妄想の三井田?拉致事件と原子力発電所
プレゼンテーションや企画書を作り、結局、徹夜となった。
9時過ぎ、豚と牛の挽肉を八丁味噌と酒、みりんで炒め、大粒納豆を入れた「納豆肉味噌丼」で朝食。挽肉と納豆は相性がよく、今後はどういった薬味を入れるのか色々とチャレンジしてみたい。
10時から参議院選挙に関する打ち合わせ。そのまま昼を過ぎたので、コンビニの納豆巻き、サンドイッチで軽く昼食にする。
15時から18時まで市内業者さんへの仕事の依頼。
19時から21時まで某所会議室で菓子パンなどで夕食を取りながら、7月22日投票の参議院選挙全国区へ出馬の米田建三氏の選挙準備を行う。
これまでチャンネル桜の番組「防人の道 今日の自衛隊」 、『アイデンティティ』紙をはじめ、もちろんのことながら先の統一地方選挙でも、色々な場面で
「原子力発電所を守るために自衛隊が必要であり、
特に拉致事件とよく絡めて考えてほしい」
と訴えてきた。
国防のためであり、柏崎の「安全・安心」、そして地元経済としてもマイナスの要因はないはずである。
しかし、柏崎市内の南部地区のある方から
「どーすっか考えたんだども、
一応、オメさんに言っとくてぇー」
とお電話を頂いた。柏崎市役所職員から「三井田議員は思想が右翼だからそんなこと言ってる」といった旨の発言を懇親会の場で聞いたそうである。
本当かどうかは確認のしようはないが、これは右翼とか左翼とか、思想うんぬんとかそういったレベルではない上、もしそのレベルで考えているとしたら、公務員としては視野の狭さから失格と言えよう。
原子力発電所と拉致事件の関連性を指摘しているのは、私だけではない。一例として、2006年3月号『正論』のp288-295に『スクープ 辛光洙は「拉致実行犯」ではない』と題して、ジャーナリストのウラジミール氏が書かれた文章を以下に引用する。
<p292-293>
78年夏の「三カップル拉致事件」は
日本革命=原発破壊工作のため?
辛光洙が原勅晁さんを拉致したのは、本国の指示による「背乗り」(なりすまし)が目的であった。では「第一次日本潜入」の際、辛はなぜ「坂本」という名を稚い続けたのか。換言すれば、なぜ「地村」を使わなかったのか。あるいは地村さんに「背乗り」した他の工作員の痕跡がまったくないのは、なぜか。
そもそも北朝鮮はなぜ、多くの日本人を拉致したのだろうか。「対南工作の一環として」というのが、いわば常識的な答えであろう。侵入の容易な日本で日本人としての身分を獲得し、より侵入の困難な韓国にて地下党構築や各種の破壊工作を行うため、というのが一般的な認識だろう。だが本当に「対南工作の下準備」にすぎないのか。
拉致事件が頻発した70年代後半から、金正日が言いはじめた印象的な言葉がある。「南朝鮮革命と日本革命は車の両輪である」…。主体思想に基づき日本国内で「日本革命」を行う、というのである。また「よど号」犯人たちも「日本革命」という言葉を何度も口にしている。実のところ「日本革命」とは、韓国を武力赤化統一する際、日本国内でも同時に撹乱工作を行うことで事態をより有利に進めることを意味すると思われる。北にとって韓国とは「革命に失敗した地域」という幼児体験そのものであり、「南朝鮮革命の完成」は平壌政府の強迫観念だ。これは本質的に現在も変わっていない、と筆者は信じる。
では、対日騒乱工作を目的とした拉致が行われた形跡はないのか。結論から言えば、78八年に発生した三組のカップル拉致事件(「地村・浜本さん」「蓮池・奥土さん」「市川・増元さん」拉致)、こそ、まさにそうだったと思われる。ここで「三カップル拉致」それぞれの日時と場所を再確認してほしい。注意していただきたいのは、彼らが拉致された場所である。
*一九七八年七月七日 地村・浜本さん拉致
(福井県小浜市から)
*一九七八年七月三十一日 蓮池・奥土さん拉致
(新潟県柏崎市から)
*一九七八年八月十二日 市川・増元さん拉致
(鹿児島県吹上町=現日置市=から)
三つの場所に共通しているのは、海岸に近いこと。そして原子力発電所にも近いことである。
地村さんらが拉致された福井県小浜市の周囲は美浜・高浜・大飯原発が肩を並べる日本有数の「原発銀座」だ。また蓮池さんらが拉致された新潟県柏崎市には世界最大級の柏崎刈羽原発が、そして市川さんらが連れ去られた鹿児島県吹上町の近隣には、川内原発がある。
福井県「原発銀座」は美浜原子力発電所を皮切りに、70年から徐々に運転が開始された。また78年には柏崎刈羽原発一号機原子炉が着工、川内原発は一号機の原子炉設置が許可されている。運転開始の時期こそまちまちだが、 「そこに原発がある、あるいは近年中に確実に完成し運転が始まる」 ことは、三カップル拉致時点で明らかだったのである。
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