前代未聞の答弁撤回と質問やり直し
一般質問:番神海岸と柏崎市政
色々な資料作成もあったので、4時に就寝。8時、起床。大粒納豆、なめ茸、目玉焼きで朝食。
9時過ぎ、市役所に移動し、今日の一般質問に向けた整理を行う。
10時から本会議。冒頭、会田市長から昨日の真貝議員の質問に対する答弁を訂正したい旨の発言があった。
昨日の一般質問の最初、前提となるかたちで、
「旧トルコ文化村にある民有地の借地料は誰が支払うのか」
と問われたところ、会田市長は
「ウエスティックエナジー社が支払うべきものである」
と答弁した。当然であろう。柏崎市が売却したのであるから、譲り受け人であるウエスティックエナジー社が民有地の借地料を支払うべきである。また事業用借地権の設定がされている土地もあるので、1年間も借地料が土地所有者のもとに入っていないことが異常である。
*事業用借地権
存続期間:10年以上20年以下
借地の利用目的:事業用
契約の形式:公正証書
特 徴:期間満了で、契約消滅し、建物買取請求もできない。
ゆえに建物を地権者が時価で買わされることもない。
根拠条文:借地借家法24条
しかし、今日の今日になって、昨日の答弁を
「民有地の部分については、
まだ会社と地権者との間で
賃貸借契約が交わされておらず、
早期に話し合いによって解決されるべきものである」
に訂正したいという。
議員が一般質問をする際には、事前に質問の要旨を送り、さらには市長は担当課を交えて勉強会を行ったのち、答弁にのぞむ。それをやっているはずなのに、翌日になってその後の質問の流れをまったく無視するかのような、答弁の訂正を行おうというのである。
前代未聞の恥ずかしい議会答弁である。
質問者である真貝議員にとっても、最初にこの質問で支払うべき人を確定したうえで、その後の質問を行っている以上、最初の質問の答弁が変更になるということは、「あの質問と答弁は何だったんだ!」ということになる。
急遽、議会運営委員会が開催され、15分の時間のなかで一般質問のやり直しということになった。
議会再開後、質問のやり直し。市長の答弁の内容は昨日よりもヒドく、問いかけそのものには答えず、答弁をそらすばかり。あっという間の15分が終わってしまった。
もう1名の議員の一般質問が終わったのが、12時過ぎ。昼休みとなった。先の会田市長の答弁のずらし具合をどう攻めようかと昼食抜きで作戦の練り直し。
13時、議会が再開し、一般質問の出番となった。改選後、初の一般質問である。
「今期も
海上自衛隊誘致をはじめ、
鉄道の活性化などに
頑張っていきます!」
と宣言し、お約束の野次を多く頂戴した。続いて、外から見る目として、夕方6時の音楽のことを話した。先日、市外の方から、
「柏崎はエーデルワイスに関係あるんですか」
と言われた。現在、夕方の時報とともに流れる音楽は『エーデルワイス』である。この曲は、ミュージカル『サウンド・オブ・ミュージック』の中でドイツに併合され消えゆく祖国オーストリアを思って歌われたもの。これはこれで名曲ではあるが、地元・柏崎、また海の柏崎のためにも『浜千鳥』」など柏崎に縁のあるものか、はたまた三階節とか、せめて日本の唱歌にしてはどうかと提案したかったのである。
この提案に対する市長の答弁は、
「『エーデルワイス』は西山町で使っていた曲。
定期的に変えて、『浜千鳥』もかける予定」
とのことであった。日本の歌にしてみては、という内容が伝わったのか伝わらなかったのか・・・・。
今回の質問項目は大きくは3つあり、以下がその大まかなやりとりである。
1.新市民会館建設位置について、駐車場や交通アクセスの観点から、コマツ跡地もしくはその周辺の土地が最適と思われるが、市長の考えを伺う。
先の統一地方選挙でも、柏崎日報社の政策アンケートでこの新市民会館にふれた候補者は多く、私もその一人だし、昨日の質問にもでていたように、この中間報告の説明を委員会で行ったときにも委員から異論が続出した。少なくとも自分の周りの市民の方もそういう声が多い。今回の移転新築の目的は老朽化対策、そして駐車場であったはず。検討委員の複数の方から、市民の理解が得られないとの声があがったとも聞いている。
会田市長からは相変わらず、文化トライアングルだの総合的に判断しているだの、はっきりとしない回答であった。新市民会館、産業文化会館、エネルギーホールを文化トライアングルとして使う、などという発想が理解できない。あの位置にある、ふれあい駐車場のキャパシティーは203台しかない。オーケストラなど100台分は演奏者などの出演側で使う場合も多く、今でも
「駐車場はお客様の為に空けますので、
演奏の方は他の駐車場を利用して下さい」
と言われ、アクアパークまで車を置きにいく演奏者もいる。文化都市・柏崎としてふさわしい使い方が、サイカワ跡地のような広さでできるのかどうか。
しつこく問い質すも同じような答えであり、広さのためにも、また柏崎市単体での出費を抑えるためにも、コマツ跡地で民間とのPFI事業として市民会館及び周辺施設を作ってはどうかと提案するも、耳に届かず。
民間との事例:秋田県秋田市の「アルヴェ」
また次回、時間をかけて、詳細に質問しなければならないようである。
2. 競争性、談合防止のための一般競争入札の導入は理解するが、地元企業への発注をはじめ、柏崎市内の経済・雇用環境とのバランスをどう捉えているか、市長に伺う。
柏崎市は、今年度から130万円以上の公共工事の指名入札を廃止し、すべて制限付き一般競争入札に切り替えた。県内に本店があり、柏崎市内に事業所だけあれば参加できる入札となったため、地元業者があおりを喰ったわけである。柏崎市に税金を納めているのは、地元の企業であり、地元の人間である。この辺をよく考慮すべきではないかと問い質した。また、地元業者には除雪や災害時に手伝ってもらっていることもあり、この一般質問の日から始まるえんま市の電気配線も、地元の電気工事の組合で行っていることも十分考えていただきたいとも述べた。
会田市長からは、6月に入ってから見直し、地元業者のことも考えた内容にし、地元以外の業者に対し、工事期間中の追加の参加を禁止し、指名入札も緩和するとの答弁があり、今回の質問の目標はある程度達した。
たった2ヵ月で見直すことになったが、こういう結果になった以上、来年度を待たず、抜本的に見直すべきということも意見した。
公共工事の入札については、目先の入札金額が下がりコストダウンするのは良いが、市民の就労の場として、地元企業を育てる意味でも大きな視点から判断すべき事柄である。また、地元意識ということで一つの事例をださせてもらった。
先日、市内大手ゼネコンで長年設計をされていた方がお亡くなりになった。先の質問にあった柏崎市民会館の設計をされたそうで、新市民会館も自分で責任をもちたいと検討委員に応募するほど仕事にプライドをお持ちの方であった。それより何よりも息子さんに、柏崎市民会館の設計をされたことを誇らしげに語り、そして息子さんも誇りに思っていた。こういった地元への愛着、これもよく考えるべきではないか。
3.多くの市民から白紙撤回の署名も集まった番神海岸の恒久的浜茶屋建設問題について、改めてその経緯と責任の所在、今後の対応と対策について市長に伺う。
前回も質問し、7000名を超える多くの署名が届けられたが、工事は止まらぬまま。しかも、議員への説明はないまま、6月8日付けの関係職員への処分の文書がでてきた。前回の答弁ではまったく問題ないと答弁していたのに、処分するとは前回は嘘の答弁をしたのか。
また、同じように永久的浜茶屋を許す基本方針について西川前市長による決済があったのかどうかについては、前回は
「前市長時代に決まっていた」
と3回も答弁している。市長が決まっていると発言することは市役所のなかで決裁がされているということである。しかし今回は
「市長も基本方針の文書を見ているはず」
「市長の決裁は受けていないが、柏崎市の方針」
と意味不明の答弁となった。前回は「虚偽の答弁」をしたのであろうか。決裁をせず、文書を「見たはず」で何でもできるなら、まさに役人天国である。つまり、結局のところ、柏崎市のトップたる市長、この場合は前市長の決裁(印)もないのに、柏崎市の方針としてドンドン話しを進め、会田市長になってから契約してしまったことが露呈したのである。
さらに会田市長になってからの契約についても、貸し出し相手である番神海水浴場旅館浜茶屋組合は「権利能力なき社団」。普通は、自然人か法人にしか貸付をしない。ここがミス1。
「権利能力なき社団」は不動産などを所有することができないため、当然、又貸しをする必要があるが、原則、転貸(又貸し)を前提とした財産の貸付などは行わないものである。しかも、又貸し(転貸)を平成18年10月3日に承認したものの、その相手は番神海水浴場旅館浜茶屋組合の組合員である個人ではなく、法律上違う人格の法人に又貸しした。これがミス2。
番神海水浴場旅館浜茶屋組合
→ 組合員ではない法人、個人
これだけ契約の手続きにミスがあっても、また7000名を超える市民の署名が集まっても、通年観光という大義と番神海水浴場旅館浜茶屋組合という営利目的の団体を優先するのが今の柏崎市長のやり方である。
いくら問い質しても、景観を大切にしながら総合的に?判断していくなどと答弁するのである。
あの番神の浜は、柏崎市政にとってはただの浜ではない。
柏崎市政が誕生したのは、昭和15年7月1日。皇紀2600年の祝典を11月10日、市政施行祝賀を11月23日に行ったのであるから、柏崎が沸いた一年であったことであろう。
*写真は『柏崎市史』より
それ以前の、昭和12年8月。まだ柏崎町の時代。泥沼の支那事変の発端となる盧溝橋事件があった年である。吉田正太郎作「日蓮上陸」という野外劇が柏崎ペンクラブによって番神海岸で行われた。
そして、昭和25年、柏崎市政施行10周年を記念して、2回目の海の「日蓮劇」が番神海岸で行われた。主な出演は、比角スカウトクラブで、日蓮を近藤禄郎氏、日朗は助役を務められた長野茂氏が演じている。
その後は、昭和28年8月に柏崎演劇研究会によって第3回、昭和49年8月、日蓮着岸400年を記念し、番神保勝会10周年も兼ねて、第4回の上演を行っている。
それだけ番神の地を、柏崎市民は特別な場所と捉えていたのである。
*写真は、『柏崎史市資料集 近現代篇3下』より
ちなみに、この昭和25年はぎおん祭りが現代のような姿になった年であり、同じ番神海岸では、昭和7年に着工して大東亜戦争末期に閉鎖されていた、弁天岩自然水族館も復活した。
さらに、金沢八景などに肖って、福浦八景が名付けられたのもこの年であり、八景とは「だるま岩」「聖が鼻」「御野立公園」「鴎が鼻」「松が崎」「猩々洞」「牛が首層内褶曲」、そして「番神岬」である。
以上のような、歴史的事実があり、また柏崎市政と深く関わってきた番神海岸であるため、普通のリゾート開発、通年観光とは違うと会田市長に訴えるも、あとは事務的に進んでいくといった、とても地元、柏崎を愛する者とは思えない答弁。最後には力が抜けた。
あとは委員会審査をはじめ、しつこく追及していきたい。
16時過ぎ、事務所に戻り、カロリーメイト1箱を食べながら、資料を作成する。
19時30分から柏崎青年会議所の「柏崎のまつり検討委員会」に出席。柏崎のまつりの歴史が分かる映像のつめの作業を行う。
23時過ぎ、自宅に戻る。大粒納豆、冷凍うどんで納豆うどんの夕食。食後、風呂に原子力新聞や関係書籍を持ち込み、読みまくる。さすがに新聞はベロベロになってしまった。
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