・自分勝手な人であった。

Img_1210

 22時過ぎ、カクテキ、キクラゲと胡瓜の酢の物、ざるうどんで夕食。ダシは昆布と鰹節、そして煮干しを基本に、やたら魚臭い感じに仕上げた。一般的には下品なバランスであろうが、たまにこういった味わいが食べたくなる。

2007年6月10日 (日)

平成19年度柏崎市消防研究大会

Img_1195_1 4時、就寝。7時、起床。海岸の掃除の件で、現場を見て欲しいとの電話があり、某海水浴場にでかける。ビーチクリーナーをはじめ、後日、市役所と相談することになった。
 8時、陸上競技場に移動し、平成19年度柏崎市消防研究大会を見学させてもらう。
Img_1196 市議会議員には1階の来賓席が用意されていたが、パフォーマンスに思われるのがイヤなので、2階のスタンドから見学する。
 市長、県議会議員、市議会議長による観閲があったが、肝心の議長がネクタイをしておらず、スタンドの一部からは疑問の声が上がっていた。まったくその通りだと思う。防災服を着るか、きちんとしたスーツの正装で観閲するのが当たり前である。
Img_1197 昨年は出席できなかったが、今年もらったパンフレットを見ると、「第○○分団」との表記だけで地区名や出場選手の名前も記載されていなかった。コストダウンも分かるが、是非、地域の気持ちを高める意味でも、また出場選手のためにも、地区名、選手の名前は記載すべきであろう。両面コピーにしてA4が1枚増える程度である。次回には是非、検討いただきたいものである。
 管理室に公認グランドの認定証があると聞いていたので、管理人さんにお話して、見せてもらった。この写真が、柏崎市政が始まった昭和15年に交付された「公認証」である。

 23チームが出場したなか、優勝は第13分団であった。

Img_1204 11時過ぎ、一度、自宅に戻り、目玉焼き、ポークウインナ、中粒納豆、十穀米でブランチ。冷蔵庫のなかで卵が割れていたので、3個目玉の豪華バージョンとなった。
 12時から13時過ぎまで事務所に来客。

 14時から市内の飯塚邸で瞽女唄会が開催されていたので、是非、聞きに行きたかったが、打ち合わせや仕事が長引き結局いけず。非常に心残りである。次回の開催時には必ず行きたい。

 16時から18時過ぎまで市内まわり。ついでに愛車のオイルやDVDナビゲーションの地図ソフトも入れ替える。

Img_1206 18時30分から「嘉月」(電話:0257-23-2290)にて、自民党籍をもつ議員、公明党の議員を含む保守系の市議会議員、三富県議、東山県議、西川元県議、そして自民党・近藤基彦衆議院議員を中心にしての意見交換会。先の統一地方選挙のあと、新人議員を含む、他の議員と酒を飲みつつ、意見を調整する場はなかったので、貴重な時間となった。
 貴重な時間と感じたわりには、せっかくの会費の無駄にしないように料理も十分に楽しむ。焼魚はノドグロであったが、大きさもちょうどよく、塩加減、焼き加減と絶妙であり、先輩議員の分も勝手にもらってしまった。
 西川元県議とは、東京裁判史観、そして日教組の問題などを真剣にお話させてもらった。東京裁判史観の脱却こそ、自信と誇りをもつ歴史教育に必要との強いお言葉があった。

 一次会終了後、有志で二次会、三次会と進み、三次会は昭和21年生まれがお二人いるということで、懐メロでのカラオケ大会となった。西郷輝彦バージョンの『若鷲の唄(予科練の唄)』、同じく西郷輝彦の『ねがい』 、堺正章『街の灯り』、尾崎紀世彦『また会う日まで』、ブルーコメッツ『北国の二人』、ザ・タイガース『青い鳥』、松山千春『旅立ち』など。 

2007年6月 9日 (土)

早慶戦と古関裕而
人づくり県民ネットワーク設立10周年記念シンポジュウム

 2時、帰宅。5時から7時まで仮眠。甥っ子と姪っ子がお泊まりで来ているので、8時、大粒納豆、生卵の朝食を一緒に食べる。姪っ子も食べる量が多くなってきた。

 9時過ぎ、甥っ子と姪っ子を連れて、諏訪町二丁目のがらくた市にでかける。早速、ぬいぐるみやらおもちゃを買うはめになった。
 天気にも恵まれたためか、かなりの人手で一安心。商店街の活性化として、一時的なイベントではあるものの、この商店街に愛着をもってもらうことが大切である。
 姪っ子を抱っこしながら出店されている市内の知人と話しているうちに、甥っ子がどっかに行ってしまい、探すこと30分。「おじちゃゃぁぁん」と大泣きしながら元の場所に戻ってきて、「もうどっかいかないからぁぁぁぁあ」といきなり自ら反省の弁を述べていた。シュンとするかと思ったが、次の瞬間には「ぽっぽ、ぽっぽ」と今回の目玉企画であるプラレールの前に向かっていた。

Img_1169 11時過ぎ、新潟市に向かって移動。途中、大雨に降られながらも、巨匠・「日本のスーザ」と言われた古関裕而氏の名曲の数々を聞く。
 先日は早慶戦がチケット即日完売となり、話題になったが、この早慶戦で歌われる双方の応援歌、

Img_1172 早稲田大学応援歌「紺碧の空」
 慶応義塾大学応援歌「我ぞ覇者」

はともに、古関裕而作曲である。これについては感動の秘話があるが、その写真をまだ入手していないので、入手でき次第、ご紹介しようと思う。

Img_1173 昼食は、新潟市内の「東池袋大勝軒新潟」(電話:025-249-8033)。」「つけチャーシュー 850円」で麺は普通盛りの300グラムに「半熟味たまご 100円」をトッピング。やや甘めのタレではあるが、太い麺がよくマッチし、一気に食べ終えた。その印象や思い出も加味されるため、元祖である閉店した池袋の「大勝軒」まではいかないとは思うが、醤油系つけ麺ファンとしては十二分の味わいであった。

Img_1174 13時30分から新潟ユニゾンプラザの多目的ホールでの人づくり県民ネットワーク設立10周年記念シンポジュウム(後援:新しい歴史教科書をつくる会新潟県本部、日本会議新潟県本部、協同組合新潟県異業種交流センター、神社庁新潟支部、日本を考えるN・C新潟会、NPO新潟海難救助隊産経新聞新潟支局、財界にいがた)に出席。来賓として、自民党の吉田六左エ門衆議院議員、参議院選挙に立候補予定である塚田一郎氏がいらっしゃった。
 祝電は、櫻井よしこ氏、金 美齢氏、さかもと未明氏、自民党・山谷えり子参議院議員自民党・稲田朋美衆議院議員西村眞吾衆議院議員埼玉県の上田きよし知事日本政策センター、そして参議院選挙全国区に立候補予定である米田建三氏であった。

 シンポジウムの講師は、チャンネル桜でもおなじみの

Img_1189田久保忠衛先生(杏林大学客員教授)
 昭和8(1933)年生まれ。早稲田大学法学部卒業、時事通信社に入社。ハンブルク特派員、那覇支局長、ワシントン支局長、外信部長を経て、海外事業室長兼論説委員。83年編集局次長。84年杏林大学社会科学部教授、92年より同学部長を経て、現在同大学客員教授。国際政治学・国際関係論。法学博士。

Img_1182中西輝政先生(京都大学大学院教授)
 政治学者。1947年大阪生まれ。法学部卒業後同大学院修士課程終了。英国ケンブリッジ大学歴史学京都大学卒業後、ケンブリッジ大学歴史学部大学院で学ぶ。

Img_1187遠藤浩一先生(拓殖大学教授)
 1958年金沢市生まれ。駒沢大学法学部卒業。民社党広報部長などを経て、拓殖大学日本文化研究所客員教授。本年同大学教授となり現在に至る。

の先生方である。
 シンポジウムのテーマは「東京裁判と国際政治を考える」である。個人的には、この「東京裁判」という言葉を使うことすら、少し考えてしまう。なぜなら正式名称は極東国際軍事裁判(The International Military Tribunal for the Far East)、あくまで軍事裁判であり、さらには占領期間中、つまり戦争継続中(昭和20年8月15日は武装解除)のなかでの裁判の名を借りた日本へのリンチである。これらの占領期間中の軍事裁判によって、多くの軍人が処刑された。
 喧嘩に勝ったから正義であった、喧嘩に負けたから全部悪であった、などと簡単なことで割り切れるものではない。
 しかし、東京裁判を正当な国際的裁判ととらえ、いまだに日本のみが悪かったという歴史認識をしているのが日本の教科書である。
 冒頭、田久保先生から

 「敗戦責任は私は痛感している。
     しかし開戦の責任は欧米にある。」

という東條元首相の言葉から始まった。以下はメモ。

 ・開戦当時の国際情勢全体には流れがあった。
 陸軍だけ、海軍だけ、日本一国だけで戦争回避
 できるものではなかった。
・東京裁判では、満州事変から15年でピタッと切って
 議論し、15年の侵略戦争とした。
 しかし、歴史には流れがあり、日清・日露戦争までを
 考えなければ公平ではない。
・リットン卿の報告書では、関東軍の批判はしているが、
 あれだけの侮日工作に出会えば日本は立ち上がる
 と書いてある。
・あの戦争をパート1,2,3で分けるとすれば、パート1
 は日中、パート2が日米、パート3が日ソである。
 パート3は完全に日本が被害者であり、侵略したのは
 ソ連である。
・日露戦争のあと、日英同盟+米vsロシアであったが、
 満州というマーケットがでてきた。人種的偏見も
 でてきた。カリフォルニアの排日など。
 ワシントン条約の目玉は、日英の切り離し。
 いつもまにか、米英中vs日本となったが、ここで注意
 することはパート1とパート2は連動していることであり、
 アメリカが中国への肩入れすると戦争になる。

 中西先生からは、共産党の看板を上げない共産主義者の脅威などかなり面白い内容がお話があった。共産党の看板を上げない共産主義者を見破る方法として、

 ・社会主義的、結果平等にこだわる。
 ・観念的な平和主義
 ・反米アジア主義

この3つであり、さらに東京裁判史観が加わればパーフェクト?という。
  また、最近になって共産党、 「九条の会」が進めている映画『日本の青空』の話題になった。この映画は、鈴木安蔵が昭和20年12月に発表した憲法草案のみを取り上げ、日本国憲法は日本人が作ったものだとしている。しかし、民間の憲法草案は11案もあり、鈴木安蔵だけ取り上げるのは、恣意的であえう。そもそも鈴木安蔵は共産主義者で、一緒になって活動したNHK初代会長となる高野岩三郎もベルリンで共産党に入党しており、コミンテルンに通じた人物であった。 ハーバート・ノーマンも同様。
 現日本国憲法をマッカーサー憲法とも言うが、厳密には「マッカーサー・コミンテルン憲法」と呼ぶべきであろう、との半分ジョークのような提言もあった。

 遠藤先生からは、東京裁判史観とサンフランシスコ講和条約第11条について、分かりやすいご説明があった。


サンフランシスコ講和条約第11条
 日本国は、極東国際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷の裁判を受諾し、且つ、日本国で拘禁されている日本国民にこれらの法廷が課した刑を執行するものとする。これらの拘禁されている者を赦免し、減刑し、及び仮出獄させる権限は、各事件について刑を課した1又は2以上の政府の決定及び日本国の勧告に基く場合の外、行使することができない。極東国際軍事裁判が刑を宣告した者については、この権限は、裁判所に代表者を出した政府の過半数の決定及び日本国の勧告に基く場合の外、行使することができない。


・東京裁判史観がでてきたのは昭和60年の
 秋からであり、中曽根参拝が発端。
・サンフランシスコ講和条約の第11条を裁判
 自体を受託したと思う人は多いが、昭和26年
 10月17日、衆議院平和条約及び日米安全
 保障条約特別委員会で、西村熊雄外務省条約
 局長が、「日本は極東軍事裁判所の判決
 その他各連合国の軍事裁判所によつて
 なした裁判を受諾いたすということになつて
 おります」
と答えている。
 これは昭和26年というGHQによる占領期間中
 の答弁であり、GHQと調整し、オーソライズした
 ことをよく考えるべき。

Img_1191 17時過ぎから一階のレストラン「レストランいすず」にて、講師の三先生を囲んでの懇親会。
 ビールをグビグビ飲みつつ、失礼ながらも色々なお話をさせてもらう。
 遠藤先生とは、民社党から出馬された関嘉彦先生のお話をしつつ、長岡に模擬原爆「パンプキン」が投下されたこと、海上自衛隊基地の位置を太平洋シフトから日本海シフトに切り替え、特に原子力発電所の防衛に必要なことなど真面目なことから、『軍艦マーチ』の瀬戸口藤吉、古関裕而などの音楽話も盛り上がる。
 ちなみに、瀬戸口藤吉の出身地と言われている鹿児島県垂水市では毎年6月に「瀬戸口藤吉翁記念行進曲コンクール」が開催されている。また、市内の鹿児島神社には軍艦マーチの碑もある。

 田久保先生とは、我が新潟県は長岡市出身の斉藤博大使の評価見直し、公務員の国籍条項などについて、お話させてもらった。

Img_1194

 懇親会終了後、新潟市内をふらふらしたのち、「元祖支那そば おもだかや 女池店」(電話:025-283-7711)に寄って、「ちゃーしゅうたまご 750円」でシメにする。「おもだかや」のなかでは、この店舗の味が一番しっくりくるが、残念なことにチャーシューに使っている豚肉の質だけは納得できない。

 21時過ぎ、自宅に戻る。昨年の水着写真で有権者を驚かせた葛飾区の早川久美子議員の記事が掲載された週刊誌などを読みつつ酔いを抜いてから、仕事にかかる。

2007年6月 8日 (金)

妄想の三井田?拉致事件と原子力発電所

Img_1165  プレゼンテーションや企画書を作り、結局、徹夜となった。
 9時過ぎ、豚と牛の挽肉を八丁味噌と酒、みりんで炒め、大粒納豆を入れた「納豆肉味噌丼」で朝食。挽肉と納豆は相性がよく、今後はどういった薬味を入れるのか色々とチャレンジしてみたい。

 10時から参議院選挙に関する打ち合わせ。そのまま昼を過ぎたので、コンビニの納豆巻き、サンドイッチで軽く昼食にする。

 15時から18時まで市内業者さんへの仕事の依頼。

 19時から21時まで某所会議室で菓子パンなどで夕食を取りながら、7月22日投票の参議院選挙全国区へ出馬の米田建三氏の選挙準備を行う。

 これまでチャンネル桜の番組「防人の道 今日の自衛隊」 、『アイデンティティ』紙をはじめ、もちろんのことながら先の統一地方選挙でも、色々な場面で

 「原子力発電所を守るために自衛隊が必要であり、
        特に拉致事件とよく絡めて考えてほしい」

と訴えてきた。
 国防のためであり、柏崎の「安全・安心」、そして地元経済としてもマイナスの要因はないはずである。
 しかし、柏崎市内の南部地区のある方から

 「どーすっか考えたんだども、
       一応、オメさんに言っとくてぇー」

とお電話を頂いた。柏崎市役所職員から「三井田議員は思想が右翼だからそんなこと言ってる」といった旨の発言を懇親会の場で聞いたそうである。
 本当かどうかは確認のしようはないが、これは右翼とか左翼とか、思想うんぬんとかそういったレベルではない上、もしそのレベルで考えているとしたら、公務員としては視野の狭さから失格と言えよう。
 原子力発電所と拉致事件の関連性を指摘しているのは、私だけではない。一例として、2006年3月号『正論』のp288-295に『スクープ 辛光洙は「拉致実行犯」ではない』と題して、ジャーナリストのウラジミール氏が書かれた文章を以下に引用する。
<p292-293>

 78年夏の「三カップル拉致事件」は
 日本革命=原発破壊工作のため?

 辛光洙が原勅晁さんを拉致したのは、本国の指示による「背乗り」(なりすまし)が目的であった。では「第一次日本潜入」の際、辛はなぜ「坂本」という名を稚い続けたのか。換言すれば、なぜ「地村」を使わなかったのか。あるいは地村さんに「背乗り」した他の工作員の痕跡がまったくないのは、なぜか。
 そもそも北朝鮮はなぜ、多くの日本人を拉致したのだろうか。「対南工作の一環として」というのが、いわば常識的な答えであろう。侵入の容易な日本で日本人としての身分を獲得し、より侵入の困難な韓国にて地下党構築や各種の破壊工作を行うため、というのが一般的な認識だろう。だが本当に「対南工作の下準備」にすぎないのか。
 拉致事件が頻発した70年代後半から、金正日が言いはじめた印象的な言葉がある。「南朝鮮革命と日本革命は車の両輪である」…。主体思想に基づき日本国内で「日本革命」を行う、というのである。また「よど号」犯人たちも「日本革命」という言葉を何度も口にしている。実のところ「日本革命」とは、韓国を武力赤化統一する際、日本国内でも同時に撹乱工作を行うことで事態をより有利に進めることを意味すると思われる。北にとって韓国とは「革命に失敗した地域」という幼児体験そのものであり、「南朝鮮革命の完成」は平壌政府の強迫観念だ。これは本質的に現在も変わっていない、と筆者は信じる。
 では、対日騒乱工作を目的とした拉致が行われた形跡はないのか。結論から言えば、78八年に発生した三組のカップル拉致事件(「地村・浜本さん」「蓮池・奥土さん」「市川・増元さん」拉致)、こそ、まさにそうだったと思われる。ここで「三カップル拉致」それぞれの日時と場所を再確認してほしい。注意していただきたいのは、彼らが拉致された場所である。

*一九七八年七月七日 地村・浜本さん拉致
          (福井県小浜市から)
*一九七八年七月三十一日 蓮池・奥土さん拉致
           (新潟県柏崎市から)
*一九七八年八月十二日 市川・増元さん拉致
    (鹿児島県吹上町=現日置市=から)

 三つの場所に共通しているのは、海岸に近いこと。そして原子力発電所にも近いことである。
 地村さんらが拉致された福井県小浜市の周囲は美浜・高浜・大飯原発が肩を並べる日本有数の「原発銀座」だ。また蓮池さんらが拉致された新潟県柏崎市には世界最大級の柏崎刈羽原発が、そして市川さんらが連れ去られた鹿児島県吹上町の近隣には、川内原発がある。
 福井県「原発銀座」は美浜原子力発電所を皮切りに、70年から徐々に運転が開始された。また78年には柏崎刈羽原発一号機原子炉が着工、川内原発は一号機の原子炉設置が許可されている。運転開始の時期こそまちまちだが、
「そこに原発がある、あるいは近年中に確実に完成し運転が始まる」 ことは、三カップル拉致時点で明らかだったのである。

2007年6月 7日 (木)

大らかな気持ちで
3宗教のコラボレーション

 0時過ぎに帰宅し、風呂で酔いを覚ましたあと、5時まで資料作成。8時過ぎまで3時間ほどの仮眠をしたあと、9時から事務所にて打ち合わせをする。

 「頼まれるうちが華」と、色々な仕事を受けてきたが、さすがに最近は捌ききれない量になってきた。他の方にも迷惑をかけるので、ある程度は断ることをしようと思う。

070607f1000002 12時過ぎ、事務所に来客。一緒に柏崎納豆、シューマイ、カクテキなどで昼食をとる。
 「柏崎納豆の味がどうも・・・・・」という声を頂くが、発酵技術云々だけではなく、中国産大豆使用ということがどうも引っかかる。できれば、柏崎の転作大豆を使った納豆にしてほしい。
 今後、企画してみたいと思う。

 午後からも来客が続き、16時から仕事の関係で長岡市に打ち合わせにでかける。20時近く、自宅に戻り、準備を整えて柏崎青年会議所の柏崎のまつり検討委員会に出席。作成するプレゼンテーションなどの構想が固まってきた。

 23時近く、自宅に戻り、大粒納豆、生卵、いわしのぬか漬けでご飯をかっこみながら、資料やプレゼンテーションを作成する。

 先日、三重県松阪市に行った際に見た新聞『夕刊 三重』に驚くようなことが掲載されていた。なんと、ユダヤ教、カトリック、そして神道での結婚式を海外で行うという。
 神道らしい、大らかな宗教観であり、こういった気持ちをもって何事も接したいものである。


平成19年6月4日『夕刊 三重』

 3宗教がコラボ エーゲ海で三三九度
 日本の血を引く外国人女性
 久保宮司(水屋神社宮司)が赴き儀式

 世にも珍しい神道とユダヤ教とカトリックのコラボレーション(合作)による結婚式が、30日にギリシャのスペッツェス島で行われることになり、松阪市飯高町赤桶の水屋神社の久保憲一宮司(56)がはるばる赴き、本格的な神道の儀式を執り行う。昨年10月にフランスに同神社の分社が建立された際に日本の武道の一種・杖道(じょうどう)を披露したフランス人を介して依頼があった。新郎はユダヤ人だが、新婦がユダヤ人の父親と日本人の
母親を持つギリシャ在住のメキシコ人だという。

 ユダヤ式グラス割りなども

 この女性はメキシコ生まれのアミラ・ロペスさん。日本でも幼児期と青年期を過ごし、アメリカの大学を卒業して、映画(ショートフィルム)の監督をしている。今年のベルリン映画祭
にも招待されて出品するという。1年前からアテネに住んでいる。「日本人の血を引いており、おはらいや三三九度をしたい」と一風変わった結婚式を思い立った。
 新郎はギリシャのユダヤ人家庭に育った作曲家のミノス・マツァスさんで、式場となるのはスペッツェス島にある新郎の両親の別荘。アテネに近いこの島は、日本人には村上春樹さんの小説「遠い太鼓」の舞台として知られているという。
 アミラさんは当初、神道国際学会(本部・東京)に相談したところ、フランスに神社ができたと教えられ、インターネットで杖道のフランス人のホームページを探し当て、そのフランス人を介して4月に久保宮司と出会った。以来、メールのやり取りで打ち合わせをしてきた。
 式場は新郎の別荘のエーゲ海に画した庭で、テントの中にテーブルで祭壇を設け、久保宮司が持参する祭具一式を並べる。供え物は地元で採れた魚やオリーブ。花嫁の衣裳はウエディングドレスだが、1時間弱の式典の約半分を神道の「降神の儀」や「祝詞奉上」
「三三九度」など一連の神事に割き、間にユダヤ教やカトリックで行う指輪交換を挟み、最後はユダヤ式のグラスを割る儀式で締める。
 久保宮司は「神様が降りて来てくだされば問題ない」とコラボに抵抗はない様子で、『和』をもって尊しとなす神道的寛容の精神が、世界中に理解されれば」と期待している。

2007年6月 6日 (水)

君・元新潟県知事の英霊への想い
『高田歩兵第五十八聯隊史』

 明け方3時過ぎ、米山SAに入り休憩。少し仮眠をしようと思って寝たところ気が付いたら5時30分過ぎ。あわてて、シーユース雷音まで移動し、柏崎準倫理法人会の経営者モーニングセミナーに出席。スピーチをする約束になっていたので、「母心」を会社のキャッチコピーにする事例を紹介した。
 セミナー修了後、3階のレストランでビュッフェの朝食。お約束である「高柳の黒米粥」をはじめ、たっぷりと食べる。

070606f1000004 9時から事務所で打ち合わせ。
 さすがに打ち合わせをしている最中も眠くなるほどで、10時から12時まで仮眠。仮眠後、めざまし?の意味も含め、「うれっ子」(電話:0257-22-4648)のチャーシューつけめんで出前でとり昼食にする。

 15時から事務所に来客。

Img_1168 19時からワークプラザ柏崎で「世論の会 柏崎支部」の定例勉強会。
 2ヶ月に1回の定例勉強会であったが、日本に来日中の李登輝前総統の話を早めに聞くため、来月も開催することになった。
 各出席者からの報告の時間があったので、先日から調査しているインド・コヒマとの友好の歴史、そして高田歩兵第58聯隊の激闘に関する最大の資料である『高田歩兵第五十八聯隊史』の紹介をした。
070606f1000001 古本で何とか入手できた本であるが、貴重な記録や証言が多く残されている。なかでも冒頭の君新潟県知事(当時)の発刊に寄せる文章は素晴らしく、とにかく「平和だけ唱えればいい」といったお花畑のような現代の政治家(特に社民、共産)に読ませたい内容であり、会でもこの文章を朗読し、一同から「まったくその通り」の感想であった。
 ご本人が支那事変に出征しているからというだけでなく、近現代の歴史認識も正しいと思う。

 会終了後、有志で「花菜」(電話:0257-22-2990)にて懇親会。


Img_1166 発刊に寄せて
   新潟県知事 君 健男

 いま日本は自由で平和な繁栄の中に息づいております。この平和も郷土の聯隊をはじめとする幾多の先輩の、長年月の尊い努力によって築かれてきたことを片時も忘れてはならないと存じます。
 戦後早くも四十年の歳月を経たいま、「高田歩兵第五十八聯隊史」が、かつて当聯隊に身をおかれ、いまなおご健在でおられる方々のご苦心の末、ここにめでたく発刊の運びとなりましたことは、誠に意義深く心からお祝い申し上げ、そのご苦労に対し深く敬意を表します。
 ご存知のとおり、 「高田歩兵第五十八聯隊」は、堅忍持久、質実剛健の気に富み、勇猛果敢、軍紀厳正、しかも人間味に溢れた部隊で、その精鋭ぶりは戦後三十八年たった今日なお、コヒマの人々によって語りつがれているほどであります
 このような勇猛さ、真率さと、温かな人情を兼備する「五十八聯隊」を、県民の一人として誇りに思い敬服の念を禁じ得ません。私も去る昭和十二年から二年余り、高田歩兵第三十聯隊に身を置き、戦後、志して県政に携わっておりますが、その昔を思い出し、深い親近感を覚えます。
 日本は、今や新しい転換期を迎えていますが、私も「五十八聯隊」の方々の勇猛さや真剣さと高い誠頂に学び、これらの県政に一生懸命尽くしてまいりたいと念願いたしております。特に、
祖国と民族の将来を案じながら戦陣に骨を埋め、傷つき、あるいは病んだ先輩や同僚の想いを胸に秘めて、少しでも傷痍の方々やご遺族のお役に立ちたいものと考えております。
 この書を通して、平和の尊さ、それを守りつづけて行くことの難しさや大切さを、お互い忘れずに懸命に生きてまいりたいものと存じます。
 この聯隊史が、戦史や鎮魂賦であるばかりでなく、誇り高い郷土史、文化史、更には若人達への語り部として、また、得難い教育の書として、多くの方々に読まれ親しまれますよう念じてやみません。
 終わりに、平和を念じながら身を挺して国を護られた英霊の方々のご冥福を、謹しんでお祈り申しあげます。

昭和五十七年七月吉日

2007年6月 5日 (火)

納豆「逆バンジー」企画
「ちちんぷいぷい」撮影

Img_1142  5時過ぎ、起床。シャワーを浴びたのち、番組ロケを行なうため大阪に向かう。
 8時、奈良県香芝市の香芝SAに入り、主に奈良県内でしか入手できない「だいぶつ納豆」が付いてくるという「朝定食 750円」で朝食。
Img_1143 大粒で地元でしか食べられない納豆がついてくる朝定食であり、個人的にはこういった定食が各地に増えてほしいと思う。
 ただ、ご飯の味、既製品の漬物、冷や奴という定番には少し残念に思う。魚は鯖の塩焼きであったが、ここは是非、川魚か塩鮭・塩鱒などにしてもらい、奈良漬、地元大豆の豆乳などにしてもらえれば完璧だったと思う。

 10時過ぎ、大阪市内の難波でMBS毎日放送「ちちんぷいぷい」と待ち合わせ。これまでの自宅での撮影、そして昨日の奥野食品さんのコンサルタント業務の真面目な収録に比べ、今日は完全なお笑い路線である。

Img_1145  ロケ現場となる甲子園に移動し、 「ザ・めしや 上甲子園店」にて早めの昼食をとることになった。朝食をご飯大盛りでたっぷりと食べていたので、あまりお腹は減っていなかったが、軽くビーフカレーを食べることにした。サラダなどを選んでいるうちに、「泉州なす」が目に入り、軽く食べるつもりがサイドデッシュ2皿になってしまう。泉州なすは歯ごたえ、味わいよく、これだけでご飯一杯食べられそうだった。

 食後、ロケ開始。お笑い芸人であるメッセンジャーのあいはら氏をレポーターに甲子園での路上納豆食いからはじまり、近所のスーパーの探検、インタビューなどを行なう。
 個人的に美味しいと思う納豆を一品紹介してほしいとのことだったので、大力納豆さんの「100%北海道大粒」を紹介した。
 あいはら氏が新吉本プロレスも立ち上げるほどでプロレスファンであり、また近現代史にもご興味があるとのことで、ロケバスでの移動中は話が盛り上がる。

Img_1155 最後は、有限会社ジャンプゾーンさんの協力を頂きながら、逆バンジーをしながらの納豆食い企画!アホである。
 さすがの岸和田だんじり男のあいはら氏も拒否するなか、納豆+ご飯をもって、ビヨヨーーン。見事、納豆を食べながらの逆バンジーに成功した。
 ロケ現場では「オオオーー」と盛り上がったが、本放送を見たときの関西一円の方の反応はドン引きのような気がする。

放送:平成19年6月8日(金)14:30~

Img_1158 ロケ収録終了後、難波まで戻り、せっかく大阪に来たということで、これまたお約束の「どうとんぼり神座 道頓堀店」(電話:06-6211-3790)に向かう。
 ロケ中にも納豆ご飯をたっぷり食べたので、余計なオプションをつけず、「おいしいラーメン 530円」のみを注文。
Img_1161 白菜の甘味が効いたコンソメ風の、脂より油といった感じのスープのなかに、加水率の高いコシのある細めのストレート麺。安定した美味しさを感じる。途中でおろしニンニクを足したり、ニラを入れて野性味を足したり、多面的な味わいを楽しめるのも魅力である。

 食べ終わったところで、松阪市の「中華そばの不二屋」に行きそびれたことを思い出した。また次回の楽しみにしたい。

 高槻市の某所、京都市内の某所に寄りつつ、自宅に向かう。

2007年6月 4日 (月)

「東京納豆」復旧計画

 結局、徹夜となる。8時過ぎ、大粒納豆、筋子みりん醤油漬けでご飯2杯の朝食をとったのち、三重県松阪市に向かって移動する。

070604f1000003 約500kmという長時間、長距離の移動となり、途中、これまで録りためておいた番組をまとめて見る。
 14時過ぎ、御在所SAにて「得々セットA 780円」で昼食。肉うどんと味噌カツ丼のセットになっており、関西風味のだしの効いたうどん、東海地方に来た!というモードになる味噌カツで満腹となった。

0706okuno 16時過ぎ、松阪市の奥野食品さんに到着。
 2ヶ月前、工場が全焼するという被害に加え、創業者である御祖母様も亡くなるという悲劇が起こった。納豆は1個あたりの販売で得られる利益は少ないものの、工場などで必要となる機器の金額が莫大であり、新規事業として立ち上げる業種としては困難な部類に入る。
 お見舞い、弔問のために訪れたが、納豆製造業への再起に協力するため、社長と長時間の打ち合わせ。新しい納豆工場の形態に変更し、また企業ビジョンをあらわすキャッチ・フレーズも決めた。
 また、少しでも多くの人に知って頂こうと、その模様をMBS毎日放送「ちちんぷいぷい」に撮影してもらった。

Img_1136

 21時過ぎ、長時間の打ち合わせと撮影ですっかりお腹が減ったので、松阪市に来た際のお約束、松阪牛のホルモンを食べようと「一升びん 本店」(電話:0598-26-4457)に移動。前回松阪市に来たときには、「脇田屋本店」であった。
Img_1138 とりあえずの「生ビール(大)1L 950円を、「生センマイ 600円」を前菜に胃に流し込み、カルビなどには目もくれず、「並ミノ 550円」「ハラミ 600円」「キモ 600円」「コリコリ 550円」など、独特の味噌ダレで楽しんだ。

 24時近く、就寝。急いで自宅をでたため、ノートパソコンを忘れてきたことが幸いし、溜まっている仕事を気にせず?に熟睡。

2007年6月 3日 (日)

こどもの時代館開館5周年記念イベント

Img_1128 入札制度に関する資料を読み漁ってしまい、3時に就寝。
 7時、起床。半額で買ったものの2日ほど冷蔵庫で寝かせてしまった、ぶりかまを塩焼きにし、柏崎納豆(電話:0257-22-3597)1パック、十穀ご飯で朝食にする。

Img_1129 8時過ぎ、移動し、8時30分、こどもの時代館に到着。今日は各種のイベントが重なっており、人手不足ということで「こどもの時代館開館5周年記念イベント ヒーロー祭り」のボランティアお手伝い。
 縁日コーナーで、駄菓子のつかみとり(100円)やお面(500円)、水風船つり、ビニール塗り絵(600円)などを販売する。

Img_1131 駄菓子つかみとりの中にある「うまい棒」は「なっとう味」。
 「ウルトラマン」のフジアキコ隊員、そして「ウルトラマンマックス」に出演されていた桜井浩子氏、「ウルトラマンメビウス」のアマガイ・コノミ隊員・平田弥里嬢、「ウルトラマンメビウス」特技監督の原口智生氏、漫画家・一峰大二氏(ウルトラセブン他)、そしてウルトラマンメビウスのサイン会には長蛇の列となった。昼食は、給食レストランの「限定300食 チューシュー麺 700円」。

 15時過ぎ、イベントが終了し、テントを畳んだり、売れ残った商品を搬入している際、ついに見てしまった。

 「ウルトラマンメビウスの脱皮」

 暑い一日だったので、ウルトラマンメビウスもクール・ビズになったことと思う。

Img_1133 17時過ぎ、自宅に戻り、ここ数日の郵便物の整理。返事などをまとめて書く。
 20時過ぎ、十穀米、納豆汁、鶏もも肉のクレイジーソルト焼き、冷やしたトマト。キンキンに冷やしたトマトにオリバーのどろソースをかけて食べるのは格別である。

2007年6月 2日 (土)

夢の森公園開園
JC6月公開例会
ウルトラマン懇親会?

 1時、仮眠。4時に起床し、明後日からの出張の準備を整える。大粒納豆、生卵で十穀米のご飯で朝食。
 8時過ぎから、嫌がらせや悪質なインターネットに関する対応など打ち合わせする。

Img_1103 打ち合わせが長引き、少々遅刻したものの10時から夢の森公園開園セレモニーに出席。あくまで市民が主役であり、地主さんや町内の方こそが前に座るべきと思い来賓席には行かずに後ろの方にいた。しかし、名前がついた席が用意されており、議員仲間から「遅ーぞ!はよ来い」の声もあり、来賓席に移動する。
 今回の夢の森公園オープンにあたって、会田市長は待ち望んでいた公園のオープンである、といった旨の祝辞を述べていたが、市長選挙での自身の公約は「環境共生公園の見直し」であり、応援した現市長与党の革新系議員は反対にまわっていたはずである。まったく信念がない。
 今日、開園したからには是非とも成功し、全国でも類をみない公園になってほしい上、相沢陽一前・教育長が常日頃おっしゃっていた「開園がスタート」を市民で共有したいものである。数年後、大きな財政負担にならないよう、成功してほしい。
 オープニングイベントとして、市民の方による美しいコーラスで『千の風になって』『ふるさと』の2曲が歌われた。鎮魂歌である『千の風になって』をオープニングで歌う意味としては、風、自然という点からであろう。
Img_1107 また、「柏崎・夢の森公園開園記念『日本人の忘れもの』」と題した財団法人北方文化博物館の伊藤文吉館長からの講演も行なわれたので、次の予定をキャンセルしてお話をお聞きした。

 ・世界200カ国以上あるうち100カ国はまわった。その経験のなかで、日本人と言っただけで、周辺が座っていたイスをズラす。日本はそういう国になった。
 ・「ふるさと」とは間をとること。
 ・相手との間合いが重要であり、人との間こそ人間の意味合い。日本人は間を忘れている。
・間違い、間延び・・・・
・日本人は四畳半で一杯やるという習慣をもってきた、床の間の文化も大切にしてきたが、忘れている。
・ドイツでは、未だにモルゲン(約30アール)という単位を使っている。青年が朝から昼間までの時間で耕せる広さのこと。日本はメートル法が入るとすぐ反とか尺は恥ずかしいとなり、無くしてしまう。もっと根付いた文化を大切にすべき。

Img_1111 講演会終了後、そのままみなとまち海浜公園に移動。柏崎工業メッセ2007を見学する。
 とにかく活気あるブースが多く、なかでも柏崎青年工業クラブさんのエアトレインには長蛇の列であった。天気が良いこともあるが、SLを模したエアトレインに子供たちは大喜び。
 早くお菓子電車をはじめ、色々な面白い電車に取り組み、子供たちに夢を与えたい。
 
柏崎の工業力を発信するためにも、さらなる発展を願う。

Img_1115 14時過ぎから柏崎青年会議所柏崎の歴史継承委員会による6月公開例会「『柏崎の歴史考察』~伝えようふるさと柏崎のあゆみ~」に出席。
 柏崎の歴史はもとより、偉人をはじめ、クイズ形式を取り入れ、柏崎小学校に通う生徒さんと親御さんにも参加してもらった充実した例会であった。
 恒例の3分間スピーチのテーマは「結婚」、「赤ちゃんポスト」。今回、「赤ちゃんポスト」でのスピーチに当たってしまったので、賛否について話をする。自分としては、「赤ちゃんポスト」をおおっぴらにすることには大いなる疑問がある。子供を作るということに対しての責任感をはじめ、もっと根本的な議論が先ではないかと思う。

Img_1117 18時過ぎから大黒亭(電話:0257-26-2943)にて、明日開催される「こどもの時代館開館5周年記念イベント ヒーロー祭り」のため、関係者一同が介しての懇親会である。
 柏崎に外からのお客様を迎えるにあたり、さすが料理は日本海の味であった。
Img_1123 特にイカを生のまま輪切りにし、イカの肝入りの醤油をつけて食べる刺身は白ワインによし、ビールによし。ワインもその幕切れを惜しむかのように、柏崎ワイナリーの1998年の白、2001年の赤などが揃い、幻となる味を堪能できた。
 シメは、コシヒカリのおにぎりと漬物。漬物が山葵が効いた浅漬けのきゅうりとナス。これが、また良かった。
Img_1121 ゲストは、「ウルトラマン」のフジアキコ隊員、そして「ウルトラマンマックス」に出演されていた桜井浩子氏、「ウルトラマンメビウス」のアマガイ・コノミ隊員・平田弥里嬢、「ウルトラマンメビウス」特技監督の原口智生氏、漫画家・一峰大二先生(ウルトラセブン他)である。
Img_1118 正直言えば、申し訳なくも「ウルトラマンメビウス」は見ていなかったが、平田弥里嬢は顔も小さく可愛いので、思わず一緒に記念撮影。
 その後、漫画家・一峰大二先生に持っていた本にサインをしてもらった。一峰大二先生といえば、漫画版『ウルトラマン』や『ウルトラセブン』が有名であるが、実はあの中里介山著『大菩薩峠』を20代で漫画化している。49年ぶりに復刻された本にサインをしていただいた。

Img_1127 懇親会が盛り上がってきたところで、明日登場するウルトラマンメビウスが登場。桜井浩子氏、一峰大二先生に入ってもらい、キメ・ポーズで記念撮影となった。
 21時過ぎ、他の懇親会の二次会に出席予定のため、中座させてもらう。

 22時から某スナックでの懇親会二次会に出席。

2007年6月 1日 (金)

「ちちんぷいぷい」現地収録

 4時、起床。8時過ぎまで、届いていた月刊誌をまとめ読みする。大粒納豆と食パン、高柳町のヤーコン・ジャムで納豆ヤーコンパンで朝食。

 9時から事務所にて、打ち合わせ。

 11時過ぎから事務所で、MBS毎日放送で夕方に放送されている番組「ちちんぷいぷい」の打ち合わせと柏崎でのシーンの収録。

070601f10000011 16時過ぎ、遅めの昼食。実験として、自家製の納豆味噌、冷凍してストックしておいた豚骨スープ、市販の太麺を使って納豆豚骨味噌ラーメンを作ってみた。なかなかに濃厚な味わいとなり、脂を多く使わなくともコッテリ好きにも理解いただけそうな感じに仕上がった。
 あまりにも腹が減っていたため、十穀米のおにぎり1個とともに食す。

070601f10000012 19時過ぎ、米山町の「府中屋」(電話:0257-26-2350)にて、地元町内会の評議委員の方と会議及び懇親会。
 色々な陳情を頂くが、それよりも今の柏崎市政がどうなっているのか、という点でお話を多く頂戴した。番神の恒久的浜茶屋の建設問題、柏崎ぶどう村の後処理の方法など、多くの疑問があるとのお話であった。

070601f10000013 22時近く、自宅に戻ろうとするも、某氏と一緒に「らーめん処 潤 柏崎店」(電話:0257-32-1523)に行き、「岩のりらーめん 790円」でシメにする。
 さすがに鬼脂でシメるほど若くもなく、ノーマルの状態にしてもらった。

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